したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

聖典引用 板

998うのはな:2012/07/20(金) 18:57:03 ID:gTn97m6I
   錦旗を護る先祖の人々

 神戸で私や清超夫婦と別れた夫は、三日後に大津その他を巡講して帰京された。
先ず巡講先のみやげ話を伺い、その話が一段落すると、三日前の神戸で見聞した事柄に
話題は転じて行った。
 昭和四十六年は夫の實父が帰幽されて満五十年目になるので、五十回忌法要を営むために、
私たち夫婦と清超夫婦と孫の佳世子との五人は、神戸の谷口家の菩提寺願成寺へ行った。
私の夫の誕生日は十一月二十二日であるが、夫の實父の命日は四月二十二日であった。お寺の境内にある墓地には、
谷口家の最も古いお墓が幾つもあったが、その中の一つの墓には元禄六年と記され、十一月二十二日と彫られてあったのを見て、
私は不思議な因縁を感じた。古い墓はみな戒名だけが彫られてあるので、姓も名も判らない。ただ墓石の前に「谷口」と彫られているだけである。
私はこのお寺の墓には何度も詣ったが、亡き姑は誰の墓とも教えて下さらなくて、唯古い先祖の墓だと言われただけであった。
今思うと、姑も余りに古いので誰の墓なのか知らなかったであろう。
しかし、烏原水源池の山の墓地のは、全部誰の墓であるかは判っている。
法要が終って本堂から廣間に移ってお膳についた時、四人の僧と親戚一同は、和やかに箸を動かしながら語り合った。
その時願成寺の住職は、「今から六百年前に、後醍醐天皇を護ろうとして足利尊氏と戦って武将の一人に、谷口泰重という人がありました。
その人が谷口先生の祖先なのです」と言われたので、私たちは驚いて住職の顔を見つめた。
家附きの娘であった姑は、「新田義貞の仲間が戦に敗けて烏原の谷に隠れ住んでいたのが先祖や」と言われただけで、その人の名も知って居られなかったので、
私たちは泰重という名は初耳であった。

願成寺は後醍醐天皇の御代よりもずっと古く、天平時代に名僧行基によって建立された観音寺が、後世法然上人の弟子住蓮坊によって再建されて名を変えたお寺であって、
いろいろの史蹟や文献を持っているので、近年住職を継がれたその人は、預かっている檀家一軒一軒のお墓について、非常な熱意をもって研究して居られることが判った。
「後醍醐天皇は、谷口泰重の忠心を喜ばれて、『菊の御紋章』を用いることを許されたのです。
その証拠がこの寺にあります」と言って、住職は私たちを墓地へ案内して、一つの墓を指し示された。
その墓は、観音開きの扉の右側には、まさしく十六菊御紋章が陰紋として彫られてあった。
寺を去る時、住職は、「これを是非お読み下さい。いろいろ詳しいことが書いてあります」と言って二冊の書物を下さった。
それは『西攝大観』という三百八十ページほどのものが、上巻(金色)下巻(銀巻)となっていて、紫の絹糸で綴じた立派な書物であった。
帰京した私は、翌日からその書物を読み初め、殊に「烏原」や「夢野」など、谷口家ゆかりの地の頃を一心に読んだ。『西攝大観』とは、
神戸を中心に摂津の国の西部の郷土史であって、神代の昔からの伝説や史実を、こと細かに記されてあった。

 中略 「谷口家の祖先は、ただの百姓ではなかったのですよ」
との住職の言葉を思い出しながら、私は嬉しい興奮で胸の熱くなるのを覚えた。
「楠木正成には菊の御紋章の上半分だけ許されたのに、谷口泰重には全部許されたのです。
大した武将だったのですね」
「新田義貞の一門だったと姑は言ってましたが」
「いや、新田義貞より上位の武将なんです」と住職は断固と言われた。私たちは勝手な憶測をしていたことに気づいた。
昔は百姓や町人には名はあったが姓はなかったから、烏原の谷に住んでいるから谷口と姓をつけたのかと思っていたが、さにあらず、
烏原の谷に住む以前から谷口姓を名乗って居られたことが判った。後略〜

『人生の光と影』 谷口輝子 著

999SAKURA:2012/07/20(金) 21:57:12 ID:V.pKl3yA
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは……  ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

【正しい理念】は、“意識から繋がる心”でしょうか〜〜〜?
つながる“心の電話??”は、【心の旅立ちを本から〜♫〜】始めませんか???
私は、今日も“心の電話”を繋いでいますが〜〜
では!!!繋がる“心”に響く本…【幸福を招く365章】を、開きま〜〜す〜〜☆

■【幸福を招く365章】
――――――神の道を歩む人生は滑らかである―――――

人間は神の子ですから、人の歩く道は神の歩く道であります。だから神の道を
真直に歩かないでは、自動車に撥ねとばされたり、崖から墜落したりいたします。
人に対して悪意をもったり、嫌悪の情を感じたり、素直でなく剛情であったり、
人を憎んで赦すことをしなかったり致しますと、それは神の道から離れて歩いて
いることになるのであります。吾々の歩む人生の行路が滑かでないのは、神の道を
歩いていないからであります。神の道は愛の道、サ−ビスの道、赦しの道、
包容の道、円い道、角のたたない道、人を助ける道、やさしい言葉の道
利己主義でない、霊と法悦の道であります。あなたの生活がこれらの道に乗って
いるか反省してみて下さい。
                        (谷口雅春著)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

■「私は神の子」と、毎日云いながらでも【正しい理念】から外れる事が、あります。
それは【法則…】に従ってない場合と、言いますよりは、
私自身の「尺度?固定観念?での捉え方」から、来るものでしょうか??
その様な時に、【アクシデント発生】が、起きるのです〜〜〜ョネ!〜〜〜
相手が、私に対して「反対論」とかの“投稿”・“名指しでの中傷”が来ますと、
ここが“ポイント”でしょうか……???

私の「心の持ち方」の展開が〜〜〜><後での【反省…】も多々ありまして、
勿論!毎日「心で反省会」を、致しておりますが〜〜〜【お祈り】して行きますうちに、
いつも【神と一体…】私の“潜在意識”に繋がりまして…そうなのです〰〜〜ョネ!
【私のベストフレンドは私の神の子】なのです。

この様に……
【潜在意識の奥に神様が要られています…】ので、いつも傍にと?
【my!ベ ス ト フ レ ン ド】です〜〜〜が、もっと深〜〜く
全ての「道のり」ますます滑らかに歩んで行きます事を、毎日「神の子」として、
【イメ−ジトレ−ニング中】なのです? ><
まだ!まだ!足りないようですから?「道のり」いばらなのでしょうかと?
「神の道」を歩んで行きたいですモノ〜〜〜ネ!      

 再合掌
PS;トキ様へ
「神の道」此の“言葉”?私自身の“心”に、自問自答してしまします。

神の道は愛の道
サ−ビスの道
赦しの道
包容の道
円い道
角のたたない道
人を助ける道
やさしい言葉の道
利己主義でない道
霊と法悦の道……etc 

今回「生長の家」本来「人々への救済」と考えますと?複雑な心境ですが?
この点は、どの様に思われますでしょうか?“アドバイス”頂けますと幸いです。

1000ハマナス:2012/07/20(金) 23:36:44 ID:0kyCzJg6

神の子のみなさま
こんばんは。
昨日は、日差しが強くて、日傘が手放せない位でしたが、今日は打って変わって
涼しい一日でした。

「今」を祝福しよう  (『新版 生活の智慧365章』P.207より)

 あなたは今日より決して取越苦労も持越苦労もしないように決意したのである。あなたは
全力を“今”に集中して心を動揺せしめることは決してないのである。また起こらないところ
の不幸を、「多分起こるかも知れぬ」と取越苦労をしてみても何の甲斐もないことである。
恐怖のうちに心に描いた状態は最も現実し易いのであるから、恐怖し取越苦労することは決して
あなたの運命を好転せしめる原因とはならないのである。だから、あなたは「今」あなたの働き
の中に、神が働きていたまうことをみなければならないのである。

 あなたは「今」を祝福すべきである。過去はそれが如何に良かったにせよ。また如何に悪か
ったにせよ、それは何らかの体験をプラスにして過ぎ去ったのである。だからそれを歎くことは
不合理であり、ただ感謝して別れればよいのである。

感謝合掌

1001a hope:2012/07/21(土) 08:09:52 ID:kJvHf4/g

人生読本 谷口雅春先生著

こんな社員は社の為にならぬ


その社員が一人その部屋にいるだけで、社の空気が悪くなる人があります。
その一人は陰気な暗い顔をした人です。

その一人はブツブツ不平小言を言っている人です。

その一人は上役や同僚の陰口を言う人です。
「これは内証ですよ」と言って仲間の秘密をあちこちに伝え歩く人です。

そんな人でも自分が常に不平小言を言いながら、自分で気づかぬ人があります。

今皆さん、「自分はどうだ?」と考えて御覧なさい。
そして自分にそんな性質があると思ったら直ぐ改めなさい。

(つづく)

1002SAKURA:2012/07/22(日) 00:38:28 ID:V.pKl3yA
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは…… ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

一週間前は、このような気持が〜〜「ある日!突然!変わる事は?」あります〜〜〜ョネ!
次第に状況判断にて“考え方”が変化しますと、「心の状態も変化」ですから、当たり前でしょうに!
ある人は、以前は、あの様に人をさばいていたのに、今では?その人と組んで仕事を〜〜〜
これは【心の変化】…更に!【魂の進歩】でしょうか???人間関係も【変化進行中】ですから〜〜
まるで「スポ−ツの変化球」でしょうか??私の頑な「心の変化球」を、今から〜〜〜
この“本”で、切り広げていきます???きっと【天国の門…】も、広がる事でしょう!!

では!【心の変化球】は〜〜〜【幸福を招く365章】から〜〜〜投稿とさせて頂きます。
■【幸福を招く365章】
―――――万物に神の祝福の声をきけ―――――

何時、いかなる場合、何が自分を呼びかけて来ても、電話が呼びかけて来ても、
訪問者があらわれて来ても、それに対談する場合には、「神はこの電話(又は人名)を
通して私を祝福したまうのである。そして神の愛わらに流れ入って私を通して此の
人を祝福したまうのである」と念じつつ対話するが好い。見るのも、聞くのも、
それが花であろうとも、音楽であろうとも、「神はこの花を通して(又は音楽を通して)
私を祝福したまうのである。有りがとうございます」と念じつつ、その花を見、音楽を
聴くがよいのである。そして「神の愛われを通してこの花を、この音楽を祝福したまう」
と更に念ずるのである。

                       (谷口雅春著)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

■私も苦手な“課題”がありました…。ある時、仕事関係ですが〜〜〜「嫌な担当者」との応対は
とても神経を使いますが…><
例えば、私自身“重度聴覚障害”との事を“露骨”に相手に伝えますと?ある担当者からは、
かなりの“嫌な発言…”を、露骨に云われましたが…?
その様な担当者がいましたかと思うほど“ビックリ・マ−ク”…
そのような方は、いつも申し訳ないのですが「学歴」が〜〜〜高卒の男性でしたが〜〜〜><
平然と言われて……とにかくも……???

そうです〜〜〜ョネ!私への【負担…料金】を、押さえこまれながらも【我慢…】の一言!
相手のいい所を、探しだしながら〜〜ルンルン〜〜【対話形式】この様に、
「商談話」を進めていきますと、必ずこちらの考え方に目を向けてくれるようです。
今!思いますと、いつも相手が“分る!”“分る!”と、一人で『黙然して交渉』しました…。

やはり!少しは、通じる様ですかしら〜〜〜ン!今は「イメ−ジトレ−ニング」に、入ってから
『交渉…』です。抜群の“効力”ですかしら〜〜〜ン!更に!毎日の「瞑想=神想観」は、
『心の意識開発』に…更に『進歩向上』に繋がりますモノ!

■【神の愛われを通してこのデザイン画を、この洋服のデザインをを祝福したまう…】
ありがとうございます〜〜〜この様に“念じ”ていきます。
                           
                               再合掌

PS:トキ様
トキ様も「絶対絶命」のピンチの場合は、どの様な“言葉”にて?
思念をなさいますでしょうか“アドバイス”頂きますと、幸いなのですが??

1003a hope:2012/07/22(日) 08:18:23 ID:kJvHf4/g

人生読本 谷口雅春先生著

大穴よりも小孔(あな)が恐ろしい


自分のものだと思うと一枚の紙でも大切にするくせに、
会社のものだと思うとゾンザイに使って平気でいる人があります。
自分の宅では十ワットの電燈でももったいないといって消して寝る人が、
会社のものだと思うと、百ワットでも二百ワットでも不要になっても点して置く人があります。

自分が金を払わねばならぬから大切にする。
自分が金を払わなくてよいから粗末にする。
こういうやり方の人は出世のできぬ人です。

何でも物を生かして使うようでないとその人は出世しません。
自分の金を払うときにでも入用なら二百ワットの電燈でも使うし、
会社が金を払うときにでも不要なら5ワットの電燈でも無駄にせぬようでないと、
物を生かして使うとは言えません。

時間でもわずかな時間を上手に使って勉強する人は偉くなるし、
花の蜜でもわずかな一滴を集め得る蜜蜂でこそあれほどの蜂蜜を貯え得るのです。

少しだからとて無駄にすることは、思いがけない大きなものを捨てていることがあるものです。
誰でもバケツ一杯の清水は無駄に捨てませんが、バケツに孔が明いていれば、
いつの間にかそのバケツが空になっているものです。

大きな穴より小さな孔が恐ろしいのです。
底ぬけの器には誰でも警戒して水を入れませんが、
小さい漏れのある器には気がつかないで物を入れて、
いつの間にか無くなっていることがあります。

大きな穴より小さい孔が恐ろしいのです。
小さく貯えて大きく使う人が偉くなるのです。

これはお金だけではありませんが、智慧でも同じことです。
毎日怠らず良き本を読んで少しずつ進歩しておいた者が、
イザという時に大きな仕事ができるのです。

(つづく)

1004SAKURA:2012/07/22(日) 14:04:28 ID:V.pKl3yA
トキ様 ヘ
観覧者の皆様 へ
こんにちは… ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

いよいよ〜夏本番〜♫ 季節となって参りました。本日は暦では『大暑…』
観覧者の皆様も、休みの日は、思い思いの時間の過ごし方をなさっていらっしゃいます事と…
今日は、“素敵な言葉”に目がとまり此処に“投稿”の形を、とらせて頂きます。

■■【愛 は 全 て を 癒 や す】 「徳久先生の書物」からの一部抜粋です…。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

日本におけるスタ−・デ−リ−の講演語録は…云々…
谷口先生の著書『愛は刑よりも強し』の12頁に、
「愛は欠点を見てそれを矯正することではなく、そのいたい傷に触れることではなかったのである。
愛はその人の傷をやさしく包んでその人の欠点の奥にある円満完全なる実相を、じっと愛の心で
眺めやり、これが彼の実相であると、それを心でいたわり育ててやることであったのである。」と
書かれています。生長の家の教えを、人に伝える講師でありながら、まことに批判力が強く、
すぐ心の中で、他を裁いていた私には、このコトバはショックでした。

「そうだ、そうだ、愛を、実践しているつもりでいたのだが、まだまだ、私は愛とはほど遠い
人間であった」と反省しました。
また、同書の16頁に、「人が人の弱点に触れることなく愛すると云うことは最大の愛である」
「人を愛すると云うことは、人を知ると云うことである。
人を知ると云うことは彼を助け、癒すことが出来ると云うことである。かようにして神は、
愛を通してその癒す力を働かせ給うのである」と書かれています。

また『愛は決して失敗はしない。愛は恐怖をかなぐり棄てる。愛は法則を成就するものである。
汝の宗教が正しいか否かのテストは知識や智慧ではない。憎しみにみたされる無神論者も
知識や智慧は持ち得るのであるが、それは真の信仰でも信条でもない。
悪魔でさえも、ある意味では信仰をもち不屈の信条をもっている。然しそれには真の癒しの力も、
聖句を解決する真の力もない。……真の宗教なりや否やの最後のテストは、
彼が愛に満たされた魂を有っているかどうかの問題である。神の愛と人の愛とを持っているか
どうかの問題である。
汝に宿っている神の愛は、神が汝の中に働き給うのである」と書かれています。
…云々…
                  
<つづく>               No.1

1005SAKURA:2012/07/22(日) 14:06:40 ID:V.pKl3yA
               <つづく>               No.2

>>1004続き投稿です。

しかし、伝道とか、愛とかいう問題にぶつかりますと、私はこの『愛は刑よりも強し』を拝読
します。伝道しようとしたスタ−・デ−リ−が、今まで一緒に悪の仲間として、つきあっていた
人々に、キリスト教を伝えるのに、どんな苦労をしているのか、ということを知ることにより、
また新しく伝道の勇気がわいてきます。しかし、彼は何回も何回も、つまずきながら、
ライファ−に教えられて、導かれて、一流の伝道者になってゆくのです。その経過が、
そのままいつわらずに書かれているのが、この『愛は刑よりも強し』です。
…云々…

「多くの宗教の教師は、『自分が他を救う』という高慢になっており、『自分が誰かのために
こんなにはたらいているのに、感謝されない』などと不平に思ったりし勝ちであるが、この書は
そう云う宗教の教師に是非読ましたいし、自分みずから幾度でも読んで反省の資料としたいのである。
ライファ−は又言う。
『愛のない説教は未だ寡って一人の魂を救ったことはないし、これからも決して救い得ないだろう。
人類を愛し抱擁することによってのみ、君は君の魂を救うことが出来るのだ』」

ただただ、頭がさがるのみです。もう一度、最後に、
「愛のない説教は未だ寡って一人の魂を救ったことはない」との言葉を、かみしめたいものです。
                                  (抜粋投稿)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

■「谷口雅春先生」時代の「徳久本部講師」先生の著書の中からの一部抜粋なのです…。

徳久先生の人格・考え方が…御文章の“言葉”一つ一つから伺えました。驕ることなく常に、
自分の言動に対し、自問自答さまして、謙虚に、そして次なる言動につなげられました事に…
その『人格』が〜〜〜
忘れもしませんが…最初で最後と申しますか?【飛田給練成道場】にて個人的に奉仕に参りました時、
玄関先で“ニッコリ”として見送って下さいました先生は、私達が後ろを何度も〜何度も〜
振り返りましても、其処にたたずんでいて下さいました。

■この中に「本部講師…幹部の方々」が、いらっしゃいますでしょうかと?思います。
この様に「生長の家」は“讃嘆”する事が「雅春先生の人を育てる…」という事でしょうかと、
思います。それは、その人に“自信”というエネルギ―を与えることになります。当然ながら、
それにより、次なるステップに繋がるかと思います。
しかしながら、この『考え』方に、今回そぐわない方たちもいらっしゃいます様で…
唯!そのことを気付きました時点から、次なる”ステップ“へと繋がると思います。
此処で「私…」自身、勉強させて頂きながら、『人格形成…向上』へと、ひたすら歩んで
参りたいと思います。「霊界世界…」いずれ予備軍の私ですもの〜〜〜ネ!

本当に今日の文章から?
『人類を愛し抱擁することによってのみ、君は君の魂を救うことが出来るのだ』…この言葉を、
脳裏に刻みつけ、今後の“言動”に対しまして「責任ある行動」をと、改めて思いました。
そして『今の時点』で気付きを、頂きました事に、感謝申し上げます…。

                                再合掌
PS;トキ様 ヘ
今日の“徳久先生”の文章抜粋…どの様に感じられましたでしょうか?

1006ハマナス:2012/07/22(日) 23:12:30 ID:.wxfb6P6
神の子のみなさま
こんばんは。
今日から、第 八 篇 失敗から立ち上がる道 に入ります。

 繁栄のコツ  (『新版 生活の智慧365章』P.209より)

心の法則によって富もうとする場合、兎もすれば人々は、労少なくして多くの富を得ようと
するような間違いにとらわれることがあるのであるが、心の法則は決してそんな魔術では
ないのである。少なく価を支払ったものは少なく受け取るより仕方がないのが心の法則なの
である。

 いつか短波放送で東京の成田屋と云う店が非常に繁昌しているのを放送記者が訪問して
主人の成田さんにその繁栄のコツと云うようなものを聴いていたが、成田さんは引揚者であり、
最初は微々たる店を開いていたが、繁栄するには良き品を安価に売らねばならないと云うので、
毎日築地の卸売市場へ商品を買いに行くのであったが、都内電車の始発に乗って築地に行って
いたのでは他の商人が安い商品を仕入れてしまった後で、自分の店に安い良品が手に入らない
と云うので、始発電車の二時間前に自転車を自分の足で漕いて築地まで通って安価な良商品を
手に入れて顧客(とくい)にサービスしたと云うことであった。

 ひと以上に親切な努力とサービスとがあってのみ本当の繁栄が得られるのである。繁栄する
店には繁栄する原因があり、つぶれる店にはつぶれる原因があるのである。皆経営する人の心
である。

感謝合掌

1007a hope:2012/07/23(月) 06:59:20 ID:kJvHf4/g

人生読本 谷口雅春先生著

一人にでも悪く思われるな


一人の人にでも、「あいつ気にくわぬ」と思われるようになってはなりません。
せっかく、立派な才能を有(も)ちながら、一人の人から「気にくわぬ」と思われているために、
せっかくあの人を部長にしたいと思っても部長にしてあげられないことが度々あります。
これは大変残念なことです。

心は尖っていてよく人と衝突する人は長にはなれません。
そんな人が長になったら、部下の者が不平を言います。
それでは下を治めることができませんから、長にすることができないのであります。

(つづく)

1008SAKURA:2012/07/23(月) 20:36:54 ID:9k1xUNFw
こんばんは…ローマ字(大文字)の
【SAKURA】で〜〜〜す。
ただいま スマートフォンのテストです。
これは大変です〜〜フゥ(T_T)
             再合掌

1009神の子さん:2012/07/23(月) 22:50:31 ID:L/GLhGeg
SAKURAさん、テストは離れ小島板でやってもらえませんか?

1010ハマナス:2012/07/23(月) 23:59:41 ID:0kyCzJg6

神の子のみなさま
こんばんは。

光明思想は魔術ではない  (『新版 生活の智慧365章』P.210より)

 光明思想は、決して自分の欲する事物を無条件で何でも得られると云う方法を教えるのでは
ないのである。若し人間が自己の欲する事物を無条件で何でも得られると云うことになるならば、
人間は正しい努力を為すことを忘れてしまい、ただ享楽と怠惰と貪欲とを事とする愚かな利己
主義者に成りさがってしまうであろう。

 人間が地上に生れて来たのは、ある条件の下に、その条件に適合しながら困難を克服する努力を
つづけることによって、愛を実現し、自己の品性を陶冶し、自己の能力を開発し、魂を向上せし
めんがための神の御意志によるのである。この神の御意志に反対して、努力もなく、愛もなく、
ただ自分の利己的満足を得んがために、「労せずして効多き方法」を得るために、「心の力」を
うならばそれは、宗教ではなく、魔術になってしまうのである。

感謝合掌

1011a hope:2012/07/24(火) 06:59:35 ID:kJvHf4/g

人生読本 谷口雅春先生著

仕事に魂を打込め

遅くまで居残っていたら、残業手当を貰えると思って、
普通の勤務時間中だらだらのろのろ仕事をしていて、
普通の働く時間が終わる頃になると忙しそうに仕事をする人があります。

こういう人は間違った考え方に捉われているのです。
そんな人はだらだらのろのろしていたら自分は得だと思っているかも知れませんが、
一番損をするのは、だらだらのろのろしている本人なのです。

だらだらのろのろしている間に失(な)くなって行きつつあるのは、その人自身の時間なのです。
時間が経つだけその人の死ぬ時が近づいているのです。

生きている限りはだらだらのろのろするものではありません。
本当に勉強したり、仕事をすれば自分が出世し、自分の仕事がいついつまでも残るのです。

私達のした仕事は、どんな仕事でも天地の目に見えないレコードに刻まれて消えるものではありません。

(第十四章 表情動作の生かし方 終り 次回から、第十五章 困難の生かし方へ)

1012ハマナス:2012/07/24(火) 19:14:59 ID:0kyCzJg6

神の子のみなさま
今日は、いつもより早くに、“こんばんは”です。

労しただけの功がある (『新版 生活の智慧365章』P.211より)

 併しまた光明思想は、決して「労多くして効少き方法」を教えるのでもないのである。
 世間の多くの人のやり方は、「労多くして効少き方法」をとっているので、「働けど、
働けど、なおわがくらし楽にならざり、じっと手を見る」と云う石川啄木の歌のような
生活に陥っているのである。だから、ひとたび生長の家の「光明思想」に触れると、
「労多くして効少き方法」から、「労しただけの効ある方法」に移るから、非常に能率
高くして、恰も、「労せずして効ある方法」であるかの如き観を呈し、それに眩惑せら
れて、「労せずして効が得られる」と錯覚し、正しき愛に満ちた努力をなすことをわす
れてしまって、しまいに愛行も精進も怠って、「此頃は私には光明思想はきかぬ」などと
愚かなことを言い出すに至るのである。

感謝合掌

1013ハマナス:2012/07/24(火) 19:57:35 ID:0kyCzJg6

神の子のみなさま
 ありがとうございます。
毎朝、神想観の前に、『生命の實相』38巻と「光明法語」、「光明道中記」のその日の所を読んでいます。
特に心に残るところがありましたので、謹写させて頂きます。


『生命の實相』第38巻   七 月 二 十 四 日

 瞑目精神を統一して、「神はすべてのすべて……神は全き叡智(みちえ)」と繰り返し繰り返し
念ぜよ。そして宇宙全体は、すべてのもののうちに、さらに自分自身のうちにも、神の智慧充満せり
と観じ神の智慧の中に溶け込んでしまうのである。
 
神はすべてであり、全てに行きわたって存在する智慧であるならばその智慧の中に没入するとき、
われらは知らないものは一つもないのである。
 
潜在意識が何を知らなくともわれらは恐れることは要らないのである.現在意識は「脳髄」と
いう個別的反射鏡の上に投光された普遍意識(すべてに満ちて行きわたれる智慧)の一部が反射し
出されたる反射光に過ぎない。反射光が何を知っていようとも、また、何を知らずにいようとも、
自分のうちに宿り給う普遍意識はすべてを知っているのであるから、われらはこの普遍意識の中に
没入し普遍の智慧と一つになるとき、知らず知らず万事が都合よくゆくのである。
 
「何でも都合よくゆく」という人は不変の智慧を知らず知らずわがものとしている人である。
 普遍意識は自分のうちにも宿ると同時に、他のうちにも宿るが故に、自分自身のみならず、
他をも知らず知らずに動かしつつ、万事都合のよい配合にまでいっさいを動かしてゆくのである。

感謝合掌

1014a hope:2012/07/25(水) 07:17:12 ID:kJvHf4/g

人生読本 谷口雅春先生著

第十五章 困難の生かし方

苦労は人間を鍛える


困難ということ、「難かしい」ということは、決して不幸なことではありません。
困難が出てくるほど、私達は鍛えられるのです。

正宗の名刀があんなに良い刀であるのは、幾度も、火や水の中をくぐり、
幾度(いくたび)も鉄鎚(てつつい)で擲(なぐ)られ、幾度も打ちのめされてきたからです。

「若い時の苦労は買ってでもせよ」「かわいい子には旅をさせよ」などという諺がありますが、
若くなくてさえさえ苦労は買ってでもする程でないと偉くなれないものです。

若いくせに、自分は貧乏に生まれたから出世ができないとか、
自分は借金があるから偉くなれないとか考えて縮(ちぢ)かんでしまう人がありますが、
英国の小説家サー・ウォルター・スコットは五十五歳の時、六十万ドルの借金を押しつけられたのです。

スコットは、この借金を一銭も残らなくなるまで支払っていまおうと決心しました。
彼は文筆家でありましたから、筆の力でこの六十万ドルという大きなお金を稼ぎだして支払わねばならないのです。

「ヨシ!六十万ドルくらいが何だ!自分は神の子だから支払って見せるぞ!」
この決心が彼に力を与えました。彼は一所懸命書きました。

この決心ができたとき、彼の文章に力が出てきたのです。
彼の文章に油がのってきたのです。
彼は夜も昼も、書いて、書いて、書きまくりました。

とうとう彼は六十万ドルの大きな借金を支払ってしまいました。
そのため、今でもスコツトの名文は有名なので、後々の人々から尊ばれているのです。

(つづく)

1015「訊け」管理人:2012/07/25(水) 11:56:31 ID:???


『常楽への道』(吉田國太郎著)10頁より謹写――

 ある日の記――

 イエス途行くとき、生まれながらの盲人を見給いたれば、弟子たち問いて言う、『ラビ、この人の盲人にて生れしは、誰の罪によるぞ、己のか、親のか』、イエス答え給う『この人の罪にも親の罪にもあらず、ただ彼の上に神の業(わざ)の顕れんがためなり』
(つづきhttp://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65676423.html【國太郎先生画像付き】)


<コメント>

 今回上京時に携帯した本は、『常楽への道』(吉田國太郎著)でございました。飛行機の中でも拝読し、山手線や京王線の電車内でも拝読し、ついでに酒席途中にも読みたくなり、トイレに行って拝読しました。さらにはついでに二次会、珍しくこれを断りホテル内、深夜まで読みふけってしまいました。・・・・ところで國太郎先生ですけれども、享年47歳くらいですね。今回あらためて経歴欄なども読んだのですけれども、「この若さでこのような本をお書きになられたのか」と、感嘆すること多々でありました。
 さて今回の上京ですが、特に心に残ったのは以下箇所であります。ブログ記事にもしましたが、「イエス途行くとき、生まれながらの盲人を見給いたれば、弟子たち問いて言う、『ラビ、この人の盲人にて生れしは、誰の罪によるぞ、己のか、親のか』」――ここが特に印象深かった次第です。

 今回の事業経営者会合ですが、私を含めて参集者、全てがこの弟子の状態です。「先生、この不況は誰の罪によるぞ、政府の罪か、我々の罪か」と言った、嘆息だらけの会合(※)になりました。五官で判断するならばもう、お先真っ暗という感じです。しかし「イエス答え給う『この人の罪にも親の罪にもあらず、ただ彼の上に神の業(わざ)の顕れんがためなり』」を解釈できる、そんな経営者がいったい何名いるでしょう。この「常楽」の状態さえ実現すれば経営者、意気満々で邁進できると考えます。そのためには『生命の實相』、これを広域流布せねばなりますまい。「この不況ですがこれも、神の救い(=自壊作用)です。神の栄光が顕れようとしている衝動です」そんな解釈を、腑に落ちるところまで納得できれば、常楽の道を歩んでいけることと思います。そしてこのレベルの大不況ですが、これも「神の御業の顕れんがため」と解釈できる真の陽転思考の者、育成が急務と考えます。・・・・ともかくもう、日本の中小企業の7割が「本年8−9月を乗り切れるのか」という状況です。実際前年同月比で雇用者、我が国では30万人減少しています(!)。社会の底は割れております。

 ・・・ちなみに今回上京時、二名の方に『生命の實相』をお勧めして参りました。

追伸

 「本部が解体されるのに、なんで騒がないのか!?」てな苦情が来ているようです。私の返答は本部以外にも解体、「進んでいるもんがあるんだぜ」になろうかと。意味を補足するならば権力闘争、「そんなこと、やってる時間が惜しいのよ」になりましょうか。組織ってそこまで、重要ですか。組織がダメなら聖典、これをマジメに拝読しようではないですか。それなら組織、関係ない話です。
 『生命の實相』ですが、今まで以上に求められている時代、来るでしょう。いやとっくに、来ています。それはそれで悲しい話なのかもしれませんがもう、同胞の苦しみをスルーしている連中、それを「愛国者」と呼称するのは、止めたいものです。日本中が尖閣以上の緊迫感に、晒されているんだぜ?







<註>

※ 嘆息だらけの会合

(出席者談を箇条書きにて)

・ 社会保険機構の横暴甚だしく生活資金、これを強制徴収されホームレス寸前である。
・ 同機構が強制引落を実行したため、決済資金が枯渇。結果的に中国企業に不義理をしたため、命の危険がある。
・ 工場が競売にかけられ、子供の大学進学を断念。
・ 自殺を決行したが未遂に。身体障害者となりますます苦しくなる。
・ 債権回収機構の請求が、熾烈なものになっている。サラ金や闇金などまだ、カワイイものである。
・ 地方自治体レベルでも税徴集が強化されている。夜八時の自宅訪問などザラにある。
・ 子供の進学費用等は無論、生命保険の入金を期待するかのような徴集を、公的機関が行っている。

1016SAKURA:2012/07/25(水) 14:16:14 ID:V.pKl3yA
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんにちは…… ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

今日は、“積乱雲”も垣間見るぐらい…もう!夏そのものの天気なのです〜〜〜ョネ!
駅周辺を歩いていますと、若者達が、夏休みも入りましたのでしょうか?多く見かけます。
流れも、また一段と変わって来るようですが〜〜〜?こちらも、外に出るのは?「朝・晩」のみ?
暑さも、凌げるようにも?思えますし【心の法則】に従っていけば、必ず!道は開かれる様です!
では、その道は『王道の道』でしょうか…?今から“スタ−ト”です。

■【幸福を招く365章】
―――――諸君よ平和の天使となれ―――――
吾々が神のつくりたまいし完全な世界を見詰める習慣をつけるとき、現象世界に
どんな状態があらわれて来ようとも、もう恐れることはないのである。見せかけの
不幸や、病気や、失敗は、もう決して吾らから魂の平安と調和と幸福とを奪う
ことは出来ないのである。吾々が自分のうちに常に生命を自覚し、すべての出来事
の奥に、摂理の愛の御手があることを知るならば、すべての出来事に平和な、友達に
対するような気持で相対することが出来るのである。どんな事が起こって来ても
平和な心境でいられる人が一人でもあるならばその雰囲気の力で、その周囲の
すべてのものが平和に化せられてしまうのである。わたしは読者のひとりひとりが
其のような人々になって下さることを希わずにはいられないのである。かかる人は
真に平和の天使である。  (雅春先生箸)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆
■今の現在の状態が、どんなに悪くても、それが「現象としての形」で、眼の前に現れていても…
必ず!道は開かれると思います。…が?そうです!断固として、そう思う次第なのです!!
振り返りますと、若い頃は、とても“無防備な処”が、よかったのでしょうか〜〜〜?
これは、「若さのシンボル」と申しますかしら〜〜〜ン?

30代の頃ですが、仕事で、販売を余儀なくさせられる羽目になりました…。そこは、
或る「デパ−トの催事会場」でした。商品の価格が、全体的に安く抑えて売っています会場で、
当時!その催事場に来店されて来られます「お客様」も、単価優先にての購買が、文字通り
あたり前との考え方が、定着しておりました「催事会場」なのです〜〜〜が??
当時の私は、まだ若く30代の半ば!「私達の商品」は、とても単価が高いのです…。
ほとんどの方は「無理〜〜〜ょ!」との一言であしらわれてしまったのです。
しかしながら、そう言われましても、私は、持ち前の「生長の家…教え」が、脳裏にこびりつき、
そうなのです〰〜〜ョネ!「売れる!売れる!〜〜〜〜〜売れる!」其の思いのみを、考えました。
販売の素人で、しかも「上代が高級品価格」でした…。1日目初めての“スタ−ト”は、
先ずお客様との応対で、売り上げは“ゼロ”ですが〜〜〜><この時に「種まき」という感じで、
宣伝アピ−ルした次第なのです。

或る「お客様」は“90%”と、決めて、最後の決断の一声??〜〜〜><と思いきや…
「又!後で、見合わせます。」と言って、しかも一人の「お客様」応対に3時間位も、要しますから、
なるべく“二人三脚体制”で、繋いでいきます。“聴力”の悪い私は“洋服のコ−ディネ−トとか?”
“オシャレの一言アドバイス!”と、いろいろな話を、持ちだしながら、会話を繋いでいきます…。
その様な日々が、2日続きまして、3日目に入りましてから、一人!二人!と、
「お客様」の購買に繋がり、アッ〜〜〜という間に「売り上げ」が伸びました…。

こうして、振り返りますと、思いますには【心 の 法 則】通りに、今の現状が、どんなに悪く
見える「現象世界」でも、恐れずに“前に進む…心!”“神に全托しまして…ひたすら前に進む心!”
当時の私は、金銭面は【片道切符】ばかりでしたが?
必ず!売れる!売れる!〜〜〜これが“ミソ”でした。これを、思い出しました。…が?
“聴力”が悪い事で、どうしても弱気になりやすいですが〜〜〜><ここを“ポイント”に、
【私は、全てが出来る“最高の持ち主”である。必ず!幸せの幸福切符は、天から舞い降りて来ます】
こう思いながら〜〜〜全て!いつも前進中…!!全ては【心で形成】しますので、
やはり日頃の訓練が大事です〜〜ネ!どんな時も〜どんな時も〜一番良かった事を、思い出しながら、
■【魂 = 心】です〜〜〜ョネ!               再合掌

PS:トキ様 へ…「絶体絶命…追い詰められた“セトギワ”?」この時は、どのような状態に、
自分自身の精神を挑みますか?そして行動は?如何でしょうか…?

1017ハマナス:2012/07/25(水) 19:18:25 ID:0kyCzJg6

神の子のみなさま
こんばんは。昨日のつづきです。

『生命の實相』第38巻   七 月 二 十 五 日

今日はさらに、「神はすべてのすべて……神は完き聖愛(みあい)……」と念じよう。そして
すべてのものの内に、宇宙全体の内に神の聖愛の充ち満ちていること、そして自分のうちにも
神の聖愛が充ち満ちていることを深き精神統一のうちに念じよう。そして「神の愛に護られ、
生かされ、育てられている」ことを念じよう。

 すべての不安と恐怖とは、この神の聖愛を観ずる神想観によって消滅してしまうのである。
 すべての自己の不安、焦燥がこの神想観によって完全に消滅したとき、その反映として自分
の家族の精神状態が非常に円満になるものである。そしていっさいが神の聖愛で包まれている
ことを心の底深く知るがゆえに、感覚的な麻酔的陶酔の必要が消える。飲酒癖、喫煙癖などは
かかる心境に達した時、本当に自然に、抑制する必要なく剥落する……。

感謝合掌

1018トキ:2012/07/25(水) 19:48:48 ID:Qab6ammg
>>1015

 会合、大変でしたね。社会保険は、国税の次にきつい扱いを受けるので、大変だと思います。
 本当なら、こういう時期こそ生長の家栄える会が頑張る必要があるのですが。八方ふさがり
だが、天井が空いている。こういう時期こそ、本当の信仰が必要とされるのでしょう。

 この掲示板でも、何かお役に立つ事がないか、虚心に考えたいと思います。

 今後ともよろしくお願いします。

合掌 ありがとうございます

1019ハマナス:2012/07/25(水) 19:51:12 ID:0kyCzJg6

神の子のみなさま
ありがとうございます。

自然の法則と心の法則は車の両輪  (『新版 生活の智慧365章』P.211)

此の世界には、その運行を司っている法則がある。その法則を実際に応用することによって、
私たちは労しただけの効果を挙げ、或は価を払っただけの悦びや楽しみを得ることができる。
私たちが法則に順応すれば、法則は私たちに順応してくれるのである。法則には自然科学の
法則と、心の法則とがある。今までは、自然科学の法則だけが重んじられていて、心の法則が
軽んじられていたために、多くの人々は「労多くして、効すくなき生活」を送っていた。

 「自然科学の法則」と、「心の法則」とは車の両輪のようなものである。一方の車輪が欠け
ていると、生活に能率があがらない。科学的に繁栄の法則にかなうような方法を講じても、
心がそれに副わなかったら繁栄はない。滋養物をいくら食っても、心が心配に満たされて
いたら、健康になれないようなものだ。

感謝合掌

1020a hope:2012/07/26(木) 07:22:42 ID:kJvHf4/g

人生読本 谷口雅春先生著

決心ほど強いものはない


皆さん、決心ほど強いものはありません。
「是非やろう」と決心する人は、必ずそれを成し就(と)げる人です。

「やろう」と決心しない人と、困難を恐れる人とは何事も成し就げ得ません。
天下無敵の人となろうと思うならば、成功する事のみを知って、
失敗することを知らない人にならねばなりません。

貧乏になったから失敗したと思うようでは、成功する人ではありません。
借金ができたから失敗したと思うようでは、成功する人ではありません。

スコットのように貧乏になった時に、
「この時こそ!」と決心するような人にならねばなりません。

六十万ドルの借金ができた時に、
「この時こそ!」と渾身の力を揮(ふる)い出し得る人にならねばなりません。

両脚がなくなったら、両脚の切株ででも仕事をする人にならねばなりません。
こんな人にはどんなときにも失敗ということはないのです。
(つづく)

1021ハマナス:2012/07/26(木) 21:23:33 ID:0kyCzJg6

神の子のみなさま
こんばんは。

行動を伴わねばならない (『新版 生活の智慧365章』P.212)

 「心の法則」は私たちに告げて言う。
 「汝の求むるものをわれは汝に与えるのではない。汝の想念が如何なる波長のものであるかに
随って、その波長に合うものを与えるのである。心暗黒にもてば、われは汝に暗黒を与える。
心を暗黒にもちながら、光明を求めてもわれは光明を汝に与えることはできない。しかし、心を
明るくもっていたならば、労せずして何でも欲するものを現象界に於て得られると思ってならない。
汝にすべてのものが与えられているのは、実相界に於てのことである。その実相界にある無限の
ものを、如何なる形に噴出せしめるかは、汝の心によって、“心の形”の噴出口を如何につくるか
によってきまる。しかしそれだけでは足りないのである。その噴出口から、実相界にある“無限の
もの”を引き出すには、行動を起こさねばならない。」

感謝合掌

1022ハマナス:2012/07/26(木) 21:47:57 ID:0kyCzJg6

『生命の實相』第38巻   七 月 二 十 六 日

 神は光である。
 わが室(へや)の窓の外に、
神の光は待っているのである。
倦(う)まず撓(たゆ)まず。

わたしはいつまで神がそこにいることに気がつかなかったろう。
神はわたしがその窓を開くのを待っているのだ。
神はいないのではない。
わたしが心の窓を開かなかったのだ。
――光はわたしの内にある
だれかが戸を叩いている。
神がわたしの家の門口に戸を叩いているのだ。
わたしは神を求めなかったのに、
神はわたしを求めてい給うたのだ。
わたしはなんという親不孝者だったのだろう。
わたしが神の膝に跳びつきさえすれば
すべてはすでに与えられているのだ。

神のないところに生命はない、
神のないところに美はない、
神のないところに智慧はない。
神のないところに愛はない、
生命があり、
美があり、
智慧があり、
愛があるということは、
そこに神が在すということだ。
すべてのものに、
自分の外に、
自分の内に。

かくてわたしはあらゆるところに神を見出すのだ。

感謝合掌

1023SAKURA:2012/07/27(金) 01:26:39 ID:V.pKl3yA
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは…… ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

毎日、こうして“パソコンのキ−を打っていますと…今までの、私の行動も【反省】!!
「環境は心の影」でしょうか??ですから、今!置かれている立場に、
なって行く事になったのでしょうか〜〜〜?毎日が、精神の叩きがあり〜〜〜
これが、永遠に続きそうな気持になり〜〜〜落ち込む〜〜〜再び!気持ちが〜〜〜><
このような時に、いつものこの本で、助けられます。『真理は本当に一つ』なんです〜ョネ!
では!いつものように、日々の練習を…『心の修行』を〜♫

■【幸福を招く365章】
――――――先ず「 内 」なる宝を発見せよ――――

吾々は自己が神の子として、自己の内に与えられている力を自覚することを先ず
目標としなければならない。外の宝を求めるよりも、先ず自分の内にある 「宝」 を
発見することを先にしなければならない。外の力に頼るな。先ず自分を発見せよ。
自分の内の力を発見したら先ずその力を働かせることが必要である。祈っただけで何も
しないでいることは、電気の存在を知っただけで、発電装置を作らず、スイッチを入れ
ないのとおなじである。それでは、電気は存在すれども何の効果もあらわさないのと同
じように、神は存在すれども何の効果(おかげ)もあらわさないのである。
                        (谷口雅春著)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

■今日ぐらいは、本を読まなくてもいいと言いながらも……普段の“行動”を
いい加減にしますと、せっかくの【真理…】も、台無しです〜〜〜ョネ!
更に!【私の心を磨くチャンス!…扇】ですから〜♫

手順の分らない「表現・言葉」でも…毎日を、磨く「言葉の練習」をしていますと…
『言 葉 = 言 霊』そして…
いつの間にか、更に『真理が…』身についていくような“モノ”なのでしょうか?…が?

更に!「祈り」も、いい加減にしますと、今だけでの現状だけでは、済まされないのでは><
大げさに言いますと〜〜〜『人生なんて、どうしようもないくらい空しいモノ…?』
『退屈極まりないとか?…』この様に言いかねませんでしょう〜〜〜か??

毎日の「祈り・聖典を読誦」これだけでも、前に進むことが〜〜更に!チャンス到来でしょうか?
【チャンスは、一つの一つを大事に積み重ねる試金石!】…そして、
そこから「スタ―ト」が始まり、【無限の可能性】を、皆様、お一人お一人で楽しんで参りましょう!
では?今日も開きます…。「無限の可能性をチャレンジ」……スタート!!
その様に思いますから…この行動こそが「神様からのテレパシ−」でしょうか??

今から“スイッチ”を、いれて【自分の心=内なる神様に探求】きっと“私の無限”が、見つかる
【埋 蔵 金 = 宝 】を、見つけに行ってきます。               
                             再合掌

PS; トキ様 へ
「自分の内なる力」と、いつも対話しながら“行動”しないといけませんです〜〜〜ョネ!
その為には、「感情?」を、いつも“ポジティブ感”にしませんと…?正確なテレパシ−受信?
出来ませです〜〜〜ョネ!トキ様は、どの様にお考えですかしら〜〜〜ン?

1024a hope:2012/07/27(金) 06:45:32 ID:kJvHf4/g

人生読本 谷口雅春先生著

逆境は幸福である(前半)


今まで、普通の人は、困難というものと、不幸というものとを同じ意味だと考えて、
困難は不幸である、「ああ困難がやって来た、自分は不幸である」とこう考えたものであります。

ところが生長の家では「困難」を「幸福」であると教えるのであります。
私達は障礙(しょうがい)物競走をしたり、或いはオリンピック競技に選手として出場しましても、
あの競技は一種の困難である、困難であるけれども、あの選手たちはあれを不幸であると思っていない。

あれは幸福である。
もし、あれが平地を歩く競技であって御覧なさい。
平地を歩くには困難がないから却って面白味が少ない、力も出ないのです。

困難はかくのごとく幸福なのです。
普通の人が困難を不幸であるとするのは、一種の迷妄(まよい)でありまして、
そのために困難の前に立竦(たちすく)んで、徒(いたずら)に人間一疋(ぴき)、何事も成し得ないのです。

ところが生長の家では、人間は神の子であるから逆境に立てば立つだけ、
二倍三倍の力が出て来るという事を教えるのでありますから、
どんな場合に処してでも挫折してしまうということがないのです。

無限に力を引出してくるということができる―――これこそ生長の家で教えられた人の特長であります。
(後半につづく)

1025金木犀:2012/07/27(金) 12:48:53 ID:auusu5IE
日本再建の道を拓くもの  谷口雅春先生  『生長の家』誌昭和57年8月号

過去を捨てる自由

新しき日本が生れる。新しい人間が生れる。朝々が新生である。昨日見た夢がどんなに見苦しいものであったにせよ。よるがそれを消してくれたのである。新しき日本が生れる。新しい人間が生れる。新しき人生が生れる。

新しい人生をつくり出す基礎は、過去を捨てる諸君自身の能力にある。敗戦した日本などはないのである。日に日に新しき日本である。戦前よりも数等優れたる新しき日本である。戦前よりも数等優れたる新しき日本である。しかも占領下に押しつけられたる民主主義の日本であってはならない。万物は常に新しく生れる。過去を把まなければ過去は消えるのである。押しつけられたる民主主義も結局過去のものである。それを捨てよ。捨てて新しきものを見出してそれに生きよ。

押しつけられ、宣伝されたる民主主義の中には日本を弱める為に正しいと宣伝されたる思想が沢山混っている。それを脱ぎ捨てる事を反動だとか軍国主義に還ることだとか思ってはならないのである。間違った民主主義が皇居前の乱闘を引起し、学生の警官つるし上げ事件が発生し、その反動として行き過ぎた学生と警官との乱闘事件が惹き起され、由々しき事態に立ち到らしめつつあることに注意しなければならない。

暴力を捨てる自由

本当の民主主義は「人間は神の子で平等だ」と云うことである。それは自分ばかりの権利を主張するためばかりの平等であったり、相手の自由を侵害しても好いような平等であってはならないのである。文部省の次官通達の意味をとりちがえて、学生が職務執行のために学内に立ち入った警官をつるし上げたと云う事の中には、あまりに通達とか法律とかの文句に拘泥して、それに支配されている学生の態度が見えるのである。これは文章に縛られたのであって、学生自身の両親の自由を得たのではない。法律や通達の文章は、天下の最も悪文章家の綴ったものであるから、どちらにでも解釈されるものなのである。警官は警官の好いように解釈し、学生は学生の好いように解釈して暴力を揮う。暴力のあるところに自由はない。自由を護ると云いながら、人の自由を暴力で束縛しては何の自由であるか。

「戦う」とか「闘争」とか云う言葉を捨てよ

吾々は「自由のために戦う」とか「平和を戦いとる」などと云う言葉を人類の世界から拭い去らなければならないのである。言葉は「種子」であるから、「戦う」という言葉が人類に用いられている限りに於いてこの世界に戦争はたえないのである。如何に多くの戦いが平和のための名のもとに行われたか。また平和のための名のもとに、国内争議が現に行われつつあるか。そして戦争準備が行われつつあるか。

真の人類の平和を得るためには人類すべては「人間・神の子」の自覚を確立し礼拝しなければならないのである。他の人をも尊敬し礼拝しなければならないのである。ひとを暴力によって押しのけるのではなく、相互に尊敬し、合掌し、礼拝し、よろこんで互いに譲歩するのである。譲歩すると云うことを自己を束縛することだと考えている人や、ひとのために尽くすことや、尊敬すべきものを尊敬しないことを民主主義だと考えて新人をもって任じている人もある。それが社会の木鐸たる新聞記者の中にも随分あるから驚くのである。(つづく)

1026金木犀:2012/07/27(金) 12:56:39 ID:auusu5IE
日本再建の道を拓くもの(2)  谷口雅春先生  『生長の家』誌昭和57年8月号

ある新聞の日本婦人観

ある有名な一流新聞の時評欄には次のようなことが書かれていた―――
「日本の最も驚嘆すべき産物は婦人である。もちろん彼女を作るには幾千年もか かっているが、日本の婦人は日本人と同じ種族に属していないぐらい立派である。おそらくかかる形の婦人は今後十万年くらいは再びこの世に出現しないだろう ―――この驚嘆すべき言葉は…ラフカディオ・ハーンの明治三十七年の著書に発見されるのである。……これは女性を礼賛していて、その実は女性侮蔑の言葉で ある。過去の日本がいかに男性のための国であったかを証明する言葉に外ならない。ハーンの知性も男性としての本能の前には曇らざるを得なかったのだ。アメ リカの男は女性を喜ばせるために全力を注ぎ、日本の女性は男性を喜ばせるために献身するという見方もある。男女同権になって、日本婦人も一歩一歩自覚を高 めているようだ。自覚は男性に従属するだけの環境に満足させなくなるに違いない。その意味では男性のための、かかる形の婦人は十万年くらいは現れないとい う予言は当たるであろう」と。


無我献身の美徳を復活せよ

しかし、ハーンの驚嘆し賛美した日本の女性の美しさは、従順と無我献身であったのである。これに対するこの新聞記者の批評は従順と無我献身することを、 「相手に対する従属」とみとめ、それを「自主精神の欠乏」であると見ているのである。一見、合理的に見えるこの民主主義精神は、人間から従順と無我献身の 精神を奪い去り、自己主張と自己発展とのためには闘争を辞せないのが美徳であると推賞するものであって、家庭内にも、産業界にも内部闘争と内部紛争を常に 巻き起こす争闘の合理化論であるのである。無我献身の精神と従順の美徳は、真の民主主義の根本であるところの「先ず与えよ、与えられん」を言いかえたもの に過ぎないのである。この精神によってのみ、平和国家、平和世界が建設されるのである。争闘によって自己発展自己拡大をはかることを民主主義とみとめるな らば、国内はストライキや群衆示威によって内部闘争はあとを絶たないことになり、国際的には戦争によって自国の発展と拡大とを図ることになるから、かかる 似非民主主義は、戦争を根絶する思想とはおよそ甚だ遠いのである。アメリカでも真の民主主義は「先ず与えよ、与えられん」のイエスの教えを実践することで あって、この語を別の言葉で言い換えれば「無我献身と従順」ということになるのである。「無我献身」をもって、封建思想なりと排斥した「民主主義」の押し 付け的植え付けは、アメリカが占領中に、日本を弱体化そうとして行った日本における失敗の第一であって、今や従順でなく自己主張のために絶えず争闘を考え ている民衆をこしらえて、朝に皇居前の乱闘、夕べに学園における学生警官の乱闘を惹き起こして、その功罪はあきらかになりつつあるのである。(つづく)

1027金木犀:2012/07/27(金) 13:02:14 ID:auusu5IE
日本再建の道を拓くもの(3)  谷口雅春先生  『生長の家』誌昭和57年8月号

礼拝合掌の精神を復興せよ

似非民主主義の弊害のもう一つは、人間平等の思想が悪平等にまで発展して、尊ぶべきものを尊ばず、従って自己をも尊ばず、すべての者を動物的肉体人間の一 線に引き降ろしたことである。人間の平等は、人類すべてが神性(あるいは仏性)を内に宿すということであって、先ず自己と相手を礼拝することから始まらな ければならないのである。しかるに尊ぶべきものを偶像崇拝の破壊という意味において尊ばないことが民主主義と言うが如き考えである。天皇に対して尊敬の念 を持たないということは「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」(憲法による)を侮辱することであるから、日本国そのものを侮辱することであり、自己が 日本国民である限り、自己を侮辱し、国民統合の意志を侮辱することである。昭和二十七年五月十日の中外日報に筧潮風氏が、皇居外苑における平和条約発効記 念式典の状況を書いているがその中にこんなことが書かれている。

「それに新聞記者の行儀の悪いのは昔からの通則だが、この連中の無作法には全 く以て愛想がつきた。陛下のお言葉に後ろを向いたり横を向いたり、一体何をしに参列したのか、今さらおれはここにいるぞと気狂い天狗にでもなっているの か。遺族の中にはその不行儀、不謹慎をぷんぷんに怒っていた連中もあった」

こういう日本を侮辱する新聞記者が日本国民の思想を導いて行くのであるから甚だ危険な訳である。真の民主主義とは、「人間すべてを礼拝していくのであり、 秩序に従って上が上であり、右が右であり、左が左であり、男が男であり、女が女であり、その位置における差別を認めながら、その本質なる神性(仏性)を礼 拝し尊敬して互いに与え、かつ奉仕し合って行く」ところに真の民主主義があり、地上に天国浄土がうまれてくるのである。相手を礼拝せず互いに軽蔑し、心 で、また言葉で罵り合い、自分の利益を暴力で、または集団で威脅して戦いとって行くところには好戦主義の利己主義があるばかりである。(つづく)

1028金木犀:2012/07/27(金) 13:05:02 ID:auusu5IE
日本再建の道を拓くもの(4)  谷口雅春先生  『生長の家』誌昭和57年8月号

「家」の制度を復活せよ

占領中にアメリカが与えたところの施策の中には表面は日本人に民主主義という好餌を与え、恩恵を与えているかのように見せて懐柔しながら、その内容は被占 領国を弱体化して米国の永久支配の下にあらしめようと意図したものが続々含まれていたことを知らなければならない。一方政治犯を釈放して共産党の自由活動 を便にしながら、野坂参三を愛国者と称して中国からアメリカの飛行機に乗せて日本に上陸せしめ日比谷公園にいわゆる愛国者の講演を行わしめ、ラジオは勿 論、大新聞を動員して一ページ大にわたる記事を書かしめ、週刊何々、サンデー何々を動員して『野坂参三特集号』を発行させるなど、共産党こそ真の愛国者で あり、真の民主主義者であり、少なくとも真の人道主義者であるという印象を、日本国民の大多数に与えたのである。それが現在、日本の治安維持に一大障害を 与えていることは否むことはできないのである。頭脳の単純な学生層には特にこの印象は深くきざまれていて最近の学生の集団的反治安的行為の如きは、アメリ カの失政のもたらした好ましからざる成果だということができるのである。

占領下にある被占領国に一面恩恵を与えていると見せかけながら、被占領国を骨抜きにして永久に属領の如き状態にならしむるためにとられたるもう一つの占領 政策は、日本国家の強力なる骨組みであった所の、天皇を中心とする日本国家の大家族的信念の破壊である。天皇は神格から引き降ろされ人民と平等の格にまで 引き落とされたのは人間平等の民主主義的立場からは合理としても、家督相続を廃止して家は一代限りとしたのは、日本国民を家系的歴史なき浮浪児として、歴 史的連綿継続のうちの「今」に立つ一員として「家」を護る―――さらに進んでは「国家」を護ろうとする―――愛国精神を失わしめることになったのである。 今、アメリカがそのご都合政策で日本を東洋の防壁に仕立てるために日本に国防軍を組織せしめようと願いながらも、最も困っているのは国防軍が何を目標とし て「国」を護るか、その目標がなく、歴史なく、神格ある天皇なく、浮浪児国民という観念にまで教育されてきたところの日本国民の大多数にとっては、生命を 賭してまで護るべき「国」はない感じがするのであって、その国の支配者がコスイギンであろうが、ジョンソンであろうが、毛沢東であろうがそんなことはどう でもよい。「国」はただ人間の住む場所であって、「国」なる理念は破壊されているのであるから、なるべく兵隊になどとってくれず、高い租税などを請求せ ず、平和に安楽にくらさしてくれる統治者であればよいというような気骨の抜けた状態になっているのであって、いつ国防軍に編成替えされるかもしれない自衛 隊に日本の若い人達があまり興味を持たないということは、この辺の消息を物語るものだということができるのである。(つづく)

1029a hope:2012/07/28(土) 07:55:57 ID:kJvHf4/g

人生読本 谷口雅春先生著

逆境は幸福である(後半)


私達の生命は、たとえば水のようなものであります。
フラスコの中に静止せしめて常温に置かれた水は困難な状態ではない。
チャンと箱入娘みたいに護られた状態です。
その代りにどんな力も出てこないのであります。

これを一旦高所へ上げて、そこから落差をつけて落としましたならば、
何万キロワット、何十万キロワットの水力タービンでも動かすことができる。
これは水が嶮(けわ)しい高所に、逆境に置かれたための賜(たまもの)です。

或いは皆さん、水の下から何千度という石炭の燃焼熱を与えてやると、
たちまち沸騰して、蒸気の力で何千馬力の大機関車でも動かすことができましょう。
これも水が逆境に置かれた賜であります。

私達は、逆境を不幸であると考えることが間違いなのです。
逆境は私達の中に宿っている無限の力を掘り出してくれるところの「縁」を与えてくれる、
たいへんありがたい友だちであると思わなければならないのです。

そうなりますと、私達は決して逆境や困難に挫折しない。
困難のくる度毎に、自分はそれだけ高まるのであるということを常に信じる事ができて、
どんな逆境も困難も、失望や落胆の原因となるものではありません。

逆境に置かれ困難に置かれるほど、常に私達は伸びるほか仕方ないのであります。
この常に伸びるほか仕方ない生活、これが生長の家の生活であります。
それには自分が神の子であるということを自覚することが根本であります。

私たちが困難に対して崩(くずお)れてしまい、挫折してしまうというのは、
自分の中(うち)に生きている「生命」が有限であり、単なる物質的エネルギーであって、
それには限りがあり、或る程度以上の困難になると、
打勝つことができないものであるというような間違った考えを以って
自分自身の生命を委縮させているからなのです。

ところが一転してこの生長の家の人生観になりますと、
自分自身の本体は、神の生命がここに宿っているものである、
或いは仏の生命がここにあるのである、
どんな力でも無限に出てくるのがこの自分自身であるという確固とした自覚を得ますから、
困難に逢えば逢うほど、内から湧き出してくる力が多くなってくるのであります。

或る教祖は「難儀は節(ふし)や、節から芽が出る」ということを言いましたが、
これは実に優しい言葉で真理を穿(うがって)っています。
どんなに攻撃されても迫害されても、「難儀は節や、節から芽がでる」と信じていると、
どこまでも伸びる底力がどこからか出て来るのであります。
(つづく)

1030a hope:2012/07/28(土) 08:00:25 ID:kJvHf4/g
>>1029訂正 下から4行目

優しい言葉→易しい言葉

1031金木犀:2012/07/28(土) 15:50:25 ID:auusu5IE
日本再建の道を拓くもの(5)  谷口雅春先生  『生長の家』誌昭和57年8月号

忠孝の感情を育成せよ

称するところの民主主義が、日本の家族制度の美風を破壊するために利用されたということは、小中学の教科書に「忠孝」の文字が一字も見当たらぬようにされ ているということである。

「家」とか「忠孝」とかいうのは封建思想だというのである。もっとも、占領軍にとっては、被占領国民が旧支配者に「忠」であって は占領行政に困難を生ずる点もあるので、「忠」を非民主主義的道徳として排斥したのは、占領政策としてやむを得ないことは諒とし得る。しかし「孝」を排斥 してしまったのはどういう訳であろうか。母の日を設定して、その日には胸にカーネーションの花を挿して母の愛を偲ぶ風習はアメリカから講和後になって日本 に来たのである。

「孝」は必然的に、血をもって過去の歴史的連続に直結する。そこから歴史的連続としての天皇直結の日本国家への「忠」が再発するおそれが あるから、言うところの民主主義の原則に従って「老年の親というものは子どもが愛情をもって養う必要はない。それは社会保障制度によって社会が養老院を 造って養えばよい」という風に、「子」との愛情的つながりを切断した。そして遺産相続も「家督相続をする長男」という家を護る役目の特定の「子」がなく なったので、その遺産は平等に分配される。従って兄弟姉妹互いに、「わしばかりが親孝行する必要はない。お前だって財産を分けてもらったのだから、お前が 親孝行すればよい。という風に、親孝行の譲り合いをして、実際には一人として親に孝養を尽くすものがなくなるのである。私はこういう実例を、沢山見てい る。わたしは、決して、親というものが老年になって子供から経済的援助を期待するのが正しいと言うのではない。それを期待すべきものとも思っていない。し かし親たるものが求むるものは、生活の社会保障制度によって人間的愛情のない養老院という機構で世話されるということではないのである。彼らが求めるもの は、肉親の温かい愛情であるのである。愛のない社会保障機構が自動的に世話してくれても、それは肉体は栄養を取ることができるにしても、魂は栄養をとるこ とが出来ないのである。いわゆる民主主義による「家」の制度の破壊はかくのごとくして親子の間の魂の間の暖かいつながりを遮断して、魂なき形骸に置き換え たのである。これによって家庭争議、親子喧嘩、兄弟蛎に相せめぐ状態が頻々と起こるようになって、日本国は内部闘争によって弱体化せしめられたのである。 これは占領軍が被占領国を弱体化する政策としては好個のものであったにしても、独立国の日本を強化するためには「家」の理念を復活し「家」の制度を復活せ しめなけれはならないのである。(つづく)

1032金木犀:2012/07/28(土) 23:22:59 ID:auusu5IE
日本再建の道を拓くもの(6)  谷口雅春先生  『生長の家』誌昭和57年8月号

民主主義を再検討せよ

単に民主主義、民主主義と謂う名称や掛声が尊いのではない。付和雷同して民主主義のレッテルを貼ってあるものならすべて正しいと考え、自分の気に入らぬものを「非民主主義だ」と称して排撃さえすれば好いと考えるが如きは、戦争中に「非国民」だと云う一語で自分の考えとちがうすべてを排撃し去ったと同じ過ちを繰返すことになるのである。私は民主主義と称して行われた凡てが悪いと云うのではない。名称やレッテルで胡麻化されてはならないと云うのである。所謂る民主主義はこうして「家」の観念の破壊と共に、人間の人格の自由を尊重すると云う名目の下に「肉体的欲望の自由」を唱道した。姦通は公許され、姦通しながら離婚訴訟によって生活費や手切金を要求する勇敢な女性もあらわれた。そして文学界では「肉体文学」が横行し、出版会社は金さえ儲ければ好いと云う訳で猥褻文書が氾濫し、それを取締ろうとする当局を「言論の自由」を圧迫するものであるとして文学者総出でその取締りに抗争すると云うが如き不可思議現象を呈したのである。

そして社会の多勢の人たちは、猥褻なことを見ることや、猥褻なことを書いたものを読むことが好きであるから、猥褻文書を取締ることは、多数者の欲望に反するのであるから、民主主義に反すると結論せられた。何でも多数決であればそれを正しいとするのが民主主義であるならば、斯かる民主主義は文化発達の基礎を危うくするものと云わざるを得ないのである。おおよそ大多数と云うものはその当時の最高文化のレベルの標準までは往っていない。そして、その平均点数に一致せぬものは非民主主義的だと云って排撃する事になっているならば人類はその発展を大衆の平均点数まで引卸されるのである。多数者が猥褻文書を読むのが好きなら、猥褻文書を取締るのは非民主的であると云われる。多数者が姦通の自由がみとめられることを好むならば、姦通を有罪にすることは非民主的だと云われる。多数者が賭博が好きであったら、賭博を取締ることは非民主的だと考えられる。そしてついには、競馬とか競輪とか賭博的なものを奨励して市でそのテラ銭をとって、市の経費をまかなうのが適策だ―― とんだ民主主義が登場したものである。所謂る民主主義は日本に何の目的で占領軍によって播種せられたか、また如何なる効果を与えたか。独立後の日本は他からの政策によって何々主義と云うようなものを植え付けられることなしに、白紙になって、今後日本を再建するには、「主義」などと云うものに泥(なづ)むことなく、もっと「人間神の子」の本質的な立場になって考え直さなければならない時なのである。(つづく)

1033金木犀:2012/07/28(土) 23:30:32 ID:auusu5IE
日本再建の道を拓くもの(7)  谷口雅春先生  『生長の家』誌昭和57年8月号

外人記者もみとめる日本の美風

ここまで書いたとき昭和二十七年六月号の『文藝春秋』が私の机に届けられた。それには1948年、英国のタイムズ特別記者として初めて日本に来て、八ヶ月滞在したトレイシー女史の日本観が『占領下とは専制下のことか』と題して書かれているのである。傍目八目の喩えの通り、宣伝にのせられていた日本人自身には却ってわからず、占領軍自身にも気がつかないで潜在意識で日本を弱体化そうとしていたことも、第三者から観るならば比較的公平にその事情がわかるのである。さきにあげた日本の或る大新聞の記者はラフカディオ・ハーンが日本婦人を賞めたことを明治三十七年の古い出来事であり、封建的産物にすぎない日本女性の従順と無我献身を何の賞める値打があるかと云う風に、日本女性をあたまから卑しめてかかっているのであるが、日本人記者よりもトレイシー女史のような、第三者的外来記者の方が、日本の善さをもっとよく知っていてくれるのである。日本人よ、もっと日本国と日本人自身とに自信を持たなければならないのである。女史は次のように述べている――
「私は日本人が質朴で優雅で、美しいものを愛し、自然を敬うのに感嘆した。彼らの社会風習は、多くの点でヨーロッパの風習よりもすぐれているように思えた。だが、このデリケートな文明国は多年、西洋がつかみ合いの衝突をするような危険な目にあって来た。そして今や西洋はこの国を圧倒して、できればこの国を生み出した精神までも、破壊しようと思っていたのだ。西洋では実際次のように言っていた。我々はいろんな機械装備をもっているから、原子力や大砲も、巨大な爆撃機や艦隊もあるのだから、人間がすぐれているにちがいない。君たち日本人は、我々の家、我々の物質、我々の知識をもつことはできないが、我々の風習や倫理を、君たちに教えてやることはできると。……」(『文藝春秋』昭和二十七年六月号127頁)

日本人の多くも、欧米の物質文明のそして武器の優秀に暗示されて、日本民族自身の「ヨーロッパよりもすぐれている」社会風習を「封建的」と云うただ三字の評語をもって葬り去って、家庭制度は封建的である、女性の従順は自覚が足りないのである、争議をせず奉仕的に働くのは人権を尊重しないのである、姦通や人工流産を法律で取締るのは民主的ではない、大多数の人は「性の自由」をもちたいのである……等々と云う風に、そのもっとも尊い日本の社会的風習の部分を捨てることにいそしんでいるのは遺憾である。(つづく)

1034金木犀:2012/07/28(土) 23:36:12 ID:auusu5IE
日本再建の道を拓くもの(8)  谷口雅春先生  『生長の家』誌昭和57年8月号

そして到頭、占領軍の日本猥褻化による精神の弱体化と云う思う壺にはまったのである。日本国民は日本のそれ自身の風俗習慣のうちに美しいもの、尊きものがあるのに、それを捨てて、原子力や、強大な底力を持つ西欧人の風俗習慣のほうがよいと思ってそれに乗り換えたのである。しかも甚だ「板に載らぬ」下手さ加減で西洋を模倣して得意になっていることをトレイシー女子は皮肉な書き方で嘆いているのである。その一、二の場所を抜粋して見るならば、先ず、「……街路に沿って所々に拡声機が据えられて、ベートーベンの交響楽も、アメリカのダンスのヒット曲も、ゲイシャの唄も、能楽の謡も、無差別にがなり立てる。また一人は和服を着ている二人連れの若い女が一緒に散歩している姿も、しばしば見うけられる。前者は、きらびやかだが、いつも調和のとれた色彩を身にまとった、小柄なしとやかな娘で、仔鹿のように身軽に、下駄ばきで軽快な足どりを運んでいる」と日本人本来の服装の調和を賞め、それから洋装に浮き身を窶(やつ)している婦人を、
「後者は彼女の体のぶさまにふくれている部分の両脚を、十分重んじたような、短いドレスを着て、一まわりか二まわりも大きい形のくずれた靴をはき、明るい緑色か桃色の、足首までの短い一対のソックスをはいているのが目をひく」
と書いてその不様さを嗤って書いているのである。そして占領軍が日本猥褻化の目的を達した事実として次のような光景を描写しているのである。
「ダンス・ホールは“今晩アベック・タイム”と広告している。アベック・タイムなるものは大へん新しい魅力で、そこはホールの電灯を暗くし、こってりポマードで髪を固めた若い男がけばけばしい化粧をした女の子と、ぴったり頬をくっつけ合い、低能みたいな顔付きで、床を廻っている。見なければ信じられぬ情景だ。……」

最後の「見なければ信じられる情景だ」と云うのは西洋にも見られない猥雑な光景で、話した位ではウソだと思うほどの露骨な低能さだと云う意味であると思う。そんな情景は、占領軍の来るまでは日本人にはなかった風習であり、占領軍が日本に播種した風俗の頽廃である。日本を真に健全に再建し発達させるためには、社会習慣、服装、交際の儀礼、家庭の装飾等に到るまで、日本の本来のものの中に西洋にくらべて優秀なるものがあることを再認識し、西洋の悪い方面に辶(しんにゅう)をかけて輸入し模倣するようなことを止めなければならないのである。

トレイシー女史は、日本の愚かな西洋風の模倣を次の如くこっぴどく叩いているのである。
―― 「日本人たちは、東京のあのぞっとするような西洋風の厭なものの間を、平気でうろついている。彼等はよい洋画を選ぶことができないし、西洋風に品よく部屋を整えることも出来ない。……彼等の言によれば西洋風は有用であり、実利てきだからなのだ。だが、あなた方も、西’洋’風’は’全’く’ぞ’っ’と’す’る’と’思’わ’な’い’だ’ろ’う’か’?」
爪点は私が付したのだが、まったくぞっとするような、愚かなる跛行的な西洋模倣である。それが所謂る民主主義であって、此の場合の民主主義とは個人主義、利己主義的主張、そして肉体の快楽追求主義であって人間の道徳性を破壊させる主義なのである。そして愚かなる個人にとっては、個人の快楽ほど好ましいものはないのであるから大勢の人は民主主義に賛成する。議会でも囂々(ごうごう)の論議をひきおこすのはそう云う利己主義的主張を制禦しようと云う法案に対する反対の野次である。そして反対の理由は、それは反民主主義だと云うのである。しかし、日本の民主化と云うことは占領軍がポツダム宣言によって規定したところの日本精神を弱体化せしめるために、日本精神におきかえるための頽廃化政策だと云うことを、もうそろそろ日本人は気がついてもよい筈である。これには外人記者の方がもっともっと早く気がついているのである。「占領の目的は昔のように、敵を押さえつけて武装解除をさせたり、損害賠償をさせたりするのではなくて、被征服者の生活態度を、すっかり征服者の生活態度に見倣わせるように、作り直すことであった」とトレイシー女史は云っているではないか。(つづく)

1035金木犀:2012/07/28(土) 23:40:19 ID:auusu5IE
日本再建の道を拓くもの(9)  谷口雅春先生  『生長の家』誌昭和57年8月号

彼ら西欧が吾らを弱体化して支配する方法は大体に、日本の「家」と云う良俗を失わしめること。日本を歴史なき国家として忠孝の感情を一掃すること。日本人に淫蕩な習慣を植えつけて、精神的及び肉体的に頽廃させると云うこと。人口を減少せしめることによって日本の国力を減弱せしめること。産業でも土地でも分割することによって弱体化せしめることであったのである。白昼、女が男にぶらさがって恥ずかしがりもせずに往来をのさばり歩くは先ず占領軍がつけたのである。たった八ヶ月日本に滞在した英国婦人記者でさえもそれを炯眼に見ぬいているのである。トレイシー女史は曰く、
「……三人の米兵が、めいめい左右に二人ずつパンパンを抱えて、ある大学の構内に押し入ったが、そこには水泳場があった。彼らは服をかなぐり捨てて水中に飛び込み、静かな競技場内で、大声をあげてはしゃぎ立てた。そして再びプールから匍い上がるや否や、多数の学生が見ているところで、しかもまっ昼間、さっそく懸命に交接をやりはじめたのだ。大学では連合軍当局に電話をかけたが、当局は順おくりに、この精神病者に電話をかけた……」

この記事を見たときに、これは誤植ではないかと思ったけれども誤植ではないのである。こうして占領軍の淫蕩な習慣を見せられたとき、被征服者は征服者を或る意味に於いて尊敬するから、そして尊敬する者の行いは模倣したくなるから、そして尊敬するものに対しては、女性は自然に身を委せたくなるから、こうして日本人の性道徳は益々頽廃したのである。そしてその淫蕩な行為の結果はらんだところの生命は、指定医さえ認定すれば人工流産で殺して出してしまえばよいと云う法律が議会に持ち出されて、議員は皆々賛成する。全くお話にならない民主化ぶりであるのである。(つづく)

1036SAKURA:2012/07/29(日) 01:23:08 ID:V.pKl3yA
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは……ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

今日は、【落ち込み…日記】なのです。…が?
その前にやはり「精神修行」が優先になりますでしょうか?最近「心霊勉強中…」なのですが、
精神を正しい理念の方向に行かせるような“心霊”が、一番です〜〜〜ョネ!
そして、ある面では「宗教家の元祖?」は、いかにしてもやはり“心霊”から来る様に思えましたが、
私も【心霊=神】に、映って行く勉強なのでしょうか???今日からまた【幸福になるチャンス】…
ゲット!できます様な「世界観」を〜〜〜ぺ〜〜ジを“開き”ま〜〜す。

■【幸福を招く365章】
――――汝の肉体を賛美せよ―――――
 あなたが肉体を愛し、その健康を求めるならば、肉体に小言を云ってはならないのである。
肉体に感謝し、肉体にお礼を云い、肉体の美を讃え、肉体の健康を祝福しなければならないの
である。こんな不健康な肉体をどうして賛美し祝福することが出来ようと思う人があるかも知
れないけれども、あなたの肉体の何処が健康であるであろう。肺ののわるい人も眼はみえるで
あろう。耳は聞こえるであろう。手足は健全であるであろう。然らば何故、その眼を、耳を、手
足を賛美し、祝福し、それに感謝しないのであろうか。真に神の恵みに感謝したとき、その肺
も治るであろうに。                  (谷口雅春著)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

■そうです〜〜〜ョネ!今を!今を!感謝でしょう〜〜〜か?
それでも、今の現状に“感謝不足”が多いのでしょうかと?私自身思ってしまいます〜〜〜ョネ!
ア〜〜〜ッと“嫌な吸血鬼・ゾンビ達”が、通勤中!毎日〜毎日〜押し寄せて来ますでしょ?
其の「ストレス!」しかも、彼らの臭気は???なのですが〜〜〜><
これは私の“偏見”から来るのかしら〜〜〜ン!思いながらも、ついつい其の臭い?には、
勝てませんのですが〜〜〜><

今回【心霊勉強?】で、臭気は、その人の後ろの“背後霊”についている“霊”が、
「邪悪の霊」では、ないのでしょうか〜〜〜?そうしますと、その“臭気???”
はっきり申しますと、【霊界の世界】で行きますと、「悪霊」らしいのではと、判断します。
こちらの【心=精神】が、数段上になりますと“悪霊”のつかれている方は、
こちらから見ますとかなりの臭気臭いそうです〜〜〜が?と、聞きました次第です。…が?
本当に「吸血鬼・ゾンビ達…」は、臭気が臭いのです〰〜〜ョネ!

これは、私の方が、数段と【魂が向上】に至った事なのでしょうか〜〜〜?
さて!「今を活かす事」が、【生長の家のスロ−ガン】なのです。
私も【今!・今!を生きる事に、全力投球…速球】なので〜〜〜す。更に【感謝!】です。

今は、とても“環境的には〜><〜”なのですが?きっと、“心が整います”と、
必ず!「神の恵み」が〜!現れるようにと、毎日!毎日!【賛嘆】して行っている次第なのです。

■益々……今日も【SAKURAの心?進歩向上の経過中】で〜〜〜す。
                                   再合掌                                      
PS:トキ様へ…
来月は、いよいよ「裏盆供養祭…」です。今年「亡き母」の白い御霊様を、見まして、
今!今!を感謝しまして、日々【賛嘆日記】でしょうかと?
今日は【落ち込み日記】になりました時は、どの様にしまして切り替えれば?と思いますと、
【感謝…】この事につきますでしょうか?トキ様は、どの様になさいますでしょうか

1037a hope:2012/07/29(日) 10:11:30 ID:kJvHf4/g

人生読本 谷口雅春先生著

何処(どこ)でもできる神の子の教育


私達は人間を教育するのに、困難を避けしめるような教育を施しているようなことでは駄目であります。
どんな困難にでも、「自分は神の子である、不可能ということはないのだ、
我(わ)が行くところ必ず成功あり」という強い自覚を、幼い時から植えつけて置くということが必要であります。
これが、近頃喧しくいわれている「人を作る教育」の根本であると思うのであります。

別に何宗教何宗派というのでなしに、だだ「人間は神の子、又は仏の子である。
人間の中には無限の力が宿っているのであるから、それを悟れ」ということを、
常に子供の頃から知らして置くということにいたしましたならば、
何宗派の人であろうと一向差支えありませんし、必ずその子供たちは人生に立ち、
社会へ出ましてから、善き効果を挙げ、人生の勝利者となることができるに相違ないのであります。

ですから、生長の家の教育法と申しますのは、必ずしも単に子供の教育だけではありません。
一切の人間の再教育をするのであります。
教育というと、何か学校だけで教えるように聞こえますが、教化と申してもよろしい。

大人も一緒に「人間神の子、力は無限」の思想で再教育されることは刻下(こくか)の最大急務であります。
(つづく)

1038金木犀:2012/07/29(日) 15:25:41 ID:auusu5IE
日本再建の道を拓くもの(10)  谷口雅春先生  『生長の家』誌昭和57年8月号

表現文字の制限は文化を低下させる

私は『文藝春秋』から引用した文章を原文のままの「発音通り仮名遣」にしておいたが、私自身の書くものは、なるべく歴史的仮名遣を堅持しているのである。(原文は歴史的仮名遣になっていますが、謹写する際に現代仮名遣に直させていただきました)日本の民主化とは「言論の自由」と云いながらその使用する文字を制限することであり、言論の自由を奪うことだったのである。凡て占領中の占領者が被占領者に与えるところの施策は、被占領者の弱体化であるけれども、(ソ連に対する防壁として強化の必要を認めてからは別だけれども)正面から「お前を弱体化する為に」と云えば被占領者が反抗して収拾がつかなくなるから、一見道義的とか仁愛的とか感じられる言葉を用いているのである。

常用漢字を設定し、子供の学習の便利にし、発音通りの仮名遣いを用いさせる事は、幼弱な児童の頭脳を保持する為だと一見親切めかしく云われているけれども、早くから漢字を多数覚えさせたからとて頭脳が悪くなる様なものではないのである。漢字の如き象形文字は、視覚型の記憶力をもっている人には、アルファベットを組合せて符号的文字を記憶するよりも記憶し易いのである。眼をつぶればその形が思い浮かび、それが象徴する或る情調が思い浮かぶ。象形文字がその図形のもたらすそれぞれのニューアンスをもっている事は、絵の具が同じ「青」であっても色々の微妙な色調の変化がある様に、文字の象(かたち)のもっているそれぞれのニューアンスによって吾々はいろいろの複雑多様な感情や情景を表現する事が出来る。符号的文字では電文を読むのにも似て、象(かたち)から来る情景や感情が伴わない。しかもその象の奥にはその文字のもっている色々の歴史的背景から来る連想もあり、現在使われている漢字は、その歴史的存在として、単なる符号のあらわし得ない処のものを表すのである。

西洋人には、そう云う文字の齎(もたら)す感情や感覚はわからない。意味がわかり実務に便利で勉強に労力が要らなければ好いと云う――しかし表現される言葉の数が多いほど、その国の文化が進んでいると云うことをあらわし、心の感受性が複雑化していることを示すのである。その国の文化的水準の高さはひとり物質的な機械や装備や発明力によって判断されるものではない。「機械文明がお前の方より進んでいるから、お前の国は後進国である。だからおれの国の生活習慣や社会生活の風習を教え込んで教化してやる」と云うが如きは、甚だしい僭越さであると云わなければならないのである。しかも占領軍のそう云う教化政策にいつの間にか胡麻化されて、日本人の美しい癖のない頭髪を火事場で焼けちぢれた陰毛のように気の毒にちぢらせたり、折角、美しい日本人独特の衣装をやめて、大根に毛の生えたやうな太い脚に、ナイロンの靴下をはかせて雲助のような毛脛をすき通らせて得々としている日本婦人や、姦通したり人工流産をすることが民主的当然の人権擁護であるが如く考え違いをしている日本婦人が多数出来て来たことは何と云っても残念なことだと云わずにはおれないのである。(つづく)

1039金木犀:2012/07/29(日) 15:27:20 ID:auusu5IE
日本再建の道を拓くもの(11)  谷口雅春先生  『生長の家』誌昭和57年8月号

歴史的仮名遣を廃して発音式になんでも書けば簡単で児童の精神を過労せしめないために結構だと云う、アメリカさんの日本への押し付け政策が正しいのならば、何故アメリカさんはhighとかneighbourとかphotographとかの発音には不要なサイレントのghを消さないのか、phを何の為に簡単な発音通りのfにしないのか。アメリカの兵隊さんにphotographの綴りが書けない者が沢山あったこともきいた。アメリカさんは自国の歴史的綴字法を廃せずして日本に対してのみ親切めかしく歴史的仮名遣を廃するように勧めたのは何かその奥に理由がなければならないのである。それはまことに「占領政策」であって、日本強化の政策では無論ない。

発音通りの仮名遣いにして、しかも使用する感じの数を減らしてしまって、二、三代経つうちには、その発音は如何なる漢字から来たか不明となり、現に使っている言葉と、それがよって由来した語源との連絡が不明になり、日本の古典や古き歴史の書物が読めなる。かくて日本の歴史を読む能力のなくされた日本人は、心のなかで歴史なき日本人となるのである。歴史なき国民は浮浪児と同じである。浮浪児は「家」がないから、「家」を護ろうなどとは考えない。それと同じく、歴史なき国民は歴史的存在としての日本国を護ろうなどとは考えなくなる。日本人はコスモポリタンとして、国際的浮浪児として、全体の中に溶けて無くなる。まことに巧みな占領政策であったのである。

このような占領政策に迎合して参議院で、常用漢字の制定や、発音通りの仮名遣いを全日本人に強制することに骨折った議員が、錚々たる文学者の中にもあったのだから、如何にその占領政策が巧みなものであったかがわかるのである。教科書の漢字制限以後に教育された青年が、どんなに読書力が低下しているかは日本教文社で発行している『理想世界』と題した易しい雑誌が読めない青年が多いのでもハッキリわかるのである。言葉と文字とは幼年時代に教えて置けば、同時に三ヶ国語位は覚えられるのである。吾々よりは十年も前の日本人は四、五歳位にして漢文を修め四書五経を素読し得たのであるが、それでも、難しすぎて頭脳を悪くした、と云う明治初年時代の人間はいなかったのである。吾々の時代になると漢文はそんな幼年では教えられなかった。やっと中学時代になって漢文を習ったのであり、従って、もう吾々の時代には短くて含蓄と深味のある文章を書けるものは乏しくなった。まづ森鴎外あたりをもって漢学の素養が文章に味いを与えていた時代の終末と見て好いのである。漢字が読めなくなると忠孝の思想を盛った古典が読めなくなる。こう云う点にも占領軍の施策に深謀遠慮がみられるのである。(つづく)

1040金木犀:2012/07/29(日) 15:31:14 ID:auusu5IE
訂正です。
>>1039の2段落の1行目

しかも使用する感じの数→しかも使用する漢字の数

1041a hope:2012/07/30(月) 06:57:20 ID:kJvHf4/g

人生読本 谷口雅春先生著

子は親の心の影


神戸市兵庫の入江小学校の村山栄太先生は、子供を教育するのには先ず保護者を招(よん)で、
保護者にお願いになって、子供に対して準備的暗示をして貰ったということでありますが、
子供を善くするには、ぜひとも親を善くしなければならぬのであります。

子供は親の心の影である。
これは単なる学業成績だけの問題ではないのであります。
子供の健康状態も親の心の変化にしたがって常に変わってくるのであります。

大阪府豊中市の千田(せんだ)さんの子供は、親ご自身が十八年間も病気でおられたものですから、
子供が常に身体が弱くて欠席勝ちであったというのであります。

ところが親が『生命の實相』を読み、子供に「あなたは神の子である」ということを
知らして上げるようになってからは、ほとんど病気をしなくなった。

或る時、その子供が大腸カタルを患ってたいへん熱が出たそうであります。
それで「お前学校を休むか」と訊いたら、「いや休まぬ、私は神の子だから大丈夫だ」こう言って、
まだ小学校二年生のお嬢さんですが、病気は病気、勉強は勉強と、きれいに病気を超越してしまって、
お掃除の当番までチャンとやってのけて帰ってこられたのであります。

これは、ただ学校の当番をチャンと済ましたというだけのことではない。
こういうふうな子供が大きく生長して大人になった時に、病気になっても人生に処して、
人生に於ける人間の役目を、人間の当番をどんな困難がこようとも、
やり遂げるだけの大きな力を学び得たということになるのであります。

教育は常にあるのです。
常に私達は教育されているということを忘れてはなりません。
(つづく)

1042ハマナス:2012/07/30(月) 10:41:44 ID:0kyCzJg6

神の子のみなさま
おはようございます。
先週末は、行事の為出かけていまして、引用はお休みしました。

心のレンズの向け方  (『新版 生活の智慧365章』P.213より)

宇宙には無限の供給が充ち満ちているけれども、それを現実世界に持ち来すためには、
それが現実世界にあらわれて来るための通路を作らなければならない。

 景色は無限にひろがっているけれども、それを写真に撮影して現像するためには、
先ずその人の持つカメラのレンズをどの方向に向けるかを定めなければならないのと
同じである。どんなに美しい景色が無限にひろがっているにしても、私たちはカメラ
のレンズを向けた方向の景色だけ写真にうつし取るのである。それと同じく私たちの
「心のレンズ」を暗い方面にのみ向けるならば、私たちは、暗い事物のみを現象世界に
あらわすことになるのである。これに反して私たちの「心のレンズ」を明るい方面のみ
向けるならば明るい世界が現象界にあらわれて来るのである。

感謝合掌

1043SAKURA:2012/07/30(月) 16:13:59 ID:k.Au8o5Q
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんにちは……   ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

今日、“投稿”しますは、私が19歳の頃読みました本・・・『ベスト・フレンド』で〜〜〜す。
久しぶりに、本棚から現れたのです。ペ−ジを開きますと・・・これも「真理」なのですネ!
若い時は、ながし読みで・・・理解度は???(微笑)では、紹介させて頂きます。
【コロンビア大の方達が、真理…サイコ的】に・・・?ちょっと開いていきます

■【ベスト・フレンド…】
(新しい自分の出会い)
―――――幸せの国のカギはどこに――――――
| ◆人は誰でも幸せになりたいといいます。でも、ほんとうの幸せなど、実現不可能な夢の
| ようです。誰もが必死になってつかもうとしているのに、少しもわたしたちに近寄って
| きてくれないように思えます。これは、わたしたちがなにかまちがったことをしている
| からなのでしょうか。多くの人々が、いろんな形で不満を感じているのはなぜでしょうか。
| わたしたちがあまり多くのことを望んだり、筋ちがいのことを望んでいるためでしょうか。

❖いや、いまの世のなかは、おっしゃるほど、すべて悪いわけではありませんよ。すばらしい
人生を送っている人もたくさんおります。その人たちは自分の人生を徹底的に享受し、
一刻一刻を楽しめるだけ楽しんでいます。ただ、そういう人たちは自分のことをあまり口に
しないのです。誰かに話すより、そんな時間があったら、もっともっと自分で楽しもうと
して忙しいのです。
こういう人たちはふだん、新聞、雑誌に投書したり、精神分析医にかかったりするような
ことはしません。
 ただあなたがおっしゃるように、みんながみんな、日々の生活に楽しさを感じている
わけではないということも、また事実です。幸せをつかむ技術を身につけていない人々も
確かにおおいのです。
         ――――――――― * ――――――――――

| ◆あなたは、今「技術」とおっしゃいましたね。それはダンスをしたり、詩をつくるのと
| 同じように、誰かに救われば身につくようなものなのですか。人間は幸せかそうでないか、
| どちらかだと思いますが、自分が幸せになれるかどうか決めることはできないでしょう。
| 人間はその気になれば、たいていできるかもしれませんが、幸せをどうやってつくり出す
| ことができるのかわかりません。たしかに、自分を幸せにしてくれるだろうと思うものを
| 追いかけていくことはできるでしょう。しかし、幸せというものは実際手にしてみるまでは、
| それが本物かどうかがわからないはずだと思うのですが。

❖ある意味ではたしかにあなたのいわれるとおりかもしれませんしかしいまあなたがおっしゃった
ことは、たいていの人が幸せをもとめるときかならずぶつかる問題なのです。これさえ手に入れる
ことができれば自分は幸せになれる―――そういうものが、この世に実在すると思い込んで
いる人たちがおおいのです。幸せがタナボタ式に自分の手のなかに入ることだけを期待して
いるのです。幸せとはみずからの手でつかみとらなければならないものだということがわかって
いないのです。誰だってフランス語や物理学やスキュ−バダイビングを学ぶときには大変な
苦労をするでしょう。車の運転を習うときにもずいぶん努力するでしょう。でも自分自身を
動かすこととなると、その苦労をしようとしないのです。

                     <つづく>

1044SAKURA:2012/07/30(月) 16:16:31 ID:k.Au8o5Q

>>1043投稿の続きです。
こんにちは……   ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

| ◆それはおかしな考えです。あなたのおっしゃり方はまるで、わたしたちが、自分の意志に
| よってすべての始動ボタンを押すべきだといっているようですね。
| しかし、生きるためには技術とはもっと自然なものではないでしょうか。

❖おそらくそうかもしれません。そうあるべきかもしれませんね。しかし、多くの人にとって、
そうではありません。人は生まれながらにして生き方の技術をもっているわけではありませんし、
その技術を身につけようとする人は非常に少ないのです。技術といっても、それは血のかよわい
ものや機械的なものではありませんが、学ばなければならないことがたくさんあるのです。
         ――――――――― * ――――――――――

| ◆それはたとえば、どんなことですか。

❖まず第一に、わたしたちは、これまでおそらくまちがったところを探していたのだということに
気づくことです。その源はわたしたちのこころの外側にあるのではなく、内側にこそあるのです。
自分の潜在能力の扉をたたいた人が何人いたでしょうか。たいていの人は自分のもっている
能力以下のことしかしていません。そして誰かが幸せの国のカギを渡してくれることを待ち
つづけている限り、いまの状態をつづけて行きます。
わたしたちは、その幸せの国は自分のこころの内にあることを知るべきなのです。つまり以前から
そのカギは手に握っているのです。ちょっと豊かな人生航路に向けて出発する合図を待つばかり
なのです。しかし、その合図を出せるのは自分自身だけなのです。
自分の人生に起こる出来事は、自分自身に責任があるからです。どの道を選ぶか、その選択権は
あなたの手のなかにあります。ですから、わたしたちは自分の幸せに対して責任があるのです。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆
◆みずからの【ベスト・フレンド】若い頃の私は、この意味が“理解”できませんでした。…が?
要約、この年になりまして【心…心の声?】と云うべきなのです〜〜〜ョネ!ウフフ?
「谷口雅春先生」も【人生は心で支配せよ…】或いは「谷口雅宣先生」も…
「全ては心でつくる世界」…両先生ともども【心の世界…】そうなのです〜〜〜ョネ!
【一般=末端信者】にとりましては、【心の法則=真理】の言う“深見?”に入り込みまして、

◆【幸せ探しの…人生航路】への舵取りを、していきたいものです…。
その選択権を頂いておりますのが〜〜〜【生長の家…真理】ですもの?
なのに〜〜〜【お家騒動…】変です〜〜〜ョネ!

今は、神に全托しまして「祈り」に徹していきたいものと思います…。
                                  再合掌

PS:トキ様へ…
実は、この著者は精神分析の開業医であり、サイコロジストとしての資格を持っている夫婦…
バ−ナ−ド・ベルコビッツとミルドレッド・ニュ−マン夫婦なのです。…が?
しかも、バ−ナ−ド・ベルコビッツは【コロンビア大学でソ−シャルワ−クの修士号】を…
つまり【現総裁雅宣先生…コロンビア大学】でした〜〜ョネ!
大方、現総裁先生は、コロンビア大学在住にて何らかの「ソ−シャルワ−ク」関連の影響を、
受けられましたでしょうかと、思いますが…。この点は、いかがお考えでしょうか?

【コロンビア大学…有名なドクタ−モルツ博士(サイコサイバネティクス)が、
いらっしゃいましたです〜〜〜ョネ】と云う事は、哲学的な考えができられますものと思いますが?

1045金木犀:2012/07/31(火) 03:50:38 ID:auusu5IE
日本再建の道を拓くもの(12)  谷口雅春先生  『生長の家』誌昭和57年8月号

人口制限は日本を弱体化する

人口が過剰になると、止むを得ず侵略をする惧(おそ)れがあるから日本の人口を制限しようと云う人は、人口がとぼしいためにその固有の領土すら常に近隣の大国の侵入に晒されて手も足も出ない少数民族の現状を見るがよいのである。真に完全に独立している国は、他国の手助けを借りることなくして自国を護り得る者でなければならないのである。この意味に於いて、人口の少ない少数民族の国は、国際的に独立国とみとめられているだけで、実質は独立しているのではないのである。実質が独立国になるためには人口が多くなければならないのである。その国の人口が唯、多いと云うだけでも一つの対外的威力となり得るのである。中共が朝鮮に侵入して来て、それが明らかに北京政府の司令によるものでありながら、中共義勇軍と仮称して国連軍に対して押しをきかせて北鮮を有利にしたのは、中共軍の装備が立派だからではなく、中共の人口が尨大(ぼうだい)なものであり、アメリカが出来るだけ中共軍を怒らせたくないために遠慮したからに過ぎないのである。人口の多いさは、ただそれだけで強大なアメリカに対してすらもこれだけの威力を発揮し得るのである。アメリカが日本の人口を増加しないように、或る点でくいとめたいために産児制限を奨励しようとしたのは占領政策として無理もないことであったけれども、日本人自身が人口を制限して、自国の威信を弱小に制限しようなどと考えるのはまことに愚かなことだと云わなければならないのである。(つづく)

1046a hope:2012/07/31(火) 07:09:02 ID:kJvHf4/g

人生読本 谷口雅春先生著

重田さんの体験①


生長の家に家庭光明寮という花嫁学校がありましたが、
そこを卒業された方に重田さんというお嬢さんがありますが、
その方のお母さんは生長の家の誌友になって大変心境がお進みになったのであります。

家族中全体が生長の家の思想をお持ちになりまして、
人間を誰でもみんな神の子であると拝むような気持ちになられました。

その息子さんで商業学校出のまだニ十歳ぐらいの方がございますが、
家が金物屋で、この息子さんが商売の手伝をして金物を売っておられた。

或る日のこと、その息子さんが、お客さんに少しでも深切をしてあげたい動機で、
何でも二十三銭とかにうるバケツを、一銭値引きして二十二銭でお売りになったら、
お客さんが非常に喜んだというので、その息子さんがまた喜ばれまして、
同じ値段を引くくらいならばひとつ原価で売って上げようと言って、
元値(もとね)の十九銭でお売りになったそうであります。

そうすると、重田さんのところは金物が安いというので、
京都中で一番よく繁昌(はや)る金物屋さんになった。

すると金物屋の同業組合から、
「君の方でそんなことして貰うと市価(しか)が下がって困る」という苦情が出て、
それは中止しなければならなかったそうでありますが、
余りよく売れるので卸売値段が安くなって元値で売ったときにも、
やはり儲かったということでありました。【昭和十年ころの話】
(つづく)

1047金木犀:2012/07/31(火) 12:38:28 ID:auusu5IE
日本再建の道を拓くもの(13)  谷口雅春先生  『生長の家』誌昭和57年8月号

避妊と堕胎の公認は性道徳を頽廃せしめる

産児制限は避妊法と人工流産(堕胎)によって行われる。最近一年間に指定医によって届け出 られた人工流産の数は六十万人だと言われるが、指定医によらずして手軽に堕胎されたる胎児はその二倍数にのぼるということである。一年に合計百八十万人が 殺されているということになっているのである。

しかし最近、指定通り認定さえあれば何人でも自由に堕胎して差し支えないことになったので、これはどのくらい増加するか今のところわからないが、これも占領政策に迎合した被占領者の愚かなる追随である。せっかく宿った人間生命を殺すというようなそういう残酷なことはなるべくしないように避妊法を行えというように宣伝され、避妊薬が氾濫し、避妊法を政府の 役人または政府から命令を受けた人が公然と教えて歩くというようなことまで行われているのであるが、それがどんな結果になるかというと、「性欲はできるだ け恣(ほしいま)まに楽しめ。そしてその結果としての重荷を負うな」ということになって、いよいよ性道徳の頽廃を奨励することになるのである。

古代ローマが滅びてしまった原因は五官の楽しみを満足させるための味覚の饗宴や、性設備が行き届いて、宴会などでも、食事は五官を楽しますためであって働 くためのエネルギーを補給する栄養ではなくなり、腹いっぱい楽しんで食べた後にはそれを吐き出す設備がととのえてあって、吐き出してはまた食べるというよ うな楽しみ方になっていたという。

食物が栄養のためにとられず、ただ五官の楽しみのためにとられ、性欲が生殖や夫婦の愛情の満足のためではなく、ただ五官の満足のためにのみ遂行せられるようになったとき、それは「自然」の意志に反逆するのであるから、必ずや「自然」は彼にその報いを与えるのである。
その報いとは人間生活の堕落、道徳の頽廃、毅然たる道徳精神の滅衰ということである。現に日本人の多数(大多数ではないかもしれぬが)はその報いを受けつつあるのであり、幾多のいまわしき事態が続々と起こりつつあるのである。

これは日本の人口を減少せしめようとする占領目的と同時に、一石二鳥的日本頽廃化の目的を達しつつあるのである。

1048SAKURA:2012/07/31(火) 21:48:52 ID:V.pKl3yA
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

暑いです〜ョネ!モ〜〜〰ゥ!汗が“タラタラ”><と?今年はとても暑くなりそうな予感です。…が?
「エコ−対策」の御蔭で、実は〜〜〜“電気代”も、抑えられて!何と【感謝…】
部屋の中は〜〜〜やや!涼感です。…が?それでも“冷房…規定の温度”で使用できます事が【感謝…】
「エコ−対策」で、随分“節電”が出来まして、今年の“電気代”は〜〜〜何と!何と!半分です。
それと同様…【心の対策】も、必要のようですが〜〜〜><外で求めるより…【内に求める心】…
【鬼は外〜〜♫〜〜福は内〜〜♫〜〜】です〜ョネ!
そうです〰〜〜ョネ!【福音の書物〜〜〜福は内から“幸福を招く365章”〜♫】

■【幸福を招く365章】
――――常に積極的なこころを維持せよ――――

決してあなたは不安、取越苦労、懐疑、嫉妬……等あらゆる消極的な想念感情の虜となって
はならないのである。常に信頼、幸福、明朗、楽天の積極的想念をいだくようにすべきである。
あなたの想念感情が明るい波長にならばなるほど、神の導きの声がハッキリときこえるように
なるのである。神の声をきくと云うのは耳の中で囁くように聴こえて来ることもありますし、頭
の中で「声なき声」として感じられて来ることもありますが、誰かが訪問して来て導きになる
善い話をもちかけて来る事もある。
                          (谷口雅春著)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

■そうなんです〜〜〜ョネ!
もう〜〜〜“不安”は、何処かへいったような“心境”でしょうか…!
「なる様に?なる?」…これは“ダメ”です〜〜〜ョネ!心の奥で“ネガティブ感情”ですから?
私は、必ず“いい方向”にいくと強い“意識=意志力”をい抱きましての“行”を…
そう致しますと“実現”となりますで〜〜〜ショ!

「実相顕現」で、“心が力む”という事は、潜在意識の中に多少“現象をつかむ心”があるのでは?
無いのでしょうかしら〜〜〜ン!その様にこの頃は、思いますので
“心は?いつも自然体”で、いきましょうかと?思うようになりました。…が?

きっと!「良くなるしか無〜〜〜イ!」と思います。…が?今の私は、その様に【楽観心境】です。
現教団側から出ていかれました方々…?これから出ていかれようとの思いの方々…?
個人的には、何処に行っても“同じ繰り返し〜繰り返し〜♫”のように、思えてなりませんが?

ある面では【長編詩…新聖経】でも、いいのではないでしょうか?

■実は、一昨日・昨日は、“パ−トナ−の母親”に「普及誌」を読ませる機会がありました。…が?
彼女の母親は「認知症…」??
はたから見ましても“心”が、晴れ〜晴れ〜♫となる様な感じが見受けました次第なのです。
「人を活かせる事が、自分も活かす事にも繋がります。」この“言葉”から…今回の体験は、
現在の「総裁雅宣先生」の考え方によります「運動展開」が出来る様にとも、思えますが〜〜〜?

私は「神の声」が、聞こえるまで【祈り…】をしてみようと、思いますが、
【長編詩…新聖経】を読んでも、瞬時ではなく、時間・空間を経過しまして…必ず!
後から“良い方向”に、物事がいくような気持になるのです。…が?
更に「昔の霊の方」で、やはり【現総裁先生…の指導霊】の方は、上の方の様に見受けられましたが?
更に!“意志力”を強く!そうしますと、必ず!“実現”を起すように思えます。…が?
「ネガティブな感情」が起きますと、当然私の“潜在意識”を「ボディティブ感情」に転換です。

【長編詩…新聖経】も、後から「結果=奇蹟=解決」が出来ますのでは無いのでしょうか?
唯今「現象=現実世界」にて論争が、起きています。…が?今までとは、違うようにも思えるのです。この頃「甘露の法雨」を、読誦していますと〜〜〜(微笑)“睡魔”が〜〜><
一人で?これは私に“頼っているの〜♫”とか?
やはりそれを考えまして【長編詩…新聖経】読誦すべきでしょうか〜〜〜しらン?
悩みますが「今日の言葉」より、
モット〜〜【自信と信頼を神へ…】・更に【内なる神に…】です〜〜〜ョネ!!
                              
                                    再合掌
PS:
トキ様は、「新聖経…」に対して、抵抗感があられる様ですが〜〜〜?
果たして【奇蹟…】が、起きる様になりますと〜その時は如何なお考えになられますかしら〜〜〜ン!

1049ハマナス:2012/07/31(火) 23:41:05 ID:0kyCzJg6

神の子のみなさま
こんばんは。

パン種とふくらす力  (『新版 生活の智慧365章』P.214)

実相世界はメリケン粉の中の入れられたパン種のようなものである。それは内部から
ふくらんで現象の形をつくろうとするのである。しかしその「パンの形」を如何に
するかは、パン焼師が心によって水で捏ねたメリケン粉を如何なる形にして置くかに
よって定まるのである。麭焼師(べーカリー)がメリケン粉の塊を丸くして置けば丸
い形のパンが出来るのである。麭焼師(べーカリー)がメリケン粉の塊を細長くして
置けば細長い形のパンが出来るのである。コッペ型にして置けばコッペパンが出来る
のである。

 それをふくらす力は内部の実相にあるのだけれども、どんな形にふくらすかは人間、
自身が如何なる心で如何なる形をつくっておくかによって定まるのである。法則は
厳重であり、愛憎によって現象界の姿を変化するものではないのである。

感謝合掌

1050a hope:2012/08/01(水) 08:04:40 ID:kJvHf4/g

人生読本 谷口雅春先生著

重田さんの体験②


或る日のこと「今川焼」といって、メリケン粉を溶いて流し込んで、
そこへ餡(あんこ)を入れた饅頭(まんじゅう)のようなものを焼いて売る露天商人がありますが、
その露店商人が重田さんの店へ来て、その今川焼を焼く鍋をくれと言うのです。

店頭(みせさき)に型の大きいのと小さいのと二種類その鍋が陳列してあったのであります。
ところが重田さんのお母さんが、奥座敷でちょっと手の離しにくい忙しい用事をしておられたので、
そのお客さんが「この今川焼のお鍋これは幾らですか」と言われたら、
店先まで出て行かないで、座敷からちょっと覗いて見て、
「その大きい方はいくらで、小さい方はいくらでございます」と言われて首を引込められた。

「それじゃ小さいのを貰ってゆきます」こう言って、
その露天商人はお金を置いて立ち去ったようでありました。
あとで見ると、大きな鍋を持って帰って小さい方の値段を置いて帰っておったのであります。

それを見て、息子さんが、
「今まで生長の家の本を読んで、人間は神の子である、仏の子であると思っていたが、
ああ人間にも神の子でない者がある」こう言われたそうであります。

重田さんのお母さんはそれを聞かれて、すぐ反省せられたのであります。
「ああ申訳ないことをした。人間にも神の子でない者があるという理由がない。
神の子でない悪人のように見えるのは心の迷いがそこに現れているので、
誰も本当の人間はみんな神の子なのだ。
それだのにただ一人でもこの人類の兄弟を神の子ではないと
自分の息子に思わせたということは申し訳のないことをした。
何とかしてみんな人間は神の子だと思わすようにしたい。
神の子であり善人である人間を悪人だと思わすようにしたのは、それは私が悪かった。
なぜなら、私は商売をしているのだから、お客さんが来たら側(そば)までいって鄭重(ていちょう)に応対して、
品物を渡してお金をいただいてお礼を言わなければならないのを、
つい忙しいからと自分勝手の理由で、奥座敷の方から『それはいくらですよ』と軽率にお客さんを取扱った、
それで私の軽率な心が映ってお客さんがこういうふうな軽率なことをなさったのだ。
これはお客さんがわるいのではない、私の心の軽率がお客様の上に映写(うつ)されて、
そういう仮の相(すがた)が現れただけであるから、
ぜひとももう一度あの人にも神の子であるという実の姿を現していただくようにしなければ申訳がない」
とお考えになりまして、

「そうじゃありませんよ」と、その息子さんに言って、

「あの方もやはり神の子だ。
私が軽率でわるかったのだから、
今にきっとあの方は必ずお金を持って来て、
正しい神の子の実相(ほんとうのすがた)を現されますよ」
と言われたそうであります。
(つづく)

1051ハマナス:2012/08/01(水) 17:33:17 ID:0kyCzJg6

神の子のみなさま
こんばんは。

自己表現としての世界  (『新版 生活の智慧365章』P.214より)

 この世界は自己表現の世界である。自己の内部に播かれたる普遍的にして個性的な天分を
表現したとき、その人は悦びを感ずるのである。母親は子供に対する愛情を完全に表現し得た
とき母親としての普遍的な悦びを感ずる。しかしその表現の仕方は個性的であって、ひとりひとり
の母親によって異なるのである。だからこれを「普遍的にして個性的な天分の表現」と言うのである。
良人は妻を愛し得たとき良人として普遍的は悦びを感ずる。しかしその愛し方は個性的である。

 宗教家は信仰をその体験と説教とを通じて表現し得たとき宗教家としての普遍的な悦びを感ずる。
しかしその体験と信仰とはその人に独特の個性的なものである。美術家は美を表現し得たとき
普遍的な悦びを感ずる。しかしその美の表現の仕方は個性的なものである。
この世界はまことに普遍的にして個性的な表現の世界である。

感謝合掌

1052SAKURA:2012/08/01(水) 23:29:09 ID:V.pKl3yA
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

私の青春時代の本【ベスト・フレンド】で〜〜す。
きょうで「2回目」ですが、意外と真理に分かりやすく【討論形式】ですが〜〜〜??
【コロンビア大の方達が、真理…サイコ的】に・・・?ちょっと開いていきます

■【ベスト・フレンド】  ( 新しい自分との出会い )

――――みずからを助ける心――――

| ❤ まだどうもよくわかりかねるのですが……。もし幸せがわたしたち次第で、魔法の
| スイッチを押すことができれば、すぐ幸せになれるようなものならば、なぜみんなが
| すぐそうしないのでしょうか。

魔法のスイッチなんてものはありません。ただあるのはこころのもち方だけです。自分の
大切な人生に責任をもつということは、わたしたちがさまざまなことに立ち向かっていく
方法に深い変化を生むことを意味します。ところが、わたしたちはこうした変化、この責任
をなんとか回避しようとしていろいろなことをしているのです。
 
自分が不幸せだと感じると、誰がいけなかったとか、なにがいけなかったとか、他人や他の
ことに責任を転換するだけで、少しでも幸せの方にちかづいていく努力をしないのです。自分
の気持ちをいうときでさえ、まるで他人のことを話しているような言い方をします。単純に
「わたしはそう感じた」といえばいいものを、まるでなにか驚異的なちからで圧倒された無力
な生き物のように、「こんな感情がわたしをおそってしまった」という無責任ないい方をします。

 そんなときには、私たちにはコントロ−ル不可能な天候のように、感情が晴れから嵐に
急変するかのようなもののいい方をします。このように自分の気持ちをお天気のように考えて
しまうやり方は、きわめて便利ですね。それはたしかにわたしたちに逃げ道を与えてくれますから。
ただ自分で選択するチャンスをおしのけようとして、自分自身を小さくさせてしまうのです。

           ――――――― * ――――――――

| ❤ あなたの話ではわたしの気持ちはまだすっきりしないのですが。つまり、感情と
| いうものは不思議なもので、たしかにわたしたちのこころのなかを去来するものですが、
| たいていは、なぜあのとき感情がああなり、いまこうなっているのか、ということは
| 誰にもわからないものです。
|  もしわたしがなにかに怒りを感じたり、動揺したりしたときでも、わたしは自分を
| 制して、皿を投げたり、涙を流したりするのをやめることはできます。しかし、動揺
| したりみじめになったりすること自体はどうにも自制できるものではありません。
| もっとも、みずから好んで怒ったり動揺したりしているのかどうかは、自分でもはっきり
| しないのですが。でも要するに、たまたまなにかでこころが傷ついたとき、わたしはその
| 「 傷 」をそのまま感じる権利はあると思うのです。 

たしかにそのとおり、あなたには感じる権利があります。幸せを感じるのと同じように、苦しみ
を感じるちゃんとした権利をもっているのです。すべてのことにある感情を抱くということは、
あなたが真に人間であるという証拠です。しかし、人間は不快な感情にのみとらわれることが
あまりにも多いのです。それはときには好んでそうしているのではないかとさえ思われるのです。
 
 人々は自分がやろうとしていることの意味をあまり考えずに、なんにでも取りかかってしまうこと
があります。自分を不快に感じさせるようなことを自分でして、「ああ、わたしは耐えられない」
と嘆くことがあります。ところがそれは、ほんとうは、「ああ、わたしはなにもしなかった」を意味
しているのです。でも、わたしたちはみな、どんなことにぶつかってもみずからを助けることが
できるはずなのです。
     
           ――――――――― * ――――――――
                              <つづく>

PS・「トキ様」へ…
【ベスト・フレンド】今回の項目は長いのですが〜〜〜><
当時の【翻訳の表現…】が、固くて、この頃の時代の“翻訳=日本語”の表現は〜〜〜
【真理…】も、やはり“言葉の表現”での影響力は多大なモノではと?
改めまして思う次第なのです。…が??
それによりまして「悟り?」も〜〜〜><なのでしょうか???
「トキ様」は、どう思われますでしょうか〜〜〜??
更に、引き続き【みずからを助ける心…】シリ−ズを投稿させて頂きます…。  再合掌

1053a hope:2012/08/02(木) 07:31:14 ID:kJvHf4/g

人生読本 谷口雅春先生著

重田さんの体験③


その露店商人はその金物屋の前を毎日屋台店を押して行くのでしたが、
その事のあって以来、その露店商人は一向(こう)重田さんの店の前を通らなくなってしまったのです。
何かうしろめたいような気がするのでありましょう。
それで、重田さんの奥さんはますます恐縮せられた。

「これは申訳ないことをした。あの人が極(きま)りの悪い思いをしてここを通らないのは、
自分のいまひとつの落度から、あの人の住む世界がこれだけ狭くなったのである。
ああ申訳のないことをした。もっと私が深切にお客さんに応接する心があったならば、
人の世界がこんなに狭くならなかったであろうに」こうお考えになられまして、
その露店商人のために祈っておられました。

或る日重田さんの奥さんが、京都の街を歩いておられますと、
その露店商人がどこかで屋台店をおろして今川焼を焼いておったのであります。
それを見て、重田さんは心で掌(て)を合して
「露店商人に申訳ないことをしました」と言ってお詫びになった。

そして家へお帰りになると息子に、
「あすこにあの今川焼屋さんがいるから、あんたお金を貰ってきてください。
きっとあの人は今では実相があらわれて神の子になっておられてお金をくださるから」と言われた。

そこでその息子さんは、自転車に乗ってそこに出掛けて行き、今川焼屋の屋台店のところへ行って、
「おじさん!」とこう一言言った。

そうしますと、露店商人はこちらを見て、重田さんの息子さんの顔を見ると、
「いや、わかっとる、わかっとる。つい忙しかったので持って行かなかったが、
後から持って行くから」と言った。
そうして暫くすると、本当にその残りの金を持って来て、
「どうも申訳なかった」と言ってお詫びをして帰ったということであります。

これは、重田さんのお母さんが、その今川焼屋の実相を見られて、
「あの人は本来神の子であって、泥棒ではないのだ、泥棒に現れているのはうその相(すがた)だ、
本当の相は神の子である」という心持で、その本当の相を祈り出されたからであります。

(「第十五章 困難の生かし方」 終り 次回から「第十六章 日常生活の生かし方 へ)

1054志恩:2012/08/02(木) 11:33:29 ID:.QY5jUA6
訊けさまの
臨時ブログのことが、島流れ島の方に、載っていましたので貼付させて頂きます。

今、拝見しましたが、見れる様になっていましたよ。よかった、よかった。^^

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11788/1343643044/30

1055ハマナス:2012/08/02(木) 15:51:12 ID:0kyCzJg6

神の子のみなさま
こんにちは。

志恩様
ご親切に、訊け様のブログを貼って頂きありがとうございました。

実相世界の秩序  (『新版 生活の智慧365章』P.215)

 此の世界は自己表現の世界ではあるけれども、自己表現を遂げるがために、他の人の自己表現を
妨げたり、他の人に苦痛や不幸を与えるようなことをしてはならないのである。何故なら、此の
世界を表現している「奥なる生命」はすべてのものが一体であり、互いに侵し合うことなく調和
した生かし合いの世界であるからである。これが「実相の世界」の秩序である。だから此の「実相
の世界」にある善きものを現象界に調和してあらわすには、他の幸福を侵すような形でそれを求め
てはならないのである。

 他を侵すような形に於いて求めるならば、それは実相の秩序と相反することになるから、実相の
世界の秩序と波長が合わず、求むる事物が得られないことになるばかりではなく、若し、それが
得られたら、実相の秩序が崩れて不調和な状態に苦しむようになるのである。

感謝合掌

1056トキ:2012/08/02(木) 17:10:51 ID:l4LpfzzY
>>1052

 大学入試の英文和訳なら正確さだけが問題でしょうが、普通の和訳なら、わかりやすい
日本語にする事が大事だと思います。言うのは簡単ですが、実行するのは大変な努力が
必要だと感じますが。

 一般論ですが、人間はどうしても自分を基準に物事を考えるので、相手に誤解を与える
時があります。

 戦争中、捕虜収容所の所長が、捕虜に栄養を与えようと、苦心して「ごぼう」を手に入れて
捕虜に食べさせたら、戦後、BC級の戦争犯罪人裁判で、「捕虜に木の根を食べさせた」と
言って、捕虜虐待で有罪になった事例がありました。

 国が違うと考えは違います。ただ、その中で、人間性とか愛情というコアな部分は共通します。
生長の家が、世界で受け入れられたのは、そういう部分が共通したのだと思います。

1057SAKURA:2012/08/02(木) 19:41:40 ID:V.pKl3yA
トキ様 ヘ
観覧者の皆様 へ

こんばんは…… ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1056拝読させて頂きまして…

■「日本語の英文和訳」は〜〜〜><
“大学の入試の場合”は、いいのでしょう。…が?

そうです〜〜〜ョネ!私自身、思いますが〜〜〜このように「哲学的…」になりますと?
【言葉の重さ?表現力?…etc幾分変わって来るように思えてなりません。】
しかし、当時の場合は、それなりに“素晴らしい翻訳”だと思います。
今日の“情報社会体制”となりました現在は〜〜〜しかしながら?
やはり!更に“高度化?”……上手く表現ができませんが「単語一つ」に、致しましても、
その「単語の持つ?意味するところの“感情”が〜〜〜」どの様なものかを、把握しました上で、正確なる“通訳”を、求められる時代背景へ、突入した感じが致します…。

それは、更に申しますと、その人自身の表現に、なりますのではと思います。
【表現の個性化】でしょうか??

更に「終戦後裁判での情報」を、教えて下さいまして、ありがとうございます。
投稿を拝読させて頂き、解釈のあり方も国によって違うことが〜〜〜><
【木の根?……ごぼう?】随分違いますモノ〜〜〜><

私も最近【国際化…】で、戸惑う場面が多々あります。…が?
これに関しまして、更に【モラル…慣習…習慣】も異なりますモノ??
各国に於けます違う概念・・・・・特に「東南アジアに旅行される方々」…も
最近では、色々問題事が起きているようです〜〜〜ョネ!同じアジア圏でも?なのですかと?
後程…「女子会 板」で、詳しく“投稿”させて頂きましょうかしら〜〜〜ン?
                             再合掌

PS:トキ様は、国際化によります「モラル性・慣習・習慣??」感じられました事は、
在られますでしょうか?この頃思うのですが?【感情の捉え方…】が、
全く異なっていますモノと??それ故に、この感情の捉え方の相違によりまして、最終的には、
「戦争…」という原因にもなりかねませんです〜〜〜ョネ!

1058SAKURA:2012/08/02(木) 21:24:30 ID:V.pKl3yA
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

私の青春時代の本【ベスト・フレンド】で〜〜す。
きょうで「2回目」ですが、意外と真理に分かりやすく【討論形式】ですが〜〜〜??
【コロンビア大の方達が、真理…サイコ的】に・・・? 昨日の“投稿文章”は、如何でしたか?

引き続き>>1052【新しい自分との出会い】の“投稿”なので〜〜〜す。

■【ベスト・フレンド】  ( 新しい自分との出会い )                   


| ❤ほんとうにできるのでしょうか。できるとすれば、それはすばらしい考えです。もっと詳し|
| く聞かせてください。どうすればいいのでしょうか。                  |
 

方法はいろいろあります。まず、最初に基本的な決断をしなければなりません。あなたは自分
自身を向上させたいと思っているのですか、それとも堕落してもいいと考えているのですか。
あなたは自分自身の味方となりたいのですか、それとも自分を敵にまわしてもいいと思って
いるのですか。

 奇妙な質問と思われるでしょうが、たいていの人は自分を自分の最大の敵にしてしまっている
のです。もしあなたが自分を救おうと決心したら、自分が恐怖を感じるようなことをしないで、
爽快な気分を味わえるようなことだけ選んで行うべきです。あなたに喜びを与える行為もあれば、
苦しみを与える行為もあります。あなたはなにもわざわざ自分に苦しみを与えるような行為を選ぶ
ことはないではありませんか。これはあなた自身が自分に問うてみるべき重要な質問なのです。

 人々は公害問題について心配しています。しかし、わたしたちがみずからのこころに与える
害悪は環境破壊よりずっと危険なのです。こころを汚染させるにはテレビも雑誌の漫画もいらな
いのです。自分自身で自分のこころを汚染させているのです。誰もみずからの価値をさげる方法
を教えてもらおうなどとは思っていないはずです。人間の過ちや欠点というものは、たとえ現実に
存在しなくても、簡単に見つけ出し、作り出せるものです。

自分の価値を高めてくれるものを見つけ出すことは、ほんとうの意味での自分への挑戦なのです。
ところが、人は自分のもっている長所を逆におおい隠してしまっているように思えます。

         ―――――――― * ―――――――――

| ❤しかし、自分のすぐれた面しか見ない人もたくさんいるようです。現         |
| 在の自分の状況 にまったく満足してしまって、なにかぐあいの悪いこと        | 
| が起こると、それを自分ではなくて、他人のせいにする人も多いように思えますが    |


もちろん、います。しかし、そういう人でもこころから他人のせいにしているわけではありません。
自分自身がいかに偉大な存在であるか、あるいは他人がいかに偉大な存在なのかを認められずに、
暮らしている人もまた自分で目をおおっている人たちなのです。自分に取り柄のない人間という
レッテルが貼られるのをこわがって、自分の欠点につい目をつむってしまうのです。こういう
タイプの人たちは、自分が完全な人間になるか、でなければ史上最低の人間になってしますかと
いう二者択一的な考え方しかしないのです。


問題は自分自身を見るときにこうした態度を捨てきれないという点にあります。これは根本的には
自己省察を否定しているからなのです。自分を変革しようと思うなら、まず自分の行為に欠点が
ないかどうか、冷厳に見つめることが大切です。と同時に、堕落の道に通じる手口を見抜く能力と、
かりにその道に入ったときでもこれは自分の本意ではないという自覚をもたねばなりません。
そうなってはじめて、あなたは生活の誇りと喜びを味わえる仕事に着手できるのです。

        
 ―――――――― * ―――――――――

PS:
「トキ様」は、何か?難問題が自分自身に、のしかかってきました時?
【心が外に向けられた事】が、ありますでしょう〜〜〜か??
以前の私の場合は、振り返りますと【内に向ける事が出来ずに、全て!外に向けて…】
いましたが、当に!今【反 省 … !】の“心”そのものです。…が?
私の「潜在意識=心」は、あくまでも私自身の“心”です〜〜〜ョネ!

今回!改めて直ぐ外に向ける“心”を、もっと掘り下げて【祈り…】に集中でしょうか??
「トキ様」は、もしも?外に向けられた時は、果たしてどの様に“対処”されますでしょうか??

1059a hope:2012/08/03(金) 07:24:17 ID:kJvHf4/g

人生読本 谷口雅春先生著

第十六章 日常生活の生かし方


一、あなたは何のために勉強しますか?
あなたは何のために働きますか?
人に威張るために勉強する、お金や衣服や食物を得(う)るために働く、とこう考えておいでなら、今日からこうした考え方を止めにしましょう。なぜでしょうか?

二、勉強すること、仕事をすることは、自分の生命が伸びることだから、楽しくてするのです。

三、使ったら減る、働いたら損をすると思うことは大きな間違いです。
誰でも自分の持っている力が限りなくあることを信じて、何をするにも全力を出す人は何事にでも必ず成功します。
よいと信じたことを確(かた)く守って倦(う)まず撓(たゆ)まずに努力する人は、いつも他の人より優った地位に就くことができます。

四、この世の中には大臣も代議士も博士も必要です。しかしそれより前に強く正しく明るい人に成ることが必要です。
強く正しく明るい人とは、他の誰に対しても自分に対するのと同じように深切を尽して悲しみや苦しみに負けずに、いつも元気で力いっぱい自分の仕事に精を出す人です。

五、あなたと一所(しょ)にこの世に住んでいる人は皆神様仏様の思召(おぼしめし)でこの世に生まれた、神の子仏の子で、あなたとは未だ一度も会ったことも話したこともない人でも、その人はあなたの兄弟姉妹と同じですから、互いに助け合い深切を尽くしましょう。
病気や不幸で苦しみ悩んでいる人にはまごころを以(もって)て慰め、元気をつけてあげましょう。

六、神様仏様はあなた達銘々(めいめい)の中にもいられます。神様仏様は絵に描いたものでも、木や金(かね)で作ったものでもありません。
よい事をして嬉しいのは、あなたの神様仏様がお喜びになるからです。神様仏様にいつも本当に喜んでいただける様な事のたくさんできる方は仕合せな人です。
(つづく)

1060金木犀:2012/08/03(金) 14:25:52 ID:auusu5IE
日本再建の道を拓くもの(14)  谷口雅春先生  『生長の家』誌昭和57年8月号

殺生を無くする農業

しかし人口制限を行わなくては、一定の領土内で生活し得る食糧が量的に不足して、避妊数と人工流産数とを加えただけの人間が健全に育っていたならば、愈々益々食糧が不足して多くの国民が餓死するようになるだろうと云う人がある。しかしこれは杞憂に過ぎないのである。

私は終戦直後、日本の人口は横に他国を侵略しないでも、空中に摩天閣をつくって伸びて行くならば、現在の人口がその十倍になっても二十倍になっても面積に困ることがないことを述べた。先づ大体平均十階以上のビルディングを建てさせる。そして互いに建物同士が光を邪魔して他の建物のルーフを陰らすことのないよう各建物のルーフが平等に日光を受けるように高さを平均する。そしてこの日光の豊かな階上のルーフを食糧にある植物の水栽培の田地とするのである。

かくてこの屋上で栽培される食物を収穫し、そのビルディングに住む人の食糧は大体、その建物のルーフで収穫し得る食物で足りるようにするのである。人類は殺人のためにいろいろ新兵器を作っているが、その懸命の努力を、このルーフの水栽培の方法に注ぐとき、近い将来に人類の食糧は各々の住宅の階上で得られる収穫で足りることになり、その収穫物を味覚に適するように脱臭、調味などすればよいことになる筈である。

或はその栽培される品種によっては人間の味覚に適するものがあるかも知れない。田宮博士の栽培しているクロレラと云う水栽培の緑藻はピレノイドサと云う品種で、ソバに似た味で味覚も大して悪くないと云う。クロレラと云う直径1,5乃至8ミクロンの球形又は楕円形の単細胞の藻を栽培する実験は、五年前カーネギー植物研究所のスポーア博士が提唱して以来、米国では大仕掛に行われている。この提唱は私が『白鳩』誌に、高層建築のルーフに水栽培せよと提唱した時と略々(ほぼ)同時であるが、これは世界はひとつの生命の波によってつながっているから同時に同様の構想に到着するのである。

1061金木犀:2012/08/03(金) 14:27:21 ID:auusu5IE
日本再建の道を拓くもの(15)  谷口雅春先生  『生長の家』誌昭和57年8月号

日本でも徳川生物研究所長の田宮博士が行っているのである。この緑藻は一日十倍にふえるという繁殖率をもっていて、太陽エネルギーの吸収率は普通の農作物の四十倍以上、反当り収率は米の三石(四百五十キロ)、大豆の百二十五キロに比べて4,5トンである。栽培法の改善によってなお収量を増加し得るのである。田宮博士は「年中ひまなしに働かされたのではクロレラだってたまるまい。たまには休ませた方がよくはないか」と思いついて間欠的に日光を照射する工夫をしたら、これだけで忽ち倍近く収量が殖えたと云う。その成分は蛋白質42、脂肪22、澱粉24、灰分12、ビタミン各種豊富と云うように頗る栄養価が高いのであって、殆ど人造肉と云っても好い位だと云われている。

池や沼などがなくてもビルディングの屋上を栽培池として、それにその建物にに住む人の排泄物を消毒し、清浄澄明なる化学肥料とでもする装置を発明して、必要に応じて、階上の栽培池に配給栓一つひねればその適当量の肥料を送ることが出来るように工夫するのである。かくて人口問題、居住問題、食糧問題が解決すれば、殺人的人工流産の必要はなくなり、戦争の危険はなくなり、食糧として肉食に匹敵する緑藻の類を食するのであるから、人類相互の殺戮だけではなく、あらゆる生物を殺すと云う悪業の因を断ち切ることが出来るのである。

人間が生物を殺して生きていながら、人類だけが殺し合いの戦争をしないで平和に生活したいと考えるのは、すべての業は循環する、一点一画といえども、播いた種子は刈りとらなければならないと云う原因結果の法則と矛盾するのである。人類の平和は先づ生物を殺さないことから始まらなければならないのである。最近、生長の家の誌友にして万国生類愛護協会の会員たる小牧久時君から次の様な平和愛好の感情に満ちあふれた手紙が来ているので、平和日本再建の基礎は、こう云う深’い’生’類’愛’護’の’し’み’じ’み’と’し’た’感’情’から生まれて来るのであって、平和を戦い取るごとき好戦的な感情から来るものでないことを知って頂くためにその手紙の一部を次に再録させて頂く……筆者は京都薬科大学微生物研究室の先生である。

1062金木犀:2012/08/03(金) 14:28:54 ID:auusu5IE
日本再建の道を拓くもの(16)  谷口雅春先生  『生長の家』誌昭和57年8月号

「農耕にも殺虫の如き殺生がつきものではないかと申される方もございましょう。しかし『黄金の土』のロデイルは『害虫の真の役目は検閲官のようなもので、不自然に肥培した作物を指摘するのである』と克明な実験と統計をあげてのべております。ロデイルは又こうも申しております。『若しミミズが死ぬような条件(強い化学肥料)があればバクテリアの繁殖は妨げられ不作になるから、益々焦って化肥だ消毒だと……土地を台無しにしてしまうのである』ミミズは自然なる農夫だとさえいわれております。よし此の愛らしいミミズを多少、私共の不明から傷つけることがあるにもせよ、詫びたい真情の片鱗でもございましたら、無辜(むこ)のミミズを大量殺戮など思いもよらぬこと、それ以前に何か他の道を選んだことでございましょう。……思い切りが大切だとつくづく思います。

そうして思い切りは和解・和解・和解・ただ和解からのみすらすらと出てまいりますのでございますね。和解こそ決断の母でございます。拝み切った時、――まったくたくまずに決断ができるものであることを、しみじみ解らせていただきました。母に感謝しきったとき、私は『私は菜食を好みます。なるほど世間の慣習とはすこしばかり異なるかも知れない。しかし、私の使命は法施にあります。法施のためには、その方が良い筈です。とにかく殺生は好みません』とたくまずに申すことが出来ました。そこで道が開けました。私はもう誰はばかることなく自分の希望を率直に人に語ることが出来ました。

洪水のようにエア・メイルが来るようになり、アメリカやスイスの新聞やラジオも私の心からの念願をとりあげてくれました。思い切って意志を表示して以来、先輩も友人も後輩も『小牧さん、小牧さん』と慕うてくれます。農耕でも同じことで、一喜一憂して生涯を過ごすよりも、石の上にも三年、その後、全世界の農民の友となり、全人類の友となり、全生類の好意を受くる道を選ばれたほうが生甲斐があるかと存じます。和解(感謝)こそ、よろこびの鍵であり、よろこびそのものであることを毎日々々痛感致しております。『私』と云う無口な青年が息をふきかえして、毎日々々を楽しくすごさせていただくことになりましたのは偏へに先生のお導きのお蔭でございます。……」

(完)

1063SAKURA:2012/08/03(金) 22:34:01 ID:V.pKl3yA
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

私の青春シリーズの本【ベスト・フレンド】で〜〜す。
きょうで「3 回目」ですが、意外と真理に分かりやすく【討論形式】ですが〜〜〜??
【コロンビア大の方達が、真理…サイコ的】に・・・? 昨日の“投稿文章”は、
如何でしたか?
引き続き>>1052>>1058【新しい自分との出会い】の“投稿”なので〜〜〜す。

■【ベスト・フレンド】  ( 新しい自分との出会い )                   
     ―――――――― * ―――――――――**

| ❤それはたとえば、どんなことですか。

たとえば、あなたが達成したことに目を向けることです。自分で誇りうる
ことを行ったときには、自分によくやったぞといいきかせ、その体験をよ
くかみしめ、じっくりこころで味わうことです。わたしたちは自分自身でも、
他人にたいしてもこの習慣が身についていないのです。物事がうまくいかな
いときには、自然にわたしたちのこころはそれにこだわってしまいますが、
物事が順調にはこんだときでも積極的にそのことをこころにとめることが大
切です。

自分をどう認識するかは自分自身にかかっています。他人が認めてくれる
のを待っていると、もし認めてくれないときわたしたちは憤慨するでしょう
し、また認めてくれたときには、逆にわたしたちの方で拒否してしまうこと
もあります。重要なのは他人の言葉ではないのです。誰でも人からよくいわ
れれば、悪い気持はしませんが、お世辞をいわれたときのうれしい気持ち
なんかはすぐ消え去ってしまうものだということを、あなたは考えたことが
ありますか。わたしたちが自分自身に贈った賛辞こそ、こころのなかにいつ
までも消えずにとどまっているものです。

人からほめられるのもまた気分のよいものです。しかし、すでに自分で自
分のことをほめているのですから、人の言葉などはもう問題ではありません。
じつはこの点の認識不足が、ある種の偉大な成功者の悲劇を招いています。
まわりの人からつねにほめそやされないと気がすまないくせに、自分の個室
にもどるととたんに冷めてしまう成功者には、こうした悲劇がついてまわる
のです。それは彼らが自分自身のこころの声を聞いたことがないからです。
                          <つづく>
PS:トキ様
九州にいた頃は、他人の視線?が〜〜〜気になりましたし、相手の評価とか?第三者の言葉に
バカみたいに、翻弄されていました事に、気づいた次第なのです。…が?
実を申しますと、此処最近までは、“気にするタイプ”なのでしたが〜〜〜><
TYOに住みだしてからは、逆に「いい事は認める…“心”」が、自然にうまれていたのです。><

先ず!【自分で自分をほめる事】が、大切でしょうか???【自 己 賛 嘆 !!】
又!ここにて、嫌な気持ちが起きやすい“環境”であるからこそ…こだわりを放ち去り
【自 分 自 身 へ の 再 発 見 】でしょうか〜〜〜????点でしょうか?
「トキ様」は、「自分自身で賛嘆」〜〜〜どの様な処が〜〜〜と?採点で行きますと〜〜〜
???点でしょうかしら〜〜〜ン!(微笑)

1064ハマナス:2012/08/03(金) 22:48:53 ID:0kyCzJg6

神の子のみなさま
こんばんは。

法則は制限の条件  (『新版 生活の智慧365章』P.216)

 私たちはみずから其処へ行くことによって其の風光を楽しむことが出来るのである。
テレビや映画でも風光を楽しむことはできるが、それは、またそれだけに価(あたい)
を支払ってあるからである。 すべて何らかの形に於て相当の支払いをしないでいて
事物を得ようと思ってはならないのである。無論、価を支払わないでも得られるときが
あるけれども、必ず何らかの形で、その後にそれ相当の価を支払わさせられるのである。
それが因果の法則であり、平衡の法則である。

 法則と云うものは、無限に自由なと云うものではない。法則と云うものは事物の運動に
限界を与える条件であるからである。酸素と水素とが集まって水となる法則は、酸素と
水素以外のものが集まっても水にはならないと云う制限の条件である。

感謝合掌

1065うのはな:2012/08/04(土) 03:27:16 ID:eorGcccE
『幸福生活への招待20章』 谷口雅春 先生著P93

 わたしは、(というのは山岡さんのこと)昭和十一年に生長の家に入信させていただきまして、以来
三十年にもなりまして、その間、『甘露の法雨』のお守りを受けまして....。
と山岡さんは先ず言われる。

 『甘露の法雨』というのは、ご存知であると思いますが、生長の家のお経になっているのであります。
そして、それは本来わたしが霊感によって書いた詩であったんですけれども、それを読む人にいろいろの功徳が
あらわれてまいりまして、医者が「不治である」と宣告しておった病人が癒るとか、あるいは戦争に出て敵弾に当らなかったとか...
いろんな奇蹟が起ってまいりまして、“それで”といっても、われわれ自身がこれを生長の家の「お経である」としたんじゃないのであって、
それを読んだ人が「これは単なる詩ではない、こんな霊験が出て来るのは聖経である、尊いお経である」と言いまして、その詩を
お経型の“折り本”型にして頒布することを、生長の家の京都の教化部の幹部の方から始めたのが元なんであります。
それが聖経『甘露の法雨』であります。

1066「訊け」管理人:2012/08/04(土) 03:50:48 ID:???

<告知>

○ ブログ再開のお知らせ

 こんにちは。ようやくブログ再開の目途が立ちましたので、ご報告致します。
本日ただ今の事時刻より「谷口雅春に訊け」ブログ、平常通りの運営をして参ります。皆様にご迷惑をおかけ致しましたが、今後も我がブログをご愛顧くださいましたら幸いです。

 今後も偕に学んで参りませんか。皆様、よろしくお願い致します。


「谷口雅春に訊け」
http://blog.livedoor.jp/con5151/





追伸

 なお、臨時開設致しました以下ブログですが、これもそのままに致します。WEB空間ですが、谷口雅春先生の御名・・・・出来るだけ沢山存在した方が得でございましょう。(検索して掲載されるブログ等、多々あった方が良いと思います。)

 以下もどうぞ、ご愛顧の程よろしくお願い致します。

○ 「谷口雅春の言」――神洲清潔の民に告ぐ
http://blog.livedoor.jp/con5151-5151/

1067a hope:2012/08/04(土) 10:10:45 ID:kJvHf4/g
人生読本 谷口雅春先生著

日常生活の生かし方 ②


七、偉い人とは大臣、代議士、博士、大会社の重役等に限った事ではないのです。自分の仕事をまごころを以(もっ)て完全に行う人は皆偉いのです。
たといあなたが、大工さんでも八百屋さんでも工場の工員さんでも自動車の運転手さんでもかまいません。あなたのする事が多くの人に喜ばれたならあなたは偉い人です。

八、あなたは生きています。生きているということは、誰か他(ほか)の人から喜ばれていることなのです。他の人から憎まれ嫌われる人は生きていても死んだと同様です。
少しでも世の中がよく成る様に努める人は本当に生き甲斐のある人です。

九、着物、食物、住んでいる家、その他何から何まで自分の力だけでできるものは一つもない。あなたの食べるものや着るものを作るために、数えきれぬほど多勢(おおぜい)の人達が昼も夜も働いていてくださいます。そんなに多くの人の骨折りででき上がったものを、あなたが働かずに食べたり着たりしてよいものでしょうか。
あなたはこの多勢の人達にお礼するためにも一所懸命にお働きなさい。

十、鉛筆一本紙一枚も粗末に取扱ってはなりません。倹約とは要るものを使わないことではありません。何でも最後までそのものの役目を完全に果たすまで使い切ることが倹約です。
それを作った人の骨折りをありがたく思い、大切に使うことが本当の倹約です。

十一、成功した人を見て、「あの人は運が良い」と言ったり考えたりすることは間違いです。成功した人には必ず人に知られぬ多くの苦心や努力があるものです。すべての物事の成就には努力と忍耐が必要である事を知って、これを自分の上にも適用(あてはめ)る人は幸いです。これこそ成功する唯一の方法です。

十二、誰かがあなたに対して悪い事をしたり、悪口を言ったりしても、怒ったり憎んだりしてはなりません。あなたの中にある神様仏様は誰よりもあなたが正しいこと御承知ですから、そしてあなたは、その人があなたに対して抱いていた考えが間違であったという事を、あなた自身の深切の行いで知らせなさい。
人と争うことは、たとえあなたが正しいにしても、決してよい事ではありません。

(つづく)

1068SAKURA:2012/08/04(土) 20:56:43 ID:V.pKl3yA
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

>>1043>>1044>>1052>>1057>>1058>>1063【ベスト・フレンド】シリ−ズで〜〜〜す。

実は、私の「青春シリ−ズの一冊の本」なので〜す。(討論課題項目が、幾つかに分かれていますが?)
意外と真理が、分かりやすい【討論形式】なのです。…が〜〜〜??
【コロンビア大の方達が、真理…サイコ的】に…? 昨日の投稿文章は、皆様!如何でしたかしら〜ン?
引き続き>>1052>>1058【新しい自分との出会い】の“投稿”なので〜〜〜す。

■【ベスト・フレンド】  ( 新しい自分との出会い ) 

        ―――――――― * ――――――――

| ❤そんな人は、自分でほんとうに確信がもてないために、何回も何回も
|  同じ事情を証明しないと気がすまないのですね。ちょうど、同じものを
|  いくつもつづけて買っていながら、自分がほんとうに所有したと信ら
|  れない人間、つまり何事につけても充実した気持ちをもつことのできな
|  い人間のように思うのですが……。

   
そうです。そうした人たちはやはりまだまちがった座標軸から物事を眺め
ているのです。それはドン・ファン(スペインの伝統的遊蕩者)の行為を思
い起こさせます。そうした極端な例では、それが一種の狂気とも思える執念
深さだとはっきりとわかってくるのですが、自分のことになると、みんな見
極めそこなってしまうのです。

 もしある人が一週間の食事制限をしていて、一日だけその禁を破って食べ
すぎたとしましょう。そんなことはその人がそのとき夢中になっていた食事
制限という自虚的行為に比べればとるに足らないものです。その人が食事制
限をつづけていた一週間の意義はいったいどこにあるのでしょうか。もしそ
の人が自分ですすんで行なったものならば、その価値を認め直してただちに
食事制限を再開するはずです。問題はここなのです。それは八日目に禁を破
ったということよりも、むしろその人が一週間も禁欲してつくった虚栄の自
己像をこわしたいという誘惑にかられたことこそ問題なのです。

 これは多くの人がなかなか理解しにくいことなのです。いうなれば、自分
自身のこころを大切にするほんとうの感情かもしれません。一夜寝てみて自
分に嫌気を感じたなら、なぜそんなことになったのかを考えるべきでしょう。
つまり前夜行動したときから嫌気を感じていたのか、それとも翌日になって
自責の念にかられた自分に嫌気がさしたのかを考えるべきです。

                     <つづく>
PS:トキ様
人は「満足度」この感情は、何処を基準とするものでしょうか?
唯今!「ダイエット挑戦組??」ウフフ…!の私なのです。…が?この文章は、
ことの他、今回!私の“ハ−ト”に〜〜〜><時々「食事制限」が?ぐらつきます時…
実にこの様な“心境”と申しましょうかしら〜〜〜ン!><

■>その人が一週間も禁欲してつくった虚栄の自己像をこわしたいという誘惑にかられたこと
こそ問題なのです<(一分抜粋文)
ここの処が、私としては?「自発的なもの?」…「強制的のもの?」での感情が変わって来る
のでしょうかしら〜〜〜ン?その様に考えてしまいますが?
トキ様は、此処の心理を、どの様に解釈されますでしょう〜〜〜か?


                                     再合掌

1069トキ:2012/08/04(土) 21:11:29 ID:iJ14ylBM
>>1068

 百里を行かんとする者は、九十九里を半ばせよ、と古い諺は言っています。

 もう勝ったという場面でも、気をつけなさい、という事でしょう。
常に気に留めるべき事ですね。

1070SAKURA:2012/08/04(土) 22:50:42 ID:V.pKl3yA
トキ様 へ…
>>1069拝読させて頂きまして…

■「百里を行かんとする者は、九十九里を半ばせよ」・・・・?

もしかしますと【ダイエット…】も、後の“1%が勝負の分かれ道”でしょうか???
更に【人生…】も、そうなのでしょう〜〜〜ネ?
私の【ダイエット宣言…実行日記】も、更に!引き締め…ボディ〜も?引き締め…
もちろん!!“続行”ですかしら〜〜〜ン!
モット〜モット〜「強化対策…」です〜〜〜ネ!

                             再合掌

1071ハマナス:2012/08/05(日) 00:22:43 ID:0kyCzJg6

神の子のみなさま
こんばんは。

法則を実践する訓練  (『新版 生活の智慧365章』P.217)

 「心に描いたものが形にあらわれる」と云う心の法則は、同時に「心に描かないものは
形にあらわれない」と云う限界の法則でもある。心に暗いものを描きながら、明るい事物を
希望しては無駄である。「類をもって集る」と云う心の法則は、「類でないものは集まらない」
と云う法則でもある。

 私たちは単に其の法則を学んだだけで足れりとせず、つねにそれを実践する訓練をつまな
ければならない。自己の欲する「希望された状態」を既にあるかの如く心に描く練習をしな
ければならない。其の練習をしないでおって、行きずりに一寸(ちょっと)「明るい心」を
持っただけで、「明るい事物」が現れなかったからと云って、「心に思った通りにあらわれ
ない」などと思ってはならない。人間の心は、現在意識の底に潜在意識があってそれが尚も
暗黒を想念している事があるからである。

感謝合掌

1072a hope:2012/08/05(日) 07:07:30 ID:kJvHf4/g

人生読本 谷口雅春先生著

日常生活の生かし方③


十三、慈悲深き神様仏様は必ずあなたをよい方へ導いてくださいます。一時悪い位置や境遇にいるように見えても、それは一年に春夏秋冬があって、寒い冬の後に暖かく心地よい春があるように、やがて楽しい日があなたにも必ずやって来るのです。希望と勇気で仕事を励みましょう。

十四、力一杯に働いた後の気持のよい事はどうでしょう。何もせずにのらくらと過ごした時に比べてなんと大きな違いでしょう。
人は働いたから本当によい休息があるのです。休みばかりの連続―――毎日を働かずに過ごす人、働くことがあっても怠ける人は、こんな楽しい気分を味わう事はできません。
よく働きましょう。そして楽しく休みましょう。

十五、いつもニコニコしている人は太陽の様なものです。そんな人が家にいると家中の人が晴れやかに成ります。学校にいると級中が活気づきます。商店にいるとお客様の足を繁くします。事務所にいると皆を愉快にさせます。あなたの家の中の太陽に成りましょう。あなたの店、事務所、工場の太陽に成りましょう、そしてあなたの住んでいる町や村の太陽に成りましょう。

十六、細かい所によく気のつく人は、大きな仕事を成就する人です。玄関に脱ぎ棄(す)てられた履物を揃えたり、机の上に溜った埃(ほこり)をソッと拭(ぬぐ)うたり、路傍(ろぼう)に落ちている折釘(おれくぎ)を拾い除けたりするような小さな深切はあなたにだんだん磨きをかけます。

十七、人の本当の値打はその人の持っている名誉でも、財産でも、地位でもありません。人の値打は、世のため人のためにどれだけのよいことをしたかによって決まります。人の迷惑をなんとも思わぬ人、働かずに暮らしている人は、いかに地位や財産があってもその人の値打は零(ゼロ)です。

十八、人を着物や持物のよい悪いで差別してはなりません。よい着物を着てよい物を持っている人に案外つまらぬ人が多くありますから。
他を尊敬する人は他からも尊敬されます。人は神の子仏の子である事を知って互いに尊敬しましょう。

(つづく)

1073SAKURA:2012/08/05(日) 21:41:59 ID:V.pKl3yA

トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

>>1043>>1044>>1052>>1057>>1058>>1063>>1068に関しましては、
【ベスト・フレンド】シリ−ズで〜〜〜す。 

実は、私の「青春シリ−ズの一冊の本」なのです。(討論課題項目が、幾つかに分かれていますが?)
意外と真理が、分かりやすい【討論形式】なのです。…が〜〜〜??
【コロンビア大の方達が、真理…サイコ的】に? 昨日の投稿文章は、皆様!如何でしたかしら〜ン?
引き続き>>1052>>1058【新しい自分との出会い】の“投稿”なので〜〜〜す。

■【ベスト・フレンド】  ( 新しい自分との出会い ) 

        ―――――――― * ――――――――
|❤しかし、実際に自分自身に嫌気を感じたとしたら、どうなんでしょう。
| それもまた当然の心理として受けとめてよいのではないでしょうか。あ
| る人がこころから自分はあわれな人間だと思い込んでいるとき、いった
| いどうやってその人に幸せになる道を教えたらよいのでしょうか。

 『いいかい、わたしはあわれな人間だよ。しかし自分はこれでいいのだ。ほ
っといてくれよ』と誰かがいったとしたら、わたしが教えることはあまりな
いとおもいます。

 しかし、その人が本気でそう考えていないということもありえます。誰だ
って自分をみじめなものと考えたら、ほんとうに不幸せなものです。その人
のこころのなかでは、おそらく深刻な心理的葛藤が起こっているはずです。
一面では自分を卑下していながら、他の一面では自分はそんなものではない
と叫び声をあげているのです。これは自分に対する思いやりをもった問いか
けなのです。ですから、自分の気持ちを不快にするようなことをするときに
は、それが真に自分の望んでるいることなのか、ほんとうにそういう気持ちに
なりたいのか問いかけてみることです。もしいやいややるのなら、そんな行
為は即座にやめて、その代わりに自分の気持ちをよくさせることを行うべき
なのです            

(新しい自分との出会い)シリ−ズは、ここで終わりになりました…。
次回は【生きる秘訣…シリ−ズ】に、入って行きます。   

 <つづく>

PS:トキ様
若い時は、“嫌な気持”になりますと、まるで「悲劇の主人公みたい」な行動を、
したモノなのです〜〜〜が><現在の“心境”は、先ず!!前向きに考える方が、優先で
しょうか〜〜〜?そして、「外部要因」が多い中、現在の私は、毎日の【心の葛藤】でも、
あります。…が?
そうなのですョ〜〜〜ネ!「雨にも負けず???風にも負けず???」なので〜〜〜す。

「平安な心境」は、いずこにかあらんや〜〜〜♫〜〜〜でいますと……?“アクシデント発生”
つまり!!!「嫌な事」に、関わる時は〜〜〜、
これは、モ〜〜〜ゥ!益々“ネガティブ感”〜〜〜が><充満しますモノ><
心の“チェンジ”…つまり“スイッチ切り替え”をしませんと…前にも進めませんですモノ!!
このような時、私の“潜在意識”に深く送り込むのは〜〜〜
やはり、【イメ−ジで祈る事】でしょうかしら〜〜〜ン???勿論【神想観=瞑想】です。…が?

「トキ様」も、この様な時は、やはり【祈り…】に徹する事に、なりますでしょうか〜〜〜???

                              再合掌

1074ハマナス:2012/08/06(月) 00:43:10 ID:0kyCzJg6

神の子のみなさま
こんばんは。
オリンピックで日本人の若者の活躍が素晴らしく、テレビから目が離せません。
体操の内村選手は床で、女子バトミントンも、銀メダルを獲得しました。
フェンシングにしても、最後の30秒で逆転して、決勝へと、またバレーボール女子も
決勝に進みました。日本人は、粘り強いくて、素晴らしいです。


目的地へ導く準備工作  (『新版 生活の智慧365章』P.217)

 何事もまだ終焉ではないのである。生命は永遠であるからである。無限の善さが顕現
しようと云う途上にあるのであるから、悲観するにはまだ早いのである。栗の実に棘
だった毬があるからとて、それは却って、その実が完熟するための保護であるのである。
蜜柑の果実が酸っぱいからとて、それは決して不完全ではないのである。それはやがて
時来れば甘くなるための準備工作が行われつつあるのである。

 私たちは、ただ自己の生命のうちにある無限の智慧に導かれて、その智慧に信頼して、
動揺しないで心を平和に保ち、導かれるままに素直に行動するだけでよいのである。
その智慧は或る時は私たちにジグザグ・コースをとらせることもあれば、或るときは
迂回路をとらせることもあろうが、それによって、やがて私たちを目的の地に導いて
下さるのである。

感謝合掌

1075a hope:2012/08/06(月) 06:06:05 ID:kJvHf4/g

人生読本 谷口雅春先生著

日常生活の生かし方④


十九、意志の強いのと強情っ張りとは異(ちが)います。他から自分の誤りを知らされたなら感謝してすぐに改めましょう。
自分より目下の者でも、年少のものでも、正しいことに変わりはありません。
年長者であるから、目上であるからと言って、威圧(おどし)で正しくない事を正しいと強(し)うるのは大なる誤りです。

二十、年齢の長幼を問わず他(ひと)を尊敬しましょう。人は皆神の子仏の子であなたと兄弟姉妹なのですから。そして皆に感謝しましょう。
何事にも感謝する心が持てるように成ると、あなたは幸福を知らず識(し)らずに得られます。

二十一、他人の欠点を見たら先ず自分にもその様な欠点があるかどうか見ましょう。他人の顔についた墨はよく見えても、自分の顔についた墨は見えません。人の顔の墨を笑うより、自分にもついていないか御覧なさい。
他人の誤りは深切に言葉やさしく教えてあげなさい。

二十二、他人に叱られたり咎められたりするのは不愉快なことです。他人の欠点や過失を咎めたり叱ったりせずに、よい所を探して褒めてあげましょう。
あなたがよい人と思って対すれば、その人は必ずよい人になります。
人は鏡と同じでこちらの思う心の通りによくも悪くもうつるものです。

二十三、悲しんだり怒ったり不平を言ったりする人は健康に成れません。
心を平(たいら)かにしていつも愉快に元気に働けば、いつも健康で人一倍に多くの仕事をすることができます。
愉快に元気に働くものには不健康はありません。

二十四、転んだら起きなさい。失敗は転んだのと同じで直ぐ起きて又歩けばいいのです。赤ん坊は歩きはじめにはよく転びます。転んだ時に起きて歩けなかったなら、いつになってもその赤ん坊は決して歩けるようになりません。成功は、転んでも起きる人、失敗しても失敗に負けずに努力する人のものです。直ぐ起きる人には、失敗は成功の基(もとい)です。

(第十六章 「日常生活の生かし方」 終わり、 次回から 第十七章 「精神力の生かし方」へ)

1076金木犀:2012/08/06(月) 09:59:37 ID:auusu5IE
フランス人と天皇制  谷口清超先生 『生長の家』誌昭和57年8月号巻頭言

フランスのミッテラン大統領が来日して、いくつかのことを学習し、また日本への教訓もいくらか与えて帰って行った。その学ぶべき点は、言うべきことをハッキリ言い切る態度だ。日本の核反対論者が何を言おうと、フランスには核エネルギーも核兵器も必要だと断定する。さらに彼らはフランスに対する愛国心と誇りとを示してくれた。だからそれにふれるようなことを聞くと、ひどく怒るのだ。そして又一方、日本のよい所もいくつか見て、その活力に感心したようである。

大統領に同行した八十人のフランス人記者の中には「天皇制から秋葉原の電気街や夜の新宿」まで見学したものがかなりいた。そして日本の発展の原動力に「天皇制」を見たものもいる。これはフランス人らしいすぐれた直感力だ。日本の記者諸君の目はフシアナらしいが、実は天皇を中心においた国作りの永い歴史が、現代日本を支える根源力なのである。私はしばしばこのことを指摘した。それは宇宙を構成する根源力でもあり、太陽を太陽たらしめ、全ての星を星たらしめている神秘力なのである。

この力を国家の中にとり入れ、それを何千年にもわたって政治化したその力は、国民一人一人のものであり、その心が国民に今も内在している。これが日本をいざという時団結させ、「国家」のために自我を滅却せしめる良識である。

ところが戦後とんとこの力を忘却し、ただデモクラシーばかりを最高のものらしくあがめ奉ったのだ。それは欧米からの輸入品崇拝の一種かも知れないが、デモクラシーだけでは何かが欠落する。それは人体の各細胞に「人間の全遺伝子がある」という事だけの主張だからだ。たしかにそこには人間それ自体の全設計図はあるが、しかし全細胞に同じくある遺伝子から、「その一細胞」に「かくあれ」と命ずるものが一体どこにいるか、細胞自身が、自分勝手に命ずるのではない。もしそうなら、全細胞は、その分裂過程からして、「同じもの」になるか、バラバラグシャグシャになるかする外はないからである。

これと同じことが国家構成についても言える。デモクラシーだけではバラバラになるのだ。それを一つにまとめ上げて、「中心帰一」せしめる智性がなくてはならず、それが「人格」としてなくてはならぬのだ。このことを日本民族は、歴史を通して表現した。こんなすばらしいデモクラシーとセオクラシーとの結合はありえない。それが生命体のあり方でもあるから、この構成を取りえた日本には、生命力があふれでるのだ。

しかしどんなすばらしい力があっても、それを認め、称讃せず、逆に否定したり、罵倒したりしては、実力は表れない。それをハッキリと認識する心眼が必要だ。それにはフシアナの目を持つ諸君ではだめで、外国人であっても、心眼をもって見れば、見えるということを示した点で、フランス人もまんざらではなかった。

1078SAKURA:2012/08/06(月) 16:06:39 ID:V.pKl3yA
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんにちは…… ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

昨日から“仕事が長引き”それでも“活かす毎日の日々”…更新中の“私”なのですが…?
では!幸せの道印の書籍本でしょう〜〜〜か?【心の法則の手引き】……
では〜〜〜開きます〜〜〜

■【幸福を招く365章】
―――――霊・精神・肉体・病気の関係―――――

吾々は物質の治療に反するものではないのである。それは、人間の物質的面に於て或る作用
を与えるのである。「レンズ」が「霊」であるとし、「水蒸気」が「精神」であるとし、レンズ
に出来た水蒸気の凝結によって出来た「曇り」が肉体の「病気」であると考えれば其の関係は
わかり易いのである。レンズの曇りはそれを直後、物質によって拭えば消えるであろう――こ
れが物質的治療である。たしかにこれは効果があるのである。併し水蒸気が多いかぎりは又し
ばらくにしてそれがレンズ面に凝結して曇りを生ずる。永久に曇りを生じないためには水蒸気
を少くしなければならない。即ち心の迷いを少くしなければならないのである。

                         (谷口雅春著)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

■「霊界通信」を、此処の掲示板に“投稿”させて頂きておりますが〜〜〜
つくづく“人間”は、「霊的人間…」と、あらためて思います。此処昨今は、
【不思議な気持ち】に、なりますが〜〜〜><
【霊=精神=肉体=病気の関係……】は、やはり“心の迷い”からでしょうか〜〜〜?
今の私は、まだ「肉体人間」として、どれだけの【魂の変化】が〜〜〜???

■【心の迷い】を、取り去るには、【祈り…】に、“行”ずる事だと、思うのです。
今日は、あらためて〜〜〜重い“腰”を??おこしましたが〜〜〜???ウフフ

何と言いましても「病気にかかる」ということ自体が…潜在意識の中に「迷い」が
生じておりますし、そうです〜〜〜ョネ!ガンにしろ?全てが〜〜〜><
「肉体のわたし」という事に、捕まえているモノと思います…。従いまして
この事は「病気を治す」と言います事は、「病気を捉えている」ということですから?
此の前に、必要な事は、「病気を放す」事なのでは?ないでしょうかしら〜〜〜ン!

■思いますが……
私は、ある“男性”にて「アイロンのタタキ棒」で、頭部を叩かれて、
その後!「聴力失調」になりましたのですが〜〜〜><
■【学ぶ会…会員の方】???あちらの方々は、「聴力喪失」となりますと、“言葉の表現”も、
更に!「生長の家…」真理関連の書籍の数々を、【理解されているの〜〜〜】でしょうか?
いつも〜いつも〜その様に思いますが……
                   <つづく>          NO・1

1079SAKURA:2012/08/06(月) 16:13:27 ID:V.pKl3yA
<つづく>          NO・2

こんにちは…… ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1078投稿の続きです…。

■【聴力喪失…】が〜〜〜〜〜【業…】と取れます表現でしょうか??

■■それならば【全ての病気】も【業!・業!・業!何でしょうかと〜〜〜】!!思います。…が?
そうではなく、【認めた…心の法則】より、成り立っているのではと、思います。
…が?【何故この様に執拗に取り上げる…その人の心そのもの】??
そうです〜ョネ!その人の見方に反映されています様に、思います。

今回!!【霊界板で投稿された方】は、何を言いたいのでしょうか〜〜〜?
相手に対しての“心”を封じ込めたい!相手を蹴落としたい!
その人自身の“心の反映”からの投稿抜粋と…【心理的作戦】との推測に、いたります…。

■「生長の家の教え」を、何処を理解されているのかしら〜〜〜ン??
「雅春先生」も“哲学”をとりいれたのですが〜〜〜それにて「生長の家の哲学」が…
出来ましたのでは、との思いです…。

PS:「トキ様」…今回改めて、あちらの方達の【聖典の捉え方…】しかも、
何回かに渡りましての“私事の聴力喪失原因を投稿していますが…”
この事に関しまして…更に【ビ ッ ク リ !!】しました。…が?
「学ぶ会の…月刊誌」?…【つ ん ぼ】これは【差 別 用 語】!!!しかも、
この掲示板「2チャンネル…にまでの投稿」は、如何でしょうか

■これに関しては【イ ジ メ …】と判断します。
前回の「言葉の使い方」に於けます時も同様に…今回も…
■■明らかに【障 害 者 イ ジ メ を ス ル 団 体 が …学 ぶ 会 会 員】
なのでしょうか〜〜〜♫
これは、明らかに場合によりましては…それなりの事をと、考慮していますが……!
                           
PPS:今回の裁判にて「基本的人権…差別用語」として…取り上げられる事は〜〜〜
再合掌

1080SAKURA:2012/08/06(月) 16:18:05 ID:V.pKl3yA
管理人「トキ様」 ヘ

こんにちは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】 で〜〜〜す。
>>1077投稿文…
【ネ−ム?】が〜〜〜『神の子さん』になってしまいまして〜〜〜〜<
お忙しいと思いますが…「デリ−ト」御願い申し上げます…。
                        再合掌

1081ハマナス:2012/08/06(月) 21:06:28 ID:0kyCzJg6


神の子のみなさま
こんばんは。

他の過ちを怒るなかれ  (『新版 生活の智慧365章』P.218)

 人が間違った行動をしたからと云って、それに対して腹を立てたり、憤慨したり、
攻撃精神を起こしたりしてはならない。そんな事をする暇に、相手が「神の子であって
今後そんな間違いをしない」と祈る方がよいのである。その方が自分の心が安らぐ。

 人が間違っているからとて、自分の心を不安に陥れなければならぬ理由は何処にも
ないのである。しかも相手の「悪」や「間違」をみとめて、それを心に描いて強く憎ん
でいる限りは、相手の「悪」も「間違」も益々顕れるばかりであるのが心の法則である。
それよりも、彼の過ちをゆるして、彼をその過ちから釈き放ってやるようにすれば、
彼は必ず改まって来るに相違ないし、そうすることが自分自身の魂の修養にもなるし、
自分自分の神性を顕現し、愛を長陽することになるのである。

感謝合掌

1082a hope:2012/08/07(火) 06:31:01 ID:kJvHf4/g
人生読本 谷口雅春先生著

第十七章 精神力の生かし方

精神一到とはどんなことか


「精神一到何事か成らざらん」という諺(ことわざ)がございます。
この言葉はありふれた言葉であり、一心に心をこめてやれば、
何だってできないことはない、というふうな意味に考えられておりました。
そうです、一心に心をこめてやれば、何だってできないことはないのです。
しかし、その「やる」とはどうすることでしょうか。
皆さんこれを考えてみたことがございますか。
(つづく)

1083金木犀:2012/08/07(火) 12:21:31 ID:auusu5IE
SAKURA様

霊界板でもお答えしましたが、あなたに対していじめをしようと思ったりそういう意図はまったくありません。
私も顕浄土成仏経は、その言葉の美しさに魅了されて、亡くなった方を成仏させるには非常に功徳があるような
気がしていましたので、私も、父がなくなった時には、毎日ずっと甘露の法雨とともに、この顕浄土成仏経を誦げていました。
だから、このお経には思い入れがあったので、こちらにも転載して、このお経について知っていただこうと思ったのですが、
確かに、不適切な言葉が使われていることを、もう少し考慮すべきであったかも知れません。

しかし、これをいじめであると確信されるあなたのお気持ちが少し意外です。
謙譲語についても、私は別に感情的に反論したわけではなく、論理的に意見を言ったつもりです。
このこともいじめだと思われているようですが、私は、その後は別にしつこく言った覚えはありません。

また現在において、私もそれほど暇でないので、SAKURA様の投稿を一部しか見ておらず、読まないことがほとんどです。
だから、SAKURA様と私の間には、別段いじめをするような間柄になってはいないはずです。
なぜ私があなたにいじめをする理由があるのでしょうか。
それに聴覚障害者といわれますが、あなたは音楽の動画を貼っておられたこともあるし、
私はあなたが多少耳が遠い程度だろうと思って、障害者というほどに感じたことはありません。
だから、急に障害者という言葉を使われ始めたことに違和感を感じます。
もっともしっかりとあなたの投稿を読んでいないので、誤解していたのかも知れません。

童子様も原文のまま載せたと書いておられたように、昔は障害者を表す言葉を誰も差別用語だと思っていなかったので、
皆平気で使っていたし、障害者自身も使っていました。だから昔の体験談が今で言う公の場で使う時の
禁止用語を使っていても、それをあえて変えるわけにもいかず原文のまま載せるのは仕方ないと思います。
これを載せてはいけないとなると、昔の文章は何も読めなくなります。

それから、しつこくといわれますが、私はあなたの聴力障害について今までなにか言った覚えはありません。
私はあなたが障害者だという意識もないくらいなのです。
だから、学ぶ会の月刊誌で取り上げ、本流掲示板に載せ、ここの掲示板にも載せたということで、
しつこいと仰っていますが、月刊誌は顕浄土成仏経の読誦のススメの記事で、体験談は乗っていませんし、
本流の童子様の記事は、単に体験談を皆さんにも知らせようとされただけで、親切心からの投稿であり、
それを転載した私がうかつだったと云えばそうかも知れませんが、SAKURA様の連載投稿を邪魔した形になったのは
申し訳ないとは思いますが、いじめを意図したものではありません。

1084志恩:2012/08/07(火) 12:48:18 ID:.QY5jUA6
おどろきました。SAKURAさまは、童子さまだけでなく、金木犀さまのことまでも、
SAKURAさまにたいして、いじめ、とか、いやみをしているとか、
そのようなことを、彼女は、書いているのですか。それは、気がつきませんでししたよ。

とにかく、彼女の文章については、
折角書かれていても、やたら、いまでも〜〜 〜〜みたいな、記号満載なので、
いまでも、とても よみずらいので 私は、ほとんど読んでおりません。

数多くの方々が、それについて、どのように彼女に、低姿勢で、その改善のいくつかを、お願いしても、それらも、すべて、
彼女は、無視です。

彼女は、自分は、唯一総裁先生を養護している人間だから、そういう自分に対する、嫌がらせをよってたかって、みながしているのだと思うと
反論されて、まったく、改善されていません。

それで、よみづらいので、私は、わるいですけれど、サラーとしか読んでいないので、

金木犀さまのことまで、いじめを言ってるなんて事を書いてあるとは、知りませんでした。

それは、まったくの 勘違いですよ、SAKURAさま。

だれも、あなたをいじめていません。

1085金木犀:2012/08/07(火) 13:04:16 ID:auusu5IE
志恩様
フォロー有難うございます。
>>1079のSAKURA様の投稿に反応して、思わず書いてしまいましたが、
ここは聖典板なのでした。
皆様、聖典以外の書き込みをしまして、失礼しました。

1086ハマナス:2012/08/07(火) 18:24:44 ID:mR2szZkc

神の子のみなさまこんばんは。こんばんは


パイプの中を掃除せよ

生活の智慧365章

形なき真空の世界から、この宇宙と人間とを創造した神の無限の智慧がわが中に宿っているのである。今、自分の肉体がどんな病気にかかっているようとも、その無限の智慧は此の自分を内部から完全なるものに再創造することはできるのである。神の無限の智慧と力とが自分の身体を健全に恢復し得ないような如何なる難病もないのである。

「自分の信仰の力で、この自分の病気を治してみせる」と思ってはならない。自分の力などで治るのではないのである。
「自分」が無くなり、自分の力みがなくなり、神に全托して、神がその智慧によって完全き働き給うことができるようにすることが、人間の役目であり、神が完全に働き易いようにしさえすれば、あとは全能の神が為したまうのである。つまり「自分」と云うパイプの中をよく掃除してさえ置けば、あとは完全に神の癒す力の浄水が流れる訳である。

感謝合掌

1087SAKURA:2012/08/08(水) 05:00:32 ID:V.pKl3yA
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
おはようございます……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

>>1043>>1044>>1052>>1057>>1058>>1063>>1068>>1073に関しましては、
【ベスト・フレンド】シリ−ズで〜〜〜す。 

実は、私の「青春シリ−ズの一冊の本」なのです。(討論課題項目が、幾つかに分かれていますが?)
意外と真理が、分かりやすい【討論形式】なのです。…が〜〜〜??
【コロンビア大の方達が、真理…サイコ的】に? 昨日の投稿文章は、皆様!如何でしたかしら〜ン?

■【ベスト・フレンド】  ( 生きる秘訣 ) 

―――― 生きる秘訣 ―――――

| ❤あなたは人間が生きていくうえでの秘訣をいろいろご存じのようです
| が、他にわたしたちのできることといったらどんなことがありますか。


  それはけっして秘訣というほどのものではありません。人は自分で考えて
 いる以上にずっと多くのことを知っています。みずから秘訣を隠していると
 もいえます。なかにはきわめて単純なものもあるのです。

  たとえばひとつ基本的な例をあげれば、あなた自身の期待を満足させるこ
 とです。もしあなたが家事とか、宿題やなにかほかの仕事をもっていながら、
 手をつける気持ちが起こらなかったとします。そんなときはもしその仕事を
 延び延びにしていたら自分がどんな気持ちにおちいるかを自分に問うことで
 す。もしあなたが多少なりともいやだなという気持ちになっていたら、思い
 きってその仕事に手をつけるべきです。そして実行したときの充足感をみず
 から味わいなさい。自分で自分を管理しているのだという喜びを体験するの
 です。それはおおいにわたしたちの気持ちを引き立ててくれるものです。

  家事なんていうものは人生のほんのささいな部分にすぎません。しかし一
 日を通じてあなたが自分をどう感じているかということは人生そのものとい
 えます。このように、あなたが何事かはじめるとき、そのときの正直な気持
 ちを考えながら実行すると、ときにびっくりするような成果を生むこともあ
ります。そうなれば、あなたが家事以外のことをするときでも、それよりも
っと充足感を感じていることがあるのに気がつくでしょう。たとえば詩をつ
くることによっても、あなたは充足感を得ることができるのです。

             <つづく>           NO:1
PS;トキ様 へ
人は?こうなんだけれども〜〜〜?とか考え過ぎましてでしょうか?
「先延ばし」〜〜〜?しても、結局は、後で“自己嫌悪”に陥る事も、
ありますモノ? この経験は、誰にでもと思いますが、如何でしょうか?

そうです〜〜〜ョネ!今出来る事を、あたえられている“課題”を、
クリアするだけでも、乗り切った時の「充足感」は絶対にいいですネ〜〜〜!
それを心で「イメ−ジ」でしょうか??
トキ様も?「先延ばし」は、ありますでしょうか??

今回の【お家騒動…】先延ばし〜〜〜になるのでしょうか〜〜〜?
更に【信仰…奉職者】の自覚は…?どの様にお持ちなのでしょうか〜〜〜?

1089a hope:2012/08/08(水) 06:55:15 ID:kJvHf4/g
人生読本 谷口雅春先生著

根限(こんかぎ)りやっても成功しない人もある


心をこめてやる、ということを何でもコツコツと根限りやることだ、と考えておられる方もあるでしょう。
中には、こんなに心を籠(こ)めてコツコツ勉強しているのに成功しなかったという人もありましょう。
また時には「あの人は私ほどコツコツ勉強しないで暢気に構えているのに成功したから、
『精神一到何事か成らざらん』という諺も好い加減な嘘だ、
成功は運にあるのだ」と不平をお漏らしになる人もあるでしょう。
(つづく)

1091神の子さん:2012/08/08(水) 10:50:21 ID:???

>>http://www.youtube.com/watch?v=MNVEYy-4XIc&feature=relmfu

和解は無理のようですね!

トップも擁護派も我が道を行く・・・・ああ!

1092SAKURA:2012/08/08(水) 15:58:54 ID:V.pKl3yA
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんにちは…… ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1043>>1044>>1052>>1057>>1058>>1063>>1068>>1073に関しましては、
【ベスト・フレンド】シリ−ズで〜〜〜す。 

実は、私の「青春シリ−ズの一冊の本」なのです。(討論課題項目が、幾つかに分類されて
いますが?)【コロンビア大の方達が、真理…サイコ的】に? 昨日の投稿文章は、皆様!
如何でしたかしら〜ン?私もサイコシリ−ズ悪戦苦戦ですが〜〜〜?
>>1087投稿の続きです。

■【ベスト・フレンド】  ( 生きる秘訣 ) 

―――― 生きる秘訣 ―――――

| ❤そんなやり方はきわめて自己中心的な態度を援助することになりませ
| んか。たとえばつぎのような女性が思い浮かんできます。夫が夕方帰宅
| したときに、奥さんは自信に満ちた目つきで迎えます。夫がまわりを見
| まわすと、赤ん坊はギャ−ギャ−泣いているし、寝具をととのえてもい
| ない。そして『夕食は?』と聞くと、彼女は夫の目の前に一枚の紙切れ
| をぴらぴらさせながら、『わたしは、その代りに詩をつくったのよ、あ
| なた』といいます。あなたのお話からこんな女性を想定してしまうので

  そんな犠牲を払ってまで詩を書いて、いい気持ちになる女性はまずいない
 と思います。人に不親切にしてまで、いい気持ちになるということはあまり
 ないのではないでしょうか。もしそういうことがあったとしても、その女性
 は得意になってはいるものの、同時に困惑の気持ちにおそわれるのではない
 かと思います。それでもなお詩を書きたいという意欲がつづいたとしたら、
 彼女はいくつかの選択をせまられることになるでしょう。つまり、彼女は詩
 をつくることと、家事をすることとをうまく両立させられるか、ということ
 です。もしできないとするならば、詩をつくることにどれほどの意味がある
 だろうか、を考えることになります。それでも、どうしても詩をつくりたい
 というのならば、他の責任をはたすために援助を得なければなりません。お
 そらく夫も彼女にもっと多くのことをしてくれるでしょう。
 
  もちろん、芸術家のなかには結婚や家族よりも自分の芸術に熱を入れる人
 もいます。それもまた正しい生き方です。キャサリン・アン・ボ−ダ−は何
 度か結婚に失敗しましたが、そのときにある夫は「とにかく、おまえはわた
 しと結婚したのだからね」といったそうです。お互いに優先順位というもの
 を、はっきりさせておく必要があるのです。

                  <つづく>          NO:1

1093SAKURA:2012/08/08(水) 16:02:38 ID:V.pKl3yA
                   <つづく>          NO:2

こんにちは…… ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

>>1092投稿の続きです。…

ご存じのように多くの女性解放主義者は、母親が子どもとともに家庭に閉
じこもって、精神的に沈滞してしまうのを防ぐためにみんながヘルパ−をも
 っと広く利用すべきだと出張しています。わたしはヘルパ−をたのむことや、
女性が仕事をもつことに反対するわけではありません。しかし、子どもをも
つということはみずから選んだ道でもあるし、また選ぶべき道でもあるので
す。女性が子どもを欲しいと思うなら、子どもをつくればよい。しかし、も
し子どもを育てるのがいやなら、つくるべきではないでしょう。いったん子
どもをつくった責任をもたなければいけません。

 女性が家庭と職業の両方をもちたいというなら、それは彼女らの決断によ
  ればいいわけです。そうした女性は大変な重荷を背負うことになりますが、
  それをまっとうするのが義務です。もし望むならば、託児所を設立してもら
  うための陳情運動をするのもよいでしょう。しかし、くれぐれも自分は犠牲
  になっているんだという考え方はやめるべきです。

PS;トキ様 へ
トキ様…今回!私は、相手に伝えます時は、いい気持ちになれない場合もありますネ!
今回!私もまず普通の生き方?だったらと?…気にならない事も、あります。…が、
最近!「神の子さん」とか?「誰だかわからない方達」から、“嫌な投稿文章”を、
引き続き頂く事が、ありました。…が?(ID:???)
まるで「機関銃??」その時まるで〜〜♫〜〜「ネガティブ感情」を頂きました。

あなたは【障害者…!】として“自覚”がないような捉え方の投稿にも見えました。
そして…【文章…更に!性格が悪いから“聴力を失う”…etcの中傷】を、
受けましてからでしょうか…?■【障害者へのイジメ…】

今回の「雅春先生…真理」の教えを、一般の方々に広めたいと…
「孝徳のあやかり」を書いたつもりでしょうが、これも同じくやはり、ある面では
【愛の精神の捉え方】の相違に、なりますでしょうかしら〜〜〜ン!

この様に、自己中心者の性格になる様にも思えますが〜〜〜?
【信仰の孝徳を広めます時】は、現在!義務教育を受けました世代ですから、

■【言葉による暴言から自殺…】に到りました時の責任とか?
考慮された事はあられますのでしょうか?
色々な点での“ 配慮”無くしては【心がない様】にも〜〜〜捉える事になるのでは?
更に!!【知恵=知識】無くしての愛は?本来の「生長の家…愛」これはどの部類に、
価するのでしょうか?といった感じを、抱く機会になりました…。

                             再合掌

1094ハマナス:2012/08/08(水) 22:09:26 ID:mR2szZkc
神の子のみなさまこんばんは。

人間の善意を信頼せよ 生活の智慧365章

神の万物を調和したまう愛が全世界、全存在の内部に動いているのである。この事を私たちは、どんな混乱の中に於ても信じなければならない。万物は混乱しているように見えても、その混乱を過程として、永久の平和と調和との世界へと移行しつつあるのである。もっと人間の善意を互いに信頼し合わなくてはならない。

平和への呼び掛けに対しても、「その裏に何があるか」と疑うまえに、その奥には神の「万物調和」の摂理が働いていると云うことを信じなければならない。この「信」がなければ常に冷戦は消えず、熱戦の危険にいつも人類は戦いていなければならない。神の愛と智慧とはすべての人間の内部に潜在的に動いており、それを認め讃えることによって、それは顕在的にあらわれて来るのである。
感謝合掌

1095a hope:2012/08/09(木) 07:10:49 ID:kJvHf4/g

人生読本 谷口雅春先生著

一つのことをいつまでも貫かねば


そこで「精神一到何事か成らざらん」ということも良い加減な嘘であるか、
本当であるか、それともこの諺(ことわざ)の本当の意味はどこにあるかということを、
もう一度とっくりと皆さんと一緒に考え直してみようではありませんか。

「精神一到何事か成らざらん」―――この言葉のどこにもコツコツと勉強せよというようなところはありません。

「精神一到」であって、精神が第一です。心が第一です。
「一到」というのは一ぺんだけちょっと考えるというような、力の弱い考えではありません。

「一到」の「到」の字は「到(いた)る」という文字でありますけれども、
この字を分析してみますと、「至(いたる)」と「刂(りっとう)」になります。
「至」は至極(しごく)であり、最後のギリギリまで至ることであり
「刂(りっとう)」は「立刀」であり、刀を縦にして刺し貫く形をあらわしています。

最後のギリギリまで一つの心を以(もっ)て貫き通す事が「精神一到」であります。
「心がいっぺんその方向へ振向く」ぐらいではまだまだ精神一到ではありません。
一度心を振向けたら、目的を貫き通すまで心を変えないでいなければ「精神一到」ではありません。
(つづく)

1096ハマナス:2012/08/09(木) 22:02:27 ID:mR2szZkc
神の子のみなさまこんばんは。

神に選ばれた生活の選手

『新版生活の智慧365章』

神が自己に与えたまうた天分を最高度に発揮すべく毎日毎日を決意し、実践しなければならないのである。今、与えられている仕事に自己の全精神力と体力とを集中すべきである。その時人間は幸福感を得るのである。たとえばオリンピックの選手が全力を尽くしているときには一切の自我が無くなってただ、その競技にのみ全生命がそそがれているようにである。選手にとっては、その競技に全心身を集注しているときが無上の幸福感の時なのである。

人間が地上に生まれたのも、地上で或る使命を果すために選手として選ばれたのであるから、その全力を出し切っているときに本当の幸福感が来るのである。人生に悦びがないなどと思っている人は、全生命を出し切らないから生命がスランプに陥って、幸福感が湧いて来ないに過ぎないのである。

感謝合掌

1097SAKURA:2012/08/10(金) 00:25:55 ID:V.pKl3yA
                <つづく>           NO:3

トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんにちは…… ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

>>1043>>1044>>1052>>1057>>1058>>1063>>1068>>1073>>1092>>1093に関しましては、
【ベスト・フレンド】シリ−ズで〜〜〜す。 

意外と真理が、分かりやすい【討論形式】なのです。…が〜〜〜??
【コロンビア大の方達が、真理…サイコ的】に? 昨日の投稿文章は、皆様!
如何でしたかしら〜ン?引き続き、【生きる秘訣】の続編です…。
>>1092>>1093投稿の続きです

■【ベスト・フレンド】  ( 生きる秘訣 ) 

―――― 生きる秘訣 ―――――
          
| ❤もし、やりたいと思うことが全部できず――たいていの場合、そうで
| すが――、どちらかを選択しなければならないとしたら、どうなります
| か。自分にとってよいことを選ぶとすれば、どのようなときにそれは身
| 勝手な行為となってしまいますか。


  自分をよい気分にさせることをするのは、身勝手な行為とは正反対なこと
 なのです。それはあなたの特定の側面を満足させるものではなく、あなたの
 全体的な自己を充分させるものです。そしてこのことはあなたが他人にたい
 してもつ感情、対人関係、責任といったものをも同時に含んでいます。それ
 にたいして、自分の身勝手ということはあなたの自己のごく限られた部分を
 一時的にのみ充足させるにすぎないのです。

  ですから、よい気分になるということは、あなた自身のことを気づかい、
 自分のめんどうをみるために、自己中心的になるということを意味していま
 す。もし、あなたがそうした技術を習得しない限りは、上手に他人のめんど
 うをみることができないでしょう。

  聖書にも、「汝の近き者を己れの如く愛すべし」とあります。これは自分
 と同じように愛せと記されているのであって、自分にたいするより以上にと
 か、自分の代りにとかいっているのではありません。

  自分自身を愛することもできない人が、どうして他人を愛することができ
 るでしょうか。みずからを愛さない人でも他人を崇拝することができます。
 なぜなら、崇拝とは他人を偉大なものと見なし、自己を小さな存在と見なす
 ことだからです。こうした人は他人にいろいろ望むことができます。なぜな
 ら、要望というものはその人の内面的不完全さから生じるもので、充足され
 ることを待っているからです。
  
しかし、そういう人は他人を愛することはできません。なぜなら愛とはす
 べての人のこころのなかで生まれ育っていくもののあかしだからです。もし
 あなた自身に人を愛する気持ちがなければ、愛を人に与えることができない
 はずです。


              <つづく>           NO:3


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板