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聖典引用 板

1029a hope:2012/07/28(土) 07:55:57 ID:kJvHf4/g

人生読本 谷口雅春先生著

逆境は幸福である(後半)


私達の生命は、たとえば水のようなものであります。
フラスコの中に静止せしめて常温に置かれた水は困難な状態ではない。
チャンと箱入娘みたいに護られた状態です。
その代りにどんな力も出てこないのであります。

これを一旦高所へ上げて、そこから落差をつけて落としましたならば、
何万キロワット、何十万キロワットの水力タービンでも動かすことができる。
これは水が嶮(けわ)しい高所に、逆境に置かれたための賜(たまもの)です。

或いは皆さん、水の下から何千度という石炭の燃焼熱を与えてやると、
たちまち沸騰して、蒸気の力で何千馬力の大機関車でも動かすことができましょう。
これも水が逆境に置かれた賜であります。

私達は、逆境を不幸であると考えることが間違いなのです。
逆境は私達の中に宿っている無限の力を掘り出してくれるところの「縁」を与えてくれる、
たいへんありがたい友だちであると思わなければならないのです。

そうなりますと、私達は決して逆境や困難に挫折しない。
困難のくる度毎に、自分はそれだけ高まるのであるということを常に信じる事ができて、
どんな逆境も困難も、失望や落胆の原因となるものではありません。

逆境に置かれ困難に置かれるほど、常に私達は伸びるほか仕方ないのであります。
この常に伸びるほか仕方ない生活、これが生長の家の生活であります。
それには自分が神の子であるということを自覚することが根本であります。

私たちが困難に対して崩(くずお)れてしまい、挫折してしまうというのは、
自分の中(うち)に生きている「生命」が有限であり、単なる物質的エネルギーであって、
それには限りがあり、或る程度以上の困難になると、
打勝つことができないものであるというような間違った考えを以って
自分自身の生命を委縮させているからなのです。

ところが一転してこの生長の家の人生観になりますと、
自分自身の本体は、神の生命がここに宿っているものである、
或いは仏の生命がここにあるのである、
どんな力でも無限に出てくるのがこの自分自身であるという確固とした自覚を得ますから、
困難に逢えば逢うほど、内から湧き出してくる力が多くなってくるのであります。

或る教祖は「難儀は節(ふし)や、節から芽が出る」ということを言いましたが、
これは実に優しい言葉で真理を穿(うがって)っています。
どんなに攻撃されても迫害されても、「難儀は節や、節から芽がでる」と信じていると、
どこまでも伸びる底力がどこからか出て来るのであります。
(つづく)


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