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聖典引用 板
1026
:
金木犀
:2012/07/27(金) 12:56:39 ID:auusu5IE
日本再建の道を拓くもの(2) 谷口雅春先生 『生長の家』誌昭和57年8月号
ある新聞の日本婦人観
ある有名な一流新聞の時評欄には次のようなことが書かれていた―――
「日本の最も驚嘆すべき産物は婦人である。もちろん彼女を作るには幾千年もか かっているが、日本の婦人は日本人と同じ種族に属していないぐらい立派である。おそらくかかる形の婦人は今後十万年くらいは再びこの世に出現しないだろう ―――この驚嘆すべき言葉は…ラフカディオ・ハーンの明治三十七年の著書に発見されるのである。……これは女性を礼賛していて、その実は女性侮蔑の言葉で ある。過去の日本がいかに男性のための国であったかを証明する言葉に外ならない。ハーンの知性も男性としての本能の前には曇らざるを得なかったのだ。アメ リカの男は女性を喜ばせるために全力を注ぎ、日本の女性は男性を喜ばせるために献身するという見方もある。男女同権になって、日本婦人も一歩一歩自覚を高 めているようだ。自覚は男性に従属するだけの環境に満足させなくなるに違いない。その意味では男性のための、かかる形の婦人は十万年くらいは現れないとい う予言は当たるであろう」と。
無我献身の美徳を復活せよ
しかし、ハーンの驚嘆し賛美した日本の女性の美しさは、従順と無我献身であったのである。これに対するこの新聞記者の批評は従順と無我献身することを、 「相手に対する従属」とみとめ、それを「自主精神の欠乏」であると見ているのである。一見、合理的に見えるこの民主主義精神は、人間から従順と無我献身の 精神を奪い去り、自己主張と自己発展とのためには闘争を辞せないのが美徳であると推賞するものであって、家庭内にも、産業界にも内部闘争と内部紛争を常に 巻き起こす争闘の合理化論であるのである。無我献身の精神と従順の美徳は、真の民主主義の根本であるところの「先ず与えよ、与えられん」を言いかえたもの に過ぎないのである。この精神によってのみ、平和国家、平和世界が建設されるのである。争闘によって自己発展自己拡大をはかることを民主主義とみとめるな らば、国内はストライキや群衆示威によって内部闘争はあとを絶たないことになり、国際的には戦争によって自国の発展と拡大とを図ることになるから、かかる 似非民主主義は、戦争を根絶する思想とはおよそ甚だ遠いのである。アメリカでも真の民主主義は「先ず与えよ、与えられん」のイエスの教えを実践することで あって、この語を別の言葉で言い換えれば「無我献身と従順」ということになるのである。「無我献身」をもって、封建思想なりと排斥した「民主主義」の押し 付け的植え付けは、アメリカが占領中に、日本を弱体化そうとして行った日本における失敗の第一であって、今や従順でなく自己主張のために絶えず争闘を考え ている民衆をこしらえて、朝に皇居前の乱闘、夕べに学園における学生警官の乱闘を惹き起こして、その功罪はあきらかになりつつあるのである。(つづく)
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