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聖典引用 板
1031
:
金木犀
:2012/07/28(土) 15:50:25 ID:auusu5IE
日本再建の道を拓くもの(5) 谷口雅春先生 『生長の家』誌昭和57年8月号
忠孝の感情を育成せよ
称するところの民主主義が、日本の家族制度の美風を破壊するために利用されたということは、小中学の教科書に「忠孝」の文字が一字も見当たらぬようにされ ているということである。
「家」とか「忠孝」とかいうのは封建思想だというのである。もっとも、占領軍にとっては、被占領国民が旧支配者に「忠」であって は占領行政に困難を生ずる点もあるので、「忠」を非民主主義的道徳として排斥したのは、占領政策としてやむを得ないことは諒とし得る。しかし「孝」を排斥 してしまったのはどういう訳であろうか。母の日を設定して、その日には胸にカーネーションの花を挿して母の愛を偲ぶ風習はアメリカから講和後になって日本 に来たのである。
「孝」は必然的に、血をもって過去の歴史的連続に直結する。そこから歴史的連続としての天皇直結の日本国家への「忠」が再発するおそれが あるから、言うところの民主主義の原則に従って「老年の親というものは子どもが愛情をもって養う必要はない。それは社会保障制度によって社会が養老院を 造って養えばよい」という風に、「子」との愛情的つながりを切断した。そして遺産相続も「家督相続をする長男」という家を護る役目の特定の「子」がなく なったので、その遺産は平等に分配される。従って兄弟姉妹互いに、「わしばかりが親孝行する必要はない。お前だって財産を分けてもらったのだから、お前が 親孝行すればよい。という風に、親孝行の譲り合いをして、実際には一人として親に孝養を尽くすものがなくなるのである。私はこういう実例を、沢山見てい る。わたしは、決して、親というものが老年になって子供から経済的援助を期待するのが正しいと言うのではない。それを期待すべきものとも思っていない。し かし親たるものが求むるものは、生活の社会保障制度によって人間的愛情のない養老院という機構で世話されるということではないのである。彼らが求めるもの は、肉親の温かい愛情であるのである。愛のない社会保障機構が自動的に世話してくれても、それは肉体は栄養を取ることができるにしても、魂は栄養をとるこ とが出来ないのである。いわゆる民主主義による「家」の制度の破壊はかくのごとくして親子の間の魂の間の暖かいつながりを遮断して、魂なき形骸に置き換え たのである。これによって家庭争議、親子喧嘩、兄弟蛎に相せめぐ状態が頻々と起こるようになって、日本国は内部闘争によって弱体化せしめられたのである。 これは占領軍が被占領国を弱体化する政策としては好個のものであったにしても、独立国の日本を強化するためには「家」の理念を復活し「家」の制度を復活せ しめなけれはならないのである。(つづく)
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