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Last Album

1 ◆xh7i0CWaMo:2014/09/28(日) 21:14:58 ID:jDTTQVVk0
収録作品

1.墓碑銘(Prelude)
 2014年08月作 01KB

2.涙を流す日
 2011年10月作 83KB

3.午前五時(Interlude 1)
 2013年04月作 03KB

4.雷鳴
 2012年09月作 28KB
 
5.ちぎれた手紙のハレーション
 2014年08月作 31KB

6.聖夜の恵みを(Interlude 2)
 2011年11月作 03KB

7.明日の朝には断頭台
 2014年09月作 28KB

8.壁
 2012年07月作 27KB

9.ジジイ、突撃死
 2014年09月作 26KB

10.ノスタルジック・シュルレアリスム(Interlude 3)
 2014年08月作 03KB

11.葬送
 2012年03月作 78KB

12.最初の小説(Interlude 4)
 2013年04月作 03KB

13.どうせ、生きてる
 2014年09月作 31KB

投下スケジュール
#1〜#2  09月28日夜
#3〜#4  09月30日夜
#5     10月01日夜
#6〜#7  10月03日夜
#8     10月04日夜
#9     10月06日夜
#10〜#11 10月08日夜
#12〜#13 10月10日夜

20 ◆xh7i0CWaMo:2014/09/28(日) 21:44:03 ID:jDTTQVVk0
掲載雑誌の質の問題もあり、体験談の一切を鵜呑みにするわけにはいかない。
しかし、その記事を口火に、あらゆる週刊誌、及びオカルト系専門誌に、
似たような話題が続々と取り上げられるようになった。
 
街へ向かう行方不明者には幾つかの共通点があった。

行方不明者には明確な動機が無い。皆、その直前までごく普通の生活を送ってきた一般人だ。
そして、姿を消す際には必ず『分からないから向かいます』という短い書き置きを残す。
そしてしばらくすると、ごく事務的な電話がかかってくる。

もう戻れないという旨、そしてそれに関する問題事項を解決する旨が、
その人に最も近しいと思われる人に伝えられる……。
 
街に乗り込んだ人は、私以前にも何人か居たようだ。
しかし彼らは全員、電話と同じような内容を行方不明者本人から淡々と述べられ、
体よく帰されてしまったという(中には不明者と共に街へ住み着いた者もいるというが、真相は定かでない)。
 
これらは全てタブロイド誌レベルの規模でしか報じられず、
テレビや新聞でこの話題が取り上げられているのを、少なくとも私は見たことが無い。

理由は幾つか考えられるが、その最たる者は行方不明になること自体に、事件性が無いということだろう。
不明者は必ず現れるし、彼らは全員完全なる自由の身でいる。誰かに脅迫されているような形跡は一つも無い。
意識の変遷に些か疑問が呈されるが、あまりにも説得力に欠ける。

それ以上のものが事実として何も見えない限り、大マスコミが追及するネタでもない。
それらは、背後にあらゆる陰謀を夢想する人達の役割だ。

21 ◆xh7i0CWaMo:2014/09/28(日) 21:45:34 ID:jDTTQVVk0
かつて『彩色の奇跡』という、史上最も大規模で不可思議な現象の起きたその土地は、
超常現象の土壌にはうってつけだったのである

事実、面白おかしく取り上げている雑誌群はカルト教団や国際組織、
果ては秘密結社の影を指摘したりもしたが、証拠らしい証拠は何一つ無く、
むしろ取材すればするほどそれらから無縁であることが判明する有り様だったようだ。

最も真実味を帯びていたのはかつてその地で一大産業を築き上げた件の実業家の陰謀という説だったが、
それにも確たる根拠があるわけでもなかった。
 
斯くて、一連の報道はオカルトの域を出ない話題性と、
ニュースバリューそのものの減退によって徐々に誌面での存在感を潜め、
結局は初出から一年足らずで完全に姿を消してしまったのである。

※ ※ ※

22 ◆xh7i0CWaMo:2014/09/28(日) 21:47:53 ID:jDTTQVVk0
ホテルへ戻る途上、私は老婆に質問攻めを仕掛けることにした。

(´・ω・`)「雑誌で見ました。ここに、全国から行方不明者が集まっていると」

('、`*川「全国というより、全世界だな。色んなところから色んな人種が集まっているよ。
     もっとも、数自体はそれほど多くないが」

(´・ω・`)「貴方もその一人ですか?」

('、`*川「ふん、どちらでもないな。だが、ここで暮らす権利はある」

(´・ω・`)「権利? ここで暮らすには何か資格が必要なのですか?」

('、`*川「下らない話だがね。その資格を決めたのは、別に神様というわけじゃない。
      しかし、資格は資格だ。誰にだって従ってもらう」

(´・ω・`)「彼女……妻にはその資格があったのでしょうか」

('、`*川「だからここへ来たんだろう」

(´・ω・`)「そのことは、雑誌には書かれていなかったな」

('、`*川「当然だ。今まで誰にも話していない。間違っても売文の連中に話すものか」

(´・ω・`)「では、それを私に話したのは、私にその資格があるからですか?」

('、`*川「いや。ただ、もう隠し通す必要もなくなっただけでね……
     そういえばお前、風邪でも引いているのかい。ぼうっとした顔をしているが」

(´・ω・`)「まあ、似たようなものです。ところで、貴方は何をしていたんです? 随分遠くに行っていたようですが」

('、`*川「ちょっとした野暮用さね……」

23 ◆xh7i0CWaMo:2014/09/28(日) 21:50:48 ID:jDTTQVVk0
老婆が言葉を濁した辺りで、私たちは駅に隣接した巨大なリゾートホテルの前に到着した。
外からは灯りを確認できない。黒く聳え立つその影を例えるならば墓標か、頑健な焼失……
或いは、データセンター。いずれにせよ、飲み込まれるには多少の度胸が要る。

('、`*川「客を接待する機能はとうの昔に失われておるからな。節電も兼ねて、必要外の電灯は全て消してあるんだ。
     だからお前のように、あちこちうろつき回る奴がたまに出てくる。何とも面倒な話だよ」

(´・ω・`)「その点については謝ります……しかし、それではここにいる人達は何処に集まっているんです? 
      食事すら暗闇で行うわけではないでしょう。ラマダンじゃあるまいし」

('、`*川「地下に宴会場として使われていた広間がある。皆、そこで飯を食うんだ。そして、話し合う」

(´・ω・`)「何を話すんです?」

('、`*川「おかしなことを言う」

老婆は私の方を向いて目を細めた。

('、`*川「話すことなど幾らでもある。話さない方が難しいくらいだ。
     ……しかしあんたは良い時に来たね。今なら、益々話が盛りあがっとる筈だよ」

24 ◆xh7i0CWaMo:2014/09/28(日) 21:52:54 ID:jDTTQVVk0
ははあ、と非生産的な相槌を打つ。そして老婆の後に続いて自動ドアから中へ入った。
恐らくはエントランス的な空間が広がっているのだろうが、薄暗くていまいち見渡し難い。老婆を支える杖の、
鈍い輝きだけを頼りに、足音を吸う絨毯の上を進む。

('、`*川「下りの階段だぞ、気をつけて。……お前、ここへ来たことは?」

(´・ω・`)「中学の頃に一度。もう、十五年も昔になりますね」

('、`*川「そうか。無論、アレは見たんだろうな」

(´・ω・`)「見ましたよ。素晴らしかったです」

('、`*川「ほう、どんな風に」

(´・ω・`)「……当時、テレビで言っていたような具合です」

例えばこんな感じ――
一見珍妙に見える壁画には、我々の本能に問いかける得体の知れぬ迫力がある。
それは理論的に解明できるものでは無い。しかし、だからこそ素晴らしいのだ。

まるで集合的無意識の存在を肯定するかのごとく、
全ての人間に感銘を与えるこの芸術は、真の感動とは分析し得ぬものであると再び説得してくれるのである……。

今にして思えば、随分と人を食った意見だ。
納得できない、しかし納得しなければ嘲られるような、自尊心との格闘を強いる内省的な論評……。

25 ◆xh7i0CWaMo:2014/09/28(日) 21:54:33 ID:jDTTQVVk0
(´・ω・`)「それはともかく……貴方は夕食を摂らなかったのですか?」

老婆はその問いに答えず、杖で階段を叩きながらかぶりを振った。

('、`*川「お前はわけの分からん男だね。普通、こういう時はもっと質問すべき問題を質問するべきだ。
     色々あるだろう。お前の家族のことや、失踪した理由や……」

(´・ω・`)「そういう核心は、尋ねても答えてくれないと思いまして」

「そうかね。まるで、核心へ近づくのを避けているように聞こえるがね」
 
私が真実を恐れているという老婆の推測は、半分程度当たっていると思う。
だから私はそこで要望通りの質問を投げつけることなく、沈黙することにしたのだ。
とは言え、そればかりが私の心持ちであるわけでは、当然無い。
 
地下二、三階には手頃な広さの宴会場が幾つかあり、更に下ると大規模のシアター・ホールがある。
そしてその下には会員制のクラブやカジノめいたものまで軒を連ねていると言われていた。
あらゆる客層への対応を求められていたこのホテルは階層によって来訪者の品格を大まかに区分けていたらしい。

高層へ上れば上るほど、或いは地下へ下れば下るほど、私たちの手の届かぬ世界が広がっているのだ。
このホテルのエレベーターは、私たちの使うものでは上層、下層の途中までしか移動できず、
逆に賓客のためのそれでは、最上層、最下層付近にのみ向かえる仕組みであったと記憶している。

地下三階まで下りると、光の漏れる大仰な扉が私たちを待ち受けていた。
私は老婆に許可を取ることもせずそれを押し開いた。

26 ◆xh7i0CWaMo:2014/09/28(日) 21:56:19 ID:jDTTQVVk0
まず、映える程度には高い天井が目に入った。
豪華な装飾などはなく、嵌め込まれた蛍光灯が饗応空間に明かりを供している。

そこから徐々に視線を下げる。やはり私は核心に触れたがってはいないようだ。
一般的な結婚式を挙げるには丁度良い広さの場所に、五、六十人程度の人々が、
椅子に座って会話を交わしている。

中には私たちに気付いて視線を向けている者もいるが、さほど警戒しているような節はない。
新興宗教の集会を彷彿とさせるような不気味さもなく、
つまり、そこそこ上流に見える談笑がごく普通に執り行われているようだった。

('、`*川「ところで、お前は嫁さんを探しているのだったね」

(´・ω・`)「……ええ、間違いなく」

老婆の問いに、私は視線を彷徨わせながら答えた。

(´・ω・`)「しかし、ここには居ないようですね」

※ ※ ※

27 ◆xh7i0CWaMo:2014/09/28(日) 21:59:19 ID:jDTTQVVk0
妻について。
 
妻に出会ったのは大学二年の時。
所属していた文化系サークルの一つ後輩として入ってきた彼女は、私にとっては最高に可愛らしい女性だった。
私は多大なる努力と多大なるアピール、そしてちょっとした先輩面を使って彼女と付き合うことに成功した。

私にとって彼女は初めての恋人であり、彼女にしても同様だった。
 
それからの偉大なる、愛すべき日々について書き並べていけばきりがない。
だから割愛しておくが、些細な喧嘩に陥ることはあれ、私は常に、誰よりも彼女を愛していたし、
彼女もそうだった(と、思う)。

私たちの関係は周囲に気味悪がられるほど長く続き、大学を卒業して私がサラリーマンに、
彼女が実家暮らしのフリーターになってからも、二人の間柄は何一つ変わらなかった。
 
社会に出てすぐ、彼女に子どもが出来た。もう少し自由に生きていたかったという後悔はあったものの、
いずれそうなることは必然だと互いに考えていたため、私たちはすんなりと結婚をした。
そして夫婦になり、子どもが生まれた。

それからは益々幸福だった。私は私の中で、地上で一番幸せな男よりも遙かに幸せだった。
何一つ懸念は無かった。仕事は波を受けながらも順調で、妻との関係も、息子との関係も良好そのものだった。
当時の私はたぶん、人生の中で最も小市民として死んでいくことに妥協が出来ていた時期だと思う。

ただ、そんな人生はある日、驚愕すべき形で終焉を迎えた。息子が車に撥ね飛ばされ、逝ったのだ。

28 ◆xh7i0CWaMo:2014/09/28(日) 22:02:20 ID:jDTTQVVk0
……あの時のことを想起するたび、私はもう少し感傷に耽るべきなのかもしれない。泣きくれても良いはずだ。
不幸が訪れてまだ一年も経っておらず、一般的に傷が癒えるほどの時は過ぎていない。
 
だが、息子が逝ったときもそうだった。病院で青ざめた息子に対面したときも、
葬式で喪服に身を包み、弔辞を読み上げたときも、暗い焼却炉で骨になった彼を摘んだときも、
私は一滴の涙すら零さなかった。
 
妻はそうではなかった……当然だ、そうあるべきだ。死の直後こそ冷静を装っていたが、
通夜を済ませた辺りで彼女は、乱暴に言えば発狂した。咆吼のごとき号泣で数夜を明かし、
そして身近な人物……つまり私に、ある種哲学的な問題を何度もぶつけた。

何故あの子は死んだの。何故死ななければならなかったの。何故。
何故……最もどうしようもない疑問詞だ。その答えが得られる場合は驚くほど少ない。
 
私も当然、彼の死の意味について考えた。忙しいぐらいに考え続けた。
だから私は涙の一つも出なかったのかもしれない。私の涙は、答えを導き出せるまでお預けを食らったのだ。
しかし、答えは出なかった。いつまでも私は泣かなかった。今日まで、一度も。
 
それゆえ、私と妻は同じような心境でいたのだと信じている。
表現方法が少し異なっていただけなのだ。ただ、そんなことは妻には理解できまい。
彼女は、涙の一つも見せぬ私を、もしかしたら恐怖さえしていたのかもしれない。

それは仕方ないことだと思う。思えばそれは、私と妻の間における、唯一にして最大の齟齬だった。
不幸の帳が降りて以来、私たちは極端に互いへの干渉を避けるようになった。
お互いがお互いの世界へ消え入りそうだった。

29 ◆xh7i0CWaMo:2014/09/28(日) 22:06:31 ID:jDTTQVVk0
そして数ヶ月後、妻は唐突に失踪した。私は、それが必然であるかのような錯覚すら感じた。
だから、テーブルに置かれた『分からないから向かいます』という短い書き置きが、
以前に雑誌で見た噂の通りであるのか、それとも彼女の本心なのか、判別に苦しんだものだった。
 
妻が失踪したのは一ヶ月ほど前。私は今日まで、一度も彼女を捜そうと思わなかった。
私の説得など関係なく、彼女は戻るべき時には戻るし、その日が来なければ永く消えるだけだと感じたからだ。
信頼ではなく、逃避に似た心持ちだった。

※ ※ ※

30 ◆xh7i0CWaMo:2014/09/28(日) 22:09:20 ID:jDTTQVVk0
('、`*川「ここに居ないとなると、もう部屋に戻っておるのかもしれんな」

老婆は軽く頷き、私を見上げた。

(´・ω・`)「探してきてやろう。嫁の名は?」

私が妻の名前を告げると、老婆は幾分複雑そうな表情を見せた。深く溜息を吐き、背後の扉へ振り返る。

(´・ω・`)「……もしかして、妻はここにいないのですか?」

('、`*川「いや、そういうわけじゃない。ちゃんとおるよ、心配ない」

彼女はそう言い、後ろを向いた。

('、`*川「暫くここで待っていると良い」
 
そうして、案外と身軽な動作で扉の外へと消えていく。
手持ち無沙汰になった私は改めて前を向く。すると、こちらへ近づいてきている四十路近辺の男と目が合った。
スーツ姿の紳士……整った髪型は、私に職場の上司を思い起こさせた。

31 ◆xh7i0CWaMo:2014/09/28(日) 22:12:20 ID:jDTTQVVk0
(´・_ゝ・`)「初めまして」

彼はそう言うと右手を差し出す。何の気無しにそれを握ると、男は深く頷いた。

(´・_ゝ・`)「そう、その通り。何もかも、握手無しには始まらない」

(´・ω・`)「貴方は、ここに住んでいる方ですか?」

(´・_ゝ・`)「ええ。どうです、貴方もご一緒に。丁度、面白い話をしていたところなんですよ」

紳士はそう言って私を、彼らの円卓へと案内してくれた。
数人の男女がテーブルを囲み、何やら熱心に話し込んでいる。
私が近づくと、彼らは緩い笑みを浮かべて空いた椅子を示してくれた。

32 ◆xh7i0CWaMo:2014/09/28(日) 22:15:28 ID:jDTTQVVk0
(´・_ゝ・`)「ようこそ、この場所へ」

白い絹で覆ったパイプ椅子に座った私へ、先ほどの紳士が再び挨拶を始める。

(´・_ゝ・`)「貴方は意識的にここへ? それとも、誰かを探しておられるのですか?」

(´・ω・`)「人捜しの方です……迷子になっていたところを、お婆さんに助けられて、ここに。
     ……そういえば、あのお婆さんは何者なんです?」

(,,゚Д゚)「婆さんは爺さんの妾だよ」

向かいに座る筋肉質の男が吐き捨てるようにして言う。

(,,゚Д゚)「愛人って奴だな。最も、今じゃただの付き人って具合だが」

(´・ω・`)「爺さんと言うのは?」

(,,゚Д゚)「決まってる、この街のパイオニア……嘗て世界で最も成功したビジネスマンだよ」
 
『彩色の奇跡』を発見し、この街を街と成し、一大産業を築き上げた実業家が、失踪の黒幕であるという。
週刊誌の推測は的を射ていたと言うことになる。
さながら下手な鉄砲だった推論を称揚する気にはまるでならないが。

33 ◆xh7i0CWaMo:2014/09/28(日) 22:18:35 ID:jDTTQVVk0
それよりも気になるのは、卓を囲んでいる面子である。

全員が、示し合わせでもしていたかのように、ちぐはぐの身分である風に見える。
最年長は私の右隣に座っている好々爺然とした老人、最年少は恐らく、
その向こうで澄ましている女子高生風の少女であろう。私を含めて全員で六名、共通点は何も無いようだ。
 
他のテーブルを見遣ると、そこでも果てしも無い議論が繰り広げられているようだった。
数は少ないが、外国人ばかりで占められている卓もある。
どうやら、失踪者の集会は世界規模で行われているらしかった。

ミセ*゚ー゚)リ「じゃあ、お話を続けましょうよ」

私たちの円卓で、三十手前のキャリアウーマンらしい容貌の女性がせがむ。

ミセ*゚ー゚)リ「先ほどは、どこまで話を進めていたかしら」

(´・_ゝ・`)「ああ、定義づけをしようと言うところまで話したな」

紳士が呟き、私に会話への参加を促した。

(´・_ゝ・`)「貴方はどう思われますか。我々は今、不幸の定義づけについて話していたところなんです」

34 ◆xh7i0CWaMo:2014/09/28(日) 22:21:28 ID:jDTTQVVk0
(´・ω・`)「……何ですって?」

(´・_ゝ・`)「不幸ですよ。例えば、別々の人が全く同じ体験をしても、
      それによって感じられる不幸は人それぞれ違う程度じゃないですか。
      これはどういうわけか、そして不幸の基準をどのように取り決めればいいか、という話です」

*(‘‘)*「やっぱり、過去の体験が基準になるんじゃない?」

女子高生がフランクにそう述べる。

*(‘‘)*「初恋だと、フラれた時にすごいショックだけど、五回目だとそんなでもない、みたいな。
    慣れっていうか……ま、慣れればいいってもんじゃないだろうけど」

( <●><●>)「だが、未来も関わっていると思う」

と、少女とは最も歳を隔てている老人。

( <●><●>)「残された未来の日数が減るにつれ、不幸の衝撃も減じる気がするんだ。
        つまり、不幸は人生おいて、浪費に似たものではないだろうか。
        そして浪費を悔いる思いは、その日々の重要さに比例する」

35 ◆xh7i0CWaMo:2014/09/28(日) 22:25:31 ID:jDTTQVVk0
(´・_ゝ・`)「ああ、なるほど……お二人の意見を総括すると」

と、紳士。

(´・_ゝ・`)「不幸には時間が関わっているのですね。現在だけの事象ではない……
      ふむ、実に納得できる意見ではありますが、こうして纏めると少し在り来たりであるように感じられますね」
 
私は一抹の不気味さを感じた。
不幸などと言うつかみ所のない問題を、老人が論じるのはまだ分からなくもない。
しかし、女子高生までがその議題に嬉々としているのはどういうことだろうか。

私と同年代であるはずのキャリアウーマンも津々と興味の尽きぬといった顔で聴き入っている。共感しがたかった。
私たちの世代は、普段もっと別の話題で盛り上がっているはずだ。
バラエティー番組とか、来週の飲み会とか、人事制度への愚痴とか、経理課の女子社員が寿退職するとか……。

何にせよ、こんな会話に人生を費やす時期では無い筈である。

(´・_ゝ・`)「どう思われます?」

気がつくと、全員が私の顔をのぞき込んでいた。

(´・_ゝ・`)「貴方にも、是非知恵をお貸し頂きたいのですが」

36 ◆xh7i0CWaMo:2014/09/28(日) 22:28:46 ID:jDTTQVVk0
私は腕組みをして考え込むふりをした……いや、実際に考えることにした。
誰もが、本気で私の答えを待ち構えているようだったからだ。

今までに、利害が絡む問題以外でこれほど真剣に言葉を求められたことがあっただろうか。
そう思うと得も言われぬ快感すら競り上がってくるが、背筋のこそばゆい感覚は拭えない。
 
やがて私は、意見の体を成しているのか分からない、実に日和った答えを呈した。

(´・ω・`)「結局は、不幸を感じる人がどういう人であるか、という部分に集約されるのだと思います。
      つまり、その人が不幸に対してどの程度の耐性を持っているのか。
      そして、不幸は概して個人的な問題です。

      先ほどの例で言えば、失恋を悲しむのは自分自身に他ならない。
      相手の不幸を悲しむという感覚だって、自身の空白に似た心情を埋める代償行動に過ぎないわけです。

      何故そんな行いをするか。それは、自分自身に、まあ最低限の価値ぐらいはあると信じているからです。
      自分が重大な病を患った時、それを不幸と感じない人は、別段自分の命に意味を感じていない人でしょう。
      それが淋しいかどうかはともかく、不幸とは要はそのようなものだと思うのです。

      その人が感じる不幸の強さは、自意識の高さに反比例するのではないかと……」

※ ※ ※

37 ◆xh7i0CWaMo:2014/09/28(日) 22:32:37 ID:jDTTQVVk0
その後も議論は続いた。そしてその内、誰からともなく止んだ。答えは出ずじまい。
幸い再び発言を求められることは無かったが、紳士に最初の発言への、いかにも社交辞令的な賛辞を受けた。

(´・ω・`)「皆さんは、いつもこんな事を話し合っているのですか?」

と、私は全員に向かって問うた。

(,,゚Д゚)「ああ、大体いつもこんな感じだ」

筋肉質の男が応じる。

(,,゚Д゚)「昨日は宇宙に果てがあるのかどうかについて語った。一昨日は四次元世界についてだったな」

(´・_ゝ・`)「私たちは大抵、分からないことについての話をするのです。その方が、浪漫があるじゃ無いですか。
      ここに来るまでは見知らぬ者同士であったわけですし、小さな世界での話よりも、
      そういった大きな疑問の方が会話を弾ませやすいのです」

紳士の言葉に、私は一応納得する。ただ、それにしたって随分と変わった趣味の持ち主達だ。
もっとも、このような場所で共同生活をしているような人々と、考えが同じであるはずもないのだが。

38 ◆xh7i0CWaMo:2014/09/28(日) 22:35:29 ID:jDTTQVVk0
(´・_ゝ・`)「それにしても、貴方の考え方はこの場所にぴったりですよ。
      外部からやってくる人と話を合わせる事に、いつも苦労しているのですがね」

(´・ω・`)「……それはどうも」

( <●><●>)「その若さにしては、酷く淡々としておられる。
        希望も絶望も、全てを同じ感情で受け入れる準備が出来てしまっているようだ。
        まるで、空から爆弾の降ってきた時代を過ごしてきた風にも見える」

老人の言葉に、私の顔が虚を衝かれた表情を作る。
素直に言い当てられたことを認めたいような、しかし自分の中で整理のついていない感じ……。

(´・ω・`)「私には、些か不思議なのです。
      大きな問題は、ほぼ必ず解答を得られない。それは途轍もなくもどかしいことではないですか。
      そして、何一つ前に進まないのに、心の中に蟠りばかりが山積していく……。

      それに何の意味があるのでしょう。
      それは、それに費やした時間に釣り合う見返りを期待できるものでしょうか」

( <●><●>)「なるほど、なるほど、よく分かる。大抵の人にとってはそうだ。
        大きな問題は、解決出来ないがために鬱屈とした怒りを生む。
        我々が人生を歩んでいく上で、絶対に付き合っていかねばならない類いの怒りだな。

        我々が求めているほど、世界は答えを用意してくれてはいない」

(´・ω・`)「失礼ですが、貴方はもう、随分お歳を召しておられますね。
      ならば、残された時間の価値について、最も関心を寄せているはずではありませんか……
      いえ、否定しているわけではないのです。しかし、どうも私には共感しがたく……」

39 ◆xh7i0CWaMo:2014/09/28(日) 22:38:35 ID:jDTTQVVk0
言いながら私は、こんなに滔々と喋るのは久しぶりだな、と思った。
例え無意味に感じられても、大きな問題を論じる時には多少なりとも脈拍値が上昇するものであるらしい。

そして私には、はたと思い当たるものがあった。
二ヶ月前、妻が残したメッセージの内容だ。彼女が『分からない』こととは、
今まさに話し合っていたような大きな問題についてでは無かったのだろうか。

もしそうだと仮定すれば、この議論自体がサブリミナル的な洗脳である可能性も考えられる。

それについて老人が答えを寄越してくれるよりも前に、私が入ってきた扉が勢いよく開かれた。
老婆が戻ってきたのかと思ったが、違った。そこには私と同じぐらいの年齢の男性が、息を切らせて立っている。

( ・∀・)「おいみんな、大変だ」

彼は空間全体に十分行き渡る大きさの声で全員に呼びかける。

( ・∀・)「死人が出たぞ」

40 ◆xh7i0CWaMo:2014/09/28(日) 22:41:50 ID:jDTTQVVk0
その言葉に、真っ先に反応したのは同じ卓の紳士だった。
彼は立ち上がり、一直線に叫んだ男の元へ向かう。
そして幾らかの会話を交わした後、私たちの方へと引き返してきた。

(´・_ゝ・`)「すみません、男性の方は手伝っていただけますか。いつもの通り、処理しますので」

(´・ω・`)「何があったんです?」

思わず私は訊ねる。

(´・_ゝ・`)「半月ほど前にここへ来た白人の男性が、先ほど首を吊って自殺したようなんです。
      まあ、ここでは珍しくもないことです。場所は彼が使っていた私室……
      元は客室だったところで、六階にあります。

      遺体をそのままにしておくわけにもいきませんので、男手を使って運び出し、
      共同墓地として使用している近くの公園に埋葬するのです。

      もっとも、今日のうちに全てを済ませようというわけではありません。
      ともかく遺体を動かしてベッドに寝かせておきます。埋葬は明朝に行われるでしょう」

41 ◆xh7i0CWaMo:2014/09/28(日) 22:44:45 ID:jDTTQVVk0
紳士は淀みない調子で私に簡単な説明をしてくれる。
恐らく、この手の質問を何度もこなしてきているのだろう。
もしかしたら、彼はこの中で一番ベテランなのかもしれない。

(´・_ゝ・`)「そこで、諸々の作業を協力してやらねばならないのですが……」

(,,゚Д゚)「勿論、俺は行くぜ」

筋肉質の男が立ち上がる。

(,,゚Д゚)「しかし奴め、くたばっちまったんだな。いつかはそうなる気がしていたが……」

(´・ω・`)「すみません、私もついて行って構いませんか。邪魔になるかもしれませんが……」
 
咄嗟に私がそう申し出たのには理由がある。
一つは、今のやり取りで解消しておきたい疑問点が生じたこと、
そしてもう一つは、彼らの習慣というものを少しでも目の当たりにしておきたかったからだ。

紳士はやや驚いた表情で私を見たが、

(´・_ゝ・`)「決して楽しい行為ではありませんよ」

という言葉の後に承諾してくれた。

42 ◆xh7i0CWaMo:2014/09/28(日) 22:47:36 ID:jDTTQVVk0
私たち三人と、呼びにきた男を合わせた四人でエレベーターの方へ向かうことになった。
これからの作業を思って憂鬱を噛み締めるのかと思いきや、
部屋を出た途端に筋肉質の男が細かい息を吐いて話し始めた。

(,,゚Д゚)「この場合、死に遅れとでも言うんだろうな。ブームはとうに過ぎたってのに」

(´・_ゝ・`)「仕方ありませんよ。彼はまだ、来て間もなかったのですから」

と紳士。

(´・_ゝ・`)「とは言え、ここまで生きてきたからには、最期まで共にしたかったですがね。残念なことです」
 
婆さんに伝えてくるという呼びにきた男をエレベーターに残して、私たちは六階で降りた。
さして広くない廊下の両側に多くの扉が並んでいる。

昔のことは、やはり思い出せなかった。
こんな具合の一般的なホテルの一般的な個室に宿泊したイメージは取り出せるが、
それが確たる記憶であるという証左はまるでないのだ。

(´・ω・`)「そういえば」

件の外国人が住んでいたという部屋へ向かう途中、私は気になっていたことを訊くことにした。

(´・ω・`)「ここでは、自殺は珍しくないのですか?」

(,,゚Д゚)「ああ、十日ほど前に結構死んだ。あの時は大変だったな。てんてこ舞いだった。
    どいつもこいつもメンタルが弱すぎるんだよ、最期の瞬間まで生き続けるって気概が無い」

(´・ω・`)「最期の瞬間?」

(,,゚Д゚)「もうすぐ、みんな死ぬんだから」

43 ◆xh7i0CWaMo:2014/09/28(日) 22:50:00 ID:jDTTQVVk0
何やら彼が重大な事実をさらりと言ったような気がした直後、紳士が「ここです」と立ち止まった。
当たり前だが、何の変哲も無い普通の扉がそこにはある。

私は何となく道徳を重んじ、口を噤む。紳士はポケットからマスターキーと思しき鍵束を取り出して扉を開錠した。
そして真っ先に室内へ入り、残った私たちに手招きをする。

若い風貌の白人は、天井に器用に引っかけたカーテンで首を吊り、窓の外を見ながら死んでいた。
垂れた舌が乾ききっているように見える。話に聞く汚物のようなものは見当たらず、安堵できた。

自殺した遺体に直面するのは初めてだったが、さほど衝撃的でもなかった。
目の前の死が現実離れしているように感じているのかもしれない。
そう思うと、男の遺体が何だか滑稽なものであるように見えてきた。

それは、先ほど円卓で大きな問題を取り扱っているときの心情に似ていた。
 
窓外は既に夜の景色だった。最低限の灯りが街路を照らしているのを眺望しながら、三人で遺体を下ろす。
魂のいなくなった彼の身体は外見よりも重く感じられた。まだ温かいような気もする。
ベッドに寝かせて布団を掛けてやると、神聖な匂いが漂ってくるようだった。

誰からともなくその姿に手を合わせる。しばしの沈黙、やがて紳士が顔を上げた。

(´・_ゝ・`)「さて、後は明朝ということになります。お疲れ様でした」
 
やけにあっさりとした流れ作業だった。死とはこの程度のものなのだろうか。
今まで私が立ち向かってきた死は、どれも丁重に扱われてきたものだった。
少なくともその瞬間、死に行く人は多くの人々にとって物語の主人公だった。
 
今、目の前の死にふさわしい尊厳は与えられているだろうか。
本来ならば彼を、親族の元にでも帰してやるべきなのかもしれない。
だが、互いの素性を理解していないこの場所で、その手続きは決して容易なものでないだろう。

当たり前の事だが、私たちは死すら事務的に考えなければならない……。

44 ◆xh7i0CWaMo:2014/09/28(日) 22:53:49 ID:jDTTQVVk0
('、`*川「ああ、ここかね」
 
背後から声がし、振り返ると老婆がこちらに向かって歩いてきていた。
彼女はベッドの遺体を少し見遣った後、私たちに労いの言葉をかけてくれた。

('、`*川「特にお前は、今日ここに来たばかりなのに手伝わせてしまってすまんな……
     ああ、そういえばお前の嫁、二十七階の九号室にいるぞ。会いに行ってやれ」
 
そうだった、私の本来の目的はそれだったのだ。
目まぐるしいばかりの光景に忘れかけていたばかりか、あまつさえこの場所への興味に気を取られてしまっていた。
私は、もっとこの街を、場所を理解したかった。その必要も無いのだろうが、知的好奇心を擽る何かがここにはある。
 
私は不意に緊張を感じた。ようやく妻と相対するという現実。
一言目に、私は何と言うべきなのだろう。そして、それからどのような会話をすればいいのだろう。
妻は私に何を語るだろうか。
 
老婆と紳士、筋肉質の男に頭を下げ、私はエレベーターで二十七階へ向かうことにした。

※ ※ ※

45 ◆xh7i0CWaMo:2014/09/28(日) 22:56:48 ID:jDTTQVVk0
二十七階へ向かうには、少々面倒な手続きが必要だった。
まず一階まで下りてから、高層用のエレベーターに乗り換えなければならなかったのだ。

それは妻のいる場所が、我々庶民とは一線を画していることを示唆していた。
妻はそこに居住しているのだろうか。その厚遇には、一体どのような意味があるのだろう。
 
ここに来てから疑問ばかりが浮かんでくる。そして、どれ一つとして解決していない。
目下のところ最も気に掛けなければならないのは、筋肉質の男が言った「もうすぐみんな死ぬ」という一言だろう。
そこには冗談めいた雰囲気は感じられなかったが、同様に深刻な表情も垣間見えなかった。
 
あの時にもう少し詰問しておくのも一つの手段だったが、どうせなら妻に一括して訊ねた方が効率的だ。
この変哲極まりない場所で、最も信頼できるのが妻であることは間違いないのだから。
 
そこまで考えたとき、私は私が妻に逃げられた夫という身分であることに初めて自覚した。
まるで、今の今まで完全に忘却していたようだ。そんな私に、彼女が素直な回答をくれるだろうか。
だがその事に気を回したときには、私はもう彼女の部屋の前まで到着してしまっていた。
 
ほんの少し躊躇してから、ドアを恐る恐るノックする。
数秒と経たずに、中から暫く聞いていなかった声が返ってきた。妻の声。
ドアを開ける。ベッドの端に座り、テレビを観ている彼女の後ろ姿が見えた。

46 ◆xh7i0CWaMo:2014/09/28(日) 23:00:50 ID:jDTTQVVk0
私は黙って妻に近づいた。妻は身じろぎ一つせず、明日の天気を眺めている。
彼女のすぐ傍まで歩み寄っても、私はまだ喋らなかった。そのまま二人で来週一週間の予報を観ていた。

ζ(゚ー゚*ζ「……ちょっと、まさかそのまま黙ってるつもり?」

(´・ω・`)「ああ、いや。その……来たんだ」

ζ(゚ー゚*ζ「ええ、お婆さんに聞いたわ」
 
質問が口から一気に溢れそうになった。こんなことなら箇条書きにでもしておけばよかったんだ。
頭の中で必死に言語の順番を並び替える。そういえば、彼女の声は普段のそれと何一つ変わらなかった。
それだけで、その声を聞けただけで、私には最早十分であるような気がした。

再会の喜びよりも、日常の尊さが私を支配していた。

(´・ω・`)「つまり……僕は今非常に混乱しているんだ。君には訊きたいことが幾つもある。
     君自身のことや、この街のこと……それを全部消化するには、少々時間がかかってしまうようなんだ。
     それでも構わないかな」

ζ(゚ー゚*ζ「ええ。でも、まず私から質問してもいいかしら」

(´・ω・`)「……何だい」

47 ◆xh7i0CWaMo:2014/09/28(日) 23:03:29 ID:jDTTQVVk0
初めて彼女がこちらに振り返った。愛すべき妻だ。その妻の、ほんの少し暖かみのある表情だ。
私はその姿を、何枚かスナップ写真にして脳裏に貼り付けた。

そこで彼女が投げかけてきた質問は、私の利己意識を少々抉るものだった。

ζ(゚ー゚*ζ「何故ここに来たの? この場所を知った理由は見当がつくわ。
      けれど、それならその後の展開にも感づいているはずよ。それなのに、何故?」

妻は私を真っ直ぐに見つめていた。新婚当時以来かもしれない。

ζ(゚ー゚*ζ「別に責めてるわけじゃ無いのよ。純粋な好奇心みたいなもの」

その目の色には何かが欠けていた。
私は返答と並行してその正体を考え、もしかしたらそれは愛情ではないのかと思いついた。

愛情、とは少々誇張した表現であるかもしれない。
けれどそれに似た諦観が私への表情に埋め込まれているようであるのは否めない。

(´・ω・`)「その質問は分かる。でも、僕にだって言い分があるぞ。
      そもそも、君が先に何の断りも無く家を出て行ったんじゃないか。
      その事を尋ねたいなら、まずは僕の質問に答えるべきだと思うけれど」
 
そのまま見つめ合って数秒、妻は軽く頷いた。

ζ(゚ー゚*ζ「そうね、その通りだと思う。本当、いつも理詰めばっかり得意なんだから」
 
先に質問権を得られたのは喜ばしいが、少々空気が険悪になってしまったような気がする。
普段の口喧嘩と同じようなパターンだ。彼女の感情論に、私が屁理屈のような論理で反論する……。

48 ◆xh7i0CWaMo:2014/09/28(日) 23:06:29 ID:jDTTQVVk0
(´・ω・`)「まず、聞かせて欲しい。君が何故家を出て行ったのか。そして、何故ここに来たのか」
 
その問いは、まさしく核心だった。ほんの少し、私自身が後悔するほどに。
だが私は、どこかでその問いに自らの内にある時間稼ぎの意図を感じていた。

ζ(゚ー゚*ζ「……そもそもの原因は分からないわ。
 
      あの日、いつもより早めに目覚めたとき、不意に頭にイメージが浮かんだ。
      それだけじゃなかったわ、私はまるで、誰かに操られているかのようにメッセージを残し、
      ほんの少しの日用品だけを持って家を出た。そのまま真っ直ぐここへ来たわ。

      お婆さんが出迎えてくれて……」

(´・ω・`)「つまり、君は誰かに洗脳されていると言うわけか。
     拉致誘拐の類いでは無いにせよ、自分の意思でもない……」

ζ(゚ー゚*ζ「当初はね。今は違う。少なくとも、自分の意思でここに滞在していると信じてるわ」
 
雑誌の情報通りだった。
妻にせよ、階下で議論を交わしていた人々にせよ、自らの意思でここに留まり続けているのは確かなようである。

49 ◆xh7i0CWaMo:2014/09/28(日) 23:09:46 ID:jDTTQVVk0
(´・ω・`)「では、何故ここに居続けているんだ?」

ζ(゚ー゚*ζ「……それをあなたに説明するのは難しいわ。だって、あなたにはイメージが見えていないのでしょう?」

(´・ω・`)「イメージというのは? 先ほども言っていたけれど、それが見えたからここに来たわけだ」

ζ(゚ー゚*ζ「それを説明するのも、難しいのよ。
       あくまでも頭の中の存在であって、実際にあるものの記憶というわけではないわ。
       使い古された言葉で表現してもいい?」

(´・ω・`)「例えば?」

ζ(゚ー゚*ζ「深淵がこちらを覗き込んでいる、というような……」
 
確かに聞き慣れた言い回しだが、具体性が伴わない。そもそもイメージとは何なのだろう? 

彼女の口調からは、何かそれが見える者と見えない者の間に絶対的な隔絶があるように感じられる。
そしてそれが、彼女が突然出て行った本質的な理由であるという、一見冗談のような弁明も、
彼女にしてみれば合理的であると思えるらしいのだ。

50 ◆xh7i0CWaMo:2014/09/28(日) 23:12:47 ID:jDTTQVVk0
ζ(゚ー゚*ζ「貴方に何を言っても伝わる気がしない。
       だから私も、他の人と同じように冷めた態度で貴方を追い返すべきなのかもしれない」

妻は、どちらかというと他人事のようにして言った。

ζ(゚ー゚*ζ「いつもはお婆さんも同席するのよ。事務的なお話をするためにね。けれど、私は今特別だから」

(´・ω・`)「特別?」

ζ(゚ー゚*ζ「ええ。お爺さんのお世話をしているの。指名されたのよ」

(´・ω・`)「世話……介護かい。食事を与えたり」

ζ(゚ー゚*ζ「ええ、下のお世話とか、単純な話し相手とか……」
 
私は何とも言えず、淋しいような気持ちに陥った。略奪愛の被害者になった気分だ。

ここまで、自覚できる程度に淡々と物事を見過ごしてきたつもりだったが、
彼女が赤の他人であるはずの実業家をお爺さんと呼び、その介護までもを任されているという事実は、
把握しきれないほどの違和感を頭に生んだ。

(´・ω・`)「実業家は、死にかけているというわけだ」

ζ(゚ー゚*ζ「ええ、もう先は長くないわね……」

51 ◆xh7i0CWaMo:2014/09/28(日) 23:15:23 ID:jDTTQVVk0
妻は何か言おうとして一旦口を噤み、逡巡の後に再び喋り始めた。

ζ(゚ー゚*ζ「ごめんなさい、もしかしたら混乱しているのではないかしら」

(´・ω・`)「ん、何が?」

ζ(゚ー゚*ζ「貴方にとって多くの知らない事実が、ここで吹き込まれたと思うの。
       それは私のことだけじゃなく、もっと大きな範囲での物事が……。
       貴方、まだ来て間もないんでしょう? 頭の整理が追いついていないんじゃないかと思って」

(´・ω・`)「確かに、驚くべき事が沢山あった。でも、然程複雑ではないような気がする。
      君がいなくなったことも、この街に辿り着いたことも、
      一つの線で結ぼうと思えば不可能ではない気がするんだ。

      その延長線上に何があるのかは分からないけれど」

ζ(゚ー゚*ζ「貴方は昔から、考えすぎるほどに考えているのね。大体正解よ。
       全てが繋がっていることも、その先に、根本的な原因があるということも。
       けれど、最もややこしいのは、その原因なのよ」

(´・ω・`)「僕程度の頭じゃ、その原因に追っつかないとでも?」

ζ(゚ー゚*ζ「もうすぐみんな死ぬのよ」

(´・ω・`)「ああ……ん?」

ζ(゚ー゚*ζ「『彩色の奇跡』は走馬燈だった。
       あれを見た人も、見ていない人も等しく、近々やってくる終わりの時に、一斉に死んでしまうのよ。
       ね、追っつかないでしょう?」

※ ※ ※

52 ◆xh7i0CWaMo:2014/09/28(日) 23:17:57 ID:jDTTQVVk0
私たちの間における何よりも大きな齟齬は、もうすぐみんなが死ぬという未来が、
妻には常識的な事実として身体に染みついてしまっていると言うことだ。
いや、彼女だけでなく、この街の住人全てにとって目前の死こそが、唯一にして最大の共通認識なのであろう。
 
もうすぐ死ぬ……当たり障りのない表現だ。
彼女の言葉を鵜呑みにするならば、人類という種そのものが、誇張でも何でもなく絶滅すると言うことになる。

それはどういうことだろう? 
唐突に六十九億全てに想像を巡らせるのは土台無理な話だ。
私はその言葉を、出来る限り最小化して解釈することにした。

(´・ω・`)「と言うことは……死ぬわけだ。君も、僕も」

ζ(゚ー゚*ζ「ええ」

53 ◆xh7i0CWaMo:2014/09/28(日) 23:22:11 ID:jDTTQVVk0
彼女の説明を要約すると以下のようになる。
 
そもそもこの場所へ集まってきた人々は、当初自らの来訪の意義を解明するところから始めなければならなかった。何故自分たちがここへ来たのか分からない。しかし、帰るつもりもない……
自分と、自分以外では何らかの隔たりがある。それだけは確信できていたらしい。
 
集まった全員の頭に、一定のイメージがあった。
ぎこちないやり取りでそれらが共通のものであることが分かり、次にはそのイメージが、
死に関するものであると理解した。

それでも、まさかそれが『彩色の奇跡』に関係し、あまつさえ全世界に影響が及ぶとは考えもしなかったらしい。
更に考察を続けようとしたとき、人々は件の実業家、そしてその昔の愛人であった老婆と邂逅した。
全員の意見を総合し、議論を重ねた上で、最終的に仮説をたてたのは実業家だった。

誰もが等しくそれを受け入れたのは、恐らくイメージという名の超常現象を既に体験していたからだろう。
この辺り、カルト宗教の論理に通ずるところがある。
 
そうして人々は彼らなりの真実を掴むことが出来た。
しかしそれが、自分たち以外の人々に納得できるものではないということも、同時に悟っていた。

だから彼らは決して外部にそれを漏らさぬようにし、ただひたすら世間と隔絶された者として、
この街で最期の時を過ごす決断を下したのである。
 
……ちなみに、雑誌に書かれていた、失踪から電話がかかって来るまでの二ヶ月という期間は、
それらの議論の成熟、また必要な手続き――大半は、諸々の費用を全て実業家が負担するという手続き――
を待っていたためであるそうだ。今では、もう少し早めに全てが済まされるのだという。

54 ◆xh7i0CWaMo:2014/09/28(日) 23:25:14 ID:jDTTQVVk0
ζ(゚ー゚*ζ「お爺さんの具合が急に悪くなって、寝たきりになってしまったのが半月前ぐらい。
       ちょっとした騒ぎになったわ。死の迫力に耐えられなくて、自ら死を選ぶ人も沢山いた。
       やっぱり、頭の中のイメージ以上に、お爺さんの危篤は具体性があったんでしょうね」

(´・ω・`)「もう真実を隠す必要が無いと言われたが、そういうわけだったのか」

ζ(゚ー゚*ζ「うん、だから私は貴方と二人きりで、包み隠さず全部を話せているのよ。
       お婆さんは、もう一ヶ月ももたないと考えているみたいね」

(´・ω・`)「しかし、どうして実業家の危篤がその他大勢の命を脅かすんだい? 
     それとこれとは別の話ではないだろうか」

ζ(゚ー゚*ζ「仮説に含まれているのよ。お爺さんの死こそが、みんなの死であると……。
       何故なら、『彩色の奇跡』を発見したのは、他ならぬお爺さんなのだから」
 
……最早何も驚くことはあるまい。彼女の理屈は、正直なところまったくもって意味不明だったが、
それを彼女が真摯に主張していることは流石に分かる。ならば、私は真実として受け止めざるを得ないではないか。

(´・ω・`)「君たちの頭にあるイメージは、あの『彩色の奇跡』が走馬燈であり、
      それを見つけた実業家の存在にも、運命的な意図があると示しているわけだね」

ζ(゚ー゚*ζ「何より、当時『彩色の奇跡』があんなに評判になったこと自体、他に説明のしようが無いでしょう。
       貴方も観たでしょう? 私も子どもの時に観たわ。なぜだか分からないけど、素晴らしいと思った。
       でも、あれが走馬燈だと思えば、大評判にも説得力がつくと思わない?」

55名も無きAAのようです:2014/09/28(日) 23:26:57 ID:QbMxjcro0
読んでるぞー

56 ◆xh7i0CWaMo:2014/09/28(日) 23:29:05 ID:jDTTQVVk0
(´・ω・`)「……うん、そうだね。そうなんだろうね」
 
私は軽くいなすような返事をする。私のような一般人からしてみれば、
彼女の主張は――例え直近の事実であるとしても――詐欺まがいの言説にしか聞こえない。
何一つ追っつかないのだ。真剣な表情の彼女にも、理解の及ばぬ自分にも、私は等しく苦々しい思いを抱く。

コミュニケーションの不全もここまで過剰であると、劣等感すら覚えられない。
 
私に向かっている妻の表情が、ほんの少し暗くなったような気がした。
無理解に気付いたのだろう。口を尖らせ、肩を落とした。

ζ(゚ー゚*ζ「……やっぱり、分からないのね。そうだろうと思ったけど」

(´・ω・`)「君の真意は、分からないでもないよ。でも、手段が間違っているような気がするんだ。
      君に限らず、街の住人全員の手段がね。もっとスマートなやり口があったろう。
      僕はさっき、階下で変な議論を交わしてきた。その時は意味が分からなかった。

      あんな問題に、真剣に取り組んでいる意味がね。
 
      でも、もうすぐみんな死ぬと、全員が思い込んでいるなら仕方が無い。
      ああいう話をする価値もあるだろう。でもやはり、衒学的過ぎるんじゃないかい。もっとすべきことが……」

57 ◆xh7i0CWaMo:2014/09/28(日) 23:33:06 ID:jDTTQVVk0
不意に私の口から言葉が途切れた。言葉は、妻の奇妙な表情によって掻き消されてしまったらしい。
彼女は、まるで涙を流さずに泣いているようだった。

ζ(゚ー゚*ζ「貴方はいつも正しいわ。私だって、そう思うもの」

彼女はそこで台詞を切り、微かに憂鬱を付け加えた。

ζ(゚ー゚*ζ「でも、そういうものだと思わない? 
       だって、あの子が死んだとき、私は貴方に同じような気持ちだったんだもの」
 
……それは、予想だにしていなかった反撃だった。私は思わず黙りこくった。
預けたままの息子の死への涙を思いだし、それでも不可思議なほど冷静だった。
ただ、声ばかりがつっかえている。
 
無論、彼女が忘れているはずもない。例え世界的な死が待ち受けていると予感したとしても、
息子の死がそれよりも重要であることは言うまでもないのだ。
それを知ると、彼女の顔つきが涙を堪えるものに見えてきた。

58名も無きAAのようです:2014/09/28(日) 23:35:56 ID:LVqR.kvU0
相変わらずがっつりくるな

59 ◆xh7i0CWaMo:2014/09/28(日) 23:37:14 ID:jDTTQVVk0
ζ(゚ー゚*ζ「……ええ、勿論忘れてなんかいない。私は確かにここに住む決断をしたわ。
       貴方に全てを伝えることが無駄だと感じたし、それは今でも変わらない。
       でも、一時たりともあの子を、家族を忘れなかったの。でも、私はここに残り続けている。

       ……ねえ、矛盾しているのかしら。本当に大事なものは、一体なんだったのかしら」

(´・ω・`)「だから君は、二ヶ月の間、僕に何一つ連絡を寄越さなかったんだね。整理がつかないから。
      僕たちと、この街……どちらかに依れば、どちらかが分からなくなってしまうから」

ζ(゚ー゚*ζ「私は、貴方の前でみっともなくあり続けていたわ。だって、泣いてばかりだったもの。
       今だって、まだ泣ける。だから、貴方がまったく泣かないことが理解できなかった。
       怖かったのよ。私はあの時、貴方と同じ価値観を持っていると思っていたから」

(´・ω・`)「泣かない理由は、未だ僕にも分からないよ」

ζ(゚ー゚*ζ「あの頃に戻りたいわ。いえ、その前でも構わないのかもしれない」

(´・ω・`)「そうだね……また一緒に、あの子の写真を撮ったり、
      不器用な食事を作ったり、テレビドラマに文句をつけたり」

ζ(゚ー゚*ζ「愛し合ったり?」

(´・ω・`)「……勿論、それも無いと嘘になる」
 
ちょっとだけ笑う。私たちの間の問題は、何一つ解決していない。
勿論、もうすぐみんなが死ぬと言うなら、それも滞りなく進行するだろう。
しかしそれでも、多少穏やかになれたようだった。

60 ◆xh7i0CWaMo:2014/09/28(日) 23:40:48 ID:jDTTQVVk0
息子について。

懺悔すると、事故のようなものだった。
息子の誕生は、私たちがそれを目的として励んだ結果ではなかったのだ。
私たちは当然のごとく避妊をしていた。しかし悪いことには、この世のあらゆる避妊具は万能ではないのだ。
 
ある日の行為の後、やがて妻となる女性は私に、慣例の日が長らく訪れていないことを告白した。
その時に私が一瞬、呆然となったのは抗えぬ事実である。

当時私はまだ二十五で、大学を卒業して仕事に就いて間もない時合いだった。
経済的にも個人的にも、子どもという概念は想像上にも据えがたいものであった。
そう、だから、一瞬堕胎という単語も過ぎった。
 
しかし、結局はそうならなかった。それから暫く後、婦人科から帰宅した彼女が、懸念の確定を述べたわけだが、
その際に私は、あまり取り乱すこと無く、むしろ自分でも驚くほど冷静に出産を承認した。

彼女の気持ちはどうだったか。多分喜んでいたと思う。
常から子どもの話をしていたのは彼女の方だったし、子育てというものに一種の憧憬を抱いている節もあった。
 
それからは正しく、てんやわんやだった。
人の世では、先立つものが無ければ自然の摂理を果たすのもままならない。
私たちは互いの両親に事情を話した上で、経済的な支援を申し込んだ。

双方とも案外と喜んでくれ、金の心配はいらない、と心強い言葉をかけてくれた。
そして私たちは、実にどたばたと結婚式を挙げた。一通りの事務手続きと儀式を終えると、
最早妻となった彼女のお腹はすっかり膨らんでいた。

その時には子どもが男であると判明しており、親戚一同の援助のおかげで出産への準備も整いだしていて、
妻は子どもの名前をあれこれ考えるのに躍起になっていた。

61 ◆xh7i0CWaMo:2014/09/28(日) 23:44:01 ID:jDTTQVVk0
そして出産の当日、運良く有給を獲得した私は、妻のいる分娩室の前で、阿呆のように口を開けて座り込んでいた。

何も考えていなかった。
これから自分の子どもが生まれることも、妻がそのために命懸けで苦痛を堪えている事も全て忘れ、
ただひたすら空白のような時間に空白のような態度で対抗していた。

その時ですら、私には何だか、子どもというものが想像上の何かであると信じていたのかもしれない。
 
しかしやがて息子が誕生し、その顔を一目見ると、私の中で何やら奇妙なイメージが湧き上がった。
それは、あえて言語化するならば、薄氷のように脆弱なガラス玉が粉砕されるようだった。

次いで、私は何かとんでもないことをしでかしてしまったのかもしれない、という、
こちらは明確な文字情報が脳裏を走った。
初めてその矮躯を抱き上げてもなお、その構図が我ら『親子』であるとは想像しがたかった。
 
とはいえ、これは断言するが、私は決して息子を愛していなかったわけでは無い。
むしろ、息子のためにビデオカメラを購入して容量一杯に家族を記録したり、
休日は彼のご機嫌取りに終始したりするほどには子煩悩だったのだ。

私自身にいくら親の自覚が欠けていたり、或いは実感の湧かぬ家族関係であったとしても、
彼が愛らしく、また保護すべき対象として映っていたのは間違いない。

62 ◆xh7i0CWaMo:2014/09/28(日) 23:47:09 ID:jDTTQVVk0
彼を育てていた五年間は、後にも先にも二度と訪れまい多幸感に日々苛まれたと言っても過言では無い。
そう、だから、私は間違いなく幸せだった。あの頃の私の世界は、まさしく完成形と言っても良いだろう。
愛すべき妻は若く美しく、息子は手がかかるが故に微笑ましく、両親も丁度良い年頃だった。

出来ることならその時、私はほんの少しだけでも時計を止めて、人生におけるちょっとした休憩を満喫したかった。
時間は前に進む。うん、わかってる、だけどちょっと待ってほしい、ここらで一服したいんだ……という具合に。
 
しかし時間は進んだ。息子はみるみるうちに成長し、ほどなくして幼稚園に入った。
息子は可愛らしいままだった。私たちは相変わらず彼を溺愛しており、特に妻はこの頃、
彼のファッションセンスを磨くことに執心していた。

貴方みたいに無頓着になっても困るから。
そう笑いながら、彼女は色々な服を息子に着せてはあれこれと考察していたのだった。

そんな具合で毎日は進んでいた。特筆すべき事は何もなく、だからその日も何の前触れもなく訪れた。
仕事中の私の携帯に妻から着信があった。受話口の彼女は酷く冷静であるように感じられた。
妻は、彼女が少し拗ねているときと同じ低い声で、息子が死んだと言った。
 
その日、自由時間に園庭で遊んでいた息子は、壮大な冒険のために園の外に出てしまったらしい。
それ以上の状況はよくわからない。
息子の友人の一人は、こう言っていた。どーんって、すごくとんだんだ。

息子には友達が居たんだ。そんな安堵を覚えていた。
 
車に撥ねられた息子はアスファルトに叩きつけられて逝った。
それが結果だ。そして、それで全てが終いになった。

※ ※ ※

63 ◆xh7i0CWaMo:2014/09/28(日) 23:50:12 ID:jDTTQVVk0
(´・ω・`)「君はどうして実業家……お爺さん、とやらの介護を任されたの?」
 
実業家の部屋は、その肩書きにふさわしく最上階にあるらしい。
そこへ向かう道すがら、私は個人的に最も気になっていたことを妻に問うた。

ζ(゚ー゚*ζ「指名されたのよ。寝たきりになったとき、本人から直々にね。
       彼、それまではお婆さんと二人で生活していたのだけれど」

(´・ω・`)「ふうん。死にかけてるとは言え、視力は狂っていないようだね」

ζ(゚ー゚*ζ「なに、妬いてるの?」

妻の含み笑いに、私は冗談めかして頷いてみせる。
頭の中で渦巻いているのは、矜持のような、敗北感のような。

とあれ、妻が私への愛情を失っていないことは何よりの僥倖だった。
その愛情が、少しばかり手元から遠ざかっているにしても、私にしてみれば不在でないだけで十分だ。
 
到着したエレベーターを降りたすぐ先にある巨大な扉を妻が押し開く。

あまりにも広々とした室内は、街の風景に似てがらんとしていた。
元々置かれていた調度品の類いは全て片付けられたらしく、
片隅のダブルベッド以外に目立った家具は見当たらない。
 
ダブルベッドの傍の椅子に、老婆が座り込んでいた。

私たちに気付くと重たそうに腰を上げ、部屋を出て行く。
妻の名前を言った時、老婆が見せた複雑な表情の意味が今なら分かる。
妻の方が若く美しいのは、誰から見ても明らかだ。

64 ◆xh7i0CWaMo:2014/09/28(日) 23:53:31 ID:jDTTQVVk0
実業家は、ベッドに身を埋めて真っ直ぐ天井を見つめていた。思っていたよりも遙かにちっぽけだ。
そして、その痩身は確かに死の空気を纏っていた。しかし、黒目ばかりのような双眸が私たちを捉えた途端、
彼の表情にみるみる生気が宿っていった。上体を起こし、私に手を差し伸べる。

/ ,' 3「ようこそ」

枯れたような腕には、意外なほどの力が込められていた。

/ ,' 3「すまないね、君の美しい奥さんを、小間使いのようにしてしまって」

(´・ω・`)「いえ、妻も嫌がってはいないようです」

私はどうしてもこの老人に好感を抱くことが出来ない。

(´・ω・`)「私としては、少々残念なことですがね」
 
無論、信頼など出来ようはずもない。目の前にいる男は、ともすればとんでもない妄想狂であるかもしれないのだ。
そう、私は少しだけ、ほんの少しだけ、この老人を論破出来るかもしれないと思っていた。

私の最低限の条件は妻の顔を一目見ることだが、それが果たされたことで、欲は際限なく膨らみ始めている。
願わくは『彩色の奇跡』にまつわる不可解な噂を覆し、妻との齟齬を埋め合わせて、
一緒に家へ帰るところまで持って行きたかった。

65 ◆xh7i0CWaMo:2014/09/28(日) 23:57:16 ID:jDTTQVVk0
/ ,' 3「私は、これまで君のような一般人をここに呼んだりはしていなかったんだ」

老人は、握手を解いて私に笑いかけた。

/ ,' 3「君を呼んだのは他でもない、私の伝記を誰かに伝えたかったんだよ」

(´・ω・`)「ははあ、伝記ですか」

と、私は言った。

/ ,' 3「出来れば私を信じていない者の方が良い。客観的な議論が出来るだろうからね。
   君、君は私がこの世界を作り、そして終わらせるのだと言えば、信じるかね」

(´・ω・`)「いいえ」

と、私は言った。そして肩を竦めてさえみせた。

66 ◆xh7i0CWaMo:2014/09/28(日) 23:59:14 ID:jDTTQVVk0
(´・ω・`)「少しよろしいですか、ええと……」

/ ,' 3「何と呼んで貰っても構わないよ。そして、もっと砕けた口調で話してもらって構わない」

(´・ω・`)「ええ、では失礼ですが……貴方のような人間を、世間一般ではこう呼ぶと思うのです。ぼけ老人と」
 
妻は私たちを無表情に見つめていた。
私は少し挫けそうになったが、何とか持ち直して老人を真っ直ぐに見据えた。この勝負に敗れるはずもない。
今までに養ってきた経験や常識が、私に味方してくれているのだから。

/ ,' 3「君に一つ、尋ねたいことがある」

と、老人は言った。

/ ,' 3「あらゆる人にとって、その人が見ている世界はその人のために作られていると思うかね」

(´・ω・`)「そりゃあまあ……そうでしょう。少なくとも、その人にとっては」

/ ,' 3「では、どうだろう。今まさに……発展途上国で、栄養失調の妊婦のお腹から赤ん坊が生まれた。
    彼は物心もつかぬうちに、五十パーセントの確率で餓死することになる。
    彼の人生に意味はあっただろうか。そして彼の世界は、彼なりに形成されていただろうか」

(´・ω・`)「それは極端なたとえですよ」

/ ,' 3「そう思えるのは、私たちが裕福な環境で育つことが出来たからだ。
    巨視的に見れば、私たちはこの国に生まれただけで、ずいぶんな幸福を享受しているのだよ」

(´・ω・`)「貴方などはまさにそうなのでしょうね。何せ、世界一の大富豪だったのだから」

私は、再び訪れた『大きな問題』に頭痛を覚えながらそう言った。

(´・ω・`)「しかし、それは傲慢というものです」

67 ◆xh7i0CWaMo:2014/09/29(月) 00:02:34 ID:NLjW9Fhg0
/ ,' 3「逆に訊くが、この世界が私の世界ではなかったと、どうして言える?」

(´・ω・`)「何ですって?」

/ ,' 3「八十年近く前、私の人生は一般家庭の元で始まった。
    何の変哲もない、しかし這い上がるチャンスのある環境だった。
    私は順調に義務教育を終え、この国で最も高い水準の大学を卒業した。

    そして就職、十年後には独立を果たし、小さな企業を立ち上げた。
    そこから更に十年かけて、一大企業に育て上げた。

    それからしばらくして、例の『彩色の奇跡』を見つけたんだ。
    ここから先は君も知っているだろう。私は偉大なる成功を収めた。
    そしてそこから、偉大なる転落をも経験した。

    私に残されたのは、僅かな財産と孤独と、この街だけだった。
    私はここで死ぬ覚悟を決めた。その時は、私の世界がこの街程度の大きさだと思っていたのだ。
    しかし今、集まってきた人々によって私の世界は大きく広がった」

68 ◆xh7i0CWaMo:2014/09/29(月) 00:05:04 ID:NLjW9Fhg0
(´・ω・`)「妄言ですよ。みんなが死ぬなんて、何の根拠もない。
      現に、貴方の影響力が失われた今になっても、何もかもが平常通りに動いているではないですか」

/ ,' 3「まだ、私が生きているからだよ。そしてそれも、もうすぐ終わる。
    私の人生には何一つ不足が無かった。
    数多の事件を起こし、数多の不始末を残したが、それでも世界は私の思うとおりに廻っていたよ。

    君はどうだね。君の人生に、何一つ不足がないと言えるかね」

(´・ω・`)「確かに、私は貴方のような大物にはなれないでしょうよ。なる気にもならない。
      しかし、個人にはその人なりの生き方があるのです。
      街の片隅で穏やかに過ごすのも、人生の方法の一つではないですか」

/ ,' 3「そんなものは、精神の優しい麻酔に過ぎないよ。
    人生に不足がある限り、誰もが死を怖れなければならない。そして死の根拠を問う。
    それは死に相対し、やっと切れた麻酔の反動で最大化した、不安や不満に塗れてしまっているからだ」

(´・ω・`)「独善的すぎる」

/ ,' 3「そう、その通り」

彼は歯を見せて笑った。

/ ,' 3「それこそが、私にだけ認められた権利だ」

69 ◆xh7i0CWaMo:2014/09/29(月) 00:07:17 ID:NLjW9Fhg0
世界の主人公を自称する老人に、しかし哀れっぽさは微塵も見えなかった。
彼の物語は完成されているのだ。それは私も知っている。

そんな彼に対し、あらゆる人生の素晴らしさを説くことは不可能だろう。
客観的に見て、彼は最上の生き様を味わってきたのだから。
 
だが、私に反論の余地がないわけではない。
彼の、彼だからこそ主張できる思春期のような理論には、一つ大きな穴があった。

(´・ω・`)「ですが、結局は貴方も死ぬわけですよ。満足も不満も、生きていなければ得ることは出来ない。
      それまでの人生がどれだけ素晴らしかろうとも、死んでしまえば全てが終いではないですか。
      貴方が本当にこの世界の主人公であるというのならば、そんなところで寝てる場合じゃないでしょう」

/ ,' 3「生まれがあり、死があるのがこの世界の定義なのだから仕方あるまい。
    私は何も、不老不死の神ではないのだから。君、世界とはよくできた枠に過ぎないんだよ。
    その中で我々が生きていかなければならないとしたら、その好手とは何か。

    幼くして餓死することでもない、不満の残る死に方をすることでもない。
    私の不満を払拭した最大の出来事はね、『彩色の奇跡』なんだ。
    あれは私に、巨万の富を与えてくれた上、この期に及んで私と同時に起こる一斉の死をも約束してくれた。

    誤解が無いように言っておくが、私はここに集まった人々へ何か入れ知恵をしたわけじゃない。
    彼らが自発的に、頭のイメージを、死に結びつけたんだ。
    その証拠に、私の頭にそんなイメージは出ていない」

70 ◆xh7i0CWaMo:2014/09/29(月) 00:10:23 ID:NLjW9Fhg0
……彼が口を動かすたびにその表情に希望を増していくのとは対照的に、私は徐々に憂鬱な気分になっていった。

その一因は、未だ表情を動かさぬ隣の妻にある。どうやら、彼女の意見は変わっていないようなのだ。
僕がこれだけ弁舌を、正論を振りかざしても、何一つ揺らいではいない。私は果たして無力なのだろうか。
それも敗因であろう。しかし、それ以上に不合理な概念が私たちを支配していた。

老人に何を言っても論破は出来まい。
にも関わらず私は彼に屈服するつもりになれないどころか、その理屈を飲み込むことさえ叶わないのだ。
 
このまま引き下がるべきだろうか。それは、公平に見ても敗退ではあるまい。
戦略的撤退とでも表現すべきものだ。しかし、今の私にはどうしてもそう出来なかった。
私はまるで、自分こそが常識へ立ち向かう意固地な少年であるような錯覚さえ感じ始めていた。

(´・ω・`)「……ならば、もう一つだけ伺います。
      私は、貴方がこの世界の主人公であるとどうしても認めることが出来ません。
      常識的にも、そんなことは有り得ないと思うからです。

      そんな私に対して、貴方は一体どのような説得をするのです?」

/ ,' 3「そもそも、私は誰かを説得する義務を持っていない。
    だから、私は全世界の人々にその身の危険を通告したりもしていない。
    だが、君には随分話を聞いて貰っている。そのお礼として言うならば――」
 
私はじっと待ち構えていた。目の前の妄想狂に恐怖し、狭い頭であらゆる予想と反論を立てながら。

/ ,' 3「あらゆる一般的な人々は、死が目前に迫ってきたとき、様々な方法で抵抗する。
    怒りや交渉、頭ごなしの否定などによって……。しかし、最終的にはどうするだろう。
    全てが無意味だと悟り、目前の死が真実でしかないと自覚したとき、最終的には――受容するわけだね。
 
    どうしようもなく、受け入れてしまうのさ。極めて消極的に、死を仕方ないものとして待つことにする。
    頭の中で更なる惨めな言い訳をしながらね。死後の世界は素晴らしいだとか、
    死んでも魂は残留するとか、宗教じみた言説を……。

    それ自体が敗北だ。また、自分が世界の主人公でなかったという証でもある」

71名も無きAAのようです:2014/09/29(月) 00:11:02 ID:jTE1ADXc0
はよう、はよう

72 ◆xh7i0CWaMo:2014/09/29(月) 00:13:15 ID:NLjW9Fhg0
私は黙って聴き入っていた。彼の言葉は、少なくとも私に限っては酷く正確だった。

/ ,' 3「死とは、物語の完結なのだよ。そしてその物語は、何よりも素晴らしくなければならない。
    そう思えてようやく、自分が世界の中心にいると叫べるのさ。
    私には、私の物語が誰よりも優れているという自負がある。

    そしてそれを、命を賭してまで支持してくれる者が大勢いるんだ。私に一体何の不足がある? 
    私の死が世界の終わりだったとして、何の不自然がある?」

(´・ω・`)「……つまり、貴方のように素晴らしい人生は、後にも先にも二度と現れないと?」

/ ,' 3「その通り。『彩色の奇跡』は、それをますます強固なものにしてくれた」
 
彼の一生を物語にすれば、それはそれは面白いものになるだろう。
ありがちな成長の物語から、『彩色の奇跡』という唯一無二のイベント、
そして最期には、六十九億を抱いて死ぬ……出来すぎた運命だ。伝記に残す価値もある。
 
そう考えたとき、私に最も足りなかったのは、老人が持つような社会的地位や富、身分であるのかもしれない。
それが私から言葉の重みや真実味、あまつさえ対等に議論する立場さえもを奪っている気さえする。
そう考えると、老人の言う人生の格が、正しいようにすら思えてしまう。

73 ◆xh7i0CWaMo:2014/09/29(月) 00:15:42 ID:NLjW9Fhg0
/ ,' 3「……さて、沢山話してしまったな。私は、どちらかというと君の奥さんと話をしたかったのだが」

老人が妻に笑いかけると、彼女はほんの少しだけ応じてみせた。

/ ,' 3「幾何もない身には堪える。また眠ることにしよう」
 
そして最後に、彼は私に向かってこう言った。嫌みではなく、本心からの言葉に聞こえた。

/ ,' 3「君にも、良い時間があることを」

※ ※ ※

74 ◆xh7i0CWaMo:2014/09/29(月) 00:18:23 ID:NLjW9Fhg0
私たちは二十六階の妻の部屋へ戻った。
妻が先に歩いて行くのを、私は惨めな気分でついて行った。他にどうすることも出来なかったのだ。
妻の前で恥をさらしたからというよりも、実業家の言葉で揺さぶられた頭の整理が、今一つついていなかったのだ。

当然、会話は何一つ無かった。
 
部屋に戻り、妻は最初にそうしていたようにベッドへ座った。私はその傍に立っていた。
何か言いたかったが、何も言い出せなかった。そのうち、口火を切ったのはやはり妻だった。

ζ(゚ー゚*ζ「……ねえ、そろそろ教えてくれない?」

(´・ω・`)「何を?」

ζ(゚ー゚*ζ「貴方がここに来た理由」
 
振り返って私を見た妻の無表情は、私にある過去を思い出させた。

彼女と付き合いだして間もない頃、私は彼女の誕生日を、プレゼントを買い忘れたままに迎えてしまったことがある。どのように言い出すべきか迷いながら待ち合わせ場所に行き、そこで彼女と鉢合わせた時、
彼女はしばらく私を眺めた後、今と同じ顔で私に言ったのだ。ねえ、プレゼント、買い忘れたんでしょう。
 
それからもしばしば、彼女には妙に勘の冴える瞬間があった。
そしてそれは、大抵良い意味でも悪い意味でも重大な場面で発揮されてきたのである。
 
だが、今のこの隠し事だけは、彼女に知られたくなかった。
彼女に妙な心配をさせないためにも、この期に及んで未だ居丈高な自意識を守り続けるためにも。

75名も無きAAのようです:2014/09/29(月) 00:19:36 ID:jTE1ADXc0
やっぱあんたの文章は心地いいわ。
こちらの想像力まで掻き立てられて、自分まで素晴らしい物語が書けそうな気分になる。

76 ◆xh7i0CWaMo:2014/09/29(月) 00:21:48 ID:NLjW9Fhg0
ζ(゚ー゚*ζ「ねえ、貴方、聞いてくれる?」

妻は決して怒ってはいなかった。睦言でも囁くような口調だ。狂気的に優しかった。

ζ(゚ー゚*ζ「お爺さんの話に、少し補足しておきたいの」
 
私は彼女の隣に座った。少しだけ肩が触れた。それまでだ。

ζ(゚ー゚*ζ「お婆さん、いるでしょう。あの人がお爺さんの愛人だったって知ってる?
       ……元々あの人は水商売で働いていた。もう数十年前の話よ。そして、その頃お爺さんと出会った。
 
       でも、その頃にはもう、お爺さんには奥さんがいたの。だから正式な関係にはなれなかったんだけど、
       二人は徐々に仲を深めていって……。それからずっと、関係は続いていたらしいの。
       そして五年ほど前に奥さんが死んだとき、お婆さんはお爺さんと一緒に住むことにしたのよ。

       もう、結婚なんて形式にとらわれる必要も無かった。
       それからの人生を、お婆さんはお爺さんとずっと過ごすつもりだったの……」

何となく話の先が読めた私は、軽く目を閉じた。

ζ(゚ー゚*ζ「でも、その時に色んな人が集まって……お爺さんは、私を世話役に指名した。
       その時、お婆さんは凄く怒ったのよ。当然だと思うわ、お爺さんの行為は、裏切りに近かった。
       でもお爺さんは言った。私には残り少ない人生を、好き勝手に生きる権利があるって。

       私が思うに、お爺さんが、自分が世界を作ったって確信したのはあの辺りだったんだと思う」

(´・ω・`)「ああ、男なら誰だって若い女性と長く過ごしていたいものさ」

77 ◆xh7i0CWaMo:2014/09/29(月) 00:24:33 ID:NLjW9Fhg0
ζ(゚ー゚*ζ「からかわないで。ねえ、貴方に聞いて欲しいのはここからなのよ。
       お婆さんはそれでも諦めきれなくて、最初の頃は、私に数限りない罵倒を浴びせてきたりもした。
       今でも私がいない時にはずっとお爺さんの傍にいるわ。

       そして毎日……洞窟に行くの。昔、『彩色の奇跡』があった場所に。
       そこで、延々と恨み言を呟いているんだって」

(´・ω・`)「誰に聞いたの?」

ζ(゚ー゚*ζ「気になってついて行った人がいたのよ。壁に向かって、ずっと言っているのよ。
       お前さえ現れなければ、お前さえ狂わせなければって……。
       でも、お婆さんは決してお爺さんの主張を疑っているわけじゃないわ。
 
       あれは、どうしようもない運命とか、そういうものに対するささやかな反抗なんだと思う。
       しかも、お婆さんにとって残り少ない人生を、本当にあと僅かしかなかった人生を、
       こんな形で消されてしまった事への悲しみは、相当なものなのよ」

(´・ω・`)「ああ、だろうね。年寄りの呪詛は恐ろしい」

ζ(゚ー゚*ζ「そんなお婆さんの必死さが、さっきの貴方からも感じられた。
       ねえ、貴方は何故あんなに必死だったの。
       貴方はまるで、自分の人生が否定されるのを怖がっているようだったわ」

(´・ω・`)「それは」

ζ(゚ー゚*ζ「貴方が本気でお爺さんの言葉を否定したかったのだとしても、もう少し冷静でいられたはずよ。
       そうでなかったのはどうして? 貴方にはまだ、この先に人生の長い道が残されているっていうのに、
       お爺さんが語る物語の終わりを簡単に受け入れてしまったのは何故なの?」

78 ◆xh7i0CWaMo:2014/09/29(月) 00:26:01 ID:NLjW9Fhg0
私は、黙ったままで彼女を見つめた。だが、心の底では歓喜に打ち震えていたのだ。
こんなにも前向きな涙を流したいと思ったことがかつてあっただろうか。
彼女は私の真意に対して何と誠実であることだろう。彼女は、何と私の妻であることだろう。
 
しかしそれらの感激を全て押し隠したまま、私は自らが肝臓癌を患っており、
余命半年の身であることをただ淡々と語った。

※ ※ ※

79 ◆xh7i0CWaMo:2014/09/29(月) 00:29:09 ID:NLjW9Fhg0
一ヶ月ほど前から微熱が続き、なかなか収まらなかった。食欲もなく、食べようとしても吐き戻すようになった。
それらの諸症状を、私は当初、息子が死んだショックが今頃になってやってきたのだと勘違いしていたのだ。
無論それが悪性新生物の引き金だとは夢にも思っていなかった。

半月以上経っても回復しないので病院に行くと、精密検査に回された。それが先週のことだ。

そして昨日、電話で呼び出された私は沈痛な面持ちの医師から、自身が肝臓癌に冒されていること、
それは大いなる若さによって活き活きと余所へ転移し、病期で言うところのステージ4に至っていること、
余命が半年程度であることなどを告げられた。

すぐにでも入院をしなければならないという段になり、私は必要な荷物をまとめるためだけに家へ帰された。
しかし私はその足を、自宅ではなく駅に向けた。そして電車に乗った。最果ての街へ、妻に会うために。

(´・ω・`)「最初から、君をどうこうしたいとは思っていなかった。
      ただ、このまま君を見ずに人生を済ませてしまうことがどうしても耐えられなかった。
      それだけだったんだよ」
 
だが、その思いもどこかでとち狂ってしまったらしい。
今の私は妻をどうしても連れて帰りたいと思っていたし、
それが不可能であることを見越して早くも抑鬱に陥っていた。

日常的な時間の、何たる残酷さ……。

80 ◆xh7i0CWaMo:2014/09/29(月) 00:32:11 ID:NLjW9Fhg0
ζ(゚ー゚*ζ「私に貴方を責める権利はないわ。
       私だって自分のために、貴方に何もかもを隠していたんだから。
       貴方が貴方のために今まで黙っていたとしても、文句一つ言えやしない」

(´・ω・`)「でも、それはあまりに哀しいじゃないか。
      お互いの、踏み込んじゃいけない領域が、この期に及んで益々拡大しているような気がして……」

ζ(゚ー゚*ζ「仕方が無いのよ。結局、私と貴方の間にある高い壁は、取り去れるような類いのものじゃないんだから」

(´・ω・`)「耄碌爺さんの話に、一つどうしても共感せざるを得ない部分があったんだ。
      僕の人生は、まるっきり不足していたさ。何よりもまず、涙が足りなかった。
      そして、命の尺も足りていなかったみたい。

      こんな人生が、実際のところ世界の主人公たる者の生涯では有り得ないんだ」
 
私を取り巻く、死という名の波状攻撃はあまりにも過剰だった。
少なくとも、息子を殺す理由はどこにも無かったはずだ。

しかしそれも、かの実業家という主人公を支える装置の働きであると考えれば、
幾らか合理的であるような気がする。少しは、救われる気もするではないか。
舞台の暗がりで蠢く群衆の一人ぐらいに、その手の悲壮が訪れねば退屈ではないか……。

81 ◆xh7i0CWaMo:2014/09/29(月) 00:35:42 ID:NLjW9Fhg0
私は、吹っ切れた気分を取り繕っていた。それを理性の端から頭へ、表情へ、全ての動作へと滲ませていく。
道化と言うほど完成されてはいまい。しかし、よく知る妻を欺ける程度には化けられたはずだ。
 
だから、妻の嘆息に似た問いにも、間髪入れずに応じられた。

ζ(゚ー゚*ζ「貴方は、これからどうするの?」

(´・ω・`)「帰るさ。当初の目的は果たしたんだから」
 
妻はその時、初めて頭を垂れて黙り込んだ。私たちを包むやるせなさは、余りにも重厚だった。
私は、誰にも反論させないほどに妻を愛している。
妻だって、きっと。しかし、それだけ似ている私たちの頭の中身は、今や完全に違う構造を呈してしまっているのだ。

歩み寄れる類いのものではない。土下座して承認されるものでもない。
少し昔、妻がよく言っていた言葉を思い出す。貴方に甲斐性があれば……。
そう、私に甲斐性があれば、今だってきっと。いや、しかし。

ζ(゚ー゚*ζ「……癌と闘って、余命半年を宣告されたのに何年も行き続けている人の話をよく聞くわ。
      だから、まだ可能性がないわけじゃないわよ」

(´・ω・`)「そうだとしても、もうすぐみんな死ぬんだろう? 同じ事だよ」

ζ(゚ー゚*ζ「でも、貴方には生きていて欲しいのよ」

(´・ω・`)「僕だって、君には長生きして欲しい」

ζ(゚ー゚*ζ「ねえ、愛してるのよ」

(´・ω・`)「僕だって」

ζ(゚ー゚*ζ「なのに、何故こんなにも違うの?」
 
分からない……。どうしようもないことを言うならば、妻にイメージなど浮かばなければ良かったのだ。
息子の弔いに艱難辛苦を舐めながら、それでもなお日常へと修正しようとしていく穏やかな生活の中で、
ある日突然死にたかった……。

82 ◆xh7i0CWaMo:2014/09/29(月) 00:37:16 ID:NLjW9Fhg0
私は立ち上がって彼女に背を向けた。私には、もうすぐ彼女が泣き出すと分かっていたのだ。
また涙を共有できぬ前に、出て行くことにした。

(´・ω・`)「それじゃ、また……。いや、さようなら」
 
少なくとも今、私たちは完全に自由だった。自由意思で、別離を選択したのだ。
それは、鼓動も速まらぬほどに息苦しかった。

※ ※ ※

83 ◆xh7i0CWaMo:2014/09/29(月) 00:38:31 ID:NLjW9Fhg0
私について。

……特に何も。

※ ※ ※

84 ◆xh7i0CWaMo:2014/09/29(月) 00:41:15 ID:NLjW9Fhg0
外に出ると、既に夜明けが始まっていた。街は来たときと同じような色で静まりかえっている。
沈む世界の突端にあるこの街は、特定の人々以外には見向きもされずに、このまま幕引きを迎えるのだろう。
あまりにも芸術的な話だ。しかし、あまりにも身勝手な話だ。
 
駅に入り、改札へ向かう途中に、私はぼんやりと立ち尽くす老婆の姿を発見した。
彼女は私に気付くと、口を曲げてあからさまに不機嫌そうな顔をした。

('、`*川「もう帰るのかね」

(´・ω・`)「ええ、早くしないと医者に怒られますので」

('、`*川「別にここに居ても構わんのだぞ」

(´・ω・`)「遠慮しておきます。お言葉に甘えるには、私はあまりにも惨めになりすぎました」

言ってから、私は、自らに残留する矜持に苦笑する。
私がここを去る理由はそんなものではない。私は再び、遁走するだけの話だ。

(´・ω・`)「ねえ、お婆さん」

そのまま私を見送ろうとする老婆に、少し意地の悪い質問をぶつけてみる。

(´・ω・`)「人生って、何だと思いますか」

('、`*川「そんなこと、分からん」

老婆は突っ慳貪な物言いで返してきた。

('、`*川「死んでから考えることにしよう」

(´・ω・`)「なるほど、それは名案ですね」
 
私たちは、傷をなめ合う者同士の笑いを笑った。そして、別れた。

85 ◆xh7i0CWaMo:2014/09/29(月) 00:43:40 ID:NLjW9Fhg0
改札に立つ守衛は、昨夜の二人とは別人だった。
私は努めて穏やかに、「失敗したよ」と声をかける。
片方の男が、眠たげに「そりゃ、お気の毒に」と答えてくれた。
 
寂れたプラットホームで始発をひたすら待った。その間は何も考えていなかった。
やがてやって来た電車に、薄い感慨だけを持って乗り込んだ。
 
走馬燈の街を離れていく電車が、徐々に朝と生気に向かっていく途中、不意に私の両眼から多くの涙が溢れた。

しばらく、何が起こったのか分からなかった。
頬を伝い、足下へこぼれ落ちていく雫を、私は屍体を眺めるように訝しげに見下ろしていた。
それが涙だと理解してもなお、私は呆けて垂れ流し続けていた。

86 ◆xh7i0CWaMo:2014/09/29(月) 00:45:50 ID:NLjW9Fhg0
私はさっき、彼女に一つだけ嘘をついた。
実はついさっきまで、私は私が世界の主人公であるという思いを払拭できずにいたのだ。
 
すなわち、人生はこのようなものだと考えていたのだ。

最初から悲哀に偏って設定されていたのならば、私の人生こそそれにふさわしい。
だから、老人への敗北感に苛まれることもなかった。
私はただただ卑屈に開き直ってみせただけなのだ。それが本心であると、自己暗示できるほどの名演だったと思う。
 
しかし、それならばこの涙は何なのだろう。決まっている。私はやはり私の悲しみを認められずにいたのだ。
この涙には、多くの意味が含まれているに違いない。息子の死、妻との別れ、自分の余命、世界の……
いや、それは別に構わない。私には、そんなことまでは分からない。

そう、私の涙は、全人類の終わりに捧げる涙などではなく、
自分の中で複雑に絡み合った問題を解きほぐすためだけの涙だ。

87 ◆xh7i0CWaMo:2014/09/29(月) 00:48:30 ID:NLjW9Fhg0
ようやく私は人間としてのスタートラインに立ったのだろうか。
悲しみの涙は、自分に自意識が舞い戻ってきた証だ。
ならばこれから、私はあらゆる大きな問題について考えていかねばならない。
 
遅い、遅すぎるじゃないか。残された限られた時間で、私に何が出来ると言うのか。
何より、私は人類の終わりとは切り離された自分自身の近しい死に整理をつけられるのか。

涙腺は次々に新しい涙を供給し続けている。
こんなことなら、もう少しあの部屋に留まって妻と共に泣き明かせばよかった。
 
私は自分の死を認めない。そんなはずはない、何かの間違いだ。
それを受け入れさせようとする現実からは孤立を決め込もう。そして、再び取り引きを持ちかける。
妻に会いたい、妻に会いさえすれば、死ねる気がする。

それから、更に人間らしい反応を……無理だ、とても間に合わない。
懸命に深淵の海でもがいて、もがいて、もがいて……。
それだけしても最後には死を、消極的に受容する道しか残されていないのか。

私は物語の完成を、万端整えて見守ることが出来ない。そしてその素晴らしさに、保証も持てない。

人生の終端の辺りで、次から次に後悔の残渣が見つかっていく。
目を瞠ればキリがない。私はまだまだ泣き続けた。

※ ※ ※





88 ◆xh7i0CWaMo:2014/09/29(月) 00:49:41 ID:NLjW9Fhg0
次は9/30の夜に投下します。
これは一種の短編集なので作品同士の関連は殆どありません。
あらかじめご了承ください。

では。

89名も無きAAのようです:2014/09/29(月) 01:05:02 ID:4k1oG.jo0
おつ
やっぱりあんたすごいわ。もうすごいとしか言いようがない

90名も無きAAのようです:2014/09/29(月) 01:10:11 ID:Egr4HY1s0

よかった。この話の続きはないの?

91名も無きAAのようです:2014/09/29(月) 01:50:09 ID:bUFown2s0

面白かった以外の言葉が思いつかないくらいに衝撃を受けた
この次の作品たちもwktkして待ってる

92名も無きAAのようです:2014/09/29(月) 04:06:28 ID:In1q7xO20
おおー!タイトルが印象的だったから覚えてる!
期待支援

93名も無きAAのようです:2014/09/29(月) 05:12:19 ID:2IIGlX7c0
よくわかんなかった

94名も無きAAのようです:2014/09/29(月) 07:48:14 ID:4GYhL2ps0
何だかんだアンタが戻ってきてくれるとホッとするよ
いつも楽しみにしている

95名も無きAAのようです:2014/09/29(月) 08:16:43 ID:K6waV.4.0
おつです
意外と読みやすかったし面白かった
名もない(´・ω・`)のなんとも言えない感情が最後に見れてよかった

>>30
の「探してきてやろう」の台詞は('、`*川が正しい?

96名も無きAAのようです:2014/09/29(月) 12:19:54 ID:Smz9n.qo0
また読めるとはwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

97名も無きAAのようです:2014/09/29(月) 12:22:18 ID:HwQIeaOQ0
Lastコン部もクル━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━!!⁇?

98名も無きAAのようです:2014/09/29(月) 15:04:04 ID:z9toAL2.0
初っ端から濃厚だなあ
おつ

99 ◆xh7i0CWaMo:2014/09/30(火) 20:39:35 ID:9BaR2n0c0
>>90
ないです。各短編は全て単品モノです。

>>95
そうです、失礼しました。

100 ◆xh7i0CWaMo:2014/09/30(火) 20:40:48 ID:9BaR2n0c0
3.午前五時(interlude 1) 20130403KB

始発列車が到着した先に降り立った男は、そこで初めて自分が記憶を喪ってしまっていることを漠然と理解した。
対面のホームでしばし待っていれば元の駅に戻ることができるのかもしれない。

しかし男は自分の乗車駅を把握していない。手元にあるのは具体的な切符ではなく抽象的なICカードだ。
駅員に訊けば正確なことが分かるだろうか。しかし生憎と男にはそれを実行するだけの勇気が無かった。

だから男は真っ直ぐ歩いて改札にカードをかざし、駅を出た。
カードが入っているのは茶色の、年季が入っていると思われる二つ折りの財布で、
現金はやや潤沢に準備されているようだった。

男は改札前にある支柱に身を預けながら財布の中をまさぐる。
小銭入れの中には、小銭ではなく小さな鍵と三桁の数字が記されたメモ用紙が入れられていた。

外に出た男は自分が尋常では無い眠気に襲われていることに気付いた。
始発電車に乗るということは昨晩、碌に眠っていなかった可能性が高い。

そもそも男はどこで何をしていたのだろうか。
毛玉の纏わり付いたコートやシャツは会社へ通うそれではなく、つまり私用であったと推測できる。
頭の鈍痛は過度な飲酒のせいと思える。では、胸を灼く焦燥感の正体は何であろう。

101 ◆xh7i0CWaMo:2014/09/30(火) 20:43:51 ID:9BaR2n0c0
いずれ男は歩き出した。
駅の前は閑散としていて、温度も相まって寒々しい。
遠近感の定まらない目線を左右へ走らせると、駐輪場の姿が映った。

男は財布の中に入っている鍵がそこに置かれている自転車のものであるかもしれないと思い当たった。
駐められている自転車にはそれぞれ番号が割り振られている。
男は財布の中にあったメモ用紙と見比べて、それらしい、チェーンの錆びた自転車を引き出した。

乗ってみると、自重でやや自転車が沈むのを感じた。両輪の空気が十分ではないらしい。
パンクに気を付けなければならないと思いながら、男はやけに重たいペダルを勢いに任せて漕ぎ出した。

とは言え、男には自分の目的地が判然としていなかった。
真っ直ぐ進んでも、左右に曲がっても、それは自分にとって正しいようには思えない。
引き返すのも妥当ではないし、立ち止まるのも恐らく間違いだろう。

警察へ身元照会に伺うべきだろうか。何とも馬鹿馬鹿しい話だ。
午前五時の記憶喪失者に、およそ公安を手間取らせるだけの意味などあるのだろうか。

男は自転車を漕ぎ続けた。
凍えるような風がコートを通して身体の中へ病魔のように侵入する。
しかしその風は、唯一男に心地よさを与えるものだった。睡眠への欲求を、自らの不安を、吹き消すような風だった。

自転車はゆっくりと、しかし着実に進み続けた。
夜明けを迎えた空が明るくなり、大きな人間がその空を漂っている。
人間の影が、男を着実にとらえ続けている。男は自転車を漕ぐ。

やがてのぼり坂に突き当たる。
男は坂をのぼる。無心になってのぼる。坂を。

のぼる。

102 ◆xh7i0CWaMo:2014/09/30(火) 20:46:48 ID:9BaR2n0c0
4.雷鳴 20120928KB

彼女が外出するのを見送ってから、ぼくはすぐ準備に取りかかった。
いつも通勤に使っているネクタイで輪を作り、リビングの椅子に上って吊照明に結びつける。

これが案外と手間取った。
輪の作り方は何度も練習を重ねて心得ていたものの、
照明の傘が邪魔してなかなか上手くネクタイを取り付けられないのだ。

この点はインターネットには記されていなかった問題だった。
不器用なぼくのやることだからテレビドラマで見るような美しい死に様にはなりそうになかったし、
何よりも、その問題にぶつかったことで本当にこの装置がぼくを死なせてくれるのか不安でたまらなくなってきた。

しかしぼくは決めていた。
苦心してネクタイを結び終え、今日のために書き留めておいた三枚の遺書をテーブルに重ねる。
あとは足下の椅子を蹴ってしまえば終わりだ。そう信じておかないとやってられない。

そう、首吊りは苦痛が少ないというネットの情報にしたって、試してみなければ分からないのだ。
だが、今の時点では楽に死ねると自分に言い聞かせるよりほかない。
 
そうして思い切りよく椅子を蹴飛ばそうとした瞬間、背後で凄まじい閃光が迸った。
ぼくは背中を氷で撫でられたような反応を示し、恐る恐る振り返った。

103 ◆xh7i0CWaMo:2014/09/30(火) 20:49:33 ID:9BaR2n0c0
椅子の上から見える窓の外は、いつの間にか仄暗い曇天に覆われていた。唐突に日が沈んだみたいだ。
夕刻までまだ時間はたっぷりと残されているはずなのに、今にも夜が降りかかってきそうである。
 
そんな状況に、ぼくは少しだけ興奮してきた。何だか、思いもよらずいい死に様になりそうだからだ。
部屋の電気も消してしまった方がいい、とぼくは思い、早速椅子から下りて照明のスイッチを切った。
それと同時に、遠くの方から微かな雷鳴が聞こえてきた。ぼくはますます盛り上がった。
 
再び椅子の上に立とうとしたとき、窓ガラスにぽつ、と一粒の水滴がすいついた。
それは次々とガラスにはりついて、たちまち全体に湿り気を纏わせる。
 
ぼくはほんの少し感傷的な気分でその模様を眺めていた。
雨は瞬く間に勢いを増して、どうどうと膨らんだ雑音をかき鳴らす。
夏の終わりにはありがちな、通り雨というやつだろう。そしてまた、空全体が瞬間的に輝いた。

ぼくは何の気なしに音が迫ってくるまでの時間を数えてみる。十を数え終わるぐらいでそれは響いた。
まだまだ雷雲は遠くにありそうだ。

104 ◆xh7i0CWaMo:2014/09/30(火) 20:52:16 ID:9BaR2n0c0
さて、準備は整った。舞台装置は、思った以上の効果を引き出している。
こんな雨の中で死に、晴れ上がった頃に天国へ舞い上がれるならそれは純粋に幸せな幕引きだろう。
椅子に上ってネクタイに首を通す。目を閉じて、ちょっとだけ過去のことを随想する。

これまでに関係を持った人たちのことを考える。豪雨の音ばかりがぼくの耳に届いている。さあ、行くとしよう。
 
唐突に玄関ドアの閉まる音が響いた。次いで、ととと、と部屋に駆け込んでくる軽めの足音。
ぼくは反射的に首からネクタイを離し、慌てて椅子から下りようとした。

しかし、二人暮らしには少し狭いぐらいの間取りで、
彼女がぼくを見つけるまでに平静を装うことなどできるはずもなかった。

105 ◆xh7i0CWaMo:2014/09/30(火) 20:55:50 ID:9BaR2n0c0
というわけで、ぼくは椅子の上で息を切らしている彼女と対面したのである。
しばしの沈黙のあと、まず彼女は部屋の照明を付けた。ぼくの滑稽な姿が白色灯の下に晒される。

それと同時に彼女の姿もようやく明瞭になった。
小刻みに上下している肩や頭が濡れそぼっていることから、彼女が傘を持たずに家を出てしまったことが分かる。
そしてそれを取るために急いで引き返してきたということも。

本来なら彼女は、友人との買い物であと二時間は戻ってこない予定だった。
二時間もあれば、ぼくの計画は確実に遂行されるはずだったのだ。
しかし、感傷的にも思えた突然の大雨がぼくから機会を奪い取ってしまったのである。

あまつさえ、ぼくの計画そのものすらも、
考えられる限り最も惨めな方法で彼女に見せつけることになってしまったのだ。

ミセ*゚ー゚)リ「なにしてるの」

と彼女は言った。死化粧のような温度の口調で。

( ・∀・)「いや、べつに」

とぼく。とても言い逃れできる状況では無かった。
ぼくの眼前で、丸い形のネクタイがフラフラとなびいてしまっている。

106名も無きAAのようです:2014/09/30(火) 20:56:15 ID:ndky9GqM0
待ってたよ

107 ◆xh7i0CWaMo:2014/09/30(火) 20:58:27 ID:9BaR2n0c0
椅子の上で突っ立っている間抜けなぼくを置いて、彼女はテーブルにあった――
本来ならぼくが死んだ後に読まれるはずの――遺書を拾った。
それは決して、目の前で読まれたい出来映えでは無かった。

何しろ死んでしまう理由が殆ど見当たらなかったから、
少ない要因をクレープ生地のように薄くのばしたようやくできあがった駄作なのだ。

彼女はしばらく目を通してからもう一度ぼくを見上げた。
悲嘆に暮れているようで、軽蔑しているようにも見える瞳。
ぼくは彼女の髪と瞳が好きだった。それらは、何故かぼくを非常に安心させてくれた。

ミセ*゚ー゚)リ「あなたがこんなことするなんて、思いもしなかった」

さっきよりは幾分重々しい口調で彼女は言う。
しかし、まだ端々に戸惑いが覗いて見える。

ミセ*゚ー゚)リ「でもわからない。これを読んでもぜんぜんわからない。あなたは何故死のうと思ったの。
       あなたは何故、死ななければならないの」

( ・∀・)「わからないよ」

こうなった以上、ぼくに残されているのは素直に白状する道だけだ。
ぼくはできるだけ自らの心持ちを、真実を話そうと努めた。

( ・∀・)「自分でも理解できないんだ。どうしてこんなことをしないといけないのか。
      でも、それはそういうものなんだと思う。そう捉えるしか方法はないんだよ。
      ぼくはとにかく、死ななければならないんだ」

108 ◆xh7i0CWaMo:2014/09/30(火) 21:02:10 ID:9BaR2n0c0
しかし、どうやったってぼくの言葉を素直だとは取ってもらえないだろう。
自分でも分かっていないことを相手に説明するなんて、どだい無理な話なのだ。

当然、彼女は納得しなかった。険しい表情のままぼくに近づき、

ミセ*゚ー゚)リ「降りてよ」

と言葉を投げた。ぼくは素直に従った。
今まで使っていたこの椅子が、普段彼女の座っているものだということに、そのとき初めて気がついた。
 
相変わらず降りしきる雨の音。
それはぼくを取り巻く状況の変化に合わせて、いっそう緊張感を際立たせているようにも思える。
ぼくも彼女も、互いに立ち竦んだまま一切の言葉を放てずにいた。

ぼくには、このような状況で口にするべき台詞が何一つ思い浮かばなかったのだ。
恐らく、彼女のほうも同じだろう。

ミセ*゚ー゚)リ「座ろう」
 
一分ぐらいしてから彼女はそう呟き、自ら率先して椅子に座り込んだ。
ぼくもテーブルの向かいにまわって腰を下ろす。
ぼくたちが対峙するその間には、醜悪な完成度の遺書が無造作に散らばっている。

できることなら今すぐにでもこの三枚を滅茶苦茶に破いて捨て去ってしまいたかった。
しかし、今この場で勝手な行動が許されるとはとても思えない。
ぼくはまるで、模範囚のような面持ちで彼女と、彼女の奥にある壁を見つめていた。

109 ◆xh7i0CWaMo:2014/09/30(火) 21:05:58 ID:9BaR2n0c0
稲光……修羅場を演出するにはあまりにも紋切り型に過ぎる。しかしそれは現実に起きていた。
ぼくは彼女の次なる言葉をただ呆然と待ち続けていた。
自ら何かを発するつもりは毛頭なく、ただひたすらに彼女へ従属しようという思いがあるばかりだった。

それは結局のところ逃避でしかないのかもしれないが、
だからといって積極的な行動が実を結ぶような場面であるとも思えない。
不思議と、ぼくは自分が浮気でもしてしまったかのような焦燥感に駆り立てられていた。

ミセ*゚ー゚)リ「ひどい」

と雨音にかき消される程度の声音で彼女は言った。

ミセ*゚ー゚)リ「どうして一言も相談してくれなかったの。何で頼ってくれなかったの」

( ・∀・)「ごめんね」

とぼくは少し俯いた。

ミセ*゚ー゚)リ「何かいやなことでもあったの。会社とか、人間関係とか……」

( ・∀・)「いや、万事がうまく進んでいたよ。ぼくにしては上出来なぐらい、順風満帆な人生を歩んでいたと思う。
      充足していない、なんてことは何一つないんだ。だから誰のせいでもないんだよ」
 
嫌みたらしい言い回しだと、われながら思った。核心を突かずにその周囲を堂々巡りしているような調子。
相手を苛立たせるには十分な冗長さがあった。
そう分かりながら口にするぼくは、おそらく愚かしいほどのあまのじゃくなんだろう。

110 ◆xh7i0CWaMo:2014/09/30(火) 21:08:31 ID:9BaR2n0c0
彼女はぼくの弁解を聴くと何故か説教でもされているかのようにしゅん、と小さくなってしまった。
ぼくの迷走した言葉を精一杯理解しようとしてくれているからかもしれない。

もしもそうだとしたら、一切を手放しにして喜べる程度には嬉しい話だ。
それはぼくの独占欲を大いに刺戟してくれる。
そしてほんの少し、計画の失敗を晒してよかったという風に思えるのだ。

ミセ*゚ー゚)リ「もう一度きくけど」

と彼女は下を向いたまま低く息を吐くようにして言う。

ミセ*゚ー゚)リ「どうして死のうと思ったの」

( ・∀・)「……何度でも、同じように答えるしかないんだ。ぼくにだってさっぱり分からない。
      ぼくは何の挫折も孤独も感じていないし、むしろ生きていることはとても素晴らしいとも思えるよ。
      それなのに、死ななければならないんだ。死なないと、もうどうしようもない」

ミセ*゚ー゚)リ「こんな理由で……」

彼女は粗雑に遺書を取り上げる。

111 ◆xh7i0CWaMo:2014/09/30(火) 21:12:10 ID:9BaR2n0c0
( ・∀・)「そんな理由で……いや、少し違うかもしれない。
      本当はそこに書いてあることでさえ嘘っぱちなのかもしれないんだ。
 
      ぼくの理由には元々心臓にあたる部分がなかったのかもしれないし、
      だからこそこんな気持ちになっているんだとも思う。

      でも少し前から今日実行しようと思っていたのは事実だし……
      ねえ、ぼくをメンタル・クリニックへつれていくつもりはあるの」

それはぼくにとって最大の懸案事項とも言えたが、彼女は何も答えてくれず、代わりに

ミセ*゚ー゚)リ「少し前って、どれぐらい」

と言った。

( ・∀・)「一ヶ月ぐらいかな」

と返すとそう、と頷いた。予兆を感じ取られなかったことについて悲しんでいるのかもしれない。
その気持ちは分からないでもなかったが、ぼくはますます歓喜を覚えた。

彼女はぼくを愛している。そしてぼくも彼女を愛している。
ただそれだけの事実を確認できるだけで、こんなにも快感が訪れるとは。
けれど、きっとこんな確認のしかたは間違っているのだろう。

112 ◆xh7i0CWaMo:2014/09/30(火) 21:15:34 ID:9BaR2n0c0
再び重苦しい沈黙。
湿気を帯びた熱が部屋の中にまで忍び込んできているようで、滅多に汗をかかないぼくの額にも水滴が浮かぶ。
雨脚は一段と強まっているように感じられた。
 
ところで……ぼくがメンタル・クリニック行きを望んでいないのは、何もそういった施設を恐れているからではない。
むしろそこはとても居心地の良い場所であると推測できる。
カウンセラーはぼくにとって最良と思えるアドバイスと薬を与えてくれるだろう。

だから、正当な動機さえあれば受診することもやぶさかではない。

そう、問題はぼくに動機が存在しないことだ。
確かに死にたがっているというのはそれに値するのかもしれない。
しかしそれ自体が、ぼくにとって最早重大な関心事ではなくなってしまっているのだ。

ぼく自身が問題視していない症状で医者にかかるというのは……
なんだか、自由人を虜囚と見紛ってしまっているかのような違和感を覚えてしまう。
 
しかし、彼女はそう思っていないらしい。いや、誰だってそうは思わないに違いない。
だから彼女は静かに、しかし激しく泣き出した。
その涙には怒りや、哀しみや、分類できない感情の複合体が含まれているのだろう。

そしてその殆どが、ぼくのための想いだ。これはたぶん、自意識過剰ではなく客観的事実であると思う。
逆の立場であったなら、ぼくも彼女と同じ行動をとっただろう。それはぼくが彼女を十分に想っているからだ。

113 ◆xh7i0CWaMo:2014/09/30(火) 21:18:35 ID:9BaR2n0c0
ミセ*゚ー゚)リ「もし、あなたがこんなことを、本当にしてしまったとして」

馬鹿馬鹿しいことに、ぼくらを照らす灯りの隣にはまだネクタイの輪がぶら下がったままだ。

ミセ*゚ー゚)リ「わたしは何もできなかったの。わたしは、あなたが消えてしまうのを黙って見送るしかなかったの」

( ・∀・)「それは……そうかもしれない。でも、何もできないのは、ぼく自身も同じなんだ。
      ぼくだって、自分をどうすることもできない。ぼくはここで、おしまいにしなければならないんだよ」

ミセ*゚ー゚)リ「あなたは、わたしのことを考えてくれなかったの」

( ・∀・)「いや」

とぼくは即答した。
実際、椅子を蹴る際に最初に浮かんだのは彼女の顔だったし、
一人で予行演習している際にも何回も何回も彼女のことを考えた。

それでも彼女に何も告げなかったのは、こうなってしまうことが分かっていたからだ。

ミセ*゚ー゚)リ「じゃあ、どうしてわたしを置いて消えてしまうの。
      あなたは良いのかもしれないけれど……わたしの立場はどうなるの。
      わたしは、これからどうすればいいの」

114 ◆xh7i0CWaMo:2014/09/30(火) 21:21:51 ID:9BaR2n0c0
ハープを奏でているような激情だった。
外の雨音に負けてしまいそうで、しかしまっすぐにぼくへ届くほどの芯の強さを持っている。
 
彼女の投げかけた問題は――少なくともぼくにとっては――本当に難しいものだった。
だからぼくはしばらく押し黙って、それからこう答えた。

( ・∀・)「もちろん、きみのことはずっと考えていたよ。片時だって忘れたことはない。
      でも、それ以前にぼくは今回やろうとしたことを……
      きみのこととは別問題として考えようとしていたんだ。

      その二つの間には越えられない壁があって、
      そのためにぼくは、きみのことを最後までは予測できなかったんだ」

ミセ*゚ー゚)リ「へりくつだよ、そんなの……」

そればかりは認めざるを得ない。
正直、自分でも何を言っているのかよくわからなくなってきた。

ミセ*゚ー゚)リ「それじゃあ、やっぱりわたしのことなんて考えてなかったようなものじゃない。
      だって、わたしは選ばれなかったんだから」
 
そもそも論争以前の問題として、ぼくには主張がどこにも存在していない。
ぼくは実際に彼女のことを常々想っていた。それは事実だ。

その一方で、ぼくはネクタイの輪がちょうど自分の首のサイズに合うよう何度も練習を繰り返し、
馬鹿みたいな遺書まで用意した。そして実際に行為に及んだ。それも事実だ。
何もかも明白であるというのに、どうしてこんなにも息苦しいのだろう。

115 ◆xh7i0CWaMo:2014/09/30(火) 21:24:28 ID:9BaR2n0c0
一応、この人間社会に生きている限りは自らの発言に責任を持たなければならないと思う。
しかし、中身を伴わない発言にはどうしたって責任の持ちようがないのだ。
ましてやそれが嘘偽りのない心情の真相そのものだとしたら、ぼくは空っぽの自分を弁護しなければならなくなる。

その虚しさときたら。

せめて、もう少し正当に聞こえる死の理由を考えてから行動に移すべきだったのだろうか。
今となっては遅い話である。とりあえず、今日死ぬというのはちょっと始末が悪い。

( ・∀・)「だいじょうぶだよ」

だからぼくはそう言った。

( ・∀・)「もう……今日はもう、こんなことしないから。それより、早く出かけないといけないんじゃないかな。
      雨はまだ当分降り続きそうだけど……」
 
そしてぼくは立ち上がり、今度は自分の椅子を使って天井のネクタイを取り外そうとした。
途端に彼女も乱暴に立ち上がって、ぼくを見た。唇を噛みしめていた。
双眸に、明らかな怒りの色が込められている。殴られるのかと思ってぼくは少し身構えた。

116 ◆xh7i0CWaMo:2014/09/30(火) 21:28:33 ID:9BaR2n0c0
ミセ*゚ー゚)リ「出て行く」

しかし、すでに言葉で頬に痛烈なビンタを浴びせていたのはぼくの方だったらしい。
彼女の涙声には屈辱が紛れていた。

ミセ*゚ー゚)リ「わたし、もうこの家、出て行くから」

( ・∀・)「どうして」

無意識のうちに疑問が口に出る。そう問いかける権利がないことは頭のどこかで分かっている。
だからと言って引き留めずにいるのは、なおのこと悪手であるというずる賢さも。

ミセ*゚ー゚)リ「だって、あなたがわたしのことを考えてくれないんだったら、
      わたしだってあなたのことを考えたくないもの。そんなの、不公平じゃん。
 
      だからわたしは出て行くよ。もっと一緒にいたいけど、あなたが死なないといけないんだったら、
      わたしも出て行かないといけないんだよ」

横暴であるようにも感じられたが、やけに説得力のある理論だ。
そう感じられるのは、ぼくと彼女が同じ理屈の俎上にのっているからだろうか。
どちらの言葉にも、もっともらしい意味や内容は含まれていない。

しかし、ぼくにはそれこそが彼女の素直な心情の吐露であり、空っぽのぼくへの返答であるように思える。
また、事実としてぼくが死んでしまったなら、彼女としてもとてもそんな場所に住み続けていられないだろう。
首吊りが最も気楽な死に方だとはいえ、死に場所のことも考えておくべきだった。

117 ◆xh7i0CWaMo:2014/09/30(火) 21:31:23 ID:9BaR2n0c0
それにしても、彼女の言い分をこのまま認めてしまってもいいものだろうか。
身勝手な話、できれば彼女にはぼくが死んでしまうまで離別してほしくなかった。
できることなら、なるべく彼女をそばに感じたまま――それでいて密かに――たくらみを成功させたかった。

でも、それはあくまでもぼくの都合だし、こうやって全部が暴露されてしまった以上、
心の中でそっと思っておくのも無粋というものだろう。

だからぼくは、自分がしようとしていることをより確実に実行するためにも、
彼女の言葉に首肯してやるべきなのかもしれない。しかし、あまりに冷たくは無いだろうか……
いや、今になってそう考えること自体が罪であるようにも思える。

ミセ*゚ー゚)リ「馬鹿」

ぼくの思案は彼女の言い放った一言によって不意に現実へ揺り戻される。

ミセ*゚ー゚)リ「馬鹿……」

彼女はもう一度呟いた。そしてしばらく口をつぐんで、更に

ミセ*゚ー゚)リ「馬鹿」

と繰り返した。

そして少しだけ苦しげにうめいてから、戻ってきたときと同じように部屋を駆け出ていった。
数秒と経たず、玄関ドアがいきおいよく閉まる。ぼくはその様子をぼんやりと見送ってから、
彼女がテーブルに落とした三枚の遺書を拾い集め、ぐしゃぐしゃに丸めてくずかごに放り投げた。

一度目を通されたのだからもう十分だ。書き直すこともないだろう。

118 ◆xh7i0CWaMo:2014/09/30(火) 21:35:47 ID:9BaR2n0c0
一切の出来事を遠くから眺めているような気分だった。
ぼくの感情は、死人の心電図のように少しも波立っていない。
ぼくの知らないところで、意識だけが眠っているような感じ。

映画館の最前列で、終わらないエンドロールを眺めているような気分。

彼女は少し慌ただしすぎたのではないかと思う。

ぼくに対しては、まだ説得の余地が残っていただろうし――
もっとも、彼女がぼくの強固な決心を見透かしていたとすれば話は別だが――、
着のみ着のままで部屋を飛び出すほど切迫した状況でもなかったように思う。

無論、そんな心境にまで追い込んだのは他ならぬぼく自身だから、彼女に文句をつけるのは筋違いだ。
しかしながら、さすがにあんな具合で飛び出されたのではいささか心配にもなってくる。
だいいち、彼女は財布も何もかも全部入ったハンドバッグを部屋に放置したままだ。

これでは友達に会いに行くこともできないだろうし、このまま二度と帰ってこないというわけにもいかないだろう。

ぼくはぼくの決心をひるがえすつもりはないが、それでも、うじうじとした罪悪感が湧き上がってくる。
それは一種回避行動のようなもので、自分自身を落ち着かせるための休息に過ぎない。
やはり、この場所で死ぬというのは少し考え直したほうがよさそうだ。

彼女がぼくのことをどう想い始めたかはさておき、これ以上彼女に苦痛を与えるのはさすがに良心が痛む。
そして、死ぬ時期ももう少し先に延ばしたほうがいいのかもしれない。
やはり、生きている人間が死んでいる人間に変化するときにはそれなりの面倒がつきまとうようだ。

死人が生きている人間の数倍も存在感を発揮することだって、珍しくないというのに……。

119 ◆xh7i0CWaMo:2014/09/30(火) 21:38:16 ID:9BaR2n0c0
閃光……先ほどより激しくなったような気がする。
ぼくは、彼女がおそらく傘を持たずに出ていったのだと気付いた。
黒々とした空は更に深さを増していて、まだまだやむ気配がない。雷鳴。随分と近づいてきたようだ。

ぼくの、客観的にみれば身勝手極まりない理屈で、部屋を追い出されるはめになった彼女が不憫でしかたない。
ぼくは傘を持って彼女を探しに出かけることにした。
傘は一本で構わないかとも考えたが、さすがに今の状況で相合い傘はありえないだろうと思い直して二本持つ。

彼女のハンドバッグはそのままにしておくことにした。
いずれ彼女は戻ってくるだろうし、本当に必要なものを全部揃えていたらそれこそ夜を通り越してしまう。

外に出てみると、叩きつけるような雨の勢いに改めて驚く。何かの拍子で神様が怒り狂っているかのようだ。

このどしゃ降りの中を彼女は本当に行ってしまったのだろうか。
二階建てのこのアパートには雨風をしのげる場所など廊下ぐらいしか見当たらない。
まず、ぐるりと建物のまわりを一周してみたが、彼女の姿を見つけることはできなかった。
 
それならば、どこへ行ってしまったのだろう。ぼくにはまるで見当がつかない。
いずれかのコンビニにでも入って雨宿りしているのかもしれないが、
この辺りにはそういった場所が散在しているし、もしもあてが外れていたら時間を無駄にするばかりだ。

アパートを出て右に進むべきか、左に進むべきか、それさえも判断が難しい。
とは言え、立ち止まっていても何にもならない。


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