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法華経について
62
:
犀角独歩
:2005/12/14(水) 09:18:48
ラスカルさん
> 太陽も月もだいたい白・黄・赤で表せる
こんなことを書くと、また、彰往考来さんに突っ込まれますよ(笑)
太陽光はスペクトル分析では虹の7色で、その外に赤外線と紫外線があるのでしょう(これも、不完全な説明であれば、彰往考来さんのチェックが入るでしょう)
いずれにしても白蓮・紅蓮・青蓮で、その色と太陽の見かけの色で連想されているのは、白蓮だけでしょう。
> 漫陀羅の守護者として愛染・不動が書かれている見方
うーん。少しニュアンスが違います。不動・愛染は日蓮漫荼羅の必須要件です。不動・愛染が漫荼羅を守護しているのではなく、不動・愛染が勧請されることによって、漫荼羅を持している人を守護するというのが正確なところでしょう。漫荼羅というアイテムの一つの意義、すなわち、御護の一面です。
> 漫陀羅は時間と空間と本尊(首題)を図示している構成
どのような意味でこう記しているのかはわかりませんが、表している時間があるとすれば、法華経が説かれたインドの釈尊の在世、それも見宝塔品から神力品で、空間(場所)ということであれば、虚空会を含む霊鷲山ということでしょう。
> 天台密教も勢力を築いてましたから。法華経の弘教に明王が書かれていても不思議だとは思いません
いや、不思議ですよ。何故ならば、日蓮は天台宗の真言化を批判しているのであって、純天台への復帰を標榜していたからです。となれば、真言の明王が介在する余地はありません。しかし、実際は不動・愛染、さらには大日如来も漫荼羅に勧請した、つまり、日蓮の密教的な側面がここに見られるというパラドクスが日蓮信者を悩ませてきたわけです。
ですから、不動愛染感見記を偽書だと切り捨てようとする短絡も起こったのでしょう。
> 何故、愛染と不動なのかはわかりません
この点は、既に顕正居士さんの秀でた達観がありました。つまり、不動愛染を脇士と見ると日蓮漫荼羅は宝珠曼陀羅と同配列になっているということです。日蓮の場合、宝珠とは一念三千です。三学無縁さんは、この宝珠とは、すなわち、生身の虚空蔵菩薩から袖の袂に入れられた智慧の珠であると推測していました。
> 刀剣と弓矢が武士の時代の証
これはラスカルさんの空想を超えるものはないでしょう。
彰往考来さんも指摘されていましたが、空想では事実にこぎ着けません。
必要なのは確実な証拠です。
空想は楽しいことですが、これと考証をごちゃごちゃにしては、駄目です。
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