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法華経について

41犀角独歩:2005/12/08(木) 11:39:24

一字三礼さん

Saddharma と pundarika の関係は「即」に近いようなことを仰っていた

そうですね。内容的には、そのようなニュアンスと、わたしも感じたのですが、この「即」はけっこう厄介ですね。真跡遺文では「生死即涅槃」の使用はありますが、煩悩即菩提がない、このことに気付いたときは、けっこう吃驚したものでした。

松山師のご説明で、たとえば Shakavyaghraというとき、これはシャカ族のトラということだが、シャカ族にもたたくサントラがいる、トラにもたくさんのトラがいる、けれど釈迦像のトラといえば、お釈迦様を特定している。このような用法が Shddharmapunadarika にもある。Saddharma はたくさんあるだろうし、pundarika もたくさんある、けれど、Saddharmapundarika はこの経典を置いてはない。2つの語が合成されるとき、ただ一つのものを指す場合がある、この合成語はまさにそうだというようなことを仰っていたと思います。

> インドを含めて東南アジアの仏像…一般的な仏・菩薩像の約束事が通じないものが多々あります。

やはり、そうなんですね。
わたしが大アンコールワット展で「へえ!」と思ったのは正装した釈迦像というものでした。袈裟ではなくて、正装しているのです。おまけに眉間白毫相がないわけです。
こうなるともはや釈迦仏像には見えないのです。でも、解説を見ると釈迦像だと。

> 大乗仏教発生の大きな要因

どうなのでしょうか。
大乗仏教と言われるもの、殊に般若経からはじまる経典創作と仏像の創作は、カニュシカ王のヒンドゥクシュ山脈を越えたインド遠征の原因に求めるというものでした。

> なぜ紀元前1500年にアーリアは世界中に散っていったんでしょうか。この点に興味がわきます。

たしかに仰るとおり、本当に興味が惹かれます。

思い出したのですが、法華経の題名は白蓮 (pudarika) であるのに、涌出品で地涌菩薩を見た弥勒が、その菩薩を蓮華に例えて讃えるとき紅蓮 (padma) になっている。多分、法華経の作者は外来の菩薩、弥勒をこのようにわざとずっこけたというか、的外れなキャラクターとして描いたのではないのかという松山師の分析は面白いと思いました。


れんさん

先の講義は、わたしへのお心遣いでご参加を遠慮されたとのこと、申し訳なく思っています。埋め合わせには不足ですが、一字三礼さんとのやり取りで少しでも、講義内容を記述し、お伝えしようと思っています。

松山師は、「この前の方々、今日も来るのかな」と気になさっていました。
そんな話をしながら、道行き、会場に到着すると先に一字三礼さんがいらしたという一幕もありました。この次はお会いできることを楽しみにしております。


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