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法華経について
36
:
いちりん
:2002/09/22(日) 17:07
教えというものは、ほんとうなら、意味が大切ですよね。
ところが、仏教が輸入された当時は、偉大なる超大国の中国の文物は、みんなすばらしいという考えでした。日本固有の文字もなくて、中国の文字を借りていたわけですよね。
ですから、「経典というのは、なにかわからないが、とても有り難いものである。そしてそれは、訓読したらありがたみがなくなる。霊的な力が出てこないのだ」と考えたのだと思います。まあ、呪術的な効果を期待したのでしょうね。
かといって、中国語の発音は、とても難しいわけです。ひとつの発音で、四つの発声がありますよね。それは、表記できない。で、そういうのは無視して、日本流の中国語の発音の仕方で、お経をよんできました。
意味などどうでもよい、むしろ意味が分からないから、ありがたいみたいな意識があったと思いますね。
つい最近まで、学者などが、ハイデッガーのダーザインがどうで、アウフヘーベンして、ツァイトがどうだ、とか。サルトルのアンガージュマンが、どうたら。訳のわからん言葉を使って、ありがたがるというか権威ぶるような風潮があったと思います。
西洋でも、キリスト教の典礼などは、みんなラテン語だったんですよね。それが、ありがたかったようです。でも、自分の国の言葉で、儀式を行うようになっていった。
でも、日本は、あいかわらず日本語読みの漢語でお経を読みますよね。
あれは、へんてこりんだなあと思いますね。
まあ読むほうにすると、訓読にすると、全然流れが悪くなって、読んでいて気持ちよくないのですね。このあたり、お経を読みやすいリズミカルな日本語に翻訳してこなかったためだと思います。
まれに、白隠の「坐禅和讃」などのように、美しくて迫力のある日本語のお経っぽいものがありますね。真宗なども、親鸞の和讃を読みますが、メロディーがあって美しいなあと思います。
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