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「広宣流布、本門の戒壇」の解釈又は定義について

48顕正居士:2002/10/06(日) 20:03
広宣流布

末法の始めの五百歳に上行菩薩が出現し、寿量品を中心にした法華経がその
五百歳の中に南閻浮提に広く宣べ伝えらるであろう、が日蓮の基本的の信念
であったでしょう。
「我が滅度の後、後の五百歳の中に、広宣流布」は釈尊から500年後の法華経
の作者が仏に仮託して云い、法華経が作成された時を指す。日蓮は五番目の
五百歳と解釈するが、趣旨は同じく日蓮の時代を指す。日蓮は基本的には
上行菩薩の先駆者であると称するが、彼の時代に広宣流布の基いが出来れば、
上行菩薩自身と云ってもよいであろう。それは彼が法嗣を決めなかった理由
でもあるだろう。最澄ではなく義真が初代の天台座主になったように、高弟
の誰かに期待したのだろう。広宣流布の基いはその範囲の時間と考えられる。

日蓮によれば、彼をさかのぼって三国に三師がある。釈尊は在世にマガダ国王
の帰依を受け、智者大師も然り、最澄のみ滅後に、義真に戒壇勅許、天台座主
補任があった。広宣流布とは教法が権威的に流布することであり、そんなこと
は時間がかかってなるものでない。幾百年経過してなるのは王朝文学のような
社会文化の結実である。日蓮宗は実際に広宣流布し、16世紀には日本の人口の
半分が信者であった。しかし、彼らは門徒間闘争に明け暮れ、建設性を有せず
腐敗堕落し、日本の独立と安全を脅威する勢力であったので、信長公、秀吉公
によって邪教とみなされるに至った。

49顕正居士:2002/10/06(日) 20:38
日蓮はサヴォナローラか?

内村鑑三はサヴォナローラに比し、渡部昇一はロヨラに比した。ジュネーブ
の人民を多数、火刑に処し、市の財産を焼き、みづから火刑台に消えた彼と
同じく、日蓮は狂信政治家の候補であったのか?サヴォナローラがその地位に
就いたのは人民の信服による、日蓮はその地位に就かなかったから、何とも
云えない。しかし、ロヨラに比するのは誤りだろう。ロヨラの教団は幾世紀の
間、分裂しない。サヴォナローラが権力を得なければ、サヴォナローラ宗が
今、あるだろうか?

*ジュネーブ市の宝物を焼く際、彼に教皇は買取を提案したが、拒否された。
教皇と秘書官の対話が残っているが、サヴォナローラは狂信の維持のために、
低い経済レべルが必要だと考えている、と教皇は述べた。

50犀角独歩:2002/10/06(日) 21:55

顕正居士さんが、48にまとめてくださったので、より闡明になりましたが、要するに私が記したかったことは以下の通りです

日蓮聖人は薬王品の「後五百年」を「五五百歳」として、(日蓮が考える)釈迦滅後2000年から2500年の間に広宣流布するとしたわけです。
ですから、日蓮が広宣流布を弟子に委託したとなれば、日蓮が立てた500年内広宣流布説は無効となると指摘したわけです。

しかし、私はその整合性を採るために日蓮が建長5年4月28日に唱題を始め、弘安5年10月13日にその一生を終えるまでの30年間に逢難成就し法華経の行者として出生の本懐を遂げたとすることが常不軽菩薩に同じとして、日蓮が広宣流布をしたと解釈すべきではないのかということです。

そうでなければ500年内広宣流布は出来なかったことになってしまうからです。
まだ、わかりづらいのでしょうか。
メールでの質問の方にお約束通り、公開でお応えしました。

51川蝉:2002/10/07(月) 16:26

犀角独歩 さんへ。
宗祖の広宣流布の解釈

「種々御振舞御書」にも
「諸仏の眼目たる妙法華経の五字、末法の始めに一閻浮提にひろませ給ふべき瑞相に日蓮さきがけ(魁)したり。わたうども(和党共)二陣三陣つづきて迦葉、阿難にも勝ぐれ、天台、伝教にもこへよかし。」
とあります。
宗祖は自らを広布の先駆けと任じられていたと言えましょう。
宗祖には初めの内には、若しかしたら公場対論までもってゆけるかもしれないと云う希望はあったであろうことは推測できます。
しかし、竜口法難を境に、ほぼ生存中には公場対論は望めないという気持が強くなったと推測します。

それは、「三沢抄」に
「而に去る文永八年九月十二日の夜、たつ(龍)の口にて頸をはね(刎)られんとせし時よりのち(後)ふびんなり、我につきたりし者どもに、まこと(真)の事をいわ(言)ざりけるとをも(思)て、さど(佐渡)の国より弟子どもに内内申す法門あり。」(1489頁)」
と有ることから推せられましょう。

私はやはり、宗祖は、末法の初めに三大秘法が唱え出され弘通される意と、やがて、日本国乃至一閻浮提に広がって行くと云う意の二意を含んだ経文として「我滅度後。後五百歳中。広宣流布。於閻浮提。無令断絶。」を扱われていると思います。

「我が滅度の後、後の五百歳の中に、閻浮提に広宣流布して、断絶して」
の文の「広宣流布して」の意を、広宣流布の完了(一国同帰の成就)の意のみと解釈すれば、宗祖は事実上、一国同帰の目的を果たす事が出来になかったのですから、
犀角独歩さんの
>日蓮が漫荼羅を記述した段階をもって広宣流布の成就と見なけれ
>ばならないのではないのかと考えるわけです。
と云う通りとなりますね。

そこで原典の口語訳を見てみると、それぞれ次の様に訳されています。
「宿王華よ、のちの時代、のちの時節、のちの五百年に、このジャンブー州において(本章が)ひろまり、消失しないように、」
(中央公論社・大乗仏典5・203頁)

「最後の時、最後の期、最後の五百(年)の転現する(時)に於いて、この閻浮提に流布せしめよ、消滅せしむるなかれ」
(平楽寺書店・梵漢対照 新訳法華経・467頁)

「最後の時・最後の折り・最後の五十年の経過している間に、このジャンブ=ドブィーパに行われて、消滅しないように」
(岩波文庫・法華経下・207頁)

「広宣流布して」の意は、広宣流布の完了を意味するものでなく、「弘め広げつづける」との意であるようです。
(最後の五百(年)については今の論題ではないので差し置きます)
ゆえに、宗祖が一国同帰を成就できなく、三大秘法の法門を建立し広め初めの先駆けだけにおわっていても、薬王品の文に外れたとは言えないと思います。

52犀角独歩:2002/10/07(月) 18:21

川蝉さん

ご丁寧なご説明、有り難うございます。
私の文章がまずいこともありますが、基本的に私が考えていることと違っていないことを記されてお出でなのであろうと拝察しました。

聖人は妙法蓮華経と本尊を、広く宣べ流布したから、ご自身が説かれた末法の始め500年を成就したというのが私の考えです。その先駆けのお一人であらせられた。その意味での聖人が広宣流布したと記したわけです。

ただ、聖人が述べただけでは、終わってしまいますから、その後、永遠に弟子達が広く宣べ流布しなければその法灯は消えてしまう、その点を私は「無令断絶」に見るわけです。
ですから、仰るとおり、広宣流布は常に現在進行形であろうと思います。
第一、人間の寿命など100年を越えません。つまり、100年すれば人はすっかり入れ替わってしまいます。仮に日本国一同に題目を唱えたとしても100年ということになりますものね。これは国王が法華経を持(たも)って同じことですね。事檀が建立されても、同じことが言えるわけですね。まさに「伝持の人無ければ猶木石の衣鉢を帯持せるが如し」ですね。

ところで、私がこの日蓮教説に限ったあとに、さらに展開の段階で問おうと思った文章を川蝉さんが引いてくださいました。

岩波、岩本師訳「最後の時・最後の折り・最後の五十年の経過している間に、このジャンブ=ドブィーパに行われて、消滅しないように」

この「五十年」を川蝉さんは、どのような解釈されてお出でですか。

53川蝉:2002/10/08(火) 17:34

犀角独歩さんへ。

>この「五十年」を川蝉さんは、どのような解釈されてお出でです
>か。

恐らく、薬王菩薩品の文は正法五百年の後の次の五百年に於ける広宣流布を語るものなのに、鎌倉時代に法華経が広宣流布する、あるいは流布すべしというと言う予言的な経文と受け取れるのか?と云う問題についての私の考えを問うているのかなと推測してコメントを書きます。

岩本博士がテキストとした原典が他の学者が用いた原典と異なるのか、あるいは、平川彰博士が
「梵本の『薬王菩薩本事品』には『五十』となっているが『五百』が正しいのであろう」(初期大乗仏教の研究1・160頁)
と云っています。他の学者も同じく原典に「五十」と有ったのを「五百」と訂正したのかも知れません。
語尾に「t」が有るか無いかの違いだけだそうです。

仏教学者は、「前の五百年」(正法が栄える時)が、「すんだ後の五百年」の事と解釈しています。

本化妙宗の山川智応博士が「基督教と日蓮聖人の宗教」において、6点の理由を挙げ、「前の五百年が、すんだ後の五百年の事でなく、最後の時、最後の期、最後の五百(年)と言う表現は、幾つか有る五百年の最後の五百年の意味ではないか」と論じていますが,

立正大教授の伊藤瑞叡師によると、
「大般若経の後時・後分・後五百歳も、法華経の原文のそれらも同格の換言用語であるから、幾つかの五百歳の意味にはならないのである。すなわち法華経の後五百歳説は、原意の上では第五の五百年ではないようである」(日蓮精神の現代・235頁)
との事です。

しかし、私としては、はたして「同格の換言用語であるから、幾つかの五百歳の意味にはならない」と簡単に、山川智応博士の論を考慮外に置いてしまってよいのだろうか?と言う思いも残ります。

「宿王華よ、のちの時代、のちの時節、のちの五百年に、このジャンブー州において(本章が)ひろまり、消失しないように、」
(中央公論社・大乗仏典5・203頁)
とあっても、正法五百年の次の五百年の期間だけ広宣流布すべしと言うことでなく、その後の時代にも、広宣流布すべきであると言う意趣が当然、籠められていると云えましょう。
末世になれば成る程、正法の流布ほ必要性はより高くなるからです。
法華経成文化者もそのように考えていたと思います。

仏滅後一千年内に限らず、その後の時代においても広宣流布しなければならないと言う意がある経文ですから、悪世に法華経が必ず広まっていく意味の経文であると解釈し得るわけです。

宗祖は当時の時代相を観察して、経文通りの悪世末法であると受け止め、末法悪世にこそ正法である法華経が広まる時であり、広めなければならない時であると確信されたのでしょう。

宗祖は、天台・伝教大師の後、両大師より一重立ち入った法華経本門に立脚した法門を把握し、勧持品の偈を色読されたことにより、自らこそ末世の弘教を付属された本化の菩薩であると自覚されたのですが、法華経がその流布を最も要請している所の悪世末世の始まりの時期が到来したから、宗祖の出現があったと見るべきだと私は思っています。
宗祖の出現と云う結果から、逆に考えるわけです。

54顕正居士:2002/10/09(水) 07:53
西元552年、1052年、1552年

「最後の」、「法滅の」時は経の作者が仏に仮託して今をいうから、仏の滅後
500年、1000年とあれば、その頃に作成されたと想像できる。経が作られたのは
滅後500年(大乗)、1000年(密教)に集中してはいる。『方等大集経』のは
4個あるいは5個の500年をいい、ゾロアスター教の「終末史観」を摂取したのか
知れない(トルキスタンで出来た)。今、我々は釈尊がソクラテスと同じ時代
の人であることを知っているが、それは北伝経典に仏の滅後100年に阿育王出世
とあり、彼の年代がギリシャの記録から判るからである。古代の中国人はその
年代を知るすべがなかったので、西元前11世紀に素晴らしい聖人が西方で誕生
したらしい、そういう吉祥があったという記録にこじつけ、700年も昔にして
しまった。この計算を『大集経』に施すと、西元552年に末法に入る。漢末の
大動乱、『三国志』の時代を、魏晋しばらく統一したが、ほどなく南北朝の
異民族侵攻の時代となる。「末法」を背景に浄土教、天台宗など、中国独自の
仏教が発達した。わが国への仏教公伝には538年説があるが、『日本書紀』が
552年とするのは末法元年だからである。しかし藤原政権に衰弱がはじまった
11世紀、『大集経』には5個の500年ともあるゆえ、西元1052年に末法に入ると
日本人は喧伝した。「末法」を背景に日本独自の仏教が発達した。五番目の
500年の説は日本で流行しており、日蓮の創意ではない、責任でもない。だが
五番目の500年の終わる時には、何が起こっただろう。日蓮宗がその使命を
おえるはずの1052年の前後には。天文法華の乱(1536年)である。この頃の
日蓮宗徒は人口の半数であり、最も有力なキリスト教の敵であるとパードレ達
は記した。明治年間に20家の宗教華族が叙爵された際、両本願寺のみ伯爵、他
の18家は男爵、すべて真宗異流と神道家であった。(興福寺門跡は還俗を前提
に叙爵されたので宗教華族に入れない)。

55顕正居士:2002/10/09(水) 08:41
国史に徴すれば

日蓮宗は後の五百歳、室町時代に広宣流布した。上宮太子に始まり、最澄に
よって国民宗教になった法華信仰は衰えず、復興したのだから、日蓮の感性は
正しかったのだ。次の五百歳は真宗の世になったようだ。五百歳のその後も
未来際まで記憶されるだろうという希望も実現している。しかし「去暦昨食」
だから、カルトの発生源となる。真宗の6番目の五百歳もおわりつつあるから、
親鸞会が発生している。では7番目の五百歳に活躍する宗教があるだろうか?
あるとも云えるが、今日の宗教は教会や教団を必要としない、教会や教団は
葬式の他は、カルトの発生源に次第になる。なぜ今日の宗教は教会や教団を
必要としないか、宗教に魅力があったのは経済のレベルが低い頃には、科学者
と芸能家が教会や教団で生活していたからである。科学者も芸能家も独立し、
現代の宗教に貢献するのは企業である。大衆芸能が現代の「経」であり、
科学書が現代の「論」である。教会や教団の「宗教」は「反-宗教」であり、
「マルチ商法」の仲間であることを、はまっていない人なら知っている。

56犀角独歩:2002/10/09(水) 11:14

53 川蝉さん:

有り難うございます。日蓮門下の教科書的なご解答と嘆じました。

正直な感想を記せば、引用いただく本化妙宗の文章から、「解釈が信仰されている」…、個人的な感想ですが…という印象を受けました。

私個人としては「宗祖の出現と云う結果から、逆に考える」ことは、ずっと申し上げているとおり、反対の立場であることを、ここに改めて申し上げておきます。
もちろん川蝉さんを批判することではありません。

私が質問した薬王品の当該箇所は

ナクシャトラ=ラージャ=サンクスミタ=アビジュニャよ、偉大なる志を持つ求法者(ぐほうしゃ)『サヴァサットヴァ=プリヤダルシャナの前世の因縁』の章が最後の時であり、最後の機会である最後の五十年の経過している間に、このジャンプ=ドゥヴィーパに行われて、消滅しないように、また魔王パーピーヤス(波旬)が襲撃の機会を得ず、悪魔の眷属や神や、竜、ヤクシャ、ガンダルヴァ、クンパーダどもが襲撃の機会を得ないように、余はそれを汝に委ねよう。

となっています。私がこの訳文で特に注目したのは50年という点ですが、しかし、それだけではありません。上述の文を漢文訳に充て必要な箇所のみ書き直してみます。

宿王華よ、薬王菩薩本事品が最後の時であり、最後の機会である最後の五十年の経過している間に、この閻浮提に行われて、消滅しないように、…余・釈尊はそれを宿王華・汝に委ねよう。

原文で見る限り、50年が、500年であったとしても、この年月はやはり、薬王菩薩本事品が説かれたあとの50(500)年しか意味していません。また、さらに重要なことはこれを委ねられているのは、上行菩薩ではなく宿王華であるということです。

この経典をどこで誰が創作したのか、私にはわかりません。しかし、たぶん、ここで言われる菩薩達は、その創作者達の信仰対象者、あるいは自分たちの投影であったのであろうと思います。自分たちが生きている時代を、すなわち薬王菩薩本事品が創作された時期を仏滅後50年、あるいは500年と見なして、この経典は創作されたのであろうと私は考えます。つまり、仏滅後2000年という創作者と関係のない未来を予言して書いたのではなく、釈尊に予言をさせる形を採って自分たちのことを書いたのであろうと思うわけです。

そんなことからも、この「50(500)年」は末法の始めの500年とはまったく無関係であると私は思います。

私はやはり、法華経の真実は、日蓮が戻って読んでいくのではなく、法華経から時系列を追って読んでいかない限り、日蓮(解釈)信仰が固定概念化し、正しい認識は得られないと思うわけです。

もちろん、これは川蝉さんの信仰を誹謗するものではありません。
ご丁重なレスに感謝申し上げるばかりです。

57川蝉:2002/10/09(水) 17:18
56 : 犀角独歩 さんへ。

>仏滅後2000年という創作者と関係のない未来を予言して書いたの
>ではなく、釈尊に予言をさせる形を採って自分たちのことを書い
>たのであろうと思うわけです。

勧持品も、法華経信奉者達が、他集団から攻撃を受けた体験をベースにして、(このことは通説になっていますね)将来・悪世に弘通する者は、かかる非難攻撃を受けるであろうと、云うに将来に視点を置いて語っています。

犀角独歩 さんの読み方から云うと、勧持品の「濁劫悪世の中」の意は、法華経創作者当時を指しているだけで、遠い将来世のことなど視野にいれてないと云うことになるのでしょうか。

「見宝塔品」に
「もろもろの仏子等 誰がよく法を護らん まさに大願を発して 久しく住することを得せしむべし」
とあるのは、法華経創作者当時の信奉者に向けているだけの言葉としてしか解釈しないのでしょうか。

薬王菩薩本事品はじめ法華経全編は、当時の信奉者のみを対象にしたものでなく、将来世の悪世を視野に入れたものであり、我々に、現に語りかけられている言葉として受け止めるところに、法華経は生きて来るのだと思います。

これは私の基本的立場です。

「是の故に宿王華、此の薬王菩薩本事品を以って汝に嘱累す。我が滅度の後、後の五百歳の中に、閻浮提に広宣流布して、断絶して、悪魔、魔民、諸天、龍、夜叉、鳩槃荼等に、其の便を得せしむること無かれ。」
とあり、
たしかに、「宿王華よ薬王菩薩本事品を正法五百年の次の五百年の期間において広宣流布すべし」と云うのが、経の元々の意(原意)と云えます。
しかし、伊藤瑞叡立正大教授が「日蓮精神の現代」において、
「流布すべしとするものは、薬王菩薩本事品ではあるが、これは妙法蓮華の法門に摂せられるものであり、しかも法門の真意は妙法すなわち正法であるから、結句は妙法である。すなわち、法華経は正法(=白法)滅尽の時をモメントとして真の仏法たる正法(=大白法)の興隆が企図さるべきであるとする意志を表明していると解されよう・・法華経においてこの経文の主旨である正法の興隆ということは、原意のままの後五百歳では、その後の仏滅一千年を経過してからは、人類の歴史の上にリアリティを失いかねないものとなってしまう。そこで法華経の原意(事実)ではなくて、その原意生み出した真意(真実)はどこにあるのか、ということが問われるべきであろう。・・常に正法がまさに滅せんとするという正法滅尽の危機意識にあり、そうして正法の興隆にこそあるといえよう。原意に固執して枯死せしめてはならないのである」(233〜236頁)頁)
と論じていますが、こうした、経文の受け取り方が大切だと思います。
「薬王菩薩本事品を広宣流布すべし」とあっても、本文を見れば分かるように、法華経を十諭讃歎し法華経の受持の功徳を讃えている内容ですから、「薬王菩薩本事品」を広宣流布することは、事実上「法華経を広宣流布すべし」ということです。

法華経は仏滅後の悪世に弘めるべき価値のある正法であると云うのが、法華経の底にある真意です。「見宝塔品」の教勅が「正法五百年の次の五百年間」の弘通を命じているだけで、遠い将来世の弘通を募っていないとは云えないでしょう。
その遠い将来世に渡って広宣流布すべきであるというのが、法華経全体に流れる真意でしょう。

「薬王菩薩本事品」に「正法五百年の次の五百年の期間において広宣流布すべし」という原意あっても、その真意は「正法五百年の次の五百年の期間」だけの広宣流布を望んでいるだけでなく、遠い将来世に渡って広宣流布すべきであるという事が真意であると読むべきだと思います。

ゆえに「そんなことからも、この「50(500)年」は末法の始めの500年とはまったく無関係であると私は思います。」と云う犀角独歩さんの見解には首肯できません。

上に述べましたが、「薬王菩薩本事品」を広宣流布することは、事実上「法華経を広宣流布すべし」ということです。
その法華経の中に、上行等が弘通を誓っていると云うことになっているのですから、「上行菩薩ではなく宿王華に委ねられている」としても、「薬王菩薩本事品」が上行菩薩の弘通を無視して、法華経の一品に加えられているとは云えないでしょう。

今回の問題についても、私と犀角独歩さんとは基本的立場が違うようですね。

58犀角独歩:2002/10/09(水) 19:48

57 川蝉さん:

> 基本的立場が違うようです

これはあまりにも当然すぎることではないでしょうか。
しかし、これは立場の違いと言うより、原意を重んじるか、解釈を重んじるかの相違でしょう。

さて、いくつかまるで誤解があるようなので、その点だけは記します。l

> 勧持品の「濁劫悪世の中」の意は、法華経創作者当時を指しているだけで、遠い将来世のことなど視野にいれてないと云うことになるのでしょうか。

そんなことはまったくいっておりません。

> 「見宝塔品」に法華経創作者当時の信奉者に向けているだけの言葉としてしか解釈しないのでしょうか。

これも違いますね。

> 薬王菩薩本事品はじめ法華経全編は、当時の信奉者のみを対象にしたものでなく、将来世の悪世を視野に入れたものであり、我々に、現に語りかけられている言葉として受け止めるところに、法華経は生きて来るのだと思います。

ですから、これは解釈ですね。
ここで記されていることで重要な点は「薬王菩薩本事品はじめ法華経全編」という部分ですね。私は薬王品の該当部分について記しているわけです。それがいつの間にか法華経全体となってしまっています。この差です。宿王華に充てたものが法華経全般に係るとし、さらに大集経の三時にもかかると次々と拡大していくこの解釈の部分です。ここに対して私は疑問を投じているわけです。このことと原文が示すところろは一致しないわけです。
ただし、令法久住、そして、無令断絶の結果、今私たちは法華経を手にしています。その意味で、いまここに法華経が生きているのは事実でしょう。
しかし、「自分たちに語りかけられている」と取るから、法華経が生きているのではなく、先哲の努力によって今に至るまで法華経が伝えられたから生きているのでしょう。

> たしかに、「宿王華よ薬王菩薩本事品を正法五百年の次の五百年の期間において広宣流布すべし」と云うのが、経の元々の意(原意)と云えます。

そのとおりでしょう。

59犀角独歩:2002/10/09(水) 19:48

―58からつづく―

> 伊藤瑞叡立正大教授…

ですから、これは解釈であって原意ではないでしょう。
学者先生が何を言ったから正しいとは限りませんでしょう。

もちろん、どのように解釈し、自分たちに当て嵌めるかは、それは勝手です。
しかし、私が問題にしているのは解釈ではなくて原意です。
ここを取り違えないでください。原意と解釈を同列に並べて、原意はたしかにそうであるけれど、こっちの解釈のほうがいいなどという話をしているわけではありません。
そもそも原意と違う解釈など、何の意味があるのでしょうか。

> 「見宝塔品」の教勅が「正法五百年の次の五百年間」の弘通を命じているだけで、遠い将来世の弘通を募っていないとは云えないでしょう。

そんなことは私は一言も言っていませんが。誤解されておりませんか。

> その遠い将来世に渡って広宣流布すべきであるというのが、法華経全体に流れる真意でしょう。

これは、その通りであると思いますが。私はその点に何等異論を記しておりません。


> 「薬王菩薩本事品」に「正法五百年の次の五百年の期間において広宣流布すべし」という原意あっても、その真意は「正法五百年の次の五百年の期間」だけの広宣流布を望んでいるだけでなく、遠い将来世に渡って広宣流布すべきであるという事が真意であると読むべきだと思います。

どのように読むかは、それは読者の勝手でしょう。
しかし、問題にしているのは原意です。

> ゆえに「そんなことからも、この「50(500)年」は末法の始めの500年とはまったく無関係であると私は思います。」と云う犀角独歩さんの見解には首肯できません。

私は川蝉さんの原意と解釈のうち、「解釈のほうを優先する」、その読み方が納得できないわけです。解釈であればなんとでもいえるわけです。

たとえば創価学会は「自分たちは仏意仏勅の団体である」というのです。日蓮は本仏であるというのです。板漫荼羅は生きた日蓮であるというのです。そう解釈するのは勝手です。この解釈者はもちろん石山・寛師です。しかし、これが正しいかどうか、それは解釈によっては決するべきではありませんでしょう。厳正に原意を見るしかないことです。私が、ここの議論で解釈論争を避けるのは、そのような理由です。

> 「薬王菩薩本事品」を広宣流布することは、事実上「法華経を広宣流布すべし」ということです。

このように断定できるのは解釈だけでしょう。
そのような自覚で法華経を信奉され、弘通されるのはご勝手です。しかし、それを恰も原意である如く記すべきではないというのが、私の言わんとすることです。

> その法華経の中に、上行等が弘通を誓っている…

ここからはまるで私の立てた問題定義とは全然関係のないことを論じられていますね。

私が言っていることはそんなことではありません。何で薬王品の50年(500年)が仏滅後2000年から2500年を指したことになるのかという点です。

どうしてなると川蝉さんはお考えになるか、それはまた解釈に拠るわけでしょう。結局、法華経の原文・原意からまったくそんなことは言えないわけです。

それとも法華経のなかにインド応誕の釈尊の滅後2000年から2500年の内に広宣流布と書かれているとでも仰るわけですか。

原意と解釈、さてどちらが真実か、私は解釈に拠らず、原意を見ることによって実像というパンドラの箱を開けてみようと思うのです。

この点では川蝉さんとは、交わる点は何もないかもしれませんね。

60犀角独歩:2002/10/09(水) 20:13

【59の訂正】

誤)> 「薬王菩薩本事品」に「正法五百年の次の五百年の期間において広宣流布すべし」という原意あっても、その真意は「正法五百年の次の五百年の期間」だけの広宣流布を望んでいるだけでなく、遠い将来世に渡って広宣流布すべきであるという事が真意であると読むべきだと思います。

どのように読むかは、それは読者の勝手でしょう。
しかし、問題にしているのは原意です。

正)> 「薬王菩薩本事品」に「正法五百年の次の五百年の期間において広宣流布すべし」という原意あっても、その真意は「正法五百年の次の五百年の期間」だけの広宣流布を望んでいるだけでなく、遠い将来世に渡って広宣流布すべきであるという事が真意であると読むべきだと思います。

ここで言われている「原意」は原意ではないでしょう。すでに解釈が混じっています。
どのように読むかは、それは読者の勝手でしょう。
しかし、問題にしているのは原意です。

61犀角独歩:2002/10/10(木) 08:09

達師がまだ精道師の名乗りの頃、まとめた『板本尊偽作論を粉砕す』は私にとって、戒壇之本尊が本物であることを信じる大切な一書でした。その意味から人にも何度となく勧めてきました。しかし、これをいま読み直すと疑問は次々と涌きます。この点を何点か記してみようと思います。

なお、記すに辺り、には深くお詫び申し上げるものです。

いままで、この書を良書として勧めた方々、以下、記すことによって、私の過去の言動、殊に板漫荼羅真作とする発言を改めて、撤回し、お詫び申し上げるものです。

以下、日蓮正宗布教会編の文章ですが、発行者・代表が「細井精道」となっているので達師の言として扱います。

■板本尊偽作論を粉砕するに見る達師の言を検証する(1)

P11に「大石寺に於ては信徒の願い出があれば御開扉申し上げている。少しもひた隠しにしていない」

まず、ここで信徒の願いがあれば御開扉をするという。石山で言う「広宣流布の暁まで秘蔵厳護する」というのは、こんな本音と建て前の使い分けなのでしょう。
たとえば石山行事に「不開(あかずの)門開き」というのがあります。広宣流布の暁に天皇の勅使が通るための門であるから勅使門ともいう門です。石山のアナウンスに拠れば、信徒に供養をさせ功徳をえさせるために年に1度はこの門を開けるというものです。広宣流布の暁まで開けない門は、なんということはない、毎年1回は開けられているわけです。こんな本音と建て前、きれい事と現実の使い分けが、石山にはあまりに多い。

純粋な信徒はきれい事を信じ、「広宣流布の暁まで戒壇の御本尊様は秘蔵厳護され、天皇の勅使が来るまで不開門は開かない」と胸を熱くするわけです。ところが信徒の願いがあれば御開扉はするし、供養を受けるために不開門開きなる行事まであるという理想の現実の前に愕然とさせられるわけです。一連の顕正会の理想行動と石山との軋轢は、こんな本音と建て前、理想と現実の大きなギャップに走った大きな亀裂であったのではないでしょうか。

「…信仰のない者に拝ませる必要が何処にあるのか。そういうことは御賽銭稼ぎの他に意義はない。安永君(板本尊偽作論の著者)は自分の門流で御賽銭稼ぎに御開帳をやっている、その頭で律するから、そういふ説を立てる」

まず、ここで立正大学の先生である安永師を、自分たちに誹謗したものである、破折し、教訓してやる、こんな意気込みなのでしょう。「君」付けで一貫して呼んでいます。このような他者蔑視はすでに教義の正邪、団体・指導者の正邪以前の人間性の問題です。実に見苦しい非礼な態度であると批判しておきます。

ここで他山の御開帳を賽銭稼ぎと詰(なじ)っています。
しかし、では、一律の内拝料金を定めて徴収し、かつ、信徒であれば誰でも御開扉を受けさせることと何処が違うのでしょうか。広宣流布の暁まで秘蔵厳護の理想とは大きく隔たった現実です。

他宗と言葉の使い分けをしていますが、対照すれば、

御開帳=御開扉
内拝料=御賽銭

ということになります。つまり達師の言を当て嵌めてみると「内拝料稼ぎの他に意義はない。内拝料稼ぎに御開扉をやっている」となります。まさに点に唾する類の発言でしょう。(つづく)

62犀角独歩:2002/10/10(木) 08:11

【61の訂正】

2段落目「なお、記すに辺り、には深くお詫び申し上げるものです」削除。

63菊水護国:2002/10/10(木) 09:35
> たとえば石山行事に「不開(あかずの)門開き」というのがあります。広宣流布の暁に天皇の勅使が通るための門であるから勅使門ともいう門です。石山のアナウンスに拠れば、信徒に供養をさせ功徳をえさせるために年に1度はこの門を開けるというものです。広宣流布の暁まで開けない門は、なんということはない、毎年1回は開けられているわけです。こんな本音と建て前、きれい事と現実の使い分けが、石山にはあまりに多い。

1個だけ事実相違してますので
開かずの門が年に一度開きますが「信徒」の供養を受けるためでなく「信徒以外」の供養を受けれる儀式です。
勅使門が開くときの勅使は当然、信徒ではありませんから、それを模してる訳です。
「信徒以外の供養を受ける事が出来る」例外と思ってください。

64犀角独歩:2002/10/10(木) 10:35

63 菊水護国さん:

これ本当ですか。そうすると勅使門を使って謗法の施まで受けているわけですか。
これは本当にひどい話ですね。貴重なご指摘有り難うございます。

しかし、勅使は天皇が“帰依”してくるわけですから、謗法の使いではないでしょう。矛盾していますね。要するに謗施でもなんても貰えるための理屈付けというわけですね。

以上、石山の「謗法」義に基づいて記述しました。

65犀角独歩:2002/10/10(木) 11:22

先に簡単に整理すると、達師は

a) 身延の本堂には戒壇之漫荼羅が安置されていた
b) 以前は御影堂に戒壇之漫荼羅は安置されていた
c) 客殿の後ろに広宣流布の暁までしまっておく
d) 信徒から願い出があれば御開扉(開帳)する

と、こんな調子で言うことは変わってきています。

a の如く身延本堂に安置されていたというのであれば、秘蔵厳護でも何でもない。
b の如くで、a に同様。けれど、御影堂は信・不信を問わず参詣できた。
c は広宣流布まで見せない(d の意は含むと思われる)
d は信徒なら見せる

という変遷が見られます。では、どれが正解と見るべきなのか。

a の身延本堂安置の本尊が戒壇之漫荼羅であったとしたら、まさにその場所こそ、戒壇堂であったことになるわけです。なぜならば、本堂といい、戒壇之漫荼羅が安置されているからです。

ところで、ここでは30人、多いときで60人の僧俗が寝食を共にされていたわけです。この状況は秘蔵厳護とは言わないでしょう。しかも秘蔵厳護するはずの本尊を本堂に安置するのは、そもそも現石山義と隔たっています。

次に、江戸時代には御影堂にあって誰でも参拝できた。ところがそのあとに御宝蔵にしまわれて、願いがないと見せないと変遷したことが窺えます。この時期はどうやら江戸時代のことのようですが、なんで、こんな措置が執られたのか。たぶん、この段階で用意された理屈が「広宣流布の暁まで秘蔵厳護」ということなのでしょう。さて、この理由は何であったのでしょうか。

また、この時代までの通日蓮門下教学では戒壇論は理壇・事壇の議論であったわけです。簡潔に記せば、漫荼羅安置の場所は理壇、戒壇堂の建造が事壇です。

ところが、御宝蔵に戒壇之漫荼羅をしまい込んだ頃と時期はそう変わらないときにでた寛師は、この理事戒壇論を踏襲しながら、義事戒壇ということを言いだし本門戒壇の解釈を加えます。漫荼羅処住のところはいずこも義の戒壇、けれど戒壇之漫荼羅安置の場所だけが事の戒壇、それも広宣流布の暁に本門寺と改称して天原原に戒壇堂を建立するとき、そここそが事の戒壇と述べていくわけです。

(義事戒壇論を他門で私は知りません。これは単なる私の不勉強によるかも知れません。間違っていれば、ご叱正ください)

たしかにこんな意義を孕ました戒壇之漫荼羅が誰でも見られるところにあっては、なにかと権威が墜ちる殊になるのは頷けます。しかし、人によっては、この秘蔵は要するに御開帳供養を得るためのものであったとも言います。

理屈があるからそうなるのか、現実が先行して理屈がつけられたのか、この戒壇之漫荼羅の扱いの変遷は、その真議論とは別に興味のあるところです。

66菊水護国:2002/10/10(木) 12:59
1つだけ間違えました。
当宗は「不受不施」の中の「受不施」ですから、信徒以外の供養も受けてもよかったんですよね(開かずの門だけ例外と言うのは訂正します)。
学会がガチガチの考えを流入しただけでしてね。
塔婆も別に入信者でなくとも、願主となれますしね(未だにガチガチの所はありますが)。
ようは、他宗にある事は本宗にもあると考えて良いでしょう。
さて、勅使門の年に1回の開きについては、寛師の深い意味の文献もあるのですが、ちょっと公開できませんね。
皇室にかかる事ですから・・・(おそらく、件のOさんは持ってるかも・笑)。

67犀角独歩:2002/10/11(金) 01:36

66 菊水護国さん:

あれ、寛師ですか。でも有師の

一、他宗難じて曰く、謗施とて諸宗の供養を受けずんば、何ぞ他宗の作くる路、他宗のかくる橋を渡るか、之れを答うるに、彼の路は法華宗の為に作らず、又法華宗の為に懸けざる橋なり、公方の路、公方の橋なるが故なり、法華宗も、或は年貢を沙汰し或は公事をなす、故に公界の道を行くに謗施と成らざるなり、野山の草木等又此くの如し云云。

という一節があるではありませんか。
となると、寛師で変わったわけですか。
もっとも寺請制度に取り込まれて、国家体制に取り込まれていたわけですから、中世以降、謗施もなにもあったもんじゃないですね(笑)

68犀角独歩:2002/10/11(金) 08:18

■板本尊偽作論を粉砕するに見る達師の言を検証する(2)

石山では以前から漫荼羅の写真を撮ることは「謗法」なのだという。石山信徒はそのように教えられてきたわけです。

P11に「安永君は熊田葦城氏の『日蓮上人』の初版に(戒壇之漫荼羅)の写真が掲載されているというが、此れは某信徒が葦城氏と相談して写真を出したならば世間に知らしめて非常に効果があると考えて大石寺に願ってやったことである。
 しかるに効果どころか甚だ面白くない結果となったので、その掲載は禁止したのである。その悪い結果とは此の写真を複写して本尊を売買する者があらわれ、或は偽作するものがあるとかいう事であった。恐らく安永君の門流の者の行為ではないか」

戒壇之漫荼羅の写真は石山が許可をして写真にして載せた。しかし、面白くな結果となったのでやめたというわけです。

それが数十年を経るごとに漫荼羅の写真撮影は謗法という口コミに変化していったわけです。

写真撮影が謗法であるというのは以上のようなことですが、では、模刻と作り、あるいはたとえば、戒壇之漫荼羅の臨写を作成したりすることはどうなのでしょうか。
複製を作ることはいけない。私はこれは聖人の考え、あるいは興師の考えに則っていると思います。聖人は自筆漫荼羅が複製されるなどと言うことを前提にしていなかったし、また、興師もこのような軽率な真似を厳しく戒めているわけです。その意味で、この達師の憤りはわからなくもありません。

しかしならば、当の石山は複製を作らないのか?といえば、石山ほど、複製を作るのがお手の物の団体はないわけです。数百万単位の印刷(複製)漫荼羅を作り、俄信者に卸していたわけです。これはいまも続けられています。さらに由緒ある漫荼羅を板に刻んで複製を作ってきました。客殿のいわゆる御座替漫荼羅も紙幅を板にしたものです。講堂の漫荼羅は万年救護を板にしたものですが、なぜ、この板漫荼羅がここにあるのかすら、わかっていません。末寺にも漫荼羅は複製が持っていかれているのであり、たとえば東京品川・妙光寺の本堂の漫荼羅は本山六壺の漫荼羅の模刻です。

古くは有師は紫宸殿漫荼羅と言われるものを板に刻んでいますし、何より、戒壇之漫荼羅の模刻も刻んでいます。石山は否定しますが、戒壇之漫荼羅そのものを板に刻んだのも有師であるとも言います。

戒壇之漫荼羅については、古来より複製が何度が作られたのであり、それは板であったり、紙幅であったりし、石山信徒の耳には届かないようにされていますが、実際は複数の複製を存しているわけです。

他門では複製を作ることがいけないが自分たちならばよい。この理屈は何に基づくのでしょうか。私は、このような自己中心的な発言はまったく説得性がないと思うわけです。

69菊水護国:2002/10/11(金) 11:12
独歩さんの書いたのは「化儀抄」ですよね
有師と寛師そして御当代は時代が違います。
化儀とは時代によって縦横無尽に変化するものです。
ましてや「勅使門」は恐らく有師時代にはありません。
これは仮説ですが25世の宥師時代頃に出来たものと考えられます。
また江戸期までは「法主=管首」ではありませんでした。
権威的象徴「法主」(天皇陛下のような存在)と実質的代表「管首」(将軍、総理のような存在)がいたのです。
いまは、両者が一緒になっているから、少しややこしい事もありますが・・・。

顕正会であれ、誰であれ、何故時代にそぐわない古い言葉に終始するのでしょうか。
やれ「達師がこう言った」「亨師がこう言った」等です。
今には今の真実があり、過去には過去の真実があります。
極端に言えば「戒壇の本尊」と「血脈相承」さえ変わらなければ、その他は縦横無尽に変化して良いものです。
学会出現以来、大きく変わったのは、「石山開山以来一切の変貌無く」と言う論理です。
これは誤りですよね。本当は「石山開山以来、時代に則して変貌して来た」と言った方が正しいのです。

70犀角独歩:2002/10/11(金) 14:37

69 菊水護国さん:

ここに記されていることは、概ね賛同しますよ。

けれど、化儀の変化に併せて教義を変化させたり、言うことをコロコロ変えるのはいかんでしょう。自語相違というものです。

有師と寛師の時代は違う、現在とも違い化儀に変化はある。これはたしかにその通りです。しかし、「大聖人已来の…」というまことしやかな枕詞で、信者を欺いているのは、ほかならぬ石山でしょう。

まあ、実際、こうやって菊水護国さんと私が意見を交換していると、菊水護国さんは石山擁護、私は批判と読まれてしまうかもしれませんが、実は菊水護国さんはきっちりと批判するところは批判されている。この点を私は評価するわけです(笑)

71犀角独歩:2002/10/14(月) 09:36

■板本尊偽作論を粉砕するに見る達師の言を検証する(3)

この書の中で、もっとも目を引き、安永師の批判をかわしているのは以下の点です。

P12に「次に安永君は板御本尊の下方の部に仏滅後二千二百二十余年未曾有之大漫荼羅の御文が入れてあるというが、よくも斯様な出鱈目が言えたものと唯あきれる許りである。一度も拝せずして、世情の余太議論の書を半囓りして論ずるから根も葉もないことを誠しやかに論ずることになる、茲には御本尊の文はかくかくだということは言はぬ」

達師に拠れば「二千二百二十余年」と彫られているというのは根も葉もない出鱈目であるという。しかし、それなのに、では、なんと書いてあるのかを言わないのである。実に狡猾な文章であると私は思います。

しかしながら、この文章は安永師を嘘つき呼ばわりしているようで、実は自宗の歴代までも、「出鱈目」をいう「あきれる許り」の人物であると言っていることになります。

なぜか。第31世因師は『有師物語聴聞抄佳跡 上』のなかに

「本門戒壇の御本尊、寸尺、長四尺七寸五分、横弐尺壱寸七分、厚弐寸弐分御首題御勧請皆金薄入りなり、仏滅後“二千二百廿余年”等と云云』(富要1-251)

と記しているからです。さすがに歴代の文書のなかで戒壇之漫荼羅の仏滅年代に言及しているものは少ないのですが、しかし、ここには以上のように記されています。まさか達師は「二十余年」ではなく「廿(にじゅう)余年」だというのでしょうか。そんな「子供だまし」が通用する話ではありません。

『悪書板本尊偽作論を粉砕す』が発刊されたのは昭和31年9月25日のこと、富士宗学要宗の奥付を見れば『「昭和49年4月2日』となっています。昭和31年当時『有師物語聴聞抄佳跡 上』を載せる富士宗学要宗が発行されていないことをよいことに、このような人を欺く文書を恣にする体質は許されるべきことではありません。私もかつて、この一節に欺かれた一人として、今更ながら憤りを禁じ得ません。

もし、以上、記すことが虚言であり、単なる誹謗であるというのであれば、戒壇之漫荼羅の相貌を宜しく公開し、また、素材鑑定も公開して、実否を計ればよいだけのことです。それを「信仰」という名のオブラートに包み、伝説によって幾百万の人々と、数百億円の財貨を動かし、さらに、「広宣流布の暁まで客殿の奥にしまう」と言いながら、ここ近年だけをとっても、延べ数千万人に公開し利益を得るのみならず、新たな殿堂まで建造して、さらにその愚行の拍車をかける有様は嘆いても嘆ききれるものではありません。

72犀角独歩:2002/10/18(金) 17:13

真跡のみで考えてきたので、ふと忘れていましたが、『三大秘法稟承事』に

問ふ、一念三千の正しき証文如何。答ふ、次に申し出だすべし。此に於て二種有り。方便品に云はく「諸法実相所謂諸法如是相乃至欲令衆生開仏知見」等云云。底下(ていげ)の凡夫理性所具(りしょうしょぐ)の一念三千か。寿量品に云はく「然我実成仏已来無量無辺」等云云。大覚世尊久遠実成(くおんじつじょう)の当初(そのかみ)証得の一念三千なり。“今日蓮が時に感じ此の法門広宣流布する”なり。

「今日蓮が時に感じ此の法門広宣流布する」という一文がありましたね。

73犀角独歩:2002/10/18(金) 17:26

私は菊水護国さんのように、尊皇家でも何でもないのですが、日蓮、あるいはその門下の言う仏法は神仏習合に基づく、神仏と法華経信仰に基づき、天皇を最高位に置いて考えられたものであって、その点を度外視することは、解釈に墜ちた間違いであると考えます。

尊皇思想に基づく日蓮の考え、また、日本乃至一閻浮提一同に南無妙法蓮華経と唱えるとき、四菩薩が再臨し、事檀を建立し、三大秘法を成就するという尊門の伝説、あるいはその暁に目師が座主となるという郷門の伝説を、加工したものが石山教学である点を素描しました。

この素描から見るとき、現在、大石寺系グループで言われている広宣流布、あるいは事檀建立というものが如何にいい加減なものであるか、憤りを禁じ得ません。

各集団が言うところの信憑性と、そのギャップを、ロムの皆さんはよろしく斟酌され、真実に正直になる勇気を持ってもらいたいと、改めてここに記すものです。

74三学無縁:2002/10/23(水) 17:59
>71 独歩さん

>『悪書板本尊偽作論を粉砕す』が発刊されたのは昭和31年9月25日のこと、富士宗学要宗の奥付を見れば『「昭和49年4月2日』となっています。昭和31年当時『有師物語聴聞抄佳跡 上』を載せる富士宗学要宗が発行されていないことをよいことに、このような人を欺く文書を恣にする体質は許されるべきことではありません。私もかつて、この一節に欺かれた一人として、今更ながら憤りを禁じ得ません。

富士宗学要宗は戦前にガリ版刷りのものが既に出されていましたし、昭和31年には、山喜房版も出ていたと思います。
ただ、戦前版はガリ版印刷なので、せいぜい100部から200部しか作られなかったと思います。
山喜房版は御書全集と同じく、予約制で、申し込み時に代金を前払いしたと思います。
つまり、富士宗学要宗が出版されているにもかかわらず、粉砕書のような記述がなされているわけです。
実際の執筆者が、富士宗学要宗を読んでいなかった、ということでしょう。
編集代表の細井精道師も気がついていなかった・・・石山というところは不勉強もいいところですね。

ちなみに、御書全集も富士宗学要宗も、当時としては高額な本でしたが、二書とも後で売れば3千円にも4千円にもなる、といって、利殖のためのような言い方で購入を勧めていました。

75犀角独歩:2002/10/23(水) 18:16

74 三学無縁さん:

貴重なご指摘有り難うございました。

> 富士宗学要宗が出版されているにもかかわらず、粉砕書のような記述がなされている

なるほど。輪をかけてひどい話だったのですね。

76三学無縁:2002/10/23(水) 18:39
>独歩さん

見ザル、聞カザル、知ラザル、という三猿が石山のようです。
ああ、マネッコ猿もありましたね。
言ワザル、になれば良いものを、石山は必死になって過剰に言い繕いをしてしまう性質があるようです。

独歩さんや問答迷人さんの出現によって、膨大に山積していたボロが、つぎつぎと明らかになってきました。
心から感謝するものです。
ありがとうございます。

77犀角独歩:2002/10/23(水) 19:02

76 三学無縁さん:

いやいや、とんでもない。こちらこそ、いつも正鵠を得たご指摘をいただきまして、深く感謝申し上げます。

78SF大好き:2003/09/25(木) 10:18
大聖人様がタイムマシンに乗って2003年にいらっしゃいました。
某寺で一ヶ月ほど歴史事情の御進講を受けられたあと、某寺の御法主上人とこんなお話をなさいました。

大聖人様:「ところで、パソコンというのは便利なものであるの。」
御法主上人:「はい、左様でございます。」
大聖人様:「そちは、毎日あれで他宗と法論を闘わしておるのか?」
御法主上人:「...............]
大聖人様:「ところで、あれなるものは布教に大変便利であるのう」
御法主上人:「はっ。ところがいろいろ問題もありまして....]
大聖人様:「さもあろう。ところが、セキュリティの問題され解決されれば、あれは実にいい。」
御法主上人:「と、いいますと?」
大聖人様:「鎌倉時代と違い、そちは毎日信者すべてに対して手紙を送れるではないか。昔は、筆と紙。どちらも貴重品でなかなか手紙一本書くのも大変だった。
「それに、いまでは曼荼羅でさえもホームページにアップロードしておけばすむではないか。」
御法主上人:「しかし、それではだれでも簡単に印刷できてしまいます。」
大聖人様:「曼荼羅は言うまでもなく貴重なものであるから、印刷は写真高画質でなければならない。あと、セキュリティの問題はくれぐれも慎重にな。」
御法主上人:「しかし、それでは当寺の経営が.....]
大聖人様:「もとより、一閻浮堤総与を旨としたものであれば、コンゴでもボスニアでも即日「本尊流布」ができるではないか。何も問題はないのではないか。日蓮の曼荼羅は著作権フリーでかまわない。ただ、信心の内野からに軽々に与えてはいけない。そのことだけ、心するように。」
御法主上人:「.............................]

79ウh−ム!:2003/09/26(金) 21:00
 なかなかの「深い、趣もあり、示唆に富む」ような「御提案」かと、、存じます。 私も、今の「IT時代をもっと活かせれば、、、??」と懸念して居りました。
 今後も「末法の皆様方の御知恵を御拝借したく存じます」、、、が。

81管理者:2005/02/09(水) 14:23:12

50 名前: デルトロ 投稿日: 2005/02/06(日) 13:02:14

こんにちは。とても面白い掲示板ですね。
とても勉強になります。
ところで以前からの疑問なんですが、
どの組織も広宣流布を目指してやっているわけですよね。
現実問題として、社会がもし広宣流布した場合って、
具体的にどんな世の中になると思いますか?
なるってことは間違いないわけですよね。

たとえば経済、教育、福祉、政治、医療
その他色んな分野があると思いますが、
宗門その他の現状の諸問題についてはよく語られるし
わかるのですが。
現実に広宣流布となった世界がどんなものなのかが
想像しにくいわけです。
どんな世界になっているんでしょう?
後、一度広宣流布をしたからってそれが永続的に
続いていくものなんでしょうか?

どの宗派というか団体も、理想郷としてはあるのかもしれないんですが、
その実体がほとんど見えないので、みなさんの考える広宣流布像と
いうものを聞かせてもらいたいです


51 名前: 吉祥仙人 投稿日: 2005/02/07(月) 18:53:38

 デルトロさんへ

 信心(信仰)によって「一生成仏」の境涯に至ることを目的としています。
 広宣流布像と言えば、全ての人が自身の能力いっぱいに自由自在に生きている
社会と言えると思います。

82管理者:2005/02/09(水) 14:23:52

52 名前: デルトロ 投稿日: 2005/02/07(月) 19:36:20

吉祥仙人さんこんにちは

全ての人が自身の能力いっぱいに自由自在に生きている
社会ってどんな社会なんでしょうか?
すごく輪郭がぼんやりしていませんか。

それともこれはぼんやりしたままのほうが
いいんでしょうか?
少なくとも最大の命題である広宣流布について
抽象的なイメージしかないというのがよくわからないし、
人によって受け止めかたのズレもあるんじゃないかと思いました。

また広宣流布ができるというのも、現段階ではリアリティがないなとも
感じるわけです(今は過程の段階だとしても)
シンプルに考えれば邪教邪宗などにもっと現罰などが明確に出ればとても
わかりやすいと思うんですが、それもない。

日蓮正宗は一時的に膨張しましたが結果的に分裂だけを作ってしまった。
広宣流布からはどんどん遅れをとってしまったような気もするんです。
悪くいえば最初からない幻想なのかと。
このへんの話ってどこに行ってもほとんどできないと思うので、
みなさんはどうお考えなんでしょうと思ったんです。

広宣流布は幻想なのか、リアリティがあるのか。
幻想ならば何故ないのだろうか
リアリティがあるのならばどんな世界なんだろうと、
そしてそれが永続的に続いていくんだろうか?
一度広宣流布をしてしまえば後は一切崩れることがないのか。

これは仮定なんですが、一度完成したものが
崩れた時のほうが今の広宣流布の過程にある段階よりも
ひどい世の中になるんじゃないかって気もします。

とにかくちょっとイメージが湧きづらいんですよ。
最大の命題にしては


53 名前: 吉祥仙人 投稿日: 2005/02/08(火) 18:26:48

 デルトロさんへ

 正直に言いますと、私は広宣流布後の世界について明確なイメージやビジョンを
持ったことはありません。「幸福」と言う状態について、普遍的に語ろうとすれば
抽象的なイメージになるのと同じことではないでしょうか。

83管理者:2005/02/09(水) 14:24:43

54 名前: デルトロ 投稿日: 2005/02/08(火) 19:01:50

吉祥仙人さん こんにちは。
私もそんな気がします。
ただ具体的なイメージがあったほうがわかりやすいかなと
思ったし、みなさんの想像した広宣流布像というのが
もしあれば聞いてみたいなと思ったんです。

でも自分からこんなこと言い出しておいていうのは
なんなんですが、具体的にイメージできなくてリアリティが
感じられないから、絶対にありえないというのも違う気がしてきました。


55 名前: 空即是進化 投稿日: 2005/02/08(火) 23:17:56

 デルトロさん はじめまして。
 創価学会を離脱して(脱会手続きはしてませんが)20年になるものです。入信はS38年です。
 私もかつて広宣流布された世界を何とかイメージしようと悪あがきした経験があります。
結論は、‘見果てぬ夢でしかない‘ということで、男しかいない清らか過ぎて何の刺激もない‘西方
浄土‘と同列だと思います。そんなことは論理的に考えれば解りきったことなのですが、現に信仰し
ている人々には、最もつらい質問のような気がします。
 
 ある意味平成の時代は、広宣流布と関係なしに、人類史上最も理想郷に近いものだったと、後世言
われるのではないでしょうか。鎌倉期はもちろん明治大正の人間だって、これ以上のユートピアは想
像だにできなかったでしょう。それでも中にいる人間は不平不満だらけ。精神の向上を教える宗教は
流行らず、現世利益やオカルトものばかりが流行る。このまま行けば後20年もしないうちに、人類
がもはや取り返しがつかないと、嫌でも気づく状況になっているのではないでしょうか。処女懐胎と
か復活なんてことを国民の70%以上が信じているような国が、世界のリーダーなんだから。
 
 曼荼羅の呪縛は、このサイトに出会い、きれいになくなりました。‘諸法無我‘であり、釈尊の思想
の中で特定の物体に特別な力を認めることは有り得ないと考えます。以後真理探究の縁とすることは
あっても、信仰の対象とすることはないと思います。

84管理者:2005/02/09(水) 14:25:14

56 名前: 真実 探求者 投稿日: 2005/02/09(水) 00:22:07

御免下さい。 言論は御自由です。 <諸法無我、、===無関係釈尊、、>というこれまた、はじめて、、??の唯我独尊のような、、、「独占理論、、??」を御展開ですが、、、。 何を根拠に、、??でしょうか、、??


57 名前: デルトロ 投稿日: 2005/02/09(水) 00:35:36

空即是進化さんこんにちは。
こちらに書き込んでいいのかわかりませんが返信します。
世界平和もほぼ同義語かなって気もします。
本当に世界がすべて戦争のない平和な世界になったら、
困ることもたくさんあるんじゃないのかなって。
完成することがないからこそ目指せるみたいなもので、
蜃気楼なのかもしれませんね。

今が平和な時代というのは、楽観しすぎた見方だと思われるかたも
多いでしょうけど、私も平和なのかもしれないとちょっと思います。
歪んでいるとは思いますけどね。
自殺が年間3万人なんていうのも、ひょっとしたら平和のシンボル
みたいなことなのかもしれないし、過去の歴史を考えれば、
やっぱり相対的に平和な世界ではあるなと思います。

平和って、とても健康的なものをイメージしていたけど、
実際はかなり歪んでいるのかもしれませんね。

広宣流布にかんしては、イメージもできないし
リアリティもないんですが、肯定のための肯定も、
否定のための否定もしたくないなって思っています。
今こんがり気味なので、思ったことしか書けませんが、
観念的なものを否定から入るか、肯定から入るからでいえば、
絶対的に否定のほうが力は強いだろうなとは思います。
なんかね、否定にたいして否定的なんですよ。
無理と思った瞬間、可能性はなくなる。みたいなことなんでしょうか
けどだからってすべて肯定するのも違うじゃないですか。
信仰とはまったく別の話なんですけどね。
同時に、すべてにおいていえることですが、
合理化のための合理化というのにもあまり賛成できないんです。
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)


58 名前: 空即是進化 投稿日: 2005/02/09(水) 00:43:44

申し訳ありませんが、現在説明する気力がありません。
無視するか、読み飛ばして下さい。

85管理者:2005/02/09(水) 14:25:56

59 名前: 空即是進化 投稿日: 2005/02/09(水) 01:16:45

 すいません。58は56へのレスです。自分の中ではかなりまとまってきているのですが、人に説明
できる段階でないということです。

 デルトロさん
 あなたの感性に共感します。
 人類の過去の歴史を美化したくても、人口が増えない状況というのがどういうものかを
よく考えてみれば、今という時代がどれほど恵まれているか、と感じます。
 「自殺者3万人が平和のシンボル」・・・全く同じように考えていました。
 どのような状況であれ、ここに人間として生きていられる幸運を感謝したいものです。
 また、まぼろしであっても、目標がないと生きづらいのも事実。新たな目標を発見すべ
く、もう少しがんばってみたいと思います。
 ご自愛ください。


60 名前: デルトロ 投稿日: 2005/02/09(水) 13:52:40

みなさん こんにちは。
ここの掲示板の感想は
確固たる信念みたいなものをお持ちの方が多いと感じました。
しかしかといって頭が固いという印象でもなく、
流動性のある建設的な意見も多いですね。
しかし私は今、確固たる信念などはまったくない状態です。
あったとすればそれはすべて仏法が基調にあり、すべてはそこに通じるのだ。
と考えていたため、生活上にリアリティを感じなくなってしまうと戸惑いが先にきます。
しかしそれこそが信から外れた道であるとの葛藤(強迫観念と呼んでもいいかもしれませんが)
に一番の矛盾を感じてしまい、同時に信に対する恐怖感も湧き上がってきました。


私のいうことはすべて主観であり、検証されたものではありません。
個人の思ったぼんやりとした感想みたいなものなので、反論されても証拠を出せといわれても
お応えできないことを最初に記しておきます。しかしかといって同調してくれと
いっているわけはなく、認識が違うと感じられたのならば、どんどん
指摘してください。

創価学会はある意味理想郷の姿であると思います。
元は創価教育学会という団体だったようですが、名まえからして、
そのほうがずっとふさわしい気がします。
徹底した人間教育と管理が土台になっていてひとつの理念に向かっているので
昂揚した気持ちになりやすく、活気があります。若い男女も多く、
コミニュティの場所としては最適でしょう。
しかし仏法を学ぶというよりは、みんなで盛り上がれるということが
重要視されている(全体主義にはとても重要なこと)ので、
宗教法人という定義ではなくてもいいような気がします。もっといえば、
個人を組織に縛り付けたいがゆえの本尊であり、本尊に特別な意味を
もたないわけです。ここで脅迫といっていいほどの罰論が生きてくるし、
実質上本尊となった池田大作の存在が最大に生きてくる。

86管理者:2005/02/09(水) 14:26:39

61 名前: デルトロ 投稿日: 2005/02/09(水) 13:53:26

公明党が末端会員に対し、都営住宅入居の入居権を確保したり、
男女の出会いの場所であったり、組織力で芸能人を輩出したりと、
現世利益のように感じる落とし穴はたくさんあるわけです。
おそらく教義上の問題などほとんどどうでもよくて、みんなで
あったかい温泉につかっているような気分でいられるから脱会しない人の
ほうが多いんだと思います。
北朝鮮がよくひきあいに出されますが、経済が破綻しているのが問題なのであって、
経済力のある学会には無縁の話なのでしょう。
学会員だけを限定に考えれば、広宣流布は終わっているといってもいいでしょう。

しかし一方では極悪ともいえるほどの集金。ゆえに絡んでくる組織上の歪み
暴力、他者への排除性。具体例はあげませんが、組織であるがための
腐敗は横行しています。しかしあくまでも学会が会社組織であると考えれば
別に不自然なことでもなんでもなく、むしろ自然の姿なのでしょう。
ある意味、ここに広宣流布の限界を見たような気がします。
光が強ければ闇も深い。影のない世界などないわけです。


62 名前: デルトロ 投稿日: 2005/02/09(水) 13:55:08

学会は世間ではほとんど非難の対象になりますが、いい部分と悪い部分が共有していて、
悪い部分が強調されすぎている気がします。学会員はほとんどが客であって、
楽しむ場所を与えてもらったのは事実であるのだから、それに対してお金を払うのは
ある意味当然でしょう(これを搾取といってしまえばそのとおりですが、学会に
限らず私たちは常に搾取されています。宗教の問題だけではなく)
金をたくさん払えばさらにエライとなっているシステムは、無形のものを
売っているだけに最高の集金方法でしょう。
金が信心と直結している。
これこそが創価仏法の究極だと思っています。

学会擁護のような話になってしまいましたが、私は在籍していた人間として、
特別キライな場所ではなかったです。ただ、教義上の問題があって、
宗門に移動してきたのであって、宗門にも教義上の問題があるのだとすれば、
私の中にあった、正しい仏法を固持していく。邪を破っていく。
という前提がすべて壊れてしまうわけです。
学会は世間でみられているほど悪でもない気がします。
ただ、学会がこれからも大きく成長し、日本を飲みこんでいくのであれば、
これほど恐ろしいことはないと思っています。

87デルトロ:2005/02/09(水) 15:14:46
引き続き法華講についての感想です。

私は学会が誕生する以前の法華講がどういったものなのかは
まったくわかりませんが、現在の法華講とはありかたが
全然違っていたのではないかと思っています。

今の法華講はほとんどが元学会員で占められています。
法華講に移籍してきた人間のほとんどが、学会の教義上の
狂いを感じて移ってきたことを考えると、最も真面目に
信心に取り組んできた人たちだと思います。
脱会後のいやがらせは筆舌に尽くせないほどひどいものが
多く、それを打ち破って講に移動してきた姿はとても
真摯に移ります。

しかし反面、元学会の害毒というか、学会のやっていることを
因襲しているというか、排他性に関してはほぼ同じようなこと
ばかりしている気がします。
信心の厚薄をすべて目に見えるようなものだけで捉え、
怨嫉がまかり通っているような現状は学会の時と差異は感じません。
これはネットの掲示板など見れば一目瞭然で、
同レベルというよりも、法華講と学会の単語を入れ替えてしまえば、
どちらが何を主張しているのかわからなくなるほどです。

法華講は宗門についた人間というよりも、
学会から別れた人間の組織というほうが正確な気がします。
学会目線でいえば異流儀なんでしょう(学会からの)

88デルトロ:2005/02/09(水) 15:15:22
学会で感じた矛盾を、法華講できちんと理解したい。
純粋な信心をしてみたい
その気持ちもないがしろにされている気がします。
破折のための破折というか、完全に学会式です。

宗門はあまりに長く学会に関わりすぎたのでしょう。
このカラーに染まりきった感があります。
アメをもらいすぎたのでしょう。

独歩さんがいつも仰る二元論の話にはとても共感します。
パーフェクトなもの、絶対なるものなど存在しない
(解釈違ってたらごめんなさい)
凡夫が常に不完全でいる限り、絶対を求めてしまうのも
ある意味道理なのかもしれません。

このへんはまだこんがらがっている所ですが、
なんか、思ったことをだらだら書いてしまいました。
自分ではこれも治療の一環かなと思っているので、
不愉快な思いした人はスイマセン

89問答迷人:2005/02/09(水) 15:28:44

デルトロさん はじめまして

>62 宗門にも教義上の問題があるのだとすれば、

僕も、昭和64年、創価学会の行なった本尊模刻で脱会し、宗門の末寺に付きました。クロウ裁判を宗門が提起し、しかもそれが負けた事が機縁となって、本当に宗門は完全無欠なんだろうか、と思い始めました。仏法が体、世間は影、と言うのが本当なら、そして、体曲がりぬれば影斜めなり、という事であるなら、日蓮正宗は間違った宗教、という事になります。なぜなら、世間法での裁判でボロ負けしたわけですから。本当にみっともない裁判結果でした。

そして、学会が持っている教義上の問題は、実は、そのほとんどが宗門から引き継いだもの、と今では考えています。

唯授一人の血脈相承、出世の本懐たる本門戒壇の大御本尊、日蓮本仏、文底仏法、・・・悉く日蓮聖人がなくなられた後に出来上がった代物ばかりです。それらが全て日蓮聖人と何の関係もないモノだと判断したとき、本当の日蓮聖人の教えは、それではどうだったのだろう、知りたい、という強い欲求が湧き上がってきます。

90デルトロ:2005/02/09(水) 15:30:51
管理人さんお手数かけます。
何をもって再生といえるのかはわかりませんが、
今必死で再生への手がかりを探しています。
見苦しい文章もあるかと思いますが、
これからもよろしくお願いします

91問答迷人:2005/02/09(水) 15:34:19

広宣流布の姿に、デルトロさんは関心をお持ちのようですが、何を広宣流布するのでしょうか。戒壇本尊でしょうか、戒壇本尊に対する信仰心でしようか、或いは南無妙法蓮華経のお題目を唱える事、でしょうか。先ず、何を広めるべきなのかがはっきりしませんと、何の広宣流布なのか、それを先ず明確にする必要はありませんか。

92デルトロ:2005/02/09(水) 15:35:37
問答迷人さんこんにちは
くだらないことですが、みなさん日蓮聖人というお言葉を
よくお使いになっていますね。
大聖人ではなく聖人なのは何か意味があるのでしょうか?
素朴な疑問なのでお気を悪くなさらずにお応えいただけたらと
思います。

93問答迷人:2005/02/09(水) 15:38:29

「大聖人」語は、特に日寛師が「仏」の別名と定義した言葉なので、意図的に使わないようにしています。日蓮本仏論に組しない、しかし、蓮祖は尊敬しているし、慕っている、そういう意味合いで「日蓮聖人」と僕は使っています。

94デルトロ:2005/02/09(水) 15:55:25
問答迷人さん
そうですか、ありがとうございます。
私は深い意味はわからないですが、やはり大聖人様と呼ばせていただきたいんですが
それでもいいですか?

91の質問に関しては問答迷人さんのいわれたことすべてを広めること
じゃないかと思っています。
リアリティないぞ。とか証文を出せとかいわないでくださいね。
広宣流布ってなんだろうという結論は自分の中に出ていないんですよ。
それにそれ以前に、広宣流布という理想郷が新しい闇を作ることには
ならないのかという疑問もあるわけです。
ま、ないものの心配してもしょうがないんですが。

これは難しい問題でどの切り口から議論を始めるのかというのも
議論されるべきなんでしょうね。

95問答迷人:2005/02/09(水) 16:53:22

>やはり大聖人様と呼ばせていただきたい

ご自分の気持にぴったりくる呼び方が良いと思います。

>問答迷人さんのいわれたことすべてを広めることじゃないかと思っています。

なるほど。

しかし、大石寺の、本門戒壇の大御本尊が日蓮聖人の直作である証拠は何も有りません。逆に、後世の作である、という証拠はたくさん有ります。大石寺が本門戒壇の大御本尊の年代測定を実施し、それが700年前の制作であることを公表でもしない限り、もはや、信徒以外は誰も信じないと思います。日蓮聖人の教えでないものを広めてどうなりましよう。

また、戒壇本尊が日蓮聖人の直作であることが固まらない限り、戒壇本尊に対する信仰が広まっても、どんな意味があるでしようか。

また、南無妙法蓮華経と唱えることは、既にかなり広まっています。身延派日蓮宗をはじめ、新興宗教各派も唱えています。南無妙法蓮華経と唱える人が増える事が広宣流布なら、日本の広宣流布はそんなに難しくないかもしれませんね。

96デルトロ:2005/02/09(水) 17:43:12
よくわからないんですが、91の私に対する質問というのは
破折のための質問なんですか?感想を述べよということではなくて?
それとも私の理解力を試したかったんですか?
コイツは議論をするに値する人間なのか、
知りたいわけですか?

はっきりいいましょう。私は無知です。議論するには及ばない存在です。
いや、無恥だといってもいいでしょう。
知識もまったくないのにこんな大それたところにのこのこと顔を
出しているのですから。
それは問答迷人さん、あなたよくわかっているんじゃないですか
本当は。

自分でも結論が出ていないといっているのに、
その先を質問されたって困惑するだけぐらいのことは
あなたほどの人間ならおわかりになるでしょう?
なぜそんな意地の悪いことをするんですか?

私はねえ、最初から降参してるんです。
学ぶことはあってもみなさんの質問に的確に答えられるようなことは
できません。決め付けるわけではないですが、どの流儀の信徒も
ほとんどの人がきっとそうなんですよ。

色んなことがごちゃごちゃになっていて、
頭の中はパンクしそうなんですよ。
順番にゆっくりやっていかないと、壊れるんですよ。

>宗門にも教義上の問題があるのだとすれば

この言葉がどれだけあなたの怒りに触れたのか、
あるいは私がルールを破ったのかはわかりませんが、
あなたから質問しておいて、私が同意したらそれは違うといいだすなんて
ちょっと悪質じゃないですか?
人格攻撃をするつもりはないですが、
問答迷人さんも、信仰上ずいぶん傷つけられたことは
あるんじゃないですか?
入口を探して、迷ったことはあるんじゃないですか?

そんな人間のセラピーになるような場所だと思っていたんですが、
やっぱり私の勘違いだったようですね。

別に傷口を舐めてくれとはいってません。
私の勝手な思い込みでしたが、みんな何かしらの
葛藤があってここにたどり着いたと思っていたので、
みなさんその再生のきっかけを参考にしたいと思っただけです。
本当に残念です

97藤川一郎:2005/02/09(水) 17:58:50
デルトロさん
横レス失礼申し上げます。藤川一郎と申し上げます。

> 私は学会が誕生する以前の法華講がどういったものなのかは
> まったくわかりませんが、現在の法華講とはありかたが
> 全然違っていたのではないかと思っています。
> 今の法華講はほとんどが元学会員で占められています。

恐らくそうだと思いますが、私の所属する寺院の法華講は、学会脱会者よりも旧来の法華講員や檀家の方の方が圧倒的に多いので、良くは分かりません。
信じられないかも知れませんが、創価学会という組織の事すら疎い方が多いのです。
そこで、聞きたいのですが
「しかし反面、元学会の害毒というか、学会のやっていることを因襲しているというか、排他性に関してはほぼ同じようなことばかりしている気がします。」
とは、どの辺のことなのでしょうか、御教示願えないでしょうか?
不躾なる質問、ご容赦ください。

98デルトロ:2005/02/09(水) 18:21:40
藤川一郎さん
さんざ書いておいて、無責任だと思われるかもしれませんが、
私の思い込みによる感想しか書けません。
それでもよければ…

でもきっと、もっと歴史を踏まえた的確な意見を、
他の方が仰ってくださると思いますよ

99藤川一郎:2005/02/09(水) 18:41:29
デルトロさん
いいんです。いいんです。
思いこみの感想で結構です。私も思いこみで生きてますから(爆)!

100問答迷人:2005/02/09(水) 18:45:02

デルトロさん

僕は、そんな仰るような悪意で書き込んだりはしませんよ。ごく普通に議論させていただこうと思っているだけです。それが御気に召さないなら、謝ります。申し訳ありませんでした。色々な方が参加されていますから、そう短気になられずに、気の会う方を見つけてお話されれば良いと思います。

101デルトロ:2005/02/09(水) 19:00:34
藤川一郎さん、こんにちは
まさかとは思いますが からかわないでくださいね?
今、人生ずっとからかわれてたような気がするんで、
転ばされるとキツイんですよ。

正直よくわかんないんですよ。
戸田城聖が存在する前の在家の姿が。
わたしの思い込みだと、戸田学会の誕生で社会問題になるほど
一気に法は広がったけど、やっぱり社会問題になるほど
強引すぎた折伏だったりもするわけですよねえ。
戸田学会以前の在家の信仰状態が見えないんですよ。

戸田から一気に排他性が強まったのか、
それともそれは日蓮正宗元々の体質で表面化してきただけなのか
逆にお聞きしたいんですが、元学会員の少ないお寺って
どんな感じなんですか?
藤川さんから見たお寺の感想を聞かせてもらえませんか?

102デルトロ:2005/02/09(水) 19:07:19
問答迷人さん 了解しました。
あんまりいじめないでくださいね。
問答迷人の「普通の議論」と私の思いつきの幼稚な
感想文ではあまりにレベルが違いすぎるんですよ。
逆ギレだったかもしれませんね。
こちらこそ謝ります

103吉祥仙人:2005/02/09(水) 20:15:57
 デルトロさんへ

 あなたの苦悩は、あらゆる知識に勝るものかもしれません。また知識に縛られない
自由な発想は、この掲示板に新鮮な刺激を与えてくれている かもしれません。
 自虐せずに、堂々と書き込みを続けられることを期待します。

104デルトロ:2005/02/09(水) 20:27:22
吉祥仙人 さんこんにちは
褒め言葉と伺っておきます。ありがとうございます。
明らかに異質な人間が紛れこんでしまいましたが、
砂場で遊んでいる幼稚園児だと思ってください。
子供は喜怒哀楽が激しいかもしれませんが、
これからもよろしくお願いいたします。

105吉祥仙人:2005/02/09(水) 20:56:01
 デルトロさんへ

 私も他の皆さんの教えを受けている小学生のようなものです。
 ただ、世の名を変革させる発明は、常識的な大人から「子供のような」と言われる
発想から生まれることは、それこそ常識です。

106天蓋真鏡:2006/12/14(木) 03:32:12
広宣流布の広宣とは、日蓮聖人にとっては法華一乗を弘教する事で、 本門の戒壇とは、三つの法門、法華経本門に立てる本尊・戒壇・題目の一つ。         戒壇堂等は、国主が一尊四士で法華経本門を立てる時までの密事で宜しいのでしょうか。 其れから、天皇の呼称は主上とは書きませんか?

107天蓋真鏡:2008/05/04(日) 11:49:45
曼荼羅も本尊も内証なら、「本門の本尊・本門の戒壇・本門の題目」は取り敢えず、漫荼羅で事足りるのではと考えます。広宣流布が法華経の提唱なら持ち運び便利な漫荼羅掛軸で座談会を開講する云々。一気に権力者を改宗して東大寺延暦寺以上の戒壇堂を建立して済むなら僧が弘教を遣らない様になり日顕宗池田教みたいになりかねない。

108大東亜の星:2009/07/16(木) 10:22:10
これは素朴な感想であり、誇張もない現実世界のお話です。それは、創価学会の戸田城聖氏が率いていた頃のお話です。戸田城聖氏は、昭和27年に学会再建に着手され、昭和33年4月に逝去されました。

その間わずか6年足らずの年月です。この僅かな期間に、実に75万世帯の大折伏を敢行したのです。この頃の学会員は、老いも若きも胸に鶴丸のバッジを輝かせ、連日連夜希望に燃えて学会活動に誇りを持ち、嬉々として喜び勇んでいました。それは言葉には言い表せない凄まじいばかりの火の玉のような勢いがありました。その怒涛のような勢いは、全会員が「国立戒壇」を合言葉に闘った日々でした。

それこそ、1対1の折伏戦の際にも、何も分らない新来者に対してまで国立戒壇の理想を語ったものでした。その理想は第三代を次いだ池田大作に引き継がれ、昭和36年には150万世帯を達成し、10年後の昭和46年にはなんと、その数、800万世帯にまで膨れ上がり、日達上人をして「今や広宣流布」と言わしめるほどの折伏が進んだのです。

ところが今の宗門には、このような目標もなく世間の目ばかりを気に掛けて背を向け、内向きの空気で覆われているとしか表現しようのないものです。それは、国立戒壇という宗門究竟の大目的を放擲し、3分の1で広宣流布などという邪説を弄しているからなのです。こんな情けない無様な体たらくは、かつて無かったことです。

謗法団体と化した創価学会を平成3年に解散処分に付して、はや18年の長い歳月が流れようとしていますが、果たして何人の折伏が適ったのでしょうか? これ、国立戒壇を否定し広宣流布は、3分の1で達成などと大聖人の教義を歪曲したがための仏罰なのです。早く、国立戒壇が宗門の公論となるべく、正義を取り戻さない限り、それこそ取り返しのつかない、恐ろしい国家体験をすることになるのは必然と思われます。

109一信徒:2009/07/16(木) 10:47:15

大東亜の星さん

私は法華講に籍を置く者ですが、「国立戒壇」については、仰る意味がよくわかりません。日蓮大聖人様が「国立戒壇」について示された真跡御書が有るのならお教え戴きたく存じます。宜しくお願い申し上げます。

110大東亜の星:2009/07/16(木) 14:22:17

一信徒さん、はじめまして。あなたのご質問ですがどの辺からお答えすれば良いのか、思案したり躊躇ているところです。

はじめに簡単にお答えするとして、大聖人の下種仏法(三大秘法)と、他の教法とを比較・取捨選択しながら五重相対していけば、最後に残る教法とは、三大秘法になるのはお解かりでしょう。

大聖人は、この闘いを徹底して勧めるに当たり最終的には「権経権門の輩を一人もなく攻め落とせ」と仰せられる。この闘いは、大聖人おん自ら立正安国論を以って、時の国主である北条時頼を諌暁せられている。大聖人の御存生の時代は、世はまさに専制時代であれば、御開山第二祖日興上人から、明治時代の貫主を務められた第五十四世日胤上人の時までの間「申し状」という形で、之を時の国主に奏呈し、国主を諌暁されているのであります。これ即ち「国立戒壇」建立への闘いであった。

中でも第三祖日目上人の天奏は、七十四歳の御高齢にして再び本山の土を踏む事のない宗門史に残る壮絶な闘いでした。云く「日目先師の地望を遂げんが為に後日の天奏に達せしむ」と叫ばれ、垂井の宿で御遷化されたが、まさしく、この本願は「国立戒壇」の闘いでありました。

時代は変わって民主政体となった昭和時代になってからは、彼の英邁な第六十五世を継がれた日淳上人は『蓮祖は「国立戒壇」を本願とせられ、これを事の戒壇と称せられた』〔日淳上人全集〕と記され、づづけて『唯一の「国立戒壇」すなわち大本門寺の本門戒壇の一カ所だけが事の戒壇でありて、その事は将来に属する』〔富士日興上人詳伝〕と仰せられています。日蓮正宗の歴代の先師は一糸乱れず異口同音「国立戒壇」を叫ばれていたのであります。悪僧日達や日顕のように信徒の池田大作に諂って、大聖人の仏法を改変、歪曲などしていないのです。正本堂を指して「事」の戒壇と呼ぶのは真っ赤な嘘です。

三大秘法抄で仰せられる「王仏仏法に冥じ仏法王法に合する」とは、国家が日蓮大聖人の仏法を国家安泰の唯一の宗教、衆生成仏の唯一の正法と認識決裁し、これを尊崇守護する。すなわち日本国の本有の国主である天皇も、大臣も全国民も一同に本門戒壇の御本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱える時、当然の帰結として国家の明確な意思を以って戒壇堂は建立される。これを「国立戒壇」と呼ぶのであって、民衆立などとは言わないのであります。立正安国論の大精神、あるいは三大秘法抄、一期弘法抄の文を依文判義すれば、当然「国立戒壇」という義になるのであります。

111一信徒:2009/07/16(木) 14:48:35

大東亜の星さん

>最後に残る教法とは、三大秘法

日蓮大聖人様の教えは突き詰めれば「本門の本尊」「本門の題目」「本門の戒壇」であると理解してします。 

>三大秘法抄で仰せられる「王仏仏法に冥じ仏法王法に合する」

三大秘法抄は真跡が残っていないと存じます。三大秘法抄を日蓮大聖人様のお書きになられたのは果たして事実なのでしょうか。

>立正安国論の大精神、あるいは三大秘法抄、一期弘法抄の文を依文判義すれば、当然「国立戒壇」という義になるのであります。

一期弘法抄も真跡がありません。偽書の疑いが掛けられています。私は真跡の残っていない御書を議論の前提にしても、あまり意味が無いと考えています。出来ますれば真跡が残っている御書を基本にして御教授賜りたく存じます。宜しくお願い申し上げます。

立正安国論は紛れもない真跡です。立正安国論のどの文が「国立戒壇」に当るのかお示し戴ければ幸いに存じます。

112hage:2009/07/16(木) 15:37:59
「国立戒壇」が目的なのでしょうか?
「天下万民諸乗一仏乗と成て妙法独り繁昌せん時、万民一同に南無妙法蓮華経と唱へ奉らば、吹く風枝をならさず、雨壤を砕かず。 」
という世界を築いていくのが目的なのでしょうか?
「これが国立戒壇だ!」と押し付けたところで、社会そのものが変わらなければ、人々に安らぎが訪れなければ、御祖師様の思いとはかけ離れた「本門の戒壇」になるのでは?
「戒壇」を「社会」と読み替えるのはおかしいでしょうか?
私は学会員ではありませんが、今の創価学会、公明党も「社会」を良くしていこうと頑張っているのだろうと思っています。
私は「国家」と「社会」は必ずしもイコールではないと考えています。

113大東亜の星:2009/07/17(金) 11:04:22

一信徒君、あんたは何処の法華講員なんだね? よもや仏立宗や身延辺りの邪教日蓮宗の法華講員のいう事なら理解できるが、そんな体の者とは話はしたくないから二度と拙者に下らない質問などするでないぞ!

云く「三大秘法抄は真跡が残っていないと存じます。」真跡が残っていないから、どうだというのだ? つづけて云く「三大秘法抄を日蓮大聖人様のお書きになられたのは果たして事実なのでしょうか」などと、三大秘法抄の存在に端から疑って掛かっているようだが、その舌の根も乾かぬ内に「日蓮大聖人様の教えは突き詰めれば「本門の本尊」「本門の題目」「本門の戒壇」であると理解してします。」などと記している。

これを称して矛盾撞着支離滅裂というものだ。寄って立つ、三大秘法の根源を否定しならが、何が『突き詰めれば「本門の本尊」「本門の題目」「本門の戒壇」であると理解してします。』となるのだね? 真跡を偽書と否定するなど、長年の謗法が祟って遂に頭破七分に見舞われたかな?

だいたい、三大秘法抄を偽書扱いするような御仁とは、正常な議論は成り立たないと言うことだ。それに付け加えれば、三大秘法抄や一期弘法抄等を偽書扱いするのであれば、先ずは、その明確なる根拠を示す事だ。序にいうなら、一期弘法抄については二個相承書の内の一つで、北山に存在していた事は明らかで、二個相承とも当時、武田の軍勢に持ち去られた事だけは歴然としているのである。

最後に「「立正安国論のどの文が「国立戒壇」に当るのかお示し戴ければ幸いに存じます。」と来たが、逃げたと思われたくないので簡単に記しておく。

「立正安国論」の題号を一見すれば明らかなことだ。立正とは、正法を立てて国を安んずるの書という意味である。したがって、立正の前提には必ず破邪が無くてはならないのである。故に、正しくは、「破邪・立正・安国」と読まなくてはならない。詮じつめれば、立正安国とは「国立戒壇を建立して仏国を実現せよ」という事なのである。

114一信徒:2009/07/17(金) 11:22:49

大東亜の星さん

>一信徒君、あんたは何処の法華講員なんだね?

私は日蓮正宗の末寺に籍を置いています。

>これを称して矛盾撞着支離滅裂というものだ。

「本門の本尊」「本門の題目」「本門の戒壇」の名目は三大秘法抄を持ち出さなくても、真跡御書に日蓮大聖人様はお示しです。矛盾撞着支離滅裂と仰るからには、それらの真跡御書をご存知ないのでしょうか。

>だいたい、三大秘法抄を偽書扱いするような御仁とは、正常な議論は成り立たない

という事は、三大秘法抄が日蓮大聖人の御書であることを証明できないという事でしょうか。又、この抄の真偽については、古来色々な見解があることをご存知ないということでしょうか。

>一期弘法抄については二個相承書の内の一つで、北山に存在していた事は明らか

なぜ大石寺ではなくて、北山なのですか。相伝書は身を以って守るべきもの、それが大石寺には無かったという事は、大石寺には相伝が無いということになりませんか。

「立正」の「正」が「国立戒壇」になる理由が知りたいのです。もう少し詳しくお教え下さい。

115犀角独歩:2009/07/17(金) 20:48:56

管理人さん

113、この手の、倒錯は捨て置いて、スルーするのが本則ですが、しかし、「〜君」「長年の謗法が祟って遂に頭破七分に見舞われた」との類の発言は、明らかに投稿規約に違反すると思います。

内容は、既に議論の終わった他愛のないことでここで繰り返し反論する気にもなれませんが、この侮辱的、かつ、違反発言の放置は、こちらの品位を下げるばかりであると思います。

警告が至当と思いますが、如何でしょうか。

116hage:2009/07/18(土) 01:44:11
今の時代「国立」っていうのはあまり良いイメージないですね。
どうせなら、宗教や国や肌の色や民族に関係なく、
世界中の人が平和に暮らせるように誰でも願いを祈ることができる
そういう何かにしなければ「国立」では無理なのではないでしょうか?

そういう施設を作るとしても、そんな税金の無駄使いはやめて欲しいと
多くの人が思うでしょう。

117hage:2009/07/18(土) 01:57:52
御祖師様、日蓮聖人の御書の中で以下の御経文について詳しく説かれているところはありますでしょうか?

以要言之。如来一切所有之法。如来一切自在神力。如来一切秘要之蔵。
如来一切甚深之事。皆於此経。宣示顕説。是故汝等。於如来滅後。
応当一心。受持読誦。解説。書写。如説修行。所在国土。若有受持読誦。
解説書写。如説修行。若経巻所住之処。若於園中。若於林中。若於樹下。
若於僧坊。若白衣舎。若在殿堂。若山谷曠野。是中皆応。起塔供養。
所以者何。当知是処。即是道場。諸仏於此。得阿耨多羅三藐三菩提。
諸仏於此。転於法輪。諸仏於此。而般涅槃。

118管理者:2009/07/18(土) 05:53:40

大東亜の星さん

当掲示板には書き込みルールが設定されています。ルールを守って書き込んでくださるようお願いします。

ご参加の方から指摘が有りますが「長年の謗法が祟って遂に頭破七分に見舞われた」のご発言は、当掲示板のルールに抵触します。今後、このようなルールに抵触する発言はお止め下さい。無視して同様のルール抵触発言を続けられた場合は、当該投稿を削除し、ご参加をお断りする事になりますので、ご承知置き願います。

119問答迷人:2009/07/18(土) 12:22:46

大東亜の星さん

威勢の良い人が御参加されたので喜んでいます。国立戒壇の御主張、顕正会の方でしようか。

一信徒さん疑問に正面から答えられることを期待しています。一期弘法抄がなぜ大石寺から盗まれたのではなく、北山本門寺から盗まれたのか、合理的な説明がお聞きできれば、と楽しみです。

120犀角独歩:2009/07/18(土) 12:36:24

そうですか。問答さんは歓迎ですか(笑)
ならば、わたしも本腰を入れて、がっちりと議論に参加させていただくことにしましょう。

> 三大秘法抄や一期弘法抄等を偽書扱いするのであれば、先ずは、その明確なる根拠を示す事

これはまったく逆でしょう。日蓮の書いた真蹟が遺っていない以上、これを真筆というのであれば、その証拠を示すのは、“真蹟であると主張する側”の責務でしょう。いったい、どのような証拠があるのでしょうか。

> 一期弘法抄…二個相承書の内…北山に存在していた事は明らか

たしかに、日殿の懇願断食死は史実のようですが、しかし、だからといって、あったとされる書が本物であることにならないでしょう。これまた、本物であるというのであれば、その証拠の明示をここにお願いします。

なお、武田の勢をけしかけたの西山。
偽書であれ二箇相承は富士山本門寺戒壇を言う書であるわけです。
富士山本門寺とは北山・西山両寺の名前でしょう。
となれば、西山からすれば、こんな書が北山にあることは我慢ならないことは容易に想像がつきます。しかし、この書は先にも言われているとおり、北山(富士山本門寺)に所蔵された書であって、大石寺とはなんの関係もありません。

この書が、大石寺と関係がある証拠も併せて、ここに明示いただきましょう。

121山門手前:2009/07/18(土) 17:37:10
唐突にすみません。

問答迷人さんへ

大東亜の星さんは顕正会ではありません。
法華講員でもありません。

単なる「荒し」です。

他の掲示板でも、同じ事ばかりを繰り返し
投稿しており、皆、迷惑しております。

122管理者:2009/07/18(土) 17:46:52

山門手前さん

>単なる「荒し」です。
>他の掲示板でも、同じ事ばかりを繰り返し

貴重な情報有難う御座います。他人に迷惑を掛けるというのは困りますね。
これからも荒し投稿が続くようなら、厳重に対処させていただきます。

123パンナコッタ:2009/07/18(土) 21:33:48
hageさん、

真蹟なら、本尊抄の
『伝教の云く「又神力品に云く、以要言之、如来一切所有之法、乃至、宣示顕説〈已上経文〉。
明らかに知んぬ、果分の一切の所有の法、果分の一切の自在の神力、果分の一切の秘要の蔵、果分の一切の甚深の事、
皆法華に於て宣示顕説するなり」等云云。此の十神力は、妙法蓮華経の五字を以て、上行・安立行・浄行・無辺行等の四大菩薩に
授与したまふなり。前の五神力は在世の為、後の五神力は滅後の為なり。爾りと雖も再往之れを論ずれば一向に滅後の為なり』

曾存書なら、守護国家論の
『神力品に云く「要を以て之れを言はば、如来の一切の所有の法、乃至皆此の経に於て宣示顕説す」已上。
此等の現文は釈迦如来の内証は皆此の経に尽くしたまふ。其の上多宝並びに十方の諸仏来集の庭に於て
釈迦如来の已今当の語を証し、法華経の如き経無しと定め了んぬ』

この辺りでしょうか。

124法華講衆:2009/07/19(日) 01:02:11
>>120
>これはまったく逆でしょう。日蓮の書いた真蹟が遺っていない以上、〜真蹟であると主張する側”の責務

逆ではありません。「一信徒」氏は>>>109>114
>私は法華講に籍を置く者
>私は日蓮正宗の末寺に籍を置いています。

日蓮正宗信徒なら三大秘法抄・一期弘法抄を真撰御書とするのが当然です。

総じて「一信徒」氏の書き込みは正信会所属かつ興風談所支持に見受けられますが、その場合でも正信会は既に
宗教法人(包括宗教法人)を取得。日蓮正宗ではなくなっています。

従って挙証義務は日蓮正宗根本信条に異議を唱える「一信徒」氏にあります。

>>112
戒壇建立は山川智應博士の言を借りれば「目標教義」。広宣流布と共に必然です。
帰命依止の根本道場があり「如説修行抄」に仰せの羲農の世が現出します。
国立戒壇は御書の通りに本門戒壇と呼ぶべきでしょう。

125犀角独歩:2009/07/19(日) 02:06:42

>日蓮正宗信徒なら三大秘法抄・一期弘法抄を真撰御書とするのが当然です。

日蓮正宗信徒であるかどうか、そんなことは事実の前で、関係ありません。

> 総じて「一信徒」氏の書き込みは正信会所属かつ興風談所支持に見受けられますが、その場合でも正信会は既に宗教法人(包括宗教法人)を取得。日蓮正宗ではなくなっています。

別に、一信徒さんの発言は正信会によっているわけではないでしょう。
また、仮にそれを支持しているところで、それが事実であれば、けっこうなことです。
繰り返しますが、日蓮正宗であるかどうか、そんなことは事実の前ではまったく関係ありません。

> 従って挙証義務は日蓮正宗根本信条に異議を唱える「一信徒」氏にあります。

異議を唱えて、何が悪いのですか。
日蓮正宗が、別に正しいといったことはないでしょう。
二箇相承が本物であるというのであれば、証拠を挙げればよろしい。
挙げられなければ、証拠を挙げられないものを信じ込んでいるということを露呈しているだけです。

> 戒壇建立は山川智應博士

山川智應? 大石寺となんの関係があるのですか。

> 国立戒壇は御書の通りに本門戒壇と呼ぶべき

総じて、124の書き込みは大石寺の主張を無謬とする前提に乗っ取っていますね。では、その大石寺が国立戒壇を本門戒壇と、だれがどこで主張しているのでしょうか。

126hage:2009/07/19(日) 06:46:44
パンナコッタさん

ご教示ありがとうございます

法華経本門の中で説かれた道場すなわち「戒壇」が
「所以者何。当知是処。即是道場。」にあたるのでは?
そうならば、この娑婆世界の何処も全てが「本門の戒壇」なのでは?

法華経本門に説かれた本尊
法華経本門に説かれた戒壇
法華経本門に説かれた題目

とすれば、戒壇だけが国立というのは違うのでは?
「本門の戒壇」を「国立戒壇」だとするのは
真撰御書に明確にお書きになられていない以上、後の人たちの付け足しなのでは?

127一信徒:2009/07/19(日) 07:16:13

法華講衆さん

法華講衆さん

私は、法華講に籍を置き、日蓮正宗の末寺に籍を置いているのは事実です。だからといって、三大秘法抄・一期弘法抄を真撰御書とするのが当然だとは思いません。事実が大切です。真跡の残っていない遺文を、いくら御宗門が真撰御書だと言っても。疑義のあるものはどこまでも疑義が有ります。黒く汚れたシーツは決して真っ白なシーツでは有りません。

それにしても、何で、肝心の大東亜の星さんは書き込んでくださらないのでしょうか、こんなに色んな方々が喧々諤々と議論しているのに・・・

128管理者:2009/07/19(日) 07:41:02

法華講衆さん

この掲示板は、それぞれの立場を超えて自由に議論する場所として設定されています。投稿ルールをご覧になればお分かりになると思います。

法華講衆さんが、一信徒さんに対して、「日蓮正宗信徒なら三大秘法抄・一期弘法抄を真撰御書とするのが当然」と呼びかけられることはご自由ですが、「挙証義務は日蓮正宗根本信条に異議を唱える「一信徒」氏にあります。」というのは、少なくとも当掲示板の投稿ルールの上からは、言い過ぎだと思います。

当掲示板は、そのような思想統制にはあくまでも反対する立場である事をご承知置き願いたいと存知ます。

あくまでも立て場を越えて自由に議論する事、お互いを尊重する事が自由な議論には欠かせない事だと考えています。

以上、やり取りがいささか気になりましたので、管理者として一言ご注意申し上げました。

129犀角独歩:2009/07/19(日) 08:29:55

ここのところ、「国立戒壇」ということが話題になっていますので、いくつか整理を。

記すまでもなく、「国立戒壇」は田中智学の造語であり、いわば、その発生は日蓮宗(僧侶)でもないということです。しかし、戦前はこの影響を日蓮門下は強く受け、もちろん、大石寺もその例外ではなかったことは周知の事実です。牧口常三郎氏の確たる文献は思い出せませんが、戸田城聖氏は確実にその思想を有し、池田大作氏も戸田氏の遺志を継いで「正本堂」建立を目指した時点では、有していたでしょう。

ここのところの投稿の主張を見ると、あたかも大石寺が「国立戒壇」を目指す団体のような論調ですが、67代の日顕氏は、登座以前に『国立戒壇の誤り』を書いて、これを大石寺は、公式見解としたわけです。田中智学にはじまる国立戒壇思想を、ここに完全に捨て去りました。

では、中世、大石寺において、国立戒壇思想があったのか。そもそも、その言葉がないのに、そうした議論はナンセンスですが、敢えて記せば、当然のことながら、富士宗学要集全10巻中に「国立」の引用はただの1カ所もありません。

上古における日興の『申状』を見ても、戒壇建立を意図する文面は見いだせません。では、戒壇建立の遺志がなかったかといえば、日興の影響を受けたと目せるいくつかの文献には戒壇建立に係る記述が見いだせます。

では、日蓮に土地建物としての戒壇建立の意図があったかと言えば、これはあったでしょう。

『法華主取要抄』の草案である『取要抄』では、

雖然 伝教大師 天台所存所残一事得此之上 天台未談之迹門円頓戒壇始日本建立之 仏滅後千八百余年 月支漢土日本無レ之 第一大事秘事也

と、ここに「迹門…戒壇」というのは、自説である本門戒壇との追であることは、疑う余地はありません。

もちろん、この自問自答は

問云 天台伝教不弘通法花経乎
答云 本迹二門広与略弘通之 要一法不令流布知之

といい、『曽谷入道許(がり)御書』にいう「一大秘法」ではあるでしょうが、前文において「像法中…但以迹門為面以本門為裏」と言う以上、但以本門為面以迹門為裏ことが末法であることを意図しているのでしょう。

では、土地建物としての本門戒壇思想を日蓮が有していたか。この点については都守基一氏は

「本門の戒壇については、従来聖人自身による説明がないために、あるいは理の戒壇、即是道場の戒壇という理解も行われてきた。しかし以上の文脈による限り、本門戒壇とは伝教大師が叡山に建立した迹門円頓戒壇に続いて、末法の時代にどこかに建立されるべき事相の戒壇の意であると理解するのが自然である」(『大崎学報』第14号P121)

と結論づけていますが、わたしは、この分析に頷けます。

では、それが「国立」かどうかという点ですが、そもそも、日蓮の在世、鎌倉時代にいう「国立」ということ自体、ここのところの議論において、あまりに曖昧模糊としています。

日本史にいう「鎌倉時代」という表現は、正解とは言い難く、京都は厳として継続していたわけです。

日蓮は念仏停止(ちょうじ)の訴えを『立正安国論』をもって、武家政権の実質的な長に上申したわけですが、この時点で日蓮に、では下院弾痕流のアイディアがあったことは窺えません。

本弟子においては、たとえば日興は武家に『申状』を呈していますが、日目の上洛、所謂「天奏」は、朝廷をターゲットにしたものでしょう。

朝廷と武家、漫荼羅における図示に「天照太神」「八幡大菩薩」とあるところですが、では、日蓮の意図として事相戒壇は、このどちらを睨んでいたのか、わたしは朝廷に向いていたと思えます。根拠は小乗戒壇、迹門大乗戒壇ともにそうであったからです。となれば、、武家になした上申は、専ら、その意図は念仏停止、また、他国侵逼難難勃発における敵国調伏の祈祷を法華経をもって、日蓮が仰せつかることを目的にしたものであったというのが真蹟遺文から斟み酌れるところであろうと考えます。

130犀角独歩:2009/07/19(日) 08:45:09

久しぶりの投稿なのに、やはり、打ち間違いをしてしまいました。

誤)日蓮は念仏停止(ちょうじ)の訴えを『立正安国論』をもって、武家政権の実質的な長に上申したわけですが、この時点で日蓮に、では下院弾痕流のアイディアがあったことは窺えません。

正)日蓮は念仏停止(ちょうじ)の訴えを『立正安国論』をもって、武家政権の実質的な長に上申したわけですが、この時点で日蓮に、では戒壇建立のアイディアがあったことは窺えません。

131大東亜の星:2009/07/19(日) 11:19:41
田中智学という人物は、元を糾せば、邪宗日蓮宗身延派の坊主を途中で投げ出し、還俗して蓮華会を設立した。明治15年に我が日蓮正宗と論争、後の「横浜問答」といわれるものだ。この時、本宗第52世の日霑上人と問答をして、コテンパンにやっつけられたのである。その後、田中智学は姿を晦まし秘かに我が日蓮正宗の教義を深く学び、明治35年に彼の著述した「本化妙宗式目」と後の「日蓮聖人の教義」の中で盛んに「国立戒壇」なる語句を使用することになったのだ。正確には、田中智学の方が我が日蓮正宗の教義を盗んで「国立戒壇論」を口真似したのは明白な事実なのだ。

その証拠を示す。「田中智学氏の『日蓮聖人の教義』なる著書は、日蓮正宗の教義を盗んで書いたものであることは明白である」(興尊説冤盲説を破す)とあり、また、創価学会から発行された(日蓮正宗創価学会批判を破す)書籍には「じつに、国立戒壇の建立こそは、第二祖日興上人にのみ御遺命になったのである。そしてその場所も、富士山と明白にご指示になっている。また、あらゆる正史料から、日蓮正宗のみが、大聖人の御遺命をうけて、富士山に事の戒壇(国立)を建立しようと、必死の努力を続けてきたことは明白になった。近頃は田中智学門流でも、囀っているではないか」

などと、田中智学の国立戒壇論を批判しているのである。かつて日蓮正宗の信徒団体であった創価学会ですら、このように田中智学を批判していたのである。田中智学は後年、戒壇の御本尊ばかりは如何にしても手が届かない事を悟り、それに対抗するため「佐渡始顕の本尊」なるものを編み出したのである。身延の坊主だった過去を持つ田中智学が、日蓮正宗の宗門古来からの「国立戒壇」を言い出した。等という悪坊主日顕の邪義ということが歴然としたことであろう

132犀角独歩:2009/07/19(日) 11:31:06

> 131

「国立戒壇」が、日興から伝わる大石寺の義である?

笑止千万ですが、ここは議論の場であり、挙証義務を課せられています。思いつきや、思うところを垂れ流す場ではないので、主張したいのであれば、いちいちに証拠を挙げればよろしいということになりますね。

>日蓮正宗のみが、大聖人の御遺命をうけて、富士山に事の戒壇(国立)を建立しようと、必死の努力を続けてきた

ほお。いつ誰が、そんな努力をしたのでしょうか。だいたい、中世は寺請制度にどっぷり浸かり、近年は国立戒壇を放擲しています。
国立戒壇建立を具体的に推進した大石寺僧侶、明治元年以降、日蓮正宗と名乗った以降の坊さんがいれば、ここに具体名とその事績を挙げればよろしいでしょう。

なお、「邪宗」「坊主」などという表現は、明らかに侮辱語であり、品位ある当掲示板の投稿規定に抵触していると思います。

133山門手前:2009/07/19(日) 11:37:02
犀角独歩氏の129>の見識に賛同します。

明治以前に「国立」等と言う「概念」があるはずもなく、
「朝廷」を頂点とする現在の関西地区と幕府を中心とする
現在の関東地区は、統治機構等が同一であったとは思えず、
現在の概念で言う「国立」と同意義の意図を持って考察
されていたと考えるには、極端に無理があり、その事は
御本尊様にも図現されている事と拝察します。

134大東亜の星:2009/07/19(日) 11:38:56
>>121
は拙者に対するストーカー行為を繰り返す者です。

135山門手前:2009/07/19(日) 11:41:40
管理人様 犀角独歩様

大東亜の星は「荒し」です。

投稿規定等を注意して「聞く耳」を持っている人物ではありません。
他所では、ようやく書き込みを止めましたが、こちらに飛んで来て
いるので、皆さん御注意下さい。

侮辱的表現や、質問者に対する応答など「まともに相手にできる」
人物ではありません。

136山門手前:2009/07/19(日) 11:44:01
大東亜の星どの

いい加減に、あちらこちらで迷惑行為は止めなさい。

私は、ストーカーではない事は、犀角独歩氏も御存知です。(爆)

137犀角独歩:2009/07/19(日) 11:48:13
山門手前さん

こちらは管理人さんのお考えで「さん」付けで統一です。どうぞ、わたしにはお気軽にそのようになさってください。

もちろん、山門手前さんがストーカーであるなどとは思えません。なにより、投稿者が、どのような人物であるか、この点について、他の投稿者が裁断をしてしまいますと、さらに掲示板が荒れます。よって、こちらでは、そうした判断は、管理人さんに全権を委ねるの在り方です。

既に一度、警告がなされております。
あとは、管理人さんのご判断にお任せすればよろしいかと存じます。

138山門手前:2009/07/19(日) 12:04:15
犀角独歩さん

了解しました!ありがとうございます。m(_ _)m

140管理者:2009/07/19(日) 13:55:42

大東亜の星さん

すでに118レスにおいて、掲示板のルールを守ってご投稿くださるようお願いし、ご注意申し上げましたが、139レスに至るも改めて頂け無い事がハッキリしました。以下の投稿ルール違反ですので、明白な違反レス139を削除し、以後のご投稿をお断りいたします。

【禁止事項】

2「非礼・無礼、人権侵害、言葉の暴力」等の侮辱表現、侮辱発言は、理由の如何を問わず堅く禁止します。もし、そのような表現や発言が見うけられた場合は、管理者がその都度、御注意申し上げると共に、その該当する表現、発言を含むレス全体を削除致します。なお、管理者の制止を無視して、侮辱表現、侮辱発言を続けられた場合は、以後の投稿をお断りする事になりますので、予め、御承知置き下さい。

141犀角独歩:2009/07/19(日) 14:52:47

わたしも自己主張は強いほうですが、ここ10年足らず、管理人さんの見事な采配に身を委ね、稔りある議論を重ねてまいることができました。

今回、拝見しご発言で記されたことで、国立戒壇義は、日淳さんは、この筋であったが、日達さん・日顕さんのコンビがこれを捨てた。また、二箇相承の偽作説を受容など、まあ、ここまで、そのとおりであろうかと存じます。

ただ、日興に国立戒壇の意志があったというのは、単に二箇相承を金科玉条とし、かつ、大石寺に、その義を窃盗した上での結論であって、この点はしかし、既に充分に議論し尽くされていることです。

日蓮は在世、「久遠寺」「本門寺」という表現は使ったことはないわけで、そうした点からも、この“相承”なるものを真書として扱うことは不適当であり、かつ「富士山本門寺」とは、日蓮没後の命名で、大石寺とは関係のない北山・西山の話、それを持ち上げた洛の日辰前後の物語と見るのが至当でしょう。

また、「国主は一人」と書いていた点は、いちおう、そのとおりで、再往はさてどうかという思いがあります。

もし、国主が一人であり、かつ国立戒壇を目指していたとすれば、日興は誰を一人国主として考えていたかを明らかにしなければならないでしょう。また、本門寺戒壇というとき、漫荼羅に日興が書き込んだ「本門寺」は複数あることの説明をつけなければならないことになります。

鎌倉時代以降を封建時代などと称しますが、封土分割領有の時、国主一人、本門寺複数という“コマ”は、どのように並べても、国家統一における国主一人国立という意味を引き出すことはできません。

だからこそ、田中智学は明治維新の王政復古以降、廃藩置県後、国家統一、国主一人の明治以降の日本であればこそ、「国立戒壇」という標語を言い放つことができたのでしょう。

また、田中智学は大石寺の教学を盗用したなどといいますが、さて、この点は如何なものでしょうか。残る田中智学ほか教学運動の規模と大石寺のそれは比較の対象にはならないほどに貧弱であると映じます。

では、田中智学らは、富士の影響を受けていないかといえば、そうとは言えず、しかし、もしその影響を見れば、大石寺というより、本門寺・保田妙本地・要山に目を向けていたのではないかと考えます。なお、田中智学の還俗は、あの明晰な頭脳を有していれば、至って当然の帰結であり、寺院護持といったちまちました考えを脱却し、あの当時、世界を見据えれば、故なきもない話であったと思えます。

こうした議論は、やや重ねてたいと思いますが、しかしながら、とかく「折伏」という言葉になると、とたんにスイッチが入ってしまう日蓮門下や、田中智学系の人々とは、しかし、落ち着いた議論は期待できないと、残念に思いながら、数カ年を経ているものです。

なおさらのこと、彫刻といったモノ信仰に執着する大石寺の僧俗とは、これまた、議論にならないでしょうし、その意味では、それが臨滅度であれ、万年救護であれ、そうした掛け軸本尊の優劣を競うような話でも、致し方がないと感じる昨今です。

呆気ない結末でしたが、管理人さんのご英断には、重ねて敬意を表するものです。

142顕正居士:2009/07/19(日) 15:33:39
>>117
hageさん。真蹟は伝わっていませんが、次の遺文も有名ですね。

弘安四年 南条兵衛七郎殿御返事

かゝるいと心細き幽窟なれども、教主釈尊の一大事の秘法を霊鷲山にして相伝
し、日蓮が肉団の胸中に秘して隠し持てり。されば日蓮が胸の間は諸仏入定の
処也。舌の上は転法輪の所、喉は誕生の処、口中は正覚の砌なるべし。かゝる
不思議なる法華経の行者の住処なれば、いかでか霊山浄土に劣るべき。法妙な
るが故に人貴し人貴きが故に所尊と申は是也。神力品に云「若於林中若於樹下
若於僧坊乃至而般涅槃」云云。此砌に望まん輩は無始の罪障忽に消滅し、三業
の悪転じて三徳を成ぜん。彼中天竺の無熱池に臨し悩者が「心中の熱気を除愈
(瘉)して其願を充満すること清涼池の如し」とうそぶき(嘯)しも、彼此異なりと
いへども、其意は争か替るべき。彼月氏の霊鷲山は本朝此身延の嶺也。

143hage:2009/07/19(日) 21:51:52
顕正居士さん

つまりは、法華経の行者の住処であれば、そこは霊鷲山にも劣らない。
そういう意味ではその時に日蓮聖人のいらっしゃった身延の嶺也も同じであるということですね?

ところで、現在の日本でもし「国立戒壇」を建立したとすればどうなるでしょうか?
もちろん、国立なのでどこかの宗派が所有菅理するのではなく国が所有管理することになりますし、
その御本尊も、もちろん国の所有菅理となり法要を行うのも公務員で、お布施も国庫に入る・・・
そんな感じになるのでしょうか?

144顕正居士:2009/07/20(月) 13:06:51
戒壇というのは出家志願者に戒を授ける場所ですが、日本では官僧の枠を与えられた寺院に
設けられ、この戒壇を有する寺院は今日でいえば文化庁のような役所でもある、そういう特殊な
概念です。官僧というのはきわめて小人数の国家試験合格者で政府から禄が支払われます。
天台宗の戒壇独立というのはこの官僧の枠を与えられるためのことです。後に延暦寺と三井寺
が争うようになると、三井寺から戒壇独立の請願が起こった。この頃になるとすでに官僧の実は
なく、もっぱら宗派独立の手続きの意味合いになります。日蓮宗の戒壇というのも三井寺に
習った延暦寺からの独立請願運動です。時代は戦国の世となり、各地の戦国大名の法度が
律令に代わって僧尼を統制していましたが、京都では延暦寺からの独立を朝廷から認めらる
ことには意味がありました。でないと比叡山には少なくとも日蓮宗寺院から上納金を徴収する
権利がありますから。江戸時代には徳川氏の法度で日蓮宗の独立は認められ、維新後は
宗派の新設や分離は原則自由ですから、戒壇とは本来の戒を授ける場所以外の意味はない。
智学居士は現代の日本僧侶は出家でなく、居士である、それでかまわないという立場なので
国立戒壇といっても実は戒壇ではない。単にこれを有する寺院が日蓮宗を統制する権威を有する
ようになるであろう何かである。国立の意味は議会の議決と勅令によって建造される意味で
国費運営ではない。結局、昔とは反対で日蓮各派統合のなにか象徴、それを政府の強制で作る、
そういう意味合いの建造物と解釈されます。

145山門手前:2009/07/20(月) 13:56:26
顕正居士さん

非常に無理があると思います。

まず、

①国立の意味は議会の議決と勅令によって建造される意味で
国費運営ではない。

これでは現在の建築申請と許可権限だけと同じです。
それを逆に「国立」とは表記できません。

②結局、昔とは反対で日蓮各派統合のなにか象徴、それを政府の強制で作る、
そういう意味合いの建造物と解釈されます。

思想信条の自由が保障されている近代において一宗派の建造物に対し
政府が強制して「こうしろ」等という事は不可能です。政治と言うのは
宗教に対して「最も距離をあけておかなければいけないもの」なのです。

146hage:2009/07/20(月) 14:27:48
国立戒壇を建立して、他宗は認めないというのは、今の世界情勢からすると難しそうですね。
富士門流の中でさえバラバラで批難しあいの状態なのに、強制的に一つにまとめることはできるのでしょうか?
現代においてその必要はあるのでしょうか?仮に一つにまとまったとして、それが何年持つのでしょうか?

147顕正居士:2009/07/20(月) 15:00:12
>>145
山門手前さん。智学居士の国立戒壇論はきわめて特異の発想で、その意図が何にあるのか現代人には
理解が困難です。おそらく明治初期に新政府がさまざまな宗教統制政策を行なった頃に出来た発想だと
おもいます。
さて国立の意味が単なる官許であり、建立するのは日蓮宗徒であるならこれは何の意味を有するのか?
たぶん、身延山久遠寺に建立すべしというような想定内容に意義があるでしょう。
しかし久遠寺になにかそのようなものが出来たからといって、妙満寺や大石寺が久遠寺を総本山として
仰ぐことはないでしょう。ですからあらかじめ自主的に日蓮各派を統合しておかなければ無意味です。

政府の干渉が各派統合などにいかほどの効果があるのか?ないでしょうから、大師号宣下のように
そういう目標を作ることによって統合の実を進めようというのが智学居士の意図であったのではないかと
わたしは想像しています。


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