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「広宣流布、本門の戒壇」の解釈又は定義について
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犀角独歩
:2002/10/10(木) 08:09
達師がまだ精道師の名乗りの頃、まとめた『板本尊偽作論を粉砕す』は私にとって、戒壇之本尊が本物であることを信じる大切な一書でした。その意味から人にも何度となく勧めてきました。しかし、これをいま読み直すと疑問は次々と涌きます。この点を何点か記してみようと思います。
なお、記すに辺り、には深くお詫び申し上げるものです。
いままで、この書を良書として勧めた方々、以下、記すことによって、私の過去の言動、殊に板漫荼羅真作とする発言を改めて、撤回し、お詫び申し上げるものです。
以下、日蓮正宗布教会編の文章ですが、発行者・代表が「細井精道」となっているので達師の言として扱います。
■板本尊偽作論を粉砕するに見る達師の言を検証する(1)
P11に「大石寺に於ては信徒の願い出があれば御開扉申し上げている。少しもひた隠しにしていない」
まず、ここで信徒の願いがあれば御開扉をするという。石山で言う「広宣流布の暁まで秘蔵厳護する」というのは、こんな本音と建て前の使い分けなのでしょう。
たとえば石山行事に「不開(あかずの)門開き」というのがあります。広宣流布の暁に天皇の勅使が通るための門であるから勅使門ともいう門です。石山のアナウンスに拠れば、信徒に供養をさせ功徳をえさせるために年に1度はこの門を開けるというものです。広宣流布の暁まで開けない門は、なんということはない、毎年1回は開けられているわけです。こんな本音と建て前、きれい事と現実の使い分けが、石山にはあまりに多い。
純粋な信徒はきれい事を信じ、「広宣流布の暁まで戒壇の御本尊様は秘蔵厳護され、天皇の勅使が来るまで不開門は開かない」と胸を熱くするわけです。ところが信徒の願いがあれば御開扉はするし、供養を受けるために不開門開きなる行事まであるという理想の現実の前に愕然とさせられるわけです。一連の顕正会の理想行動と石山との軋轢は、こんな本音と建て前、理想と現実の大きなギャップに走った大きな亀裂であったのではないでしょうか。
「…信仰のない者に拝ませる必要が何処にあるのか。そういうことは御賽銭稼ぎの他に意義はない。安永君(板本尊偽作論の著者)は自分の門流で御賽銭稼ぎに御開帳をやっている、その頭で律するから、そういふ説を立てる」
まず、ここで立正大学の先生である安永師を、自分たちに誹謗したものである、破折し、教訓してやる、こんな意気込みなのでしょう。「君」付けで一貫して呼んでいます。このような他者蔑視はすでに教義の正邪、団体・指導者の正邪以前の人間性の問題です。実に見苦しい非礼な態度であると批判しておきます。
ここで他山の御開帳を賽銭稼ぎと詰(なじ)っています。
しかし、では、一律の内拝料金を定めて徴収し、かつ、信徒であれば誰でも御開扉を受けさせることと何処が違うのでしょうか。広宣流布の暁まで秘蔵厳護の理想とは大きく隔たった現実です。
他宗と言葉の使い分けをしていますが、対照すれば、
御開帳=御開扉
内拝料=御賽銭
ということになります。つまり達師の言を当て嵌めてみると「内拝料稼ぎの他に意義はない。内拝料稼ぎに御開扉をやっている」となります。まさに点に唾する類の発言でしょう。(つづく)
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