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「広宣流布、本門の戒壇」の解釈又は定義について
54
:
顕正居士
:2002/10/09(水) 07:53
西元552年、1052年、1552年
「最後の」、「法滅の」時は経の作者が仏に仮託して今をいうから、仏の滅後
500年、1000年とあれば、その頃に作成されたと想像できる。経が作られたのは
滅後500年(大乗)、1000年(密教)に集中してはいる。『方等大集経』のは
4個あるいは5個の500年をいい、ゾロアスター教の「終末史観」を摂取したのか
知れない(トルキスタンで出来た)。今、我々は釈尊がソクラテスと同じ時代
の人であることを知っているが、それは北伝経典に仏の滅後100年に阿育王出世
とあり、彼の年代がギリシャの記録から判るからである。古代の中国人はその
年代を知るすべがなかったので、西元前11世紀に素晴らしい聖人が西方で誕生
したらしい、そういう吉祥があったという記録にこじつけ、700年も昔にして
しまった。この計算を『大集経』に施すと、西元552年に末法に入る。漢末の
大動乱、『三国志』の時代を、魏晋しばらく統一したが、ほどなく南北朝の
異民族侵攻の時代となる。「末法」を背景に浄土教、天台宗など、中国独自の
仏教が発達した。わが国への仏教公伝には538年説があるが、『日本書紀』が
552年とするのは末法元年だからである。しかし藤原政権に衰弱がはじまった
11世紀、『大集経』には5個の500年ともあるゆえ、西元1052年に末法に入ると
日本人は喧伝した。「末法」を背景に日本独自の仏教が発達した。五番目の
500年の説は日本で流行しており、日蓮の創意ではない、責任でもない。だが
五番目の500年の終わる時には、何が起こっただろう。日蓮宗がその使命を
おえるはずの1052年の前後には。天文法華の乱(1536年)である。この頃の
日蓮宗徒は人口の半数であり、最も有力なキリスト教の敵であるとパードレ達
は記した。明治年間に20家の宗教華族が叙爵された際、両本願寺のみ伯爵、他
の18家は男爵、すべて真宗異流と神道家であった。(興福寺門跡は還俗を前提
に叙爵されたので宗教華族に入れない)。
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