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「広宣流布、本門の戒壇」の解釈又は定義について

141犀角独歩:2009/07/19(日) 14:52:47

わたしも自己主張は強いほうですが、ここ10年足らず、管理人さんの見事な采配に身を委ね、稔りある議論を重ねてまいることができました。

今回、拝見しご発言で記されたことで、国立戒壇義は、日淳さんは、この筋であったが、日達さん・日顕さんのコンビがこれを捨てた。また、二箇相承の偽作説を受容など、まあ、ここまで、そのとおりであろうかと存じます。

ただ、日興に国立戒壇の意志があったというのは、単に二箇相承を金科玉条とし、かつ、大石寺に、その義を窃盗した上での結論であって、この点はしかし、既に充分に議論し尽くされていることです。

日蓮は在世、「久遠寺」「本門寺」という表現は使ったことはないわけで、そうした点からも、この“相承”なるものを真書として扱うことは不適当であり、かつ「富士山本門寺」とは、日蓮没後の命名で、大石寺とは関係のない北山・西山の話、それを持ち上げた洛の日辰前後の物語と見るのが至当でしょう。

また、「国主は一人」と書いていた点は、いちおう、そのとおりで、再往はさてどうかという思いがあります。

もし、国主が一人であり、かつ国立戒壇を目指していたとすれば、日興は誰を一人国主として考えていたかを明らかにしなければならないでしょう。また、本門寺戒壇というとき、漫荼羅に日興が書き込んだ「本門寺」は複数あることの説明をつけなければならないことになります。

鎌倉時代以降を封建時代などと称しますが、封土分割領有の時、国主一人、本門寺複数という“コマ”は、どのように並べても、国家統一における国主一人国立という意味を引き出すことはできません。

だからこそ、田中智学は明治維新の王政復古以降、廃藩置県後、国家統一、国主一人の明治以降の日本であればこそ、「国立戒壇」という標語を言い放つことができたのでしょう。

また、田中智学は大石寺の教学を盗用したなどといいますが、さて、この点は如何なものでしょうか。残る田中智学ほか教学運動の規模と大石寺のそれは比較の対象にはならないほどに貧弱であると映じます。

では、田中智学らは、富士の影響を受けていないかといえば、そうとは言えず、しかし、もしその影響を見れば、大石寺というより、本門寺・保田妙本地・要山に目を向けていたのではないかと考えます。なお、田中智学の還俗は、あの明晰な頭脳を有していれば、至って当然の帰結であり、寺院護持といったちまちました考えを脱却し、あの当時、世界を見据えれば、故なきもない話であったと思えます。

こうした議論は、やや重ねてたいと思いますが、しかしながら、とかく「折伏」という言葉になると、とたんにスイッチが入ってしまう日蓮門下や、田中智学系の人々とは、しかし、落ち着いた議論は期待できないと、残念に思いながら、数カ年を経ているものです。

なおさらのこと、彫刻といったモノ信仰に執着する大石寺の僧俗とは、これまた、議論にならないでしょうし、その意味では、それが臨滅度であれ、万年救護であれ、そうした掛け軸本尊の優劣を競うような話でも、致し方がないと感じる昨今です。

呆気ない結末でしたが、管理人さんのご英断には、重ねて敬意を表するものです。


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