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「広宣流布、本門の戒壇」の解釈又は定義について

71犀角独歩:2002/10/14(月) 09:36

■板本尊偽作論を粉砕するに見る達師の言を検証する(3)

この書の中で、もっとも目を引き、安永師の批判をかわしているのは以下の点です。

P12に「次に安永君は板御本尊の下方の部に仏滅後二千二百二十余年未曾有之大漫荼羅の御文が入れてあるというが、よくも斯様な出鱈目が言えたものと唯あきれる許りである。一度も拝せずして、世情の余太議論の書を半囓りして論ずるから根も葉もないことを誠しやかに論ずることになる、茲には御本尊の文はかくかくだということは言はぬ」

達師に拠れば「二千二百二十余年」と彫られているというのは根も葉もない出鱈目であるという。しかし、それなのに、では、なんと書いてあるのかを言わないのである。実に狡猾な文章であると私は思います。

しかしながら、この文章は安永師を嘘つき呼ばわりしているようで、実は自宗の歴代までも、「出鱈目」をいう「あきれる許り」の人物であると言っていることになります。

なぜか。第31世因師は『有師物語聴聞抄佳跡 上』のなかに

「本門戒壇の御本尊、寸尺、長四尺七寸五分、横弐尺壱寸七分、厚弐寸弐分御首題御勧請皆金薄入りなり、仏滅後“二千二百廿余年”等と云云』(富要1-251)

と記しているからです。さすがに歴代の文書のなかで戒壇之漫荼羅の仏滅年代に言及しているものは少ないのですが、しかし、ここには以上のように記されています。まさか達師は「二十余年」ではなく「廿(にじゅう)余年」だというのでしょうか。そんな「子供だまし」が通用する話ではありません。

『悪書板本尊偽作論を粉砕す』が発刊されたのは昭和31年9月25日のこと、富士宗学要宗の奥付を見れば『「昭和49年4月2日』となっています。昭和31年当時『有師物語聴聞抄佳跡 上』を載せる富士宗学要宗が発行されていないことをよいことに、このような人を欺く文書を恣にする体質は許されるべきことではありません。私もかつて、この一節に欺かれた一人として、今更ながら憤りを禁じ得ません。

もし、以上、記すことが虚言であり、単なる誹謗であるというのであれば、戒壇之漫荼羅の相貌を宜しく公開し、また、素材鑑定も公開して、実否を計ればよいだけのことです。それを「信仰」という名のオブラートに包み、伝説によって幾百万の人々と、数百億円の財貨を動かし、さらに、「広宣流布の暁まで客殿の奥にしまう」と言いながら、ここ近年だけをとっても、延べ数千万人に公開し利益を得るのみならず、新たな殿堂まで建造して、さらにその愚行の拍車をかける有様は嘆いても嘆ききれるものではありません。


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