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「広宣流布、本門の戒壇」の解釈又は定義について

57川蝉:2002/10/09(水) 17:18
56 : 犀角独歩 さんへ。

>仏滅後2000年という創作者と関係のない未来を予言して書いたの
>ではなく、釈尊に予言をさせる形を採って自分たちのことを書い
>たのであろうと思うわけです。

勧持品も、法華経信奉者達が、他集団から攻撃を受けた体験をベースにして、(このことは通説になっていますね)将来・悪世に弘通する者は、かかる非難攻撃を受けるであろうと、云うに将来に視点を置いて語っています。

犀角独歩 さんの読み方から云うと、勧持品の「濁劫悪世の中」の意は、法華経創作者当時を指しているだけで、遠い将来世のことなど視野にいれてないと云うことになるのでしょうか。

「見宝塔品」に
「もろもろの仏子等 誰がよく法を護らん まさに大願を発して 久しく住することを得せしむべし」
とあるのは、法華経創作者当時の信奉者に向けているだけの言葉としてしか解釈しないのでしょうか。

薬王菩薩本事品はじめ法華経全編は、当時の信奉者のみを対象にしたものでなく、将来世の悪世を視野に入れたものであり、我々に、現に語りかけられている言葉として受け止めるところに、法華経は生きて来るのだと思います。

これは私の基本的立場です。

「是の故に宿王華、此の薬王菩薩本事品を以って汝に嘱累す。我が滅度の後、後の五百歳の中に、閻浮提に広宣流布して、断絶して、悪魔、魔民、諸天、龍、夜叉、鳩槃荼等に、其の便を得せしむること無かれ。」
とあり、
たしかに、「宿王華よ薬王菩薩本事品を正法五百年の次の五百年の期間において広宣流布すべし」と云うのが、経の元々の意(原意)と云えます。
しかし、伊藤瑞叡立正大教授が「日蓮精神の現代」において、
「流布すべしとするものは、薬王菩薩本事品ではあるが、これは妙法蓮華の法門に摂せられるものであり、しかも法門の真意は妙法すなわち正法であるから、結句は妙法である。すなわち、法華経は正法(=白法)滅尽の時をモメントとして真の仏法たる正法(=大白法)の興隆が企図さるべきであるとする意志を表明していると解されよう・・法華経においてこの経文の主旨である正法の興隆ということは、原意のままの後五百歳では、その後の仏滅一千年を経過してからは、人類の歴史の上にリアリティを失いかねないものとなってしまう。そこで法華経の原意(事実)ではなくて、その原意生み出した真意(真実)はどこにあるのか、ということが問われるべきであろう。・・常に正法がまさに滅せんとするという正法滅尽の危機意識にあり、そうして正法の興隆にこそあるといえよう。原意に固執して枯死せしめてはならないのである」(233〜236頁)頁)
と論じていますが、こうした、経文の受け取り方が大切だと思います。
「薬王菩薩本事品を広宣流布すべし」とあっても、本文を見れば分かるように、法華経を十諭讃歎し法華経の受持の功徳を讃えている内容ですから、「薬王菩薩本事品」を広宣流布することは、事実上「法華経を広宣流布すべし」ということです。

法華経は仏滅後の悪世に弘めるべき価値のある正法であると云うのが、法華経の底にある真意です。「見宝塔品」の教勅が「正法五百年の次の五百年間」の弘通を命じているだけで、遠い将来世の弘通を募っていないとは云えないでしょう。
その遠い将来世に渡って広宣流布すべきであるというのが、法華経全体に流れる真意でしょう。

「薬王菩薩本事品」に「正法五百年の次の五百年の期間において広宣流布すべし」という原意あっても、その真意は「正法五百年の次の五百年の期間」だけの広宣流布を望んでいるだけでなく、遠い将来世に渡って広宣流布すべきであるという事が真意であると読むべきだと思います。

ゆえに「そんなことからも、この「50(500)年」は末法の始めの500年とはまったく無関係であると私は思います。」と云う犀角独歩さんの見解には首肯できません。

上に述べましたが、「薬王菩薩本事品」を広宣流布することは、事実上「法華経を広宣流布すべし」ということです。
その法華経の中に、上行等が弘通を誓っていると云うことになっているのですから、「上行菩薩ではなく宿王華に委ねられている」としても、「薬王菩薩本事品」が上行菩薩の弘通を無視して、法華経の一品に加えられているとは云えないでしょう。

今回の問題についても、私と犀角独歩さんとは基本的立場が違うようですね。


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