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「広宣流布、本門の戒壇」の解釈又は定義について

78SF大好き:2003/09/25(木) 10:18
大聖人様がタイムマシンに乗って2003年にいらっしゃいました。
某寺で一ヶ月ほど歴史事情の御進講を受けられたあと、某寺の御法主上人とこんなお話をなさいました。

大聖人様:「ところで、パソコンというのは便利なものであるの。」
御法主上人:「はい、左様でございます。」
大聖人様:「そちは、毎日あれで他宗と法論を闘わしておるのか?」
御法主上人:「...............]
大聖人様:「ところで、あれなるものは布教に大変便利であるのう」
御法主上人:「はっ。ところがいろいろ問題もありまして....]
大聖人様:「さもあろう。ところが、セキュリティの問題され解決されれば、あれは実にいい。」
御法主上人:「と、いいますと?」
大聖人様:「鎌倉時代と違い、そちは毎日信者すべてに対して手紙を送れるではないか。昔は、筆と紙。どちらも貴重品でなかなか手紙一本書くのも大変だった。
「それに、いまでは曼荼羅でさえもホームページにアップロードしておけばすむではないか。」
御法主上人:「しかし、それではだれでも簡単に印刷できてしまいます。」
大聖人様:「曼荼羅は言うまでもなく貴重なものであるから、印刷は写真高画質でなければならない。あと、セキュリティの問題はくれぐれも慎重にな。」
御法主上人:「しかし、それでは当寺の経営が.....]
大聖人様:「もとより、一閻浮堤総与を旨としたものであれば、コンゴでもボスニアでも即日「本尊流布」ができるではないか。何も問題はないのではないか。日蓮の曼荼羅は著作権フリーでかまわない。ただ、信心の内野からに軽々に与えてはいけない。そのことだけ、心するように。」
御法主上人:「.............................]


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