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「広宣流布、本門の戒壇」の解釈又は定義について

110大東亜の星:2009/07/16(木) 14:22:17

一信徒さん、はじめまして。あなたのご質問ですがどの辺からお答えすれば良いのか、思案したり躊躇ているところです。

はじめに簡単にお答えするとして、大聖人の下種仏法(三大秘法)と、他の教法とを比較・取捨選択しながら五重相対していけば、最後に残る教法とは、三大秘法になるのはお解かりでしょう。

大聖人は、この闘いを徹底して勧めるに当たり最終的には「権経権門の輩を一人もなく攻め落とせ」と仰せられる。この闘いは、大聖人おん自ら立正安国論を以って、時の国主である北条時頼を諌暁せられている。大聖人の御存生の時代は、世はまさに専制時代であれば、御開山第二祖日興上人から、明治時代の貫主を務められた第五十四世日胤上人の時までの間「申し状」という形で、之を時の国主に奏呈し、国主を諌暁されているのであります。これ即ち「国立戒壇」建立への闘いであった。

中でも第三祖日目上人の天奏は、七十四歳の御高齢にして再び本山の土を踏む事のない宗門史に残る壮絶な闘いでした。云く「日目先師の地望を遂げんが為に後日の天奏に達せしむ」と叫ばれ、垂井の宿で御遷化されたが、まさしく、この本願は「国立戒壇」の闘いでありました。

時代は変わって民主政体となった昭和時代になってからは、彼の英邁な第六十五世を継がれた日淳上人は『蓮祖は「国立戒壇」を本願とせられ、これを事の戒壇と称せられた』〔日淳上人全集〕と記され、づづけて『唯一の「国立戒壇」すなわち大本門寺の本門戒壇の一カ所だけが事の戒壇でありて、その事は将来に属する』〔富士日興上人詳伝〕と仰せられています。日蓮正宗の歴代の先師は一糸乱れず異口同音「国立戒壇」を叫ばれていたのであります。悪僧日達や日顕のように信徒の池田大作に諂って、大聖人の仏法を改変、歪曲などしていないのです。正本堂を指して「事」の戒壇と呼ぶのは真っ赤な嘘です。

三大秘法抄で仰せられる「王仏仏法に冥じ仏法王法に合する」とは、国家が日蓮大聖人の仏法を国家安泰の唯一の宗教、衆生成仏の唯一の正法と認識決裁し、これを尊崇守護する。すなわち日本国の本有の国主である天皇も、大臣も全国民も一同に本門戒壇の御本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱える時、当然の帰結として国家の明確な意思を以って戒壇堂は建立される。これを「国立戒壇」と呼ぶのであって、民衆立などとは言わないのであります。立正安国論の大精神、あるいは三大秘法抄、一期弘法抄の文を依文判義すれば、当然「国立戒壇」という義になるのであります。


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