したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

「広宣流布、本門の戒壇」の解釈又は定義について

51川蝉:2002/10/07(月) 16:26

犀角独歩 さんへ。
宗祖の広宣流布の解釈

「種々御振舞御書」にも
「諸仏の眼目たる妙法華経の五字、末法の始めに一閻浮提にひろませ給ふべき瑞相に日蓮さきがけ(魁)したり。わたうども(和党共)二陣三陣つづきて迦葉、阿難にも勝ぐれ、天台、伝教にもこへよかし。」
とあります。
宗祖は自らを広布の先駆けと任じられていたと言えましょう。
宗祖には初めの内には、若しかしたら公場対論までもってゆけるかもしれないと云う希望はあったであろうことは推測できます。
しかし、竜口法難を境に、ほぼ生存中には公場対論は望めないという気持が強くなったと推測します。

それは、「三沢抄」に
「而に去る文永八年九月十二日の夜、たつ(龍)の口にて頸をはね(刎)られんとせし時よりのち(後)ふびんなり、我につきたりし者どもに、まこと(真)の事をいわ(言)ざりけるとをも(思)て、さど(佐渡)の国より弟子どもに内内申す法門あり。」(1489頁)」
と有ることから推せられましょう。

私はやはり、宗祖は、末法の初めに三大秘法が唱え出され弘通される意と、やがて、日本国乃至一閻浮提に広がって行くと云う意の二意を含んだ経文として「我滅度後。後五百歳中。広宣流布。於閻浮提。無令断絶。」を扱われていると思います。

「我が滅度の後、後の五百歳の中に、閻浮提に広宣流布して、断絶して」
の文の「広宣流布して」の意を、広宣流布の完了(一国同帰の成就)の意のみと解釈すれば、宗祖は事実上、一国同帰の目的を果たす事が出来になかったのですから、
犀角独歩さんの
>日蓮が漫荼羅を記述した段階をもって広宣流布の成就と見なけれ
>ばならないのではないのかと考えるわけです。
と云う通りとなりますね。

そこで原典の口語訳を見てみると、それぞれ次の様に訳されています。
「宿王華よ、のちの時代、のちの時節、のちの五百年に、このジャンブー州において(本章が)ひろまり、消失しないように、」
(中央公論社・大乗仏典5・203頁)

「最後の時、最後の期、最後の五百(年)の転現する(時)に於いて、この閻浮提に流布せしめよ、消滅せしむるなかれ」
(平楽寺書店・梵漢対照 新訳法華経・467頁)

「最後の時・最後の折り・最後の五十年の経過している間に、このジャンブ=ドブィーパに行われて、消滅しないように」
(岩波文庫・法華経下・207頁)

「広宣流布して」の意は、広宣流布の完了を意味するものでなく、「弘め広げつづける」との意であるようです。
(最後の五百(年)については今の論題ではないので差し置きます)
ゆえに、宗祖が一国同帰を成就できなく、三大秘法の法門を建立し広め初めの先駆けだけにおわっていても、薬王品の文に外れたとは言えないと思います。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板