[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
メール
|
1-
101-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
「広宣流布、本門の戒壇」の解釈又は定義について
1
:
管理者
:2002/03/05(火) 22:20
盛年元気さんより、ねスレッドテーマの提案がありました。立ち上げます。要請文は以下の通りです。
5 名前: 盛年元気 投稿日: 2002/03/05(火) 21:41
『「広宣流布、本門の戒壇」の解釈又は定義について』というスレッドの立ち上げを提案します。(自己紹介はそのスレッドに投稿しました)
富士門の各団体の違いの基本は、「広宣流布、本門の戒壇」の解釈の違いにあるとしてよいのではないのでしょうか。細かなところでは色々とあるのでしょうが。
で、それぞれの団体又はこのネットワークの参加者個人がどのようにこれを解釈しているのか、その違いを明確にするのは富士門内の相互理解に重要だと思います。
このネットも含めてINで調べたけれど、他の団体の前述の内容に限定した教義が良く分かりません。それぞれの団体(日蓮正宗、創価学会、正信会、顕正会)の主張は明快に定義されていてしかるべきと思いますが。
顕正会の場合は昭和35年当時の他の団体と共通の「本門の戒壇=国立戒壇」です。私個人としては「国立戒壇」という名称は「言い得て妙」だと思っています。
「国立戒壇」を建立するには次のような過程が想定されます(私見です)。
①半数以上の有権者の確保(広宣流布)。
②国会議員3分の2以上の確保(①が達成されれば選挙法の改正で可能になるか)。
③本門の戒壇の建立を国会決議(国会決議されたものは天皇の承認も以って発効する)。
④戒壇建立と本門の御本尊の移管。
なお、「憲法改正」を要することは浅井先生の指摘するところです。
99
:
藤川一郎
:2005/02/09(水) 18:41:29
デルトロさん
いいんです。いいんです。
思いこみの感想で結構です。私も思いこみで生きてますから(爆)!
100
:
問答迷人
:2005/02/09(水) 18:45:02
デルトロさん
僕は、そんな仰るような悪意で書き込んだりはしませんよ。ごく普通に議論させていただこうと思っているだけです。それが御気に召さないなら、謝ります。申し訳ありませんでした。色々な方が参加されていますから、そう短気になられずに、気の会う方を見つけてお話されれば良いと思います。
101
:
デルトロ
:2005/02/09(水) 19:00:34
藤川一郎さん、こんにちは
まさかとは思いますが からかわないでくださいね?
今、人生ずっとからかわれてたような気がするんで、
転ばされるとキツイんですよ。
正直よくわかんないんですよ。
戸田城聖が存在する前の在家の姿が。
わたしの思い込みだと、戸田学会の誕生で社会問題になるほど
一気に法は広がったけど、やっぱり社会問題になるほど
強引すぎた折伏だったりもするわけですよねえ。
戸田学会以前の在家の信仰状態が見えないんですよ。
戸田から一気に排他性が強まったのか、
それともそれは日蓮正宗元々の体質で表面化してきただけなのか
逆にお聞きしたいんですが、元学会員の少ないお寺って
どんな感じなんですか?
藤川さんから見たお寺の感想を聞かせてもらえませんか?
102
:
デルトロ
:2005/02/09(水) 19:07:19
問答迷人さん 了解しました。
あんまりいじめないでくださいね。
問答迷人の「普通の議論」と私の思いつきの幼稚な
感想文ではあまりにレベルが違いすぎるんですよ。
逆ギレだったかもしれませんね。
こちらこそ謝ります
103
:
吉祥仙人
:2005/02/09(水) 20:15:57
デルトロさんへ
あなたの苦悩は、あらゆる知識に勝るものかもしれません。また知識に縛られない
自由な発想は、この掲示板に新鮮な刺激を与えてくれている かもしれません。
自虐せずに、堂々と書き込みを続けられることを期待します。
104
:
デルトロ
:2005/02/09(水) 20:27:22
吉祥仙人 さんこんにちは
褒め言葉と伺っておきます。ありがとうございます。
明らかに異質な人間が紛れこんでしまいましたが、
砂場で遊んでいる幼稚園児だと思ってください。
子供は喜怒哀楽が激しいかもしれませんが、
これからもよろしくお願いいたします。
105
:
吉祥仙人
:2005/02/09(水) 20:56:01
デルトロさんへ
私も他の皆さんの教えを受けている小学生のようなものです。
ただ、世の名を変革させる発明は、常識的な大人から「子供のような」と言われる
発想から生まれることは、それこそ常識です。
106
:
天蓋真鏡
:2006/12/14(木) 03:32:12
広宣流布の広宣とは、日蓮聖人にとっては法華一乗を弘教する事で、 本門の戒壇とは、三つの法門、法華経本門に立てる本尊・戒壇・題目の一つ。 戒壇堂等は、国主が一尊四士で法華経本門を立てる時までの密事で宜しいのでしょうか。 其れから、天皇の呼称は主上とは書きませんか?
107
:
天蓋真鏡
:2008/05/04(日) 11:49:45
曼荼羅も本尊も内証なら、「本門の本尊・本門の戒壇・本門の題目」は取り敢えず、漫荼羅で事足りるのではと考えます。広宣流布が法華経の提唱なら持ち運び便利な漫荼羅掛軸で座談会を開講する云々。一気に権力者を改宗して東大寺延暦寺以上の戒壇堂を建立して済むなら僧が弘教を遣らない様になり日顕宗池田教みたいになりかねない。
108
:
大東亜の星
:2009/07/16(木) 10:22:10
これは素朴な感想であり、誇張もない現実世界のお話です。それは、創価学会の戸田城聖氏が率いていた頃のお話です。戸田城聖氏は、昭和27年に学会再建に着手され、昭和33年4月に逝去されました。
その間わずか6年足らずの年月です。この僅かな期間に、実に75万世帯の大折伏を敢行したのです。この頃の学会員は、老いも若きも胸に鶴丸のバッジを輝かせ、連日連夜希望に燃えて学会活動に誇りを持ち、嬉々として喜び勇んでいました。それは言葉には言い表せない凄まじいばかりの火の玉のような勢いがありました。その怒涛のような勢いは、全会員が「国立戒壇」を合言葉に闘った日々でした。
それこそ、1対1の折伏戦の際にも、何も分らない新来者に対してまで国立戒壇の理想を語ったものでした。その理想は第三代を次いだ池田大作に引き継がれ、昭和36年には150万世帯を達成し、10年後の昭和46年にはなんと、その数、800万世帯にまで膨れ上がり、日達上人をして「今や広宣流布」と言わしめるほどの折伏が進んだのです。
ところが今の宗門には、このような目標もなく世間の目ばかりを気に掛けて背を向け、内向きの空気で覆われているとしか表現しようのないものです。それは、国立戒壇という宗門究竟の大目的を放擲し、3分の1で広宣流布などという邪説を弄しているからなのです。こんな情けない無様な体たらくは、かつて無かったことです。
謗法団体と化した創価学会を平成3年に解散処分に付して、はや18年の長い歳月が流れようとしていますが、果たして何人の折伏が適ったのでしょうか? これ、国立戒壇を否定し広宣流布は、3分の1で達成などと大聖人の教義を歪曲したがための仏罰なのです。早く、国立戒壇が宗門の公論となるべく、正義を取り戻さない限り、それこそ取り返しのつかない、恐ろしい国家体験をすることになるのは必然と思われます。
109
:
一信徒
:2009/07/16(木) 10:47:15
大東亜の星さん
私は法華講に籍を置く者ですが、「国立戒壇」については、仰る意味がよくわかりません。日蓮大聖人様が「国立戒壇」について示された真跡御書が有るのならお教え戴きたく存じます。宜しくお願い申し上げます。
110
:
大東亜の星
:2009/07/16(木) 14:22:17
一信徒さん、はじめまして。あなたのご質問ですがどの辺からお答えすれば良いのか、思案したり躊躇ているところです。
はじめに簡単にお答えするとして、大聖人の下種仏法(三大秘法)と、他の教法とを比較・取捨選択しながら五重相対していけば、最後に残る教法とは、三大秘法になるのはお解かりでしょう。
大聖人は、この闘いを徹底して勧めるに当たり最終的には「権経権門の輩を一人もなく攻め落とせ」と仰せられる。この闘いは、大聖人おん自ら立正安国論を以って、時の国主である北条時頼を諌暁せられている。大聖人の御存生の時代は、世はまさに専制時代であれば、御開山第二祖日興上人から、明治時代の貫主を務められた第五十四世日胤上人の時までの間「申し状」という形で、之を時の国主に奏呈し、国主を諌暁されているのであります。これ即ち「国立戒壇」建立への闘いであった。
中でも第三祖日目上人の天奏は、七十四歳の御高齢にして再び本山の土を踏む事のない宗門史に残る壮絶な闘いでした。云く「日目先師の地望を遂げんが為に後日の天奏に達せしむ」と叫ばれ、垂井の宿で御遷化されたが、まさしく、この本願は「国立戒壇」の闘いでありました。
時代は変わって民主政体となった昭和時代になってからは、彼の英邁な第六十五世を継がれた日淳上人は『蓮祖は「国立戒壇」を本願とせられ、これを事の戒壇と称せられた』〔日淳上人全集〕と記され、づづけて『唯一の「国立戒壇」すなわち大本門寺の本門戒壇の一カ所だけが事の戒壇でありて、その事は将来に属する』〔富士日興上人詳伝〕と仰せられています。日蓮正宗の歴代の先師は一糸乱れず異口同音「国立戒壇」を叫ばれていたのであります。悪僧日達や日顕のように信徒の池田大作に諂って、大聖人の仏法を改変、歪曲などしていないのです。正本堂を指して「事」の戒壇と呼ぶのは真っ赤な嘘です。
三大秘法抄で仰せられる「王仏仏法に冥じ仏法王法に合する」とは、国家が日蓮大聖人の仏法を国家安泰の唯一の宗教、衆生成仏の唯一の正法と認識決裁し、これを尊崇守護する。すなわち日本国の本有の国主である天皇も、大臣も全国民も一同に本門戒壇の御本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱える時、当然の帰結として国家の明確な意思を以って戒壇堂は建立される。これを「国立戒壇」と呼ぶのであって、民衆立などとは言わないのであります。立正安国論の大精神、あるいは三大秘法抄、一期弘法抄の文を依文判義すれば、当然「国立戒壇」という義になるのであります。
111
:
一信徒
:2009/07/16(木) 14:48:35
大東亜の星さん
>最後に残る教法とは、三大秘法
日蓮大聖人様の教えは突き詰めれば「本門の本尊」「本門の題目」「本門の戒壇」であると理解してします。
>三大秘法抄で仰せられる「王仏仏法に冥じ仏法王法に合する」
三大秘法抄は真跡が残っていないと存じます。三大秘法抄を日蓮大聖人様のお書きになられたのは果たして事実なのでしょうか。
>立正安国論の大精神、あるいは三大秘法抄、一期弘法抄の文を依文判義すれば、当然「国立戒壇」という義になるのであります。
一期弘法抄も真跡がありません。偽書の疑いが掛けられています。私は真跡の残っていない御書を議論の前提にしても、あまり意味が無いと考えています。出来ますれば真跡が残っている御書を基本にして御教授賜りたく存じます。宜しくお願い申し上げます。
立正安国論は紛れもない真跡です。立正安国論のどの文が「国立戒壇」に当るのかお示し戴ければ幸いに存じます。
112
:
hage
:2009/07/16(木) 15:37:59
「国立戒壇」が目的なのでしょうか?
「天下万民諸乗一仏乗と成て妙法独り繁昌せん時、万民一同に南無妙法蓮華経と唱へ奉らば、吹く風枝をならさず、雨壤を砕かず。 」
という世界を築いていくのが目的なのでしょうか?
「これが国立戒壇だ!」と押し付けたところで、社会そのものが変わらなければ、人々に安らぎが訪れなければ、御祖師様の思いとはかけ離れた「本門の戒壇」になるのでは?
「戒壇」を「社会」と読み替えるのはおかしいでしょうか?
私は学会員ではありませんが、今の創価学会、公明党も「社会」を良くしていこうと頑張っているのだろうと思っています。
私は「国家」と「社会」は必ずしもイコールではないと考えています。
113
:
大東亜の星
:2009/07/17(金) 11:04:22
一信徒君、あんたは何処の法華講員なんだね? よもや仏立宗や身延辺りの邪教日蓮宗の法華講員のいう事なら理解できるが、そんな体の者とは話はしたくないから二度と拙者に下らない質問などするでないぞ!
云く「三大秘法抄は真跡が残っていないと存じます。」真跡が残っていないから、どうだというのだ? つづけて云く「三大秘法抄を日蓮大聖人様のお書きになられたのは果たして事実なのでしょうか」などと、三大秘法抄の存在に端から疑って掛かっているようだが、その舌の根も乾かぬ内に「日蓮大聖人様の教えは突き詰めれば「本門の本尊」「本門の題目」「本門の戒壇」であると理解してします。」などと記している。
これを称して矛盾撞着支離滅裂というものだ。寄って立つ、三大秘法の根源を否定しならが、何が『突き詰めれば「本門の本尊」「本門の題目」「本門の戒壇」であると理解してします。』となるのだね? 真跡を偽書と否定するなど、長年の謗法が祟って遂に頭破七分に見舞われたかな?
だいたい、三大秘法抄を偽書扱いするような御仁とは、正常な議論は成り立たないと言うことだ。それに付け加えれば、三大秘法抄や一期弘法抄等を偽書扱いするのであれば、先ずは、その明確なる根拠を示す事だ。序にいうなら、一期弘法抄については二個相承書の内の一つで、北山に存在していた事は明らかで、二個相承とも当時、武田の軍勢に持ち去られた事だけは歴然としているのである。
最後に「「立正安国論のどの文が「国立戒壇」に当るのかお示し戴ければ幸いに存じます。」と来たが、逃げたと思われたくないので簡単に記しておく。
「立正安国論」の題号を一見すれば明らかなことだ。立正とは、正法を立てて国を安んずるの書という意味である。したがって、立正の前提には必ず破邪が無くてはならないのである。故に、正しくは、「破邪・立正・安国」と読まなくてはならない。詮じつめれば、立正安国とは「国立戒壇を建立して仏国を実現せよ」という事なのである。
114
:
一信徒
:2009/07/17(金) 11:22:49
大東亜の星さん
>一信徒君、あんたは何処の法華講員なんだね?
私は日蓮正宗の末寺に籍を置いています。
>これを称して矛盾撞着支離滅裂というものだ。
「本門の本尊」「本門の題目」「本門の戒壇」の名目は三大秘法抄を持ち出さなくても、真跡御書に日蓮大聖人様はお示しです。矛盾撞着支離滅裂と仰るからには、それらの真跡御書をご存知ないのでしょうか。
>だいたい、三大秘法抄を偽書扱いするような御仁とは、正常な議論は成り立たない
という事は、三大秘法抄が日蓮大聖人の御書であることを証明できないという事でしょうか。又、この抄の真偽については、古来色々な見解があることをご存知ないということでしょうか。
>一期弘法抄については二個相承書の内の一つで、北山に存在していた事は明らか
なぜ大石寺ではなくて、北山なのですか。相伝書は身を以って守るべきもの、それが大石寺には無かったという事は、大石寺には相伝が無いということになりませんか。
「立正」の「正」が「国立戒壇」になる理由が知りたいのです。もう少し詳しくお教え下さい。
115
:
犀角独歩
:2009/07/17(金) 20:48:56
管理人さん
113、この手の、倒錯は捨て置いて、スルーするのが本則ですが、しかし、「〜君」「長年の謗法が祟って遂に頭破七分に見舞われた」との類の発言は、明らかに投稿規約に違反すると思います。
内容は、既に議論の終わった他愛のないことでここで繰り返し反論する気にもなれませんが、この侮辱的、かつ、違反発言の放置は、こちらの品位を下げるばかりであると思います。
警告が至当と思いますが、如何でしょうか。
116
:
hage
:2009/07/18(土) 01:44:11
今の時代「国立」っていうのはあまり良いイメージないですね。
どうせなら、宗教や国や肌の色や民族に関係なく、
世界中の人が平和に暮らせるように誰でも願いを祈ることができる
そういう何かにしなければ「国立」では無理なのではないでしょうか?
そういう施設を作るとしても、そんな税金の無駄使いはやめて欲しいと
多くの人が思うでしょう。
117
:
hage
:2009/07/18(土) 01:57:52
御祖師様、日蓮聖人の御書の中で以下の御経文について詳しく説かれているところはありますでしょうか?
以要言之。如来一切所有之法。如来一切自在神力。如来一切秘要之蔵。
如来一切甚深之事。皆於此経。宣示顕説。是故汝等。於如来滅後。
応当一心。受持読誦。解説。書写。如説修行。所在国土。若有受持読誦。
解説書写。如説修行。若経巻所住之処。若於園中。若於林中。若於樹下。
若於僧坊。若白衣舎。若在殿堂。若山谷曠野。是中皆応。起塔供養。
所以者何。当知是処。即是道場。諸仏於此。得阿耨多羅三藐三菩提。
諸仏於此。転於法輪。諸仏於此。而般涅槃。
118
:
管理者
:2009/07/18(土) 05:53:40
大東亜の星さん
当掲示板には書き込みルールが設定されています。ルールを守って書き込んでくださるようお願いします。
ご参加の方から指摘が有りますが「長年の謗法が祟って遂に頭破七分に見舞われた」のご発言は、当掲示板のルールに抵触します。今後、このようなルールに抵触する発言はお止め下さい。無視して同様のルール抵触発言を続けられた場合は、当該投稿を削除し、ご参加をお断りする事になりますので、ご承知置き願います。
119
:
問答迷人
:2009/07/18(土) 12:22:46
大東亜の星さん
威勢の良い人が御参加されたので喜んでいます。国立戒壇の御主張、顕正会の方でしようか。
一信徒さん疑問に正面から答えられることを期待しています。一期弘法抄がなぜ大石寺から盗まれたのではなく、北山本門寺から盗まれたのか、合理的な説明がお聞きできれば、と楽しみです。
120
:
犀角独歩
:2009/07/18(土) 12:36:24
そうですか。問答さんは歓迎ですか(笑)
ならば、わたしも本腰を入れて、がっちりと議論に参加させていただくことにしましょう。
> 三大秘法抄や一期弘法抄等を偽書扱いするのであれば、先ずは、その明確なる根拠を示す事
これはまったく逆でしょう。日蓮の書いた真蹟が遺っていない以上、これを真筆というのであれば、その証拠を示すのは、“真蹟であると主張する側”の責務でしょう。いったい、どのような証拠があるのでしょうか。
> 一期弘法抄…二個相承書の内…北山に存在していた事は明らか
たしかに、日殿の懇願断食死は史実のようですが、しかし、だからといって、あったとされる書が本物であることにならないでしょう。これまた、本物であるというのであれば、その証拠の明示をここにお願いします。
なお、武田の勢をけしかけたの西山。
偽書であれ二箇相承は富士山本門寺戒壇を言う書であるわけです。
富士山本門寺とは北山・西山両寺の名前でしょう。
となれば、西山からすれば、こんな書が北山にあることは我慢ならないことは容易に想像がつきます。しかし、この書は先にも言われているとおり、北山(富士山本門寺)に所蔵された書であって、大石寺とはなんの関係もありません。
この書が、大石寺と関係がある証拠も併せて、ここに明示いただきましょう。
121
:
山門手前
:2009/07/18(土) 17:37:10
唐突にすみません。
問答迷人さんへ
大東亜の星さんは顕正会ではありません。
法華講員でもありません。
単なる「荒し」です。
他の掲示板でも、同じ事ばかりを繰り返し
投稿しており、皆、迷惑しております。
122
:
管理者
:2009/07/18(土) 17:46:52
山門手前さん
>単なる「荒し」です。
>他の掲示板でも、同じ事ばかりを繰り返し
貴重な情報有難う御座います。他人に迷惑を掛けるというのは困りますね。
これからも荒し投稿が続くようなら、厳重に対処させていただきます。
123
:
パンナコッタ
:2009/07/18(土) 21:33:48
hageさん、
真蹟なら、本尊抄の
『伝教の云く「又神力品に云く、以要言之、如来一切所有之法、乃至、宣示顕説〈已上経文〉。
明らかに知んぬ、果分の一切の所有の法、果分の一切の自在の神力、果分の一切の秘要の蔵、果分の一切の甚深の事、
皆法華に於て宣示顕説するなり」等云云。此の十神力は、妙法蓮華経の五字を以て、上行・安立行・浄行・無辺行等の四大菩薩に
授与したまふなり。前の五神力は在世の為、後の五神力は滅後の為なり。爾りと雖も再往之れを論ずれば一向に滅後の為なり』
曾存書なら、守護国家論の
『神力品に云く「要を以て之れを言はば、如来の一切の所有の法、乃至皆此の経に於て宣示顕説す」已上。
此等の現文は釈迦如来の内証は皆此の経に尽くしたまふ。其の上多宝並びに十方の諸仏来集の庭に於て
釈迦如来の已今当の語を証し、法華経の如き経無しと定め了んぬ』
この辺りでしょうか。
124
:
法華講衆
:2009/07/19(日) 01:02:11
>>120
>これはまったく逆でしょう。日蓮の書いた真蹟が遺っていない以上、〜真蹟であると主張する側”の責務
逆ではありません。「一信徒」氏は>
>>109
>114
>私は法華講に籍を置く者
>私は日蓮正宗の末寺に籍を置いています。
日蓮正宗信徒なら三大秘法抄・一期弘法抄を真撰御書とするのが当然です。
総じて「一信徒」氏の書き込みは正信会所属かつ興風談所支持に見受けられますが、その場合でも正信会は既に
宗教法人(包括宗教法人)を取得。日蓮正宗ではなくなっています。
従って挙証義務は日蓮正宗根本信条に異議を唱える「一信徒」氏にあります。
>>112
戒壇建立は山川智應博士の言を借りれば「目標教義」。広宣流布と共に必然です。
帰命依止の根本道場があり「如説修行抄」に仰せの羲農の世が現出します。
国立戒壇は御書の通りに本門戒壇と呼ぶべきでしょう。
125
:
犀角独歩
:2009/07/19(日) 02:06:42
>日蓮正宗信徒なら三大秘法抄・一期弘法抄を真撰御書とするのが当然です。
日蓮正宗信徒であるかどうか、そんなことは事実の前で、関係ありません。
> 総じて「一信徒」氏の書き込みは正信会所属かつ興風談所支持に見受けられますが、その場合でも正信会は既に宗教法人(包括宗教法人)を取得。日蓮正宗ではなくなっています。
別に、一信徒さんの発言は正信会によっているわけではないでしょう。
また、仮にそれを支持しているところで、それが事実であれば、けっこうなことです。
繰り返しますが、日蓮正宗であるかどうか、そんなことは事実の前ではまったく関係ありません。
> 従って挙証義務は日蓮正宗根本信条に異議を唱える「一信徒」氏にあります。
異議を唱えて、何が悪いのですか。
日蓮正宗が、別に正しいといったことはないでしょう。
二箇相承が本物であるというのであれば、証拠を挙げればよろしい。
挙げられなければ、証拠を挙げられないものを信じ込んでいるということを露呈しているだけです。
> 戒壇建立は山川智應博士
山川智應? 大石寺となんの関係があるのですか。
> 国立戒壇は御書の通りに本門戒壇と呼ぶべき
総じて、124の書き込みは大石寺の主張を無謬とする前提に乗っ取っていますね。では、その大石寺が国立戒壇を本門戒壇と、だれがどこで主張しているのでしょうか。
126
:
hage
:2009/07/19(日) 06:46:44
パンナコッタさん
ご教示ありがとうございます
法華経本門の中で説かれた道場すなわち「戒壇」が
「所以者何。当知是処。即是道場。」にあたるのでは?
そうならば、この娑婆世界の何処も全てが「本門の戒壇」なのでは?
法華経本門に説かれた本尊
法華経本門に説かれた戒壇
法華経本門に説かれた題目
とすれば、戒壇だけが国立というのは違うのでは?
「本門の戒壇」を「国立戒壇」だとするのは
真撰御書に明確にお書きになられていない以上、後の人たちの付け足しなのでは?
127
:
一信徒
:2009/07/19(日) 07:16:13
法華講衆さん
法華講衆さん
私は、法華講に籍を置き、日蓮正宗の末寺に籍を置いているのは事実です。だからといって、三大秘法抄・一期弘法抄を真撰御書とするのが当然だとは思いません。事実が大切です。真跡の残っていない遺文を、いくら御宗門が真撰御書だと言っても。疑義のあるものはどこまでも疑義が有ります。黒く汚れたシーツは決して真っ白なシーツでは有りません。
それにしても、何で、肝心の大東亜の星さんは書き込んでくださらないのでしょうか、こんなに色んな方々が喧々諤々と議論しているのに・・・
128
:
管理者
:2009/07/19(日) 07:41:02
法華講衆さん
この掲示板は、それぞれの立場を超えて自由に議論する場所として設定されています。投稿ルールをご覧になればお分かりになると思います。
法華講衆さんが、一信徒さんに対して、「日蓮正宗信徒なら三大秘法抄・一期弘法抄を真撰御書とするのが当然」と呼びかけられることはご自由ですが、「挙証義務は日蓮正宗根本信条に異議を唱える「一信徒」氏にあります。」というのは、少なくとも当掲示板の投稿ルールの上からは、言い過ぎだと思います。
当掲示板は、そのような思想統制にはあくまでも反対する立場である事をご承知置き願いたいと存知ます。
あくまでも立て場を越えて自由に議論する事、お互いを尊重する事が自由な議論には欠かせない事だと考えています。
以上、やり取りがいささか気になりましたので、管理者として一言ご注意申し上げました。
129
:
犀角独歩
:2009/07/19(日) 08:29:55
ここのところ、「国立戒壇」ということが話題になっていますので、いくつか整理を。
記すまでもなく、「国立戒壇」は田中智学の造語であり、いわば、その発生は日蓮宗(僧侶)でもないということです。しかし、戦前はこの影響を日蓮門下は強く受け、もちろん、大石寺もその例外ではなかったことは周知の事実です。牧口常三郎氏の確たる文献は思い出せませんが、戸田城聖氏は確実にその思想を有し、池田大作氏も戸田氏の遺志を継いで「正本堂」建立を目指した時点では、有していたでしょう。
ここのところの投稿の主張を見ると、あたかも大石寺が「国立戒壇」を目指す団体のような論調ですが、67代の日顕氏は、登座以前に『国立戒壇の誤り』を書いて、これを大石寺は、公式見解としたわけです。田中智学にはじまる国立戒壇思想を、ここに完全に捨て去りました。
では、中世、大石寺において、国立戒壇思想があったのか。そもそも、その言葉がないのに、そうした議論はナンセンスですが、敢えて記せば、当然のことながら、富士宗学要集全10巻中に「国立」の引用はただの1カ所もありません。
上古における日興の『申状』を見ても、戒壇建立を意図する文面は見いだせません。では、戒壇建立の遺志がなかったかといえば、日興の影響を受けたと目せるいくつかの文献には戒壇建立に係る記述が見いだせます。
では、日蓮に土地建物としての戒壇建立の意図があったかと言えば、これはあったでしょう。
『法華主取要抄』の草案である『取要抄』では、
雖然 伝教大師 天台所存所残一事得此之上 天台未談之迹門円頓戒壇始日本建立之 仏滅後千八百余年 月支漢土日本無レ之 第一大事秘事也
と、ここに「迹門…戒壇」というのは、自説である本門戒壇との追であることは、疑う余地はありません。
もちろん、この自問自答は
問云 天台伝教不弘通法花経乎
答云 本迹二門広与略弘通之 要一法不令流布知之
といい、『曽谷入道許(がり)御書』にいう「一大秘法」ではあるでしょうが、前文において「像法中…但以迹門為面以本門為裏」と言う以上、但以本門為面以迹門為裏ことが末法であることを意図しているのでしょう。
では、土地建物としての本門戒壇思想を日蓮が有していたか。この点については都守基一氏は
「本門の戒壇については、従来聖人自身による説明がないために、あるいは理の戒壇、即是道場の戒壇という理解も行われてきた。しかし以上の文脈による限り、本門戒壇とは伝教大師が叡山に建立した迹門円頓戒壇に続いて、末法の時代にどこかに建立されるべき事相の戒壇の意であると理解するのが自然である」(『大崎学報』第14号P121)
と結論づけていますが、わたしは、この分析に頷けます。
では、それが「国立」かどうかという点ですが、そもそも、日蓮の在世、鎌倉時代にいう「国立」ということ自体、ここのところの議論において、あまりに曖昧模糊としています。
日本史にいう「鎌倉時代」という表現は、正解とは言い難く、京都は厳として継続していたわけです。
日蓮は念仏停止(ちょうじ)の訴えを『立正安国論』をもって、武家政権の実質的な長に上申したわけですが、この時点で日蓮に、では下院弾痕流のアイディアがあったことは窺えません。
本弟子においては、たとえば日興は武家に『申状』を呈していますが、日目の上洛、所謂「天奏」は、朝廷をターゲットにしたものでしょう。
朝廷と武家、漫荼羅における図示に「天照太神」「八幡大菩薩」とあるところですが、では、日蓮の意図として事相戒壇は、このどちらを睨んでいたのか、わたしは朝廷に向いていたと思えます。根拠は小乗戒壇、迹門大乗戒壇ともにそうであったからです。となれば、、武家になした上申は、専ら、その意図は念仏停止、また、他国侵逼難難勃発における敵国調伏の祈祷を法華経をもって、日蓮が仰せつかることを目的にしたものであったというのが真蹟遺文から斟み酌れるところであろうと考えます。
130
:
犀角独歩
:2009/07/19(日) 08:45:09
久しぶりの投稿なのに、やはり、打ち間違いをしてしまいました。
誤)日蓮は念仏停止(ちょうじ)の訴えを『立正安国論』をもって、武家政権の実質的な長に上申したわけですが、この時点で日蓮に、では下院弾痕流のアイディアがあったことは窺えません。
正)日蓮は念仏停止(ちょうじ)の訴えを『立正安国論』をもって、武家政権の実質的な長に上申したわけですが、この時点で日蓮に、では戒壇建立のアイディアがあったことは窺えません。
131
:
大東亜の星
:2009/07/19(日) 11:19:41
田中智学という人物は、元を糾せば、邪宗日蓮宗身延派の坊主を途中で投げ出し、還俗して蓮華会を設立した。明治15年に我が日蓮正宗と論争、後の「横浜問答」といわれるものだ。この時、本宗第52世の日霑上人と問答をして、コテンパンにやっつけられたのである。その後、田中智学は姿を晦まし秘かに我が日蓮正宗の教義を深く学び、明治35年に彼の著述した「本化妙宗式目」と後の「日蓮聖人の教義」の中で盛んに「国立戒壇」なる語句を使用することになったのだ。正確には、田中智学の方が我が日蓮正宗の教義を盗んで「国立戒壇論」を口真似したのは明白な事実なのだ。
その証拠を示す。「田中智学氏の『日蓮聖人の教義』なる著書は、日蓮正宗の教義を盗んで書いたものであることは明白である」(興尊説冤盲説を破す)とあり、また、創価学会から発行された(日蓮正宗創価学会批判を破す)書籍には「じつに、国立戒壇の建立こそは、第二祖日興上人にのみ御遺命になったのである。そしてその場所も、富士山と明白にご指示になっている。また、あらゆる正史料から、日蓮正宗のみが、大聖人の御遺命をうけて、富士山に事の戒壇(国立)を建立しようと、必死の努力を続けてきたことは明白になった。近頃は田中智学門流でも、囀っているではないか」
などと、田中智学の国立戒壇論を批判しているのである。かつて日蓮正宗の信徒団体であった創価学会ですら、このように田中智学を批判していたのである。田中智学は後年、戒壇の御本尊ばかりは如何にしても手が届かない事を悟り、それに対抗するため「佐渡始顕の本尊」なるものを編み出したのである。身延の坊主だった過去を持つ田中智学が、日蓮正宗の宗門古来からの「国立戒壇」を言い出した。等という悪坊主日顕の邪義ということが歴然としたことであろう
132
:
犀角独歩
:2009/07/19(日) 11:31:06
> 131
「国立戒壇」が、日興から伝わる大石寺の義である?
笑止千万ですが、ここは議論の場であり、挙証義務を課せられています。思いつきや、思うところを垂れ流す場ではないので、主張したいのであれば、いちいちに証拠を挙げればよろしいということになりますね。
>日蓮正宗のみが、大聖人の御遺命をうけて、富士山に事の戒壇(国立)を建立しようと、必死の努力を続けてきた
ほお。いつ誰が、そんな努力をしたのでしょうか。だいたい、中世は寺請制度にどっぷり浸かり、近年は国立戒壇を放擲しています。
国立戒壇建立を具体的に推進した大石寺僧侶、明治元年以降、日蓮正宗と名乗った以降の坊さんがいれば、ここに具体名とその事績を挙げればよろしいでしょう。
なお、「邪宗」「坊主」などという表現は、明らかに侮辱語であり、品位ある当掲示板の投稿規定に抵触していると思います。
133
:
山門手前
:2009/07/19(日) 11:37:02
犀角独歩氏の129>の見識に賛同します。
明治以前に「国立」等と言う「概念」があるはずもなく、
「朝廷」を頂点とする現在の関西地区と幕府を中心とする
現在の関東地区は、統治機構等が同一であったとは思えず、
現在の概念で言う「国立」と同意義の意図を持って考察
されていたと考えるには、極端に無理があり、その事は
御本尊様にも図現されている事と拝察します。
134
:
大東亜の星
:2009/07/19(日) 11:38:56
>>121
は拙者に対するストーカー行為を繰り返す者です。
135
:
山門手前
:2009/07/19(日) 11:41:40
管理人様 犀角独歩様
大東亜の星は「荒し」です。
投稿規定等を注意して「聞く耳」を持っている人物ではありません。
他所では、ようやく書き込みを止めましたが、こちらに飛んで来て
いるので、皆さん御注意下さい。
侮辱的表現や、質問者に対する応答など「まともに相手にできる」
人物ではありません。
136
:
山門手前
:2009/07/19(日) 11:44:01
大東亜の星どの
いい加減に、あちらこちらで迷惑行為は止めなさい。
私は、ストーカーではない事は、犀角独歩氏も御存知です。(爆)
137
:
犀角独歩
:2009/07/19(日) 11:48:13
山門手前さん
こちらは管理人さんのお考えで「さん」付けで統一です。どうぞ、わたしにはお気軽にそのようになさってください。
もちろん、山門手前さんがストーカーであるなどとは思えません。なにより、投稿者が、どのような人物であるか、この点について、他の投稿者が裁断をしてしまいますと、さらに掲示板が荒れます。よって、こちらでは、そうした判断は、管理人さんに全権を委ねるの在り方です。
既に一度、警告がなされております。
あとは、管理人さんのご判断にお任せすればよろしいかと存じます。
138
:
山門手前
:2009/07/19(日) 12:04:15
犀角独歩さん
了解しました!ありがとうございます。m(_ _)m
140
:
管理者
:2009/07/19(日) 13:55:42
大東亜の星さん
すでに118レスにおいて、掲示板のルールを守ってご投稿くださるようお願いし、ご注意申し上げましたが、139レスに至るも改めて頂け無い事がハッキリしました。以下の投稿ルール違反ですので、明白な違反レス139を削除し、以後のご投稿をお断りいたします。
【禁止事項】
2「非礼・無礼、人権侵害、言葉の暴力」等の侮辱表現、侮辱発言は、理由の如何を問わず堅く禁止します。もし、そのような表現や発言が見うけられた場合は、管理者がその都度、御注意申し上げると共に、その該当する表現、発言を含むレス全体を削除致します。なお、管理者の制止を無視して、侮辱表現、侮辱発言を続けられた場合は、以後の投稿をお断りする事になりますので、予め、御承知置き下さい。
141
:
犀角独歩
:2009/07/19(日) 14:52:47
わたしも自己主張は強いほうですが、ここ10年足らず、管理人さんの見事な采配に身を委ね、稔りある議論を重ねてまいることができました。
今回、拝見しご発言で記されたことで、国立戒壇義は、日淳さんは、この筋であったが、日達さん・日顕さんのコンビがこれを捨てた。また、二箇相承の偽作説を受容など、まあ、ここまで、そのとおりであろうかと存じます。
ただ、日興に国立戒壇の意志があったというのは、単に二箇相承を金科玉条とし、かつ、大石寺に、その義を窃盗した上での結論であって、この点はしかし、既に充分に議論し尽くされていることです。
日蓮は在世、「久遠寺」「本門寺」という表現は使ったことはないわけで、そうした点からも、この“相承”なるものを真書として扱うことは不適当であり、かつ「富士山本門寺」とは、日蓮没後の命名で、大石寺とは関係のない北山・西山の話、それを持ち上げた洛の日辰前後の物語と見るのが至当でしょう。
また、「国主は一人」と書いていた点は、いちおう、そのとおりで、再往はさてどうかという思いがあります。
もし、国主が一人であり、かつ国立戒壇を目指していたとすれば、日興は誰を一人国主として考えていたかを明らかにしなければならないでしょう。また、本門寺戒壇というとき、漫荼羅に日興が書き込んだ「本門寺」は複数あることの説明をつけなければならないことになります。
鎌倉時代以降を封建時代などと称しますが、封土分割領有の時、国主一人、本門寺複数という“コマ”は、どのように並べても、国家統一における国主一人国立という意味を引き出すことはできません。
だからこそ、田中智学は明治維新の王政復古以降、廃藩置県後、国家統一、国主一人の明治以降の日本であればこそ、「国立戒壇」という標語を言い放つことができたのでしょう。
また、田中智学は大石寺の教学を盗用したなどといいますが、さて、この点は如何なものでしょうか。残る田中智学ほか教学運動の規模と大石寺のそれは比較の対象にはならないほどに貧弱であると映じます。
では、田中智学らは、富士の影響を受けていないかといえば、そうとは言えず、しかし、もしその影響を見れば、大石寺というより、本門寺・保田妙本地・要山に目を向けていたのではないかと考えます。なお、田中智学の還俗は、あの明晰な頭脳を有していれば、至って当然の帰結であり、寺院護持といったちまちました考えを脱却し、あの当時、世界を見据えれば、故なきもない話であったと思えます。
こうした議論は、やや重ねてたいと思いますが、しかしながら、とかく「折伏」という言葉になると、とたんにスイッチが入ってしまう日蓮門下や、田中智学系の人々とは、しかし、落ち着いた議論は期待できないと、残念に思いながら、数カ年を経ているものです。
なおさらのこと、彫刻といったモノ信仰に執着する大石寺の僧俗とは、これまた、議論にならないでしょうし、その意味では、それが臨滅度であれ、万年救護であれ、そうした掛け軸本尊の優劣を競うような話でも、致し方がないと感じる昨今です。
呆気ない結末でしたが、管理人さんのご英断には、重ねて敬意を表するものです。
142
:
顕正居士
:2009/07/19(日) 15:33:39
>>117
hageさん。真蹟は伝わっていませんが、次の遺文も有名ですね。
弘安四年 南条兵衛七郎殿御返事
かゝるいと心細き幽窟なれども、教主釈尊の一大事の秘法を霊鷲山にして相伝
し、日蓮が肉団の胸中に秘して隠し持てり。されば日蓮が胸の間は諸仏入定の
処也。舌の上は転法輪の所、喉は誕生の処、口中は正覚の砌なるべし。かゝる
不思議なる法華経の行者の住処なれば、いかでか霊山浄土に劣るべき。法妙な
るが故に人貴し人貴きが故に所尊と申は是也。神力品に云「若於林中若於樹下
若於僧坊乃至而般涅槃」云云。此砌に望まん輩は無始の罪障忽に消滅し、三業
の悪転じて三徳を成ぜん。彼中天竺の無熱池に臨し悩者が「心中の熱気を除愈
(瘉)して其願を充満すること清涼池の如し」とうそぶき(嘯)しも、彼此異なりと
いへども、其意は争か替るべき。彼月氏の霊鷲山は本朝此身延の嶺也。
143
:
hage
:2009/07/19(日) 21:51:52
顕正居士さん
つまりは、法華経の行者の住処であれば、そこは霊鷲山にも劣らない。
そういう意味ではその時に日蓮聖人のいらっしゃった身延の嶺也も同じであるということですね?
ところで、現在の日本でもし「国立戒壇」を建立したとすればどうなるでしょうか?
もちろん、国立なのでどこかの宗派が所有菅理するのではなく国が所有管理することになりますし、
その御本尊も、もちろん国の所有菅理となり法要を行うのも公務員で、お布施も国庫に入る・・・
そんな感じになるのでしょうか?
144
:
顕正居士
:2009/07/20(月) 13:06:51
戒壇というのは出家志願者に戒を授ける場所ですが、日本では官僧の枠を与えられた寺院に
設けられ、この戒壇を有する寺院は今日でいえば文化庁のような役所でもある、そういう特殊な
概念です。官僧というのはきわめて小人数の国家試験合格者で政府から禄が支払われます。
天台宗の戒壇独立というのはこの官僧の枠を与えられるためのことです。後に延暦寺と三井寺
が争うようになると、三井寺から戒壇独立の請願が起こった。この頃になるとすでに官僧の実は
なく、もっぱら宗派独立の手続きの意味合いになります。日蓮宗の戒壇というのも三井寺に
習った延暦寺からの独立請願運動です。時代は戦国の世となり、各地の戦国大名の法度が
律令に代わって僧尼を統制していましたが、京都では延暦寺からの独立を朝廷から認めらる
ことには意味がありました。でないと比叡山には少なくとも日蓮宗寺院から上納金を徴収する
権利がありますから。江戸時代には徳川氏の法度で日蓮宗の独立は認められ、維新後は
宗派の新設や分離は原則自由ですから、戒壇とは本来の戒を授ける場所以外の意味はない。
智学居士は現代の日本僧侶は出家でなく、居士である、それでかまわないという立場なので
国立戒壇といっても実は戒壇ではない。単にこれを有する寺院が日蓮宗を統制する権威を有する
ようになるであろう何かである。国立の意味は議会の議決と勅令によって建造される意味で
国費運営ではない。結局、昔とは反対で日蓮各派統合のなにか象徴、それを政府の強制で作る、
そういう意味合いの建造物と解釈されます。
145
:
山門手前
:2009/07/20(月) 13:56:26
顕正居士さん
非常に無理があると思います。
まず、
①国立の意味は議会の議決と勅令によって建造される意味で
国費運営ではない。
これでは現在の建築申請と許可権限だけと同じです。
それを逆に「国立」とは表記できません。
②結局、昔とは反対で日蓮各派統合のなにか象徴、それを政府の強制で作る、
そういう意味合いの建造物と解釈されます。
思想信条の自由が保障されている近代において一宗派の建造物に対し
政府が強制して「こうしろ」等という事は不可能です。政治と言うのは
宗教に対して「最も距離をあけておかなければいけないもの」なのです。
146
:
hage
:2009/07/20(月) 14:27:48
国立戒壇を建立して、他宗は認めないというのは、今の世界情勢からすると難しそうですね。
富士門流の中でさえバラバラで批難しあいの状態なのに、強制的に一つにまとめることはできるのでしょうか?
現代においてその必要はあるのでしょうか?仮に一つにまとまったとして、それが何年持つのでしょうか?
147
:
顕正居士
:2009/07/20(月) 15:00:12
>>145
山門手前さん。智学居士の国立戒壇論はきわめて特異の発想で、その意図が何にあるのか現代人には
理解が困難です。おそらく明治初期に新政府がさまざまな宗教統制政策を行なった頃に出来た発想だと
おもいます。
さて国立の意味が単なる官許であり、建立するのは日蓮宗徒であるならこれは何の意味を有するのか?
たぶん、身延山久遠寺に建立すべしというような想定内容に意義があるでしょう。
しかし久遠寺になにかそのようなものが出来たからといって、妙満寺や大石寺が久遠寺を総本山として
仰ぐことはないでしょう。ですからあらかじめ自主的に日蓮各派を統合しておかなければ無意味です。
政府の干渉が各派統合などにいかほどの効果があるのか?ないでしょうから、大師号宣下のように
そういう目標を作ることによって統合の実を進めようというのが智学居士の意図であったのではないかと
わたしは想像しています。
148
:
山門手前
:2009/07/20(月) 17:11:35
顕正居士さん
>明治初期に新政府がさまざまな宗教統制政策を行なった頃に出来た発想だと
おもいます。
私は、神仏分離令が発布された頃の、廃仏毀釈運動から免れるための「奇策」として
であろうと推測しています。
>日蓮各派を統合
正宗信徒の私が言うのも何ですが・・・これは無理でしょう。。。
ただ、当時の意図を考慮したならば、当時の時勢にはある程度有効な「方便」だった
のではないかと思いますが、現在において「そのまま」用いるのは不適切だと思います。
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板