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【捲土重来選挙】2009年次期衆院選スレ その2
1
:
とはずがたり
:2009/04/24(金) 14:50:24
前スレ
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2246/1146286762/l50
カタコト倉庫の次期衆院選スレ
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/news/2410/1126609657/l50
05衆院選スレ
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2246/1089950050/l50
07参院選スレ
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2246/1089893576/l50
10参院選スレ
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2246/1202752370/l50
5399
:
名無しさん
:2009/09/04(金) 16:33:22
http://mainichi.jp/area/miyazaki/news/20090904ddlk45010582000c.html
選挙:衆院選 1区公認問題、抗議へ 自民県連、全国幹事会で党本部に /宮崎
分裂選挙により衆院選で敗退した宮崎1区の自民党公認問題について、県連は3日、宮崎市内で役員会を開き、4日の全国幹事長会で党本部に抗議することを決めた。
12日には総務会と党紀委員会を開き、県連の方針に反して前国土交通相の中山成彬氏(66)の選挙運動をした党員の処分を検討する。中山氏本人については「元国会議員のため処分できない」と県連は説明するが、今回の落選で1区支部長の肩書を失うのは確実だ。
県連は中山氏の不出馬宣言を受けて元参院議員の上杉光弘氏(67)の公認を党本部に申請したが、衆院解散直後に中山氏が立候補を表明。党本部は調整を放棄し、1区は自民候補が不在という異常事態になった。結局、民主・社民・国民新が推薦する川村秀三郎氏(60)に敗退した。一方、2・3区は自民公認の江藤拓(49)、古川禎久(44)両氏がそれぞれ3選された。
役員会には緒嶋雅晃会長や米良政美幹事長ら10人が参加し、今後の対応を非公開で約1時間、協議した。
終了後、記者団の取材に応じた緒嶋会長は「逆風の中で2・3区は善戦した」と評価したうえで「1区は上杉氏が公認されていれば通せる選挙で、小差で負けても比例区での復活当選もあり得た。党本部の改革が必要だ。地方支部の公認申請がないがしろにされては政党として成り立たない」と怒った。
米良幹事長も「派閥の力関係で公認されなかった」と党本部を激しく批判した。
県連は独自に上杉氏を「公認」したが、1区支部の一部党員が中山氏支持に回り、結果的に中山氏の得票数にも及ばなかった。【石田宗久】
毎日新聞 2009年9月4日 地方版
5400
:
とはずがたり
:2009/09/04(金) 17:52:15
<栃木県>
自民支持3割、民主へ/出口調査
http://mytown.asahi.com/tochigi/news.php?k_id=09000000909010002
2009年09月01日
県内でも吹き荒れた民主圧勝の嵐。民主は足元を固めた上で自民の支持基盤を切り崩し、4年前は小泉自民に向かった無党派の風を最大限に利用した――。朝日新聞社が実施した出口調査を見ると、そんな様子が浮かび上がる。
支持政党別に小選挙区で投票した先を尋ねたところ、県全体では民主支持層の79%が民主候補に投票した。一方、自民支持層が自民候補に投じたのは56%にすぎず、逆に27%が民主候補に投じた。無党派層は過半数の56%が民主候補を選び、23%だった自民候補の2倍以上に上った。
その上で、ともに民主新顔が自民前職に挑んだ構図の栃木1区と5区を比べると、より無党派層を引きつけた候補が選挙区で勝ち抜いたことがわかる。
栃木1区では、民主支持層の88%が選挙初挑戦の石森氏に投じた一方、船田氏には自民支持層の66%にとどまった=グラフ上。無党派層は石森氏に65%で、船田氏へは28%。4年前の出口調査で無党派層は50%が民主候補、船田氏にも42%が流れたのに比べ、民主候補への流れが強まった。
民主が足元を固め、自民は足元が揺らいだのは栃木5区でも同様の傾向だった=同下。ただ、無党派層の動向では富岡氏に55%で、茂木氏に40%。4年前は茂木氏が61%、富岡氏が37%で、今回は逆転したが、茂木氏が踏みとどまった印象が残る。
無党派層の動向を県内の民主候補4人で比べた場合、石森氏は最も多くの票を獲得。自民4候補の中では茂木氏が最も高い割合を得た。
◇
朝日新聞社は30日、県内150カ所の投票所で出口調査を実施。投票を終えた有権者に投票先や政治変化への思いなどを選択肢から選んでもらった。県内全体での有効回答数は8185人。このうち栃木1区では1643人、栃木5区では1670人から回答を得た。(古源盛一)
5401
:
とはずがたり
:2009/09/04(金) 17:52:45
>>5400-5401
>県内の自民支持層で比例で自民に投票したのはわずか48%。75%だった4年前から激減し、民主に投じたのが26%と前回の倍に増えた。自民を離党した渡辺喜美氏のみんなの党に流れた票もあった(とは註:2割近い18%)
>今回、県内の公明支持層が選挙区でどの党の候補に投票したかをみると、自民候補に55%だった。3区での自民候補不在を割り引いても前回の80%に比べ、相当低い。
自民支持層、比例に自民は48%/出口調査
http://mytown.asahi.com/tochigi/news.php?k_id=09000000909020002
2009年09月02日
自民支持層は比例区でどの党に投票したか?前回との比較
http://members.at.infoseek.co.jp/tohazugatali/seiji/09sou/tochigi01-k_img_render.jpeg
公明支持層はどの党の候補に投票したか?前回との比較
http://members.at.infoseek.co.jp/tohazugatali/seiji/09sou/tochigi02-k_img_render.jpeg
今回の総選挙では「自民におきゅうをすえる」という有権者の意見が目立ったが、朝日新聞の出口調査をみると、おきゅう以上のダメージだったことがわかる。県内の自民支持層で比例で自民に投票したのはわずか48%。75%だった4年前から激減し、民主に投じたのが26%と前回の倍に増えた。自民を離党した渡辺喜美氏のみんなの党に流れた票もあった=グラフ上。
小選挙区で自民候補のいた栃木1、2、4、5区でみると、自民支持層で比例に自民に投じたのは46〜54%。民主の前職と戦った2区と4区は民主支持層の割合が自民支持層と同じ3割台、1、5区は民主支持層が2割台だったことを考えると、2、4区の自民陣営にとっては風速を一層強く感じたといえそうだ。
一方、10年目を迎えた自公の選挙協力にも陰りがみられた。今回、県内の公明支持層が選挙区でどの党の候補に投票したかをみると、自民候補に55%だった。3区での自民候補不在を割り引いても前回の80%に比べ、相当低い。自民支持層が比例で公明に投票した割合も5%で前回の7%を下回った=グラフ下。
出口調査は投票日の8月30日に実施した。県内での有効回答数は8185人(各選挙区1547〜1676人)。(古源盛一)
5403
:
とはずがたり
:2009/09/04(金) 18:00:51
政権交代@とちぎ
激震の足元(上)/政権交代
http://mytown.asahi.com/tochigi/news.php?k_id=09000430909030001
2009年09月01日
市場内をくまなく歩きあいさつする石森氏(左)=31日午前6時43分、宇都宮市簗瀬町の市中央卸売市場
30日投開票の総選挙で、政権交代を求める民意のうねりは、県内の5小選挙区でも民主党の3議席奪取という形で現れた。有権者のどんな動きが民主に歴史的勝利をもたらし、過去2回の総選挙でいずれも5議席を独占した「自民王国」を突き崩したのか。出口調査のデータを絡めて振り返る。初回は自民前職に民主新顔が挑んだ1、5区から。
○○1区○○
総選挙から一夜明けた31日午前6時半すぎ、宇都宮市簗瀬町の中央卸売市場。初当選を果たした民主の石森久嗣氏が、満面の笑顔であいさつ回りする姿があった。仲買人らから「よかったね」「がんばれよ」と声がかかった。
選挙初挑戦の石森氏は、選挙戦で「一人でも多くの人に会う」戦術に徹した。選挙カーの先導に続いて自転車で住宅街を走り、ショッピングセンターや遊園地、動物園など人が集まりそうな場所には意識的に足を運んだ。知名度不足という課題を克服し、民主への追い風を全身で受け止めた。
自民前職の船田元氏の陣営も、自民への逆風を覚悟し、元衆院議長の祖父から引き継いだ後援会組織をフル稼働させた。船田氏も200回以上のミニ集会をこなした。「やれることはやった。いつもの3割増しで動いた」と幹部。実際、船田氏は陣営が基礎票と見ていた「11〜12万票」に相当する票を得た。運動員の一人は選挙戦のさなか、「相手陣営と全くかち合わない。本当に動いているのか」といぶかったほどだ。
それでも、船田氏は石森氏に約3万4千票もの大差で敗れた。結局、旧来型の組織を超える幅広い支持を得られたかがどうかが、両者の勝敗を分けたと言える。(井手さゆり)
○○5区○○
2度の閣僚経験を持ち、政策通を自負する自民前職の茂木敏充氏。6選を狙う今回も「安泰」というのが周辺の一致した見方だったが、民主新顔の富岡芳忠氏に約9千票差の薄氷の勝利だった。自民への「逆風」は茂木氏の選挙戦術をも一変させた。
象徴的だったのは、陣営のキャッチフレーズだ。公示後に選挙事務所に掲げられたのは「原点からのスタート」という言葉。陣営のポスターやパンフレットに必ず入っていた「日本のリーダーへ」の一文が姿を消した。93年の初当選以来初めてという公示前の街頭演説にも立った。
選挙戦中盤の23日、足利市の演説会で見せた姿には陣営関係者も驚いた。冒頭、茂木氏は「逆風の中の激戦をお支えいただいて」と切り出して言葉に詰まり、涙声であいさつを続けた。「政策を並べる演説より全員に握手して回るほうがいい」と茂木氏にアドバイスした幹部も「初めて見た」と語ったほどだった。
一方、風の強さをはかりかねていた民主新顔の富岡芳忠氏の陣営では、7月の東京都議選後、「政権交代を」の訴えに弾みがついた。「民主300議席超」との情勢報道に当初は半信半疑だったが、一般の有権者からの「富岡頑張れ」という電話が増え、「投票率が上がれば抜き去ることができる」との声も出た。(斯波祥)
5404
:
とはずがたり
:2009/09/04(金) 18:01:44
w
>「民主党政権になったら仕事がなくなりますよ」
>「今だってねえよ」
政権交代@とちぎ
激震の足元(中)/自民に大波
http://mytown.asahi.com/tochigi/news.php?k_id=09000430909030002
2009年09月02日
山間部で演説する福田昭夫氏=8月28日、鹿沼市
今回の総選挙では、全国屈指の「自民王国」と言われた県内でも、伝統的な支持基盤が崩壊したことが浮き彫りになった。前職同士の対決となった2区と4区では、自民候補がその大波をかぶった。
◇2区 組織は動かず
「小泉改革はすべて改悪だった。政権交代したら生活が変わる、暮らしが良くなる」
山あいの集落に、民主の福田昭夫氏の声が響いた。選挙戦最終盤の先月28日の夕方、選挙区内で最も多い有権者を抱える鹿沼市での最後の街頭演説の場に選んだのは、川沿いを縫うように走る道路の両脇にぽつぽつと家屋が並ぶ入粟野地区だった。
自民の固い支持基盤だった農業者や建設業者に痛みを強い、地方の住民には都市との格差を実感させた「構造改革」を批判。高速道路の無料化など民主の政策を説明し、「一番恩恵を受けるのは、マイカーを多く利用する地方に住む人だ」と訴えた。約50人が聴き入った。
福田氏の演説の後、マイクを握った地元の顔役の男性は「これまで森山さんって書いてた人も、福田昭夫さんって書いてよ。間違いないから」と呼びかけ、笑いを誘った。この地域は、前回2区で福田氏を破って当選した森山真弓氏の牙城(が・じょう)と言われた土地だ。
福田氏は今回、小選挙区で自民の西川公也氏に5万票差を付けて圧勝した。前回の総選挙後から200回を超えるミニ集会を開き、徹底した「ドブ板選挙」を展開。自民の金城湯池だった地方部への浸透に成功し、組織票も掘り崩した。その決め手となったのは、これまでの「改革」に対する強い不満だった。
「民主党政権になったら仕事がなくなりますよ」
「今だってねえよ」
選挙戦のさなか、西川氏の陣営の幹部は、支持を求めた建設業者との間で何度もこんなやりとりが交わされていると漏らした。「農協も幹部は動いてくれるが、下は全然」
農水族議員の代表格である西川氏の出陣式には、全国農業協同組合中央会の茂木守会長ら県内外から各種団体の幹部らが応援に駆けつけた。だが、事務所の壁に所狭しと張られた推薦状は「張り子の虎」に過ぎなかった。
西川氏は落選が決まった30日夜、地元さくら市の事務所で、支持者を前に敗戦の弁を述べた。「歩けば歩くほど選挙情勢は肌感覚で伝わってくるものだ。だが、サイレントマジョリティー(静かな多数派)の声は最後まで聞こえなかった」(庄司将晃)
◇4区 不満に応えず
現職閣僚の立場で5選を目指した自民の佐藤勉氏は、民主の山岡賢次氏に3万票もの大差で敗れた。ようやく比例復活で自民最後の議席に滑り込んだ。陣営幹部は「小選挙区で勝てた自民候補もいる。陣営の態勢に問題があったということだろう」と肩を落とした。
今回、佐藤氏は小山市内の結婚式場だった建物を選挙事務所に借り、豪華な広間で連日のように県議らの後援会や業界団体を招いて集会を開催した。ただ、参加する側には不満があった。公示前、自民のある市議が「田んぼが広がったのに全然、水くれてやらないんだ」と評したのがその典型だ。国も地方も財政が苦しい時代、利益誘導は無理だと理解している。「だったら普段から頭を下げればいいのにそれもない。選挙になっていわれても……」
一方、同市内の山岡氏の事務所では各種団体や企業、個人からの推薦状が選挙中に1枚、2枚と増えていった。最終盤で約270。陣営の一人は「相手の会合に出ている人も、実はこっちという人がいる。選挙後にもっとはっきりする」と自信を見せた。(古源盛一)
5405
:
とはずがたり
:2009/09/04(金) 18:02:15
>>5403-5405
政権交代@とちぎ
激震の足元(下)/嵐来ず無風
http://mytown.asahi.com/tochigi/news.php?k_id=09000430909030003
2009年09月03日
激しい嵐の吹き荒れた今回の総選挙で、全国でもまれな「無風区」だったのが、渡辺喜美氏が当選した3区だ。渡辺氏が結成した新党「みんなの党」は、中小政党がしのぎを削る比例北関東ブロックの勢力図にも影響を与えた。(武沢昌英、井手さゆり、才本淳子、矢吹孝文)
全国300小選挙区で最高の得票率95・30%。諸派新顔との一騎打ちの3区は、14万2千票余を獲得した前職の渡辺喜美氏の独り舞台だった。
一方、候補を擁立できなかった二大政党には大きな課題を残した。
1月に自民を離党した渡辺氏に対し、自民は党本部を中心に「刺客」擁立を模索。衆院解散後に県連会長の森山真弓氏を公認したが、県連内の猛反発に遭って森山氏が立候補を辞退する一幕もあった。
結局、擁立に踏み切れなかったのは、ただでさえ逆風の中、自民陣営が分裂してしまうことへの危機感だった。森山氏が立てば、3区が激しい分裂選挙になるのは避けられない。しかも、渡辺氏が3区外に「逆刺客」を擁立し、自民候補の選挙戦に悪影響を与える可能性もあった。
実際、渡辺氏は比例北関東ブロックの単独候補として立てた前職の山内康一氏を1区などの重複候補にする「切り札」を最後まで示し続けた。
総選挙後、自民県連幹部は「3区にも根っからの自民支持者はいる。これから組織をゼロから作り直さなければいけない」と話した。
県内5小選挙区で3議席を獲得する歴史的勝利を収めた民主への3区の有権者の不満も強かった。
党幹部が4月に早々と3区に擁立しない旨を表明。支持者から「選択肢を示せ」「だらしがない」との声が多く寄せられた。その後も水面下では模索を続けたが、最終的に断念した。
民主県連幹部は「3区の有権者の方々には申し訳なかった。次はこういうことのないよう人材発掘に努めたい」と語った。
◇ ◇
渡辺氏が選挙期間中、3区に入ったのは公示日の出陣式だけ。あとはひたすら全国を飛び回り、みんなの党への支持を訴えた。
その結果、全国で5人が当選。比例北関東ブロックでも目標を大きく上回る約59万7千票を獲得し、山内康一氏が議席を得た。県内の比例得票は約22万4千。約41万5千の民主、約25万7千の自民に次ぐ3位につけた。
これに対し、共産、社民の野党2党は、政権をかけた二大政党の対決の中で埋没した。比例北関東で共産は1議席を死守したが、社民は議席を失い、明暗を分けた。
共産は県内の小選挙区で唯一、1区に新顔の小池一徳氏を擁立し、比例重複候補とした。比例票獲得を優先する戦術で、小池氏は1区以外でも数多く街頭に立った。雇用や憲法9条などを中心に「民主党の悪い政策には悪いという建設的野党を目指す」と訴えたが、県内比例票は前回05年の8割弱の約3万4千にとどまった。
また、県内小選挙区への候補者擁立を断念した社民党の比例票は前回の6割弱の2万5千足らずに激減した。
共産県委員会幹部は「与党批判が民主に流れ、自民も民主もダメという票がみんなの党に流れたのでは。受け皿になりきれなかった」。社民県連幹部も「みんなの党の存在がきつかった」と振り返る。
一方、与党の公明は比例北関東で前回と同じ2議席を確保したが、県内の得票は前回の8割に満たない約9万8千票。自民と同様、逆風にさらされた。
5406
:
とはずがたり
:2009/09/04(金) 18:12:40
東北ブロックの社民の復活は割と指定席化せずばらけたのは良い傾向なのかも知れない。
政権交代@山形 民主勝って「緊張感」
http://mytown.asahi.com/yamagata/news.php?k_id=06000000909010003
2009年09月01日
総選挙で民主党と社民党があわせて4議席と躍進し、自民党が2議席にとどまった県内政界。一夜明けた31日、民主党の当選者は政権運営を担う緊張感をにじませ、同党候補を支援した吉村美栄子知事は、県議会最大会派の自民党を揺さぶる構えもみせる。総選挙で敗れた自民党は、参院選、知事選に続く連敗を受け、党勢回復に向けた議論に動く。歴史的な「政権交代」で、県内政界の主導権争いが、じわりと動き始めた。
●さっそく街頭へ
民主の当選者3人は、朝の辻立ちや、あいさつ回りなどを精力的にこなした。308議席の政権党。当選の喜び以上に、重い責任を負った緊張感に包まれていた。
県連会長でもある2区の近藤洋介氏は朝7時半から、米沢市役所前でハンドマイクを握った。「これからがスタート。政策を実現してまいります」と声を張り上げた。与党としての国会運営について、「自民党が(強行採決を)やって来られたことを反面教師にしたい。自民党から良い案があれば、受け入れなければならない。選挙は終わりました。ノーサイドです」。
演説後の取材で党人事に話が及ぶと、「新人が多く入ってくるので教育しないといけない。軍曹(教育係)をやれといわれたらやる」と3期目の先輩として意欲を見せた。
1区の鹿野道彦氏も朝7時半、山形市鉄砲町で雨の街頭に立った。口を真一文字に結
んで手を振り、クラクションを鳴らして手を振り返してくれるドライバーに「ありがとうございます」と一礼。「万歳をした昨日と全然違って、政権を担う緊張感を感じている」と表情を引き締めた。
比例東北ブロックで初当選した和嶋未希氏は、鹿野氏らと山形市で街頭に立った後、地元酒田市に戻り、約100人の支援者に当選を報告。「みなさんの顔を見て実感がわいた。共に闘ってくれ、感謝でいっぱいです」と涙ぐんだ。「政権政党として重い責任がある。私も議席をいただいた。みなさんの思いをしっかり胸に刻んで取り組んでいきたい」と話した。
その後取材に応じ「県議として6年半活動し、地域の実情は痛いほど把握している。中央省庁が作った政策が、地域の実感になじんでいたとは思えない。私の役割は、痛みや生活の切実さを伝えることだと思う」と抱負を語った。
●絶妙だった応援 知事バンザイに姿見せず
「バンザーイ」。30日夜、返り咲きを果たした民主・鹿野道彦氏の事務所は熱気に包まれていた。だが、鹿野氏を強力に支援した吉村美栄子知事の姿はなかった。
「応援はするけど、戦いが終わったらノーサイド。勝ったとか負けたとかで出しゃばる気はない」。知事は31日の定例会見で、事務所に行かなかった理由をこう説明した。
知事の支援表明は選挙戦中盤の22日。2日後に山形市であった鹿野氏の集会に登場すると、「待ってました」とかけ声が飛んだ。演壇近くには「吉村知事立ち上がる!!」と書かれたポスター。知事は「鹿野先生が勝てなかったら、私はどんなに悲しいかしれません」と情に訴えた。さらに2日間連続で集会に出席。選挙戦最後の29日夜も事務所に駆けつけた。
選挙の結果は、2位と1300票差の超激戦。「知事が支援を表明しなかったらどうなっていたか……」と陣営幹部。まさに知事様々だ。
5407
:
とはずがたり
:2009/09/04(金) 18:13:28
>>5406-5407
吉村知事は2月の就任当時に「特定の政党や候補者を支援しない」と表明したが、総選挙が近づくにつれて「知事選で応援してくれた人に恩返ししなければ」と態度を転換した。
「恩返し」に自民党県連は反発した。「鹿野氏の支援は民主党支援と同じだ」
知事は批判の声をかわすように、その後も「恩返し」を強調。県議会最大会派・自民党との関係を意識してか、31日の会見では「応援してくれた人なら、自民候補を応援することもありえる」とも。
自民県議からは「知事を応援した自民と民主の候補が戦うことになったらどうするのか」との声も聞こえてくる。ただ、2年後に県議選を控え、知事を追及するべきか、すり寄るべきか、自民県議の間でも考えが分かれている。
鹿野陣営幹部はこう見る。「知事は今回のことで政治家として力をつけた。県議会で自民に追及されたとしても、鹿野さんが勝ち、民主も大勝したから強気になれるはず」
吉村知事の「恩返し」が、県議会を揺さぶっている。
●「自民は原点に戻る」加藤氏、総裁選に意欲も
前回の3選挙区独占から、比例東北ブロックを含めて2議席に勢力ダウンした自民。当選者や県連幹部は31日、捲土(けん・ど)重来を期し、早速、立て直しに向けて動き出した。
安定した戦いで当選した3区の加藤紘一氏。「麻生降ろし」の急先鋒(きゅう・せん・ぽう)になるなど、党執行部とは距離を置いてきた。31日、鶴岡市の事務所で記者会見した加藤氏は「保守政治の原点に戻るしかない。頼りにしている仲間が意外に多くカムバックしたから、明日から東京で相談する」。自身の党総裁選出馬についても、「否定するものではない」と意欲をにじませた。
1区で敗れたものの、比例区で復活当選した遠藤利明氏。朝、山形市美畑町の交差点で笑顔で手を振り、支持者に握手を求められると顔をくしゃくしゃにした。「自民党は一回作り直す時期に来ている。これだけ数が少なくなったので思い切ったことができる。自民党への信頼感は決してなくなったわけではない」と党勢回復に力を込めた。
自民県連にとっては07年参院選、今年1月の知事選に続く「敗戦」。吉村知事の鹿野氏支援で、最大会派としても知事との距離に難しい対応を迫られることになった。
県連は9月1日に四役会議、2日に議員総会を開き、総選挙の総括と体制立て直しを話し合う。幹部は「現体制でいいのかということも含めて議論したい。2議席確保は再スタートの基盤を残したともいえる。いろんな意見を聞きながら県連のあるべき姿を立て直したい」と語った。
●社民、念願の議席 復活の吉泉氏
念願の「初議席」――。社民党の吉泉秀男氏=民主、国民新、連合山形推薦=が比例区で復活当選し、初の国会議員のイスを射止めた。同党県連合にとっても、96年の小選挙区制実施以降、初の県選出国会議員の誕生になった。
31日朝、酒田市の事務所で記者会見した吉泉氏は「朝から『おめでとう』の電話でてんやわんや。当選したかな、と実感がわいている」。復活当選が決まったのは午前1時すぎ。3区で自民の加藤紘一氏に敗れ、「私の力不足」と支援者に謝罪した約3時間半後、復活した。朝になって支持者や親類から「残念でしたの」という電話も。「いや、滑り込みました」と伝えて喜び合ったという。
悲願の議席確保について、党県連合の広谷五郎左エ門代表は「勝因は民主などとの選挙協力に加え、政権交代の風に乗れたこと」と分析。民主の和嶋未希氏が比例区で立候補したことも、票の掘り起こしにつながったとみている。
吉泉氏は県議3期を務め、地方政治家として活動してきた。07年県議選に落ち、「政治の道をやめようか」とも考えた昨年7月、党の要請を受けて立候補を表明した。
長かった戦いを振り返り、「国会議員? 考えたことも無かった。負けたらどうやって飯を食うかを考えていた」と本音をポロリ。支援者に「先生」と呼ぶことは禁じたという。
5408
:
◆ESPAyRnbN2
:2009/09/04(金) 18:20:20
(上位)
小沢244>(沖縄)218>羽田207>(愛知)196>(大阪)194>枝野185>
岡田184>(兵庫)183>前原182>(新潟)173>(宮城)173>(神奈川)171>
横路167>恒三165>輿石164>馬淵164>(滋賀)162>菅161>
梁瀬161>(和歌山)159>野田158>(静岡)158>(高知)154>(茨城)151>
(岐阜)151>仙谷147>田名部146>(広島)144>(長崎)143>江田138>
ちょっとドスンパンチ、都市部を含む千葉なのに弱くないか? みんなに奪われた?
701 名前:無党派さん[sage] 投稿日:2009/09/04(金) 14:46:17 ID:TzyxtMt7
他スレから転載
●比例票における、民主÷自民の指数
岩手244>沖縄218>長野207>愛知196>大阪194>埼玉185>
三重184>兵庫183>京都182>新潟173> 宮城173>神奈川171>
北海道167>福島165>山梨164>奈良164>滋賀162>東京161>
栃木161>和歌山159>千葉158>静岡158>高知154>茨城151>
岐阜151>徳島147>青森146>広島144>長崎143>岡山138>
山形133>愛媛132>福岡131>秋田130>熊本127>佐賀125>
石川124>群馬124>大分121>香川120> 鳥取118>宮崎116>
鹿児島112>福井107>山口100.3>富山99>島根81
このうち、小選挙区で自民が独占した県
島根*81 富山*99 福井107 高知154
このうち、小選挙区で野党が独占した県
岩手244 沖縄218 長野207 愛知196 埼玉185
新潟173 福島165 山梨164 滋賀162 静岡158 長崎143 秋田130 大分121
202 名前:無党派さん[] 投稿日:2009/09/04(金) 01:50:05 ID:C7CFaX/G
比例代表選挙における、自民を100とした場合の民主の票数の割合。
上の数字を100で割れば倍数になる。
たとえば岩手における民主の比例票は自民の2.44倍、逆に島根は0.81倍。
5409
:
チバQ
:2009/09/05(土) 00:48:38
http://mainichi.jp/area/chiba/news/20090903ddlk12010224000c.html
自民崩壊:’09衆院選ちば/3 小沢氏の計算 /千葉
◇厚い保守岩盤にくさび
選挙戦終盤の25日、11区と12区の視察を終えた民主の小沢一郎代表代行は、いつになく上機嫌だった。県内13選挙区で2けた勝利の可能性を記者から問われ、「3けたは無理だけど」と冗談も口にした。12区ではメディアへの露出を意識し、党公認の中後淳氏と並んで自ら自転車にまたがってみせた。
だが、貴重な一日を千葉に割いた主眼は11区の攻略にあった。自民ベテラン森英介氏の牙城だが、民主の金子健一氏が激しく追い上げていた。
小沢氏は午後、山武市の「JA山武郡市」の本所を訪問した。本所にはピリピリした空気が漂い、総務部長は報道陣に「組合長が一人で応対する」と答え、あとは知らぬ存ぜぬの一点張り。ところが小沢氏は訪問後、組合長のほか専務や常務、各支所の支所長30〜40人と会ったことを明らかにした。
千葉視察とJA訪問の日程は前日急きょ組まれた。小沢氏は、組合長らに民主の農業分野の基本政策を説明したというが、それ以上に、敵に与えるインパクトを計算したとみられる。JAはこれまで一枚岩で森氏を支えてきた。
実際、森氏の陣営は動揺した。系列県議は言った。「陣営を怒らせたのは確か。それにしても小沢の選挙手腕はすごいな」
◇ ◆
小沢氏は11区に公示直前、もう一つ布石を打っていた。
勝浦市の歯科医師、水野智彦氏は公示の約1週間前、小沢氏の秘書から突然電話を受けた。「比例で立候補しないか」。日を改めて受諾した。県議選に無所属で立候補し、自民の現職と争った経験があった。民主の比例南関東ブロックの名簿36位に登載された。
水野氏は、こう言われた。「金子さんが選挙区で勝てば、あなたも受かる」。金子氏が負けて比例に回れば、36位では当選に届かないかもしれない……。奮起して、11区内で同業者に民主への支援を呼びかけるとともに、自民に推薦状を出していた県歯科医師会に頼み込み、個人への推薦を取り付けた。
金子氏は選挙区で敗れ比例で復活したが、水野氏も初当選を飾った。「県歯科医師会も複雑な立場だったでしょうね」と笑う。
◇ ◆
そもそも金子氏は自民系の元一宮町議で、若いころは森氏を支えていた。12区の中後氏も、自民系の元富津市議。さらに、10区で林幹雄氏を破った谷田川元氏は元自民県議だ。
自民を支えてきた厚い保守の岩盤は次々くさびを打たれ、割られていた。民主大勝の裏には、変化を望んだ無党派層のうねりとともに、選挙を知り尽くした小沢氏の巧みな采配(さいはい)があった。=つづく
5410
:
名無しさん
:2009/09/05(土) 02:02:30
http://mainichi.jp/select/seiji/09shuinsen/news/20090904dde012010009000c.html
特集ワイド:’09天下の秋 期待あり不安あり ベテラン政治記者、「選挙後」を語る
衆院選は、民主が大勝利を収め、自民は壊滅的敗北を喫した。有権者の民意は? 民主による政権運営、自民と公明は今後どうなるのか。岩見隆夫・客員編集委員、松田喬和・論説委員、小菅洋人・政治部長の3人が語り合った。【まとめ・中山裕司、写真・武市公孝】
◇マニフェストの自縛懸念/「小沢幹事長」は両刃の剣/「野」で広がる自公の距離
松田 衆院選の結果をどう見ていますか。
岩見 民主の勝因は、自民の敗因の中にある。岡田(克也・民主党幹事長)さんがテレビ番組で勝因を「自民が政権政党としてふさわしくなくなったから」と答えていた。随分消極的な言い方であるが、正しく正直だと思いますね。麻生(太郎首相)さんがなぜ負けたかは、自民党政権が長すぎたこともあるけれど、直接的には小泉構造改革になる。結束力のない政党になり、選挙地盤も崩れた。
小菅 同感です。やはり郵政選挙から4年間の自民の問題です。2人の首相が続けて1年で政権を投げ出す醜態を見せ、自民党内のたらい回しを容認していた有権者がもう限界と判断した。
松田 政権交代を可能にする条件は、一つは与党の大失政、もう一つは受け皿である野党の成長。野党の成長で言うと、小沢(一郎・民主党代表代行)さん辞任後の今年5月の代表選では、連合が反発する右派の前原(誠司・副代表)さんと保守票が逃げる左派の菅(直人・代表代行)さんが出馬せず、中道の2人の争いとなった。過去の代表選は学級委員長の選挙みたいに各自の主張だけだったが、少し大人の判断を下せるようになった。
■
岩見 民主に国家目標的なビジョンは薄い。というか、何を考えているか分からない。鳩山(由紀夫代表)さんの友愛革命論は、中曽根(康弘元首相)さん流に言うと、依然としてソフトクリームみたいな感じ。
松田 鳩山さんは「ソフトクリームからアイスキャンディーになった。中に棒が入ったからだ」と釈明しているが、民主のマニフェストは、木を見て森を見ない、各論はあるが総論はない感じだ。
岩見 民主のマニフェストは非常に小沢さん的で、選挙対策のばらまきを露骨にやった。マニフェストの自縄自縛に陥るんじゃないか。
小菅 そうはいっても、両党のマニフェストを比べたら民主が勝る。候補者の新鮮さでみれば、世襲や平均年齢、女性という面で自民と民主はかなり差がある。
松田 組閣や党役員人事が始まった。鳩山さんのアイデアの国家戦略局の設置も遅れている。政権交代は初めての経験とはいえ、スムーズにいかないと国益に反する。小沢さんを幹事長にする人事が先行したことで、鳩山さんは小沢さんの反応を見て人事を決めざるをえない。
小菅 菅さんや岡田さんだと党内で反発が起きる問題も、鳩山さんは反発を吸収する柔らかさがある。首相としてはしかし、それだけでは心もとない。
岩見 お父さんの威一郎(元外相)さんもとらえどころがなかった。鳩山家のDNAじゃないか。未知数の部分が大きく、楽しみとは言える。最初の人事で鳩山さんの値打ちの半分は決まる。
小菅 人事のポイントは小沢さんと菅さんの処遇だった。偽装献金問題を抱える鳩山さんは臨時国会でいきなり正念場を迎える。小沢さんの幹事長起用は「両刃の剣」を承知のうえで、存在感を増した小沢さんへの依存を決断したのだと思う。
松田 小沢さんは選挙と党務、政治資金を一手に握ることで事実上、表と裏の二重権力になる恐れが強いね。
岩見 そうだね。
小菅 党内の結束は小沢さんの振る舞いにかかっている。担当は選挙対策と国会運営だけで、政策には口を出させないというわけにはいかない。仮に最も官僚から距離がある菅さんが官房長官に就けば、脱官僚を旗印に徹底的な統治機構の改革に取り組むだろう。小沢さんが後押しすれば改革は進むし、逆に官僚が小沢さんに駆け込む事態もあり得る。鳩山さん、小沢さん、菅さん、岡田さんの関係はハラハラものだが、改革の大義に結集してほしい。
松田 民主の閣僚経験者は小沢さんや渡部恒三さん、菅さんらに限られる。政権運営は非常に厳しいだろう。
岩見 その前に民主に言いたいのは、鳩山首相になった時、記者のぶら下がり会見を少なくするとか、マスコミ対応要領を配ったりしている。これでは政党は萎縮(いしゅく)する。開放的にやった方がいい。(自民党の前衆院議員)杉村太蔵君のような新人が出てきたら困ると言うが、別に困らないよ。素人集団の素人部分を隠してもしょうがない。あけすけにやることを期待したい。
5411
:
名無しさん
:2009/09/05(土) 02:02:49
>>5410
■
小菅 衆院選では最後に自民党のベテランが踏ん張った。古賀(誠元選対委員長)さん、大島(理森国対委員長)さん、二階(俊博経済産業相)さんらだ。後援会が強く、腕力のある人が残った点は自民にとっては不幸中の幸い。民主は4年後の衆院選で消費税の壁にぶち当たる。自民は次の衆院選まで踏ん張れば、再生の道はある。
岩見 ただね、(自民党が与党に戻った)94年の手口はもう通用しない。細川(護熙元首相)さんをスキャンダルで追い込み、社会党を抱き込んだやり方ね。鳩山政権を追及しながらも、国民との距離を縮める努力をしないと。小選挙区の得票率は民主47%、自民39%。8ポイント差だけ。数の面から見ても再生、復元の可能性がないわけじゃない。
松田 公明は太田(昭宏前代表)さん、北側(一雄前幹事長)さんが辞任し、参院の山口(那津男政調会長)さんが代表になるようだ。山口さんは少なくとも前任者より自民との距離を置くだろう。
岩見 民主と公明の連携説は今はない。しかし、民主と社民との連立がうまくいかなかった時、民主と公明の接近が現実味を帯びてくる。公明はそれまでじっとするんじゃないの。自民との関係ではフリーハンドを持ったと言っていい。逆に自民は、公明抜きで党を立て直すチャンスを得たと考えるべきだ。
小菅 焦点は来年の参院選。自民が勝てば、「ねじれ」が生じ大連立の可能性も。
岩見 民主が大勝ちしたから、政界再編が遠のいたことには必ずしもならない。
松田 小沢チルドレンは100人を超える。小沢さんが幹事長という絶大な権限を握った以上、民主、自民の2大政党が安全飛行に入れるとは限らないね。
5412
:
とはずがたり
:2009/09/05(土) 03:02:12
<山形>
民主支持層だけではなく自民支持層が民主候補に流れたのが今回の選挙の特徴であるけど,この民主流出系自民党支持層は社民党には流れない様で。
民主支持層は山形3区に関しては社民候補に流れた様で,復活を決めたのも其れが大きいかも。
岩手・青森の民主対決県が県内候補の復活当選を決められず比例票を一方的に出し続ける形になってるのも民主に取っては都合が良いのかも知れないけど,次は全選挙区擁立が課題となろうし,山形社民は1区に擁立して鹿野落選ってゆー構図が見えなくもないな。。
出口調査1区、無党派層がカギ
http://mytown.asahi.com/yamagata/news.php?k_id=06000000909010004
2009年09月01日
∞2・3区は自民支持層
朝日新聞社が総選挙投票日の30日に行った出口調査で、山形市が中心の1区では無党派層の動向が勝敗を分け、いずれも保守色の強い2、3区では自民支持層を固め切れたかどうかがカギを握ったことが分かった。3小選挙区の投票状況を区ごとに分析した。
◇1区
民主の鹿野氏が自民の遠藤氏に競り勝った1区は、有権者の18%を占める無党派層の動向が当落を左右した。無党派層は、自民支持層41%、民主支持層25%に次ぐ多さで、前回05年とほぼ同じだった。
鹿野氏は無党派層の53%を取り込み、前回の出口調査の39%より増えた。遠藤氏は32%で前回の54%から大幅に減った。前回は小泉旋風で遠藤氏に流れた票が、今回は政権交代で鹿野氏に流れたとみられる。
鹿野氏は支援政党の支持を固めたことも大きかった。民主支持層の87%、推薦を得た社民支持層の76%に加え、自民支持層の29%、共産支持層の36%が鹿野氏に投票。遠藤氏は推薦を得た公明支持層は81%を固めたが、自民支持層は66%にとどまった。
年代別では、20代の支持はほぼ互角だったが、30代以上はすべて鹿野氏が上回った。
重視したことで、「政権交代か政権継続か」を選んだ人の投票先は、鹿野氏66%、遠藤氏28%。「政策の違い」を選んだ人の投票先は、鹿野氏34%、遠藤氏54%だった。
◇2区
2区の有権者は自民支持層が最も多い42%を占め、うち52%が民主の近藤氏に流れ、自民の鈴木氏へは42%にとどまった。「保守層をどれだけ取り込めるか」と話していた近藤氏は、元自民党県連幹事長の土田正剛・東根市長から支援を受けるなど自民支持層に食い込み、鈴木氏の倍以上の票を得る圧勝につなげた。
近藤氏は鈴木氏を推薦した公明支持層の41%も取り込んで、52%の鈴木氏に迫った。民主支持層は93%、選挙協力を結んだ社民支持層は95%を固めた。全体の16%の無党派層でも78%の支持を得て、16%の鈴木氏に大差を付けた。
年代別でも、各世代で近藤氏が鈴木氏を上回った。特に20代から50代は70%台の支持を集め、10%から20%台にとどまった鈴木氏に大きく水を開けた。
◇3区
「自・公」の加藤氏に、「民・社」で吉泉氏が挑んだ3区の戦いは、ともに選挙協力が機能したことがうかがえるが、自民支持層が45%で、民主支持層の20%を大きく引き離したことが票差に出た。
自民の加藤氏は自民支持層の81%、推薦を得た公明の76%を固めた。社民の吉泉氏は社民支持層の86%に加え、推薦を得た民主の70%も取り込んだ。2割弱を占めた無党派層は、吉泉氏が46%を集め、加藤氏の38%を上回った。
地域別では、加藤氏が地元鶴岡市や最上地区で60%以上の支持を集めた。吉泉氏は地元庄内町で71%をまとめ、比例区に出た民主の和嶋未希氏の地元酒田市や三川町、遊佐町などで比較的追い上げた。
吉泉氏に投票した人の51%は「この選挙で日本の政治が大きく変わる」と答え、加藤氏の28%を大きく上回った。
5413
:
とはずがたり
:2009/09/05(土) 03:04:32
>>5409
勝浦市・夷隅郡 定数1−候補2 (選管確定)
得票数(得票率) 氏名 年齢 党派 新旧 当選回数 代表的肩書
当 10,462(53.7%) 斎藤 万祐 68 自民 現 5 党県政調会長
□ 9,031(46.3%) 水野 智彦 51 無所属 新 歯科医院長→09総選挙で小沢に誘われ民主党南関東ブロック下位から出馬当選。
5414
:
チバQ
:2009/09/05(土) 09:44:54
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/politics/election/2008syuin/kagoshima/20090904/20090904_0001.shtml
上杉氏敗因は中山氏の出馬 自民宮崎県連が総括
2009年09月04日 13:53
自民党宮崎県連(緒嶋雅晃会長)は3日、衆院選の結果について、宮崎1区で落選した「県連公認」の上杉光弘氏の敗因は、中山成彬前国土交通相の出馬強行による分裂選挙にあるとの考えを示した。
県連の役員会後、米良政美幹事長とともに会見した緒嶋氏は「自民公認候補が公募で選ばれた上杉氏1人にしぼられていれば、勝利していたか(比例で)復活当選していた」と述べた。米良氏も「党本部は県連の公認申請を認めず、地方をないがしろにした」と述べ、4日の党全国幹事長会で意見表明する方針。
役員会では、衆院選を総括する総務会を12日に行うことを決定。党紀委員会も開き、中山氏の県連除籍も視野に処遇を話し合う。
=2009/09/04付 西日本新聞朝刊=
5415
:
名無しさん
:2009/09/05(土) 11:14:57
http://www.asahi.com/national/update/0905/OSK200909050032.html
現金買収容疑で2人逮捕 徳島3区当選の後藤田氏派
2009年9月5日10時54分
衆院選徳島3区で当選した後藤田正純氏(自民)を当選させる目的で有権者に現金を渡したとして、徳島県警は5日、後藤田氏派の運動員で自称自営業高橋博文(38)と、型枠大工石井和人(28)の両容疑者=いずれも同県つるぎ町半田=を公職選挙法違反(現金買収)の疑いで逮捕し、発表した。
県警によると、高橋容疑者は8月下旬、期日前投票が実施されていたつるぎ町役場半田支所の駐車場で、石井容疑者に後藤田氏への投票と票の取りまとめを頼んで現金2万5千円を渡し、石井容疑者は同日、このうち5千円を別の有権者の男性1人に渡した疑いが持たれている。
2人が容疑を認めているかどうかについて、県警は「捜査に支障が出る」として明らかにしていない。後藤田氏は約1200票差で民主候補に競り勝った。
5416
:
名無しさん
:2009/09/05(土) 11:18:22
http://mytown.asahi.com/ibaraki/news.php?k_id=08000000909050003
「後援会名簿にあぐら」
2009年09月05日
このままでは負ける。名簿を見せるしかない――。
公示日を何日も過ぎたある日、6区に立候補した丹羽雄哉氏(自民)は決めた。自分の後援会名簿を公明党にも提供し、集落を一緒に回ってもらう苦渋の選択だった。
丹羽氏には、先代の故・喬四郎氏以来、鉄の結束を築き上げてきた「丹羽軍団」と呼ばれる後援会がある。その会員数は10万人と言われていた。
「異変」は1年近く前に起きた。年1回、10万人に送っている「雄哉通信」が、死んだ人あてに届き、その家から苦情の電話が事務所に入った。「もう支援していない。名前を外してくれ」と不満を言う人もいた。死んだ人や名前だけ載せている人を削ってみると、後援会名簿から2万人の名前が消えた。「我々は後援会の名簿の上に、ずっとあぐらをかいてきた」。陣営関係者はそう認める。
経験したことのない逆風に加え、後援会の弱体化、さらには、「県議は知事選で忙しく、市議も自治会も動いてくれない。実動部隊がいない」(陣営関係者)という状況。自公政権が10年続いても、名簿を見せてまで公明に選挙協力を求めたことはなかった。だが、今回は切羽詰まった。
丹羽氏陣営には、公明党議員の案内で、農家の土間に額をこすりつけるように土下座して回る運動員もいた。ところが、返された言葉は「4年間、一度もあいさつに来ないで今さらなんだ」「集落で丹羽さんを落とすことにもう決めた」。公明の協力を得て支援を広げられるどころか、運動員たちは風当たりの強さばかりを感じたという。
◆「票の交換」で
「色々とご迷惑をおかけしました。なにとぞ、ご支援をお願いします」
1区の赤城徳彦氏は今年になって数回、創価学会の幹部のもとへ「おわび行脚」に訪れた。05年の衆院選は特別なことをしなくても、自民党本部を通じて公明推薦をもらえたが、今回は顔に大きく張った2年前の「ばんそうこう問題」が大きなネックになっていた。
誘われることを期待していた7月26日の公明党・時局講演会は、呼ばれずじまいだった。公明党幹部は選挙前、「ばんそうこうのダメージが消えず、婦人部の評判が悪い。推薦は厳しい」と語っていた。
それでも足を運び、何とか支援を取り付けようとする赤城氏に、学会幹部は言った。
「お願いばかりではどうしようもならないでしょう」
学会員に評判の悪い赤城氏を党が推薦するには、それなりの理由が必要になる。幹部が示唆したのは、小選挙区と比例区の「票の交換」だった。
赤城氏には祖父・宗徳氏の時代から続く強固な農協との関係があった。農協も苦境に立つ赤城氏のために初めて、「1区比例の公明」に推薦を出した。そして赤城氏は公明からの推薦を得た。公示から2日たった8月20日のことだった。
◆巻き返し遅く
2区で民主新顔に敗れ、辛うじて比例区で復活当選した額賀福志郎氏。財務相や党政調会長を歴任した重鎮でも、今回の選挙では学会幹部に頼み、現場に入って協力してもらった。
学会幹部は衆院選を振り返って言った。「危機感を募らせるのがあまりに遅い。そんな短期間で、巻き返せる差ではなかった」
5417
:
とはずがたり
:2009/09/05(土) 12:09:20
>>5416
やるなぁ。政争の茨城の喧嘩慣れした保守は役立たない政治家は叩き出すと云う姿勢があるんですかねー。
>年1回、10万人に送っている「雄哉通信」が、死んだ人あてに届き、その家から苦情の電話が事務所に入った。「もう支援していない。名前を外してくれ」と不満を言う人もいた。死んだ人や名前だけ載せている人を削ってみると、後援会名簿から2万人の名前が消えた。「我々は後援会の名簿の上に、ずっとあぐらをかいてきた」。陣営関係者はそう認める。
>丹羽氏陣営には、公明党議員の案内で、農家の土間に額をこすりつけるように土下座して回る運動員もいた。ところが、返された言葉は「4年間、一度もあいさつに来ないで今さらなんだ」「集落で丹羽さんを落とすことにもう決めた」。
5418
:
◆ESPAyRnbN2
:2009/09/05(土) 13:34:33
>>5412
これは凄い。自民支持層で自民党候補を上回っている民主党候補って、他にいるんだろうか。
得票率65.53%、圧勝率205.3%は伊達じゃない。
>>5266
>>5299
> <山形>
> ◇2区
> 2区の有権者は自民支持層が最も多い42%を占め、うち52%が民主の近藤氏に流れ、自民の
> 鈴木氏へは42%にとどまった
5419
:
名無しさん
:2009/09/05(土) 15:41:50
衆院党派別都道府県別得票数・率(比例代表・自 民)ttp://www.jiji.com/jc/zc?k=200908/2009083101570
衆院党派別都道府県別得票数・率(比例代表・民 主)ttp://www.jiji.com/jc/zc?k=200908/2009083101571
衆院党派別都道府県別得票数・率(比例代表・公 明)ttp://www.jiji.com/jc/zc?k=200908/2009083101572
衆院党派別都道府県別得票数・率(比例代表・共 産)ttp://www.jiji.com/jc/zc?k=200908/2009083101573
衆院党派別都道府県別得票数・率(比例代表・社 民)ttp://www.jiji.com/jc/zc?k=200908/2009083101574
衆院党派別都道府県別得票数・率(比例代表・国 民)ttp://www.jiji.com/jc/zc?k=200908/2009083101576
衆院党派別都道府県別得票数・率(比例代表・みんな)ttp://www.jiji.com/jc/zc?k=200908/2009083101577
衆院党派別都道府県別得票数・率(比例代表・改 革)ttp://www.jiji.com/jc/zc?k=200908/2009083101578
衆院党派別都道府県別得票数・率(比例代表・日 本)ttp://www.jiji.com/jc/zc?k=200908/2009083101580
衆院党派別都道府県別得票数・率(比例代表・大 地)ttp://www.jiji.com/jc/zc?k=200908/2009083101581
衆院党派別都道府県別得票数・率(比例代表・幸 福)ttp://www.jiji.com/jc/zc?k=200908/2009083101582
衆院党派別都道府県別得票数・率(比例代表・本 質)ttp://www.jiji.com/jc/zc?k=200908/2009083101583
衆院ブロック別党派別得票数・率(北海道)ttp://www.jiji.com/jc/zc?k=200908/2009083100594
衆院ブロック別党派別得票数・率(東 北)ttp://www.jiji.com/jc/zc?k=200908/2009083100597
衆院ブロック別党派別得票数・率(北関東)ttp://www.jiji.com/jc/zc?k=200908/2009083100599
衆院ブロック別党派別得票数・率(南関東)ttp://www.jiji.com/jc/zc?k=200908/2009083100601
衆院ブロック別党派別得票数・率(東 京)ttp://www.jiji.com/jc/zc?k=200908/2009083100602
衆院ブロック別党派別得票数・率(北信越)ttp://www.jiji.com/jc/zc?k=200908/2009083100603
衆院ブロック別党派別得票数・率(東 海)ttp://www.jiji.com/jc/zc?k=200908/2009083101372
衆院ブロック別党派別得票数・率(近 畿)ttp://www.jiji.com/jc/zc?k=200908/2009083101374
衆院ブロック別党派別得票数・率(中 国)ttp://www.jiji.com/jc/zc?k=200908/2009083100613
衆院ブロック別党派別得票数・率(四 国)ttp://www.jiji.com/jc/zc?k=200908/2009083100611
衆院ブロック別党派別得票数・率(九 州)ttp://www.jiji.com/jc/zc?k=200908/2009083100616
衆院党派別得票数・率(比例代表)ttp://www.jiji.com/jc/zc?k=200908/2009083101337
衆院党派別得票数・率(選挙区)ttp://www.jiji.com/jc/zc?k=200908/2009083101336
都道府県別投票率(衆院)ttp://www.jiji.com/jc/zc?k=200908/2009083100843
5420
:
名無しさん
:2009/09/05(土) 15:50:23
http://www.jiji.com/jc/zc?k=200908/2009083101470
10万票獲得でも59人が涙=高得票落選・低得票当選【09衆院選】
今回の衆院選で10万票以上を獲得しながら小選挙区で負けた候補は95人に上った。このうち比例復活を果たせず落選の憂き目を見た候補は59人に上り、前回を30人上回った。比例復活者の中には、3万票にも満たない得票で救済されたケースもあり、悲喜こもごもの候補者模様となった。
小選挙区敗退組で最も獲得票が多かったのは、自民党の町村信孝前官房長官(北海道5区)。15万1448票を得たが、民主党元職に及ばなかった。ただ、惜敗率が82.8%だったので、比例で復活を果たした。一方、同党前職の亀岡偉民氏(福島1区)は13万6526票(惜敗率87.5%)を取ったが、東北の各選挙区の激戦のあおりを受け、比例復活もかなわなかった。
比例復活組を除く最低得票当選者は、自民党前職の福井照氏(高知1区)で得票数は4万4068票。比例復活組を含めると、最低得票は共産党前職の塩川鉄也氏(埼玉8区)の2万4918票。惜敗率はわずかに21.7%しかなかったが、北関東ブロックで名簿1位だったことから、比例の議席を獲得した。
◇高得票落選・低得票当選者上位5位(敬称略)
〔高得票落選者〕
151,448票 町村信孝 (自民、北海道5区)
136,526票 亀岡偉民 (自民、福島1区)
136,164票 甘利 明 (自民、神奈川13区)
131,722票 三村和也 (民主、神奈川2区)
130,030票 与謝野馨 (自民、東京1区)
〔低得票当選者(比例復活を除く)〕
44,068票 福井 照 (自民、高知1区)
66,868票 坂口岳洋 (民主、山梨2区)
73,085票 山本公一 (自民、愛媛4区)
73,379票 大野功統 (自民、香川3区)
74,489票 山本有二 (自民、高知3区)
〔低得票比例復活者〕
24,918票 塩川鉄也 (共産、埼玉8区)
38,808票 柿沢未途 (みんな、東京15区)
45,716票 吉井英勝 (共産、大阪13区)
47,538票 阿部知子 (社民、神奈川12区)
52,626票 阿部俊子 (自民、岡山3区)
(2009/08/31-19:59)
5421
:
名無しさん
:2009/09/05(土) 15:50:55
http://www.jiji.com/jc/zc?k=200908/2009083100362
民主の議席占有率は64.2%=戦後最高を更新【09衆院選】
30日開票の衆院選で、民主党の獲得議席は小選挙区と比例代表を合わせて308議席に達し、衆院定数(480)に占める議席占有率は64.2%となった。自民党が1960年に記録した63.4%を超え、政党別占有率の戦後最高を更新した。
民主党の議席占有率は2000年の26.5%を振り出しに、旧自由党と合併した直後の03年にいったん36.9%に上昇したが、05年には再び23.5%まで落ち込んでいた。
民主党の獲得議席数も戦後最高。これまでは、1986年の衆参同日選で自民党が得た300議席がトップ。この時は衆院定数が512だったため、占有率は58.6%だった。
一方、自民党の議席占有率24.8%は55年の結党以来の最低に落ち込んだ。これまでの最低は、同党が野党に転落した93年の43.6%だったが、これを大きく下回った。(2009/08/31-06:07)
5422
:
チバQ
:2009/09/05(土) 16:27:38
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20090905dde041010010000c.html
選択のあとに:09政権交代 比例当選者ら、笑顔次々 自民大物、目立つ「代理」
◇南関東・横粂氏「実感わいてきた」
ほぼ半数を民主党が占めた衆院選比例代表当選者への当選証書付与式が5日午前、東京・霞が関の総務省で行われた。自民党当選者の多くが代理出席だったのに対して、民主党は新人を中心に本人が顔を見せるケースが多く対照的。証書を受け取った議員は改めて当選の喜びをかみしめていた。【篠原成行】
全国11ブロックの当選者は180人。神奈川11区で小泉進次郎氏に敗れたものの、南関東ブロックで復活当選した新人の横粂勝仁氏は、開式15分前に会場入り。緊張した面持ちで着席した。証書を受け取った横粂氏は「支えてくれたみんなの努力の結晶がこの証書だと思うと、当選の実感がわいてきました」と、選挙戦で日焼けした表情を引き締めた。
東京ブロックの新人で元葛飾区議の早川久美子氏は、「当選証書は思っていたよりズシリと感じた。この重さをかみしめて忘れないようにしたい」と笑みを浮かべた。
また、石川2区で森喜朗元首相と大接戦を演じた、河村たかし名古屋市長の元秘書で新人の田中美絵子氏(北陸信越ブロック)は、会場外で報道陣に囲まれた。田中氏は「これだけ注目してもらって責任を感じる。河村市長からは『これからも週に1度は地元で自転車遊説をするように』と言われました」と語った。
自民党で比例復活当選した東京1区の与謝野馨財務・金融相、東京10区の小池百合子元環境相、北海道12区の武部勤元幹事長、岐阜1区の野田聖子消費者行政担当相らは、いずれも代理人が出席。当選証書を受け取ると、足早に会場を後にした。
小選挙区の当選者には各都道府県選管で当選証書が渡された。
5423
:
チバQ
:2009/09/05(土) 16:33:54
http://www2.asahi.com/senkyo2009/news/TKY200909050074.html
小選挙区、首相が応援…7勝60敗 勝率、平均の半分
2009年9月5日11時58分
総選挙中に麻生首相が応援に訪れた自民党公認候補67人のうち、小選挙区で当選したのは7人だけだった。勝率は10.4%。「情勢の厳しいところ」(党本部)だったとはいえ、公認候補を立てた289選挙区全体の勝率22.1%を大きく下回った。比例復活したのは20人だった。
首相は公示後、27都道府県を回った。だがテコ入れした中川昭一前財務相や久間章生元防衛相らが落選するなど、劣勢を跳ね返せなかった。
応援を受けた側には「現職首相が初めて入り、保守層はとても感激していた」と好意的な声もあったが、「得票にプラスにならなかった」「思いのほか若者が集まらなかった」との恨み節も聞こえた。(北沢拓也、花房吾早子)
5424
:
チバQ
:2009/09/05(土) 16:42:28
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1031/20090901_22.htm
劇・激・撃 衆院選みやぎ(上)民主王国再興/期待一身、重圧ひしひし
初当選を決め、選対関係者と抱き合って喜ぶ石山氏=30日午後9時すぎ、大崎市の事務所
30日投開票の衆院選は、劇的な民主党圧勝で政権交代が確定した。宮城県内6選挙区は民主党が1〜5区を制覇し、自民党は社民党と争った6区の議席を死守した。吹き荒れた民主旋風は各選挙区に激しい地殻変動を引き起こし、自民党は深刻な打撃を被った。「40日決戦」の軌跡を振り返り、知事選(10月8日告示、25日投票)への影響を追う。(敬称略)
<中盤から手応え>
日焼けした顔に、政権与党の一員になった喜びと緊張が入り交じった。
「いまは仕事ができる希望でいっぱい。国民の生活が第一の政策を次々に実現します」
歓喜の雄たけびから一夜明けた31日朝、3区を制した民主党元議員の橋本清仁(38)は、名取市のJR館腰駅前でマイクを握り、通勤中のサラリーマンに熱っぽく訴えた。
2005年の郵政選挙では自民党前議員の西村明宏(49)に歯が立たなかった。雪辱を期した今回は西村に約2万2800票差をつけ、初めて選挙区の議席を獲得した。
確かな手応えを感じたのは選挙戦中盤だった。
23日、JR名取駅前での街頭演説を終えて橋本がマイクを置くと、頭上で「頑張れ」と声援が飛んだ。見上げると、主婦らしきマンションの住人が、ベランダから橋本の演説に耳を傾けていた。
目を凝らすと、別の階でも複数の住人が手を振っていた。隣のマンションも同じだった。「こんなことは初めて。これが追い風というやつか」。橋本は思わずうなった。
民主党は候補5人が全員当選し、県内で「王国」の冠を取り戻した。その躍進ぶりは4区の戦いに象徴される。
27日夜、大崎市で開かれた新人石山敬貴(39)の個人演説会で、石山は詰め掛けた300人の熱気に触れ、感極まり言葉が詰まった。「こんなに大勢…」。真っ赤な目で声を絞り出すと、天を仰いで涙をこらえた。
<土と格闘し浸透>
4区は自民党前議員の伊藤信太郎(56)が父で元衆院議長の故・宗一郎から受け継いだ伝統の保守地盤。親類の反対を押し切って初挑戦した前回は伊藤に大敗した。
リベンジを誓った石山が取り組んだのは政治活動ではなく、実家の農作業。あまりの熱心さに党本部が「別な候補に差し替えた方がいい」と本気で検討したほどだ。
周囲を心配させたこの行動が実を結ぶ。「いまの農政に何が必要か、肌感覚で分かった」。土と格闘した人にしか分からない訴えが、静かだが着実に浸透していった。
30日夜、支持者と約12万票の完勝に酔った石山は、変革のうねりを感じながら「地域の代弁者として国を変える」と声を張り上げた。
<これからが勝負>
圧勝の喜びはやがて政権与党の重圧に変わる。
「着実に政策を実行し有権者の思いに応えていきたい」。2区で初当選した新人の斎藤恭紀(40)は31日、仙台市青葉区の連合宮城の事務所で幹部に決意を語った。お天気キャスター時代からのセールスポイントで、選挙戦でも見せた人懐っこい笑顔は消えていた。
1区で再選を決めた前議員の郡和子(52)も後片付けが進む選挙事務所で、自らに言い聞かせるように話した。「これからが本当の勝負。与党経験がないから猛勉強は必要だが、絶対にやり抜く」
(衆院選取材班)
2009年09月01日火曜日
5425
:
チバQ
:2009/09/05(土) 16:44:38
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2246/1225012514/704
劇・激・撃 衆院選みやぎ(下)知事選秋対決/現職淡々、民主じわじわ
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1031/20090902_01.htm
劇・激・撃 衆院選みやぎ(中)自民地盤崩壊/不満充満 反応冷え冷え
4区で落選が決まり、沈痛な表情で支持者にあいさつする伊藤氏=8月30日午後9時20分ごろ、塩釜市の事務所
<掲示を断られる>
「自民党離れ」を感じ始めたのは、昨年秋ごろだった。
県内随一のコメどころ大崎市。4区の自民党前議員の伊藤信太郎(56)を支える選対幹部が、農協幹部や農業委員ら有力支持者にポスター掲示を依頼すると断られた。
いずれも、伊藤の父で元衆院議長の故宗一郎時代からの支援者たち。「自民党を信じてきたが、何も良くならなかった」と言われ、幹部は返す言葉がなかった。
減反を進めても米価は低迷したまま。農業の将来像を示せない政府・与党に対する不満は、自民党を支えてきた農村部に充満していた。
<聞く耳持たない>
足場固めを怠ったことも響いた。ある首長は「伊藤氏に市町村ごとに後援会をつくれと助言したが、聞く耳を持たなかった」と打ち明ける。
「鉄板」だったはずの地盤は静かに瓦解し、票は初当選した民主党新人の石山敬貴(39)に集まった。伊藤は4区の12市町のうち10市町で石山にリードを許した。
選挙戦序盤の8月20日。伊藤は塩釜市の塩釜仲卸市場を訪ねた。履いていたのは革靴。翌日にここであいさつ回りをした石山が、白いゴム長姿で市場に溶け込んでいたのとは対照的な場面だった。
仲卸業者は「4年に1回だけ来られても愛着はわかない。今回は石山だ」とつぶやいた。
民主党元議員の橋本清仁(38)に初めて敗れた3区の自民党前議員の西村明宏(49)。約2万3000票差をつけられる完敗だった。
ミニ集会や町内会の夏祭りに顔を出す地域戦を徹底して行った。農政連や土地改良区の推薦を得て、票固めも狙った。
<後援会にも衰え>
西村を支持した名取岩沼、みやぎ亘理の両農協は自由貿易協定(FTA)をめぐる民主党の政策を疑問視。選挙期間中、組合員に「国内農業は壊滅的打撃を受ける」と呼び掛けた。
それでも農家の反応は冷ややかだった。「農業政策で失敗した自民党と農協は信頼されていない。幹部が圧力を加えると逆に票は逃げる」。農協関係者は苦り切っている。
元蔵相の故三塚博から引き継いだ後援会にも衰えが見え始めた。ある市議は「機能していない。三塚さんから受け継いだ後、自分で組み替えるべきだった」とこぼした。
1区で落選した自民党前議員土井亨(51)は1日、支持団体をあいさつして回った。「業界、団体の一般会員は独自の判断で投票する。幹部への働き掛けの効果は薄かった」と振り返った。
自民党が守った議席は6区だけ。4選を果たした小野寺五典(49)は「古い自民党の体質を改善し、ゼロから出直せというのが有権者の評価。早い段階で党を再生する必要がある」と言う。強まる危機感とは裏腹に、支持基盤を再構築する妙案は見当たらない。(敬称略)
2009年09月02日水曜日
5426
:
チバQ
:2009/09/05(土) 16:49:04
http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/09_sousenkyo/chiba/CK2009090102100005.html
検証 民主“完勝”<上> 総選挙延び有利に
2009年9月1日
当選者のポスターに花をつけて喜ぶ民主県連の長浜代表(左)ら=千葉市中央区で
「全員、衆院議員になったなぁ…」。民主党県連の長浜博行代表(参院議員)は三十日深夜、テレビの開票速報を見続けた県連事務所で思わずつぶやいた。目の前の壁に並ぶのは当選した十五人のポスターと顔写真。目標の「(小選挙区の候補者)十三人全員当選」を上回る大勝に驚きを隠しきれなかった。
県内十三選挙区で過去最多となる十一勝。喫した二敗も、当選回数を重ねた現職大臣に対し、ほぼ無名に近い新人候補が初挑戦で比例復活を果たす大善戦だった。
長浜代表は勝因を「民主党が評価されたというより、与党に対してノーが突き付けられた」と冷静に分析。もちろん、「次の政権の準備をし、全小選挙区に候補者を立ててガチンコの勝負をした」からこそ与党批判の受け皿たり得たとの自負はある。
◇ ◇
衆院解散・総選挙が昨秋から一年近く引き延ばされたことは、特に民主党の新人候補に有利に働いた。駅頭演説や自転車遊説などで知名度が少しずつ向上。三月の知事選や六月の千葉市長選で党推薦候補を立てて戦ううちに、衆院選に臨むための組織整備も徐々に進んだ。
政権交代が現実味を帯びるにつれ、これまで自民党を支えてきた全国郵便局長会や医師会、農協、漁協など各種業界団体からの支援も受けられるようになった。推薦状を出さないまでも、自主投票を決めたり、幹部が口頭で支援を約束したりする組織が増えた。
投開票日の約一週間前に報道各社で民主党の大幅な優勢が伝えられると、ある候補者の選挙事務所には「依頼していない組織から推薦状が来た」という。「揺り戻し」はみられず、自民・民主の「両にらみ」から「勝ち馬に乗る」段階に一気に進んだ。
◇ ◇
四年前に自民党側に振れた針は今回、真逆に振れた。歴史的な圧勝だが、民主党に浮かれる余裕はない。次回もう一度、自民党側に振れない保証はないからだ。
長浜代表は「ゴールではなく、政権担当のチャンスをもらっただけ。任期内でしっかりした成果が出せるか。重大な責任、プレッシャーを感じる」と話す。今度は民主党が初めて政権与党として、県民の厳しい目にさらされる番だ。
◆ ◆
三十日に投開票された衆院選は、民主党が全国で三百超の議席を獲得する圧勝に終わった。日本初の本格的な政権交代が実現した今回、県内の二大政党の勝敗の分かれ目を検証した。
(小林孝一郎)
5427
:
チバQ
:2009/09/05(土) 16:49:42
http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/09_sousenkyo/chiba/CK2009090202100005.html
検証 民主“完勝”<下> 保守牙城でも苦戦 自民、参院選へ再興急務
2009年9月2日
自民候補の相次ぐ落選にあきらめの表情を浮かべる自民党県連役員ら=8月30日夜、千葉市中央区で
相手の姿は見えないのに…。選挙終盤、保守の牙城とされてきた県北東部の10区で、国家公安委員長を務める自民林幹雄氏の陣営幹部は焦りの表情をのぞかせた。運動量には自信がある。地盤の銚子市内では、対立候補の運動員と鉢合わせになることはほとんどなかった。それでも報じられる劣勢。「これが『風』? こんな選挙初めてだ」
「風」だけではない素地はあった。銚子市では三月末、市立総合病院休止問題をめぐり市長のリコール(解職請求)が成立した。ある市議は「余韻が続いている。何かを『変えたい』という感じだ」と表現した。
市内の商工関係者は「市町村合併は実現せず、病院休止問題で混乱。『何とかしてほしい』という不満は政権与党に向かった。今回は自民には入れないという人も多かった」と明かした。
林氏は民主新人に銚子市で接戦に持ち込まれ、10区で落選。辛くも比例で復活当選した。
◇ ◇
都市部の選挙区でも自民の陣営に不安が広がっていた。県北西部の選対幹部は「『民主に一度やらせてみよう』という空気ができている。マスコミが『政権交代』ばかり言うからだ」と不満を漏らした。別の自民関係者は「安倍、福田両首相が投げ出すように辞任してしまったことで国民から見放された。これまでの選挙運動では手の届かない無党派や、選挙とは無縁だった人が動きそうで、やりようがない」と危機感を募らせていた。
◇ ◇
「逆風」ばかりではない。各陣営が万全の体制で戦いに臨んだとは言い難い面もある。三月末の知事選での自民県連内の分裂や、候補推薦をめぐり公明との間に生じた距離感は、各陣営の運動にも影響した。「あの議員は動いていない」などの批判も飛び交った。
県連幹部は「国会議員が地元の首長選で支持を明確にしないこともあった。選挙は貸し借り。これをやらず(総選挙で)支援体制が崩れたところもある」と指摘する。
田久保尚俊県連幹事長は投票から一夜明けた三十一日の記者会見で、「自民県議全員が今回の敗因をしっかり総括して共通認識を得ることが必要」とした。さらに、「首長選や参院選など選挙はめじろ押しで、この負けを引きずるわけにはいかない」と立て直しを急ぐ構えだ。
十一月には柏市長選を控える。来年夏の参院選は複数の候補を擁立するかが焦点となる。再起をかける戦いはそう遠くにあるわけではない。 (小川直人)
5428
:
チバQ
:2009/09/05(土) 16:50:48
http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/09_sousenkyo/saitama/CK2009090102100015.html
突風 彩の国の選択<上> 戸惑う自治体 変わる国へのパイプ
2009年9月1日
民主党県連の枝野幸男代表(左)の当選祝いに駆けつけた清水勇人・さいたま市長。だが政権交代に戸惑う首長もいる=30日、さいたま市大宮区で
衆院選投開票から一夜明けた三十一日朝、熊谷市にある12区民主党の本多平直の選挙事務所に一番乗りしたのは、加須市長の大橋良一だった。午前八時四十分、こわばった笑顔で本多と向き合い、「おめでとうございます」。頭を下げた。
これまで、六月に行われた自身の市長選も含め、自民党とのつながりが深かった。本多から公示日の出陣式の案内が届いたが、代理も出さなかった。ところが結果は本多の圧勝。自民の小島敏男は比例復活もならなかった。
国道125号バイパスの延長工事、利根川スーパー堤防事業…。市として国に陳情したいことはたくさんある。「先生、よろしくお願いします」。ぎこちなく誠意を示した。
◇
長年の「与党自民」が崩壊し、政権は民主の手に移ることになった。各自治体は、今まで国へのパイプ役として頼ってきた先の変更が必要なだけでなく、マニフェスト(政権公約)に基づく新たな政治への対応が迫られている。
「税金の無駄遣いを止め、使い道を変える」といい、その一つとして「ひもつき補助金」を廃止、地方の自主財源にすることで地方分権を進めるとする民主。蕨市長の頼高英雄は「公共事業を見直して子育てや医療、介護に重点を置く流れは正しい。大いに進めてほしい」と期待を寄せる。
一方、10区の自民県連会長山口泰明の集会で「小学校建設の補助金がもらえたのは先生のおかげ」と演説した滑川町長の吉田昇は、危機感を口にする。「小さい町は補助金がないと何もできない。十分もらえるのかどうか」
県は、民主が掲げたマニフェストを全項目点検し、実施された場合の影響をリストアップ、対策を練り始めた。「自動車関連諸税の暫定税率廃止は、地方財政への影響が懸念される」「子ども手当の創設は、市町村の事務負担が過大にならないよう、地方や現場の意見を十分に反映させる制度設計が必要」
県央のある市も、民主政権誕生を見越して公示後すぐ、補助金がカットされる可能性のある事業を全課から集約する作業に取り掛かった。別の市では、九月補正予算案を編成する際、国の経済危機対策を活用した事業のうち民主政権が中止しそうな気配のあるものは除外し、自衛を図った。
「政権がスタートしたら本当に大変だと思う。でも何をどう準備していいのか分からない」。県北部のある市職員はつぶやいた。
◇
半世紀以上にわたって、ほぼ続いた「与党自民」が、有権者の一票が巻き起こした突風に吹き飛ばされ、民主政権が誕生する。県内も全小選挙区で自民が落選。政権交代を前に、揺れる現場を見た。 =敬称略
(衆院選取材班)
5429
:
名無しさん
:2009/09/05(土) 16:51:32
>>5416
>>5417
>「集落で丹羽さんを落とすことにもう決めた」
これが凄く生々しいw
5430
:
チバQ
:2009/09/05(土) 16:52:18
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2246/1194191152/144
突風 彩の国の選択<下> 八ッ場ダム建設 政権公約で真っ二つ(2009年9月3日)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/09_sousenkyo/saitama/CK2009090202100006.html
突風 彩の国の選択<中> 惨敗の自民 『見えない何か』に涙
2009年9月2日
涙で声を震わせつつ、支持者にお礼を言う山口氏=坂戸市で
投票日まであと三日に迫った八月二十七日の夜。坂戸市のショッピングモール近くにあった選挙事務所に、10区内の市町の首長八人が駆けつけた。いずれも自民党県連会長、山口泰明の選対幹部に就いていた。
「最後までもうひと踏ん張りしてほしい。(首長の)後援会に再度、頼んでほしい」
苦戦に危機感を高めた陣営が、首長たちに頭を下げた。二十五日には麻生太郎首相も応援に来た。
だが結果は四回連続で退けてきた民主党の松崎哲久に、初めて敗北する屈辱。比例でも復活できなかった。
「自分に慢心がなかったか反省もしながら、頑張っていきたい」。衝撃の落選から一夜明けた三十一日、事務所に集まった六十人の支持者たちを前に、山口は声を詰まらせながら、ハンカチを目に当てた。
◇
自民は県内十五の小選挙区で全敗し、2区と8区の前職二人が比例でかろうじて復活当選した。衆院選での「獲得議席二」は、一九五五年の自民結党以来、最少という大惨敗だった。
「小泉改革で社会保障費が削られ、地域医療が疲弊した。自民の政策に医師の不満が多かったのは事実だ」
医師でつくる政治団体「県医師連盟」の関係者は、自民大敗の原因の一つに、小泉純一郎元首相の構造改革路線を挙げた。同連盟は伝統的な自民の支持団体だが、今回は四つの小選挙区で民主候補を推薦した。
「今の自民の衆院議員は、選挙区を必死に歩かない。だから現場の苦しみを政策に反映できないんだ」。県北部の元自民衆院議員の秘書が嘆いた。
◇
国会で野党になった自民。しかし、県議会は自民会派が最大勢力を誇り、市町村でも自民系会派が与党を占める中、楽観論と戸惑いが交錯する。
「自分には地縁、血縁で固めた組織がある。影響はない」(朝霞市議)「地元の衆院議員と国へのパイプ役にもなってきた。業界団体が動揺するだろう」(県南部の県議)
党県連幹事長の滝瀬副次は「来夏の参院選までに、組織を立て直さなければ」と話す。一方で選挙協力をした公明党は今回、比例で悲願だった「県内一議席」の奪還に失敗。自民と公明が埼玉選挙区で争う次期参院選を控え、公明関係者からは「自民とは当面距離を置かざるを得ない」との声も漏れる。
山口泰明は敗戦の弁でこう漏らした。「(敗因は)分からない。手応えは今までで一番あった。それで勝てなかったんだから、目に見えない何かが存在した」 =敬称略
(衆院選取材班)
5431
:
チバQ
:2009/09/05(土) 16:57:08
【09衆院選高知】検証 自民独占
http://203.139.202.230/09senkyo/090901dokusen01.htm
① 逆 風 組織固めと原点回帰
初の本格的な政権選択選挙となった第45回衆院選。全国の民意は民主党に308議席を与え、政権交代を選んだ。一方、県内では自民が4たび3小選挙区の議席を独占。民主政権下の衆院に本県の与党議員の姿はなくなる。全国情勢との「ねじれ」を生んだ09夏決戦の内実を探る。
【写真】麻生首相を迎えた福井氏の街頭演説会。議席死守へ支持団体の動員もかかった(高知市の中央公園)
■地上戦
「地上戦しかない。皆さんの動きで空気を変えてほしい」
7月31日、高知市の自民県連ビル。高知1区の前職、福井照氏の推薦団体の責任者ら100人余りに県連幹部がげきを飛ばした。
民主新人、田村久美子氏への追い風。抜群の知名度を誇る橋本大二郎元知事の参戦。解散前の7月初旬の本社県民世論調査で、福井氏の支持率は両候補に水をあけられ、3位に沈んでいた。
公示が迫ってもなお苦境の出口が見えない中で、福井陣営は皮肉なプラス要素を得ていた。
橋本知事時代に分裂選挙を繰り返してきた県議や建設業界。橋本氏が権力の座を降りて時間が経過し、「割れる理由」はなくなっていた。「今回は迷いはない。皆、こっち(福井氏)だと思う」(県建設業協会幹部)
民主を推す理由も見当たらない。ある大手建設会社の社長は「公共事業が無駄だという民主の政策では…。生活がかかっている」。
2、3区も含めた自公選挙協力にも抜かりはなかった。
自民県連は前回衆院選で比例単独候補を立て、一昨年の参院選は元職を比例で公認。「うちのギブ・アンド・ギブじゃないか」と疑念を抱く公明党県本部と支持母体の創価学会に対し、昨年2月に体制が若返った自民県連執行部は誠実に接触を繰り返した。
石田祝稔氏の比例四国の議席を失う危機感もあった公明県本部幹部は、自民候補の出陣式や個人演説会で「(公明の)公認候補並みに支援する」と明言するようになる。選挙戦後半にかけての世論調査で、高知1区の公明支持層の福井支持は80%にはね上がった。
打てる手は打ち、三つどもえの混戦に持ち込んだ自民県連の武石利彦幹事長は選挙戦最終盤、こうつぶやいた。
「組織票は積み上げた。福井には来ない無党派の票はどちらかに偏らず、橋本、田村がうまい具合に取り合ってほしい。福井が勝つにはそれしかない」
■野党議員
2区の中谷元氏は、個人後援会の再建。3区の山本有二氏は徹底した地域回り。それぞれに原点回帰した戦術で逆風をしのいだ。
自民3候補の得票は合計約19万4千票。県内比例票は民主に約16万7千票。自公政権には不満だが、民主の政策や未知数の候補にも不安が残る―。県内有権者が出した結論は「小選挙区は自民候補、比例は民主」ではなかったか。
全国情勢とは裏腹に、衆院から本県の与党議員は姿を消す。武石県連幹事長は「県の厳しい状況を政権に反映するには、むしろ力のある野党議員がいれば本筋論で勝負ができる。それは都市と地方の対決論理になるかもしれない」とみる。
一方、審判から一夜明けた県庁。県幹部の一人がこう漏らした。
「霞が関は野党議員には情報を出さないもの。尾粼知事に独自ルートをもっと開発してもらわないと」
(2009年09月01日付朝刊)
5432
:
チバQ
:2009/09/05(土) 16:58:00
http://203.139.202.230/09senkyo/090902dokusen02.htm
② 惨 敗 組織の未成熟さ露呈
「不徳の致すところ」「力不足…」
民主党の高知1〜3区の候補が全敗し、比例復活にすら届かないことが確定した8月31日未明。1区の事務所で、党県連の武内則男代表、大石宗幹事長は唇をかみしめ、支持者に頭を下げた。
記録的大勝を収めた全国情勢とはあまりに対照的な惨敗。「与党の衆院議員がいない唯一の都道府県」のレッテルを背負った党関係者に、政権交代の喜びはみじんもなかった。
【写真】田村氏を囲み民主党県連幹部らが懸命に支援を訴えたが、「風」は生かせなかった(高知市役所前)
■受け身に
「今回勝てなければいつ勝つのか」。県内小選挙区の壁に阻まれ続けてきた県連。今回の各選挙区の構図も、1区の田村久美子氏が無所属の元知事と非自公で競合。楠本清世氏が臨んだ2区、中山知意氏が雪辱を期した3区も、全国148選挙区で候補擁立を見送った共産が参戦した。
しかし、今回の民主への「風」は非自公勢力の分散を補って余りある勢いで吹き、「県内政党の市民権を懸けた戦い」(大石幹事長)と位置付けた。
東京都議選の終わった7月中旬。世論調査や街の反応から「地殻変動だ。三つともあり得る」。県連は沸き立ち、特に候補者が長期間「どぶ板」で回ってきた1、3区への期待は高まった。
その高揚感は選挙に入ってから、しぼむ。
民主3候補の特徴は良くも悪くも「素人感覚」。自公側は地域の疲弊を背景に「候補者の利益誘導力」を争点に押し込んできた。
自公陣営は、民主政権を仮定した補正予算執行停止など公共事業削減の懸念や労組批判を圧倒的な組織力で展開。政策論争は望むところだったはずの民主側は「攻めるはずが、受け身になった」(県連幹部)。党本部の大物の来援以外に対抗するすべもなかった。
「候補は地域を本当に歩いた。そこに懸ける」。1区のマイク納めの後、陣営幹部はこう祈るしかなかった。
■増す責任
結果は全敗。2、3区は前回より票を伸ばしたが、投票率アップや共産票が流れ込んだ跡から見れば「風を逃した」のは明らかだ。
県連や陣営の楽観論が外に漏れ伝わり、敵陣を刺激するなど戦いのいろはが徹底されていない場面も目についた。自公側の政策批判への反論も、1区ですら動員に不安を持つ中で発信は「点」止まりだった。
政権交代が確実視された段階で「自民の支援団体に『民主が与党になる』とけん制したかった」(県連幹部)が、手勢不足で不発に終わった。
「組織力、戦略を欠いた結果だ」。武内代表は敗因をそう総括するが、政権与党の地方組織になった以上、県連が県民から負う責任は格段に重くなる。
「これほど地域に根差して動いた選挙は初めて。そこで開拓した人脈は財産だ」。武内代表は敗戦下に収穫を見いだし「国、県、市町村を貫く組織づくりを本気でやる」と改革への決意を強調する。
組織の未成熟さを県民にさらした県連。この歴史的惨敗の屈辱を、変革の原動力に変えることができるか―。
(2009年09月02日付朝刊)
5433
:
チバQ
:2009/09/05(土) 16:59:03
http://203.139.202.230/09senkyo/090903dokusen03.htm
③ 誤 算 二大政党対決の間で
麻生太郎首相が総選挙の日程を表明した7月13日の昼下がり。うだるような猛暑の中、高知市の住宅街を橋本大二郎氏が汗をぬぐいながら歩いていた。「知事をやっていました橋本大二郎です」。元知事の来訪に住民は驚きながらも応援の声を送った。
【写真】衆院解散が迫る中、住宅地をあいさつに回る橋本氏。支持者が寄せた思いは(高知市内)
■「なぜだ」
「国の形を変える」と政界再編の旗を掲げて高知1区に立った橋本氏。18年前に草の根旋風を巻き起こし、31万票の驚異的得票で知事に初当選以降、圧倒的な支持を誇った〝常勝者〟がついに敗れた。
一昨年12月に知事を退いた後もその求心力は健在だった。昨秋の本社世論調査では他候補を圧倒し、今年7月初旬時点でも二大政党の自民、民主両候補を上回っていた。
「早くやりたい」。陣営は選挙を待ち望んだ。だが解散は延び、自民への逆風は「民主への風」となって強まっていった。これが〝誤算〟となり、無所属の橋本氏を襲い、支持率は降下した。
「この風は新しい政治の流れを目指す者にも向かい風となって吹く」。橋本氏は7月12日の東京都議選で吹き荒れた民主旋風への警戒心をあらわに訴えた。
選挙戦は知事時代からの草の根、自ら歩いて開拓した新たな支持者から輪を広げていく戦法。街頭演説や選挙カーへの沿道からの反応は他候補をはるかに上回り、その勢いは日に日に増していった。
だが、世論調査の数字は連動しなかった。公示後の本社などマスコミの調査で自民、民主両候補に接戦に持ち込まれ、次第に劣勢になった。「反応は知事選以上なのに、なぜだ…」。見えない「向かい風」に橋本氏や陣営は焦燥感を募らせた。
その焦りは橋本氏の勝負勘までずれさせた。知事退任後の活動を支えてきた後援会スタッフを選挙事務所から中盤で外し、後に入れた草の根グループは橋本氏の指揮への不信から最終盤に撤収。陣営は混乱を極めた。
結果は、民主候補を抑えたものの、対橋本の組織攻勢をかけた自民候補に4700票余り届かず次点。橋本シンパも少なくなかった公明票を固められ、知事選で支援を受けた有力建設業者らが自民に回り、共産も候補を立てる構図となり、発射台も下がっていた。
「もはや過去の人」との声も聞かれ始めている。だが、政権選択を最大焦点とした今回の選挙で、民主候補を上回る票を橋本氏に投じた有権者たちは従来の草の根支持という枠を超え、「自民でも民主でもない新しい政治」を求めた民意ではなかったか。
落選の夜。橋本氏は今後の進路についてこう述べた。「支援してくれた皆さんの思いをくみ取りながら、自分に何ができるかゆっくり考えていきたい」
■共産沈む
県内全選挙区に候補を立てた共産党も二大政党対決の流れに押し流された。各区で大幅に票を落とし、1、3区は有効投票数の10分の1にも届かず、供託金没収の惨敗だった。
「衝撃的だ。票を増やすことはあっても減らすことはあり得なかった」。佐竹峰雄県委員長は驚きを隠さない。共産支持層自体が自公政権打倒の実現性を優先し、民主に流れた。
「激戦に耐え得る実力が足りなかった」。佐竹委員長は選挙戦の総括に着手したが、二大政党化の中で党勢再生をどう図っていくのか。たちまち来夏に迫る参院選で試される。
(2009年09月03日付朝刊)
5434
:
チバQ
:2009/09/05(土) 17:00:03
http://203.139.202.230/09senkyo/090904dokusen04.htm
④ 困 惑 地方の不安どう響く
「民主党には徹底してあらゆるチャンネルで本県の実情を訴えていく。自民党議員は、国会審議の中で実情を伝えていただきたい」
全国を民主旋風が席巻した衆院選から3日後の2日。尾粼正直知事は県選出の与党衆院議員がいなくなることを意識しながら、次期政権への向き合い方を強調した。
【写真】民主候補の応援に駆け付けた小沢一郎代表代行の演説会。国と地方の関係は…(高知市の中央公園)
■転換
尾粼知事は一昨年12月の就任以来、自主財源が乏しい本県の財政事情を踏まえ、国からの予算確保、事業導入を重視。財務官僚時代に培った省庁の人脈などを駆使し〝成果〟を挙げてきた。
それは「国を使い倒す」現実主義的な対応だったが、脱官僚を掲げる民主党は新政権で、首相直属の国家戦略局を設置。予算編成などを政治主導にシフトする。自公政権が経済対策で編成した本年度補正予算も未執行分を停止して組み替える構えだ。
本県への影響は不確定だが、補正予算で積む「安心こども基金」などは県議会7月定例会で既に可決され、事業に着手。医師確保や新安芸病院建設に活用する特例交付金は100億円を見込み、計画策定が進んでいる。
「ほかにも国から予算内示を受けている事業がある。どこまで停止されるのか」。恩田馨県総務部長は戸惑いを隠せない。それは市町村も同じだ。
民主党はガソリン税などの暫定税率も廃止する方針だが、本県には昨年度約56億円(県34億円、市町村に22億円)が交付され、道路整備などに充てられてきた。
「代わりの財源をどこに求めるのか」(吉岡章高知市副市長)、「高知南国道路の一時凍結のように、地方の実情を理解しない都会型の判断があってはならない」(橋詰寿人南国市長)。新しい政権への期待感が全国に広がる一方で、県や市町村は〝交代のきしみ〟に揺れている。
■「選択」の声
政権交代への不安は県内産業界からも聞かれる。
「公共事業削減となれば、倒産が増え大変なことになる。高知の場合はどこが無駄かと言うくらい無駄な事業はない」
今回衆院選でも自民党を推した県建設業協会。三谷一彦会長は民主党が打ち出す「無駄な公共事業の削減」に反論し、「今後は自民、民主を問わずあらゆる人脈をたどり、首長らと新政権に声を上げていく」と危機感をあらわにする。
農家への戸別所得補償の一方で、農産物の輸入を自由化する日米自由貿易協定(FTA)の締結を基本姿勢とする民主党の農業政策にも、農協関係者の抵抗感は強い。
「食料自給率向上の一方で、農業に壊滅的な打撃を与えかねないFTA交渉の促進も盛り込む矛盾の整合性は取れるのか」。JA高知中央会の山崎実樹助会長は疑問を呈しながらも「民主党にどう話をつなげばいいのか…」。
民主党は公約で、地方の自主財源を大幅に増やして地域主権の確立も掲げる。それは地域の暮らしを守るという約束でもある。
だが、さまざまな面で不安が広がるのも事実。全国情勢とはねじれの結果を選んだ有権者の「選択」の声は、新政権に届くのか―。
(2009年09月04日付朝刊)
5435
:
チバQ
:2009/09/05(土) 17:01:14
http://203.139.202.230/09senkyo/090905dokusen05.htm
⑤ 選 択 誰が「勝った」のか
自民党が議席を独占した県内3選挙区。それは紛れもない民意であり、有権者は県民の代弁者として前職3人を選んだ。
しかし―。選挙後、何となく軸足が決まらない、不安定な感覚にとらわれる。
突き詰めれば、全国情勢と県内の選挙結果の「ずれ」だろうが、それだけで十分な説明とは言えない。今回の選挙で、本当に勝ったのは誰かが見えてこないからだ。
【写真】有権者が託した1票に、県内政党はどう応えていくのか(高知市内)
■もしも…
選挙戦を文字通り「戦い」ととらえるなら、県内選挙区では自民党が勝者であることは間違いない。
前職の危機感を前提に、公明党と連携。地域の疲弊や将来への不安をうまく得票につなげた。戦術、戦法で他を完全に上回った。
だが、選挙は結果がすべてであり、「たら」「れば」は通用しないことを百も承知で考えてみたい。
例えば、無党派層の動向が鍵を握る高知1区。もし元知事が参戦していなければ、結果はどうだったろう。支持政党のない有権者の多くは、民主党候補に流れたことが容易に想像される。
比例代表の投票先では、前回衆院選より有効票が1万3千票以上伸びる中で、自民票は約8千票もダウン。政権運営に対する批判は確かにあった。
民主党がもし候補者選定の段階から十分に練り、幅広い層に風をアピールできたとしたら…。比例票は前回より3万3千票も上積みし、県内第1党の座を維持しただけに、もったいない話だ。
四国の議席維持が絶対命題だった公明党。それは果たしたが、太田昭宏代表ら党幹部が議席を失った痛手はあまりに大きい。
地道な地域活動を続ける共産党候補にとっては、供託金の没収(2人)は屈辱のはず。民主党候補を推薦した社民党にしても、結果にはつながらなかった。
投票から3日後、本紙は主要政党の県幹部らを招いて座談会を開いた(7日付「ファインダー」で詳報)。その際、幹部らの複雑な表情は「勝者が見えない戦い」を物語っているように思えて仕方ない。
■与党議員ゼロ
小選挙区で自民党候補が独占したのは本県以外に福井、鳥取、島根の3県。この3県では民主党候補が比例復活した。つまり、衆議院議員480人の中に与党議員がいないのは本県だけとなる。
これを単に、選挙区候補の巡り合わせのあやとするのか。それとも、近く誕生する民主党政権への疑問提示と見るのか。
一つ言えるのは、圧倒的多数が同じ方向になだれ打つ社会は、決して健全な姿ではない。ブームや雰囲気に流されることの危険性は、4年前に経験したはずだ。
県内各党は来年の参院選に向け、組織強化や立て直しに全力を挙げることになる。そこでは候補者問題にとどまらず、その先まで見据えて、民意をくみ取る基本戦略が問い直されるべきだ。
それでこそ、今回の選挙に歴史的な意義を見いだすことができる。
(2009年09月05日付朝刊)=おわり
5436
:
チバQ
:2009/09/05(土) 17:05:25
http://mainichi.jp/area/niigata/news/20090901ddlk15010164000c.html
「民主独占」の衝撃:検証’09衆院選/上 民主「03年から流れ」 /新潟
◇自民、保守色強化で民意離れ
「政権選択」が焦点となった衆院選は、民主が県内全6小選挙区で議席を独占する大勝に終わった。小選挙区で自民議員のいない「自民空白県」となり、県内勢力地図は大きく塗り替わった。地殻変動はなぜ起こり、県政はどう変わるのか。選挙戦を振り返った。【岡田英、小川直樹】
「日の丸・君が代を認めない人たちがいる政党を信頼できますか? 皆さん、目を覚ましてほしい」。選挙期間中、1区の自民前職、吉田六左エ門氏(69)は街頭演説で、民主党と支持団体・日教組への批判を強めた。
無党派層の取り込みが厳しい中、どの候補も従来の自民支持層固めが頼みの綱だった。なかでも吉田氏は「日本古来の保守思想を受け継ぐ」と、保守色を前面に出しアピールした。
8月30日夜の開票の結果、吉田氏は民主前職の西村智奈美氏(42)に敗れ、重複立候補した比例代表での復活当選もならなかった。医療や年金、雇用、子育てなど暮らしの課題が有権者の大きな関心事だった。落選後、吉田氏は「自分たちの考えと有権者の思考に大きな隔たりがあった」と無念さをにじませた。
毎日新聞の出口調査では、いずれの選挙区でも自民支持層で自民候補に投票したのは5〜6割。3〜4割は民主候補に票を投じており、3区では約半数に及んだ。保守色を強めたのは吉田氏だけではなかった。だが自民候補たちは従来の支持層さえも固められなかった。ある県議は「民意は政治を変えたいと思っているのに、先祖返りしては支持の広がりを望めるはずもなかった」と敗因分析した。
◇
県内6小選挙区を独占し、自民候補の比例復活を一人も許さなかった民主。今回は一時的な追い風に乗っただけだったのか。民主を全面支援した連合新潟の江花和郎会長は「新潟では、03年に政権交代への流れができていた」と、突然変異的な勝利ではないと指摘する。
新潟では02年の参院補選以来、民主、自由、社民、連合の非自民勢力が連携し、「新潟方式」と呼ばれる共闘態勢をつくった。民主は03年の衆院選で西村氏、4区の菊田真紀子氏(39)という若手議員を誕生させ、県内で基盤を築いた。自民が全国的には圧勝した05年衆院選も、県内小選挙区での獲得議席は民主3、自民2と上回った。今では共闘は崩れたが、新潟方式は遺産として残ったという。そして強い自民批判の風に乗った。
「自公政治への有権者の不満、生活や将来への不安はあまりにも大きかった。自公批判の裏返しとして民主に票が集まった」。民主県連幹事長の佐藤信幸県議は、民主が必ずしも有権者から全幅の支持を集めたわけではないと認める。
悲願の政権交代を目前にしているが、マニフェスト(政権公約)を着実に実行できるのか。民意を見誤り、失望させては、今度は民主が「ノー」を突きつけられることになる。
5437
:
チバQ
:2009/09/05(土) 17:07:14
http://mainichi.jp/area/niigata/news/20090902ddlk15010213000c.html
「民主独占」の衝撃:検証’09衆院選/下 国との橋渡しは誰に? /新潟
◇担い手の自民、衆院議員激減
「政権交代で施策が見直される。情報を取っていかないと適切な対応ができない」。県の10年度当初予算案について要望に訪れた農協関連団体の幹部に、泉田裕彦知事の代理で応じた小熊博副知事は、そう答えるのが精いっぱいだった。
政府の09年度補正予算で盛られた46基金4兆3000億円についても、民主は大半の見直しを検討。県はこのうち8基金を9月県議会に提出する補正予算案に盛り込む予定だが、民主政権が誕生すれば凍結される可能性もある。そうなると業界団体から反発が予想され、県はかたずをのんで民主政権への移行を見守る。
「これまで自民の衆院議員を通して各省庁に話をしてきたが、民主はそういうところも否定するんだろう」。ある県幹部は、地方と国をつなぐ情報のパイプ役を担ってきた自民衆院議員が激減したことに、頭を抱えた。
民主県連は、県執行部と国会議員の直接のやりとりに反対。県連が窓口になって橋渡しをするというスタンスだ。幹事長の佐藤信幸県議は「直接では『私のところにはなぜ話がこない』と国会議員の間で不協和音が生じてしまう。すべて私を通してもらう」
◇
「住民に近いところで意思決定される仕組みが実現されることを期待したい」。衆院選から一夜明けた31日、泉田知事は、国が自治体の使途を制約する「ひもつき補助金」を批判し、地方が自由に使える地方一括交付金を掲げる民主の政権を歓迎した。
だが中央が民主政権になっても、県議会では定数53のうち自民33議席、民主9議席で、自民が大半を占め、国会と県議会で「ねじれ」が生じる。新政権によって地方分権が推進され、地方の裁量が大きくなったとしても、ねじれによって議案の採決が進まなくなるおそれもある。
佐藤県議は「当面は自民と共同提案していくことになるだろう」と話す。一方で「意見が一致しない場合は反対する。結局は選挙で議員を増やしていくしかない」と、早くも2年後の県議選をにらむ。「政権を取ったことで、こちらに話しに来る業界団体は増えるだろう」
◇
歴史的惨敗から一夜明けた31日、自民党県連が開いた党議。会議前、テーブルに昼食が並べられたが、県議らの間に会話はなく、食器の音だけが響いた。
「このままでは自分たちの選挙も戦えない。県連として組織の立て直しを」。出席した県議からは県議選への影響を案じる声があがった。幹事長の渡辺惇夫県議は「個人よりまず党の再生。捲土重来(けんどちょうらい)の体制づくりをしていかねば」と組織再建を強調した。
「県議会での与党はおれたちだ」。自民県議らはそう自負し、逆に結束を強めようとする。自民が虎視眈々(たんたん)と狙うのは、来夏の参院選までに民主政権がマニフェスト(政権公約)を実現できずに瓦解することだ。渡辺幹事長は「公約にあわない対応をしていれば、毅然(きぜん)とした対応をしたい」。【岡田英】
5438
:
とはずがたり
:2009/09/05(土) 17:15:26
>>5433
こんなことがあったんですねぇ。此では勝てない。
>知事退任後の活動を支えてきた後援会スタッフを選挙事務所から中盤で外し、後に入れた草の根グループは橋本氏の指揮への不信から最終盤に撤収。陣営は混乱を極めた。
4年後民主から出るぐらいしか手はないですね。
5439
:
とはずがたり
:2009/09/05(土) 17:21:33
2009衆院選:数字から見えるもの /高知
http://mainichi.jp/area/kochi/news/20090903ddlk39010445000c.html
自民前職の3人が議席を独占した衆院選。得票数や出口調査によると、3選挙区とも民主候補は民主支持層を7割以上固め、共産支持層や無党派層からも票を獲得したとみられるが、組織力をフル回転させて票を手堅くまとめた自民候補には及ばなかった。得票数などのデータから見えるものとは−−。【服部陽】
◆1区
◇橋本、田村氏が票の奪い合い
3人が競り合うと予想された1区。自民・福井氏は前回の5万3754票から、4万4068票に減らしたが、4選を果たした。勝因は、建設業や農業などの支援団体や県議・高知市議などの組織固め。自民県連では当選安全ラインを4万2000票前後と設定し、「あと5000票は必要」などと具体的な目標を掲げ、個人演説会で登壇する弁士が訴えるよう徹底した。さらに自公協力も強化。定期的に意見交換を開いて信頼関係を構築し、福井氏自身も「比例は公明」を連呼した。
一方の無所属・橋本氏と民主・田村氏。出口調査によると、田村氏は民主支持層の7割を固めたが、橋本氏に2割が流れた。また、田村氏の陣営が「いかに取り込むかが課題」と位置付け、橋本陣営も「知名度は自信がある」と手を伸ばした無党派層。出口調査では、橋本氏4割、田村氏3割と票を分け合う格好となった。自民県連幹部が選挙前、「互いに票を奪い合い、組織力で首一つ抜け出せれば」と語っていたシナリオ通りに、組織票をまとめた福井氏が浮上。全国で最も低い得票率32・53%での当選だった。
◆2区
◇楠本氏、民主票まとめきれず
自民・中谷氏は前回を5000票以上上回る7万5554票を獲得し、地力を見せつけた。民主・楠本氏は前回の民主候補より約5000票を上乗せ。一方で、共産・山中氏は前回候補比約8000票減の1万4225票だった。
比例票でみると、民主が得票率39・81%で、自民の26・84%を上回ったが、公明票を上乗せした自公の43・50%には及ばなかった。楠本氏は民主票の8割近くを固めたが、残り2割近くが中谷氏に流れ、取りこぼした形となっており、中谷氏はさらに公明票の8割以上を上乗せし、圧倒した。
共産は「党躍進付きの政権交代」を主張。共産支持層は小選挙区では政権交代を優先し、楠本氏に投票したと見られ、出口調査でも共産支持層の2割以上が楠本氏に流れている。
◆3区
◇自公協力徹底、9割固める
3区でも、自公協力が前回よりも徹底された自民・山本氏は前回並みの7万4489票を獲得した。2度目の挑戦となる民主・中山氏は前回から約1万1000票を上積みした。
比例票でみると、民主は得票率40・14%と自民の27・45%を上回ったが、自公の45・78%には届かなかった。中山氏は民主票の8割以上を固めたが、山本氏は自民票の9割以上、公明票の9割近くをまとめた。
共産・村上氏は前回候補よりも約1万票を減らした。共産支持層の4割が中山氏に流れたためで、中山氏はさらに無党派層の5割以上に浸透したが、全市町村で山本氏の得票を上回ることはできなかった。
◆比例区
◇民主が第1党、16万票超 自民10万票台回復−−07年参院選比
比例では05年衆院選、07年参院選に引き続き、政権交代ムードの追い風を受けた民主が県内第1党に。05年約13万4000票、07年約13万8000票を獲得。今回は約16万7000票と躍進した。一方、自民は07年参院選で10万票を割り込み、約9万4000票だったが、今回は約10万8500票まで回復した。公明は自公協力が功を奏し、前回の約7万票から3000票以上を上乗せした。
==============
◇小選挙区の得票数、得票率◇
<1区>
福井照(自前) 44068 32.53%
橋本大二郎(無新) 39326 29.03%
田村久美子(民新) 38117 28.14%
春名直章(共元) 13072 9.65%
桃田妙子(諸新) 890 0.66%
<2区>
中谷元(自前) 75554 53.42%
楠本清世(民新) 49842 35.24%
山中正博(共新) 14225 10.06%
伊東理砂(諸新) 1822 1.29%
<3区>
山本有二(自前) 74489 49.42%
中山知意(民新) 64777 42.98%
村上信夫(共新) 10376 6.88%
北村健行(諸新) 1079 0.72%
毎日新聞 2009年9月3日 地方版
5440
:
名無しさん
:2009/09/05(土) 17:23:14
>>5438
根拠はないのですが、来年の参院選に出馬かな?
もう歳だし、次期総選挙まで待てないのでは?と想像しています。
5441
:
名無しさん
:2009/09/05(土) 17:27:35
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/politics/election/2008syuin/fukuoka/20090901/20090901_0002.shtml
福岡県
自民、地盤固め切れず 県内各党・団体戦い終えて
2009年09月01日 14:59
「政権選択」を最大焦点にした衆院選。県内では、11小選挙区のうち民主が7議席を確保し、1996年に小選挙区比例代表並立制が導入されて以降、初となる過半数を獲得した。政権交代への機運が広がった中で、自民は7区の古賀誠選対本部長代理、6区の鳩山邦夫前総務相らが地力をみせ、4議席を死守。共産、社民、政治団体「幸福実現党」は、当選には至らなかった。県内の主要政党と団体の幹部に、選挙結果の受け止めや今後の展望を語ってもらった。
■「次」へ態勢を立て直す 自 民
新宮松比古・党県連会長 民主党が掲げる「政権交代」の逆風が本当に強かった。私たちは「政策選択」という訴えを続けてきたが、有権者に行き届かないまま選挙戦が終わった印象だ。ただ候補者たちは過去4回の小選挙区での票を上回る票を獲得しており、自民党が有権者に見放されているとは思わない。県連でしっかり協議し、党の態勢を立て直して、次なる戦いに備えたい。
■10人全員当選果たせた 民 主
助信良平・党県連幹事長 県内7小選挙区での勝利と比例代表100万票という目標を超えることができた。県民の皆さんから受けた負託と期待に応えられるよう頑張りたい。県内で擁立した10人の候補者を比例復活を含めて全員当選という最高の形で選挙を終えた。この10人が国会で良い仕事ができるよう地方議員や党員が懸命に支える。県民の皆さんに深くお礼を申し上げたい。
■結党の原点に立ち返る 公 明
森下博司・党県本部幹事長 「政権交代」という逆風の中で、本来なされるべき政権担当能力を問う選挙にはならず、目標である比例九州4議席の獲得に至らなかった。子育て支援や命を守る政治を訴えたが、民主との差異化が図れず有権者に届きにくかったかもしれない。今回は下野することになるが、「福祉の政党」「庶民の党」という原点に立ち返る良いチャンスととらえたい。
■建設的野党の役割担う 共 産
岡野隆・党県委員長 自公政権を退場させるという方向では有権者と同じだった。終盤に支持が広がったが、目標だった比例九州ブロックでの2議席確保までは至らずに残念だ。一方で大勝した民主も今後、後期高齢者医療制度や障害者自立支援法の廃止など、マニフェスト(政権公約)の実現性が試される。その中で、われわれも存分に建設的野党としての役割を果たしていきたい。
■11区で善戦の6万票台 社 民
豊島正章・党県連合幹事長 11区に県内唯一の候補者を擁立し、6万票余りを獲得した。これまでの候補者が3万票台だったことを考えれば善戦したといえる。「生活再建」を掲げた党の主張が理解されたのだと思う。一方で、比例代表は九州ブロックで目標の半分ほどの46万票にとどまった。小選挙区では民主との選挙協力の成果が出た中で、比例票が民主に流れたことは否めない。
■九州から党の主張発信 国民新
自見庄三郎・党副代表 民主党に対する風が強く吹き、中小政党には厳しい選挙戦だったが、九州・沖縄で議席を1から2に増やせたのは一定の評価ができる。党全体で獲得した3議席のうち2議席を九州・沖縄が占めることになる。
九州は小泉構造改革で最も破壊された地域であり、九州から地方の立て直しに向けた党の主張をしっかりと発信していきたい。
■消費税撤廃訴え届かず 幸 福
宮崎道秀・県本部代表 「政権交代」を求め、民主に吹いた強い風に打ち勝てなかった。公約の柱である「消費税撤廃」や「防衛力の強化」は、まだ一般的な考えではなく、詳細な説明が必要で、訴えが浸透しなかった。支持母体の幸福の科学の会員にも主張が十分に届いていなかった。今後も、二大政党とは異なる「新しい選択」を有権者に示すため、政治活動を続けていく。
=2009/09/01付 西日本新聞朝刊=
5442
:
名無しさん
:2009/09/05(土) 17:30:57
>>4700
>前回落選した民主新人は松下陣営で汗を流す。
野間健は参院選狙い?
5443
:
チバQ
:2009/09/05(土) 17:37:56
http://www.373news.com/modules/pickup/index.php?storyid=19143
徳田氏派2運動員を逮捕 衆院選で供応買収疑い/鹿児島県警
(2009 09/05 12:00)
鹿児島西署と県警捜査2課は4日、8月30日投開票の衆院選で鹿児島2区から立候補し当選した徳田毅氏への投票を依頼、飲食店で接待をしたとして、公選法違反(供応買収)の疑いで、いずれも徳田氏派の運動員で奄美市名瀬有屋町、保険代理店社長田中博喜容疑者(47)と、鹿児島市東谷山1丁目、同山本智士容疑者(39)を逮捕した。
南日本新聞の取材によると、接待が行われたのは同市谷山地区の居酒屋。10人程度が招かれ、徳田氏と徳田氏の妻らも一時同席していた。徳田氏事務所も、徳田氏の同席を認め、「本人も呼ばれて行ったが、30分ほどで帰っており、会計には立ち会っていない」と説明した。
2人の逮捕容疑は衆院選公示前の8月初旬、鹿児島市の居酒屋で、知人ら数人を招き、徳田氏への投票と票のとりまとめを依頼、一人当たり数千円の食事や酒を提供した疑い。
県警によると、両容疑者は容疑を認めている。提供を受けた側も公選法違反(被供応買収)容疑で任意で事情を聴いており、全員容疑を認めているという。
両容疑者は同じ保険代理店業を通じて知り合った。
5444
:
名無しさん
:2009/09/05(土) 17:38:49
古い記事ですが。
>応援弁士の長谷川憲正・国民新党副幹事長が登壇すると、大きな拍手が起きた。元郵政官僚で全国
>郵便局長会顧問。奥野氏も郵政省出身。「私は役所にいたから霞が関のやり口は分かっている。一緒
>に政治を変えよう」と力を込めた。
>同じ日、同じ佐倉市で水野賢一氏が演説会をぶつけた。「自ら許認可権を持っていた業界に依存して選
>挙活動する。まさに政官業の癒着。民主自身が批判していたことだ」と奥野氏を批判した。
http://mainichi.jp/area/chiba/news/20090826ddlk12010116000c.html
’09衆院選ちば:真夏の決戦本番・注目区を歩く/下 9区 /千葉
◇自民に牙むく郵便局
自民党の集票マシンとして戦後長く保守地盤を支えた「全特」が今回、自民に牙をむいている。旧・全国特定郵便局長会(郵政民営化後の現名称は全国郵便局長会)。地方の小さな郵便局の局長で作る任意団体だ。
「私のまいた種が彼に降りかかってしまった。私の代わりに息子をいじめてやろうと、千葉県じゅうの郵便局長が9区に集まってきている」
18日、自民前職の水野賢一氏の出陣式。養父の水野清・元衆院議員(84)はあいさつで、警戒感をあらわにした。96年引退し、地盤を賢一氏に譲った後も行革の指南役として活躍。小泉郵政改革では旗振り役を務めた。
4年前の衆院選で世の中は郵政改革一色に染まり、全特は抵抗勢力の槍(やり)玉に上がった。「印旛郡の局長の半分は私が局長にしてやったが、今日は1人も来ていないな」。衆院議員を9期務めた清氏は会場を見回し、皮肉っぽく言った。
◇ ◆
公示前の7日、民主新人の奥野総一郎氏の決起集会が、佐倉市で開かれた。会場の設営や交通整理など全特関係者がボランティアでてきぱきと働き、会場の半分は郵便局関係者で埋まった。
応援弁士の長谷川憲正・国民新党副幹事長が登壇すると、大きな拍手が起きた。元郵政官僚で全国郵便局長会顧問。奥野氏も郵政省出身。「私は役所にいたから霞が関のやり口は分かっている。一緒に政治を変えよう」と力を込めた。
同じ日、同じ佐倉市で水野賢一氏が演説会をぶつけた。「自ら許認可権を持っていた業界に依存して選挙活動する。まさに政官業の癒着。民主自身が批判していたことだ」と奥野氏を批判した。
陣営幹部は「ビラまきやのぼり持ち……。平日の昼間でもこれほど協力を惜しまない組織はない。昔はその力に助けられたんだが」と、半ばうらやましげに言う。
選挙区ではこのほか、無所属の波田野辰雄、諸派の伊藤純子両氏が支持を訴える。
◇ ◆
選挙区を越境して奥野氏を応援する60代の郵便局長は、4年前の苦い記憶を踏まえて、まくしたてた。「郵政民営化で経済も財政も地方もよくなると言われたが、実際はどうだったか。財政は改善されれず、経済は疲弊し、市場原理主義で地方は埋没した」
小泉構造改革の功罪も背負い、麻生政権は解散に踏み切った。改革の標的とされた郵便局の組織は息を吹き返し、民主と結んで自民を苦しめる。水野氏は「過去の選挙であまり相手を批判しなかった。美学もあった。だが、今回は目に余る。追及の手は緩めない」と、奥野氏と全特の関係に業を煮やす。
郵便局長は最後にこう言った。「自民党の先生には少し頭を冷やしてもらわないと。ネズミだって、追いつめられたら反撃する」【駒木智一】
5445
:
神奈川一区民
:2009/09/05(土) 18:08:28
>>5438
橋本大二郎氏の奥様は「高知のイメルダ」と呼ば
れて大変評判が悪いです。想像ですが、陣営の混
乱も奥様が一枚咬んでいるかもしれないですね。
>>5440
自分はみんなの党に行ったほうがいいと思います
。多分、橋本大二郎氏のことを民主党は相手にし
ないと思います。
あくまで、自分の妄想ですが。
5446
:
名無しさん
:2009/09/05(土) 18:10:18
>>5438
>>5440
広田と一緒に民主党入りしてくれないかな。
五島―武内ラインの社会党が衣替えしただけの県連組織から脱皮して欲しい。
大二郎はもう賞味期限切れかもしれないけど、
少なくとも次期衆院選の候補者選考に良い影響を与えることにはなるんじゃないかな?
5447
:
とはずがたり
:2009/09/05(土) 18:21:24
>>5445-5446
みんなへ行く決断を今回しなきゃいけなかったような気がしますね。。
来夏の参院改選は橋本系の広田なんで選挙区は難しいですよね。
みんなの比例から出ますかねぇ?
5448
:
神奈川一区民
:2009/09/05(土) 18:39:50
>>5447
みんなの党なら今からでも遅くないと思います。
喜んで受け入れると思います。
もちろん、来年の参議院選挙は比例区から出馬だ
と思います。でるとすれば。
みんなの党としては、比例区は橋本、選挙区は広
田でいいのではないでしょうか。
5449
:
山口新聞男
:2009/09/05(土) 19:06:33
高知で民主候補が復活できなかったのは
比例枠の数や他県との絡みもあるので
それ自体は、特に悲観することはない
タマの悪さは、考える必要があるけれども
ここに限らず自民が勝った県は、政治への不満が相変わらず
自民党にしか向かわないという構図を示している点もある
5450
:
とはずがたり
:2009/09/05(土) 19:32:57
>>5448
実現すれば来夏の参院選の目玉になるでしょうねー。
確かに4年も待てないので取り敢えずのラストチャンスでしょうかねぇ
田中甲や大二郎を揃えるとみんなの党で1〜2議席は確保出来ましょうかね。
>>5449
確かに惜敗率では知意ちゃんはそこそこ高めだし,1区も壮絶な三つ巴と山口さんのご指摘の通り選挙区事情もありましょうが,其れとは別にやはり代議士0のショックは大きい様な気がします。
参院議員2名に頑張って欲しい所ですが。
来夏の比例の地域候補に誰か高知から立てた方が良いかもしれませんな。
5451
:
名無しさん
:2009/09/05(土) 20:32:21
http://www.sanin-chuo.co.jp/tokushu/modules/news/article.php?storyid=514763217
衆院選・特集 : 乱のあと〜衆院選を終えて(5) 勝利にも足元不安定
大敗を受け、暗い面持ちで記者会見に臨む自民党幹部たち=8月30日、東京・永田町、党本部
多難な前途 「格差」への反省必要
「とにかく頭を下げ、『どぶ板』で歩くしかないわね」−。雲南市老人会連合会の古田明会長(88)=同市三刀屋町=は3日夕、島根2区で4選を果たした自民党の竹下亘氏の支援のお礼のため、自宅を訪ねて来た地元選出の上代義郎県議に上機嫌で語り掛けた。
古田氏は公示前に同会役員宅などを歩き、竹下氏の実績を訴えた。効果はてきめんだった。「来てくれたのか」と喜び、協力姿勢を示した90歳を超える老婦人もいた。
猛烈な逆風の中、「足で稼ぐ」を合言葉に、竹下陣営が展開した地上戦の徹底ぶりを物語った。
天王山の地盤の出雲市でも公示前、集めた数万人の後援会名簿を頼りに、200人が2人1組で地図を片手にアパートを回り、勝敗の鍵を握る若年層への浸透を狙った。
自民底力に震える
鳥取2区では、同党の赤沢亮正氏の陣営が最終盤になりふり構わぬ戦術に出た。支援企業の社員に対する知人30人への電話依頼も、一つだった。
「民主党候補は比例で復活するので、小選挙区は赤沢をよろしく」。その結果、約600票差で差し切った。
上田博久選対総本部長は「恥も外聞もない。考え得ることは何でもやるだけ」と語気を強めた。
その赤沢氏に敗れ、比例中国で復活当選した湯原俊二氏を支えた民主党鳥取県連の川上義博代表(参院・鳥取選挙区)は2日夕、都内で小沢一郎党代表代行(当時)と向き合った。小沢氏は「勝てると思ったけどなあ」と悔やみつつ「次(参院選)は勝てる」と断言したという。
ただ、いわば空前の民主党ブームに沸く中、自民党に屈し、現場が受けた衝撃は大きい。
「正直、何と言っていいか分からない」。8月30日の投開票日。湯原氏の傍らで、来夏の参院選・鳥取選挙区に出馬を決めている党県連の坂野真理副代表はうろたえた。
人海戦術に限界説
一方、敵陣が底力に震えた自民党側でも「いつまでも、こんな選挙はできない」と、人海戦術の限界説がささやかれる。
長年、組織を支えた主力は年々高齢化。支持層には依然、構造改革路線への反発もくすぶる。
衆院選の後半戦の24日夜。党島根県連の青木幹雄会長(参院・島根選挙区)のおひざ元の出雲市大社町内の路地の一角にある作業場に、30代〜60代の男女20人が集まった。
収穫物を詰める箱をひっくり返し、いす代わりにした輪の中心には、島根2区から出馬し、落選した国民新党の亀井久興氏の長女・亜紀子参院議員(同)が座った。
構造改革に不満を抱き、自民党を離党した農業の男性(62)の呼び掛けだった。電灯の下での農業問題などをめぐる議論は白熱し、午後10時近くに終わった。
2年前の参院選・島根選挙区の敗退を受け、党島根県連が設けた組織再生委員会の委員長を務めた萬代宣雄・JAいずも組合長も、今衆院選の勝利の足元の不安定さに警鐘を鳴らす。
「組織力で勝っただけ。構造改革で生じた格差が政策的にどう間違っていたのか、反省がない。原点から出直しが必要だ」
実際、自民党の都道府県連では、民主党への風より、「自壊」が真の敗因との見方が支配的だ。
にもかかわらず、再建への道標の端緒すら示せない党幹部への失望感は強い。4日に東京・永田町の党本部であった全国幹事長会議で、衆参国会議員の”空白区”となった滋賀、岩手両県連の代表者は悲鳴を上げた。
「国会議員がいない上、野党では、組織がじわじわ弱体化し、持たない」
切実な声に党島根県連の洲浜繁達幹事長は「島根は何とか勝ったが、人ごとではない」と言い残し、帰県の途についた。
=おわり=
5452
:
チバQ
:2009/09/05(土) 22:44:28
http://www.minyu-net.com/osusume/election2009/news/serial/hamon1.html
【 自民の衝撃 】
【 上 】
「解党的な出直し図る」
党勢回復へ険しい道のり
「自民党の政策が国民に伝わらなかった。解党的な出直しを図る」。衆院選の惨敗から一夜明けた31日午前、福島市の自民党県連会館で開かれた県連役員会で、県連会長の吉野正芳は、再起への決意を語った。吉野の傍らに座る県連役員の県議はみな硬い表情を崩さず、敗戦のショックの大きさをうかがわせた。
役員会に出席した県議の日焼けした顔が実質的に40日に及んだ選挙戦の激しさを物語った。県連は麻生内閣の支持率低迷など中央からの「逆風」を覚悟した上で選挙戦に臨んだ。商工や建設など長年の友好団体の引き締めなど、民主党を上回る組織戦を展開。県議を選対組織の中核に配置、市町村、郡にある総支部、支部票単位で票固めを図ったが、都市部を中心に無党派層の多くが民主に流れた。幹事長の斎藤健治は「民主党への風を素直に受け止めたい」と最大の敗因を認める。
大敗を喫した衆院選を総括、組織見直しなど党勢回復への方針を固めた自民党県連役員会=福島市、県連会館
衆院選の結果、自民は野党に転落するが、県議会の最大会派は自民のままだ。国政と県政との間でねじれが生じる。斎藤は31日の役員会で「来年の参院選、再来年の県議選の対応をしっかりしたい」と声を振り絞ったが、自民の衆院議員が比例復活を果たした吉野のみという状況の中で、党勢回復の道のりは険しい。
役員会では、吉野の会長続投を含む斎藤ら全役員の留任を了承した。今回の衆院選は結党以来初めて、県内の選挙区で議席を失う非常事態となったが、選挙の結果によって県連内で責任論や主導権争いがくすぶる状況にもない。ある県議は「ポスト争いをしている場合ではない。それこそ、県民に背を向けることになる」と県連内部の結束の必要性を強調する。
党勢回復に向けて、県連は年内をめどに、選挙運動の最前線に立つ総支部や支部の組織見直しに着手する方針を固めた。「抜本的見直しで来年の参院選に備える」と斎藤はいう。県連役員の一人は、県連と地方組織、支持者との関係について「声は届いているが血が届いていない」と話す。政権を失うことで党の友好団体の支持離れが懸念される中、組織の立て直しが党勢回復に向けた大前提だ。
◇
民主党が歴史的な大勝を収めた衆院選。県内でも「政権交代」の嵐が席巻した。今後の県政界に影響を及ぼすことは必至の情勢。衆院選の波紋を追った。
(文中敬称略)
−−− 2009年9月1日付〔福島民友新聞連載掲載〕 −−−
5453
:
チバQ
:2009/09/05(土) 22:45:10
http://www.minyu-net.com/osusume/election2009/news/serial/hamon2.html
【 民主の課題 】
【 中 】
「党支える地方組織を」
国政と「ねじれ」対応も
「県政発展のため、民主党議員として努力し、衆院選で得た県民の支持に応えていこう」。1日、県庁で開かれた民主党県議団会議で団長の渡部譲のあいさつに拍手が沸き上がった。県議団所属の県議は党所属の11人と民主系無所属1人の12人。会議に出席した県議それぞれの表情に衆院選勝利の自負が見え隠れした。
県連は、衆院選の目標として5選挙区での勝利と比例得票50万票以上を掲げた。連合福島との連携に加え参院福島選挙区の増子輝彦、金子恵美両参院議員、各県議の後援会を総動員し、小選挙区全員当選、比例得票で過去最多の約53万票の獲得を成し遂げた。
「政権交代の風」が民主への追い風となった今回の衆院選。県連代表の玄葉光一郎は、投開票日の30日に県連事務所で開いた記者会見で選挙戦を振り返り、「(県連)組織の底力はまだまだ足りない。逆風の選挙戦では吹き飛んでしまう」
県内全勝の結果を振り返り「国政とのパイプ役」との自覚を強めた県議団会議=福島市、県庁
と冷静に分析。候補者や支援する地方議員の後援会とは別に、党を支える地方組織の整備の必要性を挙げた。衆院で圧倒的な議席を獲得したが、県内では自民党のように市町村単位まで支部設置が進んでいない。玄葉は、党組織の脆弱(ぜいじゃく)さを課題に挙げた。
政権交代の風に乗った有権者の心理にも、今後の政権運営への課題が隠されている。ある県議は「選挙期間中に地元業者から『政権をとっても公共事業を減らさないでくれ』と頼まれた。『無駄な事業は無くしても生活密着の事業は無くさない』と切り返したが、理解を求めるのはなかなか難しい」と、マニフェストにある政策と、地元の本音との間にある「ねじれ」の存在を指摘する。
民主は衆院選を通し、政治と利権との「しがらみ」を断ち切る考えを訴えてきた。新政権の政策や理念が実際に地方へどのような影響を及ぼすのか、これまで自公政権を支持してきた各種団体は、民主との間合いの取り方に悩む。渡部は「各団体からはしばらく、いろいろな意見が出るだろう」と予想、県連が地方の声を中央に伝える「パイプ役」を果たす考えを示す。
県議会は依然、自民が第1党のままだ。県予算の編成などで自民が「ねじれ」を指摘し、対決姿勢を鮮明にすることも予想され、県連幹事長の中村秀樹は「勝利にうかれている暇はない」と表情を引き締める。
(文中敬称略)
−−− 2009年9月2日付〔福島民友新聞連載掲載〕 −−−
5454
:
チバQ
:2009/09/05(土) 22:45:57
http://www.minyu-net.com/osusume/election2009/news/serial/hamon3.html
【 選対の明暗 】
【 下 】
二大政党化、流れ加速
各党、存在感示す戦術課題
政権選択をかけた自民、民主両党の激戦に注目が集まった今回の衆院選。公明、共産、社民各党への支持は伸び悩み、県内でも二大政党化の流れが加速した。2日、衆院比例代表の県内得票を確定するため県庁で開かれた県選挙分会では、各党関係者がそれぞれの得票数を確認しながら、民主圧勝で終わった今回の衆院選の結果をあらためてかみしめた。
自民とともに連立政権を組んできた公明。県本部は1日、三役会を開き、5日の総会で選挙戦を総括することを決めた。代表の甚野源次郎は「手応えはあったが…」と首をかしげる。県内比例得票15万票を目標に自民との共闘作戦を展開したが、結果は目標を大きく下回る11万2000票余りにとどまった。「与党への批判が想像以上だった」と甚野。来夏には、参院選を控える。甚野は「野党になっても、マニフェスト(政権公約)実現に頑張る」と、捲土(けんど)重来を期す。
本県の政党別比例得票を確定した2日の県選挙分会。各党関係者があらためて「政権交代」に導く今回の選挙結果を確認した=福島市、県庁
比例東北1議席死守を目指した共産は雇用問題を強く訴え、都市部を中心に11市町村で得票数、得票率とも伸ばしたが、県全体の得票率は前回から0.39ポイント低下した。県委員長の最上清治は「激流の中で善戦健闘した」と総括。来年の参院選に向け「建設的野党」の立場を強調、青年を中心に党員を増員させるなど党勢拡大に力を入れる。
社民は、脱原発や改憲阻止などの政策を訴え、比例での県内7万2000票の獲得に向け、党員を中心に地道に支持拡大を図った。前回得票を約2千票上回る6万票余りを獲得したが、目標には届かず、県連幹事長の加藤雅美は「民主躍進の壁に阻まれた」と選挙戦を振り返る。
社民は2日の全国代表者会議で民主との連立協議の開始を了承した。野党から一転、政権与党の一員へと変わろうとしているが、加藤は県議会で民主、民主系無所属県議と組む会派活動を通し県政界で存在感を強めたい考えだ。
既存の主要政党が支持拡大に苦しむ中で、結党間もないみんなの党は、県内の比例票で共産、社民を上回る7万票を獲得した。支持政党がない無党派層の票を取り込んだとみられ、県本部代表の小熊慎司は「脱官僚や地域主権の実現、国政の第三極形成を求める声は確実にある」と指摘。新しい力を求める県内有権者の存在を確信する。
(文中敬称略)
−−− 2009年9月3日付〔福島民友新聞連載掲載〕 −−−
5455
:
チバQ
:2009/09/05(土) 22:58:58
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/miyazaki/feature/miyazaki1252052241321_02/news/20090904-OYT8T00794.htm
09衆院選 「風」のあと
<上>変革求める声大きく
良くならぬ生活、不満うっ積
「今の政治への不満を打ち破るには、政治を変えるしかないという空気が広がっていった」
衆院選の投開票から一夜明けた31日。宮崎1区で初当選した川村秀三郎(60)は、宮崎市の事務所で開いた記者会見で、日焼けした顔に安堵(あんど)の表情を浮かべ、勝因を語った。
川村は、民主、社民、国民新の3党や連合宮崎から推薦を受けた。「打倒自民」の旗の下、県議や市議らがフル回転。連合宮崎も幹部が選対に入るなど、非自民勢力が結集した。
こうした強固な組織の上に、「反自民」の追い風が吹き荒れた。
公示後、農村部で開かれた川村の演説会。自民党員の農業男性(75)は真剣な表情で耳を傾けていた。「自民党は口ばかり。農家の実態を知らない」。終了後、男性は不満をぶちまけ、川村支持を公言した。
陣営は、業種を限らず幅広く支持を求めた。ある幹部が、保守層が多いとされる農家や医療関係者、建設業者を訪ねると、次々に知人を紹介された。選対本部長に医療関係者が就いたことも、周囲を驚かせた。
「変えたい、という県民の強い意欲を早くから感じた。その声が衰えず、盛り上がった」
川村が実感した県民の意思は今、現実のものになった。
◇ ◇
比例選九州ブロックで当選した民主党新人の道休誠一郎(56)が挑んだ2区。自民党前議員の江藤拓(49)が約4万票差で3選を決めたが、江藤陣営は最後まで肝を冷やし続けた。
8月上旬、延岡市北浦町で開かれた道休と語る会。これまで自民党と江藤を応援してきた漁業の男性(78)の姿もあった。
「生活が良くならず、今までの自民党のやり方に不満がある。民主党に1回やらせてみたい」。会議後、男性はそう打ち明けた。
選挙中、江藤陣営は「延岡は(道休に)負けとる」「風が見えず、不安だ」と、焦燥感を募らせた。
江藤にとって、前回の衆院選を2区で戦った上杉光弘(67)の得票を、今回どれだけ取り込めるかが焦点だった。
しかし、実際に有権者の動きはつかめず、陣営幹部は「市部でも道休がかなり浸透している」と顔を曇らせた。江藤は早朝のつじ立ちや自転車でのあいさつ回りなど、新人さながらの「どぶ板選挙」を余儀なくされた。
戦いを終えた31日未明。「宮崎は自民党の牙城であることに変わりはない」。道休は、保守王国といわれる宮崎で自民党の壁の高さを改めて実感した様子で振り返った。
しかし、立候補表明から1年もたたない中、道休が積み上げたのは約8万2000票。2区でも、“変革”を求める胎動が始まっている。(敬称略)
(2009年9月1日 読売新聞)
5456
:
チバQ
:2009/09/05(土) 22:59:47
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/miyazaki/feature/miyazaki1252052241321_02/news/20090904-OYT8T00798.htm
09衆院選 「風」のあと
<中>繰り返す自民の分裂劇
政争の絶えない現状打破を
「この責任は誰が取るんですか」
衆院選が投開票された30日夜、上杉光弘(67)の宮崎市の事務所。重苦しい雰囲気を破って、男性が憤りの声を上げた。
前国土交通相の中山成彬(66)が不出馬を撤回し、自民党の分裂選挙となった1区。上杉の選対本部長を務めた外山三博は「自民党は一本。県議、宮崎市議も一致団結している」と訴え、分裂イメージの払拭(ふっしょく)に躍起になった。
陣営は、外山を筆頭に5人の県議を選対本部長とする異例の態勢で臨んだ。300を超える団体・企業が推薦。県農民連盟はJAの支店に九つの事務所を置き、県建設業協会も支えた。
それでも、上杉への支持は広がらなかった。
投開票日の前日、宮崎市跡江の家畜市場で開かれた最終決起大会。「必勝」と書かれた鉢巻きをした約3000人(陣営発表)が会場を埋めた。しかし、その場にいた建設業の男性(65)に、上杉に投票するかを尋ねると、小さく首を横に振った。「どっちにしろ公共事業は減る一方だから」
6度の当選を重ねた中山は、衆院が解散した翌日に立候補を表明。だが、自民党県連の公募で擁立が決まった上杉への同情も加わり、「出ないと言っていたのに出るのか」との批判にさらされた。
陣営は自営業者ら「熱狂的ファン」(陣営関係者)を中心に、草の根の選挙運動を展開。妻で参院議員の恭子と二人三脚で遊説を重ねた。
しかし、民意の関心とは違う次元で、上杉と中山のいさかいは激しさを増した。
「上杉さんは川村(秀三郎)さんに勝てない。党の調査で結果が出ている」「県連は1区のことに口を出さなくていい」。中山はためらいもなく言ってのけた。
「相手は川村さん」と言い続けた上杉陣営も途中から一転。「中山さんが混ぜくっている」「負けるわけにはいかない」と敵意をむき出しにした。
結果は、閣僚経験がある2人の得票を足しても、川村に及ばない惨敗だった。
県連内には、正式手続きを経て選んだ上杉を公認しなかった党本部への不満がくすぶる。上杉のスタッフからは、「県連が2人を調整できなかったからだ。こっちは(苦戦が)わかっていても、やらなきゃいかんのに」との声も漏れた。
一昨年の知事選や参院選、さらに今回と、選挙の度に分裂を繰り返してきた宮崎の自民党。来夏の参院選に向けて今後、党県連の候補者選びが本格化する。再来年1月には知事の任期も満了する。
ある会社社長は政争の絶えない現状を、こう切り捨てた。
「地方では派閥でぶつかり合っているようじゃ駄目だ。党派を超え、いろんな人と一緒にやっていける人を推す」(敬称略)
(2009年9月2日 読売新聞)
5457
:
チバQ
:2009/09/05(土) 23:00:28
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/miyazaki/feature/miyazaki1252052241321_02/news/20090904-OYT8T00801.htm
09衆院選 「風」のあと 一覧
<下>各政党に迫られる改革
政権選択注目で埋没感
民主、自民の両党を軸に、「政権選択」に注目が集まった衆院選。民意を受け止めるうえで、2党以外の政党の存在意義も問われた。
◇ ◇
「これで勝てなかったら、いつ勝てるんだ」
社民党が3区で擁立した松村秀利(52)の敗北を知った支持者の1人が、力なくつぶやいた。
陣営は反自民の強力な追い風を受け、非正規雇用問題への取り組みなどを積極的にアピールした。推薦した民主党代表の鳩山由紀夫は7月末、事務所に足を運び、「公認並みに応援する」と激励。「従来の支持者に加え、無党派層も取り込める最善の布陣」(陣営幹部)を敷いた。
だが、選挙区の5市3町すべてで、当選した自民党の古川禎久(44)に完敗し、自民批判票をすくい取ることはできなかった。「2大政党化を迎えた今、もはや小政党に意味はないんじゃないか」。長年の支持者の嘆きは深い。
民主、自民両党が激しく争った中で、埋没感は否めないが、「雇用安定や護憲など、他党にない政策は多い」と、松村に揺るぎはない。「6万票近い負託は、保守地盤を切り崩す一つの礎になった。今後も党独自の方針を主張し続ける」
◇ ◇
公明党県本部のある幹部は7月、政権与党に向けられた厳しさを痛感した。
「何で応援せんといかんと」。長年支持してくれた会社社長の一言に面食らった。これまでとは対応が一変し、支援を要請する理由を尋ねる支持者も相次いだ。
比例選の得票は、目標の11万5000に約1万及ばなかった。「構造改革の痛みと、世界的な経済不況への不満が一気に噴出した」と、県本部代表の長友安弘は振り返る。
「支持者の中には、リストラされた人や倒産した人もいるようだ。民主党に流れたかもしれない」
◇ ◇
共産党が1区の公認候補とした馬場洋光(40)。選挙後、「自公政権を終わらせるという目的は達成された」と語った。
終盤を迎えた8月24日、宮崎市の繁華街で開いた街頭演説会。党幹部も駆けつけ、雇用や福祉政策で与党批判を展開すると、中高年の支援者ら聴衆の反応は予想以上だった。
だが、ふたを開けてみると、前回衆院選からの上積みはわずか2400票。党県委員長の津島忠勝は「現状を変えたいという人が、(衆議院)議員が少ない共産党でなく、民主党に投票した」と分析した。
◇ ◇
歴史的な選挙戦を終え、それぞれに自己改革を迫られた各党の模索は続く。(敬称略。終わり)
(2009年9月3日 読売新聞)
5458
:
チバQ
:2009/09/05(土) 23:35:31
>羽田皓市長は、洋一氏の出陣式や個人演説会でたびたび、「中核市の礎を築いてくれたのは喜一先生。洋一先生は喜一先生の思いを引き継ぎ、福山を更に飛躍させてくれる唯一の人」と評価。
鞆の浦の件といい、どうにかしろよ、亀井系でだれかいないのか?
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/hiroshima/news/20090831-OYT8T01438.htm
王国激震 宮沢家三代の光と影 洋一氏衆院選落選
福山の発展に尽力80年 自民への逆風実績訴え実らず
今回の衆院選では約80年続いた宮沢王国に激震が走った(8月13日、福山市金江町で) 歴史的な政権交代を引き起こした今回の衆院選。全国各地で強力な地盤を誇る自民の有力者が落選する中、広島7区(福山市)でも、自民の宮沢洋一氏(59)が敗退。祖父の裕(ゆたか)・元衆院議員(1884〜1963)、伯父の喜一元首相(1919〜2007)、洋一氏と三代、約80年続いた代議士の牙城「宮沢王国」に激震が走った。福山市の発展にも深くかかわった王国の<光と影>を、選挙戦の舞台裏も交えて2回に分けて紹介する。
公示を5日後に控えた8月13日朝。洋一氏は本籍地の福山市金江町を家族と訪れた。ブドウ畑のそばにある裕氏の生家を過ぎ、裏山の裕氏が眠る墓に向かった。
お盆の墓参りは久しぶりだった。墓前で静かに手を合わせ、深々と頭を下げた洋一氏は、「長い歴史に育まれ、自分がここに生きていることを実感した」と語り、集まった親族らを前に「選挙の重みを感じる。何とか勝ちたい」と決意をみなぎらせた。
裕氏は、農家に生まれ、苦学して東京帝大に進んだ。内務大臣秘書官などを経て1928年(昭和3年)、立憲政友会の公認を得て旧広島3区(現7区を含む)で初当選。その後、政治家の道は長男の喜一元首相、次男の弘氏(元法相、県知事)に受け継がれた。弘氏の長男である洋一氏は喜一元首相の地盤から2000年に初当選した。
今の福山市を語る上で、宮沢王国の影響は無視出来ない。特に喜一元首相は、日本鋼管(現・JFEスチール西日本製鉄所)の誘致に始まり、JR福山駅の高架化、同市緑町の「サンピア福山」誘致など都市基盤整備に力を入れた。喜一元首相が参院議員に初当選した1953年(昭和28年)の福山市の人口は約7万人だったが、合併も経て爆発的に増加し、今や47万人の中核市に発展した。
こうした姿勢は洋一氏も受け継ぎ、JR福山駅前広場整備や鞆町の港湾埋め立て・架橋事業、福山港国際コンテナターミナル整備など、重要な懸案では福山と国とのパイプ役を務めてきた。
羽田皓市長は、洋一氏の出陣式や個人演説会でたびたび、「中核市の礎を築いてくれたのは喜一先生。洋一先生は喜一先生の思いを引き継ぎ、福山を更に飛躍させてくれる唯一の人」と評価。ある保守系市議も「福山から宮沢さんがいなくなったらどうなるのか。何も出来んようになる」と洋一氏の実績を強調してきた。
自民への逆風にさらされた今回の選挙戦。「自民は負けても、福山から宮沢の灯を消すな」と力説する陣営幹部もいた。選挙戦で洋一氏は、喜一元首相に触れることはほとんどなかったが、29日夜、金江町で行われた最後の個人演説会では「思い出すのは喜一のこと。喜一も厳しい選挙はあったが、すべて勝ち抜けてきた。力を与えてほしい」と呼びかけた。
だが、その願いもむなしく、王国の歴史は翌30日の投開票で大きなショックに見舞われることになる。
(2009年9月1日 読売新聞)
5459
:
チバQ
:2009/09/05(土) 23:50:38
>「党に対する期待を裏切る行為だ」。今月1日、衆院選に全面協力した支持団体の連合茨城は、長谷川修平幹事長に、比例代表の候補者選定を巡る不満を文書で申し入れた。公示直前に党本部主導で比例名簿が決まり、連合系候補が入らなかったことへの不満が背景にある。
連合は具体的に比例下位候補を提示していたってことか?
http://mainichi.jp/area/ibaraki/news/20090905ddlk08010190000c.html
激震「自民王国」の崩壊:圧勝の民主内に亀裂 /茨城
衆院選は民主党の大勝に終わり、県内でも国政の勢力図を塗り替えた。改選時の1人から、比例単独を合わせて一気に9人の衆院議員が誕生し、県連が当初掲げた「過半数で勝ち、県内から政権交代」という目標を大きく上回った。しかし、高まる有権者の期待に組織機能が追い付かないのが実態で、民主党県連も地域基盤の強化と組織刷新が突き付けられている。
「党に対する期待を裏切る行為だ」。今月1日、衆院選に全面協力した支持団体の連合茨城は、長谷川修平幹事長に、比例代表の候補者選定を巡る不満を文書で申し入れた。公示直前に党本部主導で比例名簿が決まり、連合系候補が入らなかったことへの不満が背景にある。連合幹部は「不透明な決め方は自民党の専売特許だ」と怒りが収まらない様子で、政権交代に酔う県連にクギを刺す。
保守王国の中で、民主県連は常に「労組頼み」との評価が付きまとってきた。だが、今回の小選挙区の当選者のうち労組出身は大畠章宏代表のみで、保守系から無党派層まで支持基盤の広がりを示した。長谷川幹事長は、県医師連盟や郵政政策研究会など保守系支持団体の協力で「自民党支持層を切り崩せた」と分析する。連合の不満は、肥大化する県連の中で存在感が薄まることへの危機感の表れとも言える。
支持組織との関係を重視する余り、知事選で候補者擁立を断念した点は、県連内部にもしこりを残した。衆院3区で返り咲きを果たした小泉俊明氏は「(知事候補を)立てたら圧勝していた。これだけ地殻変動が起きてるのに、立てられなかった県連の責任は大きい」と声高に非難する。しかし、民主候補を支持した元保守系地方議員は「知事候補を出していれば関係はこじれていたはず」と、衆院選への集中を勝因の一つに挙げる。
組織内外の不満を内包しながら、来年には参院選、県議選が控える。特に国会議員の数を下回る県議選対策は喫緊の課題だ。長谷川幹事長は「県議会でも政権交代を目指す」と全選挙区での候補者擁立を目標に掲げる。
5選を果たした橋本昌氏との関係も焦点となる。橋本氏は1日、連合幹部にあいさつに訪れた際、「これから議会運営が難しくなる」と県議選にも言及し、「支援」を求めた。
連合幹部は「政権交代した後に県議選で有権者に選択肢を示せないと、知事選より影響は深刻だ」と懸念。「(人選は)自民からのくら替えも含めて考える」と早くも県内の「政権交代」を臨んだ揺さぶりが始まっている。【山崎理絵、八田浩輔】
5460
:
チバQ
:2009/09/06(日) 00:03:10
>>5408
改
100を切っている富山と島根は国民新党の影響ですね。
民主全滅の高知が四国4件で比例率が一番高いのが興味深い
309 :無党派さん:2009/09/05(土) 23:53:48 ID:kFaYoQ7p
>>300
比較的公明(の比例票)が多いにも拘らず、自公票と民主単独票の差は500票ほどだった。
しかも今回は比例復活も含めて民主候補者は全員当選。
あと和歌山は野党票が比較的民主に集中したのも大きいと思うよ。
>>298
宮城県は伊藤宗一郎元衆院議長の地盤4区や三塚博元蔵相の地盤も取ったからなあ。
安住淳や参議院桜井は左団扇だな。
暇なので
>>292
を地方ごとに分けてみた。
北海道 :北海道167
東北地方:岩 手244>宮 城173>福 島165>青 森146>山 形133>秋 田130
関東地方:埼 玉185>神奈川171>東 京161>栃 木161>千 葉158>茨 城151>群 馬124
甲信越 :長 野207>新 潟173>山 梨164
北陸地方:石 川124>福 井107>富 山*99
東海地方:愛 知196>三 重184>静 岡158>岐 阜151
近畿地方:大 阪194>兵 庫183>京 都182>奈 良164>滋 賀162>和歌山159
中国地方:広 島144>岡 山138>鳥 取118>山 口100>島 根81
四国地方:高 知154>徳 島147>愛 媛132>香 川120
九州地方:長 崎143>福 岡131>熊 本127>佐 賀125>大 分121>宮 崎116>鹿児島112
沖縄県 :沖 縄218
全国平均:全 国158.67
5461
:
名無しさん
:2009/09/06(日) 00:26:59
福島でもこの結果。
>みんなの党が共産、社民を上回る健闘を見せた。
>県内唯一の候補者として4区で出た小熊慎司・党県連代表は「自民に不満、民主に不安、という人の受け皿
>になった」と述べ、既存政党に飽き足らない層の支持を得たとみる。この勢いで党勢拡大を図る構えで、小熊
>氏は「参院選が主戦場」と位置づける。国政だけでなく、市町村議会でも議員誕生をめざしている。
http://mytown.asahi.com/fukushima/news.php?k_id=07000000909050006
http://mytown.asahi.com/fukushima/k_img_render.php?k_id=07000000909050006&o_id=5659&type=kiji
現在位置:asahi.com> マイタウン> 福島> 記事
みんなの党に「あぜん」、参院選が正念場
2009年09月05日
比例区の政党別得票数
●民主と自民以外の各党、存在感発揮いかに
今回の総選挙で、民主、自民以外の政党は埋没し、苦戦を強いられた。公明、共産は比例区での得票率を前回総選挙より落とし、社民はほぼ横ばい。一方で、公示約1週間前に生まれたみんなの党が共産、社民を上回る健闘を見せた。来年夏の参院選に向け、各党は2大政党に対してどう存在感を示していけるのか。(吉田素子、村上晃一)
●自民への厳しい風当たり
公明党は5日、県本部で党議員34人による会議を開き、選挙結果を振り返った。
県内の比例区での得票目標は15万票で、東北から2議席の獲得をめざした。結果は約11万2千票で1議席。甚野源次郎・県本部代表は「手応えはあったが、結果は厳しいものだった」と総括。自民党との選挙協力について、「連携して選挙活動ができたことは評価できるが、自民への風当たりが厳しかったこともあり、結果につながらなかった」との見方を示した。
●みんなの党が予想以上の得票
今回の比例区の結果で関係者を驚かせたのは、みんなの党の予想以上の得票だ。党の結成は、公示日の約1週間前。それが県内比例区で約7万票を取った。十分な組織がない政党なのに、労組などに強い支持基盤を持つ共産、社民の両党の得票を上回った。
県内唯一の候補者として4区で出た小熊慎司・党県連代表は「自民に不満、民主に不安、という人の受け皿になった」と述べ、既存政党に飽き足らない層の支持を得たとみる。この勢いで党勢拡大を図る構えで、小熊氏は「参院選が主戦場」と位置づける。国政だけでなく、市町村議会でも議員誕生をめざしている。
●得票数、抜かれた共産は「あぜん」
みんなの党に得票数を抜かれ、共産党県委員会の最上清治委員長は「あぜんとした」と驚きを隠さない。自民、民主に満足しないが、社民、共産には共感しない層が、みんなの党に流れたとみている。
共産党は民主政権に対し、政策別に是々非々で臨む「建設的野党」の立場。参院選でいかに支持拡大を図るかが課題で、今後は政策ごとに推進や反対の署名を集めたり、地方議会で意見書を採択したりして存在感を高める。
●社民は2千票増、若者の支持が課題
社民党は前回を約2千票上回ったが、民主への追い風のあおりで東北では福島以外の全県で比例区の票が前回より減少した。加藤雅美県連幹事長は「これまでの支持者を固めて票の上積みができた」とする一方で、「若者への広がりがなかった」と振り返る。2大政党に飽き足らない層の票を、みんなの党に持っていかれた点も反省材料だ。
国政では民主との連立協議が進み、埋没しないための独自性が必要になる。県議会でも民主と同一会派を組むが、原発のプルサーマル問題などでは独自の立場を主張し、党の存在感向上を図る。「参院選に候補者を出さなければ民主にのみ込まれる」。加藤幹事長はそう語り、候補者選考を進める考えだ。
5462
:
名無しさん
:2009/09/06(日) 12:07:07
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20090906ddm002010098000c.html
仙谷・民主元政調会長:自民に「エール」 「吉田自由党復活に学べ」
混乱の末、総裁選の日程(18日告示、28日投票)だけは決めた自民党だが、後継選びは遅々として進まない。告示まで2週間を切った5日、山本一太参院議員は自身のブログにこうしたためた。「『新総裁』が『総裁選で応援してくれた仲良しグループ』で『戦闘力のカケラもない執行部』を作ったらそこで終わりだ。その時は『多くの議員』が自民党を見限るだろう」
党再生の出発点でもたつく自民党。民主党の仙谷由人元政調会長は同日午前の民放番組で「吉田自由党が復活する、(そのときに)何をしたかという歴史を勉強された方がいい」と皮肉混じりに助言した。1947年の衆院選で敗れた吉田茂首相の自由党は続く片山哲、芦田均内閣での野党時代に人材育成に励み、長期政権の基礎を築いた。史実にならうことはできるか−−。
公明党は山口那津男政調会長の代表起用を手早く固め、8日から新執行部がスタートする。
5日の民放番組に出演した高木陽介選対委員長は政権交代直前の官僚の「駆け込み天下り」が話題に上ると、すばやく反応した。「そういった部分が今回の選挙で厳しく指弾された。民主党政権が(天下り規制を)やると言っているから、この部分は協力してやっていきたい」。民主党との距離を縮め始めている。
5463
:
名無しさん
:2009/09/06(日) 12:26:57
http://www.toonippo.co.jp/tenchijin/ten2009/ten20090906.html
民主党を衆院選圧勝に導き、政権交代を実現させた最大の功労者である小沢一郎氏が党幹事長になる。鳩山由紀夫代表が起用を決断した。来月には、静岡と神奈川で参院補選がある。来年は参院選が控える。「鳩山政権」は、これらを乗り切らなければならない。国会対応と選挙を仕切る役として、小沢氏が適任ということだろう。
剛腕と称される小沢氏は、衆院選で多くの新人を当選させた。小沢氏を中心にした議員グループは膨張した。数を背景に小沢氏が影響力を行使しようとすれば、政権内に摩擦が起きる可能性も。権力の「二重構造」を懸念する声が早くも上がる。小沢氏は、党務に徹してはどうか。鳩山代表の指導力も問われる。
鳥取県知事を2期務めた片山善博氏が、自民党の下野は遅すぎたと指摘する(4日付本紙)。政権政党として最も大切な資質と、それを生かす気概を既に失っていたと。資質とは、きちんとした内閣をつくり、官僚組織を切り盛りする能力。だが大臣は党内事情を優先して任命され、その「品質管理」も怠った。
「国会答弁が一人前にできない大臣のなんと多かったことか」と手厳しい。国会答弁まで世話になっては、官僚をリードできるはずがない。問題解決の方針や目的を示し、実行するための省庁人事もできない。
民主党は、官僚主導の政治から脱却すると主張する。政策決定を内閣の下に一元化すると約束した。党の主要幹部を閣内に入れるようだ。「自民党の教訓」を生かせるかどうか。
5464
:
名無しさん
:2009/09/06(日) 12:28:50
http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2009090600025&genre=A1&area=K00
http://www.kyoto-np.co.jp/static/2009/09/06/P2009090600025.jpg
民主、府内58万票超、衆院選比例代表
得票率40%台、第1党
京都府内の比例代表得票率の推移
8月30日に投開票された衆院選比例代表の京都府内の得票で、民主党が過去最高の58万7742票を獲得し、2007年参院選に続いて第1党を維持した。有効投票数に占める得票率も民主が初めて40%台を超えた。一方、ほかの主要政党は軒並み前回衆院選から下がり現行制度で最低の水準に落ち込んだ。
民主が発足して初めて国政選挙に臨んだ1998年参院選の得票率は約19%で共産、自民に次ぐ府内第3党だった。しかし、自由党と合併した後の2003年衆院選では約35%に伸び初の第1党に躍進した。以降、郵政選挙で敗れた前回衆院選を除き国政選挙でトップを維持してきた。
■他政党 軒並み最低水準
政権交代を果たした今回の選挙で、府内6選挙区中5選挙区を制し、比例でも2位の自民に約26万票の大差をつけ、現行制度で京都の政党としては初の50万票台にのせた。得票率も42・02%で前回衆院選から一気に約12ポイント伸ばし、自民を約19ポイント引き離した。
一方、府内選挙区で1議席にとどまり、惨敗した自民は比例得票でも前回から約16万票減の32万3295票。得票率も前回から約12ポイント減の23・11%。「小泉ブーム」で圧勝した01年参院選は約36%で民主に約20ポイント差をつけたが、与野党で逆転された07年参院選に続いて23%台と伸び悩んだ。
民主、自民の二大政党対決の構図に埋没した共産、公明、社民の3党は比例でも苦戦した。
比例近畿で解散前の3議席を維持した共産は、府内の得票数で前回から約1900票増の19万5161票としたが、目標の30万票には届かなかった。得票率も13・95%にとどまり、第1党になった98年参院選からほぼ半減した。
公明党は自民との連立以降、最多得票だった前回から約1万6千票減の14万2636票。得票率も10・2%と2けた割れ寸前となった。
社民党は4万9740票で前回から約1万7千票減らし、得票率は3・56%と伸び悩んだ。
5465
:
名無しさん
:2009/09/06(日) 15:57:19
「小沢一郎・17年戦争」
http://news.nifty.com/cs/magazine/detail/asahi-20090903-01/1.htm
5466
:
チバQ
:2009/09/06(日) 19:02:55
http://mainichi.jp/area/ishikawa/news/20090901ddlk17010576000c.html
09衆院選石川:地盤崩壊/上 1区 個人対決の陰で、政策論はどこへ /石川
有権者の審判が下った。県内3選挙区の獲得議席は民主2、自民1。能登は半世紀で初めて野党候補が当選するなど、固く厚いはずの自民の岩盤をついに割った。一方、自民側も強い逆風下で森喜朗元首相が薄氷の勝利をつかみ、他候補は比例で復活した。激震の県内選挙区で何が起きていたのか。各区の戦いを振り返る。
30日深夜、金沢市二口町の民主・奥田建氏(50)の事務所。自民・馳浩氏(48)の猛追をかわした奥田氏は「何でもありの戦いだった」と振り返った。戦いは4度目。県庁所在地の全国各1区で民主が圧勝する中、金沢は接戦になった。
校区や業界単位で後援会を張り巡らせ、選挙戦の手足になる集票網。それは70〜90年代の「森奥戦争」で築かれた。旧石川1区(定数3)の2大実力者、森氏と奥田氏の父敬和氏との争いである。奥田氏は敬和氏急逝で「奥田党」地方議員の強固な地盤を受け継いだ。馳氏も選挙になれば、実動部隊は市内の自公県議、市議らが務める。争いは続く。
今回の選挙。有権者は骨太の政策論争を望んだ。だが……。
民主党が大型公共事業を見直すといえば、馳氏は「政権交代なら14年の北陸新幹線金沢開業はない」。27日には鳩山由紀夫代表が、金沢駅前での演説であえて「そんなことはない。ご安心を」とアピールしたが、具体的な議論にはならなかった。
逆風下、馳陣営はビラを作った。「私は雑草」「金沢の『世襲』には負けられません」とあった。党対決より2世議員の奥田氏との個人対決に持ち込む戦略。対して「民主の奥田」で政権交代を唱え続ける奥田氏。最後までかみ合わなかった。
さらに、自民側は民主批判の文書を大量にまいた。「民主党=日教組に日本は任せられない」「マスコミのウソにだまされるな」。これには演説の聴衆も「批判ばかり」と眉(まゆ)をひそめた。
政権選択への関心の高まりは、投票率や期日前投票の高さが証明した。期日前に来たある男性(65)は言った。「投票日に行くと町内の知り合いがいて、やれ誰が来た来ない、とうるさいから」。地縁血縁や業界縁での票集めは、敬遠されつつある。
比例復活を果たした馳氏は31日未明、「何でも反対の野党でなく、立場の違いを超え、実りある国会運営の力になりたい」と語った。中傷を超えた本格的な論戦が有権者と政治をつなぐことになる。【野上哲】
5467
:
チバQ
:2009/09/06(日) 19:04:11
http://mainichi.jp/area/ishikawa/news/20090902ddlk17010703000c.html
09衆院選石川:地盤崩壊/中 2区 相手罵倒と懇願の元首相 /石川
「意地だよ、意地」。小松市の事務所前。2区での辛勝の感想を求められ、自民・森喜朗元首相(72)が上気した顔で言った。投票日の夜、日付はもう31日になっていた。民主新人、田中美絵子さん(33)との差は4469票。有効投票数のわずか2%だ。
陣営幹部は「今までは7割の力で勝てた」と言う。今回は、元首相自ら2区にへばり付いた。数十年、見られなかった光景だ。大手機械メーカーや団体もフル稼働し、当選13回の固い地盤の上に丹念に票を積み重ねた。
公示前日の自身のブログでは、逆風を「自民党自身に起因する」と反省していた。それが、公示日には態度が一変。「女性を売り物に媚(こ)びを売るだけならどこかの劇場でやればいい」。大勢の支持者の前で相手を罵倒(ばとう)した。激烈な批判は次から次へ飛び出し、最終盤まで続いた。「本人は美しいと思っているのだろうが、ポスターは修正してあるらしい」「意志のない人身御供みたいなもの」
「私を助けて」と懇願もした。足を骨折した妻智恵子さん(72)も頭を下げ、悲壮感を漂わせた。30年来の男性支援者は目をそむけた。「元首相の言葉じゃない。そんな判断さえできなくなった」。男性は初めて民主党を支援した。
◇ ◇
一方の田中さん。昨年9月の出馬表明以来、朝夕の辻立ち、個別訪問、街頭演説を繰り返した。工夫はないが、衆院解散が長引くにつれ、知名度は上がった。マスコミがこぞって書き立て、終盤は「時の人」となった。
2区も不況は深刻だ。小松市ではコマツが創業地での工場閉鎖を決定。加賀温泉の旅館も廃業が目立つ。白山市の農村部で若者の姿を見ない。小松市の園芸店の女性(49)がぶちまけた。「自民は政権交代したらダメになると言うけど、じゃあ今まで何だったの? 選挙が待ち遠しい」
変革への期待の風。田中さんは軽々と乗っかり、いつの間にか元首相を追いつめた。森元首相に言わせれば「得体の知れない」風だった。従来型の選挙の終わりを告げる、絶妙な表現でもある。【栗原伸夫、近藤希実】
5468
:
チバQ
:2009/09/06(日) 19:04:56
http://mainichi.jp/area/ishikawa/news/20090903ddlk17010718000c.html
09衆院選石川:地盤崩壊/下 3区 能登の心つかんだ誠実さ /石川
◇しがらみ政治に愛想
民主の新人、近藤和也さん(35)は七尾市の事務所で、初当選の万歳を繰り返した。保守王国の分厚い壁についに風穴を開けた「8・30」の夜。「このままじゃいけない、何とかしなければ。その思いが一つになった」。歓呼で応える支援者。「能登の新しい歴史を作りたい」。熱狂は最高潮に達した。
12市町にまたがる3区は中選挙区時代、自民候補同士がしのぎを削っていた。小選挙区になった96年以降も、地元首長や県議が選対本部に入り、圧倒的な組織力で6〜7割の得票率を占めた。
そこに登場した近藤さんは新鮮だった。演説の内容がマニュアル通りだと指摘されれば、自分の言葉に直すまじめさ。その場の雰囲気を察知する柔軟性と強い信念がある。
「40年ほどこの世界にいるけど、これほどの逸材を見たことがない」。こう評す県議の桜井広明さんは、近藤さんの応援のために県議会会派「新進石川」に入り、3区の選対本部長代行として汗を流した。
国民新、社民、連合石川、個人後援会−−。立場を異にする4組織がこぞって協力し、無党派層が多い七尾市で票の取り込みに成功した。
◇ ◇
激戦に敗れ、比例で復活当選した北村茂男さん(63)。前回05年の衆院選で瓦力さんとの間で党の公認調整が難航した経緯がある。その瓦さんは今年7月、引退表明し、近藤さんに近づいた。組織の出足も鈍かった。
北村さんは、なじみの薄い能登南部まで頻繁に足を運んだが、焦りは顔色にも出て、周囲を心配させた。「今、心から動転いたしております」。選挙戦中盤の先月22日、顔をそろえた首長や県議の前で力なく言った。
理由はさまざまだろうが、能登の有権者から見れば、しがらみだらけの政治に愛想が尽きたのだろう。この夏、近藤さんは鬼籍に入った能登出身の自民国会議員を墓参している。北村さんを支持する先輩の自民県議に、あいさつにも訪れた。こうした誠実さを能登の人は待ち望んでいたのではないだろうか。【澤本麻里子】
5469
:
チバQ
:2009/09/06(日) 19:28:43
http://mainichi.jp/area/kagoshima/news/20090903ddlk46010735000c.html
選択の波紋:09年衆院選かごしま/上 与野党逆転 /鹿児島
◇自民「風」に抵抗むなしく 風穴開け勢いに乗る民主
「財源を示さない無責任な公約だ」
12選を目指した自民前職、保岡興治氏(70)は各地で民主のマニフェスト批判に熱弁をふるった。選挙戦終盤の8月24日夜、鹿児島市西田であった演説会。耳を傾けた男性(52)は「民主批判ばかり。自民が何をしたいのか分からん」。会場には空席が目立ち、熱弁は空回り気味だった。
毎日新聞など各マスコミは、民主が300議席を超す「圧勝」の情勢を伝えていた。自民への「逆風」が吹き荒れた衆院選。過去4回、民主との激戦を制した鹿児島1区でも有権者の「自民離れ」は顕著だった。
自民の選挙のお家芸は、“動員”だ。県議、市議らの後援会などをフル回転させ、参加を呼びかける。演説会の聴衆の数は、運動のバロメーターとされるが「前回の半分ぐらい」と陣営幹部はこぼす。ある自民市議は「自分の後援会でも『今回は民主党』という人が増えた」と明かす。
最終日の29日、親交がある俳優、杉良太郎さんと街頭演説。「どうか助けてください」。保岡氏が必死に叫んだが、携帯電話で撮影した杉さんの写真に見入るだけの女性も。
「何をしても猛烈な『風』には抗しきれなかった」。陣営幹部は、ため息をついた。
◇ ◇
「皆さんに支えられ、何とか乗り切れた」
30日夜、小里泰弘氏(50)は、選挙事務所に集まった後援者に頭を下げた。民主新人猛追をわずか「2711票」差でかわしての再選。4万票差で初当選した前回05年とは全く様相を異にした。
選挙戦中、演説会などでは作業服姿の建設会社員らの姿も目立った。父貞利氏が築いた強固な地盤。「小里」ブランドの力で、議席を死守した形だ。
96年の小選挙区以降、自民が連続4選を果たしたのは1、3、4区。1区は民主前職に、3区は国民新元職に奪われた。自民県連幹部は「4区を守ったことが大きい」と胸をなで下ろす。自民にとって「1勝2敗」。小選挙区での「与野党逆転」だけは食い止めた。
3選挙区の中で4区の小里氏だけが当選したのは、支持基盤の「厚さ」などわずかな差にすぎない。そこですら、「一度(いっど)どま変えもんそ」と変革を訴えた民主新人に、比例復活当選を許した。すでに自民の“牙城”ではない。
◇ ◇
民主県連代表の川内博史氏(47)。「『風』ではなく『地殻変動』が起きた」と表現する。
民主は、小選挙区では、1区、川内氏の「1勝」にとどまったが、2、4、5区とも過去最多得票。その甲斐(かい)あって3新人も比例復活で当選。推薦した国民新は3区で当選した。5人には、「自民王国」に風穴を開けた自信があふれる。
◇ ◇
与野党逆転となった衆院選は、県政界にも激震をもたらした。民主を中心とした連立政権誕生を目前に控え、鹿児島でも新たな動きが出始めている。来夏の参院選への備えも。「選択」の波紋を追った。【衆院選取材班】
5470
:
◆ESPAyRnbN2
:2009/09/06(日) 22:56:16
>>5460
近畿は和歌山まで含めて、全府県全国平均以上ですか。
元々自民が弱い(が公明・共産が強い)のもあって、急速に民主王国化が進みました。
それを各論的に説明する記事が
>>5464
ですね。
98参院選では、共産党が第一党だったのか。凄いな、京都。
>>5467
> 今回は、元首相自ら2区にへばり付いた。数十年、見られなかった光景だ。大手機械メーカーや団体も
> フル稼働し、当選13回の固い地盤の上に丹念に票を積み重ねた。
> (中略)
> 2区も不況は深刻だ。小松市ではコマツが創業地での工場閉鎖を決定。
コマツはどこにいくのだろう。
5471
:
名無しさん
:2009/09/07(月) 00:23:29
http://mainichi.jp/select/opinion/jidainokaze/news/20090906ddm002070076000c.html
時代の風:衆院選と「空気」=精神科医・斎藤環
◇破壊と再構築の時代へ
8月30日に投票が行われた第45回衆議院議員選挙は、民主党が308議席を獲得する圧倒的勝利に終わった。
細川政権以来16年ぶりという非自民政権の誕生は、しかし一部を除いて熱狂とは無縁だったように思われる。オバマ政権誕生に際してのアメリカ国民の熱狂ぶりとはかなり対照的だ。率直な感想を言えば、どこか「ヴァーチャル選挙」めいてもいた。
マスコミをはじめ誰もが民主党の勝利を予想し、予想を裏付けるべく投票所に向かい、予想以上の開票結果を目の当たりにした爽快(そうかい)感と、「ちょっとやりすぎたかな」という一抹の不安を覚える。
そこに「山を動かした」という熱狂はない。むしろ「政権交代という空気」だけが勝手に動いたような印象もあり、奇妙なほど現実感が欠けている。それは私たちばかりではなく、大量当選した新人議員たちにとっても同様なのではないか。
「マニフェスト選挙」と呼ばれた今回の選挙で、果たして本当にマニフェストは問われたのか。その圧勝に見合うほど、民主党のマニフェストは支持されたのだろうか。あるいは政策よりも「空気」が重視されたとしたら、それはどこから来たのだろうか。
空気のみを重視する視点からすれば、民主党圧勝の功労者は2人いる。第一に小沢一郎氏、第二に小泉純一郎氏である。
小沢氏の功績は、なんといっても94年の選挙制度改革にさかのぼる。細川内閣のもとで小選挙区制の導入を強力に推進したのが小沢氏だった。著書「日本改造計画」でも主張されているように、政治にダイナミズムを持ち込む2大政党制を目指す小沢氏にとって、政権交代が起こりやすくなる小選挙区制こそが理想だった。
導入当初は大政党、すなわち自民党を利するばかりだと批判された小選挙区制だったが、導入から15年にして本当に政権交代を実現してしまった。いまやシステム設計者としての小沢氏の先見性は否定すべくもない。
5472
:
名無しさん
:2009/09/07(月) 00:23:41
>>5471
それでは小泉氏の「功績」とは何か。今回の選挙結果は、むしろ小泉政治の負の遺産に対する反動そのものではなかったか。確かにそのような見方も可能だ。しかし「政策」ではなく「空気」のほうに注目するなら、別の解釈も可能になる。
小泉改革以降、政治をとりまく「空気」は決定的に変化した。その変化を支えたのは政治のあいまいな閉塞(へいそく)を破壊したいという人々の衝動だった。小泉氏は一人のトリックスターとして、その「破壊」が本当に可能であることを示してしまった。「自民党をぶっ壊す」という彼の宣言は、一種の時限爆弾となって8年後にさく裂したのだ。
今にして思えば、05年の衆院選における自民党の圧勝こそが、すでに崩壊の予兆だった。あのとき勝ったのは「自民党」ではない。「守旧的な自民党を破壊したい」という気分が勝ったのだ。当時の小泉氏の勢いは、現在の民主党以上に過激にみえた。
格差社会の元凶とされがちな小泉内閣だが、私は必ずしも同意しない。統計データに基づくなら、格差の拡大は90年代後半の現象であるという。むしろ小泉内閣が破壊しようとしたのは、旧態依然の「55年体制」そのものだった。
小泉氏は利益誘導型の口利き政治と金権腐敗、族議員の跋扈(ばっこ)する利権構造、政官癒着の温床となっていた事前審査など、それまでの政治における伝統的手法を完膚なきまでに破壊しつくそうとした。「郵政民営化」はそのシンボルにすぎない。
当時、人々が喝采(かっさい)したのは小泉氏の政策内容に対してではない。「改革という名の破壊」の爽快。その劇薬の味に人々は酔った。それゆえ今回の選挙結果は、小泉改革の反動にはどうしてもみえない。そこにあるのはむしろ、4年前と同じ気分の反復だ。
小泉改革を支えたのは、彼の強烈なキャラクターであり、その人気はいまだ根強い。小泉以降の安倍、福田、麻生それぞれの内閣が、キャラの弱さゆえに短命に終わったのもやむを得まい。
彼らは「改革」を引き継げぬまま迷走を続けた。改革の内容を、ではない。破壊も辞さないような「改革への衝動」が、彼らには欠けていた。ふたたびかつての伝統的手法にしがみつこうとする自民党の面々をみて、人心が離れるのはもはや必然だったろう。その伝統をまるごと一掃せよ。それが人々の答えだったのではないか。
それゆえ最も懸念されるのは、民主党の幹部クラスに小沢氏、鳩山由紀夫氏、岡田克也氏など、自民党の旧田中派に縁のある政治家が多いことだ。果たして民主党は“田中的”な利益誘導型政治と、完全に決別できるのだろうか。
2度も劇薬の味を知ってしまった人々の信頼をつなぎとめるには、「素晴らしいマニフェスト」よりも「過激な政治的意志」のほうが重要だ。その背景には、あいまいな均衡と安定よりも、ダイナミックな破壊と再構築が待望される時代へという「空気」の変化がある。果たして民主党は、どのように「空気」を入れ替えるのか。今後の動向に注目したい。=毎週日曜日に掲載
5473
:
名無しさん
:2009/09/07(月) 04:39:00
http://mytown.asahi.com/saitama/news.php?k_id=11000000909040003
政権交代@埼玉/自民党への「お灸」
2009年09月04日
◇官抑え政治主導で/総選挙結果こう見る 成田憲彦・駿河台大学長
自民党の歴史的大敗、民主党単独過半数に終わった今回の総選挙。16日にも鳩山首相が誕生するが、細川内閣で総理大臣秘書官を務めた、成田憲彦・駿河台大学長に選挙結果の受け止め方や新政権の課題などを尋ねた。
――有権者の動きを、どうみますか
今回の総選挙は、地域の固有の問題よりも、日本の政治全体をどうするか、という文脈で争われた選挙だった。自民支持層が崩壊し、「今回は民主党に入れる」という流れは、首都圏・大都市部も含め全国的に共通している。
冷戦と高度経済成長に支えられた自民党は、90年代にその使命が終わったにもかかわらず、策謀と腕力で政権を維持してきた。小泉元首相による延命も、その後の政権放り出しや無責任さで限界を露呈した。自民党の敗北はいまの実力と言っていい。
――埼玉では民主党が擁立した14選挙区で全勝。自民党は15選挙区で全敗。この結果をどうとらえますか
民主党圧勝のように、一方に大きく振れる現象は、現代政治の特徴だ。日本は「同質社会」な上、マスメディアの影響や小選挙区の比重が大きく、特にその傾向が強い。民主党の政策への支持がそれほど高くないことを考えると、有権者は、自民党の体質や慢心に「お灸(きゅう)をすえなければ」という点を、判断材料として優先したのだろう。大都市部である埼玉は、その典型的なパターンを示した。
――細川内閣の総理大臣秘書官の経験を踏まえ、新しい政権の課題は
新政権は、政治主導の官邸がつくれるかが課題だ。官房長官や国家戦略局の担当大臣の人事などで、官僚に抑えがきく人材がいるのか注目される。
政策では、日米関係や国際会議など、待ったなしで迫る外交の対応が試金石になるだろう。予算編成もどう工夫するのか。マニフェスト(政権公約)に掲げた政策の財源を作り出すために予算をカットする部分を、国民に納得させられるかも問われる。
細川・羽田内閣を除けば、本格的な政権交代は半世紀ぶりなだけに、移行期の「段差」は大きく、当初は少しガタガタすると思うが、国民は大目に見た方がいい。
――注文は
民主党は、数におごらず、熱い志を失わないでほしい。選ばれた議員は、一部のための利益誘導ではなく、大多数の生活者と結びつかないといけない。
今回は、国民が声をあげれば、政権が代わることを初めて示した選挙だ。有権者は、絶えず政治をチェックし、機能しなければ代えるという選択肢を、有効に使っていくことが大切だ。
◆なりた・のりひこ 駿河台大学学長 46年生まれ。国立国会図書館政治議会課長を経て、93〜94年に細川首相の政務秘書官を務める。07年から現職。著書に「官邸」など。専攻は日本政治分析、比較政治学。
5474
:
名無しさん
:2009/09/07(月) 04:43:35
http://mytown.asahi.com/yamanashi/news.php?k_id=20000000909060003
現在位置:asahi.com> マイタウン> 山梨> 記事
落選の“小泉チルドレン”2人、初の週末
2009年09月06日
民主党が歴史的勝利を収めた総選挙が終わり、初の週末となった5日。4年前のブームから一転、落選の憂き目にあった「小泉チルドレン」は、何を思い、どう過ごしたか。2人の元候補者の表情を追った。(岡戸佑樹、床並浩一)
■再起の姿勢崩さず
「皆様の声援があったのに、力及ばなかった」
1区で落選した赤池誠章氏は5日午後、甲府市内の事務所で、約50人の支持者を前に頭を下げた。選挙対策本部の解散式。出席者一人一人と握手をする赤池氏に、「まだ若い。ピンチはチャンスだ」「もう一度、がんばれ」と激励の言葉がかけられた。
前回05年の「郵政選挙」では、自民公認候補として国政に4度目の挑戦。小泉ブームという追い風を受け、民主現職に約5千票差まで迫り、比例復活で念願の初当選を果たした。ところが今回は一転、逆風が吹き荒れる中、民主候補に約4万5千票の大差をつけられ、落選した。
「この1週間、敗北の反省をしてきた」という赤池氏。投開票日の翌日、早速、街頭演説に立った。あいさつ回りや、東京の議員会館の片付けにも追われた。5日も、午前中から支持者を回り、夜は無尽会に出席した。
今後も国政復帰を目指し、政治活動を続けていくつもりだ。「4年間の議員生活は、精いっぱいやってきたので悔いはない。また地元を回り、自分の思いを伝えていきたい」と決意を新たにする。
連日のあいさつ回りは、3区で民主候補に敗れた小野次郎氏も同様だ。この日も鰍沢町などを歩いた。夕方から、自宅のある北杜市の地区選対幹部の会合に顔を出した。行く先々で、おわびと礼の言葉を繰り返す。
初当選からの4年間を支えてくれた公設・私設秘書や事務員ら7人のほとんどが近く事務所を去る。しかし送別会を開く時間的な余裕もなかった。小野氏は「政治活動を持続可能にするため、やむを得ない。(スタッフを減らし)夫婦で頑張らないといけない」と苦しい胸中を明かす。
「小野よろず相談室」「ジローのおしゃべりサロン」「次郎塾」……。バッジは失ったが、これからも事務所で市民に向き合い、勉強会を開いていくつもりだ。「政治家ではない素顔の部分も知ってもらいたい」と話す。
「小泉チルドレン」の肩書がついて回る小野氏。党内からも行き過ぎだったと総括される「小泉改革」について、「改革の全否定は日本の変革を遅らせることになる」と心配する。その一方、選挙演説では「改革」の連呼を控え、地元の利益を熱く語った。今後の自身の課題も「地元との距離を縮めること」。政治家としてのスタイルを変えようと、模索を始めた。
次期総選挙での返り咲きを目指す赤池、小野両氏。だが、党県連の目線は優しくはない。
ダブルスコアに近い差で民主候補に大敗した2人では、「次も難しい」との声がある。地元の県議会議員や旧来からの自民党支持者は、路地裏を回って顔を売る「ドブ板」型の運動が、両氏には足りないと不満を口にする。
党県連幹部の1人は「街頭演説で自分の主張を訴えるだけでは勝てない。どこまで本気でドブ板に取り組むか。そこを見極めたい」と語った。
5475
:
名無しさん
:2009/09/07(月) 06:11:26
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20090907ddm001010045000c.html
日本が変わる:農政トライアングル崩壊(その1) 自民族議員、次々落選
◇後ろ盾、失った農協 「今更、民主に乗り換えも…」
東京・大手町のJA(農協)ビルで3日に開かれた全国農業協同組合中央会(全中)の理事会は、重苦しい雰囲気に包まれた。
「今更、民主党に乗り換えるわけにもいかない。これからは政党に頼らず『農民党』の立場で政府にものを言うことが大事だ」
17人いる理事の一人、江西甚昇・富山県農協中央会長がそう力説したものの、民主党政権にどう渡りをつければいいのか打開策は浮かばなかった。結局、理事会は新政権の出方を見極めることを確認しただけで散会した。
その4日前、全中の茂木(もてき)守会長(長野県農協中央会長)は冨士重夫専務理事や元専務理事の山田俊男自民党参院議員らとJAビルで衆院選の開票速報を見守っていた。
総合農政調査会長の谷津義男元農相(群馬3区)、農業基本政策委員長の西川公也氏(栃木2区)、農林水産物貿易調査会長の二田孝治氏(秋田1区)ら自民党の有力農林族が次々と落選。「農林幹部会」と呼ばれる党内非公式会合のインナーメンバーのうち、残ったのは加藤紘一元幹事長や宮腰光寛農林部会長らごくわずかだった。「これから大変だ」とつぶやきながら、茂木氏らは午前3時過ぎにJAビルを後にした。
農協組織にとって農林族議員は頼もしい存在だった。08年6月には穀物飼料の価格高騰に苦しむ畜産農家を救済するため総額738億円の緊急対策を農林水産省にのませた。今年2月、石破茂農相が米価の下落につながる「減反(コメの生産調整)選択制」を導入しようと動いた時には、谷津氏ら幹部会メンバーが石破氏を呼びつけ、09年度中は減反の枠組みを変えないよう約束させた。
一方、農協と民主党との関係は最悪だ。民主党は08年11月、農協に政治的中立を義務づける農協法改正案を国会に提出。参院で可決後、衆院で審議未了のまま廃案になったが、全中は「農協敵視政策」だと猛反発した。同法案は「農業者戸別所得補償政策」を掲げ、07年参院選で農村票をさらった民主党の自信の表れでもある。
今回の衆院選で全中は、民主党がマニフェスト(政権公約)に当初盛り込んだ「日米自由貿易協定(FTA)締結」への抗議声明を出したり、緊急集会を開くなどした。しかし、FTA推進論者の小沢一郎代表代行は「農協がわいわい言っているが、全くためにする議論だ」と取り合わず、全中の神経を逆なでした。小沢氏の言動には、全中と自民党が深く結びついていることへのいら立ちがある。
農協と自民党農林族、農水省の3者は互いに依存しながら戦後日本の農政を担ってきた。組合員総数943万人。農産物・資材の年間取扱高は総合商社に匹敵する7兆円余り。巨大組織・農協にとって民主党政権の誕生は「農政トライアングル」の崩壊を意味する。
08年産米の生産過剰で下落基調の続く米価対策、年末の予算編成へ向けた予算・税制要求、そして2010年中の合意を目指す多角的貿易交渉(ドーハ・ラウンド)への対応。農協が利害を反映すべき課題は山積している。「重要な政策決定で蚊帳の外に置かれてはたまらないが、状況を打開する妙案もない」。全中幹部の憂うつは深まるばかりだ。
毎日新聞 2009年9月7日 東京朝刊
5476
:
名無しさん
:2009/09/07(月) 06:45:21
http://mainichi.jp/select/seiji/09shuinsen/news/20090907ddm012010002000c.html
ネガティブキャンペーン:衆院選 自民党、注目集めて票集まらず…?
「政権選択」を争点に民主圧勝、自民大敗に終わった衆院選。各党とも今回もインターネットを使ったPRに力を入れたが、中でも大きな注目を集めたのは、自民党が積極的に展開した民主党へのネガティブキャンペーンだ。米国では頻繁な選挙戦術の日本での効果を検証した。【岡礼子】
■「政治活動」と
「僕に交代してみないか。子育ても教育費もOK、高速も乗り放題」−−。鳩山由紀夫・民主党代表に似た顔の男性がささやく甘い言葉に、女性が「お金は大丈夫?」と不安げに応じるインターネットのアニメーション。そのあとに、「根拠のない自信に人生を預けられますか」とナレーションが続いた。
自民党が公式サイトに開設した「日本の未来が、危ない」というコーナーで、だれでも閲覧できる選挙向けアニメCMの一つだ。鳩山氏似の男性が登場するアニメCMは3作あり、冒頭は「プロポーズ編」。動画共有サイトのユーチューブでは3本合わせて130万回以上、再生された。
自民党はサイトに民主党批判のアニメCMとパンフレットをアップし、パンフレットは自由にダウンロードできるようにした。サイトでは「甘い政策で国民を欺き、本心をひた隠す民主党の実態」と厳しく批判。「労働組合が日本を侵略する日」「民主党には秘密の計画がある」などと不安をあおった。自民党は「これまでは自民党が批判を受ける一方だったので、民主党のおかしさを知らせるために始めた」(広報本部)と説明する。
ネットの利用者に受け入れられている動画を取り入れるべきだとの声が自民党内から上がり、実写と合わせて制作を決めた。テレビCMに比べ、コストがかからないことも利点の一つだったという。05年の前回衆院選までは法定ビラ以外の文書配布を禁じる公職選挙法に配慮して、公示後はホームページを更新しなかったが、自民党は「総務省はネットを使った選挙活動は認めていないが、政治活動は認めている。政治活動の範ちゅう」と更新を続けた。
■低い好感度
有権者はどう受け止めたのか。東京都内の投票所で聞いたところ、無職男性(66)は「非難するばかりじゃだめ」と厳しい。大学院生の男性(27)は「野党と逆転したみたい。ここまできたかと思った」とあきれた様子。このほか、「知らない」「(投票には)関係ない」といった声が目立った。主婦(37)は「若者向けに分かりやすくしていると思った」と話すが、好意的な意見は少数だった。
ネットマーケティングを手がけるカティサーク(東京都)の押切孝雄社長は「セミナーで紹介すると、鳩山氏似の顔の登場人物がずっと出ているので、民主党のCMかと思ったという人がいる。政党を意識せずに見た人も多いのではないか。逆に民主党に注目を集める結果になったとも考えられる」と指摘する。
これに対して、党内からは「選挙が終わってみれば結果は芳しくなかった」(広報本部)との声もあり、麻生太郎首相は先月31日の会見で「選挙戦で効果はあったか、なかったか。両方だ。一概に悪かったとも言えないし、一概によかったとも言えない。ネガティブキャンペーンを主にやって当選した人もいる」と述べるのが精いっぱいだった。
民主党は泥仕合を避けて、取り合わなかった。
■「永田町学院小学校の太田くん」反響−−公明「ユーモアで」
公明党は今回、テレビCMをやめて、代わりにネットを重視する戦略をとった。同党ネット企画部によると、テレビCMは1本15秒と短い上に、コストがかかり何本も流せない。しかし、ネットは低コストで動画を流せ、見る人も関心を持って検索しているケースが多く、主張が届きやすいと考えた。「多くの有権者にとってネットが不可欠になっているので広く伝えられるのでは」という。
「永田町学院小学校」のまじめな「太田くん」が登場する動画など、実写とアニメを含め16本を公開。ガラスを割った同級生が、やったのは誰かと問い詰められ「秘書が……」と言い訳するものが注目された。党ホームページのウェブムービー欄では、「太田くん」には、お坊ちゃま育ちで「マンガ好き」の同級生がいると紹介していた。動画は「マニフェストに掲げた『清潔政治を実現』を、ネット向けにユーモアを加味して表現したもので、ネガティブを狙ったものではない」。
票に結びついたかどうかは検証方法がないが、党のホームページだけで計約100万回再生されるなど一定の効果はあったと分析。しかし、敗北を受け「次回のCM戦略は再検討したい」としている。
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5477
:
名無しさん
:2009/09/07(月) 06:47:01
>>5476
早稲田大大学院教授で、政策動画を掲載する「e国政」を運営する早大マニフェスト研究所長の北川正恭氏と、選挙プランナーで、コンサルティングを手がけるアスク社長の三浦博史氏に、今回の選挙のネット戦略について聞いた。
◇ネット戦略、進化これから−−早大大学院教授・北川正恭さん
最近の選挙ではマニフェストが重視され、企業や団体ではなく一般有権者に訴えなければならない。インターネットは伝達手段の一つになった。ネガティブなものもポジティブなものも、ネットを使ったキャンペーンは広がっていく。
自民党のネットCMはその一つの兆しではないか。ネットの影響力にようやく気がついて、ネガティブキャンペーンに乗り出したのかもしれないが、戦略的なキャンペーンには見えない。マニフェストなどと合わせ、一貫したキャンペーンが打てれば、ネットCMも投票に結びつく。
今回は、急に思いついてこわごわ展開したという印象で、ネガティブキャンペーンとしては中途半端だった。若干プラスになったかもしれないが、すでに政権交代の大波が来ていたこともあり、「さざなみ」程度の影響だったのではないか。もっとウイットが利いて格好いいとか「まいった」とひざを打つような内容なら、少しは違ったかもしれない。批判パンフレットの方はセンスが悪い。CMは毒にも薬にもならないが、パンフレットは毒になる。
ネットを使ったキャンペーンはスタートしたところで、進化はこれからだとみている。ネガティブなものだけでなく、政策動画のようなポジティブなキャンペーンも、もっとうまくなっていくだろう。
◇信頼取り戻す努力が先では−−アスク社長・三浦博史さん
ネガティブキャンペーンの本質は、事実に基づいて相手を攻撃することで、別に悪いことではなく、日本でも普及しつつある。
自民党は96年の衆院選で、当時野党の新進党に対して新聞広告で見事なネガティブキャンペーンを展開した。消費税3%の公約について、新進党がかつて増税論を主張していたことを揶揄(やゆ)してそれは成功した。しかし、今回は失敗だ。ネガティブPRで自民党の票はさらに減ったと思う。票田だった農林水産業や高齢者の支持を失っていたのに、信頼を取り戻す努力をせずに民主党を批判するのは戦略として間違っている。
唯一、ネットのアニメCMは良かった。ネガティブであってもユーモアがあった。インターネット利用者に対しては、戦術を分けた方がいい。勤労者が多く、自民党の支持層は少ない。どちらかと言えば民主党が強いが、それ以上に圧倒的に無党派層が多い。そこでネガティブキャンペーンを展開しても自民党の票は減りにくい。ネガティブキャンペーン発祥地の米国では、選挙戦略に基づいたネット戦術があり、動画配信やブログによる口コミでネガティブキャンペーンを展開するケースが急増している。大統領選でも、候補者の行動を一つ一つ対比させ、勝たせたい方をほめ、負けさせたい方を批判する、という戦術をブログなどを使って無数に展開した。
毎日新聞 2009年9月7日 東京朝刊
5478
:
名無しさん
:2009/09/07(月) 09:06:53
>>5477
三浦博史は、なに中立ヅラしてネガキャン肯定してるんだ…
5479
:
名無しさん
:2009/09/07(月) 20:49:13
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00162461.html
民主・鳩山代表に「期待」63.8% 「民主党の議席多すぎる」も3分の2近くに FNN世論調査
次の首相に指名される民主党の鳩山代表に「期待する」人が6割を超える一方、今回の衆議院選挙での「民主党の議席は多すぎると思う」とする人も3分の2近くにのぼることが、FNN世論調査でわかった。
6日までの2日間、全国の有権者1,000人から回答を得た電話調査によると、16日に首相指名を受ける見込みの鳩山代表に「期待する」人は63.8%で、麻生内閣の支持率14.9%の4倍以上となった。
小沢氏の幹事長への起用は、「納得できる」人が5割を上回った(52.1%)が、鳩山・小沢両氏が政治献金問題で「説明責任を果たしたと思わない」人は、4分の3を超えた(76.3%)。
衆院選の結果に「満足している」人は6割(60.0%)だが、「308」に達した民主党の議席が「多すぎると思う」人は66.0%にのぼる。
「結果に満足している」人の中でも、5割以上の人(52.5%)が「多すぎる」と答えた。
一方、「119」にとどまった自民党の議席については、「少なすぎると思う」人(48.9%)が、「思わない」人(45.9%)をわずかに上回った。
「民主党の勝因」として過半数の人が挙げたのが、「与党の政策や政治姿勢への批判」(52.8%)で、「民主党の政権公約」(29.2%)の倍近くにのぼる。
一方、「自民党の敗因」では、「麻生首相の判断や言動」がトップ(29.5%)で、「党の実績への評価」(28.9%)が続く。
与野党で「首相にふさわしい人」では、鳩山代表(22.6%)が、総裁選「不出馬宣言」をした自民党の舛添厚労相(13.1%)を上回り、岡田「次期外相」(8.4%)、石破「現農水相」(5.5%)と続く。
麻生首相を挙げた人は、1.6%だった。
自民党が、来週の首相指名の前に「新総裁を決めておくべきだった」と思う人は5割を超え(55.1%)、「いずれ与党に復帰すると思う」人は7割近くにのぼる(68.1%)が、2010年の参院選で勝たせたいのは「民主党などの新しい与党」とした人が、ほぼ6割だった(59.1%)。
民主党が掲げた政策について、「実現すべきと思う」人が多かったのは、「政治と官僚の関係の見直し」(87.5%)、「予算の編成や執行の見直し」(87.4%)で、「インド洋の海上自衛隊の撤収」(36.4%)、「高速道路の原則無料化」(26.1%)では、「実現すべきと思わない」が上回っている。
民主・社民・国民新3党の連立協議については、「期待できると思わない」人が「思う」人を上回り(47.8%対42.6%)、「一番期待する政権」では、「民主・自民両党が参加する大連立政権」(38.1%)がトップだった。
(09/07 11:53)
5480
:
名無しさん
:2009/09/07(月) 23:06:23
なかなかオモシロイ。確かに滋賀は衆参自民ゼロなので。
もしかしてすでにイチローが手をつっこんだのかな。
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2009090700854
県議会・自民会派が分裂=衆院選敗北で−滋賀
滋賀県議会で最大会派の「自民党・湖翔クラブ」(19人)に所属の中堅・若手ら11人が7日、会派を離脱した。11人は別の会派と合流し新会派を結成、自民系が分裂する事態となった。衆院選では、同県内の全4小選挙区で自民候補が敗北しており、離脱した県議の一人は「従来の自民党のやり方では、県民の負託に応えられない」としている。
自民党・湖翔クラブは、嘉田由紀子知事が掲げた大戸川ダム(大津市)の建設凍結に反対するなど、反知事の立場を取ってきた。新会派に移った県議は「是は是、非は非で対処していく」としている。このほかにも、同クラブからは別の議員が離脱の構えを見せている。
自民会派の分裂により、同県議会では「民主党・県民ネットワーク」(16人)が最大会派となった。(2009/09/07-22:31)
5481
:
名無しさん
:2009/09/08(火) 05:13:38
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/shimane/news/20090908-OYT8T00007.htm
民主党不支持呼びかけ? 益田市副市長が残暑見舞い 市職員あて
益田市の椋木和雄副市長が、衆院選で特定の政党への不支持呼びかけと受け取られかねない内容の残暑見舞いを市職員らに送っていたことが7日、わかった。取材に対し、「残暑見舞いに自ら思う政治信条に触れたのは確かだが、働きかけの意図はない」と話した。
9月定例市議会の一般質問で、山根哲朗議員が残暑見舞いの写しを示して真意をただした。文書には「暫定税率廃止を訴える政党では、(山陰道の)早期整備の見通しが不透明」「マスコミが圧勝を予想している政党に対し、地域の声としてノーを突きつけることこそ、選挙に対してのあり方」と書かれ、民主党不支持を呼びかけたとも読める。
椋木副市長は「あて名がないのであれば、私の文書だと確認できない」と答弁。一方、閉会後の取材には、「読み上げられた内容と同じ考えを持っている。市管理職らへの残暑見舞いにそのことも触れた」と返答。「(地位のある立場からの)プレッシャーと受け止められたのであれば、私の不徳の致すところ。注意が足りなかった」とした。
(2009年9月8日 読売新聞)
5482
:
名無しさん
:2009/09/08(火) 20:50:01
>>5481
益田は島根2区、間接的に国民新党の亀井に投票しないよう呼びかけたのかな
一部地方だと、国民新党=民主党=社民党で民主党や国民新党を社会主義政党であるような
ネガティブキャンペーンを自民党はしたらしい
5483
:
チバQ
:2009/09/08(火) 21:00:55
http://www.raijin.com/kikaku/2009syuin/db/database.cgi?cmd=dp&num=258&dp=
(2009/09/01 掲載)
《攻防の軌跡 09衆院選(1)》
民主にしたたかな戦略 “風”受け無党派に攻勢
民主党が政権交代を確実にした衆院選。長らく「自民王国」とされてきた県内でも、民主が小選挙区で3議席を獲得し、比例代表と合わせて6人が当選する大躍進を遂げた。一方の自民党は閣僚、党本部の要職などを歴任した重鎮が小選挙区で次々と敗れ、議席が半減する敗北を喫した。何が民主、自民の勝敗を分けたのか―。選挙結果を振り返った。
◎都市型選挙
「新しい日本をこの前橋の地から切り開かせてください」。選挙戦最終日の29日夜、民主新人の宮崎岳志氏の絶叫が前橋市・広瀬団地に響くと、ベランダに住民が次々と姿を現し「そうだ」「頑張れ」と声援を送った。懐中電灯を振ってエールを送る人、自転車で次の遊説先に向かう宮崎氏の後ろ姿に手を振る女性も。「こんな光景は見たことがない」。地方選を含め過去7回、選挙カーのハンドルを握った経験を持つ男性スタッフは、追い風の強さに衝撃を受けたという。
今回の民主は都市部での支持拡大が顕著だ。比例代表の得票数を見ると、民主は県内12市のうち沼田、渋川、富岡を除く9市で自民に勝利。特に前橋、太田では1万8千票前後の差をつけた。郡部でも都市化が進む吉岡、玉村両町と平野部の邑楽郡5町で上回った。
「4年前は見向きもされなかった地域でも窓を開けて手を振ってくれた。風を実感した」と3区の柿沼正明氏。「古い政治に対する不満と変化への期待を感じた」と振り替える。
鍵を握ったのは、有権者に街頭で直接訴える都市型選挙を積極的に取り入れ、後援会員らがそれぞれの地縁、血縁に支持を求める組織中心の選挙と一線を画したことだ。2区の石関貴史氏は民主候補の中で唯一連合の推薦を求めず、自転車遊説による選挙戦を徹底。地元の伊勢崎よりも相手の地盤である桐生地域に多く入って支持を訴え、桐生地域での勝利につなげた。
4区の三宅雪子氏も1日50回のつじ立ちなどを続け、出馬会見から1カ月で福田康夫前首相に約1万2千票にまで迫った。「票が伸びたのは追い風だけではない。小泉チルドレンとは違う」と胸を張る。
こうした戦術に、これまで以上に無党派層が敏感に反応した。上毛新聞社と共同通信社が20〜22日に行った世論調査で、民主候補は1〜4区で無党派層の約3割の支持を固め、自民候補に10ポイント以上差をつけた。
1区では、従来、自民の支持基盤だった前橋市医師会の会員300人のうち70人が後援会を組織して宮崎氏を支援するなど、自民の支持基盤の切り崩しも効果を発揮した。比例の得票数で見ると自民、公明が前回から合わせて11万票減らす一方、民主は13万票近く上乗せした。
ただ「次の選挙はこんなに追い風は吹かない」と三宅氏。近くフジテレビを退社し、生活の拠点を県内に移す。「4区に根を張る」覚悟だ。柿沼氏も「民主の大勝はうれしさよりも責任を強く感じる。群馬の自民はまだまだ力がある。民主県連全体でしっかり力をつけたい」と気を引き締める。
5484
:
チバQ
:2009/09/08(火) 21:01:22
http://www.raijin.com/kikaku/2009syuin/db/database.cgi?cmd=dp&num=259&dp=
(2009/09/02 掲載)
《攻防の軌跡 09衆院選(2)》
頼みの郡部も票伸びず 組織型選挙に限界 市町村議減少が直撃
◎自民退潮
衆院選から一夜明けた31日朝、県庁西隣の自民党県連事務局が入る県政会館に、沈痛な面持ちの所属県議が次々と集まってきた。自民惨敗を受け、県連立て直しを協議するため急きょ県議団総会が開かれた。自民は3回連続で県内小選挙区5議席を独占してきたが、今回はわずか2議席。ある中堅県議は憔悴(しょうすい)しきった様子で話した。「やれることは、すべてやったのに」
今回の自民の小選挙区での得票は5小選挙区合計で約54万7千。投票率が上がったにもかかわらず前回に比べて約6万4千票減らした。民主党が強いとされる市部だけでなく、頼みの郡部でも自民の票は伸びなかった。
得票減の理由に、市町村合併に伴う市町村議の激減が指摘されている。
自民の国政選挙は、支援県議や市町村議がそれぞれの後援会員の票を固めた上で、地縁、血縁に投票を呼び掛けてもらい票を上積みしてきた。ところが、1998年4月に70市町村に1341人いた市町村議は、「平成の大合併」を経て36市町村683人(今年8月の条例定数)にほぼ半減。議場を去った多くが自民支持の議員だった。
陣営によっては市町村議のOBを駆り出して組織を補修したが、候補本人や市町村議の後援会員の高齢化も重なり、機動力の低下に歯止めをかけることはできなかった。こうした状況下、県議にこれまで以上に集票の重圧がかかった。南波和憲県連幹事長は「国政選挙だったが、まるで県議選のようだった」と振り返った。
組織選挙の象徴とも言える動員型の集会も効果が薄れてきた。自民候補の総決起集会に参加した男性は「会社から言われてしぶしぶ参加した人も多い。こんなムードの中で、汗かいてくれと言われても」とうつむいた。
高い投票率が予想される中、各陣営とも無党派層の取り込みに腐心した。2区の笹川尭氏は三輪バイク遊説を導入。携帯電話で若者に支持を呼び掛ける陣営もあった。パフォーマンスが苦手とされる4区の福田康夫氏は選挙戦最終日の29日、高崎・城南球場でのプロ野球BCリーグの始球式にバッターで登場。観客に手を振って支援を求めた。
保守層を固め、王国を築いてきた自民。地殻変動に危機感を募らせる。
「組織戦ではこれ以上できないところまで頑張った。無党派層の取り込みを真剣に考えなければ、来年の参院選も大変なことになる」。県議団総会後、ベテラン県議は顔をこわばらせた。
5485
:
チバQ
:2009/09/08(火) 21:01:47
http://www.raijin.com/kikaku/2009syuin/db/database.cgi?cmd=dp&num=260&dp=
(2009/09/03 掲載)
《攻防の軌跡 09衆院選(3)》
「小選挙区は自民」学会が徹底 終盤効果も逆風強く “次”へ若手擁立期待
前橋市内で行われた尾身幸次氏の決起集会
◎自公連携
「『恋に焦がれて鳴く蝉(せみ)よりも、鳴かぬ蛍(ほたる)が身を焦がす』という都々逸(どどいつ)がありますが、私は『鳴けぬ蛍が身を焦がす』という思いです」
選挙戦終盤の27日夜、決起集会で来賓の公明党県議が全面協力を約束した直後にマイクを握った1区の尾身幸次氏。自身を都々逸のホタルになぞらえ、コスタリカ方式で佐田玄一郎氏が比例に回るため「比例は公明」と“鳴けない”事情と、「身を焦がす」ほどの心情に理解を求めた。
折からの逆風に苦戦を予想した自民党各陣営は、従来以上に公明との選挙協力を重視。3区の谷津義男氏は選挙事務所に公明市議の専用ブースを設けるなど目に見える協力態勢を敷き、2区の笹川尭氏、4区の福田康夫氏は街頭演説などでたびたび「公明党の協力」に言及した。29日の集会では公明の高崎市議が福田氏の支持者に公明支持のチラシを配る一幕もあった。
一方の公明も7月の東京都議選の民主党の躍進に危機感を強めていた。一昨年の参院選での選挙協力が不十分だったとして尾身氏の推薦は党内に異論があったが、自民との一層の連携強化が必要と判断、5人全員を最も早い第1次推薦とした。
公明の支持基盤の創価学会は投票日を一週間後に控えた週末、報道各社の世論調査が自民候補の苦戦を報じていることを踏まえ、県内全域の学会員に自民候補への支援を要請。公明関係者は選挙戦後「厳しい状況を認識してない自民陣営もあっただけに、あのタイミングでの支援要請は効果があった」と振り返った。
実際、共同通信社と上毛新聞社が20〜22日に実施した世論調査では、公明支持者のうち自民候補に投票する意向を示した割合は1区が4割弱、2区は6割弱だったが、出口調査で1区が24ポイント、2区も11ポイント上昇した。
ただ、従来以上の固い連携も、1〜3区では自民の劣勢を挽回するまでには至らなかった。公明も比例代表の県内得票数は目標にした13万5千に約2万及ばず、投票率が前回衆院選から上がったにもかかわらず、前回から約1万5千票減らした。こうした結果に、自民陣営からは「公明に頼りすぎた」、公明関係者からは「やはり自民側からのはっきりしたテーク(見返り)がないと」との声が漏れる。
公明県本部の加藤修一代表は「選挙協力はかなり努力したが、その成果を超える風が吹いた」と敗因を分析。今後の県政界での自公連携について「党本部が今回の結果をどう総括し、分析するかの結果を待つ」と慎重な姿勢だ。
「後任候補を早く決めてほしい。民主に負けない若い人材がいい」。ある学会幹部は選挙協力を継続するとの前提で、自民にこう注文を付けた。
5486
:
チバQ
:2009/09/08(火) 21:02:15
http://www.raijin.com/kikaku/2009syuin/db/database.cgi?cmd=dp&num=261&dp=
(2009/09/04 掲載)
《攻防の軌跡 09衆院選(4)》
革新勢力 「民主政権でも役割大きい」 共産、存在感を訴え 埋没危惧する社民
共産党の市田忠義書記局長(中央)と酒井宏明氏(右)
「建設的野党としての役割は、民主党が政権を取ったとしてもますます大きくなっていく」
群馬1区から立候補した共産党の酒井宏明氏は比例代表での得票増も視野に、衆院解散直後から一貫して、新政権での共産の役割を訴え続けた。
県内の比例票は前回比約6千票減の6万3千票となり、北関東ブロックで1議席を維持したものの、目標の2議席には届かなかった。共産関係者は「民主の風の中、健闘した」とし、建設的野党の呼び掛けが効果があったと指摘する。
共産陣営がこのフレーズを使い始めたのは7月中旬。それまでは「いまこそ共産党」をキャッチコピーに、他党との違いを強調していた。
しかし、民主が第1党に躍進した7月の都議選で総得票は伸ばしたが、議席を13から8に減らした。このため、方針を練り直し、7月16日に幹部会が声明を発表。「建設的野党」という言葉で、新政権樹立後には是々非々の立場で臨む姿勢を鮮明にした。
県委員会には党から即日ファクスで声明が届いた。内部で検討し、地域組織や最前線で活動している支援者にもその内容を伝え、党の方針を強調する戦略を徹底した。
小菅啓司委員長は今回の結果を踏まえ、「今まで以上に国民の困り事の解決のための地道な活動が必要になる」と話している。
一方、社民党は「二大政党制」の中で埋没を危き ぐ惧。2度本県入りした福島瑞穂党首は「自民は駄目、民主も危ない」などと訴え、支持の拡大を目指した。
群馬5区で立候補した社民の土屋富久氏は、支援労組の名簿などを足掛かりにしたあいさつ回りで、一票一票固める戦術を基本とし、「護憲」や「いのちを大切にする政治」を訴えた。目標(有効投票の10%以上)を上回る5万3千票を獲得し、一定の成果を上げた。だが、比例北関東ブロックでは票が伸びず、議席を失った。
県内に組織のほとんどないみんなの党が比例で社民より票を獲得、公示直前に立候補が決まった民主、三宅雪子氏が比例復活当選を果たしたことなどを挙げ、土屋氏は「チラシ配布や党員を増やすなど地道な組織選挙では票は伸びない。新しい時代に合った活動が必要だ」と総括した。
5487
:
チバQ
:2009/09/08(火) 21:02:48
http://www.raijin.com/kikaku/2009syuin/db/database.cgi?cmd=dp&num=262&dp=
(2009/09/05 掲載)
《攻防の軌跡 09衆院選(5)》
自民支持の知事、市長ら民主との協調模索 “重鎮”不在に不安感も
自民党県連の衆院選出陣式であいさつする大沢正明知事
◎県政に余波
「民主党は暫定税率を廃止し、高速道路をただにすると主張しているが、それで地方の社会資本整備はできるのか。本体工事がようやく始まろうとしている八ツ場ダムをなぜここで止めるのか」
前橋・県政会館で8月1日に開かれた自民党県連の衆院選出陣式。自民の立候補予定者が居並ぶ壇上に立った大沢正明知事は語気を強めた。
自民の公認候補として一昨年の知事選を制した大沢知事。今回の選挙期間中は全小選挙区の応援に積極的に入り、激しい民主批判を繰り返して自民候補への投票を呼び掛けた。応援演説を聞いた自民県議は「あんなに民主の悪口を言って選挙後大丈夫なのか、とこちらが心配するほどだった」と振り返る。
県政や市町村政はこれまで、自民国会議員という太いパイプで国とつながってきた。特に本県は4人の自民総裁・首相を輩出し、小選挙区の全議席を独占してきた自民王国。選挙戦での大敗で国との関係は大きく変化する可能性がある。「陳情や意見書の提出は誰にしたらいいのか」「市が不利益とならないように対応したい」。県庁や役所に不安と戸惑いの声が広がっている。
痛烈な民主批判を展開してきた大沢知事も、衆院選から一夜明けた8月31日の臨時記者会見では「群馬を良くしたいというのは、民主党から出た国会議員の皆さんも同じ。お願いすることはしっかりお願いする」と、言葉を選んだ。
元自民県議として自民候補を全面的に支援した五十嵐清隆伊勢崎市長は、今月2日の定例会見で「政権が代わっても、市として取り組まなければならない課題は変わらない」と述べ、大沢知事と同様の姿勢で民主や国との折衝などに臨む考えを示した。しかし、一方で「県内の民主にはベテランがいない。一般に当選回数が多いと発言力が増していくという現状がある中で、どんな影響が出てくるのか」と不安をのぞかせた。
選挙戦では県内の大半の市町村長が自民候補の支援に回る中で、前橋市の高木政夫市長はただ1人、民主候補を支援した。宮崎岳志氏への応援演説では「民主党が中心となり、国民の目線で運営する日本をつくらなければ、明日の日本、明日の前橋はない」などと訴えた。前橋市にどんな“見返り”があるか見通せないが、民主との“パイプ”はできた。宮崎氏は選挙後、高揚感を漂わせながらも、表情を引き締めて誓った。「高木市長には大変お世話になった。今回受けた恩は返していかなくてはいけない」
民主側は「知事とは話し合いながら県民、日本のために頑張りたい」(石関貴史衆院議員)など、県内自治体との協調関係の必要を強調する。しかし、八ツ場ダム問題をはじめとする公共事業の削減で、民主と県、関係自治体が対立するのは必至。政党と国、地方は、緊張感を持ちながら、互いを発展させるための関係を模索することになる。
(おわり)
5488
:
チバQ
:2009/09/08(火) 21:05:02
http://www.shimotsuke.co.jp/journal/politics/election/45syuin/special/seikenikou/20090901/200249
政権移行 09とちぎ衆院選
<上>民主県連 「厳しい戦い これから」 地方脆弱、強化が急務
(9月1日 05:00)
「2年前のこの場所、マンデーリポート(辻説法)が私の第一声だった。本当にやってきて良かった」
衆院選初当選から一夜明けた31日朝。民主党の石森久嗣氏(47)はJR宇都宮駅前や県庁前でマイクを握った。睡眠時間は1時間半ほど。台風接近で風雨が強まる中、お礼のメッセージを伝えた。
■党人事に意欲
石森氏を支えてきた簗瀬進参院議員は同リポートで、鳩山由紀夫代表と旧民主党を結党した際に「2010年に政権交代」を掲げたエピソードを紹介した。「ほぼ予言通り」と感慨深げに語る一方で、「これからが厳しい戦いのスタートだ」と表情を引き締めた。
2回目の当選を飾った福田昭夫氏(61)は午前9時から日光市内で記者会見し、「政権交代は民主党の願いだったが、国民の願いになった」と選挙を総括。財政に造詣が深いこともあり、党内人事について「できれば国家戦略局の一員に」と意欲を見せた。
新政権を担う民主党の国会議員に休んでいる暇はない。同党県連の県議などの期待も膨らんでいる。ただ野党から政権党になる上で、課題は少なくない。
午後4時から県庁記者クラブで行われた民主党県連の会見。佐藤栄幹事長は「国会議員の数(衆参合わせて7人)より、県議(6人)の方が少ないというのは、あってはならない現実。いずれ解消したい」と、地方の脆弱さに言及した。
県議会では自民党議員会(32人)が最大勢力で、県内市町議会でも自民党勢力は強い。今後「国と地方のねじれ」が政権運営の支障にもなりかねない。
民主党県連の谷博之代表は「自民党が地方に根を張った組織があるように、われわれももっと地域にアプローチしないといけない」と口調を強めた。
■擁立の土台
再来年には統一地方選があることを踏まえ「(県連がかつて実施した)民主塾のように、政策を勉強しようという人々を集めた組織をつくり、候補者擁立の土台にすることも検討したい」と話した。
県連事務局など組織体制の見直しにも着手する。佐藤幹事長は「(衆院選で)業界団体からのさまざまなアプローチがあり、対応に忙殺された」と説明。まずは国会議員の数に見合った組織強化を急ぐ考えだ。
民主党県連の最大のパートナーは連合栃木だ。ただ政権政党となれば、より幅広い団体とのかかわりが必要になってくる。「国民の期待が民主党を政権につけた。成果を着実に出さないといけない」(県連幹部)。期待を失望に変えない努力が求められている。
[写真説明]初当選から一夜明け、簗瀬氏(左)とともに「マンデーリポート」に臨む石森氏=31日午前8時すぎ、JR宇都宮駅前
5489
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チバQ
:2009/09/08(火) 21:05:58
http://www.shimotsuke.co.jp/journal/politics/election/45syuin/special/seikenikou/20090902/200623
政権移行 09とちぎ衆院選
<中>自民県連 「しがらみと利害」限界 魅力ある人材発掘急務
(9月2日 05:00)
日焼けした顔にしわを刻み込み、自民党県議らが県議会議事堂に戻ってきた。1日午前の議員総会で「疲れたよ」と口々に言う同党県連幹部。衆院選小選挙区で1勝3敗に終わった敗因の総括と、がたがたに崩れた組織の再建が重くのしかかる。
■調整の“役割”
「しがらみと利害の時代が過ぎ去ったということだ」。県連幹部の一人は敗因をこう分析する。
建設業界を筆頭に商工会、農協など自民党はいくつもの業界団体を取り込み、時として利害の調整機能を果たしてきた。選挙ではこれらの団体が集票マシンとなり、自民票をかき集める。だが政権交代の風を起こした無党派層と呼ばれる人々は「しがらみと利害」の外にいる人々たちのことでもある。この幹部は「これからは魅力あるリーダーが有権者個人と直接つながらなければ勝てない」と付け加えた。
業界団体に加えて市議や県議の後援会を束ねたみこしに乗る形で選挙を戦うのが、伝統的な自民党の国政選挙。1区の船田元氏、4区の佐藤勉氏はその典型だ。中選挙区時代のスタイルを引きずる両氏が小選挙区で敗れたのは、伝統的手法の限界を示している。
船田氏は30日夜、敗因について記者団に「団体に頼らない、若い人を含めた地域の組織をつくるべきだった。マスコミでの露出度を高める空中戦も必要」と述べた。
■託される再生
5区の茂木敏充氏が逆風の中でも小選挙区で勝ち上がってきたのは、600にも上る網の目のような個人後援会の存在が大きい。
茂木氏はテレビの討論番組でもなじみの顔。下野新聞社の衆院選出口調査では無党派層の46%の支持を獲得した。民主党対立候補の51%には及ばなかったものの、船田、佐藤両氏のほぼ2倍だ。次期県連会長は茂木氏を軸に選考され、県連の再生が託されるとの見方もある。
「空中戦」といえば自民党を離党したみんなの党代表、3区の渡辺喜美氏も存在感を高めた。
発信力の高い渡辺氏は3区で空前の約14万票を獲得、比例代表では県内で約22万票、北関東ブロックでは約59万票をたたき出した。自民党が県内で前回より約18万票も減らした主因となった。県連では渡辺氏に対し「次は3区にも候補者を立てるべきだ」とする主戦論が出てきた。
1日夜には宇都宮市内のホテルに衆院選に出馬した4人の前職や県議らが集まった。来週にも役員会を開き新体制を固めるほか、組織立て直しのためにプロジェクトチームをつくることなどが話し合われたという。
[写真説明]想定外の大接戦。「厳しい選挙だった」と振り返る茂木氏=8月30日夜、足利市内の選挙事務所
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:
チバQ
:2009/09/08(火) 21:06:48
http://www.shimotsuke.co.jp/journal/politics/election/45syuin/special/seikenikou/20090903/201041
政権移行 09とちぎ衆院選
<下>県政運営 民主予算方針に困惑 難しい知事のかじ取り
(9月3日 05:00)
「例年通り年末までに国の予算案が決まらないと、県の予算も組むことができない」
2010年度の県予算編成に向け、今月から作業を本格化させたい県の財政担当者は困惑を隠せない。新政権を担う民主党は国予算の組み替えを行う方針だが、具体的内容が見通せず年内編成も不透明なためだ。
担当者は「昨年までの予算編成のノウハウが活用できないかもしれない」とも考える。自民党政権下で長年にわたり県政業務を続けてきた県幹部らには、民主党政権への不安や期待、懐疑的な思いが交錯する。
■費用どこから
民主党はマニフェスト(政権公約)で目玉施策を示した。その一つが中学卒業まで一人当たり月2万6000円を支給する「子ども手当」だ。10年度から半額を支給し、11年度から完全支給する。
本県の15歳以下人口は約29万7000人で、単純計算では年間約926億円が必要になる。個人県民税の年間予算額の1・2倍、県県土整備部の年間予算に相当する。県幹部は「国はどこから費用を捻出するのか。県への交付金などに影響が出ると困る」と訴える。
ガソリン税(揮発油税)などにかかる暫定税率の廃止も不安の種だ。県の試算では暫定税率が廃止されれば、年間約300〜350億円が削減される。「財政が厳しい中、財源が減れば県民生活への影響は避けられない」と県幹部は考える。
国の補助金を廃止し、県や市町が自由に使えるようにする一括交付金をめぐっても、「自治体の裁量の幅が広がる」と評価の声がある一方で「配分額が問題」との懸念がある。
県職員の間では「地味な森林整備などがおざなりになり、道路整備など目立つ事業に予算が極端に集中する可能性がある」との見方も出始めている。
■「ねじれ」発生
国会では民主党が与党でも、県議会では自民党が与党。今後は「国と県のねじれ」が生じる。
衆院選で自民党候補を支援した福田富一知事は「県民のために知事としての仕事をするだけ」と言うが、国政の変化で県政運営のかじ取りが難しくなるのは確実だ。民主党県連の谷博之代表は、同党が掲げる地方への財源移譲を念頭に「県で例えば公共事業を重視した(予算の)使い方をすれば、国の流れと違うということもあり得る」と福田知事をけん制する。
これに対し自民党県議の一人は「知事がはっきりと重点施策の考え方を明示すればいい」と、これまで通りの政治姿勢を期待する。
政権移行は、福田知事に「県民のため」の“軸足”も問うことになる。
(この企画は衆院選取材班が担当しました)
[写真説明]自民党候補のマイク納め式で、支援を訴える福田知事=8月29日夜、宇都宮市内
5491
:
チバQ
:2009/09/08(火) 21:08:18
http://www.ibaraki-np.co.jp/series/senkyo/gekihen/page01.htm
検証’09同日選・激変<1> 民主大躍進
2009/09/01(火) 本紙朝刊 総合1面 A版 1頁
■風受ける努力実る
衆院選小選挙区の大勢がほぼ判明した30日午後11時すぎ、民主党県連の郡司彰県連選対本部長は「全小選挙区で比例復活を含めて(議員)バッジを獲得し、茨城でも政権交代できた」と安堵(あんど)と喜びの表情を見せた。
今回選挙で同党は、県内で改選時の1人から9人もの衆院議員を誕生させた。過去2回の参院選で県内比例第一党となったが、衆院の議席は最大で2議席止まり。2大政党制と言うには自民地盤の強さが際立っていた。
比例代表でも大きく票を伸ばした。県内得票は約68万票で前回衆院選(2005年9月)を約20万票も上回った。北関東比例で名簿登載1位の重複立候補者29人を含めた名簿36人中35人が当選する圧勝を遂げた。
■1区福島氏、大量得票15万
郡司選対本部長は8月4日、記者会見で情勢について説明し「風を受け止めるため、前回と違って、きちんと帆を張るような戦いができている」と各陣営の順調な取り組みをアピールした。今回の選挙で、党県連は曲折の末、前回衆院選に続いて全7小選挙区で候補者を擁立し、全県で対自民の構図をつくった。
1年を超える前哨戦。新人を中心に候補者は地域をくまなく回る〝どぶ板〟に徹した。選挙対策でぎくしゃくする陣営もみられたが、徐々に支持母体の連合茨城や県医師連盟、郵政政策研究会との連携を強め、地域に合った陣形を築いた。
終盤戦、支持母体の幹部の1人は「1年前に解散があったら、こんなに風に乗ることはできなかったのではないか」と振り返る。「風」を取り込んだ大きな要因は、ダイナミックな都市型の選挙戦術ではなく、従来型の地道な努力の積み重ねだった。
1区新人の福島伸享氏は30日午後8時すぎ、テレビの選挙特番が当選確実を報じたのを受け、早々と祝勝会を開いた。福島氏は「大きな山が動いた」と実感を語った。
6期連続当選の元農水相で自民前職、赤城徳彦氏と3度目の対決。出陣式で福島氏は「過去2回の選挙で完敗し、一時はふてくされていた」と素直に語り、今回は違うという自信を感じさせた。
福島氏は、赤城氏の地盤の県西地区を細かく回って支持拡大を訴え、大きな成果につなげた。得票は15万票を超え、過去の県内小選挙区で最高を記録。前々回(03年)約5万票、前回約5万7千票の大差で敗れたが、今回は逆に約6万票差で雪辱を果たした。
当選から一夜明け、JR水戸駅前に立った福島氏は、駅の利用者にあいさつしながら「4年間頑張ります」と責任の重さに身を引き締めていた。
第45回衆院選は、民主党が県内でも躍進を遂げた。揺るぎない「王国」を県内で築いてきた自民党は歴史的な惨敗を喫した。二大政党制を確かなものにするために、今後、両党に何が求められるのか。(同日選取材班)
【写真説明】
1区の福島伸享氏は「風」を受けながら地道な選挙戦を繰り広げ、大量得票に結び付けた=30日夜、水戸市笠原町の選挙事務所
5492
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チバQ
:2009/09/08(火) 21:08:46
http://www.ibaraki-np.co.jp/series/senkyo/gekihen/page02.htm
検証’09同日選・激変<2> 民主の課題
2009/09/02(水) 本紙朝刊 総合1面 A版 1頁
■地方議員増強も鍵
民主党県連の郡司彰選対本部長は、県内選出の同党国会議員が3人から一気に11人に増えたことから「県連組織を強固にしなければならない。県民の期待に応えられる体制を整える」と組織強化を今後の課題に挙げた。
今選挙期間中の本社世論調査では、ふだん支持している政党は民主が約18%、自民が約43%。民主の支持率は、衆院選が小選挙区制に移行した1996年の調査では3・3%。その後、上昇傾向にあるが、依然として自民支持層と2倍以上の開きがある。
今回、民主の県内比例票は過去最多の約68万4千票。得票率は約43%に上る。大量得票は全体の約3割の無党派層のほか、自民を含む他党支持層に食い込んだ結果とみられる。
■組織力の強化図る
民主の県内党員・サポーターは今年5月現在で約5900人。06年から3年間で約2千人増えた。対する自民の県内党員・党友は約6万人で全国2番目の組織力を誇る。
各選挙で民主最大の支持母体となる連合茨城は傘下組合員約12万5千人。家族やOBを含め数十万人の組織力とされる。これまで“実働部隊”を含め民主党の選挙をけん引。同党の選挙が「労組頼み」と言われてきたのはこのためだ。
各県選出の国会議員が増えれば地方組織も強まるとみる党本部。郡司選対本部長は「市町村議を含め地方議員を増やす。来年は県議選もある。常に選挙で戦っていく姿勢をつくりたい」としている。
民主県議は定数65に対し、会派では2番目に多い6人(8月1日現在)。全体の約四分の三を自民議員が占める。県内市町村議約1千人のうち民主議員は40人足らず。全体の約1割の公明、約6%の共産の両党議員より少ないのが現状だ。
出産時55万円の一時金▽年間1人31万円の子ども手当▽高速道路の無料化▽農業の戸別所得補償−など。民主のマニフェスト(政権公約)は「ばらまき」の指摘がある一方、有権者の切実な期待感が追い風の選挙戦をさらに後押しした。
新たな政策の財源を生み出すため、公共事業の中止や大幅見直しを実施する方針。本県がかかわる八ツ場ダム建設も中止が明確に示され、既に関係自治体から慎重な対応を求める声が出ている。
8月11日、水戸市内で開かれたマニフェスト説明会に出席した岡田克也党幹事長は、茨城新聞の取材に対し、大型公共事業の中止や見直しについて「地方と協議することは必要だと思う」と述べた。
公共事業の多くに推進の立場をとってきた各地方議会の民主会派は、当面は継続事業への対応などについて、党本部との調整や新たな判断を迫られそうだ。民主政権が民意を反映した施策を展開していくためにも、地域に根差した、安定した地方組織の存在が求められる。
【写真説明】
鳩山由紀夫代表も県内応援に駆け付け、大勝した衆院選。民主支持の定着へ県連組織の強化が課題=8月24日、JR勝田駅前
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チバQ
:2009/09/08(火) 21:16:16
http://mytown.asahi.com/aichi/news.php?k_id=24000420909070001
【政権交代@あいち】
猟師町にも「風」
2009年09月07日
【愛知8区】
「自民だらしない」■民主にも推薦状
知多半島の漁師たちが「政権交代」に揺れている。「これまで自民党にしか投票したことがない」という伝統的な保守地盤で暮らしていたが、衆院選では地元愛知8区(半田市、常滑市など)選出の自民の候補者が大差で落選した。予期しなかった事態に先行きが読めないでいる。(星野典久)
数十年間、自民を支持してきたという南知多町の大井漁協。「こんなに惨敗して正直、今後どうしたらいいかわからない」。石黒友之組合長(74)は予想以上の結果に戸惑っている。
民主伴野豊氏の陣営関係者が、「以前は、足を踏み入れるのすら、はばかられた」と言うほど、同町は強固な自民の地盤だった。今回の衆院選でも、県内で数少ない、比例区での自民の得票が民主を上回った所だ。ただ得票数は自民が4394で民主が4128。前回05年の衆院選で3335あった票差は今回、一気に266にまで縮まった。
「民主は漁師を良くしてくれる政策をとってくれるか不安」と石黒組合長。選挙期間中は、日本中に吹き荒れる「風」は感じていた。民主のマニフェストに織り込まれた暫定税率の廃止による漁船の燃油代引き下げ、さらに農家への戸別所得補償制度が、漁業者も対象にならないか、といった期待もあった。それでも「自民には港湾の整備をお願いしてやってもらった経緯がある」と、これまで通り自民候補の伊藤忠彦氏に推薦を出した。
マニフェストよりも義理。陳情を聞いてくれる自民を支持してきた漁師たちにとって、当然の選択だった。「民主の候補と政治的な付き合いをしたことはない。こちらから頼むわけにもいかないし……」
長年にわたり自民支持で固まっていた知多半島のある漁協。だが民主の「風」は、その漁協内にも及んでいた。実は自民候補の伊藤氏だけでなく、民主伴野氏にも推薦をひそかに出していた。伴野氏の陣営によると、県内の漁協から民主候補に推薦状が出るのは初めてのことだったという。
この漁協幹部は、伴野氏に推薦を出した理由について、「基本はあくまで自民。ただ、できれば自民と民主の2人が当選するのが理想」としながらも、「自民候補が落選するかもしれないという危機感はあった」と、政権交代を意識していたことを認めた。
現場で働く漁師たちはもっと敏感に「風」を感じていた。今回初めて民主に投票したという男性(78)=美浜町=は「最近の自民はだらしがなく、不満に思っていた。仲間内にも同じように考えていた人は結構いた」と指摘している。
5494
:
チバQ
:2009/09/08(火) 21:21:00
http://mytown.asahi.com/tottori/news.php?k_id=32000340909070001
流れ変えた境港集会
2009年09月07日
赤沢氏のシンボルカラーの赤一色で埋まった決起集会=8月27日、境港市上道町
◇激戦の2区 逆転の分岐点は・・・
政権交代が起きた第45回総選挙の投開票日から、6日で1週間を迎える。鳥取2区は各種の情勢調査で民主リードが報じられていたが、大激戦の末に自民が626票という小差で逆転を果たした分岐点はどこだったのか。それを振り返り、朝日新聞鳥取版の総選挙報道をひとまず終えたい。(井石栄司)
鳥取2区は選挙戦の序盤、中盤に報道各社が実施した情勢調査では、民主の湯原俊二氏が自民の赤沢亮正氏をリードしていた。朝日新聞が8月22、23日に実施した調査の結果も、湯原氏優勢だった。
しかし、この時点で全体の3分の1の人が投票態度を明らかにしていなかった。さらに、「湯原氏に投票する」と答えた人の7割が「投票先を変えることがある」と回答。一方、「赤沢氏に投票する」と答えた人で「投票先を変えることがある」という回答は3割にとどまった。逆転可能な差だったといえる。
22日、取材で赤沢氏の選挙カーに同行した際、選挙活動を取り仕切っていた広江弌(はじめ)県議は「現時点で負けている。ただ、ここ2、3日で追い上げるムードを作れるかどうかが勝負」と話していた。
26日、2区の激励に入った自民党の山根英明幹事長は情勢についてこう言った。
「広江さんが各支部長を呼びつけてギリギリ締め上げとった。勝てそうな雰囲気だった」
翌27日には境港市で赤沢氏の決起集会が開かれた。「1200人入れるために400人規模の会場から急きょ変えた」という選対の狙い通り、約1100の客席は満席で100人以上が立ち見の状態。予定通りの動員で、組織が締まっているのがわかった。
熱気に包まれた会場で赤沢氏は必死に訴えた。「私には比例復活の道はまったくありません。小選挙区で1票でも負ければ一巻の終わりです。仕事を続けさせて下さい」。すすり泣く妻とともに、何度も何度も頭を下げた。
同市出身で、相沢英之・元衆院議員の妻で女優の司葉子さんも、東京から急きょ駆けつけた。司さんの呼びかけで相沢氏の集会では名物だったという、地酒会社の有力支援者が「ピッピッピー」と笛を吹き鳴らす景気づけで、応援ムードを高めていった。1時間以上に及んだ集会は時間が進むにつれ、高揚感と一体感に包まれた。最後に、「境の票で米子の(負け)分もぜひお願いします」と司さんが締めくくると、会場の高揚感は頂点に達した。
一方、湯原氏側の県議は最終盤、「境港で風を感じる。民主は1万票はいく」と自信をみせていた。しかし、自民の集会への有効な対抗策を同市で打てなかった。
さらに、民主側は、湯原氏が市議、県議を務めた米子市で当初、赤沢氏に1万票は勝つつもりでいた。ところが、福間裕隆・県連幹事長は不安を口にしていた。「湯原の運動量や党への風からすると、もっとリードしてもいい。だが、その手応えがない」
同市での勝利を確実にするため、民主側は28日に岡田克也幹事長を応援に呼んだ。選対発表で1700人という聴衆が米子サティ前を埋め尽くした。しかし、聴衆の視線
は湯原氏ではなく、岡田氏を追っていた。
米子市で、自民側は最後まで手を緩めず、各種団体を使って大規模な電話作戦を徹底
して展開した。民主リードの報道を逆手にとり、「赤沢が通れば2区から代議士が2人出る」とアピールする戦術で浸透を図った。
開票結果は、司さんの言葉通り境港市での赤沢氏の得票率は54・3%で、湯原氏を2655票上回った。一方、湯原氏は同市の4倍の有権者がいる米子市で票が伸びず、3136票のリードで終わったため、境港で負けた分でほぼ相殺された。
赤沢氏側は、民主リードが予想された日野郡でも、内田博長県議が各支部に巻き返しを指示し、682票上回った。川上義博・民主県連代表が最終盤にてこ入れを図ったとされる東伯郡でも、778票勝った。
結局、湯原氏が勝てたのは米子、日吉津、伯耆、南部の4市町村にとどまった。自民は戦術、組織の両面で民主を上回っていたように思える。
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チバQ
:2009/09/08(火) 21:22:08
http://mytown.asahi.com/akita/news.php?k_id=05000480909070001
地域の壁、京野氏に課題
2009年09月07日
演説する京野公子氏。選挙戦では民主党幹部が続々と応援に駆け付けた。右は岡田克也幹事長=由利本荘市
「やっぱり地域主義はまだ根強かった。この壁をなんとか乗り越えていかなくては」
当選から一夜明けた8月31日、民主新顔の京野公子氏(59)は、秋田3区の投票結果を振り返り、こう漏らした。
京野氏は、選挙戦で「政権交代」を前面に出し、全国的に吹き荒れた民主党への追い風に乗った。
しかし、地盤である湯沢市で獲得した票数は1万6386票で、得票率は50%。前回の同市での得票率は49%だった。一方、次点の自民前職の御法川信英氏(45)も湯沢で33%(前回35%)を獲得。地元の大仙市では56%(同63%)を得ていた。無所属新顔の村岡敏英氏(49)も地元の由利本荘市で60%(同61%)。いずれも、前回と変わらない支持の厚さを見せた。
□
3区はかつて、御法川氏の父親で自民衆院議員だった英文氏と、村岡氏の父親で元官房長官の兼造氏の2人のベテラン議員が地盤を分け合っていた。選挙制度が変わってからは、交互に小選挙区と比例区に立つコスタリカ方式をとっていた。
「民主党に風が吹いても、支持者は変わらない」。麻生政権が解散する直前でさえ、御法川、村岡の両陣営からこんな声が聞こえていた。選挙期間中は有権者から「この辺りは、ずっと自民党が地盤を守ってきたところだから」と何度も聞いた。
こうした地域選挙を意識し、民主党本部も京野氏を力強くバックアップした。鳩山由紀夫代表、菅直人、小沢一郎の両代表代行、政調副会長の蓮舫参院議員ら幹部が次々に駆け付け、対立候補の地盤で演説などをした。
選挙が近づくにつれて京野氏は「『期待してる』『頑張って』と声を掛けてもらえるようになった。地域を超えて、支持を広げられている」と手応えを感じていた。岡田克也幹事長が由利本荘市で演説した時は、決して多くない聴衆について「地元の候補以外の応援に来るのは大変なことだと思う。来てくれただけでありがたい」と話した。
京野氏の当選を支えたのは、どの候補者の地元でもない横手市の得票だった。前回は御法川氏が1894票差をつけ、京野氏を得票率で3ポイント上回り、当選(旧町村含む)。しかし、今回は一転、京野氏が1万86票差で、16ポイントの差をつけた。
朝日新聞が投票日の30日に各地で行った出口調査によると、無党派層の半数は京野氏を支持、残りを御法川氏と村岡氏が分け合っていた。無党派層へのアピールは成功していた。
□
地元に浸透しながらも及ばなかった御法川氏と村岡氏の悲劇は、それぞれの父親や地盤の影響が強いことが事実上の保守分裂選挙を生んだことだ。自民党県議の支持は割れ、自民党がまとまらないことを理由に公明党も自主投票を決めた。出口調査でも、自民支持層の投票先が2氏に割れていた。
御法川氏は「地元後援会の取りこぼしはなかった。わたし個人への支援はあった」と振り返る。その上で「風にとらわれ過ぎた。地域戦という事情に加え、今回の選挙は自民対民主の構図があった。落選は無党派層が離れてしまった結果だと思う」と分析。そして、次期選挙までに「いま一度、地元固めをしていきたい」と話した。
京野氏は「長く自民党が与党として政権を独占してきたことで、地元の人たちは地元から国会議員を出さないと利益が得られないと感じている。その意識を変革していきたい」と話す。「私は湯沢の人間だけど、3区選出の衆院議員になる。地域全体の人たちに、私に対して期待感と安心感を持ってもらえるよう頑張る」とも言う。
だが、長年の地域選挙で積み上げられた壁は高い。「新人」に厳しい目が注がれるのはこれからだ。
(斉藤寛子)
5496
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チバQ
:2009/09/08(火) 21:34:42
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/fukuoka/feature/fukuoka1252050661061_02/news/20090904-OYT8T00773.htm
「風紋」09衆院選ふくおか
<1>不信うねり、自民大敗
落選が決まり支援者に頭を下げる渡辺さん(古賀市の事務所で) 「自民党に対する積年の不信やら不満」(麻生首相)が、つかみどころのない風となって選挙区を吹き抜けた。
「相手は全国にはびこった“魔物”。最後まで(姿が)見えなかった。いつ追い越されたのかも、わからない」
古賀市の国道沿いにある自民党前議員・渡辺具能(68)(福岡4区)の事務所。有権者の厳しい審判が下った30日夜、後援会幹部は苦々しげに今回の選挙戦を振り返った。
渡辺は前回、選挙区内の全10市町で民主党候補の票を上回る強さを見せ堂々の4選を果たした。しかも、今回の同党候補は元議員とはいえ地元とは縁遠い「落下傘」の古賀敬章(56)。少なくとも解散風が吹き始めた昨秋までは、多くの関係者が逆風を実感しつつ、少々のことでは渡辺の5選は動かないと考えていた。
魔物が数字に姿をかえて眼前に現れたのは、投開票を1週間あまり後に控えた8月20日すぎ。報道各社の情勢世論調査で劣勢が伝えられるたびに、後援会に動揺が広がった。
「私自身、心外だった」と幹部。「その後は危機感が高まって、選挙戦最終日は最高に盛り上がった。最後の最後で追いついた、とは思ったが、残念ながら追い越したとまでは言えなかった」
◇ ◇
前回の「郵政選挙」がそうだったように、小選挙区制では、2大政党の一方に風が吹くと全選挙区に影響が及び、地滑り的な大勝をもたらすことになる。
福岡7区に立候補、比例選で復活を果たした民主党新人・野田国義(51)の選挙対策本部長を務めた参院議員・大久保勉は「『民主圧勝』報道の頃から空気が変わり、自民支持で動いていた団体の動きが止まった」と振り返る。
「名簿を出す用意がある」「票をもってくる」。複数の地方議員らから、こんな働きかけが始まったのもこの頃という。
◇ ◇
勝敗が決まった30日夜、渡辺は苦渋の表情を浮かべ、報道各社のインタビューに応じた。
「これまでの選挙より、後援会はまとまっていたし、私自身、手応えも感じていた」「直接会った人には、思いは通じたはずだ。しかし、直接触れあうことのできなかった人が圧倒的に多く、そういう人たちが全部、向こうに行ってしまった」
政権交代のかけ声の下、つかみどころのない風に翻弄(ほんろう)された選挙戦。渡辺は敗戦を振り返り、「私の手応えと、結果が結びつかなかった」と力なく語った。(敬称略)
(2009年9月1日 読売新聞)
5497
:
チバQ
:2009/09/08(火) 21:40:31
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/yamagata/feature/yamagata1251809564095_02/news/20090901-OYT8T00969.htm
政権交代 山形の構図
<上>民主躍進、その背景
手を取り合って有権者にアピールする和嶋さん(左)と鹿野さん(中)、舟山さん(29日、山形市七日町で) 「政権交代こそが、この国を再生する道だ」
2006年4月12日、鹿野道彦(民主)は涙でぬれた拳を突き上げた。前回選で落選後初めての辻立ち。その時、親友で民主党県連の事務担当として支えてくれた木村昌夫が荼毘(だび)にふされていた。鹿野は遺影を胸に、再起をかけて2500回超の街頭演説を始めた。
改革を訴えて15年前に自民党を離党したが、05年選は郵政民営化など「小泉構造改革」を争点に遠藤利明(自民)に大敗。盟友の前山形市長・吉村和夫の死去(03年)や、選挙戦を仕切った後援会の高齢化も響いて当時の選対幹部は「一時代の終わり」と表現した。
だが、転機は07年夏の参院選。吹き始めた民主への「風」に乗り、鹿野が出馬を説得した舟山康江が2度目の挑戦で初当選。この時初結成した民主、社民、連合山形の合同選対本部による選挙戦略が、今年1月の知事選に続いて、衆院選でも力を発揮することになる。
選対幹事長の吉村和武(県議)は「民主、社民、連合山形、後援会の4本柱が連携する新たなスタイルが築けた」と振り返る。民主は「政権公約」をアピールし、社民は自治労への取り込み、連合山形は事務作業と加盟労組のパイプ役を担い、後援会は地域の集票などに徹した。連合山形会長の安達忠一は「『今を変える』ため大人の役割分担」と語る。多方面のルートで「苦手だった企業・業界への食い込み」(選対幹部)にも奏功し1500超の企業に推薦を得た。知事・吉村美栄子の応援も取り付けた。遠藤とは1291票の小差。選対幹事長の吉村は「連携のどの一手を欠いても勝てなかった」と胸をなで下ろした。
◇
「保守王国の象徴(山形3区)の一角に、くさびを打つ役割を担いたい」。公示直前に県議を辞職して比例選東北ブロックに出馬して初当選した和嶋未希(民主)は、13選を果たした加藤紘一(自民)に「挑戦状」をたたき付けた。次期衆院選もにらむ。
ただ、民主の政権維持や政策展開について、和嶋は「県議会議員や市町村議会議員の拡充が課題。次の改選に向けた準備が必要」と分析。県議会(定数44)の7割は自民県議が占め、和嶋の辞職で民主はゼロ。35市町村議員の総勢(約560人)でも自民議員が6割近くを占め、民主議員は1割にも満たない。県連選対本部長の舟山は「県民は小泉改革にノーを突きつけた。良識、良心で判断してほしい」と地方議員に呼びかけるが、理解や浸透を図る具体的アプローチが急務だ。
自民層にも支持を得てダブルスコアで山形2区を制した近藤洋介を含め、民主は県内から3議席を奪取。舟山は「若い和嶋、中堅の近藤、ベテラン鹿野。バランスがいい」と言う。社民や連合山形との協力を継続できるか、県議会や市町村議会への影響力をどう構築するかなどが、カギとなりそうだ。(文中敬称略)
◇
政権選択を最大の焦点とした衆院選。「山形の陣」の舞台裏を振り返った。
(2009年9月1日 読売新聞)
5498
:
チバQ
:2009/09/08(火) 21:40:58
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/yamagata/feature/yamagata1251809564095_02/news/20090901-OYT8T01086.htm
政権交代 山形の構図
<中>逆風にあえいだ自公
支持層からも「今回は民主」
自民党劣勢のテレビ報道を硬い表情で見つめる遠藤さん(左から4人目)と寒河江公明党県本部代表(左端)(30日午後8時50分、山形市あかねヶ丘で) 「首の皮一枚、つながった」――。自民県連幹部から本音が漏れた。県内では小選挙区で民主に2議席を譲り躍進を許したが、全国的に歴史的な敗北を喫した中、比例選を含めると2議席を確保。実質的には1議席を減らすにとどめた。山形1区で遠藤利明が善戦し比例選で復活当選したことが大きかった。
選挙戦終盤に「世論調査では鹿野道彦が一歩抜け出す」と報道され、厳しい空気も漂ったが、「最終盤に有権者の反応が違ってきた」(陣営幹部)。選挙戦最終日の29日午前7時、出陣式会場の山形大付属中体育館は2階部分まで参加者でびっしり埋まった。遠藤は31日、「人が減るのかと思っていたが、大勢集まってくれた。最後の3日間で支援者が頑張ろうという気になってくれた」と振り返った。
選挙戦では党公認を前面に出さず、「世襲ではないたたき上げだから地域の痛みがわかる」「東京と地方の格差を埋める」と訴え、有権者に浸透させた。陣営幹部が「比例選では自民党の獲得議席が少なくなる見通しだから、復活当選はない」と強調したことも、支持者を結束させた。ふたを開ければ、鹿野との票差はわずか1291。自民県連幹事長の今井栄喜は1日、「あの差になったことで比例選で救われた。1票の重さをこれほど感じたことはない」と語った。
だが、県全体でみれば、自民の後退は明らかだ。1〜3区の党公認3候補の得票の合計を05年と比べると、減票分は11万1194票。県内の小選挙区で1人が当選できるだけの票だ。比例選でも7万票余りを減らした。中でも2区は、支持層の多くが民主の近藤洋介に流れ、鈴木啓功は17市町のうち村山、長井、尾花沢市など7市町で近藤に倍以上の票差をつけられた。
「今回は自民の内部からも『一回、民主にやらせたっていいべ』という声が結構あった。ずっと自民を支持してくれてきた人でも頑固だった。我々も反省すべき」。今井は31日、選挙戦をこう振り返り、「県連は国の政策を中心に連携プレーでつながってきたが、今後は国の政策に順応するだけでなく、地域の声をしっかりとらえるのが大事」と再出発への思いを語った。
◇
「選挙区は自民に、比例は公明に」と呼びかけた公明も厳しい戦いとなった。25日、山形市を訪れた代表の太田昭宏は「どうか公明に輝く太陽を昇らせて」と演説で訴えた。遠藤も会場にいたが、太田は公明の政策紹介に終始。太田は26日から、東京12区で自身の選挙に専念した。
比例選での公明の得票は県内で6万8167票。過去最高だった05年より約2万8000票減らした。減少率は、1区で27%、2区で30%、3区で29%。県本部代表の寒河江政好は30日、「昨年秋頃から生活の苦しさのはけ口が政府・与党に向かった」とし、「終盤で『民主は財源が大丈夫か』と言われ風がちょっとやんだが、『今回は(民主で)いいんじゃないの』という選挙になってしまった」と話した。(敬称略)
(2009年9月2日 読売新聞)
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