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【捲土重来選挙】2009年次期衆院選スレ その2

5416名無しさん:2009/09/05(土) 11:18:22
http://mytown.asahi.com/ibaraki/news.php?k_id=08000000909050003

「後援会名簿にあぐら」
2009年09月05日

 このままでは負ける。名簿を見せるしかない――。


 公示日を何日も過ぎたある日、6区に立候補した丹羽雄哉氏(自民)は決めた。自分の後援会名簿を公明党にも提供し、集落を一緒に回ってもらう苦渋の選択だった。


 丹羽氏には、先代の故・喬四郎氏以来、鉄の結束を築き上げてきた「丹羽軍団」と呼ばれる後援会がある。その会員数は10万人と言われていた。


 「異変」は1年近く前に起きた。年1回、10万人に送っている「雄哉通信」が、死んだ人あてに届き、その家から苦情の電話が事務所に入った。「もう支援していない。名前を外してくれ」と不満を言う人もいた。死んだ人や名前だけ載せている人を削ってみると、後援会名簿から2万人の名前が消えた。「我々は後援会の名簿の上に、ずっとあぐらをかいてきた」。陣営関係者はそう認める。


 経験したことのない逆風に加え、後援会の弱体化、さらには、「県議は知事選で忙しく、市議も自治会も動いてくれない。実動部隊がいない」(陣営関係者)という状況。自公政権が10年続いても、名簿を見せてまで公明に選挙協力を求めたことはなかった。だが、今回は切羽詰まった。


 丹羽氏陣営には、公明党議員の案内で、農家の土間に額をこすりつけるように土下座して回る運動員もいた。ところが、返された言葉は「4年間、一度もあいさつに来ないで今さらなんだ」「集落で丹羽さんを落とすことにもう決めた」。公明の協力を得て支援を広げられるどころか、運動員たちは風当たりの強さばかりを感じたという。


◆「票の交換」で


 「色々とご迷惑をおかけしました。なにとぞ、ご支援をお願いします」


 1区の赤城徳彦氏は今年になって数回、創価学会の幹部のもとへ「おわび行脚」に訪れた。05年の衆院選は特別なことをしなくても、自民党本部を通じて公明推薦をもらえたが、今回は顔に大きく張った2年前の「ばんそうこう問題」が大きなネックになっていた。


 誘われることを期待していた7月26日の公明党・時局講演会は、呼ばれずじまいだった。公明党幹部は選挙前、「ばんそうこうのダメージが消えず、婦人部の評判が悪い。推薦は厳しい」と語っていた。


 それでも足を運び、何とか支援を取り付けようとする赤城氏に、学会幹部は言った。


 「お願いばかりではどうしようもならないでしょう」


 学会員に評判の悪い赤城氏を党が推薦するには、それなりの理由が必要になる。幹部が示唆したのは、小選挙区と比例区の「票の交換」だった。


 赤城氏には祖父・宗徳氏の時代から続く強固な農協との関係があった。農協も苦境に立つ赤城氏のために初めて、「1区比例の公明」に推薦を出した。そして赤城氏は公明からの推薦を得た。公示から2日たった8月20日のことだった。


 ◆巻き返し遅く


 2区で民主新顔に敗れ、辛うじて比例区で復活当選した額賀福志郎氏。財務相や党政調会長を歴任した重鎮でも、今回の選挙では学会幹部に頼み、現場に入って協力してもらった。


 学会幹部は衆院選を振り返って言った。「危機感を募らせるのがあまりに遅い。そんな短期間で、巻き返せる差ではなかった」


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