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【捲土重来選挙】2009年次期衆院選スレ その2

5484チバQ:2009/09/08(火) 21:01:22
http://www.raijin.com/kikaku/2009syuin/db/database.cgi?cmd=dp&num=259&dp=
(2009/09/02 掲載)
《攻防の軌跡 09衆院選(2)》
頼みの郡部も票伸びず 組織型選挙に限界 市町村議減少が直撃

◎自民退潮
 衆院選から一夜明けた31日朝、県庁西隣の自民党県連事務局が入る県政会館に、沈痛な面持ちの所属県議が次々と集まってきた。自民惨敗を受け、県連立て直しを協議するため急きょ県議団総会が開かれた。自民は3回連続で県内小選挙区5議席を独占してきたが、今回はわずか2議席。ある中堅県議は憔悴(しょうすい)しきった様子で話した。「やれることは、すべてやったのに」
 今回の自民の小選挙区での得票は5小選挙区合計で約54万7千。投票率が上がったにもかかわらず前回に比べて約6万4千票減らした。民主党が強いとされる市部だけでなく、頼みの郡部でも自民の票は伸びなかった。
 得票減の理由に、市町村合併に伴う市町村議の激減が指摘されている。
 自民の国政選挙は、支援県議や市町村議がそれぞれの後援会員の票を固めた上で、地縁、血縁に投票を呼び掛けてもらい票を上積みしてきた。ところが、1998年4月に70市町村に1341人いた市町村議は、「平成の大合併」を経て36市町村683人(今年8月の条例定数)にほぼ半減。議場を去った多くが自民支持の議員だった。
 陣営によっては市町村議のOBを駆り出して組織を補修したが、候補本人や市町村議の後援会員の高齢化も重なり、機動力の低下に歯止めをかけることはできなかった。こうした状況下、県議にこれまで以上に集票の重圧がかかった。南波和憲県連幹事長は「国政選挙だったが、まるで県議選のようだった」と振り返った。
 組織選挙の象徴とも言える動員型の集会も効果が薄れてきた。自民候補の総決起集会に参加した男性は「会社から言われてしぶしぶ参加した人も多い。こんなムードの中で、汗かいてくれと言われても」とうつむいた。
 高い投票率が予想される中、各陣営とも無党派層の取り込みに腐心した。2区の笹川尭氏は三輪バイク遊説を導入。携帯電話で若者に支持を呼び掛ける陣営もあった。パフォーマンスが苦手とされる4区の福田康夫氏は選挙戦最終日の29日、高崎・城南球場でのプロ野球BCリーグの始球式にバッターで登場。観客に手を振って支援を求めた。
 保守層を固め、王国を築いてきた自民。地殻変動に危機感を募らせる。
 「組織戦ではこれ以上できないところまで頑張った。無党派層の取り込みを真剣に考えなければ、来年の参院選も大変なことになる」。県議団総会後、ベテラン県議は顔をこわばらせた。


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