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死刑制度についてひと言お願いします

1780Ken:2008/06/19(木) 07:18:11
>>1777この手の研究の客観性

は気にしなくていいと思います。体制側に都合のよい研究結果を出す御用学者と
いうのは存在するでしょうし、エモリー大学のあるジョージア州は米国では死刑制度を
支持する保守的な土地柄なのでひょっとするとその影響もあるかもしれないですが、
記事にはこれらの研究に批判的な専門家の意見も紹介されています(私も一部
要約しましたが)。つまり、社会的立場、社会的風潮がどうであろうと、そんな
こととは関係なく意見を述べたり研究を行う自由が米国では保障されています。
この米国人による記事自体、両論併記ではあるものの、全体的には死刑に批判的な
トーンとなっています。

元の研究にあたらずに書いてますが、常識的に考えてこれらの研究は専門誌に
発表されているはずです。そして、専門誌には査読制度というのがあります(例外も
ありますが)。これはその道の専門家が研究内容に関して論理に矛盾はないか、
手法に問題がないか、それが新奇な発見であるかどうかを匿名で批判的にチェックする
制度です。ですから、専門誌に発表された時点で第三者である別の専門家による
チェックが入っています。これらの研究は死刑には抑止力があるという研究と
ないという研究を踏まえたうえで行われていることも想像に難くないです。

>>1771 1977年と1999年の間で、処刑一件につき三件の殺人を防いだ計算になる。

書き方が悪かったですが、1977年と1999年という二つの年の比較ではなくて、
この期間を平均すれば、という意味です。社会的な要因というのは時代によって
移ろうものですが、長期にわたる平均的な観察によってその影響を除外しようと
しているのでしょう。ちなみに、米国では連邦裁判決によって一時期、死刑が
停止されてましたが、1977年というのは死刑が再開された翌年ですね。

無精髭さんも述べられているとおり、日本でも同様の研究は可能だと思いますよ。
法務大臣によっては死刑の執行を拒否していた人もいますし、それとの比較とか
鳩山大臣は二カ月おきに死刑執行しているというのであれば、死刑執行直後の
一ヶ月間とその次の一ヶ月間で凶悪犯罪の発生率を比べるとか。

1781Ken:2008/06/19(木) 07:29:15
刑罰一般には抑止力があるのは確実じゃないですかね。普通の殺人犯は証拠隠滅を
図ったり逃亡したりしますけど、捕まればどうなるかを知ってるからじゃないですかね。
同じ理由で犯行を思いとどまる人も多いのは想像に難くないです。殺人事件の
発生件数が低くとどまっているのは厳しい罰が待っているせいでしょうが、この
厳しい罰に死刑が含まれていることにさらなるプラスの効果があるのかどうか
といったことなんでしょうね。

1782Ken:2008/06/19(木) 07:38:05
>>1774最高刑が終身刑だったら生活苦の人がどんどん犯罪を犯して一生刑務所生活するようになるんじゃないでしょうか。

その心配はしなくていいと思います。というか終身刑が存在していない今でも
生活苦からどんどん犯罪を犯して刑務所に入り続けようとする人はいます。例外的だとは
思いますが。昔、別のスレッドに書き込みましたが、刑務所暮らしが長くて娑婆に
出てもどうやって生きていけば分からず、放火してまた刑務所に舞い戻ったという
はた迷惑なおじいさんがいます。終身刑があろうがなかろうが刑務所に居続けたい人は
また再犯に手を染めることでしょう。むしろ、そういう人が終身刑になれば再犯されずに
済むのでよいと思います。

1783行きずりの男:2008/06/19(木) 11:07:21
無精髭様、Ken様はいずれも研究者系の優秀な頭脳をお持ちのようで、
実務系の乏しい理解力しかない私にはたちうちできないところがあります。
死刑の実証的研究に関する諸論文には接したことがありません。
おそらく私が考えているような「泥臭い」実証とは
次元の違うものと拝察しますが、
アウトラインでも教えていただければと思います。

一般刑の抑止力は、実務家レベルでは「公知の事実」と思います。
通常の事件の被疑者調書などをみても、
被疑者は警察を恐れ、処罰を恐れ、なんとか捕まらないように
努力している様子がうかがえますし、
薬物関係の再犯者の供述調書をみても、
少なくとも前の判決後相当期間は、逮捕→処罰の過程を恐れて
相当長期にわたって薬物に手を出さないでいた
という経過がうかがわれます。
別にこんなことを持ち出すまでもなく、
誰の心のなかにも、刑事罰をうけることへの恐れはあるでしょう。
犯罪に手を染めようとしたとき、刑罰への恐れを感じ
それが抑制として機能するということは、
誰でもリアルに想像できるのではないでしょうか。
万引き、不正乗車の経験ある人なら、
自分の心のなかにその痕跡を見出すことさえできるでしょう。
この点は立証不要の顕著な事実と思います。

ちなみに、私は終身刑には賛成できないのです。
行刑にあたる人の困難が目に見えるからです。
死刑廃止論にたてない理由もここにあります。

1784行きずりの男:2008/06/19(木) 11:31:19
刑罰が抑止として機能する場面はリアルに「想像できる」と書きました。
一方で、「死刑」という刑罰が、これから殺人を犯そうとしている人に
抑止力として働く場面を想像することはできません。
多数の人をこれから殺そうと具体的計画を練った人間が、
「無期懲役までならいいが、死刑になるのは怖いからやめよう」
と思うでしょうか。シュール過ぎると思うのは私だけでしょうか。
自分が捕まった後のことまで冷静に考える人は、
始めから殺人鬼予備軍になったりしません。
彼らは逮捕され、公判に引きずり出される段階になって、
はじめて死刑におびえ、さまざまな弁解を考え出したりするのです。

1785行きずりの男:2008/06/19(木) 17:42:12
閑話休題。
昨年の殺人認知件数は戦後最低を記録しました。
意外にも日本の治安は確実によくなっているわけです。
こんなときに、死刑執行の数が増えるというのは、
ややセンスにかける感じがしてなりません。
ところで、昨年までの殺人認知件数戦後最低の年は、
平成3年でした。この年は、「3年4か月」にわたる空前の死刑執行
空白期間の真っ最中でした。だからどうというわけではありませんが、
死刑執行の長期停止が凶悪犯罪の悪化に直接繋がった
ということはなかったようです。

1786無精髭:2008/06/19(木) 22:28:27
Ken氏に倣って、小生も自身のスタンスを述べますと、個人の実感に欠いた研究ほど、
無味乾燥で刺激の少ないものはないと思っております。ある客観的事実に対して異なる学説同士の
叩き合いなどには、そこで事実とされている当の事象をまずは疑って見せよ、と申したくもなります。
不毛といえば人文科学が自らの手法についてフィジカルな客観性を偽る事位、不毛な事は無いと存じます。

ですがKen氏の>>1778のスタンスには心底感服致します。そういうある面頑固な所がなければ、議論なんぞ
続けては行けないでしょうから。Ken氏ご提供の情報も、小生には邪魔であるどころか、一人合点な持論展開の
急所を突くものとして、小生自身も重宝致しております次第。とても助かります。

副島隆彦は知らないのですが、ムーン・ホークスというのは聞いた事がございます。確かにギャクでございますよね。
ですが、基礎的な科学知識を持つどころか専門の物理学者である大槻 義彦なんて人も、同様の発言をして問題視された
との事でございます。、ある(専門性の強い?)言説に対して突拍子もない意見を飛ばす人物というのは何処にでも
いる様ですし、あながち素人・玄人や専門家・門外漢に関係ないのではございませんかね。
無論、素人の方が間違いを犯しやすいという傾向は認めざるを得ませんが。しかしながら、

>専門家の仕事に対して素人が意見を口はさむ場合、しばしば洞察力にあふれている
>場合もある一方で、てんで的外れで害悪でしかない場合も多い。

こればかりを恐れて、まずは客観的データありき、実証的研究ありきで、個人の主張や生活実感を二の次三の次にして、
結局は取り扱わないで等閑にする、研究対象と見做さないとは、ちょっと学知の権威による横暴って感じが
過ぎるのではあるまいかとも思うのです。
どんな学問もアカデミックな世界で自足していればやがて腐臭を放ちますから、そこにド素人の直感という新鮮な風を
入れてやらねばなりますまい。ともすれば形骸化しやすい専門学に活を入れるのは、そのパラダイムに囚われない・
自由な発想の源泉である個人の主観ではございませんかな?
Ken氏も、よもや専門家がそれを無視して良いと言うことを主張なさっていらっしゃる訳ではございませんでしょう。
寧ろ、個々人の主観による議論を総括し得ない非は、(個々人各々にではなく)その専門家にこそ認められるべき
ではないかと思われます。

1787無精髭:2008/06/19(木) 22:28:48
>無精髭さんと行きずりさんの投稿を一まとめに
>したつもりはなくて、
小生の方こそ、おふざけ半分の気分でレス致しましたので、大変申し訳なく存じ上げます。
Ken氏は本来、小生にレスなさるより行きずりの男氏にレスなさる方が適切かと思われましたので、
それを無礼にもご指摘致したまででございます。小生の書き込みは相手にするまでも無く可笑しいものだと言う事は、
Ken氏も「犯罪に対する態度〜」スレで既にご存知かと思われます。

>ですから、死刑の抑止力は「論証不能」「確かめようがない」というお二人の意見は、客観的事実に反しています。
何を以って「客観的事実」とするのかが問題でございますよね。
死刑(法改正があれば、他の刑罰に関しても問う事は可能ですが、)と犯罪発生率の相関関係を
調べ、後者の高低によって前者の有無を結論付けるという手法は、確かに可能であり意味がございます。
ですが犯罪発生率が客観性をもつデータとして算出されるのは分かるのですが(この際、警察による検挙率への考察は
抜きにしても)、それを犯罪抑止効果の別の現れとしてイコールさせる事がどうして客観的なのか(実証的なのか)が
良く分かりません。否、その意義は良く分かりますし、蓋然性のある事も分かるのですが、そういった研究は
実証科学の言う厳密な意味での客観性は持ち得ないものとしか思えないのです(だからと言って、社会科学が実証方法
の客観性において自然科学と同等であると自ら騙っている、とまでは申しません)。

とは申したものの、確かに死刑の犯罪抑止力に関する研究が(あるのは既知でございましたが)曲りなりにも論証力
(説得力)を持つものとして存在することは認めなければなりますまい。「確かめようがない」と申しましたのは
軽率でございましたね。確かに、現時点では「確かめる方法があるともないともいえない」のが現状で、その研究も
まだまだ未成熟と言うか発展途上のようで、その真価が問われるのももっと先の話のようでございますので、研究自体が
無駄だとは今ここで簡単に断言できるものではございませんよ。否、この手の研究は実証性はともかくとして、説得力
さえあれば良いのだと小生個人は思いますけれどね。

>「この手の研究の客観性」は気にしなくていいと思います。
と仰るように、小生も細かい事を一々気にし過ぎなのは認めます。これは「髭の病気」の一つでございます懐疑癖の現れ
でございます。Ken氏はこの手の考えに肌が合わぬものとお察し致しますから、何事も無くスルーなさって下さっても
構いませんよ。ですけれども、本心では反論・批判のレスは嬉しゅうございます。

そうそう、「査読制度」に関しましては、有益な情報の程、誠に助かります。
これもある種アカデミックな内輪のみの、論文盥回し的なオートメーションに堕していなければ良いのですけれど。

1788無精髭:2008/06/19(木) 23:03:35
犯罪抑止効果の存在を何処に認めるのかが
Ken氏はデータの中に認められると仰る。
ならば小生は、微弱でも良いからその効果とやらが
主観的に働いている事を自覚して見たいと切り返す。

何と申すか、小生自身に限りますと、
犯罪抑止力は良心には不文律が、実際には他人の目が
かなり強く働いております。それと、警察の存在。
国に定められている法律に従って生きているという、
実感が無い以上、そこに抑止力を認める訳にはちょっと
参らない。況してやその先の刑罰にまで、それを
認めようなどとは、思いも寄りません。

若しかすると、何も考えずに平和に生きている一般市民
には余り働かず(?)、反社会的言動の多い輩や現に
罪を犯している者などにしか、効果が出ないものなのかも
知れませんね。犯罪を本当に犯してみようと思い立った場合や、
既に犯している罪よりも重い罪を犯そうとする場合に、
ちょっと踏みとどまる、一瞬躊躇する、これこそ刑罰の
抑止効果なのかも知れませんね(ちょっと可笑しいのですけど)。
抑止効果があり方について主観的に理想なのは、
現在の生活と犯行後の生活を秤にかけて、
犯行に伴うリスクが犯行による生活の向上の見込みを上回ったとき、
その全体を覆う不穏な雰囲気として、刑罰の犯罪抑止効果が
初めて到来する。
これでございますね。

上記のような抑止力では、小生に感知できないのも無理はございません。
小生個人と致しましては、犯罪を抑止するのは良心からの方が理想で、
刑罰のそればかりに頼りたくはないなぁ、と存じ上げるのですが。

1789無精髭:2008/06/19(木) 23:06:18
>>1788()内の文を書き足すのを忘れて投稿してしまいました。

犯罪抑止効果の存在を何処に認めるのかが(意見の分かれ目。)

1790無精髭:2008/06/19(木) 23:47:17
度々の連投、本当に申し訳ございません。

行きずりの男様へ

>>1783-1785
>無精髭様、Ken様はいずれも研究者系の優秀な頭脳をお持ちのようで、
>実務系の乏しい理解力しかない私にはたちうちできないところがあります。
全然。Ken氏はそれで宜しいとしても、小生の方は言わば「妄想系」でございます。
ゆきずりの男様の方が、そのレス内容の濃密さと有益性に於いて、小生よりずっと上。
小生、そもそも情報源とやらが枯渇しておりますので(苦笑)
貴殿のレスが来るのは小生の楽しみでございます。
これからも宜しくお願い致します。

>刑罰が抑止として機能する場面はリアルに「想像できる」
この部分は賛同致します。と申しますより、別のスレで同様の事を書いた
記憶がございます。ですが、そこでの小生の意見は少し変調されていて、
貴殿のご主張では大体の人が刑罰を意識するのに少なからず積極的であると
説かれるのに対し、
小生のそれは、刑罰の存在が社会生活においても現前としていればいる程、
個人の主観に於いては自らの取り得る或る行為の末路に刑罰を措定し易い
のではないか、つまり己の損失を主観的に構成し易いのではないか、と言った
仮定に過ぎないのですけれど。これには、権力機構が刑罰を目的・手段とする事
への捉え直しの意図がございます。ですから、激しくスレ違いなのですw

>昨年の殺人認知件数は戦後最低を記録しました。
>意外にも日本の治安は確実によくなっているわけです
これはさすがの小生も存じておりました。こちらの以下のご意見も
拝読致しました。色々と示唆に富む内容でございます。
他の諸賢のご意見もお聞き致したい所存。

1791無精髭:2008/06/20(金) 00:00:10
連投申し訳ございません。

最後にKen様へ

以下引用

繰り返しになりますが、死刑には殺人を防ぐ抑止力がある、
と結論した実証的研究は存在します。ですから、死刑の抑止力は「論証不能」
「確かめようがない」というお二人の意見は、客観的事実に反しています。もちろん、
これらの研究が妥当であるかどうか、いかほどの普遍性があるのか、それを根拠に
死刑制度を支持することができるのかどうか、といった議論は続けることはできますが、
それは別な問題です。

>>1779より)

「客観的事実」とは、ただこの手の研究が存在するという事を指していらっしゃったのですね。
小生はこの手の研究が存在するのは知っておりましたが、
「これらの研究が妥当であるかどうか、いかほどの普遍性があるのか」と疑っておりましたので、
この手の研究(による成果)は無きに等しいものと見做しておりました。
ですが、Ken様によればそれは「別な問題」との事。
まぁ、小生はこの手の議論には興味が持てないので、一先ず退散致したく存じ上げます。

1792紫煙狼:2008/06/20(金) 00:18:48
行きずりサンの投稿を読んで、非常に興味深い事を書くなぁ…と思いました。
以下、別に揚げ足を取りたいわけではないのでその点ご了承ください。

>>1784
>多数の人をこれから殺そうと具体的計画を練った人間が、
>「無期懲役までならいいが、死刑になるのは怖いからやめよう」
>と思うでしょうか。
この書き込みは刑199を想定して書かれたように感じました。
しかし刑240を想定すると状況が変わるように思うのです。
強盗致傷は有期懲役で、強盗致死は無期もしくは死刑ですよね。
こうなると、無期もしくは死刑になりたくないが故に殺さない程度に
手加減する強盗犯の存在が想像できませんか?もしくは運悪く相手が
死んでしまうことを想定して単純強盗で済まそうとする強盗犯も想像するに
難くないと思うのです。実際に、武器を所持して強盗に入ったが、
家人に騒がれたため犯行を諦め逃走するという事件は珍しくないですよね?

もちろん、騒がれたことで犯行が難しくなり捕まっては元も子もないと
ばかりに逃げ出すという心理なのでしょうが、騒がれる前に殺すとか、
騒がれたら永遠に口を封じるという選択肢もあるわけで、この分かれ道は
「殺してまでして奪いたいとは思わない」という微かながらの道徳心か、
「殺人なんて怖くてできない」という被害者としては幸運な度胸の無さか、
それこそ「懲役は我慢できても死刑はさすがに…」どれかでしょう。

そういう意味では、最初から殺すつもりでいる人間に対して死刑が抑止効果を
持つとは思えませんが、死刑の抑止効果ゆえに、できれば殺したくないという
考えに至る犯罪者は少なくないと思いますよ?

1793Ken:2008/06/20(金) 13:26:42
無精髭さん、私が主張した違いを理解していただけたようで何よりです。しかしながら
まだ誤解が残っているようです。さんざんっぱらこれらの研究を擁護してきた
後で言うのもなんですが、私はこれらの研究から導かれた結論が客観的事実である、
とは言ってません。むしろ日本の死刑制度にも当てはまるほどの普遍性はないのでは
なかろうかと疑っています(後述)。

日本を基準にして人文系、社会科学を見くびるのは止めたほうがいいですよ。
日本はとにかくこの分野は絶望的なほど立ち遅れてますから。自然科学の分野では
世界で伍している研究者は山ほどいますけど。私見ですけど、日本の人文系・
社会科学者は英語で論文を書く習慣がないので、井の中の蛙に成り下がっちゃったん
じゃないですかね。世界のレベルは違いますよ。犯罪統計学なんて犯罪の多い
米国はデータも豊富。山ほど行われていて、中には象牙の塔に引きこもるだけじゃなく
テレビでやってたんですけど、危ないダウンタウンを歩き回るフィールドワークと
犯罪統計学を組み合わせて斬新な新説を提出してる犯罪学者もいましたね。

懐疑論者の無精髭さんにとっては余計なお世話でしょうが、日本のテレビで学者が
言ってることは眉につば付けといたほうがいいですよ。大槻教授とか。特に専門外の
発言は絶対に信用しないほうがいいです。テレビ局は変わった発言で受けるから
トンデモ学者を使うんでしょう。学者もそれに迎合・売名しちゃうんでしょう。
まじめな学者はどうせテレビ局にトリムされて都合のいいところだけ使われるのを
知ってるからはじめから出ない。

1794Ken:2008/06/20(金) 15:03:28
それで行きずりさんのご要望にお答えして元の論文に当たってみたんですけどね。

DETERRENCE VERSUS BRUTALIZATION: CAPITAL PUNISHMENT'S DIFFERING IMPACTS AMONG STATES
Joanna M Shepherd. Michigan Law Review. Ann Arbor: Nov 2005. Vol. 104, Iss. 2
pg. 203, 53 pgs

50ページ以上という超大作ですよ。しかもたった一人で。この分野では当たり前かも
知れないですけど。内容は...私の手には負えません;-(
結論は直感的ですが、それにいたる手法がちんぷんかんぷん。なにやら回帰モデル、
数式を立ててこれに様々な統計値を代入して死刑の抑止力を定量化する、といった
感じです。それじゃ仕方がないんで彼女が自分の研究を素人向けに解説した記事を
クリスチャンサイエンスモニター紙に見つけたのでそれとあわせてすこしだけ
解説してみたいと思います。
http://www.csmonitor.com/2005/1214/p09s01-coop.html

まずこのエモリー大学法学部ジョアン・シェパード助教授は美人で(関係ないけど)
http://www.law.emory.edu/home/news-article/article/the-christian-science-monitor-features-prof-shepherds-death-penalty-op-ed.html?tx_ttnews%5BbackPid%5D=1218&cHash=90c130b754
まだ若いのにCSモニター、ウォールストリートジャーナルに寄稿したり、NYタイムズの
社説で研究が紹介されたりと、新進気鋭の学者のようです。それで彼女が扱ったのが
1977年から1996年にいたる全米全州全郡の統計データですね。このサンプル期間で
死刑が一度でも執行されたのは約半数の27州に上るのですが、死刑に抑止力が
認められたのはさらにその約5分の1、たったの6州(テキサス、ネバダ、南カロライナなど)。
死刑の執行された州のうち約5割、13州(ユタ、オレゴン、オクラホマなど)では
なんと逆に死刑の結果殺人率が上がるという結果が出ました。残りの8州は死刑で
殺人は増えも減りもしないという結果です。

それで、先生の立てた仮説というのはこうです。死刑には抑止力と残虐化(brutalization)
という拮抗する二つの作用があるのではなかろうかと。残虐化というのは死刑によって
社会に残虐で暴力的な空気が蔓延する、という意味だそうです。それで、州によって
処刑によってこの二つの作用の按配が変わって、相対的に抑止力が強い場合には
殺人が減り、逆に残虐化が強い場合には死刑によって殺人が増えると。正味で
釣り合っているときにはなんら効果なし。

それで、なぜ州によって二つの作用のバランスが異なるのか、先生が注目したのは
処刑の絶対数ですね。抑止力が認められた州は処刑数が多い。逆に残虐化が認められた
州は処刑数が少ない。死刑が抑止力として機能するためにはそれが犯罪予備軍にとって
精神的圧迫とならなければならないわけですよ。どかどかと処刑されていくテキサス州には
そういう圧力がある。ところが死刑の数が少ないと、たとえばカリフォルニア州は
死刑判決を出すばっかりで処刑が滞っているため2005年の時点で650人もの死刑囚が
いるのに対して1977年以来たったの12人しか処刑されていない。こういうところでは
死刑が抑止力を発揮することはなく、逆にネガティブな残虐化によって殺人を
誘発してしまうと。そういう解釈をしています。

全米で平均してしまうと圧倒的処刑数を誇るテキサス州が他州を凌駕してしまい
死刑には抑止力あり、という結論が導かれるそうです。

1795Ken:2008/06/20(金) 15:18:08
この論文は私が睨んだとおり、査読制度(Peer review)のある雑誌に掲載されてました。
査読制度もいろいろと問題があるのですが(匿名をかさに気に食わない同業者の
論文に難癖を付けて不採用にしたりとか)、使われ続けているのは専門的な論文を
評価するのにそれ以外によい手段がないからなんですね。ただ、例外もあると
私以前書きましたけど、とにかく査読は純粋な技術的な間違いの指摘だけにとどめて
とにかく誰でもなんでも発表できちゃう。批判するのはその後で、みたいな編集方針を
とっている実験的な雑誌もあります。

1796Ken:2008/06/20(金) 15:45:36
行きずりさんのコメントは私にとっても非常に興味深いです。私も以前似たような
こと書いたことがあります。普通死刑になるのは二人以上殺した場合ですけど、
一人殺した後で、も一人殺せば死刑になるからここいらでやめとくか、なんてこと
絶対にないでしょう。殺人者は殺すときには一人でも二人でも何人でも殺します。
自分は絶対に捕まらないという自信があるからなのでしょう。逆にひょっとすると
捕まるかもと考えれば殺害を思いとどまるかもしれない。だから死刑ではなくて
警察力のほうが殺人の抑止には大事なのではないかと。日本では殺人の検挙率は
めちゃくちゃ高いですよね(ここ最近下がっているようですが)。ここいらあたりに
日本の殺人率が低い理由があるのではなかろうかと。紫煙狼さんの意見は今まで
私になかった視点ですけど、それはそれで非常に理にかなっていると思いました。

ところでせっかくですから私も>>1783に反論してみようと思います。

>>ちなみに、私は終身刑には賛成できないのです。
>>行刑にあたる人の困難が目に見えるからです。
>>死刑廃止論にたてない理由もここにあります。

実務にあたる人の立場で考えれば、死刑存続に賛成、終身刑導入に反対とのことですが、
むしろ逆じゃないのかと思いました。理由は以下のとおり。

1.厳罰化のあおりで有期刑は最高で30年、無期懲役は仮釈放が基本的に認められないなど
実質的に終身刑はすでに導入されている。
2.司法当局には死刑は執行してもしなくてもよいというフリーハンドがあり、
死刑判決を受けながら終身刑で処遇されている死刑囚が多数いる。95歳で老衰で
亡くなった帝銀事件の平沢貞通元死刑囚が代表例。
3.死刑執行のほうがどう考えても実務としてきつい。想像ですけど、処刑の実務に
携わっている人なんて日本には両手で数えられるくらいしかいないのと違いますか?
二ヶ月に一回召集されて何人かをいっぺんに「処理」するんですよね。めちゃくちゃ
えげつない仕事だと思いますけど。
4.米国の刑務所元所長で90名の処刑に立ち会ったClinton Duffyはリタイア後に
死刑廃止論者に転向している。絞首刑はしばしばとんでもないことになるんだそうです。
http://www.amazon.com/Eighty-Eight-Men-Two-Women/dp/040462412X

1797Ken:2008/06/20(金) 15:52:59
すいません、書き忘れていましたけど、紹介した論文を日本に当てはめると、
日本は加州型ではなかろうかと。死刑判決はしばしば出されますけど、処刑が
滞っていて死刑囚がずいぶんとたまっている。こういう場合、処刑すると抑止力ではなく
残虐化の作用が出る。死刑執行が停止されていた時期に逆説的に殺人率が下がった
との事ですが、これは残虐化の作用が止んだことによって相対的に殺人率が低下した
結果なのでしょう。今のところ、鳩山法相は処刑を頻発してますが、こうなると
今度は抑止力が強まることになります。ということは殺人率はやはり低下する
ことになるでしょう。

処刑を停止させようが頻発させようがどのみち殺人率が下がるというのは、体制側に
とってなんとも虫のいい、無敵の理論ですね。

1798無精髭:2008/06/20(金) 22:59:27
Ken様へ

>無精髭さん、私が主張した違いを理解していただけたようで何よりです。しかしながら
>まだ誤解が残っているようです。(後略)
否、貴殿が死刑の犯罪抑止力についての研究成果が「客観的事実」であると主張なさって
いらっしゃるとまでは、申し上げた心算はございませんのでご安心(?)下さい。
>>1791に、
>「客観的事実」とは、ただこの手の研究が存在するという事を指していらっしゃったのですね。
>ですが、Ken様によればそれは「別な問題」との事。
と、書きました通りでございます。1786-1787までは、Ken様が仰る通りの誤解を致しておりました
が、後々思い返し・読み返してみて気が付きましたので、この様に訂正致した心算でございました。

>日本を基準にして人文系、社会科学を見くびるのは止めたほうがいいですよ。(後略)
これだけ引用すると不穏な感じが致しますが(笑)、まぁそれは兎も角と致しまして、
上記については全く以って同感にございます。確かに日本での一般的言説をやや鵜呑みにしていた
感がございます。
>日本の人文系・社会科学者は(中略)井の中の蛙に成り下がっちゃったんじゃないですかね。
ちょっと乱暴な言い方かな、とも思われますが頷けます。小生の私見では、外国語で論文を書く習慣
の有無と言うより、外国語の文献を日本語に翻訳する事にばかり感けている・つまり外国の先端的な
研究を日本の学界に紹介する事を研究だと思い込んでいる、これに起因しているのではないかと思う
のですがね。そもそも学問に対して懐疑や反省がない学者が多すぎる気が致します。
>犯罪統計学なんて犯罪の多い米国はデータも豊富。
異論はございません。とすると、日本には芽が出ない学問、出ても雨が降らずにすぐ萎れてしまう
ものなのかも知れません。日本には、日本の風土に合った研究方法が模索されて然るべきでござい
ますね。TVに出てくる評論家や学者がよく言う事に、「(例を出して)総じて日本は遅れている。
それに比べてアメリカは・・・」の様な常套句がございますが、小生はあれが大っ嫌いでござい
ます(日本にいる人間が何を抜かすwとね、勿論Ken様は当のアメリカに御住まいとの事ですから
この様に仰っても、まぁ、事情が逆ですからね...とりあえず棚上げに)。
(何処の国の場合でも同じですが)日本に他国の長所を移植するのに、自国の特殊性を無視できると
考えているからこそ、こんな常套句も簡単に口をついて出るのでしょう(ん?そうだとは限らぬか)。
>危ないダウンタウンを歩き回るフィールドワーク(後略)
これは日本ではさすがに無理でございましょうw
ですが、つくづく日本が平和であって良かったと思いますよ。この様な研究が出来る素地が日本の
社会環境に生まれてしまったら、日本の社会科学もちっとは増しになるなんて、小心者の小生に致し
ましたら怖くて怖くて敵いませんのでね、思いも及ばぬ次第でございますよ。

>懐疑論者の無精髭さんにとっては余計なお世話でしょうが(後略)
否、全然。

1799無精髭:2008/06/20(金) 23:18:10
小生がレスを付けるのは立場違いなのですけれど、

>それで行きずりさんのご要望にお答えして元の論文に当たってみたんですけどね。
(中略)
>結論は直感的ですが、それにいたる手法がちんぷんかんぷん。なにやら回帰モデル、
>数式を立ててこれに様々な統計値を代入して死刑の抑止力を定量化する、といった
>感じです。

ソーカル事件の教訓は活かされているのでしょうかね?
これと同じ轍を踏んでいない事を、その研究にも願いますよ。

総じて、小生が社会学全般・社会科学に懐疑的なのはこれがあるからでございます。
しかし、それはさて置き

>それで彼女が扱ったのが
>1977年から1996年にいたる全米全州全郡の統計データですね。このサンプル期間で
>死刑が一度でも執行されたのは約半数の27州に上るのですが、死刑に抑止力が
>認められたのはさらにその約5分の1、たったの6州(テキサス、ネバダ、南カロライナなど)。
>死刑の執行された州のうち約5割、13州(ユタ、オレゴン、オクラホマなど)では
>なんと逆に死刑の結果殺人率が上がるという結果が出ました。残りの8州は死刑で
>殺人は増えも減りもしないという結果です。

これは大変に有益なデータかも知れません。若しかすると、ジョアン・シェパード先生が
立てた仮説とは別の見方だって、私たちには出来るのかも知れませんよ!?

>処刑を停止させようが頻発させようがどのみち殺人率が下がるというのは、体制側に
>とってなんとも虫のいい、無敵の理論ですね。

ここが懐疑派の小生には臭い所なのです。

1800無精髭:2008/06/21(土) 00:12:48
どうしようもなく眠いので短文レスにさせて戴きます。

絞首刑・電気椅子・薬殺・・・ですか?
これらの死刑の違いも考慮に入れて
データを読み込む余地は、尚も残されて
いるかも知れません。
「死刑が執行された」という事実の中には、
そのような個別の事実も入っているのですから。

死刑の残虐化効果ですか。。。
死刑制度の存在がそれを生み、
死刑執行が抑止力を生むのだと言う。

小生はF氏に以前、
死刑の存在が国民に対して
死の意味を一義的に担わせる、
その押し付けこそ国家的暴力である
と申した覚えがございます。
>>1767でも、死刑の残酷性について触れました。

ですが、まさかそれが犯罪を生む様な
逆効果になるとまでは思い及ばなかったです。
刑罰を全体的に重くすると、反政府分子の
不満が高まる事で、テロまがいの犯罪は
増えるんじゃないかと、これまた以前
申した覚えがございます。

短文・・・ではございませんでしたね。陳謝。

1801Ken:2008/06/21(土) 04:08:15
ソーカル事件、知らなかったです。なんとも痛快ですね!アイアンマウンテン報告書は
知ってますか?翻訳者が全文を公開しています↓
http://cruel.org/books/ironmountain.pdf
私にも死ぬまでにいっぺん壮大なほらで世間を驚かせたいという夢があります。
以前、この掲示板でちょっと試してみて私の立場がずいぶん危うくなりましたけど...。
冗談が通じないのってやですね。

日本語版と違って英語版Wikipediaには当時ソーシャル・テクスト誌には査読制度は
なかった、と書いてあります。さすがに誰か一人でもまじめに読んでいたらおかしいのに
気づいたのと違いますかね。私もソーカル氏の論文、試しに三行くらい読んでみましたけど、
一瞥して噴飯もののあやしさですね。哲学者たちがマジでこんなナンセンスばかり
書いているとしたら由々しき問題でしょう。

同じ数式を用いていてもシェパード教授(名前はジョアナでした)の論文は自然科学的
手法を用いた、趣が全然違う研究なので心配しなくていいですよ。自然科学が
いいのは「誰もがその気になれば実証的に検証できる」という客観性があるところです。
その気になれば彼女が用いた手法は詳述されているので、彼女が用いたデータ、
あるいは自分で集めたデータを彼女の数式にあてはめて本当に同じ結果が得られるか
どうか(再現性)、確かめることは可能です。彼女は論文の中で他の経済学者たちの
同様の研究を引用してますが、すべからく死刑には抑止力がある、という結果が
得られているそうです。独立した研究者が同じ現象を報告している場合、不正を
疑う必要はありません。複雑な事象に対して数式を複雑にしてモデル化するという
手法が将来廃れるという可能性はありますが...。

1802老婆心:2008/06/21(土) 09:24:09
横やりを入れるようで、申し訳ないのですが、これまでのところの議論・やりとり、とりわけ
Kenさんと無精髭さんの議論は、専門的な知識をともない、話のないようもむずかしく、正直
わたしの頭ではついていけない思いでした。しかしながら、言葉の概念や、考え方の枠組み等の
点で、気になる点があり、コメントしました。

「刑罰」に関連して、「残酷」と「残虐」という言葉が使用されていると思いますが、
「残酷」と「残虐」の意味の違いなどを含め、両者の「定義」は可能でしょうか。

また、日本国憲法以下の法体系では、「死刑」という「刑罰」は、憲法31条その他の法令で
認められていますが、憲法36条は「残虐」な「刑罰」を禁止し、同じ「死刑」であっても、
その「執行方法」によってや、憲法違反になりうる、という点については、どのように
お考えなのでしょうか。
このことに関連して、特にkenさんにお聞きしたいのですが、
憲法36条の「残虐な」は、元の英文では、「cruel」となっているようですが、
刑罰の社会的効果としての「brutal」との英単語としての違いにつきまして、
ご教示いただけないでしょうか。

よろしくお願いします。

1803老婆心:2008/06/21(土) 09:27:31
すみません、
上記のコメントで、
「その「執行方法」によってや、〜」と書きましたが、
『その「執行方法」によっては、〜』の誤記でした。
失礼いたしました。

1804flower:2008/06/21(土) 10:06:42
>>1801
> 私にも死ぬまでにいっぺん壮大なほらで世間を驚かせたいという夢があります。
> 以前、この掲示板でちょっと試してみて私の立場がずいぶん危うくなりましたけど...。
> 冗談が通じないのってやですね。
>

あぁ、やはりそのあたりはお認めになるようですね。

1805Ken:2008/06/21(土) 13:11:40
自分ではぱっとみて与太と分かるつもりで書いてるんですけどね。

1806Ken:2008/06/21(土) 13:29:37
ちなみにFlowerさんがいまだに根に持っているモンロー主義は与太じゃないですよ。
もうだめでしたけど共和党の元大統領候補ロン・ポール下院議員は非常に保守的な
人なんですけど、外交政策はジョン・マケイン上院議員とは正反対で、イラクから
撤退するだけでなく、日本や韓国、欧州からも撤兵せよと非常に厳格な不干渉主義
(モンロー主義も不干渉主義の一つ)を唱えています。不干渉主義は保守的な
外交政策として未だに一部人気があります。
http://en.wikipedia.org/wiki/Political_positions_of_Ron_Paul#Foreign_policy

1807Ken:2008/06/21(土) 15:36:03
老婆心さん
正直言うとこのBrutalizationという私にとって耳慣れない言葉、どう訳したものかと
悩んだ挙句「残虐化」などと訳してみました。仮訳ということで勘弁してください。
Cruelに関してはいろいろ読んでみましたけど、刑罰が「残虐」かどうかという
文脈ではBrutalではなく必ずCruelを用いるようです。今手元にシェパード教授の
論文がないので確認できないのですが、刑罰の残虐性と混同しないように社会の
状態を表す言葉として彼女はBrutalという言葉を用いたのではなかろうかと。

それで日本国憲法第36条に相当するのが合衆国憲法修正第8条でここでは「Cruel
and unsusual punishment(残酷で異常な刑罰、在日米大使館訳)」を禁止しています。
米国では1972年に死刑が停止されましたが、これは連邦裁で死刑そのものは「残酷で
異常な刑罰」には当たらないが、ジョージア州の死刑制度(執行方法など)が
この条項に違反しているとの疑義が唱えられたからです。ブレナン判事は「残酷で
異常な刑罰」の定義として4つの原則を挙げました(どれか一つでも当てはまったら
アウトです、Ken仮訳)。

・人間としての尊厳を損ねる厳罰。特に拷問。
・明らかに恣意的に科される厳罰。
・社会全般から明白に完全に拒絶されている厳罰。
・明白に不必要な厳罰。

これって、1948年の最高裁判決とそっくりだと思いませんか?

・ただ、死刑といえども他の刑罰の場合におけるのと同様に、その執行の方法などがその時代と環境とにおいて、人道上の見地から一般に残虐性を有するものと認められる場合には、もちろん残虐な刑罰といわねばならぬから、将来、もし死刑について火あぶり、はりつけ、さらし首、釜ゆでの如き残虐な執行方法を定める法律が制定されたとするならば、その法律こそまさに憲法36条に違反するものというべきである。

この連邦裁判決後、各州で死刑制度の見直しが進められ、死刑の評決の仕方、
執行方法などが変更された結果、1976年に連邦裁でお墨付きをもらい(一部の
州はそれでもダメだし)、晴れて死刑再開とあいなったわけです。この際、電気椅子、
絞首刑などは残虐な刑罰ということで下火になり、それ以降処刑はほとんど薬物
注射に移行しています。つまり、宮崎元死刑囚が言っていた「絞首刑は残虐だ、
薬物注射がいい」というのは米国の法学者の間では常識的なことなんですね。

というわけで、いつも私が強調することで、最高裁判所も言ってることですが、
何が残虐(Cruel)に当たるのか、というのは一意に決められることではなくて、
その時代その時代の社会が何を残虐と知覚するのかによって決まるわけですね。
ですから、日本の社会も絞首刑は残虐だ、あるいは死刑自体が残虐だ、と考えるように
なる日がいつか来ないとも限りません。首を絞め殺すなんて死刑じゃなくて殺人事件だったら
「なんて残虐な殺害方法!」なんて、今でもみんな思ってると思うんですけどね。

1808Ken:2008/06/21(土) 15:57:07
というわけで

1800>>絞首刑・電気椅子・薬殺・・・ですか?これらの死刑の違いも考慮に入れてデータを読み込む余地は、尚も残されているかも知れません。「死刑が執行された」という事実の中には、そのような個別の事実も入っているのですから。

シェパード教授が用いた1977年以降のデータはほとんどが薬殺(注射)ですね。
一部電気椅子も含まれていますが...。絞首刑はほぼゼロです。
http://en.wikipedia.org/wiki/Image:Methods_of_executions_in_the_United_States.PNG

1809flower:2008/06/21(土) 16:26:35
>>1806
モンロー主義の原理的な部分は原理的な部分としてあり、
時を経るにしたがってモンロー主義の解釈に変遷が起こっていた、ということがこの件の事実関係だと思います。

1810無精髭:2008/06/21(土) 21:18:22
Ken様へ

>さすがに誰か一人でもまじめに読んでいたらおかしいのに
>気づいたのと違いますかね。

東浩紀著『郵便的不安たち♯』(朝日文庫)からの引用になりますが、
「(前略)ソーカル事件の背後にはダナ・ハラウェイをめぐる学会政治的な確執があった
と言われており、また、『ソーシアル・テクスト』の編集者であるアンドリュー・ロスは、
実際にはソーカル論文に一度リテイクを出したとも言われている。」
東氏はこの事件に加えて、その後ソーカルがジャン・ブリクモンと共に著した『「知」の欺瞞』
に於ける、所謂ポストモダニズム批判の意義は条件付き(※1)で認めていますが、日本論壇
(学会ではない)がそれを無条件に持て囃す事に対してはそれは鈍感であるとしています。
東氏によれば、「そもそも日本では、アメリカと異なり、ポストモダニズムが人文科学の主要な
勢力となったことなど一度もない。」のだそうです。つまり、日本に限りその受容母胎は
アカデミズムではなくジャーナリズムであったという事です。日本に於ける翻訳知の問題は、
無論学会に帰属するものですが、これを槍玉に挙げる伝統(※2)を有していた文芸評論壇の方が、
今度は足を掬われる格好になった訳です。

※1 かなり以前から批判はあったのと、ソーカルの批判の仕方が不公正である事。
※2 小林秀雄による西田幾多郎批判。

老婆心様
お初にお目にかかります。
>>1802-1803について、すぐにもお答え致したいのですが、
実は小生が使っているPCは家族共有のものでして、
今は都合により返信ができませんので、どうかご了承下さいませ。

1811無精髭:2008/06/21(土) 21:23:25
>>1808
>シェパード教授が用いた1977年以降のデータはほとんどが薬殺(注射)ですね。
>一部電気椅子も含まれていますが...。絞首刑はほぼゼロです。

意外でございましたね。より残酷な刑が多いかと思っておりました。

1812無精髭:2008/06/22(日) 01:11:50
Ken氏ご指摘の研究については、Wikipediaの「死刑存廃問題」の項でも触れられているようですね。
(皆様多分既にご存知の事かと思われますけれども。見事、小生は乗り遅れましたな)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%BB%E5%88%91%E5%AD%98%E5%BB%83%E5%95%8F%E9%A1%8C
特に「2.1.1 統計的観点からの死刑制度の犯罪抑止力 」の箇所には、
「残忍化(brutalization)効果」という言葉も見えます。小生は「野蛮化」でも「野獣化」でも、
或いは意訳して「欲望解放化」でも、この際何でも好いと存じますけれどもね。
しかしまぁ、大部な記事でございますなぁ。身を入れて読もうなどとしたら大変です。
自らの問題意識に関わる所だけに目を留めるよう心がけて、他は真に受けずにさらりと読み流す
のが得策でございましょう。

Wikipediaの日本語版は夙にKen氏もご指摘していらっしゃる様に、記事の内容を全面的に
信用する訳には参りません。煩わしいと思われるかも知れませんが、ノートの部分にも
一応目を通しておいた方が良さそうです。記事の公平性を探るよりも、公平に記事を読む
為に、ですね。
しかし、どれだけ長くなるのでしょう、この項目はw

ところで、Wikipediaは本当に便利でございます。このスレで5年以上も議論を重ねて、
漸く蓄積されて煮詰まった考えが、いとも容易くそこに纏められているのですから。
Wikipediaだけを読んで訳知り顔で議論を仕掛けてくる様な新参者が今後出て来るような事
にでもなれば、このスレで議論を重ねる事で御自分の持論を地道に固めて来られたご常連の
方々にとっては、正に由々しき事態となりましょう(小生が申すのも可笑しいですが)。
ですが、自ら考える事と人から教わる事が、仮に同じ結論を導き出したとしても、
それに至るまでの過程の長さ・苦しみによって、更に先の結論へと論を推し進める原動力に
両者の間で差が出るのは自明かと思われます。前者の方がその逆境に強い事は言わずもがな、です。

冗談抜きに、私たちの敵は死刑廃止論者或いは存置論者ではなく、Wikipediaのような
巨大な雑学体系・大衆知の権化なのかも知れませんよ。

1813無精髭:2008/06/22(日) 21:29:47
>>1802
老婆心様へ

あちこちのスレに駄文を書き散らしておりましたので、返信が遅れました。
謹んでお詫び申し上げます。

>また、日本国憲法以下の法体系では、「死刑」という「刑罰」は(中略)
>憲法違反になりうる、という点については、どのようにお考えなのでしょうか。

このご質問につきましては、小生は意見がないと申しますか、今の所は興味が全くございません(笑)。
ただ、「残虐」という言葉は憲法の条文に載せるのには、それを読解するのに主観的材料を必須とせざるを
得ませんので、抹消せよとまでは申しませんけれど、もっと客観的な言葉に替えた方が宜しいかと存じます。
一々と事例を挙げるのは、小生の語彙がややお粗末な為に敵いませんが、大雑把に申して例えば医学・科学用語
を駆使して置き換えるとかすれば宜しいかと思われます。無理に置き換えなくとも、「残虐」と言う言葉を
それらの用語で定義し直すのも宜しいですね。それを「野蛮」とも関連付けるのなら、Ken氏も>>1495>>1807等で
仰っていらっしゃる様に、その語の意味は同時代では文化相対的ですし、歴史的にも絶対的な決まりがある訳
ではなく、寧ろ啓蒙主義者が侵略・統治を正当化付ける為に相手側をそう呼んだという、その言明・表出行為
にこそ存するのです。そういう事実が現在に至るまで尾を引いている訳でございますね。余談ですが「啓・蒙」
と言う漢字も随分と差別的な言葉でございますよね。「野蛮」という言葉でさえも、その意味を忌避するのは
正しいのですが、それを現実の(「野蛮」と呼ばれる)事象と対応付ける事で一緒に忌避すると言う行為も、
その言語を使用していると言う正にその事によって、差別・偏見を無意識裡に肯定しなければ出来ない事なのです
から、余り多用すべきではないのかも知れません。
ウィキペディアの情報もご参考になされば、尚ご理解が深まる事かと存じ上げます。

野蛮 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E8%9B%AE

因みに、「犯罪に対する態度について〜」スレでこの件に関するKen氏と小生のやり取りがございますので、
ご参照戴けましたなら光栄至極にございます(小生のレスは72番、73番辺りでその後訂正が続きます。Ken氏のレスは
76番でございます)。

>「刑罰」に関連して、「残酷」と「残虐」という言葉が使用されていると思いますが、
>「残酷」と「残虐」の意味の違いなどを含め、両者の「定義」は可能でしょうか。

上記のご質問につきましては、時間を置いて再度レス致したく存じます。

1814無精髭:2008/06/23(月) 10:06:24
>>1801
またまたKen様へ

あんまりこの問題に拘泥するとスレ趣旨に反してしまう虞がございますけれど、
面白いので続けさせて頂きます。と申しても、これでラストかも知れません。
ご興味のない方はスルーの程、お願い申し上げます。

ソーカル事件はご存知でなく、アイアンマウンテン報告書をご存知でいらっしゃったのには
正直吃驚致しました。Googleで検索をお掛けになればお分かりのように、Hit件数の違いは
歴然としております。小生はアイアンマウンテン報告書には全く無知でしたし、おそらく
翻訳者の山形浩生氏を知らなければ、日本でそれを知っている者はかなり限られてくるので
はないかと思われます。因みにこの山形氏、とんでもなくユニークな御仁だそうですね。
YAMAGATA Hiroo Official Japanese Page http://cruel.org/jindex.html
山形浩生(Wikipedia)http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%BD%A2%E6%B5%A9%E7%94%9F
何だかこの人、Ken氏の毒舌鋒スタイルを更に凝縮させて・無理矢理純度を高めたかの如き文章を
書きますよね(にしても扱う対象に対して軽妙洒脱に過ぎる感も致しますが)。
後、驚く程、知的関心が旺盛で仕事の射程範囲が広い。福田和也や宮崎哲弥と等しく、手当たり
次第に何でも読む人なのでしょう。プロフィールも異色ですし。
『「知」の欺瞞』に関連して浅田彰氏に絡んでます。と言う事は無論ソーカル事件にも言及して
いるでしょう。ご興味がおありでしたら覗いて見て下さい。

P.S 雑談&連絡スレッドで僭越ながらも色々と勧めておりますけど、無視されても構いません。
  ただ、「東浩紀」に関しては本当に知って置いても損はないと存じます。

1815無精髭:2008/06/23(月) 10:15:52
>>1802
ちょっと脇道に逸れますが、老婆心様へ

>Kenさんと無精髭さんの議論は、専門的な知識をともない、話のないようもむずかしく、正直
>わたしの頭ではついていけない思いでした。

大変にご迷惑をお掛け致しまして、誠に申し訳ございませんでした。ですが貴殿が仰るように
別段テクニカルな議論を致しておる訳ではないのは、Ken氏も小生も共通に認識していると思う
のですけれどもね。要は興味の問題なのだと思うのです。Ken氏は例外的に議論の許容範囲が
広いようですが、小生はと申せば「戦争、政治犯罪、国家犯罪などについて」スレでのKen氏の
それを含む一連のお書き込みには全く食指が動きません。老婆心様も雑談&連絡スレッドの
2033番で以下やや厳しい語調で戒めていらっしゃったでしょう?
>何か、最近、無限回廊で、頻繁にやりとりあるコメントは、
>「差別」「国家」「戦争」などといった「個別の事件」とは関係性のない
>テーマについてであったり、「事件」がらみのコメントでも、「犯人の
>人間性」がどうたらこうたら、というものが多すぎるような気がしますね。
>「無限回廊」の本来の趣旨にそって、純粋に、「未解決事件」の解明を
>試みるものや、刑事捜査の手法を考えるテーマなどについて、才智ある
>人たちの考察を望みます。
貴殿の過去を穿り出してしまい恐縮です。上記のように仰る貴殿に於かれましては、この度の
Ken氏と小生のやり取りは詰まらないものだったとお察し致します。逆に小生においても、貴殿
のご関心の的である「未解決事件の解明」や「刑事捜査の手法を考える」といった一連のテーマ
にすら余り食指が動きません次第。しかもそれを取るのだったら「犯人の人間性どうたら」を
テーマに論じた方が未だ増しだと思ってしまう性分ですので(笑)、この度の一件はこれはもう
致し方なく存じ上げます。ですが貴殿のお書き込みに全く興味がないという訳でもなく、例えば
雑談スレでのよう子氏とのやり取り(特に2073番)などは興味深い内容かと思われるのです。
実は小生、こちらのスレッドでの話題、死刑制についての議論なども正直余り本質的な問題だと
思われません。現実問題に絡める議論の進め方は、それぞれ現実とは何かと言う定義を順次的に
問うて行けば、何も法解釈や判例だけを中心にして論じるものと規定する必要は無い訳ですが。
小生が死刑について考える事に小生なりの意義を見出せるのは、それが刑罰の一部でありまた
それとは異質・若しくは刑罰と復讐(報復)との臨界点に位置するという見方も出来、それが
裸一貫・観念のみで以って考えて行けもするからです。
貴殿の>>1748のレスはその方面に全くの無知である小生にも大変に興味深く感じられます。

1816行きずりの男:2008/06/23(月) 13:23:19
ここのスレは凄いですね。
外国文献を読むのに四苦八苦していた大学時代を思い出して、
ちょっとブルーにさえなってしまいます。

紫煙狼様から、強盗致死(殺人)と死刑の抑止力についての
レスをいただきました。
ご承知のとおり、少し前までは死刑判決は
強盗致死(殺人)関係に集中していたので、この罪に沿って
抑止力を考えるのはたしかに当然のことだと思います。

強盗は割にあわない犯罪だと言われます。
強盗犯の利得は極めて少ないと言われていますし、
一方で刑罰は、被害者を殺傷した場合は「無期懲役」が原則
(全くの初犯などの場合は重い有期懲役)場合によっては死刑となります。
つまり、冷徹に利害の考量をするプロの犯罪者なら、
捕まって刑罰をうけることは絶対に避けることを最優先に考える。
もし被害者家族が複数いて、ひとりを殺害してしまったら、
無期懲役はほぼ確実。この場合、冷徹なプロの犯罪者は
1 もうひとり殺したら死刑だからここで止めよう
2 ひとり殺しているから捕まったら無期。いつ出て来れるか判らない。
隠蔽のため家族全員殺害しよう
のどちらの思考を働かせるでしょうか。2の例は高名な
カポーティ「冷血」のように、数限りなく例がありますが、
1の例は聞いたことがありません。
思いがけずに強盗現場で人を殺害してしまい、
動転して逃げ出すという例は散見しますが、それは「動転」であり、
死刑を意識したわけではありませんね。
死刑ではなく、無期懲役までだったら逃げなかったとは言えないでしょう。
この犯罪についても死刑が抑止として働く場面は
全く想像しにくいと思います。

一言で言えば、犯罪者にとって、無期懲役刑は大変な「抑止力」であり、
「無期懲役ならいい」と思えるような刑罰ではおよそないからです。

以前の日本の判決は、強盗殺人事件で、被害者1人は無期、
2人は死刑の可能性が出てきて、3人なら死刑確実と明確だったので、
複数の殺人を抑止する可能性が理論上はまだあったかもしれません。
「たった一例」と言われる死刑の抑止力の例は、たしかに
このケースに関するものだったと記憶しています。
ただ、厳罰化の傾向が進み、今では強盗殺人は被害者一人でも
死刑になる可能性が高くなりましたので、
むしろ、前述した2の方向に働く可能性が高くなり、
この種の抑止力も完全に消失することになるでしょう。

1817無精髭:2008/06/23(月) 19:17:39
>ここのスレは凄いですね。
>外国文献を読むのに四苦八苦していた大学時代を思い出して、
>ちょっとブルーにさえなってしまいます。

元々このスレは議論の高さは別にしても、諸賢の皆様方全員が、非常に
良く調べ・良く考え、そして良く練った文章をご投稿されていらっしゃる
様な場所ですからね。中々こういう議論掲示板は他にありませんよね。
ただ貴殿が上の様にお感じになる原因の半分は、多分小生の一人のせい
だと存じます(苦笑) 小生の懐疑癖にお付き合い戴けているのがKen氏
一人なのを見れば、自ずと知れるでしょう。単にスレ違いな議論を
しているだけですよ。

後、小生がどうしても横道に入る或いは議論を複雑化してしまうのには、
無限回廊的な知識・教養に欠けると言う点を補う為に、小生の畑違いな
雑学体系を総動員(?)しようと企てているからです。そうやって皆様の
知識・教養を議論を通して実践的に覚え込む為に、搦め手から攻める
みたいな愚行を繰り返している訳です。皆様の知識なり論法を無理矢理
引き出している訳ですね。小生は記憶力が本当に悪いので困り者です。

ただ議論の為に議論している訳ではないと言う事は、どうか誤解なさら
ないで戴きたく存じ上げます。小生は小生自身の為にここに書き込んで
おりますが、その利益は皆様にとって無益であっても有害にはならない
筈です。その利益は自分だけの価値にしかならないような性質なので。
小生は誰も論破なんかしたくないのです。ただ構って欲しいだけですよ。
皆様、今後とも宜しくお願い致します。

1818行きずりの男:2008/06/23(月) 19:21:10
あとで確認したら、紫煙狼さんのレスと
微妙にずれてることに気づきました。すみません。
ただ、答えとしては、以上述べたことで
結果的には意を尽くしているかと思います。

ところで、ここ10年の日本の殺人発生率は
著しい都市化にもかかわらず、1200件前後で安定しています。
多少感覚的にものをいって恐縮ですが、
歴史的にみても、国際比較の点からみても、
現在日本の殺人発生率は極端に低く、
これ以下はなかなか想定できないほどであり、
いわば「底値安定」というとこではないでしょうか。

死刑実施の数は戦前は著しく多く、戦後もしばらくは多かった。
その間は犯罪発生率はそこそこ高かったわけです。
したがって、死刑制度の存在、その実施が、
現在日本の例外的とも言える犯罪発生件数の低さの
決定的理由でないことはたしかでしょう。

一方、アメリカの犯罪発生率の高さは群を抜いて凄いです。
で、何がいいたいかというと、
率直にいって、そうした実情にあるアメリカの研究を、
例外的とも言える犯罪状況の日本に当てはめるのは、
ちょっと違うように思うのですが、どうなんでしょう。

また、欧州では依然として「死刑の抑止力の根拠なし」は
一般的見解でもあります。アメリカの研究は
無視されているようにも思えますが、なぜなんでしょう。

1819行きずりの男:2008/06/23(月) 19:36:31
無精髭様と前後して無関係なことを書いてました。
冷静に死刑の議論をしているスレなんて、
ホントここだけじゃないかと思います。
数年前のことですが、同業者団体で死刑問題の議論をして、
あとで酒宴になったら、罵り合いの喧嘩になってしまったのを
思い出しました。

1820無精髭:2008/06/23(月) 19:53:33
>>1818
Ken氏の詳細なる回答を待った方が宜しいかと思われますけど、
それに関連して小生なりの意見を。

犯罪抑止力の実証というのは、その研究与件として犯罪発生率を
絶対必須としなければ、そもそも成り立たない方法なのだと思います。
つまり簡単に申してしまうと、「アメリカの犯罪発生率の高さは群を
抜いて凄い」から、犯罪抑止力についても実態あるものとして言説可能
なのです。これは国民側から研究者側からも優れて相互補完的な環境
ですよね。

欧州が貴殿の仰る様な状態なのは、おそらくアメリカとの犯罪発生率の違い
が原因として考えられますが、違うかも。アメリカは連邦制ですから、
中々欧州にそれを当て嵌められないというのは? 無視されていると言うのは
ちょっと信じられません。

本当の所は、死刑制廃止の先進国ですから、そこから更に独自の研究を進める
必要性を感じている為、アメリカの研究を過去のものと見做しているのかも。
死刑を廃止する位の国ですから、犯罪発生率に問題が無ければおそらく研究は
余り進展しないのじゃないかと思いますけど。既に研究が熟していたからこそ
国民の多くの反対を押し切って(?)死刑を廃止できたともいえるのかも知れ
ません。でも移民問題も深刻ですから、アメリカを参考にしても良さそうです
けどね。アメリカなんて・・・と言うプライドもあるのかも知れません。

雑な意見で面目ありません。

>>1819
困ったものですね。

1821無精髭:2008/06/23(月) 20:02:31
>>1816
>思いがけずに強盗現場で人を殺害してしまい、
>動転して逃げ出すという例は散見しますが、それは「動転」であり、
>死刑を意識したわけではありませんね。
>死刑ではなく、無期懲役までだったら逃げなかったとは言えないでしょう。

鋭い切り返しですね。それをも死刑の抑止効果とまで言えるか否かと言う議論も
続ける事は可能ですが、それですと多分抑止効果は威嚇効果ではなく、心理的抑止効果
(先頃知りました)とかいうもっと主観的で訳の分からないものになってしまいますね。
その効果までも例外的効果として扱われる危険(?)はございますが、それでは本末転倒
というもの。なぜなら、同時に宅間死刑囚のような犯罪者を抑止力の働かぬ例外者という
存在を認めてしまうのなら、犯罪抑止力自体に具体的な程度の差があるという一方の仮説が
宅間死刑囚のような例外者を、「抑止力が働かぬ人間」ではなく「何故か犯行時の情況に
限って抑止力が効きにくかった際の事例の一つ」として一般化してしまう虞がございます
から。否、別にそれでも好いだろうと皆様から突っ込まれるかも分かりませぬが、小生
にはまだまだ突き詰めて考える余地がある問題だと思われてなりません。

何はともあれそこでは犯罪抑止効果は万人に万遍なく波及すると考えられている訳です
から、それが及ぶ対象である人間の方に個人差があるとされるのはさもありなんと頷け
ますが、当の効果の方にも欠陥が存するとまで付け加えるとなると、犯罪抑止効果が実態
的として存するという一時的仮定は成立困難なものになりましょう。

何度繰り返しても惜しくはないので繰り返させて戴きますが、犯罪抑止効果と刑罰制度
を実態としてイコールさせる事は、法文がしている事ではなく、人間の認識による誤認
であると言った方がスマートなのだと言うことですかな。人間は常に利害を念頭に生き
ていますから、犯罪についても同じ事が言える訳でして、犯行を自分の意志で思い止ま
ったのか、無意識下に於ける何らかの刷り込みで思い止まったのかは、その人間の利害
に関わる個人的な問題なので、情況とか供述によって予想は立てられるけど、中々確か
な事を言うのは難しい。犯行時でさえ観念的に刑法・具体的に刑罰が念頭にあったとし
ても、その犯人の内なる損得勘定ではなく、外的な抑止力を冷静になって想像するのは、
今正に犯行をするって時にですよ! ちょっと無理なのではありませんかね。

死刑でも何でも犯罪抑止効果について底の底まで考え続けると、どうしても個人の心の
問題にまで降りて行ってしまうのですよね。そうなると不思議な事に、犯罪抑止効果の
有無を最終的・究極的に確かめようとする方法領域は、死刑判決と執行までの期間に於ける
改心・更正問題と考察の次元と非常に似通って来ます。後者に関しては懐疑的・否定的
な人たちが、前者に対しては刑罰と心の次元を客観的事象として一緒に取り扱ってしまう
のには、小生はとても疑問なんです。しかし、「同情」というキーワードを徹底的に考え
れば、もしかしたら客観的立証云々ではない確かめ方が、犯罪抑止力(効果)にも更正・
改悛の事実にも有効なのではないかと、小生は一人思い込んでいる訳です。小生が心とか
主観に拘るのもこのような事情が理由の一つになっています。

1822無精髭:2008/06/23(月) 20:11:27
>>1821
助詞の使い方が不味い所が多々ございますがご了承下さい。
後々、もうちょっと平明に解説致したく存じ上げます。

1823無精髭:2008/06/23(月) 20:14:55
>>1821
心理的抑止効果→心理的抑圧効果

1824無精髭:2008/06/23(月) 21:07:03
>>1191
紫煙狼氏のお考えはとても参考になります。
>>1821は別段反論でもなんでもなく、とりあえず急ぎ滅茶苦茶な順番で雑感を書き連ねて
後々、論理的文章に偽装させたものなので、ホント今では後悔しております。
まぁ、文法的に可笑しな所を何とか我慢してお読み戴ければ、小生の申し上げたい事も
自ずとお分かりになるかと存じます。
ちょっと小生は今、老婆心氏へのレスの事や他のスレでのレスの事で頭が一杯で、少し
仕事の配分に対する集中に欠けておりますので、文章が雑でもいいや、なんていい加減に
投稿しているようです。自分で申すのも何ですが、睡眠も上手く取れておりませんので、
へんちきりんな文章を読み返すのも億劫でございます次第。ご容赦下さいませ。

>>1190
についてもレス致したかったのですけど(今更レスされても紫煙狼氏もさぞお困り
になるかと思われますけど)。あえて詳しい理由に言及せず小生の意見を申し上げますと、
>死刑廃止論者の端くれなら、それを実現させる方法を考えてください。
というお言葉がございましたよね? この前後の文もとても重要なのですが、
まぁそれはともかくと致しまして、案外死刑を廃止させるのに最も効果ある手段は、
しげる氏が>>1345で仰ってる如き、プロパガンダ(紫煙狼氏の仰る感情抜きの論理
的弁説でなく)によって国民を扇動する事なのかも、と不用意にも思ってしまいました。
建設的議論よりもソフィスト的手段による議論解体(無論体制側の)の方が余程実現性が
あるのかも、と。まぁ小生はどちらかと申しますと、死刑制存廃の結論を先に主張に
持って来るよりも、紫煙狼氏が瑣末だと仰る問題の一つ一つに反省を加えて、その後
そのバラバラの考えを体系化する努力をした方が宜しいかと存じます。その努力の果てに
自ずと結論が浮かび上がっても参りましょうし、そうやって厭になるまで考え続けた事
というのは容易には捨てられない持論となりますから、結論も確固たる物となるでしょう。
自分の考えに自信を持つと言う事でございますね。自身は、良く考えた後に持つべきもの
ですから議論を始める前には持ってはならぬもの、小生なんか現時点では全然自信ないです。

あと、Ken氏が「野蛮」について触れていらっしゃるレスについてですが、
先に挙げたものより以前のものがございました。>>1227

頭が疲れているのに、過去レス探るのはしんどかったです。。。(何せあの展開ですから)

1825無精髭:2008/06/23(月) 21:15:51
>>1825
本当は冒頭の部分に>>1821で申したい事が書かれてあったのですが、
見事にコピペをミス致してしまいました。
しかも、その原稿(メモ帳)も捨ててしまいましたので、
後から投稿することもできません。
まぁ大した事も書いておりませんでしたし、このままでも
読むのに支障はないかと思われますので、訂正は致しません。

とりあえず、この日・月の二日間、小生の仕事休みでしたが
色々と調べ・考えて、且つ睡眠も余りとっておりませんので
とても疲れました。もう寝ます。

1826Ken:2008/06/24(火) 05:15:35
無精髭さん、お疲れ様です。以前の投稿も読んでもらえてうれしいです。でも...

>>1812Ken氏ご指摘の研究については、Wikipediaの「死刑存廃問題」の項でも触れられているようですね。

もっと早く言ってよ!「残忍化」という訳語がすでに定着してるようですね。
私、日本語版は読む価値がないと思い込んでましたけど、この項目は英語版よりも
充実してますね。なおかつ、典拠も充実していて日本語版にありえないクオリティ。
やはり先入観は戒めねば。英語版ではシェパード教授の議会での証言が典拠に
挙げられています。

1827行きずりの男:2008/06/24(火) 13:20:50
無精髭さまのレスを読んで、自分の立っている場所に
気付かされました。
実は私、何の躊躇も疑問もなく、「動転」と書いたのです。

考えてみれば、死刑制度単体で抑止力を考える
という私の思考自体がすでに一定の傾向を示している。
犯罪を犯そうとしている人間の意識に働きかけるものは、
広く言えば、その人のそれまでの人生のすべてであり、
刑罰制度の抑止力もそのひとつで、それは、
特定の個人の精神に投影されたトータルな刑罰制度の幻想と
それに対する個人の意識であると思われます。
死刑単体の抑止力を考えること自体、しょせん無い物ねだり。
それを要求する段階で、すでに否定にむけたベクトルが
はっきり立ち上がっているのでしょう。

私の言説の隠された核心部分は、
「死刑判決、死刑執行をこれまで以上に拡大しようと言うなら、
『死刑があったからこの殺人(強殺)が防げた』という明確な
実例のひとつでも欲しいものだ」ということにあるようです。
「明確」「はっきりとした」を要求する時点で、
「実例」はすべて否定されることがあらかじめ予定されている。
「動転に過ぎない」などという
半ば決めつけ的な「切り返し」が出てきたのもそのためですね。
無精髭さまのレスを読んでいて、それに気がつきました。
客観的になるというのはホント難しいことです。

1828無精髭:2008/06/25(水) 23:30:34
まだ少し精神的に参っておりますので、短文になりますが、レスを。

「刑法の知識と判例=刑罰の犯罪抑止効果」とは簡単に参らないのが、難しい所です。
言わばこの「」内を認識した上でも、まだ人間には自由意志によって犯罪を犯すか・犯さぬか
という二者択一の権利(?)が保たれていますから。

犯行を発想する事・犯行計画・犯行直前・犯行時(犯行最中)・犯行の最終段階・犯行の成就

犯行の推移とは、大まかに申して上に書いた様なものでございましょう。この段階を逐一精査し、
犯罪抑止効果がどの段階でどう心理的に現れるのか、また客観的に犯罪抑止力がどの段階でどう
行動規制として現象すると言えるのか、これが難問なのです。これを言葉でどう表現できるのか。
犯罪主体を記述すると言う事は、本当に困難な事でございますね。

・・・老婆心様へのレスは、精神がもう少し癒えましてから。

1829無精髭:2008/06/26(木) 00:02:08
犯罪を犯した人間は、「刑法の知識と判例」を認識できなかった、
或いは、その認識が不足していたのであると、半ば自動的に事後決定されてしまう。
こういった言説が存在するのです。
そこでは犯罪者における、刑罰に関する知識・情報の多寡、その認識力の強度こそが問われます。

但し、問題なのは行きずりの男様が仰った、「刑法の知識と判例」に詳しい様なプロの犯罪者は、
どうやって犯罪抑止力を免れるのか、と言う事です。
犯行を実行する事によるリスクと犯行から得られる利得を計算する、
それらを天秤にかける、と言うのは話が別です。これらは自由意志の問題で、犯罪抑止力はそもそも
自由意志の領域まで支配の手を伸ばし得ないのは、私達が各々内観してみればありえない事だと分かる筈です。

発覚の危険性を認識する、「ばれる」「ばれない」も犯罪抑止の問題とは違いますよね。
これはもっと情況的な・犯罪空間的な問題です。犯行をし得るのかどうかという問題は、
その犯罪が(外部からの)何かによって抑止されるのかどうか、という問題とは異なります。
かと申して、犯罪がその行動主体の内側から規制される場合を抑止力の実例とする為には、
どんな客観的な実証方法がございますでしょうか? そこからは蓋然性・信憑性しか得られないのでは
ないでしょうか。つまり心理的規制の実例はそもそも実例足り得るのでしょうか?

・・・続けられれば良いのですが。

1830無精髭:2008/06/26(木) 00:33:58
>犯罪抑止力はそもそも自由意志の領域まで支配の手を伸ばし得ないのは、
>私達が各々内観してみればありえない事だと分かる筈です。

ここで、また循環論法が浮上しそうです。
つまり、刑罰を認識すると言う事、判例や刑法を知るという事は、
私達が意識的に勉学に励めば出来る事で、それは自ずと明確に
認識されて(示されて)来るものなのだ、と。ですが、
そうお思いになった方は>>1829の冒頭をもう一度お読み下さい。

刑罰を初めて知った時点で、より正確には刑罰の意味を初めて知った時に、
犯罪抑止効果は、ある種人間のタブーとして潜在意識に刻まれると致しましたら、
その後、事ある毎に、刑罰を意識する事自体、刑法をおぼろげにも思慮する事自体に、
犯罪抑止の兆候を、外側にある(潜在意識にあるものではなく)刑罰の
犯罪抑止力の効果を、認められるのでしょうか? それはどの次元で認められる
のでしょうか?

・・・分からない事が多過ぎます。

1831老婆心:2008/06/26(木) 22:28:29
kenさんと無精髭さんには、だいぶ前のコメントで、わたしの質問にご丁寧にお答えいただきまして、ありがとうございました。
お礼のコメントもなしに、申し訳ありませんでした。

無限回廊内の各スレッドのおける応酬の速度は速く、いつの間にか、間があいてしまいました。
今回、不精髭さんのコメントの中に書かれていました、「刑法」「自由意志」といった言葉に反応し、コメントさせていただきます。

「自由意思」は、「事前の意思決定」における「選択可能性」を意味するとも思えますが、
刑法上の原則である「罪刑法定主義」は、ある刑法が法律として成立していても、その刑法について「知らない」人もいるはずですので、「罪刑法定主義」は、その刑法についての「認識可能性」さえあればよい、という、ある意味「フィクション」の上にあると思えます(もちろん、「殺人、強盗、強姦」といった、「倫理的に許されない行為」は、法律としての刑法の有無にかかわらず、「やってはいけない」ということは、通常人ならわかるはずだ、という前提はあるとは思いますが)。

さらに、仮に、「刑法」が法律として存在し、「六法全書」に書かれていて、その条文を読んだ人がいたとして、その人は、その「刑法」により、どのような「行為」が「犯罪」となり、「自分が考えている(内心の)行為の計画」を「現実に実行」したとき、「刑法上」罰せられるのか、ということが、本当に「わかる」のか、という点もあると思います。

「殺人」と「傷害」を例に、具体例でいいますと、
Aという人が、ある動機で(動機なしでもいいのですが)、Bという人を「ナイフで刺す」ことを「内心で思い」、その通り、「現実に実行」し、「Bが死亡した」とします。
この場合、「殺人罪」や「傷害罪」の成立と「Aの内心」との関係はどうなるのでしょうか。
殺人罪が認められるためには、「Bの死の結果」に対する「Aの殺意(=殺人の故意)」が必要となりますが、そのときの「Aの内心」として、
①Bをナイフで刺せば、Bは「死ぬかもしれない」という「死の結果」に対する「認識」
 があった。
②Bが「死んでもかまわない」という、Bの「死の結果」を「認容していた」(受け入れていた)
③Bに「死んで欲しかった(殺したかった)」という、「Bの死の結果」を「意欲していた」(積極的に望んでいた)
という①〜③の状態が考えられますが、
「Aの内心」が、
①のみの場合、Aは「過失致死罪」となることはあっても、「殺人罪」は不成立となり、Aに「殺人罪」が成立するためには、③の「意欲」まではいらないが、少なくとも②の「認容」までは必要とされます(いわゆる「未必の故意」)。

そして、「AがBをナイフで刺す行為」が、正当防衛や緊急避難等にあたらず、「
違法性」があるとしても、Aに「殺人罪」が成立するためには、さらに、Aの「責任」が問題となります。具体的には、刑法上「心神喪失者の行為は、罰しない」とありますので、Aが「心神喪失の状態」になかったかなどの「Aの責任能力」の有無が問題となります。
「責任能力」が認められるには、行為者に「事物(物事)の是非・善悪を判断でき、その判断にしたがって自分の行動をコントロールできること」が必要とされます。
Aは、「Bをナイフで刺す行為」が、「悪いこと」であることを知っていて、「刺すことを止めようと思えば、やめられたのに、『あえて』それをしてしまった」という「内面(内心の状態)」が必要となると思います。
その根拠は、「近代刑法」の「責任主義」により、「道義的」に「非難」できない「行為」については、「反規範的な人格態度」を認められず、そのような「人格・内面」の人間に、刑法を適用しても、「刑法によるコントロール」は無意味となり、「抑止力」も働きようがない、という考え方があると思われます。

上記のように、刑法における「人間の自由意思」に関し、「認識」「認容」「意欲」「善悪の識別と制御」という問題がからむと思われます。
最近の疑問は、上記の「近代刑法」の「責任主義」を国民感情が否定して、「責任能力のない人」(心神喪失にある責任無能力の人)の「行為」も「犯罪」となるような「刑法改正」を行った場合、「責任主義」は「ドグマ」であるとして、多数決の前に、撤退しなければならないのか、ということです。

1832老婆心:2008/06/26(木) 22:32:54
すみません、上記の1831で、

≫①のみの場合、Aは「過失致死罪」となることはあっても、〜

と書きましたが、
『①のみの場合、Aは「傷害(致死)罪」「過失致死罪」となることはあっても、〜

と訂正いたします。

1833無精髭:2008/06/26(木) 23:04:22
>>1831
まだ、老婆心様のご質問に完全にお答え致した訳ではございませんので、
それよりも先に小生がレスを戴くのは大変に恐れ多い事でございます。
次の休みを使ってお答え致す心算でございます。小生自身にとっても忽せに
出来ぬ問題ですので。

ところで、一日経ってから今更訂正致すのも気が引けるのですが、
>>1829-1830
>犯罪抑止力はそもそも自由意志の領域まで支配の手を伸ばし得ないのは、
>私達が各々内観してみればありえない事だと分かる筈です。

この部分を前後の文脈と照らし合わせると、明らかにおかしいと分かりますので、

>犯罪抑止力はそもそも自由意志の領域まで支配の手を伸ばし得ないのは、
>私達が各々内観してみれば自ずと分かる筈です。

と訂正させて戴きたく存じます。
文意が逆になってしまいましたが、これが本来の形でございます。

御見苦しい所を晒してしまいまして、誠に申し訳ございませんでした。

1834紫煙狼:2008/06/27(金) 01:54:44
>>1831
責任主義というのは近代刑法の根幹的重要な概念であると思いますが…。
実は私は刑39の2と併合してかつ刑42条のように司法裁量とするべきでは
ないかと思います。つまり「心神喪失者または心神耗弱者の行為は、
その刑を軽減することができる。」が妥当かな、と思うのです。

現状の刑39は言い換えると
1.心神喪失者は無罪としなければならない。
2.心神耗弱者は罪を減じなければならない。
という意味になり、1に関しては司法裁量は認められていません。
しかし、実際は鑑定人によって鑑定結果がかなり変わってきますよね?
無罪になるのと、軽くても罰を受けるのでは大違いなので、もっと明確に
科学的数値データとして喪失度、耗弱度が算出できなければ、鑑定人の
あたりはずれができてしまう。これは大きく正義に反すると思うのです。

ならば、いっそのこと、心神喪失者も心神耗弱者も一律、罪を減じる
ことができるとし(逆に、一律、刑罰を受けてもらうとし)、その軽減の
度合いを司法判断に委ねるのが良いのではないかと思うのです。

逆に…鑑定結果が必ずしも軽減の根拠となり得ないとする事で、
「俺は精神病だから罪にはならない」とタカをくくって凶悪犯罪を引き起こし、
結局、厳罰に処される馬鹿も減るだろうし、少しでも刑罰を軽くしたいがために、
精神を病んでいる状態を詐病する被告も減るのではないでしょうか?
(まぁ軽減される可能性がある限り詐病も減らないかもしれませんが。)

1835無精髭:2008/08/01(金) 22:38:47
先刻、お断りいたしましたように「秋葉原通り魔事件」スレッドの議論を
こちらに接続させて戴きます。

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2776/1212904531/99-102

何か、勝手に仕切っているようで恐縮なんですが、私には余りにも
興味津々な内容なので、つい。ですが、これ以上、仕切るつもりは
ございませんので、私のことなど一向に構わず、諸賢におかれましては、
どうか活発な議論をなさって下さい。この時間が、誰にとっても有意義な
ものとなりますことを、切に願っております。

1836Ken:2008/08/01(金) 23:57:29
髭さん、冴えてますねえ。突き詰めると死刑を支持する理由は同害報復しかないのかなあ、
とかちょうど考えていました。

それで、最初に紫煙狼さんに答えておきますけど、米国の薬殺刑はチオペンタール(麻酔薬)→
パンクロニウム(筋弛緩剤、麻痺薬)→塩化カリウム(心臓停止)というふうに
進みます。

それで、私ちょっと前にチオペンタールによる全身麻酔を受けたのですが、ああ
腕に入ってきたなと思った瞬間にすとんと意識がなくなりました。手術が終わって
ガーゼをとってはじめて傷を確認したときすんごく切ってあって「おい、切りすぎ
ちゃうんか!」と思ったのですが、手術中はとにかく意識がなくて苦痛どころか
自分の体に何が起きたのかまったく覚えてないです。あのとき何かの手違いで
死んでいたらおそらくこれ以上ないくらい安らかに逝っちゃってたんだろうな、
と思いました。

1837Ken:2008/08/02(土) 00:06:14
>>であるならば、「死刑になれば安楽に死ねる」という前例は誰のためになりますか?
>>やりたい放題やって死にたい人間にとってはこの上ない福音です。
>>これって社会のためになりますかね?

理屈としてはありえるとは思いますが、米国で主要な処刑法がすんなりと薬殺刑に
切り替わったことから考えると、そういう心配はしなくてもいいのと違いますかね。
紫煙狼さんがいつも言うように死刑判決を受ける人のうち「やりたい放題やって
死にたい人間」というのは例外的じゃないですかね。死刑にとって本質的な問題だとは
思えないです。あと、髭さんが言うように、薬殺刑が実現するとしたらその前提として
安楽死がすでに合法化されてるでしょうね。

1838Ken:2008/08/02(土) 00:17:52
それで、同害報復というのが私にはどうしても解せないのです。第一に現行では
日本の死刑制度は同害報復に基づいていないですよね。一人殺してもめったなことでは
死刑判決が出ないですから。「二人以上+何からの凶悪性」というのが死刑判決の
要件になっています。もちろん同害報復論者はそうなってないからこそ厳罰化を
唱えるのでしょうが...。あと、瑣末なことですが、理論的には人を殺さなくても
死刑になりえますよね。Ex.内乱罪、外患誘致剤、現住建造物等放火罪

それで、私の最大の疑問は何ゆえに殺人だけが同害報復なのか、ということなのです。
同害報復というのはもともとは「目には目、歯には歯」ですよね。ただ、これだと
あまりにもえげつないので今では傷害罪とひとくくりにして懲役何年とかになります。
つまり、傷害の場合、それがたとえ死ぬ一歩手前だったとしても、「同害報復だぁ、
リンチにしろ!」と叫ぶ人はいないですよね。何でなんですか?やっぱりそれだと
あまりにもえげつない、野蛮だからじゃないのですか?何で殺人だけ同害報復なの?

1839key→入江:2008/08/02(土) 16:53:29
Kenさんと混同しそうなので改名(笑)しました。

こちらに移ってきながら恐縮ですが、
>「やりたい放題やって死にたい人間」というのは例外的
って、まさに秋葉原の事件の加害者はこれだったわけで、宅間もそうですよね?
で、その例外的な加害者って、やることが通り魔だったり
無差別殺人だったりと、被害者が突出して多いのが特徴的です。
例外とくくって無視するのは余りに危険ではないでしょうか。

日本の刑制度は現在ほぼ完全に教育刑だと思います。
で、なぜ死刑だけは同害報復かと考えるに、怪我や金は時間で取り返せても
命は取り返せないからだと思っています。
>内乱罪、外患誘致剤、現住建造物等放火罪
これらはもし被害者が出たら一人や二人じゃすまないので
>二人以上+何からの凶悪性
の要件を確実に満たすためでしょう。

>「同害報復だぁ、リンチにしろ!」
叫びたいですよ?というより、それが当然だとすら思う。
でもそれやったらこの日本では自分も同罪ですから
やむなく、泣く泣く司法に引き渡しているだけです。
加害者が無期懲役になったときの遺族の会見、ご覧になったことありますよね?
まず納得しない。なぜ一人殺しただけでも死刑にしてくれないのかと嘆きます。
傷害じゃ叫ぶ人が多すぎてニュースにならないだけでしょうね。

1840紫煙狼:2008/08/03(日) 01:00:34
同害報復の論拠って何でしょうね。

正直な話、同害報復の目的がわからない。これ、積年の疑問なんですよ。
入江さん、お忙しいところ恐縮ですが、私にも判る様にご説明願えますか?

1841紫煙狼:2008/08/03(日) 01:12:29
kenさん

私も数年前に全身麻酔で手術を受けたことがあります。
確かに、あっと言う間に意識を失って、次に起きた時には
既に手術も何もかんも終わってて、その間の記憶も当然無いし、
切られた瞬間も痛み一つ感じませんでした。そりゃそうだ(笑)

手術中に心停止なんてのは、よく聞きますよね。
私自身、心停止で病院に運ばれたことがあります。
意識を失うまでは苦しかったですけど、確かに意識を失ってからは
苦痛は感じていないんです。目の前が暗くなって、それで終わりって
感じでは有りました。でも、本当に死んだわけではないので、
死ぬ瞬間に訪れる苦痛ってものは、やはり想像付きません。

どのみち、死ぬ瞬間に訪れる苦痛と言うのが変わらないのであれば、
せめて死ぬ瞬間までの間に味わう苦痛が少ないほうが良い…。
そういう考え方はアリでしょうね。

1842紫煙狼:2008/08/03(日) 01:48:09
>で、その例外的な加害者って、やることが通り魔だったり
>無差別殺人だったりと、被害者が突出して多いのが特徴的です。
>例外とくくって無視するのは余りに危険ではないでしょうか。
確かに、この例外的な人間が最近は増えている感じも受けますし、
放置看過できる問題ではないように感じます。

では「やりたい放題にやって死にたい人間」に犯罪を思い
とどまらせるにはどうすれば良いのでしょうね?
やりたい事をやらせて頂けるなら、死はもとより残虐な刑罰をも
何をか恐れん者を想定してみませんか?いわゆる刺し違える覚悟の者、
犯罪を成就させるためにはいかなる犠牲をも問わぬ者を前提とすれば、
厳罰化も刑罰の残虐化も、何ら意味を持たないでしょう。

と、すれば、被害者(遺族)の感情慰撫のために厳罰化するのでしょうか?
国民感情や被害者感情を充足させるために刑罰を残虐化させることは
正当化されるのでしょうか?例え相手が犯罪者であっても、感情論で
多大な苦痛を与えたり生命を奪うことが許されるのでしょうか?
(感情慰撫を目的とする以上、それは感情論ですよね?)

1843入江:2008/08/03(日) 16:28:34
>いわゆる刺し違える覚悟の者、
>犯罪を成就させるためにはいかなる犠牲をも問わぬ者を前提とすれば、
>厳罰化も刑罰の残虐化も、何ら意味を持たないでしょう。
全くそう思います。今まではそういう人が大多数だったために
厳罰化は意味を持たなかったと考えています。
ですので、同害報復の論拠はちょっと後に回しますね。

今私が主張しているのは、法を犯す前と後で境遇に大きな変化がない、
むしろマシになると考える犯罪者の存在が確実に増えているのではないか?と言うことです。
日本の自殺率は先進国内で最悪です。日本は伝統的にそれこそ切腹だの自決だの
といった自殺を褒め称える風習があるし、減りそうにないと言うのが個人的見解です。
さて、ここに「怖くて自殺なんて出来ない」小心者が居たとしましょう。
彼は睡眠時間3〜4時間で毎日激務、でも先の見通しはつかない派遣社員です。
クビ切られたら、明日から食べるところも住むところもなくなります。

日本では、少なくても3人殺せばまぁ確実に死刑になれる。俺は痛くもかゆくもない!
勤務時間は9時5時保証、死ぬまでの間の衣食住にいっさい心配がありません。
殺され方は最も確実だし、踏ん切りつかなくても強制的にやってくれる。
彼女?今も居ないし将来も出来ないだろ。

こんな人は、殺されるときものすごく痛いし怖いってわかったら、
犯罪より自分で死ぬのを選ぶでしょう。
だって怖いんだもん。

1844入江:2008/08/03(日) 16:44:14
同害報復の論拠は、結構シンプルです。
「口で言っても判らない愚か者には、身体で判らせるより他ない。」
反論はこうなるでしょう。
「口で言って判らせるのは文明社会の基本、身体で判らせるなど現代においては野蛮極まりない。」と。
私は再反論します。
「目の見えない人に色を説明して理解を得ることが、現代においては可能なのか?」と。
このたとえは差別的だと言われるかもしれませんがお許し下さい。
これ以上に明確なたとえを思いつかなかったのです。
言葉でなく体験でしか理解できないこともあるのです。

自分が他人の権利を侵害したら、自分も同等の権利を失う。
現代の文明がどうであろうと、同害報復は最も効率的な教育刑だといえます。

ちなみに日本は一人殺したらほぼ死刑にはなりませんので
厳密には同害報復の論理に沿っているとは思えません。

1845紫煙狼:2008/08/03(日) 17:19:24
AにはBという子とCという親がいます。またDにはEという子とFという親がいます。
DがAを凶悪な方法で殺害した場合、BはAを殺され「親を奪われる悲しみ」を味わい、
また、CはAを殺され「子を奪われる悲しみ」を味わっています。

さて、同害報復の主体は被害者であるべきですね。
Aは自分自身が殺されたのだからDが死ぬことを望む権利があるとして、
Bの被害は「親を殺される被害」ですから、Dに対しては「Fを奪われる悲しみ」を
また、Cは「子を殺される被害」ですから、Dに対しては「Eを奪われる悲しみ」を
以ってのみ同害報復の原理が成り立つのではないでしょうか?

となると、先にEとFを処刑し、その悲しみ苦しみをDに存分に味あわせた後、
D自身を処刑しAの悲しみ苦しみを味合わせなければ同害報復とは呼べないですよね?
しかし、事件に全く無関係なEとFを処刑することが倫理的に許されるわけがありません。

と、なれば「同害報復可能な被害者」と「同害報復不可能な被害者遺族」は
司法上の扱いにも要求できる権利の範囲にも差異が生じるのは当然ではないでしょうか?
つまり、被害者Aの感情を慰撫するためにDが処刑される同害報復を許容するとしても、
被害者遺族の感情を慰撫するために、もしくは事件を知った第三者国民感情としての
正義感を充足させる目的のためにDを処刑することは許されないはずです。
それは既に同害報復ではなく、嫌悪に基づく駆除欲です。単に自己に内在する駆除欲を
正当化するために同害報復という原則原理を都合よく利用しているに過ぎず、ひいては、
自己の駆除欲を正当化するために被害者Aを利用しているとさえ言えるかと思います。

100歩譲って、被害者遺族が駆除欲を露にする事は誰にも批難できないとしても、
事件による直接的被害を受けていない第三者が「同害報復の原理原則」と「被害者」を
言葉巧みに利用して駆除欲を充足させることが許されるものでしょうか??

うん、完全に地雷を踏んだ自覚がある。批難轟々だな。どうせコテンパンにやられるなら
自爆を恐れず言ってしまおう。「第三者の振りかざす同害報復原理なんてのは安っぽい
正義感でしかない。感情論を正当化するのに都合よい理論を利用しているに過ぎないんだ」と。

1846紫煙狼:2008/08/03(日) 17:48:02
>>1844
同害報復のご説明、ありがとうございます。入江さんが投稿してくださっていることも
つゆ知らずに、地雷を踏みまくっている紫煙狼でございます(^^)

>「口で言っても判らない愚か者には、身体で判らせるより他ない。」
なるほど、仰ることは一見正しいかに見えます。
しかし、それは方法論の話であって、目的を見失っていませんか?

口で言って解らせる目的、体で解らせる目的が無に帰しています。
目的を持たない方法論ほど馬鹿馬鹿しい物はないわけで、死刑が究極的な
教育刑であるという主張には「教育する目的が欠如している」と思わざるを得ません。

以前も示したと思いますが、古紙回収再生で置き換えれば容易く理解できると思います。
古新聞を回収して、溶解して、漂白して、再生紙にして、燃やす。どうせ燃やすので
あれば溶解も漂白も再生も不要のはずです。溶解・漂白・再生(古新聞への再教育)は
その後「紙として利用する」目的を前提としなければ全く無意味です。
まして、再生したことを確認してから燃やすわけでもないですよね?
結局、死刑に教育的側面を求めつつ減刑の可能性を残さないのは、燃やすことに対する
罪悪感を減じようと、さも教育していて効果があるかのように詭弁を弄しているに過ぎず、
結果として、教育目的を見失うという最大のミスを犯しているように思えて仕方ないのですが
いかがなものでしょう???

入江さん以外の方へ、もう少し別の観点から…。
「仏にして殺す」とか「殺すことで仏にする」という論法と
「ポアして高次の存在に昇華させ救う(Byオウム)」という論法の差もわからないです。

1847入江:2008/08/04(月) 11:53:49
定義を調べようと思って検索しました。yahoo辞書from大辞泉です。ネットって便利。
応報刑主義
 刑罰の本質は犯罪に対する応報であるとする考え方。
教育刑主義
 刑罰を科する目的は、受刑者を改善して社会生活に同化するよう
 更生させるための教育をすることにあるという理論。
目的刑主義
 刑罰の本質を、犯罪人から社会を防衛するため、あるいは犯罪人を教育して
 社会復帰させるための手段として考える立場。

この定義から行くと、死刑は教育刑だというのは誤りです。大変失礼いたしました。
そりゃ当人を教育しても今さら遅いですよね。
訂正します。現在日本の死刑は目的刑だと考えます。
 応報刑:一人殺したら死刑
 教育刑:何人殺しても教育で更正できるよ!
 目的刑:複数で凶悪ならさすがに「社会防衛の為」死刑、そうでなければ社会復帰もアリ
という認識で今後記します。間違い等ありましたらご指摘お願いいたします。

凶悪犯罪を犯したら、社会防衛のために取り除く必要がある。
取り除く理由を理解させる対象は、犯罪者当人ではなく社会に生き残っている我々です。
ということは、現在のヌルい死刑制度では誰も反省してくれないとしたら?
どうせ燃やすなら焼却炉よりキャンプファイヤーの方が断然目立ちますよね。
燃やすという目的は同じなわけですし。

1848入江:2008/08/04(月) 11:54:32
1845で仰っておられた報復方式は、同害報復ではなく過剰報復ですね。
倫理的に、というのは現代の話で、過去には当然のように行われていたやり方ですよね。
一族郎党皆殺しなんてよくある出来事でした。
もちろん過去OKだったからといってそのまま現代にもってくれば
仰るように司法の壁が立ちふさがります。
本当はそうでもしなければ反省などしやしないと私は思いますが、
犯罪者に同じように親や子がいるとは限らないので、誠に残念ながら汎用性がありません。
家族という単位はますます小さくなっているので今後も汎用性は低く、実運用には向きません。

正直どのへんが地雷なのかわからないけれど、論拠の一点だけどうにも頂けないので
コテンパンに出来るかはわかりませんが、紫煙狼さんに以下の反論を致します。
社会の成員を殺されるという事件に対して我々は本当に「第三者」なのか?
直接被害を受けなければ我関せずとそっぽを向くことは是とされるのか?
他人事なら犯罪犯してる人がいたって放っておけばいい。
いつか我が身に降りかかったら困るから捕まえるわけでしょう?
中途半端なことして犯罪を拡大再生産したら本末転倒です。
やるなら徹底的に、じゃないですか?
安っぽい正義感なんてどうでもいい。私は通りすがりのバカなんかに殺されたくはない。
嫌悪に基づく駆除、全くその通り!蚊に刺されるかもしれないなら蚊取り線香を焚くのは自明の理です。

むしろ被害者が訴える同害報復は、得てして過剰報復に繋がる。
それこそ一族郎党皆殺しなんてことが起きうる。
正しく客観的な目で加害者当人にのみ報復を行うことが
加害者の家族に対する私的な報復の抑止にも繋がると思います。

1849入江:2008/08/04(月) 11:55:08
あと、私以外って言われてるのについ追記。
「仏にして殺す」とか「殺すことで仏にする」という論法と
「ポアして高次の存在に昇華させ救う(Byオウム)」という論法の差は
私にもわかりません。イコールに見えます。
本人が納得してるかしてないか、だけかもしれません。
連投申し訳ありませんでした。

1850紫煙狼:2008/08/04(月) 12:56:12
>>1847
>目的刑:複数で凶悪ならさすがに「社会防衛の為」死刑、そうでなければ社会復帰もアリ
もういちど定義を読んでみると気づかれるかと思いますが、
「犯罪人から社会を防衛するため」というのは永久隔離(完全終身拘禁)によって達成し得る
ものでありますから、目的刑主義においても死刑を直接的に正当化する論拠は挙げられません。
現在の日本の刑罰は「完全終身拘禁が存在しない」点と「死刑が存在する」という点で、
「応報刑主義」と「教育刑主義」の折衷と解釈するのが通説らしく、日本の現行刑罰において
唯一「応報刑主義」を論拠に存在しているのが「死刑」となるようです。

刑法総論(刑罰論)について私が知っている範囲(恩師数人の解釈を統合したもの)で解説すると、
最初に「応報刑主義」が形成され、それに対する理想論として「教育刑主義」が生まれました。
しかしながら、教育刑の最終目標は「必ず更生させて社会復帰を促す」なので実際問題として
どのような教育方法を用いても更生しない者の存在により教育刑主義の崇高な思想根底が否定
される問題を現実に即して解決できる解釈として「目的刑主義」が発生した。

皆さんご存知のように、完全終身刑を導入している国は極めて稀です。終身刑の存在する国の
殆どにおいて減刑、仮釈放の可能性が残されています。これは実は日本の無期懲役と変わらない
のですが、上記に該当する諸外国における仮釈放の基準は、日本のそれより非常に厳しく、
結果的に「完全終生拘禁」となってしまう可能性が極めて高い、というのが実情です。
また、予め「完全終生拘禁するために」人間の生物としての寿命をはるかに越える年限での
有期懲役が存在するというのも、私が知る範囲では、ほぼ共通していると思います。

つまり、上記のような国では「終身刑」より「有期懲役」の方が重い刑罰足りえるということですね。

1851紫煙狼:2008/08/04(月) 14:09:31
>>1848
>社会の成員を殺されるという事件に対して我々は本当に「第三者」なのか?
既に発生してしまった事件に関しては「第三者」の域を出ません。ここで当事者と呼べるのは
直接被害にあった当人と、治安を維持するという憲法上の責務の行使を阻害された国家のみです。
(国民の総体としての国家ではなく、司法立法行政機関としての国家)
しかし、今後発生するであろう事件に関して「第三者」でありつづける確証はありません。

>いつか我が身に降りかかったら困るから捕まえるわけでしょう?
>直接被害を受けなければ我関せずとそっぽを向くことは是とされるのか?
>他人事なら犯罪犯してる人がいたって放っておけばいい。
は一行目は正しく、残りは誤っていると思います。事件に関して第三者である者としては、
1.(治安維持の目的により)被害の拡大を防ぐために逮捕拘禁する。
2.(犯罪者の人間的尊厳のため)これ以上罪を重ねさせないため逮捕拘禁する。
3.(目的刑主義に従い)社会復帰を前提として再犯防止のために教育として刑罰を与える。
4.(教育刑主義と現実の空隙補填のため)更生するまでは刑期満了でも出獄させない。
5.(教育効果向上のため)生命を維持するのに最低限な環境で更生を促す。
という観点で犯罪者の処遇を考えるのが望ましいのではないでしょうか?つまり現在逃亡中の
犯罪者が新たな被害を生まないため、その被害に自分自身が合う可能性をなくするために
逮捕拘禁教育する必要がある。放置するなんて、とんでもない話です。

もちろん、上記は現行の刑法や司法行政運用のままでは実現不可能なものです。
その点は入江さんも「もっと残酷に!」と現状では実現不可能なことを言っているし、
そもそも「死刑廃止論」自体が現状の運用に対する改善(改悪?)提案なので、
方向目標の一つであるとご認識ください。特に4に関しては死刑云々より急務であると考えます。

1852無精髭:2008/08/04(月) 14:31:06
横レス、申し訳ございません。
遅れ馳せながら、ここで>>1836-1846までに関連した投稿を致したく存じます。
1847番以降から現時点までの、入江さんとシェンロンさんのお書き込みに、かなり
重複する内容がございますが、ご了承下さい。やたら括弧が多くて読みにくいかと
思いますが。。。折角書かせて戴きましたので、この度の暴挙の如き、長文連投を
どうかお許し下さいませ。

1853無精髭:2008/08/04(月) 14:31:45
(以下、本文です)

Kenさん、シェンロンさん、全身麻酔による手術を受けられたとのこと、現在の
御身体の程、大丈夫なのでしょうか? 私はいたって健康なのですが、以前、
私の父がやはり全身麻酔を受けた時の印象を、御二方と同じように語っておりました。
父曰く「死なんてそんなものだ」そうですが、私は、それでもシェンロンさんのように
懐疑的にならざるを得ませんでした。ただ、私の場合、死の瞬間に苦痛はあるかどうか
という問題より、自分がこの世からいなくなる、ということが不思議でして、全身麻酔
から醒めた時に初めて、意識がなくなっていた間も自分が生きていたという事実が
事後追認的に確かめられる訳ですから、結局、麻酔で意識を失っても、死を体験したこと
にはなっていないのです。ウィトゲンシュタインが『論理哲学論考』で、「死は人生の
出来事ではない。人は死を体験しない」と言っておりますが、私たちは己の意識の外に
己の肉体を所持してはいない、ということを念頭にして読めば(本当はこういう読み方
は正しくないでしょうし、あまり好ましくないのですが)、私は死刑が残酷であるという
理由は、苦痛の存在を否定できないから、というものではなく、それが当人の意思決定に
一切関わらないどころか(その意味で死刑以外の刑罰はKenさんの仰るように野蛮性を拭い
去れません)、その意思そのもの(世界を構成することでそれと同等である中核的自己)
を消し去ってしまうからなのです。シェンロンさんがご指摘なさったことに似てくるの
ですが、現行法で死刑に相当する囚人に自決権が認められなければ、どんな死刑だって
他者に強要されるものである以上は、残酷なものであることに変わりはないでしょう。
死刑囚に合意を求めるというのも同等でしょうね。否、上記を考慮すれば、死そのものが
残酷であるという見方すらできるのですから、結局他人に殺されても、自分で死んでも、
残酷であるのは同じという結論が導かれてしまいしょうか。この先については、私も
考えあぐねていることがあって、今すぐには詳論できませんので、勝手ながら保留と
させて戴きたく存じます。

1854無精髭:2008/08/04(月) 14:32:08
>>1845
実は、私も同じようなことを考えたことがございます。ご指摘がなかったら言おうと
思っておりましたが、先に言われちゃいましたね(笑)。同害報復の理念を突き詰めて、
忠実に実践しようとすれば、シェンロンさんの仰るような不具合・不整合が出てくるのは
当然。ただ、私の場合、「同害」判定の困難さ(基準の重点をどこに置くか、等)が
難問として残ることから、結局、完全な同害報復など原理的に不可能なのではないか
との疑いが強かったので、どうしても本質論的な構えに陥りがちで、シェンロンさん
のように、倫理や社会秩序維持の面での考察を深める事が出来なかったのですけど。
あと、同害とは何か、色々と考えてはいるのですが。難しすぎます。

>同害報復の主体が被害者であるべき(以下略)

シェンロンさんの論理は、実に明快かと思うのですが、多分上記のように規定して
しまいますと、「同害報復」じゃなくて「過剰報復」でしょう・私たちゃあそんなこと
言っとりませんぜ・ダンナ。と反論されるでしょうね。もちろん、論理的帰結としては、
シェンロンさんの仰ってることで大方間違いないと思いますが、「同害報復の主体」云々
の前提そのものが同害報復論者の間で異なっている可能性はあり得ますよね(というか、
そもそも「同害報復」の定義付けが一つしかないなんてことは、ちょっと考えられません)。

私は、「同害報復の主体は国家であるべき」こそが前提だと思っておりましたので、寧ろ、
シェンロンさんとは異なり、加害者本人を殺すだけで充分、という方が同害報復の理念に
適っているのではないかと思うのですが。こう仮定した場合、国家が代行する報復の主体は
国家以外の誰であるかは前提に反しますから、問題にはならないかと思われます。国家の
見地からしてみれば、こちらに断りもなく勝手に国民の命を奪ったのだから、そんな損害を
出す野郎は放っちゃおけねぇということで、そ奴の命を取り上げることで万事を済まそう
というだけ(?)なのですから。但し、それでは何故、殺人だけが同害報復の対象となるのか
(換言すれば、死刑だけが同害報復として正当化されるのか)という、Kenさんの疑問に
応えることにはならないでしょう(取り返しが付かないから? なら、今更もう一人殺そうが
生しておこうが、何やったって同じですよね? 国家的見地にそのような視点はありえない
と思います、所詮国民同士のいざこざですから、替りは国民の中に幾らでもいるでしょうね。
国家って何考えているのだか、一国民には全く以って分からないですね。)。

1855無精髭:2008/08/04(月) 14:33:50
ところで、シェンロンさんが仰っている同害報復では、法によって認められた遺族感情慰撫
が社会道徳に反してしまうという難題が浮上するばかりではなく、更に報復主体を拡大して、
恋人や友人の持つ「大事な人を亡くした・そのことによる怨恨」感情さえ当然慰撫される
べきではないか、といった発想が生まれるのも必至ではないかと考えられます。否、これは
行き過ぎであるとして退けるとしても、たとえ遺族とはいえ「事件に無関係な加害者家族」
を自らの感情慰撫の為に(間接的に)殺すとなれば、今度は加害者家族に繋がりのある人
たちが黙っていないでしょう。とどのつまり、報復連鎖に陥るのは火を見るよりも明らか
でして、果たしてこの事態を国家が収拾できるか、或いは、これを被害者側による一度の
報復で終わらせる事ができるかに、国家権力全体の手腕が問われる訳なのですが。

然しながら本当は、シェンロンさんが好例を出して説明して下さったように、被害者側と
加害者側の家族構成の一致が原理・原則的には望ましい訳で、もしこれが不一致であれば、
どうにか同質・同害として一致するように司法権力が決めなくてはならないでしょう。
その場合、裁判は罪刑法定主義など無視して、ただ犯罪と刑罰の均衡のみを審議すれば
事足りる訳で、検察や弁護といった相対する二つの立場は必要がなくなるような気が。。。
まあ、もともと「完全な同害報復論」自体が極論なので、裁判が今まで通りの規律や慣習で
なされるとは、とても思えないということが申したいだけなのですが。

同害報復の原理って良く分からないので、私はこちらの議論を気にしながら、ネット上の
言説を色々と調べてはおりますけれども。いやはや、難解晦渋極まりないです。

1856無精髭:2008/08/04(月) 14:35:47
>>1846
死刑に教育効果がない、というか、あっても殺しちゃうんだから意味がない、というのは
分かりますが、それだと一律終身刑※1でも同じような気が致しますね。刑罰の教育効果が
発揮できる環境が刑務所にあればいいのですが(独居房に閉じ込めて二度と出さないだけだと
したら、死刑同様、教育刑としての意味がない)、本当はもう一度社会に戻してやるのが
理想でしょう。無論、政府のお墨付きで(再犯した場合は、国も責任を取らなくてはならない
でしょうが)※2。教育(刑)の目的って、(娑婆であろうが刑務所内であろうが)社会貢献
できる人間を育てることとしか思えませんのでね。

※1 閉じ込めるだけで教育効果が期待できる刑罰ってありますかね? 
※2 教育効果を見込んだ上での恩赦のようなものですから、再犯があった場合は、教育刑
の内容に不備があったことになりますよね。

それは宗教観とか死生観の問題ではないですかね。シェンロンさんは無神論者だということ
ですから、ただ殺すこととこの世ならぬものにして殺すこと・死んで神聖化することの違いに
あまり意義を感じられないのかも知れませんね。そういう私もその口なのですが。。。
シェンロンさんが例に挙げた二つの論法に本質的な違いはないと思います。オウムを悪の
カルト集団と決めたのは、それより強い権力を持った国家だったというのが全てで、結局は
権力の差がものをいうのでしょうな。オウムがポアの名の下で粛清を正当化していた(とはいえ
外部の人間による見方ですが)ように、国家も死刑制度の名の下で様々な理由・論拠を
引っ張ってきては反社会的な異分子を排除している訳です。別にそれはそれで構わない気も
致しますがね。。。

シェンロンさんが仰るような論法で以って死刑を正当化するのは、国民にそのイマージュを
押し付けているともいえる訳で、憲法36条の問題をはるかに逸脱して、憲法20条の「信教の自由」
に違反する可能性が濃厚なんですけどね。

1857無精髭:2008/08/04(月) 14:37:08
はい。終わりました(笑)。それではROMに戻ります。

1858紫煙狼:2008/08/04(月) 15:16:43
>>1855
>ところで、シェンロンさんが(中略)必至ではないかと考えられます。
必ずしも直系血族のみが悲しみや苦しみを背負うわけではないですからねぇ。
しかし、被害者遺族としての権利を主張できる範囲は規定しなければなりません。

江戸幕府は敵討ち(仇討ち)に関して法整備をしていましたね。
敵討ちができるのは直系卑属のみであり、重敵討は禁止であったそうです。
被害者遺族の権利を行使できる人に適合する範囲を規定し、その被害者遺族としての
権利にも一定の規制が必要であることが、残虐な刑罰や拷問などが当たり前に許されて
いた江戸時代でさえ報復連鎖の阻止(言い方を変えれば過剰報復の防止)のためにも
必要であった。いわんや、現在においてをや。と考えます。

でね、実は、>>1845の投稿前の推敲段階で削除したのですが、
(大体、私は最初に書いた量の5分4くらいは推敲で削除しています。)
私は被害者遺族の範囲をどのように解釈し規定するべきかという問題に対して、
「相続権の及ぶ範囲」と限定するのが法的に妥当かな?と考えています。

1859無精髭:2008/08/04(月) 16:54:21
>>1853を読み返していていましたら、おかしな部分がありました(何でこうなったんだか...)。
以下、訂正致します。

誤>一切関わらないどころか(その意味で死刑以外の刑罰はKenさんの仰るように野蛮性を拭い
正>一切関わらないどころか(その意味で死刑を含め全ての刑罰からはKenさんの仰るように野蛮性を拭い

>>1858
同害報復と犯罪被害者救済って、法運用においては受け手の立場が違うだけで、
それ以外は奇妙に一致していますね。いずれも、被害感情慰撫が目的だからでしょうが。

1860Ken:2008/08/05(火) 07:32:11
大仰なこと書いて心配させちゃったみたいですけど、手術自体は良性の脂肪腫を
取り除くための単純なものでして、入院もしなかったです。今では手術前とまったく
同じ生活に戻ってます(本当は切ったところの痺れが取れてない)。

1861Ken:2008/08/05(火) 07:40:52
>>さて、ここに「怖くて自殺なんて出来ない」小心者が居たとしましょう。彼は睡眠時間3〜4時間で毎日激務、でも先の見通しはつかない派遣社員です。クビ切られたら、明日から食べるところも住むところもなくなります。
>>日本では、少なくても3人殺せばまぁ確実に死刑になれる。俺は痛くもかゆくもない!勤務時間は9時5時保証、死ぬまでの間の衣食住にいっさい心配がありません。殺され方は最も確実だし、踏ん切りつかなくても強制的にやってくれる。彼女?今も居ないし将来も出来ないだろ。

というような問題に対して

>>こんな人は、殺されるときものすごく痛いし怖いってわかったら、犯罪より自分で死ぬのを選ぶでしょう。

というのも一つの解決策だとは思いますが、それ以外にも対応の仕方はいろいろと
あると思います。労働条件を改善するとか、セーフティ・ネットを整備するとか
番える機会を増やすとか、番わなきゃならんという圧迫感を緩めるとか。まあ要するに
誰もが希望をもって生きていけるような社会にするということですね。死刑だけに
絡めて議論するような問題だとは思えないです。

1862Ken:2008/08/05(火) 08:04:30
Ken>>「同害報復だぁ、リンチにしろ!」

入江>>叫びたいですよ?というより、それが当然だとすら思う。でもそれやったらこの日本では自分も同罪ですからやむなく、泣く泣く司法に引き渡しているだけです。

この部分が私には激しくダウトなんですけど...。同罪にならないのだったら
(それが合法であるのなら)本当に誰かをリンチにする度胸があなたにはあるのですか?
報道やら裁判やらで話題になる加害者というのは面識もない赤の他人ですよ?
それで中には自分は無実だとか訴える人がいるわけでしょ。もちろん中にはそういう
趣味があるとか、正義感、使命感が強いとか、赤の他人に暴力を加えることを
ためらわない人もいるとは思いますが、緊急避難、自己防衛でもないのに罰として
抵抗ができない状態の加害者に暴力加えるというのは私には正気の沙汰には思えないのです。

日本の処刑方法もそうですよね。いちおう、血がどばっと出るとかえげつないのは
避けてますよね。それで絞首刑では執行人は3人同時にボタンを押すとか、できるだけ
良心の呵責を感じなくても済むようになってますよね。いくら死刑囚が極悪人だと
頭では理解していても人を殺すことには相当のためらいが伴うと思うのですが。
暴力が日常的ではない社会では今の処刑方法が許容限度ではなかろうかと思うのですが。

1863無精髭:2008/08/05(火) 22:37:15
うむう。同害報復に関するここ一連の議論に新たな切り口を見つけたいと思い、過去ログ
(特に、序盤の方)をボケーっと読み返していたのですが、特に人権氏の書き込みには、
はっとさせられるものがございました。「被害者に<同情>できない」とする私にとっては
、何かときつい論調・受け入れ難いお考えでもあるのですが、死刑存置論者としては骨の
ある・筋の通った御仁だと思います。しかも、現状維持派ではなく、しっかりと犯罪被害者
の立場に立った(その権利拡張の為の)改革派なのですからね。「同害報復」のテーマに
おいても、絶対に無視できない重要な存在だと思います。

虫食い状態なんですけど、人権氏のお書き込みを挙げておきますね。
>>68,>>111,>>144,>>148,>>173,>>198,>>200,>>269-270,>>275,>>284,>>330,>>344
一々おクグりになるよりも、頭から読み返された方が宜しいかも知れません。こんなことを
致すのも、私にとっては、初心に返る為と申すか、もっと議論を深めたい為に餌を探している
という感覚からなのですが。

ところで、人権氏の御主張では、加害者の死が<償い>になる、という考えは、応報刑主義
ではないのだそうです。私には判然としないのですが。。。多分、これも私が得意の誤読に
よるのでしょう。

とにかく、このスレの初期のお書き込み群は、様々な視点からの議論百出で、各人の論旨を
一つ一つ追うのがつらいし、また議題も絞られていないということで、全体的に読み難い印象
がございますが、まだまだ、考察を加える余地のあるコメントが沢山ございますようで。

余談ですが、シェンロンさんって初期の頃と比べますと、論点が物凄く絞られてますね。
推敲の成果もあるのでしょうが、これはもうちょっとやそっとでは反駁しようがないほど、
洗練されているような印象がございます。反論される前からその内容を予測して、自説を
練り上げていらっしゃるような。いずれにしても、御自身の中で何度も問題に対するお考え
が反復された結果、現在のシェンロンさんがあるのでしょうね。

一方、Kenさんはというと、死刑廃止の論拠としては素朴といわれても仕方がないほど
シンプルで、初期の頃も現在も、主張に変化が見られない(笑)。大方、私の読解力不足
がそう見させているというのが、真実なのでしょうけど。でも、シンプルだからこそ
議論の中軸がぶれないというか、しっかりした芯が保てるのかも知れません。ともあれ、
いつまでも若々しい感性をお持ちでいらっしゃるのには、本当に羨ましい限りです。

入江さんは、過激なところがあってちょっと私にはきついなぁ、と思ってしまうのですが、
実を申しますと、本心から「ガンバッテ!!」と申し上げたい気持ちなんです(笑)。
差し出がましいことは百も承知の上で申し上げますが、入江さんからは、色々と熟考を重ねた
上での、両氏に対する冷静なご返答がありますことを期待致します。最終的に納得したり、
論破されてしまうことなどないのですから。それは本人の自由ですからね。議論では大した
問題にはならないかと思われます。シェンロンさんのお言葉を借りれば、議論では「どれだけ
人に学べたか」が肝要なのです。まぁ、わざわざ入江さんに申し上げるのは、正に釈迦に説法
なのですが。。。

1864無精髭:2008/08/05(火) 22:52:42
sageたのは意図したものではございません。

議論に関係ない話ですが、私が以前拘っておりました死刑の犯罪抑止効果については、
瀬田氏の>>374に詳しいですね。

>>585「それはそれで仕方ないよね刑」
再読しても妙案かと思われますが、これと「安楽死」って、どちらが野蛮でしょうか(笑)

それと、
>身内から犯罪者が出たからといって、家族がその点で苦しむ必要はありません。
これは無理な相談ではないですか? 刑の目的が違うと言われても、世間様の風当たりは
相も変わらず(不当に)激しいものかと思われます。

でも、>>588
>注射器ひとつにしても、使い道によっては大変な凶器になります。(後略)
確かに、「安楽死」(今のところは薬殺刑)には問題点がございましたねぇ。

・・・節操なくて御免なさい。

1865紫煙狼:2008/08/05(火) 23:54:21
>>1864
どちらが野蛮かって、どちらでしょうね(笑)
凶悪な犯罪を犯した者であっても、生きて罪深さを悔い続けて欲しいと願う人の心あれば、心ある限り生き延びる
可能性が残され、皆が早々と死ねばよいと願うなら、遠くない将来飢えて衰弱死する。もし、この刑が実際に採用
されたならば、その刑は世間の真の野蛮さをそのまま具現するでしょう。死刑より野蛮かもしれないし、死刑より
穏やかな刑罰かもしれない。。。
ただ…どんな犬嫌いであっても、道端の段ボール箱に捨てられた子犬の前を素通りするのは気が引けるように、
「日に日に飢えて衰弱していく元凶悪犯罪者を映し出すモニター」の前を幾人が素通りできるでしょう。
私は世間様の冷たさ厳しさと同時に、人間の愛や優しさを信じていますので、どんな凶悪犯罪者でも天寿を
全うできるものと信じています。(ごめん、半分ウソ。)

身内から云々に関しては、犯罪者の生活費を身内に負担させること(犯罪者の身内の経済的負担が増えること)
に対して「見捨てる自由選択権」を与え、ゆめゆめ経済的負担を強要するものではないと言う意味でした。
世間様の「犯罪者と、その身内」に対する冷たい目に関しては、おそらく未来永劫変わらないでしょう。
でも、今の私なら「身内の金銭的援助は一切これを認めない」という案の方が、しっくりきますね。
富豪の身内は世間の優しさなしに生き延びることができて、天涯孤独の犯罪者は早々にお迎えが来る…では、
あまりに不均衡に過ぎます。(と、いうように穴だらけの案ですよ。あれは(笑))

ただ、凶悪犯に理解できるかどうか甚だ疑問ではあるものの「殺されない」と言うことと「生かされている」と
いうことは全く別であって、その差を理解できるに至った犯罪者は「生かしてもらっている」限り「贖罪」という
言葉の意味と、それを具現する方法を模索する日々を送り続けることだろうと思います。
(生かして貰っている事に胡坐かけば、数日後、数週間後には衰弱死が待っていますから。)

1866Ken:2008/08/06(水) 00:28:21
>>1863
たまに昔の投稿を読み返してみて、俺っておんなじこと書いてんなあって気づく
ことあります。書いたこと自体忘れてるんですね。

この人権さんの書いてることは示唆に富んでると思いますね。死刑反対派は被害者・
遺族を軽視しているととられないようにしなきゃ賛同は得られないと思いますね。
ただ、日本の被害者・遺族の対応はずいぶん遅れているわけで、その状態で死刑だけに
頼って被害者・遺族の感情を慰めようとするのはどうかと思います。裁判で意見を
述べられるようにしたり(これは実現されましたが)、裁判の結果や刑務所での
様子を被害者・遺族に知らせるといった施策は当然あって然るべきでしょうね。

死刑の存否にとって被害者感情は重要だとは思いますが、本質的には二つの異なる
問題なんじゃないですかね。

1867無精髭:2008/08/06(水) 20:21:23
>>1865へのレスとしてはちょっと、と申すか、かなり内容がずれますけど。。。

>もし、この刑が実際に採用されたならば、その刑は世間の真の野蛮さをそのまま具現するでしょう。

もしかしたらシェンロンさんがあの刑をご提案されたのは、それが一方では
自分たちの社会に根差す蛮性を映し出す鏡となるからだったのではないか、と
考えておりましたところ、上記のようなお答えを戴きましたので、非常に
安堵致しております。>>585には二重の意味があるようで、死刑存置論者を含め、
私たち社会成員の無自覚な冷酷さに対する批判(実に皮肉の利いたそれ)
であるとも捉えることができますね。

確かに現実的な運用となりますと、空想的すぎる分、色々と折り合いをつけ
なければならない箇所が多い為、まるごとの実現は難しいかと思われます。
ここから先は冗談ですが、刑務所内の様子を映し出すモニターはどこに設置
したら良いのでしょう? そのモニターを見るのに年齢制限はないのかな?
公共の電波で流すというのはどうでしょうか? と、まぁ下らないことしか
思いつかん訳ですが。あと、逆にそれを見て、瞬時(?)に終わる人道的な
処刑として、死刑を復活せよとの声が上がりそうな気も致しますね。もちろん、
そういう輩はシェンロンさんがこの刑に託したメッセージを汲み取れぬほどに
鈍感な訳ですが、然しながら、死刑と死と隣り合わせの終身刑のどちらが残酷
な刑罰であるのかは、神のみぞ知ることなのかも知れません。

本心からこの刑を実現したいと思うのであれば、国際情況さえ考慮に入れなければ
ならないでしょうね。北朝鮮の収容所とはどこがどう違うのかといった、実に
単純なことから、最終的に人道的であるか否かを巡った高度な議論を展開して、
各国を説得し、その合意を得なければなりますまい。この時点で、この刑が野蛮
であるかどうかはあらかた決まってしまっていることでしょうから、仮に各国の
理解を得られたとしますと、この刑の制定後には、再度国民がそれを問い・自ら
にも反省的に蛮性を認める機会など訪れないかも知れませんけれども。

然しながら、国際的に孤立した国には住みたくないのが、私の本音です(笑)。

1868無精髭:2008/08/06(水) 21:17:36
>ただ、凶悪犯に理解できるかどうか甚だ疑問ではあるものの「殺されない」と言うことと「生かされている」と
>いうことは全く別であって、その差を理解できるに至った犯罪者は「生かしてもらっている」限り「贖罪」という
>言葉の意味と、それを具現する方法を模索する日々を送り続けることだろうと思います。
>(生かして貰っている事に胡坐かけば、数日後、数週間後には衰弱死が待っていますから。)

なるほど、と思いました。
でも、「許す」ということがよくわからない私としては、凶悪犯に贖罪を求める必要は
感じられません(社会・他の人はいざ知らず)。まぁ、一言で申すと、贖罪を強要する
刑罰※は、果たして教育刑と呼べるのかという、単純な疑問があるのです。極端に申すと、
これは「改悛か洗脳か」といった、教育刑の目的に対する方法上の違いなのかも知れませんがね。

それともう一つ。上記の刑では、パンのみを得るためでしたら、労働は認められないもの
でしょうか。 失業者に対して、それだと不公平であるとのお考えもあるからでしょうか。
私としては、贖罪よりも世の為・人の為にしっかりと働いて戴きたいのですが
(無論、強制労働といった過酷なものを囚人に科したいという意味ではございません)。

※シェンロンさんご提案の刑では、「生かされている」という事実を知った後、それを認める
(つまり贖罪を行う)だけでなく、拒むことも同時に認められるような気が致しますけれどもね。
ただ、どうやって贖罪を行うのか、どうやってモニターを見ている人々に自らの改悛の証を示す
のかといった方法的問題が、単なるパフォーマンスによって解決するものとならなければよいのですが。
そこでも、人を騙すのが上手い・下手といった個人差が影響するかも知れません。或いは、
一切を拒絶して餓死に至ったことで、一部の人々から英雄視される者も現れるかも知れません
(その社会的影響は如何?)。

・・・以上、どうでも好いことが思い浮かびました。

>>1866
ははっ。私なんか新参者なのに、もう初めの頃の書き込み内容を忘れつつありますよ。
健忘症にはお互い気をつけたいものですね。でも、忘れるって必ずしも悪いことではなく、
むしろ好いことだってあると聞きますから。もちろん自分にとって都合の「好い」、
という意味ではなく。

1869無精髭:2008/08/06(水) 22:24:16
>>1868
>でも、「許す」ということがよくわからない私としては、凶悪犯に贖罪を求める必要は
>感じられません(社会・他の人はいざ知らず)。まぁ、一言で申すと、贖罪を強要する
>刑罰※は、果たして教育刑と呼べるのかという、単純な疑問があるのです。極端に申すと、
>これは「改悛か洗脳か」といった、教育刑の目的に対する方法上の違いなのかも知れませんがね。

つまり、自らが受けている刑罰に対して囚人が反抗する(反抗的姿勢を見せる)余地のあるような
刑罰は教育刑として成立しうるのか、ということですね。
ご提案の刑って、既存の刑罰と比べると、結構精神的には自由な感じが致しますからね。

うーん。馬鹿な質問で済みません。あと、「改悛か洗脳か」という箇所は
自分でもちょっと分かり難い言い方でした。重ねてお詫びいたします。

1870無精髭:2008/08/06(水) 22:31:45
度重なる連投、申し訳ございません。訂正ですが。

>>1869
>それともう一つ。上記の刑では、パンのみを得るためでしたら、労働は認められないもの
>でしょうか。 失業者に対して、それだと不公平であるとのお考えもあるからでしょうか。

上記「失業者に対してそれだと不公平」を
「失業者に対してそうじゃないと不公平」に置き換えてお読み戴ければ幸いです。

1871無精髭:2008/08/06(水) 22:32:24
度重なる連投、申し訳ございません。訂正ですが。

>>1869
>それともう一つ。上記の刑では、パンのみを得るためでしたら、労働は認められないもの
>でしょうか。 失業者に対して、それだと不公平であるとのお考えもあるからでしょうか。

上記「失業者に対してそれだと不公平」を
「失業者に対してそうじゃないと不公平」に置き換えてお読み戴ければ幸いです。

1872無精髭:2008/08/07(木) 08:41:22
boro様へ
二重投稿してしまいました。お手数ですが、削除をお願い致します(これも含めて)。

紫煙狼様へ
教育刑と呼べるかどうか云々の件、私は何か勘違いしておった次第。
些末な事にまで首を突っ込んだみたいで、もしご気分を害されたのでしたら、
誠にお詫び申し上げます。私のレスなど、忘れてしまって構いません。
最近、また妙なところで懐疑癖がよく出るのです。
文章がへんちきりんなのは元からですが、この所の猛暑の為かは知りませんけど、
異様に、意識がボーっとすると申すか、何かおかしいのです。
読み難い文章ばかり書いて、申し訳ございません。

まあ以上、醜い言い訳に過ぎませぬが、軽くスルーしちゃって下さいませ。
しかし、本当にお怒りでしたら、御免なさい。

1873紫煙狼:2008/08/07(木) 13:40:37
>>1872
私の場合、不愉快に思っていたら「内心穏やかではない」と
ちゃんと意思表示しますのでご安心ください(^^)

1874無精髭:2008/08/07(木) 19:55:26
>>1873
お返事を戴けたので、安心致しました。
なんか、シェンロンさんには謝ってばかりですね(笑)。面目ないです。

私が誰かにレスをつける場合、その人の主張や考え方にケチをつける気など毛頭なく、
単に自分の理解力不足を露呈しているだけなのです。恥を忍んで―――否、
厚顔無恥に自分の疑問をつい口に出してしまい、やっぱり止めておけば良かったと
後々後悔する質です。疑いの念からふっと我に返り、自分を客観視してみますと、
「俺ってなんかピントがずれているというか、何本かネジが足りない感じなんだよなぁ」
と、しみじみと思えてきます。書いたものなんかを見返しても、同様です。そんな
自分を楽しんでいる、もう一人の自分も確かにいるにはいるんですけど。もちろん、
人の反応を見て面白がっているということではありません。全てにおいて、それとは逆です。

私は、他人の考えは無条件に尊重されるべきものであると考えております。その上で
レスをつけさせて戴いておりますことを、是非とも皆様には知って戴きたく存じます。
そもそも、食指の動かぬものに関しては、私は非常に冷淡な人間ですので、自分にとって
無価値であると思われたコメントには絶対にレスをつけません(他にもひとえに私の
力量不足が原因で、レス困難なケースなどもございますが)。

きっとネット以外でも、空気の読めない奴だと思われているのでしょうねぇ。当人の方は
至って能天気なんですがね(笑)。普段は、のほほ〜ん、としておるつもりなんですが、
他人から見れば、すっごく無愛想に見えているのかも知れません。難しいな、人間関係。

あと、意識についてどうたらこうたらと言い訳がましいことを申しましたが、これを話すと
長くなるので省略させて戴きます(皆様にとってはむしろ好都合でしょうし、私にとっても
恥ずかしいことなので)。意識には自己においてしか実例が存在しない為に、他人のそれと
比較しようがないことも忘れて、ああだこうだと、全く御見苦しい限りです。どうも申し訳
ございません。

この度の私の不祥事で、過去、シェンロンさんにやたら絡んでいた何某さんを思い出しました。
すると、その人と自分がごく自然に重なりまして、性格だけでなく意思伝達を目的とした文章力
についても、色々と反省すべき点が多いな、と思いました。何かにつけ、すぐに感情を荒立てる
お方だったようですが、私は決してそんなタイプではないのですが、すぐにくよくよする所
なんざ、どっちが感情的やねん、と自分で自分に突っ込みたくなりました(笑)。

大体私の文章が乱れるのは(元々、へっぽこなんですが)、著しく思考が混乱している時です。
そのせいで、議論の眼目などを見失うことがよくあります。或いは、これまたその時の意識の
問題なのですが、思考停滞に陥った際に、無理矢理文章をひねり出すことで思考を押し進めよう
とすると、どうも文章がイかれてしまうことが多いようです。

と、まぁ、私は上に申し上げたような人間なので、適度に距離をとってお付き合い戴ければ、
人畜無害であること請け合いですので、もしまた私がうっかり気に触るようなことを仕出かしたり、
しつこいまでに食い下がったり(?)、突拍子もないことを抜かしたりしても、余り気に
なさらず(情況によっては無理な相談かも知れませぬが)に、どうぞ道化が一人下手な芸をして
悦に入っているとでも見做してやって下さいませ。微笑ましく見守って戴けましたら幸いです。

・・・ほんと、付き合いにくい人間で御免なさい、です。

1875無精髭:2008/08/07(木) 20:04:05
我ながら、言い訳が長いですねぇ。お返事戴けたので、調子に乗ってしまいましたよ。

このまま調子に乗り続けて、疑問を垂れ流したり自説を展開したりしては、
シェンロンさんの当惑する顔が目に浮かびますので、差し当たり私の個人的な意見は封印致します。

急かすようで悪いのですが、今は入江さんのレスを待ちましょう。

因みに、>>1870の訂正の指摘箇所ですが、アンカーつけ間違えてます。
正しくは>>1868です。

1876紫煙狼:2008/08/07(木) 20:22:10
少し遡りまして…。

私が「同害報復」の原則を徹底するとこうなる!という例を>>1845で提示しましたところ、
「それは過剰報復である」というご指摘を頂きました。。。が、なぜそれが「過剰報復」なのか
の理由に言及されたものがありません。それが「やりすぎ」なのは自明でしょうが、
自明を噛み砕かないことには、同害報復と過剰報復の境界線は見えません。境界線よいずこ?

おそらく、直接被害者以外に間接被害者が受けた害まで同害で報復しようとしている点が、
やりすぎなのではないでしょうか?つまり「同害報復の主体は被害者(サイド)」ではなく、
同害報復の主体は「直接被害者に限定」しなければ過剰報復となるのでしょう。

ならば「直接被害者VS加害者」の構図で裁判をする限り間接被害者の感情が充足される訳がない。
まして実際の刑事裁判は「直接被害者(の代弁者)VS加害者」ではなく「国家(の代弁者)VS加害者」
なのですから、この判決で直接・間接の被害者感情が充足されないとしても、至極当然の理でしか
ないのではないでしょうか?それが解っているから被害者(サイド)は、せめて国家が下すだろう
加害者への処罰が少しでも重いだろうことを願い、そこに自己の恨みを投影させるより他に
道は残されていないわけです。こんな歪な有様を「同害報復の原理」で説明するのは無理でしょう。
そう考えると、たとえ加害者に死刑が言い渡されたとしても、それは同害報復の原理に基づくもので
はありえないし、また、そうであってはならないわけです。

1877無精髭:2008/08/07(木) 20:59:52
>>1876
つまり、入江さんは御自身の信念に反して、同害報復論者ではないということですか...(絶句)。
私も、入江さんは普通の意味で同害報復論者かと思っておりました。
多分、Kenさんもそうなんじゃないかな。

・・・「同害報復」については、まだ色々と調べる必要がありますね。

1878入江:2008/08/08(金) 10:59:14
すみません、時間がなくて読み込めないので少しだけ。
同害報復は相手を一人殺したら自分一人が殺される、
相手の親と子を殺したら自分の親と子が殺される、という状態で
それ以上を望んだら過剰報復となると思います。
そういう意味では私は過剰報復論者になるんでしょうか?
無精髭さんに絶句されてるのはスタンスが怪しいせい???
しばしば感情と論理をごっちゃにするのが私の悪い癖なので
いっぺん長考してきます。

ただし、被害者の「恨み」っていうのはどうなんでしょう?
被害者にしてみれば奪われた人権の回復がそもそもの切なる願いなわけで。
回復不可能ならせめて加害者の人権も同じく奪われなければ不公平だと思う、
そのシンプルな考えが「恨み」などというマイナスイメージそのものの言葉で
括れるものだとは思いません。

1879紫煙狼:2008/08/08(金) 12:11:57
(昨日は途中で力尽きて寝てしまいました(笑))

「入江さんは同害報復主義者ではない」は半分正しいですが、半分正しいでしょう。
処罰するための同害報復主義を厳密に「全く同じ被害を与える」と考えれば、
加害者の関係者に累が及んでしまう点で第三者を巻き込む過剰報復となるでしょう。
おそらく入り江さん自身の解釈から言えば「(全く)同(じ被)害」を与えることは汎用
的ではなく不可能な場合も多いので「同(程度の被)害」を与えることで代替する…。
という理論なのだと思います。実際、過剰報復との指摘を下さったのは入江さん
ご自身ですから。

つまり「被害者サイド被害の総和と同程度の害を加害者に報復として与える」が
過剰報復を防ぎつつ「加害者処罰によって善と悪の平衡を保つ」という方法論なワケです。
そうしますと、人間一人が受け止めきれる被害の量には限度がありますが、人間一人が
与えうる被害の量には限度がありませんから、発生した被害の総量と同程度の害を
加害者に全て受け止めさせることは不可能です。それ故、加害者の死だけでは平衡が
保たれない事を理由に、少しでも加害者が受ける害の総量を増やすために「絞首刑では
生ぬるい!」とか「残虐な苦痛を与えてから殺せ!」という発言が出るわけです。
一言で言えば「いかなる方法によって少しでも多くの苦痛を加害者に与えるか?」が
「同程度害報復」の課題であり目的であるわけです。
そして「そのような考え方自体が残虐で非人道的ではないか」という批判をかわし、
自己の罪悪感を軽減する手法として「目的刑論の一般予防論説」を利用するのです。

それが「刑罰による犯罪抑止効果の有無を問う」という論争を巻き起こすのです。


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