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死刑制度についてひと言お願いします
1767
:
無精髭
:2008/06/17(火) 22:58:59
はてさて、今回の宮崎勤死刑囚を含む3人への死刑執行によって、何らかの一般予防効果は働くのかどうか...
小生個人の意見と致しましては、「働く」とは思うのですが、それは確かめようがないと言うのが正直な所。
確かめようがない、というのが重要で、実際にそれが働こうが働くまいが、その事実とは関係なく、何らかの効果
を主張できてしまうのが、小生には不思議な感じが致します。
事実と関係なく主張できると申しましたが、それは推論の域を出ないと言う事です。
その推論に信憑性を与えるのは言うまでもなく、死刑確定から執行までの期間の短さと
鳩山法相の歴代最多執行数から来るある種の厳格さに違いありません。
実際、死刑という刑罰が存在する事よりも、それが執行される事の方にこそ、一般予防効果は期待されるようですね。
勿論、刑罰の存在とその執行の二つを込みで考えるのが、普通でしょうけど。
死刑の犯罪抑止力の有無が不鮮明である事は、もはや死刑廃止論者が槍玉に挙げる際の常套句なのかも知れませんが、
やはり死刑の存在を国民に再度確かめさせる為の刑執行には、一時的ではあれども威嚇効果は期待できそうな気も致します。
ですが、飽く迄もそれは「威嚇」効果...刑罰の残酷性が際立ってこそなんぼのもの。
それで犯罪者及び犯罪予備群を黙らせられるにしても、それに止まらず国民全体にさえ余計なとばちりを食わせて、
政府に対する不信感、社会への不穏感、個人的には恐怖感までも抱かせるなんて破目になるのだとしたら、
「ちょっと待てよ」と言いたくもなります。
厳罰と刑罰が残酷であると言う事は、後者が前者に内包され得る関係にあるというだけで、決してイコールではないでしょう。
否、法律と言うものを定義する上で、同じであってはならない事ではないかな〜と、小生は思います(法律に全然詳しくないですが)。
小生なりの言葉で申せば、残酷さにまつわる諸事象である苦痛やストレスなどは、所詮主観・意識にのみ関わるものなので、
たとえ極刑に限ろうとも、それを客観的な法体系が秩序維持の為に必要だとして謳い上げるのは如何なものでしょうかね。
刑罰の残酷さは国民各々の主観にのみ起こり得るので確かめようがない、もし確かめられたらそれは残酷だと
「その人にとっても(国家にとっても)」分かってしまうのですから、逆に申せば、絶対に確かめられてはならない。
権力によってひた隠しに隠されなければならない。なぜならば、国民の皆が刑罰を本当の意味(自らの立場・主観)で
残酷なものだと認識してしまえば、刑罰の執行者(客観的立場)の不在を招くのは必定となり、刑罰存続の意味がなくなりますから。
小生個人と致しましては、刑罰の実態が上手い事、権力によって不可視的なものに変じられるのだとするならば、
死刑制存置でもOKなのですが(小生が自分の主観とか意識に拘るが為)、それが本当に可能なのかと言うと心許ない。
小生は死刑制存置派の言い分も良く分からないし、同じく廃止派のそれも良く呑み込めません。
ですが、人間魚雷氏の仰る「死刑囚仏説」の様に、たとえ犯罪被害者遺族の為とはいえ、主観的に意味のある様な、
事件当事者(正確にはその関係者)にとって価値のある様な、それだけに限定される効果が期待されるのであれば、
小生の浮ついた心はそちらの方に靡いてしまう。つまり、死刑制存続でも良いのではないかとも思えてしまう。
・・・モチロン、他者への同情抜きで、でございます。
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