61年にアフリカ民族会議(ANC)の地下武装組織「ウムコント・ウェ・シズウェ(Umkhonto we Sizwe、民族の槍)」の最高司令官となり、翌62年にはアルジェリアとエチオピアで軍事訓練を受けた。だが、64年に逮捕・起訴され、終身刑を言い渡された。このとき裁判でマンデラ氏が行った演説は、反アパルトヘイト運動のマニフェスト(宣言)となった。
国際社会が南アフリカに対し経済制裁で圧力を強める中、89年に強硬派のP・W・ボタ(P.W. Botha)大統領が辞任し、融和的なフレデリク・デクラーク(Frederik de Klerk)大統領が就任。90年2月11日、マンデラ氏は釈放された。93年、マンデラ氏とデクラーク氏はノーベル平和賞を共同受賞した。
国営衛星放送カタールテレビで演説するハマド・ビン・ハリファ・サーニ首長(2013年6月25日撮影)。
【AFP=時事】カタールのハマド・ビン・ハリファ・サーニ(Hamad bin Khalifa al-Thani)首長(61)は24日、タミム・ビン・ハマド・サーニ(Tamim bin Hamad al-Thani)皇太子(33)に権限を移譲した。
マイクロソフト(Microsoft)の分析チームは、抗争が最も激しいモンテレイ、レイノサ(Reynosa)、サルティーヨ(Saltillo)、ベラクルス(Veracruz)の4都市について、2010年8月〜11年11月まで1年4か月間、市民のツイッター上でのやりとりを調べ、報告書「The New War Correspondents:The rise of civic media curation in urban warfare(新しい戦争特派員たち:都市抗争における市民メディア情報発信の台頭)」として発表した。これによると、ツイッター上には「爆弾が爆発」「銃撃」「武装集団」などの言葉が多く飛び交っていた。
市民によるソーシャルメディアを使った麻薬抗争情報の発信は、「情報提供者としての報道機関の役割に対する妨害、そうした状況下で高まる情報の必要性、ジャーナリストに対してあってしかるべき保護の欠如、そして麻薬密売組織の危険性」などの結果として生まれたと、モンテレイ工科大学(Monterrey Institute of Technology)のオクタビオ・イスラス(Octavio Islas)氏は語る。