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国際政治・世界事情

6576チバQ:2013/07/02(火) 22:58:32
http://mainichi.jp/select/news/20130701ddm007030134000c.html
民族和解への挑戦:クロアチア、EU加盟/3 殺害と悲劇、双方が経験 戦争責任、いまだ溝
毎日新聞 2013年07月01日 東京朝刊


オフチャラ地区の虐殺現場。プレートに「許す。しかし、決して忘れない」と刻まれている
拡大写真 広大な農場に足を踏み入れると、肥料や家畜用飼料のにおいが鼻をついた。クロアチア東部ブコバル中心部から車で10分のオフチャラ地区は、クロアチア紛争の勃発から間もない1991年11月、261人のクロアチア人がセルビア人武装勢力に虐殺され、埋められた場所だ。人里から離れ、家畜の骨が多数出土する場所は、秘密の処刑場にうってつけだった。

 悲劇は、セルビア人勢力による包囲戦でブコバルが陥落した直後に起こった。戦いで負傷したクロアチア人を収容した病院がセルビア人勢力に急襲され、病院スタッフを含むほぼ全員がオフチャラに連れ去られた。農機具用の暗い倉庫で殴打された人々は、そこから2キロ離れた畑の真ん中で命を絶たれた。

 「(第二次大戦後)ドイツは戦争責任を謝罪し、自ら戦犯を追及した。セルビア人はいまだにブコバルでの勝利を祝っている」。オフチャラの倉庫を改装した虐殺記念館で、男性ガイドは261人の遺影を前に「謝罪なき和解などあり得ない」と声を震わせた。

 セルビア人側にも反論はある。旧ユーゴスラビア連邦から一方的に独立し、セルビアとの戦いを「祖国防衛戦争」と正当化するクロアチア人側に対し、セルビア人側は、自分たちは少数派となり迫害の恐れがあったことや、クロアチア人武装勢力によるセルビア軍主体の連邦軍への攻撃などを戦いの理由に挙げる。

 ブコバルで暮らすセルビア人会社員、スロボダン・ヤコブレビッチさん(45)は91年6月20日深夜、目の前で父親を殺された。クロアチア独立を決めた国民投票の翌日だった。自宅の敷地へ侵入した男たちは警官を名乗り、父親に外へ出るよう命令。拒否すると玄関を爆破し、「家族全員を殺す」と脅した。父親は外に出ようとしたところを撃たれ、即死した。

 ヤコブレビッチさんは戦後、クロアチア政府を相手取って訴訟を起こしたが、容疑者が捕まることはなく、3000ユーロ(約39万円)の裁判費用の支払いだけが残った。

 「開戦理由や戦争犯罪を巡るクロアチア人とセルビア人の見解の違いは大きく、和解プロセスを阻む最大の要因になっている」。ザグレブ大学のドラガン・バギッチ准教授はこう分析する。

 クロアチア政府は旧ユーゴ国際戦犯法廷への自国民被告の引き渡しなどに協力し、欧州連合(EU)への加盟条件をクリアした。しかしバギッチ氏は「クロアチア人の大多数は戦争犯罪の存在を認めつつも、セルビアの侵略から祖国を守るためには仕方がなかったと考えている」と指摘する。

 オフチャラに建てられた記念碑には「許す。しかし、決して忘れない」と刻まれている。キリスト教精神にのっとり、虐殺に手を染めたセルビア人の罪は許すが、ここで起きたことは忘れないという意味だ。だが、戦後18年を経てなお、クロアチア人とセルビア人が許し合える日は訪れていない。【ブコバル(クロアチア東部)で樋口直樹】=つづく


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