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国際政治・世界事情

6564チバQ:2013/07/01(月) 22:31:05
http://sankei.jp.msn.com/world/news/130629/mds13062908330000-n1.htm
【同胞団の野望 エジプト・モルシー政権1年】
(上)権力掌握へ奇襲の憲法宣言
2013.6.29 08:31 (1/2ページ)

タハリール広場で反モルシー大統領のスローガンを叫ぶデモ参加者=28日、カイロ(AP)
 2012年11月22日朝、エジプト最大のイスラム原理主義組織ムスリム同胞団の末端メンバー、ホサーム・フワーリーの携帯電話が鳴った。同胞団出身の大統領、ムハンマド・モルシーが「重大発表」を行うので「今日は職場に行かず自宅で待機せよ」との上役からの指令だった。

 間もなく動員がかかり、首都カイロ中心部などに「大統領の宣言を支持する」との横断幕を掲げた同胞団員が集まり始めた。この時点ではどんな発表が出されるのか知らされていなかったが、フワーリーは「とにかく指示通りにデモに参加した」と振り返る。

 そして同日夕、モルシーは、自身が司法を含むあらゆる機関の拘束を受けない“超法規的”な存在であると規定する憲法宣言を発布した。

 当時の政権高官らが地元紙などとのインタビューで語ったところによれば、同宣言はモルシーと同胞団指導部によってひそかに作成され、外遊中だった副大統領にさえ内容は知らされなかった。モルシーと同胞団による、絶対権力掌握に向けた奇襲作戦だった。


■  ■


 強権発動の理由についてモルシーは、最高憲法裁判所が、同胞団傘下の自由公正党が多数派を握る諮問評議会(上院に相当)と新憲法起草にあたる憲法制定委員会の解散を近く命じるとの「陰謀」を察知したためだ、と正当化した。

 陰謀の真偽は不明だが、同胞団員の多くは「司法界には旧政権関係者の息がかかっている」と主張する。1950年代以降、ナセル、サダト、ムバラクの3政権下では、多くの幹部が投獄を経験した。

 しかし、宣言は当然ながら、野党や若者中心の民主化勢力の猛反発を引き起こした。各地では日常的に同胞団事務所への襲撃や衝突が発生するようになった。


■  ■


 昨年6月の大統領選でムバラク前政権の首相だった元空軍司令官シャフィークと争い、僅差で勝利したモルシー。党首を務めていた自由公正党を離れ、就任演説では「私はすべてのエジプト人の大統領だ」と高らかに語った。

 しかし、モルシーの力の源泉が、メンバーや支持者を大量動員し票に結びつけられる同胞団にあることは間違いない。憲法宣言を16日後に撤回するまでの間、モルシーはイスラム勢力主導で起草された新憲法案を強引に国民投票に持ち込み、結局、賛成多数で承認させることに成功した。

 同時に、同国の政治的分断は決定的に深まった。

 26日夜、カイロ中心部に集まった抗議デモ隊はこんな声を上げた。「モルシーは同胞団の操り人形だ」=敬称略




 

 ムスリム同胞団 1928年、エジプトの教師、ハサン・バンナーがイスラム教に基づく社会・政治体制の構築を目指し創設した組織。各地のイスラム復興運動に影響を与え、イスラム世界のみならず米欧にも同胞団組織が存在する。エジプトでは54年に非合法化されたが、その後も秘密結社的性格を保ちながら慈善活動などを展開、ムバラク政権下では事実上の最大野党だった。傘下の自由公正党は現在、上院第一党。





 エジプトのモルシー大統領が就任し30日で1年を迎える。出身母体であるムスリム同胞団を再び追った。(カイロ 大内清)


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