したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

国際政治・世界事情

6565チバQ:2013/07/01(月) 22:31:42
http://sankei.jp.msn.com/world/news/130630/mds13063015130001-n1.htm
【同胞団の野望】
エジプト・モルシー政権1年(中)揺り戻す強硬路線
2013.6.30 15:12 (1/2ページ)
 エジプト北部アレクサンドリアのムスリム同胞団支部に近い広場に、地元団員が「監獄」と呼ぶ建物がある。本来は広場の管理棟だが、同胞団が敵対勢力のメンバーを拘束・尋問するのに利用しているためだ。

 4月26日、この一帯で団員数百人が厳しい表情で警備にあたっていた。時折、両脇を抱えられた男性が物陰に連れ込まれていく。ある団員は「襲撃してくる連中の一人さ。捕まえて締め上げるんだ」と説明した。

 昨年11月に同胞団出身の大統領、ムハンマド・モルシーが、自身に独裁的ともいえる権限を付与する憲法宣言を出したのを機に、世俗派中心の反モルシー勢力との対立が先鋭化、同胞団施設が襲撃される事件が相次ぐようになった。背後にはムバラク前政権関係者らの存在も取り沙汰される。

 そんな中、同胞団には武装の必要性を公然と語る幹部が現れていた。かつて暴力を否定した同胞団は、このころからはっきりと戦闘的な態度を強めていった。


■  ■


 1928年に同胞団を設立した小学校教師ハサン・バンナーは、イスラム教の価値観普及などのほか、団員の身体を鍛える一種のボーイスカウト活動を展開した。

 選抜された若者らは軍事訓練を受け、同国に駐留していた英軍との闘争などに参加、一部はバンナー直属とされる「特務機関」で要人の暗殺にも従事した。

 54年、同胞団は当時の大統領、ナセルの弾圧を受け特務機関も実態を失う。

 だが、60年代には急進的な権力奪取とイスラム国家論を唱えたイデオローグ、サイイド・クトゥブの影響を受けた団員らが「65年組織」と呼ばれるグループを結成、武装蜂起を計画したとして当局に摘発されクトゥブも刑死した。

 その後の同胞団は、第2代団長ハサン・フダイビーの下でクトゥブ主義を批判し、武闘路線の封じ込めを図った。しかし90年代に特務機関出身のムスタファ・マシュフールが団長に就任。同胞団の歴史は、「強硬」と「穏健」の間で揺れ動く歴史でもあるのだ。


■  ■


 そして今。第2代団長のひ孫で同胞団研究者のイブラヒム・フダイビーは「強硬派支配の流れが明確になっていた」と指摘する。現団長ムハンマド・バディーアら最高幹部の多くは65年組織出身やマシュフールの薫陶を受けた一派だ。

 11月の憲法宣言は指導部の意向によるものとの見方が一般的だが、組織内序列で下位にあるモルシーにこれを拒否する力はない。権力掌握を急いだ同胞団は、結果として前政権関係者を含む敵対勢力との抜き差しならない対立に自らを追い込んだともいえる。

 衝突が起きた今月28日、「監獄」のあるアレクサンドリア支部は、反モルシー勢力に火を放たれた。=敬称略(カイロ 大内清)


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板