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鏡の世界の迷子の旅路 無断転載

1語り(管理人):2015/05/29(金) 21:47:48
私は小閑者さま本人ではございません。願わくばご本人からのご返事が来ること願います。



・本作は恭也の年齢を変えたDWの再構成に当たります。

 お蔭様で、長らく続いたA's編も無事(?)終了しました。
 これからは拙作、鏡の世界の迷子の旅路の後日談的な続編を書いていく積りですのでよろしければお付き合いください。

 ご意見・ご感想を書いて下さる方は別スレッドへと、お手数ですがそちらへお願いします。

245小閑者:2017/11/04(土) 11:54:05
 刀身を無くしては戦えなくなるため、御神流では腕の振り方までは変えることなく、手首を返し、握りを変えることで拳一つ分剣線をずらす。せいぜいが50mm程度の変化だが使いようによっては十分な効果を発揮する。
 握りが弱くなるため威力は格段に低下するが、敵の防御を掻い潜る事を目的にしているのだ。低下したところで、人間の皮膚を切り裂くには何の問題もない。
 更に、無数の斬撃の中に一定のパターンを繰り返す事で敵に覚えさせるものもある。
 例えば、右の袈裟切りの後に必ず左の薙払いを放つことで、そのパターンを敵に覚え込ませる、あるいはそういう癖を持っていると思わせて、手首の角度だけで定位置に来た敵の防御をかわして切りつける簡易版の誘導型だ。
 最後にその発展型となる体捌きにより思考を誘導するもの。
 先述した通り、斬撃は刀の軌跡だけ見ていては対応が間に合わない。踏み込みから肩の振りまで総合して予測する。それは言い換えれば自身の体の動きで敵の予測を誘導出来ると言うことだ。対戦中に敵がどの動作のどんなポイントに重点を置いて予測しているかを見極め、敵の動作を、意識を、思考を誘導する。
 勿論、言葉にするほど簡単な内容ではない。予測する、と言うことは、敵は“そのプロセスを踏めばその攻撃しか出来ない姿勢になっている”と確信しているのだ。自分と同等以上の実力を持つ者を相手にして、その予測を覆す事など普通に考えれば出来る訳がない。
 だから、出来なくて当たり前。僅かでも敵の予測に誤差が生まれれば、あるいは敵の注意が一カ所でも薄れれば儲けもの。
 “貫”とは総じて、その一撃が決定打にならずとも敵を動揺させる事が出来れば十分な成果と言えるし、警戒させ意識を分散させる事が出来るだけでも見せる価値はあるのだ。



(また、腕を上げたな)

 嬉しさと苦さが等分に士郎の胸を占める。
 恭也は辛い事があると鍛練に没頭する。「辛い現実」が「自身の非力さ」と直結することが多いため、現実からの逃避なのか真っ向から立ち向かおうとしているのかは、俄かには判断出来ないのだが。
 この二ヶ月ほどの期間でこれほど腕を上げたとなれば、本当に鍛練漬けだっただろう。
 恭也にとっての幸せとは何だろうか?
 そんな思考が掠めたのを最後に、士郎は感情を締め出して攻撃に転じた。

 士郎が攻勢に出たのに合わせて恭也の行動パターンも変化する。
 士郎が押せば引き、引けば押し、時には押しても押し返してくる。士郎の攻撃を受け、流し、躱す。柔軟に対応し、無理な攻防で動きを破綻させる事もなく、しかし時には強引に流れを断ち切りにくる。
 攻撃面の成長と同じだけ防御・回避技能も錬度が格段に上がっている事に満足しながら、士郎も一手づつ積み上げていく。まだ負けてやるわけには行かないのだ。

 目まぐるしく攻守が入れ替わり、徐々に士郎の攻撃時間が長くなる。
 圧倒的な速度という訳ではではない。
 圧倒的な膂力という訳ではではない。
 ましてや、奇抜な技術を用いている訳でもない。
 それでも恭也は士郎に押されていく。
 時には最短に、時には迂遠に、時には緩やかに、時には迅速に。剣閃が、踏み込みが、回避が、防御が。
 速さも力もほぼ同等。今の恭也ならトレースすることが出来るレベルだ。つまり、選択の違いが天秤を傾ける要素なのだ。

 恭也の実力を見るために敢えて受け続け、その後僅かに上の技術を示してみせる。それが恭也と手合わせをする時の士郎のスタイルだった。
 恭也はその違いを省み、盗み、改善する。
 士郎は手取り足取り教えた事はない。それは他の者に任せていた。
 ただ、強く在る事。高い壁であり、目指すべき頂で在り続ける事。それが士郎が自らに課した役割だ。

「ック、ゥッ」

 恭也の食いしばった口から声が漏れる。

「…おぉ、アアアアァァ!」

 その声が己を鼓舞するがごとき雄叫びに変わっていく。
 珍しい、そう思いながらも士郎は呑まれる事も釣られる事もなく捌き続ける。
 鼓舞した事で勢いを盛り返し、しかし、無理に攻勢に出た事で生まれた僅かな隙を衝かれて、側面に回り込んだ士郎の刀が恭也の首筋に突きつけられた。

246小閑者:2017/11/04(土) 11:56:13
「ここまでだ。
 まだまだだな」

 それは手合わせ終了時に士郎が告げる定型句だ。
 この一言を口にするために自分を鍛え続けているという気もするな。そんな感慨に耽りながら納刀する士郎の感覚に、世界に亀裂が入る音が聞こえてきた。

「…え?」

 あまりにも唐突な事態の推移に士郎の思考が追いつかない。
 確かに恭也は手合わせの結果でどちらが現実か判断すると言っていたが、士郎には前後の脈略がどう繋がっているのかすら分からなかった。

「おい、恭…」

 恭也が決別した以上、その事に異論を挟むつもりはないが、未だに判断基準を聞いていなかった士郎は逸らしていた視線を恭也に向けて言葉を途切れさせた。
 視線を道場の敷き板に固定したまま顔を歪め、歯を食いしばって何かに耐える恭也を見て、悟る。

(これ以上言葉を交わせば恭也の辛さが増すだけ、か)

 それなら、黙したまま別れるべきか。
 そう結論づけようとした士郎に異を唱えたのは、歯を食いしばっていた恭也本人だった。

「永全不動八門一派 御神神刀流小太刀二刀術 不破恭也!」
「!?」

 先程の雄叫びを超える声量で叩きつけるように士郎に向かって名乗りを上げる恭也に、今度こそ士郎は呆気にとられた。
 恭也の意図が分からない。
 名乗り上げる意味も距離を開いた理由も猛烈な気迫も懇願するような視線も何もかもが分からない。

(そもそも何の為に名乗りを上げた?
 さっきまでの恭也は間違いなく全力だったし、俺がそれを疑ってない事くらい分かってる筈だろ?
 …!)

「永全不動 八門一派 御神神刀流 小太刀二刀術 師範」

 士郎は、名乗り上げに恭也の表情に僅かな喜色が浮かんだ事に気づいて安堵した。

(そうか。
 最期だもんな)

「不破士郎」

(俺の全力を見せてやる!)

『参る!』

 声を重ねた2人は直後に中間地点に到達、同時に抜刀。

 御神流 奥義之壱 虎切!

 微塵の加減もされていない虎切に模造刀が悲鳴と火花を散らし、威力と体格で劣る恭也を弾き飛ばした。
 士郎は即座に神速を発動。
 意識が加速する事で相対的に時間感覚が遅くなり、粘性の増した空気を突き破りながら、モノクロの世界を駆ける。
 全力を見せると宣言した以上、出し惜しむつもりはない。恭也も神速の領域に踏み込んでいるのだ、無様な真似など出来るものか!
 神速を発動していながら崩した体勢を通常の速度領域で立て直していく恭也に、容赦なく士郎が切り込む。潔く防御と回避に全力を注いだ恭也が、辛うじて士郎の攻撃をやり過ごした。これだけの速度差がありながら右太股と左頬の裂傷で済ませた恭也の手腕は瞠目に値する。

247小閑者:2017/11/04(土) 11:58:27
 恭也が神速の領域に達したのは1年ほど前の事だ。
 鍛錬中、本人も無自覚に踏み込み、そのまま引き延ばされた時間感覚に合わせて無理矢理動こうとした結果、完成していない肉体が破綻した。
 骨折と筋肉の断裂と肉離れ。再起不能になるほど深刻なものでこそなかったが、3週間の入院が必要になるほどの重傷を負った。
 以来、恭也には肉体が耐えられるほど成熟するまで神速を禁じていてる。本人も体を壊すつもりはないから、と答えたが、士郎は重ねて“意識の加速”そのものを禁じた。
 肉体が高速機動に耐えられないのなら、意識だけ加速させて肉体は通常機動をとれば問題はない。戦闘中、意図的に意識を加速出来るというアドバンテージは、同等の技能を備えた敵に対してい絶大な効果を発揮するのだ。敵の動作をつぶさに観察出来れば虚実も見抜けるし、行動に合わせて手を変えることも出来るだろう。
 病院のベットで神速の用途を模索していた恭也に、士郎は禁じ手とする様に伝えた。それが剣士としての上達を妨げる事になるから、と。
 神速は特殊な技能ではあるが、御神の剣士の専売特許ではないのだ。系統立てて鍛えることが出来る流派の存在を耳にした事はないが(存在したとしても吹聴して歩くはずはないが高速行動を目撃されれば噂位にはなるものだ)、ずば抜けた才能を持つ個人にそれが出来る可能性は十分にあるのだ。
 恭也もその説明で納得したようで、任意で神速に入る訓練をしながら、戦闘訓練中に意識を加速させる事はなかった。


 その恭也が、今、意識を加速させている。
 だが、神速を使うことを今更とやかく言うつもりはない。恭也なら自分の体と折り合いをつけてやっていくだろう。
 今、士郎が集中すべき事は全力を尽くすことのみ。
 神速が解けた士郎は即座に再度神速に入る。
 太股に傷を負った恭也には時間が経つほど高速機動が難しくなる。ならば、動けなくなる前に、圧倒的な実力差でねじ伏せる!
 二刀を納刀しながら床を蹴りつけ間合いを潰す。予想していたのか恭也は動くことなく士郎を迎え撃つために納刀した小太刀に両手を添えて居合いの構えをとっていた。
 正面に向き合った状態で2人同時に抜刀。

 御神流 奥義之睦 薙旋!

 抜刀により加速した2撃と、薙払いの勢いのまま回転することによる複雑な捻転と慣性により加速した2撃を合わせた4連撃を瞬時に叩き込む。
 ギギンッ!という金属同士が奏でる悲鳴と床を踏みつける足音を最期に道場が静寂に包まれた。
 静寂の中、抜刀からの2連撃で右の小太刀を叩き折られ、左の小太刀を弾き飛ばされた恭也が、首筋と胴体に刀を突きつけた士郎に見据えられていた。




「いくつか聞きたい事がある」

 その姿勢のまま口を開いたのは士郎だった。

「どうして、ここが夢だと確信出来た?」
「…結婚式の前の俺には不破士郎にあれだけの力を出させることは出来ないんです」
「なるほど、な。本当に“指標”だったんだな」

 恭也の返答に少々迷いながらも素直に喜んでおくことにして、本当に確認したかった事を口にした。

「じゃあ、もう一つ。
 …やっぱり、夢じゃあ満足出来ないか?」
「違う。そんなんじゃあないんだ。
 …はやてを起こそうとしたのは、それがはやての意志で選んだ結果じゃなかったからです。はやて自身の選択の結果であれば口出しする気はありませんでした」
「それなら、どうして?
 おまえもここに魅力を感じたからこそ、あんなに迷ったんだろう?」
「…俺が取り込まれたことはみんなが知っているんでしょう?
 高町もテスタロッサも俺が帰ると信じていると思う。それじゃあ、帰らなければ心配させる」
「心配、させる?」
「いくらあいつ等でも、気を逸らしていて勝てる相手じゃないはずです。俺のわがままにあの2人を巻き込む訳にはいきません。
 はやても目覚めていれば気に病むでしょう。元居た世界を模倣している場所に俺が留まっていると知れば尚更」

 その答えを聞いた士郎は、突きつけたままになっていた小太刀を鞘に納めた。
 やっぱり恭也は解放されていなかった。予想していた事ではあるが、やはり突き付けられれば胸が締め付けられた。

248小閑者:2017/11/04(土) 12:00:56
 自分自身を肯定出来ない。自分の価値を信じられない。
 遊ぶ事も笑う事も出来ずに戦う力を練り続ける、そんな子供が健全である訳がない。
 ずっと、何とかしたいと思っていた。専門家にも相談したし、出来る限りの手は尽くした。その甲斐あってか、実際に以前よりは余程マシになったと思う。時間さえあればきっと回復出来る、そう信じられる兆候もあるのだ。

 時間さえ、あれば…

 光が溢れ、道場の壁すら見えなくなった周囲を睨みつけることしか、士郎には出来なかった。
 自分の無力さに絶望するのは何度目だろうか?
 結局、恭也を泣かせてやることすら、出来なかった。

「…済みません」
「ッ!
 ッカヤロウ!何でおまえが謝るんだ!?」
「この世界があれば、あなた達も…」
「やめろ!
 お前が気に病む必要なんか無いんだ!ここは夢の世界だ!儚く消えて当然だろうが!」
「だけど!」
「うるせー!
 だいたい、なんで敬語なんか使ってんだ!?」
「っ!」

 話を逸らそうととっさに口にした言葉に恭也が息を呑んだ。意外な態度に士郎が怪訝な顔を恭也に向けると、逆に顔を背けた恭也が言い辛そうに口を開いた。

「…父は死にました。俺を庇って死んだんです。
 俺はあの人以外を“父さん”とは呼びたくありません」

 呼びたくない。
 義務でも、理屈でもなく、感情を基にした拒否。
 命を賭して守ってくれた父親の代わりなど望むつもりは無いということか。
 あるいは、ここにいる不破士郎を父親と認めることで、二度も今生の別れを体験したくないのかもしれない。
 他人のためにたくさんの物を譲った後ではあるが、少しは自分の感情を省みようとしている。そのことに少しだけ安堵した。
 …それが父親への思慕であるのは、気恥ずかしくはあるが。
 まったく。口は達者になってきたと思っていたが、こういう場面では結局素のままか。こいつの恋人になる女の子は苦労するな。
 そんな思考で何とか気を逸らす。男親として別れ際に涙を流すような真似だけは絶対に出来ない。

 ふと、良く似た他人というシチュエーションの方が伝えなくてはならない言葉を口にし易いことに思い至った。
 気付くと恭也の顔も光に埋もれて霞んでいる。もう、時間がない。伝えるべき事を伝えなくては。

「恭也君」
「っ!」
「何かの縁で俺の息子に会うことがあったら伝えて貰えないか?」
「…何を、ですか?」
「別れ際に“死ぬな”なんて後ろ向きな事言っちまったから訂正したかったんだ。
 幸せになれって」
「!」

 驚きに恭也が自分の視線を正面から受け止めていることを霞む視界の中で確認すると、ありったけの想いを込めて言葉を足した。

「無理に生きろとは言わないし、生きるために辛い思いをしろとも言わない。
 ただ、振り返って幸せだったと思えるように、自由に生きろ」
「…と、とうさ」

 言葉の途中で恭也の存在がこの場から消えた。そのお陰で醜態を晒さずに済んだ事に、士郎は僅かに安堵した。

249小閑者:2017/11/04(土) 12:02:18
 恭也の消失と同時に恭也の記憶を核として構成されていたこの世界の崩壊が加速していく。
 士郎は自分の存在も霧散していく事に気付いていながら、拘泥することなく背後の気配に穏やかな声を投げかけた。

「悪いな、俺ばっかり」
「狡い、と言いたいところだけど、恭也くんの御指名じゃあしょうがないな」

 士郎の言葉に、居並ぶ一同を代表して静馬が答えた。

「お兄ちゃん、幸せになるよね?」
「うん、きっと大丈夫。
 一人では無理だとしても恭也を幸せにしてくれる子が居るみたいだしね」

 恭也との別れに涙を流す美由希は、自身の消失を自覚しながら一心に恭也を案じていた。
 悲しみ、傷付いた恭也を幸せにしてあげたい。美沙斗はそう打ち明けてくれた愛しい娘を背後から抱きしめる。

「恭ちゃんみたいな息子を生みたかったのになぁ、ざーんねん」
「来世では一緒にその夢を叶えよう」
「えぇー、来世では恭ちゃんのお嫁さんの方が良いなぁ」
「そりゃないよ、琴絵さーん」

 形を失いながらも変わらない一臣と琴絵のやり取りに苦笑しながら、士郎がこの場を去った恭也に語りかける声を最後に、全てが光の中に融けていった。

「じゃあな、恭也。
 思うままに、自由に生きろよ」








続く

250小閑者:2017/11/04(土) 12:14:22
第23話 夜明




「バスター!」
【Divine buster, extension】

 愛らしい顔立ちを凛々しいと呼べるほど引き締めた栗色の髪をした少女の、子供特有の高い声が響き渡る。紡がれた言葉と共に放たれた女の子らしい桃色をした一条の光は、それらとは裏腹に莫大な威力を秘めて虚空を貫く。
 地球上に住まう生物が単体で発揮するには明らかに異常で過剰な威力を持つその攻撃は、しかし、標的にされた銀髪の女性が翳した右掌に届くことなく、僅かな空間を置いて鬩ぎあっていた。
 生半可な威力ではないことは、その炸裂音から容易に想像出来る。それでも、翳した掌に揺らぐ様子は無い。
 その構図は、単純であるが故に、2人の実力差を如実に顕していた。このままどれだけの時間を費やしたとしても、銀髪の女性に攻撃が届くことは無いだろう。
 それを理解しているからこそ、闇の書の管制人格である銀髪の女性に動揺はなく、それを理解していて尚、攻撃を防がれているなのはにも焦燥は浮かばない。
 どれほど実力差を突きつけられたとしてもなのはには焦る必要はないのだ。彼女には心強い仲間が居るのだから。

「ハーケンセイバー!」
【Haken Saber】

 闇の書の直上からなのはが信頼を寄せる金髪の少女が、近接武器の射程からほど遠い距離から光刃の鎌を振り抜く。
 柄から分離した光刃が高速回転しながら襲撃してくるのを視界に捕らえながらも、なのはの攻撃を防いでいる闇の書には回避行動をとることは出来ない。それでも、彼女はその怜悧な美貌を歪めることなく空いている左手を上空へと翳した。

「盾」
【Panzerschild】

 闇の書が展開した盾は顕現するのと同時に光刃と接触、回転鋸のように激しく音と光をまき散らしながら拮抗し、しかしなのはの砲撃同様、盾を切り裂くことは叶わず、光刃は彼方へと弾かれた。
 だが、そうなることは承知の上。
 腰まである金髪をはためかせながら光刃を追って間合いを詰めていたフェイトは、デバイスに再展開した光刃で直接闇の書の盾に切りつけた。同時にバルディッシュが自律で光刃を強化する。

【Haken Slash】

 AAAランクとSランクという階級差がある以上、一対一で出力を競っても勝ち目など無い。だが、なのはとの二面からの同時攻撃であれば、力を分散させざるを得ないはず!

「甘く見られたものだな」
【Schwarze Wirkung】
「!?」

 小さな呟きを耳にした事で意識を眼前のシールドから闇の書に移したフェイトは、彼女の右腕に収束する魔力に気付いて思わず息を飲んだ。

251小閑者:2017/11/04(土) 12:16:48
 シールドの発動に“手を翳す”というアクショントリガーを設定する者はまずいないため、その行為には術者のイメージ補強以上の意味は無い。フェイトはそれを承知しているから翳していた手を動かせる事を不思議には思わなかったし、いかにもオーソドックスな射撃型の闇の書が近接攻撃を選んだことに驚いている訳でもない。
 今、闇の書が展開しているシールドは一つのシールドの防御面を広げたものではなく、明らかに二つの独立したシールド魔法を起動したものだ。そこにさらに魔力付与、しかも疑うまでもなく属性か効果付加の込められた高度なものを発動した。
 いくらマルチタスクが魔導師の基本技能と言っても、既に常駐型の魔法として、バリアジャケットを纏い、恭也を内部空間に閉じ込めているのだ。その状態で飛行魔法とAAAの攻撃に揺らぎもしない高出力のシールドを二つ展開しているのに、更に高度な魔法を追加出来るなんていくら何でも反則だ。

 それは、魔力保有量や瞬間放出量も去る事ながら、人間は勿論、ハイスペックを誇るバルディッシュやレイジングハートを圧倒するほどの演算処理能力をこの魔導書が持っている事を示していた。

 フェイトが動揺を表した瞬間、闇の書はフェイトに向けていたシールドを消去し、体の流れたフェイトの光刃を躱しながら位置を入れ替えて右拳を振りかぶった。
 とっさにバリアを展開しながら、引き寄せたバルディッシュで拳を受けようとしたフェイトの反応速度は評価に値するだろう。同時に闇の書の背面側から十数発の桃色の光弾が飛来した。魔導師としての常識が身に付いていないがために闇の書の魔法の同時起動に動揺しなかったなのはが砲撃を中断して放ったアクセルシューターだ。
 だが、読み合いには闇の書に一日の長があった。
 なのはの砲撃が終了すると、闇の書は即座にシールドを消去してバリアを纏う事でなのはの誘導弾を受け流した。そのまま威力増加の他にバリアブレイクの効果を付与した右拳をフェイトに向かって振り下ろす。

 バキーン!
「っぁあああ!」

 硬質な破砕音を周囲に響かせながらバリアを破壊、デバイス越しにフェイトを海中まで弾き飛ばした。

「フェイトちゃん!」
【マスター!】
【Blutiger Dolch】
 ドドドドン!
「きゃあああ!」

 起動から発動、更には弾速までが高速のこの魔法は威力こそそれほど高くないが、堅いシールドを張れるなのはには極めて有効な攻撃手段と言える。
 反応速度を上回る攻撃を受けたなのはは、フェイトの様に回避する事もシールドを展開する事も出来ず、バリアジャケットと持ち前の抗魔力で耐えるしかない。
 ブラッディダガーの着弾により発生した爆煙が消える間もなく、追い打ちを掛けようと飛翔した闇の書だが、なのはに接近する事は叶わなかった。

「ファイアー!」
【Plasma Smasher】
【Panzerschild】

 電撃の特性が付与されているため弾速の速いプラズマスマッシャーをシールドで受けた闇の書は心中で舌打ちする。

 あの砲撃を放つためのチャージ時間を稼げたということは先ほどの拳打を受けた直後、それこそ吹き飛ばされながら術式を構築していた筈だ。それはつまり、拳打が効いていなかったということだ。
 原因は拳打を放つ直前に受けたなのはの誘導弾だろう。当然の様に対処して見せたが、あれを受けるのにリソースを裂かれて拳打の威力が落ちたのだ。
 戦闘開始直後には、1人+1人対1人だった戦いは、2人が急速に連携を高めていくため2対1の様相を呈してきた。
 勘も鋭く飲み込みも速い。戦闘経験によるアドバンテージは、2人の連携の上達とともに急速に縮められている。
 何故だ?
 恭也を吸収してから努めて動かしていなかった闇の書の表情が僅かに険しくなった。


<大丈夫、なのは?>
<うん、フェイトちゃんは?>
<私も平気>

 離れた位置から念話で互いの状態を確認したなのはとフェイトは、視線を交わすまでもなく相手が苦笑を浮かべている事が想像出来てしまい、一層笑みが深くなった。
 大丈夫な筈はないし、平気でいられる筈もない。
 完膚無きまでの空元気だ。
 それでも、はやてを助け出すのだ。恭也を取り戻すのだ。なら、泣き言など口にする訳にはいかない。
 その想いが揺らいでいない事は確認するまでもなく分かっていた。

252小閑者:2017/11/04(土) 12:19:57
<カートリッジ残り18発。
 スターライトブレーカー、いけるかな…>
<手はあります>
<レイジングハート?>
<エクセリオンモードを起動して下さい>
<え!?ダ、ダメだよ!
 フレーム強化が済んでないのにエクセリオンモードを使ったら、私がコントロールに失敗したらレイジングハートが壊れちゃうんだよ!?>
<失敗しなければ壊れません>
<それはそうだけど!>
<彼なら>
<!>
<引くことの出来ない戦いで、失敗を恐れて有効な手段を出し渋ることは無いでしょう。
 無謀な蛮勇に終わるか、勇気ある決断となるかはマスター次第です。
 私はマスターを信じます>
<レイジングハート…。
 うん、私もレイジングハートを信じるよ>


<バルディッシュ…>
<ご随意に>
<!
 …無謀かも、しれないんだよ?>
<どれほど無謀に見える行いであろうと、彼は仲間の信頼に応えるために微塵も躊躇することはありませんでした。
 私もあなたの信頼に応えて見せます>
<…ありがとう、バルディッシュ。
 …行くよ!>
<イエッサー>

 闇の書の視線の先で、幾らかの距離を隔てたなのはとフェイトがそれぞれのデバイスを構えた。
 あれは何かを決意した顔だ。それが分かるからこそ闇の書も気持ちを引き締め、覚悟を決める。
 出来れば恭也が大切にしている存在を傷付けることは避けたかったが、いつまでもこの2人の相手をしている訳にはいかないのだ。限られた残り時間で主の願いを叶えなくてはならない。

「レイジングハート!エクセリオンモード、ドライブ!」
【Ignition】
「バルディッシュ!フルドライブ!」
【Yes, sir.
 Zamber form】

 レイジングハートが槍の様な攻撃的で鋭角なフォルムに、バルディッシュが幅広の剣身を持つ光の大剣に、それぞれ変形するのを見ても闇の書に動揺はなかった。
 この場面で形状を変化させたなら、それはより攻撃に突化するためであることは容易に想像出来る。だが同時に、今まで出さなかったと言う事は、その形態に何かしらの問題を抱えているという事でもある筈だ。

 なのはが闇の書に向かって構えたレイジングハートの各所を環状魔法陣が包む。威力強化や精度向上を目的としたそれらがゆっくりと回転する。
 1対1での戦いであればあり得ない、長いチャージタイムも今は気にする必要がない。
 なのはの期待に応えるように、何の合図も無くフェイトは闇の書に向かって一直線に飛翔した。
 砲撃の準備を進める無防備ななのはに攻撃が向かえば斬り払わなくてはならないため、その進路は2人を結んだライン上だ。もっとも、直線的なスピードこそ速いが恭也のような躱し方が出来ないフェイトには、攻撃に晒される時間の短くなるその経路は危険を軽減する意味も含まれている。
 だが、フェイトにどのような思惑があろうと、闇の書にとって回避という選択肢を持たない正面からの突貫など絶好の的以外の何物でもない。

【Photon lancer, genocide shift】

 感情を排した機械的な音声により魔法が起動し、闇の書周辺を数十の光が煌めいた。
 それが、自分の持つ魔法の中でトップクラスの威力を持つフォトンランサー・ファランクスシフトの改良版であることを察したフェイトは戦慄した。
 フェイトがその魔法を使うには詠唱を必要とするし、弾丸の発射台となるスフィアを形成するのにも時間を要する。それを無詠唱で、しかも即座にこれだけの数のスフィアを形成したと言う事は、魔力量や演算速度の違いだけではなく、術式そのものが大幅にアレンジされている筈だ。
 全ての面で上回れるほどオリジナルである自分の魔法も杜撰ではないと思っているが、だからと言って速度や数だけの豆鉄砲だとは思えない。
 背後にはなのはが居る。回避はあり得ない。取り得る手段は迎撃のみ!

「間に合え!
 撃ち抜け、雷神!」
【Jet Zamber】

253小閑者:2017/11/04(土) 12:23:19
 闇の書の射撃に僅かに遅れて発動した、結界・バリア破壊の効果を付与した魔力刃をフェイトが駆け抜け様に降り抜いた。
 斬撃の前段として放つ衝撃波を省略したし、斬撃そのものも射撃やバリアに相殺されて威力の何割かを削られている。結果、闇の書の強固なバリアを斬り裂くことには成功したものの、本人は僅かに体を折ってはいても大きなダメージを受けている様子はない。対してフェイトは被弾しながら斬撃を放ったため、受けたダメージは決して小さくはない。
 だが、それで十分。

「エクセリオン バスター!」
【Excellion Buster」

 フェイトの援護を無駄にする事なく、なのははバリアを失った闇の書に向かって間髪入れずにこれまでで最大の砲撃を解き放った。
 直撃。
 桃色の砲撃は闇の書を飲み込み、魔法防御が働かなかった証として一瞬の拮抗もなく駆け抜けた。なのはの渾身の砲撃は、照射の終わり際に激しい光と音を伴って爆発した。

 煙で視界の利かない爆心地を警戒しつつ、切り払えなかった闇の書の直射魔法の痛みに顔を顰めたフェイトが煙を迂回しながらなのはと合流した。
 なのはも高威力の砲撃による消耗から肩で息をしながら闇の書の居た空間を油断なく見つめていた。

「はあ、はあ、なのは、どう?」
「はあ、文句無しのクリーンヒット。これで駄目なら…」
【マスター!】
【高魔力反応!】

 噴煙の中で高まる魔力を関知したデバイス達がそれぞれに警鐘を鳴らした。
 言葉を切って周辺の異常を探る2人の目に周囲の煙を押し退けて膨れ上がる黒い光球が映る。攻撃が来たのかと身を強ばらせた2人だったが、予想に反して急速に光球が萎んでいく事に困惑し、次の瞬間脳裏を過ぎった閃きに2人同時に戦慄した。

「空間攻撃!」
「フェイトちゃん、私の後ろへ!」
【Round shield】
【Diabolic emission】

 フェイトを背後に匿ったなのはがシールドを展開した直後、恒星の爆縮の様に高密度に圧縮された魔力が闇の書を中心に放射状に爆散した。
 強度に定評のあるなのはのシールドが軋むほどの凄まじい圧力に、表情を歪めながらもなのはは必死に耐える。シールドに添えた左手のバリアジャケットが破れていく様子が、その攻撃の威力を物語っていた。
 全てを閉ざそうとする闇の浸食と、それすら攻撃だと言わんばかりの轟音に耐えきり、疲労からバランスを崩すなのはと彼女を支えるフェイトは、共に息を乱したまま夜空を振り仰いだ。
 長い銀髪を靡かせ悠然と佇むその姿と、落ち着き払った静かな表情には、些かの陰りも見つけられない。
 2人掛かりでの、理想的と言っても良いほどの攻撃だった。にも関わらず、得られたのは僅かに衣服に煤を付けたという結果のみ。

「…ハァ、ハァ、ハァ
 フェイトちゃんがバリアを壊してくれてたから、大した防御は出来てなかった筈なのに」
「…魔導師ランクが一つ違うだけで、ここまで圧倒的な差が生まれるの?」

 ポツリとこぼれたなのはの呟きに、フェイトも追随するように言葉を紡いだ。
 疲労は蓄積し、再三に渡り受けてきたダメージも無視出来ないものになってきた。対して闇の書には有効と言えるほどの攻撃を与えることが出来ていない。
 何時、徒労感に押し潰されたとしても何の不思議もない状況だった。

 それは闇の書が意図的に2人の思考を誘導して出させた答えだ。そう印象づけるために開戦当初から実力差を示すような戦い方をして見せてきたのだから。
 自らの攻撃はその種類や属性を知られても防ぎきれない威力を、速度を、性質を持たせて散々に撃ち据えた。
 2人の攻撃は妨害せずに、撃たせた上で強固な防壁で弾き、対を成す属性で防ぎ、固有の特性を突いて封じて見せた。
 最後のバリア破壊から繋がる砲撃の被弾には想像以上のダメージを被ったが、爆煙がブラインドになったお陰であの2人にはダメージを受けた様子を隠し通せた筈だ。想定外の事態ではあったが、結果的には“バリアさえ抜ければ”という希望を砕くための演出になっただろう。
 ヴォルケンリッターがこの2人のリンカーコアを蒐集してるため、闇の書は2人にはそれぞれ奥の手とも言える魔法が残っている事を知っていた。だが、威力の分だけチャージタイムの長いその魔法を悠長に使う暇があるとはどちらも思ってはいないだろう。
 つまり、サポートの期待出来ない今の状況では、間違いなく先ほどの攻撃が一・二を競うほどの威力を持つ攻撃だった筈だ。更に言うなら同じ手が二度通じるとは思っていまい。
 それなのに、何故?

254小閑者:2017/11/04(土) 12:25:58

「何をしても効かないんじゃないかって、思えちゃう」
「うん。
 万全のなのはの砲撃に耐えきるなんて。
 こう言うのを絶望的、って言うんだろうね」

 なのはの砲撃に晒されても表情を変えなかった闇の書が僅かに顔をしかめた。
 当然だろう。
 彼女が意図した通りの弱音ともとれる2人の言葉は、不退転の決意を固めた表情や、意志力を漲らせた瞳で口にするものでは無いはずなのだから。

「恭也はこんなにも、ううん、きっとこれ以上の実力差を感じていたのに、少しも諦めようとしなかったんだ…」
「凄いね。
 いくら恭也君の戦い方が魔法に頼らないものだからって、闇の書さんの力が低くなる訳じゃないのに。
 私たちも、もっと頑張らなきゃだね」
「うん。
 2人掛りなんだ。恭也には負けられない」

 大きくはない声。強くはない口調。それでいて溢れ出すほど力を秘めた言葉。
 自分に向けられた訳ではないその言葉を聞いて、闇の書が諦観と共に納得した。いや、再確認したと言うべきか。
 恭也がアースラに身を寄せていた僅か約半月の間、この2人はずっと恭也の姿を追い、その目に焼き付けてきたのだろう。遠く離れても見失ったりしないほど、しっかりと。
 そんな2人が力に屈して意志を曲げる筈などないではないか。





     * * * * * * * * * *




「…眠い」

 泥の様に纏わり付いてくる眠気に抗いながら、はやてが辛うじて薄く目を開けた。
 目に映るのは見た事も無い空間。
 長年馴染んできた感触から車椅子に座っている事は察する事が出来たが、寝惚けているためか座っているのか倒れているのかも分からない妙な浮遊感を感じる。

「ここは…?」
「夢の中です」

 何とかして状況を把握しようとするはやてに声を掛けたのは見知らぬ女性だった。
 銀髪紅眼の整った顔立ちの美しい女性。季節を無視したぴったりとしたノースリーブを押し上げる胸元は羨ましい限りだ。

「ここは安全です。
 安らかにお眠り下さい」

 その言葉はまるで子守唄の様にはやての中に染み渡った。





     * * * * * * * * * *






「…恭也の、ためか」

 闇の書がポツリと呟いた。
 内容そのものより突然口を開いた闇の書に面食らいながらも、目的を見失う事無く2人は即座に会話に応じた。力で屈服させる必要など何処にも無い。

「うん、必ず助け出すよ。
 恭也君も、はやてちゃんも、そしてあなたも!」
「2人は私の中で眠りについている。永遠に醒めることのない静かな眠りの中で幸せな夢を見ている。
 それを無理矢理起こす権利などおまえ達には無いはずだ」
「どんなに幸せな夢でも、優しい夢でも、やっぱりそれはただの夢だ。
 夢はいつか必ず醒める。醒めなくちゃいけないんだ。
 眠り続けていたとしたら、それは生きてるとは言えない」
「生きていれば辛いことや悲しい事はいっぱいあるよ。
 それでも、はやてちゃんも恭也君も眠ったままで良い筈がない。
 辛いことでも立ち向かわなきゃいけない時が必ずくる」

 どんな攻撃にも無表情を貫いてきた闇の書が顔を顰めたのが見えた。闇の書自身も自分の行動に非があると考えているのだろうか?

255小閑者:2017/11/04(土) 12:28:43
「…綺麗事だ。
 おまえ達には、無いのか?
 心が壊れてしまうほどの、人の悪意に晒された事が。
 何も感じることが出来なくなるほど、凄惨な事故に遭遇した事が。
 …全てが夢であって欲しいと願わずにいられないほど、自分の“全て”と言える存在が理不尽な死を遂げる様を見せつけられたことが!」

 熱を帯びていく闇の書の言葉に息を飲む。

 フェイトには、あった。
 半年前、母と慕った女性の言葉にボロボロに傷付けられた挙げ句、自分を見捨てて遠くへ旅立たれた事が。
 あれが母の悪意であったとは今でも思いたくはないが、そのことで逃避し、自らの内に閉じ籠もった事があるのは事実だ。短時間で戻ってこられたのは、あのまま逃げ続けていたら本当に母を失ってしまう状況だったからだ。

 自身の事として愛する家族の死を想像しただけで泣き崩れたなのはにも、反論の言葉など無かった。先ほどの言葉は、事実ではあっても理想論であり、感情を無視した机上論でしかない事は自覚している。

 家族の死を鮮明に思い出したために狂ったように壁を殴り付ける姿も、その夢に魘され絶叫と共に跳ね起きる姿も、闇の書の起動を阻止出来ず絶望の叫びをあげる姿も。
 感情を押し殺す事に長けた恭也が耐え切れずに感情を爆発させている姿は2人の目に鮮烈に焼き付いて離れることはない。
 本来は理屈や気休めなど軽々しく述べて良いものではないだろう。

「…その辛さは、知ってるよ。
 同じだなんて言わないけど、心が壊れそうになる経験は私にもある」
「…私は、無いかな。
 想像しただけで、泣き出しちゃった位だもん。本当にお母さん達が死んじゃったら、たぶん、耐えられないと思う」

 フェイト達の同意の言葉を聞きながらも、闇の書は苛立ちに歯をかみ締める。どちらも表情を歪めてこそいるが、戦闘態勢を崩していない事は一目で分かるからだ。

「だけど!それでも恭也がはやてを見捨てて夢に浸ってるとは思えない!」
「闇の書さんだって知ってるでしょ!?恭也君なら絶対に夢から抜け出すために必死に努力するに決まってるって!
 だから、私たちは諦めないよ!」
「全部が終わって、どうする事も出来なくなるその瞬間まで、私たちは恭也と一緒に頑張るって決めたんだ!」

 その、恭也を神聖視するかのようなフェイト達の言葉に闇の書の苛立ちが募る。

 そんな事は知っている。
 はやてのためであれば、それどころかこの少女達のためであったとしても、恭也が自分の様々な物を押し殺してしまえる事くらい、言われなくても分かっている!
 誰にも認められなくとも、誰から非難されようとも、助けると決めた相手の為ならたとえ独りになろうとも絶対に諦めたりしない。
 そんな恭也だからこそ、誰かが守ってやらなければならないというのに!

「…お前達のその過度の期待が恭也を苦しめている事が何故分からない!?
 恭也は聖人でもなければ超人でもないんだぞ!
 親しい者の死には悲しむし、自分の無力に苦しみもする!
 …もう十分だ。
 主はやても、恭也も、これ以上苦しむ必要などない!」

 初めて感情を露にする闇の書に驚くと共に、拳を震わせ声を荒げながら叩き付けられた言葉になのは達も表情を歪める。その言葉が確かに恭也の一面を表している事は知っていたからだ。

256小閑者:2017/11/04(土) 12:30:04
「…知ってるよ。
 恭也が悲しむ姿も苦しみもがく姿も何度も見てきたから…。
 でも、だからって恭也に『見捨てろ』なんて、『後で傷付くから関わるな』なんて、言える訳無いじゃない!」
「どんな夢か知らないけど、恭也君が夢とはやてちゃんを比べてどちらを選ぶかなんて、あなただって分かってるんでしょ!?
 恭也君が、何も出来ずに全部が終わっちゃう事を一番怖がってるのを知らないの!?」
「そんな事くらい知っている!
 恭也に見せているのは家族の夢だ。恭也の記憶から再現した、失ってしまった恭也の世界の、本当の家族だ。
 勿論、死んでしまった事実も、この世界に飛ばされた事も、この世界で過ごした一切の出来事も、全て記憶に封印を掛けた。
 周囲の人間の誰も危険な目に遭わず、穏やかに生涯を過ごす、覚める事の無い夢。この夢の中でなら恭也は幸せに過ごす事が出来るんだ!」

 恭也は親しい者が傷付く事を看過出来ないからこそ、戦闘技術を身に付けた。
 身に付けていく上で、技術の向上を喜ぶ事はあっただろう。だが、決して人を傷付ける事を、力を振るう事を良しとしている訳ではない。身に付けた技能を発揮する機会など無いに越した事はないと考えているはずだ。
 誰も傷付く事無く、危険な目にも遭わない。そんな理想的な世界でなければ、恭也が穏やかに過ごす事など出来ないだろう。

 ここまで明かせば少女達も納得せざるを得まい。
 そう確信していたからこそ、顔色を蒼褪めさせた2人を見て訝る。
 どちらも納得した顔には見えない。
 だが、闇の書にはそのことを追求する余裕は無くなった。




     * * * * * * * * * *




「何故ですか?主はやて」

 必死に眠気を振り払い意識を繋ぎ止めようとするはやてに、闇の書の管制人格は悲哀と困惑に顔を歪めて語りかける。

「あなたの望みの全てがそこにあります」
「私の、望み…?
 私は、何を望んでたんや…」

 途切れそうになる意識で考えを纏めようとするはやてに、暗示を掛ける様に、思考を誘導する様に言葉を重ねる。

「皆と一緒に幸せに暮らす事。健全な体で、自分の足で歩く事です。
 そこにはあなたを傷付ける存在はありません。
 お眠りを、主はやて」

 ヴォルケンリッターと恭也、家族みんなでずっと一緒に幸せに暮らしていく事。それは、確かにはやての望みだ。
 それでも、はやては緩慢な動作ながら首を左右に振る事でその言葉を否定した。

「…それでも、それは夢や。ただの、夢や」

 外に居る2人の少女と同じ結論。それは幼さからくる純粋さだ。
 だが、その言葉を肯定出来ない理由のある彼女は、はやてを傷付ける事を承知しながら最も残酷な切り札を切った。

「…死ぬかも、しれないのですよ?」
「!?」
「現実の世界では、あなた自身は勿論、あなたが愛する周囲の者達の誰かが命を落とす可能性があるのですよ?
 守護騎士の4人が再召喚出来る事は既に御存知でしょう。
 ですが、…」

 言葉が途切れた。
 それがどれほどはやてを傷付けるか分かるからこそ、躊躇した。
 だが、突きつけなくてははやてが納得する事はないだろう。

「ですが、恭也を生き返らせる事は、出来ません」
「…あ、恭也、さん
 恭也さん、恭也さん、きょうやさん…」

 恭也の名前を呟きながらボロボロと大粒の涙を零しだしたはやてを直視出来ず、顔ごと視線を逸らす。

257小閑者:2017/11/04(土) 12:32:02
 自分がどれほど卑怯な事をしているかは理解している。
 恭也は生きている。それを知っていながら、ここに留めるためになのは達の偽者に殺されたと思い込んでいるはやてに態と誤解させるような言い回しで突きつけたのだ。
 だが、事実でもある。恭也が戦う人間である以上、絶対に切り離す事の出来ない可能性なのだ。
 第一、はやてが現実世界に復帰したとしても、恭也は夢の中から戻る事は無いのだ。恭也の見ている夢の内容を知れば、はやても無理矢理起こしたりする事は無い筈だ。

「…それでも、…ううん、だからこそダメや…」
「…え?」

 はやての言葉に思わず振り返ると、涙を流し続け、悲しみに顔を歪めたままの瞳に見据えられた。
 その瞳に気圧され、微動だに出来ずにいると、はやては歯を食い縛りながら言葉を搾り出した。

「恭也さんは、私を生かすために戦ってくれた。
 危険なんは承知しとった筈やのに、何も躊躇せずに立ち向かってくれた。
 なら、私が逃げ出す訳には行かへん!
 恭也さんが命懸けで助けてくれた私は、立派にならなあかんねん!
 恭也さんが無駄死にだったなんて誰にも言わせへん!思わせへん!
 皆が恭也さんに感謝したなるくらい、私は立派になったるんや!!」

 徐々に大きく力強く告げられるそれは、生きる上での制約であり、生きるための成約であり、自分自身への誓約だった。

<…辛いぞ、その生き方は>
「かまへん!私はそれだけの事を恭也さんにして貰ったんや!」
「…恭也!?」
「恭也さん、見とってや!絶対、恭也さんが命懸けで助けてくれた事を誇れるような人間になって見せたる!」
<まあ、程々にしておけ。
 逆説的に、はやてが誇れるほどの人間になったら俺は命を投げ打たなくてはならなくなるからな>
「馬鹿な、どうして…」
「何言うとんの、志は高くないといかんやろ!?…て、あれ?」

 ナチュラルに掛け合いへと雪崩れ込もうとする自分に気付いたはやてが虚空を見上げる。
 そこには相変わらず何もなかった。

 空耳?聞きたくて仕方なかった自分が作り出した幻聴?

 視線を下げると驚愕を顔に貼り付けた女性の顔が映る。どうやら聞こえたのは自分だけでは無いようだ。
 覚醒した時に得た知識が彼女が魔導書の管制人格であることを抵抗無く受け入れたはやては、最大の疑問を勇気を振り絞って口にした。

「今の、まさか、…恭也、さん」
<ふむ、ちゃんと声が届いているようだな。
 念話まで使えるとは知らなかった。随分詰め込んでくれたようだな。おやっさんに感謝しなくては>
「あ、ああ、恭也さん…、恭也さん恭也さん!
 どこ!?どこにおるの!?」
<落ち着け。俺に空間を渡る技能は無い。
 おい、何時までも呆けてないで何とかしてくれ>
「あ、なあ、あんた、恭也さん、ここに呼べるの?」
「…え?」

 新たに流れる熱い涙で頬を濡らしながら、恭也の声に促されて問い掛けてきたはやてに対して、呆然としていた彼女は完全に虚を突かれた反応を返した。
 恭也があの夢を拒絶して現実へと戻ってくる事など、有り得ないと思っていたのだ。

「…あ、す、済みません。この空間は独立しているため恭也の居る空間と繋げる事は出来ません」
「あ、そ、そうか」

 喜びに溢れていた表情を翳らせたはやてを見て心が痛む。
 そして、同時に自身を嫌悪すら通り越して憎悪する。はやての顔を曇らせるのは自分なのだ。自分がこれから犯そうとしている罪は、たった今はやてと恭也を隔てている事すら生温い、軽蔑、あるいは恨まれ憎まれすらする事なのだ。

<おい、もう時間が無いじゃないのか?
 俺達を外に戻せ>
「時間?…えーと、私ももう夢に逃げる気は無い。戻せるんやろ?」
「…出来ないのです」
「え?」

 涙を零しながら震える声で告げる管制人格をはやてが見つめる。
 隠し切れないと観念したのか、はやてに跪きながら声を震わせたまま言葉を重ねる。

258小閑者:2017/11/04(土) 12:36:59
「過去に改編された、魔導書に記述されている自動防御プログラムが暴走を始めました。
 今現在、私の持つあらゆる権限が奪われ続けています。
 もう、私には暴れだした顕現している実体を制御する事が出来ません。
 あなたに平穏に暮らして貰う事を望んでいるのに、あなたを喰らい尽くす自分を止められないのです」

 彼女の言葉を引き金にはやての持つ知識が引き出される。
 現状と、これから迎えるであろう限りなく現実に近い未来予想。
 その、知識から与えられる不可避という結論に顔色をやや蒼褪めさせながらも、涙を流す管制人格を見つめながらはやては口端を持ち上げて見せた。

「諦めたらあかん。
 マスターは私や。
 マスターの言う事は聞かなあかん」
「無理です。
 暴走した防御プログラムが邪魔をして管理者権限を使用出来ません」
<外に出てる奴だな?
 高町とテスタロッサが揃ってるならどうとでもなるだろ>
「加減していた私にすら太刀打ち出来なかったんだぞ。
 あの2人には無理だ」
<さっきから否定の言葉しか出ないな。
 問題ない。あの2人なら大丈夫だ>
「2人って、なのはちゃんとフェイトちゃん?
 …信頼、してるんや?」
<そう大袈裟なものじゃない。近くに居た分、知ってるだけだ>

 はやての表情を見られない恭也は、話を切り上げてしまった。
 こんな時だと言うのに無条件の信頼を見せる恭也に拗ねて見せるはやてが愛しくて仕方が無い。両頬を挟む様に添えられた掌の温もりを意識して、更に涙が頬を伝う。
 失いたくない。
 その想いが募り、涙となって溢れていく。





     * * * * * * * * * *





 恭也の記憶を封じた上で、失った家族と共に暮らす幸せな夢を見せている。
 なのはとフェイトは闇の書の放った言葉が浸透するに従って、顔から血の気が引いていく事が自覚出来た。

「…なんて、ことを…」

 その言葉を零したのがどちらだったかは意味が無いだろう。

 恭也にとって、それが理想の世界である事は理解出来る。
 だが、それでも認める訳にはいかなかった。
 いくら恭也を傷付けないためだからといっても、自由に羽ばたく翼をもぎ取って、籠の中に閉じ込めるような真似を認めるられる訳がないではないか!

 不自由さは、自分で選ぶ事無く思考を停止させて過ごせる、と言う面において“楽”だ。
 選択の余地も無く、ただ、目の前に提示された目標を達成する事だけを考えて過ごす生活を選ぶ者が決して少数ではない事実がそれを示している。
 だが、その気持ちを理解出来ないくらい少女達は気高く純粋であり、その怠惰を許容出来ない程度には、幼かった。
 それでも、恭也がどれほど家族の死に心を痛めていたか知っている2人を怯ませるには、その言葉は十分な威力を持っていた。現実世界に戻るために記憶と寸分違わぬ家族を自ら切り捨てなくてはならないなど、どれほどの苦しみを伴うか想像も出来ない。
 しかし、時間は待ってくれない。
 力の暴走までのタイムリミットは確実に迫ってきているのだ。今立ち止まれば全てが手遅れになってしまうかもしれない。

「…ダメだよ、そんなの!
 いくら守るためだからって、そんな世界に閉じ込めて良い筈なんて無い!」
「恭也は観賞用のペットじゃない!
 恨まれても構わない!
 力ずくでも助け出す!」



<頼もしいじゃないか。言葉が省けて何よりだ>

259小閑者:2017/11/04(土) 12:39:29
 唐突に語り掛けてきた念話になのはもフェイトも思考が停止した。
 それは、姿を消してからずっと聞きたかった声。

 もしかしたら、消滅して2度と会えないのではないか。
 もしかしたら、封じられた記憶が戻らず夢の世界から戻って来ないのではないか。
 もしかしたら、記憶を取り戻しても辛い現実に戻る事を放棄するのではないか。
 もしかしたら、現実に戻る手段が見つからないのではないか。
 もしかしたら、もしかしたら、もしかしたら…

 必死になって抑えてきた不安が溶けて消えていき、安堵と歓喜が代わりに溢れてきた。

「きょう、や、くん?」
<待たせたか?>
「…恭也、なんだね?」
<他の誰かの声に聞こえるのか?>

 なのはとフェイトが聞き間違える筈が無い。
 その惚けたような台詞も、普段通りの口調も、間違いなく八神恭也のものだった。

<いつまで寝惚けている積もりだ?
 はやても目を覚ました。さっさとケリを付けるぞ>
「うん!」
「…恭也、あの、…大丈夫、なの?」
「あ…」

 恭也が無事だったと言う事に安堵したなのはが失念していた、恭也の状況を知らなかったはやてには気付けなかった、その懸念事項をフェイトが恐る恐る問い掛けた。
 闇の書の言葉が事実だとしたら、恭也は夢の中で本物と差異の無い家族と決別してきた事になる。平気でいられる筈がないのだ。

<平気だ。大した事はない>
「そんっ、…分かった」
「フェイトちゃん!?…」

 フェイトが飲み込んだ『そんな訳ない!』という否定の言葉を正確に読み取ったなのはだが、辛そうに表情を歪めたまま力なく首を左右に振るフェイトに言葉を途切れさせた。

 なのはにも分かってはいたのだ。
 念話で伝えられる感情を読み取れないほど平坦な声こそが、恭也の心情を雄弁に語っている事は。
 フェイトの質問で、恭也も2人が夢の内容を聞かされている事は察しているだろう。それなら、あれは触れるなと言う意思表示だ。
 脇目を振るなと言う意味なのか、辛い事に触れて欲しくないと言う意味なのかまでは分からなかったが、力の暴走まで時間が無いのは確かだ。痛みに耐えてまで夢を抜け出した恭也の努力を無にしないためにも、今ははやてを助け出すために全力を尽くす時なのだ。

「恭也君、どうすれば良いか分かる?」
<む、そうか。しばし待て。
 …お前達の目の前に居るのは意思を持たない魔導書の自動防御プログラムだけだ。それが停止すれば管制人格、今までお前たちと会話していた奴の承認ではやてのマスター登録が完了して管理者として魔導書を制御下に置けるようになる>
「停止させる、ってどうするの?
 バインドで縛ればいいの?」
<ああ、済まん。
 簡潔に要約すれば、非殺傷設定で攻撃すれば良い>
「え!?」
<加減は要らん。完膚なきまで叩きのめせ>
「恭也やはやては大丈夫なの!?」
<問題ない。俺達は管制人格の作り出した仮想空間にいるから、防御プログラムのダメージは影響が無い。
 どうせ今までは慣れない加減の所為で攻撃が粗雑になっていたんだろう?
 遠慮は要らん、得意の“全力全壊”で薙ぎ払ってみせろ>
「きょ、恭也君?確かに“全力全開”って言う事あるけど、何か響きが違わない?」
「私はそんなこと言ったこと無いよ!」
「フェイトちゃんに裏切られたー!?」

 恭也の意図に合わせて雑談により肩の力を適度に抜くと、恭也曰く闇の書の防御プログラムを睨み据える。
 先ほどから不自然なほど動きを取らなかった事に不審を抱いていたのだが、時折痙攣している事から何らかの強制力が働いているようだ。
 マスターであるはやてが目覚めたと言っていたので何かしらの働きかけをしてくれているのかもしれない。

「行くよ、フェイトちゃん」
「うん」

 恭也とはやてが甘い夢を振り払って戻ってきた。
 助け出す手段も判明した。
 半端な加減が必要ないことも分かった。
 何の憂いも無い。
 ランク差など些細な事だ。自分達が全力を発揮すれば解決する、恭也がそう言ってくれたのだから!

 先ほどまで体を縛り付けていた何かから開放されたなのはとフェイトは恭也の言葉に従い最大威力を行使した。





     * * * * * * * * * *

260小閑者:2017/11/04(土) 12:41:46

「ハァ…」

 念話による通話を終えた恭也の口から重い溜息が漏れる。
 精神的な疲労はフェイトの指摘を否定した言葉とは裏腹に最早限界に近いのだろう。他者の視線が無いとは言え、精気を失った虚ろな顔は、恭也を知る誰も見た事が無いほどのものだった。

「意識を保て。
 まだ、終わってない」

 自分自身に暗示を掛けるように呟く声も弱々しい。
 念話でははやて達に気付かせまいとしていたとは言え、呟いた声は念話に乗せたそれとは掛け離れたものだった。




     * * * * * * * * * *




 現実世界に復帰し、ヴォルケンリッターを無事に再召喚したはやては、なのはとフェイト、更にアースラからやってきたユーノとアルフに合流した後、1人で取り乱していた。

「あれ、恭也さん?恭也さんは何処行ったん!?」
「え?はやてちゃんと一緒じゃなかったの?」
<落ち着け、阿呆。
 俺なら魔導書の仮想空間内だ>
「え?なんで帰ってこうへんの!?」
<戯け、俺には空間転移なぞ出来んと言っただろうが。
 マスター登録が済んでるなら、お前の意思でもここから解放出来るだろう?>
「あ、そうか。
 うん、ちょっと待ってな?」

 はやての言葉に従って構築された魔方陣に影が浮かび像を成す。
 その僅かな時間を使って手櫛で髪を整え、服の裾を払って身繕いをする辺りは流石に幼いながらも乙女達である。尤も、そんな余裕があったのは浮かんだ像が恭也の姿を取るまでだったが。
 笑みを浮かべて迎えようとしていたはやてとなのはとフェイトは、恭也の姿を見た途端、緊張の糸が切れて三方から恭也にしがみ付いて泣き出してしまったのだ。

 無理も無いだろう。
 方や目の前で胸を光弾に貫かれて絶命する姿を見せ付けられ、方や姿を消失した上で二度と戻る事は無いと宣告されていたのだ。年端もいかない少女達が平然と受け入れられるものではない。

 困惑した視線を向けてくる恭也に対して、周囲の人間は苦笑を返す。
 流石のはやて至上主義者達もこの時ばかりは自分達の分まで奮闘してくれた恭也を非難する積もりは無いようだし、ユーノも何かしらの理由を付けてなのはを引き離すような強引さは持ち合わせていない。
 例外と言えるのはアルフで、彼女だけは非常に楽しそうな笑みだった。

 孤立無援である事を悟った恭也は憮然とした表情を浮かべながらも、泣きじゃくる3人を宥めに掛かった。

「ほれ、そろそろ泣き止め。
 まだ終わってはいないんだろう?」

 海面にあるドーム状の黒い物体を見据えながら声を掛ける恭也に、鼻を啜りながら顔を離したはやてが今更ながら無傷の恭也を見て驚いた。

「あの、恭也さん、怪我は大丈夫なん?」
「は?…ああ、お前が見た殺された俺は幻だ。
 あんな照準の杜撰な魔力弾など、幾ら速かろうと喰らうものか」
「…そ、そうか。凄いんやね」
「…」

 いかな恭也の言とはいえ信じ切れなかったのだろう、はやては困惑を表情に浮かべながらそれでも同意の言葉を口にした。
 周囲に居る誰も余計な事は言わない。“幾ら速くても”と言うのは言い過ぎのような気もするが、それでも見栄を張った誇張表現とは断言できないし、何より知る時は遠からず来るだろう。あの回避運動は、無邪気に『凄い』と喜んでいられる領域を遥かに逸脱しているのだ。
 知らないって、きっと幸せな事なんだよ?

「和んでいるところ済まない」
「おお、アッサリやられて活躍する事無く退散したハラオウンじゃないか」
「確かに反論し難い結果を残してしまったのは事実だが、その言い方は無いだろう!?」

 唐突に割り込んだ言葉に対して、渡りに船とばかりに恭也が返した言葉にクロノの頬が引き攣る。
 だが恭也の揶揄とは裏腹に、周囲の視線は勇者を称えるそれだった。
 いくら職務とは言え、照れ隠しに何をしてくるか分からないこの状況の恭也に自ら絡まれに行くとは凄い男だ。

261小閑者:2017/11/04(土) 12:46:05
「冗談だ。
 見ていた訳ではないから詳細は知らないが、身内の行動に気を取られて不意打ちでも喰らったんだろう?
 どんな理由があろうと生死の懸かった戦場で状況把握を放棄したり、敵対者から意識を逸らすなんて俺にはとても真似出来ないが、動揺していたんだし仕方ないさ。
 安心してくれ。ハラオウンがあんな短時間で、大した反撃も出来ずに、アッサリと撃沈されるなんて、不意打ちを喰らうか、他事に感けているか、ダラダラに油断している時だけだという事くらいちゃんと分かっているさ」
「…そ、そこまで言うか!?」

 恭也にしては珍しく悪意がてんこ盛りの揶揄だ。
 まあ、闇の書封印の手段としてはやてを殺そうとしていた連中と親しくしているクロノに対して何の蟠りも持たずに接するのは簡単な事ではないだろう。クロノがその陰謀に関わっていないと理解していたとしても、だ。
 はやてが助かったのは結果論に過ぎないのだから尚更だ。

「理解を示してやっただけだろう。
 それより、今更のこのこと現れたんだ、汚名挽回出来そうな情報でも持ってきたのか?」
「汚名を挽回してどうするっ!?
 …オホンッ。真面目な話なんだ、茶化さずに聞いてくれ」
「何故俺の方を見る?」
「お前以外にッ…
 ハァハァ、頼むから、聞いてくれ、時間が無いんだ!」

 クロノが力を込めつつ一言づつ区切りながら念を押すと恭也が肩を竦めた。
 恭也とて状況が逼迫している事には気付いているし、クロノがはやて達を助けようと尽力している事も知っているのだ。
 肩を竦める仕種を同意と解釈する事にしたクロノは改めて初対面のはやてと彼女を囲む守護騎士達に話しかけた。

「時空管理局・執務官、クロノ・ハラオウンだ。
 僕たちはあそこにある闇の書の防御プログラムの暴走を止めなくちゃならない。
 そのことについて君達守護騎士の意見を聞きたい。
 一応こちらで用意したプランは2つある。
 1つは極めて強力な凍結魔法で封印する方法。
 もう1つは艦船アースラの持つ魔導砲で消滅させる方法。
 これらについて、何か意見は無いか?出来れば他に有効な手段があると有難いんだが」

 クロノの質問は、同じ魔導書のプログラムである守護騎士であれば、弱点とまではいかなくとも防御プログラムの特性を知っているのではないかという期待を込めたものだ。
 だが、シグナム達には返せるだけの情報を持ち合わせてはいなかった。

「済まない。
 同じ魔導書の一部とは言え、我々と防御プログラムは完全に独立した存在だ。
 過去にもプログラムの暴走に立ち会った経験は無い」
「…そうか」
「凍結魔法での封印も賛成出来ません。防御プログラムは魔力の塊だからコアがある限り自己修復で直ぐに復元しちゃうと思います」

 シャマルの意見に言葉を返す事も出来ずに黙り込むクロノ。
 アルカンシェルを地表に向けて放てばどれほどの被害が出るか予測出来るだけにクロノの纏う悲壮感は誰もが声を掛ける事を戸惑うほどだ。だが、その被害を恐れてプログラムの暴走を放置すればそれ以上の被害が発生するのだ。

 クロノの気持ちが伝染した様に全員がその雰囲気に潰されようとする中、1人だけそんなものは何処吹く風と、普段と変わらぬ口調で言葉を発する者が居た。




「AAAクラスがこれだけ雁首揃えていながら、何をウジウジとやっている。
 時間が無いんだろう?
 無理なら下がってろ、面倒だが俺が切ってくる」




「え?」

 軽く言ってのける恭也に疑問符が零れ落ちた。
 それが呆気に取られていた自分の口から出た物だと気付いた事で正気を取り戻したクロノが、この期に及んで軽口を叩く恭也にとうとう切れた。

「巫座戯るな!冗談を言っていられる状況じゃないのが分からないのか!?」
「誰が冗談など言った?
 お前達が無理だと言うから代わりにやってやると言っているだけだろう。まったく、疲れているというのに…」

262小閑者:2017/11/04(土) 12:53:45
 そんな愚痴を零しながらも黒いドームから視線を外そうとせず小さな足場に危なげも無く佇む恭也の様子に、クロノの腕に鳥肌が立つ。
 本気で、言っている!?

「ちょっ、待て!何を聞いていたんだ!?無理だと言っただろう!」
「うるさい奴だな。
 それはさっき聞いた。だから代わってやると言ってるんだろうが」
「僕らが束になっても敵わない相手に、Fランクの君が敵う訳がnうおっ!?」

 クロノの台詞は、いつの間にか振り返った恭也に胸倉を引き寄せられた事で遮られた。
 恭也の黒く澄んだ瞳からは、静かな湖面の様に何の感情も読み取れない。その瞳と同様に感情を含ませない声音で恭也がはっきりと言い放った。



「俺は、俺がしたい事をしたい様にする。
 俺の限界をお前が決めるな」



 静かな湖面の奥に潜む何かにクロノは知らず背を震わせる。

「な、何を言って…」
「恭也さん!」

 クロノが搾り出すように口にした台詞を遮ったのははやてだった。
 視線を寄越す恭也に穏やかな笑みを浮かべると、先ほど迄の暗く沈んだ表情を微塵も感じさせない声ではやてが話を切り出した。

「恭也さん疲れとるんやろ?
 それなら先に、私にやらせて貰えへん?
 ダメやったら、そん時は改めて恭也さんにお願いするわ」
「私も手伝うよ、はやてちゃん」
「勿論、私も」
「我々は主はやての望みを叶える為に居ます。何なりとご命令下さい」
「あたしはフェイトの使い魔だからね。当然手伝うよ」
「僕もここにはお世話になった人がたくさん居るから出来る限りの事はするよ」

 既に無意味に悲壮感を振り撒く者はこの場には居なかった。
 これを、狙っていたのか?
 だが、クロノが疑問を乗せた視線を向けても恭也からそれらしい反応は返ってこなかった。

「…お前達が出るなら俺は必要ないだろ」
「…水を差す様で悪いが、ここに居る全員の総力を結集しても、恐らくあれの暴走は止められない」

 クロノとて好んで悲観論を口にしている訳では無い。だが、責任者としてこの場に居る以上、精神論に賛同して特攻する事など許可出来る筈が無いのだ。
 悲観に沈みこそしないもののクロノの言葉を覆す手札を持ち合わせていない事を自覚して押し黙る一同に代わり、口を開いたのはまたしても恭也だった。
 だが、今度の発言は先ほどの純度100%の精神論とは毛色が違っていた。

「状況を整理させて貰おう。
 あれの暴走を食い止めるのが前提になっているようだが、暴走したまま放置したらどうなるんだ?」
「自己修復の術式が狂っている所為で、魔力が続く限り無限に再生するんだ。いや、元の姿を保つ事無く周囲のあらゆる物を取り込みながら大きくなっていくから増殖って言った方が良いかな。
 試してみる訳には行かないけど、魔力はほぼ無尽蔵といっても良いから、理論上は一つの次元世界を丸ごと飲み込む事くらいは出来る筈だよ」

 クロノに変わって澱みなく答えたのはユーノだった。
 クロノの知識は無限書庫でユーノが探し当てた資料を基にしているものなので、ユーノの方が詳しく知っているのだ。
 それに気付いた恭也は問い掛ける相手をユーノに変えて質問を続けた。

「では前回の暴走を阻止した方法は?」
「さっきクロノが言っていたアースラの魔導砲だよ」
「それの使用を躊躇する理由は?」
「魔導砲アルカンシェルは被害規模が大きいんだ。
 勿論、闇の書の暴走を放置した場合とは比較にならないけどね」
「具体的には?」
「規模としては照準した空間を中心に半径数百キロ。効果範囲内の物質を対消滅させる兵器、って言って分かるかな?」

 ユーノが軍事機密を当然の様に知っている事とそれをアッサリ暴露した事に、クロノは額を押さえるながら『非常事態だから』と自分に言い聞かせる。

263小閑者:2017/11/04(土) 12:54:18
 その横でヴィータが声を張り上げる。

「そんなの絶対ダメー!そんなの使ったらはやての家が無くなっちゃうじゃんか!」
「そういうレベルの問題じゃないんだが…」
「わ、私も反対、そんなの困るよ!」
「いや、だから…」

 完全無欠の主観論が展開している脇で、恭也が更に話を進める。

「対消滅とやらが想像しきれないが、効果範囲の空間に存在する物質をごっそりと消し去るというなら、場所を沖合いに移したとしても海水の消失で高波が発生して沿岸部は壊滅しかねないな」
「多分、そうなるよ」
「仮に空中に持ち上げたとしても、空気だって物質だ。消滅するんじゃないのか?」
「間違いなく」
「と、なれば、突然の気圧変動とそれに因る気象変化か。陸地や海水よりは質量が少ない分被害が少なくなるだろうが、避けられるなら避けたいところだな。
 …宇宙航行用の艦船に搭載されている魔導砲なら宇宙空間でも撃てるな?」
「それは問題ないと思うけど…、エイミィさん?」
『管理局のテクノロジーを舐めて貰っちゃあ、困りますなぁ。
 撃てますよぉ、宇宙だろうと何処だろうと!』
「お、おい、まさか!?」

 恭也とユーノの会話をヴィータやなのはをあやしながら聞いていたクロノが慌てているが、2人は気にする事無く意見を煮詰めていく。

「あれを宇宙空間、いや、アースラの鼻先に転送させる方法は?」
「強制転送って術式があるけど、僕とアルフとシャマルとザフィーラが総出で掛けても保有する魔力量の差でレジストされると思う」
「待て、俺を数に入れるな。専門は防御であって補助魔法は大して役に立てない」
「と、なると3人か。
 魔力量の差と言う事はさっきの魔導書の管理者権限の時と同じ考え方が適用出来るのか?」
「…そうか、なるほどね。
 うん、それで合ってるよ。
 尤も、今あのドームの中であの時よりも魔力行使に適した構造を作り上げてるだろうから難易度は格段に跳ね上がってるだろうけどね」
「ハッ、泣き言なんぞ聞く耳持たん。
 まあ俺が思いつくのはこの程度だ。細かい手順までは知らんし、役に立たなくても責任は持てんがな。
 知恵熱も出てきたし、余波で吹き飛ばされては敵わんから後ろに下がらせて貰う。
 精々頑張れ。健闘を祈るくらいはしてやろう」

 一方的に告げると足場を展開しながら本当に後退して行く恭也を一同は呆然と見送った。
 あれだけ頭を悩ませていた問題にアッサリと解決方法を提示されるとは思っても見なかった。
 手段自体はトリッキーだし、綱渡り同然ではあるが、エイミィが即席で行ったシミュレートの結果はギリギリながらも実現可能範囲と出た。
 恭也の挙げる疑問に立て板に水とばかりに答えていたユーノも苦笑するしかなかった。一見、対等に話し合っているように聞こえるが、ユーノは知識を提示したに過ぎない。大事な事は豊富な知識を如何に活用して状況を打開する手段を見出すか、なのだ。
 残された時間でこれを上回る良案が浮かぶとは到底思えない。

「何から何まで規格外だな…」

 我が事の様に自慢気に恭也の事を語っている3人の少女達の様子にクロノの苦笑が一層大きくなる。

「無策で特攻を仕掛けようとしていたのは士気を上げるためか。まあ、当然か」
「…貴方にはそう見えるのか」

 クロノは独り言に反応が返ってきた事とその内容に驚きながら、返事を寄越したシグナムに問い返した。

「じゃあ、君は放って置いたら恭也が本当に特攻していたと言うのか?」
「しただろうな。貴方もそれを感じ取ったからこそ引き止めようとしたのでは無いのか?」

 確かにあの時は恭也が本気で言っているようにしか思えなかった。だが、それが無謀を通り越して絵空事にもなっていないことは恭也にだって感覚的にでも分かっていたはずだ。
 恭也の道化師じみた言動は何度も見てきたが、それでも彼の戦闘理論が極めてロジカルなものである事は分かっている。それが最も顕著だったのが、他でも無いシグナムとの戦闘だったのだ。

264小閑者:2017/11/04(土) 12:57:12
 シグナムにそれが分からないとは思えなかったが、自分よりも恭也との付き合いが長い事も事実だ。クロノはその見解を素直に口にする。

「…彼は感情に任せて戦って玉砕するタイプには見えないんだが?」
「私もそう思っている。
 だが、あいつは“勝てる相手だから戦う”訳ではない。“勝たなくてはいけない相手だから戦う”んだ。
 貴方は違うのか?」

 思わず息を呑むクロノを静かに見据えたまま、シグナムが言葉を足す。

「防御プログラムの暴走を看過する事は出来ない。
 手持ちの有効な対抗手段は管理局の魔導砲だけだと察しても、貴方の言葉から使用に躊躇する理由がある事も同時に気付いていたんだろう。
 ならば、出来る事は全て試してからでも遅くはない。
 恭也が考えていたのはそんなところだろう」
「…試してみる、なんて表現で済ますにはリスクが大き過ぎるだろう?
 いや、勝率など無い事は言われるまでもなく彼にだって分かっていた筈だ」
「…分かっていただろうな」
「なら、どうして!?
 …この世界の住民のためなのか?」
「いや、恐らく恭也は私と同じタイプだ。
 顔も知らない他人のために命懸けで戦う事は出来ないだろう。転んだ子供に手を差し伸べるのとは訳が違うからな。
 …恐らくは、無関係の人々を巻き込む事態に陥って、主はやてが生涯気に病む事を案じたのだろう」
「そ、そんな遠回しな理由で…?」
「管理局の執務官として無辜の民を救うことに尽力する貴方達には理解出来ない事かもしれないがな。
 私や恭也の様に“仕えるべき主君の剣になる”と言うのはそういう事だ。
 私達と貴方達とでは同じ“守る”という一事に対して対極のスタンスにあると言ってもいいだろう」
「対極?」
「多数のために少数を切り捨てるか、一人のために全世界を敵に回すか」

 シグナムの静かな言葉にクロノが絶句する。
 その言葉は本気なのだろう。
 クロノとてその言葉が全く理解出来ない訳では無い。だが、その在り方を真似する事は出来ないだろう。







「恭也君、怪我して無い?回復魔法掛けてあげるわよ?」
「そんなのよりあたしが守ってやるから安心しなよ、キョーヤ」
「…馬鹿な事言ってないで、さっさと配置についてこい。
 こっちに余力を回すくらいなら、倒れるまであれを攻撃しろ」

 恭也は言い寄るシャマルとアルフをにべもなく追い返すと、嘆息を付きながら念話をユーノに繋げた。

<おい、そこの中年男、笑ってないで手を貸せ>
<もう〜、笑ったのは謝るから『中年』は勘弁してよぉ>
<なら、さっさと俺の足場を用意しろ。カートリッジの魔力残量がヤバイ>
<それならシャマルかアルフの厚意に甘えればいいのに>
<御免被る。あんなものは子供が人の玩具を欲しがっているのと変わらんだろうが>
<君が人気者なのは間違いないと思うけど。
 それにしても、戦場に留まるなんて君も変なところで苦労を背負い込むよね。陸地まで下がってても良いんじゃないの?>

 恭也が口調にすらいくらかの疲労感を滲ませている事に気付いたユーノは、言葉を交わしながらも他のメンバーに気付かれないように注意しつつ恭也の足元に円盤状の足場を形成した。
 魔力が欠乏しているという言葉に嘘はなかったようで、恭也は絶妙のタイミングで掠れて消えていく自作の魔方陣からユーノ謹製のそれに乗り換えると足場を睨みながら顔を顰めた。
 何の変哲も無い筈の力場に視線を注ぐ恭也の様子に不安を煽られ、ユーノは先ほどの疑問を棚上げにして恭也に問い掛けた。

<どこか気に入らなかった?>
<…別に>

 短い返答を不審に思ったユーノが更に窺う様に恭也を見つめていると、恭也がぞんざいに言葉を足した。

265小閑者:2017/11/04(土) 12:59:48
<実力の差を突き付けられてやさぐれていただけだ>
<…足場を作っただけだろ?>
<その、片手間で作った足場が俺の力作より頑丈とあっては流石に、な>

 不貞腐れている恭也から顔を背けて笑いを堪える。
 “隣の芝は青い”とはこの国の諺だったはずだが、完璧超人の様な恭也の、無いもの強請りなどという人間臭い面を見せられると何処かで安堵している自分に気付かされる。
 だが、恭也に笑いを堪えている事を気付かれたらどんな仕返しが待っているか分かったものではない。
 ユーノは誤魔化すためにも話を戻す事にした。

<それで避難しないのは何か理由があるの?>
<ふん。
 逃げ出したいのは山々なんだが、あいつら妙なところで打たれ弱いからな。
 不用意に俺が後ろに下がると、深読みして無闇に心配した挙句、戦闘に集中出来なくなりかねん>
<ホントに意外なところで苦労性だなぁ。…あまり無理しない様にね>
「余計なお世話







「恭也さん!!」
「うおっ!?」

 突然目の前に現れた涙目のはやてのドアップに、恭也は反射的に仰け反り、その拍子に足場を踏み外した。

「おわっ!?」
「危ない!」

 バランスを崩し、足場となる魔方陣から落ちそうなる恭也に、正面からはやてが、左右からなのはとフェイトが慌ててしがみ付いた。
 慌てていた証拠とでも言うように力加減が全くされていないタックルのようなその抱擁は、恭也の首や胴を絶妙に締め上げた。

「グッ!い、きが、でき…、血が、暗・く」
「フェイト、なのは、と、はやて。その辺にしておかないと恭也が醒めない眠りに就くことになるぞ?」
『あぁ!ご、ごめんなさい』

 謝りながらも足場から完全に離れてしまった恭也をそのまま放す訳にもいかず、体勢はそのままに力加減に気を遣いながら浮遊する。
 浮遊するだけなら3人も要らないし、そもそも抱きついている必要すらないのだが、気付いているのか、いないのか、離れようとする者はいなかった。

「ケホッ
 …ふう。それで、全員揃って突然一体何なんだ?遊んでいる暇など無いだろう?」
「有るんだよ、遊んでる暇がね」
「…何?」

 恭也の回復力に呆れながら口にしたユーノの言葉に怪訝を表す恭也。その様子にわざとらしく溜息をついたのはシグナムだった。

「お前、どの時点から意識を失っていたんだ?
 防御プログラムは既に消滅している。お前が立案した通り、宇宙空間に転送した後、魔導砲で止めを刺した。
 あれだけの轟音と爆風の中で良く立ったまま…、ああ、足場だけじゃなく結界も張って貰っていたのか」
「…」

 シグナムの言葉を確認する様に恭也が視線を転じた海上からは黒いドームが消え、巨大な生物の内臓らしき物や形状のはっきりしない鉱物らしき物が徐々に形を崩しながら海中へと沈んでいくところだった。

「戦闘開始前に僕が展開した足場に降り立った後、会話の最中に立ったまま気を失ったんだよ。落ちないように回復を兼ねた結界も追加したけど、凭れもせずに立ち続ける辺りがいかにも恭也だよね」
「そんなに前から!?
 恭也君、やっぱりずっと無理してたんだね…」
「…態々全員に知らせてくれたスクライアには後で礼をくれてやろう」
「なっ!?」
「それより、何時までこうしている積もりだ?さっさとアースラに戻るなり地上に降りるなりしてくれ」
『そんなに照れなくてもいいじゃん。役得だと思って堪能しときなよ』
「リミエッタさんがそれほど寂しがっているとは知りませんでした。
 後で一週間は立ち直れない程度に捻り潰して差し上げますから、今は早く回収して下さい」
『えっ!?
 ま、待って!今のはウィットに富んだ軽いジョークであって、』
「その話は後で。
 はやてが限界です。速く治療を!」
『後でって、――――っえ!?』

266小閑者:2017/11/04(土) 13:02:27
 焦りを滲ませた恭也の言葉で全員の視線が彼の腕の中に集まったのは、それまで顔を蒼褪めさせ声を殺して耐えていたはやてが静かに意識を失った瞬間だった。
 つい先ほどなのはやフェイトと肩を並べるように破壊の力を行使していたため失念していたが、1時間前のはやてはベットから出る事も出来ない重病人だったのだ。

「はやて!?はやてー!!」
「エイミィ、急げ!」
『ゴメン、アルカンシェルの影響で直ぐに転送出来ないんだ』
「落ち着け、ヴィータ!
 主には大事無い。疲労で気を失っただけだ」
「…え?闇の書!?」

 驚きに声を漏らすフェイトの視線の先には、先刻死闘を演じた相手である闇の書の管制人格が実体化して、慌ててはやてに縋り付こうとするヴィータを嗜めていた。
 立て続けに何度も事態が急変したため、フェイトははやての魔法行使が魔導書とのユニゾンの結果である事に思い至らなかったのだ。
 尤も、それは知識を持たないなのはと深く思考する事が苦手なアルフ以外は気付いていた様で、クロノやユーノは勿論、通信ウィンドウ内のエイミィにも動揺した様子はなかった。

「リインフォース、はやてちゃんに回復魔法掛けた方が良い?」
「いや、必要ない、と言うより効果が無い。何の訓練もなく大威力の魔法を行使したのが原因だからな。
 リンカーコアが正常稼動したばかりで、魔法を使えばこうなる事は承知されていたというのに…」
「リイン…?いや、後だ。
 では、はやては休息を取れば回復するんだな?」

 聞き慣れない呼称に囚われかけた恭也だったが、すぐさま軌道を修正してはやての容態を問い質した。
 そう、名前など後でゆっくりと確認すれば済む事だ。現時点での最大の懸念事項ははやての容態だ。
 恭也なら自分とシャマルとの会話から凡その状況を察する事が出来た筈だが、それでも彼自身に理解出来る言葉を使い、誤解しようの無い状況認識に勤めようとしているのだ。

 そうでなくては、な。

 リインフォースは心中で満足気に評価しながら、鉄面皮に押し隠しているであろう不安を解消してやるために恭也の言葉を肯定した。

「ああ、主は大丈夫だ。
 しばしの休息は必要だが問題なく回復するし、リンカーコアが正常に作動しているからいずれは足の麻痺もなくなるだろう」
「そうか…良かった…」

 雑談中でさえ常に何処か緊張の糸を張り続けていた印象の恭也が漸く精神を弛緩させた。
 その様子を見て全員が思う。
 心底からはやての身を案じていたんだな、と。

 見知らぬ土地に放り出された不安も、知らぬ間に一族全てを失っていた孤独も、何の知識も無い魔法に対する無力も、事実上敵対していた管理局に単身で潜り込む緊張も、それら全てが間に合わず徒労に終わる恐怖も。
 全てを押し隠し、脇目も振らず奔走し。
 それでも、“報われた”ではなく、“無事で良かった”としか思っていないだろう事は想像に易い。
 少しくらい、自分に優しくしても良いだろうに。若くして執務官まで上り詰めた自分を律する事に長けたクロノでさえもそう思ってしまう。

 周囲の想いを他所に、恭也は俯けた顔を上げた時には既にいつもの自分を取り戻していた。
 リインフォースに向き合うと先ほど後回しにした疑問を持ち出す。

「名前を思い出したのか?」
「いや、違うんだ。
 幸運の追い風、祝福のエール、リインフォース。
 この名は我が主から賜った新しい名前だ」
「…そうか。
 良かったな」
「ああ。私は、幸せだ」

 そう答えたリインフォースの淡い表情は、心の底から幸せを噛み締めている事が見て取れるものだった。
 その様子に、恭也が心情を吐露するように呟いた。

「凄いな、はやては…」
「恭也?」
「…命を守るのは難しい。だが、心を守る事はもっと難しい。
 …俺には出来なかった事だ」

 それが、恭也にとってトラウマと呼べるほどの出来事を指している事に気付いたなのは達が咄嗟に恭也に掛ける言葉を見付けられずにいると、事情を知らない筈のリインフォースが気負う事無く言葉を返した。

「そんな事は無い。
 お前は一度として私を“闇の書”と呼ぶ事はなかった。
 それだけでも、私には涙が出るほど嬉しかったよ」

267小閑者:2017/11/04(土) 13:05:23
 その言葉に恭也が目を見開いた。
 恭也の反応にリインフォースが苦笑を漏らす。
 恭也はやはり、気付いていなかった。恭也の言動にどれほど周囲の者が勇気付けられたか。喜んだか。心安らいだか。
 周囲の人達も、彼の心境を気に病んでいたようだ。恭也の様子に呆れると共に安堵している事が分かる。
 恭也が友人に恵まれている事に少しだけ安心した。

 だが、“それだけ”でもある。
 恭也が人前で意識を失うなど非常事態と言えるものだ。そして、ユーノの結界でどれほど回復出来たか知らないが、平然と会話して見せいている今現在さえ、気絶していた時とコンディションは大して変わらない筈だ。
 懸念が現実になる可能性など常について回っている。
 不意にリインフォースの口からその不安が零れ落ちた。

「…本当に、夢から醒めてしまって良かったのか?」

 周囲の者が色めき立つ中、当の本人は動揺する事無く視線だけで続きを促した。

「お前の性格や行動理念では、この先も生きていくだけで辛い事がたくさんあるだろう。
 かつて、私が仕えた主たちは夢である事を承知しながらも、その世界で一生を遂げる者は何人も居た。
 “現実から逃げ出した”と非難する者も居たが、そんな言葉の届かない世界だ。
 望みさえすれば、あらゆる害意も悪意も無縁になる。
 …それはお前にとって、それほど忌避するものだったのか?」
「…予想はしていたが、やはりそういう意図だったか」

 珍しく視線を彷徨わせながら恭也が嘆息を零す。
 面倒事を避けるためにせよ、弱味を見せないためにせよ、即座に否定すると予想していたクロノは訝し気に眉を寄せた。
 恐らくは何かを言おうとして性格やプライドと葛藤しているのだろうが、即座にそちらに傾かない事が既に珍事と言える。
 喫茶翠屋で初対面にも拘らず辛い境遇に関わる事を話して貰ったフェイトには、その時の様子を突き付けられている様で、かなり居た堪れない心境だ。

「別に忌避した訳でも嫌悪した訳でもない。
 …まあ、個人差だとでも思っておいてくれ」
「無理強いする気はないが、言いたく無いような内容なのか?」

 問われた恭也は腕の中のはやてと、抱きついて支えてくれているなのはとフェイトをちらりと流し見た後、溜息を吐く。

「まあ、な。
 …一つ挙げるなら。
 俺は父親に助けられた。なら、助けられた俺が逃げ出す訳にはいかんだろう?」
「我が主も、同じ事を仰っていたな…
 済まない」

 恭也とはやてが共通の見解を出したため、リインフォースもそれ以上夢の世界を勧める気は無くなった。だが、それを引き下げるからには、謝罪しなければ筋が通らなくなる。

「何故、謝る?
 そうする事で俺を救えると信じて取った行動だろう」
「悪意が無ければ何をしても赦されるとは思っていない。
 結果としてお前に家族との別離を体験させてしまったんだ。
 …償う術があるとは思っていないが、私に出来る事なら何でもしよう。
 お前の気の済むようにしてくれて構わない」
「…阿呆が、鏡を見た事が無いのか?
 お前の容姿で、男に向かって“何でもする”なんて二度と言うな。言えばそれさえ受け入れる気で居る辺りが尚悪い」
「…相手は選んでいるさ。
 恭也が望むなら、私は構わないが」

 その言葉にシグナムとシャマル、クロノとエイミィが驚いて顔を赤らめた。尤も、抱きついているなのはとフェイトはキョトンとしているし、恭也達は彼女らの反応を気に留める事もなく会話を続けていたが。

「お前が望むとも思ってはいないよ」
「左様で。
 …その事は気にするな。夢とはいえ、もう一度話す事が出来たんだ。むしろ感謝しても良い位だ。
 “何でもする”と言うなら、“二度とこの話題を蒸し返すな”」
「…わかった」

 答えた恭也の様子に納得出来るものがあったのか、リインフォースはそれ以上言葉を重ねる事はなかった。

268小閑者:2017/11/04(土) 13:05:58
 2人の会話が終わるタイミングを見計らいエイミィが全員に声を掛けた。

『お待たせ。
 転送の準備が出来たよ』
「分かった。
 はやても横になった方が良いだろう。君達も異論は無いな?」
「ああ。
 …迷惑ばかり掛けておいて虫のいい事を言っているという自覚はあるが、主はやての治療を頼む」
「最善を尽くす事は約束する」

 シグナムの願いにクロノが真摯な言葉を返すと、それを聞いたヴォルケンリッターが微笑を浮かべた。
 安心して浮かべた筈の微笑みが寂しそうに見えた事を不思議に思いながら、なのはとフェイトは長かった事件が無事に解決した事に笑顔を交した。



 まだ、幕が引かれていないことを知らされたのはアースラに戻ってからの事だった。




続く

269小閑者:2017/11/19(日) 10:45:33
第24話 選択




 転送ポートに揃って降り立つ一同を出迎えたのはデバイスを構えた20人前後の管理局員だった。
 シグナム達は雰囲気を緊張させながらも反射的に身構えようとする体を意識して押さえ込む。
 自分達は犯罪者だ。拘束されるのが当然であって、抵抗してこれ以上心象を悪くすればはやてが不利になるだけだ。
 だが、はやてを抱き抱えた恭也は場の緊張感をまるきり無視して歩き出した。気負う事の無いその歩調にあるのは、戦闘時の幻惑する様な不規則性でも見失うような希薄さでもなく、散歩しているような気楽さだけだった。
 局員の攻撃を誘発させかねない不用意な行動。恭也にもそう見られる自覚はあったようで歩調を緩める事無く落ち着いた口調で局員に向けて声を掛けた。

「病人です。抵抗する積もりはありませんから今は通して下さい。
 信用出来なければ片腕くらい置いていきますが?」
「怖い事をサラッと言うんじゃない!」

 即座に入ったクロノのツッコミに局員の態度が弛緩する。
 対照的にクロノ達は冷や汗が浮かぶ思いだ。
 今の恭也に冗談を言う余裕は無いだろう。冗談めかした落ち着いた口調だったがあれは本気だ。要求すれば即座に躊躇無く自分の腕を切り落としかねない。

「我々も戦いを望んでいる訳ではない。事件が解決したならそれで十分だ。
 だが、投降を認めたとはいえ規定に従い武装解除と拘束はさせて貰う」
「分かりました。武器は預けます。ですが、拘束はこの子を医務室に運ぶまで待って頂きたい」
「ああ、わかった、…んだが、話をする時くらい立ち止まらないか?」

 局員側の代表として発言していた壮年の男が、横を通り過ぎようとする恭也に呆れ気味に問い掛ける。
 恭也は片眉を上げる程度のリアクションも無く、右腕だけではやてを抱き上げ直すと左手で鞘ごと外した二振りの小太刀を押し付けるように男に渡して通り過ぎていく。
 顔を顰める男に対して頭を下げたのは、既に後姿を見せている本人ではなかった。

「あ、あの、ごめんなさい!」
「恭也、悪気は無いんです!」
「今、凄く疲れてて、でもはやてちゃんの事が凄く心配で!」
「だから、あなた方を怒らせようとか、そういう積もりはなくて!」
「分かってるから、落ち着いてくれ、2人とも」

 詰め寄る様にして恭也を弁護してくるなのはとフェイトに男も苦笑を返す。
 傍目にそうと分からないだけで恭也が極限状態にある事は全員が承知しているのだ。
 恭也が医務室で暴れた理由も、シグナムとの戦闘も、闇の書との遣り取りと夢中へ取り込まれた事も、且つ自力で帰還した事とそれが意味する事も。
 今の恭也を誰が責められるものか。
 …ただ、十代半ばの局員にはこんな可愛らしい女の子達が必死になって庇ってくれる恭也を羨み、去り行く彼の背中にじっとりとした視線を投げる者も居たが。

「君達もデバイスを置いたら行って良い」
「クロノ執務官、事情は聞いていますがあまり規定を外れる行為は…」
「…良いのか?拘束くらい構わないが?」

 クロノの言葉に難色を示す若い局員を気遣うようにシグナムが問い返すが答えたのは本人ではなかった。

「構いません。
 はやてさんが目を覚ました時に貴方達が縛られていたら驚いてしまうでしょう?」
「艦長…」

 いつの間にか背後に立っていたリンディに別の若い局員が情けない声を出した。幼さすら漂わせる顔立ちからも分かる通り入局して間も無いのだろう。教本を額面通り学んできた彼らは、規律を逸脱し続けるリンディの采配に困惑しているのだ。
 リンディは彼らの心情を察しながらも表情を曇らせる事無く、その局員にも納得出来る理由を開示してみせる。

「その代わり、監視モニターを切る事は出来ないから問題になる様な行動は取らないこと。
 裁判ではやてさんが不利になってしまいますからね?」
「承知しています。
 ご厚意、感謝します」

 リンディとシグナムの遣り取りが終わったと見るや、直ぐ様ヴィータが恭也を追って駆け出した。シャマル、ザフィーラ、シグナムも走りこそしないが、早足に後を追う。
 いくらリインフォースの保証があっても、実際にはやてが気を失っている以上心配せずにいられる筈がないのだ。
 ちなみに当然の様に歩いていく恭也には道案内は付いていない。アースラに滞在した期間の大半を過ごした医務室への道順を今更確認する必要は無いからだ。

270小閑者:2017/11/19(日) 10:47:43


 医務局長の言葉に全員が安堵のため息を吐いた。
 リインフォースの説明を疑っていた訳ではないが、やはり正規の医療関係者に回復を告げられると安心感が違う。

「そう、ですか。
 ありがとうございました」
「安心したならお前さんも休め。もうボロボロじゃろうが」

 医務局長は呆れと諦めを等分に込めた口調で恭也に言った。
 恭也の自己管理能力が高い事も、それでいて他人のために無理をする事も承知している。結局のところこの少年は本人が納得すれば勝手に休息を取るし、納得しなければ何を言ったところで休息を取らないのだ。
 勿論、彼も恭也が本当にヤバイ状態であれば力ずくでドクターストップを掛ける事も辞さない。それが声を掛けるに留めたのは少なくとも肉体的にはそこまででは無いと判断したからだ。

「大袈裟ですよ。
 それにまだ気になる事があるんです」
「ほどほどにな」

 忠告は済んだとばかりに控え室へと戻っていく医務局長の態度は見ようによってはかなり投げやりだ。恐らくは乗組員にも無理をする者がいるのだろう。
 いたく共感出来るシャマルは、去り行く老人の後姿に申し訳無さそうに頭を下げた。彼の心労を減らせない以上、シャマルに出来るのはこれで精一杯なのだ。
 だが、彼女らの心情など一顧だにせず、恭也ははやての診察中に遅れて入室していたリインフォースに向き合った。

「リインフォース。
 念のために魔導書を管理局で調査して貰わないか?
 …貴方にとって魔導書は体か何かに相当するんだろうから、敵対していた組織に預ける事には抵抗があると思うが、敢えて頼む」
「ああ、構わない。
 緊急事態とはいえ、お前が刀を預けるほど信用しているんだろう?なら、私が疑う訳には行かないさ」
「…すまない」
「謝る必要がどこにある。
 …防御プログラムの事か?」
「っ…ああ」
「まったく…
 魔導の知識は無いに等しいくせに、どうしてそこまで勘が働くのやら」

 そう呟きながらリインフォースは苦笑を漏らす。
 この男は隠したい事に限って、アッサリと嗅ぎ付けてみせるのだから始末に悪い。出来る事なら知られる前に片を着けたいのだが。

「残念ながら、お前の懸念は当たっている。
 そして、恐らくその希望は叶わない」
「納得出来ない結末を座して待つ積もりは無い」
「…そうだろうな」

 儚く微笑むリインフォースから目を背ける様にして、差し出された魔導書を掴んだ恭也は足早に医務局を出て行った。
 その後姿を閉じた扉が遮ると、怪訝な顔をしたヴィータがリーンフォースに問い掛けた。

「おい、リインフォース、何の話だよ」
「…遠く無い未来、防御プログラムが復活する」
「!
 …そっか。
 だけどどうして恭也が知ってたんだ?防御プログラムだけを破壊出来るなんて管理局だって想定してなかったんだろ?」
「何かしら勘を刺激するものがあったんだろう。
 この世界の家庭用のコンピュータでも、アンインストールしない限り何度でもプログラムを立ち上げる事が出来るから同じ様に考えたのかもしれないし、我が主がお前達を再召喚した事から連想したのかもしれない。
 案外、もっと単純に“嫌な予感”程度かもしれないな」
「じゃあ、恭也君は防御プログラムを修正する方法を探す積もりなの?」
「もしくは、魔導書から削除する方法だな。
 お前が『その希望が叶わない』と言う根拠は何だ?」
「…管理局にはあれを読み解く事が出来ない。恐らくな」

271小閑者:2017/11/19(日) 10:53:21
「解析出来ない!?
 どういうことだ!」
「それをこれから説明しようとしているんだ。
 少し落ち着いてくれ」

 詰め寄って胸倉を掴む恭也を冷静に見据えたクロノが、恭也を取り押さえようとする周囲の局員を手を翳す事で制止しながら静かに答えた。
 共に技術室を訪れ、1時間近い時間を費やして漸く得られた結論がそれでは恭也が取り乱すのも無理は無いだろう。
 殊更ゆっくりとしたクロノの言葉に漸く自分の言動に気付いた恭也が手を離し1歩退くと、苦労しながらもどうにか篭ってしまう力を抜く。
 クロノはそんな恭也から思わず視線を逸らした。

 流石に、キツイな。

 クロノとて局員として働き、多くの事件に携わってきた。
 ハッピーエンドに辿り着けたものもあったし、そこまで行かずとも悲劇を食い止める事に成功した事件もあった。だが、努力も虚しく悲惨な結末を迎えた事件も決して少なくはなかった。
 それらと比較すればこの事件は上手く収束に向かっていると言えるだろう。これまでに発生した闇の書事件と比較しても、形はどうあれオーバーSランクの魔導師が関わった事件としても、何より第一級ロストロギアに認定された事件としても信じ難いほど小さな被害規模で済もうとしている。ハッピーエンドに分類しても良い位だ。
 それでも、関わった者全てが幸せになれる訳ではないのが実情だ。

 決して恭也1人が努力してきたなどという事はない。局員の中には重傷者こそいないが未だに病室のベットから出られない者もいる。
 だが、だからといって、目の前で苦悩する姿を見て何も感じない訳ではない。

 深呼吸で表面上だけでも冷静さを取り繕った恭也が改めてクロノに問いかけた。

「…それで?」
「闇の書は、…スマン、夜天の魔導書は、体系としてはベルカ式に分類される。僕達の扱うミッドチルダ式とはプログラムの書式が違うんだ。
 更に言うなら、製作されたのは遥か昔だ。古代ベルカ式と分類している」
「それは予想出来た事だな?」
「そうだ。
 アースラの乗員に古代ベルカ式に精通する者はいないから、本局の技術部に解析できる者を何人か待機させていた。
 だが、送信したデータを読み解く事が出来なかった。文字がバラバラで文法どころか単語としても成り立っていなくて、とても意味を成しているとは思えなかったそうだ」
「まさか、そこまで…?」
「いや、プログラムが壊れている訳では無い筈だ。
 プログラムと言うのは複雑且つ繊細だ。人格を形成するほどのプログラムとなれば数十万行でもきかないだろう。その内、いくつかの単語が間違っているだけで正常に起動しない場合も有り得る。バラバラ何て以ての外だ。
 解析出来なかった理由として彼等が上げた物は2つ。
 1つは夜天の魔導書に用いられているプログラム言語が低級寄りの可能性」
「低級?
 人格を持つほどのプログラムの存在に懐疑的だったのはお前だろう。それはベルカのものがミッドのものより高度と言う事ではないのか?」
「プログラム言語としての高低だ。どういったら良いか…。
 デバイスが処理する言語は僕等の物とはかけ離れているんだ。それは人間の技術者が組むプログラムですらない。だから、デバイスはプログラムを実行する時に、技術者の組んだプログラムを翻訳・変換しているんだ。
 これはシステムソフトウエア、つまりリインフォースの人格部分でも、一つの攻撃魔法を起動する部分でも変わらない。
 言語の高低と言うのは、人間の読み易い物を高級、デバイス寄りの物を低級と言う。
 プログラムとしての優劣を言うなら言語変換に掛かる負荷が少ない分、言語として低級なほどプログラムとしては優れていると言えなくも無い。
 勿論、変換し終わったものを保存しているだろうから実質的な違いは大して無いんだが…」
「十分だ。尋ね返しておいて言うのもなんだが、脱線してるんじゃないのか?」
「う、スマン。
 古代ベルカ式の技術の多くは散逸してしまっていて、現在の研究成果では古代ベルカ式のデバイスが走らせるプログラムを直接読みとる事は出来ないんだ。現存する物は『壊れていないからそのまま使っている』か『デバイスを継承している一族のみにメンテナンス方法が伝承されている』ようだ。
 だから分かったことは、確認されている古代ベルカ式のデバイスの言語とは違うと言うことだけだ。
 更に言うなら、一言で『古代ベルカ式』と言っても、製作された年代から地域まで考えれば人間の組むプログラム言語どころかデバイスのシステム言語すら同じではない可能性がある。
 使用されている言語が未知のものであれば、言語の解析や体系付けるだけで最低でも数年は掛かるそうだ。
 リインフォースが魔導書にアクセスしてくれなかったらデータの引き出しすら困難だったらしいから、『古代ベルカ式』で一括りにしたのは考えが甘かったと言うことだろう」

272小閑者:2017/11/19(日) 10:59:29
「遠隔操作でそんなことまで出来るのか?」
「自分自身の様なものだからな。どの程度の距離までかは知らないが、艦内程度なら大した距離ではないんだろう。
 話を戻すぞ?
 解析出来なかった理由のもう1つの可能性はプログラムデータの暗号化だ」
「…機密か。そう言えば魔導技術の蒐集が本分だったな」
「ああ。
 他者から情報を隠蔽したとしても不思議じゃない。
 暗号だったとすればそれを解読するには10年単位の期間が必要になるそうだ」

 言葉が途切れる。
 防衛プログラムの再起動が何時になるか分かっている訳ではないが、仮にも「無限再生」などと呼ばれる程の機能を持っているのだから月単位と考えることすら楽観的だろう。
 だが、恭也は勿論、クロノとてデバイスの機構について専門的な知識は持ち合わせていない。専門家が解析不可能と判断したならそれを覆す手段など持ち合わせている筈がなかった。

「…リインフォースが言語の翻訳方法や暗号の解読方法を知っている、と言うことは無いか?」
「彼女なら僕達がプログラム解析で躓くことを予想出来ただろうからな。
 解読方法を教えてこないと言うことは、知らないのだろうとは思っていたんだが、先ほど確認したら謝罪の言葉が返ってきた」
「…クソッ」

 力無く悪態を吐いた恭也が、不意に顔を上げて入り口を見やる。
 それに倣ってクロノもドアの方へ顔を向けるが一向にドアが開く様子はなかった。
 気配とやらで人が居ることを察知できる恭也が視線を向けたので、てっきり誰かが入室してくるのかと思ったのだ。
 怪訝に思ったクロノが問いかける前に恭也の零した言葉が耳に届いた。

「どうして、誰も来ない…?」
「…恭也?誰か来る予定なのか?」
「違う。状況は分かっている筈なのにヴォルケンリッター達が何故1人も来ていない?」
「…あの子が目を覚ました時に不安がらせないように傍にいるんじゃないのか?」
「子供じゃないんだ、全員が揃ってる必要はないだろう」
「いや、9歳は十分子供だろう」
「ヴォルケンリッターの事だ!
 こちらにいても出来る事が無いのは変わらないかも知れないが、何かしらの情報が得られる可能性だってあるんだぞ!?」
「…管理局に期待してなかったんじゃないのか?
 端から解析出来ないと」
「藁にも縋りたい現状でそんな贅沢を言うほどの馬鹿じゃない…
 医務局の状況は!?」
「落ち着いてくれ。
 あの子の症状に変化があれば連絡が来ることになってる。大丈夫だ」
「そんな事を言ってるんじゃッ…
 お前、何か知っているな?」

 それほどおかしな反応は返していない積もりだったが、やはり不自然だっただろうか?
 騙し通せると思っていた訳ではないが、思いの外あっさりとばれたな。いや、予想通り、と言うべきか。

 諦観したクロノは、威圧感を増していく恭也を刺激しないように意識してゆっくしりた口調で語りだした。

「僕達はリインフォースからの提案を受け入れたんだ。
 魔導書の解析に成功し、防御プログラムの修正か削除が出来ればそれで良し。
 出来なかった場合には、魔導書からヴォルケンリッターの存在を切り離し、魔導書を破壊する、と」
「っ!
 …切り離す、とは?」

 「魔導書の破壊」と聞いても辛うじて理性をつなぎ止めている恭也に痛々しさすら感じながら、変わらぬ口調でクロノが答える。

「守護騎士プログラムはリンカーコアを形成し、それを核として実体を生み出すものだそうだ。
 そして、一度顕現すれば基本的に魔導書との交信を行う必要がない。
 だから、リインフォースの裁量と外部からの補助を受ければ、マスターであるはやての承認が無くとも独立させる事が出来るそうだ。
 独立、つまり魔導書から切り離してしまうと、以降は消滅しても二度と再起動は出来なくなる。つまり、人間の死と同等になる。
 代わりに、魔導書が破壊されても影響を受けなくなる」
「…問題が無い様に聞こえるが、それなら隠しておく理由がないな。
 リインフォースはどうなる?」
「…彼女の役割は魔導書の管制だ。
 当然、魔導書とも密接に関わっているし、顕現していても彼女自身はリンカーコアを形成している訳じゃない。言ってしまえば、彼女の核は魔導書そのものだ。
 リインフォースは、魔導書を破壊すれば存在する術を失うことになる」

 クロノはそれだけ告げると、黙って恭也の反応を伺った。

273小閑者:2017/11/19(日) 11:04:09
 射殺そうとするかのように鋭い眼光。全身から溢れ出す身の毛がよだつほどの殺意。それらを押し止める強固な理性。
 危ういところではあるが恭也がどうにか均衡を保っている事を見て取り、クロノは密かに胸をなで下ろした。
 怒りのはけ口として、全力で殴りかかってくる事も想定していたが、この期に及んで理性が感情を上回っているようだ。異常と言っても良いほどの自制心だが、素直にそれに感謝しておくべきだろう。
 この男と閉鎖空間で戦う事だけはなんとしてでも避けたい。それがクロノの偽らざる本音だ。
 加減されていた(筈)とはいえ、Sランク魔導師に肉弾戦を挑む無謀さも、ダメージを与えてみせる非常識さも、五体満足で凌ぎきる異常性も、敵対したくない理由には事欠かない男なのだから。

 クロノがあまり人に聞かせられない考えを巡らせていると、隣室にいた技術者が慌てた様子で飛び込んできた。
 恭也の纏う雰囲気に気付いていればそのまま固まってしまっていただろうが、幸いにも周囲を観察する余裕を失っていた彼はクロノの姿を認めた時点で叫ぶように呼びかけた。

「クロノ執務官!」
「どうした?」
「闇の書が突然転送しました!」
「…そうか」
「そうか、って、良いんですか!?奴ら、また暴れ出す積もりじゃあ!?」
「大丈夫だ。
 僕も提督も、その件は承知している。
 ご苦労だった。通常勤務に戻ってくれ」
「え?は、はあ…」

 クロノの言葉に呆気に取られる局員を完全に無視して、クロノに向けられている恭也の視線が圧力を増した。
 魔導書を破壊する案を聞いた直後にこの事態を知れば、誰であろうと直感が働くだろう。

「…魔導書を壊し終わった訳じゃ無いだろうな!?」
「恐らくは、まだだ。
 破壊する前に守護騎士達を独立させる必要があるから、相応の手順を踏む筈だ」
「場所は!?」
「聞いていない」

 怒鳴りつけるように問い掛けてくる恭也に答えながら、クロノは恭也の挙動に意識を集中する。
 最早、恭也が何時暴走しても何の不思議もない。
 出来れば穏便に済ませたいと切に願っているのだが、自分の持つ情報は嘘偽り無く開示しても恭也の怒りを触発する役にしか立たないだろう。
 嫌な感じの汗が背中を伝うのを感じていると、抑揚を失った声が部屋に響いた。

「…はやては?」
「…!?
 家に、帰っている」

 あまりの変貌に一瞬声の主が誰か本気で迷い、慌てて答えた。
 本格的に、不味いのでは?

「心身に負担がかかっているから、自分の家の方が療養に向いているという判断で了承された」
「不破を、デバイスを借りたい。
 それから俺も地球へ転送してくれ。今すぐだ」
「分かった。
 転送ポートへの道順は分かるな?
 君のデバイスもそこに運ぶように手配しておく」

 クロノの言葉を最後まで聞く事無く恭也が駆け出した。技術部の扉をこじ開ける様にして退室した恭也を見送るとクロノが大きくため息を吐いた。まさしく猛獣の居る檻に閉じ込められた気分だった。
 弛緩しているクロノに図った様なタイミングでリンディから通信が入る。まあ実際に部屋の様子をモニタしていたのだろうが。

<お疲れさま、クロノ>
「本当に疲れましたよ。
 ですが、行かせて良かったんですか?リインフォースには足止めも頼まれていたんでしょう?」
<『出来るだけ』って注釈付きだったもの。
 クロノが出来る範囲で時間は稼いでくれたじゃない>
「御命令とあれば拘束しましたが?」
<恭也さんを相手にするには、その部屋は狭すぎるわ。部下に無意味なリスクを背負わせる気は無いの>

 流石にお見通しか。
 まあ、恭也の戦闘記録は一緒に確認しているのだから、至る結論が同じになるのは道理だろう。
 尤も、それが必要であれば、リスクを承知でリンディは命じただろうし、最終手段として転送ポートを使用させなければ恭也に地球へ行く術は無くなるのだ。
 つまり、恭也を止めない理由は別にある。

<…立ち会わなければ、恭也さんだけ取り残されてしまうかもしれないものね>
「そう、ですね。
 前に進むためには、現実から目を逸らす訳には行きませんから」

 それが正しいと言い切れる自信は2人にも無かった。
 疲弊した恭也の精神には耐えきれない可能性だってあるのだ。
 だが、同時に引き留めることが正しいとも限らない。
 当事者ではない2人に出来ることは、ただ見守る事だけだった。



     * * * * * * * * * *

274小閑者:2017/11/19(日) 11:08:36
 音も無く舞い降りる雪がうっすらと敷き詰められた丘の上。
 市街の喧噪は届かず、厚い雲に月明かりも閉ざされたこの場所は、街灯の明かりで強調された闇によって異世界に迷い込んだかと錯覚するほどの雰囲気に包まれていた。
 その空間に、悲愴感の滲む少女の声が響いた。

「マスターは私や!
 言う事聞いて!」
「駄々っ子はお友達に嫌われてしまいますよ?
 私に、デバイスとして最も優れた手段を選ばせて下さい」

 転倒した車椅子の傍らで雪と泥にまみれたはやては、頬を伝う涙を拭う事も忘れて懸命に言葉を重ねていた。

 なのはとフェイトどころかヴォルケンリッターもこの儀式を行うために魔法陣の中に立っている。それはリインフォースが消える事を受け入れたという証だ。
 だが、ヴォルケンリッターを責める事は出来ない。その選択に因る犠牲がリインフォースだったのは単なる結果でしかないからだ。それが他の誰かだったとしても同じ様に選択しただろう。
 なにより、彼女達の悲しみに沈んだ顔が、決してこの選択を納得していないと語っている。
 ならば、この役目は、リインフォースを引き留めるのはマスターである自分が請け負うべきものだ。
 だが、幼い妹をあやす様に穏やかな口調で応えるリインフォースの透明な微笑を見ては、彼女の説得が無理だと悟らざるを得なかった。

 リインフォースは受け入れしまったのだ。
 自分が消える事で家族が助かるのなら、はやてだってそれを選ぶだろう。
 だが、それでも納得する訳には行かないのだ。

「そやかて、やっと解放されて、これからいっぱい、幸せにならなあかんのに…」

 手を離せばそのまま消えてしまう様な錯覚にかられ、リインフォースを掴む手に必死の想いで力を込める。
 だが、そんなはやての小さな手を暖めるように、リインフォースが上からそっと手を重ねた。

「私は十分に幸せにして頂きました。
 綺麗な名前を貰い、家族と呼ばれ、貴女の力になることも出来ました。
 私は、世界一幸福なデバイスです」
「…でも、でもぉ」

 はやての頬を伝う涙が増え、滲んだ視界がリインフォースの姿を霞ませる。
 想いとは裏腹に引き留める掌から力が抜けていく。
 抗えなくなる。
 彼女の言葉を、意志を受け入れてしまおうとしている自分がいる。

 心が挫け、諦めようとする寸前。
 まるで、絶望に直面した敬虔な信者が神の名を口にする様に、はやてがその名を呟いた。

「恭也さん…」

 恭也なら、きっと何とかしてくれる。そんな都合の良い事を思っていた訳ではない。
 それでも、ただ、傍に居て欲しかった。
 だが、同時に宇宙船にいる恭也がこの場に辿り着けない事も頭の片隅で理解出来ていた。
 だから、はやてにはリインフォースの言葉の意味を直ぐに理解する事が出来なかった。

「…来てしまったか。
 良かれと思ったんだが。
 …こうも悉く跳ね除けられると言う事は、残念だがおまえとは余程相性が悪いのだろうな」
「…え?」

 リインフォースの視線を追って空を見渡すが、街灯の明かりが闇を際立たせているため、はやてには街灯越しに何かを見つけることは出来なかった。…いや、木立より僅かに高い空間に鈍い光のラインがこちらに移動してきているのが辛うじて見えた。
 勿論、不思議がるのははやてだけで、他の者達は即座にそれの正体に見当をつけていた。
 あの光は、ラインが移動している訳ではない。
 いくつもの小さな光点がもの凄い速度でこちらの方向に生成され、極短時間で綻び、消滅しているのだ。それが距離を置いているために移動している様に見えているに過ぎない。
 そして、そんな方法で高速移動が出来る者も、そんな方法でしか高速移動が出来ない者も、この場に居る誰もが心当たりは1人しか居なかった。

「恭也さん!?」

 肉眼で判別出来る距離になり、はやてが驚いて声を上げる横でリインフォースが眉を顰めた。恭也が足場として生成している魔法陣が、遠目に見ても明らかに構成が粗くなっていたのだ。
 リインフォースが恭也とこの場を繋げる足場を形成しようとして、しかし恭也に隠れて消え去ろうとしていた後ろめたさから魔法の行使を躊躇った瞬間、足場を踏み抜いた恭也が林の中に落下した。

『あっ!』

 意図せず唱和した驚嘆の叫び声の直後、枝や幹が折れるバサバサバキバキという音が静寂を破って響きわたった。

275小閑者:2017/11/19(日) 11:10:40
 それが、普段の恭也であれば誰も心配などしなかっただろう。
 だが、普段の恭也は限界を見誤って足場を踏み抜く様な迂闊さも、落ちる先が林の真ん中になる様な不用意さも、枝を折る様な平凡さも持ち合わせていないのだ。
 防御プログラムとの戦闘から1時間程度しか経過していないし、自分達の体にもしっかりと疲労が残っている。
 恭也だけは例外。そんな、有り得ない幻想に囚われれば、また恭也に無理をさせてしまう。

『恭也!』
「動くなっ!
 頼む、動かないでくれ!儀式が崩れてしまう!」

 語尾こそ違えど、全員が名を叫び駆け出そうとするのをリインフォースが必死に押し止めようと声を張り上げた。
 だが、心底からの懇願の声に辛うじて踏み止まったとは言っても、納得している者は1人としていない。

「そんな事を言ってる場合じゃないでしょう!?」
「そうだ!恭也があんな落ち方したんだぞ!どう考えたってやべぇだろうが!」
「恭也君、ずっとずっと無理を続けてたんだよ!早く助けてあげないと!」
「儀式ならもう一度やり直せば良い!今は恭也を!」
「駄目なんだ!
 …もう一度、陣を築けるほど回復するには時間が掛かり過ぎる。
 今を逃せば、次の暴走に間に合わないかもしれない…」
「大丈夫や!みんなの力を借りれば、絶対さっきみたいに上手くいく!」

 リインフォースの言葉にはやてが必死に反論する。説得出来るとすれば彼女が感情を揺らしている今しかない。
 落下した恭也の事も当然心配だが、どのみちリインフォースを説き伏せなければ歩けないはやてには助けに行くことが出来ないのだ。

 恭也の様相と危うく儀式が中断しかけた事に動揺したリインフォースは、はやての魅力溢れる甘い言葉に思い切り揺さぶられた。
 終わる事は無いと諦めて久しい、幾度となく繰り返されてきた悪夢が終焉を迎えたのだ。
 過去の多くのマスターの中でも、幼いながらも非凡な人格を有する主に仕えることが出来るのだ。
 これほどの幸せは無い。
 これほどの喜びは無い。
 それらを失いたい筈など、無いではないか!



 だが、それでも。
 いや、だからこそ!



「…同じ方法が通用するとは限りません。
 皆の疲労が回復する前に始まる可能性すらあります。
 管理局の魔導砲が次も使用出来るとは限りません。
 仮に暴走までに期間があったとしても、管理局が高確率の危険を看過するとは思えません」
「や、やってもみんうちから諦めたらあかん!
 恭也さんに怒られたばっかやろう!?」
「一度でも踏み外せば奈落へ落ちる綱渡りを延々と続ける事など承諾する訳には行きません。
 既に発生してしまった事態であれば危険を孕む賭に出る事もあるでしょう。
 ですが、事前に事態を回避する選択肢が在りながら、敢えて危険な道を選ぶ事を勇気とは言いません」


「阿呆が。
 ゼェッ、仲間を見捨てる方法を、ゲホッ選択肢などと言うものか!」
「!?」


 荒い語調とは裏腹に呼吸の乱れたか細い声が届いた。
 発言者である恭也が藪をかき分けて姿を現すと、背を向けているはやて以外の全員が驚きに息を飲む。

「恭也さん!…ッ!?」

 恭也が無事だった事、リインフォースを説得する勢力になってくれる事に安堵しながら振り向いたはやても、恭也の姿に息を呑み、続く言葉を途切れさせた。

 覚束ない足取り。
 右手で樹に寄りかかることで辛うじて支えられている体。
 肘と手首の間で向きを変え、力無く下ろされた左腕。
 顔の右側面を赤く染め、顎から滴り落ちる大量の血。

 非殺傷設定での魔法戦しか知らないなのはやフェイト、そもそも戦闘経験が防御プログラム戦しかないはやては、眼前の光景が理解出来なかった。
 無理も無いだろう。言葉としてしか知らなかった、戦いとそれが齎す結果を見せ付けられたのだから。
 同時に、恭也だけは負傷とは無縁だという、無意識の内に持っていた妄信を浮き彫りにされ、完膚なきまでに否定されたのだ。
 敵が居るかどうかは問題ではない。本人のキャパシティを超える事態に対処しようとすれば、多少の差はあれ、同じ様にリスクを背負う事になるのだ。

276小閑者:2017/11/19(日) 11:12:06
 声も無く固まる一同の様子を意に介さず、真っ直ぐにリインフォースを見据えていた恭也にリインフォースから口を開いた。

「状況は聞いているな?」
「ああ」
「それでも、止めるのか?」
「当然だ」
「…暴走した時には、どう対処する積もりだ?」
「あんなものは俺が切り捨ててやる」
「命懸けで、か?」
「掛ける必要など無い。片手間でやってやる」
「ここに辿り着くだけでそれだけ傷だらけになっている様では説得力が無いぞ。
 それに、その事態に臨めば、ここに居るメンバーは全員が参戦するだろう。そして全員が等しく命を落とすリスクを負う。
 それは、今私がしようとしている事と本質的には変わらない」
「…」

 リインフォースの言葉が恭也の反論を完璧に封じた。

 成功の可否ではなく、実行する上で負う事になるリスクの大きさ。
 失敗すれば戦闘参加者全員の命とその次元世界に住む全ての生物が消滅する。成功したとしても、誰かが死傷する可能性は決して低くは無い。
 それは、今この場でリインフォースが行おうとしている行為とどれほどの差があるというのか?
 防御プログラムとの戦闘は誰も失わない可能性がある、と言えば聞こえは良いが実質的には不可能だろう。
 今回は圧倒的な火力であっさりと消滅させたように見えるが、実際には薄氷を渡るのに近い行為だ。出現地点が町中であれば全力を揮うことすら侭なら無い。メンバーが揃えられない可能性もある。何より、防御プログラムを消滅させるのに不可欠である魔導砲アルカンシェルは気軽に使用出来るものでは無いだろう。

 リインフォースは口を噤んだ恭也を見て苦笑を漏らす。
 論破されて尚、怯む事も、戸惑う事も無く、傷だらけの体を引きずりながら眼光を揺るがせない、その姿を。

 やはり、いくら言葉を重ねてもこの男は止められないか。

 予想は、していた。
 誰に言われるまでもなく恭也は理解していたのだろう。状況も、リスクも、成功する可能性の低さすら。だからこそ、すぐにでも体を休める必要があるにも関わらず、アースラに収容されても奔走していたのだから。
 いや、例え今指摘されるまで理解出来ていなかったとしても同じだったのかもしれない。
 周囲の声を聞く柔軟性を持ちながら、それでも一度決めたことは貫き通す奴だ。

「どうしても、諦めてはくれないんだな」
「当たり前だ。お前の命を代償に生かされるなど、御免被る」
「お前達の命を代償に生かされる私はどうなる?」
「知ったことか」
「身勝手な奴だ」

 リインフォースが溜息とともに僅かに恭也から視線を逸らした瞬間、樹に寄りかかっていた恭也が爆発する様な勢いで迷う事無くリインフォースへと突進した。リインフォースが魔法陣から出れば儀式が崩れる。その言葉が聞こえていたのだろう。
 だが、形振り構わず彼女を弾き出そうと最短距離を弾丸の如く駆ける恭也に、周囲の空間から幾つもの光の鎖が絡みついた。

「ガァッ!?」

 バインドは外観通りの鎖の形状を持ちながら、その凹凸が肌に食い込む事は無い。だが、猛烈なスピードを瞬時にゼロにされたため壁にぶつかるのと同等の衝撃が恭也を襲い、その口から苦悶が漏れた。
 瞬く間に終結したその一連の事態に対して、はやては理解が追いつかず、なのはとフェイトは驚き、ヴォルケンリッターは眉を顰める。

 魔力の枯渇した恭也には最早抗う手段が無い。
 予備知識を持たないはやては、その考えから恭也が何か行動を起こすとは思っていなかった。
 だが、そんな筈が無いのだ。
 意識を失っていない恭也が諦めることなど絶対に無い。それに、恭也の戦闘は魔法を主軸においてはいない。
 しかし、だからこそ、原因が負傷か疲労かまでは分からないにせよ、樹に寄りかからなければ体を支えられない状態では大した行動は取れない。なのはとフェイトはそう思っていた。
 ブラフなのだ。
 確かに左手は折れていた。頭部を負傷し派手に出血もしていた。人前で意識を失ったばかりなのだから、疲労も半端なものではなかっただろう。
 だが、意識を保っている恭也が疲労の度合いを計れる要素を親切に見せてくれる筈が無いのだ。

277小閑者:2017/11/19(日) 11:17:32
 例え、たった一歩踏み出す事すら出来ないほどの疲労であろうと、恭也は涼しい顔をしてみせるだろう。左腕を見せているのも、頭部の出血を隠さないのも、それらに見合うほど疲労していると、まともな戦闘行動が取れないと思わせるためのアピールに過ぎない。
 疲労や負傷を隠して警戒させるより、それらを見せることで油断を誘おうとしたのだ。…そうせざるを得ないほど、追いつめられていたのだ。恭也とリインフォースを結ぶ直線上にディレイ型のバインドが設置されている事を予想出来ないほどに。あるいは、予想して尚、真っ直ぐに突進する事に賭ける事しか出来ないほどに。
 全貌を正確に察したヴォルケンリッターの4人は、バインドに縛り上げられ身動きの取れない恭也の姿に、その状態で尚抗おうとする姿勢に哀しみに眉を下げた。


 恭也の動きを封じたリインフォースの顔には、捕獲に成功した喜色は勿論、失望も悲哀も表れていなかった。
 酷く透明な表情をしたリインフォースが身動きの取れない恭也へとゆっくりと歩み寄り、魔法陣の縁で恭也と正面から向かい合った。

「私は魔導書。意思など持たない、ただの道具だ」

 リインフォースの言葉に恭也の視線が斬りつけるほどに鋭くなる。だが、恭也が何かを言う前にリインフォースが穏やかに微笑んだ。

「それなのに、わが主は私を家族と仰られた。
 道具では無いのだと、一人の人間なのだと」

 左手を伸ばすと血塗れの恭也の頬をなぞる。
 慈しむ様に。
 惜しむ様に。

「だから、私は意志を持って行動する事にした。
 私も、私がしたい事を、したいようにする」

 それは恭也の言葉だ。
 恐らく、彼にとって大切な言葉。何処かの誰かへの誓い。
 恭也が顔を顰める様を見たリインフォースは楽しそうに微笑むと、再び微笑を穏やかなものに戻した。

「私は、命を賭して、我が主を守る。
 誰にも邪魔はさせない。
 もしも、それが理由でお前の負担が減ったとしても、それはただの偶然だ。気に病む必要など何処にも無い」

 そう告げると、リインフォースの頬を涙が伝う。
 嬉しいのか、悲しいのか、悔しいのか。
 はやてには彼女の涙の訳を表情や台詞から読み取る事が出来なかった。

 リインフォースは恭也の頬に添えていた左手を離すと、恭也の血で赤く染まった指で自分の唇に紅を差した。
 雪の様に白い肌にルビーの如き真紅の瞳と文字通り血の紅さを持つ唇は、リインフォースの美貌を壮絶なまでに引き立たせる。それでいて、穏やかで儚げな表情と流れる涙が、その鮮やかなコントラストとは裏腹に周囲の静けさに溶け込む様なとても自然な印象に変えていた。

「恭也。
 助けられてやれなくて、すまない。
 だけど、助けようとしてくれた事は、嬉しかった。
 ほんとうに、嬉しかったよ」

 リインフォースはそう告げると、魔力の鎖に絡め取られながらも険しい表情のまま睨み据える恭也にそっと唇を重ねた。





 誰一人として声を上げるどころか、身動ぎして衣擦れの音をさせる事もない。
 永劫の様な刹那の後、ほんのりと朱に染めた顔を静かに離したリインフォースは呆気に取られて目を見開く恭也を見て、口元を綻ばせた。

「フフッ。
 私からの礼だ。
 返品は受け付けない。何せ私の“初めて”だからな」

 楽しそうに、あるいは、恥ずかしそうに。
 恭也の赤く彩られた唇から視線を逸らす。

「それでは、主はやて、守護騎士達、それに小さな勇者達。
 ありがとう。そして―――さようなら。
 …出遅れて後悔する様な事だけは無いように」

 硬直している一同が正気付く前に別れのあいさつと焚き付けの言葉を残して、リインフォースは空へと還って行った。
 リインフォースの消滅と同時に恭也を絡めていたバインドが解けると、糸の切れたマリオネットのように恭也の体が純白の雪の上に静かにくず折れた。






     * * * * * * * * * *

278小閑者:2017/11/19(日) 11:24:13
「…お?
 目ぇ醒めたみたいだな。
 大丈夫か?恭也」

 声を発する事も無く、僅かに目を見開いた恭也に目敏く気付いたヴィータが声を掛けるが、恭也から反応が返る事は無かった。
 寝起きとは言え、初めて見るどこか呆けた恭也の様子に心配になったヴィータがそのまま覗き込む様に顔を近付けると漸く反応が返ってきた。ただし、仰向けのままベットを這いずって距離を取るという、ヴィータが想像もしなかったものだったが。

「あぁ?
 人が心配してやったってのに、なんだその反応は?」

 頬を引き攣らせながら恭也を睨みつけるヴィータだったが、恭也の頬が赤みを帯び、握られた左手が口元に寄せられている事に気付いた時点でそのリアクションの意味を悟り、顔を真っ赤にして思い切り動揺した。

「な!?
 ちっ違うぞ!
 今のは本当に様子を見ようとしただけで、キ、キスしようとかそういう」
「ヴィータ?」
「ヒッ!?」

 誤解を解こうとあたふたしながら言葉を重ねようとしていたヴィータは背後からの呼びかけに背筋を伸ばして固まった。物理的に背中に突き刺さっていると錯覚するほどの圧力を持った3対の視線に、歴戦のベルカの騎士が恐怖のあまりピクリとも身動き出来ずに赤かった顔を蒼褪めさせる。
 そんなヴィータの窮地を救ったのは事の発端である恭也だった。

「…はやて?
 高町とテスタロッサもか?
 随分殺気立っているが何かあったのか?」

 完全に他人事風味の発言ではあったが、目覚めたばかりで状況の分からない恭也には無理も無いだろう。状況を把握していたとしてどれほど内容が変わっていたかは不明だが。
 今度は3人娘が動揺する番だった。

「え!?」
「な、なんもあらへんよ!」
「そ、そう!恭也がなかなか目を覚まさないからちょっと心配してただけだよ!」
「む?
 そうか、すまんな。
 ここは…、病院か?」

 何とか誤魔化せた事に胸を撫で下ろす。
 実は3人ともヴィータの行動が恭也を心配していただけである事は理解していたのだが、ヴィータの行動がリインフォースの姿に重なった瞬間、反射的にヴィータを威嚇してしまったのだ。
 3人が声に出す事無く、視線とジェスチャーでヴィータに謝罪していると、シグナムとシャマルが揃って病室に入ってきた。
 コソコソと遣り取りをしている4人を気に留める事無く黙りこんで何事か考えに耽っていた恭也が何気なくシグナム達を一瞥し、思わずといったように話しかけた。

「何かあったのか?
 2人とも心なしかやつれている様に見えるんだが…」
「あ、あはは…」
「大した事じゃない、と言っては拙いんだろうな。
 石田先生にお叱りを受けていたんだ」
「お叱り…?
 あー、スマンが状況を整理して貰えないか?
 起きたばかりで、何故ここに居るのかも分かってないんだ」
「分かった。
 では、お前が意識を失う直前から」
「そこは割愛して下さい」

 恭也の申し出に応えるために全員が来客用のパイプ椅子に座った事で、慌しかった場が漸く落ち着いた。

 昨夜ははやてが仮面の男達に転移させられたため、病院側から見たら無断外泊になってしまった事。
 当然、病院では大騒ぎになり、八神家にも何度も電話を掛けていた事。
 リインフォースを送った後、帰宅して病院からの留守電で漸く事態に気付いた事。
 恭也の負傷を魔法で治療したが目を覚まさなかったため、そのまま病院に連れてきた事。
 病院には、寂しがるはやてを想うあまりシグナムとシャマルが黙って連れ出してしまったと説明した事。
 事情を知らない恭也が街中を駆けずり回ったため昏倒してしまったと説明し、はやての病室に簡易ベットを用意して休ませて貰えるようにした事。

 シャマルが順を追って説明している間、病室は静かな空気に満ちていた。時折、恭也が疑問を挟んでもそれが変わる事は無かった。

279小閑者:2017/11/19(日) 11:28:32
 悲痛、と言う訳ではない。厳粛、と言うのは大袈裟だろう。
 ただ、静かに故人を悼む恭也に引き込まれ、一通りの説明が済んだ後も誰も口を開く事が出来ずにいた。
 シャマルは、八神家で恭也の境遇が判明するたびに沈み込む一同の気持ちを切り替えるために率先して行動するのが、一番辛い筈の当事者である恭也だった事を思い出す。こんなところでも助けられていたのだと改めて気付かされて眉を顰め、今回こそはと顔を上げるが、結局口火を切ったのは恭也だった。

「リインフォースは、納得出来たと思うか?」
「…さあな。
 結局のところ、こればかりは本人に聞く以外には想像する事しか出来ないからな」
「シグナム…」

 シグナムの突き放すような言葉に、シャマルが呼びかけながら咎めるような視線を向ける。
 シグナムは5つに増えた非難の視線に苦笑を浮かべながら、1人だけ感情の篭らない恭也の目を見つめ返して言葉を足した。

「だが、お前には最後にあれだけの笑顔を浮かべていたあの子が納得していた様には見えなかったか?
 あるいは、お前があの子の立場だったら納得出来なかったか?
 お前の想像したその結論は、決してお前自身が罪の意識から逃れるための都合の良い言い訳などではない。
 私が保証しよう。それでは不服か?」

 シグナムの言葉を受けても無言のまま視線を返していた恭也が目を伏せた。
 そうする事で、無表情に見えた先程までの恭也の顔が張り詰めたものだった事に漸く気付く事が出来た。
 恭也は不安だったのだろう。
 最早、彼がどれほど自分の都合の良い理屈を並べて勝手に納得したとしても、リインフォースには否定する事も反論する事も出来ないのだから。

 シグナムには恭也の不安が分かっていたのだ。同じ剣士として共感出来る面が多いという事だろう。
 流石はヴォルケンリッターを纏める烈火の将。

「まあ、最後にキスして逝くくらいだ、好意的だったと解釈する以外にあるまい」

 前言撤回!普通、この場面でそれを蒸し返すか!?
 シャマルとヴィータが異質な者を見る眼差しをシグナムに送っていると先程を上回るプレッシャーが発生した。2人には怖くて発生源を確認出来ない。確認するまでもない、とも言える。
 高まった圧力が防壁を決壊させるよりも早く、動揺を隠しきれない恭也が抗議の言葉を発した。

「ちょッ!お前、その話題を今出すか!?」
「アッサリと唇を許していたんだ、恭也も満更ではなかったんだろう?」
「バッ、そんな筈あるか!身動きが取れなかっただけだ!
 そもそも、普通あの状況であんなことするか!?」
「まあ、感謝の印というのもあったんだろうが、心残りを作りたくなかったなかったんだろう」
「俺の意思は!?」
「そんなこと言うて、ホンマは役得やったとか思とるんと違う?」
「なっ!?」
「そういえば恭也は夢に取り込まれる前にあの人に抱きしめられてた時も大人しくされるがままになってたよね」
「テスタロッサ、誤解を招く様な発言は禁止だ!
 あれは動きを封じられていたんであって、決して喜んでいた訳じゃない!」
「フンッどうだか!
 男の子はみーんなリインフォースみたいに美人でおっぱい大きい子が好きやから心ん中では喜んどったんやろ?」
「ちょっと待て!
 そんな十把一からげみたいな扱いは納得いかんぞ!」
「じゃあ、恭也君は違うのッ!?」

 頬を膨らませて上目遣いで睨んでくる3人娘に、恭也が声高らかに主張する。

「当たり前だ!
 確かに、あいつは美人だったさ!
 胸だって抱きしめられたら顔が沈むほどボリュームがあった上に物凄く柔らかかったよ!
 それでいて、バランスおかしんじゃないの?ってほどウエストは細かった!
 性格だって多少過激なところはあったけど、一途で優しかったんだ!
 何処に文句がある!?」
「思いっ切り肯定しとるやんけ!!」
「おお!?
 いやいや、リインフォースに文句を付ける積もりは無いと言いたかったんだ!
 俺が問題にしてるのは、キスするならもう少し順序と言う物があるんじゃないかということだ!」
「恭也君、さっきと言ってる事、違うよ!」
「馬鹿な!?高町のツッコミだけは的外れになると信じてたのに!」
「そんな信頼のされ方、嬉しくないよ!」

280小閑者:2017/11/19(日) 11:29:39
「話が逸れてるよ!
 結局、恭也も胸がおっきい子の方が好きなんだね!?」
「それも本題じゃなかったろ!?」
「大事な事だもん!!」
「フェイトちゃん、その気持ちはメッチャ分かるねんけど今は後回しや。
 恭也さん!結局、恭也さんはキスされたり、抱きしめられてあのおっぱいに顔を埋めた事を喜んどったちゅうのを認めるんやね!?」
「どうしてそうなる!?」
「じゃあ、リインフォースとのウレシハズカシな諸々の出来事を忘れる、言うんか!?」
「…忘れる?」

 恭也が滑らかに進む掛け合いを途切れさせた。
 唐突な変化に戸惑う一同に気付く事無く、視線を彷徨わせた恭也が不意に言葉を零した。

「忘れてなど、やるものか…」

 病室に静寂が満ちる。
 その反応で漸く自分がどの様な態度をとったのか気付いた恭也は、誤魔化す様に前髪を掻き揚げながら1つ溜息を吐くと立ち上がった。

「どうにも詰めが甘いな。
 悪いが、外すぞ?繕うほど泥沼に嵌まりそうだ」
「…ああ」

 シグナムの返答に背中を押されるようにして退室する恭也へ、声を掛けられる者は居なかった。
 扉が閉まると後ろめたさを誤魔化すように髪を掻き揚げながらシグナムがポツリと呟いた。

「話を振ったのが裏目に出たな」
「…え?
 それじゃあシグナム、さっきの、態とだったの?」
「当たり前だろう。
 多少落ち込んでいても周囲が賑やかになれば気分が晴れるかと思ったんだがな。
 あいつ自身が真っ先に喰い付いて来るとは、いや、即座にリアクションが取れるほどの余裕があるとは思っていなかったんだ。
 軽率だったか…」

 気落ちするシグナムをどうフォローするか思考を巡らせていたシャマルは、なのはやフェイトと一緒に落ち込んでいると思っていたはやてが微笑を浮かべている事に気付いて訝しげに声を掛けた。

「はやてちゃん?どうしたんですか?」
「…え?」
「えっと、なんだか嬉しそうに見えたから…」
「ああ、うん。
 恭也さんの事は心配やねんけどな?
 でも、今は恭也さんが、リインフォースの事、忘れたないって思ってくれてるゆうんが分かってちょっと安心した。
 もう、覚えてる事くらいしかリインフォースにしてあげられる事、あらへんからなぁ」

 はやての言葉にシャマルが目を見張る。
 間違いなく恭也の事を心配していながら、ちゃんと周りを見渡す事が出来ている。
 大人であっても、周囲に居る者を傷付けても気付く事が出来ない様な盲目的な恋に陥る者が少なくないというのに。
 恭也の非常識さに隠れがちだが、はやても決して歳相応の未熟さとは縁が遠いのだと再認識する。

「リインフォースは、…やっぱり恭也さんの事、好きやったんかなぁ?」
「…少なくとも、あたしはあいつが自分からあんな、キ、キスするところなんて見たことないよ」

 単語に反応しているのか、シーンが脳内再生されているのか、頬を染め、視線を彷徨わせながらヴィータが証言した。
 その可愛らしさになのはとフェイトも小さく口元を綻ばせる。

「そうですね。
 恭也は、ある意味、リインフォースに一番近付いた存在だったでしょうから」
「一番って、シグナムさん達やはやてちゃんよりって事ですか?」
「ああ。
 絶対的な主従ではなく、意思を揃えた同郷でもない。
 実力差を恐れて媚びる事も隠れる事も無く、意見をぶつけ合い、相手が正しいと思えば賛同し、間違っていると思えば傷付く事も傷付ける事も厭わずに正そうとする、対等な存在。
 高ランク魔導師の元へ自動的に転送されるあの子にとっては、恭也の様な存在はどれほど望もうとも簡単に得られるものではなかっただろう」

 そう言いながらも視線を伏せるシグナム。
 言葉にしなかった想いを読み取り、シャマルとヴィータも視線を逸らした。

281小閑者:2017/11/19(日) 12:39:23
 リインフォースはずっと孤独だったのだ。
 過去にプログラムの改編を受けた事で、『夜天の魔道書』が『闇の書』と呼ばれるようになる頃には、リインフォースは守護騎士とすら意思を交す事は出来なくなっていた。
 書の管制人格の存在は覚えていても、6割以上の蒐集とマスターの承認なくしては意思を表す事の出来ない彼女とシグナム達が会話出来る機会は極めて稀だったはずだ。
 何より、例え、闇の書の起動から暴走までの僅かな時間に一同が会したとしても、暴走し、転生した時点で守護騎士の4人は記憶の大半をリセットされてしまっていた。
 言葉が交せずとも同じ悲しみや辛さを共有していたなら、リインフォースにとっても多少の慰めになっていたかも知れない。
 自分達の意思とは無関係であったとはいえ、辛い記憶を消去され、転生の度に暴走と言う結末のために奔走する自分達を、目を逸らす事も出来ずに見守り続ける役割を振られた彼女は一体どんな思いを抱いていたのだろうか。
 そして、マスターを殺してしまう結末から目を背けるために縋りついた『はやての願い』を、書の完成から暴走までの僅かな時間に実行しようとするリインフォースに対して『その行為は間違っている』と立ちふさがる恭也の事をどう思っただろうか。
 事情を知らない者が口先だけで正論を吐いていると思えば、苛立ち、憎悪すらしたかもしれない。だが、顕現出来なかったとはいえ、八神家で過ごし、はやてのために奔走する恭也を見ていたのだ。その恭也が一個の存在として“自分”を認識し、実力差に怯えて顔色を窺うこともなくヴォルケンリッターと同様に接してくれた事を思えば嬉しくないはずが無い。
 …だからこそ、文字通り生命を賭して立ちはだかる恭也をその手に掛けてしまう未来に恐怖し、凍り付いていたのではないだろうか。
 リインフォースの苦肉とも言える悲劇の回避手段、『吸収』すら跳ね除け、自力で道を切り開く姿に心を震わせただろう。
 危険を、いや不可能を承知で、それでも『消えるな』と言ってくれた事がどれほどの喜びだっただろう。
 …それでも、消える事を選択するより他にどうすることも出来ない己の悲運をどれほど恨んだだろう。憎んだだろう。哀しんだだろう。
 消滅するその瞬間まで、あれほどの笑みを浮かべている胸の内に、どれほどの想いを秘めていたのだろうか。


 ふと気が付くと、はやてに手を引かれていた。
 ヴィータもシャマルもシグナムも、優しく導かれるままに引き寄せられ、膝を着いて頭を包み込まれるように抱き寄せられた事で、漸く自分が涙を流している事に気が付いた。

「自分の事、そんなに責めたらあかん。
 きっとあの子も、そんな事望んでへんよ。
 …みんな、よう頑張ったな」

 言葉が、染みる。
 もう、嗚咽を堪えるだけで精一杯だった。




続く

282小閑者:2017/11/19(日) 12:45:47
第25話 岐路




 空を覆う厚い雲が日差しを遮り、昼になろうとしているこの時間でさえ辺りを薄暗くしていた。
 曇天により気温の上がらない今なら、あの雲から飽和した水分は間違いなく白い結晶として舞い降りるだろう。
 これからもリインフォースの別れ際を彩った無色無音の装飾を見るたびに昨夜の情景を思い出すのだろうか。
 そんな風に感慨に耽っていた狼形態のザフィーラは持ち上げていた頭を下ろした。
 背中の上で跳ね回る存在から逃避しきれなくなったとも言える。

「…勘弁してくれ」

 どれほど過酷な戦場であろうと漏らす事の無い弱音をザフィーラから引き出したのは、数匹の子犬だった。
 融け切らずに残った昨夜の雪で白く染められた中庭で、地面に伏せるザフィーラを中心にして犬種の違う数匹の子犬が元気に跳ね回っていた。
 どれも首輪を着けているところからすると飼い犬なのだろうが、周囲に飼い主の姿は無い。犬とは違い、この寒さの中、屋外で戯れる元気は持ち合わせていないのだろう。
 今朝の日も昇らない様な時間にはやてと気を失った恭也を担ぎ込んだ時からザフィーラはここに居る。毛皮のお陰で寒さに震える事は無いが、医者からの説教を聞かずに済む代償が今のこの状態では吊り合っているのか疑問の余地が有るとザフィーラは思う。

「モテル男は辛そうだな」
「…そう思うなら何匹か面倒を見てくれ」
「御免被る」

 唐突に背後から掛けられた言葉に平静を装って受け答えながら、ザフィーラは心中で溜息を吐く。
 いつもの事になりつつあるが、この男と一緒に居ると狼としてのプライドが傷だらけになる。
 ザフィーラの音の無い文句に気付く事無く、恭也はザフィーラの正面にあるベンチに腰掛け、即座に子犬の団子に揉みクチャにされる。

「…御免だと言った筈なんだが」
「聞こえなかったんだろう。頑張って説得するといい」

 笑いを含んだ声を掛けるザフィーラを恨めしげに見やりながらも子犬の所業を放置する恭也の様子に、ザフィーラは口を噤んだ。
 どんな対応だったら恭也らしいと言えるのかが具体的に思い描けている訳ではなかったが、それでも、その態度は恭也らしくない様に思う。

 何かあったのだろうか、などと白々しい事を考えている訳ではない。
 無い訳が、無い。
 ただ、だからといって何と声を掛ければ恭也の気が晴れるかが見当も付かなかっただけだ。
 そこまで考えて、ザフィーラは自分の思考に嘆息する。
 はやてやシャマル達にも出来なかったからこそ、病室を出た恭也がこの状態なのだ。自分に気の利いた台詞など、出る筈が無い。
 ならば、無理に慰めるような台詞は逆に恭也に気を遣わせてしまうだろう。そう結論付けたザフィーラは普段通りに話し掛ける事にした。

「これから、どうする?」
「…これから、か」

 途方に暮れた様な力の無い口調が、何のプランも無いことを雄弁に語っていた。
 転移事故に巻き込まれて着の身着のままこの世界に飛ばされて、それが『事故による転移』だと証明されてから2週間ほどしか経っていないのだから当然ではある。そもそも判明してから昨夜遅くに至るまで身の振り方を考える余裕など無かったのだから。
 ザフィーラとて、念のために確認してみたに過ぎない。

 身に付けた戦闘技能こそ非常識なレベルだが、恭也は社会的には未だに何の力も持たない未成年なのだ。この世界で文明的な生活を送るには非常に困難な状況と言えるだろう。
 恭也なら野山を駆け回って生きる事は出来てしまうだろうが、流石に事故に巻き込んだ責任上、管理局がその選択を良しとするとも思えない。
 管理局側の提示する最初の選択肢は元の世界に戻るか、この世界に残るかだ。
 本来であれば戻る手段が見つかった時点で恭也は強制的に送還された筈だ。この世界に来た事事態がイレギュラーなのだから、元の世界に身寄りが無くともそれが道理だ。冷たい言い方になるが、事故さえ発生しなければその状況に置かれていたのだから。
 だが、管理局としては今回の事件で恭也に大きな借りが出来た。

『第一級ロストロギア関連事件であるにも関わらず死者0名』

 その立役者が恭也とされるからだ。
 語尾が未来形なのに断定しているのはリンディが是が非でもそうしてみせるとにこやかに断言していたからだ。これはリンディが『送還方法が見つかった場合に恭也をこの世界に残せる方法』として本人以外に提案し、満場一致で同意を得たものだ。勿論、最終的にどうするかの判断は本人に委ねる事になっているが。
 尤も、恭也には未だに経緯は勿論選択肢すら明示されていない。ザフィーラは恭也が目を覚ましたら最初にその話になると思い込んでいたため確認を取らなかったのだが、提示されたところで即座に結論が出せない事に変わりはないので2人とも気付く事は無かった。

283小閑者:2017/11/19(日) 12:48:46
「無理強いする訳にはいかないが、八神家に残る事も考慮してくれないか?」
「…」

 恭也が視線だけで真意を問い掛けてきたためザフィーラが嘆息する。
 分かっていた事ではあるが、この男は自分自身の評価が低過ぎる。

「知っての通り、主は名実ともに我等守護騎士のマスターだ。
 我等を部下ではなく、家族として接して下さるが、それでも家長として振舞われる。
 本来であれば親の庇護を甘受するべき年齢でありながら、保護者としての振る舞いと責任を全うしておられる。
 それを成せる事は素晴らしい事だが、いつか無理が出る気がしてならない」
「…分からなくはないが、足の麻痺が治れば復学するんだろう?
 学校で友人が出来れば、その心配も杞憂に終わるだろう。
 学校でなくとも、高町やテスタロッサも居るし、月村やバニングスははやてが自力で築いた関係だ。
 俺が見る限り彼女らは至って健全な精神をしているし、人格についても問題は無い」
「分かっている。主が心を許すご友人だ、その点については何も心配はしていない。
 だが、彼女らはあくまでも友人であって家族では無い。どれだけ親身になり、心を許せても、限界はある」
「…突き詰めるなら、親子であろうと“本人”では無い以上“他人”だ。
 その理屈は通らないぞ」
「そこで“俺だって家族ではない”という言葉が出ないなら十分だ」

 その切り替えしに恭也が口を閉ざした。そのままゆっくりと曇天を仰ぐと肺の中の空気をゆっくりと吐き出す。
 尋常で無い肺活量を証明するように宙に吐き出された大量の白い吐息が虚空へと融けて消えるまで無言で見つめ続ける。
 恭也にジャレ付いていた子犬達も一緒になって見上げていたため辺りが静寂に包まれる。
 その静寂を破り、恭也の悲しげな声が響いた。

「お前だけは人を引っ掛けるような真似はしないと思っていたんだが…」
「それは認識を誤ったな。主のためであれば泥に塗れる事も厭わぬのが守護獣というものだ」

 恭也の恨みがましい視線にもシレッと答えるザフィーラはどこか自慢げですらあったが、直ぐに口調を改めて言葉を足した。

「主はお前の前では歳相応に振舞う事が出来るようだ。それがお前を誘う理由ではあるが、恭也、それはお前にとっても同じでは無いのか?」
「…」

 今度の沈黙は先程の演技臭さの混ざらないものだった。
 ザフィーラが性急過ぎただろうかと恭也の様子を窺うが、僅かに逸らされた視線からは何の感情も読み取ることが出来なかった。

「…良いのか?そんな事を独断で決めて」

 恭也がポツリと漏らした呟きは訊ねたことに対する答えではなかった。

「我等守護騎士の総意と受け取って貰って構わない。
 確認してはいないが、主のお考えも、本音は大きく外れていないと推測している」
「そうか…」

 それだけ答えると、恭也は再び口を噤んだ。
 視線をザフィーラから外したまま膝の上でじゃれ付く子犬達を左手だけで構う姿は、途方に暮れた迷子の子供の様にしか見えなかった。




 どれほどの時間そうしていただろうか。
 ザフィーラは音もなく舞い降りる白い粉雪が視界に入った事で漸くそのことに思い至った。

「おい、恭也!早く建物に入れ!」
「…何かあるのか?」

 恭也はザフィーラの言葉とその語調に周囲を警戒するように視線を飛ばすが、その動作すら緩慢であることにザフィーラの焦りが募る。

「そんな薄着で出歩ける気温ではないだろう!
 早く暖房の効いた部屋へ入れ!」

 上着も羽織らずに薄着のシャツだけの格好では当然の結果ではあるのだが、唇を青くしながらも指摘されるまで自分が凍えている事に気付かないとは。
 過剰な評価は捨てた積もりだったのだが、今の精神状態の恭也に対してあまりにも配慮が足りなかった。

「そうだな。
 ほら、そろそろ開放してくれ」

 恭也は緩慢な動きのまま子犬を退かせると、ゆっくりとした足取りで病棟へと向かう。その後姿を見送るザフィーラは己の無力をかみ締めることしか出来なかった。

284小閑者:2017/11/19(日) 12:52:40
 時期に因るものか時間帯の問題か、2階までの吹き抜け構造になっている開放的なロビーは閑散としていた。無人と言っても差し支えない広いロビーに恭也が辿り着くとタイミング良く恭也の右手側から2人の少女が駆け寄ってきた。

「恭也君」
「どうした?高町、テスタロッサ」
「恭也がなかなか戻って来ないから探しに来たんだよ」
「よく見つけられたな?」
「探し始めたらちょうどザフィーラさんが念話で『ロビーに居るはずだ』って教えてくれたの」
「手間を掛けたな」

 気遣わしげな表情のなのはに対して、恭也が頭をぽんぽんと軽く叩きながら素直に言葉を口にした。
 その、らしくない態度になのはは逆に困惑してしまう。

「べ、別にそんなことないけど…
 大丈夫?話し方とか雰囲気が随分違う気がするけど…」
「まあ、な。
 自覚が無いが調子が出ないようだ。
 今日は何を口走るか分からんからあまり構うな」
「調子が悪いなら尚更放っておけないよ…って、恭也君の手、凄く冷たいよ!?」
「ん?ああ、すまん、冷たかったか」
「そんな事言ってるんじゃないよ!」

 謝罪しながら手を引っ込める恭也になのはが口調を強めて詰め寄る。
 普段から言葉遊びで煙に巻くような言動をする恭也だが、今の遣り取りはそうしたものとは違っているように思えた。
 なのはが引き戻そうとする恭也の左手を握り驚きに目を見開いたのを見て、フェイトも慌てて恭也の右手を、次いで頬に手を当てる。

「どうしてこんなに…
 まさか、こんな薄着で今までずっと外に居たの!?」
「フェイトちゃん、兎に角、体を温めないと!」
「うん。
 私、何か飲み物買ってくるよ!」
「そんなに慌てなくても、ロビーは暖房が効いてるから暫く放って置けば温まるだろう」
「ダメだよ!」

 恭也の投げ遣りな台詞にフェイトはおもわず声を張り上げた。
 離れたカウンターに座る看護士の姿にここが病院であることを思い出すと、フェイトは懸命に声を抑えながら、しかし感情の強さを表すように語気を強めて恭也に言い募る。

「今は無理する必要なんて無いでしょ!?
 お願いだからもっと自分を大事にして!」
「…悪かった。頼むからそんな顔をしないでくれ」

 困り果てた様にそう答える恭也にフェイトは複雑な想いを抱く。
 こちらの言葉を素直に聞き入れてくれる事は有り難いのだが、このリアクションはどう考えても平時のものではないだろう。
 それでも聞き入れてくれたことに小さく胸を撫で下ろすと、フェイトはじっと戸惑いを表す恭也の顔を見つめた。

 調子が出ないと言うのは本当の様だ。
 普段の恭也であればそもそも体が冷えている事を気付かせる様な行動は取らない筈だ。先程の反応と併せて考えるなら『調子が出ない』とは『思考がうまく働かない』つまり『隠し事が出来ない』という意味だろうか?
 捻くれた言動であれば困らされ、素直な態度を取られると心配させられるとは。
 いっその事、恭也の事を全て忘れて『赤の他人』になるというのはどうだろうか?
 そんな馬鹿な事を考えつつ、小さくため息を吐くことで、見慣れた者に分かる程度の無表情ではない恭也の見慣れない容貌から視線を逸らす。

 無理です。ゴメンナサイ。

 こんな時だと言うのに、普段と比べて格段に無防備な恭也の顔に顔が赤らむのが自覚出来てしまう。
 どう言う訳か、近頃はふとした瞬間に、恭也の顔を思い出したり、その場に居たらどんな反応をするかを想像したりする事が多くなっているというのに、恭也の事を忘れて過ごすなんて出来るとは思えない。
 なのは以外の人の事をこんなに考えるようになるとは思ってもいなかった。
 そんな事を考えていたフェイトは、自分が失念している事柄に気付いてそれまでの温かくもくすぐったい気持ちが急速に熱を失っていった。
 表情を強張らせたフェイトを怪訝に思ったのか恭也が問いかける。

「どうかしたのか?」
「え!?あ、ごめん!直ぐに買って来るから!」
「いや、別に急かすつもりは…」

 顔を見られないように恭也の声に慌てて駆け出す。

 忘れていた。
 事件が解決した以上、恭也は元の世界に帰るかもしれないんだ。

 決めるのは恭也だ。
 たとえどちらを選んだとしても、それを否定することも反対することも出来ないし、してはいけない。
 そう理解しているからこそ、行き場を失った想いがフェイトの胸の内で渦巻いていた。

285小閑者:2017/11/19(日) 12:57:00
 フェイトが早歩きで自販機コーナーに向かう姿を見送ると、なのはは手を引いて恭也をソファーへと誘導する。窓側のソファーは前庭が見られるように窓に向けて、通路側の物は受付が見えるように逆向きに設置されていたので窓側を選ぶことにした。
 恭也が素直にソファーに座ると、ピッタリと寄り添うようになのはもその右隣に腰掛ける。その距離に恭也が何かを言いかけるが、なのはは機先を制するように恭也の体に抱きついた。

「な!?」
「うわぁ、恭也君ほんとに冷たいよ」
「…ひょっとして、暖めようとしているのか?」
「え?
 うん、冷えた体を暖める時はこうするんでしょ?」
「誰に聞いた?」
「アリサちゃんが持ってるマンガに載ってたんだ。確か、すずかちゃんの持ってるのにも載ってたと思う」
「あいつら…。
 せめて分別のつく相手を選んで渡せよ」

 恭也はそう言いつつ溜め息を吐くと、なのはが顔を赤らめている事に気付かないまま軽く嗜めた。

「年齢的にはまだ大丈夫なのかもしれないが、曲がりなりにも男を相手に気安くこういった真似をするのは感心しない。
 国や風習によっては“はしたない行為”と受け取られかねないからな」
「そ、それは分かってるけど今は緊急事態だもん!」
「大袈裟な…
 俺の方が恥ずかしいから勘弁してくれ」
「じゃ、じゃあせめて腕だけでも」
「む、…その辺りが妥協点か」

 あっさりと同意されたことにフェイトと同じ様に複雑な想いを抱きながらも、なのはは言及する事無く恭也の腕を抱きかかえる。
 座った体勢のお陰で体格差が埋められたとは言え、それでもなのはの目の高さは漸く恭也の肩辺りだ。客観的に見て『しがみつく』と言ったところだろうか?もっとも、それ以前になのはの幼い容姿では色気より微笑ましさの方が前面に出ているのだが。

「うわぁ、恭也君の腕、凄く太いね」
「剣を振っていればこの程度にはなる。兄や父の方が太いだろう?」
「そうなのかな?
 意識したことなかったし、最近はあんまり触る機会なんてなかったから良く分かんないよ」
「そうか」

 そこで2人の会話が途切れた。
 恭也は元々積極的に発言する方ではないので、なのはが話しかけなければ沈黙が訪れるのはいつもの事だ。普段であれば、恭也は勿論なのはも無理に言葉を紡ぐ事はせず、その空気を楽しむ事が出来る。
 だが、今のなのはが話しかけないのは緊張によるものだ。その原因は沈黙に対してではなく、これから恭也に話す内容についてだ。
 今の恭也がかなり不安定であることは先程はやての病室で露見している。この話題は負担を増やす事にしかならないかもしれない。
 それでも、先延ばしにする事は出来ないし、何より万が一にも恭也が誤解している様な事があれば、そのまま決心を固めてしまうかもしれない。それだけは避けたかった。

「恭也君。
 もう、決めた?」
「何を?」
「その、…元の世界に戻るか、この世界に残るか」
「…元々、この世界に来たこと自体が管理局側の携わった事件が原因だったんだ。
 体面上の問題もあるから戻る手段さえ見つかれば強制的に帰されるだろう」
「え…?
 あ、まだ聞いてないの?恭也君が居たいならこの世界に残る事も出来るんだよ?」
「…初耳だ」

 危なかった。思っていたより遥かに手前の段階だったとは。

「望むなら…か」
「うん。
 誰も強制はしないと思う。
 だから、先に言っておこうと思って。
 恭也君がこの世界を選んでくれたらはやてちゃん達も喜ぶとは思うけど、私も恭也君と一緒に居られると嬉しいよ。
 多分、フェイトちゃんも」
「…え?」
「あ、あれ?
 どうしてそんなにびっくりしてるの!?」
「いや、意外だったから」
「ええ!?
 なんで!?私もフェイトちゃんも恭也君と一緒に居ると楽しいし、嬉しいよ!?」
「いや、そっちじゃない。
 俺が選択するまで何も言わずに、帰ると言い出してもそのまま黙って見送ると思ったが。
 高町も俺がそう考えるだろうと思っていたからわざわざ言ったんじゃないのか?」
「まぁ、予想通りではあったんだけど…」
「予想ね。
 兄と反応が同じか?」
「え?お兄ちゃん?
 えっと…、そうだね。お兄ちゃんも大事な事を黙って決めちゃう辺りは恭也君と似てるかな?
 ?どうかしたの、恭也君?」
「なんでもない」

286小閑者:2017/11/19(日) 13:04:24
 なのはの中では高町恭也と八神恭也は完全に別人として認識されているようだ。比較して尚、兄『が』恭也『に』似ている、という表現が自然に出てくる辺り、なかなかの徹底振りである。
 恭也としても、先程の発言が兄と重ねているからこそのものだと思っていたのか、なのはの言葉にいくらか戸惑いの表情が浮かんでいた。

「高町はそういう事をはっきり言うんだな」
「そういう事って…、嬉しいとか一緒に居たいとか?」
「気付けると言う事は一般的ではないと自覚しているんだろう」
「そう、だね。
 元々、あんまり抵抗はなかったんだけど、前に黙ってたのが原因でアリサちゃんと喧嘩になった事があったから。
 それに特に今回は、もしかしたら本当に二度と会えなくなっちゃうかもしれないし。
 恭也君が勝手に『なのは達の傍に居ないほうが良いんじゃないか』、なんて考えてたら大変だもん」

 そう言いながら柔らかく微笑むと、恭也が視線を逸らした。

「えっほんとにそんな事考えてたの!?」
「冗談だ。
 強制送還されると思っていたから何も考えていなかった」
「…それはそれで寂しいよ」

 少しくらいこの世界に留まれる様にリンディに掛け合って欲しかった、と考えるのは流石に贅沢だろうか?

「お待たせ。
 あれ?なのは、暖めてるの?」
「うん、ほんとに冷たくなってるんだもん」
「じゃあ、私はこっち側だね。はい、これ」
「ああ、ありがとう。
 …テスタロッサも抱きつく事に抵抗を感じない口か。
 2人ともあと2・3年の内に認識を改めておけよ?誤解してトチ狂う馬鹿が現れてもおかしくないからな」

 俯く事で意図せずそこはかとなく幸せそうに綻ぶ口元を隠したフェイトと、改めて恭也に擦り寄るなのはに念を押すと、恭也は差し入れてくれた缶のプルタブを開けようとして動きを止めた。

「…そんなに怒ってたのか?」

 ポツリと漏らされた言葉を不審に思ったなのはが恭也の視線を追って恭也の手に包まれたジュースを見て、固まる。

 おしるこ

 おもわずフェイトの顔を確認しようとしたなのはを遮る様に恭也が解いた右手でなのはの頭を軽く撫で、そのままプルタブを開く。

「冗談だ。
 ハラオウン提督にでも勧められたのか?」
「?うん、私はまだ飲んだ事ないけど、凄く美味しかったって。
 恭也はこれ飲んだ事ある?」
「滅多にないな。だが、体を暖めるには向いているんだ。有り難く頂こう」

 そう言って恭也は流し込む様に一気にお汁粉を飲み干した。
 フェイトにしても善意100%の行動だったのだ。惜しむらくはリンディと恭也の味覚に関する嗜好が180度向きを違えていると察する事が出来なかった事だろうか。
 早々にフェイトに教えてあげなくてはとなのはが心に誓っていると珍しく恭也から話題を切り出した。

「そう言えばまだ恩を返していなかったな…
 2人とも何かして欲しい事でも有るか?」
「オンって何?」
「どうやって翻訳してるのか知らないが、テスタロッサは時々不思議なところに疑問を持つな。
 謝礼や迷惑料だと思えば良い」
「恭也君が態と難しい言葉や普段の会話で使わない様な単語を使ってるだけだと思うけど…」
「標準語なんだが…
 まあ良い。それで何か無いか?どんな無理難題でも、とは言えないが、それなりの要望には応じる覚悟がある」
「それってアースラに来てから恭也を助けたお礼って事?」
「そうだ。勿論、直ぐに思いつかないなら保留にして貰っても構わない」
「いいよ、私は恭也にたくさん助けてもらったから、私の方が恭也にお礼をしなくちゃいけないくらいだよ」
「俺が何かしてやった事があったか?
 はやて達については騙した、と言っても否定されたが秘密にしていたのは事実だ。
 医務室で暴れた時には2人とも身を挺して止めてくれた。
 シグナム戦では無理矢理先陣を譲って貰ったし、結界まで張ってもらった。
 夜天の書が暴走した時には戒めや檻を壊してもらった。
 して貰った事ばかりでしてやった事は特に思いつかないが?」
「え、えっと…」
「あ、私はビルの屋上で仮面の人から助けて貰ったよ」
「それでも貸し借りで言えば圧倒的に借りっぱなしだと思うがな。
 直接的な表現に変えようか。
 魔道書の暴走の時にあろうことかトチ狂ってお前達に殺気を叩き付けたうえに、あまつさえ攻撃しようとしたことについて謝罪がしたい。何度自分の腹を掻っ捌いてやろうと思った事か」
「ええ!?ダッダメだよそんな事しちゃ!」
「そうだよ!いくら恭也でも死んじゃうよ!」
「疑問の余地も無く死ぬだろ。そのためにするんだし。
 だが、まぁ自己満足のためにお前達に負担を掛けては本末転倒だからそれはしない」

287小閑者:2017/11/19(日) 13:06:48
 なのはとフェイトが同時に脱力する。恭也の腕にしがみ付いていなければソファーに倒れ付していたかもしれない。
 多分恭也は本気だったろう。自分を律する事に掛けては妥協する様子を見せない恭也ではあるがここまで過激だと正直怖くなってくる。
 恭也が無茶をしないようにしっかり見張っていなくては!
 それぞれがそんな決意を抱いていると恭也が促してきた。

「更に言うなら高町には正気付けて貰ったからな。あのまま勝手に絶望して座り込んでいればはやて達を助けに行くことすら出来なかった。謝罪についても感謝についても何をどれだけ積んでも不足だろう。
 だが、途方に暮れ居ていても意味が無いからお前達にあれに見合う望みを挙げて貰おうと思ってな」

 恭也の申し出に、2人は咄嗟に思い浮かんだ『この世界に残って欲しい』という言葉を慌てて呑み込んだ。
 その選択肢は恭也自身に選んでもらわなければ意味が無い。
 理想論ではない。残留を望めば恭也は承諾してくれるだろうが、恭也の将来を限定するような願いは恭也の命を奪う事とどれほどの差があると言うのか。
 とは言え、なのはには適当な望みが浮かばなかった。この“望み”が恭也に対して相当な強制力を持つ事が分かってしまっては迂闊な事を言える筈がないだろう。
 きっとフェイトも同じだろうと恭也越しに窺うと妙案でも思いついたのか明るい表情を浮かべていた。

「じゃあ、私の事、名前で呼んで貰えないかな?」
「あ!それ良い!
 私も『なのは』って呼んでよ!」
「…いや、呼ぶのは構わないが、あれの対価がそれか?」
「でも、あの時は結局私もなのはも怪我はしなかったもの」
「うん。ほんとの事言うと凄く怖かったけど、怖い想いしたお詫びなら嬉しいことじゃなくちゃ」
「…理屈、か?
 いや、だがあの時の恐怖心と名前を呼ぶ事が吊り合いはしないだろう?そもそも名前を呼ばれるのが嬉しいのか?」
「ちゃんと吊り合うよ。それに納得するかどうかは恭也が決める事じゃないでしょ?」
「それは、そうだが…」

 フェイトの言葉は理屈が通っているが、恭也には屁理屈にしか聞こえないだろう。それでもフェイトもなのはも本当に嬉しそうに微笑んでいるとなれば否定の言葉を重ねられる訳が無い。

「まあ、良いが。
 それより、高ま、なのはは『友達になれ』とでも言ってくるかと思ったんだがな」
「にゃ!?そ、そう?」
「何に動揺して…
 赤くなるほど恥ずかしいなら呼び方戻すか?」
「ダッダメ!絶対ダメ!!」
「分かったから落ち着け。
 で、どうして膨れっ面になってるんだ、フェイト」
「…べ、別に」
「あのな、嫌なら嫌と言え。頬を引きつらせてまで嬉しそうな顔にする必要はないんだぞ?」
「そんなんじゃ、ないもん」

 顔を背けて恭也から表情を隠すフェイト。
 提案したのは自分なのに先に呼んでくれなかったから拗ねている、とは流石に自分の口からは言えない。ましてや、呼ばれた事が想いの外嬉しくて緩みかけた頬を、拗ねた手前無理矢理抑えているなんて知られる訳にはいかない。
 『乙女心は不可解だ』と公言しているだけあって、恭也はフェイトの心の機微に気付いた様子も無く視線を転じる。その先で懸命に平静を取り戻そうとしていたなのはは視線が合った途端、赤面しつつ目を泳がせる。

「会話にならんな」
「にゃ〜…
 え、えーとね?お友達になる話は、その、もういいの」
「ほう。
 意外に諦めが良いじゃないか?」
「別に諦めた訳じゃないよ」
「きょ、恭也が前に言ったんだよ。自分で決めれば良いって」
「そう、だったか?」
「そうだよ。だから私は恭也君の事、お友達だと思ってるし、恭也君もそう思ってくれてるって思ってるもん」
「他人の気持ちまで勝手に決めるのはどうかと思うのだが?」
「恭也ならそう言うと思ってたよ。
 でも、自分が傷だらけでも気絶してる私を気遣ってくれたし、私達に心配掛けたくないからって悪夢に魘されてる事を隠し通そうとしたり、…幸せな夢を振り払って帰ってきてくれたり…」
「さっき恭也君は私達が一方的に助けてるって言ってたけど、そんな事無いよ。そんな恭也君だから私達も何かしてあげたいって思うんだもの。
 だから、呼び方なんて何でも良いの。こういう関係でいられるならそれで十分だよ」

 恭也が天井を見上げた。
 赤みを残した顔で朗らかに微笑む2人に挟まれている為、顔を背けるにはそれしかなかったのだろう。
 2人はそれを察しながらも口にする事無く、抱えた腕をそのままに恭也に寄り添うように凭れ掛かった。
 そうして2人が幸せに浸り、リラックスした瞬間を狙い澄ました様な絶妙なタイミングで声が掛けられた。

288小閑者:2017/11/19(日) 13:10:01
「幸せそうやなぁ」
「にゃあっ!?」
「ひゃあっ!?」

 驚きを座ったまま飛び跳ねるという器用な真似で表現したなのはとフェイトが慌てて振り向くと、車椅子を操作してこちらに近づいてきながらはやてが苦笑を浮かべていた。
 特別に疚しい事はしていない筈だがやたらと恥ずかしい。
 そう思いつつも、なのはもフェイトもそれが自分の腕に恭也の腕を抱えている事に起因しているとは考えていない様で離す素振りは全く無い。
 腕を組んだまま並んで座っているため容易に向きを変えられない3人と向かい合うために、はやては苦笑を深くしながら前に回り込む。するとそれまで何の反応も返す事がなかった恭也と目が合った。
 恭也に驚いた様子は無いが、はやてにとってもその事に意外性は無い。だが、いつから気付いていたのかは不明だが、はやてが近付いてくる事に気付いていながら抱きつかれた腕を解かなかったというのはちょっと意外だ。
 リインフォースを助けられなかったショックで感情が鈍っているのだろうか?などと心配していると本人の口から真相が語られた。

「まあ、“両手に花”というやつだからな。
 もっともこれだけ可愛ければ片手だったとしても嬉しくない訳がないだろう?」
『…え?』
「ん?どうして疑問符が返ってくるんだ?」

 どうやら、はやての言葉を自分に向けられたものと勘違いしての台詞だったようだ。作られたニヒルな笑みも浮かべずに、普段の硬質な仏頂面から力みの抜けた柔らかい素の顔で、サラッと聞き慣れない単語を口にされて思わず聞き返してしまった。

「あ、いや、え〜と…
 恭也さん、今、あんまり冗談とか言えるほど、調子良うないよね?」
「ああ、さっきので懲りた。
 悪いが掛け合いは期待しないでくれ」
「つまり、本心な訳やね…」

 はやてがボソッと呟いた言葉も恭也にはちゃんと聞き取れいてたようだが、言葉の意味までは汲み取れなかったようで僅かに首を傾けていた。
 実際には、冗談が言えないからイコール本心、と言う訳ではないだろう。
 恐らくはやてがここに来る直前の会話を隠そうとしているのではないだろうか?
 普段であれば誤魔化すために場を引っ掻き回すような言動を選択していたところを別の話題に転換するという方法で代用したのだろう。
 だが、そのために恥ずかしい台詞を口にしていては意味が無い様に思うのだが。
 ひょっとして、『2人が可愛いことは周知の事実だから口にしても恥ずかしくない』とでも思っているのだろうか?…有り得る。

 チラッと視線を下げてみる。真っ赤だ。深紅と言っても良いかも知れない。完全に飽和して茹っている。口から魂がはみ出してそうだ。
 それでも恭也の腕を離さない辺り、なかなかの根性である。
 まあ、分からなくも無い。仮に周囲の人から言われ慣れていたとしても、言われる相手によって受ける印象や抱く感情は違ってくるものだ。
 ちょっと羨ま、いやいやいや!
 それよりも、滅多にあっていい事ではないが、恭也がこの状態になったらあまり女の子を近付けてはいけない。そう心のメモに極太マジックで大きく記しておく。
 それにしてもあの芸人風味の言動は本人の趣味でもあるのだろうが、周囲への予防線でもあったんだなぁ。

「ところで、はやて。
 その服、外出でもするのか?」
「え?あ、うん、外出許可が貰えてな」
「外泊許可?昨日の今日で良く貰えたな」
「昨日の今日だからかもしれへんね。
 超恥ずかしい事に、昨日病室で泣いてた事も知れ渡ってるっぽいんよ。それで、今日の検査結果も良好やったからって」
「なるほど。メンタルケアと言うやつか。じゃあ今日は自宅か」
「あ、いや、え〜とな?」
「ん?」

 はやてが言葉を詰まらせた事に不思議そうな表情を浮かべる恭也。
 辛うじて復活したなのはが控えめに手を上げながらおずおずと声を上げた。

「今日はうちでクリスマスパーティをすることになってて、はやてちゃんも来てくれるって」
「なのはの家で?」
「なのは!?」
「どうした、はやて?」

 唐突に素っ頓狂な声を上げるはやてに恭也が会話を中断した。はやてが何に反応したのか分からないのだろう。

289小閑者:2017/11/19(日) 13:12:20
「い、何時から!?
 ついさっきまで『高町』やったやろ!?」
「何を興奮しているんだ?
 つい先程なのはとフェイトを名前で呼ぶ事になってな。
 経緯は、まあ、色々あったんだ」
「イロイロ!?何?何があったん!?」
「秘密だ。想像に任せる。紆余曲折あったと思ってくれ」
「そ、想像に…?
 あ、あかんよ恭也さん!
 ああ、フェイトちゃん逃げて!金髪美人に恭也さんの理性が!!」
「え?え??」
「フェイトちゃん、どうなっちゃうの!?」
「ああ、小学生にそんなことまで…、ケダモノ、人の皮を被ったケダモノがおる…」
「え、え、ケダモノ?」
「どこ?どこにいるの!?」
「はやて、今のメンバーではまともな返しは期待できないからその辺にしておけ」
「あは、そやね。漫談するには2人ともちょう純粋過ぎるかな」
「え、あれ?」
「ケダモノは?」

 話に全く付いていけてないなのはとフェイトに苦笑が漏れる。
 そんなはやてに恭也が微かな笑みを返した。それに気付いたはやては頬を染めて目を泳がせた。

「はやて。
 あまり気を使わなくていい」
「あ〜はは…」

 その会話で漸くなのはにもはやての懸念が理解出来た。家族を失ったばかりの恭也から士郎や美由希の話題を遠ざけようとしたのだろう。

 やっぱり優しい娘だ。
 恭也君が一番辛い時期に一緒に居てくれたのがはやてちゃんで本当に良かった。

「クリスマス…聖誕祭か」
「せいたんさい?あ、えっと、そんなに正式なものじゃなくて、仲の良い友達を呼んで楽しむちょっとしたパーティだよ。
 フェイトちゃんも、あとアリサちゃんやすずかちゃんも来るの」
「そうか」
「恭也君は、…どうする?」
「あの、無理にって言う訳じゃないんだよ?恭也は、その、会いたくないかもしれないし」
「うん。でも、勝手に決め付けるのも、良くないかなって」

 はやてが2人の言葉に驚き、凝視する。
 どちらの表情にも恭也を気遣う気持ちが強く表れていた。恭也の気持ちを汲み取った上で、選択肢を提示しているのだ。
 敵対している組織に単身で潜入する様な無謀な真似を成し遂げられたのはこの子達が居てくれたお陰だろう。
 警察機構である管理局が、現地の一般人を危険に晒す行為を気安く容認する筈がないし、闇の書の被害を最小限に抑えるために事件を迅速に終結したいという思いもあっただろう。本来であれば二重の意味で、魔法についてド素人の恭也が魔法戦に、しかも事件の最前線に参加する事は出来なかった筈なのだ。
 だが、どれほど正論を突きつけられたとしても、必要と判断すれば恭也は絶対に引いたりしない。はやては恭也が『八つ当たり』と称してAランク魔導師3人を自信喪失まで追い込んだ事実を知っている訳ではない。それでも、恭也の無茶や無謀を机上論だけで押さえつければ、それらを振り切るために更なる無茶をする事が想像出来た。

 管理局にいる時に恭也さんと一緒に居てくれたんがこの子らで本当に良かった。

「出欠は今すぐ決めないと拙いか?」
「ううん、後で構わないよ。なんだったら直接来てくれても良いよ。
 6時から翠屋だから、気が向いたら寄ってね」
「そう…だな。では、そうさせて貰う。
 なのは、フェイト、もう十分だ。離してくれ」
「あ、うん」
「恭也さん、うち帰る?」
「いや、独りで色々と考える時間が欲しい。シグナム達に送って貰ってくれ」

 そう答える恭也の儚げな表情に、3人とも返す言葉が見つからない。
 立ち上がった恭也は、そのまま玄関を抜けると雪の舞う寒空へと去って行った。





続く

290小閑者:2017/12/03(日) 12:16:45
第26話 一歩




 舞い降りる粉雪が厚い雲に遮られた日差しと相まって、閑静な住宅街の色彩をモノトーンに染める。
 夕方と言うにはやや早い時間帯。繁華街であれば活気もあっただろうが、外出するには低すぎる気温は、普段から人通りの少ない街路から更に人を遠ざけていた。
 だが、出歩くには不向きな条件ではあったが、人影が皆無という訳ではなかった。
 顔立ちの整った妙齢の女性、なのはの母である高町桃子と、普段の彼女が滅多に浮かべることのない警戒心を露わにした視線の先を背を向けて歩く男性。
 2人は先行する男性に桃子がついていく位置関係でありながら、一緒に歩いていると言うには離れ過ぎ、かと言って探偵の様に尾行していると言うには近過ぎる距離を保っている。
 既に無言の同道は数分を経過しようとしていた。
 やっぱり、遠回りをすることになっても引き返すべきだっただろうか。
 そんな後悔の念を抑えながら、このまま何事も無く少しでも早く次の分岐路に辿り着くことを願う。
 足を速めて男性との距離を縮める訳にはいかない今の桃子にとって、願う事しか出来ることは無かった。



     * * * * * * * * * *



 今夜はそれぞれが親しい友人を招いてのクリスマスパーティだ。
 桃子は主催者として、翠屋のパティシエールとして腕に縒りをかけるべく、朝一番から下拵えに勤しんでいた。普段から手を抜いた事など勿論無いのだが。
 下拵えが済むと一度帰宅し、開始時刻ぴったりに仕上がるように翠屋に向かおうと息子である恭也と一緒に自宅を出た桃子は、タイミングよく降り始めた雪を見てすぐさま踵を返した。理由は勿論防備を整えるためだ。
 呆れた様な視線を寄越す薄情な息子は先に店に向かわせた。一足先に店に向かった夫であり翠屋店主である士郎と共に店のセッティングをするためだ。テーブルの配置換えなど、埃の立つ様な作業は調理の前に行う必要があるため、どのみち桃子の本格的な出番はそれらの後になるのだ。
 桃子は自室に向かう途中でドア越しに美由希に声を掛けた。美由希も気配とやらが読めるらしいのだが、恭也ほど上手ではなく気配の主が誰なのか分からないと聞いているので泥棒と勘違いされないための配慮である。
 尤も、床の軋む音で体重や歩き方が推測出来るから、歩いていれば美由希にも区別が付くとも言われている。“気配”とやらがどんな感覚なのかまるで分からないが桃子は、歩く音って“気配”の内に入るんじゃないの?と問い掛けた事があるが『そんなあからさまな物は含めて考えてない』という答えが返ってきた。音以外の何で察知しているんだろうか、となのはと2人で首を捻ったものだが、その疑問も早々に放棄している。分からないものはいくら考えても分からないのだ。
 とは言え、声を掛けるのは会話によって交流するためであって、識別を目的にした事務的な行為ではないのだ。気配で誰なのか特定出来る士郎や恭也が相手であっても見かければ声を掛けないなんて事はある訳が無い。
 ただし、今回桃子が声を掛けたのは美由希の様子を窺うという意味合いの方が強く、案の定、声が返ってくる事はなかった。その美由希の態度に桃子はこっそりと溜め息を吐いた。
 美由希が返事もせずに部屋に閉じ籠もっている理由が、体調不良の類ではなく拗ねているだけだからだ。
 美由希が拗ねている原因はパーティ開始時刻まで翠屋への入店を禁じた事にある。家族総出で行うイベントから締め出す様な真似をすれば美由希でなくとも拗ねて当たり前ではある。そうは言っても、心を鬼にするだけの理由と必要があるのもまた事実なのだ。
 そして、美由希も自覚と実績があるだけに強く反論する事が出来ず、強行するには父と兄の壁は厚く高い。結果、美由希は不貞腐れて部屋に閉じ籠もっているという訳だ。
 『夕方には拗ねるのにも飽きて出て来るだろう』と冷たく言い放ったのは翠屋に向かった恭也だ。普段は口数こそ少ないものの温和な性分の兄とは思えない辛辣な台詞だ。だが、彼にこんな台詞を口にさせるのにも当然の様に理由があった。端的に言ってしまえば美由希が振り撒く災厄の被害確率が最も高いのが彼なのだ。
 普段はとても仲の良い兄妹だけに、こういった状態は見ていて心が痛む。きっと本人たちも辛いだろう。
 決意を新たにし、心に誓う。一日も早く、美由希の食材を使っての創作行為(決してあれを『料理』と呼んではいけない!)を改善してみせる!
 天井に向かって拳を突き出していた桃子は、我に返ると自室へ向かった。残念ながら美由希を更生させるには時間と労力を要するのだ。言い聞かせて済むほど生易しいものであれば既に改善されている筈なのだから。

291小閑者:2017/12/03(日) 12:17:41
 ちなみに、美由希に備わっている食物を劇物に変換する能力は、判明してから数年が経過しているが、未だに改善されていない。
 美由希が料理に手を出さなければ済むことではあるし、家族からも料理を人に出すことは禁じている。だが、桃子の料理を幸せそうに食べている人達を見て、『自分の作った料理で喜ばせてあげたい』という想いが膨らんでいき、膨らみきって我慢の限界を超えると思わず料理に手を出してしまうのだそうだ。
 剣術に関しては師の言葉を素直に聞き入れて成長してきた美由希ではあったが、こと料理に関しては誰の言葉も届かず暴走してしまうのだった。
 母親として、料理人として、美由希の想いはとても嬉しいのだが、現実が伴わない以上野放しにする訳にもいかない。とは言え、その想い自体は非難するべきものではないし、将来の事を考えれば料理くらいは出来るべきだろう。上手くいかないなら練習して上達すれば良いのだ。
 そんな訳で憧れを抱かせた責任として桃子自ら折を見ては料理を教えているのだが、厄介なことに桃子が監視している場で作らせた料理は普通に食べられる物が出来上がるのだ。

 初めて監視下で調理させた時には出来上がったまともな料理に桃子は首を傾げた。
 監視と言っても一切手も口も出さず見守っていただけなのに、拙いながらも美由希が独力で作り上げた料理は何の問題も無かったからだ。何品か作らせても結果は同じ。
 あの時の劇薬は何かの間違いだったのだろうと気を許した桃子が昼食の一品を美由希に任せて、嬉しそうにやる気を出した美由希と共に調理場に立った。食卓に出すその他の料理を作りながら念のために横目で美由希の行動を見ていたが、おかしな行為に及んでいる様子はなかった。
 少々歪ながらも完成した料理を前に小躍りして喜ぶ美由希を微笑ましく眺めていた桃子は、味見をするように言い渡した。
 特に警戒心が働いた訳ではない。単に調理中に味見をしている姿を見た覚えがなかったため、調理した者の責任を教えただけの積もりだったのだが、素直に応じた美由希が自信満々に料理を口に含んだ瞬間、意識を失った。

 美由希の感性の赴くままに作られた料理に、その誰にも利益を齎さない才能が発揮されると言う事実が発覚した瞬間だった。

 家族総出で介抱した結果、大事に至ることはなかったが、意識を回復した美由希は自信作の味を思い出して悲嘆に暮れた。
 死者に鞭打つ様で気は進まなかったが何故創作などという暴挙に出たのかを尋ねると、『そっちの方が美味しくなって、喜んでもらえると思ったから』という、叱りつけるには少々気が咎める理由だった。
 上達するまで少しづつ料理の基礎を覚えていこう、とやんわりと創作の禁止を伝えて美由希が頷いた事を確認するとその場はお開きとなった。

 だが、喉元過ぎれば何とやら。悲嘆に暮れた数日後には同じ事件が勃発した。ちなみに被害者は兄の恭也だった。
 それ以来、本人にはオブラートに包む事なく『基礎が出来ていないのに創作料理に手を出すな』と口が酸っぱくなるほど念を押しているのだが、『今度は大丈夫!』という何の根拠も無い確信の元、新たな危険物が創造され続けた。
 意識を失うほどの劇物なのだから見た目や匂いを嗅いだ時点で口に入れなければ済むだろうに、という意見は実物と向かい合った事が無い人だからこそ言えるのだ。
 美由希の料理は特に酷い外観をしている訳でもなければ異臭を放っている訳でもない。
 正規のものとは違っていても警戒心を抱かせない程度には料理として整った外観。
 直ぐに味を連想出来ないながらも不快感や不信感を持たせる事の無い不思議な香り。
 美由希の創作物は迷惑極まりない事に、桃子の料理に紛れて食卓に並んでいると発見する事が難しい条件を生まれながらにして備えていた。『味を想像出来ない香り(未知の物質?)』も冷めると嗅ぎ取り難くなるため決定打とは言えないのだ。
 『ブービートラップ(士郎命名)』あるいは簡素に『擬態(恭也命名)』と呼ばれるこの機能は高町家の食卓を(特に桃子が忙しくて料理だけ作って仕事に出ている時に)疑心暗鬼に陥れた。
 桃子が打開策を見つけるまで、かわいい妹(無論なのはの事)を守るために恭也が毒見役として体を張った。彼の被害率が格段に高くなったのはこのためだ。

 せめて被害が広がる事を食い止めるために、自作した物は必ず試食するように、と美由希には言い含めてある。
 だが、(主に周囲の人にとって)不幸なことに、美由希は完成した料理を前にするとそれを食べた人が喜ぶ様を想像して舞い上がってしまい、味見するのを忘れてしまうと言う救いようの無いドジッ娘属性まで持ち合わせていた。
 尤も、欠片ほどの悪意も無いからこそ、喜んで貰える事を微塵も疑っていない美由希は作った物を尋ねれば素直に答えてくれる、という桃子の見つけた打開策が有効になるのだが。

292小閑者:2017/12/03(日) 12:18:49
 再現性が無いにも拘らず同レベルの危険性を発揮する物体を生成する能力と、懲りる事も学習する事も無く裏付けの無い自信に身を委ねて、実現する事の無い妄想を羽ばたかせる精神。
 周囲の全てを不幸にする二つの才能を併せ持つ美由希を思うと桃子は涙が止まらない。
 天は二物を与えないんじゃなかっただろうか?


 閑話休題。
 脱線しつつも予定出発時刻を30分遅らせて完全防寒態勢を整えた桃子は、静かに降り積もる粉雪を眺めながら一人で歩きだした。
 今回降り始めてからさしたる時間は経過していないが、そもそも昨晩から何度かに分けて振り続けているため、町並みは既に雪化粧が施されている。
 雪に彩られた町並みを背景にして舞い散る雪に心を奪われる。
 寒さはあまり得意ではないが、見慣れた景色を情緒豊かに演出する雪が見られるなら悪くないかな。
 そんな事を考えながら跳ねるように歩いていると、視界に映る人影に気が付いた。
 こちらに背を向けて歩いていると言うことは暫く前から一緒に歩いていたことになる。はしゃいで声を上げる様な真似をしなくて良かった、とこっそり安堵した後、その不自然さに思い至った。
 この道は暫く前から一本道だ。脇道はあるが人が通るには向かない程度には細いし、何より脇道から現れたなら目立つので気付かない筈はない。
 だが、ならば一緒に歩き続けていたのかといえばそれも納得し難い。先にあった交差点からここまで500mは歩いているのに気付けないなど有り得るだろうか?
 おかしな挙動をしている訳でもないのに不自然さを感じる人物と同道するこの道は、悪い事にかなり先まで分岐路が存在しない。安全策をとって来た道を戻って道順を変えればかなりの遠回りになる。時間的なロスもさることながら、迂回路を選ぶにはこの気温は少々厳しい。
 自分自身に女性としての魅力がそれなりにある(控えめな表現)事を自覚している桃子は、相応の警戒心も持ち合わせていた。
 だが、必ずしも不審者=変質者でないことも事実であるし、何よりすぐにでも暖房の効いた部屋に入りたい。
 そんな葛藤の妥協点として次の分岐路で男とは別の道を選ぶことにして、不審者の注意を引かないように男の後方を歩いていた。
 そうして息を潜めながら歩き始めた桃子は幾らも経たないうちに男の姿に不自然な点がある事に気付いた。気温に反してやたらと薄着なのだ。
 寒さの苦手な桃子は黒いダウンジャケットの中には厚手のセーターを着込んでいる。更には首元にマフラーを巻き、手には厚手の手袋を着けている。厚手のロングスカートとロングブーツで足元もしっかりカバー。勿論、スカートの中の装備は乙女(!?)の秘密である。
 対する前方の人物は、

 黒い長袖の薄手の生地のシャツと同じく黒いスラックス。以上。

 有り得ない。
 あのシャツの生地が最先端の科学技術の粋を極めた断熱効果を持っているとか、もっと進んで暖房効果付とか言うならまだしも、普通のシャツにしか見えない。
 マフラーは勿論手袋も着けていない。にも拘らず、背を丸める事もなく、ポケットに手を突っ込む事もない。それでいて寒さに体を震わせる様子も無い。
 異常に寒さに強い人なのだろうか?それはちょっと羨ましいぞ。
 だが、それにしても薄着過ぎはしないだろうか?
 頭や肩に被っている雪が融けていないという事は、少なくとも体温は下がっているのだ。寒さに強い人がどういった人種なのかはわからないが、哺乳類である以上、気温の低い環境でも体温を維持出来る人達だと思っていたのだが。
 そんな事を考えているといつの間にか前方を歩いていた男性の姿を見失った。唐突な状況の変化に桃子は驚きに身を強張らせ立ち竦む。
 民家の入り口も細い脇道も無いのに見失うなど有り得ない。だが、幻だったとは思えないし、この場から消失したとも思えない。

 姿を見失った理由が悪意からくるものだとすれば、女として最悪の事態さえ有り得る。
 あるいは命さえも。

 激しくなる動悸と荒くなる呼吸を強引に抑えつけ、目を凝らす。パニックを起こさず対処出来たのは『闘う人』と長く接してきたお陰だろう。
 程なくして再び男の後姿を捉える事が出来た。男性が日陰から出たことで視界に映ったのだ。
 相対距離は変わっていなかった。いや、桃子が立ち止まった分、少し離れたくらいだ。…では、影に隠れていたから普通に歩いていただけの男性の姿を見失った?そんな筈は、無い。
 日陰と言ってもそもそも雪の降るような曇天なのだ。日向と日陰にそれほどの明暗は無い。その僅かな明度の差で見失うなど信じ難い。
 そういえば、以前に美由希が『姿を消せるようになった』と言って実演してくれたが、それと同じなのだろうか?

293小閑者:2017/12/03(日) 12:19:23
 なのはが八神恭也君も似た様な事が出来ると言っていたように思う。という事は、ひょっとして自分が知らないだけである程度運動が出来る人にはポピュラーな技で、偶然居合わせた眼前の人物にも同じことが出来るのだろうか?…いやいやいや、そんな筈は…無いわよね?
 そんな風に自分の常識を疑い始めた桃子が改めて前を向くと、視線が合った。

「高町さんでしたか」
「え?…あ、八神君!?」

 声を掛けられた事で漸くその人物が以前翠屋で会った娘の友人であることに気付いた。
 後姿から息子・恭也に見えれば連想して思い付きそうなものだが、何故か全く気付かなかった。

「どうしてそんなに驚いて…って、気付いていたから付いて来てたんじゃ…
 気付いていたなら声くらい掛ける距離か」
「う、後姿に見覚えがあるな〜とは思ってたのよ?」
「嘘ですね。ご子息に酷似した後ろ姿だと気付いた時点で連想した筈です」
「御免なさい。気付けませんでした」
「勘違いしないで下さい。気付いてくれなかった事を非難している訳ではありません。
 貴方自身の危機感の無さに呆れているんですよ」
「え?危機感?」
「御主人から警戒するよう言われていないんですか?
 貴方のような麗人が昼日中とはいえ人気の無い場所で素性の知れない男に近付くべきではないでしょう」
「れ、麗人って…
 もう、大人をからかうんじゃありません!」

 耳慣れない褒め言葉に思わず頬が染まる。
 娘と同じ歳の男の子の言葉に動揺してどうする、と自身に言い聞かせながら少し顔を顰めて見せるが、遥かに年下の筈の少年の方が圧倒的に視線に篭る力が強い。

「厚着をしているとはいえ、自分の容姿が異性を引き付けるものだと自覚していない訳ではないんでしょう?」
「…はい。
 不用心でした。
 御免なさい」

 淡々とした口調に反してかなりキツイ内容ではあったが、間違いなく桃子の身を案じる言葉だ。親子ほどの歳の差がある相手であろうと無意味なプライドを発揮して跳ね除けて良い物ではないだろう。

 幼い子供…幼い?―――ともかく、娘と変わらない年頃の子供に真剣に心配されたうえ、お説教まで受けた事に軽く凹む。彼の言い分が全面的に正しいので反論の余地も無い。
 続く言葉も甘受するしかないと恭也の様子を窺うと、素直に非を認めたことで十分と考えたのか視線が和らいだ事がわかった。

「…軽視出来る事ではありませんでしたからキツイ言葉になりましたね。言葉が過ぎた事は謝ります」
「え?…あ、違うの!さっきのはホントに私が悪かったんだから!
 だから、その、…そう!心配してくれてありがとうね、八神君」
「いえ、分かって頂けたなら十分です。
 とは言え…さて、どうしたものか」
「え?」
「これからお店ですか?」
「え?あ、ええ、今夜のクリスマスパーティの準備でね。
 八神君は用事があるから来れるかどうか分からないって聞いてるけど、用事が済んだらぜひ来てね」
「はい。
 それより、人通りのある道まで送りますよ」
「え!?
 いいわよ、そんなの。用事があるんでしょ?」
「小言だけ言って放り出す訳にもいきませんよ。通り道でもあります。気にせずどうぞ」
「そ、そう?じゃあ、お願いしようかしら」
「では、少々お待ちを」

 恭也は話が纏まったところで桃子に背を向け道路を渡った。桃子が何をするのかと見ていると、大した助走も無しに軽く跳躍すると2mを超える塀に手を掛けた。と、思う間もなく跳躍のスピードのままに片手で体を引き上げる。
 すごーい、と単純に感心する桃子には、それが一般人には到底真似出来る芸当ではないことには思い至らない。家族の過半数に出来てしまうため、少々感覚が狂っているのかもしれない。
 桃子の感嘆の視線の先で、恭也はその家の庭から道路まで張り出した枝に積もった雪を掴んで降りてきた。何をしているんだろうと眺めていると、掌中の雪を崩して何かを取り出す。
 手品かと思って見直すと、雪だと思っていたものは白いビニール袋だった。取り出した物にもう一度目を戻すと、それは黒い携帯電話だ。何故あんなところにあったのかという疑問を口にして良いのか迷っていると恭也の表情が僅かに曇ったように見えた。

294小閑者:2017/12/03(日) 12:21:10
「どうかしたの?」
「いえ、暫く放置していたせいか故障したようです。
 水はかかっていないと思うんですが、気温が原因でしょうか…電源が入りません」
「う〜ん、私もあんまり機械の事は分からないんだけど、ひょっとして電池切れなんじゃないかしら?どのくらい置いておいたの?」
「2週間ほどです。
 鉛電池は低温状態だと放電し易いと聞いたことはあったが、これも同じなのか?
 …何れにせよこの場ではどうにもならないな。
 お待たせしてすみません。行きましょう」

 恭也に促された桃子は歩きながら恭也の様子を窺った。
 以前翠屋で会った時にはもう少し雰囲気が柔らかかった様に記憶していたのだが、今の彼はほぼ無表情であるため感情の変化が視線からしか読み取れない。
 洞察力に自信があり、表情の変化の少ない息子と長く接してきた桃子でもそれで精一杯という事は、大抵の人には読み取れないはずだ。
 こんな調子で学校生活は大丈夫なのだろうか?
 いやいや、先日は翠屋で女の子に囲まれていたのだから普段はもう少し表情も豊かなのかもしれない。なのは達をからかうくらいのユーモアも持っていると言うし。
 『友達の母親』との対面に礼儀正しく接している、という事だろうか?

「どうかしましたか?」
「…え?
 あ、ご免なさい、じっと見ちゃって」
「いえ、ご子息と似ているそうですからね。珍しいのは分かりますよ」
「そう言う訳じゃないんだけど、…その、寒くないの?」

 咄嗟に誤魔化そうとした桃子は、先程思った疑問を引っ張り出した。
 だが、口に出してみると改めて疑問に思う。同じ空間に居るはずなのに自分と八神君で服装が違い過ぎる。

「鍛えてますから」
「その一言で済ますには無理があるくらい寒いと思うんだけど…」
「『心頭滅却すれば』と言うでしょう」
「あれは暑さを忘れるためのお呪いでしょ?」
「は?マジナイ?
 …あの、『心頭滅却すれば火もまた涼し』というのは別に神頼みや超常現象ではありませんし、字面のまま炎を涼しく感じるものでもないんですが」
「あはは、冗談よ。
 集中すると暑さとか寒さなんかが気にならなくなるってことでしょ?」
「そう解釈している人が多いですが、本来は集中力とかいった精神論とも違うらしいです。
 元は中国の故事です。
 原文は忘れましたが、要は、無念無想の境地に入れば、猛暑の中でも涼味を感じられるという内容だったようです。
 戦国時代のどこかの坊さんが焼き討ちにあって焼死する寸前にこの言葉を残した事で、暑さ寒さではなく、“苦難”そのものを対象にした言葉とされるようになったようですが。
 何れにせよ宗教観を含んだものでしょうね」
「そうなんだぁ、知らなかったわ。
 あ、じゃあ八神君もその宗教を信仰してるの?」
「いいえ、まったく」
「…あのね」

 からかわれたのかと苦笑しながら桃子が顔を向けるが、特に表情を動かす事の無い彼の様子に戸惑ってしまう。真面目な表情のまま嘘を吐いてからかう息子とも違う様に見える。

「思い付くままに言葉を並べたので誤解させてしまいましたか。
 済みません」
「あ、大丈夫よ。別にこれくらいで怒ったりしないから気にしないで」
「そうですか。
 それから、本当に寒くは無いので気にしないで下さい」
「そう?」

 言葉が途切れた。
 会話を嫌っているという印象はないが、表情に変化が無いため言葉を続ける事に躊躇してしまう。わざわざ心配して送ってくれている彼に、気に障るような話を振るのは流石に気が引ける。
 だが、折角の機会なのだ。娘の友人の事を知るためにも出来るだけ会話をしておきたい。
 意を決した桃子は少々踏み込んだ内容を振る事にした。

「…あの、話は変わるんだけど、前にお店に来てくれた時も思ったんだけど、こうして話してると八神君凄く大人びてるわね」
「そうですか?」
「うん、少なくとも私はそう思うわ。
 お店の時はもう少し、その、子供っぽさが残ってる様に感じたんだけど、今は下手したらそこらの社会人よりよっぽどしっかりしてそうだわ。
 あの時は少しはなのは達に合わせてたのかしら?」
「…そんなことはありませんよ。
 ここのところ自分がどうしようもなく子供なんだと思い知らされてばかりいるんですから」

295小閑者:2017/12/03(日) 12:21:54
 表情も視線も声音も揺らがせること無く口にしたのは、ともすれば単なる謙遜と受け取れる様な言葉。
 だが、桃子にはそれが本心の様に思えてしかたがなかった。
 面識がほとんど無い自分が相手だから敢えて感情を抑えているのかとも思ったが、受ける印象が違う気がする。もしかすると、この数日の間に何か辛い事、悲しい事があったのかもしれない。
 そう思ってしまった桃子には、この話題を続ける事は出来なかった。

「…そうなんだ」
「そろそろ店も増えてきましたし、この辺りで良いですか?」
「え?
 …あっごめんなさい。話しに夢中になってたみたい」
「いえ。
 それでは高町さん、今夜はどうなるか分かりませんが、何れまた」
「こちらこそ。
 それは兎も角、出来れば『桃子さん』って呼んで貰いたいんだけど?」
「…勘弁して下さい。
 年上の、しかも既婚の女性を名前で呼ぶ事なんて出来ませんよ」
「むぅ、考え方まで古風なのね。しょうがないか。
 それじゃ、送ってくれてありがとうね、八神君」

 別れ際まで引き摺るべきではない、と明るい声で紡いだ桃子の言葉に軽く会釈すると彼は背を向けて歩きだした。
 結局、今日は彼の子供らしい言動を見ることは無かった。その事に小さく溜め息を吐く。
 人と接する経験の少ない子供は人見知りでもない限り『自分』を隠すという行為をしない。なのはを含め、娘の親しい友人は教育が行き届いているため礼儀作法として年長者を敬う態度を取れる。だが、それは隠す行為とは意図が異なる。
 だから、いかに丁寧に振る舞おうとも感情を表すことのない彼に対して『この歳で礼儀正しくてしっかりした立派な子』という同様の、ある意味単純な感想を持ってはいけないのではないだろうか。
 人は出会いを経験するほど、よく知らない相手と接する時に畏まった態度を取るようになるものだ。
 それが礼儀だから、と言う建前を外してしまえば、相手の気分を害さないようにするための配慮であると共に、悪い印象を持たれて関係を悪くしないための処世術と言えるだろう。
 子供でなくなるほど、初対面から『自分』を曝け出す事を恐れるようになるものだ。
 もしかしたら、彼も年齢に見合わないほどの人生経験を積んできたのだろうか?
 ただし、良好な関係を築くための処世術なら愛想笑いの一つもするはずだ。一切の感情を押し殺して接すれば、一般的な感性を持つ者が相手であればその異質さは警戒心を喚起するだけだろう。
 技能として、口振りや仕草からも感情が読みとれない程自制できる者がいることは知っている。夫の知人として紹介された、護衛任務に従事するSPだ。
 勿論、先程の八神君は流石にそこまでではなかったが、それに準じるレベルではあったと思う。だが、それは今が平時であることを考えれば異様なことだ。もしかしたら、彼もその気になればプロのSP並みに一切の感情を押し隠すとことが出来てしまうのかもしれない。

 八神君の言動から受ける印象が子供らしさでも、大人という意味での一般人らしさでもなく、特殊な技能者に最も近いことが何を意味しているのかが分かる訳ではない。
 ただ、そのことで『天真爛漫』という言葉から程遠い位置に居るのではないか?、そんな風には思ってしまう。
 何の根拠もないその考えに、子を持つ親として少しだけ悲しく、遣る瀬無い気持ちを抱えながら、桃子は揺らぐことのない背中を見送った。






     * * * * * * * * * *







 雪を降らせる曇天と、季節と共に早くなる日没が高台にも暗闇を齎す。
 周囲の明度に合わせて点灯した街灯の白い光が雪の白さを引き立たせる。
 リインフォースが空へと還るのに選んだその空間には今、降り続ける雪以外に動くモノはなかった。

「…助けられてやれなくて、済まない、…か」

 この場に足を踏み入れてから身動ぎもせずに広場の中心を眺めていた恭也が、生きていることを思い出したとでも言う様にポツリと言葉を零した。

296小閑者:2017/12/03(日) 12:24:40
「阿呆が…
 何が、嬉しかった、だ」

 頭や肩に積もった雪は、溶けては積もりを繰り返した結果、頭髪やシャツを凍らせていた。下手すれば凍傷になりかねない状態でありながら、恭也にはそれに対処する様子はない。気付いてすら、いないかの様に。

「どうして、罵らない。
 どうして、…助けを、求めてくれない」

 承知していたからだ。
 あの場に居た同胞や書の主よりも。
 居なかった魔法世界の管理者を自称する組織の提督や執務官よりも。
 改善する余地も、覆る可能性も、奇跡に縋る猶予も、何もかもが無い事を、誰よりもリインフォース自身が、一番正確に把握していたからだ。

 不破恭也に、それが理解出来ない筈がない。
 たとえ納得出来ていなかったとしても、理解してない筈がない。

 大切な友達を失った。
 その事実から逃げ出す様に、目を背ける様に、二度と繰り返す事が無い様に、遮二無二、力を求めた。
 そうして得られた僅かな力を圧倒的に凌駕する筈の父親を含めた一族の者達ですら、命を落とした。
 ならば、当然未熟な身に負いきれない事態などごまんと在ると、そんな簡単な理屈が、分からないなどと言うことはあり得ない。

 それでも、出来ないのだろう。
 認める事が、割り切る事が、諦める事が。

「…たわけが…
 助けられなかったんだぞ…」

 恭也を責める者は、一人しかいない。
 今も、昔も。

 はやても、シグナムも、シャマルも、ヴィータも、ザフィーラも、なのはも、フェイトも、リンディも、クロノも。
 ティオレも、アルバートも、士郎も、静馬も、美沙斗も、一臣も、琴絵も。

 空へと還るその時まで、静かに涙を流しながらも澄み切った笑顔を浮かべていたリインフォースも。
 現実の恭也を認識出来なくなり目に映る恭也の姿に恐怖しながらも、眠りに付けば恭也への謝罪を呟き続けるフィアッセですらも。

 誰もが知っているから。
 それまで、恭也がどれほどの努力を続けてきたのかを。
 そのとき、恭也がどれほどの無茶を押し通したのかを。
 そのあと、恭也がどれほどの後悔を抱えてしまったのかを。

 それらを知る、恭也本人以外の誰も、彼を責める事は一度としてなかった。



 誰からも、罪と認められない罪。
 だからこそ、責められる事は無く、だからこそ、赦される事も無い。



 視界一面の雪景色。
 重ねる事で白さを濃くするかの様に、雪は音も無く降り続ける。






     * * * * * * * * * *

297小閑者:2017/12/03(日) 12:28:16
 玄関のドアが閉まる音を聞いてソファーに体を沈めて物思いに耽っていたシャマルが顔を上げた。
 シャマル以外に誰も居ない八神家は当然物音一つ響いてはいない。いくら扉越しとは言え、無造作に開閉していればあれほど小さな音で済む筈は無い。そして、八神家には平時に意図してドアの開閉音を小さくする者は一人だけ。ならば、ドアを潜ったのが誰であるかなど明白だ。
 シャマルは玄関に繋がるドアを開けると、暗がりに居た他意も無く物音を立てずに行動する人物に声を掛けた。

「お帰りなさい、恭也君」

 シャマルは呼び掛けに視線だけ返した恭也の様子に、何とか表情を取り繕う。
 最後に会った病室での様子より、そしてシャマルが想定していたよりずっと酷い状態に見える。事前に表情を変えないように心構えをしていなければ取り乱していただろう。

「外、寒かったでしょ?早く部屋で暖まった方が、って、どうしたのその格好!?」
「…?」
「頭も肩も凍り付いてるじゃない!ホントに気付いてなかったの!?
 って、言ってる場合じゃないわね、早く上がって!ええっと…、あ、お風呂が良いわねっ。兎に角、その雪と氷を融かさなきゃ!」

 シャマルが捲くし立てながら手を引くと、恭也は何の抵抗も無く後に続いた。
 その従順さにシャマルは不安が募る一方だが、目前の事態への対処は必須事項だ。
 不安を押しのけて恭也と一緒に浴室に入ると、椅子に座らせて冷え切った体が痛みを感じないようにぬるま湯に設定したシャワーを服の上から浴びせ掛けた。
 次に凍りついた服を脱がそうとして、即座に断念。大急ぎで裁ちバサミを取ってくると、恭也を傷付けない様に注意しながら服を切り裂き上半身を裸にする。

「お湯、もう少し熱くするけど大丈夫?」
「…」

 お湯や服を脱がせた事への反応も、問い掛けへの返答も無い事にシャマルが表情を曇らせると、漸く恭也が口を開いた。

「済まない」

 脈略の無い謝罪の言葉に虚を衝かれたシャマルは、理解が追いつかずに短く聞き返した。

「…え?」
「心配を掛けて、すまない」

 それが、今必死に行っている治療に対する言葉だと理解したシャマルは、反射的に叱りつけようとして開きかけた口を辛うじて噤んだ。
 別に、感謝の言葉が欲しかった訳ではない。だが、今の恭也が口にするべき言葉は謝罪ではない筈だ。そのことを諌めようとして、しかし、ギリギリのところで自制する。
 直前に恭也の表情を見た事で今叱責する事が死者に鞭打つのと替わりない事に気付いたからだ。
 シャマルはそのまま答えを返す事無く、治療するため、そして恭也の精神状態を察するために注意深く観察を続けた。
 頭皮は問題ない。かなり冷えているが髪の毛が雪や氷を皮膚から遠ざけてくれているし、空気の層を保っている事で断熱材としても作用している。深刻な状態にあるとすれば肩の方だろう。

 地球上の物質の多くは温度が上がれば膨張し、下がれば収縮する。しかし、水はこの法則に従わない。液体と固体の状態では摂氏4℃で最も体積が小さくなり、密度が大きくなる。だからこそ、4℃より低温の氷は体積が大きくなるため水に浮くし、凍りついた水道管は破裂する。(氷は水よりも分子の結合が強いため温度による体積変化が小さい。そのため極低温になった氷も水に浮く)
 この水道管が破裂する現象は動物の細胞でも同様に発生する。凍った肉や魚の切り身を解凍すると染み出してくる肉汁は、水分の膨張で破れた細胞膜から溢れた細胞液だ。上手く解凍すればそのまま生きていられる生物の最も基本的な構成単位である細胞も、細胞膜が破れてしまえば死んでしまう。
 体を構成している細胞がいくつか死滅しても母体である生物が死ぬ訳ではない。実際に体中のあらゆる組織の細胞は死滅と生成を繰り返しているのだ。
 だが、それが一つの組織を構成する細胞が一度に死滅したとなれば話は別だ。切断された四肢が再生しない様にその部位を永遠に失うことになる。
 そうなればその組織そのものが機能を維持出来なくなり、それが重要な器官であれば母体そのものが死んでしまう事もある。
 凍傷の場合、一般的に末端である鼻や耳、手足の指から発症するため余程広範囲まで進行しない限り生命活動に支障が出るようなことにはならない。
 ただし、細胞が壊死すると生きている細胞にとって毒素となる成分が発生するため切断しなくてはならなくなる。
 それは身体能力が戦闘能力の全てと言える恭也にとって、そして剣術を生業とする者にとって致命的とも言える状態だ。

298小閑者:2017/12/03(日) 12:30:49
「よかった、これなら普通の手当てでも回復出来るレベルだわ」

 シャマルが恭也にも聞こえるように診断結果を口にしても反応する様子はなかった。
 今回の凍傷は下手をすれば肩の肉を、連動して両腕を失う可能性があった。それが理解出来ていない筈が無いのに、症状が軽度であるという言葉にも無反応とは。
 シャマルが回復魔法を起動しながらも眉を顰めて視線を落とす。
 昼間にはやての病室を去る時にもここまでではなかったはずだ。あの後、何かがあったのだろうか?…それとも、なけなしの精神力で覆い隠していただけで、あの時点で既にここまで傷付き疲れ果てていたのだろうか?

「…助けられなかった」

 シャワーの音に掻き消されそうな、か細い声がシャマルの耳にも辛うじて届いた。弾かれた様にシャマルが顔を上げると、恭也は前を向いたまま神に懺悔するかの如く呟き続けた。

「…はやてを助ける事は出来た。
 たくさんの協力者が居たとはいえ、それだけでももの凄い幸運だとは分かってる。
 更には、貴方達まで助かったのは奇跡以外の何物でもないんだろう。
 …だから、これ以上を望むのは贅沢だし、ただの無いもの強請りだ。
 それは、分かって、いるんだ」

 顔を上げた恭也の目尻から水滴が頬を伝う。
 まるで、涙の様に。
 あるいは、流す事の出来ない涙の代わりとするかの様に。

「…それでも、助けたかった」
「恭也君は十分に頑張ったわ!」

 シャマルは恭也の言葉を遮る様に声を重ねると、濡れるのも構わず恭也の横顔を胸元に包み込むように抱き寄せた。
 小さな衝撃で壊れてしまうガラス細工を守ろうとする様に抱きしめたまま、恭也の心に届きますようにと祈りながら、必死に言葉を紡ぐ。

「貴方の所為ではないの。
 あの場に居た誰にも、管理局の人達にだってどうする事も出来なかった。だから、リインフォースはあの結末を受け入れたの。
 主のためなら、はやてちゃんのためなら、どれだけ辛い出来事でも耐えられる事が私達の誇りよ。その私達が以降の奉仕を放棄するという選択肢を受け入れるしかなかった。他にどうする事も出来なかった!
 責任があるとすれば、ずっと魔法に携わってきたのに何の対抗手段も持ち得なかった私達にこそあるわ!
 …恭也君は何も悪くないの。何の責任も無いの」
「…責任なんて、知らない」

 恭也が漏らした荒げた訳でもない小さな呟きにシャマルの言葉が途切れた。
 胸の中の恭也の顔に表情は無く、何処かへ消えてしまいそうなのに、か細い声だけはシャワーの音にも紛れること無くシャマルの耳に届く。

「今更誰がどう責任を取ったところでリインフォースが還って来る訳じゃない。
 どんな事をしてでも助けたかったんだ。それなのに、俺の持っているどんなものを差し出してもあいつを救い出すには足りなかった。
 どう言い繕ったとしてもその事実は変わらない。

 だから、
 俺は、八つ裂きにしてやりたいほど、俺が憎い」

 殺意も、怒気も、憎悪もそれどころか、感情らしい感情も籠もらない呟きにシャマルは身を竦ませた。

 このままでは、いけない。
 何とかしなくては、きっと、恭也を失ってしまう。
 だが、自分の言葉では恭也に届かない。



 なんて無力なんだろう。
 抱きしめる手に力を込めて、必死に涙を隠し続ける事しか出来ないなんて。






     * * * * * * * * * *

299小閑者:2017/12/03(日) 12:32:28
「なのはもすっかり恋する乙女ね〜」

 間もなくクリスマスパーティを始めようという時刻。
 オーブンの焼き上がりを待つだけになった桃子がキッチンから顔を出して、カウンターの内側に居る夫に語り掛ける。
 視線の先に居る話題の人物である愛娘は友人との談笑の合間にちらちらと入り口のドアへ視線を泳がせている。
 声を掛けられた男、桃子の夫にしてこの喫茶翠屋の店長を務める高町士郎は撫でるように顎に手をあてながら、なのはの様子にいくらか困惑しながら言葉を返した。

「…う〜ん、下手したら親しくなった男を『異性』じゃなくて『大事な友達』としか認識せずに一生を過ごすんじゃないかと心配してたくらいなんだが」
「あら?
 『なのはは誰にもやらん!』とかやらないの?」
「あのなぁ、桃子。
 …そりゃあ、馬鹿な男に騙されそうになってるってんなら反対もするだろうけどな?
 なのははのほほんとしてるようで人を見る目はしっかりしてるから滅多な事にはならんだろ。
 多少うだつが上がらない男だとしても好きになった相手と一緒になった方が良いに決まってる」

 9歳の娘の結婚相手を心配するのは流石に気が早過ぎるだろう。
 それでも桃子が揶揄する事はなかった。
 士郎の視線がなのは越しに別の誰かを見ているような気がしたからだ。

 結婚前に一度だけ話してくれた士郎の実家での結婚式と、その時起きた事件。
 路銀が尽きて恭也と共に遥か遠くの地で足止めされたために、知る事も出来なかった事件。
 仮に士郎がその場に居たとしても、きっと阻止する事は出来なかっただろう、と士郎自身が言っていた。死体が2つ増えるのが関の山だった、と。
 それでも、高町士郎が一生悔やみ続けるのは、幸せを掴もうとしていた長く病床に臥せていた従姉弟の存在が大きいのだろう。
 『周りの言葉に踊らされるな。自分の心に正直に生きろ』事ある毎に家族に言い聞かせていた言葉はきっとそこから来ているのだろう。

 桃子の表情から心情を見抜かれている事を悟った士郎は照れ隠しに視線を逸らして話題をひねり出した。
 その態度すら『お見通し』と言わんばかりの視線が背中に刺さる感触を根性で無視する。

「まぁ、好きになったとしても相手が振り向いてくれるかどうかは別の問題だけどな」
「そうなのよねー。
 なのはも桃子さんの美貌を受け継いできっと将来は美人さんになると思うんだけど、それだけで勝ち抜けるほど倍率低くないみたいだし」

 なのはと一緒にテーブルに着いているのは、頻りに時計を気にしているフェイトとやたらと窓越しに道行く人影に反応するはやて、そんな3人を微笑ましく見守るすずかと呆れ顔を隠す事も無いアリサだった。

「…ま、敵もさるもの引っ掻くものってか?
 フェイトちゃんと、え〜はやてちゃん、だっけ?」
「2人とも可愛いものねぇ。
 アリサちゃんやすずかちゃんが参戦してないだけでも好しとするべきでしょうね。この先も『そう』って保障は無いんだけど」
「モテまくりだな。
 そんなにカッコ良いのか?その八神恭也君とやらは」
「恭也似の外見ってだけでもレベル高いとは思うけど、10歳とは思えないほど落ち着いてるのよねぇ。
 良いことなのか悪いことなのかは分からないけど、間違いなく同じ年頃の子と比べたら『大人』に見えるわね。
 あの子の魅力はそれだけじゃないんでしょうけど、少なくとも女の子に興味を持たせるには十分なきっかけになるだろうし」
「ふーん、…雰囲気も似てるのか?」
「そうねぇ…
 恭也よりもちょっと鋭いっていうか、硬いっていうか、そんな感じ?
 …昔の、一番余裕がなかった頃の印象が近いかもしれないわね」
「桃子が会ったのはオープンテラスであのメンバーに混ざってる時だったよな?」
「そのときははやてちゃんは居なかったけどね。
 実は今日ここに来る途中にも会ってるの。人通りの無い道を1人で歩くのは物騒だからって、大通りまで送って貰っちゃった。
 今日は友達と一緒じゃなかったからか特に静かだったわね。口数が少なかったのもあるけど、以前よりももっとこう…張り詰めてたっていうか、…道場で鍛錬してる時の恭也に近い感じ、だったかな」
「そこまで、か」

300小閑者:2017/12/03(日) 12:45:35
 高町恭也の精神は年齢に見合わないほど成熟している。
 9年前に士郎は護衛任務中に負った負傷で長期の入院生活を強いられた。折り悪く妊娠・出産、士郎の看病、更には開店直後の喫茶翠屋の運営と桃子も忙殺されていた時期。その時期に高町家を支える役割を恭也自身が誰に言われることも無く自らに課したからだ。
 遊びたい盛りの10歳児。
 元々剣術の鍛錬を日常的に続けていた恭也は同年代の子供と比較すれば自制することに慣れていた。それでも脇目も振らずに家族のために尽くすという経験は確実に恭也を変えた。
 見舞いで顔を合わせる短時間でも朧気に感じていたその変化は、退院後の生活で嫌と言うほど見せ付けられた。自分は恭也にこれほどの負担を掛けたのか、と。
 常に感情を揺るがせる事無く、平常である事。戦闘者として必要な、幼い子供としては異常な在り方。
 その変化は任務中の負傷を『そういうもの』と割り切っていた士郎に後悔の念を覚えさせるには十分なものだった。

 そんな恭也も転機を迎えた。
 穏やかな表情を見せる事が多くなり、控えめながらも声を上げて笑う事すら見かけるようになった。口数は、まぁあまり増えてはいない気もするが、それでも自発的に雑談に参加するようにはなった。
 それが月村忍という女性を恋人として家族に紹介した時期だったため、桃子となのはは単純に『愛の力だ』とはしゃいでいた。
 だが、士郎は2人の間に起きた出来事が一般的な学生が経験する類のものではなかっただろう事が予想出来た。それは2人の纏う空気と、何より恭也の剣士としての質の変化から感じ取ったものだ。
 恐らく、恭也は“死”を実感するほどのギリギリの戦闘を経験し、その闘いに勝利したのだろう。それは恭也の自信となり、余裕となった。
 それでも恭也が慢心する事が無いのは、きっと守る者が増えた事と、父親の入院した時の体験を反面教師にしているからだろう。
 …勿論、あれほどの美人を恋人に持ってイロイロと経験している事も大きいのだろうが。

 そんな経験を重ねてきた高町恭也と、印象の重なる10歳児。
 在り得る、のだろうか?

 士郎は、容姿など大した問題だとは思っていない。顔の造形など持って生まれたものが大半だ。小学生に見える成人だろうと、壮年にしか見えない高校生だろうと、探せば見つかるだろう。
 だが、雰囲気や印象は経験の占める割合が圧倒的に大きい。
 心の赴くままに奔放に行動する事を抑圧される子供はいる。躾かもしれないし、貧困かもしれないし、虐待かもしれない。だが、それらは自らの意思で行動を制御するのとは別のものだろう。
 また、医療技術の発達した現代の日本では人の“死”に触れる機会は意外に少ない。
 そして、それ以上に死にかけるような経験をする者は少なく、その脅威を自らの力量で跳ね除けられる者は更に少ない。

 更に、運動能力の高さ。
 士郎は引退したとは言え、御神流を修めた身。現役の恭也は勿論、皆伝に至らない美由希にも勝てなくなったが、一般人どころかプロの格闘家を相手にしても互角以上には戦える自信はある。
 だから、『娘と結婚したければ俺を倒してからにしろ!』とかする訳にはいかない、本来であれば。
 可能性は低いがその少年は例外に入るかもしれない。そんな風に会ってもいない少年を仮とは言え高く見ている理由は今のなのはの評価だからだ。
 一年前のなのはは中学生の運動部員の動きにも驚いていた。だが、今のなのはは感心する事はあっても驚くことは無いはずだ。
 今年になってからの、もっと具体的には3年生になってからのなのはは、日を追うごとに所作(運動能力そのものではない)の面でも気配の面でも鋭さが急速に増していった。信じ難い事ではあるが、実戦さえ経験している事は疑いようも無い。その変化の中で、優しさや素直さを失っていないのは奇跡に近いだろう。
 どの様な技能であるかまでは分からないが、恐らくは御神の剣士である恭也に匹敵するほどの力を獲得しているはずだ。そして、そのなのはが少年の実力を絶賛しているのだ。

 洞察力の人並み外れて高い桃子が恭也と印象を重ね、どの様な手段でか恭也に追随するほどの戦闘技能を得たなのはが認めるほどの実力を持った少年。
 桃子もなのはも嘘を吐いたりはしない。だが、それでもこの目で確かめなければ信じることなど出来ない。
 高町恭也の才能は御神の歴史でも間違いなく上位に入る。その恭也が19年掛けて最短のコースを駆け抜けてきた境地に、半分の年月で精神と肉体の両面で追い縋る者がいるとは士郎でなくとも信じ難いだろう。

301小閑者:2017/12/03(日) 12:46:58
「…ま、上手くすれば今日会えるんだ、楽しみにするとしようか。
 それにしてもまさに『恋は盲目』だな。周りの様子なんてまるで見えてない」
「小学生なんだから無理も無いわよ。
 これからいろんな経験していっぱい学んでいけばいいのよ。
 仮に失恋に終わったとしても、若い内なら『女』を磨く糧に出来るもの」
「…桃子も磨かれてきたのか?」
「さあ、どうかしら?」
「むぅ…」
「母さん、焼けたみたいだよ」
「あ、ありがと恭也。
 こっちはもう良いから忍ちゃんの所に行って上げなさい」
「今焼けた奴が…」
「運ぶくらい美由希に任せて上げなさいよ。ホントに拗ねちゃうわよ?」
「…まあ、配膳くらいは平気か」
「そういうこと。じゃあこれ、あなた達の分ね」
「ありがとう」

 雑談の片手間に入れた紅茶をトレイに載せて恭也に渡すと桃子が入れ替わりにキッチンへと引っ込んだ。
 士郎が横目で見やると、こちらの遣り取りが聞こえていた忍が蕾が綻ぶ様な笑みを浮かべていた。目鼻立ちの整った、下手をすれば冷たい印象を与えかねない美貌が、それだけのことで非常に魅力的な女の子へと変貌する。
 それまで、恭也の唯一と言える男友達である赤星勇吾と、美由希が招いた神咲那美と陣内美緒を交えて取り留めの無い話に花を咲かせていた時に浮かべていた笑みだって決して愛想笑いなどではなかっただろうが、やはり恋人に向けるものとは質が違うということだろう。
 良い子に巡り合えたものだ。
 そんな感慨に耽っていると、トレイを持ってフロア側に回った恭也の気配が警戒色を滲ませた。
 以前にからかったことで未だに警戒している様だ。クリスマスにまで無粋な真似をすると思われているとは心外だ。失礼な奴め。

「ほれ、さっさと ―――― 恭也」
「!―――ああ」

 士郎が意識的に口調をそのままにして呼びかけると、恭也も心得たもので動揺を表す事無くトレイをカウンターに置いて店の玄関へ向かった。
 ドアまでの数歩で呼吸と体勢を整え、窓の無い木製のドア越しにそこに立つ人物と対面する。街中で遭遇するにはあまりにも異質な気配を纏うこの人物は恭也の面識の無い相手だ。
 仮にただの来客で無かった場合、この気配の人物の用件が穏当に済むようなものとはとてもではないが思えない。万が一の事態になれば、撃退するのは恭也の役目だ。
 士郎が美由希に非常時用の模擬刀を用意するように指示しているのを視界の片隅で確認した後、恭也はドアを引き開けてそこに立ち尽くしている人物に丁寧に話し掛けた。

「失礼ですがご来店でしょうか?
 申し訳ありませんが、本日は貸切となっておりまして…」

 恭也の言葉が途切れた。
 士郎も咄嗟に言葉が浮かばない。
 限りなく透明な気配を纏い、恭也の声でこちらに顔を向けた自然体で玄関先に佇む人物に目を見張る。言葉では可能性を論じながら、心のどこかである訳がないと否定していた存在が実像を成して目の前にいた。
 御神の剣士としては完全に失態でしかないが、思考が漂白されてしまった。
 早めに引退を宣言しておいて良かった。心のどこかでそんな馬鹿げた思考が流れる余裕があるのは、自分と同じ顔をした不審人物と対面しながらも揺らぐ事の無い息子の背中が見えているからだろう。

「あ!恭也君!」
「え!?」
「あ、あれ!?こっちの道から来るんやないの?」

 少女達の安堵と喜色の含まれた声に恭也が辛うじて警戒心を押し隠して来客を迎え入れた。

「っ失礼。
 確か、…八神恭也君、かな」
「…はい」
「いらっしゃい。楽しんでいってくれ」
「ありがとうございます」

 微かとはいえ笑みを浮かべて歓迎の言葉を述べる恭也と、仏頂面のまま表面上だけ謝辞を返す恭也。
 どう好意的に受け取ろうとしたところで、不機嫌か喧嘩を売ろうとしている様にしか見えない応答に士郎と恭也が僅かに眉を寄せた。
 そんな周囲にいる初対面の人達の反応が予想出来ていたはやてが軽い口調に聞こえるように恭也を嗜める。

302小閑者:2017/12/03(日) 12:50:32
「もう、あかんよ恭也さん!
 いっくらなんでも初対面の人に『嬉しそうな仏頂面』とか『楽しそうな仏頂面』なんて見分けられへんのやから。
 ここは愛想笑いの一つも浮かべとかんと」
「…あまり難しい事を要求しないでくれ。ただでさえ噂に聞いていた同じ顔に突然出迎えられて困惑してるんだ」
「困惑?してるの?」
「アリサも暫く付き合ってると見分けがつくようになると思うよ?」
「目元でいろんな感情を表現してるから、分かるようになるとちょっと得した気分になれるんだ」
「テスタロッサ、高町。バニングスに妙なことを吹き込むな。分からんならそれで良いんだから。
 …何故睨む?怒る権利なら俺の方に…あの、マジモンで視線が怖いのですが、私が何かしましたか?」

 妹とその友人の視線の余波を受けただけで恭也の防衛本能が警鐘を鳴らしている。
 彼女達の威圧感が軽く子供を泣かせるレベルを超えているのはどういう訳だろう?末妹はのんびり穏やかに、フェイトちゃんはビデオレターで見た通り内気で恥ずかしがり屋だったはずなのだが。
 彼、八神君には悪いが助け舟を出すことは出来そうにない。というより、状況的に彼が元凶なのでは?うん、きっとそうだ。
 恭也の思考が逃げ腰ながらも正解に辿り着き、クリスマスパーティの平穏のためにも安らかに眠ってくれ、と心の中で冥福を祈っていると、なのは達と同席しているはやてが苦笑を浮かべた。

「しゃあないなぁ。
 恭也さん、名前、名前」
「名前…?
 …え〜、
 …その、
 …ああっと、え!?名前!?それだけなのか!?
 …あのな、フェイト、なのは。
 慣れた呼び名を変えるんだ。もう少し猶予があっても良いんじゃないのか?」
「そりゃ、仕方ないかもしれないけど…大事な事なんだよ?」
「それにヒントを貰ってもすぐに分からない恭也君にもちょっと問題があると思います」
「恭也にとっては大事じゃないの?」
「呼び方なんて、とても大事な事だな、うん」
「弱ッ!?」
「アリサちゃん、それは可哀想だよ」
「せやねぇ、あの視線に晒されたら大概の人は降参するやろ」

 あれだけの視線さえ話題にして談笑を始める妹と友人達。
 いつの間にか兄の知らない顔を持つようになった妹にちょっぴり寂寥感を感じながらも、平静を装いつつ八神君をなのは達のテーブルへ案内する。といっても内輪のパーティの上、立食形式なので案内も形だけなのだが。

「ごゆっくり」
「ありがとうございました」

 抑揚の少ない謝辞と、恭也には平坦にしか見えない眼差し。妹を疑いたくは無いが、あの3人には本当にこの視線から感情が読みとれるのだろうか?

「恭也ー」
「ああ、今行く」

 恭也がカウンターへ移動した恋人の呼び掛けに応じて歩み寄ると、忍と一緒に居た士郎が口を挟んできた。

「どうだった?八神君の第一印象は」
「…驚いた、かな?」
「うわ、シンプル過ぎ。他にもっと無いの?
 なのはちゃんを奪う憎い男に対して、こう『俺の妹はお前などにやらん!』とか。
 あるいは、『顔が似てるのを良い事に美人でスタイル抜群の俺のスイートハニーに近付こうったってそうはいかんぞ!』とか」
「忍、お前は俺をどういう目で見ている?」
「こんな目」
「あとでゆっくり話し合おうか」

 恭也は苦笑を収めると士郎に向き直る事無く、周囲に聞こえないように配慮しながらも何気ない調子で言葉を続けた。

「なのはと歳が変わらないという言葉を信じたくないほど熟練しているな。
 間違いなく剣術。
 間合いからして、小太刀。
 恐らくは、…二刀流」
「それって…」

 思わず口を挟んだ忍を目で制す。
 気持ちは分かるがまずは主観や推論ではなく、現状を確認するための客観的な情報を揃えなくてはならないからだ。

303小閑者:2017/12/03(日) 12:52:08
「気配が驚くほど薄い。
 抑えているのは間違いないが、恐らくは無意識のレベルだろう。
 気殺や探査は俺よりも上と見るべきだ」
「ガラスの天才、なんてことは?」
「無いな。
 間違いなく俺よりも実戦経験は多い。
 …恐らく、死線を越えた数すらも」
「いい線だな。俺も同意見だ。
 にしても、あの歳で命の駆け引き、か。
 堪まんねーなぁ」
「…そうだな。それが彼自身の意志だとしても、自分より年下の、それも年端もいかない少年がそんな闘いに参加しているというのはな…
 感情の起伏も極端に薄い。ある程度生まれ持ったものでもあるだろうが、…人の死に触れる経験が多いのか、…親しい人を亡くしたのか」
「ま、まだあんまり話せてないから分からないだけじゃないかな?この間、表でみんなで話した時には普通…よりは淡々としてたけど、でもでも、一応感情が籠もった言葉もあった、し」

 忍の言葉が途切れた。
 確かに、あの時は前半の雑談では柔らかい感情を垣間見る事は出来たし、恭也と比較してすら微かとしか言えない程度ではあったが表情の変化もあった。フェイトの質問に答えた時も内容の異常さからすれば無いに等しいものだったが、感情の揺らぎ位は感じ取れた気がする。
 それらが、今は無い。
 町中で恭也と勘違いした見知らぬ少女から罵声を浴びていたのを見た時から、先日のオープンテラスでの会合までにも(本人は否定していたが)何かがあっただろうに、あれから今日までに更に彼を追いつめる様な何かが起きたのだろうか?
 彼の目から感情を読みとれると言っていたなのは達の言葉が本当であって欲しい。忍でなくても切実にそう願ってしまうだろう。

「剣術だけなら、まだ恭也の方がいくらか上かな」
「『だけなら』という表現は的確だな。『まだ』というのも痛いところだ」
「え?恭也が抜かれるかもしれないってこと!?」
「忍ちゃんには信じ難いかもしれないけど、恭也よりも剣腕が上って奴はいない訳じゃないんだよ。決して多くないことも事実だけどね」
「戦いに勝つには剣の腕だけでは駄目なんだ。その点、きっと彼は強いよ。剣術以外の要素を必ず持ってるだろう」
「…たった10年。
 どんな生活を送ってきたのやら」
「流石に、やるせないな」

 目だけで子供達の様子を窺うとアリサとすずかが席を外したテーブルでは、笑みを絶やさぬ3人の少女と無表情の青年が1人。その落差が尚更少年の異質さを引き立たせてしまう。

「なのはちゃん達も八神君の事情を知ってるのかな?」
「ああ。
 承知してるからこそ、ああして気遣ってるんだろう」

 3人とも表情にも仕草にも堅さが見られる。彼の無表情が普段のものとは違うのか、表情を失っている理由を知っているのだろう。
 それを周囲の者に不審がられないように繕い、同時に彼の精神を落ち着けようとしている。
 前者はアリサとすずかにまで気付かれている辺り、上手くいっているとは言えない。それでも、逆に『今の八神君が普通の状態じゃないんだ』ということが伝わった事で今日集まっているメンバーに彼の態度に気分を害する者はいなくなったのだ。目的の半分は達していると言えるだろう。
 後者も彼の様子に変化は見られないところからすれば上手くいってはいないだろう。それに、憶測でしかないが、彼は自分の不調に気付いているなら大抵のものは誰にも気付かせないように抑え込めてしまうくらいの精神力は持っていそうだ。それが出来ていない時点で小手先の技で隠せる事態でも、軽い気分転換で切り替えられるレベルでもなくなっている様に思う。

「で、恭也的に八神君の心証は?」
「悪くはないよ。
 俺から見ても愛想があるとはとても言えないが、なのは達の気遣いを無駄にしないように会話に応じようとしてたしな。愛想しかない奴よりは余程ましだ。
 ただ、評価については保留しておく。
 まだ大して話しも出来てないし、何より今の彼を評価対象にするのは酷だろう」
「なるほど。なのはの婿候補として門前払いだけは避けられた訳だ」
「そんな評価はしていない。
 第一、恋人になるかどうかは当事者同士が決めることだ。俺が気に入ったから勧めるものでも、気に入らないから妨害するものでもないだろう」
「あ〜やだやだ、いかにも良識ありますって答えを選びやがって。『俺の妹は誰にもやらん!』位の事、堂々と言ってみろってんだ」
「言うわけ無いだろ。そもそも、それ自分がさっき母さんに言われてた内容じゃないか」
「俺が言わないんだからお前くらい言わないとなのはが寂しがるかもしれないだろ?」
「自分が嫌なことを人に押しつけるな!
 俺がやったらただのシスコンだろうが!」
「大丈夫!やらなくても恭也は立派なシスコンだよ!」
「忍、話しに割って入ったと思ったら暴言にもほどがあるぞ」

304小閑者:2017/12/03(日) 12:53:06
 恭也の半眼ににこやかな笑みを返しながら、忍はそっと肩の力を抜いた。
 以前から八神恭也を知る者として、今の彼が初対面になる人達の印象が気になっていたのだ。
 初対面の相手であろうと平然とからかったり、目上の者が相手であろうと敬意に値しないと判断すれば心証を気にすることなく横柄な態度をとる男なので絶対に万人受けはしないだろう。
 それでも彼の事を気に入っている忍としては自分の親しい人にも受け入れて貰いたいというのが本音だ。
 ごく最近まで学校での友達付き合いを放棄していたため忍の交友関係は同年代の少女達と比べて極めて狭いと言ってもいいだろう。
 それは本人の性格だったり、家庭の事情だったり、血筋や体質だったりと色々な事情が絡んではいる。
 妹の様子を見る限り、本人の性格や態度の占める割合が非常に高かったんじゃないかと今更ながらに反省してはいるのだが、矯正するにはちょっと遅かったかなぁ、と開き直ってもいる。開き直れる程度には、今の狭くとも深い付き合い方を気に入っているということでもあるのだが。
 だからこそ、と言うと責任転嫁でしかないのかもしれないが、自分の気に入った者同士も仲良くなって貰いたい。
 贅沢で身勝手な考えであることは重々承知しているが、それが忍の偽らざる本心だった。








「私、何か飲み物貰ってくるわね」
「アリサちゃん、私も行くよ」
「ありがと、すずか。
 何でもいいわよね?」
「甘くないもので」
「恭也は水ね」
「いいけどな」
「冗談よ。
 『とろけるシリーズ』とかあるかしら」
「聞き慣れんが、それ絶対甘いだろう」
「良い勘してるわねー」
「このヤロ」
「アリサちゃん、ほどほどにね」
「はいはい」

 なのは達の苦笑に不安が滲み始めたのに気付いたすずかが声を掛けるとアリサもあっさりと頷いた。
 ポーズも過ぎれば負担になる。過度の干渉は禁物だろうと手を引いたアリサに余計な言葉を足したのは恭也自身だった。

「気を使わせてばかりで済まんな」
「…あんたね、そういう事は言わないのが暗黙の了解ってものじゃないの?」
「そうなのか?
 子供なんで難しい事はよく分からないな」
「いけしゃあしゃあと、よくもまあ」
「八神君のそういうところは凄いと思うけど」

 あんまりな発言内容にすずかは苦笑を浮かべたまま逡巡した。
 言えば、気まずくなるだろう。なのは達が懸命に取り繕っているこの場の雰囲気を完全に壊す事にもなりかねない。
 だが、それでもきっと誰かが告げなくてはならないことだ。
 そう結論付けたすずかは、恐らく彼の事情を知るからこそなのは達が言えなくなってしまったであろう言葉を、知らない者の責務として代わりに口にした。

「ダメだよ、八神君。辛い時には辛いって、苦しい時には苦しいって言ってくれなくちゃみんなも手を差し延べる事が出来ないんだから。
 強がり過ぎると余計みんなに心配掛けちゃうよ?」
「…手厳しいな。
 子供だからな、オトコノコとしてはカッコ付けたいんだ」
「…そっか」

 恭也から返された実質的な拒絶の言葉にすずかが小さく嘆息した。
 詳しい事情を知らない気楽さと無神経さを装って単刀直入な物言いをしてみたが、これくらいで改善するならなのは達も苦労はしてないだろう。
 一瞬とはいえ恭也が言葉に詰まった事に疑問も浮かぶが、曲がりなりにもパーティに参加する意思を示している以上、幾らなんでもこの程度の言葉で動揺するほど深刻な状態ではないだろう。
 そう思いながらも幾許かの不安を覚えたすずかは無難に話の矛先を恭也から逸らすことにした。

「八神君にそんな甲斐性があるなんて知らなかったなぁ。
 あ、でも甲斐性があるからこんな状態なのかな?」

 話を振って3人の反応を見るが、意外にも動揺して頬を赤らめたのははやてだけでなのはとフェイトは不思議そうに見つめ返してきた。
 この2人がこの手の話題で動揺を隠せるとは思えないので、無自覚なのか言葉の意味が理解出来なかったかのどちらかだろう。ああ、和むなぁ。

「すずか、思いっきり飛び火してるわよ」
「あはは、ちょっと見かねちゃって。ごめんね、はやてちゃん」
「な、なんでそこで私に振るの!?」
「なんとなく。
 それじゃあ、八神君もほどほどにね?」

 それだけ告げると、すずかはアリサと共にテーブルを離れていった。

305小閑者:2017/12/03(日) 12:54:33
 外見通り清楚で柔和な内面を持つ上に人見知りの気のあるすずかにしては、それほど親しいと言えない恭也に対して随分と踏み込んだ発言だった。
 そして、すずかがあんな態度をとったという事は、

「そうとう怒らせた、かな」
「それもあると思うけど、凄く心配してるんだよ」
「…そうだな」

 恭也が相手を怒らせる事を承知しながら態度を崩さないのだから、なのはとしてもそのことを注意しても仕方がないと思っている。それは、本当の意味で相手を傷つけたりはしないだろうという信頼も含めた諦観ではあるのだが、それでも口を出したのはなのはとしても恭也に親友の事を誤解して欲しくはなかったからだ。
 短い返答から恭也も理解してくれている事を感じ取ったなのはは、改めて恭也の様子を窺った。

 先程3人が口にした『目から感情を読みとれる』という言葉は嘘ではない。それなのに、今の恭也からはほとんど読み取ることが出来ないでいた。
 じっと見つめていれば、時折微かに揺れている様には見える。ただし、それがどんな感情なのかまでは分からないし、小さ過ぎるためか即座に抑え込んでいるためか、すぐに消えてしまう。
 それらが意図したものか無意識の行為か、それすら分からないという事実が更にはやて達の不安を掻き立てる。

 恭也がリインフォースの死を悲しんでいるのは想像するまでも無いことだ。
 なのはやフェイトですらショックを受けた。
 そして、逢って間もないにも拘らず家族として受け入れていたはやての受けた傷はなのは達の比ではなかった。
 泣き崩れずにいられるのは家族に心配を掛けないための虚勢でしかなく、このパーティへの参加もその意味が強い。
 逆に、はやての傷心を知るシャマル達が送り届けてそのまま帰っていったのは明るい場に居ることではやての気が紛れる事を期待したのと、自分達の存在がはやてに虚勢を張らせる要因になると理解しているからだ。

 では、恭也は?
 病室でシグナムが言っていたように、リインフォースに最も深く接したのは間違いなく恭也だ。
 その距離は、あるいは家族としてのそれよりも近いものだったのかもしれない。ならば、彼女の死に誰よりも深く傷付いたのは、彼女の死を誰よりも深く悼んでいるのは恭也ということになる。悲しみや動揺を隠せなくなるのは当然と言えるだろう。
 だが、恭也は故郷の実の家族の死により受けた衝撃すら、意識を保っている間は周囲から隠し続けた。
 愛情の深さに優劣をつける行為は決して褒められたものではないが、これでは恭也にとって家族への愛情が合って間もないリインフォースへの思いより低い様に見えてしまう。
 だが、転移事故で孤独に押し潰されそうになっていた姿や新聞記事で知った一族滅亡の事実に打ちのめされていた時に寄り添っていたはやても、家族の死ぬ場面の記憶を取り戻した直後の錯乱する様や夢に魘され跳ね起きる姿を見たなのはとフェイトも、恭也の家族への想いが決して低いものでない事を知っている。
 ならば、リインフォースの場合だけ隠し切れないほど精神を疲弊させているのは、本当に死を悼んでいる事だけが原因だろうか?
 リインフォースが飽和状態のダムを決壊させる止めの一撃になったという可能性は十分にある。だが、3人は何か別の要因が絡んでいるのではないか、という何の根拠も無い想像が拭えずにいた。
 そのために、問題を先送りしているだけだと理解していても3人には様子を窺う事しか出来なかった。

「あの、恭也君、来てくれてありがとね」
「招いて貰ったのは俺の方なんだ。なのはが礼を言うことでもないだろう。
 とはいえ、ここまで気遣われるとは思っていなかった。
 あからさまな態度は取っていないつもりだったんだが、来たのは失敗だったかもな」
「そ、そんなことないよ」
「そうだよ。
 招待したのは私だし、楽しむために来たんだからそんなこと気にする必要ないよ。
 それより恭也君、無理だけはしないでね」
「ああ。ありがとう」

 なのはとフェイトは言葉に、はやては静かに握る恭也の手に、想いを込める。
 少しでも、僅かでも恭也の心が晴れますように、と。
 周囲の微笑ましげな視線にも気付くことなく一心に想いを寄せていた3人が不意に振り向いた。
 特に大きな音をたてた訳でも声を掛けた訳でもないのに唐突に視線が集まったため、視線を受けた方が面食らって問い掛けた。

306小閑者:2017/12/03(日) 12:55:10
「あ、あれ?
 どうしたの、急に一斉にこっち見て。
 心配しなくても私だってこれくらいちゃんと運べるよ?」

 視線の先には、首の後ろでリボンで纏めた綺麗な黒髪の丸いめがねを掛けた人物がホールケーキを載せたトレイを持って居心地悪そうに佇んでいた。
 それは視線を向けなくとも誰であるかが分かるほど恭也にとって親しい人物。出会う事を覚悟していた筈なのに面と向かうと思わず体を硬直させてしまう相手。
 恭也の緊張を感じ取ったはやて達が予想した通りの人がそこに居た。

「お姉ちゃん…」

 その言葉に応える様ににっこりと微笑んだ、女性というにはいくらかの幼さを残したその人物は、なのはの姉であり、恭也が妹のように接してきた従兄妹の面影を持つ、高町美由希だった。
 ピッタリとしたタートルネックの黒いセーターと濃い茶色のロングスカートというシンプルな出で立ち。そんな地味になりがちな色合いが妙に馴染み落ち着いた雰囲気を纏っている。
 不自然に出来た間を繕うためにはやてが美由希に話しかけた。

「あ、じゃあ、あなたが美由希さんですか?」
「はやてとは初めましてだね。これ置いたら改めて自己紹介させて貰うけど、挨拶が遅くなってゴメンね」
「いえ、こちらこそ。八神はやてです。よろしくお願いします」
「うん、こちらこそ。
 で、君が八神恭也君か、…ホントに昔の恭ちゃんに似てるなぁ。
 っとと、失礼しました。以前、家の前で会ったことがあったと思うけど、なのはの姉の美由希です。改めてよろしくね」
「こちらこそ。それより前を見た方が良いですよ」

 運び終わったら改めて、と言っておきながら会話を中断する事無く余所見をしながら歩く美由希に恭也が注意を促すが、残念ながら家族総出で料理に関して役立たず扱いを受けていた今の美由希には逆効果でしかなかった。

「な…!?
 こ、これくらい別に何とも無いよ?」

 素直に忠告を受け入れるゆとりを失くしていた美由希は、なけなしの理性を総動員することで頬を引き攣らせながらも辛うじて笑顔を保つ。そして、意地になって恭也に顔を向けたままテーブルへと歩み寄ると、慣れないロングスカートの裾を踏みつけた。
 つんのめって上半身を前方に投げ出した美由希は、恐怖によって引き伸ばされた時間感覚の中、反射的に平衡を保とうと持ち上げた両手が掴むトレイからケーキが大皿ごとゆっくりと宙を舞う様を見せ付けられた。
 ああ、これで調理どころか配膳すら任せて貰えなくなるのか。
 後悔と失望から目の端に涙が浮かぶ頃には、放物線の頂点に達したケーキが更に大皿から離脱してそのまま重力に引かれて落下を始めた。
 行き着く先は桃子が腕を振るった料理の数々が並べられたテーブルの真ん中だ。生クリームをふんだんに使われたケーキが着地と共に八方へと四散して全ての料理を台無しにしてしまうだろう。
 数瞬後の正確な予想は頼んでもいないのに色彩鮮やかに細部まで鮮明に脳裏に浮かんでくれるというのに、停止した思考は奥義の歩法を発動してくれない。皆伝どころか修行中の身では鍛錬中でも任意に神速に入れたことは無いんだけどね、などと余計な思考だけは流れるが、その内容すら現実逃避の色を帯びてきた。
 ケーキの全身が完全に大皿から離れた。浮遊しつつも傾く事で程よい色に焼き上がっている底面のスポンジ生地が見えなくなっていく。

 着地は側面からだね。追随するお皿も回転してるからケーキの上に蓋をする形で裏返しに着地するなぁ。
 あ、ダメだよ手を出しちゃ。
 あー、せっかく真上から蓋をする軌道だったのに、お皿の向きを戻されちゃった。あ、今度は着地の順番まで変えられちゃった。
 せっかく綺麗に分離したのにまた合体させちゃっ…あれ?

 横合いから伸ばされた手がケーキを型崩れさせること無く皿に軟着陸させたのだと理解した瞬間、美由希の時間感覚が通常状態に戻った。同時に、両手を前方に伸ばして受身も取れずに床に放り出された体が下から腕で支えられた事に気付く。
 放心したまま腕の主を見上げると、長年身近にあった大切な人の横顔があった。

「恭ちゃ「良くやった、八神君!!」「すごーい!」「危うくみゆきちが血祭りになるところだったのだ!」「美緒ちゃん、それはちょっと…」っわ」

 一斉に上がる歓声に押されて漸く美由希も正気付いた。
 惨事を回避し、あまつさえ倒れようとしてた自分を支えてくれたのがなのはの友人の八神恭也だった事に思い至った。
 八神君は左手でケーキ皿を、右手で自分を支えているために身動きが取れなくなっている。
 助けて貰った上にこれ以上迷惑を掛ける訳にはいかないのでさっさと立ち上がりたいのだが、スカートの裾を踏みつけた足では上手く立てないし、手を地面に突こうにも絶妙に届かない。

307小閑者:2017/12/03(日) 12:56:52
「あの、」
「わ、態とじゃないぞ!?」
「は?」

 いっそ床に降ろして貰おうと彼を見上げると脈略も無い言葉が返ってきた。
 どちらかと言えば言い訳染みたその台詞は自分が口にするべきものではないだろうか?

「わ、鷲掴みや…」
「だ、だから態とじゃないんだ!」
「…え?」

 その遣り取りで美由希にも漸く事情が理解出来た。
 美由希を支える彼の手が美由希の左胸を掬い上げるように堂々と鷲掴みにしてると言っていた訳だ。まあ、この位置関係なら当然…!?

「ひゃああああ!?」
「っちょ、暴れたら余計に押し付けられてっ!?
 速く立ってくれ!」
「そ、そんな事言われても届かな、っわ!?」
「何をやってるんだ、お前は」
「あ、きょっ恭ちゃん」

 背後から襟首を摘まんで引き上げてくれたのは今度こそ兄だった。
 どさくさに紛れて揉みしだく様な真似はされていないが、人一人分の体重を片手で支えて微動だにしない力強さが、遥かに年下の子供である彼が『男』なのだと強く意識させられた。
 顔が熱い。きっと真っ赤だ。
 無意識の内に抱き寄せていた自分の腕に胸を守るように力が籠もる。

「まったく。
 ほら、ちゃんと礼を言っておけよ。同時に2度も助けられたんだからな」
「あ、う、うん。
 あの、ゴメンね?それと、ありがと。折角のケーキや料理が台無しになるところだったよ」
「…いえ、大事無くて何よりです。
 ところで、助けておいて礼を求めるのは自分でもどうかとは思うのですが、出来れば俺の背後で膨れ上がるプレッシャーを何とかして貰えませんか?」
「え、え〜と。助けて貰ったんだし、恩は返したいところだけど、多分私が口出しすると余計に縺れると思うんだ。
 ゴメンねー!」

 それだけ告げると、美由希は那美と美緒のところへ逃げ帰ってしまった。
 なかなかに薄情ではあるが、流石に年頃の女の子にどんな理由であれ胸を鷲掴みにされた直後にその相手と朗らかに会話をするなど無理な要求というものだろう。
 仮に、小学生の妹達の放つ気迫が凄いことになっていたとしても、きっと逃げ出した原因としての割合は些細なものなのだと思いたい。
 取り残された恭也の腕を両脇から抱えた眉間に皺を寄せたなのはとフェイトが、車椅子を玉座と錯覚させるほどに睥睨しているはやての前に恭也を連行した。

「恭也さん、なんか言うことないか?」
「うむ。
 りんごみたいな大きさで手に収まりきらないのに、もの凄く柔らかかった」

 半眼で問い質すはやてに対して、真面目な表情のままでありのままを語る恭也。
 逃げ帰った美由希の耳にも届いたらしく遠くから『あぅ…』とかいう呻き声が聞こえてくる。

「素直で宜しい。ちょお話があるから、ここに座りなさい」
「拒否権は」
「無い」

 他の人達に背を向ける形で置いた椅子に両脇を固められたままの恭也を座らせるとはやては正面へ回り込んで小声でも聞こえるように顔を近づけた。

「恭也さん、大丈夫?」

 問い掛けるはやてのか細く掠れた小さな声は既に震える事を抑えられなくなっていた。
 そんなはやてを落ち着かせるように、何かを包む様に開かれた右手を見下ろしながら恭也が静かな声で答えた。

「心配し過ぎだ。流石に驚いたけどな。
 それにしても、柔らかいものなんだなぁ。
 鼓動まで感じられたし、暖かいし、手に余る程成長してるん、だっ…て」

308小閑者:2017/12/03(日) 13:00:47
 恭也の感覚で一か月ほど前に止まった美由希の時間。
 どれほど願おうと進むはずのなかったそれの10年後の姿を、不意打ちで真っ向から突きつけられたのだ。動揺するのは無理も無いだろう。
 ゆっくりと握り締めた拳には力が込められ微かに震えていた。
 食いしばった口からはそれ以上の言葉は紡がれる事はない。
 そのまま溶けて消えてしまいそうな恭也を繋ぎ止めるようになのはとフェイトが腕に力を込めて体を寄せる。
 もう、掛ける言葉さえ見つからない。


 だが、不幸とは往々にして折り重なる様にしてやってくる。


“カランコローン”
「ただいまー」
「あー、おかえりー。
 意外と早かったのねぇ」

 ドアベルの音に続いた耳に馴染んだ帰宅の言葉と出迎える桃子の言葉がなのはの意識を刺激した。
 これ以上悪い事なんて起こる筈がない、と自分に思い込ませようとしながらも、妙な焦燥感に突き動かされてドアの方を振り返った。
 そして、来店したのが家族の様に親しんでいる心優しい金髪の英国女性である事を知ると、焦燥を勘違いと結論したなのはは安堵と共に彼女の名前を口ずさもうとした。

「なんだ、フィアッセさ、ん」



『昔、力が及ばず仲の良かった子を守り通す事が出来なかった事が…』
『議員をしていたその子の父親の…』



 恭也の口から直接聞いた過去の出来事の描写が唐突になのはの脳裏に浮かんだ。
 あまりの驚愕に声を上げる事も出来ずに、ただ目を見開く。

 何故、気付かなかったのか。
 気付ける可能性が有ったのは自分だけだというのに。
 ダメだ。今の彼をあの人と逢わせては絶対にいけない!

 なのはの様子をフェイトとはやてが訝し気に見やるが、その視線に気付く余裕も無い。
 そして、皮肉な事に、なのはの驚愕を含んだ眼差しに気付いたフィアッセが子供グループに笑顔を向けたために、その傍らに着席している『可愛い弟』の後姿に気付かれてしまった。

「あー、こんなところに居た。
 ただいまぁ、恭也。久しぶりー」

 なのはが止める間もなく、歩み寄ったフィアッセは背凭れ越しに恭也を背後から柔らかく抱きしめ頬を寄せた。
 はやてとフェイトが、その行動がこの女性のちょっとした人違いでは済まない事に思い至ったのは、恭也が明らかに驚愕を表情に表したからだった。
 不意打ちだった事もあるだろう。
 気配で近付いてくる人物を察知していようと行動まで読める訳ではないので、単純に抱きつかれた事にも驚いていたのかもしれない。
 だが、見開いた目が動揺に激しく揺れる様は、他の誰かの取ったリアクションだとしても異常があったことを察するのに余りあるものだ。
 それが、自制に長けた普段から表情を動かす事の少ない恭也ならば最大級のものと言えるだろう。

 これほどの驚愕を示すという事は恭也自身もこの場にフィアッセが現れる可能性を考慮していなかったということだ。
 それは無理も無いことではある。
 恭也の認識ではフィアッセは長い間イギリスの自室から出る事が出来ずにいたのだ。物理的な距離以上に彼女の精神状態を知る恭也だからこそ彼女がこの場にいる可能性を除外していたのだ。

 それはつまり、このフィアッセ・クリステラは『あの』フィアッセではないのだと、そんな簡単な結論さえ、きっと今の恭也には至れないのだ。
 そんな思考を働かせる余裕は、冷静さは、何処にも無い。
 溢れそうになる何かを堪える事に、壊れそうになる何かに耐える事に必死になっている恭也にそんな余力は、無い。

「あ…ダ、メ。
 フィアッセさん、ダメ!離れて!!」
「え!?」

 恭也の様子になのはが反射的に叫びながらフィアッセを押し退けて2人の間に割り込んだ。

309小閑者:2017/12/03(日) 13:04:53
 普段のなのはからは想像も出来ない様子と言動の全てに驚いたフィアッセは抵抗する事無く呆然として押されるままに腕を解いて一歩退いた。
 店内に沈黙が満ちる。
 静寂と、驚きを顔に浮かべたフィアッセを含めた大人達の視線に漸く自分が何をしたのか理解したなのはは、恭也の様子を気にしながらも事情を説明出来ないためにしどろもどろに言い訳を口にしようとした。

「あ…ちが、違うの、あの、今のは、その…だから…こっちは恭也君なの!お兄ちゃんじゃないんです!違う人なんです!だから」
「落ち着けなのは」
「え!?恭也!?
 ええ!?じゃあ、こっちの人は!?」

 背後から聞こえたなのはをフォローする声に振り向いたフィアッセは、先程抱きしめた筈の人物が背後に居ることに驚愕の声を発した。

 苦笑を零しながら状況を説明する兄の言葉に耳を傾ける余裕の無いなのは。
 なのはの言動からこの美麗な女性が今の恭也の在り方を決定付けた少女に該当する人物だと遅まきながらも思い至ったフェイト。
 そして、詳細を知らないながらも朧気に状況を察したはやて。
 3人は微動だにせず、固唾を呑んで恭也を見守る事しか出来ない。

 フィアッセが離れた後に表情を隠すようにして右手で目元を覆ったまま、時折痙攣するように体を小さく揺らせていた恭也が硬直していた体から少しずつ力を抜いていった。
 だが、細くゆっくりと息を吐き出そうとしているのに、たったそれだけの事が出来ていない。何度も途切らせ、その度に硬直しようとする体を諌めて懸命に呼吸を整えている。
 はやて達には永遠にも感じられる一呼吸分の吐息を終えた恭也が顔を覆っていた右手を静かに離すと、あれだけの動揺がいくらか顔を蒼褪めさせている程度に抑え込まれていた。
 ゆっくりと椅子から立ち上がると、背後を振り返る。
 間違いなく心の準備をしていただろうに、フィアッセの姿を認めた瞬間、恭也の表情が強張る。
 それでも、その動揺を瞬時に押し隠すと、何事も無かったかの様に恭也がフィアッセに話しかけた。

「…紛らわしくてすみません。八神恭也といいます。
 高町恭也さんと外見がよく似ていると思いますが、単なる他人の空似です。
 高町さんの周囲の方には迷惑を掛けてしまい心苦しい限りですが、どうかご容赦下さい」
「そそそんな、あ、ああ、あの、私の方こそごめんなさい、私勘違いしちゃって、あんな…」
「いえ、謝って頂く必要はありませんよ。むしろ感謝させて貰いたいくらいだ。
 今まで勘違いされて厄介ごとに巻き込まれたことはありましたが、あなたのような綺麗な女性に抱きしめられるなんて、これから先に被る迷惑まで含めても補って余りあるほどの役得です」
「え、ええー!?」
「こらこら、八神君。
 確かに人違いとはいえ『光の歌姫』に抱き付かれるなんて一生モノの思い出になるでしょうけど、なのはちゃん達の目の前でそんなこと言っちゃったら、また…え?」

 恭也が場をとりなそうとしている事を察した忍は、彼に合わせて軽口を叩きかけるが視線を転じた先に居たなのはが本当に泣き出しているのを見て言葉を途切れさせた。いや、なのはの後ろにいたから気付くのが遅れたが、フェイトとはやても涙こそ流していないものの同じ表情をしている。

「ダメ だよ、ック、もう、止めて…」

 溢れる涙を拭いもせずになのはが嗚咽交じりに訴える。
 なのはにも、家族やその友人達から見れば恭也より自分の言動の方が余程おかしいという自覚はあった。だが、既に体面を気にしている余裕など何処にも残っていない。

 恭也には泣き叫ぶなんて真似は出来ないだろうし、何の非も無いフィアッセに当たり散らすなんてもっと無理だろう。
 それでも、平気な振りだけはして欲しくなかった。
 これ以上感情を抑えたら、感情を殺したら、軋みを上げる恭也の心が本当に壊れてしまう。
 そう思っただけで、もうなのはには耐えられなかった。

310小閑者:2017/12/03(日) 13:06:33
 そのなのはの様子にフィアッセの困惑が益々深まる。
 先程のなのはの言葉は、聞き様によっては自分に向けて『これ以上恭也君の気を惹かないで』と牽制しているようにも聞こえる。
 だが、なのはが訴えている相手は明らかに自分ではなく彼だ。しかしそうなると、なのはが彼の言動の何を止めようとしているのかが分からない。
 子供達の様子からすると、彼は当事者どころか中心人物だろう。だが、淡白ながらもおどけた様な言動という器用なリアクションをとっている彼と、パーティ会場で何かに怯えている少女達では明らかに後者の方が不自然だ。
 帰って来たばかりだから分からないだけなのかと周囲を見るが、大人達も程度の差はあれ困惑しているのが分かる。
 周囲から得られる情報は無い、という考えに至ったフィアッセが注意を戻すと、中心人物たる彼が優しくなのはの頭を撫でていた。
 金髪の子と車椅子の子とは面識がないが、なのはが可愛らしい容姿とは裏腹にただ辛いだけで泣いたりしない芯の強い子である事は知っている。そして、それ以上に、人の痛みに涙する事が出来る優しい子だということも。
 ならば、如何に自然に振舞っている様に見えようとも、傷付いているのは彼なのだろう。
 フィアッセがそう結論付けるのを待っていたようなタイミングで少年が店内に居る一同を見渡してから話し始めた。

「…お気付きの事とは思いますが、この子達の様子が不自然なのは俺に原因があります。
 実は、…少し疲れていまして、心配を掛けるよりはと見栄を張ってこの会に参加させて貰ったんですが、逆効果だったようです。
 場を白けさせてしまって申し訳ありません。
 本来なら早々にお暇させてもらうべきなんでしょうが…」

 恭也が言葉を切って振り返る。
 釣られてそちらを見やれば、そこには本人よりもよっぽど不安に押し潰されそうな表情をした少女達が居た。

「このまま帰宅してもこの子達の不安を拭えそうに無い様なので、不躾だとは思いますが後で控え室ででも少し休ませて貰えませんか?」
「そいつは構わないが、調子が悪いなら帰って休んだ方が良いんじゃないのか?
 無理に追い出す積もりは無いけどな、人を気遣って無理をする必要も無いんだぞ」
「ありがとうございます。
 ですが、…出来れば俺自身ももう少しこの場に居させて貰いたいんです」
「そうか。
 じゃあ、せめてそっちのソファーに座っててくれ。食い物はたくさんあるから遠慮なく食ってくれ。腹が膨れれば自然に元気も出てくるさ。味は保障するぜ?
 なんだったら好きな物をリクエストしてくれてもいい。大抵のものは用意出来るはずだ」
「ありがとうございます。でも、これだけの料理が揃っているなら…
 …いえ、では、一つだけ」

 前言を翻した恭也に士郎が意外に思う内心を綺麗に隠したまま言葉を待つと、何度も逡巡した後で恭也が控え目に口にしたのは料理名ではなかった。

「…フィアッセ、さん」
「え、私?」
「『歌姫』…と呼ばれているという事は、歌を…歌われているんですか?」
「う、うん。まだ、デビューしたばかりの駆け出しだけどね」
「では、…何か1曲、聞かせて貰えませんか?」

 それだけの事を言うために、何度も言葉を途切れさせ、その度に呼吸を整える少年の様子を見て、漸くフィアッセにもなのは達の危惧が決して大袈裟なものではない事に気付いた。
 感じ取れるのは、後悔、だろうか?そして、僅かに見え隠れしている、何か。
 彼のリクエストは、まず間違いなく単なる興味本位に因るものではないだろう。
 歌う事自体は何の問題も無い。だけど、もしかすると歌う事で彼を傷付けてしまうのではないだろうか?
 一度は泣き止んだなのはを含めて、泣き出す寸前の悲痛な表情の少女達を見れば尚更不安が膨らんでしまう。

「フィアッセ、歌ってやってくれないか?」
「士郎、でも…」
「まぁ、彼が何を期待してるのかまでは分からないけどな。
 でも、きっと彼にとっては大事な事だ」
「…うん」

 士郎に促される事でフィアッセも覚悟を決めた。
 歌を歌うプロフェッショナルを表明している以上、身内とは言え人前で歌う際に手を抜く事など在り得ない。歌う事が楽しくて、好きだからこそプロになったが、生業とするからには趣味の延長ではいけないのだ。

311小閑者:2017/12/03(日) 13:10:44
 持ち得る最高の技術を尽くして想いを歌に乗せる責任と、聞いた人が抱く感情を受け止める覚悟。
 『世紀の歌姫』と呼ばれた母ティオレ・クリステラの歌声でさえ、受け入れる事無くビジネスのため(歌が気に入らないからではなかったと信じたい)にテロリズムによって妨害する者がいたのだ。
 きっと、多くの人に喜んで貰えたとしても、それが万人に受け入れられる事はないだろう。
 そして、歌を望んでくれたとはいっても、目の前に居る今の彼の期待に応えられるとは限らない。期待を裏切り失望させてしまう可能性は十分にある。
 それでも、自分の歌を望んでくれたのだ。怖気づいて逃げ出す訳にはいかない。
 フィアッセは店内に声が届くように壁を背にして立つと、気息と精神を整えつつ手近な椅子に座った恭也に問い掛けた。

「曲のリクエストはある?」
「いえ、最近の曲はほとんど知らないので…そうですね、落ち着いた曲調の物があれば」
「落ち着いた曲か…。じゃあ、コンサートとかで歌った曲じゃなくても良いかな?」
「構いません。あなたが歌いたい曲でお願いします」
「うん。
 じゃあ、始めるね」





 BGMを切った静かな店内に光の歌姫の奏でる旋律が響く。
 伴奏の無い、ただの肉声。
 科学的に表現するなら、単なる空気の振動。
 だが、そこには確かに込められた気持ちが、乗せられた想いがあった。

 安らかでありますように。
 痛みが和らぎますように。
 心の傷が癒えますように。

 歌詞として歌い上げている訳ではない。
 フィアッセが恭也の事情を知る由も無い。
 だから、歌声から受ける印象は、汲み上げた想いは、聞き手であるはやての感傷でしかないのかもしれない。
 それでも、きっとそれがフィアッセ・クリステラが八神恭也のために紡いだ歌の全てだ。
 その心に染み入る歌を聴きながら、しかし、何の根拠も無い『この歌を恭也に聞かせてはいけない』という焦燥と恐怖に胸を締め付けられる。
 胸の痛みに身動ぎも出来ず、溢れる涙も拭えなかった。


 テレビ放送でも、コンサートDVDでも聴いたことの無い曲。
 けれど、なのはにとっては聞き覚えのある曲。
 物心着く前から、フィアッセが泊り掛けで遊びに来た時に聞かせてくれた子守唄。
 妹分にせがまれて幼い兄妹のために幼い彼女が即興で歌った、フィアッセ・クリステラの最初のオリジナル曲。
 そして、彼女のレパートリーの中で唯一恭也が知っている可能性のある曲。恭也の守りたかった幼馴染が歌っていたかもしれない曲。
 どうして、よりにもよってこの曲なのか。やっぱり、無理矢理にでも別室に連れて行くべきだった。
 後悔の念が涙となって頬を伝う。


 共感、と言えるかどうかは分からない。
 気のせいだと言われれば、それだけの事。
 穏やかな曲調の歌を聴いている者としてはそぐわない鋭い眦と硬く閉ざされた口元も、普段と変わらないだけかもしれない。
 それでも、母に捨てられた時の、母を亡くした時の、あの絶望と悲哀を恭也が感じていると思った瞬間から、辺りを流れる穏やかな音色はフェイトの耳には届かなくなっていた。
 明確な悪意によって奪われようとしているなら、明確である分、闇の書を起動させた時のはやての様に略奪者に対して怒りや憎しみといった感情をぶつけるのは比較的容易だったろう。
 だが、自分にはどうする事も出来ない理由で大切な存在を失おうとしているこの状況では、はやてやなのはの様に絶望や恐怖、悲哀や後悔といった感情に支配されると身を竦ませて行動を起こすことが出来なくなる。
 だから、どれほど求めても得られず、拒絶され、死出の旅路を見送る事しか出来なかった母との関係も、『良かった』などとは口が裂けても言えないけれど、今、この場で行動するための経験だったと思えば、ほんの少しだけ報われたんじゃないかと、フェイトにも思う事が出来た。

312小閑者:2017/12/03(日) 13:12:27
 歌に聴き入る周囲の注目を集めない様に、静かに背後から恭也に歩み寄る。そして、崩れ落ちないように優しく、溶けて消えないようにしっかりと、背凭れ越しに恭也を抱きしめて耳元でそっと囁いた。

「恭也、これ以上、無理しないで。
 もう、止めよう?」
「…心配掛けてばかりで、済まんな」

 謝罪の言葉とは裏腹に、声に込められた拒否の意思を敏感に感じ取ったフェイトが身を硬くする。
 だが、抱きしめる腕を解くために掴んだのかと思っていた恭也の手は、フェイトの左手首をそっと握ったまま動く事は無かった。
 怪訝に思いながらも恭也の顔を覗き込む事を躊躇っていると、手首に添えられた手が微かに震えている事に気付いた。
 泣いているのだろうか?
 一瞬そんな考えが頭を過ぎるが、すぐに否定した。泣く事が、感情を吐き出す事が出来るなら、きっとこれほど追い詰められてはいない筈だ。
 これ以上掛ける言葉が見つからなかったフェイトは、抱きしめる腕に少しだけ力を込めた。






 店内が拍手で満たされる中、優雅にお辞儀をしていたフィアッセは、顔を上げるとリクエスト者である少年の様子を窺った。
 ライブは録音した歌を再生するのとは違う。歌う事に集中していたとは言ってもそれは観客を蔑ろにする訳ではない。
 だから、曲の途中から金髪の少女が少年を抱きしめていた事も、それが悪巫山戯や周囲を無視した甘えでは無い事も察する事が出来ていた。
 歌を気に入って貰えるかどうかは個人の好みや感性に因るが、今回はリクエストした事も含めてきっと少年個人の事情が絡んでいるのだろう。
 歌う前には、気分を害す様なら歌唱を中断するように何らかの行動を取るだろうと思っていたのだが、恭也に似ているのが外見だけではなかったとしたら聞いている他の人のために我慢していたかもしれない。
 絡めていた腕をポンポンと軽く叩いたのを合図にして女の子に腕を解いて貰うと、椅子から立ち上がった少年が深々と頭を下げた。

「…我が侭を聞き入れて頂いて、ありがとうございました」
「全然構わないよ。
 それより、今の歌は君の期待に応えられたかな?」
「勿論です。
 十分に、…いえ、想像していたより遥かに素晴らしい歌でした。
 …なんて、普段音楽なんて聴かない俺が偉そうに言う事ではありませんね」
「そんな事無いよ。
 私達は評論家に良い点数をつけて貰うために歌ってる訳じゃないもの。
 聞いてくれる人に喜んで貰える事が何よりのご褒美だよ」
「…変わらないな」
「え?」
「いえ、独り言です」

 そう言って話を切り上げた恭也は、一度背後を振り向いた後で士郎に向き直った。

「どうやら俺は自分で思っているより酷い状態みたいです。
 申し訳ありませんが、お言葉に甘えて少し休ませて貰いますね」
「ああ、暖房は付けておいたから元気になるまで休んでいってくれ。
 なんだったら布団も用意するぞ?」
「それは流石に大袈裟ですよ」
「自覚が足りないだけかもしれないだろ。
 あと、食べる物も桃子が適当に用意した」
「スタッフルームに食べ易い物を見繕って置いておいたわ。
 足りなければテーブルにある物もいくらでも持って行っていいからね」
「そんな訳で、なのはと、フェイトちゃんとはやてちゃんも一緒に休んでくるといい」
「…え?」
「恭也君を一人にしちゃ可哀想だろ?
 それに、君達自身も気になってパーティどころじゃないんじゃないか?」
「あ、はい。あ、でも…」
「恭也がゆっくり出来ないんじゃ…」
「これだけ心配掛けておいて偉そうな事は言わんよ。
 それに、まあ、なんだ…我ながら女々しいとは思うが、一緒に居て貰えた方が俺としても、多分助かる」
「…あ、う、うん。恭也君が良いって言うなら、一緒に居るよ!」
「恭也さん、何かして欲しい事あるか?」
「はやて、兎に角移動しよう?」

313小閑者:2017/12/03(日) 13:13:04
 恭也に頼られた事が余程嬉しいのか、涙をぬぐい先刻までの悲痛な表情を一変させた少女達一行がスタッフルームへと続く通路に入っていった。
 スタッフルームと言った所で個人経営の喫茶店のそこは更衣室兼物置でしかない。
 だが、なのはがドアを開けてみると本来であればロッカーと備品しか置かれていないはずのそこには、4脚の簡素な椅子と1脚の小振りな丸テーブル、その上に置かれた大皿に盛られた料理と取皿が用意されていた。
 あの静かな曲調のアカペラに雑音を挟む事無くこれだけの用意をしてのける両親には感心させられる。
 恭也に促されて先に部屋に入った3人が振り向くと、下世話な話題で盛り上がる店内の面々の声を閉じたドアで遮った恭也がそのままドアに凭れ掛かって座り込んでしまった。

「恭也さん!?」
「…問題ない。
 少し、…少し休めば、大丈夫だから」
「―――――」

 顔を隠すために俯き、右手で顔を覆ったまま呟いた恭也の言葉に言葉を失った。
 どう見ても、大丈夫な訳がない。
 だが、それを指摘する事には意味が無い。
 恭也自身だって、いくらなんでもその言葉を自分達が鵜呑みにするとは思っていないだろう。
 『この件に触れるな』
 そう宣言されたのだ。

 だが、黙って眺めているためについて来た訳ではない。一度犯した失敗を繰り返す事など有ってはならない。

「恭也さん、フィアッセさんの事、聞いてもええか?」
「…」

 彼女の事を知っているであろうなのは達には出来ない質問。
 無理強いすればどうなるか想像もつかないからこそ、導入として必要な問い。
 これすら拒絶されれば、以降は本当に何も聞けなくなるだろう。
 だけど、きっと答えてくれる。自分達がついて来るのを認めてくれたのは意図したものか無意識なのかは分からないが、たぶん話を聞いてくれる相手を求めたからだ。
 その推測を信じて、恭也の言葉を待つ。

 暴走と直結する闇の書の起動を阻止出来なかった事。
 夢の中で二度と逢う事が叶わない筈の家族と再会し、永遠の別れになる事を承知していながら決別した事。
 ボロボロの体を押して助けようと奔走したにも拘らず目の前でリインフォースに旅立たれた事。
 失った父親、そして想像する事しか出来ない筈の成長した妹と触れ合った事。
 家族と出会った時にすら見せなかった程の反応を示す相手、フィアッセ・クリステラと対面した事。

 昨日の夕方から立て続けに起きた出来事に恭也は間違いなく激しく揺さぶられている。
 今後、恭也の精神にこれ以上の影響を与える出来事など起きないだろうし、起きてはいけない。
 それなら、恭也に内に溜め込んでいる何かを吐き出させるのは今しかない筈だ。本人の言葉通り、今この時を乗り越えてしまえば、恭也は平静を装って二度と表に出す事はないだろう。癒える事の無い傷を抱えたまま、誰にも悟らせる事なく一生押し殺していくのだろう。
 そんなことは、させてはいけない。
 祈る様に、縋る様に、言葉以外のサインが無いか一瞬たりとも視線を逸らさず、恭也の言葉を待ち続ける。
 この沈黙が拒絶の意ではないのかと、その考えに囚われて震えだす両手を左右から伸ばされた手に握られた。独りではない事を涙が出そうなほど心強く思えたのは初めてかもしれない。
 それでも、身動ぎもせずに沈黙を貫く恭也に、じわじわと不甲斐ない想いが心を占めていく。

 たくさん、助けられた。
 助けられてばかりいた。
 それなのに、自分は恭也の話を聞いてあげる事すら出来ないなんて。

 3人が、無力感から視線を下げる寸前、か細い声が空気を震わせた。
 弾かれた様に視線を戻した彼女達が見守る中、およそ恭也のものとは思えないほど力の無い声が、途切れながら少しずつ語りだした。

「…フィアッセは、父さんが護衛を務めたイギリスの議員の一人娘だ。
 長期の休みに旅行を兼ねて連れて行かれた議員の自宅で何度か顔を合わせて親しくなったんだ。
 『世紀の歌姫』と呼ばれるほど世界的に有名な歌手を母親に持ったからか、歌う事が好きで、自分の歌を聞いた人が喜んでくれる事に幸せを感じる様な、優しい子だった。
 …そのフィアッセが、父親の政策に反対するテロリストの標的にされたんだ」

314小閑者:2017/12/03(日) 13:13:59
 恭也のゆっくりと吐き出した息が震えている事に気付いたが、はやてはグッと下唇を噛んで耐えた。両手に添てくれているなのはとフェイトの手が震えている事に気付いて、指を絡めて握り返す。
 止めてはいけない。そんな事をしても何の解決にもならない。

「…その場に居たのは俺だけで、彼女を守るには俺の力では足りなかった。
 結果、フィアッセは心を壊して、自室から出られなくなった。
 …あの、綺麗な心を宿した歌声は、二度と響く事はなくなったんだ」
「…だから、恭也さんは体を鍛えたの?」
「…そうだ」
「…次に同じ境遇の人に会った時に助けられる様に?」
「…ああ。
 他の誰かを助けたところで、フィアッセに起きた事が無かった事になる訳じゃないし、フィアッセの心が戻って来る訳でもない。…そんなことは、分かってる。
 だけど、俺が同じ事を繰り返したら、フィアッセがあまりにも報われない。
 …フィアッセが誰かを助けるための犠牲だったなんて考えたくないのに、ただ無意味に傷付いただけとも思いたくなかった」

 恭也が右手を離しながらドアに頭をつけるようにして俯けていた顔を上げる。天井を仰ぐ様に上げた顔は、涙どころか表情も無い虚ろなものだった。
 店内では、他の人が居るところでは辛うじて保っていた無表情すら抜け落ちた空虚な顔。それは『精神状態を隠す』事を身に染込ませている恭也が、ここに居るのがはやて達3人だったからこそ見せた気の緩みなのだろう。

「…なのに、リインフォースも、助ける事が出来なかった」
「それはっ!…」

 はやては口を衝いて出ようとした言葉を咄嗟に飲み込んだ。
 『恭也さんの所為やない!』
 そう言う事は簡単だった。だが、恭也はその言葉を受け入れないだろう。いや、受け入れられないだろう。
 恭也のトラウマはフィアッセが精神を患った時、つまりずっと以前に負ったものだ。その傷を今より幼い、精神の未熟な時期に周囲から隠し通せるはずがない。
 恭也の家族には父親と妹にしか会っていないが、あの人達が共に生活する人がまったく正反対の人格とは考え難い。恭也の家族が彼の心の傷を放置したままにしていることはないだろう。きっと、あらゆる手を尽くして、それでも癒しきれなかったに違いないのだ。
 ならば、今更頭ごなしに言葉を投げかけたとしても効果など無いだろう。

 冷静に。
 慎重に。
 感情に流されずに。
 会話を続けて、苦しむ恭也さんを救う手立てを見つける。
 出来るかどうかなんて考えるな。
 何としてでも遣り遂げなあかんねん!

<はやてちゃん、落ち着いて>
<まずは話を聞こう。恭也の抱えてる苦しみが何か確かめないと>
<っ!
 うん、そうやね。それにしても、恭也さんの目の前で密談出来るなんて、念話ってちょっと反則ぎみな能力やね?>
<あは、そうだね>
<うん。でも表情に出したら気付かれちゃうから気を付けてね>

 冗談交じりの雑談を交わす事で、無理矢理にでも意気込んで入り過ぎていた肩の力を抜く。
 そうだ、自分には味方が、いや、恭也を救いたいと心底から思っている女の子が自分の他に2人もいるんだ。
 はやては心の中で『落ち着け』と繰り返し念じながら、静かな声で切り出した。

「恭也さんは、フィアッセさんが傷付いた事やリインフォースが消えてしまった事を、自分の所為やと思ってはるの?」
「…誰の所為かなんて、知らない。
 ただ、俺にはその場に居たのに助ける術がなかった。
 それが赦せないだけだ」
「リインフォースの時には、恭也よりも魔法に詳しい人がたくさんいたんだよ?
 その人達にもどうすることも出来なかった。
 魔法初心者の恭也を責める人なんて何処にも居ないよ?」
「他の誰に、何が出来たかなんて、知らない。
 誰に責められても、誰に赦されても、関係ない。
 俺が、何の力もない俺自身を赦せない。だから、嫌悪してるし、憎悪もしてる」
「…どうすれば、自分の事赦してあげられる?」
「赦す余地なんて、何処にある?」

 恭也の言葉に引き込まれそうになるのを繋いだ手に力を篭めて互いを意識する事で踏み止まる。
 挫けるな。目を逸らすな。絶望している暇なんて無いんだ。

「…私も、ね?母さんを怒らせる自分の事が嫌いだったんだ。母さんを助けられなかった自分を憎いと、今でも思ってるんだ」

 自身の傷を見せようとするフェイトの言葉に、なのはが視線を寄せる。
 その気遣いに感謝しながら、小さく微笑む事で応えた。
 自分は大丈夫だ。
 なのはに、生きていく勇気を分けて貰えたから。

315小閑者:2017/12/03(日) 13:15:05
「だけど、それ以上に、母さんを失った事が悲しいから、思い出して泣いちゃう事もあるんだ。
 でもね、夢に見て泣きながら目を覚ました事は何度もあったけど、起きてる間に思い出して泣ける様になったのは最近の事なんだ。
 恭也が、泣いても良いんだって、教えてくれたからだよ」


『理由なんて、どうでも良い。状況が許す限り泣きたい時に泣いておけ』


「自分の事を赦せなくても、嫌いになっても、仕方ないかもしれない。
 でも、悲しい時には、泣きたい時には、ちゃんと泣かなくちゃダメだよ?
 だって、泣いてもいい時には我慢しちゃいけないって教えてくれたのは恭也なんだよ?」
「…別に、我慢なんて、していない」
『えっ!?』

 思わず口を衝いて出た驚きの声が自分の耳に届く事で我に返る。
 同時に、その声が自分のものだけでない事を知って、他の2人の前で泣いていた訳では無い事も理解する。
 では、他の人の前で泣いていた?あの、恭也が?
 自惚れる積もりはないが、それは無いような気がする。
 では、独りで居る時に?
 過去の新聞記事から一族の滅亡を知った夜に『寂しい』と零した時にさえ涙を流さなかった恭也が?
 家族の死亡する光景を思い出して錯乱していた時にも、夢に魘され跳ね起きた時にも涙を見せなかった恭也が?

「恭也君、それじゃあ、悲しい時には、ちゃんと泣いてたの?」
「…」

 なのはが恐る恐る口にした疑問に恭也が答える事はなかった。
 その事に、3人は嫌な想像が膨らむ事を止められない。


 悲しい時には泣くべきだと言ったのは、恭也だ。我慢なんてしていないとも。それなのに、泣いたのかと尋ねると沈黙で応えた。

 泣いたと答える事が恥ずかしかっただけなら構わない。男の子としての矜持だってあるだろう。
 だが、たとえ独りで居る時だったとしても、本当に恭也に感情を吐き出す事が出来たのだろうか?それが出来ていて、それでもここまで追い込まれているのだろうか?
 客観的に見るなら、追い詰められても何の不思議も無い状況だろう。自分が恭也の立場に居たら、家族の死を知らされた時点で、暫くの間、行動どころかまともに思考する事も出来ないかもしれない。
 だが、その立場に在るのは、あくまでも恭也だ。
 過大に評価してはいけないが、過小に評価する事にも意味は無い。
 それに、今現在、心の傷と虚ろな表情を晒している恭也は泣いていないのだ。独りで居たからといって泣けるとは思えない。

 ならば、我慢していないという言葉が嘘なのだろうか?
 普通に考えれば、それが一番有り得る話だ。
 異常と言っても差し支えないほど我慢強い恭也なら、本当に限界ぎりぎりまで耐えてしまうかもしれない。たとえ、限界の先が崩壊だと承知していたとしても。
 3人が心配していたのもまさしくその事だ。だからこそ、感情を、悲しみを泣くと言う行為で吐き出させようと考えていたのだから。

 だが、もしも先の言葉に一つとして嘘が無かったとしたら?
 全てに嘘がなく、それでいて矛盾しないように説明する事は出来る。
 だが、そんな事が有り得るなど信じられない。
 それでも、その条件であれば納得出来る事もある。
 『我慢強い』と言う言葉だけで片付けるには、恭也の状態は異常に過ぎる。
 想像通りだとすれば、今の恭也を占める感情は自分への嫌悪と憎悪だけだ。それらの感情を吐き出させれば、確かに自傷行為、最悪、自殺以外にはないだろう。過剰と言うのも生温いほどの鍛錬を自らに課していたのは自傷行為と変わらないと思っていたが、まさしくその通りだったのでは?
 その想像が単なる妄想だと笑い飛ばすために、意を決したなのはが震える声で問い掛けた。

「…ねぇ、恭也君。
 ちゃんと、悲しんでるよね?
 フィアッセさんの事も、リインフォースさんの事も。
 ちゃんと、悲しいって思ってから、それから、自分の事を責めてるんだよね?」
「―――?」

 恭也のリアクションに、今度こそ3人は言葉を失った。
 その疑問符は、『何を当たり前のことを?』と言うものではない。
 『何故、悲しむのか?』と、『悲しむ理由が何処にあるのか?』と、そう問い返していた。

316小閑者:2017/12/03(日) 13:16:30
 込み上げる恐怖心を必死になって押さえつける。
 今まで見てきた恭也の異質さとは一線を画すその反応に、嫌悪感すら含んだ恐怖心で体が震えだす。
 好きな人が、大切な人が、守りたい人が傷付いた時に悲しまない人間などいる訳が無いと思っていた。
 そんな事は、心を持つ者ならどんな存在であろうと、例外など居る筈が無いと。
 その、居る筈の無い例外が、今、目の前に―――

<そんな筈、あるかい!!><違う!!><有り得ないよ!!>

 同時に上がった否定の言葉。
 互いの言葉に励まされて揃って胸を撫で下ろす。
 そうだ。ある筈が無い。
 あれほど心を痛めている姿を見せるのも、無力な自分を責めるのも、悲しいからこそだ。
 ならば、何故恭也自身がそんな勘違いをしているのだろうか?余程の理由が無ければこれほどの思い込みは出来ないだろう。
 あるいは、その理由が分かれば恭也を解放する糸口が見つかるかもしれない。

<なんやと思う?>
<ちょっと想像もつかないかな>
<恭也君のことだから物凄く突飛な事を考えてるのかも>
<う〜ん、そう言われればそんな気もするねんけど、具体的な事が思いつかんのよね>
<そう、かな?
 恭也も結構、理論的だと思うんだけど…>
<そうかぁ?>
<うん。
 ただ、普通の人なら『無理だ』って諦める所をそのまま突き進んじゃうって言うか…>
<ああ、そうか。
 そうだね、だから恭也君のやることってトンでもない事に見えるのに、説明されると凄く単純な言葉で済まされちゃうんだよね>
<う〜ん、そうなるとこの場合は…>

 『悲しくない』ではなかったとしたら何があるだろうか?
 悲しいと思えない?そんな筈は無い。それにこれでは意味合いがほとんど変わってない。
 悲しいと思ってはいけない?悲しむ権利の無い人なんて、…権利の、無い人?それは、加害者だろうか?でも、恭也は決して加害者などでは…守れなかったから?守れなかったから、悲しんではいけない、の?
 いくらなんでも、そんな…そんな理由で?
 そんな通ってもいない理屈で、感情を捻じ伏せることが出来るなんて思えない。感情をコントロールするのは容易な事ではないのだから。そう、如何に筋道立てた論理を示したところで泣き止んでくれる子供などいない。…理屈ではないのだから。
 理屈でも、論理でも、道理でもなかったのなら。…ただ、赦せなかったのではないのか?
 フィアッセを傷つけた者を。フィアッセを守れなかった己を。
 だから、フィアッセを守れなかった自分には、悲しむ権利なんて、無い、と…

 のろのろとした動きで左右を確認すると、なのはとフェイトも同じ結論に至ったようで、呆然とした顔には『信じられない』と書かれているかのようだ。
 純粋、だったと言う事なのだろうか?
 悲しむ事を禁じるなんて、自傷行為に近いものだったのかもしれない。
 その思い込みが、時と共に暗示となり、強固な呪縛となったのではないだろうか。

 真相など、分からない。
 本人にすら、自覚はないだろう。
 でも、そうだとしたら、あまりにも…

「アホや、なぁ…」

 はやてが軽く笑い飛ばそうとするが、震える声では成功しているとは言い難かった。

 なんて不器用な人なのだろうか?
 普通の人には真似出来ない様な事は平然とこなすくせに、誰も疑問に思わないような事に躓いて先に進めなくなってしまうなんて。
 はやては唇を噛んで湧き上がる感傷を振り払う。今考えるべきことは、恭也をこの呪縛から解放する方法だ。

317小閑者:2017/12/03(日) 13:17:35
 悲しんでも良いのだと、泣いても良いのだと、そう言ったとして恭也の心に届くとは思えない。
 優しい言葉は、きっと家族から何度も掛けられてきたはずだ。その結果が今の恭也だというなら、もっと別の角度からのアプローチが必要なのだ。

<はやてちゃん、何か思いついた?>
<うん、1つだけ、酷い事思い付いたわ>
<私も、思い付いたのは酷い事、かな?なのはは?>
<うん、私も、優しい言葉で恭也君を助けられるのは思い付かなかった>
<念のために確認しとこか?>

 3人とも、正直なところ浮かんだ案には自信が無かった。
 カウンセリングの勉強などしたことが無いのだから当然なのだが、素人考えでもその案が一般的なカウンセリングに向いている内容ではないと自覚していたからだ。
 だから、自分の思い付いた方法よりも的確で穏やかな方法を期待して意見を出し合い、どの案も内容に変りが無い事に落胆した。

<他に良い考えが思い付かない以上、これで行くしかないんだよね>
<フェイトちゃん…でも、逆効果になるかもしれないんだよ?>
<そやね。
 …もしかすると、今の弱り切った恭也さんには本当の意味で止めになってしまうかもしれへん。
 だから、部屋を出て行くのを止めたりせえへんよ。
 ドアには恭也さんが凭れ掛かってるけど、椅子に移動して貰うのはそんなに不自然やないやろし>
<…はやては、やめないんだね?>
<うん。
 きっと、恭也さんを助けられるのは今が最後やと思う。勿論、素人考えやから根拠なんて無いようなもんや。
 それでも、きっとここが最後や。
 恭也さんは私らを信頼してこの部屋に招いてくれた。他の人ではきっと無理やねん。
 カウンセリングの真似事を期待した訳やないんかもしれへん。そもそも『信頼されてる』いうんが私の勝手な思い込みかもしれへん。
 それでも、今、この場に立ち会ってる以上、手を拱いてる訳にはいかへん。
 どっかの偉いお医者さんも言うとった。『見殺しにするくらいなら人殺しになる事を選ぶ』って>

 自信の篭ったおどけている様にすら聞こえる台詞を、蒼白な顔で伝えてくるはやてを見て、なのはとフェイトも決意を固めた。
 2人にも『ここが最後』という予感はあった。だからこそ、絶対に失敗出来ないという重圧を感じていた。仮にこの案を実行しない事で恭也の心の傷を広げずに済ませたとしても、もう恭也を救うチャンスは二度とないかもしれないのだ。
 不安に胸が締め付けられる。目眩さえ感じる。叫んで、逃げ出して、ドアの外に居る大人達に助けを求めたい。
 だけど、それでも、これは自分達にしか出来ない事なのだ。
 はやての言葉通り、他の誰かがこの場に踏み込んできたら、恭也は即座に仮面を被るだろう。そして、二度とそれを外してくれなくなる可能性すらある。
 そんなこと、絶対にさせてはいけない!
 きつく閉じた瞼を開いた2人の眼差しから迷いが消えているのを見て、はやては強張った頬を少しだけ持ち上げた。

<よっしゃ、気合入れて行こか!>
<絶対に恭也君を助けよう!>
<うん、頑張ろう、なのは、はやて!>




「恭也さん」

 焦点を失っている様に見えた恭也の瞳がはやての言葉に反応してゆっくりとはやてに向けられた。
 声にすることなく問い掛けてくる瞳に怯みそうになる心を叱咤すると、声が震えない様に気をつけながら3人は話を切り出した。

「多分、な?誰でも同じやと思うねん。
 やろうとした事が上手くいかへんかったら、きっと誰でも怒ったり、嫌になったりするんよ」
「人によってその気持ちが自分に向かうか、外に向かうかの違いでしかなくて、恭也君は自分に向けちゃう人だったっていうだけなんだと思う。
 だからね、自分を嫌いになるのはしかたないし、おかしな事じゃないと思うんだ」
「私にも、経験があるよ。
 自分がどうなっても母さんを助けられるならそれで良いって思ってた。
 だから、母さんを助けられない自分が嫌いで、母さんを困らせる自分なんて要らないってずっと思ってた。
 恭也にとっては、それがフィアッセさんだったんでしょ?」

 応える声は無くとも僅かに歪む表情が、言葉が届いている事を教えてくれる。
 そして、その表情こそが少女達の精神を削り取る。呼吸が乱れ、視界が滲み、身体が震え、舌が強張る。
 それでも、握った冷えきった掌に力を込めて、互いを支えにして、互いに支えあい、なけなしの気力を振り絞って恭也を見据える。

318小閑者:2017/12/03(日) 13:18:22
 恭也を救えると信じて縋った言葉は、一度口にすれば後戻りの出来ない内容だ。
 それを承知しているからこそ、口火を切ったのは2人に決断を促したはやてだった。


「だから、な?
 恭也さんだけ、…ズル、するのは、あかんやろ?」


 恭也の表情が僅かに変わる。
 それは言葉の意味に疑問を示すものだったが、恭也の数年間の想いを真っ向から否定する言葉を口にしたはやては過剰に反応して身を竦めた。
 だが、ここで終わらせる訳にはいかない。
 言葉を継げないはやてに代わり、フェイトが口を開く。


「みんな、同じなんだよ?
 リインフォースを助けられなかった人はみんな同じ。
 私達も、シグナム達も、クロノ達も。
 力が無い事を、知識が無い事を、悔しがって不甲斐無い自分を嫌いになった。
 …だから、きっと、フィアッセさんが傷付いた事を後で知った人も、フィアッセさんの傷を癒してあげられない人も、力が有っても助けるチャンスがなかった人も…
 …力が、無くて、助けてあげられなかった恭也だけが、特別なんかじゃ、ない、よ?
 …だから、…だか、ら」


 優しいフェイトには恭也を非難する事自体が苦行でしかない。
 フェイトの限界を察したなのはが、涙に上擦りそうになる声を懸命に抑えながら最後の言葉を突きつけた。


「だから!
 恭也君だけ、悲しまずに済ませるなんて、そんなズルしちゃ、ダメだよ…!」



 目を逸らす甘えに、口を噤む誘惑に、傷付ける恐怖に、必死に抗いながら口にしたのは、あまりにも稚拙な理屈だった。

 悲しまないのは、その権利が無いからではないのだと、自分への罰などではないのだと。
 悲しまないのは、楽をしているだけで、ズルをしているだけ。
 助けられなかった恭也とて、他の人達と変わりなどないのだから、特別ではないのだから、悲しまずに済ませてはいけないのだと。

 それは、恭也が悲しまない理由が3人の推測でしかない以上、ただの誹謗中傷に過ぎない可能性すらある内容だ。
 仮に推測が正しかったとしても、もっと言葉を重ねて、時間を掛けて恭也の心を解き解すべきなのかもしれない。
 だが、それは理想論でしかない。
 今の10歳に満たない3人の少女には、これが精一杯だった。
 そもそも、この二日間に立て続けに起きた一連の出来事は、少女達にも平等に降り注いだのだから。
 恭也の消滅、自身の生命を脅かすほどの戦い、リインフォースの死。
 恭也にとってのウィークポイントだったために、平時に泰然としている恭也がもっとも顕著に動揺を表したことで特に強調されたにすぎない。
 そして、強調されたからこそ、全員が自分の状態を把握する余裕すら無いままに恭也の心配をしていたのだ。

 いつからか少女達は泣き出していた。
 拙いながらも立てていた筋書きも頭には残っていなかった。
 ただ、恭也を助けたくて、動かない足を無視して車椅子から這い降りようとするはやても、両脇から彼女を支えるフェイトとなのはも、膝を立てて床に座り込む恭也に歩み寄ると周囲から身体を寄せて手に手を重ねた。

「恭也さん、悲しんだげて…
 お願いやから、フィアッセさんのことちゃんと悲しんだげて…」

 まっすぐに感情をぶつけるはやてと、流した涙を拭いもせず嗚咽を堪えながらそれでも視線を逸らさないフェイトとなのは。
 そんな少女達をぼんやりと眺めていた恭也の目が、僅かに細められ、上へと逸らされた。


 届かなかった…


 思考を染めるその言葉に、心が冷えて体が震える。
 その、絶望へと沈もうとした少女達の耳に、恭也の掠れた声が届いた。



「…ごめん、フィアッセ」



 恭也にしては幼さを含むその言葉に顔を上げると、涙で滲む視界に恭也の頬を伝う一滴の雫が映った。

 たった、ひとしずく。
 嗚咽を上げる事も無く、閉じた瞼からそれ以上溢れさせる事も無い。
 それでも、何年もの間、停滞していた恭也の時間が動き出した証。

 それを見届ける事で張り詰めていた緊張の糸が切れた少女達は、恭也の代わりを務める様に恭也に抱きつき泣きだした。
 恭也は声に出して応える事無く、それでも太く逞しい腕で3人を包むように、あるいは縋りつく様に、抱きしめる。
 その温もりに安堵した少女達は、いつまでも声を上げて泣き続けた。







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319小閑者:2017/12/24(日) 17:30:09
第27話 笑声




「えー、と言う訳で記念すべき第一回目の団体戦です」
「はやてちゃん、これってこれからも定期的にやるんですか?」
「定期的かどうかは分からんけど、そのうちやる機会はあるやろ。
 では改めて、騎士対魔導師、6対5のチームバトル〜」
『異議有り!!』

 ここは時空管理局・本局、その一画にある戦闘訓練室の一室。

「のっけから躓いてばっかやなぁ。
 なのはちゃんもフェイトちゃんもなんやの?模擬戦参加は納得しとったやろ?」
「私はほとんど済し崩しだったけど、それはもういいよ。
 そんな事より!このチーム分けはずるいよ!」
「人数が奇数なんやからしゃあないやん。
 魔力量は兎も角、経験値がひよっこ同然の私がおるんやから1人分のハンデくらい認めてやぁ」

 時は事件の終結から2週間が経とうとしている1月初旬。

「人数の事じゃないよ!はやても分かってて言ってるでしょ!?
 どうして恭也がそっちのチームなの!?」
「ふっふっふ、何を言い出すかと思えば。
 恭也さんはアームドデバイス持っとるんやから、騎士か魔導師か言うたら当然騎士やん」

 会するはお馴染みのメンバー。

「恭也君が使う魔法はミッド式なんだから魔導師だよ!」
「そうだよ!
 ハンデが欲しいならクロノかユーノと交換するよ!」
「あ、それ良いね!」
「ダメでーす!
 提案は棄却されました!」
「横暴だよ!」
「そうだよ!シャマルさん、控訴します!」
「え!?なんで私に!?」

 訓練室に揃った一同は、いつも通り賑やかに騒ぎながらもチーム対抗での模擬戦を始めようとしていた。



 フェイトの裁判がそうであったように、管理局は局への奉仕を条件に刑や任期の軽減を図る。
 それは、管理局では犯罪の防止と抑止、犯罪者の更生を目的としているのであって刑罰を課す事自体は手段に過ぎない、という名目と、広大な次元世界の平和を維持するためには優秀な人材はいくらあっても足りない、という実情を折り合わせた結果である。
 ただし、犯罪を犯したという経歴自体が消える訳ではないので、閲覧に制限の掛かっている犯罪歴を見られる権限を持った上層部、その中でも一部の潔癖な者達からの風当たりは強い。
 また、当然ながら各種の行動制限や定時報告義務、上位者からの監視など諸々の規則が課せられ、それらを破れば更に罪状が積み上げられるため、見方によっては留置場に拘束されている方が楽とも言える。
 それらのメリット・デメリットの説明を受けた上で、はやてとヴォルケンリッターは提示された選択肢を選んだ。
 社会奉仕や犯罪の低減に貢献するというのは、分かり易く、且つ具体的な『罪を償う』ための行為だし、それを成すための力も備わっている。そして、実際に犯罪に巻き込まれて苦しむ人が少しでも少なくなるのであれば、はやての心情的にも実益としてもこれほどぴったりの道は無い。
 勿論、向き不向きはあるし、年齢的にも部署や方向性は模索する必要があるが、はやて自身の極めて個人的な目的のためにも努力を惜しむつもりは無かった。
 そして、そのための第一歩とも言える裁判を間近に控えているヴォルケンリッターが何故模擬戦などにうつつを抜かしているかといえば、その場のノリと勢い、ではなく、リンディからの要請があったからだ。
 適材適所という意味でも、人手不足と言う意味でも、高度な戦闘技能を持つ者に庭掃除をさせるほど馬鹿な話はないし、本人がいくら望もうとも情報処理能力にのみ特化した者を戦場の最前線に立たせるわけにもいかない。
 事件中の戦闘シーンは事件資料として秘匿するため、個人データとして登録するための正式な戦闘データは改めて収集する必要があるのだ。
 とは言え、ヴォルケンリッターの実力はそれぞれAAA前後。相手を出来る者は自ずと限られてくる。
 そのためAAA+のクロノと事件直前にAAAランクに認定されたフェイト(+フェイトについて来たアルフ)が交代で単独戦闘の対戦相手を務めるために訓練室に集められた。そこに、調整中のレイジングハートの具合を見るために戦闘データを必要としていたなのはと不慣れな無限書庫勤務の休憩に出てきたユーノ、更には本局内を当て所も無く彷徨った挙句たまたま辿り着いたという恭也が合流した事で団体戦へと切り替わった。
 勿論、脈絡も無く唐突に始まろうとする団体戦に、『実力を見るための個人戦ではなかったのか!?』とクロノが異議を唱えたがリンディにあっさりと一蹴された。

320小閑者:2017/12/24(日) 17:30:49
 曰く、はやてを含めたヴォルケンリッターの集団戦闘力を見るためのメンバーを揃えるのは簡単ではないから、と。
 実際、AAAクラスのメンバーを揃えるだけでも容易ではないし、仮に揃えたとしてもそのメンバーが連携出来ない烏合の衆では八神一家の実力を測る事が出来ないのも事実なのだ。
 偶然ながらもオールラウンド且つ指揮能力を持つクロノ、射撃・火砲支援のなのは、射撃・近接戦闘のフェイト、防御・補助のユーノ、補助・近接戦闘のアルフ、と偏りの無い編成だし、気心も知れた仲だ。彼女らの実力を計るにはうってつけのメンバーと言えるだろう。
 …守護騎士達の実力を計るはずなのに、そこに恭也が混ざっては拙いだろう、という正論はクロノも口にしない。どうせ『見たいのは勝敗ではなく連携よ』とか『Fランク魔導師が1人加わったから負けた、なんてみっともない事を誰に言う積もり?』などと切り返してくるに決まっているのだ。

 それは兎も角、だ。

「フェイト…、曲がりなりにも義兄に対してその扱いは…」
「立場を利用して着替えを覗こうとすれば嫌われるのは当然だろ?」
「ユーノ!人聞きの悪い事を言うな!
 あれは事故だ!しかも未遂だったんだぞ!」
「ドアノブまで回してたじゃん。恭也が阻止してなければ堂々と入って来てたろ?」
「アルフまで…」
「ワザとじゃなくっても、一緒に住んでてそれは拙いだろ」
「クッ…
 君だってなのはの家に居た頃はフェレットに化けて風呂場に乱入していたそうじゃないか?」
「僕が!連れ込まれてたの!」
「…ま、どっちも恭也とのトレード要員扱いなんだし、仲良くしといたら?」
「その括り方は納得いかないんだが…」
「しかもはやてには端から拒否されてるし。
 …ま、あの3人にとっての恭也のポジションを考えれば当然なんだろうけど」
「いやに物分りが良いじゃないか。
 …諦めるのか?」
「諦めるも何も、なのはの事は可愛いとは思うけど、今のところ恋愛感情って訳じゃないみたいだしね。
 これからどうなっていくかなんて僕にも分からないけど、逆に今すぐどうこうってモノでもないよ」
「それが諦めだと言っているんだがな。
 その歳で諦めが良過ぎるのは感心できる事じゃないぞ?
 …同情、じゃないのか?」
「無いとは言わないよ。
 でもね、これでも遺跡調査のためにあちこち飛び回る一族に居たからさ。
 親類を亡くした子供、子供を殺された親、…大事な存在を失った人は結構見てきたし、僕自身も多少なりとも経験してるから、彼の境遇自体に特に思うことは無いんだ。
 ただ、歯を食いしばって生きようとする恭也みたいな人の事は、やっぱり嫌いにはなれないよ。
 それに、クロノだって恭也の事は気に入ってるんでしょ?」
「…ふん」

 クロノは返答の代わりに鼻を鳴らしながらそっぽを向く。
 ユーノの言葉を素直に認めるのにもムキになって否定するのにもクロノの精神は少々成長し過ぎていたし、対象となる恭也はこちらが肯定すればからかいに来る性格なのだから無難な反応だろう。

 クロノもユーノも、恭也の八神家での生活を知らないが、なのはとフェイトが恭也に好意的であることに疑問を挟む積もりは無い。それが、友人に対するものなのか異性に対するものなのかまでは年齢的にも判断に迷うところではあるのだが。

 先の事件では何度か深刻な状況に陥った。
 それは管理局員として働いていたアースラスタッフにとっては、悪い方から数えた方が速い物ではあっても絶望する程ではない、言ってしまえば『いつもの事』。
 だが、嘱託として就任したばかりのフェイトや民間協力者でしかないなのはにとっては心を挫かれる可能性が十分にあった状況のはずだ。それでも諦める事無く耐え抜いて来られたのは、本人達の心の強さは勿論の事、恭也の存在が大きな支えとなったのだろう。

 正体不明の敵陣営との初めての邂逅、そして一方的な展開のまま叩き伏せられた最初の戦闘がなのはのリンカーコアを蒐集される事で幕を閉じた時。
 襲撃者が第一級のロストロギアである闇の書の守護騎士であると判明した時。
 2度目の守護騎士との戦闘で偶然が重なり戦場に紛れ込んだ(と当時判断された)恭也がなのはを庇い重症を負った時。収容されたアースラの医務室で錯乱した時。その原因を自身の口から告げられた時。
 砂漠でのシグナムとの戦闘で恭也とフェイトが負傷したうえに、守護騎士以上の実力と推定される第三勢力が現れた時。
 努力も虚しくはやてが書の主として覚醒し、闇の書が起動した時。
 闇の書の『吸収』により恭也の姿が2人の目の前で消失した時。
 吸収された恭也を助け出すための管制人格との戦いにおいて、どれほど攻撃しても通じなかった時。
 圧倒的で純粋な『力』となった闇の書の闇と対峙した時。

321小閑者:2017/12/24(日) 17:31:40
 別に、その時々に2人の傍に居たのは恭也だけではないし、恭也が居なかった時もあった。居た時であっても恭也自身が直接的に2人のために何かをしていた訳ではなかった。逆に恭也が原因になりかねないものさえ混ざっていた。
 それでも2人が恭也と距離を取る事はなかった。
 それは、辛い時に何時も助けてくれる『英雄』に、言い換えれば助けてくれなければ存在価値の無い『英雄』に、恭也を祭り上げていた訳ではないということだ。
 そもそも、恭也には他人に手を差し伸べている余裕などなかったはずなのだ。何故なら、両陣営の状況を知っていた恭也は事件に係わった誰よりも辛い立場に在ったのだから。
 恭也ははやてを助ける手段を探すために管理局に潜入した事で、徐々に追い詰められていく守護騎士達の様子を突き付けられ続けた。そして、そんな彼女達を助けるどころか追い討ちをかける立場に在ったのだ。毛筋ほどの動揺も表すことの無かったその胸の内ではどれほどの葛藤があったのだろうか。
 ヴォルケンリッターが私欲で動いている訳では無いと察して力になりたいと思いながらも犯罪を是とする事も出来ず苦悩するなのはとフェイトの姿も恭也は見続けていた。仮に2人がヴィータやシグナムを純然たる『悪』であり単なる『敵』だと認識して、自分達を『正義の味方』とでも思い込んでいる様な単純な子供だったなら恭也の抱く想いも変わっていたかもしれない。だが、そうではなかった以上、恐らく戦闘で互いに傷付けあう2人にも守護騎士達にも恭也は心を痛めていただろう。
 そんな状況にあって、悲観にも楽観にも傾く事無く、程よい緊張を保ちつつ適度にくつろいでいる様を繕いながら、必死に、有らん限りの力を尽くして手を差し伸べようとする恭也。
 なのは達が心の支えにしていたのは、あるいは逆境でも踏み止まり自らが強く在ることで支えたかったのは、そんな恭也なのだ。
 その想いの強さは、嫌われる事を覚悟してでも恭也を諌める姿から容易に推測出来るだろう。
 そして、居候していた八神家においても、孤独に苛まれながらもはやて達のために尽力していたであろう事は、はやて達の態度を見れば想像に難くない。

 結局のところ、平時には一見すると傲岸不遜な態度を取る恭也であるが、非常時に垣間見せる彼の本質を知ってしまえば嫌う事が酷く難しくなるのだ。
 全くもって、厄介な事この上ない男だ。

 感慨に耽る少年達を脇に、少女達の舌戦は続いていた。
 そして、徐々にヒートアップしていく3人の様子を見かねて口を挟んだのはシグナムだった。

「主はやて、互いに譲歩する気がないならいつまでも結論は出ないでしょう。いっその事、本人の意見を採用しては如何です?」
「はぁはぁ、そ、それもそやな」
「そ、それなら、はぁ、私も構わないよ」
「恭也は、はぁはぁ、どっちのチームが良いの!?」
「…ん?チーム?
 …まぁ、また別の機会もあるだろうし、今回はその組み合わせで良いんじゃないか?」
「…あ、うん」
「そう、そうだよね。次があるよね」
「はは…、じゃあ、今回はこのまま、いう事で」

 まるで自分を巡って行われていた少女達の言い争いが聞こえていなかったかのような恭也の至極冷静な答えに、息も絶え絶えになるほど白熱していたはやて達も“素”に戻されてしまった。

「…恭也は相変わらずみたいだね」
「まぁ、な…はぁ」

 諦め口調のユーノの台詞に、クロノも溜息に溶ける様な声を返した。
 もともと恭也は多弁とは言えなかったが、こうしてみんなで集まった時に火が消えたように感じてしまうと恭也の変化を痛感させられる。


 クリスマス以降、恭也の発言からは皮肉や冗句の類が完全に抜け落ち、常に張り詰めていた雰囲気は霧散してしまっていた。いや、恭也と一緒に居る少女達は妙に落ち着いていたというか安心していたので『張り詰めていた』という表現には語弊があるのだろう。ただ、周囲を威嚇することも無く傍から見ていて欠片ほどの油断も無い事が見て取れた以前とは明らかに違っていた。
 あの晩の事で恭也を助けられた、少なくともそのきっかけにはなったと思っていた少女達は勿論、周囲の者は皆多少の差はあれ困惑した。
 彼の言動が高町恭也に似ている事に気付いたユーノの『憑き物が落ちた結果、本来の不破恭也に戻ったのではないか?』という仮説に一度は全員が頷きかけた。今の恭也も『抜け殻』と言う訳ではなかったし、一緒に居ると落ち着ける雰囲気は残っているからだ。
 だが、翌日には自他共に認める恭也観察者達がその仮説を否定し、『考え事か悩み事に没頭している』という一致した意見を出した。
 そして、恭也に対する観察眼の高さを鑑みた結果、少女達の説が有力視された。丁度、今後の身の振り方を決める時期ではあったし、そもそも誰にとっても激動の日々が収束したばかりなのだから無理もない、という今の状況もこの説を補強していた。

322小閑者:2017/12/24(日) 17:32:20
 だが、暫くはそっとしておいてあげよう、と率先して周囲に訴えていた3人娘こそがその一週間後に誰より先に音を上げた。恭也に構って貰えない事に想像以上に寂しさを募らせてしまったのだ。
 そのため『悩み続けるのは良くない。たまには気分転換が必要な筈だ』という勝手且つ一方的な見解を導き出し、恭也を漫談に巻き込もうと画策するようになってしまった。
 先ほどのなのは達の掛け合いの様な遣り取りがまさしくそれで、恭也が参加する事を期待した呼び水のつもりなのだ。手段があまりにもアレな上に、あの内の何割が演技なのかが周囲の者には非常に気になっているところではあるのだが。その上、日に何度か行っている同様の試みも今のところ成功したという話は聞こえてこないので、少女達に対する印象が残念な方向に傾いただけという結果に終わっていた。なんとも報われない話である。
 すっかり恭也に毒された少女達を見て、彼女達の将来を案じているヴォルケンズも、自覚の無いまま落ち着きが無かったり気が短くなっていたりと人の事は全く言えていなかった。
 だが、笑い話に出来たのはここまでで、アースラスタッフは恭也のアクの強さ、その中毒性と依存性の高さを実感して背筋を震わせることになった。一方的にからかわれていたはずのクロノやユーノまで日に日に口数が減っていったのだ。
 勿論、クロノ達の変化がその原因を恭也の何かに感染したからと決め付けるには根拠になるものは何も無い。だからといってこれだけ勢力が拡大していく様を見せ付けられれば楽観視する気にはなれなかった。
 初期症状で収まれば良いが、万が一にでも執務官であるクロノの症状が進行して少女達の様に情緒不安定になられては堪らないし、これで更にリンディとエイミィにまで蔓延してはアースラの運行すらままならなくなってしまいかねない。そして、恐ろしい事にその懸念が実現しかねない要素、恭也とリンディ達との日常における接点が存在するのだ。

「家でもずっとあの調子なの?」
「僕もそれほどマンションに居られる訳じゃないんだが、フェイトやアルフに聞く限りではね」
「…そんなんでいいの?大義名分は『保護観察』でしょ?」
「恭也はシグナム達の行為に加担してなかったから、ロストロギアの無作為転移に巻き込まれたただの被害者、それどころか書類上では事件解決の最大功労者だ。
 名目上でも保護であって観察じゃないんだ」

 そう。
 自首と言う形を取っているとは言え立場と書類上の都合と状況から裁判を控えた観察処分扱いの八神家に帰すことは出来ず、精神的に極大な負担が掛かる恐れのある高町家に放り込む事も出来ないとなれば、恭也の居られる場所はハラオウン邸しか残されていない。
 そんな訳で、家主であるリンディとクロノ、家族付き合いをしているエイミィに養子縁組みを進めているフェイトと彼女の使い魔であるアルフ、そして恭也を加えた6人が現在のハラオウン邸の住人である。

「あたしとフェイトが知る限り家の中でもあの通りだよ。
 でも、昨日あたしが後ろから空き缶を投げつけたら振り向きもしないで受け止めてたからボーっとしてるって訳じゃないのかもね」
「…まぁ、恭也だしね。
 警戒は怠ってないって事かな?」
「どうかな?僕はあいつが、それくらいのこと条件反射でやってのけたと言っても疑う気にはなれないぞ」
「それは確かに。
 あ、でも君がフェイトの着替えに乱入するのを止めたって事は、まるっきり上の空って訳でもないんだろうね」
「あれも配慮があったとは言えたもんじゃないから怪しいところだと思うが…」
「あれ?君の事だから悪態吐いてても感謝はしてるかと思ってたんだけど?」
「…まぁ、結果的に惨事を止めてくれた事に変わりはないから、感謝していなくも無いんだが…」
「はっきりしない言い回しだね。事故に託けて覗きたかったの?」
「違う!
 …あいつ、音も無く背後に立って、無言で首筋に刀を突きつけたんだぞ?
 刃の無い峰だったから着替えに踏み込みそうになったのが故意じゃないと分かってたんだろうと思うけど、頚動脈に触れる金属の冷たい感触なんて2度と味わいたくないぞ」
「うわぁ…、容赦ないなぁ」

 情景が容易に想像出来たのか、呟くユーノはやや蒼褪めている。以前になのはと一緒に入浴している事を知られた時に一悶着あったため他人事とは思えなかったのだろう。

323小閑者:2017/12/24(日) 17:33:23
「…まだ悩んでるみたいね、不破恭也君は」
「そうね。
 悩む必要なんて無いと思うんだけど、彼自身は納得出来ないみたい」

 モニタールームでコーヒーを啜りながら訓練室のやり取りをモニタ越しに眺めているのは、リンディと彼女の同僚であり友人でもあるレティ・ローラン提督だった。

「負い目ばかり増えていくのよねぇ、恭也さんには」
「負い目?」
「この世界に留まるって言ってくれた事よ」
「良かったじゃない。例のロストロギア、結局どう調べても恭也君のいた世界が割り出せなくて、システムの暴走で偶然その世界と繋がったんじゃないか、なんて半端な結論だったんでしょ?
 尤も、機能の何割かがブラックボックスだって話だから何処まで本当の事かはわからいけれど。
 でも、どうしてそれが負い目になるの?」
「彼に事情を説明して謝罪しようとしたら、『元の世界に戻る件だけれど』って切り出した時点で私の言葉を遮って『この世界に居させて貰いたい』って」
「…考え過ぎじゃない?」
「彼に関しては何処まで察してるか読めないから、気軽にそう言えないのよ。
 『ロストロギア』が現代の技術では解明しきれない物が多いって事も知ってるはずだもの。
 改めて説明と謝罪をしても『ちょうど良かった』で済まされちゃうし」
「負い目は増えるし、悩みは抱え込む、結構な問題児ね。
 それで態々彼のために模擬戦まで準備した訳ね。どうにもならない事態は幾らでもあるっていうのに、なかなかに御執心じゃない?」
「子供を導くのは大人の役目。
 尤も、大暴れした程度で悩みを晴らせるほど単純な精神構造はしてないのよねぇ、恭也さんは。
 集中出来ずに直ぐにリタイアなんて事にならないといいけれど」

 レティの模擬戦に関する言葉をリンディも否定はしなかった。揶揄は兎も角、恭也のために団体戦になるようになのはやユーノの行動に裏工作したのは事実だからだ。
 クロノの指摘通り純粋な戦力評価であれば個人データを優先するべきだし、不確定要素となる恭也をヴォルケンリッター側に組み込むなど論外だ。今回の模擬戦は参考データにしか使えないだろう。
 そこまでして、八神一家の戦闘データを記録するための模擬戦を強引に団体戦に仕立て上げたのは、話に上がった通り恭也に何がしかの切欠を与えたかったからだ。
 勿論、はやて達を軽んじている訳ではない。ただ、勝訴出来る算段が立っている上にメンタル面で余裕のある彼女達よりは、不安定になっている恭也を優先するべきだと判断したのだ。

「クロノ君を口先だけでやり込める所を是非とも生で見てみたかったんだけど、この調子じゃ無理かしら?」
「趣旨が変わってるわよ?
 彼の戦闘記録が信じられないから直に見たいっていうから呼んであげたのに」
「そりゃあ疑いもするわよ。
 あれを初見で見たままを受け入れる人がいたらそっちの方が異常よ」
「順番に見なかったの?」
「言われた通り、クロノ君との遭遇戦から順番に管制人格との戦いまで見たわよ。
 確かに最初から闇の書戦を見たら絶対CGだと決め付けてたと思うけど…
 だからってあれは無いわ。
 クロノ君との戦闘やシグナム戦の前半では魔法を使ってないんでしょ?」
「まあ、ねぇ?」
「それに戦う度に新しい技を見せたってことは、前回の戦闘を経験したから強くなった、なんて都合の良い台詞も当て嵌まらない。
 ってことは、いくらシグナムが身内だったからって寿命を磨り減らすような戦いで手札を伏せたままにしてたってことでしょう?
 …まさか、戦力分析も出来ないって事は無いでしょうね?」
「それは無いと思うわ。
 馴染みが無い筈の魔法戦闘まで評価してたもの。馴染みが無い分、先入観や魔法理論も無いから、起きてる現象そのままの物凄く的確で辛辣な評価だったわ。
 それにクロノが相手の時には単に魔法が使えなかっただけだし、シグナムさんの時にはメッセージを伝えたかったらしいわよ?」
「メッセージ?何て?」
「…はやてさんの味方だよって事と、蒐集活動を続けるとはやてさんに害があるかもって」
「…それだけ?」
「……それだけ」
「…まぁ、大事なことなんでしょうけど、…命懸けで?」
「…………命懸けで」
「…価値観の違いかしら。
 ちょっと正気の沙汰とは思えないんだけど」

324小閑者:2017/12/24(日) 17:35:51
 レティの言葉に苦笑いを浮かべながらも内心で同意するリンディ。
 尤も、レティにデータを見せたのは何も驚愕を分かち合いたかった訳でもなければ、彼女の驚く様を見たかった訳でもない。運用部に所属するレティに恭也の実力を知って貰いたかったからだ。
 魔導師ランクからすれば恭也の実力は限りなく底辺を這いつくばっていると判断されてしまう。この判断自体は魔法文明に帰属する管理世界では仕方がないものではあるし、リンディ自身もクロノとの遭遇戦が済し崩し的に始まっていなければそもそも彼の実力を確認しようとは考えなかったはずだ。
 仮に恭也が武装局員になる事を希望した場合にその判断基準は間違いなく彼にとって不利に働くだろう。門前払いこそしないだろうが、高ランク魔導師との手合わせなどと言う場自体が設けられることは無く、彼の実力は誰にも知られる事無く埋もれる事になる。そうなれば戦場に配属されようとも良くても後衛、悪ければ補給部隊などの補助的なものになる。
 それらの役割が非常に重要であることは否定しようの無い事実ではある。前衛部隊しかいない軍など大した脅威には成り得ない。だが、同時に補給部隊しかなければ軍とは呼べない。組織である以上、偏っていてはダメなのだ。

 恭也の戦闘技能は魔法に依存しない。勿論、魔法を使わなければ空を駆ける事は出来ないし、身体強化を発動していなければ超高速行動は行えないだろう。
 だが、足場自体は任意の空間に形成出来なくとも彼であれば建築物や樹木で代用してみせるだろうし、超高速行動以前に魔法が関与していない視認出来ても理解出来ない数々の体術は十分に戦力に成り得るものだ。
 尤も、魔力弾の一撃で破壊出来るような純物理的な力場の形成という正しくFランク相当の魔法で、こともあろうかSランク魔導師に文字通り殴りかかれるだけでも非常識な戦果ではある。
 そんな、たとえ限定条件下であろうと高ランク魔導師と渡り合える者を遊ばせておく余裕などないのが管理局の実情だ。
 そして、力を発揮出来る条件が限定されている人物をその条件を満たす部署に配置するのが運用部の役割であり、その運用部を纏め上げているのがレティなのだ。
 だから彼女に戦力を内密にしておくなどという選択肢は在り得ない。そして彼女であれば恭也の技能を生かす事無く腐らせてしまうという心配はない。
 望みさえしてくれたなら。

「何処からでてくるのかしらね?『自分が居ない方がはやてちゃん達は幸せなんじゃないか』、なんて考え方」
「脚色されてるわよ。
 今後の事を話していた時に、ポツリと『傍に居ない方が良いかもしれない』って言ってただけ」
「他の意味に取り様がないじゃない」
「まあ、ね」
「『世界はこんな筈じゃなかった事ばかり』って言うのはクロノ君の言葉だったかしら?」
「ええ。
 でも、恭也さんの悩みは『転送事故でここに来なければ、自分が関わったりしなければ、あの子達はもっと幸せだったんじゃないか』って言うのとはちょっと違うんじゃないかしら?
 人の数だけ夢と理想と欲望があるなら、現実になるのが一握りなのは当たり前だろう、って当然のように答えてたもの」
「…それはそうでしょうけど、犯罪者の私欲に巻き込まれて不幸を背負い込んだ人にそんな理屈は、…彼、前の世界で家族を失ってるんじゃなかった?」
「人災ではなかったみたいだけどね。
 でも、転移事故に巻き込まれたのは彼一人。他の人が一緒に助からなかったのも、彼が孤独に苛まれたのも、容易に受け入れられる事ではないはずなんだけど、ね。
 それに、恭也さんも犯罪に巻き込まれても仕方ないって言ってる訳ではないのよ。降り注ぐ火の粉を払うために身に着けたのがあの戦闘技術ですもの」
「自分の理想とは違っていても、目の前に現実として現れたら嘆いていても仕方ない。理想に近付けるように力を尽くすのみ、か。
 年齢的に初等科なのに悟りきってるわね。
 …あら、じゃあ『自分が居ない方が〜』て言うのはこれからの事?」
「そうでしょうね」

 眉間に皺を寄せるレティと、同意を示す様に苦笑を返すリンディ。
 普通に考えれば、はやてにしてもなのはやフェイトにしても、恭也が一緒に居てくれる事を喜びこそすれ嘆いたり嫌がったりする事はないだろう。
 彼の感性を持ってすると全く別の結論に至るのだとすれば、悟っているというより一般人と大きくずれているだけなのかもしれない。

325小閑者:2017/12/24(日) 17:36:43
「まぁ、自分なりの答えを見つけるしかないんでしょうけど…
 あと3年でうちのグリフィスもああやって『人を幸せにするには』なんて悩みを抱えるようになるのかしら」
「さぁ、どうかしら。
 少なくとも、クロノが10歳の頃には目の前の事に掛かりきりで周りを見渡せる余裕は無かったわね」
「普通はそうよねぇ。特に男の子は精神的に成熟するのが遅い傾向があるし。
 それにしたって私達だって自分の存在意義や行動に疑問を持つようになったのはもっと後だったわよね?」
「ええ。
 あの頃はまだ純粋に『管理局の正義』を信じていられたと思うわ。管理局員として悪い人達を捕まえていけば、きっとみんなが幸せになれるって…。
 恭也さんは、知ってるのかしらね…」


 リンディが声に出さなかった言葉を察してレティも口を閉ざす。
 勧善懲悪が罷り通るほど世界は優しくないと、世界は想像以上に汚く汚れているのだと、そう思い知らされたのは何時頃だっただろうか。
 自覚の無い悪意。悪意の隠された善意。醜悪極まりない善意。『価値観の違い』の一言で片付けるには異質過ぎる心の在り方。…自分自身の中にも存在する心の一面。
 モニタに映る表情を表す事のない少年は、そういった世界の醜さまで知っているのだろうか。
 そんなものは知る事無く過ごして欲しいと思う反面、生きていけば何時かは必ず直面するものだとも分かっている。社会に暮らす以上多かれ少なかれ向かい合わなくてはならないそれは、管理局員になることでより具体的でより極端な実例を『事件』と言う形で付き付けられる事になるだろう。
 自分が例外でない事を知ったレティが、それでも絶望せずに済んだのは身近な友人達の小さな優しさに気付けたからだ。
 何れやってくるその時に、深い闇と対を成すように暖かい光が存在する事に彼らは気付けるだろうか?
 きっと大丈夫だ。
 屈託の無い笑顔を浮かべる少女達と柔らかい視線で見守る少年を見ていると、根拠も無くそう思える事がレティを少しだけ勇気付けてくれた。










「はやて、訓練室の予約時間は決まってるんだ。
 いい加減に始めないと決着が付く前に切り上げる羽目になるぞ」
「はーい。
 じゃあ、クロノ君の小言が本格的になる前に始めよか」
「好きで言ってる訳ではないんだが…」
「あはは、ゴメンゴメン、冗談やって。
 それじゃあ改めまして、これより」
「済まんが、少し良いか?」

 事ある毎に脱線していた模擬戦が漸く始まろうとしたところで、またもや横槍が入った。
 だが、発言者が誰なのか気付くと、全員が口を挟む事無く次の言葉を待った。
 一斉に集まった視線に怯む様子も無く、思考を纏めきれていないのかどこか茫洋とした口調で恭也が続く言葉を口にした。

「はやては、何故特別捜査官を志望したんだ?」
「え?」
「ハラオウン提督からシグナム達と離れずに済ませる方法として管理局員になる事を提示された事は予想出来る。
 だが、刑罰の軽減が管理局への奉仕であるなら他の部署でも問題ないはずだ。
 あの方なら、お前達が如何に垂涎モノの戦力であろうと本人の意思を無視するとも情報を隠して利己的に思考を誘導するとも思えない。戦闘行動に係わりの無い部署も同時に提示してくれたんじゃないか?」

 想像もしなかった恭也の発言内容に、はやては咄嗟に言葉が返せなかった。
 状況からしててっきり恭也の話は最近悩んでいる事に関連していると思っていたのだが。
 …ひょっとして、自分の進路や将来を案じてくれていたのだろうか?
 頬が自覚出来るくらい熱い。心配させておいて喜ぶのは間違っている気もするが膨らむ気持ちは抑えられない。

「なのはは武装局員、フェイトは執務官だったな。
 どのくらいの程度差があるかは知らないが、どちらも戦闘技能を要求されている以上、戦う事が前提だろう?」
「あれ、恭也君、もう知ってるの?」
「え、私も?」

 三日前にリンディに告げた内容を直接伝えてもいないのに悩みを抱えているようだった恭也が知っている事に驚くなのはと、恭也と出会った時には嘱託として従事していた自分まで心配の対象になっていたことに驚くフェイト、そして、恭也さんはみんなに優しいなぁ、と横でこっそり落ち込むはやて。

326小閑者:2017/12/24(日) 17:37:28
「力を持たない人を守るというのは尊い行為だ。
 お前たちの持つ類い稀な力を持ってすれば、きっと多くの人を助けられるだろう。
 その選択自体を非難する積もりはないし、そんな権利は持ち合わせてはいない。
 ただ、これだけは聞いておきたいんだ。
 その選択の先にはお前達にとっての幸せが存在するのか?」
「幸せ?」

 突然概念的な内容になったため思わずはやてが尋ね返す。
 幸せ
 それは個人の趣味・嗜好に依存するものだ。
 たった一人で豪華な食事を取る事を、喜ぶ者も居れば寂しいと評する者も居る。それは絶対的な正誤の存在しない問題だからだ。
 恭也もそれを理解しているからこそ、『お前たちにとって』と聞いているのだろう。

「呼吸するように人助けをする人も居る。それはその人の価値観が他人を助ける事を是としているからだ。
 だが、社会的通念として『そうする事が正しいから』という程度の気持ちであれば止めた方が良い。
 その考えはいつか必ずお前達自身を不幸にする。
 力を持ちながら人助けをしない事を非難する者が現れるかもしれないが、そんな奴は無視して良い。俺が許す。
 力を持たない者も持つ者も同じ人間だ。持たない者は守られるのに持つ者は守られないなんて事があっていいはずが無い」

 権力も財力も無い(武力だけは一個人としては破格なほど持ち合わせているが)小学生に許されたところで何の慰めにもならない筈だが、矢鱈と心強く感じる。
 何より、自分達の事を心底から心配してくれているというだけで、この上も無く嬉しい。

「うん、心配してくれてありがとうな。
 でも、大丈夫や。私ら、管理局に入るんは目的があんねん」
「目的?
 そうか…ん?3人とも同じなのか?その目的は」
「えっと、まぁ、同じ、かな?」
「差し支えなければ教えてもらえないか?」
「はは、やっぱそうなるわな」
「無理強いする積もりは無いが?」
「ああ、ええねん。聞かれたら答えようとは思とったし。
 なのはちゃんもフェイトちゃんもええよね?」
「うん、いいよ」
「はやてに任せるよ」
「では、私が代表して。
 あ、一応言うとくけど、3人で相談して決めた訳やないんよ?それぞれが決めた事をお互いに話とこってことになったら、同じ目的やった言うだけやねん」

 それだけ前置きをした後、小さく深呼吸したはやては、恭也に向き直るとゆっくりと話し始めた。

「私な、守りたい人がおるんよ」

 その言葉に反応した恭也の眉がピクリと動いた。
 その言葉は、恭也がデバイスマイスターである老人に特殊な仕様のデバイスを求める動機を聞かれた際に、説明の冒頭に用いた言葉と重なっていた。そうとは知らないはやては、恭也の反応を不思議そうに見返しつつも話を続けた。

「その人、えらい強い人でな、その人に無理なら他の誰がやっても無理やろって思わせるような人やねん。
 おまけに心まで強くてな、その人の事良く知ってる人が言うには、その人は大切な人を守るために必要やったらその他の全部を見捨てられるんやって。
 …私も、そう思う。
 きっと、相手が小さな子供でも、無力なお年寄りでも、男の人でも女の人でも関係なく、それがどうしても必要やって判断したら、躊躇無く、平然と、…見捨ててみせると思う。
 …どれほど苦しくても、どれほど悲しくても、どれほど辛くても、…平然とな。
 誰にも言い訳せんと、誰にも悩みを打ち明けんと、誰にも…心配させてくれへんと、平然として見せる、そういう人やねん」

 震えだした声を落ち着けるために、言葉を止めて深く大きく呼吸する。
 見ると、なのはの目には涙が浮かび、フェイトは震える身体を治めようと胸元で両手を重ねて握り締めている。2人も翠屋の控え室で決壊寸前の心を抱えて床に蹲る恭也の姿が脳裏に浮かんだのだろう。

「いっくら良く見てても、次は気付かれへんかもしれん。次は大丈夫でも、その次はどうか分からへん。きっと隠すのも上手くなってくから、いつか見つけられんくなるかもしれん。
 でも、『やめて』なんて言えれへん。
 不器用やから、そういう風にしか生きられんのやって、自分で言うとってん。
 なら、止める訳にはいかへんやん?その人に、『その人である事をやめて』って言うのと変わらんもんな」

327小閑者:2017/12/24(日) 17:38:06
 とうとうはやての頬を涙の雫が伝い始めた。
 見かねた恭也が話を止めようと口を開くが、静かに首を振る事で柔らかく拒む。
 この話をする時には最後まで話すと決めていたのだから。
 服の袖で乱暴に目元を拭うと、はやては視線と声に力を込めて話を再開した。

「だからな、決めたんよ。
 心配しとっても何も変えられんなら、その人のために、私に出来る事をしたろって。
 それで、何が出来るか一生懸命考えて、リインフォースから貰ったこの力を活かして働くことにした。
 あの子がこの使い方を喜んでくれるかどうかは自信があらへん。でも、きっと分かってくれるとは思てる。
 管理局員になって、悪い事してる人捕まえて、困ってる人助けて。
 そうやって、いつか誰も悲しんだりせんでもいい世界に出来たら」

 瞼を伏せたはやては、あまりにも現実的とは言えないその世界で穏やかな時を過ごす恭也の姿を想像して自然に微笑みを浮かべる。
 リインフォースが夢の中で構築した『悲しむ人の居ない世界』。それを実現させるなどという夢、人に話せば一笑に付される事ははやてにだって分かっている。無知な子供の絵空事だ。
 それでも。

「きっと、その人も、心から笑って過ごせるんやないかなって」

 何に変えてでも幸せにしたいと想える恭也が幸せそうに微笑む姿を想い描いてしまったのだ。
 それなら、もう頑張るしかないじゃないか。
 先の事など分からない。挫折するかもしれないし、心変わりするかもしれない。それでも、今、言い訳を並べて何もしなければ、絶対に後悔する事だけは確信しているのだから。

「だから、私は特別捜査官になろうと思ったんよ」

 はやては言葉を結ぶと真っ直ぐに恭也を見つめた。
 恭也なら本気の言葉を嘲笑うような事はないだろう。ただ、自分のために途方もない目標を定めたと知れば心を痛めるかもしれない。
 聞かれても答えるべきではなかっただろうか?少しだけそう思うが、途方も無い夢だけに口にすることで少しでも意思を強くしたいという甘えもあった。
 だが、恭也のリアクションははやての想像とは違っていた。何と言うか、こう、眩しいものを見るというか、子の成長を喜ぶ親の様な…?

「そうか。
 そこまで想い合う相手が居るとは知らなかった」
「…想い合う?」
「自覚してないのか?
 その世界の実現が途轍もなく難しいのは分かっているんだろう?
 それでも一個人を幸せにするために努力を惜しまないという事は、『一生を懸けてその人のために尽くす』と言っているのと変わらん。つまり、愛の告白と言う訳だ」
「こくッ…!!!」

 はやては思いもよらない展開に混乱した。
 確かに、恭也に対してそういう気持ちがない訳ではないが、この気持ちは何の自覚も覚悟も無しに口にした言葉で伝える予定ではなかったのだ。

 出来れば、やっぱりこういうことは男の子から切り出して欲しいけど、きっと恭也さんは恋愛感情とかには無頓着と言うか、自分の気持ちに気付くのにも年単位の時間が掛かりそうだから、恭也さんと吊り合うくらい魅力的になったと自覚出来たら、2人っきりでムードのある夜景をバックにこちらから告白しようかと

「危険を伴う仕事となればはやて一人の問題じゃないんだ、相手とよく相談しろよ。
 俺から言えるのはそれくらいだ」
「うん、うん、ありがとなぁ。
 恭也さんならそう言うてくれると思とったわ」
「…何故泣く?」
「泣いとれへんわ!
 これは心の汗やねん!!」
「そ、そうか」

 恭也を怯ませるほどの気迫で言い切るはやて。
 さっきの言葉を告白として受け取る感性があるのに、よもや『その人』が誰なのか分からないなんて予想もしなかった。

 普通気付くやろ!?エロゲの主人公属性は生まれ持った天賦の才やったんか!?

 どこぞの電波を受信するほど錯乱するが、現実逃避も長くは続かなかった。
 身内とは言え衆目監視の中での一世一代の告白をスルーされた形になったはやてに注がれる生温い哀れみの視線は、全く有り難くない事に錯乱していたはやてをすぐさま正気づかせてくれた。
 そんなマジ泣きしそうなほどの居た堪れなさに悩まされるはやてに助け舟を出したのは、事の元凶である恭也だった。

328小閑者:2017/12/24(日) 17:39:19
「あ〜…その、なんだ、ひょっとしてまだ片想いの段階なのか?」
「あっ、う、えっと…」
「そうか。
 恋愛事にまるで疎い俺では大した助言は出来んが、将来の進路を決める要素にするほど想いを寄せている相手なら、いっその事自分から告白してみたらどうだ?」

 うん、やっぱりこの助け舟は泥舟だったようだ。
 周囲の視線が『してるしてる!たった今真正面からしてるから!』と訴えているように思えるのは、はやての被害妄想なのだろうか?
 漸く精神を立て直すことに成功したはやては、大きな溜息を吐く事で眼前の真面目面をドツキ倒したくなる衝動を堪えると、真剣にアドバイスしてくれたであろう恭也に言葉を返した。

「アドバイス、ありがとうな。
 でも、ええねん。もともと伝えるのはもっと後にする予定やったし」
「後?」
「うん。
 もっと成長して、心も身体もええ女になってからや。
 今の私じゃ、その人と釣り合えへんからな」
「身体は兎も角、心はかなりのものだと思うんだが…
 それに、そんなにのんびりしていて大丈夫なのか?
 まあ、結婚するにも子供を生むにも早過ぎるのは確かだが」
「こど!?
 な、何言うとんの!?まだエッチな事するには早過ぎるやろ!?
 そういうのんは順番というものがありまして、まずは交換日記からと相場が決まっとるんよ!?」
「意外と古風だな。
 それにどうして俺から身体を隠そうとする?
 誰かは知らんが、相手が違うだろう」
「わ、分かっとるわ!
 よう見ときや!
 すぐにええ女になって誰を好きなんか教えたるわ!」
「…前言を翻して悪いが、焦る必要はないだろう。
 ちゃんと見ててやるから、ゆっくり時間を掛けて納得いくまで自分を磨くといい。
 その時がくるのを楽しみにしているよ」

 そう告げる恭也は、言葉も口調も眼差しさえも驚くほど優しげなものだった。
 思考が真っ白に染まっているのに頬の熱さだけが実感出来る。ひょっとしてからかわれているだけなのだろうか?

「恭也さん、ほんまのほんまに相手が誰か分からへんの?
 分かっとるのに惚けとるだけやないの?」
「なんで泣きそうになってるんだ!?
 俺も知ってる奴なのか?しかし、そうなると…」

 泣きべそ寸前のはやてに怯みながらも該当者を探そうとする恭也だが、この世界に飛ばされてから知り合った男は多くない。尚且つはやても面識のある人物となると更に限られる。

「ひょっとして一目惚れとかする方なのか?それが悪いとは言わないが、深入りするならせめて相手を良く知ってからにした方が」
「ちゃうねん。まるっきり外れとるから」

 恭也の視線の先に誰が居るか気付いたはやては即座に制止の声を掛けた。

「恭也さんの推理は明後日の方向に進むんが分かったから、この話はここでお終い。ええね?」
「…まぁ、いいけどな」

 クロノ達には悪いがきっぱり否定しておかないと、これ以上恭也に変な先入観を持たれてはどう拗れるか分かったものではない。
 幸い、といって良いのかどうか分からないが、この一連の会話で彼らにははやての言う『その人』が誰なのか伝わっている様だから気を悪くしたりはしないだろう。

「そう言えば、さっきなのは達も目的は一緒だとか言ってなかったか?」
「にゃ!?」
「ち、違うよ!?私は別に、恭也のことが好、じゃなくって、恭、きょ、えと、だから、…そう!恭也の言ってたような、好きとかじゃなくて!」
「私もそう!恭也君のこ、っあ、えーと、恭也君の、言ってた、『その人』の事、大事な友達だと思ってるから!だから、幸せになって欲しいなって!」
「慌て過ぎだ。俺は主旨とは関係ないだろうが。
 要は恋愛感情じゃないと言いたいんだな?」
「そう!そう言いたかったの!」
「意義有り!
 被告人の発言には虚偽が含まれとります!」
「ふ、含まれてないよ!」
「そうだよ!別に、みんながはやてちゃんとおんなじ様に思うとは限らないじゃない!」
「ほほう。
 そこまで言うなら証明して貰おうやないか」
「しょ、証明?」
「これから私の言う通りの事をしてみてや。何とも思てへんのやったら簡単な内容や」

329小閑者:2017/12/24(日) 17:41:02
 何かのスイッチが入ってしまったらしいはやては、詐欺師然とした表情でなのはとフェイトを罠へと誘い込む。
 無論、なのは達にもはやての意図は読めているが、ここで提案を拒めば鬼の首を獲ったかのように『それ見たことか』と言われるのが目に見えているので引き下がる訳にもいかない。

「い、良いよ。はやての思い通りになんてならないんだから!」
「そうだよ、全然平気なんだから!」
「ふっふっふ、よう言うた。
 じゃあ、まずは2人とも目を瞑って」

 はやての言葉に2人が素直に従ったことを見届けた後、はやては恭也を手招きした。
 この状況で手招きに応じれば片棒を担がされる事は明らかだが、今のはやてに逆らう事と天秤に掛ければどちらに傾くかという事もまた明らかだろう。

「そのまま頭の中にその『大事なお友達』の顔をしっかり思い浮かべて」

 2人ともはやての言葉に逆らう事無く、素直に相手の顔を思い浮かべているようだ。何故それが分かるかと言えば、2人の頬が仄かに色づいているからだ。
 …思い浮かべただけで頬染めといて、よう『友達』なんて言い張れるなぁ、とはやてでなくても思うだろうが、言い張る以上はぐうの音も出ないほどの証拠を突きつけるのみである。
 はやてがそのためのミッションを耳打ちすると、予想通り恭也が胸の前で両手を交差させて拒否の意思を伝えてきた。
 とはいえ、ここで恭也に動いて貰わなければ効力が半減どころか激減してしまう。
 それでも、恭也に強制する権利など持たないはやては、気持ちを込めた笑みを浮かべて、もう一度視線でお願いしてみた。
 幸いにしてはやての笑顔を目にした恭也は一度だけ肩をビクッ!と揺すると、ミッションを実行するために脇目も振らずに二人の方へと歩いて行った。誠意を込めれば気持ちは通じるものである。

「普段私らをからかう時とは違う真剣な顔で見つめてきました。あなたに何かを伝えようとしとるようです。
 手の届く距離から更に半分の距離まで顔を近付けてきました。目を逸らしたらあかんよー。
 『落ち着いて、良く聞いてくれ』と前置きしてから、ゆっくりと息を吸いました」

 気をつけの姿勢で指先まで真っ直ぐ伸ばしてカチコチに固まっているなのはと、左手を右手で包み込み胸元に引き寄せた姿勢で緊張から震えているフェイト。
 そして、目を閉じたまま想い浮かべた相手に視線を合わせるために上げた顔が、正確に自分の顔を捉えている事に首を傾げる恭也。
 疑問を抱えながらも振られた役割を全うするべく、少女達の緊張が最高潮に達した瞬間、はやての用意した台詞を並んで立つ少女達の間、その耳元で囁いた。


「好きだ」


 変声期前でありながら低く落ち着いた声に一瞬意識を漂白された後、言葉の意味が浸透したところでなのはとフェイトが両目を開き、間近にある恭也の顔を目にして腰を抜かしてバランスを崩す。
 恭也が慌てて受け止めるが、それはイコール密着するということだ。つまり、逆効果。
 これこそ純色の赤だ、と言わんばかりの顔色。口から漏れ出す意味を成さない呻き声。落ち着く事無く泳ぎまくる視線。
 自立することも恭也にしがみ付く事も出来ない身体は、だからこそ恭也に強く抱きしめられ、だからこそ混乱に拍車が掛かる。それを悪循環というか好循環というかは彼女たちの表情からでは判断に迷うところだ。
 左右の手で一人ずつ抱き寄せた体勢の恭也は、一緒に屈み込みながら2人を地面に座らせてから顔を覗き込む。

「人間の顔ってこんなに紅くなるものなんだな」

 完全に人事風味の台詞に周囲から白い視線が突き刺さるが、自覚のない恭也には視線の意味も理解出来るはずがない。

「それにしても相手に関係なく『その言葉』だから反応するというのはどうかと思うぞ?」

 恭也の斬新な解釈の仕方に対して、満面の笑みで高々とVサインを掲げるはやて以外にリアクションの取れる者は居なかった。
 ど真ん中ストライクだったからだろ!という直球の言葉を少女達のために飲み込むと、他のリアクションが思いつかなかったのだ。
 そんな周囲の気持ちを他所に、立ち上がった恭也が独り言の様に呟いた。

330小閑者:2017/12/24(日) 17:43:00
「まあ、いいか。
 なんにしても目的を定めてるなら、俺が口出しすることじゃないしな。
 そうか…」

 自分自身に言い聞かせるように呟いていた恭也が小さな溜息を吐くと、俯けていた顔を上げて無言で一同を見渡した。
 いつも通りの無表情。
 激を飛ばした訳でもない。
 それでも、寸前まで呆けていたなのはとフェイトまで弾かれた様に立ち上がる。

「中断させて済まなかったな。
 そろそろ始めようか」

 その言葉で、弛緩していた空気が一瞬にして戦闘訓練室に見合った物に変貌した。
 そして両陣営が距離を取りつつ即席ながらも役割に応じた配置に着き、展開したデバイスを構える中、一人自然体のまま中央よりやや騎士陣営に近い位置から動くことの無かった恭也が魔導師陣営の先頭に立つクロノに話しかけた。

「さて、ハラオウン。
 まさか開始の合図が必要などとは言わないだろうな?」
「はやても居るからその方が良いと思っていたんだがな。彼女が構わないならこちらも異論は無いよ」
「はやて?」
「う、うん。大丈夫や」
「なにより。
 それにしてもこのチーム分けは有難いな」

 合図無しで始めて良いと決まった以上、本来であれば恭也の軽口に付き合う必要はない。
 だが、たとえ棒立ちに見えようともあの不破恭也が戦場と定めた空間で隙を見せるはずが無い。
 更には、先程まで一緒に傍観していたシグナムやヴィータまで恭也に触発された様にやる気に漲っているとなれば、ただでさえ錬度で劣る急造チームである自分達から不用意に攻撃を仕掛けるのは如何にも厳しい。
 消極的ではあるがこの場は恭也の出方を見守る事にしたクロノが言葉に応じて口を開いた。

「そうかな?
 言っては何だが、はやては戦闘訓練を受けていない身だ。リインフォースから受け継いだ力だって相応の経験がなければ役立たせる事も出来ないはずだ。
 人数差はあってもそのハンディキャップが埋められるとは限らないぞ」
「そんな言ってる訳じゃない。
 ここのところ戦う時には気を使ってばかりいたからな。相手がお前だったらやり過ぎても非難される心配がないだろう?」
「…言ってくれるじゃないか。
 君の方こそ、いくら古流剣術だからって手持ちのカードが無限な訳じゃないんだ。そろそろ出し尽くしたんじゃないのか?」
「失敬な。
 1度見た程度で対処出来る程安い技だと思われているというのも業腹だな。
 そこまで言う以上、軽く凌いで見せろよ?」

 台詞の直後、クロノの周囲の空間に二桁に届く数の鈍い輝きが灯る。
 この光景にシグナム戦での視認出来ない高速行動を連想したクロノは、迎撃用に準備していたスティンガースナイプを咄嗟に破棄して自分の全周にシールドを展開した。
 瞬間的な判断力もシールド魔法の起動速度も賞賛されて然るべきものだ。管理局内で屈指と評価される実力の一端を垣間見せたと言っても良いだろう。だが、『卑怯万歳』を謳う古流出身の恭也に対して、その反応は余りにも素直過ぎた。
 シールド越しに届く斬撃に耐えるべく歯を食いしばったクロノの目に、地面を駆けて真正面から突進してきた恭也の姿が映った。
 騙された。そう気付くが今更後の祭りだ。だが疑問も残る。今のブラフの意図が読めない。
 高速攻撃だと判断したため既にシールドの展開は済んでいる。そして、恭也の攻撃ではシールドを破壊出来きない。
 何か見落としがあるのか、まだ見せていない手札をこんな模擬戦で見せる積もりなのか。情報を集めようと眼前に迫った恭也を睨み付け、両手が空いている事に気付く。
 混乱を深めるクロノを嘲笑う様に恭也の右掌底が、次いで左掌底が迫るのが見えたところで漸くブラフの意図を悟った。

 あれはシールドを全周に張らせて包囲させる事で僕の動きを僕自身に封じさせたんだ。そしてこの攻撃はシグナムの剣を欠けさせた技の応用!

 悔恨の念を押さえ込んで咄嗟に背後のシールドを消去した直後、最後の一歩を踏み込んだ恭也の右手がクロノの頭部を守る位置のシールドを、同時に左手が右手の甲を打った。
 タイヤなどの硬質のゴムでできたバットで殴られた様な、弾かれるのではなく殴られた力が全て残っているようなダメージが額に炸裂した。
 クロノはバリアジャケットが機能しない程度の打撃とは思えない衝撃に飛びそうになる意識を必死に繋ぎ止めながら、シールドを解いた背後の空間へ飛び出した。恭也の攻撃はクロノを弾き飛ばしてはくれないため、クロノ自身がジャンプすることで攻撃の威力の何%かでも削り、尚且つ距離を取ったのだ。

331小閑者:2017/12/24(日) 17:43:46
 不意打ちに近いオープニングヒットが炸裂すると、戦場が怒涛の如く動きだした。
 クロノが残したシールドの前にいた恭也は僅かな技後硬直から抜け出すと、すぐさま屈み込む。半瞬前まで恭也の胸のあった高さを光の戦斧が駆け抜けた。高速移動魔法で音も無く恭也の背後をとりそのまま流れるように攻撃を放ったフェイトと、彼女の姿を目視することもなく危うげもなくその攻撃を躱した恭也、そして初撃で転倒させられたクロノは、顔を見合わせる暇もなく即座にその場を離脱。直後に連結刃がその空間を薙ぎ払う。空振りに終わったはずの連結刃は、しかし翻されることなく突き進み後衛のなのはに襲い掛かり、ユーノの展開した強固な魔力障壁に阻まれた。半日かけても突き破れない強度があることを悟ったシグナムがシュベルトフォルムに戻すより早く、間合いを詰めたアルフが振るった魔力を帯びた右拳を割って入ったヴィータが鉄槌で迎撃・離脱。戦場を貫く桃色の砲撃はヴィータに続いてアルフとシグナムが散会した空間を直進し、本丸へと到達。頬を引き攣らせたはやてと涼しげな表情で佇むシャマルの幾らか手前でザフィーラの障壁に阻まれた。




「…凄い事になってるわね」
「そうねぇ」

 声音を若干引き攣らせるレティと微笑ましげな態度を崩さないリンディ。
 レティは部署柄、戦闘行動を観戦する機会が少ないため、高位魔導師の、更には集団戦の迫力に圧倒されるのは仕方がないことだ。尤も、驚いているのはその中にFランクが混ざっている様に見えない事なのかもしれないが。
 それでも見るべきところはちゃんと見ている辺りは流石と言ってもいいだろう。

「それにしてもこうして見ていると1人だけレベルの違いが見て取れるのが、保有魔力量の突出してるはやてちゃんと言うのは皮肉なものね」
「仕方ないわよ。
 魔力量自体は先天的なもの、目的に合わせて使用量を決めて魔力に方向性と適した性質を与えるのは経験で培うしかない後天的なもの。
 その法則だけは、覆す事が出来た人に会った事はないわ。程度の差は有ったとしても、ね?」

 この結果は開始前から予想出来ていた事ではある。
 如何に遥か昔から蓄積されたリインフォースの知識と魔道技術があろうとも、それを活かすだけの経験がはやての中に培われていなければ宝の持ち腐れになるのは当然の結果だ。

「様子見が済んだからか更に苛烈になってるけど、やっぱり疲労が無い前半は誰もまともに食らわないのね。
 実力が拮抗してるからこそでしょうけど…今のところ、恭也君のオープニングヒットが一番大きいかしら?」
「ええ。『不意打ちあり』って言われた直後にクロノにヒットさせる辺りが流石よね」
「あれはやっぱりスタイルの違い?」
「そうねぇ、クロノに甘い評価を出すのは良くないんだけれど、今回は流石に責めるのは可哀想ね。
 恭也さんの戦闘スタイルは大半が私達の常識から外れてるから経験則が適用出来ないのよ。
 『見て』『分析して』『対処法を考案して』『実行する』
 恭也さんが相手だと、この内の分析と考案に大幅に時間が掛かってしまうのよ。
 普通であれば初対面の敵であっても、相手が魔導師であればある程度立てられるはずの予想が全く立てられない。
 恭也さん相手に下手な予測は逆手に取られかねないし、そもそも予測を立てること自体が出来ない場合すらあるわ。
 だからどうしても行動が遅れてしまうの」

 それは初めて遭遇する敵に対して等しく負うリスクなのだがここまで極端な存在は稀だろう。
 逆に恭也は相手を変えては模擬戦を繰り返しているので、魔導師への対処法の基本骨子が確立している様だ。
 尤も、それは『更に厄介になった』と表現する程度のものだろう。

「でも、スタイルの問題だけではないのよ?」
「それは被弾率の事?」
「流石に着眼点が良いわね。
 みんながシールドで防いだりバリアジャケットの性能に頼る一般的な魔導師の戦い方なのに、恭也さんは明らかに1人だけスピードが遅いにも関わらず攻撃が当たらないでしょ?」
「当たらないっていうか、当たるような攻撃じゃないもの。見当違いの位置で炸裂してる弾まであったわよ?
 目で追うのがやっとのスピードを生身で出せるのは事件当時のデータを見て知ってるわ。あの動きなら当たらないのも納得出来る。
 でも今回は、被弾したら即リタイアって自覚してるくせに、どう見たってスピードを7・8割にセーブしてるわよ。魔導師の実力を舐めてるとしか思えないけど、実際にそれでも当たってない。
 あるはずないと分かってても、端からは全員で彼への攻撃だけ手を抜いてる様にしか見えないわ。
 原因、ていうか何かしらの理由はあるんでしょうね?」
「エイミィ」
『はいはーい』

332小閑者:2017/12/24(日) 17:44:46
 リンディの呼び掛けに別室で戦闘の記録・解析を進めていたエイミィが空間投影ディスプレイ越しに元気に返事を返した。

『彼の回避能力にはまだまだ不明点がたくさんあるんですけど、前回までの戦闘で分かったことを説明しますね。
 真っ先に目に止まるのは、単純に行動による回避だと思います。
 非常識なほどの動態視力と視覚情報の認識力、その情報を活用出来る頭脳、更には頭脳が導き出した回避のための無理難題を実現させる反射神経と運動能力。人間の域は越えちゃってますけど、この辺りまでは誰もが行う回避行動のグレードアップ版です。
 勿論、誘導を伴わない砲撃や射撃と言った音速に迫る直射魔法を躱せるのは、魔法が物理面に転化される際の予兆や対戦者の行動・表情から攻撃の射線やタイミングを、戦局や直前までの攻撃・回避・防御と言った戦いの流れから攻撃手段やその意図を、その他諸々を見抜く洞察力が予知能力レベルだからこそなんですが。
 …分かってます。『恭也君だから』の一言で片づけるのは無責任だってことは。
 でも、前回までの記録は恭也君の運動能力が際だってたもので、拾い出した特異点が悉く彼個人の肉体性能って結論に行き着いちゃったんですよ。
 解析するための取っかかりに煮詰まっちゃってたんですよねぇ』

 エイミィの澱み無い説明は、技術者としての敗北宣言へと急降下していった。
 記録したデータは、いくら詳細であろうとそのまま何もしなければ数値の羅列でしかない。並んだ数値から意味を見いだす事こそが技術屋の腕にかかっていると言える。それが前例のない事象であれば尚更だ。
 また、前半の説明部分についてもリインフォースとの戦いの説明としては納得出来なくもないが、今回の模擬戦での回避方法を説明するには明らかに言葉が足りていない。
 逆に言えば、前回までと今回とを比較して明らかになった差違こそが解析のヒントになるはずだ。
 レティの期待を裏切ることなく、エイミィは自身の非凡さを示して見せる。

『でも、今回の模擬戦で漸く一つ明らかになりました。
 恭也君の動きは緩急の落差が物凄く大きいのにその変化が驚くほど滑らかなんです。
 つまり、彼の動きから自分の攻撃の届くタイミングに彼が居る場所を予測すると、間に合わなかったり早過ぎたりするんです』

 言われて訓練室の各所を映す分割されたモニタに目を向けるとふらふらと動き回る恭也の姿が俯瞰で映し出されていた。
 他のメンバーより明らかにロングレンジで映されていたのは、開始当初、恭也の姿がモニタ画面から度々フレームアウトしていたからだ。それは管理局の所有するコンピュータが物理面・戦術面から予測して自動追尾するカメラを振り切っていた事を意味するのだが、その様なカラクリがあったとは。
 カメラの動きは機械的なもののはずだ、と思いがちだがそのプログラムのアルゴリズムを考案したのは人間だ。
 恭也の技能は人間を想定したものなので、プログラマーも術中に嵌まるのは避けられなかったということなのだろう。

 彼の行動は確かに非常識以外の何物でもないが、そこで思考停止してしまってはエイミィの言葉通り責任放棄になりかねない。レティも思いついた攻略法を上げてみる。

「変化を読む事は出来ないの?」
『残念ながら変化についても綺麗にランダムにしたり、規則性を持たせておいて相手が慣れてきたのを見透かして突然別のパターンにしたり出来るみたいで。
 付け加えるならパターン自体もバラエティに富んでます』

 流石に簡単に攻略させてはくれなようだ。”豊富”と言ったところで限度はあるのだろうが、それでもパターンを見抜いた頃には変えてくるだろう。ここでも予知能力じみた洞察力がやっかいな壁になる。
 恭也自身も決定力になるような攻撃力を持ち合わせていない事を自覚している筈なので、援軍待ちか敗走援護の時間稼ぎ以外で敵に姿を晒し続けることはしないはずだ。全ての回避パターンを見せた頃には彼の目的は達成されているだろう。
 ランダム回避を封じる事が出来たとしても反射神経便りの行動回避だって十分以上にやっかいなのだし。

『もう1つおまけに、カメラ映像には引っかからない要素もあるみたいでして』
「引っ掛からない要素?」

 言葉の意味を図りかねたレティの疑問にリンディが口を挟んだ。

333小閑者:2017/12/24(日) 17:45:21
「映像に映せない要素があると言うことよ。
 彼と対戦した人が記録を見ると、必ず『この記録はおかしい』って主張するの。顔を青ざめさせて『瞬間移動か幻惑魔法を使ってたはずだ』って。
 クロノ曰く、遭遇戦で見せた『気配を消す』っていうのと似て非なるもの、モニタ越しでは分からない何か、だそうよ」
「…恭也君のコメントは?」
「『頑張って躱してます』」
「…そりゃあ『余裕で躱してます』なんて言われても困るけど…」
「惚けてる、と断言するのも難しいのよ。
 なんせ、恭也さん自身が特殊な技法と認識していない可能性を否定しきれないんですもの」

 やはり『恭也だから』で済ませるより他に無いようだ。

「なるほど。
 『肺から吸い込んだ空気からどうやって酸素を抽出するのか』なんて化学式以外で答えようが無いものね」
「レ、レティ?
 どうして例えが物理現象レベルなの?この場合『心臓の動かし方』くらいだと思うんだけど…」
「そうかしら?
 純然たる運動能力だけでAランク以上の魔導師と張り合ってるのよ?自律神経くらい制御してそうじゃない?」

 レティの言い分にリンディが絶句する。
 彼女が真顔で言い切った事に驚いている訳ではなく、心の片隅でちょっぴり同意してしまったからだ。
 我に返ったリンディは小さく咳払いするとレティを小声で嗜めた。

「いくらホントの事でも口にしちゃいけない事くらい分かるでしょ?」
「…そうね、気を付けるわ」
(何を口走ってるかは指摘しない方が良いのよね?)

 控え目な毒舌なのか、礼節の敷居が下がっているのかは判断に迷うところではあるが、何れにせよリンディにしては珍しい失言にレティも心の中だけで自問する。
 リンディは良く言えば思慮深く、悪く言えば計算高い面がある。彼女はほわわんとした言動に反して失言や失態が無いのだ。レティの様に付き合いの長くない者の中には『ほわわんとした言動』が既に演技なのではと疑う者も居るほどだ。

(こんな単純な失言をするなんて誰かの影響かしら)

 そんな風に考えるレティの視線の先にあるモニタには、苛烈な魔法が飛び交う戦場を飄々と駆け回る非常識が映されていた。

334小閑者:2017/12/24(日) 17:45:52
「デアボリック・エミッション!」

 その言葉をトリガーにしてはやての魔法が発動した。
 ザフィーラに守られ、かつ、シャマルに補佐してもらいながらではあったが、自身の広域・遠隔の適正を活かす事で後方から訓練室の中央を闇に染める。
 そうして身体の芯まで揺さぶる轟音が晴れたその空間には、しかし、誰の姿も無かった。

「ハァハァ、あ〜、躱されてもうた。
 シグナムもヴィータも頑張って引き付けてくれたんやけどなぁ」
「直前でクロノ執務官が指示を出してたみたいですからね。
 きっとシグナムやヴィータちゃんの行動でこちらの目的に気付かれちゃったんですね」
「え、クロノ君に?…私には2人の素振りはそんな不自然には見えんかったけど」
「主にとっては恭也にからかわれている姿が印象強いでしょうが、あの男の実力は相当なものです。
 恐らく高町やテスタロッサには一対一で彼に追い縋る事が出来たとしても、集団を指揮する力では遠く及ばないでしょう」
「へー、そうやったんか。
 執務官になるのは難しいらしいから、やっぱりクロノ君は凄かったんやね」

 はやてがシャマルやザフィーラと言葉を交わしているのは油断している訳ではない。
 実力の拮抗する戦いに昂ぶる心を懸命に平常心に戻そうと、同時に苛烈な戦いに戦く身体を必死に宥めて落ち着けようとしているのだ。
 はやての心境を理解しているからこそ、シャマルは努めて温和な声を、ザフィーラは落ち着いた口調を意識して会話に応じているが結果は芳しいと言えるものではなかった。
 勿論、一方的に大出力魔法を放つ事で勝利出来た闇の書の防衛プログラムとの戦いしか経験の無いはやてに、戦闘中にリラックスするなんて簡単に出来ないのは当然のことなのだ。
 今のはやてには気付けないだろうが、その状況を承知しているクロノ達ははやてへの攻撃を散発的にしか行っていない。尤も、こちらに関してはその余裕が無いというのも事実ではある。シグナムとヴィータと恭也の攻撃と時折挟まれるはやての援護射撃だけでもクロノ達に楽をさせるほど安いものではなかったからだ。
 シャマルとザフィーラがはやてにべったりと張り付いているのは、散発的なものであっても今のはやてでは対処しきれないという実情以外にも、はやてへの攻撃を控えているクロノ達とバランスを取る意味合いもあった。

<主はやて、大丈夫ですか?>
<あ、シグナム。
 うん、私は大丈夫や。ザフィーラとシャマルが守ってくれとるからな。
 それより、折角チャンス作ってくれたのに活かせれへんでゴメンな>
<そんなのはやてが気にすること無いって!
 あたし達がもっと上手く引き付けれたら一発で片付いたのに…ごめん>
<何言うとんの、それこそヴィータが謝る事なんてあらへんやろ>

 シグナムとヴィータが言葉を探して会話が途切れた。
 はやての乱れている呼吸も強張っている身体も、面と向かうまでもなく想像がついているのだろう。
 なにもはやてに、天賦の才を発揮して戦局を自在に操るだとか、リインフォースから受け継いだ魔道を存分に使いこなすといった過剰な期待を寄せていた訳では無い。ましてや後方支援だけでいっぱいいっぱいになっている事に対して失望しているなどと言うことでもない。
 寧ろ、模擬戦とは言え、トップクラスの戦場が初陣である事を考慮すれば十分以上に落ち着いていると評価しても良い位だ。
 だが、はやて自身がそんな自分に納得していないようだ。闇の書の主としての贖罪と、恭也を幸せにするという目標を達成するために思い描いた自分自身の理想とする人物像との隔たりが大き過ぎるのだろうか。
 そんな健気に頑張るはやてに対して大したフォローが出来ない自分達の不甲斐無さが情けない。
 勿論、戦闘に関して言えば4人ともが十分な働きをこなしている。主の手足となることは、そう定義されて生み出された彼女達には容易とさえ言える事だ。
 しかし、だからこそ戦場の空気に喘ぐはやての心境を本当の意味で理解する事が出来ない。
 そして、戦闘のための駒としではなく、家族としての在り方は誰もがはやてを主としてからの半年間の経験しかなく、家でのやり取りを日常からかけ離れた今回の様な場で咄嗟に応用するのは難しい。
 手探り状態の彼女達は、掛ける言葉が浮かばない時には言葉が途切れてしまう。それがはやてに気を使わせてしまうと分かっていても、どうすることも出来ない。
 彼女達には、まだまだ時間と経験が必要だし、だからこそ幼いはやてが家族としての関係において名実共に家長を勤められるのだ。
 はやても、沈黙から彼女達に気を使われていると察して話題を探そうとして、普段であればさりげなくフォローしてくれる人物が会話に参加していないことに気付いた。

335小閑者:2017/12/24(日) 17:46:35
<えっと、…あれ?
 恭也さんの声が聞こえへんけど、どうしたんかな?
 やられたりしとらんよね?>
<え?
 ああ、恭也君なら…敵陣営の向こう側にいますね>
<…なんでそんなとこに。
 えっと、恭也さん?>
<…
 もしもし?>
<へ?
 も、もしもし?>
<…
 あー、あー、こちら恭也だが、はやてか?聞こえてるか?>
<あ、はい、聞こえてます。って、この会話変やろ!宇宙飛行士との通信かい!念話で時差とか電波障害とか無いから!>
<まあ、落ち着け。
 使い慣れない機能なのに取説なしでは仕方ないさ>
<恭也さんのデバイス、思考解析端子が入ってる言うとったやん!>
<よく覚えていたな、そんな設定>
<危険な発言禁止ー!>

 念話での絶叫ツッコミを終えたはやては、乱れた呼吸が整うと込み上がる笑いに逆らうことなく楽しそうに笑いだした。
 目標を持つことは大切だが、それに押し潰されては意味がない。何事においても大事なのはバランスだ。
 簡単なことなのに当事者は天秤の傾きに気付き難い。だからこそ周囲の者が入り過ぎた力を適度に抜いてやる必要がある。その役割は自分達こそが勤めるべきであり、勤められるようになりたいと守護騎士の誰もが思っているのだ。
 だからこそ、シグナム達ははやての笑顔に胸をなで下ろしながらも、それをあっさりと引き出してみせる恭也に嫉妬してしまう。

<さて、そろそろ本題に入ろうか。
 俺の目から見る限り戦況はほぼ互角。互いに即座に決着をつけられる大技を持っていても、それを活用出来る状況を作る事が出来ないでいる。
 こういう場合は意外に長引く。互いに状況を理解している分、余程の間抜けでなければ集中力を切らしたりしないからだ。
 だが、均衡が傾いた時には一気に崩れる。傾きを戻すのは至難だ>
<そうかぁ。
 そうなるとますます私の出番は無くなるんかな>
<馬鹿者、切り札が睨みを効かせているからこその均衡だ。何時でも即座に札を切れるように戦場全体を見渡していろ。
 状況を把握し、流れを読み、戦局を操り、勝利に導け>
<え!?わ、私が!?>
<他に誰がいる。
 無論、言葉ほど簡単な訳がない。それでもシグナム達と一緒に行動するなら、あいつ等の力を発揮させるためには必要なことだ。
 それに、夢を叶えたいなら局内で上り詰める必要があるんだろう?ならば、それが後方にいる指揮官の役割であり必要となる技能でもあるはずだ>
<ええ!?
 そ、それはちょっと…難しい、ような…>
<当たり前だ。誰にでも出来ることでもない。
 高い目標と強い意志は当然として、適正が無ければ大成は出来んだろう。
 …諦めても誰も非難はせんぞ?>
<うう…>

 途方もない目標と、甘く優しい口調と内容の言葉にはやての心が一瞬揺れる。
 だが、次の瞬間、はっと我を取り戻すと激しく頭を左右に振って甘い誘惑を振り払う。

<これから頑張ってこう思とる人間にいらんこと言うな!
 今は無理でも直ぐに出来るようになったるわ!!>
<恭也、主はやての志を愚弄するなら容赦は出来んぞ>
<この程度の言葉で諦めるくらいなら止めるのが優しさと言うものだ>

 悪びれる事のない恭也のセリフにそれ以上反論しないあたり、シグナム達も体面は兎も角同じ意見なのだろう。
 そもそも、夢への一歩を踏み出したばかりのはやてに対して厳しい現実を突きつける恭也に誰も言葉を挟まなかった。それは普通の女の子としての生き方を残しておきたい彼女たちにとっても、あの夢を諦めるという選択肢を消し去る真似が出来なかったからだ。同時に目指す頂の高さに、そしてそこへ至る過程の困難さに、はやての幸せを願う4人には素直に彼女の選択に賛同出来なかったからでもある。

 また嫌な役割を恭也に押しつけてしまった。

 その気持ちが胸を締め付ける。
 苦言を呈してこその家臣。困難な道を選んだ時に最初に立ち塞がる壁となるべき家族。
 だが、シグナム達には未だその勇気が持てない。
 はやては自分の為を思って言われた言葉であれば、感謝こそすれ疎ましがることなどない、と理性では理解している。だが、存在しないはずの可能性に脅える感情を押さえつけることがどうしても出来ない。
 戦場において万の敵が現れようとも臆することなく戦えても、はやての言葉に一喜一憂し、嫌われることに脅える。
 そんな子供のような自分自身を嫌う4人の気持ちを一笑に付したのは、ハラオウン家で考え事に浸っていた数日前の恭也だった。

336小閑者:2017/12/24(日) 17:47:09
『生後半年の赤子の分際で何を生意気な。
 せいぜい失敗を繰り返して成長してみせろ』

 カチン、ときた。
 背伸びする子供を馬鹿にするような言葉に、敵愾心を煽るような口端を持ち上げた表情までサービスしてくれたのだ。10歳そこそこの子供にここまであからさまに鼻で笑われて頭に来ない者などそうそういないだろう。

 必ず報いてみせる。
 恭也自身も悩み事を抱えていたその時期に、ここまで分かり易い敵役を演じさせたのだ。はやては勿論のこと、恭也自身にだって欠かせない存在だと思わせるほど成長してみせてやる!

 そんなポーズとは裏腹に、4人の脳裏には別の想いがよぎる。
 からかいながらそっと導き、憎まれ役を演じてでも背中を押し、道を誤ろうとすれば正面から立ち塞がり、常日頃から影に佇み優しく見守る。
 知識として知る理想的な親の在り方を、気負う事も違和感を感じさせる事も無くこなしてみせる恭也だが、彼自身が年端もいかない子供なのだ。
 はやてから聞いたクリスマスの出来事は、細部を伏せた触りだけでも恭也の内面の歪つさを伺わせるには十分な内容だった。
 悲しい想いをした人ほど他人に優しくなれる、そんな言葉で片づけられるレベルは遠の昔に越えている。
 シャマルなど、その一端を垣間見ながら手を拱いていることしか出来なかった事すらある。

 一日でも早く、恭也を守れる存在になりたい。

 魔導書が消失し契約が破棄されて尚はやてを主と仰ぐように、制約とも契約とも無関係な純粋なその想いを胸に秘める。

<話を戻すぞ。
 今、相手側は遊撃よりの前衛を務めてるフェイトも含めて一塊になってる>
<一塊?馬鹿な、一網打尽になりかねない布陣にするはずがない。
 幻術だ>
<それはないな。気配の位置が一致してる>
<シグナムの意見は尤もだけど、この場合私でもそうするわ>
<何言ってんだよシャマル!こっちにははやてが居るんだから、どう考えたってそんなの変だろ!>
<通常なら有り得ない布陣と言うことはイレギュラーを考慮していると言うことか。…恭也だな>
<ああ、そうか!ザフィーラ冴えとるな!
 …ん?でも恭也さんと何の関係が?>
<今居る位置と関係してる筈ですよ。ね、恭也君?>
<離れてる奴が居たら暗殺、もとい、忍び寄って個別撃破しようと思っただけだ>

 恐らくクロノは、はやてが広範囲型の攻撃魔法を起動しようとも魔力の収束を関知してから対処出来ると考えたのだろう。
 その考えに思うところがないでもないが、確かに気配を消して忍び寄る恭也よりは対処のしようもあるだろう。

<なるほどな。技能面でも戦術面でも恭也の特性を良く理解している>
<チッ、ハラオウンめ、小賢しい奴だ>
<それは…ちょっと>

 はやては暗殺紛いの戦法に悪びれる様子の無い恭也にツッコミを入れたいところだったが、それが見当違いである事くらいは理解出来た。クロノもそれを肯定しているからこそ、考慮した配置をとっているのだ。
 そもそも、模擬戦とは実践を想定した戦いだからこそ意味があるのだ。つまりは、卑怯臭い手を採用する可能性を考慮していない事の方が問題なのだ。
 無法者を取り締まる職に就く以上、自分が採用するかどうかは別として、こういった戦法にも対応出来るような柔軟な思考は必要不可欠だろう。
 思考が一般的な良識を持つはやてにとって、学ぶべき事は山の様に積まれているようだ。

337小閑者:2017/12/24(日) 17:47:42
「全員くれぐれも周囲の警戒は怠るなよ。いつの間にか首筋に刃を突きつけられてリタイアなんて事も十分有り得るんだ」
「経験者の言葉は重いねぇ」
「アルフ、駄目だよ」

 揶揄するアルフをフェイトが窘めると、堅い雰囲気が僅かに緩んだ。
 今、クロノ達は恭也の言葉通り、視界の開けた空間で背中合わせに立つことで互いの死角を補っている。
 レベルの高い戦闘では互いに攻撃を止めて出方を伺いあう事がある。敵の手を読み罠を見破り逆に仕掛ける。物理的・魔法的な物だけでなく逃げられない状況や力を発揮出来ない配置に誘い込むことも含めた罠は、人数が多いときほど重要になってくる。
 専門の指揮者がいない小規模な部隊戦では、リーダー自身も戦闘に参加するため、途中経過を把握して戦術を修正する必要がある。いくらマルチタスクを習得していようとも指揮官のメモリが決まっている以上、戦闘行動と平行して立案するより効率も内容も良くなるのは自明だ。

「指示しておいてなんだが、やはり落ち着かないな」
「そりゃあそうだろうね。素人の僕でも、こんな見晴らしのいい場所で作戦会議する人がいないことくらい想像がつくよ」

 ユーノの指摘通り、こうした場合には敵に発見されにくい場所、狙撃が出来ない遮蔽物で視界が閉ざされた場所で行うのがセオリーだ。
 実際、八神一家はこちらの視界には入っていない。状況としては『一方的に奇襲しても構いませんよ』と宣言しているようなものだ。

「でも、クロノ君の言う通り、今は恭也君がこっそり近付いてくるのが一番怖いもんね」
「魔法だったら攻撃でも捕縛でも、起動の前に誰かが気付いて対処出来るかもしれないけど、恭也の接近には気付けそうにないからね」
「臭いで探せたら良かったんだけどねぇ。何でここは室内なのに風まで吹いてんだい」
「リアリティを追求しているからな」

 森林を想定してデコレーションされた訓練室は微弱ながらも風が吹いていた。だからと言って臭いを嗅ぎ取れないから風下にいるのかといえば、それもやっぱり確証が持てない。

「愚痴はそれくらいにして、集団戦をやってみて気付いた点があれば上げてくれ」
「はい」
「なのは、挙手はしなくていいから。隣じゃなかったら見えなかったぞ。
 念のために言っておくが、くれぐれも話に夢中になって周囲の警戒を怠らないでくれよ」
「わかってるよ!
 私が気付いたのは恭也君がグループでの集団戦でも活躍出来るってこと」
「具体的には?」
「えっとね、ユーノ君に協力して貰ってシグナムさんの動きが止まった瞬間にヴィータちゃんに攻撃しようとしたことがあったんだけど、恭也君は他の場所の戦いも見てるみたいで、魔法を撃つ瞬間に飛針をレイジングハートに当てて逸らされちゃったんだ」
「飛針?確か、恭也の使うニードルだったな。
 …偶然、じゃあないんだよな?」
「…3回あったよ?」
「ウソッ、3回も?
 なのはがシグナムの相手をしてるときは私とアルフでずっと追いかけてたから、そんな余裕は…無かった、と思うんだけど」
「そこで弱気になられても困るんだが…
 投げてるところは見ていないのか?」
「勿論見たよ。実際にはあたしやフェイトに何回も投げてたしね。
 あたしが食らったのは加減してくれてたからあたしのバリアジャケットでも弾ける程度の威力だったけど、フェイトの攻撃魔法を撃墜するときは本気で投げてたね。
 で、魔法の迎撃以外にあたし達に向かって本気の投げ方したやつに限って外してたね」
「そ、そうなの、アルフ?」
「あぁっと、フェイトの目では追いきれないかな?
 スピードが全然違ってたよ。逆に言えば加減してた方は全部命中してたんだけど。
 外したやつもどうせ何か企んでるんだろうとは思ってたけど、なのはに向けて投げてたとは思ってなかったなぁ。
 にしても、2回は気付いたけど、3回目は…ああ、フェイトのプラズマランサーを相殺した時の奴に混ざってたのかな」
「プラズマランサーを!?
 シグナムだって魔法で迎撃してたのに、ただの金属の針でどうやって!?」

 ユーノが本筋から外れてしまうと分かっていながらも、身体ごと振り向いて聞き捨てならないアルフの台詞に食いついた。
 まあ、無理も無いことではあるのだが、だからと言って警戒を解いていも良い理由にはならない。

338小閑者:2017/12/24(日) 17:48:15
「ユーノ、落ち着いて。ちゃんと警戒してないと危ないよ。
 知ってると思うけど、私の魔法は電撃の属性が付いてるから掠っただけでも効果があるんだけど、ランサー本体も電撃も上手く封じられちゃったみたい。
 恭也に向かって放ったランサーから突然地面に向かって光が走ったんだ。
 飛針が当たっただけであんな風になるとは思えないから、多分、鉄のワイヤー、鋼糸だっけ?あれを組み合わせて避雷針にしてたんだと思う」
「プラズマランサーは弾自体の強度があるから逆に触れただけじゃ電流は流れないんじゃなかったのか?ユーノじゃないが、僕も魔力も帯びていないただの金属で、あの魔法をどうにか出来るとは思いたくないんだが。
 そもそも、ランサー本体はどうなったんだ?電流自体は副次的なものだろう?」
「ううん、電流は流れるよ。閉じ込めちゃったら折角の性質が活かせないもの。
 電流は鋼糸で逃がして、魔力弾自体は飛針に貫通されたことで誘爆されたんじゃないかな。もしかすると一発のランサーに同時に飛針を何本もぶつけてたのかもしれない」
「私のアクセルシューターもそうやって落とされたことあるよ」
「確かに物質に干渉出来る以上は物質からの干渉も受けるものだけど、実際に実行出来る人なんていないと思ってたよ」
「なんでいなかったんだい?」
「誘導弾にしろ直射弾にしろ、普通の人が手で投げた物を当てられるほど遅くないからね。
 魔力弾だけ壊して万が一にも内包してる電流を浴びないようにしてる辺り、恭也も結構勉強してるよねぇ」

 通常、電流は抵抗の大きい空気中を流れる事が出来ない。だが、電流自体は不安定なため単品で存在する事が難しい。だからこそ、大気の摩擦で発生した雷雲中の電気は、電気的に安定している大地に電流を逃がすために落雷と言う形で空気中を無理矢理移動する。
 プラズマランサーが内包していた電流が魔力弾を破壊されることで空気中に放り出されれば、金属を纏っている恭也に落雷することは十分に考えられる事態だ。だからこそ、人体以上に導電率の高い鋼糸を経由して大地へと放電する必要があるのだ。

「…なるほど。
 その内の、外れた、いや外して投げた本気の飛針がなのはの狙撃を妨害していた訳だな。
 フェイトとアルフの攻撃から逃れつつ、他のメンバーへのフォローまでこなしていたのか。
 実は、僕もヴィータの攻撃を躱そうとした瞬間に右足に何かが絡み付いて、危うくハンマーをまともに貰いそうになったことがある。
 言い訳に聞こえるだろうが、魔法なら反応出来ただろうから、やっぱり恭也の使うワイヤーだろうな」

 重い沈黙が流れる。
 彼に限っては魔導師ランクが何の意味も成さない事は承知していたが、刀の届く範囲にしか驚異がないと思っていただけに、『近付けさせなければ安全』から『戦場の何処にいても厄介』にランクアップされては前提から瓦解してしまう。
 更に厄介なのは、恭也自身が自分の実力とその活用方法を理解していることだろう。
 雀の涙の様な射程距離という弱点も、その範囲まで対象に近づく機動力を本人が持っているためそれほど大きなマイナス要素になっていない。十数発の誘導弾を躱す体術を封じるのが至難であることは言わずもがな。
 調子に乗って攻撃に傾倒してくれれば迎撃する事も出来ただろうが、只管逃げ回ってくれるのだ。勿論、逃走経路は味方のフォローが出来るコースだ。
 コース取り自体を妨害したくても、恭也の意図が読み切れないため一方のフォローを妨害できたと思っていたら他方へ行くためのフェイントだったということになりかねない。
 魔導師としての基本技能であるマルチタスクはあくまでも『思考法』でしかない。だから、他所の戦闘の推移を予測するにはそれとは別に情報を収集するための技能が必要になる。
 勿論、肉眼以外にも魔力探査で魔法の起動くらいは察知出来るが、まるで観戦でもしているようなレベルで状況を把握している彼とは取得している情報量が違い過ぎる。
 気配による探査というのはクロノが想像する以上に精度が高いのだろう。そうでなければ恭也の澱みの感じられない行動は説明が付かない。
 当然、手に負えないからと言って、恭也の相手を投げ出してしまう訳にも行かない。少なくとも、クロノは何の枷も無い彼が何をしてくるかなんて知りたくも無い。

339小閑者:2017/12/24(日) 17:49:11
「正面きって戦う分には対抗手段を幾つか考えていたんだが、正直、サポート役に徹してくる事も、それがこれほど厄介だとも想像してなかったな。
 誰か彼への対策は思いついたか?」
「恭也の戦闘スタイルからすれば、移動距離を全て範囲に収められるような広域攻撃か、回避・迎撃技能を上回るほどの飽和攻撃のどちらかだろうね。
 気付かれない攻撃や、反応速度を上回る高速攻撃は現実的とは思え難いな」
「流石に音速で動いている訳じゃないんだ。速射魔法を躱せるのは事前に何かしらの兆候を察知する手段を持ってるんだと思うんだが、どのみち何を判断基準にしているかをこの模擬戦内で見抜けるとは思わない方がいいだろうな。
 とは言え、広域攻撃も飽和攻撃も、準備に時間が掛かり過ぎる。シグナムやヴィータが傍観していてくれるはずが無いし、恭也に気付かれれば躊躇無く遁走されそうだ」
「ああ、キョーヤなら逃げるだろうね。意味が無いと思ったことには少しも執着しないからね」
「意味が無いかどうかは兎も角、恭也君なら態々自分に不利な選択はしないね。
 目的を達成する手段が他にあるなら、成功し易くて危険の少ない方法を選ぶよ」
「今回はサポート役って決めてるなら、シグナムかヴィータを追い詰めれば時間を稼ぐか直接助けるために恭也が攻撃に参加するかもしれないよ?」
「回りくどい気もするが、回避に専念されてる現状よりはマシになるかもしれないな」

 『Fランク魔導師を攻略する手段としてAAAランクを追い詰める』
 事情を知らない者が聞いたら冗談としても受け取って貰えそうに無い案だ。それでも、恭也のサポートとしての機能が万全に働いている状況は早い段階で崩しておきたかった。

「恭也以外のメンバーについては何か無いか?」
「気のせいか、僕にはシグナムとヴィータが連携した動きをとってるように見えないんだけど…。
 精々相手の行動圏内に侵入しない位置取りをしている程度じゃない?」
「ああ、僕にもそう見える。
 いくら騎士の戦いが一対一を旨としているとは言っても、互いの動きをまるで無視した戦い方なんて不自然過ぎる。これじゃあ事件当初よりも連携が杜撰じゃないか。
 シグナムやヴィータに一対一の戦いに専念させない積もりだったんだが、前提が覆されてはどうにもならない。
 何を考えてるんだか」
「そうなのかい?
 あたしはキョーヤばっかり追いかけてたから気付かなかったけど。
 あれ?フェイト、どうしていきなり不機嫌になってるんだい?」
「…別に、なってないよ」
「ふむ。
 フェイトとなのはが揃ってこうなったということは、これも恭也がらみか。
 何か気付いてるなら教えてくれ」
「なってないもん。
 …多分、シグナムもヴィータもサポート役を恭也に任せっきりにしてるだけだと思う」
「任せっきりって…
 シグナムにしろヴィータにしろ、恭也と共闘なんてしたことないだろ?
 蒐集についてもかなりぎりぎりまで恭也には伏せていたらしいから、八神家で生活している間もなかったんじゃないのか?」
「聞いたことはないけど、多分そうだと思う」
「それじゃあ、まともな連携なんて取れないじゃないか」
「関係ないよ。
 きっと、ヴィータちゃんかシグナムさんが『出来る?』って聞て、恭也君が『出来る』って答えたんだよ。なら、疑ったりしないよ」
「そ…そうか?」

 フェイトの意見はなのはの言葉で補足(?)されてもクロノ的にはかなり疑わしい内容だ。
 武人然としたシグナムは勿論、外見通り子供っぽさを残した言動の見られるヴィータですら、戦闘に関しては非常にシヴィアな判断を下す事は確認している。闇の書の守護騎士であり、歴戦の騎士である彼女たちにとっては至極当然の判断と言えるだろう。
 その判断基準が恭也に対してだけハードルが下がるなどとはクロノにはどうしても思えないのだ。

「あ、ひょっとしてシグナム達が恭也の言った事疑いもしないからヤキモチ焼いてたのかい?」
「な!?
 そ、そんなこと無いよ!」
「そうだよ!恭也君くらい強ければ誰だって疑ったりしないよ!」
「そうかなぁ。
 あたしが見た限りじゃ、あいつらはたとえフェイトやなのはが出来るって言ったとしても何度か様子を見てからしか信じないと思うけど」
「う…」

340小閑者:2017/12/24(日) 17:49:46
 揃ってアルフに言い負かされる様子を見て、クロノも漸く納得出来た。
 クロノの持っていたシグナム達の印象は間違っていた訳ではないようだ。単に、あの2人が、いや恐らくヴォルケンリッター全員が恭也へ無条件の信頼を寄せているということだろう。
 書の主であるはやてとほとんど同等の信頼度と言うのは信じ難い話だが、だからこそフェイト達が不機嫌なのだろう。主従の関係にある訳でもない恭也を懐深くに置いているということなのだから。

 自覚の程は不明だが、それは仲間や戦友の範囲なのだろうか?
 いや、八神家で一緒に暮らしていたのだから家族の一員とは思っているのだろうが、下手をすればもっと親密な…

 そこまで考えを進めたクロノは、溜息と共に下世話な思考を吐き出した。
 人間関係は当事者同士が決めることだ。相談を受けたならまだしも、想像だけで邪推するなどワイドショーのゴシップ記事を囃し立てる姦しい主婦と変わりが無い。
 今考えるべきは均衡している現状を打破する方法、引いてはこの模擬戦に勝利する事だ。
 とは言え、敵もさる者、明確な弱点や連携の穴など見つけられそうに無い。

「地道にいくしかない訳か」

 流石に攻略法なるものを期待していた訳ではないつもりだが、それでもこれほど薄氷を踏むような戦いが続くとなれば喜ぶ気にはなれない。
 尤も、格下相手に悠々とした戦いなどしていたら腕が鈍る一方だ。実力の拮抗していて何をしてくるか分からない相手との模擬戦はクロノにとっても非常に良い糧となるはずだ。
 ただし、魔法に関する高度な技能とか巧みな応用といった意味ではなく、全く異質な戦闘方法の恭也を相手にするのは、本当に実戦の様で神経が磨耗していく。…理想的な模擬戦のような気もするが、この精神的疲労は素直に認め難いものがあるのだ。

 クロノの妙な葛藤が決着するのを待っていたかのように、遠方で急速に魔力が高まりだした。
 全員でそちらに向き直りながらクロノが声を張り上げる。

「来るぞ!ユーノ!」
「了解!」

 ユーノが返事と共に即座にシールド魔法を自分達の背面側に起動すると、ほとんど同時にシールドを蹴り付ける音が響いた。
 振り向くと突進の勢いを吸収するために障壁に着地した恭也がとんぼ返りで地面に降り立つところだった。
 激突しなかっただけでも立派と言えるタイミングで突然発生したシールドに対しては、流石の恭也も衝撃を透過させるような高度な技は出せなかったようだ。
 ここまではクロノの予想通りだ。付け加えるなら、恐らく現在の恭也は単独行動なのでシグナム達が到着するまでに5人がかりで何としてでも討ち取らなくてはならない。
 シールドを背後に展開した時点で、恭也にもこちらの意図が読めているだろう。ここが勝負の分かれ目になる!
 だが、またしても恭也の行動はクロノの想像を軽々と超えていった。

「弾丸激発!」
【Rock'n Roll!】  

 恭也のトリガーボイスに不破の音声確認が応じると、即座に恭也の魔力量が跳ね上がる。そして、シールドを隔てたクロノ達が行動を起こす前に、身体強化を発動すると同時に背後に向けて猛烈な勢いで疾走を開始した。

「な!?」

 ユーノのシールドを盾にして脇目も振らずに、倒れないのが不思議なほどの前傾姿勢で背中を向けて逃走する恭也に、全員が呆気に取られる。
 一撃離脱にしてももう少しスマートな逃げ方があるだろうに。その考えがある可能性を想起させてクロノの肌を粟立たせた。

「に、逃がすか!」
「追うなアルフ!砲撃が来る!全員散開!離脱しろー!!」

 クロノの焦りを滲ませた怒声が響いた直後、視界上方に大きな黒い魔力塊が出現。一気にバレーボール程度のサイズまで凝縮されたかと思うと、反発するように爆散し周囲一帯を魔力の嵐が荒れ狂った。

341小閑者:2017/12/24(日) 17:50:50
 ヴィータの視界の端に、ディアボリック・エミッションの効果範囲からぎりぎりのタイミングで抜け出した恭也の姿が映る。
 その場所は確かに本人が到達出来ると申告した通りの位置だが、正直言って半信半疑だったヴィータとしてはホッとしたのが半分、呆れたのが半分といったところだ。誰が考えても樹木が障害物になる雑木林を、それらを躱しながら疾走して辿り着ける距離ではないと思うのだが。
 『恭也に対する疑問・驚愕・否定といったあらゆる思考は模擬戦が終了するまで仕舞っておけ』というシグナムの忠告に珍しく素直に従ったヴィータが視線を戻す。
 耳を劈く轟音と視界を閉ざすほどの魔力流の中に、結局逃げられなかったのか爆心地に対して盾となるようにシールドが張られているのが微かに見える。魔力光からすると書庫の司書のようだ。
 ユーノと接点の無いヴィータは、どうして司書が模擬戦に?と思わなくは無いが、実力が劣る者がこの場に居るはずがないし、実際に開幕直後にシグナムのシュランゲバイセンを受け止めていた事からしてもかなり強固なシールドを持っているのは理解している。
 だが、これで連中はそう簡単には離脱出来なくなった。
 一度完全な守勢に回ったならこちらの波状攻撃が終了するまで耐え切るしかない。そして自分達の攻撃は耐え切れるほど温くは無い。

 だが、はやての魔法の終了に被せてギガントシュラークを放つべく上空へと移動したヴィータは、横合いから思いもよらぬ強襲を受けた。
 寸前で襲い来る金色の一閃に気付いてグラーフアイゼンで受け止めるが、体勢が不十分だったヴィータは勢いを吸収しきれず弾き飛ばされ、更に追い討ちで放たれた桃色のバスター砲で林へと叩き落された。

「ヴィータ!?」

 グラーフアイゼンが自動展開してくれたパンツァーシルトで直撃だけは避ける事が出来たが、今のはやばかった。完全な不意打ちだったから防げただけでも善しとするべきかもしれないが、不意打ちされた原因が慢心では言い訳のしようがない。
 おまけに先程聞こえた悲鳴じみた叫びははやての声だった。なのは達を効果範囲に封じる事が出来ても出来なくても、ここで総攻撃を掛ける予定なので恐らく全員で付近まで来ていたのだろう。
 はやてにカッコ悪いところを見られた恥ずかしさと、後でシグナムと恭也から慢心を指摘される悔しさが怒りへと転化されて急激に燃え上がる。
 はやての魔法の持続時間は残り僅かだ。即座にギガントシュラークを放つために攻撃に適した位置に目星をつけると怒りに任せて木々の間から飛び出した。

「こんのヤロー!!」
「まあ、落ち着け」
「な!?」

 飛行魔法で飛翔するヴィータを横手から伸びた腕が絡め取った。
 勿論、ヴィータの驚愕の叫びは、腕の主がディアボリック・エミッションの反対側に居るはずの恭也だった事に対してだったが、その驚きは直ぐに上書きされてしまった。
 全力で飛翔しようとしたヴィータに恭也がしがみ付いたかと思ったら、縺れる様にして空中でくるくると回転した後、2人一緒に地面へと着地してしまったのだ。
 移動しようとする物体を押し止める方法として、物体に加わっている力に対して正反対で同じ大きさの力を加えるのが最も単純だ。
 だが、ヴィータの飛翔魔法の推力に対抗出来るだけの力は魔法の補助が無い恭也には出す事が出来ない。
 ならばどうやったのかと言えば、恭也は幾つも足場を生成し、それを蹴ってヴィータの推力とは別方向から力を加えることによって進行方向だけを操作したのだ。
 結果として、着地した2人は恭也がヴィータを背後から覆い被さるように抱きしめる体勢になっていた。

「ちょっ、恭也!何すんだ!放せ!」
「落ち着けと言うに。
 向こうにはハラオウンやなのはがいるんだ。追撃もせずにお前が突っ込んでいくのを待っているからには罠が仕掛けてあるに決まってるだろうが」

342小閑者:2017/12/24(日) 17:53:47
 はやての魔法が解けて出てきたクロノは恭也の台詞に頬を引き攣らせた。図星だったからだ。
 あの瞬間、なのはがフラッシュムーブで、フェイトがプリッツアクションで離脱したのを見届けたクロノは敢えてユーノとアルフと共にその場に残った。
 なのは達の姿を見られていないかどうかは賭けだったが、上手く姿を隠せば不意打ちが出来ると踏んだのだ。偶然ながらもはやての魔法が視界の効きにくい物だったため、シールドの光で閉じ込められている状態まで演出出来た。
 そして、ユーノとアルフに防御を任せて、念話でなのはに襲撃者がヴィータであること、砲撃で林へと弾き飛ばしたこと、防御されて大したダメージにはなっていないこと、更にクロノとの位置関係を聞き出すと、ヴィータがギガントシュラークを打つのに適した何箇所かにシールドの中からディレイバインドを設置した。

 即興の仕掛けのため不自然に見える点はあるかもしれないが、このタイミングであれば如何に守護騎士であろうと捉えられる!

 そんなクロノの確信をあっさり覆してくれたのだ。動揺を態度に出さなかっただけでも褒めて貰いたいくらいだった。
 恭也にバインドの発動を察知する技術はないので、状況と言動からの推測だけで見抜かれたことになる。つまり、『戦場の何処にいても厄介』どころか『戦線に居なくても厄介』まで格上げされる可能性が出てきたのだ。
 クロノ自身も周囲の人間から『完璧超人』などと言われる事があったが、彼ほど出鱈目ではないと主張したい。
 勿論、そんなことをすれば五十歩百歩だと反論されることになるのだが。
 しかし、ヴィータの言いたかったのはそんなところではなかった。

「そんなこと言ってんじゃねー!いいから早く放…あっ!?」
「は?」
「い、いつまで触ってんだ、バカーー!!」

 ヴィータの台詞に意表を衝かれたのか、突き飛ばす力に逆らう事無く恭也が腕を解いて一歩後ずさる。
 振り返ったヴィータは左手とグラーフアイゼンで胸元を庇いながら正面から恭也を睨みつけている。
 はやてが母性を刺激されてふらふらと近寄ろうとするくらい、ちょっぴり涙が浮かぶ眦を吊り上げた紅い顔で威嚇するヴィータの姿はなかなかに刺激的だ。
 流石の恭也も良心に来るものがあったようで、思わず口を滑らせた。

「済まん、気付かなかった」
「なっ!?」

 羞恥の赤が瞬時にして赫怒の赤に切り替わる。
 恭也も自分の失言に気付いたらしく、珍しく言い訳じみた弁解を始めた。

「あ、いや、他意は無いぞ?
 ただ、前に顔を埋められたりだとか、手に余るほどのサイズを押し付けられたりしてな。何と言うか、その、印象が強過ぎてそういうものだと刷り込まれてしまったというか」
「チクショー!
 小さくて悪かったなぁ!!」
「いや、だから、そういうつもりでh おおお!?」

 言葉の途中で慌てふためきながら屈んだ恭也の頭髪の先端が抵抗も無く切り離された。
 その鎌はホントに非殺傷設定ですか?と確認できる命知らずはこの場には居ない。
 距離を取ってから振り向いた恭也は、慌てて静止の言葉を投げかけた。

「ちょっ、待てフェイト!
 模擬戦中なのは分かってるが少しは空気を読んでくれ!今、明らかに脱線してただろ!?」
「やっぱりリインフォースのが良かったんだね」
「は!?
 あの、フェイトさん?会話がかみ合ってないんですが…」

 フェイトの、教本として写真にして額に納めて飾っておきたいほど綺麗な笑顔を確認した途端、言葉使いが敬語になる恭也。
 写真には写らない何かを背負って佇むフェイトは、やっぱり恭也の言葉を聞いていなかった。

「そうだよね。なのはのお兄さんが選んだのも忍さんだもの。
 恭也は、アルフかシグナムかシャマルかリンディさんかエイミィか桃子さんか美由希さんかフィアッセさんか忍さんくらいじゃないと女の子として認めてくれないんだね」
「え?何の話だ?
 そのラインナップ、共通項が分からないんd ふぉおお!?」

 不意打ちに対応したとは思えないほどのスピードでバックステップしたにも関わらず、恭也の前髪が5ミリほど焼失した。

343小閑者:2017/12/24(日) 17:54:52
「なのは!ちょっ…と待って下さい。致命的な誤解があると思うんです」
「そんなことないよ。
 女の子を身体的特徴で判断するような悪い人にはお仕置きが必要だもの」
「身体的特徴?だから、何の話w ひいいい!?」

 恭也らしからぬ悲鳴を上げて90度捻った身体の前後を高速物体が通過した。
 それが赤い短剣だと視認出来たのは恭也だけだろうが、その彼自身も身体を捻る以上の回避行動が取れなかったのは弾速以上に攻撃される可能性を全く考慮していなかったからだろう。躱せたのはコントロール精度の甘さに助けられたようなものだ。

「は、はやて!俺、味方だよな!?」
「味方?何言うとんの?
 おっぱいの大きさで女の子を区別するような人、女の子の敵に決まっとるやん」
「…」

 漸く具体的な単語を聞けたことで誤解を解く切欠を見つけたはずなのに、恭也の視線はやや上方の遥か遠くを眺めていた。

 クロノには分かる。
 あれは女性の理不尽な行動に苦労してきた者の目だ。
 きっと、今の彼女達にはどれほど理を説いた説明も言い訳としか受け取って貰えない。それどころか恭也の何某かの行動を引き金にして私刑と言う名の一方的な殺戮が始まるだろう。
 恭也にはその未来予想図が鮮明に描けている筈だ。
 言うなれば解体出来ない時限爆弾。
 放っておけば勝手に爆発するが、解除しようと試みればそれに反応してやっぱり爆発する。
 対処方法など存在しない。
 それを知らない者は不用意に手を出し爆発させ、知っている者は起爆しないことを祈りつつ少しでも時間を稼ぐために沈黙を貫く。勿論、クロノは祈りが届いた事など一度として無かったが。
 だが、クロノは思う。
 恭也ならば、自分には出来なかった方法を選択してくれるのではないだろうか、と。

 その想いが届いたかどうかは定かではないが、恭也はクロノの期待に見事に応えた。
 一度軽く俯いた後、3人に見えるように小憎らしい冷笑を浮かべると、神経を逆なでするように鼻で笑って言い放った。 

「どう言い繕ったところで今のお前達がペッタンコなのは動かし難い事実なんだ。
 シグナム辺りに動き易さを自慢してやったらどうだ?」

 クロノは思った。
 きっと、世の男性の何割かは自分と同じ様に恭也のことを尊敬するだろう、と。





「おお、あれすら躱すか」
「これだけ離れて見てるのに時々見失うって凄いわね」
「だが、だんだん魔法の威力と効果範囲が大きくなってきてるから、本当に躱すだけで手一杯になってきてるな」
「逆に早めに当たっておいた方があんまり痛い思いしなくて済んだんじゃないのかい?」
「そうか?恭也の回避能力は知ってるんだからワザと当たったりすると後でもっと酷い目にあう気もするけど」
「これ以上大威力の魔法だと訓練室の被害が馬鹿にならないな。ユーノ、広域結界を張っておいてくれ」
「展開済み」

 戦闘が始まると、全員が速やかに部屋の隅まで移動して、余波を受けないようにザフィーラの展開した障壁の影に隠れていた。完全に観戦モードだ。
 ちなみに、そのメンバーにはヴィータも入っている。フェイトの笑顔を見た時点で怒りは鎮火していた。

 戦闘は終始少女達の攻撃魔法の炸裂音が響き続けていた。
 だが、その展開は単調なものではない。
 威力よりも手数とスピードを重視した魔法から始まり、徐々に威力と効果範囲の広い魔法へと移ってきている。
 3人の呼吸も時間を追う毎にあってきて、互いに詠唱から発動までのタイムラグを補い合うようになっている。それはイコールとして恭也が劣勢に追い込まれていくということでもある。
 尤も、表現を変えるなら未だに『劣勢』で押し止めているとも言える。モニタールームに居るレティなど暫く前から文字通り開いた口が塞がらなくなっているほどだ。

344小閑者:2017/12/24(日) 17:55:37
 だが、辛うじて保たれていた均衡が一気に崩れた。集中力の問題か、単なる魔力不足か、強度が不足した足場を恭也が踏み抜いてしまったのだ。
 何とかバランスを取り戻し、地面に到達する前に再び走り始めた恭也だが、極度の集中力を発揮している彼女達に対してその隙は大き過ぎた。

「チャーンス!
 フィールド形成完了!
 フェイトちゃん!」
「いつでもいいよ、なのは!」

『N&F 中距離殲滅コンビネーション 空間攻撃ブラストカラミティッ!』
「全力全開!」「疾風迅雷!」
『ブラストシュート!』



 轟音が訓練室の隅に避難していたクロノ達の身体を揺さぶる。
 なのはの展開したフィールド内を、なのはの魔力を上乗せしたフェイトの斬撃による威力放射が荒れ狂う様を見て、観戦組みの誰かが呆然と呟いた。

「そこまでするの?」

 だが、実際にはそれだけではなかった。



「魔力充填完了!
 こっちも行くで!
 来よ、白銀の風、天より注ぐ矢羽となれ!」

 耳に届いた詠唱に、該当する魔法が脳裏に浮かんだシャマルの顔が蒼褪めた。

「フレースヴェルグ!シューート!」



 爆圧が訓練室全体を揺るがし、轟音と閃光が広い室内を隅々まで満たす。
 耳がイカレるほどの轟音の中、誰にも聞こえない懺悔がクロノとユーノの口から異口同音に零れ落ちた。

「すみませんでした。
 少しでも『羨ましい』とか思って、本当に申し訳ありませんでした」



 本来であれば殲滅兵器と呼べるほどの威力を誇る魔法だが、ユーノの広域結界に守られているとはいっても訓練室が原形を保っているからにはかなり威力が絞られているのだろう。
 それが手加減なのか単に現在のはやての制御力の限界なのかは不明だが、それでも個人に向けて使用する魔法ではないし、室内で使う魔法でもない。

「あたたたた…
 ちょう、強過ぎたやろか?」

 バックファイアを打ち消しきれずに地面をごろごろと転がる羽目になったはやては、座り込んだまま周囲を見渡す。そして、少し先で同じ様に尻餅をついていたなのはとフェイトに気付くと、互いに照れ笑いと苦笑いを折半したような顔になる。
 流石に3人とも正気を取り戻し、やり過ぎた事に気恥ずかしさを覚えたのだ。

「っと、恭也さんは!?」

 我に返ったはやてが声を上げると、タイミング良くクロノの風系統の魔法が一気に砂埃を吹き消した。
 だが、見事な更地に変わり果てた訓練場には恭也の姿は見当たらなかった。身を隠すような物陰も無いのに見つからない。
 不思議そうに辺りを見渡す当事者達とは対照的に、観戦者一同の背中を冷や汗が滴る。

 誰か非殺傷設定にしてなかったんじゃ…?

 湧き上がる不安を払拭するために全員で必死に視線を廻らせるが、樹木や岩どころか起伏さえほとんど無くなった訓練室では如何な恭也とて隠れきれる訳が無い。
 絶望感さえ漂い始めた一同を救ったのはシャマルだった。


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