したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

鏡の世界の迷子の旅路 無断転載

1語り(管理人):2015/05/29(金) 21:47:48
私は小閑者さま本人ではございません。願わくばご本人からのご返事が来ること願います。



・本作は恭也の年齢を変えたDWの再構成に当たります。

 お蔭様で、長らく続いたA's編も無事(?)終了しました。
 これからは拙作、鏡の世界の迷子の旅路の後日談的な続編を書いていく積りですのでよろしければお付き合いください。

 ご意見・ご感想を書いて下さる方は別スレッドへと、お手数ですがそちらへお願いします。

145小閑者:2017/08/19(土) 12:07:48

「何故、なのはさんを追いかけたの?あなたなら空を飛んで向かった事から緊急事態だと想像出来たでしょう?」
「何かの役に立てるかと思ったんです。初対面の魔導師を驚かせる事が出来る程度には体を鍛えてますから」

 これにも頷くしかなかった。
 格闘技能にも定評のあるクロノであったからこそ驚くだけで済ます事が出来たが、クロノと同じAAA+ランクの魔導師であったとしても不用意に恭也に近付けば沈められていても不思議は無い。
 格闘技能が低い事を自覚している者であれば空中から呼びかける事も考えられるが、あの時点では恭也が一般市民であった可能性が捨て切れなかった以上、出来る得る限り魔法を見せないように屋上=恭也の攻撃範囲内に下り立っていただろう。
 だが、異常な技能を持ち合わせていたとしても「友人が心配だから」という程度の気安さで魔法の飛び交う戦場に足を踏み入れる事を認める訳にはいかない。本物の殺意を向けられても恐怖に呑まれずにいるには相応の胆力と覚悟が必要なのだ。戦場で恐慌を起こせば、被害は本人のみならず味方全体に及ぶこともある。収容時に解除した数々の武装からすると杞憂の可能性はあったが、“次回”の可能性がある以上、リンディは確認しておくことにした。

「恭也さん。今回はたまたま管理局員が相手だったから良かったけれど、相手が犯罪者だった場合、最悪殺されていた可能性もあったのよ?それを理解していたの?」
「分かっています。殺し合いという物がどういう物なのか、俺はその暗さと深さを多少なりとも知っています。
 寧ろ、一般家庭で育ってきた高町を戦場に送り出す事が、俺には信じられません。例え、高町の技能の高さや本人の意思があったとしてもです」
「…痛いところではあるわね。
 管理局では実力と本人の意思があれば局員として採用する方針なの。勿論、最大限の支援はしているわ」
「…失礼しました。当事者が納得している以上、部外者が口を挟む内容ではありませんでした」
「…恭也君、心配してくれてありがとう」
「礼を言われる程の事じゃない。親しい者が危険に晒されていれば誰だって手を差し延ばそうとする」
「うん。でも、親しいって思ってくれてるって分かって嬉しかったから」
「…そうか」

 普段の恭也が照れてこの手の心情を口にする事が無いのはなのはにも容易に想像が付く。精神状態が平常に戻っていない事は純粋に心配しているが、それとは別に恭也が自分の事を大切に思ってくれている事は嬉しかった。
 リンディはなのはのはにかむ様子を微笑ましいとは思うが、まだ確認すべき事が残っている以上、いつまでも眺めている訳にはいかない。話の軌道を戻すために再び口を開いた。

「恭也さんが、なのはさんが魔導師だという事を知ったのは何時頃?」
「1ヶ月ほど前に高町が砲撃で結界を打ち抜いた時です」
「どうして現場に行ったの?
 かなり大きな爆発音だったわ。あなたが野次馬根性に突き動かされるほど軽い性格には見えないし、爆発音を聞いて危険感を感じないほど暢気だとは思えないけれど」
「…当時の俺は、それまで想像した事も無い様な状況に陥っていたんです。だから、それを覆せる可能性を求めて、非常識な何かを探していました」
「想像した事も無い状況?」

 リンディが口にした疑問に対して、恭也は視線をいくらか上にずらして言葉を途切れさせた。恭也の思案する様子から、黙秘ではなく整理していると解釈して無言のまま待つと、暫くして恭也がリンディへ視線を戻した。

「…結論だけ話すと誤解が生じるでしょうから、少々長くなりますが始めから順を追って説明します。
 疑問に思う事も出てくるでしょうが、質問は最後まで聞いてからにして下さい」

 魔法文明においても時間移動が不可能とされている上、近似世界の存在が否定されている以上、恭也の現在の境遇を結果だけ伝えれば根拠や証拠についての質疑応答を繰り返す事になるという推測は当然だろう。
 恭也はなのは達にも語っていない自身の境遇を語り出した。

「今から20年程前、俺は日本の静岡と言う土地で生まれました」
「え?20年?」

 初っ端からおかしな情報を耳にした事で思わずなのはが声を上げるが、予想していた恭也は視線だけでなのはを制して宣言通り説明を続けた。

146小閑者:2017/08/19(土) 12:08:34

「少々特殊な家系ではありましたが、普通に育ち、普通に歳を重ねました。
 異変があったのは10歳の時、つまり10年前。その春先に開いた叔父の結婚式当日でした。式の準備を手伝っていた筈の俺は、海鳴市の臨海公園で目を覚ましました。
 自分がどうしてそこに居るのかも、どうやって辿り着いたのかも分かりませんでしたが、現状を確認する為にもとりあえず家に帰り、家のあった土地が空き地になっている事を確認しました」
「…空き地?」

 次に声を出したのはエイミィだった。こちらは恭也に問い掛けるというよりは口をついて出た程度の声量だったので、更に話を進める。

「町並みや通っていた学校を見て回って自分が住んでいた土地である事を確認しました。テレビや新聞から、叔父の結婚式から10年が経過している事も。
 これが1ヶ月程前の事に成ります。高町とスクライアに会ったのはこの頃です。
 爆発音を聞いて危険がある可能性を知りつつのこのこ出て行ったのは、自分と同じ様に10年前の世界から誰かが来た事を期待したからです」
「その時、なのはに鎌をかけて魔法使いである事を知った訳だ」
「ああ。
 “夢を見ている”と言う位しか現状を覆す方法が思いつかない状態でしたが、逃げていても解決にならないことも分かっていました。
 時間跳躍の方法に心当たりはなかったので、超常現象か超常能力と仮定する事にした矢先に異常な爆発音が響いたので駆けつけました。高町が爆発音を発生させた当事者だったようなのでその音については超常現象の可能性を消しました」
「…一応誤魔化そうとはしたんだけど。私も様子を見に行っただけの野次馬だとは思わなかったの?」
「していたのか?…一応言っておくが煤塗れであの場に居たなら当事者か巻き込まれた被害者だ。煤に塗れるほど害を被った者が拘束されてもいないのにその場に留まり続ける理由はそうそう無いから、あの場でフラフラしている時点で当事者に確定してるぞ?」
「…うぅ。もっと勉強します」
「何処まで話したか…そう、超常現象の可能性を消したので、高町が持つ能力を絞り込むことにしました。
 俺の知っている超常能力は現実的なもので超能力つまりHGS患者と霊能力者、非現実的なもので魔法使いと未来から来たロボットくらいでした。最初に魔法使いを出したのは高町が持っている杖を見たからです」

 ユーノが指摘の内容と話の腰を折った事の両方に罰の悪そうななのはを苦笑しながら執り成しているのを余所に逸れた話を軌道修正した。エイミィがいくつか聞き慣れない単語に眉を顰めたが本筋から外れる事だろうと自重した。流石は優秀な局員である。

「後日、スクライアから、魔法でも時間の移動は出来ない事を聞いたし、次元世界には近似した世界が確認された事が無いことも聞きました。だから、原因がわからないままでしたが、現象としては俺が時間と空間を移動して、その10年の間に家が全焼し家族を失くしたと結論しました。
 勿論、そんな理不尽な話を簡単に受け入れられる訳は無いので、せめて何が起きたのかだけでも調べようとして、図書館で過去の新聞記事を調べました。その結果分かった事は、俺の家で起きた火事は、叔父の結婚式当日の出来事だという事、親族全員が出席していたその式の火災での生存者が居ない事、そして新聞記事とは裏腹に恐らく生存者が居た事」
「生存者が?そうか、式に出席しなかった者が居たのか?」
「さあ、な。まだ直接話は聞けていない」

 今度はクロノが口を挟むが、話の流れを阻害するものではなかったので、恭也が話の軌道をそちらに合わせた。

「聞けない理由はいくつかある。
 一つは多分に俺の推測が含まれている事。もう一つは当時の俺を知る者からすれば、10年間歳を取っていない俺が不審人物でしかない事。何より、もう一つ」

 数日前には確認するのに心構えを要した内容の質問を、今は気負う様子も無く口にした。

147小閑者:2017/08/19(土) 12:09:39

「高町、俺はお前の家族がその式の生存者だと思っている。話題に出た事は無いか?」
「え、私の家!?」

 突然話を振られたなのはは、当然の様に慌てながら記憶を掘り返す。

「えっえと、そう言う話は聞いた事ないかな…。あ、でも10年くらい前にお父さんがお仕事中に大怪我して入院したって聞いているよ?お母さんと結婚して1年位した頃から3年くらい入院してたって。だから、結婚式に参加できなかったのかな?」
「は?それじゃあ計算が合わっぐあ!?」

 なのはの話の矛盾点に気付いたクロノが指摘しようとした瞬間、恭也が医務局で受け取っていた痛み止めの入ったピルケースをクロノの額に投げつけた。手の届く範囲であったなら負傷も気にせずデコピンを放っていたのではないだろうか?

「クロノ君!?きょ、恭也君、えと、な、何で?」
「気にするな」
「ええ〜!?」

 審問の場で局員に手を出せば唯で済む訳がない。色めき出すほど単純な者がこの場に居なかったのは幸いではあるが、何の説明もしなければ、そのままお咎めなしなどと言う訳にも行かないだろう。
 恭也の心象を悪くしたくないなのはは必死になって考えた。状況からして恭也は間違いなくクロノの発言内容を中断させるために手を出した筈だ。そして、それはなのはに気を遣ったものだろう。

「…あっ!あ、あのね、お父さんはお母さんと再婚したの。だから、私はお兄ちゃんとお姉ちゃんとはお母さんが違うの」
「う…すまない、余計な事を言った」
「あ、いいよ、隠してる訳じゃないんだし」

 家族の血縁関係は間違いなくプライバシーの範囲だ。審問の場とは言え、その対象がなのはでは無い以上、わざわざ公開する必要の無い内容をクロノが言わせた様なものだ。勿論、あれだけ明確な齟齬であれば誰もが気付くだろうが、だからこそ態々言葉にさせる必要は無かったとも言える。
 恭也は遣り取りがなかった様に、必要な事をなのはに確認した。

「高町の家族構成は、父・士郎、母・桃子、長男・恭也、長女・美由希、次女・なのは、これで合っているな?」
「うん」
「やはりそうか。
 俺には、母は既に居なかったが、父と妹がいる。名を士郎と美由希という」
「え?」
「体格の違いが霞むほど似ている容姿。
 10年の時間移動を考慮すれば一致する年齢。
 成人男性の平均値から掛け離れた運動能力。
 10年前の、高町桃子さんと結婚する前と同一の家族構成。
 これだけ揃えば、嫌でも連想する事があるな」
「待ってくれ。何を言っているんだ?
 なのはの兄である高町恭也さんは存在しているんだぞ?」
「有り得ない、か?
 だが、時間移動の様な現象も体験しているからな。
 両方の現象を同時に説明するなら“俺が居た世界と酷似した、10年だけ先行した世界に移動した”か、“大学生の高町恭也は、俺がこれから10年前の世界に戻り成長した姿”となるが、近似世界も時間移動も否定しているお前達の常識から外れる事に変わりはない」
「…あ、あのね、恭也君。その、美由希お姉ちゃんはね?」
「そうか。それなら、尚更一緒だな」
「あ…、そうなんだ。うん。ありがとう」

 恭也となのはが半端な言葉で意志を疎通していたが、流石に全員がプライバシーの範囲である事を察して口を挟む事は無かった。次は何が飛んで来るか分からないのだから慎重にもなるというものだ。

148小閑者:2017/08/19(土) 12:10:17

「話を戻します。
 先程は高町兄が俺の10年後の姿であるという説を上げたばかりでなんですが、それでは辻褄が合わない事も見つけています。
 俺の記憶とこの世界の史実に齟齬があったんです。具体的には叔父の結婚式の日取りが史実の方が3年早かったんです。
 時代の違う良く似た世界に飛ばされた。これが俺の立たされている状況です」

 そう言って締め括ると辺りが静まり返る。全員が恭也の提示した情報を纏めるために意識が集中していた。
 沈黙を破りリンディが恭也へ問い掛けた。

「あなたの考えでは、あなたは近似した異世界から漂流して来た、という事で良いのね?」
「そうあって欲しいと考えています」
「…つまり、他の可能性も考えていると?」
「宇宙を航行する様な艦船を建造して、空間を渡り歩く術を持つ程の文明が近似世界を発見出来ていないのであれば、やはり確率は低いと考えるべきでしょうから」

 地球でもそれまで常識としていた事柄が間違っていた例はいくらでもある。天動説の様に迷信が蔓延っていた時代だけではなく、数学や物理の世界でも何十年にも渡って「定理」と信じられていた説が覆された事もあるのだ。
 だが常識とされているそれらは、それまでの経験では問題なく通用してきたという実績もあるのだ。例外が現れたなら常識を疑うよりは、それが適用出来ない様な条件が隠れている可能性を検討する方が先だろう。

「俺が思いついたのは、どれも常識外れな物ばかりですが、まあ状況自体が異常なので容赦下さい。
 まず、管理局側からすれば最も高い可能性は、俺の発言が全て偽称の場合でしょう。
 あなた方、時空管理局という組織の力を、そこまで大きくなくとも高町なのは個人の力を当てにして高町恭也氏の境遇を調べて近付いた可能性。勿論、この案は俺自身が考慮する必要の無いものですが、この派生として俺が操られている可能性があります。
 俺自身は単なる駒に過ぎず、何処かしらの組織が俺を時空管理局に潜り込ませようとしている可能性。こちらの場合は俺に騙し通させるよりも、俺に、与えられた記憶を信じさせて、暗示か何かで表層意識の認識できない所で連絡させる方が安全でしょう。魔法的な解決策があるならそちらでも。
 恭也氏の容姿と齟齬のある記憶を持たせる事で興味を持たせているとか?同時に警戒させる事にもなりますから、俺なら恭也氏本人を洗脳する方が余程現実的だとは思いますが。
 更にこれの派生として、俺は恭也氏を素体として複製したクローンで、目的は時空管理局とは関係なく、あくまで地球上で、魔法の存在しない地域で高町恭也の身体能力を欲した場合。
 ハラオウンとの戦闘を見て貰った通り、魔法無しでの戦闘であれば、未完成の俺でもそれなりの戦力にはなります。俺が修める武術の戦闘技能者を得ようと考えるのはおかしな話ではないでしょう。
 恭也氏の記憶を持たせている理由は分かりませんが、技能を身に付けた後で書き換える積もりだったのかもしれません。
 こちらの疑問点は、この武術は技能であって能力、つまり先天的に身に付いている物では無い事です。鍛えれば誰でも身に付けられるとまでは言いませんが、恭也氏の肉体に拘る必要があるとは思えません。まあ、鍛えてみた結果、上手くいかないので成功している恭也氏のクローンを作ることにしたのかもしれませんが、その場合戦力と表現出来るくらいの大人数が作られているんでしょうね」

 実際には、肉体も要素の一つではあるが、長い年月を掛けて確立された御神流の鍛錬法の方が再現するのが難しい筈だ。それは身近に御神の剣士が居る環境が絶対条件である為、“卵が先か鶏が先か”と言える。ただし、今回恭也がそれを口にしなかったのは、隠蔽よりは主題から外れない為の省略の意味合いが強いだろう。
 リンディ達には伏せられた内容は分からなかったが、「クローン」という言葉に顔を顰めた。正確にはその言葉がフェイトの心の傷に触れる事を危惧したのだが、本人のリアクションは予想とは違っていた。

149小閑者:2017/08/19(土) 12:11:23

「恭也…ゴメン」
「謝罪は前に聞いた。何度もする必要はない」
「フェイトさん?」
「…前に恭也に『自分が造られた存在だったらどうする?』って質問したんです」

 それはフェイトにとって一生忘れる事の出来ない問題だ。自分自身で答えを見つけ出さなければ、周囲の人間がいくら言葉で言い聞かせても解決する事はないだろう。勿論それはリンディも承知しているので気に病む事を責めている訳ではない。リンディが気にしたのはそれを聞いた恭也の反応だった。
 人間は仲間を集めて群れを成すが、その反面、特異な者を排斥する。肉体面、能力面、思想面、あらゆる面で差別しようとする。強大な外敵が現れればあっさりと確執を忘れて団結できる程度の曖昧な違いを、“別の生物”とでもいう程大げさに騒ぐ者も少なくないのだ。
 その質問が既に過去の話であり、フェイトが恭也に心を開いている以上、フェイトの出生を恭也が気にしていない事は分かっているが、無闇に広めて良い話題ではない。リンディも、恭也が口の軽いタイプには見えないが、念を押しておくべきだろうと恭也に向き直ると恭也の方が制する様に口を開いた。

「…別にテスタロッサの素性を聞いた訳ではありませんよ。興味もありません」

 歯に衣着せぬ恭也の発言に、3人が今度はフェイトに視線を寄せる。内向的なフェイトが真っ向から「興味が無い」などと言われれば傷付かない筈がない。そう思っていた3人は、拗ねているフェイトの姿に驚いた。“嫌われているんだ”と諦めている訳ではなく、“そんな言い方しなくても”と拗ねていられるのは、間違いなく先の発言内容が表面的な意味だけでは無いと信じているからこそだ。

「別に過去を知ったからといって彼女が別人になる訳ではないでしょう。
 俺が知っているテスタロッサが変わってしまわなければ、特に知る必要があるとは思っていません。俺から訊ねる積もりはありませんし、それを知ったからといって見る目が変わるべきではないとも思っています」

 前言を補足する様に言葉を続けるのが恭也の余裕の無さが原因である以上、フェイトはそれを心配するべきだと考えようとするが、やはり嬉しさから頬が綻ぶ事を押さえ切れなかった。
 そんなフェイトの様子に拘泥する事無く、恭也は話を戻して考えついた最後の可能性を口にした。

「最後に、先程の説が正しかった場合。
 俺が生まれ育った、今居るこの世界に限りなく似た世界が存在する可能性です」
「あなたの希望は、その世界が存在していて、その世界に還る事ね?」

 リンディが話の締め括りとして、当然その後に続くであろう恭也の言葉を先取りして、確認程度に訊ねたが、返された答えは予想とは違っていた。

「いえ。もう必要なくなりました」
「え?必要なくなったって…。でも、家族や友人が居るんでしょ?」
「先程思い出しました。
 親しい友人は居ません」

 恭也は、そこで言葉を切った。
 誰も何も言わなかった。待つ事以外、何も出来なかった。

 諦める事なのか、認める事なのか、本人にも分からない別の何かなのか。
 何れであったとしても、これから恭也が口にする事は、彼にとって重大事である事が分かる。彼をして心の準備をしなければならない程の。
 内容は察する事が出来た。“先程”がアースラに収容された後である事も、思い出した為に錯乱したのだという事も、恭也にとって最悪と言っていい結末であったであろう事も。口にさせる事は追い討ち以外の何物でもないと全員が考えたが、何故か留める事は出来なかった。

 長く感じた数瞬後、全員が想像した通りの内容が恭也の口から、感情を殺した声で語られた。



「家族も、居ません。
 皆、死にました」





続く

150小閑者:2017/08/27(日) 18:28:03
第16話 恩義




「ただいまー」
「おかえり、はやて」
「お帰りなさい、はやてちゃん」
「うん。
 それじゃあ、ノエルさん、ほんまにありがとうございました。
 すずかちゃんにまた遊びに来てって伝えてもらえますか?」
「承知致しました。
 はやて様も、ぜひまたお越し下さい。
 はやて様が遊びに来られて、すずかお嬢様もとても喜んでおられました」
「ありがとうございます」

 ヴォルケンリッターと時空管理局の2度目の大規模な闘争のあった夜が明けると、誰も居ない家で独りで過ごすべきではないという恭也の進言に従いお世話になった月村すずか宅からはやてが帰宅した。
 夜分と言える時間帯に突然押し掛ける事になってしまったにも関わらず、すずかも姉の忍も笑顔で迎え入れてくれた上に、4人の帰宅が遅れている事を知るとそのまま泊まって行くように勧めてくれたのだ。
 シャマルは、はやてを車でここまで送り届けてくれた女性、月村家のメイド長を勤めるノエルに丁寧に礼を述べ、車が遠ざかるのを見届けると玄関先で待っていたはやて達と共に家の中に入っていった。

 リビングではシグナムとザフィーラが迎えてくれた。
 朝食も月村邸でご馳走になる事を伝えてあったので4人も食事は済んでおり、はやてがソファーに座ると4人も思い思いに寛ぎだした。
 その情景を見て、はやての胸には寂寥感が込み上げてくる。一月前には暖かな、しかし、昨日と比べて1人分欠けた情景。

 ふと気付くと皆の顔がこちらを向いていた。
 気遣う様なその顔色から自分がどんな表情をしていたか悟り、気持ちを入れ替えるように頬を叩いた。恭也からの最後の電話を受けた自分は皆に恭也が不在にしている理由を告げる責任があるのだから。

「みんな、聞いてや。
 昨日の夕方な、恭也さんから“元の世界に戻る手掛かりが見つかったかもしれない”って電話があった。
 ホントは昨日、皆が帰ってきた時の電話で伝えた方が良かったんかもしれんけど、恭也さんの勘違いかもしれんかったから。
 でも、今日になっても帰ってこんちゅう事は当たりやったんやろね」
「はやて…」
「ごめんな、私だけ。皆も恭也さんにお別れくらい言いたかったやろ?」
「主はやてが謝る必要はありません。寧ろ謝罪するのは我々の方です。
 不安を感じている時に、傍に控えている事も出来ず、申し訳ありません」
「ううん、ええねん。それこそ仕方ないやん。
 …恭也さん、家に帰れとるとええね」
「…はい」

 帰る家その物がなくなっている可能性には敢えて目を瞑って、はやてが口にした思いにシグナムが同意した。
 辿り付いた家がこの世界同様全焼していたら、家族を失っていたら。そんな結末では一縷の望みに賭けた恭也も、寂しい思いを押し隠して見送った自分達も、余りにも報われない。
 せめて、恭也だけでも救われて欲しいと、はやては思わずにいられなかった。
 同時に考えてしまう。
 居なくなったのが恭也でなかったとしても、きっと同じ様に寂しいだろう。
 だから、もう誰も居なくならないで欲しいと強く願った。願う事以外に何も出来ない事に不安を感じながら、だからこそ願う事をやめる事は出来なかった。



     * * * * * * * * * *

151小閑者:2017/08/27(日) 18:29:08


 閉じていた目を開く。
 恭也の目覚めはそんな表現がぴったりと合う程、素っ気無いものだった。寝呆けるどころか眠気を引きずる様子も寝起き特有の緩慢な動作になる事もなく、体を起こし周囲を見渡す。
 白く清潔なその部屋は、閑散さと紙一重の微妙なものではあったが、窓際にある鉢植えの花の存在感を強調するために計算されたものだと説明されれば納得出来る不思議な優しさに満ちてもいた。
 実際、調度品と呼べる物は朝日を一身に浴びる鉢植えの他には特に無く、家具として恭也の寝ていたベッド以外には、座卓のガラステーブルの対面の床に敷かれた布団一式、それにタンスと壁掛け時計があるのみだ。
 恭也はベットに座ったままいつの間にか着せ替えられた暗色系のパジャマを一瞥すると珍しく眉を顰めた。アースラ艦内では気にする余裕がなかったのだろうが、武装を解除されている事はベッドで覚醒後直ぐに、目を開く前に確認していた筈なので目で見て確かめてから改めて眉を顰めるのもおかしな話ではある。
 アースラの医務局では服その物は変わっていなかった(外傷がなかったため、検査も魔法治療も非接触で行われた)のだが、まさか武装を解除された事より着ているパジャマの方が気に入らなかったなどということも無い筈なのだが。
 恭也は視界に映る金糸に初めて気付いたかの様にふと、眉を顰めたまま床に敷かれた布団へ顔を向ける。視線の先には穏やかな寝顔を無防備に布団の端から覗かせる金髪の少女・フェイトと、彼女と向かい合うように同じ枕に頭を乗せて眠る子犬形態のアルフがいた。
 恭也の方に顔を向けて眠るフェイトと後頭部を見せる子犬の様子を暫く眺めていると気持ちが落ち着いたのか、漸く恭也の表情が常態である仏頂面を取り戻す。同時に眠っていたアルフが何かを察知して耳を動かし、次いで目を開いて恭也に振り返った。

「あ、おふぁようキョーヤ。あの後も何回かうなされてたみたいだけど大丈夫かい?」
「…ああ、平気だ。ここはお前達の家か?」
「ああ、そうだよ。と言っても借りてるだけだけどね」
「…そうか。まあ、この話は後にしよう。テスタロッサがまだ寝ているしな」
「大丈夫だよ、フェイトもそろそろ起きる時間だ。ほら、フェイト、朝だよ」
「…ん」

 アルフの呼びかけに反応してフェイトが瞼を開き、きれいな紅玉の瞳が現れる。フェイトは2,3度瞬くと体を起こし、座り込んだまま両手を挙げて伸びをして眠気を追い出した。

「フゥ、おはようアル、フ…」
「おはよう、フェイト。って、恭也がどうかしたのかい?」

 視線をベットの上、恭也に合わせたまま動きの止まったフェイトにアルフが不思議そうに声を掛ける。

 恭也と同じ部屋で眠る事は昨夜話し合って決めた事だ。そして、リンディから客間で一緒に寝る事を提案された時に難色を示すクロノを抑えて同意し、更には自身のベッドを提供したのはフェイト自身なのだ。
 ちなみに「まだ、一緒にベッドで寝ても良いと思うわよ?」というリンディの台詞の“まだ”に首を傾げつつも、「恭也を起こしてしまうかもしれないから」と辞退したことで、知らぬ間にクロノの心の平穏をぎりぎりのところで保つ事に貢献していた。

 フェイトが恭也の顔を見て固まったのは、その事を忘れていた事だけが原因ではない。
 恭也が暫く前から起きていたなら、自分でどんな顔をしていたか分からない寝顔を見られていただろう。更には寝起きで恭也が居る事を失念してボゥとしているところも同じく。
 その事に思い至ったフェイトは、就寝前には想像もしなかった羞恥心に襲われたのだ。
 とは言え、何時までも恥かしがっていては恥の上塗りになってしまう。フェイトは赤みの差した頬を隠すように上目遣いになりながら恭也に挨拶した。

「お、おはよう恭也。もう起きて大丈夫なの?」
「テスタロッサ、だな?」
「え…?
 あ、うん。フェイト・テスタロッサだよ」

 念を押してくる恭也に一瞬何を聞かれているのか疑問を持つが、直ぐに何かに思い至ったフェイトは恭也の不安を解消するために慌てて同意した。同時にリンディの言葉を思い出して浮かべた微笑を僅かに翳らせた。

152小閑者:2017/08/27(日) 18:29:49

 恭也は本人の意思とは無関係に、自分の事を知る者の居ないこの世界に飛ばされて来たのだ。
 親しい者が知らない間に故人となって久しい時代に独りにされた挙句、自身の存在を否定する事実を幾つも突き付けられ、更には家族を失う現場を昨夜思い出したばかりとくれば“不安”どころではないだろう。
“目を覚ましたら知らない部屋”という状態は今の恭也には一番辛い事だろうから、とリンディから説明された時には、それで恭也の不安が解消されるならと即座に同意したのだが、それがどれほど重要な事だったのか今の恭也の様子を見て漸く実感する事が出来た。

「んじゃあ、早速朝ごはんにしよう。キョーヤもきっと驚くよ、リンディのごはんは美味いんだから!」

 アルフの陽気な声にフェイトの思考が引き戻された。
 沈みがちな事を自覚しているフェイトは、そんな自分を救ってくれる明るさを持つアルフに何時もの様に心の中で感謝した。

「…それは楽しみだな」
「もう。アルフ、着替えて、顔を洗ってからだよ?」
「わかってるって。あたしは着替える必要は無いんだから、フェイト達は早く着替えちゃってよ。あ、キョーヤの服はそこだよ」

 人間形態に変身したアルフの示した方を確認した恭也は、恭也の事を気にした様子も無く着替えるべくパジャマを脱ぎ始めたフェイトを一瞥すると、フェイトに背を向け自身もパジャマを脱ぎ始めた。アルフが驚嘆の声を上げたのはその直ぐ後だった。

「うっわ、あんた着痩せするタイプだったんだね。凄い体じゃないか!
 身長はともかく、傷も多いしそれだけ鍛えてる子供なんてあんまりいないんじゃないの?」
「背中にもあったか。すまん、見て気分の良い物ではないだろう」
「傷の事かい?戦う為に鍛えてるなら当然だろ。気にならないよ。ねえ、フェイト?」
「うん。でも、気を付けなきゃ駄目だよ?」
「そうか。だが、傷や筋肉はともかく、ハラオウンも似たようなものだろ。魔法の補助がある分、筋力に頼らずに済んでいるだけで鍛錬の量は大差ないんじゃないか?」
「でも、クロノって14歳だろ?あんたたちの歳で4年の差は大きいんじゃないの?」

 行為の意味を理解しないまま親の真似をして体を動かす事は出来るとしても、意思を持って体を鍛えるようになるのは早くても6〜7歳からだろう。仮に物心つく前から強制されていたとしても2年は増えないから4年の差は倍近い年数と言える。
 だが、恭也が聞き咎めたのはそこではなかった。

「あいつ、14歳だったのか?」
「は?…あ〜、まああんたとは別の意味でクロノも見た目と歳にギャップはあるね」
「あの、クロノも気にしてるみたいだから、背の事はあんまり…」
「承知している。からかって買うのは怒りであるべきだからな。引き際を誤って恨みまで買うようでは二流と言うものだ」
「そ、そういう事じゃなくて…」

 意図的に曲解しているであろう恭也を押しとどめようとパジャマを脱ぎ終えたフェイトは着替えを手に取りつつ体ごと向き直ると、フェイトに合わせて振り向いた恭也の視線が自身を捉えている事を唐突に意識して言葉を途切れさせた。

 恭也が普段から相手の目を見て会話する事はフェイトも知っている。
 それが洞察を主目的としているとまで察している訳ではないが、マナーとして相手の顔を見て会話するものだとはフェイトの知識にもある事だ。だから、今現在恭也が自分を見ているのは当然の事だし、その視線も自分の顔の位置で固定されている事もわかっている。
 恭也の表情は至って普段通りの仏頂面だし、視線にも時折街中で見知らぬ男性から感じる不快な感情が含まれている訳ではない。ないのだが、何か落ち着かない。
 更に、何故か視界に映る恭也の逞しい上半身に意識が向かってしまい、勝手に顔が熱くなっていく。
 フェイトは得体の知れない落ち着かなさから逃れる様に持っていた着替えを抱きしめて、無意識ながらもほぼ全裸とも言えるパンツ一枚きりの姿を隠した。同時に、視線を恭也の上半身から無理やり引き剥がし、何とか床に固定した。

「…!?―――?…??」
「?どうか…、あー、すまん。しばし待て」

 トマトの様に赤面して混乱しているフェイトを見た恭也は、フェイトに背を向けて手早く着替えを済ませると、フェイトに視線を向ける事も無く「次回からは男の前で服を脱ぐのはやめておけ」と言い残して部屋を出て行った。
 もっとも、フェイトが恭也の退室に気付いたのは、5分ほど続いたアルフの呼び掛けに正気を取り戻してからだったが。
 


     * * * * * * * * * *

153小閑者:2017/08/27(日) 18:30:49

 アースラでの審問中、恭也は家族が他界した事を告げると気力を使い果たしたのか大きく一つ息を吐くとそのまま机に突っ伏して意識を失った。
 リンディ達は泣き出しそうになるなのはとフェイトを宥めながら呼び出した医務局員に診察させた結果、心労に因るものと診断された。その診断結果を聞いたリンディは恭也を連れて海鳴に戻ることにした。
 肉体ではなく精神の疲労である以上、治療方法は当然落ち着ける場所で安静にしている事。理想としては生まれ育った家に帰るのが一番良いが、今の恭也にはそれが叶わないので次善案としてこの世界に来てから一ヶ月程の間生活していた海鳴を療養の地としたのは当然の流れと言えるだろう。
 勿論、一ヶ月程暮らしていた家の方が良いだろうが、恭也から聞き出せていないため探し出す事が出来ず、更なる妥協案として管理局の海鳴での拠点にしているマンションの一室、ハラオウン家に搬送したのだ。

 余談だが、なのはが家を抜け出してから結構な時間が経っている事に気付いたのは、マンションに移動して時計を見てからだった。
 リンディがなのはに付き添い、「遊びに来てフェイトと一緒に眠っていたことにリンディが気付かなかった」とかなり苦しい言い訳をしながら平謝りする事で、なのはは桃子から軽いお叱りを受けるだけで済んだ。
 


     * * * * * * * * * *



「フェイトさん、可愛かったわね〜」
「そうですねー」

 朝食を済ませ、フェイトが登校すると、食後のお茶を啜りながら漏らしたリンディの感想に同意したのはエイミィだけだった。
 同席しているクロノは苦虫を噛み潰した顔をしているし、クロノの隣、エイミィの対面に座る恭也は呆然と、あるいは愕然としていた。
 恭也の視線がリンディ、正確には彼女がおいしそうに飲んでいる湯飲みに向かっている事にクロノは気付いていたが、先程の罰を兼ねてフォローはしない事にした。
 着替えの際に起きた問題は恭也にそれ程の落ち度がなかった、と結論付けられた為、恭也は咎められていないのだ。
 精神の建て直しに成功したのか、恭也が自分に出された手元の湯飲みに視線を注いだまま口を開いた。尤も、湯飲みに添えられた手は微動だにする事は無く、そこに満たされた緑色の液体に口を付ける様子は無かったが。

「ハラオウン提督。テスタロッサにその手の知識が無い事は気付いていたんでしょう?
 同室する相手が子供とは言え、少々無責任なのでは?」
「あら、恭也さんなら大丈夫だと思ったからこそよ?」
「…ちなみに根拠は?」
「女の勘」

 リンディに即答された恭也は自信に満ち溢れている彼女の顔を凝視した後、重たそうに口を開いた。

「その拠り所にどれほどの信頼性があるのかは俺には判断できませんが、ご子息には異論があるようですよ?」
「母さん、フェイトを危険に曝す根拠が“勘”では、いくらなんでも酷過ぎるぞ。何かあったらどうする積もりだったんだ!?」
「そうねぇ。でも、これはフェイトさん自身も同意した事なのよ?」
「それはフェイトが何も分かってなかっただけだ!」

 リンディのあまりにも無責任な発言にクロノが声を荒げた。
 失敗して学ぶ事も確かにあるが、それが一生残る様な傷となるなら道を間違えない様に導いてやるのが大人の務めだろう。
 口調の強くなったクロノとは対照的に恭也は変わらぬ口調で言葉を継いだ。

「男の理性など当てにするべきではないらしいですよ?
 テスタロッサの容姿と無防備さなら、トチ狂う輩がいても不思議は無い。勿論、俺も含めてです」
「あら、それならフェイトさんに直接言ってあげなくちゃ。『君は思わず抱きしめたくなる程可愛いよ』って」
「表現が婉曲になっている上に論点がずれてます。
 …ひょっとして、実地で学ばせようとしたんですか?ここなら、直ぐに部屋に駆けつける事が出来るから。2対1なら片方が動きを封じられても、もう1人が騒ぐ事もできると?」
「流石ね。クロノよりよっぽど私の事を信用してくれているみたいで嬉しいわ」
「ぐっ」

 恭也はうめくクロノを横目に見ながらも、リンディの誤解を解くことは無かった。
 不意打ち、奇襲である限り、恭也が魔導師に劣ることはない。恭也にとって寝ているアルフを無力化してフェイトに手を出すのはそれ程難易度の高い作業ではないのだ。
 敢えて訂正しなかったのは話が拗れる事が目に見えているからだろう。

154小閑者:2017/08/27(日) 18:31:36

「では、俺の行動はご期待に沿えなかった訳ですね」
「まさか。フェイトさんを悲しませずに済んだんですもの、理性的に行動して貰えて嬉しいわ。
 むしろ、恭也さんの存在を気にせず着替えだす程だとは思ってなかったから、今回の事で男性に肌を晒す事が恥ずかしい事だって知ってくれたでしょう。
 恭也さんも役得だったでしょう?」
「母さん!」
「別段、注視していた訳ではありませんが、綺麗だった事は同意しますよ。性的な魅力が低かったのは年齢からすれば仕方の無いことでしょう」
「あら、やっぱり恭也さんも大きい方が好みなの?」
「他の誰と同じ枠に分類されたのかは敢えて聞く気はありませんが、メリハリがあるに越した事はないと思っています」
「そう。それじゃあ後5年位遅かったら流石の恭也さんでも自制出来なかったかもしれないのね。
 早めに改善できて良かったわ」
「左様で」

 呆れた様に短く同意する恭也にも笑顔を返しているリンディではあるが、朝食前に恭也から遅れてリビングに現れたフェイトが羞恥に顔を赤らめて、あからさまに恭也から視線を逸らしている姿を見た時には内心で盛大に冷や汗を流したものだ。
 表情と行動は精一杯何気なさを装いつつ、内心大慌てでフェイトをリンディの私室に呼んで事情を聞きだし、安堵の溜息とともに心中で恭也に感謝した。
 リンディがフェイトとアルフに男性との距離のとり方について注意点を教えてから一緒にリビングに戻ると、フェイトの態度に不審を抱いて問い詰めるクロノを恭也がのらりくらりと躱していた。勿論、フェイトの醜態を隠すためだろう。

 本当に何者なのだろうか?
 フェイトやなのはから聞いた限り、決して真面目一辺倒ではなく、隙を見つけては周囲の人間をからかっているようだが、その反面、本人達が本気で嫌がる内容からは逆に煙に巻いて話題を遠ざけようとすらしている。
 恭也には10歳という年齢からすれば肉体・精神・体術・思考・知能と規格外な面ばかり見せられている。これで知識が高ければ完璧超人なのだが、一般知識には疎いとの事なのでバランスは…いや、取れていると言うほど物知らずではなさそうだ。

 恭也と接した誰もが浮かべる疑問が思考を占めてたリンディは、当人の声で意識を引き戻された。

「ところで、そろそろ本題に入りませんか?」
「そうね。恭也さんの置かれた状況と、今後の方針について、ね」

 リンディには恭也の語っていた“本人の意思に反する無作為転移”について心当たりがあった。一月以上前に時空管理局調査部が調査対象の遺跡を暴走させた件は、公私共に親しいレティ・ロウラン提督から「どこかの次元に転移した人物がいるかも知れないから気に留めておいて欲しい」と連絡を受けていたのだ。
 現在リンディ達が第一級ロストロギアに認定されている闇の書を追っている事はレティも知っているため、捜索に割く余力が無い事は承知の上で事務的に通達したに過ぎなかった。それでも通達したのは知的生命体であれば転移した事を転移先で周囲の民間人に訴えていれば噂話として耳に入る可能性があるからだ(魔法の存在が知られていない次元世界であれば精神異常者扱いだろうが)。
 逆に言えばそれ以上を期待していない為、知性体以外の無機物及び植物・動物に関しては、遺跡を暴走させたクォーウッド艦長率いる第十七調査艦に任せきりになっていた。
 暴走後に遺跡を解析した結果、魔導師が遺跡に侵入した時点でまず避けようが無かった事故である事は判明していたが、誰かがやらなくてはならない以上、白羽の矢が彼らに立つのは仕方の無い事でもある。
 クォーウッド艦長は偶然であろうと他部署の人間の功績になろうと、一人でも多くの被害者を救済出来るのであれば瑣末事と考える人物だ。その人柄を知っているからこそリンディも恭也本人の境遇とは別に少しでもクォーウッドの心労が軽く出来ると喜んだのだが、そう単純には進まない事が今朝受けた報告でわかっていた。

「八神恭也さん。
 あなたが転送された原因は、時空管理局で行った遥か昔に滅亡した文明が残した遺失物、私達がロストロギアと呼んでいる遺跡の解析調査中に起きた遺跡の誤作動に因るものと判明しました。
 管理局を代表して謝罪します」
「構いません。俺にとって一番大きな問題は転移そのものとは関連がありませんし、元の世界に戻っても解決する事ではありませんから」

 それはリンディにも分かっていた。そして同時に誰にも解決する事が出来ない問題であることも。
 リンディが言葉に詰まった事を察したのか、恭也が先を促した。

155小閑者:2017/08/27(日) 18:32:13

「それで、俺の処遇は決まりましたか?」
「勿論、あなたを元の次元へ返します。
 ただ、遺失物は基本的に我々の文明とは技術体系が違うため、解析に時間が掛かります。
 恭也さんの居た次元世界を割り出すのに1週間以上掛かる可能性があるんです」
「構いません。どの道、今更急いで帰る理由はありませんから」
「…ありがとう。
 代わりと言ってはなんだけど、出来る限りの待遇は保障するわ。と言っても恭也さんもご存知の通り、私達も現在捜査中の身なので大したことは出来ないけれど。
 そうだわ、こちらの世界でお世話になっていた家があったのよね?帰る前に挨拶に行ったらどうかしら。連絡さえ付くなら外出しても構わないわよ?」

 事務的な会話は終了とばかりにリンディが砕けた言葉遣いで提案した内容に、恭也はやんわりと断った。

「いえ、いづれ去るのですから止めておきます。強制的に飛ばされて来たので強制的に還される可能性があるとは日頃から伝えてありますから。
 暫く顔を合わせていた程度の行きずりの人間であろうと、別れる事を悲しむような優しい人達でしたから。そんなもの、何度も味わわせたくありません」
「で、でも、ちゃんとお別れした方がその人達にも良いと思うけど…」
「そういう考え方がある事は知っていますが、そうでない場合もあります。
 明確な根拠が無い以上、短いながらもあの人達と接してきた自分の判断を信じます」

 エイミィが思わず一般的な意見を口にするが、こう言われては面識の無い3人には無理強いする事は出来ない。

「そこまで言うなら敢えて勧めないけれど…。
 さっき、フェイトさんに念を押していたのもその事?」
「はい。帰るのに時間が掛かる事は想定していませんでしたが、いづれにせよどんな繋がりで話が届くか分かりませんから、高町にもテレパシーみたいなもので伝えて貰いました。
 月村やバニングスに、俺と面識のあるあの2人の友人も含めて誰にも話さない様に、と。
 高町もテスタロッサも、あまり嘘が吐ける種類の人格ではないのであっさり露呈する可能性はありますが」
「2人とも素直な良い子だから」

 苦笑交じりのエイミィの台詞に一同が笑みを零す。彼女達の正直さは年齢相応の好ましいものだ。

「やはり純粋さは子供の美点だな、八神恭也」
「何が言いたい、クロノ・ハラオウン」
「なに。大して歳が変わらないのに疑ってばかりいるすれた奴が身近にいると、よく分かると思ってな」
「ほう、自虐ネタとは高度なボケだな」
「自虐じゃない!君の事だ!」
「凄いな。俺には自分の事を純真無垢だとは口が裂けても言えない。
 見直したよハラオウン。どれほど面の皮が厚いと“自分は例外”などと言えるのか想像もつかない。尊敬した。真似したいとは欠片程も思わないが」
「べ、別に純真無垢だなんて言ってないだろ!歳が違うと言ってるんだ!」
「…言うに事欠いて推定身長140cmの分際で何を言ってる?そういう事は俺の身長を抜いてからにするんだな」
「コ、コ、コイツゥッ!!」
「お、落ち着いてクロノ君!先に言い始めたんだから文句言えないって!
 恭也君もその辺で勘弁してあげて?」
「フッ、修行が足らんな。出直して来い」

 慣れない冷笑を浮かべようと頬を引き攣らせた様な表情の恭也と、歯軋りして悔しがるクロノを眺めながら、リンディが微笑む。
 クロノの軽口は恭也を必要以上に沈ませない為のものだし、恭也の返しはクロノの配慮を承知した上で乗ったのだろう。今回は軍配が恭也に上がったが、それ自体は結果でしかない筈だ。
 どちらも子供らしい配慮とは程遠いが、出会ってから丸1日も経過していない上に戦闘行為から始まった関係としてはそれ程悪くは無いだろう。もっとも、恭也とフェイトの場合も大差なかったと知ったら流石にリンディも呆れるだろうが。

156小閑者:2017/08/27(日) 18:32:50

「あはは〜。あ、そうだ!
 修行で思い出したんだけど、恭也君のあの動きってどうやってやってるの?」
「あの動き?」

 場を和ませようと愛想笑いをしていたエイミィが唐突に切り出したのは、昨夜のビルの屋上でクロノとの戦闘で見せた恭也の瞬間移動についてだ。
 リンディとクロノは直ぐに気付いたようだが、当然聞き返してきた恭也に説明するためにエイミィは空中にディスプレイを投影すると件の戦闘シーンを再生した。

「ほら、ここ。姿が消えてるこの動き」
「…」

 画像を説明しながら恭也に説明していたエイミィはかなり珍しいものを見た。恭也が目を見開き(と言っても当人比1.2倍程度)、絶句していたのだ。

「お、おい、恭也?」
「…凄いな、何も無いところにテレビが映るのか…」

 恭也の態度に驚いたクロノが刺激しない様に気をつけながら声を掛けると、恭也が呆然としたまま呟いた。

「ア、ハハ…、まあこの星の人は初めて見たらちょっとビックリするかもね」
「…宇宙航行船を見てるんだからこれ位で驚かなくてもいいだろう」
「気絶してる間に運び込まれて、寝てる間に連れ出されたのに実感できる訳ないだろう。それに、こちらの方が身近な分だけ実感し易い」
「それでも既に受け入れて平常心を取り戻してる辺りは、流石と言うかなんと言うか」

 空想でしかない筈の魔法を受け入れた恭也であれば、地球にある技術の延長上にある(可能性のある)技術を受け入れられない訳がないだろう。

「じゃあ、もう一回流すね?
 ほら、ここ」
「…これが何か?」
「え?えっと、出来ればこの動きを説明して貰いたいんだけど…」

 恭也の“何か異常がありましたか?”と言わんばかりの発言にエイミィの言葉が尻すぼみになる。この瞬間移動じみた高速行動はこの次元世界の人間には当然の技能なのだろうか?

「…画像が途切れている事を俺に指摘させる事に意味があるんですか?」
「…は?」
「待て、恭也。何の話だ?
 ここからここまで一瞬で移動した方法について聞いてるんだぞ?」
「お前こそ何を言ってる?
 この場面は高町に向かって跳び蹴りしようとした男を弾き飛ばした時だろう?
 記憶が飛んでなければ、俺は走り寄って肘打ちしただけだぞ」
「…」
「…」
「つまり、恭也さんは特別な何かをした訳ではなくて、いつも通り走っただけ、と言うことかしら?」
「勿論です。俺に超常能力は備わっていません。少なくとも、そんな便利な機能があるなんて把握してません」

 答えた恭也は、表情は勿論、呼吸が乱れる事も、心拍数が変化して顔色が変わる様子も無い。
 問い掛けた3人は視線を交わすと念話での密談を始めた。

<クロノ、どう思う?>
<動揺した様子はありませんが、鉄面皮は何時もの事でしょう。それに初めから質問される事を想定していた可能性もあります。
 そもそもあそこまで極端な前傾姿勢を取るのは、あのスピードで走ることを前提にしていなければ有得ません>
<あ〜、でもスピードに合わせて体を倒すのは当然だって言われちゃうと反論が難しいと思うよ?我武者羅な時って覚えてないことあるし>
<或いは自分達の技術を隠蔽しようとしているのかもしれないわね。
 分からないのか隠しているのかすら不明だけど、何れにせよ問い詰めても答えが得られる事は無いでしょうね>

「どうかしましたか?」
「あ〜、何でもない、何でもない。
 それじゃあ、こっちは?
 一番最初に君がクロノ君に近付いた時、クロノ君には君の動きを認識出来なかったらしいんだけど…」
「こちらも特別な事をした訳ではないんですが…、とは言ってもあれだけ驚いていたと言う事は魔法の世界では存在しない技法なんですかね」
「じゃあ、こちらは何かしているのか!?」
「気配を抑えただけだ」
「…は?」

 余程気になっていたのか、クロノが勢い込んで問い掛けると恭也は何でも無い事の様に答えた。だが、技法が存在しないと言うことは“気配を抑える”という概念そのものが存在しないのだ。初めから言葉だけで伝わる訳が無い。

157小閑者:2017/08/27(日) 18:33:34

「えっと、それは具体的には、って、え〜〜!?」
「な、な!?」
「わかったか?気配を誤魔化されると、視界に映っていても認識し難くなるだろう?」

 クロノの感覚では目の前に座っている恭也が霞んで見えた。いや、色彩が薄れて透明に近付いたと表現するべきか?
 この感覚は、体験しなければ絶対に理解できないし、説明したところで誰も信じないだろう。そして、こんな事を意図的に行えるなら、瞬間移動が偶然の産物などと言う戯言を信じる気になれる訳が無い。
 またもや長年信じてきた常識を覆されてリンディが呆然と呟く。

「…魔法も使わずにこんな事が出来るものなの?」



 リンディ達が混乱するのも無理も無い事ではある。
 魔導師とは“魔法を使える人間”だ。人間と言うカテゴリーの中で魔法の使える一部の者と言う事は、言い方を変えれば魔法を使わなければ一般人と変わらないのだ。
 恭也を“一般人”にカテゴライズする事は、彼を知る全ての人から反対されるだろうとクロノは思うが、恭也の瞬間移動や認識阻害が彼個人の先天的な特殊技能では無いと言う言葉を信じるならば自分達も訓練すれば同じ事が出来ると言う事になる。…信じる、ならば…、信じられるか!!
 確かに、体を鍛えれば速く動けるようになるし、息を殺して身を潜める事もある。だが、限界は当然ある。あるべきだ!
 クロノの誘導弾を躱していた時の恭也のスピードは十分にレッドカードを付き付けられても文句を言えないレベルだったが、それでも常識の範囲の端っこにぎりぎり引っ掛かっているという事で目を瞑れなくは無いだろう。(そもそもあの回避行動の一番恐ろしい所はスピードそのものではない)
 だが、いくら体を鍛えた所で30倍速で行動できて良い筈が無いし、息を殺してコソコソしていたからと言って人の目に映らなくなるなら泥棒など遣りたい放題である。



 恭也の持つ脅威の能力を目の当たりにした事で自失していた3人は、お茶を入れ直して気持ちを落ち着けると、話題を今後の方針に戻して再開した。
 ちなみに3人は先程見せ付けられた精神衛生上よろしくない事柄については、アイコンタクトによる緊急会議で今後触れない方針で行く事が可決されたのだった。無論、何の解決にもなっていない。

「すっかり、話が逸れちゃったわね。
 どこまで話したかしら?
 …そうそう、挨拶に行かないなら恭也さんはどうするの?その一家と距離を取るなら街中を歩き回る積もりは無いんでしょ?
 このマンションに居て貰う分には構わないけれど息が詰まらない?」
「テスタロッサが警戒心を覚えたなら、同じ部屋で寝起きするなんて暴挙には出られないでしょう。
 昨日の、…宇宙船?あれの部屋が余っているならあそこでも構いませんが」
「空いてる部屋はあるけれど、閉鎖空間に閉じ篭るのは今のあなたにはお勧めできないわね。このマンションの空き部屋じゃ駄目かしら?」
「空き部屋があるのに同室に放り込んだんですか…?
 いえ、それでは暫くそこを貸して下さい。
 後は、何かする事を貰えませんか?出来れば昨日の事件の関連の手伝いを」

 恭也の申し出にリンディは思わず眉を顰めた。
 恭也がなのはとフェイトに出会った経緯は分かったし、例の遺跡のランダム転送に巻き込まれた被害者の1人である事も裏が取れている。恭也が闇の書側の陣営に属している可能性はまず無いという事になる。
 だが、そうなると態々事件に関わろうとする理由が分からない。
 なのはの時の様に事件の関係者に強い思い入れがある訳ではない。
 事件に関われば死に繋がる可能性がある事は判っているだろう。
 自分だけは大丈夫などと高を括っていたり、ゲームの様に死んでも生き返れると思っている訳でも無い。
 そして、それらが分かっている以上、参加表明は気軽なものでは無い筈だ。
 そうなると一番高いのは、家族の死を知って自暴自棄になっている可能性だろうか。

 リンディの危惧を察したのだろう。恭也が苦笑しながら言葉を足した。

「自棄になっている訳ではありませんよ。
 この世界に来てから助けられてばかりいるんです。
 あの人達が居なければ、俺は目の前の現実に呆気なく潰されていた」

 それは容易に想像出来る仮定だ。恭也にとって根幹と言える物を、何の前触れも無く全て喪失したのだから。

「だから、受けた恩に報いたい。
 皆に危険が迫っているなら、看過する事は出来ない。何が出来る訳では無いだろうけど、“何もしないでいる”なんて事、出来ない」

 何かを噛み締める様な、慈しむ様な眼差しに反して、淡々とした口調で語り終えた恭也にクロノが重い口を開いた。

158小閑者:2017/08/27(日) 18:34:09

「気持ちは、まあ、察する事位は出来る。
 だけど、許可する事は出来ない。
 僕らにはない技能を持っている事は認めるが、それでも魔法を使えない君では、力不足と言わざるを得ない」
「…そうか。
 分かった。無理強いして状況を悪化させたら目も当てられないからな。
 だけど、戦力にならないなら戦闘に参加させろとは言わないから、何かしら手伝わせて貰いたい。荒事の方が得意である事は事実だが雑用くらいは出来るだろう」
「お前だって被害者なんだ。そこまでしなくても、良いだろう?」
「いや、こちらは俺自身の都合で申し訳ないが、何かに集中していないと忘れていた反動なのか、あの記憶が繰り返し再生されて、あまり健全でない精神状態になりそうなんだ。
 物を考える余裕が無くなるほど闇雲に走り回っているのも手ではあるが、出来れば役に立つことをしたい」
「…わかった。何か出来る仕事を探しておこう」
「感謝する」

 自覚があったのか、恭也が納得して大人しく引き下がった事にクロノは小さく安堵した。
 恭也の技能はかなりの戦力として期待出来るが、一般人を巻き込むのは極力避けたい。それがクロノの偽らざる思いだ。リンディも、なのはの時とは違い本人が引き下がったためそれ以上勧めることはなかった。
 尤も、結論から言えば恭也は引き下がりこそしたが、納得した訳でも大人しかった訳でもなかったのだが。





「ただいまー」
「お邪魔しまーす」
「お邪魔します」

 フェイトはいつもの4人で学校を出ると高町家でアリサ達と別れ、着替えを済ませたなのはと、合流したユーノと共にハラオウン家に帰宅した。
 普段から放課後には一緒にいる事の多い仲の良い2人ではあるが、この日の目的は恭也の様子見だ。
 昨夜、ハラオウン家に運び込んだ恭也が意識を取り戻す前に帰宅する事になったなのは達は勿論、フェイトも復調したとは言い切れない今朝の様子が気になっていたのだ。
 だが、帰宅と来訪の言葉に声が返される事はなかった。
 海鳴での拠点となるこのマンションで暮らすようになってから、フェイトが帰宅した時には必ず家にいる者が「おかえり」と迎えてくれていた。そのちょっとしたやり取りをここで暮らすようになってから得た数ある楽しみの内の一つとしていたフェイトは小さく落胆した。今日は誰もいないのだろうか?

「なのは、上がって。ユーノも変身解いたら?」
「うん、お邪魔します」
「僕も失礼して」

 フェイトの言葉に従って玄関に上がったなのはが脱いだ靴を揃えている隣で、なのはの肩から降りたユーノが人の姿に戻る。フェイトは着替える前に2人をリビングに通す為にそこに通じるドアを開けると、目の前の光景に立ち尽くした。
 先程の予想に反してリビングには先客がいた。立ち尽くすクロノとアルフ、そしてソファーに座った恭也だ。しかし、フェイトが言葉を無くしたのは予想を覆されたからではなく、場を満たす険悪な雰囲気に呑まれたからだ。

「主人の帰宅と来客だ。迎えてやったらどうだ?」
「あ、フェイトお帰り」
『え?あ、フェイトちゃん、お帰り』
「ただいま、アルフ、エイミィ。…何かあったの?」

 ドアノブから手を離す事も出来ずに立ち尽くすフェイトに背を向けたまま発した恭也の言葉に反応したのは、ドアが開いた事に気付かない程緊張していたアルフとこの場にいないエイミィの空間ディスプレイ越しの声だった。
 フェイトは改めて帰宅の挨拶を返してから、小声で恐る恐る現在の状況に至る原因を問い掛けた。恭也とクロノの仲は決して良好だった訳ではないが、理由も無く睨み合う程犬猿の仲と言う訳でもなかった筈だ。

『それがねぇ…』
「この男が模擬戦中のアースラの武装局員を襲撃したんだ」
「ええ!?」
「人聞きの悪い事を言うな。別に背後から忍び寄った訳でも、不意打ちした訳でもないだろう」

 クロノの怒気を孕んだ声に答える恭也の声は普段通りの平坦そのものだ。

159小閑者:2017/08/27(日) 18:35:37

「参加表明もしたし、あからさまに刀を構えて敵対姿勢も示したし、相手が認識したのも確認した。
 実際、彼らも初めて直ぐは躊躇していたが、最終的には全力を出していた筈だ。彼らが本気になるまで俺も躱す事に専念していたしな」
「だからと言って、彼らが自信喪失して塞ぎ込むまで追い詰めるのはやり過ぎだ!」
「それこそ俺を非難するのはお門違いも甚だしいぞ。
 模擬戦で遅れをとったのは彼ら自身の責任だ。あれが彼らの実力の全てだったとは言わないが、打ち負かした事に非があると言う理屈は承服しかねる。
 攻撃についても治療が必要になる程の負傷は負わせていない」
「それはっ…」

 恭也の台詞にクロノが言葉に詰まる。参戦そのものは恭也から押し付けたに等しいが、その勝敗の責任の所在については確かに正しい。正論だ。だが正しいからと言って納得出来るとは限らない。ただし、模擬戦が3対1だった上に当然ながら恭也が魔法を使えないため、圧倒的に優位にある筈の局員を負かした事を公然と非難出来る訳がない。尤も、だからこそ負けた局員のプライドが粉砕された訳だが。
 それでも人間は何も感じない木石でも感情の無いロボットでもないし、ましてや聖人君子でもないのだ。同僚が塞ぎ込んだ元凶が昨日医務局で暴れた人物となれば恭也への印象が良くなる事などない。今回は恭也が強引に仕掛けた事も不評を買う原因の一つだろう。

「ダメだよ、恭也君。悪い事をしたと思った時はちゃんと謝らないと」

 クロノに代わって恭也を諌める声は意外な人物から上がった。たった今事情を聞いただけのなのはだ。ただし、それはそれまでの会話の流れをまったく無視して恭也に非がある事を前提とした内容だった。隣にいるフェイトも不思議そうになのはを見ている事から、なのはの台詞こそ疑っていないながらもその根拠が分からないのだろう。
 なのはの台詞に援護して貰ったクロノを含めた恭也以外の全員が驚き注目する中、恭也はドア付近にフェイトと並んで立つなのはに背を向けたまま言葉を返す。

「…非難される要素が俺の何処にある?参戦が強引過ぎたと言うなら非を認めんでもないが、ハラオウンが咎めているのはそこではないだろう」
「そうだね。でも、私が言ってるのはその事じゃないよ。
 私はお父さんに『自分の心にだけは嘘をつくな』って言われてる。恭也君は違ってた?」

 その言葉に今度は恭也が沈黙した。この場合、“沈黙は肯定”と受け取るべきだろう。

 クロノは恭也の参戦そのものを責める積もりは無かった。なのは達との訓練内容は聞いていたし、恭也が戦う事を目的として体を鍛えている以上、必ず対戦形式のそれを必要とするのだ。だから、今回の騒動は、単純に恭也のやり過ぎが問題だと考えていた。
 しかし、なのはの台詞は恭也が故意に局員を過剰に追い詰めたか、恭也の参戦そのものが別の意図を、謝罪が必要な彼にとって後ろめたい理由を含んでいる事を示唆していた。

「なのは、どう言う事だ?彼が局員と戦った事に何か理由があるのか?」
「え?」

 クロノが自覚出来る程硬くなった声でなのはに問い質した。
 昨夜からの審問とその事実確認によって恭也が闇の書側の陣営に属している可能性は限りなく低いと結論したが、彼が意図して局員を害したとなれば“白に近いグレー”という評価が黒味を増すことになる。
 だが、キョトンとしたなのはの表情にはどう見ても『何を聞かれているのか解りません』と書かれていた。その反応にクロノが怪訝な顔をすると、リビングの入り口に佇んだままのフェイトとなのはをソファーの方へ行くように促したユーノが苦笑しながらフォローをいれた。

「クロノ、なのはは別に恭也の考えてる事を推測してる訳じゃないよ」
「どういう事だ?恭也の考えを予想できるから行動を咎めたんだろう?」
「それが勘違いなんだよ。
 なのはが指摘してるのは、行動じゃなくて今の恭也の態度だよ。ねぇ、なのは?」
「…うん。恭也君がした事が悪い事なのかどうかは私には分からないけど、後悔してる様には見えたから…」
「高町、一つだけ確認しておく。表情も見ていないのに何故そう思った?」
「え?えっと、話し方とか雰囲気とか、かな…」
「…理不尽な」

 恭也は小さく溜息を吐くと右手で髪を掻き揚げた。それは何気ない仕種ではあったが、恭也がこういった気を紛らわせる類の振る舞いをする事は少ない。その新鮮さと、物憂げな表情と仕種に、知らずなのはとフェイトの視線が釘付けになっている事をエイミィだけが目敏く気付いて浮かびそうになる笑みを苦労しながら隠していた。
 全員が静かに見守っていると、根負けした様に恭也が口を開いた。

160小閑者:2017/08/27(日) 18:36:09
「…ただの八つ当たりだ」
「八つ当たり!?…何に対して?」

 クロノが怒りよりも疑問が先に立ったのは、クロノの描いている恭也のキャラクターから離れ過ぎていたからだ。
 悪戯のレベルならともかく、今回は陰湿と言えるレベルだし、それを屁理屈を並べて誤魔化そうとするとは思っていなかった。自分よりも付き合いの長い4人の様子を伺うと全員が驚いている事から、自分の見立てが見当違いという訳ではない様だ。
 恭也も自覚があるのだろう、酷くばつが悪そうにしている。それでも話し続けるのはなのはの指摘通り後ろめたい気持ちがあるのだろう。

「…認めたくなかったんだ。
 俺が習ってきた、…いや、父さん達が教えてくれた剣術が魔法に劣るなんて、認めたくなかった。絶対に。
 あんな事をしても意味が無い事は分かっている。
 強さなんて相対的なものだから、相性はあっても絶対的な優劣なんて存在しない。高町やテスタロッサ、ハラオウンに俺が勝てないから魔法の方が優れている訳でも、俺が他の局員を制したから剣術が勝る訳でもない。
 模擬戦の勝敗なんて当事者個人の問題でしかない、それが分かっていても我慢出来ずに勝つ事に拘った。
 八つ当たり以外の何物でもない。…無用な波風を立てた事は謝罪する」
『…それはひょっとして、今朝クロノ君から言われた『魔法が使えないから参戦を認められない』っていう、あれの所為、かな?』
「ずっと燻ってはいたんですが、まあ止めを刺したと言うならそれです」
「うっ」

 しばしば現れる現地の協力志願者を事件から遠ざける為に一番説得力のある理由としてクロノが普段から使っている台詞なのだが、今回ばかりは裏目に出てしまった。尤も、今までに内容そのものに反感を持たれたとしても、根拠を覆された事は無かったのだが。

「私、恭也に勝てたこと無いんだけど…」
「私も初めの頃はともかく、最近は負けっぱなしなんですが…」

 おずおずと挙手しながら弱々しく報告するのはフェイトとなのはだ。
 2人とも恭也を事件に巻き込みたいと思っている訳ではないが、恭也よりも強いと評価される事には物凄く抵抗感がある。

「それはお前達が態々俺の戦い方に合わせているからだ。テスタロッサはデバイスすらなかったからな」
「その代わりにあたしとフェイトの2対1だったけどね」
「それに私は近接戦闘も出来る積もりだったんだけど…」
「悪くはなかったと思うぞ?」

 恭也のフォローに対してフェイトは何とか愛想笑いで応えた。
 恭也に認められたと思えば嬉しいと思えなくはないが、恭也の動きを知っているだけにお世辞にしか聞こえない。

「何にせよ、空を飛ばれれば追撃できない事に変わりはない。ハラオウン執務官の言う通り戦力にはならないだろう」
「キョーヤも魔法が使えれば良かったのにねぇ」
「そう…、あれ?恭也は魔法が使えるかどうか確認した事あるの?」
「無いな」
「じゃあ、もしかしたら恭也君も私みたいに」
「ぶっつけでレイジングハートを託した僕が言うのもなんだけど、なのはは例外中の例外だと思うよ?」
『そうだね、残念だけど無理だと思う。昨日、医務局に担ぎ込まれた時についでに計測して貰ったんだけど、保有魔力量はFランク相当しかなかったから』
「それはどの程度なんですか?」
「11段階に分類したランクの一番下だ。
 魔法の資質は魔力量だけで決定する訳ではないんだが、魔法への変換効率や運用技術は練習量がそのまま反映されると言っても過言じゃないから初心者でそれらが高い事はまず無い」
「ちなみに管理局の平均はAランクだよ。
 なのはは認定試験を受けた事がないから正式なものじゃないけど上から4つ目のAAAランクくらいだ。フェイトは最近試験を受けて正式にAAAランクに認定されてる」

 ユーノの補足説明を聞いても、当事者のなのはに驚いた様子は無い。勿論、当然の事と受け取っている訳ではなく実感が湧いていないだけであるとこの場の全員が理解している。それに、明らかに魔導師としての資質についてが例外中の例外に分類されるなのはを引き合いに出して強調すれば恭也を混乱させてしまうだろう。

161小閑者:2017/08/27(日) 18:36:45
『更に付け加えるならさっきの模擬戦の相手は3人ともAランクだったんだよ?』
「敵方、闇の書の陣営は?」
「前衛の2人は推定AAAだ」
「テスタロッサと同程度か…。やはり、まともに相手を務めるのは無理と考えるべきか」

 改めて確認した事実に落胆する恭也とは対照的に、恭也の技量にエイミィは戦慄から頬を冷や汗が伝う。
 管理局には魔導師ではない局員も多いが、彼らが戦闘要員として前線に立つ事はない。局が彼らに要求しているのは指揮能力であって戦闘能力ではないからだ。
 そして、一般的に非魔導師が魔導師を制すると言えば、指揮を執る事で魔法を使えない状況に魔導師を追い込むか、局所的な戦術で遅れをとっても大局的な戦略で勝利を収める事を言う。
 恭也がしたのは、この一般論を真正面から覆す事だ。

 恭也はAランクを真っ向勝負で3人同時に下した。勿論、彼らが本来の力を発揮出来ていない事は想像できる。初見で恭也の動きに冷静に対処できる者は居ないと思ってい良いだろう。実際、恭也は昨夜AAA+であるクロノすら戦闘開始直後に撹乱する事に成功している。如何にクロノが無傷での無力化を念頭に置いていたとは言え、恭也とて殺傷する意思が無いからこそ武装しながらも徒手で応じたのだ。対峙が長引き、冷静さを取り戻すことで恭也の特性に付け入る方法を思いついたに過ぎない。
 つまり、魔導師の取り得る手段を知る恭也は、彼の戦闘スタイルを知らない魔導師を相手にする限り、付け入る隙を見出せることになる。
 更に、模擬戦では5ランクの開き、いや恭也は魔法を使えないのでFランクの資質を無視したとして6ランク差を覆したのだ。単純計算で恭也がDランクに達すれば、AAAランクの魔導師に対抗出来る事になってしまう。

『面白そうな話をしてるわね』
「かあさっ、リンディ提督…」

 話に割って入った通信者のにこやかな笑顔を見たクロノが頬を引き攣らせる。
 彼の母親は非常に有能な指揮官ではあるのだが、極稀にこの上も無く突飛な手段を思いつく面がある。ほとんどの場合にその突飛な手段が功を奏して通常よりも迅速な解決やより良い結末を迎えるのだが、堅実なプロセスを積み重ねて解決へ向かうクロノにとって胃を痛める思いばかりさせられるのだ。何より、その方針の拠り所が“勘”と明言されては、仮に長年の経験や観察眼を元にした信頼性の高い推測だったとしても、心配せずには居られなかった。
 今、空間ディスプレイ越しに彼女が浮かべている表情は、クロノに胃痛の苦しみを想起させるのに充分過ぎる威力を持っていた。

『話は聞かせて貰ったわ。
 八神恭也さん。
 模擬戦については実質的な被害も無かった事ですし不問とします。
 それから、あなたに参戦する意思があるなら、特別にこちらで魔法を使うためのデバイスを用意します』
「本当ですか!?」
『本当よ。
 あなたの資質と努力次第で飛躍的な力を得られるでしょう。
 ただし、私が実力不足と判断した場合には絶対に参戦を認めませんから、その積もりで』
「十分です。御厚意、感謝の言葉もありません」





続く

162小閑者:2017/09/17(日) 14:54:43
第17話 製作




「で、オメーの望みは何だ?」

 開口一番に投げかけられたその台詞には、辟易とした、と言うよりは興味なさ気な、つまらなそうな感情が込められていた。それは、声音に留まらず表情にも態度にも見て取れるのだから勘違いと言う訳ではないだろう。
 この人に頼んでホントに大丈夫かな?
 なのはとフェイトが揃って不安に駆られているのを他所に、恭也は感情を表す事無く男と向かい合っていた。



     * * * * * * * * * *



 リンディからデバイスの貸与を許可された恭也だが、その後もトントン拍子に話が進んだ訳ではなかった。
 何しろ恭也は魔道資質が低い上に、これまで一度として魔法の訓練を受けていなかったのだ。何年も先を見据えて訓練を始めるのであればまだしも、彼の目的はあくまでも現在直面している闇の書事件への参戦なのだ。
 そんな恭也に武装局員に制式採用されているストレージデバイスを持たせても当然魔法は使えない。魔法を行使するための演算をしてくれるデバイスと言えど、そもそも魔法を起動できなければ意味を成さないからだ。
 その予想は、クロノのS2Uを持たせてピクリとも反応しなかった事で裏付けが取れている。
 その結果に、当然の事と考えていたクロノ・エイミィ・ユーノと比べて、なのは・フェイト・アルフはあからさまにがっかりしていた。恭也にはそもそも魔法を起動する感覚が無いことは分かっていたので、これには確認以上の意味は無いのだが、普段の恭也が理不尽なまでにあらゆる事(主に特撮映画かCGでしか実現できない様な運動)をこなして見せてきたために、無意識の内に恭也に出来ないことは無いと思い込んでいたのだ。
 その様子を見て苦笑していた3人だが、僅かに眉を顰めている恭也に気付いて全員が驚いた。当然、魔法が発動しない事に対してだろうが、その程度で恭也が表情を崩すとは思っていなかったのだ。たとえ、事件に参戦出来るかどうかの瀬戸際だとしてもだ。
 エイミィは恭也にストレージデバイスの特性を説明し、本命である所有者の魔力を使用して自律的に魔法を発動できるAIを搭載したインテリジェントデバイスでの確認を促した。
 確認に使用したのは、なのはのデバイスであるレイジングハート。フェイトのバルディッシュを使わなかったのは、バルディッシュと恭也が初対面だったからだ。勿論、面識が無ければ出来ない訳ではないが、意思を持つデバイスである以上、普通はマスター登録を済ませた者以外に使用される事を拒む。今回はなのはからの頼みである事と、あくまでも確認だけだからこそ引き受けてくれたのだろう。だが、恭也に握られたレイジングハートが魔法を起動して見せても、恭也は納得しなかった。
 別に恭也が贅沢を言っている訳でも見栄を張っている訳でもない。戦闘で使用するなら恭也の意図を反映した魔法でなければ意味を成さないからだ。長年の付き合いを経て、阿吽の呼吸で互いの意思が汲み取れるようになっていれば未だしも、渡されて間もないデバイスのAIと即座に意思疎通が出来るようになる訳が無い。
 また、恭也のデバイスとしてではなく、魔法の使える戦闘要員としてインテリジェントデバイスを携える事も出来ない。魔力タンクとしての役割を果たすには恭也の魔力容量は小さ過ぎるのだ。

163小閑者:2017/09/17(日) 15:03:58

 落胆を表す恭也の姿に、クロノはふと違和感を覚えた。
 恭也の落胆は、自分が魔法を使えなかった事に対するものだ。それはつまり、闇の書事件に参戦出来ない事を悔しがっていると言う事。
 「戦力外」という汚名を返上しようとしている恭也が落胆してもおかしくは無いだろう。そう考えてみるが、違和感は拭えなかった。
 クロノは自身の勘を軽視していない。全幅の信頼を寄せるほどではないが、危機に直面している訳ではない現在、違和感の正体を突き止めるために思考を割くことを厭う理由はない。何に足元を掬われるか分からないので、今回の事件に限らず、クロノは懸念事項を極力その場で解決するようにしていた。

 もともと恭也には魔法が使えない事を理由に戦力外通告を出した訳だが、それが彼のプライドをいたく傷つけてしまった為に局員への八つ当たり紛いの行動を取らせてしまった。
 だが、本来なら咎められるべきその問題行為は結果的に彼の益となった。彼の戦闘技能を評価した提督が、戦力の向上を条件にして参戦を許可したからだ。
 しかし、そのための手段である魔法が、本人の適正の低さから足しにならないことが判明し、その事を悔しがっている。

 経緯を思い返す事で、クロノは違和感の正体に気付いた。
 クロノには恭也が事件に参戦する事に拘り過ぎている様に思えたのだ。
 汚名返上の手段としての参戦ではあるが、そのために魔法を使っていたら彼の技能、つまり彼の流派の優位性を示すと言う当初の目的は果たせていない事になる。
 まさかとは思うが、手段である「参戦」に固執するあまり目的を忘れているのだろうか?有得ないことではない。忘れがちだが彼は10歳児なのだ。目先の事に囚われたとしても何の不思議も無い。
 だが。
 正直、否定したい。したいのだが、考慮しなくてはならない。あらゆる可能性を考慮する事こそが、恭也へと何の疑いも無く信頼の眼差しを向けるなのはとフェイトに対して、彼女らの協力を得ている自分の責務だ。

 恭也の目的が事件への「参戦」だとすれば、あの「八つ当たり」はそのための布石、つまり戦力となる事をアピールするために計算して取った行動なのではないのか?
 だが、八つ当たりである事を指摘したのはなのはだったはずだ。彼女だけが気付くように演技したと言うのは無理が無いか?
 ならばもっと以前、ビルの屋上での僕との戦闘は?赤い少女とのやり取りや、仮面の男ともグルなのか?まさかとは思うが、フェイトと、いや、なのはとユーノに接触した事さえも?
 しかし、ロストロギアの誤作動に巻き込まれてこの世界に無作為転移してきた事は裏が取れているんだ。あの身の上話は事実なんじゃないのか?
 では、なのは達と知り合ったのはあくまでも偶然で、単にそれを利用しているだけ?

 自分が酷く混乱している事に気付いたクロノは大きく息を吐き出した。疑惑と証拠、状況と結果が絡まっていて、際限なく疑いが深まってしまいそうだ。

 落ち着け。
 今、一番重要なのは、彼の目的だ。
 参戦がなのは達への純粋な助力であれば問題は無い。
 …では、そうでなかった場合は?彼が、八神恭也が闇の書の陣営に属していたとしたら?



 ハラオウン家のリビングを包む奇妙な沈黙を破ったのは、デバイス貸与を認可してから通信を切っていたリンディだった。

『お待たせ。デバイスの当てが出来たわよ。
 あら?ずいぶんと沈んでるように見えるけど、何かあったの?』
「いえ、自分の不甲斐無さを痛感していただけです」

 恭也が自ら顛末を話すと、リンディが納得したように頷いた。

『そう。
 それで、どうするの?ここで諦めるのも選択肢の一つだと思うけど?』
「いえ、最後まで足掻く積もりでいます。
 一朝一夕で技能が上がる事は無いのでしょうが、座して待つことは出来ません」
『そう。
 でも、多分魔法が使えるようになるだけでは、あなたの戦力を向上させるのは難しいと思うわよ?』
「え!?どういう事ですか!?
 魔法抜きでもあんなに強いんだから、恭也君が魔法を使えるようになれば凄く強くなると思うんですけど…」

164小閑者:2017/09/17(日) 15:06:46
 リンディの言葉に反応したのはなのはだったが、当の本人である恭也とクロノ以外は同じ感想を持ったようだ。
 認めたくない事実だろうに、やや口篭りながらも恭也が口を開いた。

「…魔法でどんなことが出来るのか把握し切れていないが、高町の様に射撃魔法を主体とした様式では俺の戦い方に組み込めない。当然ではあるが、剣術には“射撃”や“飛行”の概念が含まれていないからだ。
 勿論、俺の魔法に高町ほどの威力があれば遠距離と近距離で使い分ければ済むんだろうがな」
『だけど恭也さんでは、たとえ攻撃魔法が使えるようになったとしても敵を打ち落とせるほどの威力は期待できない。
 やっぱり、ちゃんと分かってたのね』
「一応は。
 それでも新しく技能を身につけて、参戦出来るだけの戦力に上げて見せます」
『良い返事ね。それでこそ紹介する甲斐もあるってものよ。
 今から紹介するデバイス製作者は、私の知っている中ではいろいろと無理も聞いてくれる人で、一番上手に恭也君のような変則的な要望を適えてくれる筈よ。
 ただ、職人気質で気難しい人だから、気に入らないお客は相手にしない事もあるの。あ、媚び諂えって意味じゃないのよ?そういう人を一番嫌ってるみたいだし。
 いまいちあの人の選定基準が分からないんだけど、上手く気に入られる様に努力して』
「…わかりました。努力してみます」

 酷く漠然としたアドバイスであったが、恭也が同意した。勿論、他に返しようなど無かったのだろう。



     * * * * * * * * * *



 恭也がフェイトとなのはに連れられて訪れたのは、長閑な田舎染みた次元世界の片隅にある、民家にしては大きめな一軒家だった。
 無限書庫での事件に関わりのある資料探しを依頼されたユーノも、多数で出向くべきではないとのリンディの指摘で留守番役のアルフもいない。たった3人で初めての土地に訪れた心細さを表に出す少女達とは異なり、恭也は気後れすることも無く呼び鈴を押して来訪を告げた。
 そして、フリーのデバイス製作者の工房で、通された部屋にいた男に、自己紹介どころか挨拶も無しに開口一番に投げかけられたのが冒頭の台詞だった。

 老人の域に至ろうかという外見や面倒臭さそうな言動によって少女達から不安いっぱいの視線を浴びせられても、その男は態度を改める事も、入室直後から恭也に合わせていた視線を逸らす事も無かった。

「…聞いて貰っているとは思いますが、俺はデバイスはおろか、魔法にも馴染みが薄いんです。
 即席ではありますが概要は頭に詰め込んできましたから、具体的な表現でお願いします。
 インテリジェントデバイスかストレージデバイスかと言うことですか?」
「そんな事聞いてんじゃねーよ。
 リンディの嬢ちゃんが俺んトコに話を持って来たってこたー標準的なデバイスじゃあ役に立たねーってこったろーが。用途なのか形状なのか知らねーが、一般的なデバイスで満足できねー理由を言えってこった」

 一口に職人気質と言っても、要求されたスペック通りの製品を“賃金を得るため”に黙々と製作する者も居れば、そのスペックを要求する理由、ひいては顧客の性格や人柄を知り、“気に入った客の為に働く事”を生き甲斐にする者も居る。態度こそ客を相手にしたそれではないが、男は後者に分類されるようだ。
 別に優劣の問題ではない。賃金を得るためにも、気に入った客を喜ばせるためにも製作した品が他より優れていなくてはならないのだ。単に“仕事”と“趣味”の違いとも言える。
 仕事を請けて貰えるかどうかはこれからの会話に掛かっていると言っても良い。恭也もそれが分かっているのか、考えを纏める為に間をおいてから口を開いた。

「…守りたいものが、あります」

 恭也の答えは男の質問からはやや外れていたが、特に怒り出すことも無く会話を続けていった。

「魔法が使えりゃー守れんのか?」
「可能性が増えると思っています。
 勿論、魔法が万能でないことは知っています。それに、そもそも相手は魔法の達人で、俺には魔法の才能が欠片もありません」
「それじゃー意味ねえだろ。才能のある奴に任せといたらどうだ?」
「まず間違いなく、結果的には他の誰かが解決するんだと思います。ですが、俺自身が指を銜えて眺めている事に納得できません」
「自己満足か」
「はい」

165小閑者:2017/09/17(日) 15:10:00

 男の揶揄する様な言葉にも小揺るぎもしない恭也に、男の表情に笑みが含まれる。必死になって言葉を押し留めているのに、考えがありありと顔に表れている後ろの2人が恭也との落差を強調してくれるので尚更楽しいのかもしれない。
 なのはにとってもフェイトにとっても、真摯な思いを嘲笑するかのような男の態度は許せるものではなかった。それが大切な友人に対するものであれば尚更だ。それでも、声に出して非難する事を踏み止まっているのは、偏にこの家に入る直前に当の本人から口を出す事を固く固く禁じられていたからだ。

「オメーがその欠片も無い才能に縋り付きてぇって気持ちは分からんでもない。だが、縋り付く前に何かしらの努力はしてきたのか?
 それすらしてねぇってんなら、回れ右して、祈ってるだけで願いを叶えてくれる神様でも探しに行け」
「…才能が無い事に変わりはありませんが、努力を続けてきた事はあります」

 そう言いながら恭也は左の袖から鞘ごと取り出した八影を見せた。隠し持つには大き過ぎるそれを見た男は、隠し切っていた恭也の技量に驚き目を見開いた。

「剣か?」
「はい」
「そいつがオメーの住んでる次元世界の武器としては主流なのか?」
「いえ、疾うの昔に廃れています。俺の世界の優れた対人兵器といえば銃器になります」
「じゃあ、何でそいつを使わねぇ?剣だって十分に立派な殺傷力がある。遊び半分で握ってる訳じゃあねぇんだろ?」
「…憧れたんです。
 比較するのも馬鹿馬鹿しいほど性能の勝る拳銃に見向きもせず、ただ剣を極めようと邁進する先達の背中に。
 助けた誰かから送られる僅かばかりの感謝の気持ちに嬉しそうに浮かべる笑顔に。
 誰かを助けるなら、これにしよう、と」
「…それがオメーの誇りって訳か」
「誇りなんてありません。どう言い繕った所で人を殺傷している事に変わりは無いんですから。
 先達の姿を格好いいと思ったから真似をしている、それだけです」
「それなら、浮気なんかしちゃ拙いんじゃねーのか?」
「別に罰則がある訳ではありませんから。
 きっと、あの人達なら魔法に頼る事無く守りきって見せるんでしょうが、残念ながら俺には無理でした。
 それなら、些細な事に拘る訳にはいきません」
「…その手、一月や二月で出来るもんじゃねぇな。
 本当に良いのか?その拘りを捨てちまって」
「俺は誰かを守るために剣を取りました。
 そして、腕が未熟なのは俺自身の責任です。
 そうする事で大切な人が助けられるなら、俺の拘りなどドブにでも捨てますよ」

 言葉に熱を込める事も感情を滲ませる事も無い恭也を見つめていた男は、そこで初めて視線を外し、悲しそうに恭也の背中に視線を投げ掛ける少女達を見やる。

 本人の口調ほど軽い決断じゃあねえな。少なくともこいつが剣に捧げてきた物は半端なもんじゃねえはずだ。
 たいしたもんだ。手段に拘って目的を果たせない奴なんざ幾らでも居るってのに。
 今まで積み重ねてきた全てを犠牲にしてでも、守りたい存在、か。
 しょうがねぇなぁ。

「いいだろう。この仕事、引き受けた」
「!ありがとう、ございます」
「そういうのは物ができてからにしろ」

 男の了承の言葉に深々と頭を下げる恭也に男は視線を逸らしながらそっけなく返す。
 その態度になのはとフェイトが顔を見合わせ微笑した。横柄な態度ばかり見せられていたので印象が悪かったが、正面からの感謝の言葉に照れている姿を見る限り、悪い人ではないのだろう。

166小閑者:2017/09/17(日) 15:12:05

「それで、お前さんはどんな奴がいいんだ?朧気でもなんかあんだろ」
「はい。まず、アームドデバイスにして下さい。形状は出来る限りこの刀と同じに」
「え!?…あ」

 恭也の回答になのはが思わず驚きの声を上げ、約束を思い出してバツの悪そうな顔をする。
 なのはは父や兄・姉が武器を、刀を大切にしている事を知っていた。危険物としての取り扱いという意味とは別に、自身の命を預けるものとしてとても丁寧に扱っているのだ。
 如何に剣への拘りを捨てると言ったところで、愛刀を手放すなんて想像もしていなかった。もっとも、これはなのはが本格的な、二刀を使用した御神流の鍛錬を見させて貰えていないからこその驚愕である。
 そして、初対面の男にとっても意外な回答だった。訝しむ様な表情で留めているのは、武器を消耗品と捕らえる考え方がある事を承知しているからだ。

「別にその剣を手放す必要はねえだろう?
 アームドデバイスを指定するって事は接近戦を主体にする積もりなんだろ?」
「手放す積もりはありません。
 今は一振りしかありませんが、俺の流派は二刀流、剣を二振り扱うんです」
「ええ!?」

 今度の驚きはフェイトのものだった。
 彼女は一度きりの早朝練習で徒手の恭也に惨敗を喫していた。だから、武装した恭也と対峙した事は無いのだが、一度だけ見せて貰った刀を使っての型稽古は一刀だったのだ。
 優雅な舞の様でありながら、敵の姿が幻視出来るほどの実践的な動きに、フェイトは目を奪われた。仮想の敵が、直前に素手の恭也に翻弄されていた自分とアルフだったのだから尚更だった。
 あの動きすら本来の恭也の動きではなかった事実に、もう恭也が何をしても驚くまいという暫く前からの誓いを、またも守ることが出来なかった。

「他には?」
「後は思い付きません。最初に言った通り、俺は魔法の知識がありませんから。
 目的は空中を飛び回る魔導師と渡り合う事、その一点です」
「…飛び回ってない魔導師なら渡り合える様な言い草だな?」
「これまで一度も魔法の練習をしたことも無く、魔道資質は最低ランク。そんな俺が、AAAランクの魔導師との能力差を埋める性能をデバイスに要求するのは、勝手が過ぎると言うものでしょう。
 飛び回っていない魔導師との能力差は頑張って補います」
「はぁ!?目標はAAAランクだと!?馬鹿かテメーは!頑張ったくらいで補える訳ねーだろーが!!」
「あの、それは物凄く当然の意見だとは思うんですけど…、恭也君は補えちゃうみたいですよ?」
「…あん?」

167小閑者:2017/09/17(日) 15:16:53

「…信じらんねぇ。
 お前さん、デバイスなんていらねえんじゃねぇの?」

 疲れ切った男の言葉になのはが口に出さずに心の底から同意する。
 男の反応は予想出来る物だったので、持参したクロノとの遭遇戦と局員3人を相手にした模擬戦のデータを見せ、それでも納得しない男を外に連れ出し、目の前でフェイトを相手に手合わせをした。
 恭也の武装は刀に見立てた工房にあった2本の金属パイプ、フェイトは当然バルディッシュ。
 結果は、

「何を言ってるんです。テスタロッサの圧勝だったじゃないですか」

という恭也の台詞通りフェイトの勝利だった。
 だが、内容が正確かどうかは視点によって異なるのだろう。少なくとも、なのはの隣で黄昏るフェイトを見る限り、恭也とフェイトの見解には高くて厚い隔たりがあるようだ。
 フェイトが受けたダメージは皆無、恭也は一発の魔力弾で昏倒しているので、恭也の意見にも一理はある。
 だが、恭也はその一発以外の射撃、斬撃、仕掛け罠、全ての攻撃を悉く躱し続けた。逆にフェイトは恭也にしこたま殴られている。それはもう嫌というほど。ダメージが無いのはバリアジャケットの性能故。
 フェイトのバリアジャケットは防御力より機動性を重視しているため、同じランクの者と比べれば確かに弱い。だが、AAAランクは伊達ではない。
 そして、恭也が敵対しようとしているヴォルケンリッターが推定AAAランクである以上、この模擬戦はそのまま実戦での結果となるだろう。

「…けどなあ、流石にバリアジャケットを破るような方法は思い付きそうにねえぞ?」
「いえ、そこまでは望みません」

 バリアジャケットを纏った魔導師にダメージを与える方法は2つ。
 属性か純粋な威力でバリアジャケットの性能を上回る攻撃を放つか、バリアジャケットそのものを無力化するか。
 どちらも簡単に実現させる事は出来ない。出来るならば魔導師の優位性がここまで高く評価されてはいないだろう。

「俺が欲しいのは空中にいる魔導師に近付く手段です。
 テスタロッサは基本的に接近戦を主としているので接点がありましたが、遠距離攻撃を主とする者もいますし、近接戦闘者だとしても頭上を支配されると圧倒的に不利になりますから」
「そうは言っても、高速移動する高位魔導師に追いつくのは簡単なこっちゃねえぞ?」
「ですが、同じ相手と何度も対戦することはあまり無いはずです。
 程度はともかく空を飛ぶ手段があれば、やりようによっては騙す事が出来るかもしれませんし、少なくとも警戒させることは出来るでしょう」
「確かにな。特にお前さんの戦い方なら、敵が順応して対応策を模索する前に潰せるって訳だ。
 攻撃さえ通用すれば、だが」

 男の指摘は尤もだ。
 少なくともフェイトとの模擬戦を見た者ならば、空を飛べない事よりも余程明確な欠点に見えたはずだ。

「攻撃が効かない事については、最悪、時間稼ぎの足止めに専念すれば、なんとか」
「そう甘かぁねえだろ。
 効かねえ事がばれりゃあ、お前さんの攻撃を無視して突っ込んで来るぞ」
「そうでしょうね。
 ですが、直撃させなければ威力が無い事はばれず、警戒させる事が出来ます」
「理屈だな。だが、そう上手くいくかい?」
「少なくとも、ハラオウン執務官とアースラでの模擬戦の相手には有効でした」
「あん?…まさか、あの対戦者がギリギリで凌いでた様に見えた攻撃は、お前さんが加減して凌がせてたってえのか!?」
「ええっ!?」
「嘘っ!?」
「…ええ、まあ。
 念のために言っておきますが、余裕と呼べるほどの力量差があった訳ではありませんよ?“2撃で体勢を崩して3撃目を入れる”という組み立てをやめて、全て1撃で捉えようとしただけです。
 恐らくは魔力弾を躱す体術があるせいで、当たりさえすれば攻撃にも相応の威力があると思い込んでくれるんでしょう」

168小閑者:2017/09/17(日) 15:17:59
 クロノとの遭遇戦において、恭也の出鼻に放った蹴撃がクロノの鳩尾にモロに命中している。本人の言葉を信じるならば、その初撃でダメージを与えられなかった事を見て取った恭也が以降の攻撃をギリギリで躱せる物に抑えていた事になる。
 恭也の台詞を冷静に聞いてみれば、攻撃を躱させるのはあくまでも威力の低さを隠すための苦肉の策であると分かる。それは先程の模擬戦でフェイトにダメージを与えられなかったことで良く分かる。
 だが、対戦したフェイトは勿論、観戦していたなのはでさえ、恭也が実力を隠すための言い訳にしか聞こえなくなっていた。
 そして、剣術どころか剣道すら知らない3人は気付かなかったが、たった3撃で捉えられる事が、既に圧倒的な実力差なのだ。
 ちなみに、早朝練習時に恭也から攻撃を仕掛けた事はなかった。近付くことが困難だった事もあるが、いくらバリアジャケットの存在を説明された所でなのはやフェイトを殴り飛ばす事に抵抗があったのだろう。万が一にでも怪我を負わせる訳には、と言う訳だ。
 2人が習得しているのが魔法ではなく何らかの武術であったならば、訓練過程での負傷はあって然るべきものとして気にしなかっただろうが、恭也にとって“魔法”の位置付けが明確になる前だった事が要因だったのだろう。

「何れにせよ、明日にでも力が必要になる可能性があるんです。万全など望むべくも無い。
 同じ舞台に立てるならそれ以上の贅沢を言う積もりはありません」
「そこまで急ぐのか?
 だが、リンディの嬢ちゃんなら速攻で必要な材料は揃えてくれんだろうが、製作時間だけでもけっこうかかるぜ。
 取り敢えず、どんくらい時間が掛かるか試算してみるから、ちっと待ってろ。
 ついでに必要なモンの洗い出しと在庫の確認か」

 言い終えると男が席を立った。言葉通り在庫の確認に向かったのだ。

「手伝える事はありますか?」
「今んトコねぇよ。
 少し掛かるだろうから、そこらに適当に座ってろ。飲み食いしてぇならそっちの奥に台所があるから勝手に漁れ」
「ありがとうございます」

 恭也の謝辞を最後まで聞く事無く、扉が閉まった。
 勿論、恭也の謝辞は男の配慮に対するもので、本当に台所を漁ったりする事は無い。
 扉が閉まると、部屋には落ち込んでいるフェイトと彼女を宥めるなのは、そして緊張を解くように静かに、しかし大きく息を吐き出す恭也だけになった。



     * * * * * * * * * *



「提督、少し宜しいでしょうか」
「ええ、入って」
「失礼します」

 クロノが許可を得て入室したのは、リンディの執務室だ。
 クロノは自室に戻り、先刻抱いた恭也への疑念を整理すると、リンディに恭也の身辺調査を提案するためにやって来た。
 だが、そこにはリンディの他に予想していなかった先客がいた。

「おお、クロスケ!」
「久しぶりね」
「げっ、ロッテにアリア!」
「ほほ〜。
 久しぶりに会った師匠に対して随分なご挨拶じゃないか」
「これは久しぶりに師匠への接し方って奴を、みっちりと体に教え込む必要があるみたいだね」
「コ、コラ、近寄るな!纏わりつくな!!服を脱がすなー!!!」
「あらあら、愛されてるわねぇ、クロノは」
「笑ってないで止めて下さい!」

 クロノにじゃれ付いている2人の先客は、どちらも公私共に何かと世話になっているギル・グレアム提督の使い魔だ。そして、本人たちの言葉通りクロノの師匠でもあり、リーゼアリアが魔法を、リーゼロッテが体術をクロノの体に文字通りの意味で叩き込んでいる。
 また、2人が獲物を嬲って遊ぶ猫を素体としている事が関係しているのか、頻繁にクロノをからかって遊んでいる。生真面目なクロノが一々反応するため、悪戯に拍車が掛かる傾向にある。
 クロノにとっては、管理局員としても先輩に当たるため、3重の意味で頭が上がらない存在だった。

169小閑者:2017/09/17(日) 15:19:20
「それで、クロノの用件は何かしら?」
「ハァハァ、八神恭也の転移後の生活範囲について再調査を提案します」
「…それは闇の書との関わりについて、と言う意味ね?」

 クロノがなんとか2人を振り払うと、リンディの問い掛けに対して率直に提案した。

「恭也さんが異次元漂流者である事は間違いないようよ?
 それでも調査を再開する理由は?」

 民間の協力志願者についての身元調査は当然行う。管理局への入局志願者と同程度、と言うほどの労力は割かないが、担当している事件との関連性についてはそれ以上に厳重に行う。
 ただし、身辺調査と言ったところで、調査対象が管理外世界の出身であった場合、それまで過ごした年月を日毎に確認する事も、接触のあった全ての人物とその背後の繋がりを確認する事も実質的には不可能だ。思想や習慣に関連する行動範囲や、所属する団体の調査が限界なのだ。
 そして、調査範囲も基本的にはデータベース上に存在するものまで。存在さえすれば、技術力の差から大抵の管理外世界のデータは確認できる。
 恭也の場合は状況が特殊ではあるが、それでも協力の申し出を受け入れたのは、同情や憐憫、何より負い目が含まれていなかった訳ではないが、当然それだけではない。
 まず最初に、恭也自身とは別に事件の背景について。
 1つは、この第97管理外世界で過去に次元犯罪に関わる組織の存在が確認されていない事。勿論、今まで無かったから今も無いとは言えないが、「見つかるまで探し続ける」などという事は出来ない。管理局に限らず治安機構の活動が対処療法になるのは宿命とも言える。
 もう1つは闇の書の陣営が組織だった活動をしていない事。何処かの組織の中枢だった人間が主に選ばれれば話が変わってくるが、そうであるなら今までの蒐集活動を守護騎士だけで行ってはいなかっただろう。
 次に、当然恭也自身について。
 仮に彼が転移前に何処かの犯罪組織と繋がりがあったとしても現状では連絡を取り合う手段がなく、また、この事件に絡む可能性は考え難い。
 そして、既に恭也が転移後に暮らしていた八神家についても調査は終了していた。調査結果は、恭也を迎え入れた事からも分かる通り“シロ”。
 八神家の構成は9歳の少女1人きり。両親は数年前の交通事故で他界しており、親類はなし。それが、戸籍や病院の記録から判明した八神家の全てだったのだ。

 クロノが自分の気付いた恭也の言動の矛盾と意図的に行動している節がある事を説明すると、リンディは驚く様子を見せる事無く頷いて見せた。

「なるほど。
 つまり、あなたと同じ結論に至って恭也さんを疑う人が現れる前に彼の潔白を証明しておきたいのね」
「…どう聞いたらそういう結論になるんですか」

 同じ内容ではあるのだが、視点を変えただけでニュアンスが180度反転している。
 勿論クロノにも、リンディが自分をからかうために態とそういっているんだという事は分かっている、という事にしておいた。その考えが無かった訳ではない事を認められない程度には、男としての矜持を持ち合わせていた。

170小閑者:2017/09/17(日) 15:20:17
「照れてる照れてる」
「やーさしいなぁクロスケは」
「勝手な事言うな!
 …提督も同じ結論ですか」

 クロノが見る限り、リンディが驚かないのは“納得”というより“予想通り”というニュアンスだった。
 勿論、意外だとは思わない。自分が気付く事にリンディが気付いていない事はそれほど多くない。

「私が気になったのは、元の世界の縁故が一切無くなったと言っているのに、命懸けで守りたい人がいるこの世界に留まる意思を見せない事ね。
 余裕が無いせいで思いついてないって可能性もあるし、否定はしていたけど元の世界に戻りたいと思わせる誰かがいるのかもしれないから決定的ではないけれど。
 それに、昼間恭也さんに状況説明をしていた時、過去の闇の書事件の顛末を聞いて酷く驚いていたでしょ?
 暴走による被害が広範囲に渡る事を知って八神さんを心配したのかもしれないし、事件の問題点が襲撃とリンカーコアの蒐集だけだと思っていたからかもしれない。でも、私には書の主の身を心配しているように感じられたわ。訓練場に押し掛けたのもその後だしね。
 あと、恭也さんが恩を受けたと言っている相手が何時も複数の人を指している事もね。もっとも、八神さんの家は両親が他界していて女の子1人だけだから、世話をしてくれる誰かが居ても不思議は無いんだけど」
「そう、か。言われてみれば確かに不自然ですね。
 ですが、気付いていたのに何故彼の参加を認めるような事を言ったんです?確認が取れてからでも遅くは無かったでしょう」
「不自然と言ってもそれほど強いものではないし、管理局が彼に負い目がある事は事実ですもの。
 それに彼が本当に闇の書と関わりがあるならこちらが疑っている事を気付かれない方が良いわ。
 ヴォルケンリッターは間違いなく強敵ですもの。なのはさん達が実力をつけたとは言っても、拮抗出来るようになっただけ。天秤がどちらに傾くか分からない程度の力関係ですもの。
 数で押せるとは言っても危険は少しでも減らしたいのが本音だわ」

 魔導師の実力は高性能なデバイスを装備すれば自動的に上がる訳ではない。道具とは担い手の実力を引き出す事はあっても、底上げはしてくれない。
 金に飽かして手に入れたデバイスに振り回される高官の子息の姿は陸士訓練校の入校直後の風物詩として親しまれている程だ。
 なのはとフェイトがカートリッジシステムにより出力の上がったデバイスに振り回される事無く、完全に魔法を制御下において見せた事でも分かる通り、システム搭載前のデバイスには2人の能力を引き出しきれていなかった事を示している。
 だが、能力の上がった彼女達でさえ、客観的に見て“拮抗”だ。リンディの懸念は当然のものだろう。
 総合力で勝るとは言ってもそれは犠牲を前提にしたものだ。単一戦力として見た場合、アースラクルーの大多数は守護騎士に瞬殺されかねない程実力に開きがあるのが現実だった。

「ロッテ達に頼む積もりですか?」
「もう了解は得られたわ」
「ま、当たりを引いたら漏れなくAAAランククラスの魔導師4人に囲まれて歓迎されるとなれば、流石に通常の武装局員では手に余るだろうしね」
「私達だって馬鹿正直に正面から訪ねていけばあっさり潰されるのは目に見えてる。
 いや、潰されればまだマシか。逆に隠れていることにも気付かずに素通りさせられるのが一番まずいわね」
「だが、ハズレの可能性の方が高いんだ。存在しないのを上手く隠れているからだと思い込めば永遠に探し続ける事になる。
 君達の力を遊ばせておけるほど現状に余裕は無いんだ。見切りをつけるタイミングを間違えないでくれよ」
「分かってるさ」

 リーゼロッテはクロノに返事を返しながら、目配せをしてきたリーゼアリアに頷いて返す。

171小閑者:2017/09/17(日) 15:20:59
 危ないところだった。あの男の存在によって計画が大きく揺らいでいる。アリアが記憶を覗いて確認しているので、あの男があくまでも偶然彼女たちと関わりを持ったのだと言う事は分かっているが、それだけの事でここまで計画に狂いが生じるとは想像も出来なかった。
 もともと綿密な計画など立てようがなかったため、自分たち2人がイレギュラーに対して迅速に対処していく事にしていた。実際、一月ほど前にあの男、恭也が現れるまでは大きな狂いもなく進んでいたというのに。
 事がここまで進んでしまえば、恭也を排除するのも状況的に難しくなってしまったため、皮肉な事に彼の行動の尻拭いまでする羽目になっている。リンディの提案がなければこちらから不審な点を上げて、調査を買って出るという不自然な行動を取る事も覚悟していたのだ。逆に自分たちの登場が遅れていたら、クロノ自身が調査に出向き、守護騎士の存在が露見していた可能性もあったのだ。
 絶妙のタイミングだった事を思えば、まだ完全にツキに見放された訳ではない。

<ロッテ、気を抜かないで>
<分かってるって。こんなところで尻尾を掴まれたりしないさ>
<そうじゃない。タイミングが良すぎる事を疑えって事。
 リンディにとってもこのタイミングで現れた私たちは不自然に見えるはずよ。
 調査を振ってきたのも釜掛けの可能性があるわ>
<リアクション次第では疑われるって事か。最近はクロノも勘が働くようになってきたみたいだし、油断は出来ないね>
<父様の苦渋の決断なんだ。絶対に失敗は許されない>
<分かってる>

 自分達の主であるギル・グレアムが11年前の事件を悔いて下した苦渋の選択。それが決して正しい事ではないと分かっていても、悲しむ人間を最低限にするためには必要な事だと信じた。ならば自分達は使い魔として主の願いを叶えるために尽力するのみだ。




 それぞれの思惑が絡み合いながらも、時は止まる事無く進み続ける。



     * * * * * * * * * *



 男が試算を終えて部屋に戻ると、結局立ったままの3人に出迎えられた。
 栗色の髪の少女の目が赤みを帯びている事から、先程聞こえてきた泣き声がこの娘のものだと察する事が出来た。
 険悪な雰囲気も無く、来訪時に感じた張り詰めた気配が消えた事からすれば、何かしら心配事が片付いたのだろう。内容がこの少年に関する物だろうと思えるのは単なる当てずっぽうだが、外れてもいまい。
 金髪の少女も模擬戦で受けたショックからは立ち直っている様だ。この短時間で回復できるほど軽いものだとは思えなかったが、現実との折り合いは付けられたのだろう。
 上手いフォローが出来たのか、既に慣れていたのかまでは分からないが、何れにせよ余程少年に心を許していなくてはこうは行くまい。

「随分、賑やかだったじゃねぇか」
「すみません」
「バーカ、ガキが気ぃ使ってんじゃねぇ」

 子供は元気であるべきだ。
 面識の少ない者からは誤解されがちだが、男は子供好きなのだ。態々誤解を解いて回る積もりはないが、隠す積もりも無いのである程度親しくなった者は察している様だが。
 幼い子供があらゆる面で未熟である事は当然だと思っている。経験不足なのだから当たり前だ。
 同時に男は相手の年齢が低いからといって侮ることも無かった。今、目の前にいる3人は対等に扱うに足る人格を持っている。

172小閑者:2017/09/17(日) 15:21:44
「気のせいか、随分楽しそうに見えますが、何か良い事がありましたか?」
「そう見えるか。
 どんなデバイスにするか構想を練ってみたんだが、なかなか面白いモンに仕上がりそうだからよ。
 お前さんの剣は隠し武器とか仕込んであるか?」
「いえ。
 これには確実で堅牢な基盤としての役割を求めていますから、奇をてらう様な仕掛けはありません。
 出来ればデバイスもその方向でお願いしたいのですが」
「クックック、そうだろうそうだろう、それで良い。
 デバイスってのは、本人の能力を引き出すためのモンだ。縋り付く為のモンでも装飾品でもねぇ。
 最近はそんな事も忘れて不相応な性能やら無意味な機能やら付けて喜んでやがる連中が多過ぎる。
 シンプル イズ ベスト!
 今回のコンセプトはこいつだ。スペックの全てをお前さん固有の戦闘スタイルを引き出す事に注ぎ込んでやる!」

 フェイトと恭也の模擬戦を見た時には、完成された彼の戦闘スタイルに介入できるのかと懐疑的だった。芸術的な絵画に色を足して完成度を高めるなど普通は有得ない。
 単純に魔法技能を高めるだけであればどうとでもなる。現状が“0”なのだからどれだけ小さな増加量でも倍率としては無限大だ。
 だが、恭也が求めているのは魔法技能ではない。戦闘能力を高めるための手段としての魔法だ。
 しかし、だからこそ遣り甲斐がある。彼の技能を高められればどれほど爽快だろうか。

「製作には最低でも三日は掛かりそうだ。
 完成を急かすからには、お前さん時間は取れんだろうな?
 試作の度に調整が必要になんだから、完成するまで泊まってけよ?」
「それで短縮できるなら、異存ありません。
 聞いての通りだ。運んで貰っておいて悪いが、今日は帰ってくれ。デバイスが完成したら連絡する」
「うん。
 恭也君、無理しちゃだめだよ?」
「高町の方こそ、今日はちゃんと寝ろ。
 テスタロッサも突然の模擬戦で悪かったな」
「いいよ。
 良いデバイスが出来るといいね」
「ああ」



続く

173小閑者:2017/09/17(日) 15:25:38
第16.5話 共感



 艦船アースラで境遇を語り終えると同時に心労で倒れた恭也を残し、リンディに送られて高町家に帰宅したなのはは、深夜になっても眠れずにいた。

 いくらリンディに送って貰ったとは言え、普通なら間違いなく叱られる時間帯に帰宅したにも関わらず、母・桃子が注意を促すに留めていた事を考えれば自分は余程酷い顔をしていたのだろう。
 食欲も全く湧かず、「寝る前に食べたお菓子でお腹がいっぱいだから」という苦しい言い訳にも、母は疑問を返す事無く頷き、今日は風呂で体を暖めて早めに寝るようにと勧めてくれさえしたのだ。
 だが、母の気遣いに心の中で感謝しながらベッドに潜り込んでも一向に眠気が訪れる様子はなかった。戦闘による気分の高揚など当の昔に消え失せているし、高い集中と極度の緊張による疲労は間違いなく体に蓄積されていると実感できるが、それでも目が冴えてしまっていた。
 理由もちゃんと分かっている、恭也の事が気になっているのだ。

 リンディには恭也の事はアースラスタッフに任せて今日はゆっくり休むようにと言われている。なのはにも今の恭也にしてやれる事が無い事は分かってるが、だからといって感情を納得させる事など出来る訳ではない。
 ただ、なのは自身も自分の感情を測りかねている部分があった。倒れた恭也が意識を取り戻す前に帰宅したため、恭也の体を案じている積もりになっていたが、親友のアリサが風邪で倒れた時と違う気がするのだ。
 そこまで進めた思考をなのはは意識して停止させた。その先は何かとても怖い事のように思えたのだ。
 次にヴィータ達を捕捉出来るのが何時になるか分からない以上、常に万全の体勢を保つべきだ。
 意識が脇道に逸れないように、その建前に縋り付いて眠りに付こうと目を閉じていると、両の拳を血に染めて、感情を噛み殺す様に歯を食いしばり、力の限り壁を殴りつける彼の姿が鮮明に脳裏に蘇った。


 気が付くと母に抱きしめられていた。
 不思議に思って母の顔を見上げると、ほっと胸を撫で下ろしながら優しく微笑んでくれた事に心の底から安堵した。母の肩越しに家族3人の姿も見えた。
 聞いてみると、自分の悲鳴が聞こえたので駆けつけたら、泣きながら縋り付いてきたのだそうだ。言われて漸く、母の胸元が濡れている事に気付いた。広がり具合からすると、かなり長い間泣き続けていたのだろう。
 流石に恥ずかしくなって俯くが、まだ離れる事は出来なかった。柔らかな胸に包まれて髪を撫でられていると安心できた。
 父や兄姉ではなく母に抱きついていると言う事は、きっと帰宅後の自分の様子を心配して部屋のそばに居て、真っ先に駆けつけてくれたのだろう。夜間の鍛錬に出かけている時間帯に父達が居るのもきっと同じ理由からだ。そう思い至るとまた、涙が溢れた。
 先程なのはが怖くなって目を背けようとしたのは、恭也はこんな存在を永遠に失くしてしまったという事実に思い至ろうとしていたからだと気付いた。

 家族を失くしたという点ではフェイトも同様だが、プレシアはなのはの目から見る限り「母親の姿」からかけ離れていたため実感が湧かなかった。打ちひしがれるフェイトの姿に心を痛めはしても、それがどれほどの辛さなのか想像しきれなかったのだ。
 だが、恭也の家族はなのはも知っている。厳密には桃子との再婚前であるため共通の家族は士郎だけで、恭也にとって美由希は従兄弟なのだが、その2人を通してその先の家族がイメージできる。そのイメージが合っているかどうかはともかく、イメージを持った事で恭也の境遇に共感することが出来てしまった。

174小閑者:2017/09/17(日) 15:27:01

 家族が就寝し静まり返った高町家で、なのはは1人で自分の部屋のベッドで横になったまま恭也のことを考えていた。
 桃子や士郎から一緒に寝るように誘って貰ったが、なのははやんわりと断った。
 普段から両親の布団に潜り込む事はあったため、添い寝をして貰うこと自体には抵抗は無い。アリサに知られるとお子様呼ばわりされるため頻度は下がったが、なのは自身は両親と一緒に寝るのは好きだったし、両親よりも更に頻度は少ないが、兄・恭也あるいは姉・美由希と一緒に寝ることもあった。
 なのはを気遣っての誘いを断ったのは、恐らく今日は眠る事が出来ないだろうという予感と、1人で考える時間が欲しかったからだ。
 考え事とは勿論、八神恭也に何をしてあげられるのか?だ。

 誰かに相談することも考えた。子供であるなのは一人で考えるより余程しっかりした答えが得られるだろう。
 兄である高町恭也に意見を聞くことも考えた。なのはは、既に八神恭也の事を一個人として認識してしまっているため高町恭也と同一人物と言われてもピンと来なかったが、それでも意見を聞く相手としてはうってつけだろう。
 しかし、それらの選択肢を捨てて一人で考える事を選んだ。
 恭也の家族を取り戻す方法が無い以上、それ以外の行動は気休めでしかない。正解足り得ないのであれば、初めから相談するのではなく、自分の意見を纏めてからにするべきだ。その方がきっと恭也に喜んで貰えるだろう。

 周囲に精神年齢の高い者が集まるため、普段の言動から幼く見られがちななのはだが、そんな考え方が出来る程度には子供らしくない聡い少女だった。



 翌日。
 結局、予感が的中して一睡も出来なかったなのはは登校はしたものの授業に関する記憶がまるでなかった。登校途中に出会ったフェイトに恭也の様子を聞き出して安心した後、いつの間にか放課後になっていた。やはり小学生の身に徹夜は堪えた様で、居眠りこそしていなかったらしいのだが意識は完全に飛んでいた。

 帰宅すると荷物だけ置いて、ユーノと共にフェイトについてハラオウン家に訪れた。
 クロノに非難されていたため少々険悪な雰囲気ではあったが、昨夜の様子を引きずる事無く力を取り戻した恭也の姿を見た事で随分と安心できた。
 条件次第で恭也が参戦できるようになった事に驚きながらも、恭也が活力を取り戻そうとしている事が純粋に嬉しくもあった。その内容が少々殺伐としている気もするが、昨夜の様子と比べればどんな形であろうとやはり嬉しい。

 だが、恭也が元気になると、周囲の人間が凹むように出来ているのか、デバイス製作者に模擬戦を見せた後にはフェイトが黄昏ていた。リンディに紹介されたデバイスマイスターが家の奥に入っていった後になのははフェイトに話しかけた。

「フェイトちゃん、そんなに落ち込まなくても…」
「なのは〜
 だって、やっとシグナムとも互角に戦えるようになったと思ったのに、恭也には全然敵わないんだもん。
 バルディッシュが危険を承知でパワーアップしてくれたのに、私は全然バルディッシュの思いに応えられてない。
 私、弱いんだ…」
「たわけ」ッズビシ!
「キャウ!?」

 落ち込んだ気分と共に俯いていたフェイトの顔を持ち上げるように、恭也の左手の中指が額に炸裂する。

「〜〜ックゥーー」

 言葉を纏める余力の無いフェイトは、涙を溜めた瞳で襲撃者に抗議を訴えるが、当然の様に受け流された。

175小閑者:2017/09/17(日) 15:29:30

「阿呆が。それが勝者の台詞か」
「うぅ、だってあんなのどう見たって恭也の勝ちじゃない。
 きっとシグナムも恭也と戦う方がいいって言うよ」
「敵の機嫌を伺ってどうする。そして俺を殺す気か?
 だいだい、決着がついた時点で気絶していた俺と無傷のお前を並べれば勝敗など一目瞭然だろうが」
「だって、私は恭也の攻撃をほとんど躱せなかったんだよ!?恭也が今回初めて本気を出したのは分かったけど、今までこんなに誰かから攻撃を受けたことなんてないよ!」
「恭也君、ワザと避けられる攻撃をしてたって本当なの?」
「攻撃が効かない事は分かっていたからな。敵を殴ってばらす訳にはいかんだろ」

 “ギリギリで躱す事に成功しているから敵からダメージを受けていない”のと“敵の攻撃が弱過ぎて喰らってもダメージを受けない”のとでは意味が全く異なる。防御・回避を考慮する必要がなければ、その分攻撃に力が注げるのだから当然だ。
 拳銃を持った敵を牽制するには、自分の持つモデルガンを本物だと思わせなくてはならない。それには、チラつかせることはしても、弾を命中させて威力を実感させるなど論外だ。

「でも、恭也に攻撃力があったら、私なんて手も足も出ないよ…」
「…その言い方をするなら、テスタロッサに攻撃を当てられる技能や精度があれば完璧な訳だ」
「そんなの簡単に身につく訳無いよ…」
「俺にバリアジャケットを抜ける攻撃力が簡単に付くとでも?」
「それは、…恭也が魔法を使えるようになれば…」
「その魔法の才能が無い事が、目下のところ最大の問題になっている訳だ」
「…ごめんなさい」

 フェイトも自分の台詞が無い物強請りでしかないことに気付ける冷静さが戻ると、その内容が恭也のプライドを傷付ける類であることに思い至った。
 異様なまでの回避能力で忘れがちになるが、恭也の攻撃の性質は純物理的なものだ。高位魔導師の纏うバリアジャケットで防ぐ事は難しい事ではない。

「…でも、その、恭也、ホントに全力で攻撃してる?」
「フェ、フェイトちゃん?」
「ほー。
 フェイト・テスタロッサ様にとっては周囲を羽虫が飛び回っているようにしか感じないから、手を抜いているんじゃないかと。そう言いたい訳だ?」
「ちちちち違うよ!!そういう意味じゃなくてっ、剣のことみたいにまだ隠してるんじゃないかって!」
「あ、それはありそう」
「そうだよね!ほ、ほら、なのはだってそう言ってるよ!?」
「言質をとって仲間を増やしたか。1対2だからといって手を緩めると思われているとは心外だな」
「待って待って待って!2回もされたらおでこが割れちゃうよ!」
「安心しろ。3回目までは骨に皹が入らないのは実証済みだ」
「4回目で皹が入ったの!?まままま待って!恭也君指を構えながら近付いてこないでぇ!!」
「誰か助けてぇー!」
「お前たち、他所様の家で騒ぎ過ぎだ。少しは落ち着け」

 散々怖がらせておきながら、あっさりと態度を翻す恭也に恨みがましい視線が寄せられるが、勿論恭也には通じている様子が無い。そして、下手に抗議すれば「確かに中途半端は良くないな」などとデコピンの恐怖が復活しかねない。なんて理不尽な。

「もぅ。それでホントに隠してる事は他にないの?」
「疑い深いじゃないか。人を信じる純粋さを忘れてしまうとは寂しいことだな」
「そ、そんなの恭也のせいだよ!」
「そうだよ、フェイトちゃんはとっても素直な良い子だったんだから!」
「なるほどな。
 今のテスタロッサが人の言う事を信じない悪い子になった事を高町も認めている様だから言っても仕方ないかもしれないが、隠している事はないぞ」
「なのはぁ…」
「ち、違うよ!?今のは言葉の綾で、フェイトちゃんは今だって素直な良い子だよ!」

 半泣きのフェイトに必死になって前言を訂正するなのは。揚げ足を取って引っ掻き回した元凶は楽しそうな仏頂面で眺めている。

176小閑者:2017/09/17(日) 15:31:45

「もう、恭也君!どうしてフェイトちゃんを苛めるの!?」
「そうは言われてもな。あんな事を言われたら少しくらい反撃したくなるのが人情というものだろう」
「そ、そうりゃあ、さっきの言い方はフェイトちゃんにも悪いところがあったとは思うけど…」
「そんな生易しいものではないぞ。
 俺が高町との練習で毎回自分の非力さにどれほど打ちひしがれていると思っている。毎夜毎夜悔し涙で枕を濡らしているんだぞ?」
「え…」
「あ、ご、ごめんね?私、恭也君がそんなに気にしてたなんて知らなくて…」
「知らなくて当然だろう。
 嘘なんだから」
「な!」
「…恭也!」
「2人ともまだまだ素直な良い子な様で安心した」

 誤魔化すために頭を撫でられているだけなのに恭也の手を振り払えない。その事実がなのはの頬を膨らませる。
 だが同時に、恭也にからかわれている事に安堵もしていた。
 数日前のフェイトを交えた早朝訓練以降、恭也が冗談を言っている姿を見た覚えが無かったからだ。いくら早朝訓練から昨日の夜にビルの屋上で遭遇するまで顔を合わせていなかったとは言え、恭也の境遇を聞いた今、たとえ毎日顔を合わせていたとしてもそんな余裕など無かったのではないかと思ってしまう。
 だが、冷静に考えれば恭也は随分前からその境遇にある可能性に気付いていたのだから、ここ数日だけ落ち込んでいた訳ではないはずなのだ。
 なのははフェイトとなかなか逢えなかっただけで、あれほど寂しいと思っていた。昨夜など大切なアリサやすずかといった友人どころか、大好きな家族にまで2度と会えなくなることを想像しただけで泣き出してしまった程だ。
 そんな事を考えていると、恭也の戸惑いがちな視線に気付いた。

「…あ〜、やり過ぎたか?
 デバイス製作を引き受けて貰えて少々浮かれていた様だ。済まん」
「あ、なのは…」
「え?っあ、違う、違うよ!これはそんなんじゃないの!恭也君の所為じゃないから!」

 恭也の表情が翳る僅かな変化を敏感に感じ取ったなのはが目に溜めた涙を拭いながら慌てて否定した。だが、慌てれば慌てるほど溢れる涙が止まらなくなる。
 恭也の喜びに水を差している事が悲しくて、これを切っ掛けに境遇を思い出させてしまう事が怖くて、その境遇の過酷さに絶望して。
 何時からか、なのはは声を上げて泣いていた。既になのは自身にも何に対して泣いているのか分からない。困惑し、声を掛けることも出来ないフェイトに見守られながら、ただ只管、抱えきれない感情を吐き出す為に、弱々しく掴んだ恭也の胸元に額を押し付けて、声を上げて泣いていた。

「…心配を掛けたようだな。
 大丈夫だ。俺は、平気だ」

 肩に手を添え、空いた手で頭を撫で続ける恭也が、そんななのはを見守り続けた。



つづく

177小閑者:2017/09/18(月) 19:48:20
第18話 宣言




 恭也がデバイスの製作のために異世界へ行って二日が経った。予定では今日の夕方には恭也のデバイスが完成している筈なので、学校が終わったら状況を確認してなのはとフェイトで恭也を迎えに行く事になっている。
 フェイトは前日まで普通に過ごせていたが、三日目の今日は朝から落ち着けなかった。それはなのはも同じようだが、この二日間ずっと心ここに在らずでぼんやりしていたなのはほど酷くは無いだろう。

「あんたたち、なんかあったの?ここんとこずっと変よ」
「そうだね。フェイトちゃんはうっかりやさんに拍車が掛かってたし、なのはちゃんは何時も以上にぼんやりしてたよね?」

 …大差は無かったようだ。
 だが、恭也本人から内緒にしているよう頼まれているので話す訳にもいかない。別に恥ずかしいからじゃないんだよ?

「まさか、男じゃないでしょうね?」
『え!?』
「…そうなの!?」
「あ、あんた達、何時の間にそんな相手見つけたのよ!?」
「ち、違うよ!そんなんじゃなくて!」
「そうだよ!あの、えっと、ちょっと心配な事があって、今日その結果が分かる予定だから落ち着かないだけだよっ」
「怪しいわね」
「怪しいね〜」

 アリサだけでなく、普段ならアリサを抑えてくれるすずかにまで言われると圧倒的に劣勢になってしまう。
 フェイトはなのはとアイコンタクトを交す。大好きななのはのためならどんな苦労も厭う積もりはないし、今回に至っては利害まで一致しているのだ。1人では敵わない強大な難敵であっても2人で意思を揃えて立ち向かえば、きっと大丈夫だ。

「そ、そろそろ次の授業が始まるよ!」
「そうだよね!早く準備しないと!」
「…それで逃げれた積もり?」
「まあまあアリサちゃん。まだ、1時間目が終わったばかりなんだし」

 団結した2人が足並み揃えて背中を見せて全速で逃走しようとすると、すずかが助け舟を出してくれた。瞬殺するのと包囲網を狭めて少しずつ確実に刈り取るのと、どちらがより残酷なのかは考えない。先の不安に脅えるよりも現時点での無事を喜ぶのは、きっと正しい事だと信じたい。
 その判断は正しかった。結果的に、敵前逃亡して時間を稼いだ事が功を奏してアリサ達の追及を躱しきる事に成功したのだ。
 予定より半日早くデバイスの完成した恭也をアルフが迎えに行く事になったと授業中に念話で聞いて、酷く落ち込んでしまった2人にアリサ達の矛先が鈍ったから、という不本意な理由だったが。

「あんな抜け殻みたいになられちゃ、流石に追求できないわよ」
「何があったか知らないけれど、凄く楽しみにしてた事を横取りされちゃった様に見えたわ」

 それが後日聞いた2人の感想だったそうだ。

178小閑者:2017/09/18(月) 19:49:42


 時空管理局が第97管理外世界において拠点としているマンションの一室、別名ハラオウン邸。その中のベッドとタンスと机だけが置いてある簡素な部屋で、その部屋を宛がわれた部屋の主、恭也がベッドに横になっていた。
 フェイトの部屋も似た様なものだが、この部屋は簡素や質素なのではなく何も無かった。机の中には文具が無く、タンスの中には着替えも無い。勿論、何かの主張ではなく、着の身着のままハラオウン邸に匿われた恭也に手荷物は無く、部屋を宛がわれた当日から外泊をしていたので物が増えることも無かっただけだ。
 ただし、現在部屋には本人とリンディ達に用意された家具の他に部屋の中央、ベッドの脇に鎮座する存在があった。立派な毛並みをした大型犬、アルフだ。
 部屋は静かなものだ。リンディとクロノは不在、エイミィは別室にて事務仕事をこなしているため、物音一つしない。
 そんな中、アルフが不意に耳を立てた。玄関の開く音に続き、帰宅と来訪を告げる声。フェイトがなのはを伴って帰宅したのだ。

「キョーヤ、キョーヤ。フェイト達が帰ってきたよ!」
「…ああ、今起きた」

 恭也が体を起こす様子をアルフは心配げに眺めやる。
 確かにこのマンションは広く、この部屋は玄関からは奥まった位置にある。いくら静まり返っていても、扉をいくつか隔てたこの部屋で玄関の開閉音を聞き取る事は難しいかもしれない。だが、一般人に出来なくても恭也にならば出来るはずだ。自分が呼び掛けなければ起きられないという事は、やはり相当弱っているのではないだろうか?
 そんなアルフの心配に恭也が不服そうな声色で弁解してきた。

「念のために言っておくが、この部屋から玄関の開閉音が聞こえないのは人間としておかしなことじゃないからな?
 疲れている事は認めるが異常と言う程の状態じゃあない」
「じゃあ、多数決でも取るかい?今の状況をみんなに説明して、恭也に異常があると思う人と無いと思う人、どっちが多いか聞いてやろうか?」
「…さて、部屋に押し掛けられる前にリビングで出迎えるか」

 状況の不利を悟ったらしい恭也はあっさりと身を翻した。ちゃんと自覚はあった様だ。
 いそいそと扉に手を掛けた恭也にアルフは言葉が強くならない様に意識しながら声を掛けた。

「キョーヤ、あんまり無理しちゃ駄目だよ」
「テスタロッサが心配するからな?」
「それも有るけど、何で捻くれた取り方するんだい!」
「…ああ。
 これが片付いたらゆっくり休むさ」

 言い残し、退散していく恭也を今度は黙って見送った。

179小閑者:2017/09/18(月) 19:50:27
 恭也がリビングに入ると、帰宅したフェイトとなのはをエイミィが出迎えているところだった。扉の開く音に気付いたフェイトが恭也を見つけると微笑みながら声を掛ける。

「あ、恭也、ただいま」
「お邪魔してます」
「ああ。
 テスタロッサ、悪いが後で手合わせを頼みたい。1人でデバイスを振り回していても分からない事が多くてな」
「…いいけど、お帰りって言ってくれないの?」
「いらっしゃいって言ってくれないんだ?」
「…間借りしているとはいえ、俺はこの家の住人ではないんだ。そんな厚かましい事は言えんよ」
「それくらい言ってあげればいいじゃん。固いなぁ恭也君は。
 そんな事言われたら私もお帰りって言えないじゃん」
「あなたは長く家族付き合いをしているんでしょう?それに将来的に家に入るなら問題ないじゃないですか」
「いや、そういう…ん?」

 もっと気楽に言って良いんだよと恭也を促そうとしたエイミィは、聞き流しそうになった恭也の台詞に首を傾げた。今、彼は何と言った?

「エイミィ、クロノと結婚するの?」
「わぁ、おめでとうございます」
「っな!?ふ、ふ、2人とも何言ってるの!?
 無い!無いよ!そんな事!!
 恭也君、何言い出すの!」
「場所は鍛錬に使っていた公園で良いだろう。テスタロッサ、直ぐに行けるか?」
「どうして話が進んでるの!?
 恭也君、さっきのちゃんと訂正してよ!」
「テスタロッサ、高町。リミエッタさんが恥ずかしさのあまり赤面している。
 その話はここまでにしよう」
「締め括ってどうすんの!」
「クロノ君と結婚するのは恥ずかしいんですか?」
「べ、別にクロノ君だから恥ずかしい訳じゃないよ!」
「え?結婚する事が恥ずかしいの?」
「テスタロッサ、察してやれ。
 神聖な行為であろうと年頃の女性にとっては恥ずかしい事もあるらしい。特に異性に対しての感情は本人にも分からない場合があるそうだ。感情は理屈ではないからな。
 お前たちももう少し大きくなれば、自然に知るようになるんじゃないのか?」
「そうなんだ、エイミィ、大人なんだね」
「フェイトちゃん!?違う、違うよ!私達何もしてないよ!?」
「は?」

 ヒートアップして墓穴を掘りかけたエイミィを救ったのは部屋中に鳴り響くエマージェンシーコールだった。
 瞬時にして表情と共に思考を切り替えたエイミィがモニター室に入り操作を始めると、後を追った3人が部屋に入る頃には、シグナムがどことも知れない荒野で巨大な百足の様に見える何かと戦っている姿が映し出されていた。

「シグナム」
「え?」
「…違ったか?」
「あ、ううん、合ってるよ」

 姿を見て徐に呟いた恭也にフェイトが驚き、声を上げた。たった一言だったが声の響きに暖かい感情が篭っていた様に感じたのだ。
 だが、聞き返す恭也からは何も感じ取れなかったし、なのはも特に反応している様子がないので勘違いだったのだろう。そう結論付けたフェイトは意識をモニターに映るシグナムへ戻した。
 別室に居たアルフが合流する頃にはその次元世界にいるのがシグナム一人だけである事が判明していた。ヴィータやザフィーラは別行動のようだ。

「シグナムが相手なら私が出るよ」
「うん、お願いね、フェイトちゃん」
「私はどうしますか?」
「なのはちゃんは待機してて。見つけられたのは1人だけだから、赤い方のヴィータって子が別行動してる可能性が高いと思う。
 アルフと恭也君も待機ね。使い魔の男も現れてないし、恭也君はまだデバイスの慣らしも済んでないんでしょ?」
「いえ、試験運転は繰り返し行っていますから問題ありませんよ。する事がないならテスタロッサに付いて行きます」
「え!?」
「だ、駄目だよ。敵は物凄く強いんだから恭也君じゃ勝てるわけ無いじゃん!」

 余程驚いたのかエイミィの台詞は彼女にしては珍しく物凄くストレートな内容だ。
 だが、フェイトとなのはがその内容に驚き絶句している横で恭也はショックを受けた様子も無く平然としていた。

180小閑者:2017/09/18(月) 19:51:07

「それが順当な予想だとは分かっていますし、それを覆して見せるといっても信じては貰えないでしょうね。
 では、別の観点から提案し直しましょう。
 連中は、今のところ殺人を犯していません。リンカーコアを抜き出すためとも考えられますが、自分達の存在を隠す積もりなら抜き出した後ででも殺すべきだ。それをしないということは、何の意味があるのかは知りませんが、少なくとも自分に余裕がある限り、敵対する者の命を奪う積もりは無いのでしょう。それなら、俺の命は保障されたようなものです。
 そして、テスタロッサとシグナムの実力は俺が見る限り拮抗している。それなら、勝率を上げるために先に捨て駒をぶつけて少しでも敵を疲弊させるべきです」
「うっ」
「そ、それはちょっと、…ずるいんじゃ」
「ほう。敵を打倒して自分の方が強い事を見せ付けたいということか。なかなか自己顕示欲が強いじゃないか」
「ち、違うよ!」
「それなら目的を見失うな、阿呆。
 あいつらを止めたいのだろう?
 自分達が間違ったことをしていると知っていて、尚、他人を害してリンカーコアを集めている連中から事情を聞いて、誰も不幸にならない解決策を模索したいんだろう?
 目的が手段を正当化する、とは言えないが、集団で戦う事が卑怯だと言うなら弱い者は強い者に従っていろ言っているのと変わらんぞ?」
「あ、う」

 恭也に捲くし立てる様に並べられた言葉に誰も言い返せなかった。
 間違いなく恭也にとって都合の良くなるような観点からの理屈だったが、聞いた限り即座に反論できるほどの穴が見つからず、何より決して敵は待っていてくれない。

「うぅ、分かった。この現場には2人で向かって」
「良いの?エイミィ」
「時間がないんだから何時までも悩んでらんないよ。
 ただし!絶対に無事に帰ってくる事!いいね!?」
「善処はしましょう。
 後でハラオウン提督に説教を受ける時には同行します」
「やっぱり、なんか拙い事なの!?」
「滅相もない。単に判断ミスの可能性を言っているだけです」
「嘘だ、絶対確信犯なんだ!
 はぁ、この場での責任者は指揮代行である私なんだから、恭也君の案を採用した責任は私にあるんだよ。気持ちだけ受け取っとく」
「この場合、確信犯とは言いませんがね。
 分かりました。後日何かしらで埋め合わせはしましょう」

 エイミィの台詞は当然ではある。
 提案者が持つ責任は、様々な視点から現状に適した方策を考案し、採用者(イコール責任者)の判断材料を増やして支援する事だ。そして、提示された案を採用するかどうかは、採用者が決める事であり、方針を決定する責任は採用者が取るべきものである。
 当然、提案された内容が相応しくないと判断した場合には、採用者の責任において不採用としなくてはならない。
 “恭也に提案されたから”などと言い訳しようものなら執務官補佐失格である。

「恭也、急いで!」
「ああ、すまん。
 …手を繋げば良いのか?」
「うん。
 っわ、おっきい手だね。それにゴツゴツしてる」
「気分の良いものではないだろうが、我慢してくれると助かる」
「そんな事ないよ!暖かいし…凄く、安心できる」
「…そうか?まあ、兎に角急ごう」
「あ、ごめん」

 そんな会話を交わしつつ姿を消した2人の居た方向を眺めていたなのはがポツリと呟く。

「…いいなぁ」
「…管制室。ここは管制室なの…」

 アラーム音が鳴り響いた直後の緊迫感など既に何処にも存在しない。尤も、手を繋ぐのが恥ずかしいからといって頭を鷲掴むような男と手を繋ぐ機会は確かに少ないだろう。
 目の幅涙を流すエイミィの様子を無視するように、なのはが先程の遣り取りについてに尋ねた。表情も口調も至って平静であることから、エイミィの呟きは聞こえなかったようだ。

「エイミィさん、恭也君が出ちゃったら何か拙かったんですか?」
「う〜ん、相手が相手だけにやっぱり不安ではあるんだよね。
 敵が対戦者を殺していない事だって、経験則であって、理由が分からないから安全とは言い切れないし。そもそも、致命傷ではないとは言っても無傷じゃないしね」
「そっか。
 そういえば、恭也君もまだ、デバイスには慣れてないんでしたね。本当はこれからフェイトちゃんと練習しようとしてたんだし」
「そうなのかい?」
「あ、そう言えばそう…ああー!」
「にゃあ!?
 エ、エイミィさん?」
「どうしたんだい!?フェイトに何か!?」
「そうだ…、リンディ提督から『相応の実力が認められない限り戦場には出さない』って言われてたんだ…」
「あ…」

 虚ろなエイミィの視線の先、モニタに映し出された異次元の荒野にはシグナムに追いついたフェイトと恭也の姿があった。

181小閑者:2017/09/18(月) 19:57:15

【Thunder Smasher】

 フェイトの放った雷撃魔法がシグナムを締め上げていた触手を持った巨大な百足の様な生物を一撃で葬り去った。
 結果的に労せず拘束から抜け出す事が出来たシグナムは、しかし、憮然とした表情で手助けをしたフェイトを見やり、同時に彼女の左手にぶら下がる様に掴まる恭也に気付いて片眉を跳ね上げた。

『ちょっとフェイトちゃん…敵を助けてどうするの?』
「あ、ごめんなさい」

 何故か弱々しいエイミィの声に内心で首を傾げつつもフェイトが謝罪すると、恭也が助け舟を出す。

「いや、あれで良い。敵の目的がリンカーコアの蒐集である以上、妨害する手段としては有効だ」
『だからって、先制攻撃するとか出来たでしょう』
「速度重視で来ましたから俺達が辿り着いている事は気付かれていますよ。
 百足もどきに苦戦していたのは生け捕り目的だったからでしょう。その気になれば何時でも抜け出せたはずだ。
 テスタロッサの存在に気付いていながら雑魚にかまけている様な、攻撃力しか能の無い阿呆にアースラの武装局員が遅れを取っている訳ではないでしょう?」
『…本当に良く口が回るよね」
「随分、含みのある言い方ですね」
「身内を引き合いに出して反論を封じるなど、真っ当な精神構造では出来んだろうからな」
「敵にまで言われるとは。
 俺は新参者でな、味方と言っても身内と言えるほどの関わりはないんだ。
 テスタロッサ、もう放してくれて大丈夫だ」
「え、この高さから?…じゃあ、放すよ?」

 残り10m以上の高さから危なげも無く着地する恭也を見やり、シグナムが目を細める。

「ほう。てっきり、テスタロッサが一人身の私に当てつけるために連れてきた恋仲の男かと思ったんだがな。
 その体術と先程の毒舌、ただの優男ではないな」
「な!?ち、違います…」
「否定する時には最後まではっきり言った方がいいぞ、テスタロッサ。
 シグナムといったな?毒舌に何の関係があったのかは知らんが、優男というのは優しげな男の事、一般的に美男子を指す言葉だ。
 皮肉として使うにはありきたり過ぎるし、本気で言っているなら眼科に行くか街中で審美眼を磨いてから出直して来い」

 言い切った恭也から視線を外したシグナムが恭也の背後に降り立ったフェイトを見ると、彼女も不思議そうに恭也の背中を見つめていた。
 恭也の顔は造作も整っていると言える範囲だし、何より視線に強い意志が宿っている(仏頂面なので表情には表われ難い)ため、美醜を超えて人の意識を惹き付ける。実際、“美人”と見なされる顔とは“平均的な顔立ち”という説もあるくらいなので、魅力とは顔立ちだけで決まるものではないだろう。
 結局、個人の好みに依存する程度のものではあるが、恭也の顔は10人に聞けば半数以上にはカッコイイと評価して貰える位には整っている。つまり、恭也本人が評価しない方の半数に属しているのだろう。

「別に間違ってないと思うけど…」
「何の話だ?」
「お前達はここに雑談をしに来たのか?」
「ふむ、それでも良かったんだがな。身の上話でもしてみないか?」
「断る。
 態々来てくれたのだ。有り難く蒐集させて貰う」
「性急だな。では、お前達の目的を明かしてくれたら俺のリンカーコアを提供しよう。それでも不服か?」
「恭也!?何を言ってるの!」
「交渉か。だが、お前達管理局は既に我々が闇の書のプログラムの一部であることを知っているだろう。我等が主の情報以外に自身のリンカーコアを掛けてまで知りたい事があるとは思えんが?」
「では、闇の書を完成させて何をする気だ?世界征服か?それとも世界平和か?」
「さあな」
「答えられん目的か、目的そのものが主に繋がるか。そのくらいは知っておきたかったがな」

 交渉決裂とばかりに恭也が抜刀した。右手に小太刀、左手に小太刀型アームドデバイス、それぞれを順手に握り、しかし構える事無く自然体のままでシグナムと対峙した。

「流石に態々付いて来て傍観という事は無い様だな。だが、お前のその灼熱の日差しに真っ向勝負するような黒尽くめの服は騎士服、いやバリアジャケットではないな。余裕の積もりか?」
「試してみれば分かる事だ。あと、色は趣味だ。ケチを付けるな。
 テスタロッサ、悪いが先に出るぞ」
「なんだ、一人ずつか。親切な事だな」
「残念ながら連携出来るほどの練習はしていなくてな。
 さて、久しぶりに二刀が揃った事だし名乗らせて貰おうか」

 気軽に言葉を紡ぎながらゆっくりと二刀を構えた恭也を離れた場所から見ていたフェイトは、照り付ける日差しの暑さも通り過ぎる風の音も消失した様な、正確には認識できなくなった事に気付けないほど、身体中の全感覚が恭也から逸らせなくなった。

「永全不動 八門一派 御神真刀流 小太刀二刀術 八神恭也」
「!」

 シグナムは言葉を失い恭也を見つめた。

182小閑者:2017/09/18(月) 20:01:45
 恭也は名乗ると同時にそれまでの隙こそ見せないながらも弛緩した雰囲気を、一瞬にして触れれば切れてしまうと思わせるほど張り詰めたものに一変させた。
 だが、勿論シグナムが意識を奪われたのはそこではない。恭也が流派を名乗った事に驚愕したのだ。
 流派を名乗るという事は、これからの行動は全て流派の代表者としての振る舞いである事、そしてその行動に嘘偽りが無いことを自分の流派の名誉に掛けて宣言しているのだ。
 流派の名誉は剣士にとって命よりも尊いもの。それが次元も年代も超えてなお、剣士の共通の認識である事は、草間一刀流の道場で指南役を勤めている間に確認している。
 つまり、恭也はこう言っているのだ。

“ヴォルケンリッターとは袂を分かち、敵対する”

 シグナムは恭也の言葉の意を汲み取ると、感情を押し殺し、表情と態度に細心の注意を払いながら、自らも名乗り返す事で恭也の意思に応えた。

「ヴォルケンリッター 烈火の将 シグナム、そして我が剣 レヴァンティン」
“承知した。今、この時より我等は貴様を敵と見なす”

 その言葉と意味に満足げに目を細めた恭也の様子から、彼の期待に応えられた事を察したシグナムは内心で安堵した。
 自分も彼も剣士だ。意見が対立すれば敵対する可能性がある事は百も承知だ。だが、最後の瞬間だけでも家族の意に沿う事が出来た事が嬉しかった。
 その喜びを胸に、目を閉じて長剣を上段までゆっくりと掲げる。
 再び目を開いたシグナムからは、ただ眼前の敵に対する闘志だけが溢れていた。



 シグナムは上段に構えたまま感覚を研ぎ澄ませ、恭也の様子を伺う。
 恭也は右足を引いた半身で、やや前傾。左手のデバイスを水平に寝かし胸の高さに構えている。
 草間の道場で一振りの木刀を両手で構えていた時にも堂に入ったものだと感心した覚えがあったが、二刀を構えた今の姿と見比べてしまえば明らかに一刀は錬度が足りない事が分かった。あの時は、道場での立会いであった事、得物の長さが違う事が恭也にとってのハンデだと考えていたが、一刀であった事こそが最大のハンデだったのだ。シグナム自身も全力を見せた積もりはなかったが、恭也の方が隠していた引き出しの数は多かったのだろう。
 道場で見た彼とは別人だと思わなければ危険だ。
 それは、左手に握るアームドデバイスの存在を差し引いたとしても変わる事の無いシグナムの見解だった。

 彼我の距離はおよそ20m。
 魔法戦において近距離と言えるこの間合いは、白兵戦においては距離を詰めなければ攻撃の届かない遠距離だ。
 恭也がこの短期間に魔法を習得していて、魔法戦を仕掛けてくる。そんな意表を突いた戦法がシグナムの脳裏を掠めた瞬間を見透かしたかのように、恭也が柔らかな砂地をものともせずに猛烈なスピードで前進を開始した。

 恭也の選択は至極真っ当なものだ。
 仮に恭也の魔導師ランクがシグナムと並ぶ程のものだったとしても、それは才能でしかない。
 なのはですら、魔法に初めて触れた頃は、現在と比べて“稚拙”と評価せざるを得ない技能だったのだ。勿論、“習い始めたばかりにしては驚異的な技能”であっても“絶対的な評価からすればまだまだ低レベル”というのは当然だ。
 ましてやシグナムは高位魔導師との戦闘経験も豊富な歴戦の魔道騎士だ。強力な砲を撃てたとしても、戦術どころか戦技とも呼べない様な単発の魔法を使う駆け出しの魔導師など何の脅威にも成り得ない。
 シグナムが予想した、恭也が取る可能性の最も高い、そして恭也が勝利する可能性が僅かでも存在する戦法とは、剣術を主軸とした白兵戦のみなのだ。

 砂を蹴り上げながら距離を詰める恭也のスピードは、シグナムに肉薄する頃には道場での踏み込みに見劣りしない程になっていた。それは道場での手合わせ以外に恭也の戦闘行動を見ていないシグナムを驚愕させるに足るものだった。
 砂地では固い地面を走る様には移動できない。砂が変形して力を逃がしてしまうからだ。
 足で地面を押すと同じ大きさの、向きを反転させた力が跳ね返ってくる。この反作用を移動の際の推進力にしている訳だが、このベクトル成分の内、鉛直方向分が体を持ち上げ、水平方向分が体を前進させる。地面を蹴る力を効率良く推進力に変えるには、水平方向に地面を蹴れば良いのだが、砂地ではこの理屈を適用する事が難しい。水平に力を加えれば砂が飛散して力が逃げてしまうからだ。砂が移動しない程度の角度と力で砂地を蹴らなくてはならないのだ。原理は違うが、摩擦の少ない氷の上を移動するのと同じ現象である。
 恭也はこの問題を地面を蹴る回数を増やす事で解決している。一蹴りで得られる推進力が少ないなら回数をこなして合計値を合わせれば良い、という理屈なのだが、魔法で飛翔すれば済むシグナムからすれば、その解決方法を発案する事も実行する事も実行出来る事も正気の沙汰とは思えなかった。

183小閑者:2017/09/18(月) 20:02:24
 シグナムが驚愕を振り払い、恭也の突進にタイミングを合わせる。
 恭也の移動方法は突飛ではあるが、理屈の通ったものだ。そして、理屈に沿っている以上、この移動方法では急激な制動も針路変更も出来ない事になる。ならば、如何に砂地における移動としては非常識なスピードであろうとそれ以上のものではない。

 だが、この男がただ突進するだけ等と、そんな単純で無様な真似をすると誰が信じるものか。
 警戒レベルを最大まで高めろ。
 魔法の有無など関係なく、この男は危険だ!

 シグナムは恭也の行動を予想する事を放棄した。砂地での移動一つとってみても基盤となる技術の隔たりが大き過ぎることが分かる。下手に予想すれば先入観を生み、虚を衝かれた時に反応が致命的に遅れかねない。
 恭也の一挙手一投足を観察し、リアルタイムで次瞬の動きを予測し、それらの行動を積み重ねる事で恭也が目指す成果、つまりは戦術を洞察する。
 シグナムの行動はまさしく、対等の敵を迎え撃つためのものだった。

 シグナムの間合いの2歩手前で前傾だった恭也の姿勢が起き上がった。意図を察したシグナムが瞬時に間合いを詰める為に飛び出すが、それすら考慮の内だったのか体を起こした恭也は動揺する事無く、つっかえ棒の様に右足を前方の地面に突き立てた。
 突進による運動エネルギーが集約されたその一歩を受け止めた地面は、反作用として何割かを恭也に跳ね返しはするものの、エネルギーの大半を砂を弾き飛ばす事に転換し、結果、砂の瀑布が出来上がった。だが、恭也の行動を阻止出来なかったシグナムは、巻き上がる砂に動じる事無く、滝の向こう側にいる恭也を見据えていた。

 阻止する事は出来なかったが、シグナムが相手ではそもそもこの技(蹴りつけるだけでは有り得ないほど砂が舞い上がっている事からも分かるように特殊な踏み込みをしている)の効果が半分以下しか発揮されないのだ。
 砂を舞い上げたのは単純に姿を隠すためなのだが、その方法として目潰しとブラインドの二つの役割が込められている。だが、シグナムの騎士服は肌が露出している様に見える頭部や手足も保護しているため、機能の一部であるバリアが蹴り飛ばした程度の砂など完全に遮断するのだ。そして、飛散する砂のブラインドには恭也の位置を隠し切るほどの厚さと密度がない。

 シグナムは彼我の距離が自身の間合いに達した事を把握すると、恭也の間合いまで踏み込ませる前に上段に掲げたままのレヴァンティンを袈裟に振り下ろした。軌跡を斜めにする事で水平方向の射程範囲を広げた斬撃は空間に舞う砂の壁を切り裂きながら恭也へと迫り、しかし、剣に加えられた力によってベクトルの向きを強制的に変えられた。それは、確認するまでもなく恭也の仕業でしかなく、確信出来るのはこの一撃だけで終わりであるはずがないという事だ。
 シグナムの確信を裏切る事無く、恭也は更に踏み込むと、シグナムの斬撃を逸らした右の薙ぎ払いの回転運動をそのまま利用して左の小太刀型デバイスを振り抜いた。

「ああ!」
『嘘!?』
『凄い!』

 フェイトとエイミィ、なのはが展開された光景に思わず叫び声を上げるが、当事者であるシグナムは騎士服を切り裂かれた事に対して驚愕も焦燥もなく、翻って切り上げてきた右の小太刀を弾き返した。

 当然だ。二刀を構える姿を見た時から分かっていた。対等な実力を持つと認めた恭也の刀が騎士服を切り裂いた事に対して驚く理由が何処にある?
 何より、騎士服がその役割を全うしているからこそ、恭也の刀は肌まで届いていないのだ。あの威力の斬撃を受ける事は想定の範囲内。言ってしまえば騎士服の防御力未満の攻撃は幾ら受けても問題にならないのだから、シグナムの戦い方は恭也に今以上の斬撃を放たせない、あるいは喰らわない事だ。ただし、それとて決して容易なことではない。シグナムは、今の斬撃とて回避行動を取れていなければこの程度で済んでいなかったと思っている。

184小閑者:2017/09/18(月) 20:03:21
 長刀と短刀の戦いでは間合いの奪い合いになる。
 至極単純な図式として両者の腕力を同等と仮定して考えた場合、振り回された長刀を停止させた短刀で受け止める事は出来ない。腕力に加えて運動エネルギーが加算されるからだ。当然、立場を逆にした場合にも適用される内容だが、距離を詰めていった場合に先に間合いに到達するのは長刀である事を考えれば、この条件は長刀の利点と考えるべきだろう。
 振り回された長刀に対して同様に短刀を振り回してぶつけたとしても相殺するには条件が必要になる。長刀の方が質量が大きい分、速度との乗算であるエネルギーが大きいし、回転速度が同じなら回転の中心から離れるほど速度が増すため、これも長刀に分がある。相殺に必要な条件とはこれらを逆に考えて、長刀以上の速度でぶつけるか、短刀の先端で長刀の鍔元にぶつけるかをしなくてはならない。
 では、短刀の間合いではどうなるか。
 よく聞く通り、取り回しは短刀に分があるだろう。長刀とて短刀と同じ長さの部分だけ使用する積もりであれば切り付ける事も出来るが、物理的にその先がある以上、短刀よりも質量も大きく、先程長所として上げた中心点から離れた先端のエネルギーが逆に作用して刀の加速を鈍らせる。
 刀に運動エネルギーを与えるのが自身の両手である以上、大きなエネルギーを長所とする長刀は、短所として長刀にエネルギーを与えるための時間が多く必要になるのだ。つまり、同等の運動エネルギーであれば軽量の短刀は速度が速い。そして、人間の皮膚を切り裂くには大きなエネルギー量を必要としない。
 これらの優劣を覆すために技術が生まれた訳だが、逆説的に技術を持ってしか埋められない根本的な優劣が存在する以上、戦う上で間合いを制する事は絶対的なアドバンテージを得る事になる。
 ましてや二刀流の恭也はこの傾向が更に顕著になる。
 敵の間合いでは、片手で剣を握るため敵の攻撃を受け止める事が難しくなる。両手であれば、鍔側を握る手を支点とし柄尻を握る手を作用点とした梃子の原理が適用できるので、刀身で受けた敵の刀と拮抗させることが出来るが、片手では刀身に掛かる力により発生するモーメントを握力のトルクだけで対抗しなければならないからだ。
 逆に自身の間合いにおいて左右の刀で切り付ければ一刀の敵が対応する事はまず出来ない。無論、刀での「斬る」という動作は刀を叩き付けるだけでは成立しないので二刀を同時に出す事はないが、それでも圧倒的な優位性が覆る訳ではない。
 また、古流の場合はどの流派でも基本的に卑怯万歳、生き残りさえすれば良いという思想がある。今回、恭也は長刀の間合いを過ぎ、短刀の間合いに至る為に使用した砂の目晦ましもその思想からだ。だが、この場の思い付きで出来ることではない。ただ砂を蹴り飛ばしたとしても人の頭の高さまで砂を上げる事は出来るものではないし、敵に狙いを悟られるほどあからさまな予備動作をする訳にもいかないからだ。この技が砂地の少ない日本国内では日の目を見る機会がほとんどない事は分かっているはずだが、何時来るかも知れないその日のために練習していた事になる。
 古流で言う“戦い”が“殺し合い”を意味する以上、同じ相手と二度戦う事を考慮する必要はない。ならば、10回戦って1回しか勝てない実力差があろうと、最初にその1回を引き当てれば良く、そのための努力を惜しむ事は文字通り自殺行為と言える。奇策に頼り、溺れてしまっては意味が無いが、小太刀の間合いという圧倒的なアドバンテージを比較的安全に得る事の出来る手段を持つ事は重要なことだろう。

185小閑者:2017/09/18(月) 20:04:57

 恭也の攻勢が続いた。
 無論シグナムとて怠けていた訳ではない。凌ぎ、躱し、防ぎ、時には騎士服の防御力に任せて敢えて受けもしたが、恭也との間合いを広げる事が出来ないのだ。
 草間の道場で出来た事が実戦であるこの場で出来ない。それは恭也が実力を意図的に隠していた事を意味する。二刀流である事だけではない。小太刀と木刀では長さも重量も違うため、間合いも踏み込み速度も剣速も重さも違う。対峙した時に思ったのとは別の意味でも、道場で仕合った彼とは別人だ。
 だが、時間が掛かりはしたがシグナムは恭也の動きにも慣れてきた。恭也の戦い方は二刀と言う手数の多い利点を生かした文句の付けようのないものだが、この世界の住人では持ち得ない騎士服の防御力がそれを覆した。
 万全の体勢からの斬撃以外はほとんど無効化出来てしまうなど、恭也の世界では反則と言える機能だ。魔法世界では「実力の違い」と斬って捨ててきたその事実にシグナムは僅かな後ろめたさが心を過ぎる。それは恭也が当然の事と受け入れているからこそ助長される。
 だが、シグナムの侮りにも似たその思いは、恭也に冷水を浴びせかけられ消え去った。

 恭也の左の一撃を弾き、反撃に転じようとしたシグナムの脳裏に最大級の警鐘が鳴り響く。思考を挟む間も無く反射的に上体を反らすと、

警戒網を掻い潜ったかのように右の小太刀がシグナムの胸元を掠めた。

 僅かな痛みに刃が届いた事を悟る。切り裂かれたのは血が滴る程度の皮一枚分。だが、傷を負った事そのものより、右の薙ぎ払いに反応出来なかった事実にシグナムは混乱した。
 恭也は常に二刀を振るい続けている。ならば当然左の斬撃を受けている最中だろうと右の刀にも注意を払っていて然るべきだし、実際に直前までシグナムはそうしていたのだ。あの瞬間、あの右の刀から意識が外れた、いや、外されたのか!?
 シグナムの混乱を他所に、恭也の右の小太刀が翻り唐竹割が放たれる。
 混乱を引き摺りながらもシグナムが今度こそ両刀に意識を向けながらレヴァンティンを切り上げ、背筋を走る怖気に従い柄から離した左手に鞘を顕現させ、

鞘が実体化した瞬間、レヴァンティンをすり抜けた右の小太刀がシグナムの鞘と激突した。

 斬撃を防いだシグナム自身が驚愕に目を見開く。
 馬鹿な!何故、そこにある!?
 シグナムの驚愕も、攻撃を防がれた事にも、突然現れた鞘の存在にも拘泥する事無く、恭也が連撃の流れを滞らせることなく次の攻撃態勢に移行する様子を目にしたところで、シグナムが恭也より先に手札を切った。

「レヴァンティン!」
【Sturmwinde】

 主の呼び掛けに答え、レヴァンティンが魔法を発動、シグナムは狙いを付ける事無く地面に向かってその衝撃波を叩き付けた。騎士服の防御力に任せて被爆を覚悟で放った一撃だったが、地面の砂を爆散させはしたものの、既に恭也は安全圏まで退避していた。おそらく、魔力の高まりを感じ取って即座に行動したのだろう。バリアジャケットを装着していない恭也にとって魔法による攻撃はそれだけで脅威となるため警戒するのは当然だ。
 だが、シグナムにはそれで十分だった。もとより体勢も崩せていない状態で放った技を恭也が喰らう事など期待していない。攻撃を中断させ、距離を取る事を目的にし、達成できたのだ。それ以上は望むべくもない。

186小閑者:2017/09/18(月) 20:07:22
 冷静さを取り戻したシグナムは恭也を見据える。
 先程の2撃が技術なのか魔法なのかは未だに判断できないが、方法はともかく結果が分かれば対処の仕方もある。
 この戦いではあれを破る事は出来ない。ならば、出させなければ良い。
 弱腰にも思える考え方だが、当然の対処でもある。目的を達するために戦っているのであって、敵を打倒する為に戦っている訳ではないし、ましてや敵の技を破って勝ち誇ることには何の意味もない。
 そして、ここに至れば認めざるを得ない。剣の技量において恭也は自分を超えている。
 勿論、今回の一方的な展開は奇策により間合いを詰められた事が原因であると分かっているが、それを成功させた事も含めて技量だ。そもそもあの砂のブラインドで隠したかったものは、姿そのものではなくレヴァンティンの剣筋を逸らす為の最初の一薙ぎだったのだろう。見えていれば対処のしようもあったあの一薙ぎが勝敗を決したのだ。その意図を看破できなかった事こそが敗因と言える。
 おそらく騎士服を纏わず、魔法を使用しなければ、10回仕合ったとして5つは勝てないだろう。懐に入り込ませなければシグナムが勝利出来るが、恭也は正攻法でも間合いを詰める手立てを持っているに違いない。

 悔しい、と思う。羨ましい、とも。自分よりも強い者に対してこの思いを抱くのは当然だ。
 だがそれ以上に、尊い、と思う。
 武術は魔法程極端に生まれ持った素養が実力を左右するものではない。同じだけの修練を修めても上り詰められる者が一握りでしかない事に変わりはないが、威力のある術を組む事で飛躍的な効果を得られる魔法より、一つずつ積み重ねるしか道がない武術の方が道のりが険しいと思うのはシグナムの贔屓目だけではないだろう。
 どれほどの時間と汗と血を供物として捧げれば、この歳でこれほどの実力を身に付けられるのか想像もつかない。

 だが。
 それでも。

「魔法に頼る事無く、その若さでそれだけの技能を修得したことに対しては敬意を払おう。
 だが、何時までも付き合っている訳にはいかない。この力を持って押し通らせて貰うぞ」
「…」

 シグナムの宣言にも恭也は答えない。表情すら揺るがせる事無くシグナムの姿を注視している。
 その、流派を名乗った直後から変わらない、自らを剣にした姿こそが、彼の描く御神流剣士としての在り方なのだろう。





「凄い…」

 なのはの口から零れた言葉は、恭也への賞賛だった。7階級も上位の魔導師相手に手傷を負わせられる者など他には居ないだろう。
 だが、その内容に反して、彼女の表情は強張っていた。
 この均衡はシグナムが魔法を使用すれば呆気なく崩れ去るだろう。恭也が魔法を使う姿は見た事がないし、Fランクの魔法がどの程度の威力を持つのかなのはには実感できないが、誰に聞いても同じ答えしか返してくれなかった。
 “焼け石に水”
 恭也の非常識さを目の当たりにした者でさえ、なのはへの気休めの言葉にすら否定的な響きが含まれていた。恐らく、それは当の本人さえ認めている事実だ。
 それが分かっていても、圧倒的な力の前に立ち塞がろうとしている。

 何が彼をそこまでさせるのかが分からないなのはには、彼の願いを手伝う事が出来ない。
 だから、せめて無事に帰ってきてくれる事を心の中で祈った。




 再び対峙したシグナムと恭也だったが、今回は睨み合いは続かなかった。恭也に予想を上回る行動を取られる事を警戒したシグナムが即座に仕掛けたのだ。

【Explosion】  ッガシュン!

 シグナムの意思を受けたレヴァンティンがカートリッジから魔力を抽出、シグナムとレヴァンティンの固有特性である炎熱変換によって剣身に炎を纏う。それはシグナムの決め技の一つであり、シュツルムファルケンを除けば1,2を争う破壊力を持つ「紫電一閃」を放つための準備だ。ファルケンを選択しなかったのは発動までに時間が掛かる技では恭也に先制されてしまうと判断したからであって、恭也の安全を考慮して威力を落とした訳ではない。何故なら、紫電一閃は並みの魔導師ではバリアジャケットごと切り捨てられる威力がある「必殺技」と称しても決して誇張表現ではない技だからだ。バリアジャケットを纏っていない者であれば消し炭に出来るだろう。

187小閑者:2017/09/18(月) 20:09:32
 そもそも、致命の威力を忌避するのであればシグナムは攻撃魔法を使う訳にはいかない。非殺傷設定を持たないシグナムにとって、攻撃魔法は純粋に“魔法で防御力を上げている敵を打ち破る術”なのだ。魔法を使用していない恭也に対して行使すれば、シグナムの持つ如何なる攻撃魔法であろうと命中する事は即ち命を奪う事になる。言い換えれば、シグナムがカートリッジを消費してまで紫電一閃を放つのは、恭也の命を絶てる威力があろうとも他の魔法では用を成さないと判断したからに他ならない。
 ベルカ式の魔法は近接戦に特化している。そして武器を介して直接魔力を叩き込む事を基本としている以上、一撃の威力が大きい半面、単発になる傾向がある。ヴィータのようにオールレンジで戦えるベルカの騎士の方が稀なのだ。その事は日が浅いとは言え管理局に属している恭也も知っているだろう。ならば、たとえ命中すれば致命傷を被る攻撃であろうと躱しさえすれば反撃のチャンスになる、という絵空事の様な“言うに易い理屈”をこの男なら実現して見せる可能性がある。そして、この男が数少ないチャンスを何度も手放すとは思えない。他にどんな手段があるかなど想像も付かないが必ずシグナムを脅かす何かを仕掛けてくるだろう。ならば、限りなく低い可能性さえも潰えさせるためにも、恭也の回避範囲全域を攻撃対象とするしかない。
 極めて乱暴な方法だ。そもそも恭也が回避を選ばなければその時点で恭也の身が消滅しかねないのだ。
 シグナムとて恭也を殺害する事など本意ではない。幸いこれまで取ってきた方針のお陰で、無力化さえ出来れば命を奪う事が無くとも恭也との関係を疑われる事は無いはずだった。しかし、殺さないための手加減、つまりは魔法を行使する以前での決着というシグナムの目論見は恭也自身の手によって脆くも崩されてしまった。
 恭也の技量を目の当たりにしたシグナムには、魔法抜きでの恭也の制圧があまりにも細い綱を渡った先にあることが理解出来ている。後先を考えずに没頭出来るのならばシグナムとて心弾むこの戦いに全精力を費やす事に何の躊躇もないだろうが、今は戦う事を目的とする訳にはいかず、この後にはフェイトも控えているのだ。

 万が一にも負ける事は許されない。
 恭也が自分たちと敵対する道を選んだように、自分達は誰を敵に回そうとも主はやてのために闇の書を完成させると決意したのだ。

「行くぞ」

 聞かせるためではなく、自らの躊躇を断ち切るための言葉を呟くと、シグナムは飛翔魔法で恭也との間合いを猛烈な勢いで詰めていった。当然の様に先程恭也が技術を駆使して走破した速度を上回るその移動方法に対して、恭也は目に見えるような反応を示す事無く注視していた。
 攻撃を回避するにはタイミングが重要になる。回避行動を取るのが早すぎれば攻撃軌道を修正されてしまうからだ。恭也が未だに行動を開始しないのはそのタイミングに至っていないと判断しているのだろうが、それはつまり、回避距離が短くなるという事だ。
 最小限の動きで敵の攻撃を回避するのは武術の基本的な思想ではある。しかし、それでも普通はフェイントを交える事で的を絞らせないようにするのがセオリーと言えるのだが、恭也に回避運動を行う様子はない。
 何より、“数mmの間合いで刃を躱す”という実現するには非常に困難な理想的な回避方法は魔法のない世界でしか通用しない。余波だけで岩くらい砕きかねない威力を伴った攻撃に対して実行するには、相応の防御力が必要であり、バリアジャケットを纏っていない魔法初心者の恭也に実現できるとはシグナムには思えなかった。そのことにシグナムの中で小さな焦りが生じる。

188小閑者:2017/09/18(月) 20:10:39
 シグナムの中に芽生える逡巡を他所に彼我の距離がなくなる。シグナムは余計な思考を排斥すると振りかぶっていたレヴァンティンを恭也に向けて叩きつけるために両の腕に力を込めた。そしてそのまま斬撃のためのモーションを起こした瞬間、シグナムの目にはアームドデバイスを握っている恭也の左手が霞んで見えた。
 シグナムにとって攻撃をするには変更の効かない絶妙のタイミングではあったが、およそ小細工をするには遅過ぎる間合いでもある。
 紫電一閃には恭也のどんな行動であろうと叩き伏せる威力がある。その自負の元、狙いを定めて技を放とうとしたシグナムの眼前、文字通り両の眼球の直前で同時に何かが弾けた。そう気付けたのは、抑える事の出来なかった反射行動として目を瞑り僅かに顔を背けた後だった。
 恭也は実質的には何の脅威にも成り得ない威力しか持たないその“何か”によって、シグナムの視覚と攻撃の妨害という破格の成果を叩き出したのだ。
 だが、紫電一閃の一連の動作を体に染み込ませているシグナムは、キーとなる初動を入力した事で、停滞する事無く恭也の居た空間に向かって技を放っていた。

--ッズドン!!

 爆音と共に地面が爆散した。舞い上がる砂埃と膨大な熱量による光の屈折で視界は利かないが、直径が優に20mを超えるクレータが出来ているだろう。だが、シグナムは周囲への警戒心を最大に高めていた。

 何の手ごたえもなかった。その事実にいたく自尊心を傷付けられた。
 命中していれば恭也を消滅させていたのだから、躱されて良かったのだという思考もあったが、そんなものでは感情は納得してくれない。
 この結果は自分の驕りが原因だ。
 攻撃魔法を使う事を決めた時点で、恭也との実力差は大きく開いた。この認識が間違っている訳ではない。
 しかし、それは恭也の実力が下がった事を意味しない。どのような手札を隠し持っているか分からない、油断ならない強敵。その評価を無意識の内に取り下げてしまっていたのだ。
 なんという浅はかさか!
 このような醜態は二度と許されない!
 警戒を怠るな。恭也は必ず何処かから攻撃の機会を窺って


【SIiiiiMPLE IS BEeeeST!】



「…は?」



 シグナムは寸前まで纏っていた緊張感を霧散させると、背後を振り向きながら音源である上方を振り仰ごうとして視界を縦断する影を見つけた。
 影に視線を向けた時点で、既に恭也は地面に接触していた。素直に「着地」と表現しないのは小石を水の表面で跳ねさせる水切りの要領で、猛烈なスピードで砂地の表面を水平方向にバウンドしている最中だったからだ。
 砂煙を撒き散らしながら20m近く転がって漸く停止した恭也は、体中についた砂を払いながら起き上がった。距離がやや離れているため、ただでさえ読み取り難い表情は更に判別が付かなかったが雰囲気としてバツが悪そうにしている事は分かった。
 そんな恭也に向かってシグナムが口を開いた。これだけはどうしても確認しなくてはならない。

「1つだけ聞きたい。
 先程絶叫したのは、おまえか?」
「断じて違う!」

 間髪入れずに力強く否定したことから考えても、本人も余程恥ずかしかったのだろう。御神の剣士としてのスタイルもかなぐり捨てて、断固とした態度である。



 その、先程までの殺し合いから団欒の場面を編集で繋ぎ合わせたかのような場面転換に、爆発に巻き込まれた恭也を見て叫び声を上げる事も出来ずに固まっていたフェイトが、肺に溜まった空気を大きく吐き出すことで、止まっていた呼吸を再開した。
 呼吸と共に停止していたのではないかと思える心臓も、サボっていた分を取り戻す様に猛烈な強さと速さで拍動している。
 綱渡り、どころか、まるで糸を渡っているようだ。バランスを崩さずとも加減を間違えただけで糸が切れてしまうような危うさの中、漸く命を繋ぎとめたと言うのに瞬時にして気持ちを切り替えるなど、恭也の精神構造はどうなっているのだろうか?しかも、これだけの実力差を見せ付けられても恭也は自分と交代する積もりはないだろう。糸渡りはまだ終わっていないのだ。
 数日前の模擬戦で幾ら殴られてもダメージが無かった事を思えば、あの時ですら手加減をされていた事になるが、そんな事は既にフェイトの思考の片隅にもなかった。

189小閑者:2017/09/18(月) 20:11:50
「さっきのはデバイスの起動音だ」
「そうか。起動音にそれを選んだ訳か」
「それも違う!製作者の趣味だ!
 まったく。さっきまでの緊張感が粉微塵だ」
「対戦相手の気勢を殺ぐ事が目的だったなら、目論見通りと言えるんじゃないのか?」
「担い手の気勢まで粉砕していては本末転倒だろう。
 勘弁してくれ、おやっさん…」

 恭也のぼやきに苦笑を見せながらも、シグナムは彼の挙動から一瞬たりとも視線を外す事はなかった。
 デバイスの起動音に呆気にとられたのは事実だったが、恭也が地面に着地する様を見た時点でシグナムは冷静さを取り戻していた。軽口を叩いたのは確認作業に過ぎない。
 わざわざ魔法を使用して自由落下による垂直の速度ベクトルを水平方向へ変化させて、地面を転がりながら落下の勢いを殺している姿を見て、シグナムは恭也が負傷している事を察したのだ。
 起動音が上空から聞こえたことから、垂直方向に吹き飛ばされた事は分かる。だが、フェイトにつかまって現れた時には10mの高さから難なく降りたっているのだ。空中で停滞できなかったのも、飛翔して地面に接触する前にUターン出来なかったのも、単に魔法に不慣れなためか魔法の適正が低いからだと考えればそれで済む。それでも敢えて着地を不確実な魔法に頼らなくてはならなかった事自体が、恭也が負傷している証拠と言える。
 つまり、シグナムの呆れ口調の問い掛けに返事を返したのは時間稼ぎだ。立ち上がった恭也は左半身を前にしているため詳細は分からないが、上着の右袖とズボンの右裾が破れているようだ。熱により破損したのなら生身の肉体も火傷を負っているだろうし外傷だけとは限らない。
 負傷の程度の確認か、痛みをやり過ごそうとしているのか。そこまで恭也の思考が読み取れる訳ではないが、魔法を使い始めたシグナムを相手にして、デバイスの起動音ごときに呆気に取られる余裕が恭也に無い事だけは確かなことだ。

 恭也が紫電一閃を妨害するために放った金属の針は、技の直後に周囲を警戒していて見つけている。飛来物に因って目を背けさせられる直前に恭也の左手が霞んで見えたので投擲したのは左手だった事はわかるが、寸前までデバイスを握っていた手で隠し持っていた針を引き抜いて投擲し、自由落下を始めたデバイスを再び握り直した事になる。それだけの早撃ちでありながら、高速移動する自分の眼球を正確に狙撃したなどとは信じたくない話だが、闇雲に投げた針の数がたまたま2本で、それが偶然目の位置だったなど有り得ない。
 デバイスを起動させた時に自分の背面に居た事から、針を投擲して視界を晦ませた後、自ら前進して交差する事で斬撃を躱した事が推測できる。魔法で発生した炎を纏った剣で切り付けた事から、その威力が術者の前方、せいぜい扇状に広がると推測しての行動、いや博打を打ったのだろう。術者を中心にして放射状に破壊力を撒き散らす術だったならその時点で恭也の命はなかったのだが、賭けに出なければどの道未来はなかったのだから選択の余地などなかっただろう。
 そこまでして尚、恭也は紫電一閃の余波で空高く舞い上げられた。如何に舞い上げられた原動力が空気とは言え、「爆圧」だ。衝撃波で鉄筋製のビルを崩壊させる事すら出来るのだから、爆風に晒された恭也が致命傷を負っても何の不思議もない。少なくとも紫電一閃にはそれだけの威力があるのだ。しかし、風圧で飛ばされたからこそあの程度の火傷で済んだとも言える。仮に恭也がバックステップして斬撃の範囲から逃れていたなら本当に消し炭になっていたところだ。
 だが、恭也は術の余波に考えが至らなかった訳ではないだろう。紫電一閃に対して剣を合わせる事すらしなかったという事は、それだけの威力があると見積もっていたからだ。「炎」から「爆発」を連想する事もそれほど難しい事ではなかった筈だから、斬撃を躱すだけではなく出来る限り距離を取りたいと考えていただろう。ならば余波は「食らってしまった」のではなく「喰らわざるを得なかった」のだ。その理由は、紫電一閃を妨害するために恭也が「時間」という対価を支払った事にある。
 恭也は術の余波を往なせるだけの距離を取るために必要な、何物にも変え難い貴重な「時間」を費やすことで、針を投擲するタイミングを得たのだ。針に因るダメージが皆無である以上、早過ぎれば即座に体勢を立て直して斬りつける事が可能だったと自分でも分析できるし、遅過ぎれば斬撃が届いていただろう。つまり、恭也は余波を受けるという代償を支払う事で、紫電一閃の本命である斬撃そのものを回避したのだ。

190小閑者:2017/09/18(月) 20:14:43
 そこまでの労力を費やして獲得した回避の隙にしても余裕などなかっただろう。如何に直前で標的を見失ったとは言え、それまではしっかりと照準していた以上、あのタイミングでは踏ん張りの利かないこの地面では素早く動く事が出来ないため半身になって躱した程度の筈だ。逆に言えば、余波とは言ってもそれだけの至近距離で受けて生き延びているのは、自分が斬撃の姿勢を崩された事が大きかっただろう。
 つまり、偶然という要素も含まれているとは言え、五体満足で生き延びていること自体が、魔法の使えない恭也が得られる成果としては法外なのだ。ならばそれだけの難行を成し得た報酬として、せめて恭也の体勢が整うまで戯言に付き合ってもいいだろう。


「さて、そろそろ続きを始めようか?」
「私の攻撃を目の当たりにして続行しようと言えるのは大した胆力だな。同じ事が二度通じると思っている訳ではないだろう?」
「逃げ帰って布団の中で震えて居たい位だが、お前たちを投降させる為には相応の対価が必要だろう。優勢にある者が敵の呼び掛けに応じる訳はないし、劣勢に立ってもお前が投降するとは思えん。叩きのめして拘束し、交渉の材料になって貰う。
 お前自身の身の安全では他の守護騎士への投降の対価にはならないだろうが、お前たちに殺生を禁じている主には交渉の材料になる筈だ」
「誰がそんな命令を受けているといった?」
「命令でないのなら、お前たち自身が主のために自ら禁じていることになるな」
「それも推測でしかあるまい」
「闇の書の守護騎士が、書の主のため以外に行動する理由があるものか」
「水掛け論だな。それに、お前が自らの命を削る戦いを継続する理由を答えていないな。先程管理局員になって日が浅いと言っておきながら、そこまでする理由があるのか?」
「…お前たちが蒐集活動を続ければ悲しむ人がいる。それだけだ」
「…そうか。
 私にも成さねばならぬ事がある。テスタロッサも待たせている事だし、次で引導を渡してやろう」
「そう急ぐなよ、お客さん。
 不破、弾丸撃発」
【Rock'n Roll!!】  ッバシュー!
「…おいおい。趣味に走り過ぎだろう」

 恭也のコマンドヴォイスに従いカートリッジをロードするデバイスにシグナムが目を見張る。起動音声に引き続きやたらファンキーな音声確認だったが、当然注目すべきはそこではない。苦笑を交えて呟く恭也にシグナムが問い掛けた。

「魔法が使えるなら何故今まで使用しなかった?少なくとも私が使い始めたのに合わせていれば先程の私の攻撃を躱すのに砂の上を転げ回る必要はなかったのではないか?」
「嘗めていた訳ではない。個人的な意地だ。それも先程跡形もなく粉砕して貰ったがな。
 何とかして御神流の技で決着を着けたいと思っていたんだが、“敗北”という結果では困るんだ。
 不破、身体強化」
【Circult of SOLDIER】
「さて。信条を曲げてまで縋り付いて手にした力だ。退屈はさせん。篤と御覧じろ」

 言葉と同時に恭也が駆け出した。
 40mの距離を詰めるべく駆ける恭也の姿は戦闘開始時を彷彿とさせるが、決定的な違いがあった。
 初速から全速。
 砂地では有得ない筈のその速度は身体強化では得られないものだ。だが、のんびりと併用している魔法を推測している猶予などない。小太刀の間合いに入られてはシグナムの持つ魔法では恭也の動きに対応する事は難しいのだ。
 シグナムは即座に飛翔し、自らも恭也との間合いを詰める。交差の瞬間、シグナムの斬撃を躱すために中空を駆ける恭也を見て、漸く彼の併用している魔法の正体がわかった。直径30cm程度の円盤状の魔方陣が垂直の壁を蹴るような姿勢になっている彼の足元に見て取れた。

 足場の形成。
 恭也以外の誰であっても、それ単体では効果の薄いその魔法は、恭也にとっては絶大な成果を齎すだろう。地という“面”を駆ける事しか出来なかった彼が、任意の“空間”を足場に出来ればその行動範囲に圧倒的な広がりを見せる。今回の様な不安定な足場であれば効果は絶大だ。恭也の跳躍は、自分が飛翔魔法を使用して旋回や方向転換を行った場合を圧倒的に上回る速度を持つ。つまり範囲こそ限定されているが超高速機動手段を手に入れた事になる。
 だが、それでも自分との戦力差は埋め切れない。
 恭也には魔法の才能がない。恐らく、あれ以上並列で魔法を起動する事は出来ないか、出来ても強い効果は得られない。一芸だけは自分をも上回るほどに秀でているが、それ以上の広がりがない。
 致命的なまでの攻撃力不足だ。

191小閑者:2017/09/18(月) 20:17:57

 シグナムはそう結論を下す自身の理性を笑い飛ばした。あの男にそんな常識に納まっているほどの可愛げがあるものか!
 シグナムが空中に停止して振り向くと、既に恭也が追い縋って来ていた。流石に速い、そんな賞賛が思考を掠めるが、勿論油断はしない。
 突拍子もない事を当たり前のように仕掛けてくる恭也を相手にして“待ち”を選択するなど下策ではあるが、彼に攻撃をヒットさせるのは容易でない事も想像が出来る。もしかするとヴィータの中距離誘導型射撃魔法シュワルベフリーゲンすら空間を駆ける恭也なら躱しきるかもしれない。そして、シグナムには使い手の良い空間攻撃法がないのだ。ならば、騎士服の防御力を頼りに攻撃で動きの鈍ったところへカウンターを打ち込むのも一つの手だ。

 恭也は間違いなく格下だ。それにここまで梃子摺る事自体がイレギュラーなのだ。
 シグナムの持つどんな攻撃でも一撃入れば沈められる。だが、その一撃が入れられない。これ以上ずるずると戦いを引き延ばされて消耗すれば後に控えているフェイトとの戦いに影響するし、今はまだ来ていないが時間が掛かるほど増援が来る確率が跳ね上がる。
 その一方で、恭也が次に何を仕掛けて来るかに心を躍らせている自分がいることにも、シグナム自身気付いている。

(この攻撃が躱されたら次こそ紫電一閃で決着を着ける)

 誰にも聞こえないその言い訳を胸中に留めて、接近する恭也を睨み付けていると突然自身の周囲が明るくなる。それが恭也の使用している足場のための魔法陣が同時に複数展開されたためだと理解する前に、シグナムはレヴァンティンへ防御を命じた。

「レヴァンティン!」
【Panzerhindernis】

 展開したのは全方位をカバーする障壁パンツァーヒンダネス。高い防御力と引き換えに術者の行動を封じるためシグナム自身は歴代の守護騎士としての人生を通して数えるほどしか使用した事のないその防御魔法が発動した瞬間、凝視していた恭也の姿が忽然と掻き消えた。
 次瞬、障壁上を斬撃が走り回る。シグナムの全方位から聞こえてくるその斬撃音と、初撃に獣の鉤爪の様に四本同時に刻まれたものを初めとした連続した斬線が、攻撃者が本当に一人なのか、両の手に握った二振りの刀だけなのかと疑いたくなるものだった。
 驚愕のあまり思考の停止しかけたシグナムの引き伸ばされた時間間隔では何分間にも感じられたその斬撃の嵐は、実際には2秒にも満たない内にガラスを砕く様な硬質な音と共に停止した。
 シグナムが愕然とした面持ちで視線を向けた先に見たものは、砕かれた無残な障壁ではなく、足場を踏み抜いて明後日の方向へ体を投げ出す恭也の姿だった。



「ッゼェ、ッゼェ、ッゼェ、ハッ」

 シグナムはパンツァーヒンダネスを解除すると、吹き飛んでいった先で不時着し、戦闘態勢を取りながら乱れた呼吸を整えようとしている恭也の方向を見やる。流石に視認出来ないスピードで飛んでいっただけあって、20m以上離れている。魔法初心者が形成した足場に耐えられなかったのも頷ける面はある。間抜けだが。
 息を乱している恭也を見て、シグナムは漸く今までの魔法に頼らない戦闘行動において恭也が呼吸を荒げている姿を見た覚えがない事に気付いた。勿論、恭也にとって大した運動量ではなかった、という事ではなく、消耗の度合いを敵に悟らせないようにしていたのだ。
 最終的にはあまりにも間抜けな形で強制終了したようだが、あの時、使用する魔法の選択を誤っていれば流石に無傷では居られなかっただろう。

「ゼェ、普通、ハァ、格下相手に、ックゥ、完全防御は、ハァ、大人気ないんじゃないか?」
「あれだけの真似をしておいて良く言うな。
 それにしても、先程姿を消して攻撃したのはどんな魔法だ?」
「…こんなに息を切らせて見せているんだから、根性を入れて走ったと考えるのが礼儀じゃないのか?」
「そんな礼儀は知らん。が、やはりな」

 問い掛けると同時に瞬時に呼吸を落ち着けて見せた恭也にシグナムは呆れるしかなかった。先程の攻撃が体術である事は分かっている。魔法の発動を感じなかった以上、これは絶対だ。それでもシグナムがあれを魔法だと思い込んでいる姿を見せると、すぐさま呼吸が乱れている事こそが演技だったように見せかけた。
 恭也自身が本当にシグナムを騙せたと思っているかどうかは微妙なところだが、大抵の者は彼の態度に疑心暗鬼になるだろう。何が本当で何が嘘なのかがとても分かり難い。あまりにも非常識な事を何気なくやって見せるから尚更だ。

192小閑者:2017/09/18(月) 20:20:14
 楽しい。非常に楽しい。
 一度の対戦でここまで次々と驚かせてくれる者は初めてではないだろうか?
 奇を衒う魔法を次々に仕掛けてきた者は居たが、恭也のそれは常識を無視して予想の斜め上を行くものではあるがどれもが正攻法の延長にあるもののようだ。
 だが、これ以上は本当にまずい。これ以上深みに嵌まる訳にはいかない。

「惜しいとは思うが、次で最後だ。
 正面から来い、とは言わんが逃げるなら全力で逃げろ。
 半端な真似をすれば、死ぬぞ」
「怖い事を笑顔で言うな。不殺の誓いはどうした」
「先程言っただろう。そんな物はお前たちの推測に過ぎないとな」
【Explosion】  ッガシュン!
「やれやれ、少しくらい休ませてくれよ」

 炎を纏ったレヴァンティンを見ても軽口を絶やす事無く恭也が二刀を納刀した。当然、それは逃走のための準備ではないのだろう。そのまま刀の柄から手を放す事無くシグナムと対峙した。

 真っ向勝負。
 そう見せかけて絡め手で来る可能性も考えないではないが、今回ばかりは堂々と正面から来るだろう。と思う。もっとも、恭也にとっての正攻法が自分と同じ基準とは限らないだろうが。普通に考えれば、魔法の補助に期待できない恭也に紫電一閃と破壊力で競えと言うのは無理難題と言う物だ。
 そもそも、恭也に紫電一閃に対抗できる攻撃手段があるのだろうか?
 武器は耐えられるだろう。彼の身体強化が装備にも掛かっているのは、先の紫電一閃で所々焼け焦げている服が、目に映らないほどの高速行動にも耐えている事から推測できる。
 問題は攻撃そのものだ。身体強化を解除する事が自殺行為である事は分かっているだろう。
 攻撃は最大の防御、紫電一閃の攻撃力を完全に相殺出来るだけの威力を持つ攻撃魔法であればバックファイアから術者を守るための相応の障壁が展開されるため全て解決する。だが、当然の事ではあるがそれは高等魔法だ。魔法初心者の恭也に扱えるものではない。
 それに恭也が気付いているかどうか分からないが、仮に同威力の砲撃で競ったとしても正面からぶつかれば斬撃という一点に威力を集中している紫電一閃に軍配が上がる。
 常識の範疇に納まるならば恭也に対抗手段は無い。だが、彼は先程身を持って紫電一閃の威力を体感していながら正面から対峙している。命懸けのハッタリという事はないだろう、自信はないが。
 可能性の高い方法は先程の高速行動で斬撃を躱しての反撃だが、明らかに消耗を隠しきれなくなっている今、如何に身体強化が継続していようと再度実行できる技とも思えない。
 ならば、純粋な身体技能で紫電一閃に対抗するだけの破壊力を実現出来るのか?無理であって欲しいところだが、先程はテスタロッサの使っていたプリッツアクションと同等の事を成したという実績がある以上、油断は出来ない。

 そこまで考えて、シグナムは考えるのを止めた。集中が乱れて威力を落とすほど未熟ではないが、何をしてくるか予想の付かない恭也を相手にして他事を考えていては対応できる訳が無い。

 汗が滴る。
 日差しは強く、地面からの照り返しも焼けた地面から立ち上る熱もある。シグナムが騎士服により大半の熱を遮断しているのにこれだけ熱いなら、恭也が熱によって奪われる体力はどれほどだろうか。この日差しに長時間さらされるだけで日焼けどころか火傷するだろうに。
 片隅でそんなどうでも良い思考を弄びながら対峙していたにも関わらず、恭也の意思が混線したかのように駆け出す瞬間がピタリとあった。
 飛翔するシグナムと疾走する恭也は、その中間点で接触した。
 シグナムが上段に構えたレヴァンティンを振り下ろすのに対し、恭也は右手で腰に挿した八影を、それを追うように左手で左肩越しから不破をそれぞれ抜刀、一振りの剣と二振りの刀が同時に空間の一点で接触した。

193小閑者:2017/09/18(月) 20:22:33

「目が覚めたようだな。
 そのまま聞け」

 結界の中で意識を取り戻したボロボロの姿の恭也に、覚醒しきる前の意識で致命的な発言をしないように牽制してからシグナムが語り掛けた。

「テスタロッサのコアは蒐集させて貰った。言い訳は出来ないが彼女が目を覚ましたら“済まなかった”と伝えてくれ」
「…何故、俺のリンカーコアに手を出さない?」
「お前の貧弱な魔力では数行程度にしかならん。情けだとでも思っておけ」
「テスタロッサに頼まれたか?」

 シグナムの言葉を無視するように尋ねる恭也にシグナムが逡巡するが、直ぐにそれが答えと同義である事に気付いて言葉にして肯定した。

「…ああ。
 今のお前が戦う力を失えば、自分の体を誰かの盾にするためだけに戦場に出かねないと。
 同意見ではあったが従う義理も無かったので無視するつもりだったが事情が変わった。その程度で謝罪になるなら数行分くらい他で調達すれば良い」
「この結界は、テスタロッサか?」
「ああ、ここの日差しでは私との戦いに決着が付く前にお前が丸焼きになりかねんからな。
 感謝しておけよ?カートリッジまで消費して、細部まで丁寧に築き上げた一品だ」

 フェイトは結界魔法の適正が低い。使えない訳ではないが、術者の意識が断絶した状態で継続するほどの結界は日差しを和らげ気温を調整する程度の物とは言っても容易いものではない。
 からかう様な台詞を顰めた顔のまま口にしたシグナムが、両手で抱き上げていた気絶したフェイトを結界内の恭也の隣に横たわらせようとしたところで、恭也が苦労して上体を起こし両手を差し出してきた。誤解しようの無い、フェイトを受け取る仕種に対してシグナムが意外さを表情に表しながらも無言で応じた。
 気絶している人の体は重く感じるものだが、恭也は軽い仕種で横抱きのまま受け取った。もっとも紫電一閃で受けたダメージはやはり深刻な様で動作は酷くゆっくりとしたものだったが。それでも、そのまま胡坐を掻いた足の上にフェイトのお尻を乗せて、上体を自分の胸に凭れ掛けさせた。たったそれだけの動作に呼吸を乱しながらも、力を失って傾くフェイトの頭を肩で支えながら、恭也がポツリと呟いた。

「阿呆が、人の心配をしている場合か…」

 それは言っている本人にも適用される言葉だったが、既にその場に聞いている者は居なかった。



     * * * * * * * * * *

194小閑者:2017/09/18(月) 20:24:45
     * * * * * * * * * *



「シグナム、恭也と戦ったってホントか!?」
「ヴィータ、少し落ち着け」
「落ち着いてるよ!どうなんだ!?」
「騒ぐとはやてちゃんを起こしてしまうわ。落ち着いて」

 シャマルがヴォルケンリッターに対する絶対的な強制力を発動させる魔法の言葉を口にすると覿面にヴィータが口を閉じた。それでも表情だけでシグナムを急かしている辺り、いかに恭也のことを心配していたかが見て取れる。
 負傷した恭也が管理局に収容された時の出来事は聞いている。負傷については直ぐに治療が施されている事は想像出来るためそれほど問題にしていなかったが、恭也のヴィータに対する態度を不審に思われたのではないかという点を非常に気にしていたのだ。

「ああ。ちゃんと管理局員として振舞っていた」
「そう、か」
「良かった、って手放しに喜べないところが複雑ね」
「俺としては恭也が前線に出てくるというのは意外だが。もっとも資料庫に立て篭もっていられる風でもなかったがな。実力はどうだった?」
「梃子摺らされた。次から次に予想を上回られた」
「戦場に現れるだけの事はある訳だ」
「そんな可愛げのあるレベルではなかった。極めつけは紫電一閃に真っ向からぶつかってきたぞ」
「はぁ!?知らないからって無茶にも程があんだろ!
 っつーかシグナム!恭也相手に何本気出してんだ!」
「そうよ!恭也君を殺す気!?」
「落ち着け、2人とも。
 …それほど恭也の実力が高かったのか?」

 興奮する2人を宥めたのは唯一冷静さを保っていたザフィーラだが、流石に疑わしげに問い掛けた。その当然と言える反応にシグナムがどこか誇らしげに答える。

「紫電一閃は二度放ったんだ。
 一度目は魔法の補助も無しに躱された。余波で跳ね飛ばしはしたが初見であそこまで見事に躱されては言い訳もできん。
 二度目は一度目で威力を実感していながら、身体強化しか使えないくせに正面から打ち合いに来た。結果は、奴は衝撃で意識を失い、私はレヴァンティンが刃毀れした」
「刃毀れ!?いや、正面から打ち合って生きてんのかよ!?」
「流石に見た目はボロボロだったし目を覚ましてもまともに身動きが取れない様だったが、紫電一閃の8割方の威力を相殺された事になる」
「ちょっ、待ってシグナム!恭也君、身体強化しか使ってなかったってほんとなの!?」
「使えない、と表現する方が正しいようだ。魔導師としての適正は低いらしい」
「では、身体技能だけでそれだけの威力を発揮したというのか!?」
「そうなるな。方法は全く分からんが、レヴァンティンが言うには強力な振動波を放っているようだ。恐らく武器破壊を目的とした技なんだろう。
 先程は8割を相殺と言ったが、刃毀れを起こしたレヴァンティンが自壊しないために威力を抑えた事も含めてだ」
「それでも、それは恭也君が刃毀れさせた事による成果ね」
「ああ」

 シャマルの正当な評価に満足げに答えたシグナムが静かに興奮していた。恭也との戦闘を反芻しているのが丸分かりだ。

「それにしてもこの短期間に魔法を使えるようになっていたとはな」
「登場した時から八影の他に同じ様な形状の刀を差していたんだが、待機状態にしていなかったから私も初めはアームドデバイスだとは気付かなかった。
 最初は魔法を使わずに済ませようなどと甘い考えを持っていたら、たいした時間も掛からずに追い詰められて使わされたよ」
「剣技だけでシグナムを上回るのかよ。振動波を打てるなら出来ない訳は無いんだろうけど…何に驚けばいいのか分かんねぇな」
「確かにな。しかし、恭也は何故最初から魔法を使わなかった?出し惜しんで命を危険に晒すタイプではなかったように思うが」
「そこは私も不思議に思っている。実際、魔法を使い始めたら惜し気もなく仕掛けてきたしな。本人は『剣士の意地』と言っていたが、目的と手段を違えるような未熟さが残っていたのか?」

 その手の失敗は熟練者でも陥る可能性のある罠なので、完全に否定するほどの事ではない。ただ、それは長期間一つの事に携わっている場合に陥りやすい傾向にあるものだ。

195小閑者:2017/09/18(月) 20:25:16
 恭也が八神家に来た当初、“目的と手段”の話題でかなり明確な基準を自分の中に備えている様だったので少々違和感を感じたのだが。

「管理局側に何かを隠そうとしていたんじゃないかしら。
 恭也君、他に何かメッセージを伝えようとしていなかった?」
「…そうか、それなら辻褄は合う。不用意だったんじゃないかと思っていたが、管理局側でも流派への拘りを見せていれば隠せるはずだ」
「何だよ、一人で納得してないでさっさと言えよ!」
「開戦時に、あいつが正式に流派を名乗ったんだ」
「…え?」
「永全不動・八門一派・御神真刀流・小太刀二刀術 八神恭也」

 シャマルの口から零れた声にシグナムが砂漠で聞いた恭也の名乗りを口にした。

 この世界の剣術であればその戦技に魔法は組み込まれていない。だからこそ、恭也は名乗りを上げる事が不自然にならないように、流派の戦い方に拘る者として魔法を一切使わなかった。
 魔法を使わざるを得ないほど追い詰められてからは、流派の技こそ振るっていても、御神流の剣士として振る舞う事無く、軽口を重ねて見せた。

「…そう。誓いと警告ね」

 戦闘に直接携わらないシャマルも、剣士が流派を名乗る意味を取り違える事は無かった。
 ヴィータもザフィーラも無言のまま時が流れる。
 静寂を打ち破るようにシャマルが再び口を開く。

「誓いについては、良かった、って言うべきかしら。それとも残念ね、かしら?」
「勿論“残念”だ。この言葉は主はやてに宛てた内容ではないだろうが、それでも出来る事ならご報告したい言葉だった」
「そうね。はやてちゃん、一生懸命隠そうとしてるけど、やっぱり恭也君が居なくなって寂しく思っているもの」
「“管理局に所属しても八神として在り続ける”
 あいつが態々戦場に出向いて来たのは、その宣言をするためだけと言っても過言ではなかったんだな」

 流派を名乗るのは、嘘偽りが無いことを自分の流派の名誉に掛けて宣言する事。
 恭也はシグナムと戦う事が避けられなくなる事を知りながら、ただ2つのメッセージを伝えるためだけに、細い糸を渡る様な戦いに身を投じたのだ。

 “八神”である、と。はやての味方で在り続ける、と。

 文字通り、恭也が命懸けで伝えてきたその1つ目のメッセージを、今一番その言葉を欲しているであろうはやてに届けられない。
 自分たちという存在こそが、はやてに害を齎しいるのではないかという考えが浮かんでしまう。
 そして、恭也が名乗りに込めたもう1つの意味。それは先程脳裏を過ぎった否定したい考えを指摘するかのような内容。4人共が正確に読み取り、しかし、口にする事で認めたくない内容。

 八神として、はやてのために、ヴォルケンリッターを止める。

 それは名乗ることで誰しもが連想する表面上の意味と重なる、スパイとしてではない、事実上の敵対宣言だ。
 誰も恭也が寝返ったとは思っていないし、決して肯定している訳ではないだろうが今更犯罪行為を理由に中止を呼びかけてくるとも思っていない。つまり、こちらの言葉の裏には警告が込められているのだ。

 『ヴォルケンリッターの行動、あるいは存在そのものに、はやてに致命的な不利益を齎す可能性がある』と。

 ただし、それも有力ではあっても可能性でしかない段階だ。絶対の確証を得れば、形振り構わず八神家に押し掛けている筈だからだ。

196小閑者:2017/09/18(月) 20:25:59

 恭也が居なくなってから、一度だけ4人で協議した事がある。恭也が安全・確実かつ平和的な方法を見つけてきた場合には、潔く自首するというものだ。4人共、好んではやての命令に背いて蒐集活動を行っている訳ではないため、当然の結論ではある。
 しかし、蒐集活動がはやての害悪になるという可能性は想定していなかった。闇の書の主として覚醒すればはやては絶対たる力を手に入れ、その一部として肉体機能が万全になる。書の侵食による下半身の麻痺はもとより、病気の類とは一生無縁になるのだ。手に入れた力を悪用すれば確かに害悪とも言えるが、はやてがそれをするとは思い難いし、万が一そうなったとしてもそれはその時対処する問題だ。
 だからといって、恭也が軽はずみな行動を取っているとも思えない。管理局側に信用させるためのポーズとしては、事が重大すぎる。剣士としての側面を持つ恭也が戦場に立つ以上、殺される覚悟は勿論、状況によっては4人のうちの誰かに止めを刺す覚悟も出来ている筈だ。
 恭也が決意するほどの、せざるを得ないほどの懸念事項。それが何なのか誰にも分からない。
 しかし、恭也の調査結果を座して待つ事は出来ない。闇の書の侵食速度が速くなっているとシャマルが診断したからだ。原因は不明だが、状況的に見て恭也の不在によるはやての気力の低下が有力だろう。ならば、蒐集を進めて結果的に悪化させる可能性と、停滞させた結果有力な解決手段が見つからず蒐集が間に合わなくなる可能性、二つを秤にかけて4人は前者を選択した。どちらも可能性でしかないならば、自分達の知る手段を実行することにしたのだ。

「闇の書が完成して、はやてが真の主になって、それではやてはホントに幸せになれるんだよね?」

 ヴィータが漏らした弱音の様なその言葉に即座に同意出来る者は居なかった。




続く

197小閑者:2017/09/19(火) 21:45:53
第19話 悪夢



 全身に軽度の、そして右腕、及び右足に他より症状の重い火傷
 右耳の鼓膜の破裂
 右側の肋骨が3本骨折、2本に皹
 多数の打撲、打ち身、擦過傷
 過度の運動による糖分、蛋白質、その他の栄養素の欠乏。つまりは疲労。

「あいつの非常識さには慣れてきた積もりだが、それでも信じ難いな…」
「うん、7階級差の敵と戦って“この程度”で済んだなんて、誰も信じないよね。多分、遭遇して直ぐに逃げ出したって言っても疑われるんじゃないかな」

 シグナムとの戦闘による恭也の負傷の診断結果を見たクロノが零した感想にエイミィが同意した。
 戦闘中に意識が途切れた時点で戦いには負けているが、エイミィの言葉通り五体満足で生きている事自体が異常事態だ。
 逆に止めを刺されなかった事自体はそれほど特異な事ではない。ヴォルケンリッターがこれまでの蒐集活動で殺害を避けていた事とは関係なく、本来なら7階級も格下の敵とは塵芥と同義なので態々止めを刺すような手間を掛ける魔導師は少数だ。今回はフェイトが後に控えていた事も根拠を補強している。
 尤も今回の戦いを見る限り、恭也を相手にした者は、彼を脅威と認定して止めを刺しに来ても不思議ではないので、魔導師ランクを覆す事が良い事ばかりとは限らない訳だ。

「それもあるが、これだけ負傷しながら、決定的な戦力低下に繋がるような傷が無い。
 骨折の痛みを無視するのは簡単な事じゃないが、あいつなら体力さえ回復すれば平然と戦線復帰する。骨折したのは例の高速行動の前のはずだしな」
「…あ〜、確かに」
「困ったものね」

 その程度の感想で済んでしまう辺り、恭也の非常識度に対する共通認識はかなり浸透しているようだ。


 現在、艦船アースラの会議室の一室には艦の首脳陣が集まっていた。先の戦いの事後処理がひと段落して反省や方針の確認を行うためだ。

 恭也がシグナムと交戦を始めた後、暫くすると別の次元世界でヴィータを発見した。
 闇の書を携えている事からこちらが本命であると推測し、捕縛のためになのはが出撃するがヴィータを追い詰めたところで仮面の男の横槍が入り失敗に終わった。
 しかし、エイミィが悔しがる暇も無く駐屯地である海鳴のハラオウン邸に設置した管理局と同レベルの防壁が組まれているシステムが、クラッキングを受けて即座にダウンさせられた。
 通常であれば有り得ないその事態に対してエイミィがすぐさま対処に乗り出せたのが、自分の中の常識という価値観を覆される事に慣れてきたお陰かどうかは不明だが、短時間でシステムを復旧させる事に成功。だが、時既に遅く、補足できたのは結界内で寄り添って座り込む傷だらけの恭也と気を失ったフェイトの姿だった。
 試験運行中だったアースラが現地へ急行して2人を収容し、即座に治療を行えた事で大事に至る事は無かったのが不幸中の幸いと言えるだろう。
 リンカーコアから魔力を吸収されたフェイトが意識を取り戻したのと入れ替わるように今は恭也が眠りについている。
 正確に表現するならば、疲労と負傷で何時気絶しても不思議ではないほど体力を消耗しているはずの恭也が全く眠らなかったため、治療に託けて魔法で眠らせたのだ。
 勿論、恭也が治療を拒絶していた訳ではないし、起きていたからといって治療できない訳でもない。実際、恭也の傷は鼓膜の再生も含めて治療が終了している。だが、蓄積した疲労を回復するには睡眠は不可欠と言ってもいい。

 恭也に眠りの魔法を掛けた時、アルフがなにやら慌てていたため何か問題を抱えているのかと少々気にはなった。
 だが、クロノと同様に疑問を持ったフェイトが問い掛けても、アルフは言葉を濁して明言を避けていた。アルフが主であるフェイトに対してそんな態度を取る事は滅多に無い事を知っているだけに余計に気になったが、フェイトに無理強いする積りが無い様なのでクロノにはどうにもならなかったのだ。
 流石に致命的な問題を隠しているという事は無いだろうから、何か恭也が個人的に困るような事を知っているのだろうか?
 無いとは思うが、おねしょが治っていなくて医務局のベッドを水浸しにしていたら、指を指して笑ってやろうとクロノは心に固く誓っている。

198小閑者:2017/09/19(火) 21:46:41
「恭也は魔法に頼れない以上周囲の情報は五感で集めるしかない。多分、傷そのものより右耳が聞こえないことの方が深刻だろう。
 尤も、それさえも視覚や触覚で補っていたようだけど」
「目で耳の代わりは出来ないでしょ?」
「唇の動きを見て台詞を読み取る技術がある。
 実際、爆圧で吹き飛ばされた時、鼓膜が破れた右耳は勿論、左耳もまともに聞こえなかった筈なのに会話を成立させていたしね」
「え、あれって聞こえてなかったの?」
「確かに恭也さんはバリアジャケットを展開出来ないものね。あれだけ至近距離から生身であの爆発音を受ければ暫くは聞こえないか。
 幾ら我慢強くても骨が折れた直後は痛みが引くまで動作に支障が出るから、少しでも回復する時間を稼ぎたかったとは言え凄いわね」
「いえ、もっと深刻な問題があった筈です」
「肋骨の骨折以上に深刻って事?」
「ああ。
 あの時の恭也は三半規管が揺らされて平衡が保ずに、戦闘行為以前に歩く事もままならなかった筈だ。ゆっくりした動作とはいえ立ち上がれたのが不思議なくらいだ」
「…とてもそうは見えないけれど」
「ですが、着地の際に砂の上を転がり回っていたのは恐らくそれが原因です。
 あいつの身体能力ならあのくらいの着地で無様を晒すとは思えません」
「信頼してるんだねぇ」
「…知っているだけだ」

 面白がっているエイミィの視線から顔を反らして熱を持ち出した頬を隠すクロノを見てリンディが微笑む。年頃の男の子としては素直にその事実を認めるのは恥ずかしいのだろう。

 クロノには同年代の友人が少ない。プライベートの時間がなかなか取れないからだ。職場では役職上、同年代はほとんどが部下となり、軍事組織としての側面を持つ管理局では階級差があると馴れ合う事が出来ない。更に本人の気質がその関係を助長してしまう。
 訓練校を卒業してから脇目も振らずに局員として過ごしてきたクロノにとって、立場を気にする事無く接する事が出来る相手は貴重だ。
 ましてや、各分野の技能を水準以上に高める事で高い戦闘力を得たクロノに対して、一分野の技能をとことん高める事で他を補っている恭也の在り方はとても刺激になるのだろう。
 エイミィの追求を避けるためにクロノが話題を修正した。

「それに時間稼ぎ以外にも目的があったと思う。多分、敵に自分の情報を与えない為のハッタリも兼ねているんだ」
「情報?…ダメージの大きさや箇所の事?」
「そうだ。負傷を隠すのは戦闘の駆け引きでは重要な事なんだ。
 “どれだけ攻撃しても効果が無い”と思わせれば敵に攻撃を躊躇させる事が出来るかもしれない。
 不安にさせるだけでも集中力を低下させる事が出来る。
 敵の表情が見分けられる近接戦では必須技能と言っても良いだろう。
 もっとも、恭也のは異常だけどね。僕だって、診察結果とモニターを見比べたから推測出来たけど、実際に対戦しているシグナムの立場だったら何処まで気付けたか…」
「理屈では分かるけど、私もここまでする人にも、ここまで出来る人にも会った事は無いわね」

 エイミィは勿論だが、リンディも近接戦闘の経験は多くない。
 典型的なミッド式の魔導師であるリンディは距離を取った戦闘を基本とし、その“基本”だけでほとんどの敵を撃墜出来てしまえるほど優秀だったため、訓練以外では近接戦闘の場面はなかった。勿論、訓練結果は優秀だったが、実戦でなければ分からない事は多い。尤も、そもそも指揮能力が高かったため前線にいる期間も長くはなかったのだが。

 クロノは恭也の戦闘についての講釈が一区切りついたところで、バルディッシュが記録していたシグナムと恭也の戦闘シーンを見終えたリーゼ姉妹に声を掛けた。

「感想は?」
「非常識」
「異常者」
「うわぁ、物凄く端的な感想だね」
「頷けてしまう辺り、恭也さんに同情してあげるべきなのかしら」

 2人の至極真っ当な感想に苦笑を浮かべるエイミィとリンディ。もっとも、多少なりとも恭也の戦闘方法を事前に知っている3人にとっても、この展開は異常極まるものだ。

199小閑者:2017/09/19(火) 21:50:02

「ロッテ、君にならあの戦い方は可能か?」
「…大半の行動は、再現は出来る。でも、この戦闘方法自体は無理だね」
「使い魔の身体能力でもそうなんだぁ」
「エイミィ、ロッテが言っているのは身体能力とは関係ない部分だ」
「言ったろ?再現は出来る。身体能力自体はこのボーズより私の方が上だ。勿論、魔法の補助があるからこそだけどね」

 リーゼロッテは猫を素体とした使い魔だ。魔法が無くてはそもそも人型をとることすら出来ない。そして、人型を取った時点で通常の人間の身体能力を大きく上回る。
 それは一般人と比較すれば人間を逸脱したような身体能力を持つ恭也すら超えるものだ。ならば、恭也の戦い方が出来るのか、と言えばそういう訳にはいかないのだ。

「だけど、戦い方そのものは真似できない。
 どの場面を見ても、私なら絶対に採用しないような選択肢ばかり、いや、選択肢として発想しないものばかりを実行してる。それは私の持つ技能からすると最適じゃないから、ってのもある。アリアほどではないとは言っても私も魔法は使えるからね。
 そもそも私の存在が魔法の上に成り立っている以上、魔法を使わないなんてナンセンスだ。それでも敢えてこの戦い方をするとなれば、少なくともこのレベルに達するには相当な年月を費やして練習する必要があるね」

 近接戦闘では敵の攻撃に対して一から十まで思考を働かせて体を動かしていては間に合わない。だが、条件反射だけで戦闘を成立させる事も難しい。敵を打倒する事が目的とは限らないし、そうであっても反射行動では同じパターンの繰り返しになりかねず、それは隙となる。
 一般的に武術では“型”を体に覚えこませる。敵の行動に対して適当な型を選択して実行する事で全ての動きをその場でアレンジするよりも格段に動作が速くなる。勿論、一連の行動を体に染み込ませる事で動作そのものにも技の連携にも無駄を無くす事も大きな目的の一つだ。
 荒っぽい表現をするなら、格闘ゲームでコマンド入力すれば技が出せるのと同じ様なものだが、その“一連の動作”の長さが問題になる。
 ロッテが再現出来ると言ったのは、流派を名乗るところから紫電一閃に打ち負ける所までの全てを“一連の動作”とする事だ。だが、当然ながらこれでは実戦では使いようが無い。少しでも敵が違う動作をした時点でかみ合わなくなるからだ。
 普通は“一連の動作”とは一撃単位まで分割し、敵の動作に合わせて他の“一連の動作”と組み合わせるなどの応用が不可欠だ。
 ロッテが練習の必要があると言ったのは、動作の習得と習得した動作の選択を適切に行えるようになる事の2つがある。

「とは言え、私の目からするとシグナムが魔法を使い始めてからは、あの戦い方は全部が博打にしか見えないわね。
 彼の実力でAAAクラスと遣り合おうと思えばこの辺りが限界なんでしょうけど、普通はそもそも遣り合おうなんて発想自体が湧かないわ。
 無知って怖いわね」
「意外だな。『戦いに“絶対”や完璧は無い。敵の攻撃を予測し、自分の取れる最善を模索する事こそ戦いの本筋だ。自分より弱い者としか戦えないようじゃあ役に立たない』そう言っていたのは、アリア、君だったはずだ。
 それに恭也はシグナムの技を見ても怯む様子を見せていない。AAAの実力を知っていたとしても平然と挑んで行っただろうさ。内心はどうか知らないけれどね」
「クロスケが男の味方をするとは珍しいね?」
「待て!性別で態度を変えた事はないぞ!」
「男性への評価が辛口になるだけよね?」
「公明正大を心掛けてます!」

 寄って集って苛められるのは最早クロノの日常と化しつつある。逆らえない存在と苦手な者と天敵が集まればジリ貧でしかないが、最後の矜持とばかりにクロノは必死になって抗う。その反応こそが彼女達を焚き付けるのだが、そのことに本人が気付くのはまだまだ先のことのようだ。

200小閑者:2017/09/19(火) 21:54:49
「ロッテ、話を戻すが恭也が終盤に見せた高速行動や剣を交差させた攻撃も再現できるのか?」
「チッ、嫌なところを付いてくるね。
 あの2つは難しそうだ。高速行動魔法を突き詰めれば近い事は出来るかもしれないけど、たぶん同じにはならないと思う。
 あれは異常だ。あれほどの高速行動に思考速度が追い付けるとは思えない」
「そうね。でも、もしかすると追い付いていないかもしれないわ」
「どういうことだ、アリア?」
「今回は敵が完全な防御体勢に入っていたでしょう?動かない標的であればそれほど思考を挟まなくても斬りつける事が出来てもおかしくはない。
 同じ速度で動く敵に対しては同じ事が出来ない可能性があるわ」
「あ、そうか」
「確かに、仮面の男を弾き飛ばした時も反撃の肘打ちに対応出来ていなかったな」

 クロノにも今度のリーゼアリアの見解には一理あるように思える。
 確かに魔法を使わずにあれだけの高速行動が出来る事には脅威を感じるが、発想を転換すれば魔法を使えない恭也が力技でそれを補っているに過ぎない。…力技で補える事自体が驚異的なのだが、恭也の非常識さに驚くのもそろそろ疲れてきたのだ。

「それに、何よりもあれほど疲弊するようでは戦闘中においそれと使えないわ。文字通りそれで戦闘を決着させる決め技にしなくちゃならない。一対一でなければ使いどころは無いと言っても良いくらいでしょうね」
「脅威的ではあっても絶対的では無いという事か。
 剣戟の方はどうだ?」
「どうって言われてもねぇ、解析結果くらい教えてよ。
 あんな細い剣を二振り重ねたくらいでアームドデバイスを刃毀れさせられるとは思えないんだけど?」

 その感想は当然と言えるものだ。
 刀は西洋の剣とは違い、刀身が細く、見た目からして強度が低い。それは“引き裂く”あるいは“切り裂く”刀と、“叩き切る”あるいは“押し切る”剣との用途の違いでもある。小太刀は刀身が短い分、やや厚みを持つが、それでも刀の域を超えるものではない。
 ただし、この剣戟の異様さはそれだけではなかった。

「特に後から追った剣は先の剣に叩きつけてるんだから、普通一振り目が折れるでしょ?
 見た目だけを真似るなら、まあ、簡単じゃないけど練習すれば出来なくはない。だけど同じ成果は得られない。
 今言えるのはそれくらいだね」
「見た目を真似るだけでも簡単には出来ないの?」
「出来ないよ。
 エイミィには実感が湧かないかもしれないけど、全力で振った両手の剣を同時に交差させて当てるってのは難しいんだ。
 どの程度のタイムラグまで許容するかにも依るだろうけど、真っ先に思いつくのは、一振り目の後ろから当てるためには、二振り目は剣の幅の分だけ手前を到達点にしなくちゃならない。右と左で到達点が違う上に、敵の剣も高速で向かって来るんだから勘に頼る部分も少なくないだろうね。
 更に言うなら、剣を振った時の軌跡の中で威力の高い場所は限られてるからね。あれが技術の集大成だってんなら、ただぶつければ良いって訳じゃあ無いだろうさ。想像出来そう?」
「…はは、難しそうだって事はなんとなくわかったかな」

 リーゼロッテが憮然とした表情ではあるものの、正直に考えを口にした。
 戦闘に従事する者は無意味に見栄を張る事はない。必要な場面ではハッタリも使うし、手の内を隠すために嘘も吐くが見栄とは別物だ。
 何より、リーゼ達は恭也の戦闘技能を知る必要があった。
 何処からか紛れ込んで来た取るに足らない羽虫、その程度の認識だった恭也が、状況と方法によっては十分に脅威と成り得る事がこの戦闘記録で明らかになったのだ。リンディ達に不審に思われない範囲で恭也に関するデータを収集しなくてはならない。
 ロッテの疑問に特に警戒する様子もなくエイミィが苦笑しながら解析結果を答える。

「あれを真似するのは、まだ“難しいみたいだ”って思えただけマシかもしれない。中身の方はもうどうやってるのか想像もつかないんだよ。
 原理は不明だから現象だけ言うと、剣を叩き付けた時の衝撃を任意の点、この場合なら敵さんの剣に集めてたみたい」
「…ハァ?」
「あ、やっぱり想像つかない?」
「衝撃を集めるって言っても…、ブレイクインパルスの様なものかしら?」

 エイミィの言葉から何とか既存の概念に当てはめようとしたリンディが考え付いたのは、物質の持つ固有振動数を解析し、その周波数の振動波を送り込む事で対象を破壊する魔法だ。
 固有振動数による破壊は、実際に吊り橋などで発生した事例もある事から分かる様に純粋な物理現象であり、ブレイクインパルスはその現象を魔法で強制的に発生させているに過ぎない。
 それが人間に出来る事かどうかは問題ではない。既に非常識の領域を漂っている恭也に今更そんな事を言うのはナンセンスだ。

201小閑者:2017/09/19(火) 21:57:34
「いえ、あれとも少し違うみたいです。
 先に言っておきますが、推論でしかない事を忘れないでくださいね?
 彼がやったのは、10枚重ねたガラスの板を、上から叩いて5枚目だけを割る、そういう技術だと思います」
「…また、そんな絵空事みたいな事を…。
 じゃあ、後から追った左の剣の威力が、一撃目の剣を透過してシグナムの剣を破壊しようとしたという事か?」
「そうなるかな。
 一撃目と二撃目の破壊力が、両方とも同じ点で同時に炸裂したからこそシグナムの剣を欠けさせる事が出来たんだと思う。もしかすると、相乗効果みたいな現象も働いてるのかもしれないね」

 そう締め括るエイミィの頬は引き攣っていた。まだ、恭也の行動の非常識さに悟りを開く事までは出来ていないのだろう。尤も、この場に居る誰一人としてそんな事は出来ていないのだが。

「…まぁ、恭也君が敵じゃなくて良かったよねぇ。何してくるかわかんないし」
「この戦闘記録の後じゃ、私たちの報告なんて大した意味が無かった気もするけどね」
「そんな事はないさ。恭也とシグナムがグルで、こちらに信じさせるために演技している可能性もあったんだ」
「でも、恭也さんがデバイスを持てたのは偶然の要素が強過ぎるわ。お爺さんからは間違いなく魔法に関して初心者だって報告も受けてるし。
 結託しているとしてもシグナムが恭也さんの魔法戦闘の実力を知っていることは有り得ない。相手の力量も把握していない状態であそこまでギリギリの攻撃を仕掛けるとは思え難いわね」

 リンディが苦笑しながらこの戦闘が演技であった可能性を否定した。尤も、本当に命懸けで騙そうとしてくるやばい連中も居るため油断する訳には行かないので、リーゼ達の「異常なし」の報告が有ったればこその結論と言える。
 その点、恭也とヴォルケンズとの繋がりを知っているリーゼ姉妹の方が余程驚いている。
 リンディの台詞にあった通り、シグナムは恭也の魔法戦闘の実力を知らない筈なのだ。少なくともバリアジャケットを装着していない事から大した魔法適正がない事は推測出来る筈だ。にも関わらず恭也に対して全力攻撃を仕掛けるなんて想像もしていなかった。

 ひょっとして、仲悪かったの?

 共にアイコンタクトで片割れに問い掛けるが、2人で同じ疑問を発している時点で答えなど得られる訳が無かった。


 姉妹が仲良く睨み合っているのを訝しげに眺めていたクロノに医務局の局員からコールが掛かった。内容は目を覚ました恭也が呼んでいるので手が空いたら来て貰いたいとの事。

 本来、執務官は多忙であるため一個人が、それも民間協力者が呼び出して良い存在ではない。恭也側から面会に行くのも同様だ。役職を無視したら組織など成り立たない。
 だが、ここはリンディを艦長に戴くアースラだ。上位者側に選択権があるとは言え、その行為自体を咎められる事はない。
 クロノとしても先の戦闘について恭也に訪ねたい事がいくつか出来たため、出向く事にした。尤も、彼固有の攻撃方法に関しては知る事が出来ないだろうと諦めている。回答が得られたとしても真実では無い可能性が高いからだ。幾ら突飛な答えだったとしても、行動そのものが非常識なので嘘か本当か判断できないから性質が悪いにも程がある。
 あと半日は眠り続けるはずの恭也が目を覚ました事で、自身の医療知識に不安を抱く通信をくれた医務局員に、くれぐれも恭也の事例は無視するように念を押したクロノは一同に断りを入れて退室すると、当然のように追って来たエイミィを伴って医務室に向かった。

「それにしても、恭也君、随分早く目を覚ましたよね」
「今更その程度の事、驚く気にもなれないけどな」
「そうなんだけどね。
 ただ、恭也君からクロノ君に、って言うより自分から誰かに話し掛ける事って無かったから、何か関係があったりするのかなって」
「…流石に、よく見ているな」

 エイミィの言う通り、恭也はアースラクルーに自分から近付く事がなかった。

202小閑者:2017/09/19(火) 22:00:09
 別に、恭也にもっと社交的になれと言うつもりはないし、なのはのプロフィールを調べる過程で知ったこの世界の御神流の在り方からしても目立つ行動を取るとも思えない。
 そもそも、仮面の男の攻撃で負傷してアースラに収容されてからたいした日数は経過していないし、乗艦していた時間自体も極短いのだから、クルーの中に溶け込めていなくて当然とも言える。
 しかし、異邦の地だからこそ不安を軽くするためにも意識・無意識に関わらず、少しでも面識のある者と共に行動しようとするものだ。いくら肉体面・行動面が非常識な恭也であっても精神面まで逸脱している訳ではないと思いたいのだが、知己の仲だと思っていたなのは、フェイト、ユーノが相手であっても自分から話し掛ける様子はなかった。
 当初は監視カメラにより行動を捕捉していたため、この結果は間違いが無い。与えた部屋から一歩も外に出歩いていないため、監視するまでも無く得られた結論ではあるのだが。
 恭也のこの行動が何を意図したものなのかは分からない。
 距離を取る事でアースラクルーと馴れ合わないようにしているのか、意外にも本性は引っ込み思案の恥ずかしがり屋…無い無い、絶対無いし信じない。

「まぁ、行ってみればわかるさ。逆に言えば、あいつの事は確かめてみなくちゃ、一つとして分からないよ」
「そういう言い方も出来るね」

 クロノの見解にエイミィが苦笑を浮かべながらも相槌を打ったのを確認すると、クロノは医務局の扉を開け放った。
 見渡すまでも無く視界に入ったのは、体を起こして立てた片膝を抱くようにしている気だるげな恭也と、見舞い用の椅子に座るなのはとフェイトの後姿だった。

「失礼する。
 随分早いお目覚めの様だが体調はどうだ?
 …?何かあったのか?」
「お蔭様で。
 医者に止められてるからベッドを離れる事が出来ないんだ。ここまで来てくれ」

 クロノの入室に気付いて僅かに振り向いたなのはとフェイトの沈んだ表情に気付いて問い掛けたクロノの言葉が無視された形になったが、恭也に呼び寄せられた事で、大きな声では言い難い内容なのだと察して文句を口にする事無くクロノは恭也に歩み寄った。
 廊下側からは死角になっていて気付かなかったが、入室する事で壁際に立っていたアルフにも気付いた。感情が表れ易い彼女から読み取れるのは、“何かに失敗して落ち込んでいる”といったものだ。そして、アルフの表情と比較する事で、なのは達の表情が“心配”を源にしている事に気付けた。だが、収容された直後の恭也の姿なら兎も角、治療後の現在、心配しなくてはならないような傷が残っているという報告は受けていない。
 クロノはベッドに歩み寄るとなのは達を刺激しない様に落ち着いた声で恭也に問い掛けた。

「何があった?」
「なに、人の努力を水の泡にしてくれた礼をしたかっただけだ」ッズビシ!!
「☆#%ッ〜〜〜!?」

 予想もしていなかった恭也の攻撃が、クロノに想像を絶する痛みを引き起こした。
 執務官として前線に立ってきたクロノは、当然多くの傷を負ってきた。だから、ある意味慣れ親しんできたこれまでの負傷による痛みとは一線を画する恭也のデコピンによる痛みに悶え苦しむ事になった。
 額表面の皮膚は全く痛みを感じないのに、脳味噌が物凄く痛い。いや、脳組織に神経は通っていないそうなので、この痛みの発生源は頭蓋骨の内側辺りなのかも知れないが、そんな場所だけを負傷した事など無いので何処が痛いのか判断がつかない。
 声を漏らす事無く(漏らす事も出来ず)、蹲ってひたすら痛みに耐えるクロノに女性陣がうろたえる。
 これまで恭也が披露してきたデコピンは、被害者の顔が空を仰ぐため痛みが直ぐに連想出来たが、今回クロノの頭部は微動だにしていなかった。それにも拘らずクロノの痛がり様は今までの比ではないのだ。それでも誰一人としてクロノが大袈裟だと思う者は居なかった。絶対、恭也が想像もつかない方法で、言語に絶する痛みを与えたに違いない。

203小閑者:2017/09/19(火) 22:02:38
「ク、クロノ君、大丈夫?」
「ッ痛ぅー、いきなり何をする!」
「…フンッ、ただの八つ当たりに決まっているだろう」
「堂々と言い放った!?」
「どんだけ理不尽なんだ、お前は!?」
「チッ、浅かったか。復活が早いな。
 医者の言う通り、まだダメージが抜け切らんか」
「これだけやって、まだ不服か!?」
「台所に現れる生命力豊かなアレの様に床の上をのた打ち回らせてやろうと思ったんだがな」
「イヤー!見たくない、そんなの見たくないよ!クロノ君、こっち来ないでー!」
「エイミィ、突っ込み所はそこじゃないだろう!それから簡単に混同しないでくれ!」

 クロノが入室してからものの数分で場が混沌と化していく。
 理不尽なまでの速度で伝達してくるその空気にクロノも半ば取り込まれかけたところで、援軍と言うには心許無いながらも普段であれば同じ軍勢に参列してくれる筈の少女達が沈黙したままである事に気付いた。

「フェイト、なのは?
 …恭也、もう一度聞くぞ。何があった?」

 当初の雰囲気を取り戻したクロノが再度問い掛けると、小さく溜息を吐いた恭也が同様に雰囲気を一変させて口を開いた。
 クロノにとっては非常に迷惑な話ではあるのだが、今のはなのは達の意識を逸らす為の演技だったのだろう。

「…やっぱり、こうなるか。
 たいしたことじゃない。眠りが浅くなると魘される事があるようでな、それをこいつらに見られたんだ」
「…内容は察しがつくが、そんなに酷いならなぜカウンセラーに相談しない?錯乱して暴れた時に医局長に念を押されていただろう」
「自分では見れんから詳しくは分からんが、それほど頻繁にある訳じゃない。
 要らん心配をさせないために人前では眠らないようにしていたと言うのに、つい先程その努力が水泡に帰したと言う訳だ」

 言葉とともに投げつけられる視線を受け流しながら、クロノは“頻繁ではない”という言葉が嘘だと断定した。
 人間の睡眠は、眠りに就いた直後に一番深くなり、その後、浅く深くという振幅を繰り返しながらその平均が浅くなっていくものだ。つまり、恭也は一時的に浅くなったタイミングだったとしても後半日は眠り続けられるほどの深い眠りにありながら、魘されて目を覚ましたのだ。“見るか見ないか分からない”などと言うほど浅い傷ではないし、それが自覚出来ていないとも思えない。
 恐らくは隠しているのだろう。戦闘を生業とする家系に生まれ育ったためなのか、恭也は行動の根底に自分の情報を隠す面がある。何が出来て何が出来ないか、その範囲や補う方法、技能・思考・身体等、自身に関するあらゆる情報を隠している。何処の誰が敵もしくはそのスパイであるか分からないため日常においても見せる事はない。
 現代の日本では過剰に過ぎるそのスタイルを否定する事は出来ない。クロノとて情報の重要性は嫌というほど理解しているし、彼らにとっては死活問題なのだろう。
 だが、心の底から恭也の身を案じている少女達が居るのに、その思いを裏切るような真似をする事がクロノには許せなかった。

「いい加減にしろ!
 お前が自分の弱みを隠すのは勝手だが、無理を重ねて命に関わる事態に陥ったらどうする積もりだ!
 お前自身は満足かもしれないが、フェイト達がお前の事をどれほど心配しているか分からないのか!?」
「止めとくれ!」
「え、アルフ?」
「あんたが怒るのは分かるけど、キョーヤも一生懸命なんだ。
 キョーヤの考えてる事知らないままで責めるのはやめとくれよ…」

 クロノの弾劾の台詞を止めたアルフにフェイトが驚きを表した。普段のアルフであればこういった場合には、内容的にクロノの台詞を支持する側に回るからだ。

「アルフ」
「ごめん、キョーヤ。これ以上は無理だよ」
「態々言う必要は…、無理か。
 ここまで来たら、言わないのは隠していた理由に反するもんな」

 恭也とアルフが互いにしか分からない問答を進めているのを眺めている内に、クロノにも凡その事情が分かってきた。
 短期間とは言え恭也があの状態を隠せていたのは共犯者が居たからだ。そして、アルフが共犯者足りえたのは、その結果がフェイトのためになる内容だからだろう。それに反しようとしている今、アルフが隠し続ける理由は無くなったのだ。
 一方、ハラオウン邸でアルフが恭也との行動を優先する場面を何度か見ていたフェイトは、ちょっと寂しかったり羨ましかったりと自分の感情を持て余し気味だったので、その理由を察する事が出来て知らず安堵の溜息を零していた。

「ごめん、フェイト。
 あたしはキョーヤが夢に魘されるのを知ってたんだ。でも、誰にも言えなかった。
 きっと、誰か詳しい人に相談した方が良いって分かってたけど、キョーヤにどうしてもって言われて、これ以上酷くならない限り黙ってるって約束したんだ」

204小閑者:2017/09/19(火) 22:07:37
 恭也が錯乱して暴れた夜。
 意識を失った恭也をハラオウン邸のフェイトの部屋に寝かしつけると、早々にフェイトとアルフも眠りに就いた。
 シグナムとの戦闘での疲労が大きかったためフェイトの眠りは少々の物音では覚めないほど深かった。
 逆にアルフは動物ならではの生まれ持った才能により浅い眠りのままだった。それは戦闘による疲労からすると浅過ぎるものだったが、無防備に眠っているフェイトを守るためには当然の処置だろう。警戒対象は勿論、同じ部屋に居る人物、八神恭也だ。
 この時のアルフの価値観では、既に恭也は“仲間”に分類されてた。普段であれば警戒する事はないが、今はフェイトが睡眠中という無防備な状態であり、恭也が錯乱してから大した時間は経っていない以上、警戒は当然だ。
 そして、アルフの危惧が現実になったのは住人全てが寝静まり暫くした頃だった。それまで身動き一つしていなかった恭也が呻き声を発したのだ。
 アルフはすぐさま意識を覚醒させると、恭也の動向を窺った。疲労の濃いフェイトを出来るなら起こしたくはなかったし、恭也に対しても手荒な事はしたくなかった。
 だが、魘され方は徐々に酷くなっていく。このままではアースラの医務局での惨事が再来しかねない。アルフは思いつく中で最も穏便な手段を取る事にした。
 まず、フェイトに対して外向きの結界を、部屋全体に内向きの結界を張る。これで恭也が暴れだしてもフェイトの身は安全だし、壁をぶち抜く事も無いだろう。
 自分に向けられた魔法にしか恭也は反応しない、と言っていたなのはの言葉が正しかった事を実証したあと、アルフは恭也に向かって恐る恐る手を伸ばした。
 アルフが取った穏便な手とは、至極単純ながらも魘されている恭也を起こす、というものだ。ある意味当然の対応ではあるのだが、つい数時間前に何をされたのかも分からないうちに無力化された身としては恐ろしく勇気の必要な選択肢だろう。

「キョーヤ…、キョーヤ!」

 アルフが声を掛けながら肩を揺すっても恭也は目を覚まさなかった。いくら気絶して運ばれてきたとはいえ、八神家の者であればそれだけで動揺しかねない状態だ。
 アルフも、眉根を寄せる程度とはいえ苦悩の表情を見せる恭也にどう対処すれば良いか分からず、不安が大きくなっていく。普段の恭也が感情も苦痛も表情に表さない鉄面皮だけに、今の恭也の表情を直視するのは痛ましくてならない。
 それは普段の恭也の無表情が、本人が意図して作り出しているものだという証拠でも有るのだが、動揺しているアルフにはそこまで考えが至る事はなかった。

「キョー「父さんっ父さん!っあああああああああああ!」
「キョーヤ!しっかりして!キョーヤ!」

 アルフの呼びかけも空しく、恭也が絶叫とともに虚空に向かって何かを掴もうとするように手を伸ばしながら跳ね起きた。勿論、意識を取り戻した訳ではない。そのまま暴れだそうとする恭也の頭を正面から抱きしめると、アルフは必死になって呼びかけた。
 その姿は半年前の、プレシアを亡くして暫くの間の、今でもたまに見せるフェイトの姿と重なるものだ。違いがあるとすれば、フェイトがそのまま消えてしまいそうな弱々しい姿であるのに対し、恭也は突き付けられた過去に全力で抗おうとしている事だろう。しかし、両者とも、僅かでも加わる力が増せば呆気なく折れて砕けてしまいそうな儚く脆い印象を受ける点は共通していた。
 だが、静かに泣き濡れるフェイトとは違い、全力で暴れようとする恭也は、押さえつけているアルフを傷付けた。“攻撃”ではないため致命的な傷を負う心配こそないものの、素の身体能力が既に人類のトップレベルからはみ出しかけている恭也に対して無抵抗に体を晒し続けるのは容易な事ではない。
 錯乱状態の恭也に敵意や魔法を含めた攻撃行動を取ってはいけない。その結果は数時間前にアースラの医務局で実証されている。尤も、アルフの行動は経験を活かした的確なものに見えるが、本人にはそんな考えがあった訳ではない。傷付き苦しんでいる恭也に対して強硬手段に出るという考え自体が浮かばなかったのだ。
 アースラでは、フェイトを守るという使命感から鎮圧に向かった。だが、涙を流す事無く獣の如く咆哮を上げながら暴れる恭也の姿に、群から逸れて彷徨う獣を想起させられた途端、攻撃する気力を根こそぎ奪われ、抵抗も出来ずに鎮圧された。
 意志力を漲らせ、何者にも侵される事の無い力強い普段の姿からは想像も出来なかった恭也の一面は、誕生から僅かな歳月しか経ないアルフの幼い母性を刺激するには十分だったのだろう。それは、たった今こうして恭也に傷付けられても尚、衰える事の無い庇護欲として表れていた。

205小閑者:2017/09/19(火) 22:10:33
「キョーヤ、しっかりしとくれよ!キョーヤ!」
「ッ!」

 アルフが必死に呼び掛け続けると、唐突に恭也が反応を示した。
 それまで、アルフの存在を無視するように前方に突き出していた左腕と、前進を阻むアルフを引き剥がそうと加減もせずにアルフの背中や肩に爪を突きたてていた右腕が動きを止めたのだ。

「…アルフ、か?」
「ああ、そうだよ。大丈夫かい?」

 アルフの豊かな胸に埋もれているため不明瞭な恭也の確認の言葉に、優しく頭を撫でる。その体勢は結果的に背中や肩の傷を恭也から隠すのに都合が良かったのだが、勿論アルフにはそんな計算高い考えなど欠片ほども持ち合わせては居なかった。
 アルフがそのまま姿勢を変える事無く時の流れに身を委ねていると、恭也がゆっくりと両腕を背中に回し、強く抱きしめてきた。
 更に胸に埋もれさせようとするが如く顔を押し付けてくる恭也の姿は、だが、内容に反して邪な下心を感じさせる要素は一欠けらも無かった。
 体の震えを止めようとするように縋り付いてくる恭也を、アルフはより深く抱きしめるように迎え入れた。





「ちょっと待て!」
「ど、どうしたんだい恭也?どっか間違ってた?」

 アルフの語る話の内容に恭也が堪り兼ねたように待ったを掛けたが、止められたアルフの方は心底から不思議そうに視線を返す。
 恭也が止めるのも無理も無い、と聞いていたクロノすら同情してしまう。

「ま…間違ってはいないが、そこまで細かく話す必要はないんじゃないのか?」
「え?でも、説明するには必要じゃないかい?」

 アルフの表情には一片の曇りも無い。当然だ。彼女は別に恭也をからかう積もりも辱める積もりも無いし、そもそも何故恭也が説明を中断させたのかも理解できていないのだから。

「あー、恭也。
 流石にその辺りの事をからかう積もりも言い触らす積もりも無いから、あまり気にしなくてもいいぞ?」
「う、五月蝿い!
 そんな思春期の息子の生態を見た母親の言い訳みたいな台詞で納められる訳が無いだろうが!
 アルフ、お前の記憶力が迷惑極まりないほど優れている事は良く分かったから、説明するならせめて要約してくれ」
「え、よっ要約?短い言葉で言い表すって事、だよね?」
「そうだ」
「う、うん。ちょっと待っとくれよ?」

 そう言ってアルフが考え込み始めたので、なのはとフェイトは恭也を見つめる。
 恭也は先程、跳ね起きたとは言っても直に正気を取り戻した。アルフが語った内容よりも症状が軽かった事は分かったが、それが快方に向かっているのか、日によって違うだけなのかまでは分からない。
 記憶が回復してからまだ一週間と経っていないのだ。フェイトの経験上、とても持ち直せるだけの猶予とは思えない。
 アルフの話すままに想像した彼女と恭也の抱きしめ合うシーンは妙にリアルに思い描けてしまい胸がモヤモヤしたし、歳相応の慌て方をする眼前の恭也の姿は微笑ましくすらある。
 だが、強烈に脳裏に焼き付いた悪夢に魘されていた恭也の姿が直にそれらを掻き消してしまう。普段、感情を押し隠してしまう恭也だからこそ、冗談を言っている最中すら家族の死に苛まされているのではないかと心配してしまう。
 だが、そんな2人の暗い思考はアルフの台詞が一瞬にして吹き飛ばしてくれた。

「え、えーとね、確か、フェイトとなのはの事を愛しているから、隠れている訳にはいかないって、…言ってたと思う」

 …?---ッボシュー!!

「わ!?なのはちゃん!フェイトちゃん!」
「お、おい2人とも大丈夫か!?」

 掛け値無しに恭也を案じていた2人だったが、アルフの台詞の意味を理解した直後、全身が瞬時に紅に染まった。エイミィには顔から湯気が昇ったようにすら見えたほどだ。

206小閑者:2017/09/19(火) 22:14:28
「お、おい、いきなりどうしたんだ高町」
「ふにゃ!?」
「悪化した!?
 …だ、大丈夫かテスタロッサ」
「…ぁぅ、--ぅぁ」
「更に赤く!?」

 先程の羞恥心を引きずっているのか、困惑の表情を隠せないままに恭也が声を掛けるが、当然今の2人には逆効果でしかない。
 人体の限界に挑戦しているかと思うほど赤かった2人の顔は、まだまだ序の口と言わんばかりに赤みを増した気がする。

「おい、恭也!
 事の元凶が声を掛けるな!どう考えても悪化するだけだろう!」
「人聞きの悪い事を言うな!俺は何もしていない!
 2人ともアルフの台詞に反応して、…ちょっと待てぇ!!
 アルフ。
 まさかとは思うが、さっきの台詞は、あの時の会話を要約した内容だ、なんて、言わないよな…?」
「そ、その積もりだったんだけど、どっか違ってた?」

 恭也が恐る恐る確認を取ると、アルフが自信なさ気に肯定した。
 クロノも、まんま愛の告白を人を経由して伝えられた割には当人の筈の恭也が平然とした態度だった事を不審に思っていたのだが、これなら納得も出来る。恭也本人が自分の話だと思っていなかった訳だ。

「原形留めてねぇよ!
 直前までアレだけ克明に覚えてたくせに何で突然杜撰になるんだ!?」
「えぇ?いやぁ、同じ位覚えてる積もりなんだけどぉ…」
「何処がだ!?あんな台詞、一言も言ってないぞ!」
「で、でも、要約ってのは短い言葉に言い直しても良いんだよね…?」
「あ。
 ねぇ、恭也君。ひょっとしたらアルフの中ではその時の会話がさっきの内容として理解されちゃってるんじゃないかなぁ」
「なっ!?」

 事の成り行きを黙って眺めていたエイミィが、第三者の視点特有の冷静さで指摘すると恭也が大口を開けて絶句した。わぁ、こんな顔も出来たんだぁ。
 エイミィは、恭也は向かうところ敵無し、といった印象を持っていたのだが、やはり天敵は存在するようだ。天然、恐るべし。既に、数分前のシリアスさもアルフの語った悲壮感たっぷりの情景も、砕け散って粉塵と化している。
 惜しむらくは、真似することが出来ない事と、アルフ本人にもコントロールが利かない事だろうか。何時こちらに飛び火してくるか分かったものじゃない。

 力を使い果たしたと言わんばかりに脱力しきった恭也は、ベッドの上で立てた膝に額を押し付けたまま弱々しく呟いた。

「もう、それで良いや…。
 そう言う訳で隠してたんだ…」
「うわ、物凄い勢いで妥協しちゃった」
「あー、まぁ気持ちは分からんでもないが、内容が中途半端過ぎて理由になってないぞ。
 アルフ、悪いが省略せずにあの晩の事を全部話してくれ」
「まぁ、良いけどさ」

 どこか不服そうにしながらもアルフが承服した。頑張って要約したのに認めて貰えなかったのが納得出来ないのだ。
 当然、別の意味で納得出来ない者も居た。

「なっ、蒸し返す必要は無いだろう!
 2人の事をあ、あっあ…守るために戦場に出たかったんだよ!」
「『愛してる』って言えたら、認めてやらんこともないぞ?」
「テメッ、この…!」
「あーもう、クロノ君も悪乗りしないの!
 恭也君には悪いけど、理由はちゃんと知っておきたいんだよね。隠し事してた罰だとでも思って諦めて」
「…なら、せめて別室でやって下さい」
「さっき打たれた額が妙な痛み方をするんだ。万が一の事があっては拙いから、痛みが引くまでは念のために医務局から離れる訳にはいかないなぁ」
「…お前だけは後で絶対泣かす…」
「もう、クロノ君、後でどうなっても知らないからね…。
 でも、内容が間違ってないか確認して貰いたいから、やっぱり一緒に聞いて欲しいんだけど?」
「…好きにして下さい。
 テスタロッサ、高町、そろそろ再起動しろ。見てるこっちが恥ずかしい。
 それから、さっきの内容は事実無根だから、きれいさっぱり記憶から消せ」
「は、は、ハイ」
「ワカリましタ」
「メチャメチャ引き摺りそうだな…」

 恭也とて、2人がそこまで感情をコントロール出来るとは思っていないようで、片言になっている2人をやるせなさそうに眺めるに留めていた。

207小閑者:2017/09/19(火) 22:19:50
「もう、大丈夫なのかい?」
「…ああ、手間を取らせて済まない」
「何言ってんだい!
 大切な人を亡くしたんなら悲しむのは当然だよ。
 それより、悲しい時にはちゃんと泣かなくちゃダメなんだよ?」

 アルフの言葉通り、対面している恭也は雰囲気こそ哀愁を帯びているが、目は充血していないし顔を押し付けていた彼女の胸元も濡れていなかった。先程の震えは泣いているものだとばかり思っていたが、悲しみに耐えていたのか。
 感情は押し殺せば死んでしまう。死んだ感情は消える事無く心の奥に沈殿し、変質しながら堆積していく。積み重なれば心が歪むし、耐え切れなければ壊れてしまう。恐怖、憎悪、悲哀といった所謂負の感情ほどその傾向は強い。
 泣いたり人に話す事で感情を発散する事は大切な事なのだ。
 アルフの主張は誰かの受け売りなのか本能的な物なのかは兎も角、確かに正しかったし、何より本気で恭也を心配してのものだ。それはきっと、アルフの顔を見ていれば誰であろうと疑う事はなかっただろう。

「…ああ。ありがとう。
 だけど、泣くのは無理みたいだ。受け入れられないのか、感情が強過ぎるのか…、何にしても涙が流れない。
 案外、肉親が死んでも悲しまない様な薄情者なのかもな」
「…ばか。薄情な奴がそんなに苦しんだりするもんか。
 冗談でも二度と言うんじゃないよ」
「…わかった。
 アルフ、迷惑ついでにもう一つ頼みたい事がある」
「ん?言ってみなよ」
「この事件が解決するまで俺が魘されていた事を誰にも言わないで貰いたいんだ。出来れば今後、俺が眠っている時に人が来たら起こして欲しい」
「な…、何言ってんだい!?クロノから医者に相談するように言われてたじゃないか!クロノの奴、あたしやフェイトにまで念押ししてったんだよ!?」

 錯乱するほど精神にショックを受けた者にカウンセリングを受けさせるのは当然の対処ではある。魘されるようなら、と言うのは消極的ですらあるが、恭也の性格上過干渉を嫌う事は容易に想像が付いたのだろう。カウンセラーの腕次第ではあるだろうが、カウンセリングを受ける事がストレスになっては無意味ではある。
 尤も、クロノがアルフやフェイトに注意を促したのは、本人に自覚が無い場合を危惧してのものであって、自覚して尚、隠し通そうとするような無謀な行為を考慮していた訳ではない。

「分かってる。だが、そこを敢えて頼む」
「…あたしが納得出来るような理由があるのかい?
 あんたにとってはどうか知らないけど、フェイトはあんたの事をもう友達だと思ってる。だから、あんたが無理をして怪我したらフェイトが悲しむんだよ?」

 主を最優先とする使い魔にとって、それは許容できない事だ。
 恭也に使い魔の在り方が分かっているとは思えないが、それが気軽に引き受けられない内容である事は自覚しているだろう。
 アルフの築いた結界の中で穏やかに眠るフェイトの顔を少しの間見つめた後、恭也はベッドから降りてフローリングの床に正座するとアルフに向き直った。

「テスタロッサには、絶望に沈んでいたところを身を挺して救い上げて貰った。
 高町にもこちらに飛ばされて不安に潰されそうになっている時に支えて貰った。
 あいつらが何処まで自覚しているかは分からないが、俺にとっては返しきれないほどの恩義なんだ。
 魘されている事が知られて病室に押し込まれれば、この事件に関わる事が出来なくなる。それだけは受け入れられない。そんな事になるくらいなら単独で事件を追うためにここを出て行く。
 だが、ここを抜け出してこれ以上2人に心配を掛ける事は同じ位避けたいんだ。誰かに見つかるまでで良い、見逃してくれ。
 頼む」

 そう言って、床に両手を着いて深々と頭を下げた恭也を見て、アルフは呆気に取られた。その姿勢を“土下座”と呼ぶ事までは知らなかったが、床に額を擦り付けるその姿が気安く出来るものではないことくらいは分かる。

208小閑者:2017/09/19(火) 22:24:10
「ちょっ、どうして、そこまで…」
「おまえに、テスタロッサに秘密を作らせるのに見合う対価を持ち合わせていない。
 こんな事で足りると思っている訳ではないが、他にどうすれば良いのか思いつかない」
「あんたが寝込んでもおかしくないほどのショックを受けてる事はみんなが知ってるんだ。
 無理に事件に関わらなくても誰も責めたりしないよ」
「俺は何としてでもこの事件に参加する。絶対にだ。
 何が出来るかなど分からないし、他の誰から責められても認められても関係ない。
 家族の死や体調を理由に事件を傍観するような事があれば、俺はこの先一生自分を許さない」
「…分かったよ、頭を上げとくれ。
 大したフォローは出来ないと思うけど、あたしからは誰にも言わない。
 でも、具合が酷くなるようならクロノに言うからね?」
「十分だ。感謝する」
「…無理し過ぎちゃ、ダメだよ?」

 恐らくは聞き入れてくれない事を感覚的に悟りながらも口にせずにはいられなかった。





 アルフが語り終えると医務室は静寂に包まれた。
 先程のバカ騒ぎの所為でシリアスな雰囲気など戻って来ないのではないかというエイミィの予想は裏切られた。

 なのはとフェイトは複雑そうだ。
 恭也は行動する際、一切の余分を排する。目的を達成するために取り得る最適な方法を選択する。極端な表現をするなら、誰かを守るために必要であれば他の一切を見捨てる事が出来る。
 なのは達にそこまで理解出来ていた訳ではないが、そんな恭也が無理をしてまで症状を押し隠そうとしたのは、2人の前から立ち去らずに済ませるためだ。
 あの時点であれば、精神的な負担を理由に事件が解決するまで海鳴へ戻ると言えば、何の問題も無く実行出来たはずだ。
 恭也にとって行動方針と秤に掛けるほどの存在になれた事を嬉しく思う反面、自分達のために無理をさせている事に心が痛んだ。

 あの時の恭也はまだデバイスを持つどころか、二刀の流派でありながら一刀しか装備していない状態だった。序盤だけとはいえクロノを翻弄して見せた技能は驚異的だが、本人の口から出た魔法の優位性を認める言葉が嘘だとは思えない。そのまま戦場に立つ事が無茶を通り越して無謀でしかない事くらい、この事件の最前線に立った事の無い彼にも予想出来ていただろう。
 恭也の態度から湧き上がる疑念は二度にわたり否定されているし、口にこそしないもののクロノ自身も外れていて欲しいと願っていたものだ。だが、事件が解決していない現在、疑わしい者はその疑いを晴らす必要がある。

「恭也。何故そこまでして戦いに参加したいんだ?」

 クロノのその問いを予想していたのか、恭也が驚く事無く、それでも仕方無さそうに小さく溜息を吐いてから口を開いた。

「黙秘。
 と、言いたいんだが、そういう訳にはいかないんだろうな」

 自分が未だに疑われている事は承知している。言外にそう言われたことに居心地を悪くしながらもクロノは黙って先を促した。

「昔、力が及ばず仲の良かった子を守り通す事が出来なかった事があった」

 澱みなく語られた内容に全員が驚きを表情に表すが、辛うじて声を上げる事は踏み止まった。10歳現在の恭也の実力なら大抵の難事は潜り抜けられるはずなのだが。
 恭也は周囲の様子に反応を示す事無く言葉を続ける。

「その頃は剣術を習い始めたばかりで、相手が体を鍛えた一般人程度でも正面から一対一で戦えば勝率は5分にも満たなかった。
 だから、その子を狙って刃物を振り翳す男を無力化するには、子供の力でも効果があって、敵に反撃の余地を与えない方法を取る以外にはなかった。
 結果、その子は、片目を潰され半狂乱になって暴れる男が頚動脈から血を噴出す姿を見たところで心を壊した。
 議員をしていたその子の父親の政策を妨害するためのテロ行為だった事と、その子が自室の隅から出て来なくなった事を、俺は病院のベッドの上で聞かされた」

 恭也は言葉を失くす一堂を一度だけ見回した後、言葉を足した。

209小閑者:2017/09/19(火) 22:27:33
「あの時の俺にはあれ以外に選択の余地はなかった。それすらサイコロを10回振って同じ目を出し続けたようなものだった。でも、それだけの博打に勝ってもあの子の心は壊されてしまった。そもそもの力が小さ過ぎたんだ。
 あの子の父親はテロリストに屈して政策を曲げる事は出来なかったし、子供を狙うほどの強硬手段に出るとは誰も予想していなかった。
 誰が悪かったかと言えば、馬鹿な企みを実行したテロリストだけど、根本から価値観の違うそいつらを未然に改心させるなんて出来る訳がない。
 だから、俺は俺に出来る事をする事にした。何時、誰が、どんな非常識な手段で向かって来ようと、守りたい人を守る手段を身に付ける事にしたんだ」

 その出来事が今の恭也を決定付けた事は想像に難くない。
 何歳の時の出来事かは分からないが、確実に今より幼い時だ。その結末について周囲に居た誰も恭也を責めたりはしなかっただろうが、他の誰でもない彼自身が自分を酷く責め立てたのだろう。そして、自分に“強くなる事”を課したのだ。
 正義の味方に憧れてテレビのヒーローを真似る子供の様な無邪気さは何処にも無く、奇麗事など挟む余地のない実戦で敵を殺す技術を磨くという選択はあまりにも血生臭い。ましてや、子供としての時間を全て捧げているとなれば、ある意味精神を病んでいたと言っていいだろう。
 果たして、それは次に表れる守るべき誰かのためなのか、あるいは、刑罰としての肉体の酷使なのか。
 その気持ちをクロノは理解できた。
 クロノにもあったのだ。
 他の一切に手が付かず、ただ只管に力を追い求める衝動に駆られてしまう経験が。非力な、無力な自分が許せず、憎しみすら抱いていしまう経験が。

「目指す頂は遥かに高いけど、実力を言い訳にして今何もせずに後悔するなんてのは死んでもする気はない。
 だから、前線とは言わないまでも何かしらに携わりたかった。
 それすら叶わないなら、ここから抜け出してはやての傍に居ようと思っていた。何か起こった時に体を盾にして守るくらいは出来ると信じたいんだ」

 静かに語られたその内容が本気だという事は、疑う余地もなかった。
 言葉通り恭也が身代わりになってその“はやて”さんが生き残ったとしても、恭也を犠牲にした事をその人が酷く悲しむ事は容易に想像が付く。恭也がそこまで決意するなら、その人は絶対に優しい人だ。
 そんな助かり方をしても、その人は絶対に喜ばない。それでも死んでしまえば悲しむ事も出来ない。
 どうする事が正しいのかは誰にも分からなかったが、恭也の意思を変えられない事だけは全員がハッキリと理解出来た。
 



            * * * * * * * * * *

210小閑者:2017/09/19(火) 22:30:53
            * * * * * * * * * *



「あちゃー、また失敗してもうた。
 恭也さんに愛想付かされてまうのも当然やな」

 それははやてが先日から事ある毎に口にする台詞だった。
 調理の味付けが僅かに濃過ぎた時。
 勉強道具を片付け忘れて部屋を出ようとした時。
 乾いた洗濯物を畳んでいて、シャマルとシグナムの下着を取り違えそうになった時。
 些細な、と言っても過言ではないほどのちょっとしたミスに気付いた時に声に出して繰り返した。自分以外には聞かれない状況で、聞こえない声量で、自分自身に言い聞かせるように呟いた。



 はやては家族の雰囲気が変化した事に気付いていた。
 それが何時からなのかははっきりしない。恭也が居なくなって暫くは寂しさに浸って周囲が見えていなかったからだ。
 不思議には思ったがが、落ち込んでいる自分に気を遣ってくれているのかもしれない。そう考え、吹っ切れた事を主張するために何気なさを装って口にした「恭也」という名前に全員が過剰に反応した事で、直感的に理解した。
 全員、直に平静を装ったのではやても気付かなかった振りをしたが、見間違いと言う事は絶対に無い。恭也がこの家を出た日以降にみんなは彼と会っているのだ。
 恭也に会える。その事に嬉しさが込み上げて来るが、同時に内緒にされている事にちょっとだけ腹を立てる。ならば、とこっそりと恭也の携帯に電話を掛けた。
 気付いていないと思っているみんなを恭也と口裏を合わせて驚かせようという、他愛の無い悪戯の積もりだったが、「電源が入っていないため…」という音声ガイダンスを聞いて湧き上がった喜びが一瞬にして熱を失った。


 何の根拠もないその確信は、憤りを経て疑問に変わった。

 どうして、みんなは自分にだけ秘密にしているのか?
 どうして、恭也は元の世界に帰れなかったのに、直にこの家に戻って来てくれないのか?

 …秘密にしなければならない理由があるのか?
 戻る事が出来ない理由があるのか?

 恭也が何らかの理由で身動きが取れないとしたら?
 自分が知れば心配したり、悲しんだりするような理由だとしたら?
 身動きが取れないほどの怪我を負っていたり、最悪、

「無い!そんな事ありえへん!」

 数日前の記憶が頭に浮かんだ事をきっかけに、自動的に推論を推し進めようとした思考を大声で遮断して蓋をする。誰かに聞かれないように配慮する余裕は無い。
 震える体と心を落ち着かせるために、何度も大きく深呼吸を繰り返し、それでも声の震えが治まるまで待ちきれずに口を開いた。

「…まったく、ほんまに私も図々しいな。
 恭也さんに嫌われたんがまだ認められんか。
 有り得へんような他の理由を考える暇があったら自分の悪いところを直せっちゅうの。
 この調子じゃ、一生友達出来へんで」

 身の凍る様な恐怖から目を逸らす為に、自分の言葉で心を傷つける。
 他の3人が外出している時にはやての傍に居るシャマルには、部屋に篭る事の多くなったはやてを心配しながらも、最近急激に精神を疲弊させる原因を察する事が出来ずにいた。接する時間の短い他の3人も、日に日に笑顔を見せる事の少なくなるはやてを心配し、そのためにはやてと接する時間が短くなるというジレンマに苦しんだ。


 はやてが倒れ、病院へ運び込まれたのは翌日の事だった。


続く

211小閑者:2017/10/09(月) 11:13:53
第20話 勧告




 恭也が眠ると魘される事実が発覚した日から、彼が一人で過ごす時間は極端に短くなった。
 本人が人恋しさに自ら誰かに会いに行くようになった、などという事はこの期に及んでも無かったため、クロノが手を回したのだ。但し、恭也と面識のある者に限定したため、メインとなるのは学校も仕事も無いアルフだった。特別な趣味も無く、事件解決後には元の世界に帰るため海鳴で顔見知りを増やしたくないとの本人の希望から選択の余地が無かったのだが、それまでと大差無かったとも言える。
 違う点と言えば、予備知識を得たために今まで気付けなかった恭也の感情の揺らぎに気付けるようになったことだろう。泣き言を言う事も、表情を崩す事も無いが、ふとした瞬間に不自然に間が空く事があるのだ。食事中、雑談中、テレビを眺めている時。
 魘されている事を知ったために全てをそこに結び付けてしまっているだけかもしれないが、気のせいだと片付ける訳にもいかない。勿論、本人に問い質せる訳はないので何が出来る訳でもなく、結局は見守るだけだったが。
 なのはとフェイトも放課後には出来るだけ寄り道をせず、恭也とともに過ごしている。事件解決には必須の戦力である筈の2人が毎日のように恭也の傍に居られるのは、勿論サボっているからではない。ここに来て闇の書陣営の行動パターンに変化が現れたのだ。



 元々アースラが海鳴に活動拠点を設置したのは、フェイトになのはとの日常生活を楽しませてやる為だけではない。被害の発生した世界を纏めた結果、その範囲がこの世界近傍を中心にしている事がわかったからだ。
 しかし、この数日は、蒐集活動自体に変わりは無いが、ヴォルケンリッターの活動範囲が急速に広がり補足仕切れなくなっていた。発見できる多くがその痕跡のみで、上手く原住生物と戦っている場面を補足出来た時も距離が遠過ぎて転移を繰り返して到着した頃には姿を消されていた。
 真っ先に考えたのは管理局との衝突が増えたため活動拠点を変えた可能性だ。だが、行動範囲を追う限り、転戦を繰り返しているようにしか見えない。あるいは、そう見せかけるために蒐集行為の後に拠点に戻り、休息後、前回の次元世界に移動してから次の蒐集対象を探している可能性もある。
 それら一通りの説明を終えたクロノは、データの表示されているモニターを見ながら周囲の者と色々な可能性を検討しているスタッフ一同の中で、手持ち無沙汰そうにしている恭也(資料が読めない)と視線が合った。
 現状確認の意味も兼ねてブリーフィングに参加させただけだったのだが、ふと興味を引かれたクロノが問い掛けた。

「恭也はどう思う?」
「毎日拠点に戻るという方法は有り得ない、とまでは言わないが可能性は低いように思う。
 転送はそれなりに手間と労力が掛かるんだろう?繰り返せばかなりの疲労になると言うなら戦闘前に疲労し、戦闘後にも余力を残す必要がある。当然、効率が悪くなる。
 俺個人の意見としては転戦を繰り返している方を推す」

 尋ねておきながら、解答があることを期待していなかったクロノが面食らっていると恭也の両隣に座っていたフェイトとなのはが会話に参加した。

「でも、シグナム達が行く世界は人が住むのに適さない環境が多いって聞いたよ?体を休められないならやっぱり効率は悪くなる。
 他の人に転送して貰えば出来るんじゃないかな。この前、私が恭也と一緒に転移したやり方ならサポートに徹する人が居れば…」
「どの程度の装備を持っているかにも依るが、慣れた者なら体を休める事くらいは出来ると思うが。
 仮に敵陣営の4人のうち活動を確認出来ない1人が転送役だとすれば、他の3人を転送させている事になる。一度の転送で届かない距離なら一緒に移動するしかない。時間や労力の面でそれは吊り合うのか?」
「一日で1人当たり数回の転送を往復×3人分。更に術者本人の復路が加わって2倍。賢いやり方とは言えないな」
「じゃあ、フェイトちゃんの言ったやり方と個人転移を組み合わせてるかもしれないよ?」
「そちらも否定はしないが、やはり可能性は低いと思う」
「う〜ん、フェイトちゃんやなのはちゃんの案も私達を撹乱する分には十分な内容だと思うんだけど…。
 恭也君が強行案を推すのは何か理由があるの?」

 実際にはどちらであったとしても、アースラ陣営には待ち伏せという方法が取れる訳ではないので後手に回る事に変わりは無い。仮に毎日拠点に戻っているとすれば、撹乱のためにそこまで労力を費やすほど慎重な者が拠点を一箇所に留め続けるとは考え難い。
 エイミィが敢えて話を詰めているのは何かしら現状を打開出来るヒントが得られないかというのが一つ、メンバーに停滞しているという印象を与えないようにするという少々後ろ向きな理由が一つ。

212小閑者:2017/10/09(月) 11:15:17
「安全を考えるなら一時的にでも活動を停止させるのが一番です。それをしないと言う事はする必要がないか、出来ない理由があるということです。
 前者の場合、管理局の戦力を歯牙にもかけない圧倒的な戦力を保有している事が条件になりますが、それなら撹乱するような手間を掛けるのは辻褄が合わない。
 そうなると後者の可能性が高くなりますが、その場合時間的な制約を受けている可能性が高い」
「制約?」
「安直かもしれないが、スクライアの中間報告にあった闇の書からの主への侵食が発生している可能性だ」

 恭也の台詞にリンディとクロノが視線だけで意見を交わす。
 これまでの恭也の発言には、ここまで踏み込んだ意見はなかった。それはクロノ達が恭也の存在に疑惑を抱いていた事を承知していたとも、推論を積み上げるには恭也の持つ情報が不足していたとも取れる。
 何れにせよ、理論立てた内容であればこちらのミスリードを誘うためのものでも、判断材料として聞いておいて損は無いだろう。

「随分突飛な案だが、根拠はあるのか?」
「単なる消去法だ。
 以前、アルフが『蒐集活動が書の主の関知しないことだ』と聞いている。その言葉を真に受けるなら守護騎士は主に内密で自発的に活動している事になる。
 主と守護騎士が日常生活においてどのような関係にあるかは知らないが、守護騎士が自発的に活動するほどの忠誠心を発揮するなら何日間も顔を合わせなくても済むような関係にあるとは思えない」
「それならフェイトさんの意見の方が合ってる事になるんじゃ…」
「活動範囲の広がり方からすると休息時間は必要最低限でしょう。俺が医務室に縛り付けられている事から考えても、回復役が居たとしても回復魔法は負傷や疲労を瞬時になかったことに出来るほど便利なものではない筈です。
 主の下に帰還しても疲弊している姿を見られては、自分達の行動を隠すことが難しくなる」
「確かにそうね。でも、それは姿を見せなくなっても結果は変わらないんじゃないかしら?」
「守護騎士の活動自体は半年前から続いています。行動理念が忠誠心であれ、仲間意識や愛情であれ、それらを育むだけの期間が活動を開始するより前にあった筈です。なら、頻繁に不在にする理由くらいは用意しているでしょう」

 リンディからの疑問にも澱みなく答えを返す恭也に驚きながら、エイミィも当然浮かぶべき疑問を口にする。

「なるほど。でもどんな理由だったとしても一週間以上となれば流石に不審に思うんじゃないかなぁ」
「言い訳の内容までは分かりませんが、就職しているなら出張、友人と海外旅行、学校の行事、その場凌ぎで誤魔化すだけなら何でも構わないでしょう」
「それではエイミィの疑問に答えた事にならないぞ。
 自分でもその場凌ぎに過ぎないと言っているじゃないか」
「被害状況からして間も無く蒐集が終了すると言ったのはお前だろう。
 闇の書が完成した時に具体的にどんな現象が発生するのか知らないが、流石に書の主が無自覚なままという事はないんじゃないのか?
 ならば、守護騎士が独自に蒐集を行っていた事も露見する。つまり、隠し続ける意味がなくなる」
「…なるほど、な。
 じゃあ、主への侵食に繋げた理由は?」

 筋は通っているがここまでは強行案の補足説明でしかない。詰まらなそうにお茶を啜る恭也を見ながら続きを促したクロノは、説明を続ける恭也の姿にふと違和感を感じた。
 意気揚々と自説を披露する姿を想像していた訳ではないが、クロノの目から見ても違和感を感じるという事は余程気分が落ち込んでいるのではないだろうか?
 視線を動かさないように視界の端に映る会話に参加しなくなったフェイトとなのはを確認する限り、クロノの気のせいではないようだ。

「当初、活動を隠そうとしていたのは管理局やその他の勢力からの妨害を避けるためもあるだろうが、書の完成後も主の存在を隠そうと考えていたんじゃないかと思う」
「僕達管理局の目を誤魔化しきれると思っていると?」
「現に、今現在所在を見失っているぞ。
 このまま、蒐集活動自体が終了して今後魔法を使用しなければ、守護騎士は兎も角、姿を確認していない主は特定出来ないんじゃないのか?」
「む…」
「守護騎士に蒐集を命じなかったという事は、主には書の力そのものに興味が無い可能性が高い。書が完成してもその考え方が変わらなければ、主である事を隠匿して生活出来る可能性が出てくる」

 痛いところを突かれて言葉に詰まるクロノに追い討ちを掛ける事も無く言葉を続ける恭也になのはの表情が更に曇る。彼女が恭也の人物像をどう捕らえているかが如実に表れているが、この場には気付いている者は居らず、恭也も言葉を続けた。

213小閑者:2017/10/09(月) 11:18:10
「守護騎士もそう考えたんだろう。そのためには犯罪者として手配されていない方が良いのは当然だ。
 ここまでの仮定が正しかったとすれば、守護騎士が犯罪者と認定されて尚、活動を続けるのは矛盾する。捕まれば意味がなくなるからな。
 魔力資質の高い高町やテスタロッサのコアに着目したのは分からんでもないが、これ以上はリスクの方が圧倒的に高くなる。矛盾させないためには、この矛盾を解消できるピースを空白のままのスペースに嵌めれば良い」
「…主に命じられていもいないのに守護騎士が行動を起こした理由、か」
「他に適当な理由があるのかも知れないが、俺の手持ちの情報を組み合わせて完成する全体像はこんなところだ」

 そう締め括る恭也にブリーフィングルームに居るスタッフの驚きを含んだ視線が集まる。
 確かに恭也の持つ情報の中では矛盾してるところは無い。実際にアースラの首脳陣も同じ結論に至っていたが、個人レベルでここまで理論を組み立てるとは思っていなかった。戦闘に特化している印象があっただけにその思いは一入だ。

「お前がそこまで理論立てて考えられるとは思ってなかったな。
 頭脳労働にも向いてるんじゃないのか?」
「…フッフフッ。
 この数日間ベッドに縛り付けられていたせいで、どれだけ腕が落ちてるか不安になってる俺に、これ以上、体を動かすなと言いたいのかお前はー!!」
「ええ!?恭也君、それで落ち込んでたの!?」
「他に何がある!」
「…そんなこったろうとは思ってたよ」

 クロノのぞんざいな台詞にエイミィとリンディが苦笑を漏らした。
 だが、書の完成後、隠匿生活を送ると予測してもクロノ達には看過することはできない。
 典型的な管理局員とは違い、リンディの部下には犯罪者の断罪に執着する者は居ない。
 犯罪者が犯した罪に相応する刑罰を受けるべきだという考えは、被害者側の観点からも持ち合わせているが、何より優先すべきは被害拡大の防止であり、新たな犯行の抑制である。被害が広まらないと言う事が確約され、犯罪者が改心すればそれ以上追求する積もりはないし、その余力も無い。
 現実としてフェイトという実例があるとは言え、それが圧倒的少数であり、再犯の確約など得られないからこそ犯人を追っているだけだ。
 これは前回の闇の書事件でクラウド・ハラオウンを失っているリンディとクロノも同意見だった。クラウドを失った悲しみが無くなった訳ではないが、それは2人にとって管理局員である上での、信念と覚悟だった。
 だが、闇の書に関してはその考え方を適用する事が出来ない。闇の書の完成が力の暴走と直結するからだ。
 それは管理局の過去の記録と各次元世界での闇の書事件の記録に、ユーノが無限書庫で得た情報で補足された確定事項と言っても良い結末だとクロノ達は考えている。
 だが、幾ら躍起になったところで敵と接触できない現状が覆る訳ではない。
 リンカーコアさえあれば知性を持たないような獣すら手当たり次第に蒐集するヴォルケンリッターの、言葉通り形振り構わない鬼気迫るその姿勢からは次の標的を予測する事が出来ないでいた。
 網を張るには世界は広く、人手は少ない。下手に網を広げるために少数になればリンカーコアを提供するだけだ。
 アースラ陣営には地道に捜査を続ける以外に出来る事がなかった。



 その翌日、ハラオウン邸のリビングでモニタと向かい合うクロノ、キッチンで夕食の準備を進めるエイミィ、ダイニングで椅子に座り新聞を眺める恭也は、それぞれの体勢のまま学校から帰ってきたフェイト達を迎えた。
 放課後に真っ直ぐ帰宅したなら有り得ない時間に帰宅したフェイトが表情に陰りを帯びている事にはリビングに居た全員が直に気付いた。だが、原因に見当が付かず気遣わしげにフェイトを見つめるクロノ達を他所に、一緒に来たなのはが恭也に向かって遅くなった理由を静かに告げた。
 入院した八神はやてちゃんのお見舞いに行ってきたよ、と。
 クロノとエイミィがその言葉の意味を汲み取る前に、恭也が激的と表現しても良いほどの反応を示した。
 座っていた椅子を蹴り倒し、しかし、気づいた様子も無くそのままなのはに詰め寄って彼女の腕を掴み、辛うじて自制心を発揮して声を荒げない様にゆっくりと口を開くと、結局言葉に纏める事が出来ず再び口を閉じて歯軋りするようにかみ締めた。

 錯乱して暴れだした事はあったし、夢に魘されて絶叫しながら跳ね起きる姿も見た。しかし、その直後であろうと正気を取り戻した瞬間から強靭な精神力で自制して見せた恭也が、なのはの言葉に自意識を保ったまま動揺を露にしたのだ。
 リビングに居た全員が驚愕に目を見開いた。

214小閑者:2017/10/09(月) 11:21:47
 至近に迫る恭也の黒瞳を見つめ返すなのはも、吸い寄せられたかのように合わせた視線を逸らす事が出来なかった。恐らく、それは恭也に腕を掴まれていなかったとしても変わる事は無かっただろう。
 なのはの二の腕を掴む恭也の固い掌の力が僅かに増す。
 腕の神経は掴まれた直後から痛みを訴え続けているが、なのはの努力が報われているのか恭也には気付いた様子が無い。単に今の恭也にはなのはの様子に注意を払う余裕が無いだけなのかもしれないが。
 恭也が全力を出せばなのはの二の腕を握りつぶす事くらい難しくないだろう。つまり、恭也は力を込めないように必死に自制しているのだ。にも関わらず過剰な力が加わっているのは、恭也の強靭な理性を持ってしても抑えきれないほど強い感情が彼の内で荒れ狂っているのだろう。
 抑えきれない感情に揺れる瞳を見つめ返していたなのはは、不意に胸の奥を締め付けられる様な痛みに襲われた。それははやてへの嫉妬ではなく、幼さから来る純粋さ故の恭也の心を埋め尽くしている不安と恐怖への共感だった。
 それでも、なのはは恭也の感情に流される事なく、無意識の内に穏やかな笑みを浮かべていた。

「大丈夫だよ」

 強さと優しさを併せ持った微笑を浮かべたなのはの言葉に、緊張に強張っていた恭也がゆっくりと深く息を吐き出したことで、漸くクロノ達も緊張を解く事が出来た。

「…すまん…取り乱した」
「ううん、私こそ勘違いするような言い方してごめんね?
 はやてちゃん、普通にお話も出来たし、元気そうに見えたよ。
 今回の入院も検査のためなんだって」
「…そうか」

 なのはのフォローに恭也が辛うじて言葉を返した。
 検査のための入院。だが、入院してまで行うような大掛かりな検査が必要になると言う事は病状に変化が現れた可能性が高い。
 そして、原因が闇の書からの侵食であるなら好転する可能性は極めて低い。瞬時にそこまで考えが至ったからこそ、恭也の返事は重く、悲壮だったのだろう。
 なのははその内容が気休めでしかない事には気付いていないようだったが、それも仕方が無いことだ。
 闇の書が元凶である事を知らず、直接の面識も今日まで無く、接点自体もすずかを介したものだ。恭也からはやての事を聞いた事はないし、そもそも彼がこの世界に残っている事を隠すように頼まれていたため尻込みしてしまってはやてと関わり難くなっている。
 以前を知らなければ今回の入院にどの程度の意味があるかを推し量れるはずがないのだ。

「明日、もう一度みんなで学校帰りにお見舞いに行く約束してるの。ちょうどクリスマス・イブだからプレゼントを用意してはやてちゃんをビックリさせようって。
 …恭也君も行こうよ」
「…」
「…ごめんね。恭也君も自分の事で大変だって知ってるけど、はやてちゃんもきっと心細いと思うから…」
「…ああ。分かった」
「!
 うん、ありがとう!」

 我が事の様に喜び、満面に笑みを浮かべるなのはを見て、恭也も口元を微かに綻ばせた。




 帰宅したリンディを交えた夕食の後、フェイトとアルフが自室に戻り、リビングに恭也、リンディ、クロノ、エイミィの4人になると恭也が口を開いた。

「提督。闇の書に関する追加情報はありませんか?」

 その前日までと同じ内容の質問に対して、リンディの答えも変わり映えのしないものだった。

「残念ながら特に新しい情報はないわ。
 記録にある限り、起動した闇の書は例外なく暴走している事から、何代目かの所有者による改編によって魔道書の機能自体に支障をきたしている可能性が極めて高いこと。
 闇の書の元々の名前は、夜天の魔道書だったということ。一応、こちらは新しく分かった事と言えるわね」
「待って下さい!奴等自身、自分達の事を『闇の書』と言っていませんでしたか!?」
「ええ、そうね。
 こちらの認識に合わせてそう呼んでくれるほど親切でなければ、自分自身を間違えて認識している事になる。
 闇の書のプログラムがどんな組まれ方をしているか分かっている訳ではないけれど、本当に基礎部分にまで異常が発生している可能性が高いわね」

 リンディは恭也が奥歯をかみ締めるのが分かった。
 もう限界なのだろう。いや、ここまで良く頑張ったと言うべきか。

215小閑者:2017/10/09(月) 11:23:10
「現状に関しては昨日のブリーフィングで話した通りだ。
 全666ページの内、実際に何ページまで埋まっているかは不明だが、被害規模と状況からすれば完成はそれほど遠い日の事ではないだろう」
「状況とは?」
「残り時間に制限があったとしても流石に今のペースは異常だからね。ペースを変えない限り長続きはしないって私達はみてるんだよ。
 途中で力尽きて頓挫するんなら有難いんだけど、多分その前に魔道書が完成するくらいの目算は立ててるだろうから。
 そうだね、速ければあと1週間から十日くらいかな」

 感情表現の豊かなエイミィすら事実を淡々と口にする。情報の伝達に感情を交えれば正確さを欠く可能性があるのだから当然ではあるのだが。
 ただし、民間協力者でしかない恭也に対して開示するにはその内容はかなり突っ込んだ物と言えるだろう。
 局員であれば命令系統は明確になっているし階級による上下関係もあるため、個人の単独行動は起こらない。仮に起きたとしても大きな問題にならないように情報に制限が掛けられている。個人の判断で行動すれば現場は混乱するし、組織的な行動など取れなくなるからだ。
 民間協力者に時空管理局の規律を細部まで遵守させる事は、知識の面からも価値観からも難しいため、尚更与えられる情報は最低レベルであるべきなのだ。独自の判断で行動できるような情報は明らかに過剰だ。
 だが、恭也がそのことについて疑問を持っている素振りは見せていないし、リンディから説明した事はなかった。

「…“魔道書からの侵食を止める方法”か“魔道書の主である事を解除する方法”については、何か分かりませんか?」
「え、解除する方法?…あ!」

 黙考した後恭也の口にした言葉に3人が虚を突かれて目を丸くした。その着眼点は確かになかったが、同時にこれまでには活用しようの無い情報でもあった。
 だが、昨日の恭也の推測、“書から侵食を受けている主を救うために守護騎士が独自に行動している”という説が正しかった場合、その原因を解消出来れば必然的に蒐集をする必要がなくなるのだ。

 それは恭也がはやて達から遠ざかってまで欲した情報であり、そうでありながら今日まで直接尋ねる事の出来なかった内容だった。恭也がアースラに収容されてから得た情報を合わせる事で組み上げられる推論を超えてしまえば、恭也が、引いては身を寄せていた八神家が疑われるからだ。

「ユーノさんが連日、書庫で資料を探してくれているけれど、今のところ侵食を止める方法もマスター登録の解除方法も分かっていないわ」
「そうですか。…スクライア1人で、ですか?」
「…うん。
 ユーノ君の力不足って訳じゃないからね?
 無限書庫の蔵書量は尋常じゃないから、逆にこんな短期間でこれだけの情報を検索するなんて今までじゃあ考えられなかったんだよ。
 ユーノ君は十分以上に頑張ってくれてる。悪いのは無限書庫を整備出来てなかった私達の怠慢だよ」

 エイミィのフォローには特に反応する事無く恭也が僅かに俯いた。過ぎた事をとやかく言ったところで時間が戻る訳でも事態が改善する訳でもない。

「奴らが投降した場合、書の侵食を阻止する方法を探す事は出来ますか?」
「交渉する積もり?」
「はい。
 書の侵食と無関係であれば意味はありませんが、事実であればそれを阻止する手段を探す事を条件に投降に応じてくれる可能性はあると思います」
「分かったわ。
 魔道書そのものを解析すれば方法が見つかる可能性も高いし、襲撃事件がそれで終了するならその条件を飲みましょう」
「ありがとうございます。では、高町やテスタロッサにもその様に指示をお願いします」

 そう告げると恭也は大きくゆっくりと息を吐き出した。
 一仕事終えたとでも言うようなその姿に、リンディは辛うじて苦笑が浮かぶのを堪え、誤魔化すために湯飲みを口に運んだ。
 この数日間、医務局に縛り付けておいただけあって恭也がシグナムとの戦いで負った傷は完全に回復している。だが、体調は万全とは言えないだろう。
 精神と肉体が密接に関わっている以上、精神の疲弊は肉体に反映される。リンディは居合わせなかったが、夕方の恭也の取り乱し方はかなりのものだったと聞いている。
 時空間の転移に巻き込まれ、見知らぬ土地に孤立無援で放り出され、家族の死を克明に思い出した。ここに来て、この地での寄る辺となっていた親しい少女の病状が悪化して入院した事を聞かされたのだ。

(取り繕う余裕なんて、有る訳無いわね)

 これ以上は誰が考えても酷だろう。そう思考を締め括ろうとしたところで恭也と目が合った。

216小閑者:2017/10/09(月) 11:25:17
 夫・クラウドやその容姿を色濃く受け継いだクロノよりも尚黒い瞳。見る者によって“未知の恐怖”と“平穏な安らぎ”の両極面の印象を与える宇宙空間を思わせる漆黒が、静かにリンディを見据えていた。

「茶番、ですかね?」
「あら、そんな事言うものじゃないわ。
 例え、高い確率で現実になる事柄でも“未来”である間は変える事が出来るかもしれない。
 努力が必ず実るほど世界は優しくは無いけれど、努力しなければ絶対に覆す事は出来ないもの。
 私達に出来る事は、“未来”が“現実”になる瞬間まで足掻き続ける事だけよ。
 足掻ける時間は残り僅かよ?後悔せずに済むように、一緒に頑張りましょう?」
「…はい」

 恭也が僅かながらも瞳に力を取り戻した事を確認すると、リンディの内心で安堵感と罪悪感が鬩ぎ合う。本人が望んでいる事ではあっても、更なる苦境へ向かう彼の背中を後押ししたようなものだ。
 リンディの葛藤に気付いた様子もなく就寝の挨拶を告げてリビングを出て行く恭也を見送ると、クロノが口を開いた。

「母さん。バランスを崩さないようにね?」
「ええ、分かってるわ。
 でも、あんなに頑張ってる姿を見てたら、やっぱり報われて欲しいとは思っちゃうわね」
「…肩入れするな、とは言わないけど、下手をすればあいつ自身に跳ね返る事は忘れないでよ」
「はーい」
「フフ、優しいねぇクロノ君」
「フン」

 世界の治安機構を自任する時空管理局は、多数を守るという大義名分の下、法を盾に少数を切り捨てる事がある。
 社会の一員として共存するためには権利には義務を課せられ、自分勝手な行動は法により規制される。当然それを破れば罰則が下される。
 ルールを逸脱するほど利己的な者に対して適用されている限り、その制度は大多数には納得して受け入れて貰えるだろう。しかし、世界は“勧善懲悪”で完結するほど単純に出来ていないのだ。
 フェイトの生みの親であるプレシア・テスタロッサが起こした事件もそういった面を含んでいた。
 愛娘を生き返らせたいという気持ちは誰にでも理解出来るものだが、そのために近隣世界を巻き込みかねない次元断層を発生させる事を黙認する事など出来るはずがない。だが、その行為を断罪しに行った時空管理局の一部署の暴挙こそが、プレシアの愛娘であるアリシアを死なせたと言っても過言ではなかった。
 原因が何であろうと無関係の人々を巻き込む理由にはならない。だが、原因を作った側がそれを説くなど厚顔無恥にもほどあるだろう。
 また、管理局に落ち度が無かった事件であろうと、少数側に非が無い事など幾らでもある。
 それでも、リンディは提督として法という基準を当事者に押し付けて裁定を下す事を求められてきた。悠長に裁判の判決を待っていられない事例は少なくないのが実情なのだ。
 だからこそ、この事件の恭也のように、経験で培ってきた勘が闇の書との関わりを示唆していたとしても、明らかな確証が無い限りは出来得る限り自由に行動出来るように取り計らっていた。恭也の死に物狂いの行動が純粋な思いを源にしている事くらい見ていれば分かる事だ。

 法を盾に切り捨てる義務が課せられているなら、法を盾に守る権利を活用する。
 判官贔屓ではなく、力を持つ者が陥り易い価値観の押し付け、一方的な介入を戒めるための処置だ。
 戦力であれ権力であれ、力が容易に暴力に成り易い事も、人間と言う種族が如何に力に溺れ易いかも、管理局内で周囲を見渡せば実例付きで知る事ができる。「ああは成るまい」という気持ちを、薄めさせないための努力は大切な事だ。
 そう答えておけば、良心を持ち合わせている者は納得してくれる。
 ただし、リンディの親友であるレティ・ロウランなど親しい者からは『好き勝手するための大義名分』と笑われているのだが。

「だけど、アリアやロッテの報告からするとホントに恭也君が無関係の可能性は残ってるんだよね」
「―――ああ、そうだな」

 恭也がデバイス製作のためにこのマンションを離れている間に行った、リーゼ姉妹による八神家の再調査の結果は「複数の人の出入りは認められるが闇の書との関わりは認められない」
 彼女達も基本方針は同じなので、あるいは勘を刺激する程度の痕跡を見つけながら伏せている可能性はあるし、そもそも本当に何の痕跡も無かったのかもしれない。だが、フェイトと恭也のシグナムとの戦闘時に、管理局と同レベルのセキュリティを誇るここのシステムをダウンさせた存在を思えば、内部犯を疑わざるを得ない。
 クロノにとってリーゼ姉妹は師であり姉でもあるのだ。彼女達に疑いを抱いて穏やかで居られる訳が無い。
 もしも、恭也が転送事故に巻き込まれなければ、転送先がこの地でなければ、このタイミングでなければ、彼女達に疑いを持つ事も無かったのだろうか?
 リンディはそんな起こり得ない仮定を思い浮かべて、詮無い事だと静かに目を伏せた。

217小閑者:2017/10/09(月) 11:26:58
「なのはもフェイトも随分機嫌が良さそうだけど何かあったの?」
「ふふ、なんでもないよ、アリサ」
「フェイトちゃん、そんなに嬉しそうに言われたら何か隠してるって誰にでも分かっちゃうよ?勿論、なのはちゃんもね?」
「えへへ〜。実はね、はやてちゃんへのプレゼントをもう一つ用意出来たの」
「あぁ、なのは、内緒にしようって言ったのにぃ」
「ごめんごめん、でも中身までは言わないから」
「何よ、そこまで話したんなら最後まで言いなさいよ!」
「ダメだよー。ひ・み・つ!」
「うん、秘密。アリサもすずかもきっと驚くよ?」
「そうなんだぁ。じゃあ楽しみにしておくね」
「すずか、簡単に引き下がりすぎ!」
「まあまあ、アリサちゃん。もう病院に入るんだし静かにしないと」
「あ、ごめん、お見舞いの前におトイレ行ってくるね」
「じゃあ、私も」
「私達はここで待ってるからね」
「うん、ごめんね」

 連れだってトイレへ向かうなのはとフェイトを見送ると、アリサがはやてへのプレゼントを持ち直しながらすずかに話しかけた。

「あの2人、昨日までが嘘みたいにはしゃいでるわね」
「うん。心配事が無事に済んだならいいんだけど」
「ったく、私達には相談もしてくれないんだから!」
「仕方ないよ。話せるようになったらきっと教えてくれるから、それまで待ってあげよ」
「フンだ、親友を蔑ろにした報いは絶対取らせてやるんだから。
 …ところで、あのはしゃぎっぷりにはプレゼントが関係してると思わない?」
「うん、私も思う。アリサちゃんはプレゼントが何か予想出来そう?」
「はやてが喜ぶ物ってだけじゃ絞りようもないけど、同時にあの子達が嬉しい物っていうのがねぇ。まさかとは思いたいんだけど、あいつじゃないわよね?」
「どうだろうね?少なくとも、私の予想とは一致してるよ」
「お待たせ」
「あれ?アリサちゃん楽しそうに見えるけど何の話?」
「なのは、あんたはお見舞いの後にそこの突き当たりにある眼科で視力検査してきなさい」
「春に測ったときはちゃんと2.0だったよ?」
「問題が視力じゃないとすると脳外科か神経科か精神科ね。総合病院で良かったわ」
「な、何の話?」

 普段通りの、日常の遣り取りに無自覚ながらも昨日まで以上に心を弾ませていたなのはとフェイトは、入室の挨拶とともに自覚しないまま非日常へと踏み込んだ。

 2人は目の前の光景を理解するのにいくらかの時間を要した。
 このような場所で遭遇する可能性を欠片ほども想像していなかったし、普段着姿を目にする機会もなかった。なにより、あれほど穏やかな表情を見たことがなかったため、はやての病室に居る3人の女性が誰であるのか理解するのに手間取った。
 対して、彼女達も驚いてはいたようだが、なのはとフェイトが自分達の敵であることに即座に気付いたようで、瞬時に表情が引き締まった。
 皮肉な事にその警戒を露にした表情を見ることでなのは達にも漸く3人の女性がヴォルケンリッターである事が理解出来た。

 何故、八神はやての病室に?
 決まっている。闇の書の主を守る守護騎士がはやての病室に揃っているという事は、つまり“そういう事”なのだろう。

 辛うじて表情を取り繕う。シグナム達がどう対応してくるかは分からないが、アリサとすずかが居る以上、迂闊な真似をして戦闘に巻き込む訳にはいかない。
 来客として対応するシグナムに上着を預けながらフェイトが潜めた声で語りかけた。

「念話が繋がらない」
「シャマルが封じている。お前達も友人を巻き込みたくはないだろう。妙な真似はするな」

 シグナムの脅し文句に2人は密かに胸を撫で下ろす。シグナム達にも無関係の人間を好んで巻き込む積もりは無いようだ。
 建前だけである可能性も残ってはいるが、短くとも濃密な時間を共有してきた間柄だ。その言葉は信用してもいいだろう。

コンコン

 ノックの音にシグナムが僅かに眉を顰めるが、直にシャマルへ視線を投げ掛けた。
 フェイト達が今日この病室を訪れたのは間違いなく偶然だ。ならば新たな来訪者が彼女達の増援である可能性は低い。
 何よりシグナムたちははやての前でこれ以上不信な態度を取る訳にはいかなかった。既にこの時点で、はやては何かを感じ取っているのかその表情が固さを持ちはじめている。
 シグナムがフェイトを見遣り頷いて返すのを確認する。数度の交戦でフェイト達の性格は分かっている。この状況で周囲を巻き込む様な騒ぎを起こす事はないだろう。

「はーい、どうぞ」

 シャマルが声を掛けるとゆっくりドアが開かれた。

218小閑者:2017/10/09(月) 11:29:11
 はやてはシグナム達の硬くなった態度と、緊張感の高まった雰囲気を敏感に感じ取っていた。それは自分の知らないところで、重大な、そして決定的な何かが進行している様な予感。
 怖い。
 だけどしっかりしなくては。自分は八神家のお母さんなんだ。恭也がいない今、自分がしっかりしなくては。
 表情と態度に細心の注意を払いつつ、なのはを睨み付けるヴィータを優しく叱りながら来客に注意を向ける。
 特別な期待を抱いていた訳ではなかったが、この雰囲気を変える切欠くらいにはなりはしないかという一縷の望みを託して新たな来客に視線を向けたはやては自分の目を疑った。

「え?」

 はやてが呆然としている事にも部屋の雰囲気にも気を留めた様子もなく、平然と入室してきた恭也が気負う事無く口を開いた。かつて八神家でそうだった様に。

「妙に緊迫していると思ったらお前たちか。
 シグナム、高町、こんな所にまでスーパーでの因縁を持ち込むな」
「何よ、因縁て?」

 異様な雰囲気に困惑していたアリサが、日常を纏って現れたかのような恭也の台詞に反応すると、それを合いの手に恭也が続ける。

「特売品の奪い合いをしていたんだ。
 方やはやての期待に報いるために、方や洋菓子屋の娘としての誇りに賭けて。公衆の面前で睨み合っていた」
「なのは、あんたって子は…」
「えぇ〜!?ち、違うよ!そんな事してないよ!」
「シグナム、そこまでせんかてええんやで…?」
「な!?ち、違います!恭也のデマカセです!」

 なのはやシグナムにとっては身に覚えの無い中傷なので当然反論するが、その程度の言葉で恭也の矛先を躱せる筈がなかった。

「ほう、シグナムにとってはやてへの思いはその程度だったのか?」
「そんな筈があるか!あ…」
「高町、姉の美由希の様にはなるまいと母に誓ったのは嘘だったのか?」
「嘘じゃないよ!ってなんで恭也君が知ってるの!?」
「まぁ睨み合っている間に商品を掻っ攫われて二人して膝をついていたんだ。
 隠したくなる気持ちも分からんではないがな」
「アカンやんけ!!」

 はやてが間髪入れずにツッコミを入れると、直前の緊張感から開放された安堵も手伝い、何時看護士に叱られてもおかしくないほどの笑い声が病室に響いた。
 流石は恭也さん、ブランクを感じさせない切れ味!笑い過ぎて涙が出て来た。
 はやては治まりきらない笑顔のまま、歩み寄ってきた恭也を見上げ声を掛ける。

「アハハ、もう恭也さんは相変わらずやね。アハ、ハ、笑い過ぎて、涙、出て――」

 恭也が無言ではやての頭を撫でる。
 その頃にははやて以外誰も笑声を上げている者はいなかった。
 ただ黙って、笑顔のまま涙を拭うはやてを見詰めていた。

「もう、私だけ、笑っとったら、頭悪い子みたいやん」
「よく頑張ったな」

 はやての笑顔が治まる。
 人が居れば、それが看護士であっても絶やす事のなかった笑顔が。
 頬を伝う涙を拭う事も忘れ、ぼんやりと恭也を見上げていたはやての表情がゆっくりと崩れていき、恭也がはやての頭を包み込む様に抱きしめると堰を切った様に声を上げて泣き出した。

「っう、うあ、ああぁあぁぁ、こわ、怖かった、っひく、怖かったんや!
 みんな教えてくれへんから、ぐすっ恭也さんが、死んでしもたんやないかって!
 ひっく、みんな、居れへんし、怖くて聞けれんくて、」
「心配させて済まない。もう大丈夫だ。絶対にお前を1人にはしない」
「うあああぁー!」

 はやては恭也が八神家を出て以来溜まり続けていた不安と恐怖を吐き出すかの様に恭也に縋りついて泣き続けた。

219小閑者:2017/10/09(月) 11:30:04
 全員に見守られながら泣き続けていたはやてが落ち着きを取り戻すと、恭也がすずかとアリサに視線を向けた。
 それだけで察した二人は頷き、泣き疲れたのか安堵に気が緩んだのか、どこかぼんやりしているはやてに暇を告げた。

「はやてちゃん、私達、今日はこれで失礼するね?」
「あっ、すずかちゃん!あの、ゴメンな?私、突然その…」
「ううん、気にしないで。こっちこそいきなり来ちゃってゴメンね?」
「ええねん、私ほんまに嬉しかった。アリサちゃんも、時間があったらまた来てな?」
「うん、絶対来る。その頃にははやても元気になってなさいよ?
 じゃあ、帰ろうか?」
「高町とテスタロッサはすまんがもう少し良いか?」

 恭也の言葉になのはもフェイトも穏やかな表情で頷いて見せた事にシャマルが訝しげに眉を顰めた。
 はやてが縋り付いて泣いた事から、恭也がはやてと親しい関係である事が分かるはずだ。それは同時に、恭也が負傷してアースラに収容された日より以前からヴォルケンリッターとも接触があった事になる。
 書の主と良好な関係にあることから守護騎士との関係も推し量る事が出来るだろう。交戦しているシグナムさえも恭也を警戒していないことから、主を介する事無く、個人的に友誼を結んでいる可能性だって気付けるはずだ。
 何処まで推測出来ているかは兎も角、この繋がりは管理局に所属するこの2人にとっては裏切り以外の何物でもないというのに動揺する様子すら見せていない。
 事前に恭也から自分達との関係を伝えられていたのだろうか?しかし、それなら病室に入ってから恭也が現れるまで2人が緊張していた理由が説明出来ない。あれは少なくとも敵との遭遇により開始する戦闘への緊張か、それにすずか達を巻き込む危険性を危惧していた事が原因のはずだ。
 すずか達が病室を出ると、シャマルの思考を代弁するように、幸せそうに抱きついていたはやてを離しながら恭也がなのは達に問い掛けた。

「高町、テスタロッサ。状況は理解出来ているか?」
「多分、ね」
「恭也君はヴィータちゃん達とお友達だったんだね」
「…お友達…
 まぁ、良いだろう。
 はやて。内容は理解出来ないだろうが、暫く黙って見ていてくれ。
 …どうした?」
「!?なんでもないよ?うん!」

 ベッドサイドに立つ恭也の服の裾にこっそりと手を伸ばそうとしていたはやてが慌てて手を引っ込めながら同意した。
 その挙動を不思議そうに眺めながらもこちらが優先とばかりに恭也はなのはとフェイトに向き直った。

「以前話した通り、俺はこの世界に来てから八神家に居候していた。当然、ヴォルケンリッターとも交流がある。
 俺はお前達を利用して、裏切って居たんだ。
 それに気付いているのに、何故お前たちは警戒を解く?」
「別に恭也は裏切ってた訳じゃないでしょ?」
「そうだよ。恭也君、ずっと言ってたじゃない。辛い時に助けてくれたはやてちゃんを守りたいんだって。
 そのために、アースラに来たり、シグナムさんと戦ったりしたんでしょ?」
「利用したって言う事は出来るのかもしれないけど、目的が重なるなら協力するのは悪い事じゃないと思う」

 聞いていたシャマルはポカンと口を開いて瞬きを繰り返した。
 時間を置いて考えたのなら分かる。それでも善良と言える回答だ。だが、たった今聞いた事実に対して即座に返した答えがそれというのはどうなんだろうか?あるいは、恭也個人への絶大な信頼を基にした思考なのだろうか?
 恭也には後者の可能性には思い至らなかったのか、至極当然、といった面持ちで考えを告げた2人に静かに溜息を付きながらシグナム達に向き直った。

「予想通りとは言え、思わず将来を案じるような回答だな。
 自己紹介させるよりも伝わったとは思うが、この2人は“善人”という生き物だ。管理局全体の事は知らんが、今回の件に携わっている陣営は多少の差はあれど、概ねこんな感じだ。
 それを踏まえて聞いて欲しい。投降してくれ」
「…単刀直入だな」

 シグナムは言葉を切ると静かに恭也を見つめ返した。
 気軽に思い付きで言っている訳ではない事は分かっている。そのメッセージを遠回しに伝えるためだけに命懸けで自分の前に立ちはだかって見せたくらいだ。
 ここで投降するという事はこれまでの蒐集活動による自分達の苦労も周囲への被害も全てが無駄になる事を意味する。だが、そんな事はどうでも良かった。全ては主はやてのために。はやてさえ助かるのなら、幸せになるのなら、どんな犠牲も厭わない。自分達の努力自体が徒労に終わる事など大したことではない。
 しかし、戦闘を介して恭也のメッセージを受け取った時点でその選択を取らなかったのは意地を張っていたからでも目的を見失っていたからでもない。
 第一に管理局という組織がはやてを任せるに足る存在かどうか計りかねたから。
 そして、

「それで、はやての体が治せるのか?」

220小閑者:2017/10/09(月) 11:30:40
 口を閉ざしたシグナムに代わり、メッセージに込められた“蒐集活動の危険性”に敢えて目を瞑って続行していた理由を問い質したのはヴィータだった。
 “犠牲”には自分達自身の存在も含まれている。はやてが誰を失ったとしても悲しむ事は分かっていたが、それでもはやてには生きていて欲しい。それが4人の願いだ。
 その願いを理解している恭也が率直に投降を呼びかけてこなかった理由は、この期に及んで提案に留めている理由は、根本的な解決策が見つかっていないためだろう。

「ああ、予想を裏切れなくて悪いが、現時点ではその方法は見つかっていない。何処まで効力があるかは疑問だが、お前達が無抵抗で投降する事を条件に書の主の救済に全力を尽くす約束を取り付ける事が出来ただけだ。
 残念ながら、仮に本当に管理局が全力を尽くしたとしても、救済が確約されている訳ではない」
「では、何故敢えてここに来て投降を勧める?」
「管理局側の調査ではあなた達の活動が破綻する可能性が高いと結論しているからだ」
「…根拠は?」

 その反応にフェイトは驚くとともに嬉しくなった。
 シグナム達が罪を犯してまで選んだ行動を真っ向から否定する内容であるにも関わらず、即座に跳ね退けないほど彼は信用されているのだ。
 だが、それは恭也にとっても好き好んで語りたい内容ではないだろう。声にさえ感情を乗せず、それでも一縷の望みに縋る様に問いを返す姿に、フェイトは胸に痛みを覚えた。

「魔道書が改変を受けている事は自覚しているか?」
「無論だ。闇の書は我々自身だと言ってもいいからな」
「では夜天の魔導書という名に聞き覚えはあるか?」
「夜天、の…?」

 シグナムの顔に浮かぶのは困惑。それはシャマルとヴィータも同様だった。聞いた事があるのにそれが何を意味するのか思い出せないのだ。
 恭也はその事を言及する事なく、論点を移した。

「“主″として覚醒した過去の書の持ち主を覚えているか?」
「ええ、魔導書に記録されたあらゆる魔法を使いこなせる様になるわ」

 シャマルが不安を払おうと直ぐ様言葉を返すが恭也はそれを否定する。

「違う、書に記載されている規定事項ではなく、記憶に残っているかと聞いているんだ。先代や先々代の主が覚醒した後どうしていたのかだ」
「それは…、主が覚醒した時には私達が現界していない事が多いから…」
「現界?実体化していないという事か?
 …本当にそうか?仮にそうだとしても書そのものでもあるあなた達が覚えていないのか?」

 恭也はシャマルの言葉に疑問を持った様だが、一先ず押し止め、続けて問い掛けるが、シャマルには答える事が出来なかった。
 動揺が広がる。シャマルもシグナムもヴィータも指摘されて漸く気付いたのだ。あえて目を逸らしていた訳ではなく、思考がそこに向かわない、向ける事が出来ない事に。

「…出来れば、否定して貰いたかったんだがな。
 書の改変は表層だけでは無く、根幹にまで及んでいるようだ。あなた達自身の認識が及ばないほど。
 管理局で記録している限り、主として覚醒した者は――、っ!?」
「あっ!?」
「何!?」

 恭也の言葉に動揺していたシグナム達は勿論、気を緩めていたなのはとフェイト、みんなの会話から朧気ながら凡その事情を察して驚いていたはやて、そしてはやてに手を伸ばした事で躱す機を逸した恭也、その場にいた全員が台詞の続きを遮るタイミングで仕掛けてきたバインドに拘束された。

「わあ!?なんやのこれ!?」
「はやて!
 シャマルっ、まだか!」
「やってる、けど、まさか無効化されてる!?そんな!」

 自身、解呪を試みながらのヴィータの焦りを溢れさせた問い掛けに対して、補助魔法のエキスパートであるシャマルは驚愕を込めて返した。シャマルの魔法を跳ね除けるほど強力な魔法という訳ではなく、効力自体を打ち消されていたのだ。
 魔法初心者ならば兎も角、シャマルほどの術者ともなれば術の強化やスピードアップのために術の構成をオリジナルに近いレベルまでカスタマイズしている。それを本人に気付かれないうちに無効化出来るほど解析するなど、通常ならば有り得ない事だ。
 だが、姿を見せない敵は対策を打つ時間など与えてくれる訳がなかった。次の瞬間には全員の足元に1つずつ魔方陣が展開される。

「今度はなんだ!?」
「この魔法陣は…強制転送!?」
「まずい!クソッ、はやて!」
「恭也さん!」

 拘束されて尚伸ばされた恭也の手をはやてが掴む前に術式が発動し、あまりの騒がしさに看護士が注意しに乗り込んだ時には病室は無人となっていた。





続く

221小閑者:2017/10/14(土) 22:34:01
第21話 前夜




 はやての意識がゆっくりと浮上する。
 普段の自然な感覚とも睡眠薬による眠気の纏わり付いてくるような感覚とも異なるそれを、浅くなるにつれて膨れていく焦燥感が急速に加速させた。
 覚醒と同時に中空を見上げたはやてが見たものは、虚空に磔にされている俯いたヴィータと、彼女を挟み込むように両隣に浮いているなのはとフェイトの姿だった。
 肌を刺す寒風にも、凍り付きそうなほど冷えた床にも気付く余裕もなく、はやては声を張り上げた。

「ヴィータ!?
 何!?何しとんの、なのはちゃん!フェイトちゃん!
 ザフィーラ、ザフィーラは!?」

 焦燥感の原因であったザフィーラの声どころかその姿さえ、はやてが覚醒した時には既に無かった。
 不安に駆られて周囲を見渡したはやては、シグナムとシャマルの着ていた服が散乱している事を認めると、驚愕の表情で空に在る3人に視線を戻した。

「はやて、君はもう助からないんだよ。どんな事をしても闇の書の呪いを解く事は出来ないんだ」
「…そんなん、ええ。そんなんええねん。私が死んでまうんは、しゃあないって分かってる。
 ヴィータを放して。みんなをどうしたん?」
「闇の書はね、ずっと昔に壊れちゃってたんだよ。勿論、そこから出て来た守護騎士達も。
 なのに本人達はそんなことも気付かずに必死になって蒐集してたんだよ?馬鹿だよねぇ」
「だから、壊れたおもちゃは危ないから君の代わりに捨ててあげてるんだ。コレで最後」

 それは、はやての心を絶望に閉ざすための言葉。
 非力で無力な自身では成し得ない望みを叶えるために、力を求めさせるための言葉。
 極めて狭い世界しか知らない少女の感情を揺さぶるなど、それを構成する守護騎士を残酷な方法で消し去るだけで十分なのだ。
 計算外だったのは、それが少女の逆鱗に繋がっていた事だろう。

「…あんたら、誰や」

 少女の口から零れた直前までの動揺が消滅したかのような平坦な声に、なのはとフェイトに怪訝な表情が浮かぶ。悲しみとも怒りとも憎しみとも違う、正確には2人が想定していたどの反応にもないはやての様子に僅かに警戒したのだ。
 ここまで来て尚、発生しようとしているイレギュラーに苛立ちそうになる感情を意思の力でねじ伏せて、静かに問い返す。

「…誰って、酷いなぁはやてちゃん。
 昨日も、今日もお見舞いに行ってあげたのに覚えてくれてないの?」
「なのはちゃんもフェイトちゃんもそんな事せえへんし、あんな酷い事も言わへんわ!
 早ようヴィータ放しや、この卑怯モン!」
「…勝手に偽者扱いしないで。
 君が私達の事どれほど知ってるって言うの?」
「確かに私は2人の事、大して知らへん。
 でもなぁ、私が騙される事あっても、恭也さんが信用してるあの子らがそんな事するはずあるか!」

 また、あの男か!
 11年越しの悲願が漸く叶おうとしているここに来てシナリオを掻き回す男の姿を脳裏に浮かべて歯軋りする。そんなフェイトの姿に気付かせないために、はやての視線を誘導するべくなのはが口を開く。

「恭也君がどう思ってるかなんて知らないけど、今のこの状況が変わる訳じゃないよ。
 壊れた人形を捨てるのにお別れの言葉なんて要らないよね?」

 この場に居るなのはとフェイトの真偽など状況を覆す鍵にはならない。それに気付かせれば何の支障も無いのだ。
 見せ付けるようにヴィータに向かって右腕を掲げると、はやての表情が恐怖に歪んだ。

「イヤ、やめてー!」
「止めさせたければ力ずくでどうぞ」
「はやてちゃん。世の中ってね、“こんな筈じゃなかった”事でいっぱいなんだよ」
「確かにな」

 言葉と同時に放たれた斬撃を瞬時に形成したシールドでなのはが受け止めると、動きの止まった襲撃者の背後に高速で回りこんだフェイトが光を纏う左腕で薙ぎ払う。完全な死角からのその一撃が見えてでもいるかのように襲撃者は光る円盤の足場を蹴って躱し、屋上のはやてと2人の中間へと危な気もなく着地した。

222小閑者:2017/10/14(土) 22:39:28
「恭也さんっ!」
「…はやて、すまん。間に合わなかった」
「…え?あ、―――ヴィータ」

 喜色を隠す事の無いはやての声は、恭也の謝罪の意味を目の当たりにした瞬間、一切の力を失った。
 ヴィータの名残である光の煌めきを呆然と見つめていたはやては、視界に割り込んできた2人の少女へと緩慢に焦点を合わせる。
 『何故?』
 思考はその2文字で埋め尽くされていた。

「どういうことだ?高町、テスタロッサ」
「この期に及んでそんなこと言うんだ?」
「恭也が闇の書側のスパイだって分かったのに私達だけ約束を守れっていうのは虫が良過ぎるよ」
「ック!」
「まあ、それでも恭也君自身が犯罪に手を染めてた訳じゃないし、闇の書のプログラムでもないんだから、抵抗しなければ大きな罪には問われないよ」
「そうだね。
 さあ、そこをどいて闇の書の主を引き渡して?」
「断る」
「…だろうね」

 茫然自失していたはやてを強引に正気付かせるほどに雰囲気が一変した。3人の会話は正確に聞き取れていなかったが、腕や手にしたカードを光らせる少女達と抜刀する恭也を見れば誤解の余地など無いだろう。

「…あ、やっ止めて!恭也さんは闇の書とは関係ない、悪い事なんてしてへんのや!」
「公務執行妨害ってやつだよ。はやてちゃんを、犯罪者を守ろうとする以上、力づくで排除させて貰うよ」
「ダメッ!
 恭也さん、もうええ、もうええねん!私、大人しく捕まるから、もう止めて!死んでまうよ!
 恭也、さんまで、死んでまったら、私…!」
「大丈夫だ、はやて。
 言っただろう。もう、絶対にお前を1人にしない」

 病室で聞いた時には歓喜に震えたその言葉が、はやての背筋を凍らせた。
 恭也は絶対に引かないだろう。
 絶望しかない戦いであろうと、絶対に。

 合図はなかった。
 少なくともはやてには理解できない切欠で始まった戦いは開始と同時に苛烈を極めた。
 なのはの放った20を超える拳大の光弾が空間を縦横に駆け巡る。直線・曲線・鋭角・鈍角・緩急を交えて空間を埋め尽くすほどのその軌跡に触れさせる事無く、姿が霞むほどの高速移動で躱しながら恭也が間合いを詰めていく。
 だが、明らかに人間の運動能力を上回るスピードで行われていた回避行動が唐突に破綻した。光弾の一つが足場となる円盤を打ち抜いたのだ。そして、恭也が体勢を崩した瞬間、あらゆる角度から恭也の体を光弾が通り過ぎた。
 はやての視界の中を恭也の体が至る所から液体を撒き散らしながら、床へ落下した。
 受身を取る素振りもなく人形のように無防備に落下した体は、小さくバウンドしたきり二度と動く様子は無く、欠損した各所から溢れ出して出来た水溜りの広がりだけがこの光景が静止画でない事を表していた。
 そのあまりにも呆気ない結末に対して、床に倒れ付した恭也を見つめるはやてが何かのリアクションを取る事は無かった。
 髪が風に揺れていなければ時が止まっているのかと錯覚するほど、近寄る事も顔を背ける事も声を発する事も表情を動かす事も感情を揺るがす事も無い。

(拙いな。
 刺激が強過ぎて精神を壊したか?)

 心臓すら動いていないように見えるはやての様子に、なのはとフェイトに焦燥が生まれる。
 闇の書を凍結封印するためには魔道書の起動は必須条件だ。今のはやてを闇の書ごと凍結させたとしても、はやての生命活動が停止した時点で魔道書の転生機能が働き新しい主の下へと移動するだけだ。
 起動条件は揃っている筈だ。あとは本人の意思で望みさえすれば。
 時間を置けばはやての意識が戻り、魔道書を起動させる可能性はあるが、この場に長時間留まり続ける訳にはいかないし、何より低いとは思うが精神を立て直される可能性すらある。
 はやての身柄を幽閉する事を検討しようと2人が少女から意識を反らした瞬間。

「嫌アアァァアアアアアアアァァアアァアア!!」

 はやてを中心に爆発的な勢いで放出された魔力が2人を打ち据えた。虚を突かれた事も合わさり、なのはのディバインバスターに匹敵するほどの衝撃に意識を飛ばされながらも、なのはが辛うじて転移魔法を発動し姿を消した。
 残されたのは魔力の柱に浮いたまま虚空を睨み付けるはやてとその傍らで自動的にページを開く魔道書だけだった。


【解放】



     * * * * * * * * * *

223小閑者:2017/10/14(土) 22:44:34
     * * * * * * * * * *


 遥か上空、はやて達の居たビルの屋上から直線距離にして2,000m以上離れた空間に形成されたクリスタルゲージに幽閉されていた恭也は、成す術も無く闇の書が起動するまでの一部始終を見せ付けられた。

「はやて…!」

 クリスタルゲージの破壊も体を縛る多重バインドの解呪も、一緒に閉じ込められたなのはとフェイトに委ねる他無く、恭也には“何もしない事”しか出来なかった。掌の皮膚を破らない様に拳を握り締める事も、歯を噛み砕かない様にかみ締める事も、拳を痛めない様にゲージを殴りつける事も、自傷に、戦力低下に繋がる一切の行動を多大な精神力を費やして抑え付けながら、只管遠方の推移を見守り続けた。
 そして、たった今、それらの努力が水泡に帰した。

「止められなかった…
 ぁぁああああああーーーー!」
「…きょうや」

 狭いゲージ内に恭也の慟哭が響く。鼓膜どころか直接皮膚を震わせるほどの絶叫は、そのまま恭也の絶望の深さを示しているのだろう。
 恭也に声を掛ける事も出来ずただ呆然と見つめていたフェイトの頬を涙が伝う。
 慰めも気休めも、今の恭也には意味を成さないだろう。

「諦めちゃダメ!」
「…なのは!?」

 恭也の慟哭に負けない声量で叱咤するなのはにフェイトが驚愕の視線を向ける。

「まだだよ!まだ、闇の書の暴走は始まってない!
 ユーノ君が一生懸命対策を探してくれてるから、頑張ってはやてちゃんを助け出そうよ!」
「なのは、ダメ!」

 それは絶望を悟った者に掛けるにはあまりにも楽観的に過ぎる言葉だ。一歩間違えれば相手を逆上させかねない。
 だが、フェイトの静止も間に合わなかった。
 なのはが第一声を発した時点で沈黙した恭也がゆっくりと振り返る。その顔に表れている怒気と憎悪、そしてそれらを上回る殺意を目の当たりにしたフェイトは本能的な恐怖と明確な死の予感を感じると同時に深い悲しみに包まれた。
 自分の持つ全てを代償にしてでも守ろうと誓った少女を目の前で失った悲しみが狂気へと変わったのだ。それを誰が責められるだろうか?
 だが、

「だ、ダメ、だよ…」

 恭也の苛烈な感情を正面から叩きつけられながらも、なのはは尚も諌めようと声を絞り出した。
 怖くない訳がない。
 恐怖に体は芯から震え、歯の根は合わず、意識さえ途切れそうになる。
 それでも、逃げ出す訳にはいかなかった。
 今逃げ出せば、口を噤めば、はやてを救い出す最後のチャンスを失う事になる。救い出せる可能性は限りなく低いだろう。それどころか有るか無いかすら分からない。だが、今ここで動かなければ可能性は確実に“0”になる。

「一緒に、はやてちゃんを助けに行こう!
 絶対、はやてちゃんは恭也君が助けに来てくれるのを待ってるよ!」

 なのはの瞳から涙が溢れ、雫となって零れ落ちた。
 恭也に対してどれほど残酷な事を言っているのか理解している。
 更なる絶望を突きつける結果に終わる可能性の方が遥かに高いことも分かっている。

「はやてちゃんを助けるんでしょう!?
 剣の道を捨てて、魔法に縋り付いて、どんな事をしてでも助けるって決めたんでしょう!?」

 それでも。
 全てが終わった後、今ここで蹲っていた自分自身を一生責め続ける。
 恭也にそんな事をさせたくない一心で言葉を重ねた。

 決めたんだ。
 恭也君が辛い時に支えてあげようって。
 進む道を見失った時には、一緒に探そうって。
 それで私が嫌われても、憎まれても、今の恭也君にとってどれほど辛い事だとしても。
 後で振り返ってみて、後悔しなくて済むように。
 あのとき諦めなくて良かったって思えるように。

「だったら!
 こんなところで諦めちゃダメだよ!」

224小閑者:2017/10/14(土) 22:50:09
 なのはが泣き叫ぶように言葉を叩き付けた直後、拳が頬を殴りつける鈍い音がクリスタルゲージ内に響いた。
 口を挟めず成り行きを見つめていたフェイトが顔を蒼褪めさせるほど、その拳は何の加減もされていなかった。
 あまりの事態に声を失うなのはが見つめる先で、口から滴る血を殴り付けた自分の右拳で拭いながら、恭也が大きく息を吐き出した。

「無様を晒した、すまん。
 高町、感謝する。お陰で目が覚めた」
「…!…!」

 なのはが安堵に口から零れそうになる嗚咽を堪えるために歯を食いしばったまま、思い切り首を左右に振る。

「謝罪も感謝も、全て終わらせてから改めてさせてもらう」

 なのはの頭を軽く撫で、フェイトに視線を投げ掛けながらそれだけ告げると、次の瞬間には、直前の一切を引き摺る事無く前を見据えながら恭也が口を開いた。

「さて。
 頼ってばかりで悪いが、早くこの檻を破壊してくれ」



     * * * * * * * * * *





 はやての居るビルから数km離れたビルの屋上に現れた魔法陣に出現したなのはとフェイトは、はやてから受けたダメージに堪えきれずに片膝を着いた。
 魔法として現象に転換することも目的に合わせて弾丸や砲撃のように形状を持たせてもいない単純な魔力の放射でこれほどのダメージを受ける事になるとは想像もしていなかった。魔導師としての訓練を一切受けた事が無いとはいえ、闇の書に主として選定された事実は伊達ではなかったという訳だ。
 だが、これで条件は揃った。
 後は闇の書が暴走し、理性的な判断が出来なくなってから凍結し、封印すれば二度と悲劇を生む事は無くなるのだ。
 なのはとフェイトが小さく安堵の溜息を吐き変身魔法を解くと、現れたのは全く同じ容姿の2人の仮面の男だった。

「多少のイレギュラーは発生したが予定通り進んでいるな」
「ああ。
 後は暴走まで待つだけだ」
「あの子達、持つかな」
「持って欲しいな。
 クリスタルゲージも破ったようだし、このタイミングなら上手く囮になってくれるだろう。
 …!?しまった!?」
「なにっ!?」

 どちらも歴戦の兵である。大事の後に危機に陥りやすい事は承知していたし周囲を警戒もしていた。
 それでも、この状況下で無駄口を叩いていた事が象徴する通り、大願成就を目前にした事で気が緩む事を抑えられなかった。その油断の代償として、2人は射程も発動速度も低いストラグルバインドに拘束され、全身を光に包まれた。

「くそ!」
「こんな魔法、教えてなかったのになぁ」
「1人でも精進しろと教えたのは君達だろう…」

 ストラグルバインドの機能である“拘束者に掛かっている強化魔法の強制解除”が働き、光が収束すると仮面と共に容姿や体格まで変化した2人の女性が拘束されていた。
 リーゼロッテもリーゼアリアも自分達が正体を晒された事より、クロノが自分達の姿に驚いた様子を見せない事に歯噛みする。どの程度まで真相に迫っているかは不明だが、“仮面の男”の正体が予想出来ていたと言う事は、その背後関係など容易に想像が付くだろう。

「闇の書側の活動の幇助、管理局のシステムへの不正アクセスの容疑で君達を逮捕する」
「あと少しなんだ!あと少しで闇の書を完全に封印出来るんだよ!」
「クロノだって、クライド君の事を忘れた訳じゃないだろう!?」
「…現時点では闇の書の主は何の罪も犯していないんだ。それを、!?」

 クロノが背筋を走る悪寒に従い会話を中断して振り仰ぐと、視線の先、距離にして50mほどの中空で、見知らぬ銀髪の女性が掲げた右手に漆黒の光球が収束したところだった。

「まずい!」
「デアボリック・エミッション」

 バインドで拘束されているリーゼ姉妹は当然の事ながら魔法を使用出来ないし、回避行動を取る事も出来ない。クロノは咄嗟に2人の前にシールドを展開し、自身は回避する事でやり過ごそうとするが、術者から全方位へと放射状に放たれた純魔力攻撃を回避する術など無かった。

225小閑者:2017/10/14(土) 23:13:20
「クロスケ!うわぁ!?」
「クロノ!ロッテ!」

 魔法をもろに喰らったクロノが弾き飛ばされ気を失うと同時に2人を拘束していたバインドと保護していたシールドの両方が消滅し、結果として魔法に特化したリーゼアリアのみが咄嗟にシールドを張る事で、漸く敵と思しき女性の攻撃魔法の威力の何割かを防ぐ事に成功した。
 不意を突かれたとはいえ、アースラのトップ戦力である自分達3人の内2人が最初の一撃で戦闘行動に支障が出るほどの負傷を受けたことにリーゼロッテが戦慄した。
 眼前の女の外見が闇の書の管理プログラムである事は過去の資料から分かっている。それが闇の書を携えているという事は、八神はやてとのユニゾンにより融合している事は想像に難くない。
 だが、なのはとフェイトを倒してから現れたとしたらいくらなんでも速すぎる。

「逃げても無駄だ。ヴォルケンリッターを、そして恭也を殺したお前達2人は我が主の望みに従い塵すら残さず消滅させる」
「!」

 淡々とした声色とは裏腹に烈火の如き感情を孕んだ視線を投げ掛ける女性の言葉でアリアも状況を察する事が出来た。
 恐らく、闇の書の起動直前にはやての中に生まれた激しい感情を起因とする願いが明確だったのだろう。
 “目の前で起きた家族を奪われる惨劇が夢であって欲しい”
 そのくらいの曖昧さを含んだ漠然とした願いであれば、闇の書も標的を選ぶ事無く無差別に周囲を破壊するに留まったかもしれない。あるいは、姿形の同じ本物のなのはとフェイトを攻撃対象としたかもしれない。
 …もしかしたら、先ほどのはやての台詞にあった『恭也が信用しているなのはやフェイトはそんな事をしない』という言葉が、強がりでも仮説でもない本心だっただけなのかもしれない。
 何れにせよ、はやての願いが“守護騎士と恭也を殺した者の死”であったなら、どのような姿をとったとしてもその対象はアリアとロッテ以外の誰でもないのだ。
 空間転移の経路を割り出す術があるのか、アリアとロッテ自身にマーカーとなる何かを打ち込んでいるのか、もっと他に方法があるのか。歴代の魔道技術を蒐集してきた闇の書ならば自分の知らない手段で追跡してきたとしても驚くには値しない。問題となるのはSランク魔導師が殺戮目標として自分達に矛先を向けている事そのものだ。
 だが、アリアとて負ける積もりはなかった。元々、なのはとフェイトが闇の書の暴走開始まで足止め出来なかった場合には自分とロッテで時間を稼ぐ覚悟はしていたのだ。
 ロッテが意識を取り戻すまで凌ぎきれば、制圧する事だって容易ではなくとも不可能では無いはずだ。
 リーゼロッテが格闘術に長けているように、リーゼアリアは魔道技術が高い。
 局員として長く働いてきた彼女達には、過去にSランク魔導師と対戦する機会もあった。彼らの大魔力を活かした広域殲滅系の魔法には苦しめられたが、その代償である魔力の精密操作・高速運用・並列処理の技能の低さを突くことで勝利を収めてきた。それらは大魔力を持つ者の性質であり、努力で補う事の出来ない特性だからだ。
 勿論誰にでも出来る事ではなかったが、リーゼ姉妹が管理局で最強の一角と評されている理由の最たる物は、姿を視認出来る距離に詰められればSランク魔導師とも渡り合ってきたその実績だった。

 唯一にして最大の誤算は希少なユニゾンデバイスとの戦闘経験がなかったことだろう。
 ユニゾンデバイスはマスターとの融合が前提となるためシステム自体が非常にデリケートである事は当然として、マスターとの相性まで関係してくる。当然のリスクとして融合事故が付随する事になるが、過去に製作された物の大半が事故を起こしたため、その製造方法自体が廃れていった。
 サンプルが少なく、現存する物は所有する一族が秘匿しているため、ユニゾンデバイスの性能は過去の記録でしか知る事が出来ない。
 何より、闇の書そのものが起動後の数十分しか正常に動作することが出来ない。
 そういった理由があるとはいえ、闇の書のユニオンデバイスとしての性能をどれほど過小に評価していたのか、アリアは直に思い知らされることになった。

 闇の書の周囲に30前後の魔力弾が発生した。それが誘導弾である事を見抜いたアリアは困惑しながらも迎撃のために同種の魔法を起動した。
 困惑の理由は弾数があまりにも多過ぎる事だ。
 魔導師ランクから考えれば当然といえる程度の数だが、誘導弾となれば話が変わってくる。
 全てを同時に制御してまともな誘導が出来るとは思えないし、小分けにして誘導するくらいなら直射魔法にして同時に射出した方が有効だ。あれだけの数なら直射魔法でも十分な弾幕になる。
 いや、それ以前に、操作・照準に精密性を欠くSランク魔導師が、誘導弾!?

226小閑者:2017/10/14(土) 23:16:04
 アリアが結論に至るまで待ってくれる訳も無く、闇の書が攻撃を開始した。
 当然の様に出し惜しむ事無く全弾一斉に、それでいて僅かなタイムラグを持って飛来する視界を埋め尽くすほどの攻撃に動揺する事無く、アリアも即座に打ち出した。数は比率にして10:7、一発当たりの魔力濃度も負けている以上、相殺する事は出来ないし意味が無い。
 誘導弾の操作は必ずしも精密操作である必要はない。そもそも操作の精度は個人差があるし、弾数が多ければ全弾が細かい動きをする必要がないからだ。要所の数発を敵のアクションを妨害するように誘導すれば残りは力押しで済む場合がほとんどだ。
 ただし、操作そのものを放棄する事は出来ない。そのため、誘導弾を操作する術者を攻撃して制御力を低下させて回避するのがオーソドックスな対処法となる。ヴィータがなのはを相手に取った手段であり、アリアも当然の対処として同じ行動を取ろうとしたが、その後の展開も、そして驚愕も同様に味わう事になった。

「馬鹿な…
 全弾撃墜だって!?」

 初撃の文字通りの範囲攻撃とは違い、弾丸として形成されている以上隙間と呼べる空間は存在する。魔力を弾丸として分割する事で攻撃範囲を広げているのだから隙間を失くすほど弾を一箇所に敷き詰めたら何の意味もない。だからこそ、人体が通り抜けられない程度の空間的・時間的なその隙間に魔力弾を通せばカウンターを入れることは難しい事ではない。
 セオリーだからこそカウンターに対する対処法も幾つも存在するが、大抵は持ち前の魔力量に飽かしてシールドやバリアで防ぐためバリアブレイクの効果を付加した弾丸は高い成果を齎してきた。しかしその実績も闇の書に届く遥か手前で魔力弾に撃墜された事で意味を成さなかった。
 だが、Sランク魔導師の常識を軽く覆す光景に驚いている余裕などアリアにはなかった。魔力弾の撃墜に何割か消費したとは言え、残りの半数以上が健在なのだ。
 誘導弾である以上に広範囲から殺到してくる弾数に対して、アリアには回避という選択肢は無い。展開したシールドに全精力を費やすように只管耐えていると、弾幕の向こうで掲げた右腕に落雷を受け止める闇の書の姿を見て愕然とした。

 自分達が思い描いていたシナリオから悉く逸脱しようとする現実に対して、焦りと苛立ちが募っていたのだろう。事ここに至って、漸くリーゼアリアも自分が闇の書について重要な特性を失念していた事に思い至った。
 闇の書は“蒐集”というレアスキルに隠れがちだが高位魔導師を補佐するためのデバイスだ。高位魔導師、即ち保有魔力量の多い者が抱える事の多い制御と高速・並列処理に対する適正の低さという問題を解決する事こそがデバイスとしての機能なのだ。
 相手が高位魔導師である以上、油断するほどの未熟さは持ち合わせていなかったが、「一般的なSランク」を想定した戦い方を選択してしまう程度には冷静さを欠いていた。そう現状を分析すると、リーゼアリアは仕切り直すべく闇の書を睨み付ける。あの腕に纏った雷撃による攻撃を凌ぎきり反撃に移る、心中でそう決意を固めた。
 容易い事ではない。それどころか絶望的と言ってもいいだろう。他の誰かであれば、あるいは普段のアリアであれば「不可能だ」と判断して撤退する事に全力を費やすような状況だ。だが、この戦いだけは退くという選択肢は存在しない。

 管理局員としての誇りも、自身の良心もかなぐり捨てて、罪悪感と自己嫌悪に苛まれながらも決して引き下がる事無く進めてきた父様の悲願なんだ。どんな犠牲を払ってでも必ず達成してみせる!

 不退転の決意を胸に、闇の書の攻撃に全身全霊をかけて対抗しようとしたアリアは、だからこそ背後から音も気配も無く駆け寄った存在に気付く事無く、その突進の勢いを余す事無く打撃に転換した右後回し蹴りを左肩に受けて吹き飛ばされる事になった。

227小閑者:2017/10/14(土) 23:18:24
 殲滅対象に対して斜め上空から最短距離を飛翔して間合いを詰めた闇の書は、接近する人影に気付いていた。
 敵の増援だろう。単騎であることに疑問を持たないではないが、自分に挑める高位魔導師が多くない事も分かっている。
 何より、敵がどれだけ増えようとも自分には関係のないことだ。主の願いは必ず叶える。力の暴走が始まるまでそれほど猶予があるわけではないが、だからこそ状況の変化に対応する事よりも目的の達成だけに集中する。
 そう自分自身に言い聞かせた彼女ではあったが、流石に増援だと判断していた人影が殲滅対象からみて左斜め後方から接近したかと思ったらそのまま蹴り飛ばして見せられたため思考が停止した。

「は?」

 彼女の認識では、現在自分に味方してくれる者はいない。だから、彼女の想定からかけ離れた人影の行動に軽く混乱した。
 この右腕の雷光から女を遠ざけるにしてももう少し他のやり方があるだろう。
 そんな思考が流れている間も肉体は攻撃行動を継続していた。殲滅対象と入れ替わるようにその場に残った人影に向かってそのまま腕を振り下ろそうとする自分を人事のように眺めていた彼女は、後ろ回し蹴りによる旋回運動で正面を向いた、つい先程死んだはずの恭也の顔に今度こそ頭の隅々まで白く染まった。



     * * * * * * * * * *



 なのはとフェイトがクリスタルゲージを破壊すると、2人が探査魔法を起動する前に恭也が指し示した戦闘区域に向かい、飛べない恭也の腰に抱きつく形で3人は一塊になって飛翔していた。

【進行方向、約4500m先に魔法戦闘の反応があります】
「ありがとう、バルディッシュ」

 バルディッシュの裏付けで恭也の言葉が正しかった事が証明されたがそれで納得する訳には行かない。
 恭也の非常識な技能を疑う様な愚かさは既に2人とも持ち合わせていないが、彼の非常識さを無条件に受け入れられるほど良識を捨てた訳でもない。
 移動時間を無為に過ごすよりは疑問を解消しておく方が良いだろうとフェイトが口を開いた。

「恭也、闇の書が転移したのがこっちだってどうやって分かったの?ケハイ?」
「この距離では気配を読むのは無理だ。さっき姿が変わる直前、はやてがこの方向を見ていたんだ」
「…姿が変わった?…ええと、偶然はやての顔が向いてただけとは思わなかったの?」
「睨み付けていたからな」
「…はやてちゃんの表情まで見えてたんだ?」

 顔を見合わせた2人は同時に苦笑しながら首を振った。2km以上離れた位置から顔の造詣など普通は見えない。2人には発生した魔力の柱の中に人影が見えた程度で、姿が変わったことも見取れなかったのだが。
 なのはの苦笑に呆れや困惑より嬉しさの割合が高いのは恭也の非常識さをまた1つ知る事が出来たからだろう。フェイトになのはの内面がそこまで理解出来たのはその気持ちを共感していたからに他ならない。

「目と目で通じ合っているところ悪いが、はやてへの対処について確認しておく。
 あいつを殴り倒せたとしても解決するとは思えないから、目的はスクライアが対処法を見つけ出すまでの時間稼ぎ。
 基本は説得、無理ならゴリ押し。恐らくは戦闘になるだろうな。
 ここまでについて何か異論は?」
「何か、随分表現が過激な気がするんだけど…」
「恭也、ひょっとして気が立ってる?」
「時間が無いから端的な表現をしているだけだ。
 説得については俺が担当しよう。弁が立つとは思っていないしはやての意識が残っているとも限らないが、今の自我だってヴォルケンズと何かしらの繋がりはあるだろう。
 説得に失敗すればそのまま戦闘になるだろうが、俺が倒されるまでは手を出さないでくれ」
「ええ!?
 何言ってるの恭也君!シグナムさんより強いんだよ!?」
「それは大した問題じゃない。そもそもシグナムだって俺より強いからな。
 拳銃が大砲になったところで当たれば死ぬ事に変わりは無い」
「その括り方は、流石にどうかと…」
「気にするな」
「…どうして1人でやろうとするの?」
「俺の目的ははやてを止める事だ。実力行使はその手段に過ぎない。
 さっきの2人組みがお前達の姿に化けていた以上、はやてがお前達を仇と勘違いする可能性は高い。興奮させては元も子もない」
「私達の姿を!?」
「拘束を解きながら見ていただろう?」
「あの距離では無理だよ…」

228小閑者:2017/10/14(土) 23:20:44
 魔法技能以外の肉体的なスペックで恭也と張り合う気にだけはならない。
 恭也の言う通りなら、確かに自分達が姿を見せれば話し合いの余地は無くなるだろう。だが、恭也が単独で向かったとしても必ずしも会話が成立するとは言い切れないのだ。
 会話が成立せず、強攻されれば戦闘になるだろう。この世界で育ったはやては魔法とは無縁であったはずだが、既に転移魔法を行使しているところからしてもデバイスとしての魔道書の機能に問題は無いのだろう。推定Sランク魔導師との戦闘になれば1人で行くのがなのはやフェイトであっても危険である事に変わりは無い。格上相手に1人で行くという前提がそもそも間違いなのだ。
 恭也に限ってそれが分からない訳が無い。つまり、どれほど大きなリスクを負ったとしても恭也にとっては引き下がれないラインなのだ。

「無理にでも付いて行くって言ったら、どうする?」
「なのは…」

 勿論、嫌がらせではない。
 なのはだってはやてを助けたいと思っている。ただ、その条件が恭也を危険に晒す事だとすれば素直に頷く事は出来なかった。

「…無理強いする権利も、力ずくで押し通す実力や時間も無い。
 形振り構っていられる余裕は当の昔に無くなっているが、俺には頭を下げる事以外に出来る事は無い。
 少しでもあいつに不利な条件を減らしたいんだ。頼む」
「…ずるいよ、恭也君」

 普段の飄々とした、あるいは不遜とも傲慢とも取れるような態度は何処にも無かった。それでいて形式的に謙(へりくだ)った鼻に付くようなものではない、真摯な態度だ。
 こちらの方が恭也の本来の姿だ、そう言われれば何の疑いも持たずに信じてしまえるその姿を見せられては、なのはには如何に正論であろうとこれ以上強く言う事は出来なかった。

「わかった、手出ししない。
 その代わり、絶対、無事に帰ってきてね!」
「…感謝する」

 そう言いつつ前方に目を向ける恭也に倣えば、数十の光弾が単色ながらも鮮やかな花火の様にビルの屋上に向かって打ち出されたところだった。

「ここまでで良い。
 まずは説得からだ。お前達は隠れていてくれ。
 弾丸撃発」
【Rock'n Roll!!】  
「分かった。気をつけてね、恭也」
「ああ」

 恭也は短い返事を残すと、残りの200mほどの間合いを次々と足場を作り上げながら最短距離を駆け抜け、その勢いを余す事無くリーゼアリアの左肩に右後ろ回し蹴りにして叩き付けた。闇の書の攻撃に耐えるために全身全霊を懸けて前面に展開したシールドを強化していたリーゼアリアに何の抵抗も無く届いた右の踵は苦も無く彼女を弾き飛ばした。
 目的がアリアを闇の書の攻撃から逃がすだけなのだから、恭也であれば他にもっと穏便な遣り方は幾らでもあっただろう。それを採用しなかったのは間違いなく私怨だ。弾かれたアリアを受け止める事になったフェンスが大きく歪み、何本かの支柱がコンクリートから引き抜かれている事からも加減のなさが見て取れた。
 ただし、恭也が攻撃の積もりで放った蹴りであれば突進による運動エネルギーを100%衝撃に転換する事でアリアの体をほとんど動かす事無く致命的なダメージを与えていたであろう事を考えれば、如何に私怨が混ざろうとも目的だけは忘れた訳ではないことも分かる。
 アリアを弾き飛ばす事で位置を入れ替えた恭也は、当然の結果として闇の書の攻撃に身を晒す事になった。恭也の顔を目にした彼女の表情から簡単に読み取れる通り、驚きに染まる思考では攻撃を停止する事も攻撃の軌道を逸らす事も期待出来なかったが、恭也も当てにしていなかったのか遅滞なく回避行動に移っていた。
 移動の慣性を完全に失いリーゼアリアの居た位置に停止した恭也が、腰の高さに足場を生成するのと同時に回し蹴りの軸となった左足を跳ね上げて円板の下面を蹴り上げ、自身の体を下方へ反らし闇の書の雷光を纏わせた右正拳を躱した。
 右腕を振り抜いた姿勢で大きく目を見開いたまま動きを止めた闇の書の管制人格に対して、恭也はとんぼ返りの要領で数m下方に展開した足場に着地し彼女を見上げた。

「恭也…、生きていた…?
 そうか、先程のお前は奴等の幻術か」
「今の俺が偽者の可能性だってあるだろう?」
「そんな非常識な体術で躱す人間が他に居るものか」
「いやいや、お前が見た俺だって非常識だっただろ?」
「いや、思い返してみるとあれは無闇に高速で動いていただけで体術と呼べるほどの物ではなかった。高速移動型の魔導師と変わらない。
 それより、やはりお前自身も自分の動きが非常識に分類されるという自覚があったようだな」
「これだけ散々貶されれば話くらい合わせるようになる」
「そんな殊勝な心掛けなど持ち合わせていまい。
 …時間を稼いでどうする積もりだ?」

229小閑者:2017/10/14(土) 23:25:24
 穏やかとさえ言える柔らかい表情を浮かべていた美貌が呼吸1つで硬質なそれに変わる。
 対する恭也は無言。闇の書の指摘に是とも非とも答えず、静かに彼女の顔を見上げている。
 答えが得られそうにないと判断した闇の書は恭也と目線が揃う高さまで降下してから質問の矛先を変えて問い掛けを続けた。

「何故あの女を庇った?あれらが我が主に何をしたか見ていたのだろう」
「ああ。一部始終見ていたし、以前からちょくちょく煩わしいちょっかいを掛けてきた奴の正体だった事も判明した」
「ならば、何故邪魔をする?」
「それに答える前に1つ確認しておきたい。
 お前がはやてでは無い事は分かったが、ヴォルケンリッターの誰でもないようにも見えるんだが?」
「私は魔道書の制御プログラムだ。管理局の魔導師に喋るデバイスを使う者が居ただろう。そのAIが人の形を与えられたと思って貰えば良い」
「なるほど。シグナム達を統括しているという事か。
 彼女達はお前の一部なのか?」
「いや、役割が違うだけだ。魔道書を構成する一部という表現をするなら、それは私も含まれる。
 たしかに今はシグナム達も魔道書に蒐集されているため私の内にあるとも言えるがあくまでも独立した存在だ。
 理解出来たなら私の質問に答えて貰おう」

 表情を引き締めてからの彼女の言葉には遊びが無い。それはそのまま心のゆとりの無さを表していた。

「お前、殺す気だったろ?」
「無論だ。主の願いは守護騎士と恭也を殺した者の死だ。
 まさか、実際には死んでいなかったから無効だ、などとは言うまいな?」
「当たり前だ。
 だが、それがはやての意思とは俺には思えない。
 はやてを聖人君子に祭り上げる積もりはないが、だからこそ、突発的に強い悲しみに揺さぶられればその反動として衝動的に殺意を抱いても不思議には思わない。
 外見こそ変わったがお前の体がはやてのものであり、お前が“はやての望み”として人を殺そうとしている以上それははやての罪だ。
 殺人は取り返しのつかない罪だ。生物が生き返らない以上、コレは絶対だ。一時の感情で犯すにはその罪は重過ぎる。
 ならば、止めてやるのが家族としての俺の役割だろう」
「奴等の立てた身勝手な計画の犠牲者である主に、心に傷を負わされて泣き寝入りしろと言いたいのか?」
「殺意を抱くなとは言わない。報復は正当な権利だと俺は思っている。
 だが、それは万難を排してでも貫けるほどの意志か?
 感情に流されれば後で必ず後悔する。冷静になるまで時間を置いてからもう一度考えさせろ」
「数日程度で家族の殺害を許せるほど情の薄い方ではない事はお前も知っているだろう」
「許す必要などないが、他の報復行動で許容出来るようになる可能性はあるだろう」
「時間を置いても死を望まれた場合はお前も協力すると?」
「どうしても、と言うなら仕方ない。
 その時には改めてはやての前に立ち塞がるさ」
「何故そこまで邪魔をする?」
「どう考えても、あいつらを殺した先にはやての幸せがあるとは思えないからだ」
「それがこの国の人間の考え方か?」
「国民全て、とは言わないが、多数派だろう。少なくともはやてはこちらに属しているはずだ」

 恭也の言葉に闇の書が口を閉ざした。
 はやての幸せ。
 それは守護騎士にとって、延いては闇の書にとっての最優先事項だ。
 他の誰でもない恭也の言葉は十分な信頼性がある。それについ先程まで顕現する事が出来なかったとは言え、ずっとはやての傍らに寄り添っていたのだ。掛け値なしに心優しい少女である事は誰よりも良く知っている。
 迷う理由など何処にもない。

「退いてくれ、恭也。
 これ以上邪魔するのなら、たとえお前でも容赦しない」

 そう。
 初めから闇の書には選択の余地など何処にも無いのだ。

「…お前が奴等を手に掛ければ、あの子は泣くぞ。
 自分の激情が理由で家族が人を殺したなど、はやてが許容できる訳がない」
「主は、私の中で守護騎士やお前と共に平和に暮らす夢を見ている。
 私が在り続ける限り主は永遠に幸せで居られる」
「死んでいない事と生きている事は同じ意味じゃない。
 誰もが“永遠”に意味を見出せる訳でもない」
「これ以上は水掛け論だな」
「そうだな。
 最後に、1つだけ答えてくれ」

 そう言葉を足しながらも躊躇っている恭也の様子に、闇の書は質問の内容を察してしまった。

「…お前の名前を、教えてくれ」
「…すまない」

 その、答えになっていない返答に、恭也が表情を歪めるのが分かった。

230小閑者:2017/10/14(土) 23:28:53
 闇の書が起動した時点で、選択権など存在しなかったのだ。
 数分か、数十分か先に魔道書は暴走する。シグナム達とは違い、管制プログラムである彼女はその事実を認識していたが、それを未然に防ぐ手段はなかった。
 魔道書は、主をサポートすることこそ存在意義だ。力及ばず主を失うならばまだしも、自らの存在が主の命を奪うなど認める訳にはいかない。
 だが、だからと言って彼女に取れる手段は他にない。
 主を自らの内で眠りにつかせる。そして、闇の書の意識が在る限り、主の最後の願いを叶えるために全力を尽くす。
 魔道書としての自身を消滅させられない彼女には、何の解決にもなっていない事を承知で、それでも、道具としての役割に徹する以外に出来る事はなかった。



 気持ちを切り替えるようにゆっくりと目を閉じ、開く。同時にリーゼアリアに放ったのと同数の誘導弾を自身の周囲に展開した闇の書は、最後通告として恭也に確認を取った。

「…本気で私と戦うつもりか?」
「出来れば冗談で済ませたかったが、そうもいかんだろう。死んだら恨んでやるから加減してくれ」
「普通は『恨まないから遠慮するな』だろう?」
「何を馬鹿な。死にたい訳がないだろう」
「だったら立ちはだかるなと言いたいところだが、死にはしないから安心してくれていい」
「ほう?親切だな。手足を打ち抜くだけで済ませてくれるのか」
「お前を相手にしてそんな器用な真似は出来ない。
 管理局に居たなら非殺傷設定を知っているだろう」
「知ってはいるが、あれは確か比較的最近開発されたと…、蒐集ってそんなことも出来るのか?」
「察しが良いな。心置きなく喰らうといい」
「急所を外そうとしてくれる事を期待していたんだが、難易度が格段に跳ね上がったな。
 知ってるか?非殺傷設定と言っても喰らうとかなり痛いんだぞ?」
「知らない。受けた事はないからな」
「とことん上から目線だな。少しは弱者の気持ちを考えろよ…」

 この期に及んで軽口を止めない恭也に苦笑しながらも、闇の書は油断する事無く恭也に向かって全弾射出した。

 ヴォルケンリッターを内に吸収した闇の書は、彼女らの経験や感情をある程度共有している。複数の人格を吸収しているため共感には至らないし、適正の違いから技能は共有できないが、それでも彼女らが見た恭也を知っている。
 そして、だからこそ、知らない。
 恭也と対戦したオーソドックスな魔導師がどんな感想を抱くかなど。

「な…!?」

 過去に恭也と対峙した経験は、シグナムが剣道場と砂漠で1度ずつ、ヴィータがビルの屋上で一中てだけ。
 その知識だけでも十分に呆れられるものだったが、それらだけでは不十分だった。
 真剣での切り合いを本分とする剣術家にとって、的を絞らせない事は必須技能だとシグナムの思考が告げていたが、共感できない闇の書には実感出来ない。
 分かる事は、決して視認出来ないほどのスピードではないにも関わらず、空間を駆け巡る恭也にヒットしないという事実のみだ。
 5分近く繰り広げられたその光景は唐突に終了した。
 恭也に対して誘導弾は効果が無い。そう結論を出した闇の書が魔力弾をキャンセルしたのだ。

「ゼェ、ゼェ、お前、幾らなんでも、ゼェ、最低ランク相手に、大人気ないぞ!ゼェ
 加減が足りん!ハァ、ゼェ」
「…安心しろ。
 威力は兎も角、弾速と精度は全く手を抜いていない」
「あぁ、そうなのか?ハァ
 それなら今と同じ要領で、ゼェ、躱せばなんとかなるんだな。ハァ
 って、出来るか!どれだけ運頼りだったと思ってる!?」
「なに、謙遜する必要は無い。
 八神家での生活を見ている限り、お前はこれっぽっちも幸運に恵まれている様には見えなかった。
 先程のは100%お前の実力だろう」
「…え?
 いやいや、そんな筈はないさ。
 俺の実力などそれほどのものじゃないんだ。絶対にこれから先の運を相当消費した筈だ」
「それは無いだろう?そもそも持ち合わせていないんだ。
 この国の『無い袖は振れない』という諺の通りじゃないか。
 そもそも、どうして実力を評価されたのにそんなに嫌がる?」
「っくぅ
 うるさい!俺にだって見つめたくない現実って物があるんだよ!
 お前に俺の気持ちが分かって堪るか!」
「ふむ。
 分からないものだな。こんな事で精神的にダメージを与えられるとは思いもしなかったが」

231小閑者:2017/10/14(土) 23:43:38
 急速に呼吸を整えていく恭也の姿を見据えていた闇の書が深く息を吐き出した。
 あの呼吸の乱れは演技だろうか?
 恐らく演技だろう。
 シグナムとの戦いでは連続した戦闘行動は多くなく静と動が明確に分かれていたが、行動時には目まぐるしい状況変化とフェイントを交えた駆け引きが繰り広げられた。
 難易度自体は凄まじく高いが“誘導弾を躱す”という単一の目的だけで動いた先程の運動は、恭也にとって呼吸を乱すほどではなかったはずだ。
 そんな本筋から外れた内容で思考を締め括った。
 あれが誇張された演技で恭也の疲労が大したものではなかったとしても、休息を与える必要は無い。それでも敢えて会話に乗ったのは眼前で展開した異様な光景に動揺したからとしか言えないだろう。

「恭也。お前は本当に生物か?」
「…そんなざっくりとした括り方をされたのは初めてなんだが、その枠にすら入ってる事を疑われてるのか?」
「当たり前だ。
 展開した足場は即座に砕いているのに回避行動に支障がないし、妙な動きに照準を絞る事は出来ないし、数で押しても悉く躱される。
 視認出来ないほどの高速行動ならまだしもあれは異様過ぎる」
「フッ
 医務室に強制収容される程の病人だった筈の俺に、気晴らし程度の模擬戦で情け容赦なく技能の限りを尽くして撃墜しようとする冷徹な砲撃魔導師がいてな。
 訓練内容が、生き残りさえすれば誰だってこの程度の事は出来るようになっているという超ハードコースだったんだ」

 病人が模擬戦に参加している時点でどうなんだ?という至極もっともな彼女の視線を物ともせずに、ワザとらしく遠い目をする恭也。
 無理強いしておいて酷い言い草である。なのはが聞いていたら思わず背後から狙撃しかねない内容だ。
 魘されている事が明るみに出た後、医務室に強制収容されていた恭也であるが、勿論大人しく閉じ篭っている訳がなかった。なのはやフェイトが訪れる度になんやかんやと言いくるめて訓練室へ連れ込んでいた。3日目には2人とも諦めていたようだが。
 勿論、アースラ艦内の訓練室をこっそり使用することなど出来るはずは無いので、ガス抜きとして黙認されていたのだ。恭也もそれは承知していたようで、堂々と訓練室に入り、フェイトに頼んで設備を使用し、スタッフの誰かが止めに来るまでの1時間前後を只管駆け回っていた。

 闇の書が知る限り恭也がデバイスを手にしてから2週間と経っていない筈だ。
 この短期間に魔法の構築・展開・発動のプロセスに掛かる時間を短縮出来るほどの才能が恭也に無い事は分かっている。コンマ数秒という発動時間は恭也の運動能力からすれば遅過ぎるはずだ。ランクからいっても魔法の行使自体がデバイス頼りだろうから、恭也が如何に努力したところで敵の攻撃に合わせて瞬間的に足場を形成する事は出来ないだろう。
 だが、先程は間断無く降り注ぐ無数の魔力弾を幾つもの足場を作り出しながら全て躱して見せたのも事実だ。シグナムとの戦いのように事前に足場が形成されていれば破壊して動きを封じる積もりでいた闇の書にとっての誤算はここにもあった。
 恭也は常識的な観点からすれば在り得ない事を幾つも体現しているが、本人の思考は決して根性論や精神論で形作られてはいない。不可能を可能とするには本人のやる気や努力だけではなく、出来る事で補う必要がある事をちゃんと理解している。

「魔法が足場として具現化するまでのタイムラグを考えれば、魔力弾がかなり離れた位置にある段階でなければ足場を作り出せないだろう。
 仮に私を幻惑する動きが私からの攻撃を無視しても成り立つものだったとしても、それでは精密誘導していない魔力弾を避けられない。
 お前に防御力が無い以上、取れる選択肢は見て避けるしかない。だが、30近い弾丸のコンマ数秒後の軌道を全て予測するなど信じられん話だ。直進だけではなく弧を描かせた物も半数近くはあったから尚更な。
 予知能力じみた予測は勿論だが、その土台となっているお前の動体視力と認識速度は生物の域を超えているぞ」
「やけに口数が多いと思っていたら分析する時間を稼いでいた訳か。
 そこまで動揺して貰えるなら無理した甲斐があったというものだ」
「動揺か…
 術中に嵌まった様で癪に障るが、流石に平常心を保っていられなかったな。
 お前の方こそ動揺に付け込む事無く私に付き合っていた理由は何だ?
 私の力が暴走するのを待っている訳ではあるまい?」
「動揺程度で埋まるほど実力差が浅くないと自覚しているだけだ」
「立ちはだかっておいて泣き言など聞く気は無いぞ」

232小閑者:2017/10/14(土) 23:47:16
 無駄口はここまで、とばかりに闇の書の周りに8基のスフィアが展開された。
 恭也の動きに翻弄されてしまい誘導弾は効果が期待できないため、弾速と弾数で勝る直射弾で回避出来ないほどの弾幕を張る作戦だ。
 デアボリック・エミッションの様な空間攻撃系の魔法をこの状況で選択する気は無かった。あの系統の攻撃魔法はチャージタイムが掛かり過ぎるのだ。
 今まで恭也が見せてきた攻撃手段に高位魔導師相手に有効なものはなかった。僅かながらもシグナムの肌を傷つけた事はあったが精々その程度だ。闇の書のバリアジャケットは彼女のものより強固であるため完全に遮断出来るだろう。
 だが、それを根拠に恭也に攻撃手段が無いと決め付ける気は無い。シグナムの意見に頼るまでも無く、常識や一般論が如何に儚いものなのかをたった今見せ付けられたばかりなのだ。

 闇の書と恭也の睨み合いは長くは続かなかった。間近で空間転移魔法が発動したからだ。
 反射的にそれが先程攻撃した子供と2人の殲滅対象の内の誰かが使用したものだと確認した闇の書は慌てて意識を正面の恭也に戻した。
 意識を逸らした事を察したのか、単に行動を起こす切欠としただけなのか、その一瞬で恭也との距離が半分にまで縮められていた。
 舌打ちする間も惜しんで即座に射撃を開始しようとすると恭也の体がブレた。原理は不明だが、目に映っているのにそこに存在する事を疑ってしまうという誘導弾を躱された時に味わった奇妙な感覚に再び陥った。
 騙されるな!絶対にそこに居るんだ!
 そう強く思った時、恭也が右に向かって大きく跳躍した。反射的に直射弾を一斉射した闇の書は光の奔流の中で恭也の姿を見失った。
 魔力弾の光を目晦ましにして移動したのか、そもそも跳躍したように見えたこと自体が錯覚だったのか。推測を進めようとする意識を強引に押さえつけて常時起動している探索魔法から得られた反応に合わせて、振り向き様に左腕を掲げてシールドを展開。顕現したシールドが寸前で刀の進攻を阻んだ。
 右手に握った刀で切りつけた姿勢の恭也の姿が視界に映る。すぐさまスフィアから魔力弾を放つが、動揺を抑え切れなかった事も手伝って、既に恭也はシールドを蹴りつけトンボを切っていた。視線だけで追うと上下逆さまの状態から展開した足場を蹴りつけてアッサリと射線から離脱してしまった。
 追撃を諦め、裂傷を負った左手を見やる。治癒と言うより復元と呼べるほどの速度で回復するその傷はシールド越しに負ったものだ。
 視覚情報と感覚を狂わされる所為で、恭也には技術的に干渉出来ないはずの探索魔法の結果まで疑わされてしまう。その出鱈目な技術については最早何も言うまいと諦めていたが、この裂傷については流石に納得が出来なかった。
 刀身は完全にシールドで受け止めた。シールドの内側にあった彼女の肉体を傷付ける要素は何処にも無かったはずだ。

「…何をしたんだ?」
「教えてやらん。
 と言いたい所だが、ヒントくらいは出そうじゃないか。
 八神家で世話になって直ぐに携帯電話を渡されてな、コードも繋がってない上に掌に収まるほど小さいからどうして電話として機能するのか不思議でならなかった。
 そんな俺でも努力の結果、通話出来るようになったんだ」
「…それはつまり、お前自身にも分からないという事か?」
「その通りではあるんだがな。
 知ってるか?事実は端的に語るよりオブラートに包んだ方が会話が豊かになるんだぞ?」
「そんな豆知識は要らん」

 油断無く対峙したまま、雑談に突入した事を自覚した闇の書は苦笑が顔に浮かばないように取り繕うのに苦労した。
 顕現した直後ははやての感情に引き摺られてリーゼ姉妹を殺す事以外に向けられなくなっていた意識がいつの間にかニュートラルに戻っている。勿論、主の願いを叶えるために咎人達を殺す事に変わりは無いが、周囲に目を向けるだけのゆとりが出来た。
 あの2人には転移されてしまったが、追跡する事は造作も無い事と切り捨てて恭也を見据えた。

 他人の強い感情に触れた時の反応は人により異なる。
 共感する者、反発する者、嫌悪する者、恐怖する者、扇情する者、否定する者、無視する者。
 状況を理解した上で平時を意識した態度をとる事は決して容易い事では無い。
 感情の起伏が激しいヴィータが懐くのも頷ける。それに振り回されていてはヴィータと付き合っていくことなど出来ないのだから。

233小閑者:2017/10/14(土) 23:48:35
 恭也は敵対する形でSランク魔導師と対面しながら、逃げ出す事も積極的に攻勢に出る事も無く、こちらが明らかに動揺し隙を見せていた時にさえ会話を優先した。
 そんな事が出来るのは同ランク以上の実力を持つ者か、実力差の分からない愚者だけだった。
 恐怖を感じていない訳では無いと思う。非殺傷設定の攻撃だと宣言してあるが、恭也が本当の意味で恐れているのは、自分が命を落とす事よりも意識を失い全てが手遅れになる事だ。自分自身に関する事を全て後回しにしてでも目的を達成する、そういう生き方しか出来ない者を戦場で大勢見てきたから恭也もその部類だという目算は恐らく間違ってはいないだろう。
 そして、魔道書の核となる制御プログラムから、根源とも言える自身の名前が欠落している事を知ってしまった。表面的とはいえ管理局に属していたなら闇の書を危険物として認定している理由が力の暴走である事も聞いている筈だ。そして、暴走する原因である制御プログラムの改編が、修復が効かないほどの深部に及んでいる事を理解出来てしまったからこそ先程は絶望を隠し切れなかったのだろう。
 対峙する恐怖心をおくびにも出さない胆力と、はやてを救済する術が無いに等しいこの絶望的な状況にも抗う事をやめない精神力。

 それらが都合の良い錯覚でしか無いと知っているからこそ、苦い笑みが浮かびそうになるのだ。

「強いな。
 我が主のために自分の命を危険に晒す事も厭わず、私の暴走を防ぐ方法に目処も立っていないのに希望を捨てずに抗い続ける。
 誰にでも出来る事ではない」
「違う!
 買い被るのはやめろ!
 他の在り方を知らないだけだ!」

 それまでの軽口を続ける事も出来ずに顔を強張らせて否定する恭也の様子に、鎌をかけた闇の書が目尻を緩めた。

「そうか」
「ッ!?
 …なんて間抜けだ」
「そう言わないでくれ。
 済まない。今のは悪質に過ぎた」

 分かっていた事だ。恭也にだって余裕は無い。
 そう思ってはいたが、あの程度の言葉に反発するほど追い詰められていると思っていなかったのも事実ではある。
 自分達に見せた事はほとんど無かったが、別の場所では、あの少女達には、弱さを見せた事もあったのだろうか。

 恭也はこれまで十分に八神家のために尽力してくれた。それが、元の世界から放り出された事や一族の死という辛い現実に押し潰されないための行為だったとしても、はやてや守護騎士達が受けた恩に変わりは無い。
 それなのに、今目の前で闇の書が暴走すれば、はやてを救い出す事が永遠に不可能になるという事実を突き付けることになる。それは恭也の努力を裏切る事に他ならない。
 そして、はやてを助ける事に縋り付いていたと言っても過言では無い恭也には、その事実に耐えられず精神を壊す懸念さえある。その結末はあまりにも報われない。
 だが、恭也に対して「気にするな」と告げたところで何の効果も無い事も分かっている。本人の言葉通り、彼にはそう在る事しか出来ないのだろう。
 愛しくさえ思えるその不器用さを失わないために、取れる手段は多く無い。
 主や守護騎士達はこの選択を非難するだろうか?悲しみ、寂しがりはしてもきっと反対はしないだろう。
 そう自問自答した後、闇の書の管制人格は表情を引き締め恭也を見据えた。

「これ以上時間を浪費する訳にはいかない。
 決着を着けようか」
「さっきので見縊られるのも癪に障るな。
 いいだろう。窮鼠らしくその企みを粉砕して見せようじゃないか」

 三度目の開戦は言葉の終わりに被せる様に始まった。
 闇の書の周囲に瞬時にして魔力が集結する。形状は弾ではなく剣。16本の赤い短剣を顕現すると同時に残り5mまで間合いを詰めた恭也に向けて解き放った。

「穿て、ブラッディダガー」
【Blutiger Dolch】

 同時に射出された全ての短剣は視認出来ないほどの速度で飛翔し、恭也が立っていた魔法陣の上の虚空で互いに衝突して粉砕した。その破砕音が響いた時には視界の左端に八影を抜刀する恭也の姿が映った。シグナム戦で見せた視認出来ないほどの高速移動による回避だと悟ったと同時に腹部に裂傷。痛みを無視して左手を伸ばすと先程の高速機動の影響か、明らかに鈍くなった動作で恭也が死角となる背面側へと回避。即座に4つの魔力弾を生成、探査魔法を頼りに背後に向けて射出。微かな手応え。恭也の乱れた呼吸音が耳を打つ。仕掛けるならここしかない!

234小閑者:2017/10/14(土) 23:50:20
 半周して右側面に現れた恭也は無呼吸運動が出来なくなるほどの疲労を抱えていた。それでも防御力の無い恭也は守勢になって強制的に回避行動を取らされるより、僅かでも場をコントロール出来る攻勢を選ぶ。そして、防がれる事を承知で放った斬撃が、闇の書の右腕の肘から先を断ち切った。
 有り得ない筈のその光景が疲労と合わさり恭也の動きを一瞬だけ停滞させた。
 その一瞬を逃す事無く恭也を正面から抱きしめるように拘束した闇の書は、自分諸共恭也をバインドで縛り付けた。
 闇の書の豊かな胸の谷間に顔を埋める体勢になった恭也には、当然ながら嬉しさや羞恥に頬を染めるような余裕は無かった。

「まさか腕を切り落とさせるとはな。
 夜伽と言うには明る過ぎないか?」
「相手がお前なら私にも異論は無いのだがな。
 いや、性的な意味だけでは無いのだから間違いでは無いか」

 穏やかに話す闇の書の背後で爆発音が連続した。我慢出来ずに拘束された恭也を助けようとなのはとフェイトが攻撃を仕掛けているが、恭也が密着しているこの状況では打ち抜く訳にはいかない。そして、全力を出せない以上あの2人といえどもSランク魔導師である闇の書のシールドを打ち破る事など出来るはずがない。
 恭也にもこの体勢から抗う術は無かった。致命の傷で無ければ闇の書は無視するだけの覚悟をしているし、はやてを助けるためにここに居る恭也には致命傷を負わせることが出来ないからだ。

「我が主も、守護騎士達も、勿論私自身も、お前には言葉では表しきれない程の恩義を感じている。
 もう、十分だ。
 眠ってくれ」
「待っ…」

 その言葉と共に恭也の体を紫色の魔力光が包み込む。
 自分自身を犠牲にしてでも他者を守る。そんな生き方しか出来ない恭也を守るなら、恭也の周囲の人間が傷付かない世界にするしかない。
 その、現実には存在しない理想の世界も、夢物語ならば成立する。
 主や自分達を忘れられる事を寂しくは思うが、それが恭也の幸せに繋がるなら、皆もきっと納得してくれる筈だ。
 そうであることを願いながら、闇の書は恭也を眠りの園へと誘った。

【吸収】





続く

235小閑者:2017/11/04(土) 11:25:06
第22話 夢中




 静かに開かれる襖。無音と言ってもいいほどに忍ばせた足音。右手に握られた木刀。
 夜の帳も明けきらない薄闇の中で、見つかれば問答無用で通報されかねない不審者然とした行動ではあったが、そんな時間帯だからこそその人影を見咎める者もいない。
 更には侵入した部屋に居る人物が布団を被って眠っているとなれば、その不審者は襲撃者と断定しても問題ないだろう。

 日本家屋では人が歩くと音が出易い。板張りの床は不用意に歩けば踵が板を叩く音が響くし、仮に爪先立ちになって衝撃を吸収したとしても板が軋むことは避けられない。畳敷きの床は体重を柔らかく受け止めることで硬質な足音を出さない代わりに、芯に使用されている藁が擦れあう微かな音を発散する。
 雑音の多い昼間であれば聞こえない程度のそれらの音は、静まり返ったこの時間帯であれば眠りの浅い者を目覚めさせるほどの騒音となる。
 つまり、板張りの廊下を通り、畳を踏みしめて布団の傍らに至るまで一切音を発することのなかったという事実こそが、その襲撃者が素人ではなく相応の修練を積んでいることを証明していた。

 襲撃者がゆっくりと木刀を振り上げる。空気を押し退けることさえ危惧するような慎重さで上段まで移動した木刀は、逆に一瞬でも早く行為を終えようとするかのように躊躇なく一気に振り下ろされた。
 ボンッ!と木刀が布団を叩く音が響いたときには、布団に包まれていた人物・恭也は掛け布団ごと襲撃者の反対側へ跳ね起きた。布団を跳ね除ける動作のまま右手を腰へ、左手を肩口へ伸ばし、両の手が空を切ったことで流れるようだった一連の動作が澱んだ。
 一瞬の停滞。それは、襲撃者が木刀を躱された動揺から立ち直り構え直すより尚短く、文字通り瞬く間だった。
 全幅の信頼を寄せる存在を見失った者としてはあまりにも微小なリアクションの後、恭也は俊足の踏み込みで暴漢に肉薄した。
 武装している襲撃者に対して無手で反撃に転じたのは実力差を見抜いたからではなく、帯びていたはずの武装の一切を失っていることを察知したからだろう。そうでなければそもそも最大戦力である小太刀に手を伸ばすはずがない。
 もっとも、接触と同時に襲撃者を組み伏せる事に成功したことからもその判断が間違いではなかったと分かる。

「ま、参りました」

 あっさりと組み伏せられた襲撃者が漏らす敗北宣言に僅かながらも目を見開いた恭也はゆっくりと相手を子細に観察した。
 恭也より頭一つ分は小柄な体躯。鍛えられ、引き締まっていることを差し引いても華奢な、それでいて柔らかさを失っていない腕。一瞬とはいえ激しい立ち回りのために乱れながらも絹糸のように滑らかな、背中に届くストレートの美しい黒髪。
 その後ろ姿は、俯せに押さえ込み含み針を警戒して額を床に押しつけているため顔を確認できない襲撃者が、声や気配から連想した通りの人物である、という有り得ないはずの結論を肯定するものだった。

「…み、美由希?」
「え?うん、そうだよ?」

 何を今更、と言った様子で答える美由希。
 悪びれる様子がないのは恭也自身がこの襲撃を受けることを了承しているからに他ならない。

「兄さん?」
「…あ、ああ、すまない」

 何時までも解放されない事そのものより恭也の様子を不審に思った美由希が呼びかけると、我に返った恭也が固めていた美由希の手首を放した。
 体を起こした美由希が見やると、恭也は呆然と部屋の中を眺め回していた。

「兄さん…?どうかしたの?」
「…いや、刀を携えてどこか別の場所に居た気がしたんだが。
 八影は父さんが持ってるんだから、別の…別?
 何だ?俺の刀より大きかったのに、練習刀じゃなかった…?」

 独り言を呟きながら眉をしかめる恭也に美由希がいよいよ不安を抱いたのか、どたばたと廊下を走りながら声を張り上げた。

「お母さん、お母さーん!
 お兄ちゃんが変だよー!」

 少々失礼な言葉を叫びながら美由希が明るみだした廊下を駆けていく。
 不破家から声を張り上げても御神家で朝食の準備に取りかかっている美沙斗に聞こえるはずがないことに気付かないほど混乱している美由希に、言い回しを気にする余裕などなかった。

「夢を…見ていたのか?」

 一人残される形になった恭也は、美由希の言葉を咎めることもなくぽつりと呟いた。

236小閑者:2017/11/04(土) 11:26:52
 町内のジョギングと、御神の敷地にある道場での型と打ち込み。それが朝食の前に行う鍛錬の内容だ。
 平日から行っている日課は、休日であっても変わることはない。

「目に見えて上達するな、恭也君は」
「ありがとうございます。でも、まだまだですよ」
「年齢からすれば十分過ぎると思うけど、それじゃあ満足出来ないんだろうね。
 これは私もうかうかしていられないな」
「静馬さんが油断しているところなんて、俺は見たことがありませんけどね。でも、いつまでも目標でいて貰えた方が有り難いです」
「私個人に勝っても意味はない、か?」
「勿論です」

 クールダウンを行いながら会話する静馬と恭也。
 フィアッセが心を壊した事件の後、当時5歳の恭也は自発的に口を開かなくなった。元々口数が少なく表情も豊かとは言えなかったが、無口と表現する事も戸惑うほど事務的な応答しか出来なくなった時期があるのだ。
 そんな恭也に静馬は積極的に、辛抱強く話しかけ続けた。それは静馬に限ったことではなかったが、お陰で回復した今でもふとした時に恭也に話しかけることが癖になっていた。

「今の恭也君なら大抵の相手なら退けられると思うけどな」
「そうでもないですよ。無力感に打ちひしがれたばかりなんですから」
「…え?最近何かあったのかい?」
「ええ。…あれ?」
「どうした?」
「あ、いえ、それが…。
 何か、押し潰されそうなほど絶望的な状況に追い込まれた筈なんですが、その状況が思い出せないんです」

 静馬はおかしな事を言い始めた恭也の様子を窺った。
 普通に考えれば絶望的な状況などそう簡単に忘れられる訳がない。だが、恭也の困惑した表情は、その言葉が決して嘘ではないと主張してる。弱味を見せる事を嫌って口を濁している訳では無いようだ。

 恭也は誰に対しても弱音に類することを口にする事は無かったが、静馬と士郎だけは例外だった。尤も、今の言葉のように愚痴というより状況報告にしか聞こえないような、俯瞰というか客観視したような内容なのだが。
 静馬が自分が例外であることを知ったのは最近の事だ。
 日常的な話題で楽しげに、あるいは穏やかに会話している美沙斗や琴絵でも、鍛錬や兵法を中心にした話をする事の多い一臣でもなく、恭也が自分を選んだ理由は知らない。剣腕だけであれば美沙斗も一臣も恭也より上なのでもっと別の基準があるのだろう。
 その事で美沙斗から僻まれたこともあったが、別に優劣の問題ではないと思っている。逆に、恭也の他の側面については自分よりも彼女たちの方が余程詳しいんだし。
 恭也が何かを期待して弱みを見せる相手に自分を選んだとは思えないが、話してくれた時には出来る限り力になる事に決めていた。尤も、大抵が事後報告であるため次回のためのアドバイスが精々なのだが。
 とはいえ、今回は本人が思い出せないのようなのでアドバイスのしようもない。
 思いの外、恭也は悩み事が多いので解決しないまま抱え込ませるより、他へ気を逸らした方が良いだろう。そう判断した静馬は別の話題を探す事にした。
 再燃するほど重大な悩みなら、その時改めて相談に乗ることにしよう。

「…妙だな。どうして覚えてないんだろう」
「まあ、妙な話ではあるけど、あまり気に病み過ぎないようにね?
 ところで、今更だけど士郎さんはどうしたんだい?」
「父さんなら、昨日の夜中にフラッとどこかに出かけたらしいです」
「ふらっと、ね」
「そのうち帰ってくるでしょう」

 放浪癖のある士郎だが、その際、基本的には宣言してから出立する。恭也が生まれる前には宣言することなく放浪していたので、父親としての自覚が行動として現れている数少ない事例である。
 その士郎が何も告げずにいなくなったなら、仕事か目的のある私用だろう。そちらの方も内容を告げていって貰いたいのが正直なところだが、一定期間で帰ってくる事が決まっている用事は連絡しておく必要性を感じていないらしいのだ。
 困ったものだな、と思いつつも、恭也に言っても仕方が無い、と諦め気味に話を纏めて恭也を促した。

「まあ、いいか。
 恭也君、そろそろ戻ろうか」
「はい」

237小閑者:2017/11/04(土) 11:29:13
 鍛錬を終えると汗を流してから朝食を取る。
 不破家で生活している恭也も朝食だけは御神家で取る。以前は朝食も不破家で取っていたのだが、剣の修行を始めてからは今のスタイルになっている。
 宗家・分家を問わず剣術を生業とする者以外にも護身術や趣味として鍛錬に参加する者がいるし、少数ながらも外部の門下生もいる。そこに参加するようになった恭也は早朝鍛錬後の朝食まで行動を共にするように言いつけられていた。
 鍛錬を始めた当初のフィアッセの事件の前の恭也は、人見知りや物怖じすることもなければ年齢に相応な生意気な態度をとることもなかったが、お世辞にも社交的とはほど遠く、団体行動に向く性格ではなかったからだ。
 席順は特に決められている訳ではないが、だからこそ年齢や実力である程度席が決まってくる。
 同様に御神家と不破家も習慣通り固まって食事を取っていた。恭也と同じ座卓には静馬、美沙斗、美由希、一臣、琴絵が着いている。
 その席で今朝の出来事を興奮気味に語る美由希に、穏やかに美沙斗が受け応えていた。

「それでねぇ、今日は木刀を振りかざしても目を覚まさなかったから当てられる!って思ったのに、ぎりぎりでかわされちゃったんだ。
 ホントに、ホントに惜しかったんだよ?」
「それは残念だったね。
 でも、恭也が慌てていたなら追撃できたんじゃないのかい?」
「…なんか、昨日帰って着た時みたいには出来なかったの。
 今日の兄さん、近づいても気付かなかったのに目を覚ましてからは凄く速かったんだ。
 母さんよりも速かったかもしれないよ?」
「そうなのかい?
 それはお母さんもうかうかしていられないな」
「ホントだよ?ホントにもの凄く速かったんだよ?」
「それじゃあ美由希ももっと頑張らないと恭也から一本取るのは難しいね」
「あ…うぅ」

 恭也が如何に凄いかを母・美沙斗に訴えていた美由希は、指摘されることでようやくそれが自分のハードルの高さに直結していることに気付いたようだ。
 黙々と食事を続けていた周囲の面々も思わず苦笑を漏らす。
 基本的に内気な美由希は口数が少なく物静かな方だ。友達と外に遊びに行くよりも部屋で独り本を読むことを選ぶような性格だったが、例外も存在する。それは兄の様に慕う従兄弟の恭也に関することだ。
 剣術を始めたことも、両親の呼称を「お父さん、お母さん」から「父さん、母さん」に変えたのも恭也を真似たものだ。まあ、こちらに関しては恭也の呼称も含めてまだ定着していないようで、慌てたり興奮したりするとアッサリと戻ってしまうようだが。
 美由希の想いが兄妹から異性に対するものへと変化する日はそれほど遠くないだろう。それが当事者である恭也以外の共通した認識である。
 美沙斗も子供の頃から想いを寄せていた従兄弟の静馬に近付きたくて御神流を修めて想いを成就したという経歴を持っている。だから、娘の行動は昔の自分の姿を見せつけられているようで居たたまれない思いを味わわされている。同時に当時の自分の想いと重なり密かに応援してもいるのだが。

 最近、娘が自分よりも恭也と一緒にいることを優先することが多くなって複雑な想いをさせられる静馬が、内心を綺麗に押し隠した微笑を浮かべて同じ座卓で口を挟むことなく食事を続けている斜向かいの恭也に話しかけた。

「恭也君、今日は随分と追いつめられたみたいだね」

 静馬の声には揶揄するようなものは含まれていなかった。
 如何に愛娘の言葉とはいえ、現時点での恭也と美由希の実力差からすれば、たとえ不意打ちであろうと接戦になるはずはない。
 美由希の見た「もの凄く早い動き」とは、つまり普段見ている加減されたスピードではない、本来の恭也の動きだったのだろう。それを恭也が出さざるを得ないほど追い込んだ要因は美由希の実力では無いはずなのだ。
 周囲の者からは親馬鹿と評されている静馬だが、剣術に関しては御神流の現当主としての態度を崩すことはなかった。
 また、別の理由からも、美由希の自己主張ではなく、恭也の意見を聞く必要があった。
 美由希が基礎訓練から本格的な剣術の鍛錬に移る条件を、恭也に「実力を認めさせること」としたからだ。美由希が恭也に事あるごとに襲いかかっているのは、そのためだ。
 ちなみに、美由希には目標を高くするために「恭也から一本取ること」と伝えてあるが、それが不可能に近いことは分かっていた。才能はともかく、本格的な鍛錬を重ねている恭也が基礎訓練しか受けていない美由希の攻撃をまともに受ける訳がない。
 尤も、美由希の実力を測らせているのは恭也の訓練も兼ねていた。実力の高い先達を相手に技術を吸収するのと同じように、未熟な後輩という鏡を通して自身の未熟な部分を認識するのは良い勉強になるはずだ。
 年齢からすれば早すぎる役割ではあったが、年齢からはかけ離れた実力を持つ恭也であれば妥当だろう、との上位陣の判断からだった。

238小閑者:2017/11/04(土) 11:34:49
「そうですね。
 今日のは単なる俺の失態ですが、美由希が実力を付けてきているのは事実です。
 俺はこのままあと二月も基礎訓練を重ねれば、本格的な鍛錬に入っても良いと思います」
「ほ、ホントお兄ちゃん!?」

 思いがけない恭也からの好評に興奮して呼称が戻っている美由希に、苦笑気味に恭也が釘を刺した。

「ああ。
 ただし、一本取れなければ単なる俺個人の感想でしかなくなる。俺の評価が正しい事を証明するためにも頑張ってくれ」
「うん!私頑張る!」

 元気良く応じる美由希と僅かに目元を弛めて笑う恭也に周囲の大人の方が苦笑する。
 この2人が並んでいると大人しい性格の美由希が溌剌として見えてしまう。

「でも美由希ちゃんが恭ちゃんの枕元まで近付けたっていうのはホントに凄いわね」
「えへへー」
「いえ、それは俺の失態です。
 今思えば目を覚まさなかったのが不思議でなりません」
「ぶー」

 琴絵の褒め言葉に照れる美由希を諫めるように恭也がすぐさま否定した。
 膨れる美由希を見ながら琴絵が苦笑を漏らす。その言葉自体は真実なのだろうが、口にしたのは間違いなく美由希の増長を抑えるためだろう。
 恭也が剣に関することで美由希を褒めることは滅多にない。日常生活ではそこまでの厳しさは見せていないので、それだけ真剣なのだろう。
 先ほどの上達を認める発言に美由希が過剰に喜んでいたのはそれも理由の一つなのだ。
 そのやり取りに興味を示したのは静かに食事を続けていた一臣だった。

「恭也君のその手の失敗は珍しいな。何かあったのかい?」

 恭也が如何に年齢に不相応な実力を備えているとは言っても発展途上であることに変わりはない。失敗する事くらい幾らでもある。
 それでも珍しいと言う言葉に異論を挟む者がいないのは、恭也が突発的な閃き型ではなく堅実に力を積み重ねる努力型だからだ。初めて試みることなら兎も角、一度身につけた技能を衰えさせたところは誰も見たことがない。

「何かの夢を見ていたようで、眠りが深かったみたいなんです」
「夢って、どんな?」
「それが良く思い出せないんです。
 真剣を帯びていたような気になっていたので戦闘を含んでいたんだと思うんですが…」

 思い出せないことがよほど気持ち悪いのか、恭也が見て分かるほど眉間に皺を寄せていた。

「目を覚ましたら夢の内容を忘れてしまうなんて良くあることだろ?
 あまり気にしなくても…」
「それはそうなんですが…。
 何故かやたらと気になるというか…
 何かきっかけがあれば思い出せると思うんですが」

 思いの外恭也が気にしているようなので一臣が気に病まないようにと声を掛けるが、あまり効果はなかったようだ。
 話を振った手前放置するのも気が引けたのか、更にアドバイスを送った。

「断片的にでも覚えてないのかい?
 登場人物とか、どこかのシーンとか」
「登場人物は辛うじて。
 ですが、どの名前にも聞き覚えがないんです」
「それはないわよ。夢っていうのは記憶の断片ですもの。
 恭ちゃんが自覚してないだけで、マンガやドラマ、は、見ないか、兎に角、表札を見かけた程度でも記憶の一部のはずよ?」

 それまで傍観していた琴絵が話に参加した。食事をしながら会話する事が苦手な琴絵が本腰を入れて話し出した事を不思議に思った一臣が顔を横に向けると直ぐに理由が分かった。きれいに食べ終わっていたのだ。
 美由希が話していた時にほとんど会話に参加していなかったので珍しいと思ったら、面白い話題になりそうだと踏んで食事に専念していたようだ。

「それほど突拍子もない名前ではなかったので、印象に残ってないだけと言われてしまえばそれまでですね」
「参考までにどんな名前か教えてよ」
「何の参考になるんですか…。
 はやてと高町とテスタロッサです」
「3人居たんだ、しかも外人さんまで。
 ひょっとしてみんな女の子?」
「は?
 ええと、姿までは覚えていませんが、印象としては多分そうだと思います」

239小閑者:2017/11/04(土) 11:38:36
 ツッコミを入れながらも素直に口にしたのは、目を輝かせる琴絵の追求を躱すのが困難であることを知っているからだ。勿論、別段隠しておく必要がないというのも理由の一つだろう。
 その答えがどういった事態を引き起こすか想像出来ない訳では無いはずなのだが、琴絵に対する恭也の警戒レベルは格段に低く設定されているようだ。
 恭也が漏らした情報に当然の如く琴絵が、そして少々意外なことに美沙斗が食いついた。

「一人だけ名前で覚えてたってことは一番親しかったのかな?」
「立場の違いから呼び方が違うだけかもしれませんよ?
 恭也、そのはやてさんの名字は覚えているのかい?」
「あっいえ、名前だけしか…」
「と言うことは単に名前で呼んでいただけの可能性は高いね。
 でも恭ちゃんが名前で呼ぶって事は身内だったのかな?姉か妹?」
「その辺りが妥当ですね。
 私としては接する時間が少ないはずなのに身内と同じくらいの印象を与えている2人がどんな人物なのかが気になりますね」
「あの、他人の夢の登場人物でプロファイリングというのは」
「恭ちゃんは黙ってて」
「はい」

 最早、当事者そっちのけである。
 普段穏やかな美沙斗の珍しい一面に静馬が苦笑を漏らす。あまり人前で見せることは多くないのだが、美沙斗も結構な親馬鹿なのだ。
 自分が楽しくてやっている姉の琴絵とは違い、美沙斗は娘の美由希のために真剣に情報収集をしている事を静馬は知っていた。
 視線を転じれば、可愛らしく頬を膨らませている美由希が目に映り静馬は苦笑を深くした。
 夢の中とはいえ恭也が他の女の子と仲良くしているのは嫌なのだろう。

「恭也、夢で見たその女の子たちの特徴を詳しく言うんだ」
「いえ、ですから、人物どころか漠然としたイメージしか残っていないんです」
「恭ちゃん、夢は記憶でしかないの。モデルになった女の子は必ず居るはずよ?
 怒らないからお姉ちゃんに教えて?」
「なんで怒られなくちゃいけないんですか。
 照らし合わせるための人物像が残っていないんですって」
「琴絵さん。
 恭也君も困ってるからその辺にしときなよ」

 見かねた一臣が恭也に助け船を出した。
 だが、恭也が浮かべたのは安堵の笑みではなく苦笑だった。たとえ藁にでも縋りたい心境だったとしても、泥船にしがみつかない程度の冷静さは残っていたのだ。

「カズ君は黙ってて。
 愛する恭ちゃんの心に近付くチャンスなんだから!」
「お願いだから近付かないで。
 それ以前に、その冗談は結構キツいからやめて貰いたいんだけど…」
「そんな!私の愛を疑うの!?」
「今の流れだとその愛の向かう先は恭也君みたいに聞こえるんだけど!?」
「勿論よ」
「あの、琴絵さん。
 祝言を控えている身で、それは流石に一臣さんが可哀想ですよ」
「恭也君…ありがとう!」

 助けようとした相手に逆に助けられている一臣に呆れた視線が集まる。暫く前から周囲の食卓の意識もこちらに向いていたのだ。

「明後日には一生に一度の結婚式…一度だけですよね?」
「どうしてそこで疑問を持つんだ恭也君ー!?」
「恭ちゃんさえ肯いてくれればもう一回くらい!」
「いやあぁ!」
「お兄ちゃん取っちゃダメー!」

 気色悪い悲鳴を上げてのた打ち回る一臣に代わり、我慢できなくなった美由希が参戦した。
 琴絵の活き活きした表情にエスカレートする事を予想した周囲の者が苦笑を漏らす。
 病床生活の長かった琴絵が人との触れ合いに飢えていることは周知のため、余程の事が無い限り止める者はいないのだ。

「いくら美由希ちゃんのお願いでもそれだけは聞けないわ。
 どうしても私から恭ちゃんを奪いたいなら、恭ちゃんが放っておけないようなナイスバディでお淑やかな女の子になることね!」
「なるもん!
 ぜったい、ぜったい、ナイスバデーでおしとやかになるもん!」
「その意気や良し!
 美沙斗には成し得なかった偉業を成し遂げなさい!」
「はい!」
「クッ!」

 満面の笑みでサムズアップする琴絵と決意を表す美由希の横で、美沙斗の悔しげな声が広間に響く。

240小閑者:2017/11/04(土) 11:39:09
 響くはずのないその小さな声が響いたのは、広間が静まり返っていたからだ。
 雲行きが怪しくなり始めると同時に、他の食卓を含めた男性陣は誰一人として視線を向けるどころか物音一つ発していない。流石は気配に敏感な御神の剣士といったところだろう。
 美沙斗が自身のプロポーションにコンプレックスを持っていることも、その事を隠している事も、誰もが知っているためその話題に触れる者は当然いなかった。誰だって自分の命は惜しいに決まっている。
 敢えてその話題を取り上げる琴絵も、長く病床に就いていただけあってプロポーションは美沙斗と大差なかったりする。単に美沙斗と違って開き直っているのだ。

「お兄ちゃん!私、ガンバるね!」
「…まぁ、頑張れ」
「うん!」

 ある意味無邪気な美由希の言葉と共に向けられた美沙斗の澱んだ視線に怯みながらも返答する恭也に、男連中から同情と賞賛の視線が集まる。よく、「俺に振るな!」と言わなかったものだ、と。





 話に夢中になって食事が進んでいなかった美由希が気を取り直した美沙斗に窘められているのを、食後のお茶を啜りながら眺めていた恭也に復活した一臣が話しかけた。

「恭也君があの手の言葉を肯定するなんて珍しいね。それも夢の影響かい?」
「…ああ、さっきのですか。
 動機は何であれ努力するのは良いことでしょう。
 美沙斗さんと静馬さんの娘ですから素材としては保証されている様なものだし、努力を欠かさなければ将来惚れた相手を振り向かせるのに有利になるでしょうからね」
「その相手が恭也君だって可能性もあるだろう?」
「理想通りに成長できれば引く手数多になるでしょうからね。その事に気付けば俺に甘んじていることは無いでしょう」
「人を好きになる理由はそれぞれだと思うけどね。
 でも、それなら恭也君も自分を磨く努力をするべきだろう?」
「…そうですね」

 その答えに一臣は密かに嘆息する。
 耳を傾けていた静馬にも一臣の気持ちが理解できた。
 恭也が肯定の言葉を選んだのは単に追求を避けるためだ。それが分かっているからこそやるせない気持ちに支配される。

 恭也はフィアッセの心が壊れた事を自分のせいだと信じている。
 テロリストが原因だと理解しながら、それを止められなかった自分を責めている。
 恐らく、自分が幸せになることを肯定できないでいるのではないだろうか。
 幼い子供の多くは自分の失敗から目を逸らそうとする。それは受け止められる強靱さも柔軟性も持っていないため、本能的に傷つかないためにとる行為と言えるだろう。
 だが、恭也にはそれが出来なかった。理性が育ってしまったからだ。精神も年齢離れした強さを持っていたが、それでも受け止めきる事は出来なかった。
 恭也の態度に事件の影響を垣間見る度に、子供を守る立場にありながら、それが出来なかったという事実を突きつけられた様で酷く憂鬱にさせられる。
 士郎が飄々とした態度を保ちながらもその事を深く後悔していることを静馬は知っていた。
 現場に居合わせなかった“叔父”の静馬ですらこうなのだ。共に行動していた“父親”の士郎の心情は計り知れない。

「カズ君、暗い顔してどうしたの?」
「え?ああ、大したことじゃないんだ。
 恭也君も少しだけで良いから、兄さんみたいに気楽に生きられたら良いのにって話をしてたんだ」
「ふーん」
「話は変わりますが、琴絵さんはウェデングドレスも似合うと思うので、次は教会式にしませんか?」
「あ、流石は恭ちゃん!良く分かってる!
 じゃあ、気が変わらない内に日取りも決めちゃおっか?」
「待ってー!どうしてまたその話に戻ってるの!?」
「“戻ってる”とは失礼な。ちゃんと先に進めてるじゃないですか」
「そうよ。あとは日取りと招待客と予算を決めれば、大枠は完成でしょ?残りの細かいことはその都度決めていけばいいんだもの。
 ちゃんと練習したからバッチリよ!」
「練習じゃない、練習じゃないよ!明後日のが生涯一度きりの本番だよ!」
「カズ君にとってはそうよね」
「琴絵さんにとってもそうなの!そうでなくちゃ嫌だ!」
「一臣さん、あまりワガママを言って琴絵さんを困らせちゃ駄目ですよ?」
「これ以上苛めないでー!」

 何をやってるんだか。

241小閑者:2017/11/04(土) 11:42:37
 もの凄い勢いで脱線していく会話に、聞き耳を立てていた者が苦笑を漏らす。
 恭也が士郎に憧れ、必死にその背を追いかけていることは誰もが知っている。勿論、それが叶わず悔しがっている事もだ。
 性格面に関しては是非ともこれ以上近づくことなく、今の恭也のまま育ってくれる事を願っているのは静馬だけではないはずだ。士郎との掛け合いや、偶に一臣をおちょくる姿を見る限り既に手遅れな感も否めないが、それでもこれ以上は、と切に祈ってしまう。
 恭也自身も士郎の豪放磊落な性格に振り回された経験が何度もあるはずなのに、その面すら真似たがるのは何故だろう?あるいは、振り回されているからこそ振り回す側に立ちたいのだろうか?
 そんな訳で恭也は士郎と比較されることを嫌っているのだが、それが分かっているはずなのに一臣はちょくちょく口を滑らせて似た様な発言を繰り返すのだ。
 大概の皮肉や揶揄を受け流せる年齢不相応な恭也が、ほぼ100%ムキになる内容だから、一臣もわざとやっているのかもしれない。毎回手痛い反撃を食らっているので、かなり疑わしいのだが。
 何より、美沙斗の話では、恭也が士郎の真似をし始めた時期は、以前一臣がちゃらんぽらんな士郎を揶揄して「本当に兄さんが恭也君の父親なのか疑わしい」といった不用意な発言をした頃と重なっている、とのことだ。
 余計な事を。時間が戻ることなど無いだけに、どうしてもそう思ってしまう静馬だった。



 そんな日常風景になりつつある光景が展開している大広間に、誰にも察知されずに入室してきた者がいた。
 恭也の十年後の姿と言われれば疑う者がいない位に似た容姿ながら、決定的に違うと言えるいたずら小僧の様な表情を浮かべた人物。

「おかえり、士郎さん。今回は何だったの?」
「野暮用だ。
 それより随分賑やかだな。なんかあったのか?」

 この距離まで気配を察知させない穏行を意識することなく行う士郎に、まだ気付いていない一堂に知らせる意味も込めて静馬が声を掛けると、気負った風もなく答えが返ってきた。
 日常において士郎が焦りや緊張を帯びている姿は、付き合いの長い静馬でさえも数えるほどしか見たことがない。
 士郎のこの態度は生まれながらの性格に因るところが大きいが、2割ほどは恭也を安心させる為に意識してとっていることを静馬だけが知っていた。
 あの事件に影響を受けたのは、なにも恭也だけではないのだ。

 朝から何処か様子のおかしかった恭也も士郎の姿を見たことで少しは落ち着いただろうか。そんな事を思いながら恭也に視線を移した静馬は、目を見開き完全に固まっている恭也の姿を見て呆気にとられた。

「…ぅっ、あ カハッ、あ」

 精神的な衝撃を受けた者が見せる、呼吸もままならないほどの重度のショック症状。
 頭の片隅で思い浮かべたその説明を恭也の状態と直結させる事が出来ない。つい先ほどまで一臣達と漫才を繰り広げていた姿と今の恭也が繋がらないのだ。
 呆然としている者たちの中で、唯一人、士郎だけが即座に恭也に駆け寄った。

「恭也!おい、どうしたんだ!?恭也!」

 肩を掴み強く揺さぶると、焦点を失っていた恭也の目が士郎を捉えた。
 蒼白になった顔色のまま、たどたどしく絞り出すように呟く声は、恭也のものとは思えないほどか弱いものだった。

「父さん、なのか…?」
「ああ、俺だ!不破士郎だ!」
「…じゃあ、ゆめ、だったのか?あれが?…あんなにがんばってた、くるしんでた、あいつらが…ぜんぶ、ゆめ?
 でも、…だって、ここに…」

 溺れる者が縋りつく様に、何の加減も無く士郎の二の腕にしがみつく恭也の指がジャケットを破り、肉に食い込む。
 恐怖に歪み、今にも壊れそうな、消えて無くなりそうな恭也の肩を力強く掴んだまま、滴る血も肉を引き裂く痛みも歯牙にかけず、言い聞かせるような力強い士郎の言葉が広間に響いた。

「俺は、此処にいるぞ!」
「ッ!」

 感電したかのように体を大きく震わせると、恭也はゆっくりと士郎を掴んでいる腕を伸ばし、距離を空けた。
 砕けそうなほど奥歯を噛みしめ、揺れる瞳で見つめてくる恭也を、士郎も力を込めてしっかりと見つめ返す。

242小閑者:2017/11/04(土) 11:43:12
 どれほどそうしていただろうか。
 静止した時間を動かしたのは、何かと葛藤していた恭也だった。

「お願いが、あります」

 絞り出すように告げる、幾らかの理性を取り戻した声は明らかに震えていた。

「もう、俺には何が本当なのか、分からない…」

 一言ずつ区切るように、声に出す。

「だから、確かめさせて、下さい」

 身を引き裂くほど辛くとも、逃げ出す事が出来ない在り様は、如何に立派であろうと幸せとは言えないだろうに。
 自分では恭也を変えてやることは出来ないのかと、無力感に苛まれながらも、表に出すことなく士郎が応える。

「何をすればいい?」
「俺と、試合って下さい。
 その結果に、従います。もう二度と、疑わないから。
 だから、お願いします」
「…分かった」







 恭也の反応は、それほど意外なものではなかった。
 流石にショック症状は想定していなかったが、顔を見せれば封じられていた記憶を触発する事になるのではないか、とは思っていたのだ。
 封印が弱かったのか、封じた記憶の印象が強過ぎたのか、精神力が強過ぎるのか。理由こそ定かではないが、記憶を取り戻したことは疑いようもない。
 だが、恭也は記憶を呼び覚まされて尚、どちらが現実なのか分からず混乱してしまった。どちらも鮮烈なのだろう。血塗れで倒れる自分の姿や恭也のために心を痛めてくれる少女たちの姿も、リアルに五感に訴えてくる今体験しているこの世界も。

 てっきり、恭也なら此処が夢だと気付けば、すぐさま現実世界に引き返すと思っていた。
 夢から覚めることは難しいことではない。夢だと認識し、決別するだけでこの世界は壊れてしまうのだから。
 やはり、実際に触れ、確かめる事の出来る世界が夢だとは思え難いということか。自惚れるなら、自分達が死んだという事実が受け入れ難いというのも一因かもしれない。
 仮に、恭也がこの世界を選んだとしても、誰にも責められる事ではないだろう。あいつはもう十分に苦しんだ。もしも責める者がいたら、そんな奴を斬り捨る事に躊躇するつもりはない。

 それより、一つだけ気がかりなことがある。
 それは、どちらの世界を選んだとしても、恭也が喪失する悲しみを追体験するだろうという事だ。
 それがどちらであれ、結果的に恭也は現実と認めた世界の人々のために夢と定めた世界の全てを切り捨てる事になる。そして、切り捨てる事で負う心の傷を、周囲の人間にも気付かせまいと隠し続けるだろう。
 酷な事をする。
 良かれと思ってこの世界を構築したであろう彼女には悪いが、それが素直な感想だった。


 士郎は自室で一人、装備を調えながら物思いに耽り、そんなことをつらつらと考えていた。
 自室を一歩出た瞬間からその身を戦闘者へと切り替えなくてはならない。考え事を抱えたまま対峙出来るような易しい相手ではないのだから。
 恭也との手合わせは何度も行ってきた。手合わせする度に前回を上回る何かを身につけている恭也を見るのは、本当に心が躍る。
 恭也は未熟だ。
 年齢を遙かに越える実力を身につけているし、“御神の基準”においても、師範には届かずとも十分に一人前と呼べる力量を身につけている。
 それだけの実力を身につけて尚、“未熟”なのだ。
 成熟した暁にはどれほどの剣士になっているだろう。十年に一人の天才と言われた静馬や自分を越える日はそれほど遠くはないはずだ。
 だが、此処に残れば成長は止まり、向こうに帰れば見られなくなる。どちらであっても、その時の姿を見られないことが心残りではあった。
 苦笑が零れる。
 誰に文句を言っても仕方ないと分かっていながらこれほど執着するとは。
 最近まで自分は比較的割り切りが良い方だと思っていたが、恭也のことになるとどうにも調子が狂う。
 親馬鹿になったものだ、と思う。夏織に赤子を押しつけられた当初はあれほど“面倒事を押しつけやがって”と身勝手にも憤慨し、途方に暮れていたというのに。

243小閑者:2017/11/04(土) 11:45:08
 大きく息を吐き出し、随分と脱線してしまった思考の軌道を修正する。
 道を見失い途方に暮れた恭也が、標として自分を頼ったのだ。不肖とはいえ、親を名乗る身として是が非でもその信頼に応えなくては。
 そう思いながらも、士郎は恭也が具体的に何を自分に期待しているのか分からずにいた。
 手合わせの結果に全てを委ねると言っていたが、勝敗でどちらの世界が現実か決める、などという短絡的な結論をあの恭也が出すとは思えない。そもそも、現時点の恭也の実力では士郎には勝てない事は恭也にも分かっているはずだ。
 勝てない筈の士郎に勝つことが出来れば此処が夢の世界だと言う証拠にはなるだろうが、逆に士郎に負けても現実である事の証明にはならないのだ。それでは“確認”というより“ギャンブル”と変わらない。
 それが“不破恭也”の選択とは到底思えない。
 だから、士郎はそれ以上考えないことにした。
 思考の放棄ではない。恭也が指標として“自分との手合わせ”を選んだ以上、それに全力を注ぐ事こそが、恭也の期待に応える事になると考えたのだ。
 それがどんな結論だったとしても。


 襖を開けて、一歩踏み出す。
 深呼吸や瞑想も必要とせず、その一歩で不破士郎は、不破恭也が師と仰ぐに足る最高の剣士に変貌する。
 それが、あの日自身に課した、恭也への贖罪だった。



 士郎が離れにある道場の入り口に立つと、中央に恭也が一人で佇んでいた。流石に「何時でも何処でも」行ってきた今までとは違い、今回は奇襲や不意打ちは無いようだ。
 趣旨からすれば当然の様にも思うが、逆に御神の剣士としての試合を望まれている事を思えば油断出来ない。別にシャレや冗談で卑怯な手段を採る訳ではないのだから。

「待たせたか?」
「いえ」

 恭也の対面へと士郎が移動するまでにそんな短い言葉を交わしただけで、5mほどの距離を隔てて対峙した後は互いに自然体のまま無言の時間が経過していく。
 道場には2人の他には誰もいなかった。
 だからといって、誰かを待っている訳でも開始の合図を必要としている訳でもない。
 実際には、無言のまま、身動ぎもせずに2人の戦いは始まっていた。

 一般人であればそれだけで気を失いかねないほどの殺気を濁流のように叩き付けてくる恭也に、眉一つ動かすことなく平静な視線を返す士郎。
 どちらにとっても特筆するべき事ではなく、そもそも殺気をぶつける事そのものは恭也にとって手段でしかない。
 唐突に恭也の殺気が途絶えた。
 ブツ切りにされた気の空白によって、苛烈な殺気に晒されていた士郎の感覚が恭也を見失う。同時に高速機動と巧みなフェイントで視覚的にも姿を眩ませながら距離を詰めた恭也の右手が腰から模造刀を抜刀し、動じる事無く抜き放った士郎の模造刀が正面からぶつかり合い甲高い金属音を響かせた。

 恭也の使った手法は別に恭也のオリジナルという訳ではない。古くからある技法の一つと言ってもいい。
 ただし、誰にでも使える訳ではないことも事実ではある。
 明るい部屋で突然照明を消されれば、目が暗さに慣れるまで見えなくなるのと同じ様な原理だ。つまり、叩き付ける殺気が苛烈であるほど、また殺気を消しきるまでの間が短時間であるほど効果が大きい。ONとOFFの落差の大きさこそがこの技の要だ。
 随分前から使って見せていた技の練度が増しただけ。言葉にすればそれだけの事であっても、一朝一夕で出来ることではないと分かっているだけに、やはり感嘆の念と同時に苦い思いが湧いてくる。
 本来これは子供に使える技術ではない。体術とは違い、見ることが出来ない分だけ修得が難しいというのが大きな理由だ。
 憑かれた様に鍛練に没頭していた時期に、四六時中肉体を虐め過ぎて体が壊れないように与えた課題。それを、鍛練以外の全ての生活時間中に行った結果が、今の恭也だった。
 生活の場の全てが鍛練。そうでなければ恭也の年齢でこの実力はあり得ない。だが、そんなことをすれば普通は精神が持つはずがない。それでも、説得して止められず、無理強いすれば精神が病みかねなかった。
 精神が壊れる前に自分を許せるようになる方に賭けるしか選択の余地がなかったのだ。感情が凍り付いていた事が賭の勝利の最大要因であることは皮肉以外の何物でもないだろう。

244小閑者:2017/11/04(土) 11:50:22

 士郎に感傷に浸る暇を与えまいとするかのように恭也の攻勢が続く。二刀を巧みに操り、息つく暇も無いほどの連撃を浴びせ続ける。四割ほどの確率で含まれる“徹”の威力も申し分ない。

 徹は刀の運動エネルギーを効率よく衝撃に変換する技術であるため、攻め手は同じダメージを与えるのに小さな力で済ませる事ができ、受け手は刀が接触した時点で衝撃が伝播するため受け流すことが難しいという特性を持つ。
 体格が小さく体力にも劣る恭也にとっては喉から手が出るほど欲しい技能だったこともあり、修得したての頃は斬撃の全てに徹を込めていた事があった。
 だが、如何に徹が技術的に威力を上げるものとはいえ、特殊な振り方である以上、通常の斬撃よりも消耗する。そして、徹を受け止めても尚、士郎の体力は恭也のそれを上回っていた。
 その反省を踏まえて、恭也は徹を込める割合を減らした。混ぜるだけで十分に効果がある事に思い至ったからだ。
 攻撃を受け止めるには威力に相応する力を込める必要があるが、徹が込められているかどうかは受けるまで分からない。力が不足していれば刀を弾かれてしまうため、無駄になろうと全て徹を受けられるだけの力を込めて防御するしかない。
 速さを信条とする御神の剣士と斬り結ぶ者にとっては、力の消耗よりも筋肉を硬化させる事で発生する動作の硬直時間の方が深刻な問題となるのだ。


 道場内を剣戟と床や壁を蹴りつける音だけが響き続ける。
 御神の剣士の戦いでは気迫を声に表す事が少ない。奇襲や隠密行動を前提とした戦闘スタイルなので必然的に声を抑えた戦い方になるのだが、この2人は本当に呼気以外漏らさない。
 恭也の姿が士郎の眼前で霞んで消える。開戦直後に行った気殺による認識阻害、その簡易版だ。それでも戦闘中に鋭敏になっている感覚は気殺の直前に叩きつけられる凶悪な殺気に中てられて瞬間的に恭也の気配を見失う。そして絶妙のタイミングで巧妙なフェイントを交えて左右へ、時には意表を突いて正面へと移動し、諦める事無く斬撃を放つ。
 徹の込められた斬撃を受け続ける事は如何に体力で勝る士郎とて容易な事ではない。それでも、表情を歪める事も動作を澱ませる事もなく全ての攻撃を受け続ける。
 対する恭也も放った攻撃を悉く受け止められながら、焦りも苛立ちも見せない。
 格上だから防がれて当然。
 そう思っているのか、単に内面を隠す事に長けているのか。どちらもありそうだ、と内心だけで苦笑していた士郎は、恭也の斬撃の軌道が前触れも無く変化した事を目敏く察して慌てる事無く受け止める。
 そうして平静を装いながら、やはり感心させられる。
 注意の引き方も軌道の変化もぎこちなさの無い実に滑らかなものだ。“貫”も十分に実戦レベルと言える錬度になったな、と。
 ただ、徹と同じく貫もアッサリ受け止めて見せたにも拘らず、やはり恭也に落胆した様子は無い。
 確かに今までも受けて見せていたし、同門である以上互いに手の内は知られているのが前提だから今更かもしれないが、恭也なりに上達している実感があるはずの技を防がれ続ければ何かしら思うところはあるだろうに。
 逸れかけた思考を引き戻し、士郎はいっそう気を引き締める。油断などした事はないが、もはやいつ不覚をとってもおかしくはないほど実力差はなくなってきているのだ。

 “貫”と一括りにしてもいくつかの種類がある。
 一番単純な物が手品と同じ要領で、上体への攻撃で意識を上に集めておいて足払いを掛けるといったもの。
 次に剣筋を変えるもの。
 普通の人間の動態視力では、斬撃中の刀身を見ることは出来ない。せいぜいが残影、刀が通過した後の光の軌跡が目に焼きついていたものだ。仮に刀身を肉眼で捕らえられたとしても見てから動いていては防御も回避も間に合わない。
 だから、足捌き、胴体、肩、腕の振り、視線、間合い、あらゆる兆しを総合して刀の軌道を予測する。刀身そのものを目で見て捕らえたとしても、その情報は最後の微調整にしか役立てることは出来ないのだ。
 そして、通常は熟練するほど剣筋がブレることは無いため、予測と現実との差違が埋まれば以降は反撃の糸口を探るためにどうしても注意が薄れる。だから、刃をバネで飛ばすナイフのような、軌道を変化させる手段が有効になる。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板