- 1 :α編集部 :2014/03/27(木) 10:53:07
- 詩 散 策 3 2008-2010
詩 散 策 3
2008−2010
松籟について 2008/1/3
松籟:しょうらい(籟はひびきの意) 松の梢に吹く風。松韻(しょういん) *太平記-三九・諸大名「石鼎(せきてい)に茶の湯を立て置きり、松籟声譲りて芳甘春 濃なれば、一椀の中に天仙をも得つべし」 *黄葉夕陽邨舎詩−宿生田「客窓一夜聴松籟、月黒楠公墓畔村 *朱熹−越亭詩「松籟韻宮商、鴛鴦勢翔遡」
またまた松籟について 2008/1/11
沼南ボーイさん、長岡生さん「松籟」について色々と教えていただいて有り難うござい ます。宮尾登美子の「松風の家」は太平記-三九・諸大名「石鼎(せきてい)に茶の湯を 立て置きり、松籟声譲りて芳甘春濃なれば、一椀の中に天仙をも得つべし」を参考にした のではないでしょうか。 また、長岡さんの曹洞禅の「証道歌」中の次の句で
?? 江月照らし 松風吹く 永夜の清宵 何の所為ぞ
もまた私の知らない文献でした。
*黄葉夕陽邨舎詩−宿生田「客窓一夜聴松籟、月黒楠公墓畔村 *朱熹−越亭詩「松籟韻宮商、鴛鴦勢翔遡」
などの漢詩にあるように、中国から渡来したもので、日本では「松籟」ではなくやさし く大和言葉の趣で「松風」と訳されて使用されたのではないでしょうか。 たとえば、『平家物語』巻六や『たまきはる』に登場するほか、能の「小督」にも取り上 げられている悲恋を、「想夫恋」の箏曲を爪弾く小督局、「黒田節」の2番の歌詞の中にも も出てくる歌詞に託され、
峰の嵐か 松風か 訪ぬる人の 琴の音か 駒ひきとめて 聞くほどに 爪音(つまおと)頻き(しるき)想夫恋(そうふれん)
私はどうもこれらの注記かなにかで読んだのかも知れません。しかし今までの私の「こ のような難しい言葉を何時、どのような文献で読み覚えたのか」という疑問には何一つ答 えが見つかりませんでした。また、ここに書いたことがらは全くの憶測に過ぎません。い つかきっとその真相が科される時がくるでしょう。
「ひとりぼっちのセキセイインコ」感想番外編 2008/6/21 http://betty.jp/birdbrain/alllist/15-6.html??(同人α15号)
いま山荘の窓からシトシトと降り続く雨を眺めながら「ひとりぽっちのセキセイインコ」 の遅すぎた感想番外編を書いている。二年前に本郷の公園の見えるバルコニーの鉢植えか ら持って来たラビット・ラズベリーがやっと土地になじんだと見えて、今年はかごいっぱ いの赤い実が採取できた。朝食に添えて恐る恐る食べてみると、野趣豊かな野いちごの甘 い味と香りがした。これはいける、このイチゴは生命力も強く冬にも葉を落とさないから、 冬枯れの敷地に緑のさわやかさをつくってくれるカバープラントとしては最適だと思えた。 いつか見た四谷から市ヶ谷へ向かうお堀に面した黒松林の中に群生していたラビット ・ラズベリーのように・・・。 さてこの詩は、カオちゃんやおばあさんへの惜別の情が特に強いわけでもない。まるで パステルカラーの淡い色で描かれた夢見るようなマリー・ローランサンの少女像のよう な、透明で明るい光で包まれ、時間の止まった二次元の空間を思い出させる。そして、エ リック・サティのジムノペディの音楽のような静かな諦観に満ちている。そこには鳥かご を出て力強く羽ばたき積極的に生きる自由な姿は見られない。そこが好き勝手に生きてき た私にとって、優しさと美しさに感じ入る一方で少々不満でもある。
ロバート・ブラウニングの詩2008/7/9
朝7時、本を読みながらロバート・ブラウニングの詩を細君が口ずさんでいた。それは窓 の外の公園が、カラスのがらがら声と猫の鳴き声、ホームレスの無遠慮な独り言等に、朝 の静けさを壊されたからである。
The year's at the spring, And day's at the morn; Morning's at seven; The hill-side's dew-pearl'd; The lark's on the wing; The snail's on the thorn; God's in His heaven-- All's right with the world!
時は春、/日は朝、 朝は七時、片岡に露みちて、 揚雲雀なのりいで、/蝸牛枝に這ひ、 神、そらに知ろしめす。/なべて世は事も無し。 *上田敏訳『海潮音』所収。
「揺らぎ」による、会話詩を読んで2008/10/3 http://2style.in/alpha/16-6.html (同人α16号)
臼井さんの作品は今日までと思って悠長に構えていたが合評御礼が出て、さてどう繕う かと戸惑ってしまった。 皆さんも言われているように詩の解釈は実に難しい。俳句や短歌のように作者が言わんと することが判りやすいのと違い、理屈なしにただ感じればいいといってもメタファーを多 く含む現代詩の鑑賞は実に厄介なものがある。 海とか波とかの響きや字面も人によってそのイメージは違ってくる。だから作者が言葉 を発した瞬間からそれは一人歩きし、一生懸命読者に理解されるようにと意図された散文 と違い読む人の解釈次第で変化していく。 美しい海や岸に寄せ来る絶え間ない波の動きもある時は、私にとって単に心地よい響きと 開放されたさわやかさだけではなく、海の底知れない広がりと深みは恐れを抱かせるし、 無限の運動は私に逃れられない束縛と映り息苦しさを覚えさせる。 そして、この詩が最後の「?? だけど、潮に引き戻されていく・・・。」という一節によっ て、その意味するところを私は解釈出来ないでいる。
テーマー「間柄」による、会話詩 2008/12/8 http://2style.in/alpha/17-2.html (同人α17号)
この詩はメタファーを読み取るといういつもの癖で作業が許されるものなのか、またその ようなものを作者が意図していないのか、私には判らない。それほどこれは自然体の無垢 の心で読み取る詩なのだろう。
たぶん作者は私を取り巻く人達のような悔しさや惨めさなどの不条理の世界で生きること から開放された人生に違いない。私も戦後の貧しさのなかで屋外にしつらえられた仮設の 五右衛門風呂に入りながら、秋の空の雲を動物や乗り物になぞらえた記憶がよみがえった ものの、いまの自分は随分遠くまできたものだという感慨をもった次第である。 そして、とてもこれは作品の評としてはほど遠いとものと自覚しているのであります。
「碇さんの作品の合評」 2009/2/13
「世界沈没の恐れについて」にいみじくも碇さんの書かれているように、天敵のない人 間の一人勝ちの今、人類の将来は危うくなっていくように私も感じます。 産業革命以来人口が増え続けました。それにともない人々や産業が大都市に集中しまし た。いまやいろいろな面で効率の良い社会を作くりあげた「集積利益」が、留まるところ を知らない欲望でもはや「集積不利益」に転じています。人口集中による交通の渋滞、空 気、水の汚染、騒音、土地の高騰、危険物の集積、大地震の予感、偏狭な民族主義や拝金 主義や利己的な人々の心の荒廃などであります。 過去にはコレラやペスト、インフルエンザなどの病気の猛威によって、また絶え間ない 大きな戦争のなどで人口が減る事もありました。これは天の配剤だったかも知れません。 地球はそんなことで壊れることはなく、もっとはるかに強かでタフですが、この地球上の 人口が100億になったらますます過密になり食料やエネルギーの奪い合いになり、人類自 らの歴史を閉じる恐れもあります。碇さんの報告を見てそう思いました。 俳句では 観月やひとりくらしのひとり酒 が私は一番すきです。昔井上靖の「あす なろ物語」に 寒月が掛かれば 君を偲ぶかな 愛鷹山の麓に住もう という詩を思い出 しました。碇さんの句はそこに居ない人への思いが深く心の奥底に沈んでいるように思え ました。
星菫派(せいきんは)について 2009/2/16
Wikipediaより 星菫派(せいきんは)は、星やすみれに託して、恋愛や甘い感傷を詩歌にうたった浪漫 主義文学者のこと(あるいは一般的に、そのような感傷的作品しか作れない詩人を揶揄す る際にも用いられる)。明治30年代、与謝野鉄幹・晶子夫妻を中心とする雑誌『明星』に よって活躍した人たちを指す。 第二次世界大戦のあと、戦時中の若手文学者に対して、加藤周一は「新しき星菫派につ いて」(中村真一郎・福永武彦との共著『1946・文学的考察』に収録)という文章を書い て批判したために、論争が起きた。
「テーマ「色」による、会話詩」 2009/2/26 2009/2/26http://2style.in/alpha/18-1.html??(同人α18号)
「臼井さんの詩はどうして子供の目で書けるのだろう」とO−chanと話していて、ウ ィリアム・ワーズワースの詩「虹」の話になりました。
My Heart Leaps Up -William Wordsworth 虹 My heart leaps up when I behold ?? 空にかかった虹を見ると A rainbow in the sky. ??????私の心は高鳴るのだ So was it when my life began; ?? 少年の頃もそうだった So is it now I am a man; ????大人となったいまもそうだ So be it when I grow old, ???? 年老いてもそうありたい Or let me die! ???? でなければ死をたまえ! The Child is father of the Man; 少年が長じて大人となる And I could wish my days to be だから私は少年の頃の Bound each to each by natural piety. ??敬虔な気持を持ち続けたい
私はまさにその回答が見つかったみたいで小躍りした次第であります。私はそのような 目を持ちたいと思っても、もう随分世俗にまみれ不思議なものが見えなくなったようです。 臼井さんのように自然の中からたくさんの色を見つけ、それを黒や白に収斂して土に返す、 そして春がくると再び色々の生命が芽吹き出す。「黒」と「白」はすべての源であると言 っているようです。もう私にはそのような視点が湧き出てこないのではないか。そう思う と作者は特別な才能に恵まれているのでしょう。 またまたいつもの天の邪鬼の考えがうごめきだしました。ここで全く違う趣向の作者の 詩を読んでみたい気がするのですが、欲張りでしょうか。
紫陽花の花 2009/6/11
紫陽花 いよいよ関東も梅雨に入った。じめじめしていて鬱しいようだが、この雨のお蔭で日本 列島は緑の島を保っている。世界の中には水に恵まれずに植物が育たない国が沢山あるこ とを思えば、この季節もまた有難い気がする。もともと私はあまり外に出て運動するより は、室内で楽しむことの好きな性格だから、一向に苦にならない。 さて、この時期に咲く花で一番印象的なのは紫陽花だろう。事務所へ通う道筋にひとき わ鮮やかで大振りなガクアジサイがある。私は毎朝路地裏に入っていってその花の色の変 化を愛でるのが楽しみである。咲き始めのころはかすかに緑がかった白で清楚な感じを受 ける。そのうち中紅(なかべに)色に変化して華やかになり、そのうち赤紅(あかべに) 色に、最後は深い瑠璃色(るりいろ)となる。しかも一株の木にその色の花が混在すると ころが面白い。まるで美しい囲い者の朝な夕なの表情のような趣である。紫陽花の花言葉 が「移り気」「冷淡」なのはそのへんによるものらしい。しかし私は薄幸の女性が、縁を 受け入れて静かに生きているような気がしてならない。 2002年「落書き帳」というホームページを作ってまもなく次のような書き込みをして いるのを見つけた。
窓辺にて−あじさいの詩 投稿者:Tea Pot 投稿日: 5月24日(金)11時28分39秒 もうすぐ梅雨。今まで通ったことのない路地を好んで歩く癖は、永い彷徨の結果染みつい た私の趣向であり、今日も真砂図書館までの未踏の路地裏を探した。 そこには蛇苺やあじさいの花がさく路地であった。そしてその時あじさいの花の詩を思い したがそれは記憶違いであった。それはあじさいそのもを詠った詩ではなかった。 こころ こころをばなににたとへん こころはあぢさいの花 ももいろに咲く日はあれど うすむらさきの思ひでばかりはせんなくて。
こころはまた夕闇の園生のふきあげ 音なき音のあゆむひびきに こころはひとつによりて悲しめども かなしめどもあるかいなしや ああこのこころをばなににたとへん。
こころは二人の旅びと されど道づれのたえて物言ふことなければ わがこころはいつもかくさびしきなり。
萩原朔太郎 「純情小曲集」より
また、インターネットで紫陽花の詩を探しているとき、さだまさしと吉田政美のデュオ “グレープ”のアルバム「わすれもの」に収録された曲 が見つかった。 蛍茶屋から 鳴滝までは 中川抜けてく川端柳 他人の心を 胡麻化す様に 七つおたくさ あじさい花は おらんださんの 置き忘れ 思案橋から眼鏡橋 今日は寺町 廻ってゆこうか それとも中通りを抜けてゆこうか 雨が降るから久し振り 賑橋からのぞいてみようか この詩はまさに私が路面電車の終点の「蛍茶屋」の古い屋敷の二階に間借りしていた頃の 情景そのもので懐かしい。 また、 アジサイは毒性があり、ウシ、ヤギ、人などが摂食すると中毒を起こす。症状 は過呼吸、興奮、ふらつき歩行、痙攣、麻痺などを経て死亡する場合もある。 釈迦の誕生を祝う行事の花祭り(4月8日)に飲む甘茶(あまちゃ)は、ユキノシタ科の落 葉低木ガクアジサイの変種であるアマチャ(学名:Hydrangea macrophylla var.thunbergii)。 また、その若い葉を蒸して揉み、乾燥させたもの。およびそれを煎じて作った飲料、だが 全く紫陽花の葉とそっくりであるから用心しなければならない。
「テーマ「空」による、会話詩」を読んで 2009/7/20 http://2style.in/alpha/19-9.html (同人α19号)
この詩を読みながら、O−chanの魂胆をハタと理解した。こんなことを今頃になっ て悟るとはなんと私も鈍くなったことか。この「言の輪」の画面が19号のテーマ「空」 に合わせた「空色」であったとを一月ばかりも気づかなかったことである。人の何気なく 放った些細な言葉に傷つくことがあるかと思えば、このような秘められた思いを読み取る ことも出来ない自分が見えてきた。これでもかこれでもかと諭されても真意を理解できな いこともあるというのに、ましてや簡潔な言葉に凝縮された思いの作者の詩においてはな おさらだ。 そしてこの実に優しい詩のなかに込められた意図は、くだくだ述べられた解説よりも強 烈に私の心に響いた。 「自然は終わらせるために人を産んだのかもしれない」、最後のこのセンテンスに込めら れたメッセージは、人間はいままで何をしてきたか、そしてどこへ行くのかという、生命 の根源的な意味合いを問うという重い詩であったことに気づいた。
《言葉集め星創り五拾番》 神秘相撲について 2009/9/1 http://2style.in/alpha/19-12.html (同人α19号)
書かないでもいいよと神野佐嘉江氏は合評を辞退したけれど、やはり投稿をお願いする 立場の私としたは、いやそれだけではなく詩というべきか散文というべきか、この難解な 読み物にいつも魅了されているからである。 ある時は短歌でありある時散文詩であり、まさにミクロ量子の世界とマクロ宇宙のとっ くみあいの様な、まるで神秘相撲そのものの狭間で私の脳は攪拌され、ブラウン運動のよ うなランダムな混沌の世界を彷徨ようだ。 一つの単語に全く意味の違う形容詞がくっつき、分節となり文章へと変化する。そして 不思議にそのはちゃめちゃな言葉に正当な意味があるかのごとく私に迫りくる。 本当のところ、用語をあげてその変化を検証しようと思ったが、相当の時間を必要とする ことなので、今回は勘弁してもらいましょう。 それにしても神野佐嘉江氏の独自性は群を抜いていますね。
「会話詩」の感想 2009/10/4 http://2style.in/alpha/20-10.html?? (同人α20号)
確かに人間は黙って過ごす時間を失ってしまった。居間にあるつけっ放しのテレビの音 を遠くで聞いていると、間断のない早口のしゃべり声と声高な笑いに満ちている。 人はあまりの情報の多さに、一人の人が情感を込めた言葉を言っても、ありきたりの意 味で済ますようになった。人によってその情感は少しずつ違うのにね。だから本当の気持 ちを伝えるために多くの言葉が必要になったということでしょう。なんだか逆説のようで すが・
「テーマ「カオス」による 会話詩」をよんで 2009/12/14 http://2style.in/alpha/21-4.html??(同人α21号)
文明は前の文明が土に戻る前に、その上に新しい都市をつくった。何かに追われるよう に戦い滅ぼし尽くし支配しカオスの状態になった。ローマの都市の地下は殆ど数千年前の 都市の残骸で埋め尽くされている。その新しい建物もすでに数百年は過ぎているのだ。 人類は働き食べて寐るなどの基本的本能に於いては、有史以から今まで何の変化もして いない。飽食、便利、豊、自由な時間、膨大な情報量を享受しているがどこか賢くなった ろうか。 この詩を読んで、本来の原始的な生命力を失うほど、人類の欲望が必要以上に肥大化し ていった、一方悠久の自然がいかに緩やかで清々しいものかの対比を描いた詩だと私は感 じた。
ミルテの花(銀梅花) 2010/5/17
ゲーテの「ミニヨンの歌」に出てくるミュルテとは? ちなみに、ロルベールは月桂樹のこと、ミルテの原産地は地中海沿岸。常緑の低木で6, 7月に白い花をつける。ギリシア神話のメガもアフロディテに捧げられ、花嫁が持つブー ケにも使われることから祝いの木とも呼ばれる。 シューマンの30歳時の歌曲に「ミルテとばらの花をもって」(リーダークライス作品24) がある。詩はハイネ。大意は「ミルテとばら、糸杉と金箔でこの木を柩のように飾り、僕 の歌を葬ろう。熱かった歌も死んだ。だが愛が戻ると歌は甦り、貴女に囁くだろう」。 ミルテとばらは純潔、糸杉は死を表す。クララへの愛が堰き止められていたシューマンの 苦悩が反映しているようだ。その悩みは間もなく解消。歌曲集「ミルテの花」を結婚前日、 クララに贈っている。 (白石裕史)
「同人α第24号編集後記」 2010/8/8
この暑い夏、独居隻語の癖(へき)あり。 鳥は飛べるものと当然思っていたが、ふと飛べない鳥のことが気に掛かり調べてみた。 すると飛べる、飛べないという区分けが正しくない事がわった。本当は飛ぶことが有利に 生きれることでそれを選んだ鳥と、飛ぶことを放棄してもより有利な条件で生きられるも のとに別れるのだ。飛ばない鳥の方が珍しいのでそれ等を列記すると、アフリカのダチョ ウ、オーストラリアのエミュー、ニュージーランドのモア、南極のペンギン等々。総じて 天敵の脅威が少な い地域で生きる事ができたからであろう。飛びたいかどうかは、長い 年月を経て選ばれた本人の意思次第。下世話な世界で揺蕩(たゆとう)う生き方もまたいい だろう。しかしここへ集う五人衆は高く遠く宇宙の果てまで真理を求めて飛翔することを 好むようである。ここにそのことを見事にうたいあげた詩がある。サムエル・ウルマンの 詩である。 青 春 青春とは人生のある期間ではなく、心の持ち方を言う。 薔薇の面差し、紅の唇、しなやかな手足ではなく、 たくましい意志、豊かな想像力、炎える情熱をさす。 青春とは人生の深い泉の清新さをいう。
青春とは臆病さを退ける勇気、 安きにつく気持ちを振り捨てる冒険心を意味する。 ときには、二十歳の青年よりも六十歳の人に青春がある。 年を重ねただだけで人は老いない。 理想を失うとき初めて老いる。
歳月は皮膚にしわを増すが、熱情は失えば心はしぼむ。 苦悩・恐怖・失望により気力は地に這い精神は芥にある。
六十歳であろうと十六歳であろうと人の胸には、 驚異に魅かれる心、おさな児のような未知への探究心、 人生への興味の歓喜がある。 君にも吾にも見えざる駅逓が心にある。 人から神から美・希望・よろこび・勇気・力の 霊感を受ける限り君は若い。
霊感が絶え、精神が皮肉の勇気におおわれ、 悲嘆の氷にとざされるとき、 二十歳であろうと人は老いる。 頭を高く上げ希望の波をとらえる限り、 八十歳であろうと人は青春にして已む。
「同人α第25号 「風」−表紙と前書き」 2010/9/20
まず始めに表紙のデザインに用いた「颯颯」という文字は、山鬼:楚辞・九歌にあるもの を借りた。
雷填填兮雨冥冥 雷填填として雨冥冥たり 猿啾啾兮又夜鳴 猿啾啾として又夜鳴く 風颯颯兮木蕭蕭 風颯颯として木蕭蕭たり 思公子兮徒離憂 公子を思へば徒らに憂ひに離(かか)るのみ 雷が鳴り響き雨が暗く、サルは悲しげに夜も泣いています。風は颯颯と吹き渡り、木は蕭 蕭たる音を立てています、あなたを思うと私の心はいらずらに憂いに沈むのです
大富豪で泥棒を趣味とするスティーブ・マックイーンと保険調査員のフェイ・ダナウエイ の二人が、全く違う立場で丁々発止とやり合う「華麗なる賭け」という映画があった。悪 と正義のせめぎ合いなかで何とも言えない二人のもどかしい関係を表現したミシェル・ル グランの「風のささやき」という名曲がある。 http://www.youtube.com/watch?v=tg-XaYrbX-o またマンディー・バーネットの ウィスパーリング風という歌もある。 http://www.youtube.com/watch?v=FcfPumlZFiY
風のささやき 風は独り窓辺に佇む私の心に 微かなささやきを残して走り去り 彼の姿を見せることはしない
仮眠の五感をそっと刺激して 覚醒しようとする私をからかうように 過去の思い出のなかに漂わせ 仮の夢に想いをふくらまさせ 荷担した報いとして孤独な憂をあたえる
あるときは花の香りを運んで あるときは竹林をさざ波のように あるときは松林をゴーゴーとふるわせ あるときは首筋に冷たい空気を置いて行く あるときは私にはな歌を唱わせる
風は私の想念への誘い 風は私の心へのささやき 風は私への宇宙の啓示
窓辺にて−パウル・クレー 2010/10/5
本屋に寄ってパウル・クレーの絵に谷川俊太郎の詩を添えた「響きあう絵とことばのおく りもの」と言う題の絵本が気に入った。細君は誕生祝いに費用を出すという。1500円 パウル・クレーについての私の知識は、近代建築の四大巨匠ル・コルビュジエ、フランク ・ロイド・ライト、ミース・ファン・デル・ローエ、そしてヴァルター・アードルフ・ゲ オルク・グロピウス、そのグロピウスが創立したドイツの芸術と建築の学校「バウハウス」 で、クレーは関わっていたことから始まった。 建築においては造形や構造は言うまでもなく、色彩や配色およびテクスチャーのことまで 学ぶものである。私はクレーの写実的な描写や遠近感をあえて押さえた作品の二次元の世 界に封じ込めたフォルムや色彩のシュールさが好きだ。油絵の生々しい情念ではなく一種 の観念として凝縮させた静かな思想。そういえばクレーの日本画の蒐集は数十冊に及んで いたという。やはりその影響で平面のなかに観念を封じ込めたのであろう。音楽家でいえ ばブラームスのような抑制された表現を感じるのは私だけであろうか。
「宇宙からの風が悪戯をする時」を読んで 201012/7
◆副題は場面場面にふく風を現していておもしろい。もうすこし飛んだ言葉がいい。例え ばアースシーから吹く風に・・・。などの全く違う世界のイメージとの合体。詩の命はメ タファだと思っています。という私のそよ風の詩は全く力不足、直裁的過ぎてイメージが 宇宙に飛び出せないものでしたが・・・。
◆風がテーマですから 疾風、旋風、烈風。そよ風、薫風、寒風、春風、熱風、山風、緑風などの風づくしを副題 に当て、意地悪な旋風さん、すべてを破壊してよ木枯らしさやさしい母の香りのそよ風さ んなどの言葉を各節の詩の最後にリフレインの言葉で締めくくるとか・・・。
[お菓子が飛んだ] 遠足は楽しい頭の中はお弁当とお菓子でいっぱいさ それとちょっと好きな健ちゃんとシーソーに乗った 昼の会食はお花満開、健ちゃん満開お菓子も大満開 どこから来のか風がチョコおせんべいあめ玉たちを 遠い記憶を思い出させる甘いそよ風よ [家がうなる] 台風とともに家族じゅうがわくわくウキウキ状態 父親は男らしさを見せるだろう母親は食料調達鬼 肩を寄せ合い固唾をのんでお客様を待つ最高気分 がたついた雨戸がガタガタ瓦がカラーンコローン いっそすべてを破壊しつくせ疾風よ [自転車に乗って1] 高校に遅刻しないようにとペダルを思いっきりこぐ そんな時に限っていきなりの向かい風が思いっきり プリーツスカートが全面に風を飲み込み顔に被さる 前方視界ゼロ状態で今日の下着は何色だっだかなと 紳士面した悪戯好きなつむじ風よ [ビルの谷間で] 前に進もうと屈んで力を込めて一歩一歩全力投球だ 西新宿高層ビル街脇は台風でもないのに大嵐になる 軽いあの子はスカートを両手で必死で抑えているが 一瞬体がふわりと宙に浮き思わず手を離してしまい 私に戦いをいどむか身の程知らずのビル風よ
- 136 :α編集部 :2014/06/17(火) 14:27:33
- 山荘住まい 2013 後編
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山荘住まい 2013 後編
山の定住生活も2回目の夏と冬。著者は猫と出会うため、そして本を 読みふけるために移住したに違いない。そう思える。(編集部)
夏
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)
- 137 :α編集部 :2014/08/12(火) 11:45:14
- エイプリル・フール2
.
エイプリル・フール
赤松次郎にとって4月1日は何か特別の日のようだ。 いい嘘も、悪い嘘もともにつけない(つかない)氏にとっては どこか開放された一日となるのかもしれない。
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)
- 138 :α編集部 :2014/09/26(金) 08:32:53
- 純文学と大衆文学
. ?????????? 純文学と大衆文学?? 2007-2010
「肥と筑」の感想
bird・brainの私が「肥と筑」をものにする巨像のような作者の頭脳に対峙するのに、どの ようなスタンスを取るべきかいまだに決まった見解を持ち合わせていないのである。そこ で連載の途中だからといって物事の結論を先延ばしにするという私の得意の奥の手を使い たいのだが、皆さんの努力を見るに付けそうもいきません。逃げることも問題を処理する 方法として一つの文化であるという社会も世界には存在するという本(危機のモラル マ レクラ島のフィールドから 船曳建夫著)を読んだことがあるが、ここで放棄することは 編集に携わる者として許されるものではないと思った。そこでMさんや、長岡さんの手法 (省略されました・・全てを読むにはここを押してください)
- 139 :α編集部 :2015/03/31(火) 19:18:04
- 標本箱2 春夏秋冬
*戯評の投稿記事です *題は編集部作成 *一部名前を変えています
主要キャスト 棘 シニン ベルギリスふりん 海馬海馬女(白痴) 万歩計
春
【五月蠅い奴ら】 ◆おーまん:「あるわがまま」出しっぱなし、そのうちあるがままの姿で街を闊歩するぞ ◆万歩計 :作品の分析をしまくるが、みるべき解釈や真意の組み立てはできない ◆イモジン:ヴァイオリン、カントリーダンス、TOEICはどうした ◆パクチー:奉仕活動のためなら何でも、どこへでも顔を出す (省略されました・・全てを読むにはここを押してください)
- 140 :α編集部 :2015/04/01(水) 21:33:54
- エイプリル・フール2 2015〜
. エイプリル・フール2015〜
赤松次郎にとって4月1日は何か特別の日のようだ。 いい嘘も、悪い嘘もともにつけない(つかない)氏にとっては どこか開放された一日となるのかもしれない。
2015年
エイプリルフール (省略されました・・全てを読むにはここを押してください)
- 141 :α編集部 :2015/11/11(水) 05:55:22
- 岩を抱く木々、寄り添う木々
.
岩を抱く木々、寄り添う木々 2014-2015
山林の形態その1 2014.6.26 ◆岩を抱く木々 山の斜面に生えている大木を下の道から見上げると、岩を抱いた木々があることに気が ついた。初めは何故だろうと不思議だったが、よく考えるとある理屈でそのような情況が 生まれたのだと推測した。この辺りの山は大きな岩や小さな点石で成り立っていて、その 周りを長い間の落ち葉が積もり腐葉土をなしている。まだ発酵していない湿った木の葉に 足を踏み入れると、踝(くるぶし)まで沈む位ふわふわと層をなしている。木々にとって (省略されました・・全てを読むにはここを押してください)
- 142 :α編集部 :2016/04/05(火) 18:05:09
- エイプリルフール2015
エイプリル・フール2015〜
赤松次郎にとって4月1日は何か特別の日のようだ。 いい嘘も、悪い嘘もともにつけない(つかない)氏にとっては どこか開放された一日となるのかもしれない。
2016年
オキシモーラン的エイプリルフール−その1
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)
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