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赤松vs北
2
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管理者17
:2014/02/25(火) 23:04:59
古賀 VS 北 2002-2007
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古賀 vs.北 2002-2007
高校時代の同期だという両名の付き合いは、卒業後三十数年もたった頃、同窓誌「斜光」
を通じて始まったといいます。
その後互いに文学を語りあえる良き友になったようです。 (編集者)
読書会への勧誘 2002年/5/2
南方熊楠は伝説の大読書家で、和漢の膨大な書籍の読破はおろか、次々にものしためぼしい外国語
でも読み進め、明治大正のあの当時それはエチオピア語にも及んだそうです。
立花隆も大の読書家です。学生時代に既に、世界文学の読破は自分の右に出る者はなかろう、と
豪語しています。彼は、学生を終えるころ不忍池近くの根津に住んでいました。アパートを訪れる
と、おびただしい書籍がミカン箱に入っています。
自分の例にならって「三分の一ぐらいは読んでる?」ときくと、「全部読んでるよ」と不快げな答
えが返ってきました。
世の中は不思議がいっぱい詰まっています。宇宙論は現在多宇宙まで論じられています。相対性
理論と量子力学は統一されようとしています。科学の知見は産業革命以来といわれる未曾有の変革
をもたらそうとしています。外国人から見た日本の文化は、海の文化・木の文化と映るそうですが、
我々はこれらについてどこまで知っているでしょうか。逆に外国へ目を転ずると、我々が「イスラ
ム」に関していかに無知であるか、あの昨秋の同時多発テロ以来、明らかになりました。同人の一
人田村道子さんは、大学で教えている関係で、今ジェンダーに興味を持っています。
古賀和彦君は、河野多恵子はじめ黙々と純文学関係の本を読んでいます。世の中知りたいことがい
っぱいです。
この度、我々同窓生の間で、「読書同好会」を持つ運びとなりました。同人の北島浩之君は、種
々雑多月々五六冊は読み上げている本好きです。古賀恵義君は、もっぱら専門書読破の生涯であり、
時間のできたこれからは一般書を読んでみたい、とのことです。中島勝彦君も専門の鳥に厚味を持
たせたいもののようで、意欲を見せています。
読書会の進め方はいろいろあって、この本を読もう、というよくあるしばり方も一つですが、テ
ーマしばりもその一つかな、ということで、今回第一回は上記「イスラム」でいこう、ということ
になりました。「イスラム」関係の本を、新書、文庫など薄い物でもいいですから、一冊は読んで
月に一回(または二月に一回)程度の会に持ち寄り、これが面白かった、「イスラム」とはこうい
うことだって、と茶菓をつまみながら(一杯やりながら)、わいわい述べあうことになると思いま
す。テーマは誰が提案してもよく、面白そうだとそれが次のテーマになります。
六十を過ぎるとやにわに「人生の秋」感、「人生の黄昏(たそがれ)感」が強くなりました。い
いじゃありませんか。秋から冬にかけ、また夕方から夜にかけ、時間はたっぷりあります。読書会
であなたも人生をさらに豊かにしてはいかがでしょうか。
(同人・北勲記す)
*「斜光」パイロット版について 2004/9/27 *1995 発行 1996創刊号以降年刊発行
「斜光」パイロット版について私にも言わせて
その当時400部も発行する同人誌にするという大それた考えはなかった。ただ仲間同士で手作りで
何かを創ることに喜びを味わいたかった。私は日本中の同人誌について図書館で調べあげ、2・30
の候補の題名を書き出し、われわれの目指す誌にふさわしい名前を4人で検討した。
北君の武満徹の作品からと思えるノヴェンバー・ステップス (November Steps, 1967年)以外の
提案はなく、その2・30の中から選ぶことになった。
そして残ったのが「斜行」と「斜光」の2つであった。昭和35年卒業と佐高を掛け、加えて「サ」を
「シャ」と発音する郷里の訛りで味付けし「シャコウ」としたわけである。
O−chanの書いた通り、「斜光」を推していた私がトイレに発った瞬間に3人の推す「斜行」に
決定した。まだ討議の途中と考えていた私の思惑は甘く、冷徹な民主主義の数の論理に押し切られ
たしまった。
散々回り道の人生を歩んできた私はこれからの行く手にせめて「光」を望んだわけだが、0号を手
にした人から「私はまっすぐな道を歩んできたのに」という意見もあって創刊号では「斜光」に戻
したいきさつがあった。
しかし、今考えると「光」はなんだかカルトの宗教の匂いがするようで、もっと率直に自分の生き
様を表した「斜行」でもよかったような気がする。
「母の日記」 2007/3/25
河口湖は一日中雨だから読書のはかが進んだ。「あることの不思議」の二度目を読み始め
る。
いよいよ母の日記を活字にする作業に取りかかろうと想う。
遺言の内容や最後の私に対する思いに納得いかないけれど、それはそれとして長い付き合
いをしてきた訳だから、しかもこれだけの思いを綴ってきた母を理解するために、大した
親孝行もしなかったという想いもあって、一冊の本に纏めて古賀家の記憶のためにしたい
考えた。
母の日記帳は以下の通り
■ 自由日記ハードカバー箱付き全40冊
1967から〜2006まで
■ その他雑文大学ノート2冊
兎に角何年かかるか判らないが、北君と相談の上進めたいと想う。
「一の宮の桃」 2007/4/1
今日は御坂道を通って一の宮の桃の花を見に行く。御坂峠のトンネルを抜けたヘアーピン
カーブで今年の正月危うく事故で命を落としそうになった事を思い出し、少々嫌な気分が
あった。しかし桃の花は今が丁度見頃で、まるで桃源郷もかくやありなんと思いをはせる
程見事であった。なだらかにピンクの花が敷き詰める甲府盆地の遙か向こうには、まだ雪
を頂く南アルプスの山々が連なり爽快な気分である。
何とかという公園に車を止め、花や木楢の林を散策し、五月にはきっと新緑が素晴らしい
景色になるだろうと思った。帰りは精進湖の方の道を選んだ。途中にあったくろねこ大和
で、母の日記帳二十冊を北君に送る。およそ一年掛けて編集しよう。
「北君来訪」 2007/4/23
● 区長、区議選 AM11:00湯島小学校に投票に行く。
● 午後2:00 北勲君来社
母の日記の件で打ち合わせ。行頭禁則、行末禁則とか、数字はどう表記するか、ルビ
は肩付き・中つきか?用紙はA5も検討する。
計算すると1年では時間的にワープロ入力は無理。気長にやりましょうとなった。
2・3年は掛かりそう。
● 夕方伊豆榮本店で鰻を食べる。7:00ごろ千代田線湯島天神下駅で別れる。
● 川合 光著 初めての〈超ひも理論〉の本を北君より貰う。
「母の日記の編集の代金について」 2007/5/29
母の日記の活字化の代金について北君と相談した。その結果1年分の活字化が済む毎に支
払いをする。1冊20,000円。
北君より興味のある本を紹介された。
血と骨 (文庫) 梁 石日(ヤン・ソギル) 上下 それぞれ \680円
「梁 石日」 2007/6/12
◆ 北君推薦の「梁 石日(ヤン・ソギル)」の「血と骨」上下巻を湯島図書館から借り
る。
「河口湖の家」 2007/6/24
◆ 6月24日(日曜日)
北君から紹介された「梁 石日(ヤン・ソギル)」の本「血と骨」・上下を読み終わ
る。
主人公金俊平の原始的な生命力(食欲・性欲・金銭欲・独占欲)の凄さは民族的な特質
なのか、誰にでも備わっているのであるが教育などにより自制しているものか、それ
とも豊で安定した社会に慣れて失われた生命力なのか。北君はどうもあれに描かれた
社会に宗教(特に仏教的な)が無いのではと見ている。それが韓国社会の特異な問題な
のか、いつか話し合って見よう。
以前読んだ「知の理論」「知の技法」「知のモラル」(小林 康夫・ 船曳 建夫)
編集を再び読み出す。これは東京大学教養学部「基礎演習」テキストであり、物事を
理解するための入門書である。さらに先に進むための参考書なども挙げてあり、一読
を勧める。
「北君の手紙」 2007/6/27
古賀君、お母さんの日記入力、一冊1996年分が終わりました。
入力しながら感じたこと、
? 有り難い、有り難うの感謝の言葉が365日を通じて一日い回はお母さんの口から出
てくること。
? 「今日も一日楽しかった」という言葉も毎日のように出てくること。
? お地蔵さんの花替え、ご詠歌の練習、墓参り、お遍歴の世話など、きわめて信心深
いこと。
? 多い日には十人。お友達との交流が盛んなこと。
? 手伝ってもらったとか、お見舞いとか、盆暮れとか、贈り物のやりとりが頻繁なこ
と。
? お人柄として、奢らず、高いところから物言わず謙虚なこと、人の悪口は一切言わ
ず不満もなかなか持たないことなど、美徳が目立つ。
? 『血と骨』の金俊平は周りに死屍累々を残したけど、彼なりに至福だったろう。お
母さんはまたお母さん流儀でこれは至福だったろうと思われます。幸せはいろんな
形があるものだと思いました。
以上、簡単なメモとして。また残りを手がけることによって、まとまりが出てくる
と思いますが、とりあえずは以上が僕の感想。1996年分を添付します。
なおその内、『血と骨』を論じ合いましょう。 **************
「北君からの手紙」 2007/9/9
*「糸屑」拝読。 *同人α12号
今回は物語ではなくて、随想の趣と読みました。例によって懐かしい日本文学風の風景
描写に始まり、次々と人生の思いが綴られていきます。糸屑の登場はすごく効いていまし
た。大まかで大きい話の中に突如、ごくごく小さい物が現れる。効果的でした。それが赤
い物はなにやら不思議さを伴っており好ましいと思いながら読みました。
全体「人生断章」とも言えます。僕もこの頃、それ風のものが少しずつ溜まってきた感
があります。先に「生きる」とは自分にとってどうであったか、を同人誌にも書きました
が、この頃はさらにシャープに把握できたような気がするのは、「存命の喜び」こそ生き
るの内容であったが、この頃そしてこれからは、「存命の不思議」が、生の手応えになる
ように思われること。さらに進んで、「生は苦である」と言ったのはお釈迦さんでしたが、
六十数年生きてきて自分にはそうは思われず、「生は快である」こそ、自分の生にとって
は真実ではないかと、思われる。そしてそれに加えて「生は深い」ということも感じる。
例えば和子が癌かと八月に騒いだことがありました。とうとう胃を切るのか、若い頃から
四十年思いもしなかったことだ。慎ましい生活、親族の罹病の様子などから見て、とても
考えられなかった。ところがどっこい、そうなった(と思われた。実際はセーフでした)。
このときです。人知の及ばなさを知ったのは。つらつら思ってみるとたかだか人の知る力、
範囲は限られている。ここに深さを見た思いがしました。
随想は大きな物語の織り糸ないしは結び目にあたります。お互い大事にしましょう。
「北君への手紙」 2007/9/12
「糸屑」の感想ありがとうございます。私もこの頃いささか忙しく、あちこちの懸案を抱
えていて、なかなかゆっくり読書も出来ません。
貴君が言われるとおり「生は快である」ということに私も思い当たる節があります。生は
もともと無いのが普通の宇宙であるなかに現に今我々が在るというこの事実を「快」と言
わずになんと呼ぶでしょう。それは数学的に見て1と2の間に1.00001や1.9999などの無
限の数が存在します。その中で整数は、平地からそびえ立つ見上げるような山のごとく、
誠に無限の中から特出した特異点であると考えます。生命体もまた奇跡的に選ばれた「果
報もの」であるという思いに至ります。
この頃病気になってみて知る変化がありました。今までは美味い物をたらふく食べること
に何の疑問も刺激も感じないようになっていましたが、食事制限を義務付けされてから、
食の味を鋭く感じるようになり愛おしむようになりました。だから金も名誉も時間も全て
が完璧な者がはたして十分な満足を感じているかは疑問です。どこかに支障や足りないと
ころが在る方が、苦労のなかの達成感や求めようとする意欲による生き甲斐となり、生の
充実感が強いのではないかと思い当たりました。今度の連休は河口湖に行きます。もし良
ければ来ませんか?"a
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