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alpha-archive-07 - 小柳理正

17編集部:2014/04/29(火) 15:37:10
 言葉 言語 翻訳2
.

            ??言葉 言語 翻訳 2011-2012




  言葉、言語、そして翻訳に触れる文章が多く見られます。
  歴史ひもときは文献に当たることが中心になりますから、氏にとって、まず
  言葉を正確に知ることが大前提になって当然です。
  ひもといていった持論(推論)を文字で残す作業もまた、「正確な表記」へと
  繋がります。
  日本語に訳された資料に対して敏感になるのも、当然の結果なのでしょう。





肥と筑 第十六回:評のお答えより?? 2011/ 3/21
注)★評者

★丸々4年の間、登場家族は年を取らないのに作者は年を取る:
  なるほど、指摘されてみればその通りです。
それでは、時間経過の倍率は実際にどうなっているのか、調べてみました。
勉強会は、毎週日曜日の開催なので、年に52回有る事になります。これを出版回数の年
に4回で割るとな、なんと13倍でした。
作者は、登場家族の13倍の早さで年を取っております。全然気がつかなかったなあ。

★作者は検証しまくり自分の目で真実を見ようとする:
  言われてみれば、検証好きですね。しかも、大方は白川静博士の[字通]に頼ってい
ます。どうしてこうなったのか。
白川博士の本の内、東洋文庫・講談社学術文庫・中公文庫などで出版された物は、α入会
以前から興味が有って所有していましたが[字通]は高価でなかなか手が出ませんでした。
しかしα入会の頃に、長男が何かのお祝いとして贈ってくれました。
同じ頃、赤松さんの文章中に、東京を引き払い鹿島に帰る際に在京の友人から餞別とし
て[字通]を贈られたと言う逸話を読んだことが有り、その不思議な暗合に驚いた記憶が
有ります。

★言葉と文・字を持つ人類はきっとこれ(福島の原発事故)をきっかけに大いに考え始め
るでしょう。:
  同感です。願わくは日本人の鋭気と努力で速やかに現在の危機的事態が沈静化せんこ
とを。

★漢字の音読み・訓読みの意味:
  この両方の読みを持っていることこそが、日本人の漢字学習を容易にしている理由で
す。以前、肥と筑で書きましたが、漢字を音訓両方の読みで覚えることは、英語国民がラ
テン語の単語を常に英語の意味と一緒に覚えるのと同じ作業をしているのです。言葉を二
つの側面から学習することは、一見迂遠なように見えて、実は記憶をより強固で確実にす
る効果があるのです。

★水戸家の蔭紋:
  ひょっとすると、葵紋ではあっても、双葉の葵では有りませんか。
だとすると、それは徳川家康の本当の先祖の紋であって正しく蔭紋ですね。

★「雲」は夏王朝の隠れ姓、「風」は殷王朝の隠れ姓:
  日本の蔭紋からの類推ですね。遠い先祖を示すという意味では確かに蔭紋と共通性が
有りそうです。これをより解りやすく言えば
 「雲」は夏王朝を含んだより広い範囲の民族の通姓
 「風」は因王朝を含んだより広い範囲の民族の通姓
と言うように考えています。
つまり、姒や羋は、雲姓の夏民族中の各部族の姓であると思います。

★?農炎帝が焼き畑の神様:
  焼き畑の「畑」字は、日本で作った所謂国字ですが、その由来は漢語の「火田(焼き
畑)」に有ります。同様に「畠」字も国字であり、その由来は漢語の「白田(水田)」に
有ります。面白いですね。

★「羋」「姒」などの普段みたこともない漢字が漢字第3水準のなかにある理由:
  仰有る通り、中国の古代史に出てくるからだと思います。
同様な例として、唐に先立つ国名の「隋」も、滅多に使わないのに漢字第2水準の中に含
まれて居ます。





肥と筑 第十六回:評のお答えの2 より??2011/ 3/22

★得意分野の技術をもった集団に神が降りてくる:
 そう。技術を共通にする集団には、その集団なりに、アーラヤ識への固有の窓を持って
いるんでしょうね。
降臨する神とは、この窓を通って発現するのだと思います。

★コーヒーブレイクでは26号お題「仮面」がブレイクします:
 私は、この「仮面」から[夏]王朝を連想したのですが、これを調べていくと夏民族の
通性は[云]姓、
つまり[雲]姓であると推定出来たわけです。
また単にこれだけに止まらず
 1)この[雲]と25号の題であり殷王朝の通性と推定した[風]とが、それぞれのト
ーテムたる龍と
   鳳とに結びついている一対の概念であること
 2)[雲]と[風]とは、25号の肥と筑のコーヒーブレイク中で、後藤家の父母であ
る一対の男女が、
   その好む詩の中で無意識に取り上げた一対の言葉であること
の2点に気がつきました。
25号と26号の題は、私の意志とは無関係に選ばれたにも拘わらず、自然とこのよう
な暗合に導かれた
ことが、実に不思議です。

★神ではないけれど祈りを通じてシャーマンになる:
 祈りとは、言葉を介して共通した思いを集中できる所の人間という存在にだけできる行
為だと思います。それだけ、言葉には強い力があるんですね。





双数と言語
「三点セット:評の3」より?? 2011/4/17

?? 今なお続く余震による船酔い症状と、家の片付けとに追われ、なかなか時間が取れま
せん。
★3は最初の複数?
 著者は、三点セットという言葉から、トルコで印象深かった三つの飲料に触れています。
これについて思い出すことは、アラビア語文法には双数という概念が有ることです。ほか
にアジアの言語では、ヴェトナム語と関係あると見られる南アジアのモンクメール語、イ
ンドのムンダ語にも双数が残っています。印欧語系にも昔は広く分布していたようですが、
今ではケルト系のスコットランド・ゲール語やウェールズ語、それにスロベニア語やソル
ブ語などの少数派言語に残って居るのみです。
 この双数概念は、本来目や耳などの一対の物を表わす形であり、このような言語では所
謂複数とは3から始まります。つまり、3は多様性の始まりとも言えるわけです。
著者が触れているように、オスマン帝国ではアラビア語やペルシャ語の影響が強いのです
がアラビア語では現在も、ペルシャ語ではその古形に於いて双数が存在するので、この双
数の最初の対立概念としての3が、オスマン帝国で特別の意味を持っていたのかも知れま
せん。





ケルト語と古代ローマ語
三点セット:評の4?? 2011/ 4/17

★アナトリアとトロイ
 トロイの遺跡は、アナトリア西端に有り、その始まりは西暦前3000年頃とされていま
す。
ホメロスが「オデッセイア」で、ギリシアとの戦いを描いたトロイは下から数えて第7層
の「第?a市(西暦前1275〜1240年)」に当たると言われています。
 あくまで伝説ですが、イタリア半島にローマを建国したのはこの時ギリシアに滅ぼされ
たトロイ人の子孫という話もあります。もしこれが本当だとすればトロイの東北のビザン
チン(現イスタンブール)に都を置く東ローマ帝国が出来たのは、先祖返りかも知れませ
んね。
また、ケルト族の伝説の王アーサーの先祖はトロイから渡ってきたという伝説もあります。
ケルト族のアーサー王の先祖が、トロイからイギリスへ渡ってきた中継地が、もしローマ
であったなら、ケルト語と古代ローマ語との類似性が見事に説明できます。





色認識と言語
馬上少年過ぐ、あるいは黄昏:評 より??2011/ 6/11

?? 文中一番気になった箇所の「人間の色認識」について私なりの感想を。

これは、著者が職場で設計開発したテレビカメラの色再現に関連して出て来る問題である。
色認識について、著者は言う。
「人間の色認識というのは実に心理現象であり、物理的実体と必ずしも対応していない。
また色認識というものはかなりルーズで、大部分において自分が記憶している色像があり、
それにより判断している。・・・
たとえば、晴天の屋外での色と白熱電灯で照明室内での色は、本当は相当に違うのである
が、人は同じ色と認識している」と。
つまり、著者は「人は色について先入観を持ち、それによって判断している」と言うこと
を物理現象に即して解説している。

これを見て驚いたのは、これが唯識が説く人の認識論と実に見事に対応しているからであ
る。

考えてみると、ブラウン管または液晶の色再現としては、緑青赤の三原色が使われてきた
が実は、世界各地における古語の基本的色名は意外に少なく、しかも必ずしもこの緑青赤
とはピッタリ同じではない。(例えば、日本の古語では赤黒白青の四色が基本色であった)
これは、民族により基本色が受け持つ色範囲が少しずつずれている、つまり基本的色認識
に係わる先入観には差があることが言語面からも解ると言うことであって、人の脳内にお
ける色認識は、一体どういう仕組になっているのだろうと、最終的にはそこまで興味が広
がっていくのである。





肥と筑 第十七回:評のお礼の4 より??2011/ 7/14

★ある家庭の・・・かなり教養指数の高い人々による勉強会というありえない設定:
 これは以前にも、他の読者から指摘を受けたことがあります。
確かにそうでしょうが、この設定は私に取っては必須なのです。
というのも、私のこの一連の作品は本質的には「論」だと思っています。
 その目的は、毎回幾つかの歴史的・民族的・宗教的または言語的謎を系統的に解き明か
しこれに対する反論と再反論つまり想定問答を複数の視点で行なうことなのです。
(この論証でも漏れた部分は、読者からの質問に対する説明として補っています。)
このため、作品中に各分野に強い人物を想定し、このような集まりを設定したわけです。
同じ「論」でも、作者一人が全ての論証を行なう場合に較べ、登場人物一人一人の個性が
浮かび出るため、幾分かでも読みやすくなっていると思います。





人の像をした美しい青い地球:評の3?? 2011/ 9/14

?? 家族旅行で、またもや評の3が遅れてしまい、神野さんの合評御礼まで出てしまいま
した。 九月九日も過ぎ、六菖十菊の嫌いは有りますが、ままよと眼をつぶって出すこと
にします。

[「人の像をした美しい青い地球」はまだ世界を知らない]  について
1〜5のいずれも、恐いか恐ろしいという言葉を含む文章で始まるのは、今号のテーマた
る震災列島に係わるものでしょう。
文章表現を見る限り、この節の主人公「人の像をした美しい青い地球」は、著者が持つ純
で初心な内面を示しているように読めました。

 と、ここまで書くと、赤松さんの評の意図にまたもや反することになりそうです。
そこでは比喩の持つ効用が、作者の巧みな表現を成り立たせる要素として説かれていて
「神野さんのこの作に対して解析・分析の類を加えるのは的外れである」
という趣旨が述べられています。
確かに、それは尤もな批判だし、私も何時も私の分析偏重に対して反省しています。これ
は一種の職業病で、なかなか直りません。
 しかし、以前にも書いたことが有りますが、分析という作業そのものが比喩という作業
と大きな基盤を共有しているのも事実です。
ここでは、事のついでに再度そのことについて私の考えを述べてみたいと思います。

★言葉と連想
 連想は、言葉の力を基にした意識の共有という人類に特有な作業であり、ほかの動物で
は(多分イルカでも)この作業は不可能でしょう。
★連想の和と積:比喩と分析
 連想は、意識範囲の拡大と縮小とのいずれにおいても、人が自然に用いています。
 範囲の拡大は、複数の言葉のいずれかで象徴される対象の和(集合の和です)を用い
  範囲の縮小は、複数の言葉のすべてで象徴される対象の積(集合の積です)を用いま
  す。
 敢えて単純化すると、前者が比喩・後者が分析と言えるでしょう。





「肥と筑 第十八回 のお答え より??2011/10/15

★周とトルコ族
万理さんの評中に[滅亡時のヒッタイトの移動]と有りますが、アナトリア半島を中心に
存在した古代ヒッタイト王国の民族は、その言語から印欧系の民族です。
一方、私がヒッタイトの製鉄技術を受け継いで東アジアに東遷したと見ているトルコ族は、
アルタイ語族の言語を話すアジア系の民族であり、ヒッタイトの民族とは無関係です。
ただし、トルコ族の四頭立ての重戦車[駟]も、ヒッタイトから受け継いだ物でしょう。
トルコ族の周は、この重戦車の[駟]で、二頭立て戦車からなる殷の軍勢を破ったのです。





言語と文字表記
窓辺にて−そして、それから:評?? 2012/6/17

★言語と文字表記
水村美苗の著書をきっかけに著者の持論が展開される。
そこで挙げられるのは
  文化・伝統を文字表記にすることの意味
 日本語の漢字仮名交じりの表記の持つ意味
 日本古来の多彩な色彩名称(もちろん鈍色も中間色としてその中に入る)
 後々まで残る書かれた文章に対する校正の重要性
 母国語の習得の重要性
などであり、いずれも評者の年来の意見とも符合していて意を強くした。





[知恵]と[智慧]
心にあるよしなしごと:評の1より?? 2012/7/1

★忘れぬ内に未校正の誤植を挙げておきます。(→の右が本来有るべき表示です。)
 注意はしたつもりですが、校正が行き届かなくて申し訳ありません。
p69、 5行 限界もなく→眼界もなく
p69、 8行 阿耨多羅のルビ「とくあのくたら」→「あのくたら」
p69、11行 般羅掲帝の般羅のルビ「ぱら」→「はら」
p69、11行 般羅僧掲帝の般羅のルビ「ぱんら」→「はら」

★佛の知恵と今の日本で通用している知恵は異なる
仰有る通りです。ただし、中国では佛の[チヱ:般若]を翻訳する際に伝統的に[般若]
でなければ[智慧]と漢訳しています。日本佛教でも、世間知を示す[知恵]と佛の[智
慧]とは区別して用いてきました。
異文化間の言語翻訳の困難さは、日中で共に意識されていたようですね。





「クルアーンの翻訳について」より 2012/7/6

「心にあるよしなしごと」−評3(完)の文中、「イスラームでも(翻訳による布教とい
う) 同じ努力がなされてきたのでしょう」とありますが、実はイスラームの経典クルア
ーンは、他の言語に翻訳して布教することが禁止されているのです。
(ただし、布教を目的としない翻訳はあり、日本語訳も存在します。)
つまり、イスラームでは、世界中何処に行ってもモスク内で用いられるクルアーンの文章
は共通であり、翻訳による誤解は生じないようになっています。

アラビア語には、非常に広い地域に渡る国・地方・民族それぞれに異なる方言アンミーヤ
が存在しますが、一方ではイスラーム圏共通の文章語フスハー(日本語では文語に当たる)
がこのクルアーンの文章を基礎として生まれました。





[肥と筑」の評へのお答え より?? 2012/12/25

 貴重なご意見と評とを戴き、ありがとうございました。
★肥前と肥後の間に筑後が割り込んだ形になっている位置関係の不思議::
 何故このような事が起きたのかについては、以前作品中で軽く触れました。
私の意見としては、今の河北省にあった孤竹国とその隣国の肥如国は、血族からも元々密
接な関係に有り、日本へも同時期に渡来した両国が筑と肥の基になったものと思います。
当然、両者の居住地域も入り組んだ構造があり得たし、そのことが筑後川という北九州の
大きな航路沿いの住民分布にも反映されたのではないでしょうか。なお、邪馬台国のヤマ
ということば、孤竹と近しかった山戎のことばトルコ語のヤマに由来しています。
 古事記によるとイザナキ・イザナミの国生みで生まれた九州の通名は、筑紫の島です
が、筑紫の筑は、元々倭人同様に南方系であった孤竹国の竹から来ています。
筑紫の島には筑紫の国・豊の国・肥の国・熊曽の国がありました。この名付け方からみ
ても初期の九州においては筑紫が支配的だったことが解ります。

★【異国人の受け入れ】
 縄文人と弥生系海人族つまり倭人とは、いわゆる異国人だったのでしょうか。彼らは全
く別の言語を話していたのでしょうか。確かに骨格や頭蓋骨の形状からは両者には差異が
あることが指摘されています。
 しかし、これとは別に、稲作技術からみて両者の通話は意外に簡単にできたのではない
かと思っています。
と言うのも、岡山県で六千年前の陸稲(熱帯ジャポニカ種)のプラント・オパールが次々
に発見され、縄文人が稲作を知っていたことが解っているからです。
 稲作は、江南地方から伝来した技術であるとみられていますが、この技術を伝えた民族
は、苗族や倭人に近い越族だったとすると、縄文人も海人族が話す倭人の言葉を解した可
能性があります。
す。




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