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竹内
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同人α編集部
:2017/10/18(水) 17:30:31
波乃光子さん
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波乃光子さん
七十五歳になりました。若き日の思い出、いや今でも思っています、波乃光子さん。話
せば不思議な思い出となります。最初にちらっと彼女の名前を耳にしたのはおそらく高校
三年のときか。いやもっと前から噂は聞いていたようでもある。それは中学時代か。終戦
という言葉のごまかしもあるが実質敗戦の日本国。中学時代は昭和三十二年でおわった。
あれから六十年がたった。それでもあの鮮烈な光子さんのことをいまだ思っているとは、
これまた驚異的というかしつこいというか。たぶん当時は波乃さんでなく直接的な光子さ
んだった。
光子さん、まさにその名前どおりの光り輝く存在だった。それが高校時代、どちらかと
いうと波乃さんとなんとなくかしこまった存在になった。すこし大人の世界に近づいてい
ったのか。格式が高くなって寂しい気もした。憧れの光子さんはどこへ行ったのか。その
後、生活のためともかく目先の仕事で手一杯、すっかり波乃光子さん記憶の中にはいたが
具体的な対象として意識したことはなかった。されど今になって考えると、いろいろお世
話になっていたのである。
目先の仕事をリタイヤーし少し余裕をもって世界を見渡せるようになったある目のこ
と、とある雑誌を見ていたら彼の波乃さんに関する記事に出会った。それを見て青春時代
の作と時を思い出した。その雑誌の名は『数理科学』二〇一四年一月号である。特集とし
て「波と粒子にとある。副題として「『光子の裁判』を通して見る量子の不思議」となっ
ている。波乃光子さんとは、朝永振一郎博士による素粒子の一つである「光子」(フォト
ン)についてのエッセー「光子の裁判」の中に出てくる、現代風にいえばキャラクターで
ある。これは科学の工ッセーとしては今なお名作といわれている。
この命名、実に含蓄があるというかおもしろい。ところでこの「光子の裁判」なる原典、
話に聞いたことはあるが読んだことはなかった。現在ではこれらをインターネットで調べ
ると、即あきらかになる。「光子の裁判」は講談社学術文庫三十一『鏡の中の物理学』(朝
永振一郎)の中に記載されているということが解った。大した値段でもなくアマゾンにて
購入。
この本、以下のものが収録されている。
「鏡のなかの物理学」、「素粒子は粒子であるか」、「光子の裁判」の三編である。
まず「光子の裁判」である。これを読む前までは「コウシの裁判」と読んでいたが朝永振
一郎博士の巧妙な筆の勧めによって途中から「ミツコ」と読むようになる。内容は一個の
光子が第一のスリッ卜を通過した後、第二のスリット(二個のスリットがある)を同時に
通り抜けるという実験事実を説明するものである。
この光子、量子力学的な素粒子であり、我々が日常生活での体験からもっている粒
子の属性と全く異質なものであり、前述したように同時に両方のスリットを通過するとい
う常識からかけ離れた事実がある。この事実をわかりやすく説明するため波乃光子という
キャラクターを登場させ裁判という手法を用いている。
その裁判は光子さんが門衛のいる門を通り前庭に入り、そこから建物の中に侵入する。
その方法として、二つの窓があり、そのどちらを経由し部屋へ侵入したかということが裁
判の争点となっている。そのなかで、被告光子の弁護人として朝永博士は量子力学の確立
に功績のあったディラック博士を引っ張り出してきている。
この裁判という形式をかり、作者の朝永博士は量子力学の基本的考え方をディラック弁
護士の弁護を通して語っている。その裁判の中での実地検証には、物理学実験で粒子の検
出に用いられる霧箱というものがあるが、そのアナロジーで思わせる方法を用い「キリバ
コ法」と称している。もちろんこの「キリバコ法」、現実の裁判での検証には適用できな
いと思うのであるが、一つの思考実験と考えればよいのでは、この検証を通し、被告波乃
光子は二つの窓両方を同時に通過侵入したという事実を認めざるをえないのである。
この光子は実体であり、いわゆる素粒子の一つである、この光子、一人でもあたかも分
身の術を使うかの如く同時に二つの窓を同時に通り抜けるという事実がある。これはわれ
われの持っているあるいは実感している生活空間での論理が通用しないように思われる。
ここで朝永博士が言っていることは論理が通用しないのではなく、我々が粒子という
ものに持っている固定概念からくる論理がおかしいのであって、実験事実(事実)が正し
いのであり、それに合わせて論理をくみたてるべきであると言っている。
すなわち、一人の光子は二つの窓のうち必ず一つの窓を通る可能性のみと考えるのでは
なく、一人の光子は二つの窓を同時に通り抜ける可能性もあるという論理も考えねばなら
ないと述べている。これは量子力学的世界の実体である。光子ばかりでなく、電子などそ
の他の粒子についても同様である。じつはこのような実験は、電子に対して行われたもの
が先行しているようである。
この小論「光子の裁判」いまだもって名著であると言われており、これについての評論
も多い。さきに光子の裁判を読むきっかけとなった雑誌『数理科学』二〇一四年一月号に
も四編の解説があり、さらに二編のコラムがある。インターネットで「光子の裁判」を検
索すると数多くヒットする。これらは著名な物理学者など、その方面の権威ある方々によ
るものが多い。これに対して浅学な自分がこれ以上のことを書いても、馬鹿さ加減をさら
すだけなのでさらなる解説はやめる。自分でこの「光子の裁判」を読んで自分なりのもの
としていただきたい。
一つだけあえて解説するとしたら「波乃光子」という含蓄のある名前について、「光子
の裁判」においては一貫して被告は波乃光子という個人名で呼ばれており、光子が実体の
ある粒子であるように書かれていることである。事実、光子というものは二十世紀になり
明らかになったものであり、それ以前は波(波動)と考えられていた。
歴史的には、近代物理学の始祖ニュートンは光を粒子と考えていた。その後、光の千渉、
回折などの現象が認められてホイヘンスにより波動とされた。その波動の実体について十
九世紀半ばにマックスウェルが明らかにし、電磁波動であるということになった。ここか
らまた謎が謎を呼び、現代物理学が誕生することとなった。まず光を含む電磁波が波動と
いうことがわかったが、波動というもの、エネルギーが何かある物休中を伝播していく現
象であるが、電磁波を媒介する物体は何かということになった。とりあえず「エーテル」
というものが仮定された。この「エーテル」の名残りが、今でも電磁場の方程式に登場す
る記号《ε》として残っている。
このエーテルを追及していったが発見することができなかった。というよりエーテルの
存在は否定されたのである。これが天才アインシュタインの特殊相対性理論である。相対
性理論までは古典物理学の範疇に入るようである。これによると、電磁波の媒体ば空間そ
のものであり、その歪みが波動として仁播するということである。一方、光の放射現象を
研究していたブランクは光波動と考えたが、最小単位より構成されていると考えざるを得
ない研究成果を得た(プランクの黒体放射の法則)。波動であるならば連続な現象であり、
最小単位などはふつう考えられない。
ここでまたまたアインシュタインの登場である、光電効果というものがある。これは光
が金属に当たると電子が放射されるものである。この説明で彼は《光量子》仮説を提案し
た。アインシュタインという人は相対性理論で有名であるが、ノーベル賞はこの光電効果
の理論的解明により受賞してしる。この光量子という考え方を支持するさらなる実験結果
が報告されて、光は粒子であることが証明された。同じ頃、ものの最小単位を追及してい
た物理学者はついに原子まで到堵した。ここで電子と原子核により原子は構成され、さら
に原子核には陽子と中性子が含まれることがわかってきた。
この時点で、いわゆる原子というものと光子との交点が明らかになり、現代物理学であ
る量子物理学が完成した。この量子物理学、我々の日常生活で実感する常識をはるかに超
えており、正確には言葉で表すことが難しい。よってその表現は数式を用いたものとなる。
そこでは光子、電子などの正体が波動とも粒子ともとらえられる奇妙な実体としてとらえ
られている。「光子の裁判」の被当の姓が波乃となっているのは、この微妙なところを表
しているのである。
この粒子性と波動性、一体どう考えるべきか、単にある面では粒子、ある場合には波動
ととらえられると単純に考えていたが、この「光子の裁判」を読んでそんな単純な考え方
ではないと思い始めた。この「光子の裁判」では、考えられる光子の実体について弁護人
ディラック博士の見解が述べられている。
《すなわち一つの光子は無限次元のヴェクトルの重ね合わせでありそれらが共存してい
る。たとえば通常の空間においてX方向とY方向のヴェクトルの和はX方向ともY方向と
も違う方向を向いているが、だからといって全く別の独立したZ方向を向いていると言え
ないのと同じである。すなわち光子が二つの窓のうち一つを通る状態を窓1、他の窓を通
る状態を窓2と書くと、実体の光子は(窓1十窓2)であり窓1でもなく窓2でもない第
三の状態である。第三の状態といっても窓1及び窓2と全く無関係に別のところにいると
考えるわけにはいかない、このような状態を光子が窓―と窓2を通り抜けるという言葉で
表現した心である》(ディラック弁護人の弁護を順序変更し書き写したも)
ともかく、日常的経験ではありえないことを日常使用する言語で表現することはたいへ
ん難しい。この光子、実は波動関数というもので表される実体であるが、この波動関数と
いうものについての解釈がまた大変である、これらのことを数式も入れずにここで説明す
ることは、小生の理解をもってしては不可能である。ともかくこの光子、現在では素粒子
の仲問としてあつかわれている。粒子というからには、何かきちっとした境界を持ち大き
さがあり質量があると常識心考えるのであるが、この「光子」という粒子、質量はゼロ、
大きさ?、運動量、エネルギーを有し、さらにその速さ宇宙随一でありそれより速いもの
はない。
これらのことを、量子力学の教科書ではいろいろと説明している。「光子の裁判」を読
み、改めて量子力学の教科書をひっくり返した。学生時代いろいろ苦労した跡が出てきた。
各ページにいろいろ書き込みをしたり計算した跡が残っている。それでも今「光での裁判」
を読んで理解できなかったことが多々あった。ということは、要するによく理解していな
かったというより単に通り抜けたということのようである。
現在物理学の先端は、量子力学と相対性理論などを基礎にした素粒子論と大統一理論で
ある。この素粒子論、日本はどちらかというと特異な分野でありノーベル賞をこの分野で
いくつももらっている。最近はニュートリノ関連で受賞したことが記憶に新しい。とはい
っても、名前は聞いたことがあるがこの素粒子論、まったくわからない。さらに大統一理
論など、今まで名前も知らなかったが、ニュートリノ関連でのノーベル賞受賞により出版
された科学雑誌を読んで初めて認識したしだい。
それによると宇宙には「電磁気力」「弱い力」「強い力」「重力」という四つの力があり、
これが宇宙の現象を支配していると考えられている。現在「電磁力」と「弱い力」は統一
的に理解されている(電弱統一理論)。現在はこの「電弱力」と「強い力」を統一的に理
解する理論(大統一理論)の完成に向け研究中とのことである。このようなことであるが、
実のところその中身についてはさっぱりわからんというのが本音である。
これらの力はそれぞれ力を伝える素粒子がある。「電磁力」は「光子」を媒介とし「弱
い力」は「ウィークボソン」が媒介している。「強い力」は「グルーオン」が媒介し、「重
力」は最初に発見されているものであるが、それを媒介する素粒子(グラビトン)はまだ
発見されていない。この重力も組み込んだ超大統一理論(?)というものがいずれ完成さ
れるであろう。
ともかくこれらの素粒子、発見されると世界的なニュースになり、発見者及びそれを理
論的に予見した人はともにノーベル賞を受賞している。その他、素粒子は万物に質量を与
えるビッグス粒子というものもある。これまで記載した素粒子は力を媒介したり質量を与
える素粒子であるが、物質を形成する素粒子は「クォーク」(六種)と電子ニュートリノ
(六種)がある。これらのことは雑誌の読みかじりであり、これ以上のことはまったくわ
からない。
さらにヒッグス粒子を除いた他の粒子は、各々反粒子なるものがある。反粒子、例えば
電子の反粒子は反電子(陽電子)と呼ばれている。これらを論理的に理解しようにも、こ
れらの雑誌は結果だけを書いていてその理論は説明してくれない。もっとも理論が説明さ
れていてもまったく理解できないと思うが。ここにきてある本を見つけた。『素粒子論は
なぜわかりにくいか』という題名の本である。この本、まだ読み終えたわけではないが、
ちょっとさわりをみると、これらの素粒子、各種実験事実を説明するために考え出された
ものである。
素粒子物理学はまだ発展途上にあり、その進展とともに早の説明の力点が変化している。
その実態は場の量の量子化であると言っている。すなわち実体というより、数学的な必然
性によりそのようなものが必要になるということらしい。これを自分なりの解釈で翻訳し
てみる。たとえば負の数というものがある。現在では実体として考えられている。この負
の数、中国やインドでは紀元前後から、アラブ世界ではすでにを学び、継承し発展させた
西欧世界においては、十七世紀までこの負数は認知されなかった。
実際に負の数を考えてみると、抽象化した数という概念で見ると何ら不思議ではないが、
実際のものとの対応で考えると、例えば石一個というのは、具体的にそこにものがあるか
ら簡単に認識できる。ところが石マイナス一個というのは目に見えるものではない。いろ
いろなことを想像しなければならない。一個足りないとか欠如していることを表現してい
るのであるが、このことを現実の数の体系の中に組み込み実体とするまでには、それなり
の思考空間の拡大が必要であった。
今日我々は負の数が実体の数であることに対して何ら不思議に思わない。一つの数学的
技法である。ほかの例として虚数というものがあるが、これが想像なのか実体なのか、少
なくとも十七世紀までは現実の数として認知されていなかったものである。これらの負数、
虚数など、人々の数に対する素朴な認識、すなわち現実のものとの対比に対しての違和感
があったのだと思う。しかし負数あるいは虚数への数の拡張は従来の算法の延長上になさ
れたものであり、当初は抽象的概念であったかもわからないが、現在の我々にとって何ら
抽象的かつ違和感を持つものとしては考えられない。しかしながらこれらのもの、負数、
虚数などいずれも一つの概念を厳密に定義すると必然的に認知されるものなのである。お
そらく素粒子は、そのような意味で具体的実体が見えてくるのではないかと思っている。
また別の例として考えると、半導体というものがある。現在の産業というより社会の基
盤を担っている素材である。この電気的特性を担っているものが電子と正孔と言われるも
のである。その中で電子、これは明らかに実体である。ところが正孔、これは名前の通り
何もない穴である。はっきり言えば結晶中の格子欠損である。この正孔を空でありながら
理論的扱いでは実体のあるものとして扱う。これにより半導体内の電気的特性が正確に予
測できるのである。予測が正確にできるということはそのモデルは正当である。ここで正
孔は実在のものと考えられるようになった。
二十世紀初頭の人にとって原子とは、原子核がありその中に陽子と中性子がありその外
側を電子が回っているという前期量子モデルを理解できなかったように、現在我々が素粒
子論並びに統一理論などの先端のことを理解できなくても何ら不思議ではない。言えるこ
とは、先端の素粒子論というもの、原子核内部のような極めて微小で不可視の世界の中で
のことを、実験事実という証拠をもとに解明する過程において、素粒子というものが媒介
して力の交換をすることにより原子が安定に存在するという結論が導き出され、今のとこ
ろ論理的な破綻を起こしていない。おそらく、というよりほとんど真理であると思ってい
る。
しかしながら量子力学の構築時にアインシュタイン博士はその確率論的構造を疑問視
し、「神はサイコロを振らない」と言って何かミクロな世界の記述法として量子力学の表
現法以外の力学の方法がないかを生涯考えていたそうだ。この問題、ほかにもいろいろな
人が追求したが、今のところそういった構造をもった力学の体系はありえないという結論
にいたっているようだ。ここで、この素粒子の問題は多数の粒子を用いる他に解決方法は
見いだせなかったのか。おそらく百年後、あるいはもっと後になったら、その解答は見い
だせるかも。
もし地球外に知的生命があり彼らが宇宙の構造を追求していったら、同じような構造の
理論体系を構築するのであろうが、同じような論理構造を持つのであろうか解答のない思
いをふと思った。
さてまた波乃光子に戻ると、私にとっては不思議の基である。その出会いは序文に記し
たが、直接の出会いは大学時代である。大学では電気工学なるものを専攻した。これが具
体的な付き合いの始まりである。電気の分野では、まず電波というものがあるがこれは明
らかに波動として扱う。また電力の分野ではまさに水のような流れでかつ非圧縮性の流体
というイメージであり、粒子性より連続性が強調される。また電子工学には真空管、トラ
ンジスタなどの動作の説明では電子を粒子と考えて取り扱う。
要するに工学は実用の学であり、経験を理論的なものが補で十分な場合がほとんどであ
る。よって波になったり流体になったり、粒子になったりするのである。勤め人となった
時はいろいろやった。一番長い間の経験はテレビカメラの開発設計であるが、これはまさ
に光と電気の接点である。とはいっても、波動性、粒子性などまったく意識の外であり、
要はいかにしてTVカメラとして優秀なものを生み出すかにあった。優秀とは単に性能の
ことではない、価格、作り方、見た目の良さなどいろんな評価項目、すなわち商品価値と
しての優秀さ、それらが少しでも向上するように工夫していくことであった。
すなわち工学的立場でありそのようにして過ごしてきたが、今、工学的立場を離れた立
ち位置に立っている。ここで今までおろそかにしていた生き方というか、無用の用という
ものを思うようになった。物理を再学習してみようと、少しずつであるが手をつけてみた。
「光子の裁判」を学習したのもその中のひとつである。
なにしろ歳である、なかなか頭に入っていかない。残りの人生も少なくなった。それで
も若い頃のように試験や実利に追いかけられることもない。できる範囲でのんびりとやっ
ていこうと思っている。おまけにボケ防止になるという実利もある。趣味としては悪くな
い。これと毎日の散歩、散歩しながらいろいろ考えることもできる。この生活ができるだ
け長く続けられるよう精進していくつもり。
・参考としたもの
鋭の中の物理学 朝永振一郎 講談社学術文庫
目にみえないもの 湯川秀樹?????????? 講談社学術文庫
物理学をゆるがすニュートリノ NEWTON別冊 ニュートンプレス
??現代物理学の系統 ???????????????????? NEWTON別冊 ニュートンプレス
数理 科学 波と粒子 二〇一四年一月 サイエンス社
素粒子論はなぜわかりにくいか 吉田伸夫 技術評論杜
その他量了力学の教科飛]としては
量子力学I・H 朝永振一郎 みすず書房
ファインマン物理学V ファインマン 岩波書店(砂川重ぱ訳)
が面白いと思います。ほかには
量子力学 ディラック 岩波書店(朝永振。郎他訳)
が定評がありますが簡単には読みこなせないと思う。
斜光22号 2017
二つの窓を同時に走り抜ける光子さん
日経サイエンス2014.1月号より
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