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25α編集部:2019/10/24(木) 14:28:03
二○一八年度エイプリルフール
  二○十八年度エイプリルフール

 我が家の飼い猫『ミラノ公ルドヴィーコ・マリーア・スフォルツァ(通称イル・モロ)
の名前を付けられた−我が家では「モロ」』が外に出かけるときどこへ行くか訪ねると、
ちょっとアルバイトの相談に一?先の里まで山を降りてくるという。さては毎晩細君にね
だっている『いなばペットフードの「CIAOちゅ〜る」』代を自ら稼ぐ気になったか、 動
物だって自立することはいいことだと私は喜んだ。

 半月ばかりして火曜、木曜、土曜と週三回、朝の十時から午後の三時頃まで出かけてる
ようで、アルバイトが成立したらしい。どのような仕事が問い質したところ、ある晩、
『富士高天原王朝(ふじたかまがはらおうちょう)』の夢をみて神託を授かった。ここ富
士の地のためにどんな事でもいいから尽力を尽くせという、実に具体性がなく多義的で曖
昧模糊としたものだったという。丁度そんなとき、えさ台を独り占めして居座って腹一杯
食べている、「モロ」と仲良しの『田舎紳士風の山雀(やまがら)−エノケン君』からア
ルバイトの話があったという。いかにもうらぶれた『日月神社(にちげつじんじゃ)』で
パフォーマンスをやって神社の復興のために努力してみないかということだった。
 「山雀(やまがら)」という小鳥は「おみくじ引き」、「つるべ上げ」、「鐘つき」、
「かるたとり」、「那須の与一」、「輪ぬけ」など多彩な芸の持ち主である。一方「モロ」
はどのような芸を披露するのだろうかと私は思った。
 最近私と細君が街まで買い物に出かけるとき、やっと車がすれ違いのできるほどの隘路
(あいろ)は、三々五々と歩いている外人の旅行者で埋まっている。街の帰りに湖にそう
広い通りを右に曲がり、人をかき分け我が山荘に向かったところ、日月神社の広場で人の
混雑は終わっている。私達はちょっと先の空き地に車をとめて神社まで歩いて戻ってみた。

 これまでは広場は子供の遊具が申し訳程度にあり、鳥居は古色蒼然とした小さくてみ
すぼらしく、本殿に続く石段も今に崩れそうで、社務所さえなかった。それがいまで周
囲には御影石のピカピカの玉垣が出来、朱色鮮やかな大きな鳥居もでき、社務所には白い
小袖(白衣)に緋袴を着た美しい巫女が一人座っている。よく見るとそのそばに熊野古道
でみた不遇の王子達を祭ったような小さな祠(ほこら)があった。その中にしつらえられ
た台の上に『モロ』がこちらに尻を向けている。拝観客がお賽銭を上げると、玉串に見立
てて灰色の尻尾に垂(しで)や木綿(ゆう)をつけサッサッと鋭く動かし、拝観者のお祓
いをしているのである。その尾っぽ裁き、その切れ味、その荘厳さは見事というほかはな
く、確実のあらゆる罪穢れを徹底的に祓い浄めていることは確かである。
 一方『田舎紳士風の山雀(やまがら)−エノケン君』は奥に設えられている春日造(か
すがづくり)の小さな拝殿の扉を器用にくちばしで開け、おみくじを一本(いっぽん)く
わえ、戻ってきて客に渡して一礼をする。そして『モロ』は奥の右の穴に、『エノケン』
君は左の穴に同時に隠れるという一行程のパフォーマンスである。これが観光客には大い
に受けた。その画像は世界中発信され、平和に慣れ刺激を求めている退屈している人々に、
一度は行ってみたいという気持ちにさせたのは確かだ。

 しかし一方某国の厳しい動物愛護団体からクレームがきた。これは動物虐待ではないか、
弱いものを慈悲や救済で救うべき東洋の宗教が率先して動物の虐待を認めるのかというの
である。これに対してweb上で反論もなされた。それによると『モロ』も『エノケン君』
も己の意思で選んだ労働を誇りと思い喜んでいるのではないか、だから人間が考えるよう
な動物虐待には当たらないという論である。
 ここで中山競馬大学の滝沢馬糞准教授にコメントをもらうと・・・・・・。
 西洋ではシェイクスピアの時代からその数世紀後まで、貴族たちは愛玩用子犬や鳥たち
を熱愛する一方で、ほとんど飢え死にかけている雑種犬が街を徘徊していたり子供たちが
公衆の面前で猫を拷問していることは無視していたという。
 キリスト教では犬や猫などの動物は人格がなく、人間に奉仕する「物」としか認識して
いないとおもわれる。神の形に作られた人間は、それ以外の動物の支配者で、動物を殺し
て食べようと、労働の道具に使用しようと、動物に何をしてもいいというのがキリスト教
の動物観でだという。
 一方東洋では同じ生き物として共存しているという考えがある。それは今は人間として
生きていても来世は犬や猫に産まれる可能性があるという、仏教における輪廻転生の概念
が大きく影響している。だから仏教は、動物を含めたあらゆる生命を慈しみ尊重すること
を推奨している。殺生を生業とする人以外は、動物を傷つけても殺してもいけないと説い
ているのである。
 滝沢馬糞准教授はここまで述べて、私の本業である今年の桜花賞、皐月賞の馬や騎手や
馬場の状態を分析をして、生徒達に確率論から演繹した「大穴予想」を教示しなければな
らないので・・・・・・と言って急いで消えてしまった。
 そのご『モロ』と『エノケン君』は『日月神社』の正式な新官補として採用されたとい
う。めでたしめでたし。

◆参照(Wikipediaによる)
日月神社(にちげつじんじゃ)
村上天皇の御代、天暦年間(926-967)の創建された。江戸中期には御手洗浅間とあり、 身
を清め、浅間本宮(河口浅間神社)に参拝する前の公斎社として祀られていました。祭神
は御三体で木花開耶姫命(このはなのさくやひめ)、天照皇大神(あまてらすおおみかみ)、
月読命(つくよみのみこと)。

木花開耶姫命(このはなのさくやひめ)
天照大神(アマテラス)の孫であるニニギノミコト(瓊瓊杵尊、邇邇芸命の妻。オオヤマ
ツミ(大山積神、大山津見神、大山祇神)の娘で、姉にイワナガヒメ(石長比売、磐長姫)
がいる。ニニギノミコトの妻として、ホデリ(海幸彦)・ホスセリ・ホオリ(山幸彦)を
生んだ。

天照皇大神(あまてらすおおみかみ)
天岩戸の神隠れで有名であり、記紀によれば太陽を神格化した神であり、皇室の祖神(皇
祖神)とされる。神社としては伊勢神宮が特に有名。

月読命(つくよみのみこと)
天照大神(天照大御神・あまてらす)の弟神にあたり、須佐之男(建速須佐 之男命・た
けはやすさのお)の兄神にあたる。

◆ 富士高天原王朝(ふじたかまがはらおうちょう)
宮下文書(みやしたもんじょ)は、富士山の北麓、山梨県富士吉田市大明見(旧南都留郡
明見村)の旧家、宮下家に伝来する古記録・古文書の総称である。「富士古文書」「富士
古文献」などとも称される。神武天皇が現れるはるか以前の超古代、富士山麓 に勃興し
たとされる「富士高天原王朝」に関する伝承を含み、その中核部分は中国・秦から渡来し
た『徐福』が筆録したと伝えられている。だが、その信憑性については疑いがもたれてお
り、いわゆる古史古伝の代表例に挙げられる。
文体は漢語と万葉仮名を併用した記紀風のもので、筆者・成立事情は不明]。助詞の用例
や発音など言語的特徴から幕末期の成立であるとも考えられている。大正時代には宮下文
書をもとに美輪義熈『神皇記』が成立した。

「宮下文書」は、大きく分けて3つから成り立っています。
? 日本開びゃくから神々の時代を経て、第12代景行天皇に至るまでの古代日本史。
? 富士山の麓に栄えた高天原と、かつてそこにあった天皇の住む都・家基津のこと。
? 歴代の宮下家大宮司たちが書き残した日記類「寒用日記」。
この膨大な古文書を一冊にまとめたダイジェスト版「神皇紀」が、初めて世に出たのは
大正10年(1911)の事でした。
「宮下文書」の最大の特徴は、登場する神々は、神話的な存在ではなく、全て実在の人物
として描かれている点です。
さて、はるか昔、天地開びゃくの時まで話は遡ります。原初の神々は、まず蓬莱山上に噴
火と共に出現し、世界に散っていったと言います。中国に降臨し、そこに住み着いた神々
の子孫に、農作比古神(高皇産霊神タカミムスビノカミ)がいました。この神は別名「神
農」といい、古代中国の伝説的皇帝でもあり、現在でも中国人の間では農業・医薬の神と
して信仰されています。
「神農」は、そこから東海のはるか彼方に、世にも美しい形をした「蓬莱山」があると耳
にし、まず、御子である「国常立尊」にその地を捜し出すよう言いました。
ところが、いつまで待っても息子は帰って来ません。それもそのはず、彼は日本列島にた
どり着き、そこを気に入り、現在の淡路島に定住してしまっていました。
そうとは知らぬ「神農」は、もう一人の息子「国狭槌尊」を連れて、自ら日本列 島を目
指すことにしたのです。それは、眷属700人を従える大船団でした。
「神農」は、朝鮮半島を経由すると、まず対馬に、そして佐渡島・能登半島に上陸しまし
た。そこから陸路で飛騨山中に至った時に、はるか遠くに美しくそびえる蓬莱山を発見し
たのです。彼らはその位置を確認すると、再び船を出し、北九州から瀬戸内海、紀伊半島
を回り駿河湾にたどり着いたのでした。
(飛騨から陸路で行った方が早かったんじゃね?(笑))
そして蓬莱山、すなわち富士山に到着した「神農」は、その北麓を都と定め、「家基津(か
きつ)」と命名したのです。
その富士山北東あたりを、「阿祖谷」または「阿祖原」と呼び「高天原」として「富士王
朝」を築いていくのです。
だいぶ経ってから兄の「国常立尊」も富士山を捜し当て弟たちと再会するも、父の「神農」
は既に亡くなっていたそうです。その後ふたりは、富士高天原の「阿祖谷」の都を中心に、
日本を平定・統治していきます。
やがて、「国常立尊」の娘・イザナミノミコトと、「国狭槌尊」の息子・イザナギミコト
は夫婦となります。この夫婦の間に生まれたのが「天照大御神」です。




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