[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
| |
alpha-archive-10
5
:
同人α編集部
:2014/03/05(水) 21:16:56
テーマ前書集
.
テーマ前書集 2002-2007
二十数年前に発行が始まった佐高11期生による同窓誌『斜光』のTOPを飾ったのが
氏の「巻頭言」であれば、そこから出発した文芸同人誌『同人α』を飾るのは、テーマ提
供者による「前書き」であります。
斜光におけるそれと同じく氏による同人α前書きは毎回、魂の深淵にふれる重厚な趣が
あります。
第7号「生きる」 2006/5
「生きる」特集 前書きに変えて
先だって、次のような文面をそえて、会員同人諸君に厚かましくもアンケートをお願
いした。
「オモテ面の『生きる』と題したカードは、今回編集担当の北が、恥ずかしながら(文
学は己の恥を世間にさらす、とも世に言われています)、己のそれをまとめたものです。
北は若い時から『生は、生きてみなければわからない』との持論でした。このほど六
十歳を超え、生きてみたその自分の生を、それではとあれこれ検討し、まとめてみたわけ
です。こうやって事書きに単純化してみたり、若いときからの日記を読み返したら、カー
ドに表した『生きる』とはまた違った、生の新たな相も見えました。思わぬ副産物に、面
白いものだなと思った次第です。
北のこのカードを一覧して、同人諸君は何を思ったでしょうか。これを或る友人に見
せたところ、一瞥後『ジコチュー』と言い放ちました。『ではそういう自分は』と問いか
けると、『学者を夢見たがあきらめ』云々と、自分の『生きる』を簡潔に述べてくれまし
た。
担当者の特権で、わがままを言います。同人の皆さん、お願いです、北のこの『生き
る』を忌憚なく批判して下さい。カードになにくれとなく書き込んで下さい。そして御自
分の『生きる』をもしよければ教えて下さい、僕の私の『生きる』はこれだと。人の数だ
け『生きる』があること、それがまた楽しみになります。北の『生きる』を位置付けると
ともに、その楽しみも味わいたいと思って、右お願いする次第です。以下、お願いをまと
めます。
―記―
?北の『生きる』を検討・批判して下さい。遠慮のないご意見を下さい
?(できるなら)自分の『生きる』『自分はこう生きた』を簡単な箇条書きでもけっこ
うですから教えて下さい。」
アンケート
1.(肉体面)=(生物としての)生命を保つ。
・バランスよく食べる。
・危ない所には近寄らない。
・ちりも積もれば山となる。
2.(精神面)
………原理的には………
・充実して生きること。
前提=生にはしたい事がある。
「生命」とはしたい事が心に溢れること。(=好きな事)
「力」とは、したい事へ向かって駆動させる力のこと。
「自由」とはしたい事ができること。(天真爛漫、自然児)
「生命」「力」「自由」が十全に働く事を「充実して生きる」という。
とりもなおさず、いきいき生きること。
自由であるために、
憂い・悩み・心配・煩いごとなどを持たぬこと。
人に束縛されないこと。
・(心の状態)快適であること。
………具体的には………、
・したいことをする(原則)。
・好きなことをする(志)。
創る。
文学する。
生を知る、探る、味わう。
本を読む。
快楽を味わう。
五感で味わう。
なにをする。
3.(空 間)
・したい事がある自分を「捨てる」ことはできない。むしろ、
生が人間に与えてくれるものを全ていただく。
生を味わう。
五感をフルに活用する。
・人に束縛されない。
4.(時 間) 長寿を図る。
5.(範 囲) 生命を宇宙の中でとらえる。
幸いにも快く迎えられ返事は皆さんから返ってきたが、その中身はというとやはりと
いうか、三者三様。北の生き方を位置付けようと試みたが、そんなものを拙い言葉で提示
するより、皆さんの応えそのままを提示したほうが断然おもしろいことに気が付いた。以
下、御覧あって皆さんも同じ思いに駆られることと思う。
第23号 「てふの夢」 2010/5
ももとせの花にやどりて過しきてこの世はてふの夢にぞ有りける(大江匡房・一一五二年
頃)
「てふの夢」の出所はもとより『荘子』。「昔(さき)に、荘周夢に胡蝶と爲(な)る。栩
栩(くく)然として胡蝶なり。自ら喩(たの)しみて志に適へるかなと。周なるを知らざるな
り。俄然として覺むれば則ち蘧(きよ)蘧(きよ)然として周なり。知らず、周の夢に胡蝶と
爲れるか、胡蝶の夢に周と爲れるかを」。ここから「てふの夢」は、ひいては、人生のは
かなさに譬えられる。僕は若い頃より「今ここ」の充実を心がけてきた。とくに僕を夢中
にしたものに、ドストエフスキー、ベケット、現代詩、短歌、俳句、漢詩、ジャズ、チェ
ロ、オペラ、民謡、書道、白川静、絵画、宇宙、地球、生命ほか数十を数える。しかし今
ではそれらの起こす感興は大抵は淡い。いずれも「夢」のようだ。淡々とした毎日で、生
きる意欲そのものが衰えてきていることを感ずる。いつ死んでもいい。若い頃には考えな
かったことだ。自戒を込めて言うが、富岡鉄斎に倣い享年九十まで尻上がり調子に潑剌と
した作品を。この青年の誓いはどこへ行ったか。ところで、僕の手許には寄せ書きされた
日の丸の旗がある。戦死した父のものだ。十年ほど前、戦地沖縄で取得したとして、アメ
リカのある篤志家から還ってきた。「祈武運長久 為北傳吉君」のもと、五十ほどの名が
連なる。旗には特段の汚れもある。汚水か。しかしはっと思った。違う! 血痕だ、父の!
この日章旗は七十年前の日本帝国の夢だった。そして三十五歳で絶寿した父の人生の夢
もそこに重なっている。旗を前にして悄然と「生きる」を思う。
第28号 「震災列島」 2011/8
▼東日本大地震に思うこと
?若い時から僕は生きることを祝ってきた。「明日どんな楽しいことをしよう」そう思い
ながら寝に就いたものだ。いわば全生涯「遊ん」できた。そんな生がどうも「生きる」の
全てではない気がしたが答えが見えず、この十余年悩みといえば悩みであった。今回の大
地震はこんな自分のターニング・ポイントとなった。今回の震災は、「身を守る」こと、
「食べる」ことの大切さを僕に思い知らせた。それはある茫然自失した態の若い女性の映
像を見た時のことだった。彼女は何もかも、家や財産そして家族をなくしていた。「この
人はこれからどうやって生きていくのだろう」。自然の災害から身を守ることを常に心が
けるだろう。また命を繋ぐために食べていかなくてはと強く意識するだろう。良い行いを
するというよりも、遊ぶというよりも、「生き物としてのこの身を」やしなっていかなく
てはならないと強く思うだろう。僕に人間の生物的側面が生には大切だと思い知らせた映
像だった。
?僕は福島原発が恐ろしかった。爆発したら何十万人もの人々がその被害に苦しむ。事態
は悪化の一途をたどっていた。この時期僕は自分が「心弱く」なっていることを知った。
誰かの側に寄り添いたい。誰か側にいて欲しい。ぎゅっと引き寄せたい。そして談笑して
過ごしたい。こんな経験はこれまであったかなかったのか。また、被災者の中には地震、
津波が恐ろしくて、思い出しては震え泣きわめく人も出てくるという。この時人間は「心」
であるように見える。当方は、心に領されている人間というものを今回初めて思い描いた。
?当方長らく「人嫌い」であったが、「人好き」に船出したようなこの頃だ。食事をしな
がらテレビを見る。震災下の人々の営みは、多彩でドラマチックだ。地震津波が恐ろしい。
家屋敷、家財道具、そして身内全てを失った人。人のために地震に、津波に、放射能に散
った人は雄々しい。尋ね人の再開の喜び。乏しい物の譲り合い。援助に来てくれた人への
ねぎらい。自分よりも先にあの人を助けて。……当方いつの間にかテレビの「ヒューマン
ドキュメンタリー」を好んで見ていた。新聞は地震発生からあらかた捨てずにとってある。
原発が一息つきそうではあるし、仕事も一段落したので、恐る恐る新聞を広げ、人々の声
や姿を読み始めた。涙、涙、涙… タオルを側に置きながら。 「無限」「無」の世界ある
ことを教えられたのが十五六年前のことだ。それ以来の僕にとってはまさに激震だ。
?人の助け合いも素晴らしい。人を助けようとしてどんどん善意が集まる。外国の人も盛
んに応援してくれる。日本と見知らぬ世界の人との絆がとてつもなく太いのを目の当たり
にしている。「人の群れ」というのが視野に入った。「愛」ということさえ。
?それやこれやで「人間家業もいいものだ」と、この歳になって初めて思っている今日こ
の頃だ。いやいや、してみると、十五六年ぶりの激震どころか、若い頃より五十年、六十
年ぶりの激震と言えるかもしれない。
?『方丈記』をひもといた。大地震の記述を求めてであったが、「海はかたぶき、陸をひ
たし」など好ましい国語表記に触れて良い経験になった。彼我の社会の厚みに違いがある
ことは新鮮な発見であった。『方丈記』には大地震にあって、人が人を助けたという記述
はほとんどない。京に屍累々と万を数えるが放っておかれる。人々はとまどうばかりだ。
これに対して今回の震災にあっては、人が人を助け、人が人に譲り、村落共同体はまとま
って助け合い、自治体は村から町から市から県、国までこぞって行動を起こして助けよう
とし、企業も大小にかかわらず人助けに参加した。そうして『方丈記』の時代にはなかっ
た国際社会まで救援に乗り出した。彼我を見るとこちらは断然社会の厚みが増しているの
だ。そこに人間・人類の進歩が見られると思った。
?「震災文学」というのが日本で成立していい。ドストエフスキーは、死刑台に立って「止
めい」の一声で死を免れるという滅多にない恐ろしい経験をした。この体験が彼の文学の
原点になっていると思われる。今回の震災でこの経験を共有する人は日本にはごまんと生
まれたことだろう。ドストエフスキーは人が人を殺して神が関わる世界を描いたが、震災
の体験は人の世というよりも、自然が人間を殺す世界が人の生の根幹であることを教えた。
ドストエフスキーよりも深い世界観・人間観を持った文学が生まれるだろう。また、今回
あれだけ人間くさい多様なドラマが繰り広げられたのだもの。シェークスピアよりも広い
人間世界の物語が展開されることも期待される。「震災文学」は固有の日本文学となり、
世界でも輝き続けるだろう。日本は「震災列島」だから。
第32号 「造次顚沛」 2012/8
「造次顚沛(ぞうじ・てんぱい)」は、『論語─里仁』「君子無二終レ之間違一レ仁、造
次必於レ是、顚沛必於レ是(君子はとっさの場合やつまずいて倒れる場合でも仁から離れ
ない)」に由来し、とっさの場合やつまずき倒れるとき。転じて僅かの時間のたとえ。つ
かのま。一瞬のことである。四字熟語素の「造次」も同じく、にわかの時、わずかの間。
「顚沛」は、つまずき倒れること。転じてとっさの場合、つかのま、と変わらない。造次
顚沛は、『曾我物語』(南北朝頃)で「ききつる法門のごとくさうしてんぱい、一心不乱
に念仏す」。また『東京新繁昌記』(1874)で「口に天祖大神(あまつみおやのおおかみ)
の四字を唱ふれば、千魔万災必ず禳除せん。造次も必ず祖神と唱へ、顚沛も必ず祖神と称
し」などと使われている。(以上『日本国語大辞典』に依る)
「一瞬」でくくられた語の収まったわが詞嚢は、繙いてみると、案に相違して貧しく、
慌てた次第だ。造次顚沛の他には次に記すのみであった。「瞬一瞬」「機が瞬一瞬と迫っ
て来る」『東京年中行事』(1911)。「瞬息の間」「此頃あくたれた時のお勢の顔を憶ひ
出させ、瞬息の間に其快い夢を破って仕舞ふ」 『浮雲』(1887)。
「倏(しゆつ)忽(こつ)」「然はあれど倏忽にして滅するや、彼も此も迹の尋ぬべきなし」
『即興詩人』(1901)。
「造次顚沛」の掲出、言い換えると「一瞬」の掲出は、時期尚早に失した。自分でまだ
十分に把握しきれていない、考究中にあるものを出してしまった。少し気取っていたので
ある。それでも、皆さんの考えるきっかけに、ということだから、皆さんにおかれては、
頤(おとがい)を解くことになると思われるが、以下になぜ「一瞬」が大事か綴ってみたい。
「一瞬」は「生きる」に深くかかわっている。このことが、「生きる」を今「在る」か
ら見つめ直している作業中に浮かび上がってきた。迂遠ながら、当方が大いに inspire さ
れたハイデッガー=古東哲明流の存在論を紹介しよう。
この存在論は、まず、「存在者」と「存在」を区別する。存在者とは「存在するもの」
のことで、人間を始め森羅万象が含まれる具体的なものを指す。「存在」とは、「在るこ
と」を言う。
?「存在者」から見れば「存在」は「存在者」ではない。だから「存在」は存在しない。
?「存在者」は存在という底があるが、その「存在」にはもう底がない。(もしこの
?? 「存在」に存在というもう更なる底があれば、その存在にまたもう一つの底があるこ
とになって、というふうにどこまで行ってもきりがない。だから存在に底があるとす
るのは誤りとなる)。「存在」は無根拠である。
?以上より、「存在」は根拠(拠り所)を欠き、存在できない。「存在」は「無」であ
る。
「存在」と「無」は同じことの表と裏をなしている。炎(たとえばロウソクの)のたと
えを挙げよう。炎の中には燃え上がる動勢と使い尽され消え去る動勢がある。これらの動
静が一瞬のうちにからみあって燃え上がるという事態が起こっている。ここに「存在」と
「無」が表裏一体をなした。
この存在論を時間論から見れば、存在=無というのは、直線時間でもなく円環時間でも
なく、垂直時間、「一瞬」というものに目をとめた時間論となる。ロウソクの炎には、一
瞬における生成、消滅がある。
一瞬は一瞬ごとに始まりがあり終わりがある。始まりがあるのだからその一瞬において
天地が開闢する。人は一瞬ごとに森羅万象に立ち会っている。その生起と消滅とにである。
この存在論をまた人生論から見れば、こうなる。
存在するものが、存在の根拠がなくて存在しているということは、考えてみると驚き以外
のなにものでもない。存在するものは、なくてあたりまえ、ないことが本来の姿、在るこ
とこそ異様だ、ということである。つまり存在するものが在るということは稀なことで、
神秘ですらある。「在る」こと、このことだけで人は幸せだ。
私、あなた、そして、森羅万象が、一瞬ごとに出合っているということは、またもう一
つの驚きである。このお互いに稀なものどうしがたまたま巡り合っているということは、
またもう一つの神秘ではなかろうか。
これらの神秘へ、直線時間で疲れた目をやろう。もう明日のことは思い煩わなくてよい。
昨日のことは忘れろ。あくせくするな。今・ここ、生命の息吹を生きよう。一瞬一瞬湧き
出てくる時間があることへ目をとめれば、人は存在神秘の歓喜に包まれるはずだ。生きて
いる! 生きている! 人はあまりにも目的から目的へ、用から用へまっしぐらに渡り歩
きすぎているのではないか?
こうしてハイデッガー=古東流の存在論をここに受け売りしたが、当方、理解不足の生
兵法披露の謗りを免れ得まい。古東哲明氏の著書を挙げるので、皆さん自ら繙かれ、あた
られたい。
『〈在る〉ことの不思議』(勁草書房)。これは本格的な理論書である。
『ハイデガー=存在神秘の哲学』(講談社現代新書)。右の書に似ている。
『瞬間を生きる哲学』(筑摩選書)。啓蒙書で易しく感情移入できる感がある。
『他界からのまなざし─臨生の思想』(講談社選書メチエ)。今・ここを豊かにする生
き方の実例。
愚老は、学生の頃、「内からあふれ出てくるものを生命と名付け、その強さを力と称し、
外に対して通ることを自由と言う」、確かこんなふうに定式化して、それ以来その「生命」
「力」「自由」に則って生きてきたが、思うにこれは、ハイデッガー=古東流の「今・こ
こ」「生命の息吹」の「生きる」に重なる生を通してきたことになるのではないか。
明日はどんな楽しいことをしようと思いながら就寝の蒲団を敷いたものである。
就職と言えば、文学部の学生にとっては当時一流の会社であった博報堂に内定したが、
卒業間近の三月になって先方へ出向いて内定を取り消した。わがままなものだ。向こうも
面食らったろう。大きな会社に入れば大きな責任を持たせられる。すると自分の性格とし
てそれを全うしようと全力を注ぐ。そのあまり、自分の心から望む好きなことはできない
であろうと思った。それが断った理由である。そうして小さな勤め先を選んだ。おかげで
長い間に倒産に次ぐ倒産で、生涯勤め先が変わったのは十指に余る。生涯貧乏である。思
うに我が人生は「働く」ではなく「遊ぶ」であった。
古東哲明はまた、生の純粋形である、剥き出しの簡素な生命、生の息吹「ゾーエー」と、
生の所有形である、社会的な生「ビオス」の両方で、人生を押さえる考えも紹介している。
これは古代ギリシャ以来のものだという。(『瞬間を生きる哲学』)
我が三十の頃「人の像をした美しい青い地球」を着想した。地球のエネルギーをもらっ
て生きたいという思いから、人と地球を合体させた。
初めて見た地球の天体写真がとてつもなく美しかった。しかし漆黒の宇宙に青い地球が
浮かんでいるが、見ているうちになぜか羊が一匹跳ねた。青い地球のことをなぜ美しく感
じられたのか長い間分からなかったが、この羊が跳ねたのがなぜなのかも長い間分からな
かった。青い地球の美しさは、死を意味する暗黒の宇宙に対して生命に満ちた青い地球と
いう、この死と生のコントラストに感銘したと分かった。羊についてはやっと当節になっ
て一つの解が生まれたが、思うにこの羊は、生の純粋形「ゾーエー」のシンボルではなか
ったか。
愚老はこのところ己が生涯をたどる作業にいそしみ、恥を含むエポックメイキングな事
件を拾ってきたが、「人生は社会化」との認識が固まりつつあった。子供の天真爛漫が社
会の壁にぶちあたり、子供は次第に社会化して大人になるが、これは生涯続く。これこれ、
人生の一つの押さえが可能だ! などと自分の中では発見であった。古東流に引き直すと
この押さえは「ゾーエー」と「ビオス」にあたり、愚老の生は「ゾーエー」マインドの生
だったのではないか。
皆さん、皆さんの場合は、どうであろうか。この拙稿が、皆さんそれぞれの生を考える
一つのきっかけになれば幸いである。愚老の「生きる」を、六十歳近くになってまとめた
ものがあるので、以下恥を忍んでこれを掲げ、これまた皆さんの参考に供しよう。(なお、
この「生きる」はいま「在る」の知見が加わり、組み立て直しが将来あるかもしれない。)
こうしてこの生を生きた
1.(肉体面)=(生物としての)生命を保つ。
・バランスよく食べる。
・危ない所には近寄らない。
・ちりも積もれば山となる。
2.(精神面)
………原理的には………
・よりよく生きること。
・充実して生きること。
前提=生にはしたい事がある。
「生命」とはしたい事が心に溢れること。(=好きな事)
「力」とは、したい事へ向かって駆動させる力のこと。
「自由」とはしたい事ができること。(天真爛漫、自然児)
「生命」「力」「自由」が十全に働く事を「充実して生きる」という。
とりもなおさず、いきいき生きること。
自由であるために、
憂い・悩み・心配・煩いごとなどを持たぬこと。
人に束縛されないこと。
・(心の状態)快適であること。
………具体的には………、
・したいことをする(原則)。
・好きなことをする(志)。
創る。
文学する。
生を知る、探る、味わう。
本を読む。
快楽を味わう。
五感で味わう。
なにをする。
ものを全ていただく。
生を味わう。
五感をフルに活用する。
・人に束縛されない。
4.(時間) 長寿を図る。
5.(範囲) 生命を宇宙の中でとらえる。
第36号 「古 典」 2013/11
古典への視座
古典を見る自分の目は、先の東北大震災によって変わった。大震災からひと月ばかり経
った頃、《そういえば『方丈記』に地震の記述があった》と思い出し、かくて久しぶりの
何十年ぶりかでこの本をひもといた。
「又同じころかとよ、おびたゝしく大地震振ること侍りき。そのさま、世の常ならず。
山は崩れて河を埋み、海は傾きて陸地をひたせり」という大地震の描写では、《文がいい》
とその把握に感心したりした。
「地の動き、家の破るゝ音、雷にことならず」。なるほど。「家の内にをれば、忽ちにひ
しげなんとす。走り出づれば、地われさく」。なるほど、なるほど。
他のタイプの天災の記述もあった。
「また養和のころとか、久しくなりて覚えず、二年があひだ、世の中飢渇して、あさま
しきこと侍りき。或は春、夏ひでり、或は秋、大風、洪水など、よからぬことどもうち続
きて、五穀ことごとくならず。むなしく春かへし、夏植うるいとなみありて、秋刈り冬収
むるぞめきはなし」。 飢饉の記述である。
民はどうしたかというと、「これによりて、国々の民、或は地を棄てて境を出で、或は
家を忘れて山に住む」。「念じわびつつ、さまざまの財物、かたはしより捨つるがごとく
すれども、更に目見立つる人なし」。
世では「さまざまの御祈はじまりて、なべてならぬ法ども行はるれど、更にそのしるし
なし」。これが初年度だという。
次の年も続く。「前の年、かくの如く辛うじて暮れぬ。明くる年は立ち直るべきかと思
ふほどに、あまりさへ疫癘うちそひて、まささまにあとかたなし」。
ついに人々は「はてには、笠打ち着、足引き包み、よろしき姿したるもの、ひたすらに家
ごと乞ひ歩く」。この者達は「かくわびしれたるものどもの、歩くかと見れば、すなはち
倒れ伏しぬ」。そうして「築地のつら、道のほとりに、飢ゑ死ぬるもののたぐひ、数も知
らず」。世はどうしたかというと「取り捨つるわざも知らねば、くさき香世界にみち満ち
て、変りゆくかたちありさま、目も当てられぬこと多かり。いはむや、河原などには、馬
・車の行き交ふ道だになし」。
こうした遺体を数えたお坊さんがいた。それによると、「四、五両月を数へたりければ、
京のうち、一条よりは南、九条より北、京極よりは西、朱雀よりは東の、路のほとりなる
頭、すべて四万二千三百余りなんありける」。夥しい数の遺体が放置されていたのだ。さ
らに、「いはむや、その前後に死ぬるもの多く、また、河原・白河・西の京、もろもろの
辺地などを加へていはば、際限もあるべからず」。さらにさらに、「いかにいはんや、七
道諸国をや」。
僕はいつの間にか、彼我の社会を比較する視点で文を追っていた。この飢饉、今の時代
だったらどうだろう。この度の大震災を念頭に置くと、もしいったん起これば、人々は直
ちに救援の手を伸べる。人々ばかりでなく、各自治体、村から町、市から県、国まで手を
差し伸べて、手厚いだろう。さらに国内ばかりでなく海外からもこれでもかこれでもかと
援助の手が伸びるだろう。
『方丈記』の時代は、この手の援助が見られない。人々は被災しても放置されたままだ。
彼これを比べると、社会の「密度」が違うことが感じられる。社会は間違いなく「進化し
ている」のだ。予防措置が講じられることも考え合わせると尚更のことだ。人が社会を作
ったのも、相互扶助のためだと考えられるが、その実が得られたとの思いである。
ここに至って自分の古典の読み方が今までと違っていることに気付いた。若い時からず
っとこの方古典は「お習い申し上げる」という態度で接していた。自分の人生を照らす展
望、役に立つ教訓などを得ようとしていたのだ。いま、自己観照してみると、『方丈記』
には、社会の彼我比較という姿勢で接しているではないか!
『方丈記』の読書から二年ほど経ったこのほど、『更級日記』に目を通した時もそうだ。
やはり「お習い申し上げる」的態度ではなく、やはり彼我の比較という視点で読んでいた。
今回、「実存空間」が、その彼我の比較の視野に入っていた。
『更級日記』は、著者である少女が今の千葉県から京都へ旅するところから始まる生涯
の日記であるが、その記述に「恐ろしい」「心細い」という内容が幾つもあった。
「足柄山といふは、四五日かねて、おそろしげに暗がりわたれり」。
「をさかなかりし時、あづまの國にゐて下りてだに、心地もいさゝかあしければ、これ
をや、この國に見すてて、迷はむとすらむと思ふ。人の國の恐ろしきにつけても」
「母いみじかりし古代の人にて、初瀬には、あなおそろし、奈良坂にて人にとられなば
いかゞせむ。
石山、関山越えていとおそろし」
「冬になりて上るに、大津といふ浦に、舟に乗りたるに、その夜、風雨、岩も動くばか
り降りふゞきて、雷さへなりてとゞろくに、浪のたちくるおとなひ、風のふきまどひた
るさま、恐ろしげなること、命かぎりつと思ひまどはる」
などなど著者は様々の場面で「恐ろしさ」を感じている。かの頃の、実存空間は「恐ろし
かった」のだ。
またそれは、「心細く」もあった。
「片つかたはひろ山なる所の、すなごはるばると白きに、松原茂りて、月いみじうあか
きに、風のおともいみじう心細し」
「いとゞ人目も見えず、さびしく心細くうちながめつゝ」
「父はたゞ我をおとなにしすゑて、我は世にも出で交らはず、かげに隠れたらむやうにて
ゐたるを見るも、頼もしげなく心細くおぼゆるに」
「おはする時こそ人めも見え、さぶらひなどもありけれ、この日ごろは人声もせず、前
に人影も見えず、いと心細くわびしかりつる」
「又の日も、いみじく雪降り荒れて、宮にかたらひ聞こゆる人の具し給へると、物語し
て心細さを慰む」
「人々はみなほかに住みあかれて、古里にひとり、いみじう心細く悲しくて、ながめあ
かしわびて、久しうおとづれぬ人に」
などなど「心細さ」の記述が散見される。
かくて今と比べて、『更級日記』を読んで、《かの時代(およそ今から一千年前)、「恐
ろしくも心細い」実存空間だったのだな》と思った次第。
僕の余生も残り少なくなったせいもあろうか、古典の読み方が「お習い申し上げる」か
ら変化していることを感じるのである。諸君におかれてはいかがだろう。
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板