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:
編集部
:2019/05/17(金) 08:23:28
変化としての四季
第56号 「変化としての四季」 2019/4
前書き 「変化としての四季」 竹内 一郎
地球上のいわゆる中緯度領域のほとんどには日本語でいう「春」「夏」「秋」「冬」と
いわれている変化がある。これは地球が太陽の周りを一年かけて回っていることからくる
現象であるが、ただ回るだけで起きる現象ではない。地球は自転しておりその自転軸が太
陽の周りをまわる回転(公転)面に対しほぼ二三度傾いていることによる。もっとも四季
とはっきり感じられる場所は、地球上中緯度のあたりであり両極では夏と冬だけ、赤道付
近においてはほぼ夏と考えてよい。我々中緯度に住む人間だけが四季があるのが当たり前
と思っているに過ぎない。という前提であるが我々は環境としての四季を知っている。お
そらく地球上同じような地域に住んでいる他の生命体も同じように四季を感じていると思
う。生命は環境の圧力を受け、その中で住むための身体的最適値が得られるよう変化して
きているはずだから、他の生命体も人間が感じると同様に感じているであろう。その中で
も日本人は四季の変化に敏感であり、其れを繊細な美的感覚にまでもっていっているとい
われているが、これも日本という地理的環境からくるものと思う。
この四季「春、夏、秋、冬」は互いに等価と考えられると思っていたがどうも違うので
はないかと最近思うようになってきた。夏と冬これは安定した期間でありその間の風物の
変化は少ない。一方春と秋は冬から夏へのあるいは夏から冬への変化の過渡期と思われて
ならない。この間の風物の変化は大きい。いわゆる夏らしいあるいは冬らしいというのは
多少の幅はあるがかなり一義的に想定できる。一方春、秋についてはその想定するところ
がかなりの幅をもっているようである。これについての小生のかってな理屈がある。詳し
くは別稿を参照いただくことにするが大まかな考え方を以下に記してみる。
四季は、循環しており一つの円と考えそれを四等分の円弧に春夏秋冬を割り当てて考え
られる。つまり、春に始まり一周し冬に至る円と考えると四季は互いに等価である。とこ
ろが全て変化していると考えると春から始まり冬に至る経緯は同じであるが次の春は全く
前年の春とは違う。一年たてば樹木は大きくなり動物は成長し、あるものは世代交代して
いる。そのように考えると四季は平面上の円周ではなく時間の次元を考慮した三次元のス
パイラルと考えるのが自然ではなかろうか。このスパイラル側面から見ると正弦(sin)
であり上面から見ると余弦(cos)の曲線である。すなわち時間と変化を見ると正弦曲線
でありその変化の割合を見ると余弦曲線であらわされる。正弦と余弦は互いに微分の関係
にありお互いの変化の割合をあらわしている。このような議論はいわゆる「ヘリクツ」と
もいえるが我慢して聞いていただきたい。スパイラルを側面から見ると正弦曲線であり一
般にサイン曲線と言われている。ご存知のようにサイン曲線は立ち上がり部分と立下り部
分の動きが速く天井部と低部の動きはゆっくりしている。すなわち動きの速い立ち上がり
部分が春であり、立下り部分が秋となる。夏と冬は天井部と低部に対応している。
身の回りの風物の変化を写真に残しその変化を楽しんでいるが、夏と冬は変化が少なく
撮影した写真も少ない。それに対し春と秋は風物の変化が激しく撮影した写真も多い。何
気なく動いているように見える時間の流れにもいろいろ考える昨今である。
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