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yoshiko

5編集部:2014/04/13(日) 16:13:24
小倉厚子さんのこと 
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          小倉厚子さんのこと 





 茶道を教えて親子三代、祖母さんとお母さんと彼女の三人家族で、男っ気はなかった。
一方私の周りはと言えば兄そして従兄弟も男ばかりで女っ気はなかった。だから私は姉か
妹がいればもう少し人間関係にゆとりのある付き合いを会得できたかも知れないと今では
思っている。

 幼なじみといえる一人っ子の彼女は男兄弟を、私は女姉妹を望んでいたかも知れないと
推測するのは無理だろうか。いやそんなことにお互いの気持ちの共通点があったかも知れ
ないと思うのはあながち嘘と思えない。昨年銀座で数人で会食したときも、古希を過ぎた
私を捕まえて「かずひこくん」と「君」で呼んでいた。さては私が姉か妹を望んでいたこ
とからすると、彼女の意識は私の姉さんだった訳である。
 私達「梁山泊」と称したグループは山登りやハイキングに連れだってよく出かけた。そ
んな仲間であったので時々休みの日はK君と彼女の家に遊びに行っていた。私の家から歩
いて十分も掛からない距離で、大通りから左に曲がって矢竹の生け垣沿いに五十メートル
ほど行くと、清みきった速い流れの小川があった。石橋を渡ると川に沿った小径があり、
彼女の家は石橋の斜向かいにあった。渋い色に変化した羽目板張りの瀟洒な木造二階建て
で、京都の町屋風のまさに「お茶のお師匠さん」の住む家に相応しいものに見えた。格子
戸を開けると三和土が真っ直ぐ裏まで伸びていた。「お茶を点ててあげましょう」とお母
さんは言って、茶室に私達を誘った。私は靴下に穴があいていないか、学生服が汚れてい
ないか気にしながら観念して正座した。私はお祖母さんもお母さんも、全く作法も知らな
い男の子を捕まえて、戸惑う姿を密かに観察してからかっているのではないかとも考えな
いでもなかった。しかし家での会話の乏しい男同士の時間とは違い、この何とも柔らかい
雰囲気は私にとって実に心地よかった。彼女も時々退屈すると私の家に来て時間を過ごす
ことあったから、姉弟のない寂しさを感じていたに違いない。

 しかし高校を卒業すると私達はそれぞれの違う道を歩みだした。彼女は茶道という四百
年もの歴史がある日本の伝統の形式美・様式美の世界で生き、一方私はそれらの芸道が素
晴らしいことを理解しながらも約束事の中での息苦しさに耐えられない性癖ゆえ、西洋の
理屈の世界に憧れ進んで行った。その間の私達の交流は途絶えた。そして彼女は故郷で伝
統を守り続けてそれを完成させた。一方私は一所に根を下ろすことなくいまだに放浪に明
け暮れている。
 願わくば早春の沈丁花の微かな匂いが漂う松琴亭あたりで、木村多江のような切れ長の
目をした和服の似合う彼女のお点前を戴きたいと思ったのは私だけではなく、梁山泊の連
中も同じであったろう。

2014年/4月/12日 (斜光19号)




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