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科学と疑似科学とを判別する

1diamonds8888x:2018/04/21(土) 05:52:21 ID:JpDvA4vM
 第1掲示板にて、ID論は疑似科学か否かというテーマでkenさんと議論を続けてきましたが、そもそも両者をどう区別するのかというメタ科学的な話になりましたので、ミケさんの提案に従い第3掲示板にスレッドを立てます。

 まずは第1掲示板での関連する発言へのリンクを時系列で列挙します。1発言での文字数制限があるようですので、分割してアップします。
 URL書き込みに規制があるようですので頭に「http:」を付けて使ってください。

//6609.teacup.com/natrom/bbs/19161 投稿日:2018年 2月27日(火)05時11分41秒 Kenさん 投稿者:diamonds8888x まさに、その通りです
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19137 投稿日:2018年 2月26日(月)21時18分41秒 diamonds8888xさん 投稿者:Ken それとも今回は宗教に話が及んだからそうなったので、議論の土俵をサイエンスに限定するなら、そういうことは起こらないと考えてもよろしいでしょうか?
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19130 投稿日:2018年 2月26日(月)06時06分39秒 コナン君とは 投稿者:diamonds8888x
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19117 投稿日:2018年 2月25日(日)16時38分23秒 ダーウィンの子犬様、一蘭様、Ken様 投稿者:ゲジゲジ この3つは同時に成立します
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19116 投稿日:2018年 2月25日(日)00時37分14秒 diamonds8888xさん 投稿者:Ken はじめにタイトルについて
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19112 投稿日:2018年 2月24日(土)05時41分6秒 坊さんと衣は別なので 投稿者:diamonds8888x
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19111 投稿日:2018年 2月24日(土)05時39分40秒 コナン君、君は間違っている 投稿者:diamonds8888x
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19109 投稿日:2018年 2月24日(土)00時36分15秒 Ken様 投稿者:ゲジゲジ ダーウィニズムは「適者生存」により劣った者が淘汰されることで進化が起こると主張していません!!
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19109 投稿日:2018年 2月22日(木)23時35分47秒 それをいうなら 投稿者:Ken ダーウィニズムもまた帝国主義、植民地主義の理論武装に大いに利用されたのですが
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19069 投稿日:2018年 2月20日(火)01時39分2秒 あぁ、宗教論になっていく 投稿者:ゲジゲジ
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19063 投稿日:2018年 2月19日(月)22時47分10秒 (無題) 投稿者:GB まっとうな宗教者たちというのは、
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19061 投稿日:2018年 2月19日(月)22時37分18秒 霊魂? 投稿者:GB
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19060 投稿日:2018年 2月19日(月)21時37分17秒 複数の真実!! 投稿者:Ken
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19054 投稿日:2018年 2月19日(月)06時27分41秒 事実か公理か信仰か 投稿者:diamonds8888x
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19053 投稿日:2018年 2月19日(月)06時21分48秒 Kenさん、複数の真実 投稿者:diamonds8888x
//6609.teacup.com/natrom/bbs/18948 投稿日:2018年 2月17日(土)03時46分25秒 ヨコからですがKen様 投稿者:ゲジゲジ もう少し問題を整理して、本質と本質でない部分とを区別して考えてみては如何でしょう?

46ミケ:2018/06/02(土) 21:02:41 ID:hmI6xcyU
……と、
1対1のためにココに誘導したのは自分なのに
またも書き込んでしまいました。大変申し訳ありません。

今後はこのスレッドに書き込むのは控えます。
備忘録スレッドには書くかもしれませんが。

47GB:2018/06/02(土) 21:33:01 ID:LSOxP3o2
あー、1対1のスレッドでしたね、私は今後書き込みません。すみませんでした。

48diamonds8888x:2018/06/03(日) 08:02:28 ID:06MAtVqM
>>43 なるほど御懸念の内容がかなり具体的にわかりました。自覚はないかも知れませんが、まさに科学哲学の領域に踏み込んでいるんですよ。なぜ科学哲学などという学問があるのかと言えば、科学に対する見方や科学的に正しいとはいかなることなのかという考え方がに様々なものがあるからです。その中で何が妥当で何が妥当ではないかということを知ろうとすることこそ科学哲学の苦闘の歴史なのです。

 すこしずつ解きほぐそうと思いますので、少し気を長くして、できれば視野を広く持ってお付き合いください。今回は全体的に一部だけ(なんちゅう表現なんだ!?)。

・「IDは疑似科学」という結論が最初にあり、それを論証するために他とは異なるダブルスタンダードが使われていないか〜

  まともな批判者ならそんなことはありません。例えば本掲示板でなら、ダブルスタンダードな論法がでればそこで具体的に誰かに指摘されるでしょう。Kenさんも、もしある議論がダブルスタンダードたど思えば、それを具体的に指摘すればよいことです。もちろんそれがKenさんの判定ミスだったと指摘されることもあります。それが「議論している状態」です。

  で、ダブルスタンダードではないかと今回指摘された4つの例については、別発言で改めてコメントします。

・学会についてのコメントや提案は、「社会の中の科学・科学者」というテーマで、「科学的な正しさ」の議論とは別のテーマになります。この2つは目的、というか前提というか、土俵が違います。コメントは試みますが、2種類のテーマの違いについては考えてみてください。


 できればミケさんやGBさんのコメントについても考えてみれば参考になりますよ。GBさんの示された科学哲学本も読んでおいてもらえると助かるのですが。今まで知らなかった目から鱗のことが得られるかも知れませんよ。個人的判断ではありますが、Kenさんの抱える疑問の場合は、 ロビン・ダンバー(Robin Dunbar)『科学が嫌われる理由』が適しているようにも思えます。意外と読みやすいですし。

49diamonds8888x:2018/06/03(日) 08:19:38 ID:06MAtVqM
>>48 教科書への採用問題に関してはミケさんの説明[>>44]が簡明でわかりやすいかも知れませんね。「科学的仮説たりうる理論(でもまだ検証されていない)」と「検証済み理論」との違いですね。私のこれまでのコメントだとついつい「100%検証されることはない」という前提を双方が理解しているというつもりで書いてしまっていますから、かえってわかりにくくなっていたかも知れません。

50Ken:2018/06/03(日) 17:18:16 ID:ui3byeOA
もしよろしければ、私が最重要に位置づけている切り口で話をしていただけると助かります。

〜科学・疑似科学の判定基準は初めに明らかにし、議論の途中では変更しない〜

この点に同意いただけるのなら、私が挙げた個別事例を詳細に論じる必要は(私にとっては)ありません。

もしこの点での同意が得られず、判定基準自体が議論の中で変更される可能性があるのなら、なぜそれが正当な行為であるのかという話になるでしょう。

ただ、後者の場合には、本論であるID論を、私たちの間で論じることが可能だろうかと、私自身がその時点で再考するかもしれないことだけは、あらかじめ申し上げておくべきかと思います。

51diamonds8888x:2018/06/04(月) 05:10:45 ID:06MAtVqM
>>50
> 〜科学・疑似科学の判定基準は初めに明らかにし、議論の途中では変更しない〜

 ありていに言えば、これが無理難題であることを御理解いただこうとしているのですが、まあ長文のコメントが続くとややこしくなることも事実ですから、ふたつだけ確認させてください。

 1.私は疑似科学という言葉は使わないし、どんな理論であれ議論自体の「排除」はしません。それでもこのルールは必要ですか? [>>37]参照。

 2.「疑似科学とは、科学的に正しくない方法を使った理論、または原理的に科学的検証が不可能な理論を指す」ではいけませんか? [>>41]参照。

52Ken:2018/06/04(月) 19:14:48 ID:kxVV28RY
>1.私は疑似科学という言葉は使わないし、どんな理論であれ議論自体の「排除」はしません。それでもこのルールは必要ですか? [>>37]参照。

この点は目下の問題ではないと思います。

>2.「疑似科学とは、科学的に正しくない方法を使った理論、または原理的に科学的検証が不可能な理論を指す」ではいけませんか? [>>41]参照。

問題はこちらです。「科学的に正しくない」いう表現では曖昧すぎて、解釈の相違を生じたとき困ります。

例えば、地球史の中で起こった特定の進化は自然選択では説明できないからIDの可能性が強いという仮説が出されたとして、私のこれまでの体験では2種類の反論が出ることが予想されます。

1つは「そういう進化ならダーウィニズムで説明できる」というもので、これなら議論を進められます。

もう1つはドーキンスなどが言う「自然選択の不完全な部分を指摘してもIDの証明にはならない」というもの。つまり仮説の提唱者は科学的に正しくない方法を使っているという批判です。

でも考えてみてください。科学的に正しいか正しくないかを論ずるには、何をもって科学的に正しいとするか、つまり科学と疑似科学を判別する基準が合意されていることが前提ではありませんか。

diamonds8888xさんのような方が、ダーウィニズムの穴をついてIDを主張することなど議論の余地なく正しくないと考えておられることは承知しています。でも、それとは異なる見解を持つ人間もいるのです。このような両者が議論をするには「何をもって正しい科学とするか」を、事前に、厳密に、定義しておく必要があるのではないでしょうか?

私が訴えているのは、その点なのです。

53diamonds8888x:2018/06/05(火) 05:24:31 ID:06MAtVqM
>このような両者が議論をするには「何をもって正しい科学とするか」を、事前に、厳密に、定義しておく必要があるのではないでしょうか?

 それは違います。「どの理論がどの程度確からしいか」という点で見解の相違があるゆえに、「その理論の正しさ」といって拙ければ「その理論はどれくらい検証されたか」「その理論にはどれくらい難点があるか」について互いの見解をすり合わせていくのとように、そもそも「何をもって正しい科学とするか」という点でも見解の相違がありうるのですから、これも同じように議論の中ですり合わせていくしかないのです。

 そして、「何をもって正しい科学とするか」という点において異なる見解が【議論することそのものを排除される】ことはありません。少なくとも本掲示板のような自由な言論の場においては、です。

 現実に「自然選択の不完全な部分を指摘してもIDの証明にはならない」という論法は「科学的に正しくない方法」だとKenさんは考えていて、他の人はそうではありません。だとすれば、この点については、これから互いに議論していくしかないではありませんか?

 私はこれまで、このように「何をもって正しい科学とするか」というテーマについて議論を進めているつもりです。いきなり双方が合意できるルールができるとは思っていません。だから「最初に【さっさと】決めろ」というのは無理難題だと表現しました。


 「科学的に正しくない」いう表現が曖昧であることは十分承知しています。ではどの程度「厳密」であればよいのですか? それがあればどんな理論も科学的か否かを判定できるという意味ならは、そのような万能のルールはたぶんできませんよ?

 むろん「××とする方法は科学的ではない」「〇〇は科学的な方法といえる」という事例はいくつもありますし、その中にはまさしく定説として確立していると言えるものもあるでしょう[*注]。我々にできるのは、それらひとつひとつについて合意できるかいなか、合意できなければどうするか、という議論を進めることだけです。


[*注]ここでは学会というものはないので、科学的思考の訓練ができている人なら無意識にでも使う、くらいの意味になるでしょうか。よく考えれば、普通は正しいとわかること、とか。

54Ken:2018/06/06(水) 19:52:39 ID:kxVV28RY
>>53

>いきなり双方が合意できるルールができるとは思っていません。

そうであるなら、私との合意は保留し、diamonds8888xさんが正しいと思われるルールを提示していただけませんでしょうか?
もともと私たちが検証していたP1〜P3も、7年前にshinok30さんが御自身で正しいと考える判定基準として出されたものです。

私(Ken)自身は、科学に対するアプローチとして、ある方法は正しく別の方法は誤りと区別することに、反対する立場をとっており、疑似科学と呼ぶのは意図的なペテンに限定しようという本来の主張もそこから来ています。

今回の議論は、すべてdiamonds8888xさんの定義に基づくもの、すなわち科学へのアプローチには正しいものと正しくないものがあり、正しくないアプローチは、そのこと自体が排除の理由になるという前提から出発しています。

ですから、ここはdiamonds8888xさんに、あらためて正しい科学の判定基準を提示していただき、私が質問する形で、検証をしてみてはいかがでしょうか?

その場合に、私がやるであろう検証は、その判定基準が真に公平なものであるかに重点が置かれると思います。

例をあげれば、提示された判定基準を用いた結果、現在のID論も、16世紀の地動説も、17世紀の光波動説も、そして20世紀のブラックホール理論も、すべて「方法として正しくない」という結論がもしも得られたなら、その結論を受け入れねばなりません。その時になって、ブラックホール理論だけを正しいとするために、別の基準を持ち込むことはやるべきではありません。

いかがでしょうか?

55diamonds8888x:2018/06/08(金) 06:24:52 ID:06MAtVqM
>>54 そういうことならいくつかずつ提起していきましょう。それは私がメタな話として進めたかったこととも一致します。でも予備的に3つほど述べておきます。心にとめておいてくだされば幸いです。


・排除について
>正しくないアプローチは、そのこと自体が排除の理由になるという前提から出発しています。

 これは「排除」の意味するものが食い違っているのだと思いますが、私は一貫して「議論自体の」排除はしないし、少なくとも本掲示板では排除はなされていないと述べています。これは重要なので強く主張します。


・理論の検証と事実の検証
  (以下は私独自の考えですが、誰かが書いているかも知れませんし、普通に納得できると思います)
 正しいとか正しくないとか判定したり検証したりする対象には、主に理論と事実があります。理論の例は、落体の法則、万有引力の法則、子は親に似る法則など、多数の似たような事実に共通なことを述べたものです。これにより、未知の事実の予測や推測ができるのが理論です。その予測や推測が外れれば理論が間違っている可能性が高くなります。理論の検証とは概ね、未知の事実の予測や推測をして、その予測や推測が当たっているかどうかを検証するものになります。
 「事実とは観測すればいい」とだけ言うわけにもいかず、「事実の検証」と大上段に構えなくてはいけないのは、例えば歴史学や考古学や犯罪捜査などの場合です。過去の生物たちは実際に進化してきたのか、ビッグバンは本当にあったのか、大気中に毒性物質はどれくらいあるのか、太陽以外の恒星にも惑星はあるのか、宇宙の地平線の向こうにも星雲はあるのか、などですね。これらの事実は「直接の検証」が難しいので、間接的な観測事実から正しいとされている理論を総動員して「たぶん正しい」ことを推測していくことになります。

 【とりあえず、提起する基準は「理論の検証」を想定します。】


・基準の数?
 なるべく役立ちやすい具体的な形で提起するつもりですが、そうなるといくつになるかは不明です。
 基本的には、基準が満たされなければ非科学的、という形で提起しようと思いますが、時には別の形になるかも知れません。
 いずれにせよ、一度に何個も提起しても大変ですから、少しずつ提起します。


 では具体的には、次のコメントから。

56diamonds8888x:2018/06/08(金) 06:27:09 ID:06MAtVqM
>>55 ひとまず、次の2つです。

基準01. へそ理論(オムファロス)や世界五分前仮説のような形の理論は、科学的ではない。
[ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%A0%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%AD%E3%82%B9]
[ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E7%95%8C%E4%BA%94%E5%88%86%E5%89%8D%E4%BB%AE%E8%AA%AC]
 (「反証可能性のない理論は」だと範囲が曖昧でしょうから)

基準02. 理論Aと対立する理論Bを否定しても理論Aの検証にはあまりならない。
  *)検証になる特殊な場合はある。
  *)理論Aの確からしさが向上する場合や向上の程度は、場合によるので複雑。

57Ken:2018/06/08(金) 19:43:04 ID:kxVV28RY
diamonds8888xさん、

判定基準の話を始めていただき、ありがとうございます。

すでにいくつか質問が頭にうかんでいますが、これらはその都度お尋ねするのがよいですか?
それともdiamonds8888xさんの話が結するのを待つほうがよろしいでしょうか?

私がdiamonds8888xさんの立場だったら、後者がよいと思うでしょうが。

58diamonds8888x:2018/06/09(土) 05:55:57 ID:zaYXOEow
>>57
 述べたように複数挙げていくつもりですし、各基準は基本的には独立していますから、個別にどんどんコメントをお願いします。さもないと、いつまでも議論が始まりません。

59diamonds8888x:2018/06/09(土) 05:57:56 ID:zaYXOEow
>>55 そう問題にはならないでしょうが、当たり前のこともきちんと述べるのが数学と法律の精神なので。

基準03. 理論Aの論理学的意味での対偶を検証して理論Aの検証とすることは、科学的に正しい。
  *)複数の文からなる理論などでは、本当に対偶なのかどうかの判断に気を付けて。

基準04. 理論Aの論理学的意味での逆を検証しても、理論Aの検証にはならない。

60Ken:2018/06/09(土) 16:20:52 ID:kxVV28RY
では、はじめに「排除」に関する質問です。

>これは「排除」の意味するものが食い違っているのだと思いますが、私は一貫して「議論自体の」排除はしないし、少なくとも本掲示板では排除はなされていないと述べています。これは重要なので強く主張します。

diamonds8888xさんが議論自体の排除はされないことは承知していますが、私の問題提議は以下のようなものです。

例えば、私が紹介したガーディアン紙への投稿で、ドーキンスは、当時のブッシュ大統領がダーウィニズムとID論の両方を教育の場で教えればよいといったことに反対しています。大統領や他のID支持者が、まさかドーキンス先生にIDを教えろといったわけではないでしょう。要するにドーキンスは、自分がIDを認めないだけでなく、他者がIDを教えることにも反対し、彼自身の社会的影響力を駆使して、それをやめさせるキャンペーンを行ったというべきです。

念のために言いますが、ブッシュ大統領は、ダーウィニズムを教えるなといったわけではないのです。ID論と両方教えて、あとは教わった側が判断をすればよいといったのです。

私が「排除」というとき、例えば、このようなドーキンスの行為を含みます。そして私からの最初の質問は、diamonds8888xさんはこのような行為を支持されますでしょうかということです。

私に言わせれば、ドーキンスの行為は「よけいなお世話」です。ID論が正しい科学の手法に拠っていないとドーキンスが思うのなら、彼自身が無視しておればよい。なんで他人が自己責任でやることに干渉する必要がありますか?

61diamonds8888x:2018/06/10(日) 05:17:01 ID:zaYXOEow
>>60 その問題は一時棚上げしたと理解していましたが?
  参照、[>>24][>>27][>>33][>>36]

 現在のテーマは「科学的な方法とは何か? 非科学的な(疑似科学的な)方法とは何か?」という基準の具体的提案と、その妥当性についての議論でしょう?


 参照[>>41]「もちろん「公教育からの排除」は(米国の)正統派科学者たちの主張するところですが、これは政治的判断も含むことで、科学としての議論の場からの排除とは別の話です。」

62Ken:2018/06/10(日) 09:57:43 ID:kxVV28RY
いまdiamonds8888xさんにやっていただいているのは、私との間で合意できるかは気にせず、diamonds8888xさんが正しいと考える科学の判定基準を述べることですが、この件も同様でよいのではないでしょうか?

先の投稿の末尾で私自身の見解を述べてしまったので誤解を生じたかもしれませんが、あくまでもdiamonds8888xさんご自身がドーキンスの行為をどう思われるかを聞かせていただけませんでしょうか?

私がこの点にこだわるのは、結局「正しい科学の手法」なるものが、どれだけの拘束力をもつのかを明らかにしたいからなのです。

「正しい科学の手法」というのは、どうすれば効率よく正解にいたれるという助言なのか。たとえば野球の投手に、球威や制球を上げるため腕や背筋の角度を指導するようなものなのか。

それとも、科学に携わる者が従うべき規則なのか。たとえば、ボールが手を離れるまで投手の足は投手板に着いていなければならないというようなものなのか。

前者なら、従う従わないは個人の自由ですが、後者なら自由ではありません。

diamonds8888xさんのような方には「何をいまさら」という愚問に聞こえるかもしれませんが、私には発言者によってこの点で微妙な差があるように思えるのです。7年前の議論でいうとshinok30さんなどは明らかに後者の意味で論じておられました。一方でドーキンスのガーディアン紙への寄稿は、前者を理由にしながら後者の結論へ誘導しているように思われます。

重要なことは、これによって、正しい科学の判定基準に要求される完成度が異なることです。助言なら完成度は最重要課題ではないでしょう。1つの判定基準を出してみて、議論し、どういう結論が得られるかで、基準を修正したり新たな基準を加えたりしてゆけばよい。

助言ではなく規則であるなら、普遍性や整合性の点で、初めから完成したものが要求されます。

63diamonds8888x:2018/06/10(日) 19:15:08 ID:zaYXOEow
>>62

>この件も同様でよいのではないでしょうか?

 同様ではありません。両テーマでは判定基準そのものが違ってきます。どちらかに絞ってください。

64fnorder:2018/06/10(日) 19:22:15 ID:???
「効率よく正解にいたれる」とか、「規則」とか「助言」とか、とんでもない勘違いをしているとしか思えない……。

科学的方法なんてのは大雑把に言えば『先入観や偏見や偶然などを排し、事実を根拠として、ある考えが正しいかどうか確認する』ためのものでしょう。
どちらかといえば面倒で遠まわしになるものだと思いますよ。

65Ken:2018/06/10(日) 20:53:46 ID:kxVV28RY
>>63

いろいろな問題が錯綜するので行き違いが生じやすいことは分かります。
とりあえず今回は、もう1つのテーマである教育を論じているのではありません。ドーキンスの話を例に出したのはまずかったかもしれませんね。

質問を変えさせてください。

私が尋ねたかったのは、diamonds8888xさんの定義による「正しくない科学」は、それ自体が仮説を否定する理由となるのか、ということです。

話を分かりやすくするため、極端な例を出します。

例えば、私が、人類は数千年前に他の動植物と一緒に出現し、その根拠として旧約聖書の創世記を挙げたとします。おそらく2種類の反論が来るのではないでしょうか。

1つは、数万〜数十万年の古さをもつ人類の化石が出ている等の事実を挙げること。その事実で私の仮説を否定した上で、「創世記のような神話を読んでも、真実には至らないよ」という助言が与えられるかもしれません。仮説を否定する根拠はあくまでも化石なのです。

もう1つは、私が神話を根拠にしていること、つまり科学的に正しくない方法を用いていること自体が、私の仮説を否定する根拠になることです。この場合、化石の存在は傍証になるでしょうが、決定的要因ではありません。

「正しくない科学手法」というとき、このどちらのケースを意味するのでしょうか?

66Lurker:2018/06/11(月) 00:21:40 ID:???
人類は数千年前に他の動植物と一緒に出現したという仮説は化石等から科学的には正しくないし、かつ神話を仮説の根拠とするのは科学的ではないという
両方に当てはまるケースのように思えるのですが、正しくない手法というのは常にどちらか片方に限定される必要はあるのでしょうか?

67diamonds8888x:2018/06/11(月) 05:40:40 ID:zaYXOEow
>>64 >>66 fnorderさん、Lurkerさん、

 おっしゃることは概ねその通りと思いますが、端的に言って今のところKenさんは、その当たりのメタな話の機微に慣れていらっしゃいません。実例を挙げながらひとつひとつ理解していただくしかないと思います。一応、1対多を避けたいというKenさんの御希望もあって第3掲示板に移ったという経緯もありますので、今しばらく気長に見守っていただけるでしょうか?

 もし、このテーマでさらに議論なり談話なり御希望なら、新しいスレッドを立てることもできるかと思います。

 なお、[>>64]は全くその通りだと思いますが、[>>66]はちょっと決めつけすぎではないでしょうか? 神話を根拠とすることに関する私の考えは[>>37][>>38]の通りです。

68diamonds8888x:2018/06/11(月) 05:45:44 ID:zaYXOEow
>>65
>私が尋ねたかったのは、diamonds8888xさんの定義による「正しくない科学」は、それ自体が仮説を否定する理由となるのか、ということです。

 この文脈での「正しくない科学」とは、これから私が提起していこうとしている「基準」のことでしょうから、そう解釈します。その「基準」で完全に「正しくない科学」となるものもあれば、そうではないものもあります。一応は前者を優先したいとは思いますが、後者で大切なものだってありますし。

   基準01は前者の例です。
   基準02,04は後者の例です。
   基準03は「正しい科学」の条件なので、やはり後者でしょうね。

 あれま後者の方が多い(^_^) 具体性を持たせようとするとやはりこうなるのは仕方ないでしょう。fnorderさん[>>64]のおっしゃる通りです。


 挙げていただいた実例は、「基準」を定めたうえで当てはまるかどうかを見ていくものではありませんか? 具体的な「基準」がないうちに、それを実例に適用する話に入ってもいいのですか? すでに挙げた基準01〜04のどれかを適用するとどうなるのかという問いならば、どの基準についてのことなのか、もう少し御説明願います。

69Ken:2018/06/11(月) 07:06:01 ID:kxVV28RY
>>私が尋ねたかったのは、diamonds8888xさんの定義による「正しくない科学」は、それ自体が仮説を否定する理由となるのか、ということです。
>この文脈での「正しくない科学」とは、これから私が提起していこうとしている「基準」のことでしょうから、そう解釈します。その「基準」で完全に「正しくない科学」となるものもあれば、そうではないものもあります。一応は前者を優先したいとは思いますが、後者で大切なものだってありますし。

了解しました。答えていただきありがとうございます。

しつこい問いかけをしましたが、ちょうどdiamonds8888xさんが「疑似科学」の定義を繰り返し確認されたように、私にとっては重要なことなので、ご容赦ください。

それでは基準01への質問から始めます。反証可能性の話ですね。

70Ken:2018/06/13(水) 21:57:51 ID:kxVV28RY
それでは基準01(反証可能性)について。

事前準備として、wikipediaの記事を読みました。

ja.wikipedia.org/wiki/反証可能性
en.wikipedia.org/wiki/Falsifiability

これを基準に正しい科学と正しくない科学を判別することについて2つの疑問があります。

その1は、以前のくり返しになりますが、ブラックホール内部の事象を予測するような理論をどう判定するかです。外挿で考察することの是非はおいても、その外挿で得られた結論が事実と異なる場合に、私たちがそれを知ることは不可能つまり反証可能性がないのではありませんか?

むろん

〜それゆえホーキングたちの理論は正しくない科学、疑似科学である〜

と結論するなら整合するのですが。


2つ目の疑問は、なぜ「反証」でなければならないのかです。「検証可能性」ではだめなのでしょうか?

wikipediaで例に出された「すべてのハクチョウは白い」という命題なら、白くない個体を見つけることで反証可能です。でも、仮説には肯定的な証明はできても、否定的な証明ができないものも多いはずです。

20世紀に新しい素粒子が続々と発見されると、やがて人々の常識に挑むような素粒子が提唱されるようになりました。例えばクォーク、モノポール、タキオン、ヒッグス粒子等です。いずれも実験的に観測しようという試みの対象になっており、数年前ヒッグス粒子がニュースになったことは、ご記憶でしょう。

でもこれらの存在を予測する仮説は「反証」が可能でしょうか?

それぞれの素粒子が「ある」ことを証明する方法ははっきりしてます。現物を見つければよいのですから。

でも「ない」ことを証明するのは「悪魔の証明」と呼ばれ、不可能とされているのではありませんか?


以上の2点により、反証可能性を正しい科学の判定基準とすることに、私は疑問をもっています。

いかがでしょうか?

71diamonds8888x:2018/06/16(土) 13:03:50 ID:YTgYp/xY
>>70  ご質問の例のように、具体的な話になると「反証可能性」に当てはまるのかむどうかの解釈が難しくなるものも出てきます。だから「反証可能性のないもの」という基準では曖昧、とは言えないのないのでしょうが、適用をめぐって議論も起きようというものです。なので基準01では「へそ理論のような」と具体的に挙げてみました。

 「反証可能性」に限らず科学哲学に関しては、私が勝手に独自解釈を繰り広げても拙いので、以下の2文献を主に参照します。今後、戸田山がと言えばRef-1の記述、内井がと言えばRef-2の記述と考えてください。

  Ref-1)戸田山和久『科学哲学の冒険 サイエンスの目的と方法をさぐる (NHKブックス) 』(2005/01)
  Ref-2)内井惣七『科学哲学入門―科学の方法・科学の目的』世界思想社 (1995/04)


 まず、その1については、少々別の問題(仮説の種類の違いの問題)が絡みますので、後ほどにします。


 「反証可能性」全般についてですが、まずカール・ポパーの主張自体には数々の難点も指摘されていて、全面的に正当なものと考える人は科学哲学者の中ではいないようだということを指摘しておきます。例えば内井惣七「3.11 反証主義の難点」や戸田山「3章2.科学から帰納を追い出してしまえ!、3.科学とトンデモはどこが違うのか? 」です。特に前者では6つの難点がまとめられています。

 とはいえ反証可能性の有無が多くの理論のフィルターとして妥当であることは多くの人が認めています。ここで2つ目の疑問である「検証可能性」ではだめな理由は、100%完全な検証は不可能であるからです。wikipediaにも「科学とは、絶対的真実を認めず、常に誤りを修正し続ける活動だ」という言葉がありましたよね。このことを「科学的事実や科学的真実とは暫定的なものである」という人もいます。また第1掲示板でも色々な人が同じ趣旨のことをたびたび発言していたことにはお気づきでしょうか?

 というのが標準的説明、と言えるかどうか知りませんが、多くの場合に示される説明です。しかし〜。

 ここで賢明なKenさんは既にお気づきかも知れません。「反証可能性」が使える仮説、というよりはむしろ原理的に「検証可能性」がないために「反証可能性」を使うしかない仮説というのは、無限の対象に関する全称命題なのです。そしてほとんどの「理論」は無限の対象に関する全称命題なので、「検証可能性」ではなく「反証可能性」を使うのです。

 少し別の視点からの話で、論理式で考えれば "∀xP(x)" は有限な時間では検証不可能なので反証しようとするのですが、それは実は "∃x¬P(x)" という仮説を検証しようとするわけです。もちろん、もし"∀xP(x)"が正しければ、つまり "∃x¬P(x)"が間違っていれば、いつまでも"∃x¬P(x)"の検証はできません。しかし永久に検証できないか否かは永久にわかりません。ただ"∃x¬P(x)"が間違っているという「蓋然性」が高くなるだけであり、カール・ポパーが述べた本質は変わりません。
 この視点から言えば、「検証」と「反証」は同じことを別の言い方で言っているだけであり、どちらの言葉でも構わないとは言えます。ただ、多くの「理論」は "∃x¬P(x)" という形ではなくて "∀xP(x)" という形で述べられますから、「反証可能性」という方がわかりやすいのだろうと私は思います。


 ここで3番目の疑問である素粒子の「発見」の問題ですが、これは "∃xQ(x)"という形であることがおもしろいですね。Qは例えば「これこれの性質を持つ素粒子Xが存在する」という命題になるでしょう。長くなりましたので別コメントにしますが、どうやら疑問その1にも絡む、仮説の種類の違いがかかわりそうです。

 今回のコメントだけでも疑問は出てくると思いますから、どうぞ出してください。

72 diamonds8888x:2018/06/16(土) 15:17:06 ID:YTgYp/xY
>>71
 仮説の種類の違いにより検証の性質も違ってくるという点について、予備的な話をまずします。

 科学的検証をする対象には理論と事実の2種類があります。第3の種類もあるかも知れませんが、今のところは思いついていません。理論とは多数の事実に共通する性質を述べたもので、「○○ならば××となる」といった因果関係や相関関係であることがほとんどです。他の場合もあるかも知れませんが、今のところは思いついていません。

 理論の検証をするときには上の○○や××に事実を入れた命題を検証するという手順になりますが、私がここで「事実」と呼んだものは、内井は「経験的事実を述べる単称命題」であると述べ「基礎命題」と呼んでいます[p65]。wikipediaでは「原始命題(primitive propositions)」と書かれていましたが、この言葉は本来は命題論理式においてひとつの命題変数記号で表される命題のことで「原子命題(atomic propositions)」と同じ意味で使われているようです。なので理論を論理式で表現されたものと考えれば適切なのでしょうが、ちょっと形式化しすぎた印象も受けますね。

 また内井は[5章.理論・観察・測定]では「観察」とか「観察事実」と呼んでいます。例えば天文学ならば、星の運行の記録が「観察事実」の記録であり、そこから見出される規則性が「理論」です。ちなみにこの第5章では天動説vs地動説を例にして詳しく論じていますので、読まれるとおもしろいと思います。

 さてこの「事実」または「観察事実」ですが、星の運行ならば単に観察すれば検証可能な事実と言えるかも知れませんが、「ある性質を持つ素粒子Xが存在する」という命題ともなると、そう簡単に検証できるものではありません。いやまあ前者にしても定量的な命題ともなるとそれなりの道具立てが必要ですが。だからこそ「物は落ちる」という事実は誰もが観察できたのに、その落下運動の定量的性質の観察はガリレオを待たねばならなかったのですね。

 というわけで「理論の検証」のみならず「事実の検証」というものも必要な場合がでてきます。ポパーが反証可能性を提唱した時には「理論の検証」を想定していたのですね。


 以上の分類を見れば、多くの場合に「事実」を示す命題は存在命題(existential proposition)となり、「理論」を示す命題は全称命題(universal proposition)となることはわかると思います。

73Ken:2018/06/16(土) 18:10:44 ID:kxVV28RY
>>71

私は論理式の記号表記に詳しくありません。

∀や∃のような記号を見たのは、微積分学を学んだときだけです。
そこで確認しますが、

"∀xP(x)"は、いかなるx(条件)でもP(仮説)が成り立つ
"∃x¬P(x)"は、Pが成り立たないxが存在する

という意味と考えてよろしいですか?

ただ、そうなると

>多くの「理論」は "∃x¬P(x)" という形ではなくて "∀xP(x)" という形で述べられますから、「反証可能性」という方がわかりやすい

の意味が通りません。"∃x¬P(x)"は反証条件xが存在するといっているのだから、この場合こそ「反証可能性」というべきではないでしょうか?

それとも上記の理解が間違っているのでしょうか?

74Ken:2018/06/16(土) 19:21:25 ID:kxVV28RY
>>72

正しく理解ができたか心もとないのですが、すると「素粒子Xが存在する」というのは事実の検証であり、本来理論を対象とした反証可能性にはなじまないということでしょうか?

ガーディアン紙への寄稿でドーキンスは、進化は反証可能と述べています。

〜どうすれば進化を反証できるか:「カンブリアより前のウサギの化石」〜
(原文)
when asked what might disprove evolution: "Fossil rabbits in the pre-Cambrian."

つまり、進化は「事実」ではなく「理論」なのですか?

75diamonds8888x:2018/06/18(月) 06:08:13 ID:YTgYp/xY
>>73
 論理式に詳しくないとは存せず失礼しました。式の方が明確ですし、以前の恐竜の力学の議論ではそれが通じやすかったものでつい。違います(^_^)、論理式で明確に語るのは常識と思ってましてm(_ _)m。

 一般にxは対象を示し、P(x)は対象xについての命題を示します。【xは条件ではありません。】
  "∀xP(x)" すべてのxはPである。
"∃x¬P(x)" Pではないxが存在する。

 例)x=カラス  P=黒い
   x=生物   P=進化する
   x=朝の太陽   P=東から昇る
   x=生物の進化過程   P=ランダムな変異と自然選択により起きる(進む)


 後半の件ですが、ちょっと私の文章が拙かったようですね。修正します。
  「ただ、多くの「理論」は "∃x¬P(x)" という形ではなくて 」
  ==>「ただ、多くの「理論」は "∃xP(x)" という形ではなくて」

 それに途中を飛ばしていたみたいですね。言いたかったことは次のことです。

 多くの理論Aの形は  A=∀xP(x) である。
   xが無限にあれば、完全な検証は永遠にできない。つまり、100%の検証は不可能。
  そこでAの否定をとると ¬A=∃x¬P(x) となる。
     (古典論理の定理or公理ですが、意味を考えれば正しい論理だとわかるでしょう)
   この命題¬Aの検証、すなわち反証ならば、なされる可能性がある。【あくまでも可能性が】

 そこでポパーの提唱は次のようなものです。
  もし¬Aが検証可能(つまりAが反証可能ならば)、理論Aは科学的理論である(またはその資格がある)。
  もし¬Aが検証不可能ならば、理論Aは科学的理論とはいえない。

 では B=∃xP(x) の形の理論Bではどうなるだろうか? <== 私の考え
  この場合は、理論Aのような原理的な検証不可能性はない。
  むろん具体的な命題Pが検証不可能かも知れず、その場合は科学的理論とは言えないかも知れない。


 まとめと繰り返しになりますが、検証すべき対象が有限集合ならばしらみつぶしに検証できる可能性があるかも知れませんが、検証すべき対象が無限集合だと100%の検証は不可能です。しかしこの場合も反証ならば、できる可能性があるかも知れません。つまり無限集合の場合は、検証は原理的に不可能なので反証が否定され続けることで我慢する、ということになるのです。これまで何百万回も反証が否定されていたとしても、将来反証が肯定されないとは断定できません。という意味で、「科学は暫定的だ」と言われるわけです。

76diamonds8888x:2018/06/18(月) 06:09:56 ID:YTgYp/xY
>>74

>正しく理解ができたか心もとないのですが、すると「素粒子Xが存在する」というのは事実の検証であり、本来理論を対象とした反証可能性にはなじまないということでしょうか?

 「素粒子Xが存在する」というのが事実か理論かは、実はちょっと難しい話になりそうですので、お待ちください。


 「事実の検証」が多くの場合に反証可能性にはなじまないというのは、おっしゃる通りだと思います。この観点は私が読んだ科学哲学の本などにも載っていなくて、ここは私独自の考えになります。いや実は載っていたのに読んだ当時は私に問題意識がなくて素通りした可能性もありますが。しかし普通は「事実」と言えば、ある時点のあるひとつの出来事を指しますから、それを直接検証すればいいはずです。ていうか、この場合、「事実Aを検証する」というのは「事実¬Aを反証する」というのと同じですよね。全称命題ではないので、検証と反証とに対称性が成り立つということになるでしょう。


 科学哲学では多くの場合に「理論」を対象にしていて、「事実」は「理論」を検証するための材料として出てくることが多いのです。この場合の「事実の検証」はできることが前提です。

 けれど実際には検証が困難な事実もあります。例えば遠い過去の事実、現在の技術では検証困難な事実、遠く離れた場所の事実、などなど。

 また未来の事実は通常は予測するものであり、その時点が現在になったときに検証するものです。そして、予測と検証との一致度から予測に使った理論を検証します。


>進化は「事実」ではなく「理論」なのですか?

 どちらも含みますよね。過去の「事実」を指すこともあります。(以下は単なる例示であり、検証された事実かどうかはコメントしない。)
  ・〇〇年前にヒトとチンパンジーは分岐した。
  ・××頃に陸上脊椎動物が出現した。
  ・〇〇頃にデザイナーが赤道付近の大陸でテイラノデザウルスの進化に干渉した。

 また「理論」を指すこともあります。が、「事実」を指す進化と区別するために、進化理論とか〇〇説、〇〇論ということも多いですよね。

 引用された、ドーキンスの投稿の中の " J B S Haldane" の言葉ですが、少々略されているみたいなので意訳になりますが、
-----------------------------------
 As the great biologist J B S Haldane growled, when asked what might disprove evolution: "Fossil rabbits in the pre-Cambrian.

  (前略)何が進化を反証するのかと尋ねられた時に、不機嫌そうに、「カンブリア紀以前のウサギの化石さ」(と答えた。)
-----------------------------------

 内容からみて Haldane が想定したのは「生物は進化する」という「理論」でしょう。もっと細かく言えば、
  理論:(すべての)生物は進化する。(過去にも現在も未来も、すべての時点で)。
  検証:過去に生物は進化していた。

 さらにこの検証を分解すれば、こんなものですかね。
  もし「生物は進化する」ならば、過去の生物の痕跡(化石など)は時系列で進化した順に並ぶだろう。
  ゆえに、もし時系列で逆転した痕跡(例えばカンブリア紀以前のウサギの化石)が発見されれば、この理論は反証される。

 ダーウィンの進化理論が複数の理論から成る、ということは既に御存知ですよね?

77Ken:2018/06/18(月) 23:48:52 ID:kxVV28RY
災害は突然にやってくる・・・今は遠隔地にいますが、もともと関西人の私にとってニュースに現れる地名は馴染みの深いものばかりです。地震予知はまだ未来技術なのですね。


さて、どうも「事実」か「理論」かは問題ではないように私には思われます。wikipediaの反証可能な仮説の例に「太陽は東から昇る」「すべてのハクチョウは白い」等、どうみても理論ではなく事実の記述があります。

ただしいずれも対象がdiamonds8888xさんの言われる無限集合です。未来永劫、日の出を観察することも、ハクチョウをチェックすることもできないのだから、反証で検証するしかないと考えるのでしょう。一方、新しい素粒子なら、それを探すのが宇宙線であれ粒子加速器の内部であれ、素粒子が見つかるまでの「有限」な対象なのだから、反証可能性は必要がなくなります。あるいは命題を裏返して、

〜モノポール(磁気単極子)が存在する〜

ではなく、

〜磁気はN極とS極のペアで存在する〜

という表現にすれば反証可能な仮説になる。同じことですね。


ただしドーキンスの「あらゆるまともな理論がそうであるように、進化も反証可能である」(Evolution, like all good theories, makes itself vulnerable to disproof)という主張には、まだ納得ができません。

この寄稿の中でドーキンスは進化とIDを対比させ、前者のみが反証可能な(つまりまともな)理論だと主張しますが、前に述べたように進化とIDを対比させるのがそもそも誤り(ドーキンスが意図的にやったなら欺瞞)なのです。IDは進化のメカニズムを述べる理論だから、その対立概念は、同じく進化のメカニズムを述べるダーウィニズムでなければなりません。でも、ダーウィニズムは反証が可能でしょうか?

ダーウィニズムとは、ある環境で棲息する生物群中に子孫を残して繁殖する能力に優劣があり、優位生物が劣位生物を淘汰することで進化が起こるというものでしょう。例として、煤煙で黒くなった町では黒い蛾が保護色という優位性を利用して繁殖することが挙げられます。では、この理論はどうすれば反証できるでしょうか?

たとえば黒くなった町で白い蛾が繁殖し黒い蛾が淘汰されたら反証になるのでしょうか?

そう単純なものではないでしょう。保護色は生存に有利な条件ですが絶対の条件ではありません。むしろ目立つ色の生物が多くいる事実は、目立たないのが有利とは言いきれないことを示します。たとえばある種のカエルは毒性の体液をもち、目立つ体色で捕食者に警告します。

また、目立つ目立たないとは別の理由で有利な体色が変わることもあります。紫外線量に影響される人間の肌がよい例でしょう。スキーで雪焼けするように、白い環境の中で肌が黒くなるという、保護色とは逆の現象も起こります。

こう考えると、ダーウィニズムへの反証としては、黒い環境で白い蛾が繁殖するだけでは不十分で、その環境に白い色を利する要素がないことを明らかにせねばなりません。「ない」ことを証明するのだから、これまた悪魔の証明です。

そうなると、ダーウィニズムもまた反証不可能ということになりませんか?

78diamonds8888x:2018/06/23(土) 05:13:43 ID:XYloaAbM
>>77
 まず、私が[>>71]でやった事実と理論との分類に従えば、「太陽は東から昇る」「すべてのハクチョウは白い」はいずれも事実ではなく理論です。練習問題として考えてみてください。これを事実と考えたなら、私の考えが十分には理解されていないことになりますので、必要なら御説明します。でもまずは練習問題として考えていただいた方が、遠回りでもきちんと理解していただけると思いますので。

 ヒントとしては「〜ならば〇〇」といった前提と結論の形に変える試みをしてみること、理論とは観測された事実を元に未観測の事実を予測することに使うものであること、を挙げます。


>一方、新しい素粒子なら、それを探すのが宇宙線であれ粒子加速器の内部であれ、素粒子が見つかるまでの「有限」な対象なのだから、反証可能性は必要がなくなります。

 素粒子の件は[>>76]で難しいからお待ちくださいと言いました。今回は「反証可能性は必要がない」という簡単なことではないとだけ言っておきます。


 後半の黒い蛾と白い蛾の問題ですが、これも証明や反証をしようとしている理論を明確に捉えていないようですよ。この事例で反証しようとしている理論を、まずきちんと書き出してみてください。話はそれからです。私が書き出して示すこともできますが、Kenさん御自身でまずやってみた方が、理解が深まるはずです。
 ひとつヒントですが、具体的に反証ないし証明しようとする場合には、それは複数の理論を合わせたものであることが多いのです。
 また検証なり反証なりをする場合、例えば実験で検証しようとすれば、実験条件の考慮も必要です。

 関連して念を押しますが、ダーウィンの進化理論が複数の理論から成る、ということは既に御存知ですよね?
 「ダーウィニズムもまた反証不可能ということになりませんか?」と書かれた時のダーウィニズムとは具体的にどんな理論であるかは、きちんと意識できていますか?

 【速すぎませんか?】ID理論のような進化理論を論ずるのは基準の議論が終わってからとおっしゃってましたよね? もうここで進化理論の事例に入ってもいいのですか?
 私の方は、進化理論も基準を論ずるための一事例として使うのは構いませんが、基準のことがはっきりしてから、それを進化理論に当てはめようというのがKenさんの心づもりだったと思っていましたが?

79ゲジゲジ:2018/06/23(土) 06:59:31 ID:g.ik6Tas
ヨコからですが、ヒントと言いますか感想と言いますか・・・
勿論、もともとKen様、Diamonds8888x様お2人の議論の場と承知してますので、お返事は不要です。

① 神様は存在する。
② 霊魂は存在する。
③ 光の媒質エーテルは存在する。
④ 磁気単極子モノポールは存在する。

上記命題のうち、一般に①と②は科学的仮説としてはNGだと考えられていますよね。
では①、②と③、④との違いは何なのでしょうか?
その辺りが議論の「キモ」になりそうに感じます。

Ken様は
 >>77
 >新しい素粒子なら、それを探すのが宇宙線であれ粒子加速器の内部であれ、
 >素粒子が見つかるまでの「有限」な対象なのだから、反証可能性は必要がなくなります。
と仰っていますが、その理屈だと神様でも霊魂でも、この広い宇宙のどこかには存在しているのかもしれない。それが見付かるまでの「有限」な対象、という事になってしまいますね。

で、そこを踏まえて
⑤ 生物の進化に介入した人知を超えた設計者「ID」は存在する(した)。
⑥ 生物の進化に介入した人間以外の知的生命「ID」は存在する(した)。
というのはどうでしょうかね? というのが最終的に議論の行き付く先なのでしょう。



それから
 >>77
 >ダーウィニズムとは、ある環境で棲息する生物群中に子孫を残して繁殖する能力に優劣があり、
 >優位生物が劣位生物を淘汰することで進化が起こるというものでしょう。
違いますよ〜〜、ダーウィニズムは×××ですよ〜、と突っ込もうと思ったのですが、
Diamonds8888x様の
 >>78
 >Kenさん御自身でまずやってみた方が、理解が深まるはずです。
を読んで、余計な事しなくて良かったな、と感じております。

 >ダーウィニズムへの反証としては、黒い環境で白い蛾が繁殖するだけでは不十分で、
 >その環境に白い色を利する要素がないことを明らかにせねばなりません。
黒い環境で白い蛾が繁殖するだけでは不十分なのはその通りですけれど、白い色を利する要素がないことを明らかにせねばならない、というのは全く見当違いですね。敢えてこれ以上は突っ込みませんが。

80Ken:2018/06/25(月) 23:22:00 ID:kxVV28RY
まず、進化論の話をしたことについて。

たしかに、あまりしないように心がけてはいますが、疑似科学の実体を明らかにする段階で本当に避けようとしてるのはID論なのです。たとえば2つの仮説AとBがあり、ある事象がAでは説明できないからBが正しいという論法の正当性を示すために「ID論がそうしている」といっても、diamonds8888xさんには納得していただけないでしょう。ですから今はdiamonds8888xさんが正しい科学と認識されているのが確実な理論だけを例に挙げており、ダーウィニズムはその1例です。

素粒子については、「磁気は双極子である」という仮説が∀xP(x)なら「モノポールが存在する」は∃x¬P(x)だから、前者は反証可能であり、よって後者の反証可能性は問題にならないのではと考えました。私の理解不足かもしれませんので、今後のご意見をお待ちします。


さて、ダーウィンの進化論は複数の理論から成ることを私が理解しているかというお尋ねですが、「複数の理論」ではいろいろな解釈が可能で、答え方を迷います。

地球には多様な生物が存在します。ヒト、イヌ、トカゲ、キノコ、トウモロコシ、ゾウリムシ・・・・各生物がどういう進化を辿ってきたかで1つ1つ理論を組み立てれば、複数どころか無数の理論があることになります。

もしくは進化の特徴をいくつかのカテゴリーに区分したのが「複数の理論」なのでしょうか?

たとえば、生物個体が長く生存することで多くの子孫を作るようになる進化があります。黒い環境で黒い蛾が増えるのはこれですね。

また、限られた時間に作る子孫の数を増やす進化もあります。植物が花に蓄えた蜜で受粉を助ける昆虫を引き寄せたり、動物が異性の視覚や嗅覚に訴えてパートナーを獲得するのが例です。

生物を子孫という製品を作る工場になぞらえれば、前者は操業時間を増やすこと、後者は生産効率を上げることに相当します。

作った製品を保全することも1つです。脊椎動物では鳥類と哺乳類の親が子を保護して育てますが、そういう本能を獲得するという進化が起こったのでしょう。

「複数の理論から成る」とはこのようなことを意味するのでしょうか?
ちなみに、反証ができるのかと私が問いかけたのは、このような理論のことです。

それとも「複数の理論」とは、自然選択の前提となる事実でしょうか?

*生物の形質は親から子に遺伝する
*遺伝は100%確実ではなく時として変化を生じる
*環境が許容できる生物の量は有限で、生物間の競争と結果としての優勝劣敗が起こる

もしくは、このどれでもない、別の切り口を意味するのですか?

81ゲジゲジ:2018/06/26(火) 19:32:53 ID:AObOWKyw
度々ヨコからすみませんが…

 >「複数の理論から成る」とはこのようなことを意味するのでしょうか?
 >ちなみに、反証ができるのかと私が問いかけたのは、このような理論のことです。
Ken様が挙げている例は、「理論」ではなくて「事実」とその「事実に対する解釈」ではないですか?


 >それとも「複数の理論」とは、自然選択の前提となる事実でしょうか?
 > *生物の形質は親から子に遺伝する
 > *遺伝は100%確実ではなく時として変化を生じる
 > *環境が(略)生物間の競争と結果としての優勝劣敗が起こる
こちらが「事実」ではなく「理論」です。
勿論、diamonds8888x様が仰る「複数の理論」とはこちらの事です。
Ken様が挙げられている3つだけではないですし、上記の3つも表記として不正確な点はありますが。


diamonds8888x様のコメントに
 >>55
 >理論の例は、落体の法則、万有引力の法則、子は親に似る法則など、
 >多数の似たような事実に共通なことを述べたものです。
 >これにより、未知の事実の予測や推測ができるのが理論です。
とありますよね。

ここの認識がずれていると、この先の議論がかみ合わなくなると思いますよ。

82diamonds8888x:2018/06/27(水) 05:04:38 ID:XYloaAbM
>>80
>ですから今はdiamonds8888xさんが正しい科学と認識されているのが確実な理論だけを例に挙げており、ダーウィニズムはその1例です。

 論理の筋道がよくわかりませんが、

・誰がどう考えようが、進化に関する対立仮説として評価しようとしている理論は平等に扱うのがよいのではありませんか?
・ID論もダーウィニズムも同じテーマに関するものであり、基準に当てはまるかどうかを考えるときの難しさは同じようなものだと考えるのが妥当でしょう。今は基準そのものを議論している段階ですから、もっと簡単な事例を使う方が確実だと思います。(太陽の例やハクチョウの例とか)。
・ダーウィニズムを否定することでID論の妥当性の根拠になる、という論法を使うならば、ダーウィニズムを議論することはID論を議論することになっているはずで、「事例としてID論を使わない」ことになるかどうかは微妙ですよ。


 複数の理論については私のブログの記事([ttps://blog.goo.ne.jp/diamonds8888x/e/f8ccdf734deea38fc70dd3f026acf0c3]から4連載)を御参照ください。この記事だけでも要点はわかると思いますが、出典も示していますので、詳しくはそちらもどうぞ。


 ゲジゲジさんのコメント[>>81]も的確ですが、こちらはむしろ、太陽の例やハクチョウの例が理論であるという話、理論と事実との区別の話のために参考になると思います。

83Ken:2018/06/27(水) 22:54:33 ID:kxVV28RY
これまで科学と疑似科学の判定基準が示されたとき、私からの反問は同じ基準があらゆる仮説に等しく適用されるのかというものでした。

ID論は干渉者の正体を特定できない ⇒ 光波動説も媒質を特定できなかった
仮説は観測で検証されねばならない ⇒ ブラックホールの内部は観測できるのか
仮説は反証可能でなければならない ⇒ 素粒子の存在はどうやって反証するのか

ここでもし例に挙げた仮説(光波動説、ブラックホール内部の考察、素粒子の実在)も疑似科学であると回答されたら問題は決着しますが、これまでのところdiamonds8888xさんからそのような回答はきておりません。

それではもし、たとえばdiamonds8888xさんが挙げられた「基準02」に対して、

理論Aと対立する理論Bを否定しても理論Aの検証にはあまりならない ⇒ ID論はまさしくその論法で「検証」とする

と反問したらどうなるでしょうか? 現状ではdiamonds8888xさんからの回答は「だからIDは疑似科学」になるのではありませんか? ドーキンスの論点もそこにありますし、7年前の議論で数名の方が強く主張されたことでもあります。

今の段階で基準への反問にIDを出さない理由は反問にならないからです。一方でダーウィニズムを例に挙げたのは、ダーウィニズムが疑似科学という回答は来ないだろうと予測したからです。

もっともこの件は目下の重要課題とは思いません。ID論にせよ進化論にせよ、できれば例に出したくないとは思いますが、どうしても必要なら出すことでしょう。


「複数の理論」についての記事を読ませていただきました。反証が可能なのかと問いかけたのは5の自然選択説です。どのような事象が観測されたら自然選択は否定されるのでしょうか?

84diamonds8888x:2018/06/28(木) 05:51:49 ID:XYloaAbM
>>83 【今は基準の話でしょう?】

 今挙げられた、ID論(進化理論)、光波動説、ブラックホールの内部観測、素粒子の存在、への基準の適用は難しいですよ? まあ光波動説あたりは幾分やさしいかな? どうだろ?

 例えば後半2件は、理論の検証ですか? それとも事実の検証ですか? そこから足場を固めねばなりません。

 そして今までのコメントを読む限り、Kenさんは「反証可能性」についてさえ具体的にどう当てはめるのかという理解が不十分です。十分ご存知と思いますが、専門用語というものは、語感だけから日常用語の延長で理解しようとしても誤解することも多いのです。まずは、私の提示した基準を簡単な例に当てはめるとどうなるかという点を理解してから、次に進んでください。法律を理解する前に、何かをしようとしたら、間違えて違反するかも知れないでしょう?

 それが心配で、まずは基準を決めろという話だったんですよね?
 それに【早くも基準02の話ですか】? いや、同時に考えた方が理解しやすいということであれば、それでいいのですが?


 そもそもまずは、理論と事実との識別が大切です。

 この件では書き忘れたことがあります。理論は事実の観測により検証するものですので、同じ命題が他の命題との関係により、事実と見なされることもあれば理論と見なされることもあり得ます。つまり、ある命題が事実(正確には事実の記述)であるか理論であるかは、文脈に依存する相対的なことだと言えます。
 なので、[>>78]で「いずれも事実ではなく理論です」と断言してしまったのは少し拙かったですね。ただ、「どうみても理論ではなく事実の記述」というのは、かなり拙かったもので。


>反証が可能なのかと問いかけたのは5の自然選択説です。どのような事象が観測されたら自然選択は否定されるのでしょうか?

 了解しました。では進化理論に関する話は、基準の話が終わってからということで。
 一応、ミケさんが「トンデモネタに対する突っ込み用情報ソース備忘録」に例示してますから参考にされてもいいですけど、今議論中の基準に当てはめて考えようとすると、なかなか難しいかも知れません。

85diamonds8888x:2018/06/29(金) 05:09:57 ID:2JWglbMs
>>84
 「事実」という言葉は、確認された事実、検証済の事実といった意味を含んで使われることが多いです。しかし、「未来の事実を推測する」「歴史的事実を調べる」などの使い方では、確認されたとか検証済とかいう意味は含まれていません。

 このスレッドの議論では「事実を検証する」「理論の検証のために事実を確認する」といった行為を扱いますから、「事実」という言葉は検証済みとか確認済みとかいう意味は含まない、広い意味で使います。

 まあ文章の行きがかり上で、単に正しいことという意味で事実という言葉を使うこともあるかも知れませんが、誤解のないように、誤解させないように、注意したいと思います。

86Ken:2018/06/30(土) 00:04:06 ID:kxVV28RY
はじめに、>>83の投稿は、自然選択の反証について質問した最後の1文を除き、すべて>>78

>ID理論のような進化理論を論ずるのは基準の議論が終わってからとおっしゃってましたよね? もうここで進化理論の事例に入ってもいいのですか?

と尋ねられたことへの返答で、議論の本筋から外れたものです。基準02に言及したのも基準02を論じるためではなく、今の段階でID論を例に出さない理由を説明するのに利用

しました。余計なことを言って混乱を生じたと反省しています。

あらためて、

*現在の論点は基準01(反証可能性)です。
*IDを例に出すことは私からはありません。
*教科書に載っているような進化論は必要があれば例に出すかもしれません。


>専門用語というものは、語感だけから日常用語の延長で理解しようとしても誤解することも多いのです。

なるほど、物理学で「仕事」や「エネルギー」というと、日常語の意味とはかけ離れたものになりますね。それと同様の事情であると理解します。


さて、>>72

>天文学ならば、星の運行の記録が「観察事実」の記録であり、そこから見出される規則性が「理論」です

と述べられたのはおもに16世紀から17世紀の歴史を語ったものですね。

ティコ・ブラーエは生涯を天体観測にささげ、とくに惑星(当時は太陽と月もplanetと呼ばれました)の位置を詳細に記録しました。彼が世に残したのは「事実」です。

ケプラーはブラーエの記録を受け取り、それを解釈することで惑星運動の法則を発見しました。

1.惑星は太陽を焦点に楕円軌道を描く
2.惑星の面積速度は一定
3.公転周期の2乗と公転半径の3乗の比は全惑星で同じ

これは「理論」であり反証可能です。この法則から1年後の木星の位置を予測すれば、理論を用いて事実を予測するわけで、予測が外れたら反証になるわけですね。

さらにニュートンは、ケプラーの法則は、天体だけではなく万物の動きを支配するより根源的な法則から導かれることを発見しました。それが運動の3法則、

1.外力が働かない物体は等速直線運動を続ける
2.質量と加速度の積が力
3.作用には等価で逆方向の反作用が伴う

そして万有引力の法則

4.2つの物体間には、質量の積に比例し距離の2乗に反比例する引力が働く

です。

これも「理論」であり、もしも同じ質量に2倍の力を加えて加速度が3倍になったら第2法則は反証されます。また(かつての私もそうでしたが)機械の設計者はニュートン力学のような理論を用いて、自分が設計する機械がどのように動くかという事実を予測します。


「事実」と「理論」について、ここまでの理解に間違いはありませんか?

87Ken:2018/06/30(土) 00:37:23 ID:kxVV28RY
正直なところ、ここの掲示板を見るまで、自分が反証可能性のことを知らなかったことに首をかしげております。

私は、四半世紀も昔とはいえ、機械工学科を卒業してエンジニアとしてメーカーに就職し、当初の数年は機械設計を、その後は情報部門で働いてきました。

また、歴史が趣味で、いろいろな科学理論がどういう経過をたどって構築されてきたか、とりわけ、

天動説と地動説
光粒子説(ニュートン)と光波動説(ホイヘンス)
膨張宇宙論(ガモフ)と定常宇宙論(ホイル)
不確定性原理の肯定(ボーア)と否定(アインシュタイン)

のような論争の話は関心をもって読みました。

それぞれの理論構築や論争が行われる中で、当然ながら反証可能性は議論されたはずですが、なぜかそれについて読んだ記憶がありません。

私が読んだ本の著者(アジモフもその1人ですが)が、偶然言及しなかっただけかもしれませんが。

88ミケ:2018/06/30(土) 10:15:39 ID:hmI6xcyU
>>87
なぜか読んだ記憶がない……だからどうしたというのでしょうか?
まあ逆に言えば、それを知らなかったからこそID論に騙されちゃったのでしょうね。

こういう、どうでもよさそうな感想はdiamonds8888xさんも返答に困るでしょうし、
>>27もそうですが、不誠実な印象操作のようにも思えてしまいます(>>28参照)。
(まあここを見ている人はそういうものに騙されることは少ないでしょうけど、見ていて気持ちの良いものではありません)
議論そのものに集中したほうが良いのでは?

今回は議論と関係なさそうな「どうでもよさそうな感想」だったのであえて横から書きました。

89diamonds8888x:2018/06/30(土) 15:28:41 ID:2JWglbMs
>>86
 力学についての事実と理論については、おっしゃる通りです。間違いありません。ついでに、「事実であるか理論であるかは相対的」[>>84]と書いた点について少し述べます。

 ケプラーの法則は天球上の惑星の運行という事実を説明するために考えられた理論です。この理論では次のような予測が可能です。

 火星は過去の運行(という事実)の記録によれば太陽をひとつの焦点とする楕円軌道上を動いてきた。ゆえに将来も同様な楕円軌道上を動く。これにより将来の火星の位置が予測できる。
 水星・金星・地球・火星・木星・土星はすべて太陽をひとつの焦点とする楕円軌道上を動いている。ゆえに、未発見の惑星があったとしたら、その惑星も太陽をひとつの焦点とする楕円軌道上を動いているだろう。

 実際には2番目の予測がなされたことはなかったのでしょうけれど。

 さて、ケプラーの法則を事実と考え、それを説明するために考えられた理論が万有引力の法則です。この理論のおもしろいところ、すごいところは、惑星の運動のみならず、地上の物体の落下運動をも説明していることです。あらゆる物体は質量に比例する引力を他の物体に及ぼすという単純な仮定を持ち込むだけで、まさに万物の運動を予測する理論ができたのです。

 そのためニュートンの法則は、当時知られていた5惑星のみならず、未だ知られていなかった惑星の運動が楕円軌道であること、さらに彗星のように放物線軌道や双曲線軌道もあり得ることをも予測できましたし、多数の天体が接近したときの複雑な運動さえも予測可能となりました。そして現在もその予測を的中させ続けているわけです。ケプラーの法則では放物線軌道は予測できませんよね。


> *教科書に載っているような進化論は必要があれば例に出すかもしれません。

 その意図は、教科書に載っているような進化論(現代の総合進化説ですよね)は内容が明確なので考えやすい、ということでしょうか? でも私はお薦めしません。

 例えば、その理論の反証可能性を考えるというような、理論の科学哲学的評価の難しさは、理論そのものよりも扱う対象の性質で決まると私は考えています。例えば、進化を扱うことと上記のような天体運動や力学を扱うこととは異なる点があり、そのために評価の難しさはダーウィン理論でもID論でも、はたまたラマルク理論でも今西理論でも似たようなものがあると思います。

90diamonds8888x:2018/06/30(土) 15:29:55 ID:2JWglbMs
>>89
 ところで[>>70]で基準01(反証可能性)と書かれていますが、基準01は「反証可能性のない理論は科学的ではない」というものではありませんよ。それは認識されていますよね?
 [>>56]では(「反証可能性のない理論は」だと範囲が曖昧でしょうから)とことわっておきましたし。

 そもそも反証可能性だけで科学的ではないと断定できる場合はあまり多くなくて、反証可能性の判定が難しいとか、反証されてもハードコアを守って変身してしまうとか、色々と批判もあるのです。ポパー自身が自然選択説は反証不可能と考えて後に撤回したこともあるくらいで。
  Ref) 伊勢田哲治『カール・ポパーの生い立ちと哲学』[ttp://ocw.nagoya-u.jp/files/45/sp_note03.pdf]
   「彼はダーウィニズムはほとんどトートロジー的であると考え、そのため経験的にテスト可能ではないと考えたからである」(出典あり)

 ただ「反証可能なように理論を明確にする」ことは必要だし、そのために反証可能性について知ることは大切なので、基準01そのものではなくとも関連する話題として、今は反証可能性の議論を続けています。

91diamonds8888x:2018/06/30(土) 15:41:03 ID:2JWglbMs
>>87【雑感です】
> それぞれの理論構築や論争が行われる中で、当然ながら反証可能性は議論されたはずですが、なぜかそれについて読んだ記憶がありません。

 普通の数学書で、わざわざ数学基礎論に触れることはほとんどありませんから、それと同じことでしょうね。ともあれ、今回、反証可能性について知ることができることは慶賀のいたりです。

 そもそも科学的思考の訓練を受けて、それを現場で使い続けている人々には「反証可能性は〜」とか大上段に振りかぶる必要などありません。素直に科学的に正しいと思う思考をすればいいだけなのです。昔、中国や日本の数学者達がギリシャ由来の論証数学に接したときに、「そんな当たり前のことをなんでわざわざ証明なんかするのか?」という反応だったそうですが、似たようなものかも知れません。まあ、当たり前すぎるからこそ、改めて「なぜそれが科学的と言えるのか?」と正面から問われると非常に答えが難しくなるのですが。

 別の見方をすれば、アリは教えられなくても正しく仲間の付けた道をたどりエサにたどり着きます。でも「どうしてそれが正しいのか?」と問われてもうまくは答えられないでしょう。でも、アリにはそれが正しい方法だとわかります。人はアリがどのようにそうしているかがわからないので、色々と観察してその方法を明確にしようとするわけです。科学哲学者は、科学者というアリを観察して、その行動の理由を理論化しようとする「人」であるという比喩が成り立つと思います。

 アリが正しい行動をとるのに、人の理論に頼る必要は必ずしもありません。優秀なアリほど、実戦の場では科学哲学なんか要らないんですよ。むしろ、優秀なアリの行動を観察して科学哲学が学び、そして理論を立てるのです。

 もちろん科学哲学者の場合は、自分でも何が科学的に正しい方法であるかはわかっているはずですけどね。


 そして人間の場合はアリとは異なり、科学的ならざる思考に陥ることもあります。そこから抜け出す時に科学哲学的理論付けが役立つこともあります。逆に、なまじ科学哲学的思考に中途半端に触れたために横道にそれちゃう恐れもあるのですけど(^_^)


【御注意】ミケさんも心配されてましたが[>>88]、あまり雑談に気を取られると本論に集中できない恐れはありますから御注意を。私もこういう雑談はきらいじゃないので、ついつい熱が入って横道にどんどん逸れるかも知れませんからね(苦笑)
  気の性かも知れませんが、ちょっとしたきっかけ(なのかどうか)で生じた著者に対する好き嫌いの感情が、その著者の唱える主張の妥当性の判断に強すぎる影響を与えるということが、Kenさんの場合はあるような気がするのですが? 誰しもそういう傾向はありがちでしょうけど、気を付けるに越したことはありません。

92Ken:2018/07/01(日) 17:26:19 ID:kxVV28RY
diamonds8888xさん

やはり、まだ分かりません。

結局、仮説が、疑似科学ではない、まともな理論であるためには、反証可能であることが必要なのか、そうではないのか?

ドーキンスの文章を見る限り必要であるという主張に思われます。

Evolution, like all good theories, makes itself vulnerable to disproof

しかしdiamonds8888xさんはそうではないと言っておられるようです。

>基準01は「反証可能性のない理論は科学的ではない」というものではありませんよ

一方で、

>「反証可能なように理論を明確にする」ことは必要

この1節は、結局、反証可能であることが必要ということではないでしょうか?
「理論を明確にする」ことは必要であり、理論が明確であることの判定基準が反証可能性であると、私には読めます。それなら反証可能性は必要なはずです。

意図されるところが伝わらなくてもどかしい思いをされるかもしれませんが、今の私の理解力を総動員した結果が現状です。申し訳ありません。

93diamonds8888x:2018/07/02(月) 06:11:22 ID:2JWglbMs
>>92
 ちょっと混乱させましたか。すみません。

 「反証可能性のない理論は科学的ではない」というのは正しいのです。しかし、これだけでは範囲が曖昧なのでKenさんが望む基準の趣旨には合わないと考えて、今回決めてみる基準としては採用しなかった、ということです。

 もしも「反証可能性のない理論は科学的ではない」をそのまま基準として使えばいいというならば、「科学的ではない論法は使わない」でもよいではありませんか。

94Ken:2018/07/03(火) 21:40:51 ID:kxVV28RY
>今回決めてみる基準としては採用しなかった

ということは、今後の議論の中で、ある仮説が反証可能であることを示せなくても、そのこと自体は疑似科学(正しくない科学)と判定する理由にはならない、すくなくともdiamonds8888xさんはそのようには判定されないということでしょうか?

もしかしたら、リチャード・ドーキンスとdiamonds8888xさんでは、科学・疑似科学の判定基準が異なるのでしょうか?

ドーキンスの文章をどう読んでも、反証できないことを疑似科学の十分条件と考えています。要するに、根拠のある仮説ならその根拠を否定する事実が観測されたら反証できるのだから、反証できない仮説イコール根拠のない仮説というわけです。

この結論でよろしければ、基準02の話に移らせていただきたいと思います。

95diamonds8888x:2018/07/04(水) 06:25:31 ID:2JWglbMs
>>94
 既に何度も書きましたが、私は「疑似科学」という言葉は使う気はありません。少なくともKenさんとの議論では。もちろん個々の命題が科学的方法から見ると間違い、という判定を下すことはありますが、それは個々の命題により様々な理由があるでしょうし、予測しきれるものではありません。
 その際にいわゆる「反証可能性がない」という判定ができれば、当然に「まずは反証可能性がある形にしましょう」と提案します。問題は、その命題が反証可能か否か、の判定が難しいものもあるかも知れないことですね。だから、もうちょっとブレイクダウンした基準がいいかな、と思った次第です。

 ていうかKenさんだって、ある理論があれば「それは検証されなければならない」とは考えるでしょう? であれば「検証できない形の理論」では困りますよね? 反証可能性というのは結局のところ、対偶の検証可能性ということですからね。

 でもまあ、「こういう理由で反証不可能だから、こうすれば反証可能になりますよ」という提案はなるべくしますよ。反対だけで対案を示さない、とか批判されてる方々もいますしねえ。

>もしかしたら、リチャード・ドーキンスとdiamonds8888xさんでは、科学・疑似科学の判定基準が異なるのでしょうか?

 さあ、訊いてみたことはないので知りません。でも、具体的にある命題を持ってきて科学的か否かの判定をしたら、私とドーキンス氏とはほとんど見解が一致するのではないかと・・・、うーん、それはやっぱりわからんかなあ。

>この結論でよろしければ、基準02の話に移らせていただきたいと思います。

 個人的には基準02の方が基準01よりも理解がやさしいと思いますので、先にやるのは構いません。

 しかし基準01の理解はまだ済んでいないのではありませんか? 「へそ理論(オムファロス)や世界五分前仮説」が非科学的な理論であるということは納得されているのですか? 他の異なる理論をみて、それが「へそ理論(オムファロス)や世界五分前仮説のような」理論だと判定できる自信はおありですか?


 それと基準02の話をする場合でも、私の定義した「理論と事実の違い」については十分に御理解いただかないと、話がすすまないと思います。いままでのコメントを読む限り、まだ十分に御理解いただいているとは思えません。

96diamonds8888x:2018/07/04(水) 07:04:12 ID:2JWglbMs
>>95
【「理論と事実の違い」について】
 例えば[>>78]の練習問題は挑戦してみましたか?

97diamonds8888x:2018/07/05(木) 06:26:10 ID:P3QJtzNA
【反証可能性理論はなぜ受け入れられるのか-1-】
>>95
>反証可能性というのは結局のところ、対偶の検証可能性ということですからね。

 ちょっと変でしたね。言いたかったのは、「科学的な理論は検証できなくてはならない」と認めるならば、「科学的な理論は反証できなくてはならない」ことも認めなくてはならない、ということです。

 そもそもKenさんには、「ドーキンスが反証可能性を科学的であることの基準にしているのはおかしいのではないか?」という疑問があるんですよね? 違いますか?
 では私の基準01からは拡張されてはいますが、つまりある意味では横道にそれはしますが、「反証不可能な理論は科学的ではない」ということが、なぜ多くの人に支持されているのかを少し丁寧に述べてみましょう。


 まず理論というものは未来の事実を予測したり過去の事実を説明したりするものですが、これは観測された事実に基づいて検証されなくては正しいとはみなされません。これを「理論をテストする」とも言いますね。どうすればテストできるか、どうすれば検証できるかという具体的方法を、科学者は常に考えて、それを実行しようとします。

 理論をテストするということは、その結果が理論の肯定になるか否定になるかはテストが終わるまではわからないということです。肯定的結果なら検証されたことになりますし、否定的結果なら反証されたことになります。すなわちテスト可能ということは、検証可能ということでもあり、反証可能でもあるということです。【ここでは具体的な一つのテストの話であることに注意。得られるのは有限回のテスト結果。】

 例えば新理論が提案されたときには、テスト方法がはっきりわからないか、わかってはいても技術的に実行が難しいこともあります。だからといって、「その理論は間違いだ」とか「その理論は非科学的だ」と主張するのは科学的な議論とは言えません。しかし、「テスト方法を提案しろ」と主張するは正当な議論です。もう少し穏やかに表現すれば、「一緒にテスト方法を考えてみませんか?」といったところでしょうか。これは最初から議論を拒否するということではなく、議論に入った中で普通に行われていることです。

 例えばこれまでも、進化理論の議論を進める中で、自然選択仮説のテスト結果についてKenさんから疑問が出て他の人達が答えたということは何回もありましたよね?


 しかし中には、どう見ても、つまりどのように修正したとしても、テスト方法がないだろうとわかる理論もあります。その例が、私が基準01で挙げた「世界5分前仮説」などです。


 さて一例として万有引力の法則を例に挙げて説明を進めます。「万有引力のテスト」とだけ言っても具体的ではありません。具体的には様々なテストが考えられます。  【続く】

98diamonds8888x:2018/07/07(土) 09:14:29 ID:P3QJtzNA
【反証可能性理論はなぜ受け入れられるのか-2-】
>>97 万有引力の法則は質量を持つすべての物体というとても広い範囲を対象とするので、多様なタイプの予測ができて、それに応じて多くの異なるタイプのテストが考えられます。例えば次のようなものです。むろん以下の予測には万有引力の法則のみならずニュートンの運動の3法則をも使いますから、これも合わせてテストしていることになります。

 ・未来の惑星の位置を予測して、確認する。
 ・過去の惑星の位置を推定して、確認する。
   (例えば未発見の天体観測資料が見つかって検証される、など)
 ・未発見の惑星の位置を予測して、見つける。(海王星の発見とか)
 ・ロケットや人工衛星の軌道を予測して、確認する。
 ・砲弾やミサイルの軌道を予測して、確認する。(空気抵抗等による修正は必要だが)
 ・地球の大きさと地上の物体に働く力とから地球質量を求めて・・・さて確認はどうする?(^_^)
 ・大きな山のトンネル内では物体が少し軽くなると予測して、確認する。
 ・重力探査から地下に岩石とは異なる密度の鉱物の存在を予測して、確認する。
 ・2つの金属塊の間に働く力を予測して、実際に測定し確認する。
  (キーワードは、近距離重力実験、万有引力実験器、など)
 ・えとせとら、エトセトラ、etc.

 いやー、ニュートンは偉大だ! ケプラーの法則では惑星の軌道しか予測できませんからねえ!!

 ポパーは反証されていない仮説が複数あるときの仮説の優劣判定の基準として「内容の豊かさ」を挙げています[内井惣七,3.6節]。上記の例ではニュートンの法則(万有引力+運動の法則)はケプラーの法則よりも内容が豊かなのです。


 上記のテストの中でも最も「直接的な」検証と見なせる「2つの金属塊の間に働く力の測定実験」を考えます。具体的な1回のテストは、ある日ある時ある場所での、ある質量の組み合わせの2つの金属塊をある距離に置いたときに2個の間に働く力の測定で、それがニュートンの法則に一致するかどうかが検証または反証されます。で、今のところは確実な反証結果は得られていないようですが、だからといって未来永劫、すべてのテストで反証されないかと言えば、それは厳密には保証できないことです。つまり、万有引力の法則が未来永劫すべての場合に成り立つことは、検証は不可能です。人類にできることは、そして実際にやっていることは、何回も何回も、反証されなかったことを確認することだけです。完全な検証というは無理なんだから、反証されないことを確認しつづけることで我慢しようよ、というのがポパーの反証可能性理論なのです。

 以上の例ではニュートンの法則(万有引力+運動の法則)もケプラーの法則も反証可能ですが、前者の方が反証実験ないし反証観測の範囲が広いと言えるでしょう。それがつまり、内容が豊かだということの証です。
 ニュートンの時代では技術的に可能な反証は天体運動観測と落体や投射体の運動くらいだったでしょうが、近距離重力実験も原理的には考えられる実験だったはずです。原理的に反証可能ならば(検証実験が考えられるならば)技術的には困難でも反証可能性がないことにはなりません。ただ「実験可能になるまでは判断保留」という扱いは受けるでしょうね。


 これ以上は、どう言葉をつくしても同じことの異なる表現による繰り返しになりそうですので、ひとまず納めておきましょう。

 なお、天動説と地動説との反証可能性というテーマについては長くなるでしょうから機会があれば別途また。

99Ken:2018/07/07(土) 11:21:44 ID:kxVV28RY
投稿を読ませていただいてます。

私自身は、diamonds8888xさんの言われる基準01や理論と事実の違いは理解できているつもりでいますが、現在進行中の説明が終わるのを待ってから確認したいと思います。

また、この「検証/反証可能性」に関しては、ブラックホール内部と素粒子の存在という2つの課題が保留になっています。

素粒子については、一旦私の方から、反証可能性は問題にならないだろうと提唱しましたが、diamonds8888xさんから待つようにという指示をいただいています。

ブラックホールについては、検証のやりようがない点で、世界5分前仮説と本質が同じではないかと思いますが、これもdiamonds8888xさんの最終解答をお待ちします。


>地球の大きさと地上の物体に働く力とから地球質量を求めて・・・さて確認はどうする?(^_^)

「地球を測定した」と称されるキャベンディッシュの実験は二百年以上を経た今でも、よくもそんな実験が成功したものだと、奇跡のように私には思われるのですが。

100diamonds8888x:2018/07/07(土) 22:03:38 ID:P3QJtzNA
>>99
>理論と事実の違いは理解できているつもりでいますが、現在進行中の説明が終わるのを待ってから確認したいと思います。

 いえ、この点だけは説明終了など待たずに早めに理解していることを示してください。基本的なところですから。

101diamonds8888x:2018/07/07(土) 22:12:48 ID:P3QJtzNA
>>100
>ブラックホールについては、検証のやりようがない点で、世界5分前仮説と本質が同じではないかと思いますが

 事実と理論の違いを御理解いだたいてから話すつもりでしたが、引き延ばしになっても拙いでしょうし、ヒントを書いておきます。
 世界5分前仮説は、現在の世界がこのようになっている理由を説明する理論です。
 ブラックホールについては、その内部が実際にどのようになっているかという事実を検証しようという話です。

102Ken:2018/07/08(日) 10:51:02 ID:kxVV28RY
それでは、

>世界5分前仮説は、現在の世界がこのようになっている理由を説明する理論です。
>ブラックホールについては、その内部が実際にどのようになっているかという事実を検証しようという話です。

???どちらも理論と事実の両方の側面があるのではないですか?

「世界5分前仮説」
〜この世界が5分前に、あたかもそれ以前から存在していたかのように装って作られた〜というのが理論
〜世界は10分前には存在しなかった〜というのが事実

「ブラックホール」
〜ブラックホール内部でも外部と同じ法則(とりわけ一般相対論)が働く〜というのが理論
〜ブラックホールの中心には特異点があり、時間が止まり、密度は無限大になる〜というのが事実

103diamonds8888x:2018/07/10(火) 05:32:47 ID:P3QJtzNA
>>102
 示された理論と事実とは、おなじことの2つの側面ではなくて、それぞれ2つの別のものです。では、各テーマにおいて、その理論と事実との関係はどうなっているでしょうか?

 そして各テーマでは、どちらからどちらを検証しようとしていますか?

 「世界5分前仮説」では、もうひとつの事実が役者として登場しますね。影の役者? いやー、いつもいるでしょう[>>101]。て、それは「ブラックホール」も同じか(^_^)。もうひとつの事実たち、かな。

104diamonds8888x:2018/07/10(火) 05:38:01 ID:P3QJtzNA
>>103
ちょっと訂正。いや、大きな訂正かも。

>どちらからどちらを検証しようと
 ===> どちらからどちらを検証しようと、それとも予測しようと

105Ken:2018/07/10(火) 23:45:37 ID:kxVV28RY
質問の意味を正しく理解できたか分かりませんが、

「世界5分前仮説」では、

世界が5分前に作られたという理論から、10分前には世界は存在しなかったという事実を予測する

「ブラックホール仮説」では、

重力が時間を遅らせるという理論から、ブラックホール中心では時間が止まるという事実を予測する

ということではないですか?

ただし、どちらの事実も検証するすべはありませんが。

>もうひとつの事実が役者として登場

?????????

106diamonds8888x:2018/07/13(金) 06:02:55 ID:P3QJtzNA
 [>>105]で示された解答はどちらも正解です。ではもう一歩進んで私の考え方を、「世界5分前仮説」の例で説明します。

  事実A:現在の世界(0分時の世界)の観測事実
  理論:世界は5分前に作られた
  事実B:10分前には世界は存在しなかった

 ここで、事実A =(仮定)=> 理論 =(予測)=> 事実B
 さらに、理論 =(予測)=> 事実A

 すなわち、観測された事実Aに基づいて、言い換えると観測された事実Aを説明できるような理論を作り、その理論により、まだ観測されていない事実Bを予測します。そして実際に事実Bが観測できて正しいとわかれば、その限りにおいて理論が検証されたことになります。

 むろんこの例の場合は、事実Aを説明できる理論は「世界5分前仮説」の他にもいくつも考えられます。他の多くの理論では、「世界5分前仮説」とは対立する次のような仮定をおいています。

  過去理論a1)世界はかなり昔から存在し時間に沿って連続的に変化して来た。
     少なくとも個人の(特に私の)記憶にある昔以降は。
  過去理論a2)世界はかなり昔から存在し時間に沿って連続的に変化して来た。
     少なくとも人が残した記録にある昔以降は。
  過去理論a3)世界はかなり昔から存在し時間に沿って連続的に変化して来た。
     因果律を逆にたどって推測できるかぎりの昔以降は。


 さてここで、事実B「10分前には世界は存在しなかった」は原理的に観測不可能です。まさにタイムマシンでもない限りは。もちろん完全に対立する事実である事実¬B「10分前に世界は存在した」も同様です。したがって、「世界5分前仮説」と、それとは対立する他の仮説とのどちらが正しいのかということは、原理的に永久に検証不可能です。

 では、原理的に検証不可能な過去の事実というものを語ったり考えたり検証したりすることは、科学的には意味のないことなのでしょうか? Kenさんはどう考えられますか?

107diamonds8888x:2018/07/13(金) 06:05:22 ID:P3QJtzNA
>>105 これは蛇足ですので返信は必要ありません。

 ちょっと注意しておくと「ブラックホール中心では時間が止まる」という予測はされていないはずです。外部解においては、「外部の観測者の視点では、事象の地平線に近ずくにしたがってブラックホールに落ち込む質点の時間が、徐々に進み方が遅くなる」という予測はよく知られています。厳密には止まった状態へ漸近する、ということですが、この状態を普通に「事象の地平線では時間が止まる」と言いますから、Kenさんの「止まる」という言い方も、外部解に適用したときの普通の表現として問題はありません。

 内部解については私もまだ正確には把握していませんので、ブラックホール問題を語るときにはちょっと抽象的な表現になるかも知れませんが御容赦願います。

 時間は観測者により異なるというのが相対性理論の結論ですので、どこの時間が誰にとって(誰から見たときに)止まるのかということを常に意識しないと言葉が独り歩きする恐れがあります。で、観測者自身から見た自分自身の時間(専門用語では固有時間)は止まることはありません。ブラックホールに飛び込んだ観測者自身の時間も、その観測者にとっては止まりません。では、その観測者から見たブラックホール内部や外部の世界はどう見えるのか、ということも内部解から予測できているはずなのですが、ここはまだ私も正確には理解していない段階です。

 ここでまた蛇足ですが、この観測者というのはむろん仮定的な存在で、大きさのない質点であり、どんな高重力のもとでもつぶれもしなければ観測を止めることもない不死身の存在です(^_^)

108diamonds8888x:2018/07/13(金) 06:07:54 ID:P3QJtzNA
>>106
 すみません。また誤植がありました。

(誤) さらに、理論 =(予測)=> 事実A

  ==>さらに、理論 =(説明)=> 事実A

109Ken:2018/07/13(金) 08:04:02 ID:kxVV28RY
とりあえず>>107について、(返信は不要とのことですが)

もちろんこれまで述べてきたのはすべて「外部解」の話です。だって内部に入った不死身の観測者にとっては、内部は観測可能なのですから。

「A:GPS衛星と比べて地上の時間の進みが遅れる」ことはすでに観測された事実
「B:重力が時間の進みを遅らせる」は理論

BがAを説明する

「C:事象の地平線に近づくと時間の進みが0に近づく」はBが予測する事実で観測(検証)可能

問題はこの次で、

「D:事象の地平線から向こうでは時間が止まる」はBが予測する事実で観測(検証)不能

と理解しておりましたが誤りでしたか?

110Ken:2018/07/13(金) 19:58:58 ID:kxVV28RY
ブラックホール内部で何が起こるか自体が本題ではなく、観測不可能な対象が考察され事実が予測されているかが問題ですね。

111diamonds8888x:2018/07/13(金) 20:21:03 ID:P3QJtzNA
>>109

> 「D:事象の地平線から向こうでは時間が止まる」はBが予測する事実で観測(検証)不能

> と理解しておりましたが誤りでしたか?

 ああ、なるほど。その理解は間違いです。外部解では「D:事象の地平線から向こうでは時間が止まる」という予測はされません。「事象の地平線から向こうは観測できない」というのが外部解での予測です。

 そして物理学者が考察しているとおっしゃるブラックホール内部の話というのは、もちろん内部解からの予測ですよ。

112Ken:2018/07/14(土) 14:12:32 ID:kxVV28RY
>>106

さて、議論の本題はこちらだと思われますが、

>では、原理的に検証不可能な過去の事実というものを語ったり考えたり検証したりすることは、科学的には意味のないことなのでしょうか? Kenさんはどう考えられますか?

意味がないとは思いません。というより、これは当初から言っていますが、私はアプローチが正しくないという理由でいかなる仮説を疑似科学と呼ぶことも、排除することも反対なのです。私のこの考えに沿えば、検証不可能ならそのことを受け入れて、考察できることを考察すればよいということになります。

ただ、リチャード・ドーキンスの主張、また7年前の議論で複数の方が強く主張されたのは、科学には正しいアプローチというものがあり、それに拠らない仮説は、正しい正しくない以前に、そもそも科学理論としての価値がないというものでした。そしてこの人たちのほぼすべてがID論がそうだと主張されます。それではIDの具体的な話をしても議論が成立しません。

ですから、今回はdiamonds8888xにお付き合いをいただき、世間一般で言われるところの正しいアプローチなるものの正体を明らかにしようとしています。それが明らかになり、その基準(私自身の基準ではありません)に照らしても、自分のID論を科学的仮説として提唱できると確認して初めてIDの議論を始めるつもりです。

113diamonds8888x:2018/07/14(土) 20:41:37 ID:XkzyOBUY
>>112
 私が[>>106]でお尋ねしたのは「原理的に検証不可能な過去の事実」についてですよ。「原理的に検証不可能な理論」についてではありませんよ。

114diamonds8888x:2018/07/14(土) 20:55:47 ID:XkzyOBUY
>>113
 少し舌足らずだったような気もしますので、別の質問も合わせて尋ねます。

 世界5分前仮説のことは、Kenさんはどう評価しますか?

 もちろんのことですが、私も「原理的に検証不可能な過去の事実」について予測・推測をすることは意味があると思っています。でもね、(検証不可能なのに)それは何故かと正面切って問われると、なかなか答えるのが難しいとは思いませんか?

115Ken:2018/07/14(土) 23:26:14 ID:kxVV28RY
>世界5分前仮説のことは、Kenさんはどう評価しますか?

〜世界が5分前に作られた、5分以上前には世界は存在しなかった〜

それを示唆する観測事実が何もないのだから、意味のない仮説だと思います。

もちろんドーキンスたちが「IDもそうではないか」と言っていることは承知していますが、私は、

〜自然選択では説明の困難な進化はIDを示唆する根拠となる〜

という立場をとりますので、事情が異なります。まだ基準02も論じていないので、深入りはしませんが。

>(検証不可能なのに)それは何故かと正面切って問われると、なかなか答えるのが難しいとは思いませんか?

くり返しになりますが、私(Ken)は、ある仮説は検証不可能だから意味がないという立場をとりません。

提唱時には検証のすべがなかった仮説が歴史の中で多く登場したのですから。

116diamonds8888x:2018/07/15(日) 05:52:28 ID:XkzyOBUY
>>115
 この板での基本テーマは、Kenさんの「自説の根拠を示せなくても、対立仮説の難点を示すだけでも提唱価値はある」という考えが科学的議論の上で妥当か否かということです。色々と表現が変ると微妙に意味や適用範囲が違ってくるきらいはありますが、それは多岐にわたるので都度ということにしましょう。

 過去にKenさんはいくつかの事例を上記の考えが妥当だという根拠として挙げました。

  天動説vs地動説の事例
   (「提唱時には検証のすべがなかった仮説が歴史の中で多く登場した[>>115]」に該当)
   (提唱時以降に検証のすべが見つかり検証された  )
  光の粒子説vs波動説の事例
   (  同上  )
  ブラックホール内部を予測する事例 (原理的に検証不可能に見える事例)


 Kenさんや他のこの板をお読みのみなさんの多くは既に薄々はお気付きかも知れませんが、私がやろうとしているのは、これらの事例が「Kenさんが擁護しようとしているID論(その実態を私はまだよく教えてもらってはいませんが)」が根拠を示そうとしない事例とは、「これこれの点で違うから根拠にはならない」ということを示してゆくことです。

 しかしそれは、上記3つの事例でそれぞれに異なる話になります。そして説明の下準備として、その違いがいかなるものかという点を、別のわかりやすそうな事例を出しながら示していこうとしているわけです。


 [>>113]の質問に対して、「くり返しになりますが、私(Ken)は、ある仮説は検証不可能だから意味がないという立場をとりません。[>>115」」が返ってくるということは、まだ私の下準備の行き着く先が想像がつかないのだと思います。なので私の考えの説明に移りますが、もうひとつの方にもコメントしておきます。

>それを示唆する観測事実が何もないのだから、意味のない仮説だと思います。

 観測事実は「事実A:現在の世界(0分時の世界)の観測事実」であり、それは他の対立仮説でも同様ですが、「世界5分前仮説」にはなくて他の対立仮説にはあるという「示唆する観測事実」とは何ですか?

 ある仮説は検証不可能だから意味がないという立場をとらないならば、「世界5分前仮説」は意味がないと断ずる理由は、「検証不可能だから」とは別の理由ですよね?

 ID論のデザイナー存在仮説の場合には「それを示唆する観測事実」はあるとお考えのはずですが、それは何ですか?


 こちらは真剣に考えだすと頭が痛くなるかも知れませんから急にはコメントはいりません。でもID論に入る時には、「デザイナー存在仮説を示唆する観測事実」が何かは知りたいですね。


 さてこれまで事実と理論の違いや使い方(でいいかな?)を説明してきたつもりですが、それは「ブラックホール内部を予測する事例」のためであり、「世界5分前仮説」の話もこれと関連しています。ゆえにここでは、「天動説vs地動説の事例」と「光の粒子説vs波動説の事例」とはテーマではありません。

 と、大きなヒントを示しておいて詳しくは次のコメントに続きます。


【追伸】もしも「世界5分前仮説」に関する質問への答えが浮かんだならば、私の続きを待つことなくコメントしてください。私もそれにすぐ答えるかどうかはわかりませんが。

117Ken:2018/07/15(日) 09:48:57 ID:kxVV28RY
>>116

>「世界5分前仮説」にはなくて他の対立仮説にはあるという「示唆する観測事実」とは何ですか?

現在、世界の始まりを語る仮設として最も広く受け入れられているのは、100〜200億年前に「ビッグバン」が起こったというものですが、

1.宇宙が膨張している
2.宇宙には一様な背景輻射がある

という観測事実が根拠とされています。世界5分前仮説にはそのような根拠がありません。


>ID論のデザイナー存在仮説の場合には「それを示唆する観測事実」はあるとお考えのはずですが、それは何ですか?

自然選択では説明の困難な進化が観測されることです。ただし、

1.本当に自然選択では説明が困難なのか?
2.自然選択で説明困難としても、それがIDの根拠になるのか?(diamonds8888xさんの基準02に関わることですね)

という2種類の疑問(反論)が出されています。私は7年前に、1の話だけをすればよいと思ってここでIDの議論を始めましたが、複数の方から2の切り口からの反論が寄せられ、当時は有効な回答ができませんでしたので撤退しました。

今、diamonds8888xさんが「メタ科学」と呼ばれる科学と疑似科学の区別を論じているのは、7年前の経験を繰り返さないためです。

ですから、IDそのものを議論するのは、現在進行中の科学疑似科学論が決着してからということでよろしいでしょうか?

118diamonds8888x:2018/07/16(月) 06:35:18 ID:XkzyOBUY
>>116 【BH事例のややこしさとKenさんへの提案(文末に)】
 (以下でNGワードが消せなくてURLを省略した出典は検索してください)

 「ブラックホール内部を予測する事例」では、これは事実の予測であり、理論の検証ではない。理論の検証がなされなければ、その理論は使えないが、事実の予測をすることは、たとえその予測が実際に検証困難であっても、いや検証不可能であったとしても意味がある、という話を展開するつもりでした。

 が、[>>111]でのコメントの通り、[>>109]にてKenさんが少々内部解と外部解について誤解をしているらしいことがわかりました。だとすると上記の私の話も実は的外れかも知れませんので、まずこちらの話をしておきます。そもそも一般相対性理論が何を予測しているのかを正確に掴んでおかないと、この事例を使ってKenさんの主張の妥当性を語るのにも差し障りますから。

 【まず指摘】「もちろんこれまで述べてきたのはすべて「外部解」の話です。だって内部に入った不死身の観測者にとっては、内部は観測可能なのですから。[>>109]」ということは、内部の観測者にとって観測可能であっても意味はあると考えるのですね? その観測や内部の観測者の考察などを外部に伝えるすべがないとしても?
 であれば、外部解では内部の予測はしないのですから、そもそもKenさんのこの事例での前提が成り立ちません。
 とはいえ、話はそう簡単でもないので、以下の話になります。


 【まず私自身が"内部解"という用語の使い方を誤っていましたことをお詫びします】。普通は"内部解"とは"シュヴァルツシルトの内部解(Interior Schwarzschild metric)"を意味していて、これは「球対称で密度一定の星の内部の時空を一般相対性理論で解いたもの」です。解説は以下の2つ。

 1.英語版wikipedia "Interior Schwarzschild metric"
 2.あもんノート p20-26,図9.4(p26)

 注目すべきですが、どちらのグラフでも星の表面で内部解と外部解を接続していて、そこには事象の地平線はありません。つまりグラフに描かれているのはブラツクホールになってしまった星のことを予測した解ではないのです。実際問題として遠方の外部の観測者から見れば、ブラツクホール崩壊してゆく星の表面は【有限時間内には事象の地平線内部には落ち込みません】。ですので、シュヴァルツシルト半径より小さい星の内部解は答えは出ると思いますが、たぶん実際的意味はないのではないでしょうか。それとも何か別の解釈が考えられるかも知れませんが。


 さてこれまで私の使っていた内部解は「ブラックホールになってしまっている星の事象の地平線内部を予測した解」という意味です。たぶんKenさんも同じ意味で解釈していたと思います。そして、このような事象の地平線内部を予測として多数の解説が出回っているのは「星の質量が中心の1点に集中しているとした場合の事象の地平線内部の時空構造を解いたもの」で、クリスカル座標(Kruskal‐Szekeres coordinates)を使うと見やすくなるとされているものです。解説は、日本語では次が一番詳しいと思います。

  EMANの相対性理論、クルスカル座標[//eman-physics.net/relativity/kruskal.html]

 で、この意味での内部の時空構造解から、一体何が予測されるのかという点がなかなかややこしいのです。というのも、[>>107]でも書きましたが、誰の視点から見た予測かという点もありますし、もう1点として実際に光を見てわかる象と元の像とは異なるという問題もあります。


と前振りが長くなりましたが、【ここからKenさんへの提案です】。
 1.以上のようにBHの事例は具体的像そのものの理解がややこしいので、我々の本題の事例として取り上げるのは止めておきませんか?
 2.Kenさんが考えていた「BH内部を予測した物理学者」の予測は具体的にどんなものか出典付で示してほしいのです。(これは私の参考にしたいだけなので、今後BH事例を取り上げないなら、本題には必要ありませんが)。

119diamonds8888x:2018/07/16(月) 06:41:37 ID:XkzyOBUY
>>117
>私は7年前に、1の話だけをすればよいと思ってここでIDの議論を始めましたが、

 でしたらそもそも「1.本当に自然選択では説明が困難なのか?」という話だけに絞ればよいのではありませんでしたか? 1の話をするのに「だからID論も示唆される」とかいう余計なテーマを混ぜるから、ややこしくなったのではありませんか?

120diamonds8888x:2018/07/16(月) 14:03:21 ID:XkzyOBUY
>>107
>1.宇宙が膨張している
>2.宇宙には一様な背景輻射がある

 これって「世界5分前仮説」をも示唆してますけど?
 ・世界は5分前に、宇宙が膨張している状態で生まれた。
 ・世界は5分前に、宇宙には一様な背景輻射がある状態で生まれた。

 このように説明できるのですから、1と2は「世界5分前仮説」の根拠でもあります。


 本当に、頭が痛くなりそうだったら止めといてくださいね。科学哲学上で生まれた屁理屈に対応するのは、並み大抵のことではないのですよ。

121Ken:2018/07/18(水) 00:10:23 ID:kxVV28RY
まず、私がどういう出典からブラックホールを学んだかですが、年数が経っていてすぐには思い出せません。ホーキングの著書かと思いましたが、読み直すとブラックホールの項で述べているのはホーキング輻射の話だけです。

www.fisica.net/relatividade/stephen_hawking_a_brief_history_of_time.pdf

また、Discoveryで配信された「Through the Wormhole」というシリーズの第2回でブラックホールに入った宇宙飛行士に何が起こるかが語られています。Youtubeを検索したらアップされていました。

youtu.be/yWo71eHjoQY

動画の35分頃からその話になり、ブラックホールに入る観測者にとっては事象の地平線を越えても何も起こらないが、中心に近づくと肉体が引き裂かれるという話です。番組の本題はそれではなく、外部の観測者と内部の観測者がまったく異なる事象を見る矛盾を整合させることです。

しかたがないのでWikipediaを検索しました。私自身の理解に最も近い説明をしているのは、重力特異点の曲率の記事でしょうか。

en.wikipedia.org/wiki/Gravitational_singularity#Curvature

私が正しく理解できていれば、時空の特異点は事象の地平線ではなくブラックホールの中心に生じるので、そこで起こることを外部の観測者が観察することも、内部の観察者から情報を受け取ることもできないということになります。

ただ、ブラックホールを持ち出したのは、予測される事実を検証できないのは世界5分前仮説と同じではないのか、言い換えれば基準01は正しい科学を判別することができるのかを問うためです。

もしもブラックホールが基準01への反問にならないのなら、歴史上の例はどうでしょうか。前にも述べましたが、コペルニクスは望遠鏡が無い時代の人で、彼の地動説を検証するすべは当時はなかったはずなのです。

さらに言えば、コペルニクスはアリスタルコスの地動説から、ダルトンはデモクリトスの原子論から想を得て彼ら自身の理論を立てましたが、これら紀元前の理論こそ検証不可能、というより初めから検証など考えていない、古代人の知的遊びでした。それでもコペルニクスやダルトンの発想の種子になったのだから、科学史上に重要な位置を占めたと思います。

歴史上のこれらの例を正しくない科学と判定してしまう基準01に、私は疑問を抱いているのですが。

122diamonds8888x:2018/07/22(日) 09:07:02 ID:c4FnTw2Q
>>121
>そこで起こることを外部の観測者が観察することも、内部の観察者から情報を受け取ることもできないということになります。

 私が読む限り、中心の特異点を観察することについても、そこからの情報を受け取ることについても書かれていないようなのですが、どの文章のことなのでしょう? 正直いって数式だけのwiki英語版の記事よりも、グラフやクルスカル座標の図も出てくるEMANの相対性理論の方が読みやすいと思いますし、理解もしやすいです。wikipediaの記事には「私的研究の記載は禁止」という制限があるため、特に数式が必要な記事では既知文献の式やその導入過程をそのまま記したものが多く、その式の物理的意味の説明などは不足している傾向があります。なので物理的理解にはなかなかつらい場合も多いですね。

 まあ要するに、例として論ずるには2人とも理解不足ということで、BH事例は使わないという事でよろしいですね?

>ただ、ブラックホールを持ち出したのは、予測される事実を検証できないのは世界5分前仮説と同じではないのか、言い換えれば基準01は正しい科学を判別することができるのかを問うためです。

 BH事例が「予測される事実を検証できない」事例なのか否かが不明なのでやめとくのがいいかと思うわけですが、仮に「予測される事実を検証できない」ということだったとしても、世界5分前仮説は事実ではなく理論であって、「予測される事実を検証できない」事例には当てはまらないのだというのが、これから説明すること[>>123]です。

 私も本論がその趣旨であることはわかっていますし、事実の確認と理論の検証では話が別だということが、ひとつの説明、ひとつの解決策なのです。

 なお天動説vs地動説やその他の歴史的事例では、また別の話になりますので、別途の説明になります。もっとも天動説vs地動説に関しては「この事例ではP∨¬Pだから」などと一度それとなく説明の示唆をしてはいますが。

123diamonds8888x:2018/07/22(日) 09:07:41 ID:c4FnTw2Q
>>116
 理論の検証がなされなければ、その理論は使えないが、事実の予測をすることは、たとえその予測が実際に検証困難であっても、いや検証不可能であったとしても意味がある、という話をします。

 その前に「事実」と「理論」の違いの復習です。

例1.
  事実A 今朝も、昨日の朝も・・・・n日前の朝も、太陽は東から昇った。
  理論  太陽は東から昇る。
  事実B 明日の朝も太陽は東から昇るだろう。
  事実C 明日になり、寝過ごして昇るところを見逃したが、今日も太陽は東から昇ったのだろう。

例2.
  事実A これまでに見たハクチョウabc・・・は皆白かった。
  理論  すべてのハクチョウは白い。
  事実B 新しくハクチョウxが見つかったが、そのハクチョウxは白いだろう。
  事実C 見つかったハクチョウxが白いか否か確認される前に焼け死んでしまった。
     このハクチョウxは生前は白かっただろう。

 どちらの例でも、理論は事実Aを説明できるように作られました。そして事実Bや事実Cを予測します。事実Bはまだ検証されておらず、これを確認できれば理論の検証となり、理論の確かさが高くなります。事実Cは予測はしたものの、もはや確認することはできません。では事実Cの確認という作業は意味がないのかと言えば、そんなことはありません。


 一般に事実Cのような過ぎ去ってしまった過去の事実は直接的確認ができないことが大半です。でもそれは意味のないことではありません。実際に我々は大変な努力を払ってでも過去の事実を知ろうとしています。歴史の研究しかり、犯罪捜査しかり、事故や災害時に何が起きたかの検証しかり、です。なぜかと言えば、それが現在や将来の我々の行動決定に役に立つからです。

 我々は過去から未来へと時間が連続的に流れると信じていますから、過去を知ることにより未来を知ることができると信じています。そしてその戦略により未来を予測できて生きてきたという記憶があります。記憶というものを持たないと思われる生物でさえも、結果的に未来を予測するような行動を持つものは生き残りやすくなります。

 最もわかりやすい例のひとつである「太陽は東から昇る」理論の場合なら、過去の何日かは東から昇ったかどうかは見逃した日もあるでしょう。しかし観測できた日にはすべて東から昇っていたので、見逃した日もそうだったはずだと推定するのです。そしてその過去の事実により、その日に起きた様々な別の事実の予測に役立つかも知れません。そうして推定された、さらにその日の事実は、別の日に起きたと推定した事実との組み合わせで、別の理論を作ったり、別の事実の推定に使ったりできるかも知れません。そして、現在の我々の行動に使いたい未来の事実の予測にも使えることでしょう。

 そして知的存在ともなれば、自分個人の記憶範囲を超えた過去の存在をも信じて、そこにも時間の連続的流れを想定します。ほぼ自動的思考で。

 「世界5分前仮説」では、このような因果律や予測性の存在があやふやなものになります。なにせ5分前にどんな状態で生まれるかには、どんな理由もないのですから。となると5分後の予測もあいまいだということにもなりかねません。これでは我々の行動を決めるのに何の役にも立ちません。

 まあ、私はこんな考え方で満足しています。

124diamonds8888x:2018/07/22(日) 09:09:05 ID:c4FnTw2Q
 [>>123]の考え方は私独自のものですが、同じように「うまくいくから」「未来予測に有用だから」「生物が生き残るのに有用だから」という発想自体はよく使われるものです。例えば『科学が嫌われる理由』にも紹介されています。

 「世界5分前仮説」が科学的ではない理由として一般的に言われているのは「反証不可能だから」というものです。これは「どんな事実を持ってきても検証になってしまう」ということであり、いわば「検証でき過ぎてしまう!」ということです。決して「それを示唆する観測事実が何もないのだから[>>115]」ではありません[参照>>120]。ここは「反証可能性」の理解には大切ですから御注意ください。

125Ken:2018/07/23(月) 23:26:59 ID:kxVV28RY
>>122
>私が読む限り、中心の特異点を観察することについても、そこからの情報を受け取ることについても書かれていないようなのですが、

特異点は事象の地平線ではなくブラックホールの中心に生じるのだから、特異点で起こる現象を観察することはできないと言いたかったのです。紹介したwikipediaの記事の第2段落に、

However, spacetime at the event horizon is regular. (中略)On the other hand, in the center of the black hole, (中略), the solutions suggest a singularity exists.

とあるのがそれです。ブラックホールの内部は絶対に見えないのだから、特異点について行われているいかなる予測も(特異点が存在するという予測も含め)検証不可能と言いたかったのです。

たしかに本来の目的はBHではなく基準01の検証ですから、今はdiamonds8888xさんの助言に従いBH以外の例を使おうと思います。ただしそれでは基準01を検証できないと思ったらBHの話を復活させます。

>世界5分前仮説は事実ではなく理論であって

その理論を構築するには「5分よりも前には世界は存在しなかった」という事実を観測する必要があるのではないですか?

1.宇宙が膨張している
2.宇宙には一様な背景輻射がある

という事実だけでも理論を構築できるビッグバンとは、そこが異なると思います。

>>124
>決して「それを示唆する観測事実が何もないのだから[>>115]」ではありません[参照>>120]。

それなら言い方を変えます。「観測事実が何もない」のではなく、最も大切な

〜5分よりも前には世界は存在しなかった〜

という観測事実がないのです。よって問題は「検証でき過ぎてしまう!」のではなく、

〜最も肝心の検証ができない〜

ということではないでしょうか?

ただ、くり返しになりますが、そういう例は歴史に多くありました。例えば紀元前のデモクリトスは物質を細かく分けてゆくと、それ以上は分けられない「アトム」にいたると主張しました。しかし彼は検証方法はおろか、なぜそのような考えをするのかさえ書き残していません。デモクリトスの原子論は世界5分前仮説の同類でしょう。

それでも原子論はエピクロスのような継承者が世代を越えて伝えてゆき、千数百年たって物証が現れましたが。

126diamonds8888x:2018/07/25(水) 06:31:22 ID:c4FnTw2Q
>>125
>ブラックホールの内部は絶対に見えないのだから、特異点について行われているいかなる予測も(特異点が存在するという予測も含め)検証不可能と言いたかったのです。

 それは了解です。記事でも予測をしているだけで、検証できるとは書いてありませんよね。で、それは事実の予測ですから[>>125]以下の議論をお読みください。

>>〜5分よりも前には世界は存在しなかった〜

>という観測事実がないのです。

 5分よりも前には世界が確かに存在していた、という観測事実もありませんよ。単に【そうだったという現在の記憶が】観測されているだけです。

127diamonds8888x:2018/07/28(土) 18:03:09 ID:ThHJ2a2o
>>126
 ごめんなさい。リンク先を間違えました。正しくは、以下です。

 で、それは事実の予測ですから[>>123]以下の議論をお読みください。

128diamonds8888x:2018/07/28(土) 18:04:29 ID:ThHJ2a2o
>>124
 さて、自分の記憶にある過去の事実や父母の記憶にある過去の事実なら個人の未来予測に重要かも知れません。明治時代くらいまでの過去の事実なら国や世界の未来予測に重要かも知れません。でもビッグバンの頃に何が起きたかということなど、人類の未来予測にさえ必要でしょうか? そんなことまで知ろうとするのは人類の好奇心の暴走に過ぎないのではないでしょうか?

 だってビッグバンの頃の事実検証なんて、ブラックホール内部の事実検証よりも困難、いや一歩下がって同じ程度に困難と考えられますよね。そういえばタイムマシンとブラックホール内部への旅は関連しているという話も・・・。

 さて以下は私なりの解答ですが、これは数ある理由の一つであると考えています。つまり他にも理由は考えうるだろうということです。

 物理学者や天文学者たちがビッグバンの頃の事実を推測するのは、どんな作業でしょうか? 単純化して言えば次のような作業を総合して推測します。
 ・遠くからの光、つまりは昔の情報の載った光を観測する。観測事実A
 ・素粒子理論を使い、過去にどんな事実を仮定すれば、どんな光が観測されるかを予測する。
   いわゆる仮説演繹法。理論α+仮定事実B==>予測事実A'
 ・観測事実Aと予測事実A'とが一致すれば、仮定事実Bが実際に起きたと推測する。

 ここで観測事実Aと予測事実A'とが一致したということは、仮定事実Bも使った理論群もすべて正しかったという検証になっています。つまり過去の仮定事実Bを検証するという事は、使った理論群の検証をすることでもあり、それは十分に意義のあることではないかと考えます。


 何だか循環論法にも見えますが、そうではありません。現代科学における事実予測は、あらゆる分野の科学的事実や科学的理論を総合して、どれにも矛盾が生じないような理論や事実を正しいものと考えます。つまり科学的事実や科学的理論の正しさ・妥当性というものは、狭いひとつの分野内の事実や理論だけに頼ってはいません。

129diamonds8888x:2018/07/28(土) 18:06:54 ID:ThHJ2a2o
>>128
 具体的な話をするつもりが却ってわかりにくくなった気もしますので、やや抽象的になりますが、まとめてみます。

 事実の予測は、検証できないとしても予測してみるだけでも意義があります。だって知りたいのだから。

 一方で理論とは事実を予測するために使うものです。事実を正しく予測しようとすれば、使う理論が正しいことを確認する必要があります。つまり、検証されていない理論を事実の予測には使えません。

 つまり、予測した事実は検証されなくても単にそれだけのことですが、理論が検証されなかったら、その理論は使えないのです。いや使わないで鑑賞するだけなら検証の必要はないと思いますよ。私も検証されていなかったり、しっかり反証されていたりする理論でも、鑑賞するのは結構好きですよ(^_^)。平面の大地の世界を舞台にしたファンタジーとか。でもそれは科学ではありません。

 ですからKenさんが御存知のID論をちゃんと説明してくれたら鑑賞ができるのではと期待しているのですが。


 別の視点の話ですが、極論を言えば、事実の検証と呼ばれる作業も実は、予測したのとは異なる方法によって同じ事実が予測できたということに過ぎない、とも言えます。そして、個人の知覚だけでわかることに近い事柄ほど「事実の検証」と呼ばれやすいとは言えます。典型的には(注意深く)目で見て確認できる事柄は、大抵は単に「事実」と呼ばれ、目で見て確認することは単に「検証」と呼ばれます。

 これが「物質は原子という粒子の集まりであり、原子は原子核と電子とからできている」という事実になると、肉眼で見た人は誰もいませんし、これからもいないでしょう。現在では透過電顕で原子像も観察できますが、その像を「原子の姿が検証できた」と呼ぶためには、その透過電顕の像がミクロの姿をどれだけ表しているのかという「理論」が正しいとわかっていなくてはなりません。そのためには電子の運動を予測する理論が正しくなくてはなりません。そして「宙を飛ぶ電子が存在するという事実」も検証されていなくてはなりません。そして「宙を飛ぶ電子」と「原子核の周囲に存在する電子」とが実は同じものであるという「理論」が、様々な観察事実と理論とから推論されているわけです。

 かくのごとく、「原子や電子が存在するという事実」と一般に呼ばれている事柄は、実は「原子や電子が存在するという理論によれば、様々な観測事実や既知の理論が矛盾なく説明できる」という事に過ぎないとも言えるのです。しかし、この理論は十分に検証されており一度も反証されてはいないので、単に「原子や電子が存在するという事実」と呼んでも差し支えないとされているのです。その方が思考が節約できますしね。

130Ken:2018/07/29(日) 00:04:46 ID:kxVV28RY
正直なところ、ビッグバンとブラックホール内部が同じ程度に検証が困難とは私には思えませんが、もっと大切な問題があるので、深入りするのはやめておきます。


もう一度、私の論点を整理します。

科学史に登場した理論には、現代の基準では到底まともな根拠に基づくとはいえないものがいくつもあります。アリスタルコスの地動説やデモクリトスの原子論のような紀元前に現れたものは大半がそうでしょう。古代ギリシャには、地上の万物は土、水、空気、火の4元素から作られるという考えがありました。これに天上界の元素としてエーテルを加えたのがプラトンです。いずれも検証(反証)のやりようがないのは世界5分前仮説と変わりませんし、diamonds8888xさんの言われるような事実の予測を行うことも不可能でした。そんな検証や予測をしようという意図もなかったことでしょう。

それでも、これらの理論はコペルニクスやダルトンのような後世の科学者に影響を与えているのです。

たしかに後世の科学者たちは観測された事実をもとに彼ら自身の理論を立てたので、古代思想を根拠にしたわけではありません。一方で、観測事実を解釈するのにこれらの古代思想からヒントを得たのも歴史的な事実でしょう。

古代ギリシャの4元素仮説は近代的な意味での根拠のないものでしたが、複雑多様な物質が実は単純な元素からつくられるという基本思想を生み出す契機となり、それは近代の原子論やクォーク理論にまでつながっています。エーテルはよく知られるように光波動説が長く媒質として想定しました。もしもエーテルの概念がなかったら、光波動説は歴史の中で消えていたかもしれません。

私からの問題提議は、上記のような理論は

1.科学ではないと判定されるのか

そして、科学ではないと判定する場合にのみ、次の問題提議を生じます。

2.それらの理論は登場しなければよかったと考えるか

念のために言っておきますが、2の回答が「登場してよかった」である場合、その理由は科学の進歩に寄与したからで「鑑賞」するためではありません。

131ゲジゲジ:2018/08/02(木) 01:21:00 ID:kmBs4zVs
ヨコからですが、数日コメントが中断しているようなので・・・

私自身もお2人のやり取りを拝見していて、考えが整理できて来ています。
余計な事でしたらすみませんが、少しでもヒントになれば・・・


 >>130
Ken様の論点は、見ている私も分かっているつもりですし、勿論diamonds8888x様も分かっていらっしゃると思いますよ。

ただ今は、そういう個別の事例を越えたメタな視点で、科学だと判定されるためにはどの様な条件が必要なのか? 逆にどの様な条件を満たしていないと、それは科学ではない(よって疑似科学である)と判定されてしまうのか? という点を議論しているはずです。

で、その基準の1つ目として、反証可能性という基準が論点で、既にdiamonds8888x様から「答え」が示されています。
 >>122
 >>123
 >>128
(1) 反証できない理論は、科学ではない。
(2) 反証できない(予想される)事実は、それだけでは科学ではないと言い切れない。
(3) あらゆる分野の科学的事実や科学的理論を総合して、どれにも矛盾が生じないような理論や事実を正しいものと考える。

(3)は今後の論点になるかもしれませんが、反証可能性に限定すれば(1)と(2)が「答え」だと言えると思います。


さて、これらの議論に一応の決着がついてから、それではKen様が130で挙げられているような個別の事例はどうのか? という事を論じるのが順序かと思います。
しかしKen様のコメント >>125 を読む限り、どうもKen様はまだ、反証可能性の理解が十分でないように感じます。

なぜ、反証可能性がない理論は科学とは言えないのか?
それをdiamonds8888x様は、誰もが科学とは言えない事に同意するであろう「世界5分前仮説」を引き合いに説明されてきたと思います。

ここで、>>123でdiamonds8888x様が挙げられている「事実」と「理論」に「世界5分前仮説」を当てはめて考えてみては如何でしょうか?

「事実A」は、「現在の世界(0分時の世界)の観測事実」ですよね。

では「理論」は何でしょう?
多分、「世界は5分前に作られた」ではないと思いますよ。
いや、「世界は5分前に作られた」と言って間違いではないですが、これだけでは言葉足らずではないでしょうか?
そして、その言葉の足りない部分が議論のポイントに関ってくるように思います。

「世界は10分前には存在しなかった」というのは理論から導かれる「事実B」・・・いや、今となっては本当に10分前に世界が存在していたんか否かを検証する術はないのですから、これは「事実C」になりますね。

では「事実B」は何でしょうか?
その事実が示せれば「世界5分前仮説」の蓋然性(確からしさ)が高まり、逆にその事実が否定されれば「世界5分前仮説」も否定されるという、「世界5分前仮説」の理論から導かれ想定される「事実B」・・・

132diamonds8888x:2018/08/03(金) 05:23:07 ID:ThHJ2a2o
>>130
>もっと大切な問題があるので、

 中心テーマは「自説の根拠を示せなくても、対立仮説の難点を示すだけでも提唱価値はある」という考えが科学的に妥当か否かという問題ですよね?[>>116][>>117]

 この考えが妥当だという事例としてKenさんは既にいくつか示されていますが、今回新たに3つの事例、アリスタルコスの地動説、デモクリトスの原子論、4元素説、を示されたのは、どういう意図なのでしょうか? この3つは「既に示された事例よりも大切な問題」なのですか?

 単に、まだこんな事例もありますよというだけなら、現時点では「既に示されている事例の方が先ではありませんか?」とお答えしますが?


 [>>130]や過去のコメントを拝見すると、以下の問題があるように思います。
  ・色々な種類の「根拠のなさ」を区別せずに十把一絡げで考えている
  ・その結果、色々な種類の事例をすべて「根拠がない」と断定している

 すでに私は、過去にKenさんが示された事例、BH問題、天動説vs地動説、粒子説vs波動説、素粒子の存在の反証法[>>83]、はそれぞれ性質が違うということを述べました、それゆえ個別に対応したいとも述べています。今回の3つの事例とて同じです。私はそれらの事例に「根拠がない」とは考えていません[*注]。私が否定していることを当たり前の前提のように扱って次に進まれても困ります。

 【重要】Kenさんが十把一絡げで考えている事例が、実はそれぞれ異なる性質の事例なのだと説明しようとして、これまで基礎的な話も含めて述べてきています。そこをまず御理解ください。


 ちょっと今回の3つの事例についてコメントしておきます。

>科学史に登場した理論には、現代の基準では到底まともな根拠に基づくとはいえないものがいくつもあります。

 なんですと! 先人たちに失礼な(怒)。そりゃ確かに後の様々な進歩で間違いだとはわかりましたが、「到底まともな根拠に基づくとはいえない」とはあまりにも不当な非難です。今回の3つの事例はすべて、自然の観測事実を論理破綻なく説明するために頭を絞って生み出されたものですよ。当然、当時なりの技術で観測事実との整合性も検討されています。

>いずれも検証(反証)のやりようがないのは世界5分前仮説と変わりませんし、diamonds8888xさんの言われるような事実の予測を行うことも不可能でした。

 まったく見当はずれです。Kenさんはまだ世界5分前仮説のポイントをきちんと捉えていないではありませんか。「5分よりも前には世界が確かに存在していた、という観測事実もありませんよ[>>126]」ということは理解できたのですか?

 アリスタルコスの地動説は、プトレマイオスの天動説やコペルニクスの地動説と同様に実際の天文現象を予測するためのものです。

 4元素説は長い間、錬金術を含む様々な化学現象の予測に使われ、指針となっていました。

 デモクリトスの原子論は長く冷遇されたせいでしょうが具体的な予測の記録は残っていない模様です。でも原理的には物質現象の予測に使えます。まあ定量的予測のためには、定量的観測による補強が必要でしょうけど。


------------
[*注]根拠にも色々な種類やレベルがありますので、ここでは私はそれら全てを含む意味で使っています。Kenさんも少なくとも「検証できたとする根拠」と「示唆する根拠」とは区別してますよね? 個別の議論では、どのレベルの根拠の話かで双方が食い違っていると混乱する恐れがあります。Kenさんはこのレベルの違う根拠も十把一絡げで考える傾向があるのではないかと危惧しています。

133diamonds8888x:2018/08/03(金) 05:24:52 ID:ThHJ2a2o
>>131
 ゲジゲジさん、まとめをありがとうございます。私の文章よりも他の人の書き方の方がKenさんにわかりやすい場合もあるでしょうから、歓迎します。私にも別の視点が得られて参考になりますし。


 「事実B」は、直接観測や直接検証はできないけれど、それを仮定すると既知の理論とも観測事実Aとも整合性がとれるもの、というつもりで持ち出しました。「導かれる」と言ってもいいですけど、仮説演繹法により導かれる、という形になるでしょうか。

 ここで「直接観測や直接検証ってどこまでを含むの?」という話になりますが、これは色々な見方ができますよね。極端に言えば「本当の直接観測や直接検証なんてないっ」という見方もできますし。

  仮説的事実B  目の前に赤くて四角い物体がある。
  直接的観測事実A 目の前に赤くて四角い物体があるように、私には見える。

 まあ一般的には、人が直接感覚で知ることができる事実は直接的観測事実Aとする見方が多いでしょうけど、すると「原子や電子や素粒子が存在する」という事実は、仮説的事実Bであるとしたくなります。実際にエルンスト・マッハは原子の実在をなかなか認めなかったとかいう話もありますし。

 「事実B」の考えを持ち出したのは、こんな風に素粒子問題への伏線も考えての意図もありました。

 仮説演繹法では「仮説できるのは事実B以外にはないのか?」という疑問が常にひっかかりますが、BH問題や宇宙の地平線の向こう側の事実の問題だと、理論が正しければ唯一の解として事実Bが導かれますね。この場合は確かに「導かれた事実」ですね。仮定があるとすれば「事象の地平線の向こうでもこちらと同じ理論(一般相対性理論)が成立している」ということだけです。
 ただ、いくら理論的に導かれるとはいえ特異点の存在を素直に認めている人は少ないのではないかとは思います。観測可能な裸の特異点さえ予測されてますけど。ニュートン力学でも「大きさのない質点」が実在するとは誰も思っていないはずです。でも、そんなもの実在するはずがないから絶対に理論がどこかで修正されるはずだ、と誰もが考えていたものが実在したりすることもあるから世の中は怖い。


> では「理論」は何でしょう?

 改まって訊かれると、「世界5分前仮説」の理論て正確にはどうなるんでしょうね?

 純粋な本質はむしろ「世界0分前仮説」に現れるのではないかと思うのですが、0分前の理論だと因果律もなければ未来を予測することもできなくなります。つまり論理的推論というものが意味を持たなくなります。そんなの理論なのか? 5分でも時間経過があれば、その間の因果律というものは想定できるのでしょうが。

 あまりに馬鹿げた理論なので、真剣に突き詰めた人など誰もいなかったりして。

 記憶は幻である、というあたりが理論の本質と言えるのでしょうか? 余談ですが、フイリップ・ホセ・ァーマー作『階層宇宙シリーズ』という作品には空間バージョンの理論が登場します。つまり、太陽系の外側に壁があって、無限の宇宙と見えるものは実はその壁に映った映像であった、という理論です。空間バージョンなら反証可能なんですけどね。

134Ken:2018/08/03(金) 07:03:34 ID:kxVV28RY
>>132

金曜の早朝なのでとりあえず1点だけ。

>中心テーマは「自説の根拠を示せなくても、対立仮説の難点を示すだけでも提唱価値はある」という考えが科学的に妥当か否かという問題ですよね?

それは基準02の話ではありませんか?
今はまだ基準01の議論が決着していないというのが私の理解です。

私としては、これまでに挙げた具体例はいずれも検証(反証)のやりようがない世界5分前仮説の同類では?というものです。対立仮説の難点を示す方法の是非を論ずる具体例はまだ挙げておりません。

135ゲジゲジ:2018/08/04(土) 01:24:36 ID:KSag/m5E
diamonds8888xさま
>>133 お返事ありがとうございます。

ただ、私はそんなに難しく考えていたつもりはなくて・・・

「世界は“5分前よりも前から存在していたかの様に見えるあらゆる記憶や記録などをぜ〜〜んぶひっくるめて、5分前にあった状態に”5分前に作られた」

まぁ、言葉としては色々な言い方ができるでしょうが、これが「世界5分前仮説」の「理論」の正確な表現ではないでしょうか?

で、「事実B」なんですが・・・

>>123でdiamonds8888xさまが提示された例ですと・・・
「理論」 太陽は東から昇る。
「事実B」明日の朝も太陽は東から昇るだろう。

「理論:太陽は東から昇る」が正しければ、当然「事実B」は成立するわけですから、「事実B」は「理論」から予想されたわけですよね。
そして実際に明日の朝の太陽が東から昇れば、「理論:太陽は東から昇る」は補強されますし、仮に明日の太陽が西や北、南から昇ったとすれば、「理論」は否定、すなわち反証されます。

私としてはそういうふうに解釈しまして、では「世界5分前仮説」における「事実B」とは何だろう、と考えたわけです。
すると「世界5分前仮説」においては“観察できるであろう全ての事実”が「事実B」に該当してしまうのですよね。

つまり「世界5分前仮説」の「理論」を上記のように立てれば、“私に昨日の記憶があるという事実”も、“〇年前に仕込んだウィスキーやワインが美味しいという事実”も、あるいは“1億年前の恐竜の化石が発見されるという事実”も、全てが「世界5分前仮説」を肯定してしまいます。

従って、>>124でdiamonds8888xさまが仰る通り、「世界5分前仮説」は検証され過ぎてしまう。
どんな「事実B」を持ってきても検証になってしまうのだから、反証できない。
だから「世界5分前仮説」の様な理論の立て方は科学的ではない、という結論になるのではないでしょうか?


尚、ここまで考えてきて、私はKenさまの「ID論」も理論の立て方において「世界5分前仮説」と同じ意味で科学的ではない、と思えるのですが、今はそこに踏み込むのはやめておきます。
恐らく >>56の「基準02. 理論Aと対立する理論Bを否定しても理論Aの検証にはあまりならない。」にも絡んでくると思いますので。

136diamonds8888x:2018/08/04(土) 06:20:59 ID:ThHJ2a2o
>>135
 あっ、そうか。[>>123]の未来の事実と[>>128]の仮定事実や過去の事実とを同じく「事実B」と名付けてしまったのですね。失礼しました。未来の事実は待っていれば検証できますが、過去の事実はタイムマシンでもない限りは検証できないので大きな違いがあります。だとすれば「過去の事実の検証」とは何か、というテーマのつもりで[>>128]を書いていましのたので、ゲジゲジさんにもKenさんにも誤解を与えたかも知れませんね。

 改めてですが、[>>128]の意図は、事実の予測は検証できなくても意味はある、ということを示す点です。

 「世界5分前仮説」に関するゲジゲジさんの話はまったくその通りだと思います。

137diamonds8888x:2018/08/04(土) 06:26:37 ID:ThHJ2a2o
>>134
> 今はまだ基準01の議論が決着していないというのが私の理解です。

 了解しました。すると「もっと大切な問題」と書かれたのは、新たに示された3つの事例がBH問題よりも大切だという意味ですか? 個別事例の間で重要性の差があるとする理由が私にはよくわからないのですが? 私がBH問題を棚上げにしようと提案したのは、2人とも細かい点を十分に理解してないので不適当ではないかと思っただけであり、他の事例より大切ではないとは思っていませんが。

> 私としては、これまでに挙げた具体例はいずれも検証(反証)のやりようがない世界5分前仮説の同類では?というものです。

 念のため確認しますが、同類と考えているのは新たに示された3つの事例だけですか? それとも既に示されている、提唱当時のコペルニクス地動説、提唱当時の光の波動説、新粒子があるとする仮説、もやはり同類だと考えるのですか?

 どちらにせよ、示された6つの事例はすべて世界5分前仮説の同類ではないのは[>>132]で書いた通りです。

 また世界5分前仮説に関しては、[>>119][>>120][>>123][>>129][>>132]を中心に読み返してみてください。Kenさんにはなじみの薄かった話でしょうからプリントアウトして読むことをお勧めします。

 実は直前にゲジゲジさんがしっかり解説されてますので[>>135]、これを読むのが早いです。


 BH事例に代表される「検証できない事実の予測」に関しての【本質的な解答そのものは[>>129]冒頭に書きました】。理論は検証できなくてはならない(裏返せば反証可能でなければならない)けれど、事実に関しては必ずしも検証できなくても意味がある、という結論です。

138diamonds8888x:2018/08/04(土) 06:29:07 ID:ThHJ2a2o
>>134
別件ですが、
【素粒子問題】で少し指摘した方がよいと思った点がありましたので書いておきます。

[>>80]「磁気は双極子である」という仮説が∀xP(x)なら「モノポールが存在する」は∃x¬P(x)だから、前者は反証可能であり、よって後者の反証可能性は問題にならないのではと考えました。

 これは[>>77]のお考えを再掲したからこうなったのでしょうが、この対比では人は戸惑います。対比するならP(x)は同じ文章にしないと次の思考に進めません。
 恐らく前者のP(x)と後者のP(x)は異なる文なのでしょうが、Kenさんの意を酌んでそれぞれのP(x)を書き出してみようとしましたが、どうもうまく行きません。できれば御本人のKenさんにお願いします。


 【重要】これはKenさんのおっしゃる「素粒子問題」について、具体的な意図を私も理解していないことを示していますので、ここに示しておきました。もちろんこの件の理解は「素粒子問題」に入る時にわかればいいことなので、その時に御配慮くださればいいです。

139Ken:2018/08/05(日) 00:12:16 ID:kxVV28RY
>>132

>この3つは「既に示された事例よりも大切な問題」なのですか?

私は>>130

>ビッグバンとブラックホール内部が同じ程度に検証が困難とは私には思えませんが、もっと大切な問題があるので、

と書きました。ビッグバンとブラックホールの違いを論じるよりも大切という意味です。

もともと私がブラックホール内部の考察を持ち出したのは、これも基準01に照らして科学ではないと判定されるのではという問題提議をするためでした。その後diamonds8888xさんからブラックホールの考察は難しいので手を出さないほうがよいという提案をいただいたので、より分かりやすく論じやすい例はないかと考え、紀元前の理論を挙げました。

>Kenさんが十把一絡げで考えている事例が、実はそれぞれ異なる性質の事例なのだと説明しようとして、

「十把一絡げ」は極端な表現でしょう。それぞれの事例には異なる点はあっても、提唱時点では検証(反証)のやりようがなかったという共通点があり、そこが世界5分前仮説と同じでは、と言いたかったのです。

その世界5分前仮説ですが、

>「世界5分前仮説」では、このような因果律や予測性の存在があやふやなものになります。

「あやふや」ですか? でも世界5分前仮説だって、

〜5分よりも前には世界は存在しなかった〜

という、それ自体は明確な事実を予測するではありませんか。問題は物理的な観測で検証できないことで、この点が例に挙げた紀元前の仮説と、それどころかコペルニクスの地動説とも、共通すると思うのです。これらの仮説は遠くの物体や微小な物体を観測することで検証ができるはずです。しかし提唱時にはそのすべがなかった。

もしもデモクリトスやコペルニクスの時代にも顕微鏡や望遠鏡が、すくなくともそのアイデアがあったら、技術の進歩でいつかは観測ができるという見通しがたったかもしれません。でもアイデア自体がなければ観測は永遠に不可能なのと同じです。以前も書きましたが、今の私たちが、5分前の世界であれ、地球史の中の進化であれ、ビッグバンであれ、過去の事実はタイムマシンがあれば観測できるといっても無意味なのと変わりません。

4元素仮説が錬金術に応用されたという話は、アジモフ先生の歴史書にも記述が無く、私は知りませんでした。ただ、中世の錬金術でもプラトンやアリストテレスとは千年の時間差があります。私は錬金術より千年前、仮説が最初に提唱された時点での検証可能性を問題にしています。

なお、

>私はそれらの事例に「根拠がない」とは考えていません[*注]。私が否定していることを当たり前の前提のように扱って次に進まれても困ります。

これは私の言葉足らずが誤解を招いたようです。diamonds8888xさんが考えておられることは承知しているつもりですが、仮説の提唱時には実は根拠がなかったのではありませんか、という私の考えを主張したかったのです。

140diamonds8888x:2018/08/05(日) 05:58:09 ID:ThHJ2a2o
>>139
> と書きました。ビッグバンとブラックホールの違いを論じるよりも大切という意味です。

 そういう意味だなんて私にはわかりませんよ。だって私は「ビッグバンとブラックホールの違いを論じよう」なんて提案はしていませんから。


> 「十把一絡げ」は極端な表現でしょう。それぞれの事例には異なる点はあっても、提唱時点では検証(反証)のやりようがなかったという共通点があり、そこが世界5分前仮説と同じでは、と言いたかったのです。

 その認識が間違いです。というか、

>問題は物理的な観測で検証できないことで、この点が例に挙げた紀元前の仮説と、それどころかコペルニクスの地動説とも、共通すると思うのです。これらの仮説は遠くの物体や微小な物体を観測することで検証ができるはずです。しかし提唱時にはそのすべがなかった。

 ここまで「根拠がない」の範囲を広げたら、およそ人が考えるほとんどの理論は昔のある時点では「検証不可能」だったことになりますよ。そんな何もかも区別しないような概念を使って何を考えようというのです?

 [>>132]を書いている時にも、もしかしたらとは思いましたが、要は、Kenさんの考える「根拠がない」の範囲が広すぎるのです。それではあらゆる理論が重要度に差が付けられなくなってしまいます。

 もっと問題なのは、提唱時に提唱者は「これが根拠だ」と示していた観測事実が無視されてしまうことでょう。


 Kenさんの考えだと、「世界5分前仮説」も他の理論も同じになるんですよね?
 では「世界5分前仮説」も真剣に検討すべきだと考えるのですか? 現在の科学者たちや教育界が世界5分前仮説を他の理論と対等に教えないのは非難すべきことだと考えるのですか?

141Ken:2018/08/05(日) 09:55:07 ID:kxVV28RY
すこし錯綜してきたので、比較的簡単に回答できることから回答します。まずは、

>そういう意味だなんて私にはわかりませんよ。だって私は「ビッグバンとブラックホールの違いを論じよう」なんて提案はしていませんから。

もともとはdiamonds8888xさんの>>128での発言を受けたものです。

>だってビッグバンの頃の事実検証なんて、ブラックホール内部の事実検証よりも困難、いや一歩下がって同じ程度に困難と考えられますよね。

ビッグバンは宇宙の膨張や背景輻射という観測事実を根拠としますし、もしも接近してくる銀河とか、宇宙の他の領域とは明確に異なる輻射を出す区画でも発見されたら反証となるはずで、そのような発見は現在の技術かその延長でも可能でしょう。でもブラックホールの内部に特異点があり、密度が無限大になり時間が止まるという事実を観測するすべは誰も思いついていません。

・・・という回答をしようかと思いましたが、ブラックホールの話はしないと決めていたので、紀元前の理論を例に出すことにしました。


>Kenさんの考えだと、「世界5分前仮説」も他の理論も同じになるんですよね?
>では「世界5分前仮説」も真剣に検討すべきだと考えるのですか? 現在の科学者たちや教育界が世界5分前仮説を他の理論と対等に教えないのは非難すべきことだと考えるのですか?

実はID論を材料にしてこの疑問に回答したと思うのですが。

私はID論と世界5分前仮説が同類とは思いませんが、かりに同類だとして、IDには世界5分前仮説以上の根拠がないとします。その場合にリチャード・ドーキンスのような人物がIDに価値を認めず無視しているだけなら問題はありません。

問題はドーキンスのような人たちが彼等の社会的な影響力でキャンペーンを行い、それどころか訴訟までやって、他人がIDを教えたり教わったりすることまでやめさせようとすることです。私はこのような行為には明確に反対します。そんなことをする権利と資格がだれにありますか。

世界5分前仮説に関連する余談を1つさせてください。実は本質的に同じことを言ってる仮説があるのです。以前に紹介したドキュメンタリーシリーズ「Through The Wormhole」の第1回が神の実在を考察しているのですが、その中で

〜この宇宙はコンピュータ・シミュレーションで我々はゲームのキャラクター。だから世界を創造した神はプログラマー

という話が出てきます。これも動画がアップされていました。

youtu.be/3KH95YCSP_c
youtu.be/QZj1kYRT-fw

主張したのは「実績を上げているNASAの科学者」リチャード・テレルという人らしいのですが、この世がシミュレーションと考える根拠として量子論を持ち出しています。

*量子はコンピュータ画面のピクセルと似ている
*電子顕微鏡が機能するのは電子が自分が通過した箇所以外の情報を持っているから。
*観測されないものは存在しない

といった量子論の特徴はこの世がコンピュータ・シミュレーションと考えると説明がつくというのです。

おそらく「あほかいな」と思われるのではないでしょうか。私もそう思います。それでもこういう発言を自由に行える環境は大切にしたいものです。


私の考える「根拠がない」の範囲が広すぎるというご指摘についてはあらためて回答をさせていただきます。

142ゲジゲジ:2018/08/05(日) 21:25:04 ID:U99n6gxs
度々ヨコからですが・・・
どうもKenさまは、区別して考えるという事が苦手なように見受けられます。

>>140でdiamonds8888xさまも指摘されていますが・・・
 >要は、Kenさんの考える「根拠がない」の範囲が広すぎるのです。
 >それではあらゆる理論が重要度に差が付けられなくなってしまいます。

以前、第一掲示板の方で「宗教法人が運営する学校が宗教の協議を教えるのは疑似科学なのでは?」といった投稿をされましたよね。
あの時に議論していたのは「公教育における科学で何を教えるべきか」だったはずなのに。

>>141への指摘をさせて頂きますと・・・
 >問題はドーキンスのような人たちが彼等の社会的な影響力でキャンペーンを行い、
 >それどころか訴訟までやって、他人がIDを教えたり教わったりすることまでやめさせようと

今、議論をしているのは、理論の科学的正しさを判定するための基準について、ですよね。
それを教えたり教わったり、特に公教育で教えるべきか否か、というのとは別の問題です。
もう一度 >>40>>41>>42>>44>>48>>49辺りを読み直してみる事をお勧めします。

・何をもって科学的と言えるのか?
  ・・・正に今、議論しているテーマのはずです。
・何を公教育の科学で教えるべきか?
  ・・・すでに検証済みの仮説です。

>>123でdiamonds8888xさまが提示された例で言うと、
「太陽は東から昇る。」という理論があって、実際に太陽が東から昇るところが何度も何度も観察された。そこで初めて、学校で「太陽は東から昇るのだよ」と教えて良い事になります。
Ken様がどこまでご存知か知りませんが、ネオダーウィニズムは既にそこまで検証されているのです。
そのネオダーウィニズムと、まだ検証もされていない、検証方法も曖昧なID論を同列に扱えというのですから、ドーキンスたちが「ちょっと待った!」と言うのは当然です。

 >そんなことをする権利と資格がだれにありますか。
と仰いますが、まっとうな科学者、まっとうな教育者には、そういう事をする権利と資格があると思いますよ。いや、そういう事をする義務もあるでしょう。



 >それでもこういう発言を自由に行える環境は大切にしたいものです。
あほみたいな発言を自由に行える環境を大切にする事と、それを公教育で教える事とは別の問題です。

上記の通り、公教育の科学で教えるべきは既に検証済みの理論なり事実です。
しかしアメリカのID論者たちは政治を動かして、公教育でID論を教えさせようとしたのですよ。
だからドーキンスたちは対抗してキャンペーンを張ったし、司法に訴えてそれを阻止しようとしたのですよ。

ここの所はきちんと区別して頂きたいですね。
そうしないとdiamonds8888xさまとの議論も、どこまで行っても噛み合わないままになりそうな気がします。

143diamonds8888x:2018/08/06(月) 06:12:11 ID:ThHJ2a2o
>>141
>問題はドーキンスのような人たちが彼等の社会的な影響力でキャンペーンを行い、それどころか訴訟までやって、他人がIDを教えたり教わったりすることまでやめさせようとすることです。

 ID論はさておいてですね、学校教育において「世界5分前仮説」を「正当派進化論」と対等な理論として教えるべきだと考えるのですか? もしくはKenさんの主張に従えば、「世界5分前仮説」と「正当派進化論」と「ID論」とを同等に教えないと、思想や教育の自由を侵すことになるのですか?


 一応言っておきますが、(私的な場において)他人がIDを教えたり教わったりすることまでやめさせよう、などとはドーキンスもやっていませんよ。むろん、ID論を主張する本などが出れば批判はするでしょう。それは互いの議論の自由であり、出版禁止にせよなどとは言ってはいないはずです。あくまでも「公教育で科学的な理論としてID論を教えるな」と言っているだけです。既に第1掲示板でも何回か指摘されていることです。

 Kenさんが公教育の重みを軽く考えるのは御自由ですが、実際には重いし、ほとんどの人は重いと考えています。だからこそ、創造論の擁護者達はアメリカにおいて「反進化論法」を成立させました。これはまさに、世界中の科学界で正しいとされる理論にもかかわらず、それを教えることを禁止した行為です。
 出典はwikipediaで「進化論裁判」の記事を見てください。既に第1掲示板でも指摘されていることです。

 確認しますが、Kenさんも「反進化論法」を成立させた行為は許されないものだと考えますよね?


 まあ、教育論は第1掲示板において一時棚上げにしましょうと合意してたと思いますし、私の問いの趣旨は、「Kenさんは世界5分前仮説は科学的に妥当な理論だと考えるのですか?」ということです。教育論に踏み込むこと自体は目的ではありませんので、訊き方が悪かったかも知れません。だとすれば改めて問い直します。

 Kenさんは世界5分前仮説は科学的に妥当な理論だと考えるのですか? つまり、正しいか正しくないかを科学的に検討してみるに値する理論である、と考えるのですか?

 「根拠がない」の範囲が広すぎるという指摘についてのあらためての回答も同時でいいですよ。その方が書きやすいならば。

144diamonds8888x:2018/08/06(月) 06:20:11 ID:ThHJ2a2o
>>141
 公教育の内容を制限することが社会的な正義か悪徳か?(ちょっと大げさかな?)というテーマに関しては、私のもってまわった話よりもゲジゲジさんの率直な話[>>142]の方がわかりやすいと思いますよ。現代の普通の人の常識的判断だと思います。

 ここで「常識が間違ってることも過去にあったではないか」とか「常識と違う考えを公教育で教えないのは、ガリレオを死刑にした教会と同じような思想弾圧だ」とかいうことにはならないか、ということですが。

 少なくとも現代の自由主義国家の社会においては、それは考えすぎで、この場合なら「公教育と私的な思想表現との違いを区別できない」ゆえの判断の誤りです。ゲジゲジさんのおっしゃるように

> あほみたいな発言を自由に行える環境を大切にする事と、それを公教育で教える事とは別の問題です。

 まさか誤解はないと思いますが、ゲジゲジさんは「あほみたいな発言を自由に行える環境を大切にする事」は社会的に正しいという大前提で書いているのですよ。「あほみたいな発言であっても自由に行える環境を大切にする事」ならもっとわかりやすいかも知れませんが。

145Ken:2018/08/08(水) 11:39:56 ID:zsbVUn6w
尋ねられたことには可能な限り回答しますが、それはそれとして1つ提案があります。

私(Ken)が科学や教育のあるべき姿をどう考えているかは、話題にしないほうがよいのではないでしょうか?

もともとdiamonds8888xさんと私では、共通土台での議論が成立しないほど、イデオロギーといいますか基本思想が懸絶しているはずです。疑似科学の定義でも、私は意図的なペテンのことを疑似科学と呼びますが、これは言い換えれば、意図的なペテンでなければ、どんなアプローチをしてもOKということですから、現在議論している「基準」自体も無意味になります。

しかし、今回は疑似科学の定義に始まり具体的な「基準」まで、すべてdiamonds8888xさんの定義に従うことで合意をしており、その内容を明らかにするための質疑応答をしているのだから、私がどういう考えをもっているかは問題にならないはずです。

そうはいっても、質疑応答の中で私の思想が姿を見せることもあるでしょう。質問をするにも私の視点と問題意識からの質問にならざるをえませんし、そこには思想が顔を出してしまいます。例えば、科学と疑似科学を判別する基準とは厳密なもので一切の曖昧さが排除されているか、定量的な判定なら数値化ができるのかと、私がくり返し尋ねたのはその現れです。

とはいえ、私の思想を封印するならその視点からの質問も封印するべきですから、上のような事態になれば、その都度矯正してゆくしかないでしょう。

これは提案であって要請ではありません。今回のように科学や教育について私がどう考えるかという直接の質問があれば、回答するのが誠意ある態度だと思います。

それを言った上で(本来は封印すべき私の思想にもとづいて)今回の質問に回答しますが、

>Kenさんも「反進化論法」を成立させた行為は許されないものだと考えますよね?

許されないと考えますが、理由はdiamonds8888xさんとは異なります。

私は、公教育といえども、内容は個々の運営責任者が決めるべきと考えます。例えば公立学校の教育内容を決める権限と責任は、そのコミュニティの構成員(市民、有権者、納税者など)に属し、学界に属するとは思いません。そこで教育された学生の人生に生じる結果まで含めて、コミュニティの自己責任だと思います。ですから反進化論法を許せないのは進化論が学会で認められた定説だからではなく、他人の教育方針に干渉する要らざるお節介だからです。もし「反創造論法」が登場しても反対するでしょう。

>学校教育において「世界5分前仮説」を「正当派進化論」と対等な理論として教えるべきだと考えるのですか?

これも同じことです。私は何かを「教えるべき」という発想をそもそも持ちません。私が教育者なら世界5分前仮説を教えようとは思いませんが、ある学校が(公立学校でも)そのコミュニティの意思決定として教えるなら自由にやればよいし、結果責任を自分たちでとればよいでしょう。

>Kenさんが公教育の重みを軽く考えるのは御自由ですが、実際には重いし、ほとんどの人は重いと考えています。

これはまさにイデオロギーの問題で、公教育が重いからこそ運営者の自由と自己責任に任せるべきという考え方もあるのではないでしょうか。

せっかくだからもう1つ付け加えます。

「基準」などを設けず、どんな仮説も自由に提唱し教えればよいという考えは、上記のような「自由と自己責任」が根底になっていますが、もう1つの理由として、科学の進歩自体もそのほうが早まると私は考えます。それはビジネスや生物の世界と同じ原理が働くと思うからです。

ご存知のように、いま世界では星の数ほど多くのベンチャーが立ち上がりますが、そのほとんどは失敗し、多くは負債をかかえて消滅します。ごくわずかな例外として成功者が現れ、グーグルやアマゾンは最も華やかな例です。

生物界でも突然変異の大半は有害なものですが、ごくまれに種の保存と繁栄に有利なものが現れ、それが進化につながります。

要するにビジネス界でも生物界でも適者生存の選択圧力が働くかぎり、どんなビジネスモデルや突然変異が現れてもそれが進歩・進化につながる。これは科学理論でも同じことではないでしょうか。とくに情報社会、ネット社会の発達により、実績を出せる仮説も出せない仮説もすぐに知れ渡ってしまい、実績を出せる仮説が生き残るのですから。

以上は私の基本思想です。今はこれは封印してdiamonds8888xさんの基準にしたがい、その基準のもとでもID論の話をできると判断した場合にIDの話をするつもりです。


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