[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
メール
|
1-
101-
201-
301-
401-
501-
601-
701-
801-
901-
1001-
1101-
1201-
1301-
1401-
1501-
1601-
1701-
1801-
1901-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
創価学会の功罪を考える
256
:
犀角独歩
:2003/10/20(月) 09:54
管理人さま:
当板では以下のようなルールに基づいていたと存じます。
沖浦克治さんは254において、
> あなたは本当に駄目な人です。
という暴言を吐いております。
わたしは、公開の場でこのような侮辱を受ける謂われはありません。
また、当スレッドおよび、統計寺版の趣旨ともこの表現はまったく関係ありません。
当板では【禁止事項】として、
「1「非礼・無礼、人権侵害、言葉の暴力」等の侮辱表現、侮辱発言は、理由の如何を問わず堅く禁止します。」
となっております。
該当の表記はこの禁止事項に該当する判断します。
故に254の削除を依頼します。
また、わたしのほうにも不適切な書き込みがありましたら、削除をお願いいたします。
257
:
犀角独歩
:2003/10/20(月) 09:56
【256の訂正】
誤)統計寺版の趣旨
正)当掲示板の趣旨
258
:
犀角独歩
:2003/10/20(月) 10:14
252、253 ガンコさん:
お久しぶりですね。
浅井さんが使う如き表現は絶待妙というより、体内・体外の法門と言われるものです。
また、内証・外用の法門としても使われます。「我が内証の寿量品」などと記述される如くです。
「然れば八万四千の法蔵は、我が身一人の日記文書なり」
などという場合もこの伏線から記述されたものでしょう。
しかし、当然のこととして、真跡中に以上のような教義的な姿勢は蓮師には見られません。
ただし、後代の相伝譜から形成された教学的な姿勢においては、たしかに体内・体外、内証・外用といった視点から捉えようとする思考はあり、学会を含む石山系教学では、このような捉え方は、至極、当然のこととして使われてきたことでしょう。
しかしながら、摩訶止観を御書と言ったりすることはあり得ません。
また、これを絶待妙ということもありません。
このようないい加減な記述は 教・論・釈・御書 を厳格に拝する興師の教学的な姿勢からも批判されるべきことでしょう。また、後代の体内・体外等の教学的姿勢からもかけはなれたものであると言えようかと存じます。
259
:
犀角独歩
:2003/10/20(月) 10:25
沖浦克治さん:
人を暴言、説教を垂れる前に我が身を振り返るべきでしょう。
あなたのここでの書き込みが、あなたのいう世界広布などと何らつながっている部分はありません。ただ、あるのは他者蔑視という差別思想だけです。
信仰の名によって、人を差別することはもっとも誡められるべきことです。
ここは議論の場であり、異なる考えの人が意見を交換する場です。その基本は証拠主義です。証拠を示すことができず、ただ、人を卑しめる発言を書き連ねるその侮蔑的態度こそ、現在、もっとも問題にされる学会の社会的な批判であるという視点論じられないのは寧ろ当然の結末なのでしょう。
当スレッドは『創価学会の功罪を考える』という趣旨です。
ですから、あなたが書き連ねることによって垣間見させた他者蔑視の心象風景はまさに、そのまま、学会の罪として公になる効果はあったでしょう。
しかし、それらは証拠主義に基づく、議論によって導かれるべきであり、特定個人を蔑み、蔑視し人権を侵害して行われるべきものであっては決してならないはずです。
あなたは、「戸田先生は世界一」という命題をここに掲げましたので、その点について、証拠の提示を求めましたが、結局のところ、何らその記述をできないうえに、その点に難儀を示す投稿者に次々と別紙・侮辱の暴言を吐き、学会の差別思想をあからさまにしております。結局のところ、戸田さんが世界であるという学会の“功”については、なんら証明されることはありませんでした。
戸田さんが世界一の証拠を掲げず、このような差別・侮辱を繰り返すのであれば、よろしく退出されることをお薦めします。また、投稿を続けるのであれば、他者蔑視・侮辱はただちに止めるべきでしょう。
260
:
犀角独歩
:2003/10/20(月) 10:27
【259の訂正】
誤)難儀を示す投稿者に次々と別紙・侮辱の暴言を吐き、学会の差別思想
正)難儀を示す投稿者に次々と蔑視・侮辱の暴言を吐き、学会の差別思想
261
:
管理者
:2003/10/20(月) 12:19
犀角独歩さん
254レスが、当掲示板のルールに違反している、というご指摘、もっともであると存じます。
沖浦克治さん
あなたの254レスは、下記の、当掲示板の禁止事項に抵触すると判断いたします。申し訳ありませんが、あなたの254レスは削除させていただきます。
【禁止事項】
1「非礼・無礼、人権侵害、言葉の暴力」等の侮辱表現、侮辱発言は、理由の如何を問わず堅く禁止します。もし、そのような表現や発言が見うけられた場合は、管理者がその都度、御注意申し上げると共に、その該当する表現、発言を含むレス全体を削除致します。なお、管理者の制止を無視して、侮辱表現、侮辱発言を続けられた場合は、以後の投稿をお断りする事になりますので、予め、御承知置き下さい。
262
:
犀角独歩
:2003/10/20(月) 12:22
管理人さま:
ご多忙のところ、有り難うございました。
263
:
犀角独歩
:2003/10/20(月) 12:23
戸田さんが世界一かどうか、個人がどのような確信を懐こうが勝手です。
しかし、その確信を認めないものを蔑視、軽蔑するという有様は非常に迷惑です。それが集団となる場合、さらに社会的な迷惑に発展します。
ここ数日間の議論は、この点をよく表したものであったと思えます。
わたしの両親は昭和28年、大田区で入会した生え抜きの戸田門下生でした。そのことから、わたし自身、かつて戸田さんに強く傾倒していた一人でしたので、同様の確信を懐いていた時期はありました。池田さんが最高であると思った時期もあります。そのことから、学会が唯一絶対の団体であると確信を懐いていた時期もありました。
しかしながら、学会において根本思想とする日蓮聖人の教学を真面目に考証することなく、戦前の石山教学を鵜呑みにして、大正生命主義の影響から、生命論として展開した基礎的な考えは、まったく日蓮その人の思想から隔絶したものであった点に大きな疑問が生じました。
また、わたしが学生として生きた昭和40年代は「池田先生は日蓮大聖人の生まれ変わり」とまことしやかに口コミで人心操作がなされた時代でした。これはまた、戸田さんの獄中の宗教体験を「悟達」といい、また同人を「地涌の菩薩の棟梁」と表現する個人崇拝に操作されたこととも大きく関係したものであったと反省しました。
もとより、悟達とは仏の境地であり、如何に日本最大の宗教団に育て上げた人物であろうと、その人物を表す語として不適切です。また、地涌の菩薩の棟梁とは上行菩薩に違いなく、上行応化論から上行日蓮本仏を標榜する石山門にあって、この表現は、ただちに会長本仏論として敢えて誤解を招く作為をわたしは看取しました。この点が反省されたのが52年度路線であったと認識しています。しかし、残念ながら、この点はまったく反故に帰してしまったことは残念なことでした。
それでもそれほどの会長崇拝を可能にしたなんらかの魅力が会員各人にはあるのでしょう。わたしも個人的に池田さんに会うことがあり、その傾倒は10年以上も続いた経験がありますので、この点はわかります。しかし、これら信念体系は、社会心理学において、「個人的リアリティ」という心理想念であるという指摘に触れ、そこから反省が生じることになりました。また、自分が強い確信と思っていたことは、蓮師その人の思想ではなかったことがわかり、ここにさらに反省が生じたわけです。
わたしは現在、年間延べ1000人ほどの脱会者、脱会希望者、そして、その家族の心理的ケアと、社会復帰の手助けに日々追われておりますが、このようなボランティア活動を続けるにつき、なぜ自分を含む石山系被害者が、斯くも後を絶たないのかと憤慨にも似た考察を余儀なくされます。昭和58年でしたか、創価学会は公称1650万人を豪語しておりました。しかし、統計その他から類推されるその実数は600万人ないし400万人程度であると予想されています。となれば、創価学会は過去50年間の間に1000万人を超える脱会者を出したことになります。また、家族まで広げて考えれば、その被害は数千万人の規模となると想像されます。このような罪悪は強い信念体系に陥る会員からすれば、単に「退転」の烙印で蔑めば、終わることでしょう。しかし、脱め、投げ出された多くの人々の苦悩はそれで解決されることはありません。その一部の方々がわたしの門を叩いているのでしょう。
このような人たちの多くは、会をやめ、指導者を捨てることが、ただちに日蓮その人の教えを捨てることであるというある種の不安を懐いています。しかし、その場合、会で刷り込まれた“教学”は日蓮その人の思想ではなく、その後に変遷したものであり、直接的な日蓮思想ではないことを知るとき、ようやくと安堵に胸をなで下ろすこととなります。
何より、会員である時点で、もっとも大きな心理操作は、ファンダメンタリズムであり、そこから生じる他者蔑視と憎悪、そして、退会に対する恐怖操作が主に施されることになります。わたしは創価学会における最大の社会問題は「憎悪操作」という一点に集約されると考えています。。しかしこれは、信仰体験からくる功利性で裏打ちされていますので、各人はその功利面からこの罪過を気付きがたい構造があります。
264
:
犀角独歩
:2003/10/20(月) 12:23
―263からつづく―
「平和はナチスでも言った」と話したのが誰であったか失念しました。しかし、平和、広宣流布を言う学会が、具体的にどのような活動をしているのかと問われるとき、「池田先生は世界の要人と会っている」などと返されたところで、失笑を買うばかりです。
批判でも何でもなく、創価学会の社会的にどんな功利面を持っているのか、わたしにはまったく思いつきません。この点について、「ある」というのであれば、是非とも提示していただきたいと思います。しかし、「学会のすばらしさ、先生のすばらしさがわからないお前がだめな人間だ」また、かつて「池田先生のすばらしさがわからないお前はバカだ」などという投稿もあったと記憶しますが、このように軽蔑される謂われはありません。そのような他者蔑視によって、恰も学会が、なにか日本社会、あるいは世界的に素晴らしい平和活動、あるいは広宣流布果たしていると錯覚させる心理操作がここにあります。この点は看過できない点です。
実際にわたしが経験した創価学会では「創価学会は世界平和に貢献している。世界広布をなす唯一の団体である」と言われていましたが、詳細にその証拠を求めようとすると“お題目ばかり”でまったく実態に行き当たりません。その点に疑問を示せば返ってくることはお定まりです。「学会と先生を疑うお前は信心がない」。この信心がないというレッテルは、いわば信仰者にとっての死刑宣告、あるいは罪人扱いに等しいものですから、このように言われるような質問は自分の心のなかでもみ消すことが信心の一貫に含まれていくことになります。
しかし、何ら証拠性もなく、単に自分たちは絶対だ、自分は勝れている、信じないのはだめだ、境涯が低い、理解力がないなどと他者侮蔑の限りを尽くす人間を作り上げるその組織集団が、果たして、真に平和に貢献するものであるといえるのか、わたしは甚だ疑問を抱くわけです。
多くの学会員に見られるこの思い込みは、もちろん組織による心理操作に違いありません。まったく日蓮その人の思想を恣意的に勝手解釈した挙げ句、会と指導者崇拝の道具として使うことによって可能になっています。故にこの問題の根の深さを再認識せざるを得ないところとなります。
わたしは過去50年の創価学会の功罪を以下の文ほど、端的に表しているものを他に知りません。何度も引用してきましたが、もう一度、再掲します。
「既成の宗教によって点火されなかった宗教心に新興宗教が火を着け、人々を巨大な信仰集団の徒にしたことは新興宗教の功績であり、それ以外に救われる術がなかった人々をして、心の安定を得させたことは高く評価されるべきであろう。
しかしながら、私にはこの新興宗教がたちまちに金集めの組識に変化することに深い憂慮をおぼえるのである。新興宗教がある程度大きくなると、必ずその教祖を絶対者として、神あるいは仏の再来としてあがむ。そして教祖をピラミッドの頂点とする教団を拡張することが最大の善と考え、そのために猛烈な金集めが行われる。そのことが私は、大きな疑問なのである」(『宗教の自殺』−PHP研究所−梅原猛・山折哲雄 P210)
たしかに会員各人が感じる個人的なリアリティはその組織と指導者によって与えられたのは事実であり、功利面として数え上げてよいことであると思います。しかし、それが高じるとき、ついには指導者の絶対崇拝が始まり、その熱烈さは、会の資金集めと勧誘のために転用されていく構造の、学会はその典型に見えます。そして、そのような転向は、まさにこの本の題名が示すとおり、その宗教の自殺行為であり、そこで、信者たちは善意に基づくはずの体験が他者蔑視、憎悪として、恐怖心に支えられて刷り込まれることによって、いつしか、その一人ひとりの信仰心もまた自殺させられてしまう憂慮すべき構造があることを見逃してはならないとわたしは思います。人を救うべき佛教の名の元に、人を見下し、侮蔑することしかできない心理状態へ転落することは、まさに信仰者としての自殺行為であるとわたしには思えるわけです。
265
:
愚鈍凡夫
:2003/10/20(月) 12:48
>>254
:沖浦克治さん、
>『、涅槃経に云く「一切世間の外道の経書は皆是れ仏説なり外道の説に非ず」と、止観に云く「若し深く世法を識れば即ち是れ仏法なり」と、弘決に云く「礼楽前に駈せて真道後に啓く」と、』
> ご本仏自らが法華経を引用し、このように仰せです。
この文証の何処に『法華経』からの引用がありますか?
ひょっとして、これも沖浦克治さん流の「実践の教学」と称する、切り文・勝手解釈の産物ですか?
公の場で、あなたしか分からないことを言ってはダメですよ。それと、出典名ぐらいはちゃんと書きましょうね。『法華経』の一節が出てくるのはあなたが引用した文証の少し前です。但し、引用されているのは『法華経』だけではないですが。
「金光明経に云く「一切世間の所有る善論は皆此の経に因る」と、法華経に云く「若し俗間の経書・治世の語言・資生の業等を説かんも皆正法に順ず」と普賢経に云く「正法をもつて国を治め人民を邪枉せず是れを第三懺悔を修すと名く」と、涅槃経に云く「一切世間の外道の経書は皆是れ仏説なり外道の説に非ず」と、止観に云く「若し深く世法を識れば即ち是れ仏法なり」と、弘決に云く「礼楽前に駈せて真道後に啓く」と、」(「災難対治抄」 学会版P84)
沖浦克治さん、
中途半端にも満たない知識をひけらかし、人を罵倒して何になるのですか?
いかにすれば自分の増上慢を正し、今後の世界広布に連動するかを何故考えないのですか?
所詮は民衆救済から遊離した『天の邪鬼』的行為であることに気付くべきです。
大きなお世話ですが、同御書にあなたにぴったりのこんな一節もありますよ。
「信心薄く口に誦すれども其の義を知らず一向名利の為に之を誦す」(「災難対治抄」 学会版P84)
あっ、そうそう。戦時中、戸田さんが「八紘一宇」を評価していた事実をご存知ですか。
昭和17年5月17日、第4回総会で戸田理事長(当時)が、次のような「生活改善同盟の歌(幹部会員四海民蔵作詩)」を披露しています。
「男だ 日本人だ 日蓮正宗の信者だ 栄光ある生活改善同盟の戦士だ 大君のかがやく御稜威 八紘一宇肇国の御理想 今 全く地球を包む」
あっそうか、戸田さんの指導でも都合の悪い指導は受け入れなかったんですね。
266
:
アネモネ
:2003/10/20(月) 13:05
沖浦克治さん
はじめまして。
ここのところ仕事が立て込んでおりまして、ゆっくりと投稿する時間がとれず、ロム専が続いておりました。
私はこのスレッドの提案者でもありますので、多忙を理由にご遠慮しては無責任ということになりますので、ここは呼びかけに応じまして、投稿させて頂きます。
沖浦克治さんは、どの程度、私のレスを読まれたのかわかりませんが、とりあず、ざっと自己紹介をしておきます。
私は、法華講に8年ほど前に入信した経緯があります。ただし現在は退転状態でして、日蓮仏法への絶対的信仰そのものから距離を置いております。
創価学会には直接的な縁がありませんでしたので、学会のことも戸田さんのことも池田さんのこともよくわかりません。中途半端な聞きかじり程度の理解です。
ですから、私個人の人生においては、そんなに大きな影響を受けた存在ではありませんので、戸田さんが世界一のお方だと言われましても、ピンとこないですし、熱い思いを語られても、正直なところ何の感動も私には伝わりません。申し訳ないですが、沖浦克治さんの思いに対して、共感や共鳴はとてもできないところです。
世界一の実力といえども、同じ日本人でありながら、平成の今を生きる私のところにまで及ぶほどのものではないようですね。
そのようなことですから、創価学会の沖浦克治さんからすれば、私は法謗の人ということになるでしょうし、恐らく最も「境涯」の低い部類の駄目な人間といえることと思われます。沖浦克治さんと仮に対話を試みたところで、非常に感覚的な温度差をお互いに感じるだけだろうと思われます。まあ、ここにレスされている方々の中でも、とりわけ一番私とは話が噛み合わないのではないでしょうか。
絶対的な価値観の強要に対しては、私は安易に受け入れられるものではありませんので、恐らくお互いの温度差は埋められるものではないといえるでしょう。
そのようなことを沖浦克治さんにはまず申し上げておきたいと思います。
しかしながら、私に何がご意見があるのであれば、もちろん承ります。過去レスへのご意見ご質問は、どうぞご自由にお書きください。
267
:
アネモネ
:2003/10/20(月) 13:06
(つづき)
とりあえずこのスレッドは、創価学会の「功」と「罪」を考える場ですから、いろんな角度や視点からの考えや分析が投稿されることをねらいとして、スレッドを提案させて頂きました。
ここは創価学会員だけの掲示板ではありません。
ですから、創価学会における絶対的なお約束や価値観を、どんなに力んで力説されてもここでは何の効力も発揮しません。
それを駄目だというならば、ここでの対話は無理でしょう。
また自分のことを理解してもらいたいと思うならば、理解されるように言葉を尽くしてレスを試みる努力をするべきではないでしょうか。持論が理解されないことを、相手の理解力のなさとして責任をなすりつけるのは、宗教者としても、とても不誠実な態度に感じます。またむしろ沖浦克治さんのレスは、説明不足ということのほうが大きいのではないでしょうか。
相手に心も砕くことなく、また言葉も尽くさずして、持論の信念をただただ当然の価値観と押し付けようとするばかりの姿勢は、無理をゴリ押ししているだけのものです。無理を通せば道理が引っ込むで、その結果、暴言が突いて出る。失礼ながら、沖浦克治さんの現在の投稿内容は、そのようなところではないでしょうか。まるで喧嘩を売りにきたようなものですね。
喧嘩なら喧嘩で、なじり合いを続ければいいわけですが、それでは世間一般に対して、この仏法を信じた結果は修羅の境涯であるという皮肉な結果を示すだけではないでしょうか。
加えて私の感想ですが、「駄目な人」などと、相手にレッテルを貼ってみたところで、それはかえってご自身の人間性を落としているように、私には見えてしまいます。
境涯を高めるその先の姿とは、そのような人間性となることを目的としたものであるならば、私は「境涯」も「境界」も決して高くはなりたくないものだとつくづく思いました。できるだけ低くありたいです。
そのような私の思いからいっても、法華講を退転したことは正しい選択であったと思います。またもっと言えば、創価学会に縁がなくてよかったとさえ思います
沖浦克治さんお一人の限られた投稿内容だけでもって、創価学会員全体の人間性を決め付け断定するものではありませんが、しかし創価学会の功罪の、その社会的な観点からみた「罪」の一端を認めざるを得ないという感想を持ちました。
268
:
犀角独歩
:2003/10/20(月) 18:22
209において、沖浦克治さんは
> 蓮祖は化法の広宣流布をなされ、化義の広宣流布は後世の我々にご遺命としてお残しになられた
と、このように記しています。
しかし、蓮師真跡、真偽未決書、あるいは重須文献、富要その他を一瞥しても、ここでいう「化法の広宣流布・化義の広宣流布」という教義・成句を見出すことはできません。
けれど、思い返せば、たしかに同会ではこのようなことを言っていたと思い当たる節があります。いまネットで検索したところ、池田さんは会長就任の時、以下のような挨拶がありました。
「若輩ではございますが、本日より、戸田門下生を代表して化儀の広宣流布を目指し、一歩前進への指揮をとらさせていただきます!」
(
http://www.sokagakkai.or.jp/member/n_member/05/05.html
)
これは創価学会の公式のサイトのようで、ここでは「化儀の広宣流布」となっています。すなわち、沖浦さんが「化義の広宣流布」とするのは、学会用語としても、間違いであることがわかります。まあ、打ち間違いはあるでしょう。
以上のことから投稿者である沖浦さんにわたしは 233にその意味を問いました。それに対して、237において、
> 『一閻浮提総与の大ご本尊様』御書から引用してください。
との回答が寄せられました。しかし如何なる日蓮遺文集に(当たり前ですが)同名の御書を見つけることはできませんでした。そこで、重ねて247に再度、その意味を問いました。しかし、結局のところ、この点についても回答はなされないばかりか悪口雑言の限りを尽くすばかりでした。
これ以上、ご当人に問うたところで、「戸田先生は世界一」と同様、回答は期待できないのですが、今一度、問います。
(1) 化法・化儀の広宣流布とは何でしょうか。
(2) 『一閻浮提総与の大ご本尊様』御書とは何でしょうか。
269
:
MILD SEVEN
:2003/10/20(月) 20:14
<創価学会の危険性について>
私達は、通常、相手が善くなるように祈ったり・助言したり、時には警告したりします。
私は創価に悔い改めを促しています。
しかし、創価学会には理解に苦しむところがあります。
それは、「呪い」です。
敵対する者を憎み、呪ったりするところです。
創価学会は、内部改善委員会を作って、内部の悪を粛正するべきです。
どんな宗教・組織でも、風紀委員は必要だと思います。
この世の強大な悪の力に打勝つのは大変なことです。
全ての宗教の課題だとも思います。
宗教は洗脳ではありません。
解放のはずです。
創価の「呪い」はダメです。
それは魔術・呪術。
ただ悪への道。
愛や慈悲を捨て、呪いを選択するのは愚かな事。
闇黒魔術に等しい行為です。
それは、もはや仏教でも宗教でもありません。
魔界の虜。
呪われた人間集団です。
日本が、アメリカ等にブラックホールと言われだしたのは、いつからでしょうか?
平和な民主主義国家・日本。
水面下では・・・。
陰の独裁者がいる{危険な全体主義}カルト国家日本・・・これは、避けたい事です。
カルトからの解放教育は、緊急避難的問題です。
解放出来なければ、将来のエネルギー「石油」危機や、欧米・アジア諸国等から相手にされなくなる危険もあります。
それだけではありません。
残された時間は・・・。
http://bbs.infoseek.co.jp/Board01?user=kokoroqq
270
:
MILD SEVEN
:2003/10/20(月) 20:19
<創価学会の危険性について>
私達は、通常、相手が善くなるように祈ったり・助言したり、時には警告したりします。
私は創価に悔い改めを促しています。
しかし、創価学会には理解に苦しむところがあります。
それは、「呪い」です。
敵対する者を憎み、呪ったりするところです。
創価学会は、内部改善委員会を作って、内部の悪を粛正するべきです。
どんな宗教・組織でも、風紀委員は必要だと思います。
この世の強大な悪の力に打勝つのは大変なことです。
全ての宗教の課題だとも思います。
宗教は洗脳ではありません。
解放のはずです。
創価の「呪い」はダメです。
それは魔術・呪術。
ただ悪への道。
愛や慈悲を捨て、呪いを選択するのは愚かな事。
闇黒魔術に等しい行為です。
それは、もはや仏教でも宗教でもありません。
魔界の虜。
呪われた人間集団です。
日本が、アメリカ等にブラックホールと言われだしたのは、いつからでしょうか?
平和な民主主義国家・日本。
水面下では・・・。
陰の独裁者がいる{危険な全体主義}カルト国家日本・・・これは、避けたい事です。
カルトからの解放教育は、緊急避難的問題です。
解放出来なければ、将来のエネルギー「石油」危機や、欧米・アジア諸国等から相手にされなくなる危険もあります。
それだけではありません。
残された時間は・・・。
http://bbs.infoseek.co.jp/Board01?user=kokoroqq
271
:
沖浦克治
:2003/10/20(月) 22:02
アネモネさん
始めまして、感謝いたします。
簡単に自己紹介を致します。
1945年生まれの58歳、創価学会の壮年部員です。
役職はありません。
創価学会に入会して、今年で41年になりました。
昭和54年ぐらいから、日蓮正宗は邪宗であると思っております。
創価学会の活動は、座談会にのみ出来る限りは参加いたします。
選挙運動は全くいたしませんが、基本的には公明党に投票します。
他にいい人がいれば、そちらに投票する事もあります。
創価学会員であることが、自分の最大の誇りです。
>戸田さんが世界一のお方だと言われましても、ピンとこないですし、熱い思いを語られても、正直なところ何の感動も私には伝わりません。
別に熱い思いではありません。
私が事実として認識している事を、淡々と述べているにすぎません。
伝わる伝わらないは私の問題ではなく、あなたの問題だと思います。
私はどの掲示板でも、創価学会の蓮祖直結なる事を主張いたしますが、ご理解いただけなければそれで結構なのです。
理解していただける人が100人に一人ならば、100箇所で述べるだけです。
>創価学会の沖浦克治さんからすれば、私は法謗の人ということになるでしょうし、恐らく最も「境涯」の低い部類の駄目な人間といえることと思われます。沖浦克治さんと仮に対話を試みたところで、非常に感覚的な温度差をお互いに感じるだけだろうと思われます。
そんな事は思いません。
人間の値打ちは、信じている宗教とは関係がありません。
>創価学会における絶対的なお約束や価値観を、どんなに力んで力説されてもここでは何の効力も発揮しません。
そんな事はありませんよ。
書き込む人の何倍もの人達が見ているでしょう。
その人達のお一人でも理解していただければ、それでいいのです。
>また自分のことを理解してもらいたいと思うならば、理解されるように言葉を尽くしてレスを試みる努力をするべきではないでしょうか。持論が理解されないことを、相手の理解力のなさとして責任をなすりつけるのは、宗教者としても、とても不誠実な態度に感じます。
相手次第です。
『まあ、戸田さんの話が面白く人々を扇動するのが上手かったのは事実でしょうね。』( 犀角独歩 さんの書き込みより)
この人は最初から対話をする姿勢ではありません。
理解などしていただかなくて結構です。
>加えて私の感想ですが、「駄目な人」などと、相手にレッテルを貼ってみたところで、それはかえってご自身の人間性を落としているように、私には見えてしまいます。
私は多くの法華講の方々のご意見を聞いてまいりました。
不思議に思うのは、蓮祖の法の正義なることを、自らが社会に一流の結果を示す事により証明すべきだ、とのご意見が見られない事です。
宗教は現実の社会に人間と言う媒体の具体的な行動となって顕れなければ、何の意味ももたないと思います。
何百年も以前の誰が、どう言った、こう言ったなどに何の根値打ちがあるのでしょうか?
失礼ながら、私の知っている法華講の論者達は、全てそう言うことしか言いません。
最も大切な事は過去の羅列ではなく、今後蓮祖の法を如何ににして世界に広め、人類に幸福をもたらすべきかです。
この論点に欠ける意見には、何の値打ちも無いと思います。
私は初めてアネモネさんの書き込みを読んだときに、この人とはこのような対話が出来るのでは、と感じたのです。
それで今回あなたが立ち上げたスレッドにやってきました。
272
:
沖浦克治
:2003/10/20(月) 22:06
愚鈍凡夫 さん
貴殿に対して失礼な表現があったことを、お詫びいたします。
273
:
沖浦克治
:2003/10/20(月) 22:45
犀角独歩さん
失礼致しました。
最初にこの掲示板で、御書に書いていない事は一切認めない、とのご意見をお持ちの人と出会いました。
あなたをおなじご人かと思ってしまいました。
ご迷惑をお掛けいたしました。
化法の広宣流布とは、お題目を広める事です。
化義の広宣流布とは、本尊流布を指します。
化義という言葉は蓮祖の御書にはありません。
化法はありますが化法の広宣流布との表現もありません。
然しながら言葉が無くても、実態をよく表現していれば使用してもよいと思います。
唯授一人も、嫡々一人も御書にはありません。
戒壇の大ご本尊もありません。
一閻浮提総与もありません。
だから使用するな、とのご意見には賛同できません。
こんな意見を平気で唱える人は、太陰暦を使い、紀元や元号で年代を数え、鎌倉時代の言葉を喋っているのでしょうね。
私にはそんなユニークな生活は送れそうもありませんから、お付き合いはしたくありません。
あなたを、そのような人と間違えた失礼をお許しくださいませ。
274
:
アネモネ
:2003/10/21(火) 01:10
沖浦克治さん
ご返信、ありがとうございます。
どうかこの掲示板では、他者の意見や考えの相違というものをできるだけ認め尊重し、そして持論を展開していくスタンスを意識されてみられてください。
持論の展開の投稿はまったくの自由です。自由であるということは、同時に他者の言論の自由も認められなければならないものですから、意見が違えば、批判や反論もあるものです。
しかし、そうしたの批判や反論の自由も許容する姿勢を少しでも心掛けて下さるならば、この掲示板は沖浦克治さんにとっても、とても有意義な場所となるのではないでしょうか。
私も、お付き合いさせて頂きます。
>最も大切な事は過去の羅列ではなく、今後蓮祖の法を如何ににして世界に広め、人類に幸福をもたらすべきかです。
だいたいの意図されるところのお気持ちは、なんとなくわかるような気がいたします。わかりますが、ただ、ここの掲示板では過去の議論を通しまして、いわゆる連祖の法とは何であったのかという、その根本的な疑問の解明から取り組んできております。そのような経緯の中で、御書の真偽問題は重要であるという認識は大変重要なことであり、そうなると、戸田さんが当然のこととして主張されてきたことも、どこまで正しい日蓮仏法といえるのかといったことも当然のこととして問題になってきますね。
もしも沖浦さんにお時間が許されるならば、過去ログをご参照ください。
中でも、 「『日蓮大聖人が御本仏である』という教義について」「大石寺の歴史について」「続大石寺の歴史について」「大石寺問題提起」「続 大石寺問題提起」などから読まれると、この掲示板の流れがつかめるのではないでしょうか。
お読みになられるとおわかりになると思いますが、そこを問題にすることは、決して日蓮原理主義というスタンスのものではないと思います。むしろ、現代に生かす為にも、とりあえずは祖意を解明し、その上で日蓮の精神を学んで現代に生かすものではないでしょうか。
まあともかくとして私は、牧口さん、戸田さん、池田さんといった、創価学会の草創期を築いた方々に全く興味がないわけではありません。
戸田さんに関して、私の非常に中途半端な聞きかじり理解でのレスをお許し頂きたいと思います。
戸田さんは、戦時中に戦時中の挙国一致体制のもと、特高警察によって逮捕されたということですが、その逮捕理由は、治安維持法違反並びに不敬罪とのこと。確か、国から配布される神道のお札の受け取りを拒絶したというのが、その根拠ではなかったでしょうか。
一言で言い替えれば、「非国民」のレッテル貼られたわけですね。
ところで、沖浦克治さんのレスによると、
>故に、信教の自由が保証された民主主義の世の中が日本に出現するまでは、化義の広布の時は来なかったのです。
とのことですから、つまり信教の自由が保証されたことによって、自分の好きなように信仰の意思決定を自分で選ぶ権利が与えられたわけですね。その延長上に、布教の自由も認められて、戦後から今日に至る創価学会の「広布の時」を迎えることが出来たといえることなのでしょう。
275
:
アネモネ
:2003/10/21(火) 01:14
(つづき)
>戦争に敗れ、国民はどん底の不幸にあえぎ、蓮祖の法はまさに穏没せんとしたその時、日本に民主主義が生まれ、時を同じくして戸田先生が牢獄の中から『我地涌の菩薩の棟梁なり、』と宣言してご出現になられたのです。
なにげなく読み流しておりましたが、要するに、日本に民主主義がもたらされなければ、戸田さんの世界一の実力の広布というものも発揮されなかったということになるでしょうか。その因縁を不思議と解釈されておられるところなのでしょう。
けれども、しかし厳密には、現時点における世界一というのは、戸田さんの実力というよりは、民主主義の力ということになりはしないかとも、率直なところ思うところです。
つまり日本の民主主義を定めた現行憲法の、第二十条に保障された信教の自由の恩恵を、第二代会長の戸田さん以降の創価学会は多大にその受けているということになるといえますね。
では、その信教の自由という権利ですが、現在の創価学会は、自らの教団の権利の主張と同じだけ組織外の他の人々、端的にいえば不信の人々に対してもその「信じない自由」の権利を守っていると言い切れるものでしょうか。
自身の権利を主張する者は、他者の権利も侵害してはならないことは、民主主義のお約束、いわば鉄則ですね。
第二十条について、ここに転載しておきます。
「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教教育その他いかなる宗教活動もしてはならない」
信教の自由とは、信じない自由も保障されるものですが、果たして戸田さん以降の現在に至る創価学会は、信心のない人や学会に無縁の他者に対して、信教の自由、つまり信じない自由を尊重してきたといえるものなのかという、素朴な疑問が私にはあります。その点はpundarikaにも投稿しておりますので、時間があればお読み頂ければ幸甚です。
http://jbbs.shitaraba.com/bbs/read.cgi/study/3050/1057699995/l100
信じない自由も保障した「信教の自由」のもと、布教活動が出来るようになったにも関わらず、その布教の信念体系の中には、「謗法の者」「退転者」「外道の人」、といった烙印を押して蔑む差別意識が横たわってきているのではないかと思われます。しかし考えてもみれば、そのようないわば差別意識や排他的意識とは、言葉は違えど実は、戦時中に牧口さんや戸田さんが受けた「非国民」という烙印と同じ性質の暴言なのではないかと考えられます。
>それで今回あなたが立ち上げたスレッドにやってきました。
わかりました。
もしも、差し支えなければ、沖浦克治さん自身が体感された戸田さんから学んだことなど、ご自身の人生を通しての体験を、できれば具体的にこの場で語ってみられてはいかがでしょう。いわゆる座談会における体験発表ですね。もちろん、内容によっては突っ込みや反論はあるかもしれません。しかし、その中から創価学会の功罪の功の部分も見えてくるかもしれません。
私は8年で退転いたしましたが、41年もの人生を創価学会に賭けてこられたその信念の思いの丈を、この場で語られてみてみられることは、決して悪いことではないと思います。
276
:
アネモネ
:2003/10/21(火) 01:25
>275訂正
誤)「非国民」という烙印と同じ性質の暴言なのではないかと考えられます。
正)「非国民」という烙印と同じ性質の烙印なのではないかと考えられます。
277
:
水戸の隠居
:2003/10/21(火) 03:14
創価よ!
ポストに変なビラを入れるなよ〜
年金プランはワシの方が上手じゃて。
しかし、企業秘密じゃて。
水戸は安泰じゃ。
278
:
愚鈍凡夫
:2003/10/21(火) 06:07
>>272
:沖浦克治さん、
こちらこそ言い過ぎた面があったように思います。その点謝罪いたします。
アネモネさんのレスと重複しますが、小生は歴史を重要なものと認識しています。
勿論それは、脚色し、捏造されたものではなく、事実としての歴史です。
嘗て、「小説・人間革命」の戸田さんが実像の戸田さんと勘違いしていた頃、戸田さんを尊敬していました。しかし、戸田さんの事を調べだして実像が見えてきた時、脚色された創価学会史に失望しました(小生は、何かを調べる時、自前で年表を作るようにしています)。戦時中、あたかも牧口さんと戸田さんが反戦平和を訴えていたかのように捏造し、学会史を歪めていった行為に、当時は怒りさえ覚えたものです。
所詮、ウソで固めた歴史は暴かれていくものです。インターネットが一般化し、ここだけの話と称する内部口コミ情報が通用しなくなり、創価学会の実像が世間に曝されるようになりました。これは、他の富士門系教団も同じです。故に、素直に過去の過ちを認め、事実を公表すべき時が来ているように思います。そうしないと、お互いの暴露合戦ばかりが先行して、教団としての求心力を失っていく結果になってしまうでしょう。そして、やがて富士門自体が更に細分化され、収拾がつかなくなるのではないでしょうか。
何時しか教団の存続にばかり気を取られ、肝心の民衆救済が等閑にされていくように思います。現在の宗創紛争を見る時、双方の信者が組織に愛想を尽かし、個人としての信仰に目覚めていく流れが一方にあります。そしてこの流れは、これからも続いていくでしょう。法を師とし、自らを拠り所とする事は、釈迦牟尼の教えでもあります。小生は、この流れの中に身を置こうと思っています。
沖浦克治さんがこれからも投稿を続けられるのであれば、宜しくお願いします。
279
:
ぴょん
:2003/10/21(火) 12:18
>278 愚鈍凡夫さん
>戸田さんの事を調べだして実像が見えてきた時、脚色された創価学会史に失望しました(小生は、何かを調べる時、自前で年表を作るようにしています)。戦時中、あたかも牧口さんと戸田さんが反戦平和を訴えていたかのように捏造し、学会史を歪めていった行為に、当時は怒りさえ覚えたものです。
その年表を一度アップしてはもらえないでしょうか。
「所詮、ウソで固めた歴史は暴かれていくものです。」とまで確信なさる「知られざる歴史」を公表することは非常に意味があるものと思います。
280
:
愚鈍凡夫
:2003/10/21(火) 13:02
ぴょんさん、始めまして。
「一太郎8」でまとめ、更に「一太郎12」の圧縮文書に変換したもので、61KBありますが何処にアップするのですか。
> 「所詮、ウソで固めた歴史は暴かれていくものです。」とまで確信なさる「知られざる歴史」を公表することは非常に意味があるものと思います。
「知られざる歴史」なんかじゃないですよ。今じゃ、創価学会の歴史に関する資料はインターネット上で簡単に調べられるじゃありませんか。小生の年表は公表されたものをまとめたものですよ。
興味があるなら、ぴょんさんも創価学会・法華講・顕正会の主張や、その他の関連書籍などの記述を年表にまとめられたら面白いですよ。
281
:
犀角独歩
:2003/10/21(火) 13:41
沖浦克治さん:
2点、申し上げます。
まず、
> 御書に書いていない事は一切認めない
わたしは、いわゆる真跡主義を貫徹しているのは事実です。
伝聞ではなく、事実から事実を知る至極当然の科学的な文献主義だからです。
ただし、それはひとつの過程なのであって、その後を前提とするものです。
これを奇異に感じられるとすれば、それは既に近代科学の発展から乗り遅れて、科学開闢前の土俗信仰でものを騙っているのと同様でしょう。
日蓮その人の教えを後世に残すためにもっとも必要なことは何か。たぶん沖浦さんは「実証である」と答えるでしょう。しかし、学的社会において、その前提があります。それは科学的な俎上に耐える事実の羅列です。換言すれば、証拠主義と言うことでしょう。
かつて、蓮師が比叡山に学び、諸国を遊学し、『立正安国論』上奏に諸文献を提示したの同様の手続きがなければ、「日蓮」は間違いなく、ただ土俗信仰のなかに埋没して消えていきます。蓮師が生きた鎌倉時代、その後、蓮師教学が次々と改竄されていったのが中世。そして、近代はようやくと科学の曙光がさし、自由に学問ができるようになりました。近年のインターネットの発展は、学僧が生涯を賭けて調べ上げることをわずか数秒で検索することを可能にしました。
しかしその前提には、膨大の教学資料を古文書から活字に変えた碩学の努力があり、さらにその活字をデータ化して提供した仏教ネット社会の先駆者がいて可能になったことです。いまやかつてない仏教再考の好機を到来しています。蓮師が果たせなかった事実の考証を現代の有志が蓮師に変わって推進し、次代にその成果を遺すことこそ、祖に対する報恩であるとわたしは信じます。
しかし、以上のような手続きを踏まず、ただ、個人的な実証(個人的リアリティ/グループダイナミクス)、あるいは組織力などで圧して、蓮師の絶対性を訴えるのであれば、巷間の人々は納得することはなく、法を久住させることなどできようがありません。
いま必要なことは蓮師御立法門の真実相を確実な資料から割り出し、そこから、再考することです。既にこの努力は数十年ほど前から始まっています。しかし、学会を含む石山系ではこれに大きく後れを取っている事実があります。それを拒んだものが何であったのか、沖浦さんにはわかりますか。それは、創価学会が自分たちの教義を組織力で押し付けて、学問の自由を弾圧してきて結果です。しかし、反面、その創価学会の暴挙に反抗する学問的誠意が実は蓮師研究の大きな原動力になってきたのです。
学会の存在は学会とその指導者の実証を示すことはあったけれども、日蓮その人の実像から実証を示すことはなかった実態がありませんか。このような篤志を迫害してきた暴力的な姿勢は大いに反省されなければならないでしょう。しかし、実直に申し上げて、沖浦さんのここでの書き込みはまさにその組織暴力の体質そのものであり、自由思想に対する冒涜に充ち満ちていると見えます。その基本をなして映じるのが戸田崇拝というカリスマ信仰です。そのカリスマ信仰から訴えられる個人の実証に対して、近代自由人は生理的嫌悪感を懐くことは寧ろ自然でしょう。この点は、池田崇拝であっても、法主崇拝であっても同様です。
たぶん、沖浦さんは法を久住させる方法は、一人ひとりが実証を示し、社会の一流人になれば可能になると考えておられる向きと拝しますが、その前提としての科学的な考証なくしては、仰るような動向は世間一般からは破壊的カルトと白眼視されるだけで埋没していきます。学会内から見れば、おわかりになれないかも知れませんが、学会における漫荼羅信仰は器物崇拝、指導者崇拝はカリスマ信仰として、近代社会において戦渦を招き人類史に爪痕を刻んだ全体主義と同等にしか映じません。「いや、そうではない」というとき、世間一般を納得させるものは、人々の実証でも、社会的な成功でもありません。日蓮その人の実像と教えがいまの科学的考証に耐える否かにすべてがかかっています。それを個人崇拝に基づく組織力で圧しきることを、全体主義、組織暴力というのでしょう。
282
:
犀角独歩
:2003/10/21(火) 13:44
―281からつづく―
> 化法の広宣流布とは、お題目を広める事です。
> 化義の広宣流布とは、本尊流布を指します。
これは創価学会の用法とも違っていますね。
学会で言う場合、一大秘法に三大秘法を収まるとして、その法、すなわち板漫荼羅の確立を化法の広宣流布というのであり、その後の題目の流宣、そして、印刷漫荼羅の頒布を折伏とするのを化儀の広宣流布といったのでしょう。
> 化義という言葉は蓮祖の御書にはありません。
しつこいようですが「化義」ではなく、「化儀」です。
化法・化儀は天台八教の用語ですから、蓮師が使わなかったわけはありません。
> 化法はありますが化法の広宣流布との表現もありません。
その通りでしょうね。
> 然しながら言葉が無くても、実態をよく表現していれば使用してもよいと思います。
それもそうでしょう。
> 唯授一人も、嫡々一人も御書にはありません。
> 戒壇の大ご本尊もありません。
> 一閻浮提総与もありません。
> だから使用するな、とのご意見には賛同できません。
「だから、使用するな」ではなく、蓮師の言葉でないものを蓮師の言葉のように騙るのは虚偽であると言っているのです。当然のことです。批判される所以はありません。むしろ、蓮師の言葉でないものを蓮師の言葉と言うことこそ批判されるべきです。
> こんな意見を平気で唱える人は、太陰暦を使い、紀元や元号で年代を数え、鎌倉時代の> 言葉を喋っているのでしょうね。
嫌みですか(大笑)
真摯な議論をする掲示板に相応しくありません。
> 私にはそんなユニークな生活は送れそうもありませんから、お付き合いはしたくありません。
元より、わたしにも付き合う気はありません。
しかし、公開の場への書き込みです。
異論があれば、遠慮なく申し述べるばかりです。
> あなたを、そのような人と間違えた失礼をお許しくださいませ
この手の言い回し・嫌みは、ご自身の人間性がどのようなものであるか披瀝するばかりですから、お止めになるのが賢明でしょう。
283
:
犀角独歩
:2003/10/21(火) 13:47
―282からつづく―
さて、次に、
> 『まあ、戸田さんの話が面白く人々を扇動するのが上手かったのは事実でしょうね。』>( 犀角独歩 さんの書き込みより)
> この人は最初から対話をする姿勢ではありません。
> 理解などしていただかなくて結構です。
他の方の書き込みに、このような書き込みをしながら、直接、わたしに宛てたものには嫌味を弄する。みっともない所行であると存じます。
わたしが戸田さんを扇動の人と言ったのにはいくつもの理由があります。
(この点は愚鈍凡夫さんの考えとも重複するところもあると拝察しています)
まず、戸田さんは先に挙げたとおり、戦後、日本で日蓮正宗を国教化して国立戒壇を建立することを目的として指導をしていたことは紛れもない事実です。そして、その際、学会活動を一所懸命行えば、絶対幸福を得るとも豪語していました。この一切合切が事実であれば、それを扇動と呼ぶことは非礼となるでしょう。しかし、実際は日蓮正宗が国教化することはおろか、当の国立戒壇すら建立されることはありませんでした。しかし、人々はその戸田さんが打ち立てた目標のために金と時間を無駄遣いし、数十年経ってみれば、創価学会は7兆円ともいわれる膨大の金銭を会員から巻き上げ資産とし、、数百人の学会幹部は数千万円から数億円にも上る年間給与を得ています。また、数万と数十万とも言われる学会に系企業で働く人々の生活を支える道具とされています。名目では広宣流布していると言いながら、日本一つを採ってもその兆しはまったくありません。あるのは池田家を中心にする宗教成金の形成ばかりでした。
ここで奴隷のように傅き、金銭・時間・労力、善意のすべてを傾けた人々は、自分たちが「強盛な信心をしている」「境涯が高い」「実証があった」「一流になる」などという謳い文句に踊らされて、グループダイナミクスによって彩られる仮想現実に酔いしれて、自分が大したものになっている、学会が世界平和に貢献しているという幻想を見させられているのに過ぎません。故にわたしは、彼の戸田さんの号令を「扇動」であったと言って憚らないのです。
あなたは、
> 蓮祖の法の正義なることを、自らが社会に一流の結果を示す事により証明すべき
このように記しています。
しかし、蓮師の義にあらざるを蓮師の義という非科学的な仏教観で、そこで語られる「蓮祖の教え」というものはまったく学問的な俎上に堪えないものです。つまり、少しも一流ではありません。霊魂説となんら変わらない生命論、密教に迎合する祈祷信仰、おまけにいまとは敵となった顕師を呪う黒魔術のごとき有様の日蓮解釈は、一流どころか三流とも言えないものでしょう。いわば、真跡主義に基づく蓮師思想の素描がその一貫であると理解できない学究への無理解はもはや土俗信仰の奨励に等しいと映じるのも故無きもありません。
また、社会的な成功を一流というのであれば、あなたがいう一流思考は、一流以外の民衆を見下す差別思想が胚胎していることをしっかりと看取できます。社会的な成功、社会的な地位、それが蓮師が言った実証でしょうか。
真跡を遺しませんが『四菩薩造立抄』に
「日蓮は世間には日本第一の貧しき者なれども、仏法を以て論ずれば一閻浮提第一の富める者なり。是(これ)時の然らしむる故なりと思へば喜び身にあまり、感涙押さへ難く、教主釈尊の御恩報じ奉り難し。恐らくは付法蔵の人々も日蓮には果報は劣らせ給ひたり。天台智者大師・伝教大師等も及び給ふべからず」
と高らかに宣言されています。
この蓮師の聖意を詰り、世間一般の一流志向に陥り、それこそ実証などと豪語するあなたの姿勢は、ここに書き置かれる聖人の「境地」を蔑ろにするものであると断じる以外にありません。
284
:
犀角独歩
:2003/10/21(火) 13:58
―284からつづく―
> 宗教は現実の社会に人間と言う媒体の具体的な行動となって顕れなければ、何の意味ももたないと思います
まったくそのとおりでしょう。
それが「戸田先生を理解できないのは境涯が低い」「だめな人間だ」「理解力がない」「付き合えない」などと見下し、打ち捨てる。それがあなたがいう「宗教を社会に人間という媒体の具体的な行動」なのでしょうか。わたしには、あなたがいう具体的な行動はカリスマ信仰に基づく差別主義としか映じません。わたしは、あなたのようなカリスマ信仰に傅くことによって全体主義的な組織力を得、他者を誹謗して憚らないことを信仰と勘違いする手合いに対しては、まだまだ言いたいことは山ほどあります。しかもそれは、当スレッドのテーマである『創価学会の功罪を考える』とも大きく関わっているものです。
わたしは、あなたの暴言に対しては一歩も退きません。恐れも懐きません。
すべてを受けて立ちます。
差別との戦いなくして、思想の自由は獲得できないと信じるからです。
まだ、わずかばかりしか述べておりませんが、いまはこのくらいとします。
285
:
沖浦克治
:2003/10/21(火) 21:05
犀角独歩さん
化儀は10箇所出ております。
私の間違えでした。
訂正いたします。
スタジオで録音の仕事がありますので出かけます。
明日帰宅しましてから返答を致します。
286
:
犀角独歩
:2003/10/22(水) 00:09
○化法・化儀の広宣流布とはなにか?
化法・化儀の広宣流布、そういえば昔、創価学会ではこんなことを言っていたと思い出しました。
ざっと調べ直してみましたが、いったい、これが何を根拠にするものなのか、どうも資料に当たれません。たしかに池田さんが会長就任挨拶で「化儀の広宣流布」を口走ってはいます。
通常、化儀といえば、頓・漸・秘密・不定の四教をいい、化法と言えば蔵・通・別・円の四教を言うのでしょう。これは『法華文句』に見られることは周知の事実です。しかし、実際、化儀の成句が出るのは『文句記』に拠ったと記憶します。しかし、この教義と、化法・化儀の広宣流布は直接的につながらないと思えます。
類似した教義で思い当たるのは寛師の法体の折伏・化儀の折伏でしょうか。これは『本尊鈔文段』に見られたものでした。まあ、意味としてはこちらに近いのでしょうか。しかし、これは蓮師の思想ではなく寛師説でしょう。
いずれにしても、化法・化儀は本来、仏に係るものであって、これを仏以外に契当させることは、わたしには不適切であると思えます。
ちなみに化儀とは仏の衆生化導の儀式を言うわけです。となれば、化儀の広宣流布とは、現代語に置き換えれば、広宣流布のための仏が衆生を化導する儀式ほどの意味となるのではないでしょうか。もちろん、こんな用法はありませんが。
石山・有師はしかし、住師を通じて院師に『化儀抄』を遺すわけで、この場合は、石山住職の化導の在り方を示したものであると見えます。
有師がこの場合に“化儀”語を使うことは、所謂、派祖本仏から当住(住職)本仏の伏線と見るのはかなり穿った見方でしょうか。
いずれにしても、32歳の池田さんが「広宣流布の指揮を執る」とはよく言ったものだと、わたしのそれを蛮勇と覚えるばかりです。しかしながら、その後の創価王国・創価家族・池田“先生”を広宣流布した勢いはたしかに戦後、新興宗教界切手であったことは事実でした。ただし、これは日蓮門下が言う日蓮仏教の広宣流布ではなく、まして原意である法華経の広宣流布でもないでしょう。あくまで池田創価学会の広宣流布という域です。
創価学会はいまやラミネート加工した印刷漫荼羅を頒布していますが、これが化儀の広宣流布であるというのであれば、失笑を禁じ得ません。これは単なる3000円なりの代金を支払う販売に枠を越えません。このように言えば、憤慨する学会員はいるでしょうが、しかし、伝興師の言では以下の通りです。
「日興の弟子分に於ては、在家出家の中に或は身命を捨て或は疵(きず)を被り若しは又在所を追ひ放たれて、一分信心の有る輩に、忝(かたじけな)くも書写し奉り之を授与する者なり」
以上の如き、厳格さです。それに比し、創価学会では入会したての新入会員であっても、代金と引き替えにこのラミネートされた寛師の印刷漫荼羅を頒布しているわけです。これは興師の教えに対するひどい冒涜ではないのか、とわたしには思えます。
「いや、書写した成就本尊ではなく、形木の仮本尊であるから良い」と石山人であれば言うかもしれません。では、
「御筆の本尊を以て形木(かたぎ)に彫(きざ)み、不信の輩に授与して軽賤する由(よし)諸方に其の聞こえ有り」
こう言えば、「いや、日蓮大聖人の真筆漫荼羅の御形木を禁止したものであるから、歴代の御本尊は良い」と反論されることになるのでしょうか。この点は、わたしは大いに議論したいところです。
しかし、いずれにしても、化儀の広宣流布なるものがラミネート加工された寛師印刷漫荼羅を頒布することであるとは、わたしには到底思えません。この点については、もちろん、石山の「本尊下付」についても同様の感慨を懐きます。
これは憶測の域を出ませんが、もし戸田さんが化儀の広宣流布という言葉を使っていたとしたら、国立戒壇建立にいたる儀式をそう読んでいたのだろうかと想像できなくもありません。
以上、化法・化儀の広宣流布について、ご承知の方があれば、ご教示ください。
287
:
愚鈍凡夫
:2003/10/22(水) 00:16
横レス失礼します。真偽問題を横に置いて検索してみました。
「化儀」の使用例(資料:「昭和新定」)
「戒体即身成仏義」1カ所
「蓮盛鈔」1カ所
「釈迦一代五時継図」6カ所
「右衛門太夫殿御返事」1カ所
「祈祷経送状」1カ所
「日興遺誡置文」2カ所
「三種教相事」3カ所
「化法」の使用例(資料:「昭和新定」)
「釈迦一代五時継図」6カ所
「三種教相事」2カ所
あと、「化儀」6カ所・「化法」3カ所、「註法華経」に使用例があります。
もう寝ます、お休みなさい。悪しからず。 m(__)m
288
:
犀角独歩
:2003/10/22(水) 01:14
愚鈍凡夫さん:
いつもながら、有り難うございます。参考になりました。
わたしも検索してみました。真跡では「化儀」の使用は0ですね。
『註法華経』、逐一、検索しながら読んでみましたが、一瞥ですが、化儀四教の範囲と感じました。
しかし、それにしても、蓮師の素意は多くの殻と澱に閉じ込められて、その素描は本当に困難ですね。
289
:
犀角独歩
:2003/10/22(水) 01:17
―288からつづく―
おっと、化法を載せ忘れました。
同様ですね。真跡は0。『註法華経』は八教の範囲でした。
290
:
MILD SEVEN
:2003/10/22(水) 05:16
聖戦「もう一つ同種のBBSを用意しました」
私が創価に言っている事は「悔い改めよ!」です。
しかし、魔界のロボトミー化した池田狂信者は、基本的に反省出来ない哀れな連中です。
残念です。
でも・・・。
これは言っておかなければなりません。
創価学会員が不幸を造ったら、まず、創価学会員が改善すべきです。
キリスト教もそうやって前進してきました。
私はプロテスタントです。
でも、今やキリスト教界は、カトリックもプロテスタントも力を合わせて行く時代です。
創価は、とんでもない間違いをしています。
伝統を踏みにじり、しかも、カルト化しています。
狂っているとしか言いようがありません。
このまま独裁体制で世界征服するつもりでしょうか?
バベルの塔の運命はいかに?
国家に警察があるように、風紀委員は必要です
宗教問題でもそうです。
もはや、タブーではありません。
時間との戦いです。
また、創価の好きな・自分勝手な私刑は、国家の尊厳を踏みにじる行為です。
創価に悔い改めの意味が分かるでしょうか?
http://8022.teacup.com/momo7/bbs
291
:
MILD SEVEN
:2003/10/22(水) 05:16
聖戦「もう一つ同種のBBSを用意しました」
私が創価に言っている事は「悔い改めよ!」です。
しかし、魔界のロボトミー化した池田狂信者は、基本的に反省出来ない哀れな連中です。
残念です。
でも・・・。
これは言っておかなければなりません。
創価学会員が不幸を造ったら、まず、創価学会員が改善すべきです。
キリスト教もそうやって前進してきました。
私はプロテスタントです。
でも、今やキリスト教界は、カトリックもプロテスタントも力を合わせて行く時代です。
創価は、とんでもない間違いをしています。
伝統を踏みにじり、しかも、カルト化しています。
狂っているとしか言いようがありません。
このまま独裁体制で世界征服するつもりでしょうか?
バベルの塔の運命はいかに?
国家に警察があるように、風紀委員は必要です
宗教問題でもそうです。
もはや、タブーではありません。
時間との戦いです。
また、創価の好きな・自分勝手な私刑は、国家の尊厳を踏みにじる行為です。
創価に悔い改めの意味が分かるでしょうか?
http://8022.teacup.com/momo7/bbs
292
:
愚鈍凡夫
:2003/10/22(水) 05:46
犀角独歩さんどうも。
訂正があります。
改めて「註法華経」だけを検索したら、「化法」が9カ所、「化儀」が15カ所ありました。
悪しからず。 m(__)m
話は変わりますが、
嘗て、「化儀の広宣流布」に関して大白蓮華に次のように書かれていました。
「化儀の広宣流布とは国立戒壇の建立であり、国立戒壇建立の前提として真の広宣流布のために、本尊流布(折伏)をしなければならないのである。日本国中の人たちが、大御本尊の偉大さを肝に銘じてこそ、真の広宣流布ができるのである。」(大白蓮華 1962(昭和37)年5月号)(※1)
そして、池田さんは、「化儀の広宣流布」について次のように述べていました。
「実は、本門事の戒壇は正本堂という御本尊がある。猊下と私だけの唯仏与仏だ。板本尊で、まさしく化儀の広宣流布の八百万は、明確に終わった。」 (1973(昭和48)年12月29日・第2回御義口伝受講者大会)
「あれれっ・・・・・。正本堂は御本尊やったんか? 知らなんだぁ」(独り言1)
「細井日達はんも、池田はんも、仏さんやったんかいな。知らんなんだな〜」(独り言2)
創価学会でいう「化儀の広宣流布」とは、文字通り国家による「国立戒壇」建立を指します。
その証拠に戸田さんは、
「広宣流布の姿におきまして、また広宣流布の途上におきましては、経済界に、あるいは新聞社において、あるいは雑誌において、またこれに類似する文化活動において、あるいは映画において、あるいは政治において、また会社の重役といえども会社の小使いといえども、皆、御本尊のありがたいことがわかって、これらの人々のなかから国会議員が出て、国立戒壇の請願が出され、国会で可決され、天皇陛下も、またこの御本尊のありがたさを知ってこそ、はじめて広宣流布ができるのです」(※1)
と述べています。そして、聖教新聞の社説にはこんな記述もありました(統一地方選初挑戦の前年です)。
「広宣流布の完成の日はある理由により後二十五年以内と確信してよい。この期間に大御本尊に対して日本一同に帰依して、国立戒壇建立のご教書が発せられる。それは衆議院の過半数によって発せられるもので、これを獲得するため新たな活動が展開されねばならない」(「聖教新聞 社説」1954(昭和29)年1月1日)
この予想はものの見事に外れ、1970(昭和45)年5月3日の本部総会に於る池田さんのスピーチを最後に、創価学会から「国立戒壇」の言葉は葬られます。
「国立戒壇という表現は大聖人の御書にもなく、また誤解を招く恐れもあり、将来とも使わないと決定しておきたいと思いますが、いかがでありましょうか」(池田会長スピーチ)
「さんざん言うとって、今更それはないやろ」(独り言3) (`ヘ´) プンプン。
※1 「大白蓮華に見る国立戒壇の正義」
http://sanity1.at.infoseek.co.jp/vsub338.html
たまたま偶然見つけましたが、「ムムッ・・・・何だこれは?」 (?_?)
「れいな」と「沖浦克治」の仏法自由討論会
http://www3.ezbbs.net/10/mklotus/
293
:
犀角独歩
:2003/10/22(水) 10:34
愚鈍凡夫さん:
有り難うございます。でも、訂正した訳ではありません。補足ですよ。追確認と言ってもよいかも知れません。
さて、「化儀の広宣流布」に関する学会資料のご提示、これまた有り難うございます。
わたしは282に「題目の流宣、そして、印刷漫荼羅の頒布を折伏とするのを化儀の広宣流布」、さらに286に「国立戒壇建立にいたる儀式」と憶測したのです。国立戒壇へ至るので間違いとも言えませんが、愚鈍凡夫さんの正鵠を得た資料のご提示をいただき明確になりました。さすがです。敬服いたしました。
先にも記しましたが、わたしの両親は昭和28年の入信。拠点は『人間革命』にも登場する旧蒲田本部でした。戸田さん会長就任の2年後、学会が宗教法人取得から3年目のことです。戸田さんは昭和33年に没するわけです。この5年間、両親戸田さんが訴えた国立戒壇建立の大号令、つまり、化儀の広宣流布達成のために身を投じていったわけです。
あとから入った人には理解できないと思いますが、昭和30年代から40年代に向かう創価学会は国立戒壇一色で、いまの顕正会なんかみたいにゆったり少人数ではなく、破竹の勢いで驀進を続けていきました。いわゆる、「折伏大行進」「邪宗撲滅」なんて鬨の声を上げていた時期です。子供だって学会員であれば、「国立戒壇」と口ずさんでいたんです。わたしもその一人でした。ですから、戸田さんの指導はすべて国立戒壇に向かうものであり、その「戦い」に向かうなかで絶対幸福を得る、そのために下付された「幸福製造機」もあるという指導です。各人が実証を示して、社会に認められる人になるのも国立戒壇実現に必要な要件という伏線でした。それは「国会議員」に代表され、これまた政党進出の伏線となっていったわけです。戸田さんの段階では政界進出は国立戒壇実現のための必須条件であったのは本音であったように見え、けれど、池田さんは言論問題前後で、危険我が身に及ぶや、あっけなくこれを放棄。その後、民主立路線に切り替えて「国立戒壇は使わない」。いまの創価学会に至っては顕正会が「国立戒壇」ということを批判する始末。戸田さん、初期の池田さんの指導は国立戒壇を除いて説明の使用がないにも拘わらずです。
殊に昭和30年から40年代の創価学会は、折伏と供養のラッシュでした。両方とも国立戒壇のためが名目であったわけです。わたしは子供でしたが、それでも大化城・大講堂・大客殿と建立供養は一切しているわけです。親はもちろん、多額の「供養」を拠出しています。そして、国立戒壇が立てば、日本は広宣流布するからこれが「最後の供養」と言われたのが「正本堂供養」でした。嘘でした……。ただ、そのあとは「特別財務」と変わっただけでした。馬鹿にした話です。
しかし、正本堂供養を「最後の供養」といったのは、もちろん、化儀の広宣流布達成であるからという意味であったのでしょう。けど、この化儀の広宣流布をいとも簡単に放棄して、それで、最後の供養は特別財務に変貌を遂げて、さらに過酷な金集め。
この間、うちの両親は『聖教新聞』を50部購読(毎日、50部の新聞束が配布されていたんです!)そして、親戚中を折伏しまくり、稼いだ金は「闘争費」という名の学会活動費と、供養という名の寄付に消えていきました。母親は朝から晩まで題目を上げていて、家にいない時間はすべて学会活動。父親も仕事以外は学会活動一色でした。本人たちはそれが幸福だったんでしょうが、その事実は家庭崩壊。いま、顕正会なんかで問題になっているのの、それよりもっとひどい有様でした。
294
:
犀角独歩
:2003/10/22(水) 10:35
―293からつづく―
こんなそんなも、戸田さんの言葉を信じたからです。「国立戒壇」の大号令です。
しかし、国立だったはずの戒壇は、国立ではなく、事戒壇でもなく、挙げ句、四半世紀で跡形もなく姿を消しました。学会に言わせれば「日顕が悪い」、そうなるんでしょうが、会長本仏論盛んなりし頃には「池田先生はすべてを見通す」なんて言っていたわけです。未来も予言するお力の大先生が正本堂の顛末を予言できなかったわけです。普通の指導者であれば、間違いなく、引責辞任。しかし、責任はすべて石山に押し付けて、相変わらず、「創価学会は絶対に正しい」とやっているわけです。それどころか、「一家和楽」「世界平和」「社会に実証を示せ」。家庭崩壊させて、一家和楽、お題目だけの世界平和、戦後日本社会でさんざん迷惑をかけておいて、社会に実証を示せもないものだという一般的な見解。まあ、厚顔無恥な団体と批判したくなるのは当然でしょうね。
戸田さんの「国立戒壇」指導に翻弄された両親を持つわたしにとって、レコードでこの親父のだみ声を聞くと、懐かしくもあり、反面、嘘っぱちだった化儀の広宣流布・国立戒壇指導をアル中の酩酊でがなっていた無責任指導に怒りがわき上がってきます。まさにあれは「扇動だった」と思うわけです。
その当時、いい加減に、調子よくやっていた会員は失うものも少なかったでしょうから、それほど被害感覚はないかも知れません。しかし、誠心誠意、本気でのめり込んでいたものにとっては正本堂以降の方向転換は、まさに会員への裏切り行為そのものです。その意味で妙信講・浅井さんとその一派が怒り心頭に達した経緯はよくわかります。
しかし、それより、なにより、蓮師そのものの思想に事壇建立、田中智学師以降の用語で言えば「国立戒壇」という考えなどなかったことが、ようやくわかったとき、あの戸田さんの与太話を信じ込んでしまった両親の、事実確認の甘さ、騙される側の過失を思わずにいられませんでした。
我が家のような被害者を2度と出さないためにできることは、信仰者の信仰責任を挙証義務の提示という視点から責任追及することであると思うわけです。また、証拠も提示できないデタラメ話を、確信を持って、上から見下しながら語る自称・信心強盛の倒錯した勧誘者から身を守るためにに必要なこと、それは本当は蓮師は何を説いていたのかをこの際、はっきりさせることであると思うわけです。
まあ、この件でわたしが譲らなのはこんな自分史にあります。
295
:
犀角独歩
:2003/10/22(水) 10:42
おっといけない。
292で訂正されたのは愚鈍凡夫さんご本人でした。失礼しました。
296
:
犀角独歩
:2003/10/22(水) 11:26
> 実は、本門事の戒壇は正本堂という御本尊がある
これは正本堂建立願主として、池田さんからの強い要望で達師が出した「賞本門事戒壇正本堂建立本尊」のことでしょう。「賞本門事戒壇正本堂」、こう達師の文字があれば、達師自身、正本堂を事壇と言ったことになるわけです。いろいろと言い訳がましいことを言っていますが、正本堂建立前夜で、石山でも化儀の広宣流布達成、すなわち国立戒壇建立、広宣流布と考え・言っていたわけです。いまさら、見苦しい言い逃れはやめるべきです。
藤原さんが書いた本では、この本尊を「正本堂を建立して貰ったのはこれだけ」みたいなことを言って放ったみたいなことが書かれていましたね。(あの元議員に何も賛同するものはありませんが)
まあ、池田さんにすれば、国立戒壇建立・広宣流布達成者、不開門の自分が通ることを「仏教の方程式」とか言っていたわけですから、もっと顕彰されると思っていたんでしょうね。それで「唯仏与仏」、自作自演の会長本仏論、わたしもすっかり騙されていました。
297
:
ガンコ
:2003/10/22(水) 12:05
ずいぶんとお憤りのご様子ですが、独歩さんっていうのはほんとに独歩さんなんですねえ。
じぶんは戸田先生のことをよくは存じませんけど、なんかこう、みなさんが戸田先生のことを語るにおいて、一種の郷愁のようなものを感じるんです。じっさい、いまや戸田門下生と言われる人はどんどんお亡くなりになって、おそらく沖浦さんにしたってリアルタイムで戸田先生を知っていらっしゃるわけではないのでしょうに、それなのにあのような情熱をもって戸田先生を語っていらっしゃる、そういう人が多いように感じているわけです。
で、まあ、おそらくは今の法華講員にも戸田ファンは多いように感じます。つまり、いけないのは池田氏であって、戸田先生のご構想を曲げてしまった罪は大きいと。仮に今の池田氏を戸田先生がご覧になったらお叱りになられるにちがいない、みたいなことがよく言われているように思いますし。
そういうわけで、独歩さんみたいなスタンスで創価学会批判をやっている人はあんまりいないんじゃないかという気がします。
イヤミっぽく言えば、さすが大聖人の素意を重んじるだけあって、敵をつくるのがひじょうにお上手ですね。
298
:
犀角独歩
:2003/10/22(水) 12:17
ガンコさん:
戸田さんは諸悪の根本、当然のことでしょう。
戸田さんの理想を実現する顕正会員であるあなたにとって浅井さんが師とも仰ぐと見える戸田さんの悪口を言われるのは実態を暴かれるのは深いなことですか。これはけっこう顕正会の実態を語る話に思えます。
社会と隔絶した団体内での常識は世間の非常識。そこで敵対視されることこそ、『真実の証明』でしょう(笑)
299
:
犀角独歩
:2003/10/22(水) 12:27
打ち間違えました。
誤)悪口を言われるのは実態を暴かれるのは深いなことですか
正)実態を暴かれるのは不快なことですか。
ガンコさん、我が家が被った被害は、あなた方自身の身に罹っている火の粉そのものですよ。まあ、それに喜びを感じるのが信者というもので、それを鼓舞する人間を「先生」と仰ぐのが「会員」というものです。これは渦中にある当人にはなかなか気づけないところですね。かつて、わたしと家族がそうであったようにね。
300
:
Jルーカス
:2003/10/22(水) 12:52
小笠原慈聞師への暴行事件で一番強烈に暴行してるのが戸田さんですね。
「生意気言うな」と言って自ら一発(側頭部に入って、耳鳴りがしたそうです)。
今では狸祭事件に戸田さん本人が自ら関わって、暴力をふるっていた事自体を創価学会では隠蔽してますがね。
どっちにしても会長が暴行魔では、末端が過激でも無理はない。
しかし、これが世界一の指導者ですかね(爆)。
世界一の暴行魔の間違いでは。
301
:
犀角独歩
:2003/10/22(水) 13:28
> 300
そうでしたか。これはすごい。
わたしが石山の僧侶から聞いた話。
戸田さんに与えられた最大の屈辱は、例の「広宣流布の模擬試験」というやつで“車駕”に乗って山内を練り歩かれたことだと口惜しそうに語っていました。
石山内を練り歩くのは「語法主上人」のみというのが古来よりのしきたり。
その化儀法式を踏みにじったわけです。
*** 転載はじめ ***
しゃが 【車▼駕】
(1)行幸の際、天子が乗る車。
(2)天子の尊称。天子を直接さすのをはばかっていう。
「貞観の中に、―三成宮にありてこれを聞きて/今昔 9」
(三省堂提供「大辞林 第二版」より)
*** 転載おわり ***
あの時使ったけったいな乗り物を「車駕」と言ったのは学会でした。
つまり、戸田さんを天皇に凝らして、石山内を行幸御練りしたということでしょう。車駕の高見から石山内と僧侶を見下したわけです。
これは石山と僧侶に対する侮蔑するだけではなく、天子を気取ったとすれば、これまたなかなかの作為があったといえるでしょう。
『人間革命』その他で見ると、衰弱が激しかった戸田さんの体を案じてのことみたいなことを言っていますが、だったら、タンカーで運べばよかったんじゃないでしょうかね。まあ、そこまででなければ車椅子ですね。
302
:
MILD SEVEN
:2003/10/22(水) 15:44
創価学会に NO!
http://8022.teacup.com/momo7/bbs
303
:
MILD SEVEN
:2003/10/22(水) 15:46
<聖戦>
私が創価に言っている事は「悔い改めよ!」です。
しかし、魔界のロボトミー化した池田狂信者は、基本的に反省出来ない哀れな連中です。
残念です。
でも・・・。
これは言っておかなければなりません。
創価学会員が不幸を造ったら、まず、創価学会員が改善すべきです。
キリスト教もそうやって前進してきました。
私はプロテスタントです。
今や、キリスト教界は、カトリックもプロテスタントも力を合わせて行く時代です。
創価は、とんでもない間違いをしています。
伝統を踏みにじり、しかも、カルト化しています。
狂っているとしか言いようがありません。
このまま独裁体制で世界征服するつもりでしょうか?
バベルの塔の運命はいかに?
国家に警察があるように、風紀委員は必要です
宗教問題でもそうです。
もはや、タブーではありません。
時間との戦いです。
また、創価の好きな・自分勝手な私刑は、国家の尊厳を踏みにじる行為です。
創価に悔い改めの意味が分かるでしょうか?
http://8022.teacup.com/momo7/bbs
304
:
沖浦克治
:2003/10/22(水) 16:59
皆様方にお聞きいたします。
今後の世界広布の展開には、どのようなお考えをお持ちでしょうか?
私と皆様方の立場は隔絶いたしております。
溝が広く埋まることは困難でしょう。
私は創価学会員であることに、誇りを持っております。
私には、自分が創価学会員ということは、地球人みたいな感じですね。
死んで生まれ、また死に、また生まれ、創価学会員であり続けることをご本尊様に祈念いたしております。
今後の広宣流布の事についてのみ、対話をいたしたく存じます。
305
:
ガンコ
:2003/10/22(水) 17:03
わたくしは独歩さんのご性格にたいへん興味があるんです。
いつぞや、学生時代にはアシュラと呼ばれていたとおっしゃっていましたが、その話を聞くはるか以前より、独歩さんのご文章を拝見しているとなんとなくアシュラの如く思えるところがあったものですから、それは生来のものなのか、あるいはどこかで培ったものなのか、ひじょうに関心がありました。
いろいろ考えてみると、独歩さんの徹底せる創価学会批判+御宗門批判、そして、そのオマケみたいな存在の顕正会に対する批判・・・というのは案外に大聖人の諸宗破折に全同なのではないか、と思ったんです。
まあ、しかし、じっさいにはどっちなのか、判然としません。アシュラの振る舞いなのか、仏(ないし菩薩)の振る舞いなのか?
うっかりすると、独歩さんの振る舞いはアシュラのそれであると、そのように受け取られかねないし、そう思っている人が多いような気もしますし・・・
ご本人はこの辺のことをどの程度、自覚されているのかなあっていうような感想を懐いたわけでした。
306
:
沖浦克治
:2003/10/22(水) 17:29
>文章で残っている戸田さんの言葉と、戸田さんの声でもって語られる戸田さんの言葉を比較してみたいので、あなたが感銘を受けた指導を紹介してくれませんか。
それと、戸田さんの言葉をそのまま紹介したのですが、どの辺が的外れなのか教えてください。
根が愚鈍なものですから、宜しくお願いします。
愚鈍凡夫さん。
お答えが遅くなりました。
感激した箇所は多くあります。
『病気が治るから信心させたんだ。貧乏が直るから信心をさせた。わかりきった事を聞くなよ。』等です。
最も驚いたのは、運がよければ、もう一回牢にほうり込まれるだろう。運が悪ければこのまま何事も無く死んでしまう。』
また、『君たちは難が起きると、私は創価学会ではありません、日蓮正宗です。お寺で信心しています、と言わんとも限らんぞ。』
正直、聞いたときは驚きました。
宗門はある期間、創価学会に取って必要でした。
その期間の戸田先生の公演のほとんどが宗門の教義にそったものとなり、宗門を持ち上げている事はやむを得ないでしょうね。
現在、宗門を邪宗と断定している立場から、戸田先生のご指導を読まねば真実は見えてまいりません。
以上ですが、今後は教義の内容に付いての討論は避けたいと思います。
308
:
愚鈍凡夫
:2003/10/22(水) 19:17
皆さん今晩は、横レス失礼します。
下記のアドレス、「狸祭り事件」の原因となった「神札問題」について、宗門・学会双方の資料が載ってて面白いですよ。
http://snow.prohosting.com/foggyday/chrono-1/15.htm
「狸祭り事件」と、池田さんの新婚時代のエピソードが載っててここも面白いです。
http://snow.prohosting.com/foggyday/chrono-2/40.htm
小生が戸田さんについて不思議に思うのは、名前をコロコロ変えたことなんです。
ちなみに、親から貰った名前は「甚一」、1917(大正6)年に「桜桃(自称)」、「晴通(改名)」、1918(大正7)年に「雅皓(改名)」、1921(大正10)年に「浩方(改名)」、1922(大正11)年に「城外(改名)」
そして、1947(昭和22)年頃でしょうか「城聖」と名乗るようになったのは。
姓名判断で改名した事もあったようですが、不思議な人です。
309
:
ガンコ
:2003/10/22(水) 19:50
戸田氏が桜桃と名乗っていた・・・というので、思い出したんですが・・・
昭和のはじめころに日蓮会というのがあって、その教祖が江川桜堂と名乗っていたようです。(死なう団事件)
あんまり関係ないですかね。
310
:
犀角独歩
:2003/10/22(水) 20:02
> 306
> …宗門を邪宗と断定…戸田先生のご指導を読まねば真実は見えてまいりません。
よくまあ、こんなことが書けるものだと心底、呆れます。
戸田さんは日蓮正宗をやめたことはなかったし、生涯日蓮正宗の信徒であったのです。その人間を日蓮正宗を邪宗と断定して読み直すとは故人の遺志を蔑ろにする以外の何ものでもありません。
池田さんを創価学会を邪宗として断定して読まないと真実が見えないと言うものです。
なお、広宣流布の話のみするといいながら、教義の話を避けるとは自語矛盾の甚だしいところです。「広宣流布」とは薬王菩薩本地品に現れる法華経教義そのものだからです。これが法華経に説かれ、日蓮その人、また日蓮門下にとって教義であることをご存じないとは驚きました。
ところで、わたしはしっかりと書いておきたいと思いますが、創価学会を勇気を持ってやめたこと、このことについて、わたしは誇りを持っています。
また、何ら、質問に答えず、証拠も示さず、一人勝手なことを言うのであれば、議論になりません。一人で壁に向かって喋っていればよろしいのです。
311
:
犀角独歩
:2003/10/22(水) 20:07
ガンコさん:
わたしの性格のことより、わたしが提示した教学上の問題、組織上の問題を論じてください。
わたしが書いた話題を、故意にわたしの性格の話にすり替えることを、人格攻撃と取りますよ。やめていただきたいと思います。
愚鈍凡夫さん:
戸田さんがしょっちゅう、名前を変えていたのは、彼が「姓名判断」に凝っていたからだそうですよ。
それにしても、自分の名前に「聖」を入れるなど、この神経には恐れ入ります。
312
:
愚鈍凡夫
:2003/10/22(水) 20:51
犀角独歩さん、有り難うございます。やっぱり戸田さんて、不思議な人ですね。
>>306
:沖浦克治さんへ。
ざっと目を通しただけで気づきませんでした、済みません。
> 『病気が治るから信心させたんだ。貧乏が直るから信心をさせた。わかりきった事を聞くなよ。』等です
戸田さんらしいといえば言えるでしょうか。そこで、ご自分の病気が治らなかった事については、何か仰っていませんでしたか。
> 運がよければ、もう一回牢にほうり込まれるだろう。運が悪ければこのまま何事も無く死んでしまう。』
仏法が王法に勝ったから、会長職に就いたと言っていたんですけど(詐欺罪で起訴されずに済んだという意味です)。
> 宗門はある期間、創価学会に取って必要でした。
このことは、逆もまた真なりです。戸田さんにとって、宗門は必要でした。特に「戒壇之本尊」は絶対に必要でした。
沖浦克治さん、同じ歴史を相手の立場から見ることも大事なことですよ。
313
:
ゾウカビト
:2003/10/22(水) 21:08
れいなさんにつづきアネモネさん.沖浦克治さんはハンドルネームからオンナと見るとすぐにちょっかいをだしますなあ.
314
:
ガンコ
:2003/10/22(水) 22:09
独歩さん
人格攻撃だなんて、ぜんぜんそんなつもりじゃなかったんです。まあ、しかし、独歩さんはよくご自身のことを語ってらっしゃいますし、また、多くの人が注目していることも事実でしょう。いずれにしても人格攻撃ととられるような書き方だったと反省しております。失礼しました。
さて、教義上の問題・組織上の問題ということですが、じゃっかん、わたくしの存念を申し上げます。
戸田氏の思想をもっともよく受け継いでいるのが顕正会との認識は、わたくしもそうだろうと思っています。ですから、単純には、戸田氏を批判されれば快くないというのも、そうだろう・・・と思います。でも、もうちょっと理由があったんです。いま、さがしても見つからないのですが、前にだいたいこんなような議論があったんです。
Q 創価学会の池田氏をはじめとする首脳陣は、今日ではほぼ御相伝書類を偽書と認識しているに違いない。では、戸田氏はどうだったのだろうか?
A 当時はまだそんなに研究も進んでなかったし、戸田氏は御相伝書類を日蓮正宗門外不出の重書と信じて疑わなかったんじゃないだろうか。
もし、このとおりなら、さすがに「諸悪の根本」とまでいうのはどうかしらって感じますけど・・・
むしろ独歩さんの文脈からすると、撰時抄の「これよりも百千万億倍信じがたき最大の悪事はんべり」というのが池田氏に相当するわけで、まあ、これはこれで今の学会員は猛反発するでしょうけど、ともかく戸田氏にはこの点において責任はないのでは? とわたくしは思うんです。
もちろん、現在の独歩さんの認識からすれば、戸田氏の説いてきたことは大聖人の素意とはかけ離れたものだった・・・ということになるんでしょうけど、ようは戸田氏が日蓮正宗の教義を間違っていると知ってて弘めていたのかどうか、この一点がカギであろうかと思うわけです。
逆に、今日、大いに研究が進んでいるにもかかわらず、間違った教義に固執しているとするならば、その当事者である池田氏、あるいは日顕上人、そして浅井などがまさしく諸悪の根本であり、その下につらなるわたくし達にもその責任の一端があるということなのでしょう。
もっとも、創価学会では御書の全面的な見直しをするとか言っているそうで、はたしてそれが独歩さんから見て評価に値するのかどうかわかりませんが、わたくしの立場で申せば、いよいよ混迷を深めるだけだろうと考えます。
いずれにしても、戸田氏はけっこう純粋な信仰者だったのでは? そして、戸田氏の存念にはウソいつわりはなかったのでは? してみると、のちの時代の責任までを問うのは、ちょっと厳しすぎるのではないか、というのがわたくしの思うところであります。
315
:
沖浦克治
:2003/10/22(水) 22:17
犀角独歩さん
牧口・戸田・池田の3人先生方の真実の評価は、200年先にならないとわからないでしょう。
ここでお三方の、評価の良し悪しを論じても無意味です。
私は戸田先生が創立し、池田先生が引き継いだ創価学会員である事が人生最大の誇りです。
この立場は決して変わりません。
あなたにはあなたの追お立場があり、やはり変える必要は無いでしょう。
どちらが正しいかは、後世の歴史の判断を待つ以外にありません。
200年後の世界で、創価学会員が20億人程度を占め、回教、キリスト教と並んで世界3大宗教になっていれば私の勝ち、そうならなければあなたの勝ちです。
そのような無駄な対話より、今後の広宣流布について話し合いをいたしませんか?
316
:
ダビデの星
:2003/10/22(水) 22:18
私は創価に反省を迫っています。
殺されるまで聖戦です。
つらいのは、生きている間だけです。これが堅気というもの。
創価なんかより、ヤクザのほうが全然マシと思う事があります。馬が合うところもある。
要は、半端な人間はダメだと言う事です。魅力が無い。創価には。
キリスト者は直接、竜と戦うわけではありません。代理戦争です。サタンも裁きの日を望んではいないでしょう。
半端な創価は哀れかな。
私はダビデの星を量産したいと思っています。
創価が阿修羅と言うなら、その発言の責任を取るがいいでしょう。
私は新生・日の丸です。
私の名は<自由>と言います。
317
:
沖浦克治
:2003/10/22(水) 22:29
愚鈍凡夫さん
私は『戸田さんがご出現なさらなければ、日蓮正宗は潰れていた』との法主の言葉を事実として受け止めております。
もしあなたが日蓮正宗の信徒のお立場でしたら、この法主の言葉はお認めになられるべきでしょう。
創価学会は日蓮正宗の信徒の団体として発足をし、宗門の名前を会則から消し去るまで50年かかりました。
この期間は、足に鉄の錘をぶら下げながら遠泳をしているようなものでした。
今ようやく私たちは自由を手に入れたのです。
ようやく宗門のくびきから放たれ、世界広布の実現に向けた第一歩を踏み出したところです。
今後20年で飛躍的に拡大する事でしょう。
いずれにせよ勝負はこれからです。
お互いに布教活動をし、世界に蓮祖の法を広めたほうが勝ちですね。
318
:
沖浦克治
:2003/10/22(水) 22:35
ゾウカビトさん
少しおかしなご発言ですね。
揶揄はおやめください。
ここでは少し真面目な対話をすべきでしょう。
アネモネさんが、女性であるかどうかは私にはわかりません。
然しながら、蓮祖の法では男女は平等です。
ユネスコには『末法にして妙法蓮華経の五字を弘めん者は男女はきらふべからず、皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり、』とのご文を引き、世界最初の男女同権の宣言と記されています。
あなたのご発言は、蓮祖門下として情けないと存じます。
319
:
愚鈍凡夫
:2003/10/22(水) 23:11
> 私は『戸田さんがご出現なさらなければ、日蓮正宗は潰れていた』との法主の言葉を事実として受け止めております。
沖浦克治さん、まず歴代法主のどの法主がどういう席で、何時述べられたのかを記述するべきです。それによっては、同じ言葉でも自ずと意味は違ってくるのです。その後で、あなたの主張を述べるべきです。
以前にも言いました。ここは公の場です。あなたしか分からないことはレスするべきではありません。それと、200年後の勝敗を論ずる馬鹿馬鹿しさに呆れます。サンサーラを信じたいなら、ヒンズー教に改宗しなさい。「化儀の広宣流布」さえ語れないあなたに、広宣流布の何が語れるのですか。
小生の信仰的スタンスは述べたはずです。「法を師とし、自らを拠り所とする」というものです。そして、小生の布教活動は、及ばずながら少しでも社会的弱者と呼ばれる人(あなた方、創価学会員が見捨ててきた人たちです)の力になることと、創価学会から一人でも多く脱会者を出すことです。
320
:
沖浦克治
:2003/10/22(水) 23:13
アネモネさん
>>故に、信教の自由が保証された民主主義の世の中が日本に出現するまでは、化義の広布の時は来なかったのです。
とのことですから、つまり信教の自由が保証されたことによって、自分の好きなように信仰の意思決定を自分で選ぶ権利が与えられたわけですね。その延長上に、布教の自由も認められて、戦後から今日に至る創価学会の「広布の時」を迎えることが出来たといえることなのでしょう。
その通りです。
>>戦争に敗れ、国民はどん底の不幸にあえぎ、蓮祖の法はまさに穏没せんとしたその時、日本に民主主義が生まれ、時を同じくして戸田先生が牢獄の中から『我地涌の菩薩の棟梁なり、』と宣言してご出現になられたのです。
なにげなく読み流しておりましたが、要するに、日本に民主主義がもたらされなければ、戸田さんの世界一の実力の広布というものも発揮されなかったということになるでしょうか。その因縁を不思議と解釈されておられるところなのでしょう。
これもご指摘の通りです。
>けれども、しかし厳密には、現時点における世界一というのは、戸田さんの実力というよりは、民主主義の力ということになりはしないかとも、率直なところ思うところです。
『仏法は眼前なれども機なければ顕れず時いたらざればひろまらざる事法爾の道理なり、例せば大海の潮の時に随つて増減し上天の月の上下にみちかくるがごとし。』(新尼御前御返事)
御書には、機が熟し時が来なければ法は決して広まらないと説かれております。
人間が本、仏が迹の立場です。
戒壇様は迹、人間は本です。
本である人間社会が成熟をせねば、広宣流布が不可能である事は御書に照らして当然と言えるでしょう。
>つまり日本の民主主義を定めた現行憲法の、第二十条に保障された信教の自由の恩恵を、第二代会長の戸田さん以降の創価学会は多大にその受けているということになるといえますね。
当然そうです。
蓮祖が法を説かれ、人類社会が広宣流布の環境を整えるまで、700年かかったのです。
>その信教の自由という権利ですが、現在の創価学会は、自らの教団の権利の主張と同じだけ組織外の他の人々、端的にいえば不信の人々に対してもその「信じない自由」の権利を守っていると言い切れるものでしょうか。
自身の権利を主張する者は、他者の権利も侵害してはならないことは、民主主義のお約束、いわば鉄則ですね。
創価学会が、現在信教の自由を侵している実例をお挙げ下さい。
>つまり信じない自由を尊重してきたといえるものなのかという、素朴な疑問が私にはあります。その点はpundarikaにも投稿しておりますので、時間があればお読み頂ければ幸甚です。
信じない自由は侵しておりません。
折伏は権力や、暴力で行なうものではなく、対話を通じて行なっております。
また、信教の自由は布教活動の自由を認めております。
>信じない自由も保障した「信教の自由」のもと、布教活動が出来るようになったにも関わらず、その布教の信念体系の中には、「謗法の者」「退転者」「外道の人」、といった烙印を押して蔑む差別意識が横たわってきているのではないかと思われます。
蓮祖の御書にはこのような表現がよく出てまいります。
『畜生の心は弱きをおどし強きをおそる当世の学者等は畜生の如し智者の弱きをあなづり王法の邪をおそる諛臣と申すは是なり強敵を伏して始て力士をしる、悪王の正法を破るに邪法の僧等が方人をなして智者を失はん時は師子王の如くなる心をもてる者必ず仏になるべし例せば日蓮が如し、これおごれる にはあらず正法を惜む心の強盛なるべしおごれる者は強敵に値ておそるる心出来するなり例せば修羅のおごり帝釈にせめられて無熱池の蓮の中に小身と成て隠れしが如し、正法は一字一句なれども時機に叶いぬれば必ず得道なるべし千経万論を習学すれども時機に相違すれば叶う可らず。』(佐渡御書)
人を憎むのではなく、その人の信じる邪法を我々は憎むのです。
> もしも、差し支えなければ、沖浦克治さん自身が体感された戸田さんから学んだことなど、ご自身の人生を通しての体験を、できれば具体的にこの場で語ってみられてはいかがでしょう。いわゆる座談会における体験発表ですね。もちろん、内容によっては突っ込みや反論はあるかもしれません。しかし、その中から創価学会の功罪の功の部分も見えてくるかもしれません。
差し支えなどはありませんが、これまで自己紹介をすと揶揄を返される事が多かったのです。
この掲示板は運営が大変しっかりしていますので、そのようなことは無いと思います。
本日はもう遅いので、明日にでも書き込ませていただきます。
321
:
沖浦克治
:2003/10/22(水) 23:17
愚鈍凡夫さん
無理に立場の違いを埋める必要はありません。
私は私、あなたはあなたです。
せめぎあいは止めにしたいと思います。
322
:
愚鈍凡夫
:2003/10/22(水) 23:29
沖浦克治さん、
> 無理に立場の違いを埋める必要はありません
もう一度言います。以前にも言いました。ここは公の場です。あなたしか分からないことはレスするべきではありません。せめぎ合いにすらなっていませんよ。
あなたが故意に話を噛み合わせないようにしているだけです。
323
:
沖浦克治
:2003/10/22(水) 23:35
具体的に私に何をお望みなのですか?
324
:
愚鈍凡夫
:2003/10/22(水) 23:46
具体的に何に対してなら答えられるのですか。
まず、それをお聞かせ下さい。
325
:
沖浦克治
:2003/10/23(木) 00:03
私自身の体験に基づいた話であれば、何時でもさせていただきます。
326
:
アネモネ
:2003/10/23(木) 02:15
沖浦克治さん
>牧口・戸田・池田の3人先生方の真実の評価は、200年先にならないとわからないでしょう。
失礼ながら言わせて頂きますが、こういう言い回しって、なんだか私には、単なる逃げ口上に感じるところです。
だいたい、どうやって200年後という数字がはじき出されるのでしょう。
ここに集っている人は誰もいないですから、真実の確かめようがないわけです。学会員であることを誇りに思うことを強く主張しながら、その評価を自分のいない200年先にもっていくなんて、とても無責任発言に感じます。
>315
>ここでお三方の、評価の良し悪しを論じても無意味です。
「創価学会の功罪を考える」というこのスレッドは、まさにこのお三方の良し悪しを論じることを目的としているところです。提案者の私としましては、無意味といわれると、重大なテーマから都合良く目を背けられているように感じるところです。200年先の評価を持ち出されるほうが無意味ではないでしょうか。
>人間が本、仏が迹の立場です。
戒壇様は迹、人間は本です。
仏よりも人間のほうが高い境涯(境界)ということを意味した内容に思われるのですが、はじめて聞く言葉だか解釈で、正直なところ私はとても理解できず、戸惑っております。
日蓮聖人は本仏だというふうに法華講で教わりましたが、ということは、人間の私たちのほうが勝るということなのですか?
これって、何なのでしょう。創価学会の教義なのでしょうか。それとも沖浦さんが自ら悟られたことでなのでしょうか…?
>本である人間社会が成熟をせねば、広宣流布が不可能である事は御書に照らして当然と言えるでしょう。
とすると、人間社会を成熟させる力があるのは、沖浦さんが信じているという「広めるべき法」ではないということになりますね。沖浦さんが信じているという「広めるべき法」は、民主主義の力なくしては広まらない、いわば「他力本願の法」ということなのでしょうか。
>>つまり日本の民主主義を定めた現行憲法の、第二十条に保障された信教の自由の恩恵を、第二代会長の戸田さん以降の創価学会は多大にその受けているということになるといえますね。
>当然そうです。
蓮祖が法を説かれ、人類社会が広宣流布の環境を整えるまで、700年かかったのです。
ということは、700年も前から創価学会があったということですか?
>創価学会が、現在信教の自由を侵している実例をお挙げ下さい。
沖浦さんご自身のレスに既に見受けられます。それは、>306の
「現在、宗門を邪宗と断定している立場から、戸田先生のご指導を読まねば真実は見えてまいりません。」
という言葉です。このような意識から、「駄目な人」といってしまったところが、他者の信教の自由を侵害していらっしゃるといえます。
>折伏は権力や、暴力で行なうものではなく、対話を通じて行なっております。
暴言…つまり言葉の暴力というものですね。
「お付き合いしたくありません」などと、対話を拒否することも、暴言、つまり暴力のうちに含まれるものではないでしょうか?
327
:
アネモネ
:2003/10/23(木) 02:15
(つづき)
>また、信教の自由は布教活動の自由を認めております。
もちろんです。しかし、その信教の自由は、創価学会の為だけに存在している権利ではありませんね。戸田さんの時代から振り返って、その点の教団の振る舞いは如何でしたでしたか?私よりもよくご存知なのではありませんか?
不信の人や、他の宗教教団の人々の信教の自由について尊重してきたと言い切れるものでしょうか。「地獄に落ちる」などといった言葉で脅かされて、不本意な形で入信を強要された方は限りなくたくさんいらっしゃるように思われますけれども…。
それは、私の聞き違いからくる思い過ごしなのでしょうか。
>人を憎むのではなく、その人の信じる邪法を我々は憎むのです。
他者が信じる教えを「邪法」と断定する段階で、「信教の自由」を認めてはいませんよね。
重ねて言いますが、どんなに不思議と解釈されても、創価学会の布教のためだけに、民主主義に基づく「信教の自由」があるわけではありません。
自らの努力で得た権利でもないのに、自分たちだけの為だけにあるかのように都合よく勝手な解釈をされては困ります。布教する権利を主張する以上は、他の信仰の存在も認めなければなりません。それが民主主義のお約束です。
>これまで自己紹介をすと揶揄を返される事が多かったのです。
揶揄ではなくて、反論でしょう。
ルールに反しない限り、そして個々の理性に任せた上で、限りなく言論は自由です。
それにだいたい沖浦さん自身だって、これまでのレスに、揶揄の言葉は全くなかったと言い切れますでしょうか?
しかしそれにしても、教義の内容に付いての討論は避けたいと仰りながら、この度の私に対するレスには、教義に関わる内容に言及されておられます。
こういうのを中途半端というのではないかと感じます。そしてこういう私のレスが、揶揄ということになるのでしょうか。
まあ、この程度の揶揄でひるんでいては、広宣流布の競争(?)には勝てはしないのではないでしょうか。
まあ、細かいことは読み流して頂いても構いませんが、私には創価学会の誇りというものが何であるのかは、現時点ではまるで見えてきておりません。
>現在、宗門を邪宗と断定している立場から、戸田先生のご指導を読まねば真実は見えてまいりません。
どうしてですか?
>317
>いずれにせよ勝負はこれからです。
>お互いに布教活動をし、世界に蓮祖の法を広めたほうが勝ちですね。
勝ち負けの基準は何でしょうか。誰がその判定をするのでしょう。
それと、私が退転して改めてわからない素朴な疑問をここでさせて頂きますが、広めるというその「連祖の法」とは、一体、何なのでしょうか?一言で言えるものではないでしょうけれども、その点も含めて、レスを頂ければ幸いです。
328
:
MILD SEVEN
:2003/10/23(木) 03:31
「創価学会の折伏法」
創価は対話を通して洗脳しようと躍起になります。本部の指導は洗脳を研究されたものです。
また、集団でイジメ「画策」抜き、ある時ふっと優しくして、そのまま対話を通して学会員にさせてしまう手も使います。
更に、宗教などの話はせずに、人のいい人間を装い、長い時間をかけた友人関係の後、ある時期が来ると自分は学会員であると告白し、対話を通してやわらかく選択を迫ります。
私が創価に言っている事は「悔い改めよ!」です。
しかし、魔界のロボトミー化した池田狂信者は、基本的に反省出来ない哀れな連中です。
残念です。
http://8022.teacup.com/momo7/bbs
329
:
沖浦克治
:2003/10/23(木) 16:44
アネモネさん
少し説明をいたします。
教義の件は、私の立場を知っていただくために述べております。
皆様方のご賛同を期待するものではありません。
あなたのご質問にはお答えいたしますが、納得していただく必要はありません。
先ず200年後につきましては、戸田先生自らが『自分の正しい評価は死後200年たたないとなされないであろう。』
と言われた旨、池田先生のご指導より聞きました。
手元に録音もあります。
私は戸田先生を尊敬する一人の人間として、この言葉が真実であろうと思っております。
>ここでお三方の、評価の良し悪しを論じても無意味です。
一人の人物を悪意から評価する立場と、善意から見ると時とでは正反対の評価がしばしば顕れます。
にこやかで、雄弁で、行動力がある人も、悪意から見れば、にやけて、喋りで、腰が軽いとなります。
失礼ながらこの掲示板では、池田先生すなわち悪、との決め付けが先行しているように見受けられます。
池田先生や、創価学会に対する公平な態度の欠如するところで、創価学会や、池田先生の功罪を論じても、私には無意味に感じられるのです。
330
:
沖浦克治
:2003/10/23(木) 16:58
アネモネさん(続きです)
>人間が本、仏が迹の立場です。
戒壇様は迹、人間は本です。
蓮祖の法を世界に広め、キリスト教や回教を化導するために最も重要な部分でしょう。
仏法は、人間のための法です。
人を幸福に導く為に仏は出現し、法を説きます。
人間の為の仏や法であれば、人間が主、法や仏は従です。
Aの為のBであれば、Aが目的であり主、Bが手段であり従です。
おそらくは、このような思想は仏法だけかも知れません。
法主は従、信徒は主、能化は手段、所化は目的。
これがさかさまになっているのが、現在の宗門です。
池田先生は従、会員は主、幹部は手段、末端は目的。
人類の幸福の為にある組織であれば、当然のことです。
>創価学会の教義なのでしょうか。
日蓮大聖人様の教えです。
>とすると、人間社会を成熟させる力があるのは、沖浦さんが信じているという「広めるべき法」ではないということになりますね。沖浦さんが信じているという「広めるべき法」は、民主主義の力なくしては広まらない、いわば「他力本願の法」ということなのでしょうか。
いいえ自力でも他力でもありません。
社会の変換をもたらしたものは人類の英知です。
法も力があり、人間も力があるのです。
331
:
沖浦克治
:2003/10/23(木) 17:05
アネモネさん(続きです)
>ということは、700年も前から創価学会があったということですか?
創価学会はありません。
>沖浦さんご自身のレスに既に見受けられます。それは、>306の
「現在、宗門を邪宗と断定している立場から、戸田先生のご指導を読まねば真実は見えてまいりません。」
という言葉です。このような意識から、「駄目な人」といってしまったところが、他者の信教の自由を侵害していらっしゃるといえます。
『修羅が仏は十八界我は十九界と云ひ外道が云く仏は一究竟道我は九十五究竟道と云いしが如く日蓮御房は師匠にておはせども余にこはし我等はやはらかに法華経を弘むべしと云んは螢火が日月をわらひ蟻塚が華山を下し井江が河海をあなづり烏鵲が鸞鳳をわらふなるべしわらふなるべし。』( 佐渡御書)
蓮祖も邪義を厳しく責められておられますよ。
>暴言…つまり言葉の暴力というものですね。
「お付き合いしたくありません」などと、対話を拒否することも、暴言、つまり暴力のうちに含まれるものではないでしょうか?
そうは思いません。
332
:
沖浦克治
:2003/10/23(木) 17:19
>他者が信じる教えを「邪法」と断定する段階で、「信教の自由」を認めてはいませんよね。
重ねて言いますが、どんなに不思議と解釈されても、創価学会の布教のためだけに、民主主義に基づく「信教の自由」があるわけではありません。
当然です。
どの宗教にも布教の自由があります。
蓮祖は『かかる時刻に日蓮仏勅を蒙りて此の土に生れけるこそ時の不祥なれ、法王の宣旨背きがたければ経文に任せて権実二教のいくさを起し忍辱の鎧を著て妙教の剣を提げ一部八巻の肝心妙法五字の旗を指上て未顕真実の弓をはり正直捨権の箭をはげて大白牛車に打乗つて権門をかつぱと破りかしこへおしかけここへおしよせ念仏真言禅律等の八宗十宗の敵人をせむるに或はにげ或はひきしりぞき或は生取られし者は我が弟子となる、或はせめ返しせめをとしすれどもかたきは多勢なり法王の一人は無勢なり今に至るまで軍やむ事なし、法華折伏破権門理の金言なれば終に権教権門の輩を一人もなくせめをとして法王の家人となし天下万民諸乗一仏乗と成つて妙法独り繁昌せん時、万民一同に南無妙法蓮華経と唱え奉らば吹く風枝をならさず雨壤を砕かず、代は羲農の世となりて今生には不祥の災難を払ひ長生の術を得、人法共に不老不死の理顕れん時を各各御覧ぜよ現世安穏の証文疑い有る可からざる者なり。』( 如説修行抄)
と仰せです。
>私には創価学会の誇りというものが何であるのかは、現時点ではまるで見えてきておりません。
あなたが創価学会員でないのですから当然でしょう。
>どうしてですか?
宗門と創価学会は無関係の団体です。
創価学会が日蓮正宗の信徒の集まりの時とは、立場が変わって当然です。
現在の自由な立場から宗門を見ると、過去には見えなかったものが見えてくると言っております。
たとえば、嫡々一人などは絵空事です。
しかしながら、宗門に所属していた時にはこんな事は話題にも出来ず、したがってほとんどの学会員が信じておりました。
>勝ち負けの基準は何でしょうか。誰がその判定をするのでしょう。
それと、私が退転して改めてわからない素朴な疑問をここでさせて頂きますが、広めるというその「連祖の法」とは、一体、何なのでしょうか?一言で言えるものではないでしょうけれども、その点も含めて、レスを頂ければ幸いです。
これから出かけますので帰宅後に書き込ませていただきます。
333
:
MILD SEVEN
:2003/10/23(木) 17:29
「創価学会の悪・折伏」
創価は、まったく反省しない連中です。
まったく魅力無き組織です。
創価は不自然で・・・きもい。
http://8022.teacup.com/momo7/bbs
334
:
MILD SEVEN
:2003/10/23(木) 18:56
<創価学会が仏教では無く、単なる新興宗教である事の確証>
創価学会は、現在本山から破門され、その教義は迷路をさまよっています。
http://www5c.biglobe.ne.jp/~lotus/newpage3.htm
335
:
沖浦克治
:2003/10/23(木) 21:48
アネモネさん
>>勝ち負けの基準は何でしょうか。誰がその判定をするのでしょう。
それと、私が退転して改めてわからない素朴な疑問をここでさせて頂きますが、広めるというその「連祖の法」とは、一体、何なのでしょうか?一言で言えるものではないでしょうけれども、その点も含めて、レスを頂ければ幸いです。
200年たって、創価学会が20億人程度の会員を世界中に持っていれば我々の勝ち。
日蓮正宗が20億人になっていれば宗門の勝ち。
両方とも世界に広がらなかったら、双方ともに負け。
判定は後世の人類がするのです。
人間の人間による人間の為の宗教が蓮祖の法です。
蓮祖は人間です、我々も人間です、化導されるべき衆生もまた人間です。
今世界は不幸に満ちています。
子供達は虚しくは死に、内戦は民衆を殺し、食料難に餓死者が溢れているのが世界です。
ニュースをごらんください。
宗教は力を失い始め、価値観は揺らぎ、変遷する勢力争いは民を途端の苦しみに陥れておるます。
蓮祖在世の日本の状態が、今世界中に広まったております。
救えるものは蓮祖の仏法以外にありません。
『涅槃経に云く「一切衆生の異の苦を受くるは悉く是れ如来一人の苦」と云云、日蓮が云く一切衆生の異の苦を受くるは悉く是れ日蓮一人の苦なるべし。』(御義口伝)
『かかる時刻に日蓮仏勅を蒙りて此の土に生れけるこそ時の不祥なれ、法王の宣旨背きがたければ経文に任せて権実二教のいくさを起し忍辱の鎧を著て妙教の剣を提げ一部八巻の肝心妙法五字の旗を指上て未顕真実の弓をはり正直捨権の箭をはげて大白牛車に打乗つて権門をかつぱと破りかしこへおしかけここへおしよせ念仏真言禅律等の八宗十宗の敵人をせむるに或はにげ或はひきしりぞき或は生取られし者は我が弟子となる、或はせめ返しせめをとしすれどもかたきは多勢なり法王の一人は無勢なり今に至るまで軍やむ事なし、法華折伏破権門理の金言なれば終に権教権門の輩を一人もなくせめをとして法王の家人となし天下万民諸乗一仏乗と成つて妙法独り繁昌せん時、万民一同に南無妙法蓮華経と唱え奉らば吹く風枝をならさず雨壤を砕かず、代は羲農の世となりて今生には不祥の災難を払ひ長生の術を得、人法共に不老不死の理顕れん時を各各御覧ぜよ現世安穏の証文疑い有る可からざる者なり。』(
如説修行抄)
蓮祖は、一切衆生を救うために折伏を行なえ、とご遺命になられました。
今日、このご遺命通りの行動をしているのは、創価学会だけす。
法華経の行者は大難に遭うとも仰せです。
今、何処の団体に難が競っておりますか?
創価学会以外にはありません。
我々は、初代を殺され、二代を投獄され、三代を中傷批判の真っ只中に置かれております。
何一つ悪い事はしておりません。
これが証拠です。
蓮祖の仏法をご本尊様とともに創価思想として広めることが、蓮祖の法を広めるとの義です。
336
:
MILD SEVEN
:2003/10/23(木) 22:16
<創価学会が仏教では無く、単なる新興宗教である事の確証>
創価学会は、現在本山から破門され、その教義は仏教を否定し迷路をさまよっています。
http://www5c.biglobe.ne.jp/~lotus/newpage3.htm
337
:
私案119の期待者
:2003/10/24(金) 00:11
創価三代は「何一つ悪い事無し、、」とは、、、、??、、、、??。 今時「このようなお言葉自体」が逆に「新鮮に、、?」に聞こえる私めが「バカ」なのでしょうか、、? 沖浦様には「過去の投稿文」をジックリ「お読み」されてから「再度の御投稿、、」なども、、、ヨロシーか、、?、なと、、??
338
:
今後の警戒者
:2003/10/24(金) 01:21
今後とも「沖浦様のような、方、が」「ますます増加する、?」かと存じまするが、、。 「昨今は”本尊”に迷走中」の「方々が大勢、、??」居られるようですかネーー?、。
339
:
Leo
:2003/10/24(金) 02:07
沖浦克治さん、はじめまして。横レス失礼します。
ある期間活動していたことのある、今は名ばかりの学会員Leoと申します。
>200年たって、創価学会が20億人程度の会員を世界中に持っていれば我々の勝ち。
>日蓮正宗が20億人になっていれば宗門の勝ち。
>両方とも世界に広がらなかったら、双方ともに負け。
>判定は後世の人類がするのです。
仏法では現在だけでなく、過去・未来を知るといわれますが...
20億人とは現在の世界の人口60億人の1/3(舎衛の三億)ですね。
1944年に創価学会員1人で、現在「学会員+SGIメンバー」 2000万人で
あり、増加率が単調増加「学会員+SGIメンバー 」と仮定しましょう。
(世界の人口増加もないとしてみましょう)広宣流布は、
60年 * 20,000,000,000人 / 20,000,000人 = 6万年
かかることになります。
そもそも海外メンバーが日本のメンバーの1/10、現在は過去の
75万世帯→750万世帯の伸びもなく、公明党の得票数から推定
される実質会員数もほぼ横ばいであるのに、舎衛の三億が
どのように達成されるのでしょうか。
>蓮祖は、一切衆生を救うために折伏を行なえ、とご遺命になられました。
>今日、このご遺命通りの行動をしているのは、創価学会だけす。
折伏・布教は創価学会だけでなく、日蓮正宗も日蓮宗もやっていますね。
どこが元祖・本家なのでしょうか。
>法華経の行者は大難に遭うとも仰せです。
>今、何処の団体に難が競っておりますか?
>創価学会以外にはありません。
>我々は、初代を殺され、二代を投獄され、三代を中傷批判の真っ只中に置かれております。
>何一つ悪い事はしておりません。
初代会長、二代会長は何も悪いことをしていないように思える。
三代以降では、たとえば「言論出版弾圧事件」はなかったのでしょうか。
>これが証拠です。
>蓮祖の仏法をご本尊様とともに創価思想として広めることが、蓮祖の法を広めるとの義です。
創価思想とは何ですか、創価思想を「広めること」ですか?
その広める創価思想とは何でしょう?「難にあう」ことですか?
実は、全く無内容なのではないでしょうか(誰も明確に説明できない)。
340
:
Leo
:2003/10/24(金) 02:23
補足です。
>判定は後世の人類がするのです。
学会草創期から見た「後世の人間」として判定させて頂きます。
学会流広宣流布は第一次・第二次宗門問題をもって挫折したと考えます。
今は、通仏教・通日蓮等を学ぶなどして個人個人が向上していくしかないと
考えます。自分を救えない者がまして他人様を救えましょうか。
341
:
MILD SEVEN
:2003/10/24(金) 03:13
創価の詭弁には呆れます。
創価は仏教ではありません。
http://8022.teacup.com/momo7/bbs
342
:
沖浦克治
:2003/10/24(金) 04:56
Leoさん
始めまして、沖浦克治です。
>20億人とは現在の世界の人口60億人の1/3(舎衛の三億)ですね。
1944年に創価学会員1人で、現在「学会員+SGIメンバー」 2000万人で
あり、増加率が単調増加「学会員+SGIメンバー 」と仮定しましょう。
(世界の人口増加もないとしてみましょう)広宣流布は、
60年 * 20,000,000,000人 / 20,000,000人 = 6万年
かかることになります。
今後の世界広布の展開に関するご質問のようですね。
先ず宗門や、日蓮宗の布教活動は折伏ではありません。
あれらの法は日蓮大聖人様とは無関係です。
ただのは勧誘です。
念仏宗を真言宗に改宗させる行為と同じです。
邪宗を、邪宗に転向させる行為を折伏とは呼びません。
折伏は蓮祖直属の創価学会だけです。
社会に仏法を開く為には、多くの人材の輩出が不可欠です。
とりあえずは、蓮祖の法を心の芯においた社会に通用する一流の人間を多く育てる事です。
そのためには大学、文化研究機関、経済研究所等々を作らねばなりません。
政治も避けては通れませんね。
信心さえしていればよい、との考えは、世界広布には無力です。
またあなたの計算式は理解がしにくいです。
何をおっしゃりたいのでしょうか?
20億が15億でもいいのですが、要するに蓮祖の法が世界のあらゆる価値判断の根底に座るには、その程度の人数はいるのではないかな、と考えているだけです。
舎衛の三億との言葉は御書には無いと思いますが、一つの目安としては有効でしょうね。
創価学会員をこの数字まで200年以内に出来なければ、蓮祖の法は滅びるでしょう。
方法は大白蓮華や、聖教新聞等をお読みくだされば、少しは理解できると思いますが、本気で知るための努力が必要となるでしょう。
> 学会草創期から見た「後世の人間」として判定させて頂きます。
学会流広宣流布は第一次・第二次宗門問題をもって挫折したと考えます。
このご意見は改める必要ははありません。
あなたにはあなたの、私には私の考えがあるのです。
どちらがが正しいかは、当方の今後の折伏活動にかかっております。
>今は、通仏教・通日蓮等を学ぶなどして個人個人が向上していくしかないと
考えます。自分を救えない者がまして他人様を救えましょうか。
これもあなたの価値観ですから、大切になさればいいでしょう。
343
:
Leo
:2003/10/24(金) 07:52
沖浦克治さん。
>今後の世界広布の展開に関するご質問のようですね。
>先ず宗門や、日蓮宗の布教活動は折伏ではありません。
>あれらの法は日蓮大聖人様とは無関係です。
>ただのは勧誘です。
>念仏宗を真言宗に改宗させる行為と同じです。
>邪宗を、邪宗に転向させる行為を折伏とは呼びません。
>折伏は蓮祖直属の創価学会だけです。
学会が蓮祖直属であるその根拠は何でしょうか。
御書を拝する限り創価学会は蓮祖に反しているように思います。
(必要であれば説明します)
>社会に仏法を開く為には、多くの人材の輩出が不可欠です。
>とりあえずは、蓮祖の法を心の芯においた社会に通用する一流の人間を多く育てる事です。
>そのためには大学、文化研究機関、経済研究所等々を作らねばなりません。
>政治も避けては通れませんね。
すでに東洋哲学研究所や創価大学、アメリカ創価大学をつくっていますね。
政治は公明党ですか。それらは現在ベストな状態なのでしょうか。未来にはベストに
なるのでしょうか。考え方が同じであれば、未来も同じではないのでしょうか。
心理学(脱カルト)のカウンセラーはもっと増やした方がいいかもしれませんが...
>信心さえしていればよい、との考えは、世界広布には無力です。
あなたは実際世界広布されたことがありますか。そうでなければ観念論では
ないでしょうか。
>またあなたの計算式は理解がしにくいです。
>何をおっしゃりたいのでしょうか?
要するに200年後に20億人の会員数にはならないということです。
沖浦さんは数学や算数を否定されるお立場なのでしょうか。
私は20億広布は観念論だと思います。
>20億が15億でもいいのですが、要するに蓮祖の法が世界のあらゆる価値判断の根底に座るには、その程度の人数はいるのではないかな、と考えているだけです。
>舎衛の三億との言葉は御書には無いと思いますが、一つの目安としては有効でしょうね。
>創価学会員をこの数字まで200年以内に出来なければ、蓮祖の法は滅びるでしょう。
>方法は大白蓮華や、聖教新聞等をお読みくだされば、少しは理解できると思いますが、
>本気で知るための努力が必要となるでしょう
私は大白蓮華や、聖教新聞を読んでますが、200年後に会員数が 15億〜20億に
なるとか、そうならなければ蓮祖の法は滅びるとどこに書いてありますか。
それとも沖浦さん専用の大白蓮華や聖教新聞があるのでしょうか。
>このご意見は改める必要ははありません。
>あなたにはあなたの、私には私の考えがあるのです。
>どちらがが正しいかは、当方の今後の折伏活動にかかっております。
ええ、個人個人の意見があると思います。6万年折伏はひとつのロマンだと思います。
頑張ってください。
344
:
Leo
:2003/10/24(金) 07:53
>心理学(脱カルト)のカウンセラーはもっと増やした方がいいかもしれませんが...
もっと増やした方がいいというより、設けた方がよいということです。
345
:
沖浦克治
:2003/10/24(金) 11:04
Leo さんおはようございます。
>学会が蓮祖直属であるその根拠は何でしょうか。
御書を拝する限り創価学会は蓮祖に反しているように思います。
お望みであればいくらでもお話をいたしますが、何故お知りになりたいのでしょうか?
もし、ご自分が創価学会に真面目な興味をお持ちになられるのでしたら、対話をしたく存じます。
>すでに東洋哲学研究所や創価大学、アメリカ創価大学をつくっていますね。
政治は公明党ですか。それらは現在ベストな状態なのでしょうか。未来にはベストに
なるのでしょうか。
ベストの状態のものなどは世の中には無いと思いますが、如何でしょうか?
>心理学(脱カルト)のカウンセラーはもっと増やした方がいいかもしれませんが.
創価学会とカルトは無関係です。
>そうならなければ蓮祖の法は滅びるとどこに書いてありますか。
それとも沖浦さん専用の大白蓮華や聖教新聞があるのでしょうか。
私がもっとも嫌いなものがこの様な馬鹿げた質問です。
私専用の大白や新聞があると思うのならば、お探しください。
この様な無礼名質問は無視いたします。
今後もこの様なことを続けるのでしたら、あなたとの対話はお断りいたします。
>あなたは実際世界広布されたことがありますか。そうでなければ観念論では
ないでしょうか。
これも同レベルの質問です。
『あなたは具体的に世界広布に向けて、どのような行動をおとりですか?』
この様な質問でなければ回答が出来ないでしょう。
少し常識的な質問をして下さい。
>ええ、個人個人の意見があると思います。6万年折伏はひとつのロマンだと思います。
頑張ってください。
6万年云々はあなたの説です。
あなたがおやりなさい。
自分の妄説を、他人に押し付ける事は愚かです。
346
:
アネモネ
:2003/10/24(金) 13:00
沖浦克治さん
今回は、大変長くなりました。ゆっくり読んでください。
>先ず200年後につきましては、戸田先生自らが『自分の正しい評価は死後200年たたないとなされないであろう。』
と言われた旨、池田先生のご指導より聞きました。
戸田さんがそれをどのようなときにどのような思いで発せられたのか、また池田さんがその言葉をどのような思いで受け止めて、どのような意図でもって信徒の方々に伝えているのか、創価学会に個人的な思い入れも共感もない私にはほとんどわかりません。
ただ、ある時代に何かを残した人の評価というのは、後世になって大きく変るということは確かにあるでしょうね。しかしそれのいずれが真実に正しい評価であるかは、時代の変遷の中で価値観も変っていくでしょうから、一概には定められないものではないでしょうか。
むしろ私は、真実の正しい評価は一つというものではないと思っています。敢えていえば、良い評価ができるところもあれば、できないところもあるということであり、そのようにみることが、公正で健全なものの見方ではないかと思っています。
だからこそ、創価学会の功と罪を検証してみたいということなのです。
>失礼ながらこの掲示板では、池田先生すなわち悪、との決め付けが先行しているように見受けられます。
そんなことはありませんでしょう。それこそ、そのように思いこんでしまう沖浦さんこそ、決め付けや偏見というものです。ご自分ではお気づきになりませんか?
>池田先生や、創価学会に対する公平な態度の欠如するところで、創価学会や、池田先生の功罪を論じても、私には無意味に感じられるのです。
私は法華講にいて、うんざりするほど、池田さんや創価学会の口汚いほどの悪口を聞かされて、ほとほとそれがいやで参詣が遠のいたようなものです。それに比べたら、ここの掲示板ではそのような誹謗中傷はなく、非常に科学的で冷静な検証と、そして公正な判断での事実の積み重ねがなされてきていると感じます。そうでなければ、私は常連と呼ばれるほどここに参加してはいません。
投稿者の方々の多くは、組織の立場や経緯は違えど、富士門の教団に対して真摯に問題意識を持っていらっしゃると見受けられます。そのうえで、功と罪を見ている、また見ようとしている方々ですから、そこが組織の枠組みやしがらみを超えて共通する認識の立場ではないでしょうか。非常に有意義なことだと思っています。
しかしまあ話しを戻しますと、学会は学会で聖教新聞などの媒体の見出しなどからして、宗門や日顕さんのことを宗門と同じように口汚く言い、場合によっては、個々の家庭では呪いのような唱題もしていると聞いています。それが本当ならば、どっちもどっちの境涯(境界)といえるでしょう。お互いに近親憎悪の修羅界ではないでしょうか。どこに違いがあるというのでしょう。
そのような泥仕合の渦中にドップリ日々つかっていれば、それこそ人間性が歪められ、感覚は次第に麻痺していき、とてもじゃないですが、自分の組織を冷静に客観視することなど出来るものではありません。
失礼ながら、沖浦さんの投稿から拝見すると、まさにそのような状態に陥っていらっしゃるのではないでしょうか。そういうことがお好きだというなら、それもひとつの生き方でしょう。しかし、そういう心の状態となる価値観を人々に勧めてはほしくないなという思いを私は持ちますね。
沖浦さんは、投稿にもあるように何よりも創価学会員であることに対する誇りが強いわけですから、戸田さんや池田さんに対する思い入れも人一倍強いわけです。となると個人的な感情移入は避けられず、どうしても公正に見ているつもりでも、ひいき目になっているということは、ご自分では全く気がつかれませんか?
良いところだけを見てきているように思われますし、もしくは、良いところだけを刷り込まれてきたということかもしれません。
これは、学会に対する悪意でもって書いていることではありません。決め付けているわけでもないです。違うということであれば、反論なさってください。
347
:
アネモネ
:2003/10/24(金) 13:00
(つづき)
>蓮祖の法を世界に広め、キリスト教や回教を化導するために最も重要な部分でしょう。
なぜキリスト教や回教を創価学会が化導しなければならない必要があるのでしょうか。
また、沖浦さんはどの程度、キリスト教や回教をご存知なのですか?
>>仏法は、人間のための法です。
>人を幸福に導く為に仏は出現し、法を説きます。
>人間の為の仏や法であれば、人間が主、法や仏は従です。
仏法の為に布教活動をしているとよく聞いたものですが、妙法や正法というものは、人間の為に存在しているということですか?これも初耳です。法律のように誰かが人間の為に作ったというものなのでしょうか。
すみませんが、ここのあたりのことを、向学のために、そのように説かれたお経文か御書を教えていただけませんか?
>Aの為のBであれば、Aが目的であり主、Bが手段であり従です。
>おそらくは、このような思想は仏法だけかも知れません。
というか、それが本当に仏の法というものなのでしょうか。私は、俄に理解できませんので、何か文証を提示してください。
正直いって、私は、日蓮正宗と創価学会は似たようなものだと思っていました。法華講はミニ版の創価学会だったのではないかとさえ思ったものですが、こうして投稿を読ませていただくと、カルチャーショックのような感覚を覚えます。
>法主は従、信徒は主、
では、不信の人は、何と呼びますか?
>能化は手段、所化は目的。
この意味がよくわかりません。所化になるということがこの信心の目的ということなのでしょうか。そのための手段が能化ということですか?ちょっとよくわかりませんので、この点についても、何か文証を示して説明して頂けないでしょうか。
>これがさかさまになっているのが、現在の宗門です。
さかさまでも、どっちでも、私はそのような役割を定められてしまうような組織信仰の歯車に組み込まれるのは、とても馴染めそうもないですね。
人間の為としきりに言われていますが、組織の枠組みを想像すると、まるで人間の尊厳を無視しているように見えますが。
>池田先生は従、会員は主、幹部は手段、末端は目的。
なんだか、目的別に役割が固定されているようで、とても息苦しそうですね。
この仏法を広めるということは、社会全体がそのような創価学会の組織に組み込まれて、画一化されてしまうというようなことを目標としているというものなのでしょうか。
なんだか心身ともに不自由な世の中になりそうで、繰り返しになりますが、私はとてもそのような組織の論理には馴染めそうもないです。
正直なところ、信じている方のお気持ちは尊重いたしますが、そのような息苦しい価値観は広まらないほうがいいのではないかと、私個人は思ってしまいます。かえって、人々が精神的に追い詰められ不幸になりはしないでしょうか。
>人類の幸福の為にある組織であれば、当然のことです。
そもそも創価学会では、人類の幸福とは何であるとしているのですか?
>>創価学会の教義なのでしょうか。
>日蓮大聖人様の教えです。
繰り返しになりますが、御書でそれを示しているところを教えてください。
348
:
アネモネ
:2003/10/24(金) 13:01
(つづき)
>蓮祖は『かかる時刻に…有る可からざる者なり。』( 如説修行抄)
と仰せです。
かつて、法華講に所属して、それなりに信心をしていた頃には、この世を生きる使命感をそそられ、みなぎる思いもひとしおだった御書の御文なのですが…。
今こうして改めて読んでみると、そのとき味わった思いは、多少色褪せてましっているのを感じますね。
「念仏真言禅律等の八宗十宗の敵人をせむるに…」など、なんというか闘争的というか、好戦的というか、仏と民衆に仕えるお坊さんというよりは、非常に勇ましく血気盛んな武士の御文のようでもあります。
日蓮さんは平家物語の原形として当時読まれていた軍記ものを好んで読まれ、その影響を多分に受けておられるという分析をどこかで読んだことがあります。この掲示板でも紹介したことがありましたが、まさにそのような影響を感じる文面ですね。
だからでしょうか、沖浦さんのレスにも、勝敗を常に意識されている文面が多く、ややもすれば闘争的な面が見受けられるようにも思われます。確かに、自由社会とは競争原理に基づいたものかもしれませんが、しかし、だからこそ宗教の教えは、競争原理を超えた精神の解放を望むところに、その意義があるものなのではないでしょうか。
>>私には創価学会の誇りというものが何であるのかは、現時点ではまるで見えてきておりません。
>あなたが創価学会員でないのですから当然でしょう。
結局、私とはほとんど対話が成り立っていないかもしれませんね。
戸田さんや池田さんの言葉の影響を受けてこられたことはだいたいわかりますが、しかし沖浦さんの投稿内容は、具体性に欠けていることもあって、いまひとつ創価学会の功績ということにおいて、何を主張されたいのか、はっきりしませんです。
>>現在、宗門を邪宗と断定している立場から、戸田先生のご指導を読まねば真実>は見えてまいりません。
>どうしてですか?
>宗門と創価学会は無関係の団体です。
とーんでもない。たとえ袂を分かったとしても、決して無関係の団体とはいえないでしょう。教団の成り立ちや歴史を全く無視したご発言ですね。このように言いなさいと学会で指導されているのですか?
こんな無責任なことを言えば、他の全ての言葉も真実味が感じられなくなります。たとえ一信徒といえども、沖浦さんのこの言葉ひとつで、「創価学会は信用できない教団」という印象をもたれることにもなります。ただ単に自分たちの目先に都合のいい言葉を発することは、結局は自分とその教団の評価を自ら下げることになると思います。
私が言うまでもありませんが、牧口さんも戸田さんも、法華講に入ったことから創価学会が始まったようなものですね。宗門の日寛教義を学会の教義とし、宗門を外護することを志した団体だったのではないですか?
さらに今でも日寛さんの曼荼羅を配布しているとも聞きますから、無関係の団体などといえば、事実を無視した虚偽の発言となります。
適当なことを言ってはいけませんね。
349
:
アネモネ
:2003/10/24(金) 13:02
(つづき)
>創価学会が日蓮正宗の信徒の集まりの時とは、立場が変わって当然です。
何の立場が変ったというのですか。
こういってはなんですが、発せられる言葉のひとつひとつが曖昧模糊とした適当な言葉のように感じるんですね。一方的な思いを強く語られる割には、中味が空疎のように感じます。
学会の中ではツーカーで通じ許される適当な言葉であっても、学会を知らない私のような者もいる公の掲示板では、残念ながら通用しないのです。
できれば、レスは急ぎませんので、もう少し具体性を持たせた説明をお願いできないでしょうか。それと、ここに参加される以上は、できれば私が紹介いたしました過去ログを少しづつでもいいですから、ぜひお読みになって下さい。
>現在の自由な立場から宗門を見ると、過去には見えなかったものが見えてくると言っております。
たとえば、嫡々一人などは絵空事です。
嫡々一人というのは、唯受一人血脈相承のことでしょうか?
>しかしながら、宗門に所属していた時にはこんな事は話題にも出来ず、したがってほとんどの学会員が信じておりました。
嫡々一人が何のことなのかわかりませんが、それが正しいことではないということは、どのようなことでおわかりになったのですか?
>200年たって、創価学会が20億人程度の会員を世界中に持っていれば我々の勝ち。
日蓮正宗が20億人になっていれば宗門の勝ち。
200年という数字は戸田さんが言ったこととのことでしたが、20億人というのはどういう試算でどなたがはじき出したものでしょうか。
恐らく、沖浦さんは、私の過去のレスについてはほとんど読んではいらっしゃらないものと思われますが、私はこうした数字を宗教の場で必達目標として掲げられることに大きな違和感を覚えます。はっきりいって、マルチ商法の場のようにさえ感じるのです。
共通する弊害は、人間性を失いかねないということで、私は敬遠したいのです。
法華講でもそうでしたが、30万登山というその30万という数字にどれだけの信者が人間性を失ってきたのかを目の当たりにしてきました。私もあわやのところで、自分を見失うところでした。
人間の為と言いながら、200年後とか、20億人とか、信者が数字を背負わされていくことで、広める信徒が人間性を失っていたのでは、どうしようもないです。
>人間の人間による人間の為の宗教が蓮祖の法です。
このことを示した文証を教えてください。
>蓮祖は人間です、我々も人間です、
それはそうでしょうね。
>化導されるべき衆生もまた人間です。
それでは、法を広める信徒と、広められる衆生との間にも、主と従があるのですか?
350
:
アネモネ
:2003/10/24(金) 13:02
(つづき)
>子供達は虚しくは死に、内戦は民衆を殺し、食料難に餓死者が溢れているのが世界です。
具体的に創価学会ではそういった世界的な問題に対して、どういう社会貢献をしているのでしょうか。具体的に教えて下さい。それと、そのような世界中の数々の不幸な現状に対して、200年後だの20億人だのといった数字は、どのような相関性があるのでしょうか。これも具体的に説明してください。
>ニュースをごらんください。
毎日、欠かさず見ております。
>宗教は力を失い始め、価値観は揺らぎ、
「価値観は揺らぎ」とはどういうことでしょう。私は、価値観は多様であるものだと考えますが。
>蓮祖在世の日本の状態が、今世界中に広まったております。
今に始まったことではないでしょう。古今東西、いつの世も人間のやってきたことは、殺戮や戦争の歴史だったといえるのではないでしょうか。
そんなどうしようもない人間の為に法があるというのがよくわかりません。
生命体はこの世にたくさんありますが、そのような他の生命体は法にとっては無意味な存在というものなのでしょうか。
>救えるものは蓮祖の仏法以外にありません。
その根拠を提示してください。
>蓮祖は、一切衆生を救うために折伏を行なえ、とご遺命になられました。
日蓮さんが使っていた「折伏」という語彙とは、真蹟の書を見る限りでは、根本的な意味が違っているとのことです。
ところで、沖浦さんは、真偽未決の書も文証として用いられているかと思われますが、この掲示板では、御書の真偽については非常に慎重です。
>今日、このご遺命通りの行動をしているのは、創価学会だけす。
折伏の語彙について、その意味を私に正しく教えてください。
>法華経の行者は大難に遭うとも仰せです。
日蓮さんは法華経を依経とされたわけですが、それはお釈迦さまの直説だという前提のもと、五時八教にのっとって選ばれた経文ということですが、しかし、時代とともに科学的研究が進んできた結果、法華経はお釈迦さまの直説ではなくて、同時に五時八教は理論的に崩れてしまっているとのこと。この点はどのように考えられているのですか?
>今、何処の団体に難が競っておりますか?
創価学会以外にはありません。
創価学会にはどのような難が競っているのでしょうか。具体的に提示してください。
351
:
アネモネ
:2003/10/24(金) 13:03
(つづき)
>何一つ悪い事はしておりません。
そんなことはないんじゃないですか?
都合の良い情報だけを刷り込まれているということではありませんか?
>これが証拠です。
証拠というよりも、学会はすごいんだという自己宣伝ばかりで、何がすごいのかという参考になるような具体的内容も根拠もほとんどなかったですね。残念です。
あまりにも思いばかりが強いせいか、創価学会の正しさを立証するにはほど遠く、内容が空疎と感じました。
ただひとつわかったことは、私はかつて8年間いた宗門にも、かつて学会だったという方々が多くおられて、そのような方々を通して学会を知り、結局、似たり寄ったりだと思っていたものですが、実は、違うものだということを実感しました。
語彙も違えば、もしかして教義も違っているのでしょうか。
創価学会は具体的に何をしている教団なのでしょうか。
結局、沖浦さんの投稿の中で、具体的に書かれていたことといえば、「200年後」と「20億人」というそれぞれの数字と、その達成が勝負を決めるということだけだったように思われます。これが世界平和の目指す姿なのですか。だとしたら、とてもお粗末です。
要するに、教団の信徒数を増やすことだけに心血を注いでいる団体ということではないでしょうか。
それでは申し訳ないですが、沖浦さんの投稿と同じというか…宗教団体としてあまりにも空疎な教団と思えてしまいますね。
揶揄でもなんでもなく、それが率直なあるがままの私の感想です。
>社会に仏法を開く為には、多くの人材の輩出が不可欠です。
とりあえずは、蓮祖の法を心の芯においた社会に通用する一流の人間を多く育てる事です。
そのためには大学、文化研究機関、経済研究所等々を作らねばなりません。
政治も避けては通れませんね。
信心さえしていればよい、との考えは、世界広布には無力です。
人間の為の仏法と何度も書かれていましたが、人間の為の仏法ではなくて、創価学会の為に仏法があると言っているように聞こえます。
もっといえば、創価学会の為に仏法と人間がある。そればかりか、国を司る政治までもが、創価学会の為にあるんだという意識さえも感じられ、人間や社会は学会が大きくなるための道具のようにみなされているようで、不快感を覚えます。
人間、人間と繰り返す割には、まるで人間性が感じられないのはどうしてでしょう。そう思うのは、私だけでしょうか。
352
:
アネモネ
:2003/10/24(金) 13:03
(つづき)
>創価学会とカルトは無関係です。
カルトというのは、組織のあり方や状態を示した言葉ですから無関係という表現はおかしいですね。沖浦さんはどこかに「カルト」という名称の教団でもあるかのように思っていらっしゃるのでしょうか。
>私がもっとも嫌いなものがこの様な馬鹿げた質問です。
私専用の大白や新聞があると思うのならば、お探しください。
この様な無礼名質問は無視いたします。
今後もこの様なことを続けるのでしたら、あなたとの対話はお断りいたします。
信用に値する文証が求められれることは、議論の場の原則ですね。自分の個人的な考えであるならば、そのように説明すべきでしょう。日蓮の法なのか、創価学会の解釈なのか、沖浦さんの個人的考えなのか、そういうことをひとつひとつ明確に示して頂くことを求める質問は、何も馬鹿げたことでありませんし、無礼なことでもないでしょう。重要なことです。
むしろ、そのような重要なことにに半ば感情的になって、罵倒し対話を拒絶する態度こそ、不誠実な態度ではないでしょうか。自分の発言に対して、無責任でもあります。
それが法華経の行者の姿なのですか?
それにしても、どうして同じ学会に今も席を置く縁ある人に対してまで、そのように喧嘩ごしになるのでしょう。
自分の意見が通じないからといって、また反論や批判を受けたからといって、質問されたからといって、ことを構える必要はないと思います。
余計なことかもしれませんが、もう少し心にゆとりを持たれてはいかがでしょう。何か、沖浦さん自身が、気持ちが追い詰められて心にゆとりがないのではないでしょうか。私にはそんなふうに見えます。
仏教とは、もっとおおらかな教えなのではないのでしょうか。それとも沖浦さんの信じる仏教が、たまたま違うということでしょうか。
沖浦さんの価値観には、議論の勝負ということが大きく横たわっているように思います。
「駄目な人」と侮辱発言をしたり、対話を拒否して人を選別したりと、それらは勝負を意識して言葉の暴力で相手をねじ伏せようとしていることがありありと見てとれます。また、沖浦さんの他での掲示板のご発言を拝見させて頂きましたが、そのようなことが、習慣化されていらっしゃるようですね。
しかし考えてもひて下さい。勝負ということでいえば、沖浦さんは>306で、
>後は教義の内容に付いての討論は避けたいと思います。
とあっさり教義討論の投げ出しを発言されておられます。
沖浦さんの価値観からいって、これは事実上の敗北宣言をしているようなもの。
自ら教義の討論を避けた結果、皮肉にも内容が空疎になってしまったわけです。
しかし日蓮仏法からその教義を投げ出してしまうことは、布教者として自殺行為だったといえるのではないでしょうか。
今後、教義を避けて、何をここで訴えていかれるおつもりでしょう。人の為にあるというその法も教義を避けては一切語れないのではないですか?
仏教者として致命的な発言をなさっておられませんでしょうか。
353
:
犀角独歩
:2003/10/24(金) 16:20
沖浦さん:
簡潔にいきましょう。
創価学会は昭和42年に800万、実名信徒名簿を大石寺に提出。
その後、昭和58年に1650万会員と言うも、現行勢力は統計分析から400万ないし、800万と言われています。つまり、30年を経て、半減、あるいは増加率0という実態です。つまり、200年後にはなくなっていると考えるほうが統計分析としてはよほど当たっているでしょう。
かつて戸田さんは四半世紀後には「日蓮正宗を国教化し、国立戒壇を建立」と言いましたが、これは「絵空事」となりました。またかつて池田さんは「七つの鐘」構想を打ち立てるも、これも大外れ。一度たりとも当たったことのない未来予想を言うのが創価学会。未来話、200年後・20億円など、SFよりまだ当たるはずもありませんし、なにより、未来予測が外れた“実績”がある以上、信頼するに足りないことは言うまでもありません。
大石寺と無関係といいながら、その大石寺の26代住職・寛師漫荼羅を拝むこの矛盾。
創価学会をやめたわたしは『人間革命』廃紙回収に出して、二度と「人間革命」を口にすることはありませんでした。創価教学、生命論も同様です。飾ってあった池田さんの写真、もらった数珠・ペンダント、色紙の類も、全部、ゴミに出しました。創価学会の指導集もゴミとして捨てました。牧口・戸田・池田の三人を二度と「先生」と呼ぶことはありません。関係を無くすとはこのようなことを言うのです。
相変わらず大石寺住職の漫荼羅を拝んでいて、関係ないもないものです。笑止千万とはこのことです。関係がないのであれば、大石寺漫荼羅を拝むのは即刻やめましょう。止めません。
教学的な説明は何もできない、これはかんぜんに敗北を認めたと言うことでしょう。
敗北でないのであれば、記されている“独り善がり信念”には、是非、文証を挙げてください。挙証の限りにおいてはその実否を考えてみることはできなくもありません。
嫡々一人相承にはわたしも反対の立場です。しかし、それを述べるためには多くの資料を提示しました。その結果、残念ながら、石山の唯受一人は証明できないと結論せざるを得ませんでした。しかし、もっと信頼できないものがあります。それは戸田さんが池田さんにエレベーターの中かどこかで次代会長であることを言い渡しとか言う創作物語です。
「蓮祖直結」だそうですが、であれば、創価学会も、牧口さんも、戸田さんも、池田さんもいりません。この意見には賛成です。
創価学会とカルト。関係あります。破壊的カルト・マインド・コントロールを論理的に説明したS・ハッサン師は『マインド・コントロールの恐怖』のなかで、カルトのひとつにアメリカ創価学会を挙げています。また、先にセクト(カルト)法を成立させたフランスでは、創価学会をセクト(カルト)としています。
さて、質問です。
創価学会は世界平和に貢献しているそうですが、いまは騒がす、以下の人々に、池田さん・創価学会はどのような折伏をしている・いたのでしょうか。また、戦渦相次ぐ、これらの国にどのような折伏を行っているのでしょうか。
ジョージ・ブッシュ、サダム・フセイン、ビン・ラディン
イラン、イラク、イスラエルなど
安全かつ友好に会える世界の著名人とばかり会い、その模様を撮影しては会員に見せ「ほらほら、こんな世界平和、世界広布は進んでいる」と扇動し、蓋を開ければなにもやっていないのが創価学会です。まったく、ここにおける沖浦さん・あなたの投稿内容と一緒で、実が何もありません。広宣流布も名ばかりで、あるのは「世界の池田先生」だけの絵空事です。
354
:
犀角独歩
:2003/10/24(金) 16:32
上に一人一国が抜けていました。
金正日、北朝鮮
回答を楽しみにお待ちします。
355
:
沖浦克治
:2003/10/24(金) 19:59
>200年後にはなくなっていると考えるほうが統計分析としてはよほど当たっているでしょう。
この数字は的外れではないと思います。
以前にも申しあげましたが、宗門と関係のあったころはまるで鉄の錘をぶら下げて遠泳をしているようなものでした。
ようやく自由に布教が出来る立場になって、今創価学会は活き活きしています。
座談会に出ると実感いたします。
今後10年間ぐらいでかなり実所帯数が増えると思います。
推論は、その後になされば如何でしょうか?
>、なにより、未来予測が外れた“実績”がある以上、信頼するに足りないことは言うまでもありません。
別に信頼する必要はありません。
そのようなことは期待しておりません。
>大石寺と無関係といいながら、その大石寺の26代住職・寛師漫荼羅を拝むこの矛盾。
私は別に矛盾とは思いませんが、あなたがそう思われる事はご自由です。
>創価教学、生命論も同様です。飾ってあった池田さんの写真、もらった数珠・ペンダント、色紙の類も、全部、ゴミに出しました。創価学会の指導集もゴミとして捨てました。牧口・戸田・池田の三人を二度と「先生」と呼ぶことはありません。関係を無くすとはこのようなことを言うのです。
あなたの持ち物である本等をあなたが処分し、あなたが先生を個人的にどう思われ様とあなたの問題です。
私には、どうぞご自由に、と言う以外にありません。
>相変わらず大石寺住職の漫荼羅を拝んでいて、関係ないもないものです。笑止千万とはこのことです。関係がないのであれば、大石寺漫荼羅を拝むのは即刻やめましょう。止めません
あなたには関係の無い事です。
首を突っ込まなくてもいいのではないですか?
勘違いがある様ですね、大石寺の本尊等は存在いたしません。
ご本尊はどなたが書写し様と、全て蓮祖のご本尊様です。
>記されている“独り善がり信念”には、是非、文証を挙げてください。挙証の限りにおいてはその実否を考えてみることはできなくもありません。
別にあなたに納得していただくために書き込んでいるわけではありません。
実否を考えていただかなくてけっこうです。
>それは戸田さんが池田さんにエレベーターの中かどこかで次代会長であることを言い渡しとか言う創作物語です。
こんな世迷い事を、私は一度も信じたことはありません。
>創価学会は世界平和に貢献しているそうですが、いまは騒がす、以下の人々に、池田さん・創価学会はどのような折伏をしている・いたのでしょうか。また、戦渦相次ぐ、これらの国にどのような折伏を行っているのでしょうか。
全てようやくスタートをしたところです。
安心してお任せください。
日蓮正宗が達師の時代、SGIの創立に大反対した事はご存知でしょう。
顕師押して知るべしです。
こんな邪魔者とようやく縁が切れたのです。
全てはこれからです。
>安全かつ友好に会える世界の著名人とばかり会い、その模様を撮影しては会員に見せ「ほらほら、こんな世界平和、世界広布は進んでいる」と扇動し、蓋を開ければなにもやっていないのが創価学会です。
あなたがそう思われる事はご自由です。
私は、今後の世界広布の展開には不可欠な戦いと思っております。
>広宣流布も名ばかりで、あるのは「世界の池田先生」だけの絵空事です。
広宣流布は名ばかりなのは、日蓮正宗という集団です。
小さな寺院の小さな法華講でさえ、権力争いに明け暮れているところが多いですよ。
こんなところに世界広布をお任せになるのですか?
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板