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創価学会の功罪を考える

258犀角独歩:2003/10/20(月) 10:14

252、253 ガンコさん:

お久しぶりですね。

浅井さんが使う如き表現は絶待妙というより、体内・体外の法門と言われるものです。
また、内証・外用の法門としても使われます。「我が内証の寿量品」などと記述される如くです。

「然れば八万四千の法蔵は、我が身一人の日記文書なり」

などという場合もこの伏線から記述されたものでしょう。
しかし、当然のこととして、真跡中に以上のような教義的な姿勢は蓮師には見られません。

ただし、後代の相伝譜から形成された教学的な姿勢においては、たしかに体内・体外、内証・外用といった視点から捉えようとする思考はあり、学会を含む石山系教学では、このような捉え方は、至極、当然のこととして使われてきたことでしょう。

しかしながら、摩訶止観を御書と言ったりすることはあり得ません。
また、これを絶待妙ということもありません。

このようないい加減な記述は 教・論・釈・御書 を厳格に拝する興師の教学的な姿勢からも批判されるべきことでしょう。また、後代の体内・体外等の教学的姿勢からもかけはなれたものであると言えようかと存じます。


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