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創価学会の功罪を考える
294
:
犀角独歩
:2003/10/22(水) 10:35
―293からつづく―
こんなそんなも、戸田さんの言葉を信じたからです。「国立戒壇」の大号令です。
しかし、国立だったはずの戒壇は、国立ではなく、事戒壇でもなく、挙げ句、四半世紀で跡形もなく姿を消しました。学会に言わせれば「日顕が悪い」、そうなるんでしょうが、会長本仏論盛んなりし頃には「池田先生はすべてを見通す」なんて言っていたわけです。未来も予言するお力の大先生が正本堂の顛末を予言できなかったわけです。普通の指導者であれば、間違いなく、引責辞任。しかし、責任はすべて石山に押し付けて、相変わらず、「創価学会は絶対に正しい」とやっているわけです。それどころか、「一家和楽」「世界平和」「社会に実証を示せ」。家庭崩壊させて、一家和楽、お題目だけの世界平和、戦後日本社会でさんざん迷惑をかけておいて、社会に実証を示せもないものだという一般的な見解。まあ、厚顔無恥な団体と批判したくなるのは当然でしょうね。
戸田さんの「国立戒壇」指導に翻弄された両親を持つわたしにとって、レコードでこの親父のだみ声を聞くと、懐かしくもあり、反面、嘘っぱちだった化儀の広宣流布・国立戒壇指導をアル中の酩酊でがなっていた無責任指導に怒りがわき上がってきます。まさにあれは「扇動だった」と思うわけです。
その当時、いい加減に、調子よくやっていた会員は失うものも少なかったでしょうから、それほど被害感覚はないかも知れません。しかし、誠心誠意、本気でのめり込んでいたものにとっては正本堂以降の方向転換は、まさに会員への裏切り行為そのものです。その意味で妙信講・浅井さんとその一派が怒り心頭に達した経緯はよくわかります。
しかし、それより、なにより、蓮師そのものの思想に事壇建立、田中智学師以降の用語で言えば「国立戒壇」という考えなどなかったことが、ようやくわかったとき、あの戸田さんの与太話を信じ込んでしまった両親の、事実確認の甘さ、騙される側の過失を思わずにいられませんでした。
我が家のような被害者を2度と出さないためにできることは、信仰者の信仰責任を挙証義務の提示という視点から責任追及することであると思うわけです。また、証拠も提示できないデタラメ話を、確信を持って、上から見下しながら語る自称・信心強盛の倒錯した勧誘者から身を守るためにに必要なこと、それは本当は蓮師は何を説いていたのかをこの際、はっきりさせることであると思うわけです。
まあ、この件でわたしが譲らなのはこんな自分史にあります。
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