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創価学会の功罪を考える
286
:
犀角独歩
:2003/10/22(水) 00:09
○化法・化儀の広宣流布とはなにか?
化法・化儀の広宣流布、そういえば昔、創価学会ではこんなことを言っていたと思い出しました。
ざっと調べ直してみましたが、いったい、これが何を根拠にするものなのか、どうも資料に当たれません。たしかに池田さんが会長就任挨拶で「化儀の広宣流布」を口走ってはいます。
通常、化儀といえば、頓・漸・秘密・不定の四教をいい、化法と言えば蔵・通・別・円の四教を言うのでしょう。これは『法華文句』に見られることは周知の事実です。しかし、実際、化儀の成句が出るのは『文句記』に拠ったと記憶します。しかし、この教義と、化法・化儀の広宣流布は直接的につながらないと思えます。
類似した教義で思い当たるのは寛師の法体の折伏・化儀の折伏でしょうか。これは『本尊鈔文段』に見られたものでした。まあ、意味としてはこちらに近いのでしょうか。しかし、これは蓮師の思想ではなく寛師説でしょう。
いずれにしても、化法・化儀は本来、仏に係るものであって、これを仏以外に契当させることは、わたしには不適切であると思えます。
ちなみに化儀とは仏の衆生化導の儀式を言うわけです。となれば、化儀の広宣流布とは、現代語に置き換えれば、広宣流布のための仏が衆生を化導する儀式ほどの意味となるのではないでしょうか。もちろん、こんな用法はありませんが。
石山・有師はしかし、住師を通じて院師に『化儀抄』を遺すわけで、この場合は、石山住職の化導の在り方を示したものであると見えます。
有師がこの場合に“化儀”語を使うことは、所謂、派祖本仏から当住(住職)本仏の伏線と見るのはかなり穿った見方でしょうか。
いずれにしても、32歳の池田さんが「広宣流布の指揮を執る」とはよく言ったものだと、わたしのそれを蛮勇と覚えるばかりです。しかしながら、その後の創価王国・創価家族・池田“先生”を広宣流布した勢いはたしかに戦後、新興宗教界切手であったことは事実でした。ただし、これは日蓮門下が言う日蓮仏教の広宣流布ではなく、まして原意である法華経の広宣流布でもないでしょう。あくまで池田創価学会の広宣流布という域です。
創価学会はいまやラミネート加工した印刷漫荼羅を頒布していますが、これが化儀の広宣流布であるというのであれば、失笑を禁じ得ません。これは単なる3000円なりの代金を支払う販売に枠を越えません。このように言えば、憤慨する学会員はいるでしょうが、しかし、伝興師の言では以下の通りです。
「日興の弟子分に於ては、在家出家の中に或は身命を捨て或は疵(きず)を被り若しは又在所を追ひ放たれて、一分信心の有る輩に、忝(かたじけな)くも書写し奉り之を授与する者なり」
以上の如き、厳格さです。それに比し、創価学会では入会したての新入会員であっても、代金と引き替えにこのラミネートされた寛師の印刷漫荼羅を頒布しているわけです。これは興師の教えに対するひどい冒涜ではないのか、とわたしには思えます。
「いや、書写した成就本尊ではなく、形木の仮本尊であるから良い」と石山人であれば言うかもしれません。では、
「御筆の本尊を以て形木(かたぎ)に彫(きざ)み、不信の輩に授与して軽賤する由(よし)諸方に其の聞こえ有り」
こう言えば、「いや、日蓮大聖人の真筆漫荼羅の御形木を禁止したものであるから、歴代の御本尊は良い」と反論されることになるのでしょうか。この点は、わたしは大いに議論したいところです。
しかし、いずれにしても、化儀の広宣流布なるものがラミネート加工された寛師印刷漫荼羅を頒布することであるとは、わたしには到底思えません。この点については、もちろん、石山の「本尊下付」についても同様の感慨を懐きます。
これは憶測の域を出ませんが、もし戸田さんが化儀の広宣流布という言葉を使っていたとしたら、国立戒壇建立にいたる儀式をそう読んでいたのだろうかと想像できなくもありません。
以上、化法・化儀の広宣流布について、ご承知の方があれば、ご教示ください。
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