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創価学会の功罪を考える

349アネモネ:2003/10/24(金) 13:02
(つづき)
>創価学会が日蓮正宗の信徒の集まりの時とは、立場が変わって当然です。

何の立場が変ったというのですか。
こういってはなんですが、発せられる言葉のひとつひとつが曖昧模糊とした適当な言葉のように感じるんですね。一方的な思いを強く語られる割には、中味が空疎のように感じます。
学会の中ではツーカーで通じ許される適当な言葉であっても、学会を知らない私のような者もいる公の掲示板では、残念ながら通用しないのです。
できれば、レスは急ぎませんので、もう少し具体性を持たせた説明をお願いできないでしょうか。それと、ここに参加される以上は、できれば私が紹介いたしました過去ログを少しづつでもいいですから、ぜひお読みになって下さい。

>現在の自由な立場から宗門を見ると、過去には見えなかったものが見えてくると言っております。
たとえば、嫡々一人などは絵空事です。

嫡々一人というのは、唯受一人血脈相承のことでしょうか?

>しかしながら、宗門に所属していた時にはこんな事は話題にも出来ず、したがってほとんどの学会員が信じておりました。

嫡々一人が何のことなのかわかりませんが、それが正しいことではないということは、どのようなことでおわかりになったのですか?

>200年たって、創価学会が20億人程度の会員を世界中に持っていれば我々の勝ち。
 日蓮正宗が20億人になっていれば宗門の勝ち。

200年という数字は戸田さんが言ったこととのことでしたが、20億人というのはどういう試算でどなたがはじき出したものでしょうか。
恐らく、沖浦さんは、私の過去のレスについてはほとんど読んではいらっしゃらないものと思われますが、私はこうした数字を宗教の場で必達目標として掲げられることに大きな違和感を覚えます。はっきりいって、マルチ商法の場のようにさえ感じるのです。
共通する弊害は、人間性を失いかねないということで、私は敬遠したいのです。
法華講でもそうでしたが、30万登山というその30万という数字にどれだけの信者が人間性を失ってきたのかを目の当たりにしてきました。私もあわやのところで、自分を見失うところでした。
人間の為と言いながら、200年後とか、20億人とか、信者が数字を背負わされていくことで、広める信徒が人間性を失っていたのでは、どうしようもないです。

>人間の人間による人間の為の宗教が蓮祖の法です。

このことを示した文証を教えてください。

>蓮祖は人間です、我々も人間です、

それはそうでしょうね。

>化導されるべき衆生もまた人間です。

それでは、法を広める信徒と、広められる衆生との間にも、主と従があるのですか?


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