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創価学会の功罪を考える
292
:
愚鈍凡夫
:2003/10/22(水) 05:46
犀角独歩さんどうも。
訂正があります。
改めて「註法華経」だけを検索したら、「化法」が9カ所、「化儀」が15カ所ありました。
悪しからず。 m(__)m
話は変わりますが、
嘗て、「化儀の広宣流布」に関して大白蓮華に次のように書かれていました。
「化儀の広宣流布とは国立戒壇の建立であり、国立戒壇建立の前提として真の広宣流布のために、本尊流布(折伏)をしなければならないのである。日本国中の人たちが、大御本尊の偉大さを肝に銘じてこそ、真の広宣流布ができるのである。」(大白蓮華 1962(昭和37)年5月号)(※1)
そして、池田さんは、「化儀の広宣流布」について次のように述べていました。
「実は、本門事の戒壇は正本堂という御本尊がある。猊下と私だけの唯仏与仏だ。板本尊で、まさしく化儀の広宣流布の八百万は、明確に終わった。」 (1973(昭和48)年12月29日・第2回御義口伝受講者大会)
「あれれっ・・・・・。正本堂は御本尊やったんか? 知らなんだぁ」(独り言1)
「細井日達はんも、池田はんも、仏さんやったんかいな。知らんなんだな〜」(独り言2)
創価学会でいう「化儀の広宣流布」とは、文字通り国家による「国立戒壇」建立を指します。
その証拠に戸田さんは、
「広宣流布の姿におきまして、また広宣流布の途上におきましては、経済界に、あるいは新聞社において、あるいは雑誌において、またこれに類似する文化活動において、あるいは映画において、あるいは政治において、また会社の重役といえども会社の小使いといえども、皆、御本尊のありがたいことがわかって、これらの人々のなかから国会議員が出て、国立戒壇の請願が出され、国会で可決され、天皇陛下も、またこの御本尊のありがたさを知ってこそ、はじめて広宣流布ができるのです」(※1)
と述べています。そして、聖教新聞の社説にはこんな記述もありました(統一地方選初挑戦の前年です)。
「広宣流布の完成の日はある理由により後二十五年以内と確信してよい。この期間に大御本尊に対して日本一同に帰依して、国立戒壇建立のご教書が発せられる。それは衆議院の過半数によって発せられるもので、これを獲得するため新たな活動が展開されねばならない」(「聖教新聞 社説」1954(昭和29)年1月1日)
この予想はものの見事に外れ、1970(昭和45)年5月3日の本部総会に於る池田さんのスピーチを最後に、創価学会から「国立戒壇」の言葉は葬られます。
「国立戒壇という表現は大聖人の御書にもなく、また誤解を招く恐れもあり、将来とも使わないと決定しておきたいと思いますが、いかがでありましょうか」(池田会長スピーチ)
「さんざん言うとって、今更それはないやろ」(独り言3) (`ヘ´) プンプン。
※1 「大白蓮華に見る国立戒壇の正義」
http://sanity1.at.infoseek.co.jp/vsub338.html
たまたま偶然見つけましたが、「ムムッ・・・・何だこれは?」 (?_?)
「れいな」と「沖浦克治」の仏法自由討論会
http://www3.ezbbs.net/10/mklotus/
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