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創価学会の功罪を考える
347
:
アネモネ
:2003/10/24(金) 13:00
(つづき)
>蓮祖の法を世界に広め、キリスト教や回教を化導するために最も重要な部分でしょう。
なぜキリスト教や回教を創価学会が化導しなければならない必要があるのでしょうか。
また、沖浦さんはどの程度、キリスト教や回教をご存知なのですか?
>>仏法は、人間のための法です。
>人を幸福に導く為に仏は出現し、法を説きます。
>人間の為の仏や法であれば、人間が主、法や仏は従です。
仏法の為に布教活動をしているとよく聞いたものですが、妙法や正法というものは、人間の為に存在しているということですか?これも初耳です。法律のように誰かが人間の為に作ったというものなのでしょうか。
すみませんが、ここのあたりのことを、向学のために、そのように説かれたお経文か御書を教えていただけませんか?
>Aの為のBであれば、Aが目的であり主、Bが手段であり従です。
>おそらくは、このような思想は仏法だけかも知れません。
というか、それが本当に仏の法というものなのでしょうか。私は、俄に理解できませんので、何か文証を提示してください。
正直いって、私は、日蓮正宗と創価学会は似たようなものだと思っていました。法華講はミニ版の創価学会だったのではないかとさえ思ったものですが、こうして投稿を読ませていただくと、カルチャーショックのような感覚を覚えます。
>法主は従、信徒は主、
では、不信の人は、何と呼びますか?
>能化は手段、所化は目的。
この意味がよくわかりません。所化になるということがこの信心の目的ということなのでしょうか。そのための手段が能化ということですか?ちょっとよくわかりませんので、この点についても、何か文証を示して説明して頂けないでしょうか。
>これがさかさまになっているのが、現在の宗門です。
さかさまでも、どっちでも、私はそのような役割を定められてしまうような組織信仰の歯車に組み込まれるのは、とても馴染めそうもないですね。
人間の為としきりに言われていますが、組織の枠組みを想像すると、まるで人間の尊厳を無視しているように見えますが。
>池田先生は従、会員は主、幹部は手段、末端は目的。
なんだか、目的別に役割が固定されているようで、とても息苦しそうですね。
この仏法を広めるということは、社会全体がそのような創価学会の組織に組み込まれて、画一化されてしまうというようなことを目標としているというものなのでしょうか。
なんだか心身ともに不自由な世の中になりそうで、繰り返しになりますが、私はとてもそのような組織の論理には馴染めそうもないです。
正直なところ、信じている方のお気持ちは尊重いたしますが、そのような息苦しい価値観は広まらないほうがいいのではないかと、私個人は思ってしまいます。かえって、人々が精神的に追い詰められ不幸になりはしないでしょうか。
>人類の幸福の為にある組織であれば、当然のことです。
そもそも創価学会では、人類の幸福とは何であるとしているのですか?
>>創価学会の教義なのでしょうか。
>日蓮大聖人様の教えです。
繰り返しになりますが、御書でそれを示しているところを教えてください。
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