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創価学会の功罪を考える

351アネモネ:2003/10/24(金) 13:03
(つづき)
>何一つ悪い事はしておりません。

そんなことはないんじゃないですか?
都合の良い情報だけを刷り込まれているということではありませんか?

>これが証拠です。

証拠というよりも、学会はすごいんだという自己宣伝ばかりで、何がすごいのかという参考になるような具体的内容も根拠もほとんどなかったですね。残念です。
あまりにも思いばかりが強いせいか、創価学会の正しさを立証するにはほど遠く、内容が空疎と感じました。
ただひとつわかったことは、私はかつて8年間いた宗門にも、かつて学会だったという方々が多くおられて、そのような方々を通して学会を知り、結局、似たり寄ったりだと思っていたものですが、実は、違うものだということを実感しました。
語彙も違えば、もしかして教義も違っているのでしょうか。

創価学会は具体的に何をしている教団なのでしょうか。
結局、沖浦さんの投稿の中で、具体的に書かれていたことといえば、「200年後」と「20億人」というそれぞれの数字と、その達成が勝負を決めるということだけだったように思われます。これが世界平和の目指す姿なのですか。だとしたら、とてもお粗末です。

要するに、教団の信徒数を増やすことだけに心血を注いでいる団体ということではないでしょうか。
それでは申し訳ないですが、沖浦さんの投稿と同じというか…宗教団体としてあまりにも空疎な教団と思えてしまいますね。
揶揄でもなんでもなく、それが率直なあるがままの私の感想です。

>社会に仏法を開く為には、多くの人材の輩出が不可欠です。
 とりあえずは、蓮祖の法を心の芯においた社会に通用する一流の人間を多く育てる事です。
 そのためには大学、文化研究機関、経済研究所等々を作らねばなりません。
 政治も避けては通れませんね。
 信心さえしていればよい、との考えは、世界広布には無力です。

人間の為の仏法と何度も書かれていましたが、人間の為の仏法ではなくて、創価学会の為に仏法があると言っているように聞こえます。
もっといえば、創価学会の為に仏法と人間がある。そればかりか、国を司る政治までもが、創価学会の為にあるんだという意識さえも感じられ、人間や社会は学会が大きくなるための道具のようにみなされているようで、不快感を覚えます。
人間、人間と繰り返す割には、まるで人間性が感じられないのはどうしてでしょう。そう思うのは、私だけでしょうか。


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