[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
メール
|
1-
101-
201-
301-
401-
501-
601-
701-
801-
901-
1001-
1101-
1201-
1301-
1401-
1501-
1601-
1701-
1801-
1901-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
創価学会の功罪を考える
267
:
アネモネ
:2003/10/20(月) 13:06
(つづき)
とりあえずこのスレッドは、創価学会の「功」と「罪」を考える場ですから、いろんな角度や視点からの考えや分析が投稿されることをねらいとして、スレッドを提案させて頂きました。
ここは創価学会員だけの掲示板ではありません。
ですから、創価学会における絶対的なお約束や価値観を、どんなに力んで力説されてもここでは何の効力も発揮しません。
それを駄目だというならば、ここでの対話は無理でしょう。
また自分のことを理解してもらいたいと思うならば、理解されるように言葉を尽くしてレスを試みる努力をするべきではないでしょうか。持論が理解されないことを、相手の理解力のなさとして責任をなすりつけるのは、宗教者としても、とても不誠実な態度に感じます。またむしろ沖浦克治さんのレスは、説明不足ということのほうが大きいのではないでしょうか。
相手に心も砕くことなく、また言葉も尽くさずして、持論の信念をただただ当然の価値観と押し付けようとするばかりの姿勢は、無理をゴリ押ししているだけのものです。無理を通せば道理が引っ込むで、その結果、暴言が突いて出る。失礼ながら、沖浦克治さんの現在の投稿内容は、そのようなところではないでしょうか。まるで喧嘩を売りにきたようなものですね。
喧嘩なら喧嘩で、なじり合いを続ければいいわけですが、それでは世間一般に対して、この仏法を信じた結果は修羅の境涯であるという皮肉な結果を示すだけではないでしょうか。
加えて私の感想ですが、「駄目な人」などと、相手にレッテルを貼ってみたところで、それはかえってご自身の人間性を落としているように、私には見えてしまいます。
境涯を高めるその先の姿とは、そのような人間性となることを目的としたものであるならば、私は「境涯」も「境界」も決して高くはなりたくないものだとつくづく思いました。できるだけ低くありたいです。
そのような私の思いからいっても、法華講を退転したことは正しい選択であったと思います。またもっと言えば、創価学会に縁がなくてよかったとさえ思います
沖浦克治さんお一人の限られた投稿内容だけでもって、創価学会員全体の人間性を決め付け断定するものではありませんが、しかし創価学会の功罪の、その社会的な観点からみた「罪」の一端を認めざるを得ないという感想を持ちました。
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板