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創価学会の功罪を考える
327
:
アネモネ
:2003/10/23(木) 02:15
(つづき)
>また、信教の自由は布教活動の自由を認めております。
もちろんです。しかし、その信教の自由は、創価学会の為だけに存在している権利ではありませんね。戸田さんの時代から振り返って、その点の教団の振る舞いは如何でしたでしたか?私よりもよくご存知なのではありませんか?
不信の人や、他の宗教教団の人々の信教の自由について尊重してきたと言い切れるものでしょうか。「地獄に落ちる」などといった言葉で脅かされて、不本意な形で入信を強要された方は限りなくたくさんいらっしゃるように思われますけれども…。
それは、私の聞き違いからくる思い過ごしなのでしょうか。
>人を憎むのではなく、その人の信じる邪法を我々は憎むのです。
他者が信じる教えを「邪法」と断定する段階で、「信教の自由」を認めてはいませんよね。
重ねて言いますが、どんなに不思議と解釈されても、創価学会の布教のためだけに、民主主義に基づく「信教の自由」があるわけではありません。
自らの努力で得た権利でもないのに、自分たちだけの為だけにあるかのように都合よく勝手な解釈をされては困ります。布教する権利を主張する以上は、他の信仰の存在も認めなければなりません。それが民主主義のお約束です。
>これまで自己紹介をすと揶揄を返される事が多かったのです。
揶揄ではなくて、反論でしょう。
ルールに反しない限り、そして個々の理性に任せた上で、限りなく言論は自由です。
それにだいたい沖浦さん自身だって、これまでのレスに、揶揄の言葉は全くなかったと言い切れますでしょうか?
しかしそれにしても、教義の内容に付いての討論は避けたいと仰りながら、この度の私に対するレスには、教義に関わる内容に言及されておられます。
こういうのを中途半端というのではないかと感じます。そしてこういう私のレスが、揶揄ということになるのでしょうか。
まあ、この程度の揶揄でひるんでいては、広宣流布の競争(?)には勝てはしないのではないでしょうか。
まあ、細かいことは読み流して頂いても構いませんが、私には創価学会の誇りというものが何であるのかは、現時点ではまるで見えてきておりません。
>現在、宗門を邪宗と断定している立場から、戸田先生のご指導を読まねば真実は見えてまいりません。
どうしてですか?
>317
>いずれにせよ勝負はこれからです。
>お互いに布教活動をし、世界に蓮祖の法を広めたほうが勝ちですね。
勝ち負けの基準は何でしょうか。誰がその判定をするのでしょう。
それと、私が退転して改めてわからない素朴な疑問をここでさせて頂きますが、広めるというその「連祖の法」とは、一体、何なのでしょうか?一言で言えるものではないでしょうけれども、その点も含めて、レスを頂ければ幸いです。
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