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創価学会の功罪を考える
326
:
アネモネ
:2003/10/23(木) 02:15
沖浦克治さん
>牧口・戸田・池田の3人先生方の真実の評価は、200年先にならないとわからないでしょう。
失礼ながら言わせて頂きますが、こういう言い回しって、なんだか私には、単なる逃げ口上に感じるところです。
だいたい、どうやって200年後という数字がはじき出されるのでしょう。
ここに集っている人は誰もいないですから、真実の確かめようがないわけです。学会員であることを誇りに思うことを強く主張しながら、その評価を自分のいない200年先にもっていくなんて、とても無責任発言に感じます。
>315
>ここでお三方の、評価の良し悪しを論じても無意味です。
「創価学会の功罪を考える」というこのスレッドは、まさにこのお三方の良し悪しを論じることを目的としているところです。提案者の私としましては、無意味といわれると、重大なテーマから都合良く目を背けられているように感じるところです。200年先の評価を持ち出されるほうが無意味ではないでしょうか。
>人間が本、仏が迹の立場です。
戒壇様は迹、人間は本です。
仏よりも人間のほうが高い境涯(境界)ということを意味した内容に思われるのですが、はじめて聞く言葉だか解釈で、正直なところ私はとても理解できず、戸惑っております。
日蓮聖人は本仏だというふうに法華講で教わりましたが、ということは、人間の私たちのほうが勝るということなのですか?
これって、何なのでしょう。創価学会の教義なのでしょうか。それとも沖浦さんが自ら悟られたことでなのでしょうか…?
>本である人間社会が成熟をせねば、広宣流布が不可能である事は御書に照らして当然と言えるでしょう。
とすると、人間社会を成熟させる力があるのは、沖浦さんが信じているという「広めるべき法」ではないということになりますね。沖浦さんが信じているという「広めるべき法」は、民主主義の力なくしては広まらない、いわば「他力本願の法」ということなのでしょうか。
>>つまり日本の民主主義を定めた現行憲法の、第二十条に保障された信教の自由の恩恵を、第二代会長の戸田さん以降の創価学会は多大にその受けているということになるといえますね。
>当然そうです。
蓮祖が法を説かれ、人類社会が広宣流布の環境を整えるまで、700年かかったのです。
ということは、700年も前から創価学会があったということですか?
>創価学会が、現在信教の自由を侵している実例をお挙げ下さい。
沖浦さんご自身のレスに既に見受けられます。それは、>306の
「現在、宗門を邪宗と断定している立場から、戸田先生のご指導を読まねば真実は見えてまいりません。」
という言葉です。このような意識から、「駄目な人」といってしまったところが、他者の信教の自由を侵害していらっしゃるといえます。
>折伏は権力や、暴力で行なうものではなく、対話を通じて行なっております。
暴言…つまり言葉の暴力というものですね。
「お付き合いしたくありません」などと、対話を拒否することも、暴言、つまり暴力のうちに含まれるものではないでしょうか?
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