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創価学会の功罪を考える
330
:
沖浦克治
:2003/10/23(木) 16:58
アネモネさん(続きです)
>人間が本、仏が迹の立場です。
戒壇様は迹、人間は本です。
蓮祖の法を世界に広め、キリスト教や回教を化導するために最も重要な部分でしょう。
仏法は、人間のための法です。
人を幸福に導く為に仏は出現し、法を説きます。
人間の為の仏や法であれば、人間が主、法や仏は従です。
Aの為のBであれば、Aが目的であり主、Bが手段であり従です。
おそらくは、このような思想は仏法だけかも知れません。
法主は従、信徒は主、能化は手段、所化は目的。
これがさかさまになっているのが、現在の宗門です。
池田先生は従、会員は主、幹部は手段、末端は目的。
人類の幸福の為にある組織であれば、当然のことです。
>創価学会の教義なのでしょうか。
日蓮大聖人様の教えです。
>とすると、人間社会を成熟させる力があるのは、沖浦さんが信じているという「広めるべき法」ではないということになりますね。沖浦さんが信じているという「広めるべき法」は、民主主義の力なくしては広まらない、いわば「他力本願の法」ということなのでしょうか。
いいえ自力でも他力でもありません。
社会の変換をもたらしたものは人類の英知です。
法も力があり、人間も力があるのです。
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